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霊笛  作者: 野中
霊笛・第三部
57/72

第三章(17)

(え?)

思わず、足を止める。



はじめに見えた異常は、闇。


先ほど、瘴気を引き裂いたのはこれだ、と直感で悟る。

史郎を中心に、その闇がとぐろを巻いていた。



この間、地下で見たものと同じ。



悟るなり、肩にちいさな爪が食い込む感覚があった。豆乃丞だ。

怯えたように、私に身を擦り寄せてくる。


真夏の熱気の中、その微かな温もりに気付くことで、私は全身が冷え切っているのを自覚した。


どうしていきなり、闇が史郎を蝕んでいるのか。

先ほどまでは、片鱗も見えなかったはずだ。





私が、百鬼夜行に呑まれる寸前までは、史郎には何の異常も。


「これはこれは、…いかんなぁ」


のんびりした声を聞いたのと同時に、頬に風を感じた。

誰かが、私の真横をすり抜けたのだ。火滝だ。






「呑まれるぞ、主」






声すら軽々と――――――、身を躍らせた火滝は。


ひとつの迷いなく、手にした太刀を史郎目がけて振り下ろした。

そこには確実に、火滝の全力が込められている。というのに。


リィン――――――ッ!


澄んだ音と共に、刃は史郎の肩口を噛んで止まった。

斬れた布地の下、わずかに垣間見えたのは、…鱗?



けれど火滝には間違いなく、史郎の身体を断ち切る準備があった。



小揺るぎもしなかった史郎は火滝を咎めない。

ただ不愉快そうに唸った。

「だっせぇ…」

それは、自分自身への言葉だったろうか。






遅れて、状況を理解した私の胸が冷える。


その重みに引きずられ、いっきに冷静になった。

冷静に、―――――制御し難い怒りがカッと頭を熱した。



「火滝」



気持ちのままに、名を呼んだ。






弾かれたように、火滝が振り向く。

思わぬところに油断ならない敵がいた、と言った態度で。



表情が乏しいと言われる私の顔に何を見たのか。



珍しく、目を見張った。

目を逸らす。

バツが悪そうに唇をとがらせた。


「そう、怒るでないよ。これは、主に頼まれていることなのだ」

親に叱られた子供のような態度で、火滝は続ける。




「アレに呑まれるようなら殺せと」




その、言葉と。

目の前で起こった事態に、心を右に左に小突かれる心地で、私は。


「史郎さま」



思わず叱る声で彼を呼んだ。



史郎もまた、目を逸らす。

私の視線に耐えかねたように。


居心地悪そうな彼に、再度呼びかけた。






「史郎さま」






未だ闇の影響から逃れられず、苦しげな史郎に、言い訳は、と言いたげに責める声を出すのは筋違いだろう。けれど。


誤魔化されるのは、いやだ。


史郎は言いにくそうに応じる。

「…あぁ、悪かったよ、火滝の言う通りだ」


答えは、求めたような言いわけではなかった。

どんな嘘でも、史郎が言ったなら信じたのに。


虚脱めいた心地に、私は肩を落とす。




「そう、ですか」




納得はできない。だが、そう答える以外になかった。

人外には人外の理があるのだ。私では…人間では、理解し難い何かが。


詰まるような私の言葉に、史郎は一瞬、途方に暮れた顔になる。



そんな顔をさせたことに罪悪感を覚えると同時に。


私の反応に見せる史郎の揺らぎに、嬉しくなる。救われる。



次いで、史郎は火滝を睨んだ。視線は明らかに、こう言っていた。






『余計なこと言いやがって』。






…言いがかりの、気もする。


太刀を鞘におさめた火滝は、両手を降参するように挙げ、厳かに告げた。

「主が呑まれなければ問題ない話だ」


小声で続けた言葉も、私は聞き逃さなかった。



「しまったな、霊笛の君は人間―――――理由に納得するどころか怒るとは想定外」



くわばらくわばら、と火滝は弱ったように身を竦める。


ふん、と史郎は鼻息荒く息を吐いた。

気遣うように私を横目にした火滝が、場を仕切り直すように咳払いを落とす。




「で、主」




分かっている、と言いたげに頷いた史郎に、火滝は微笑んだ。

「目は、覚めたかな」

史郎は面倒そうに首を横に振った。

「いや、正直、やべぇ」


上辺だけでも取り繕ってほしい、と史郎に心底思うのはこんな時だ。

それでも、私は。


どれだけ不安になっても、傷ついても、史郎の嘘がつけない本質が愛しいのだから、これはもう仕方なかった。


「おや」

火滝は目を丸くする。

彼の場合、本気で驚いた感じはしない。

演技とわかるように演技している、そんな気がする。



「弱気ではないか」



ふわり、火滝は史郎と距離を取った。

からかう物言いながら、素早い。



彼の後を負うように、闇が、一段、縛めから解かれたように、範囲を広げた。



…これは。

―――――本当に、危険なのではないか。

私は周囲に散った闇から守るように、慎重に豊音を帯に差し込みながら、思う。


だが、豊音から手を離そうとして、すこし逡巡した。


なにせ先日、あの闇を沈めたのは、霊笛の音だ。

今、豊音を奏でたらどうだろう? 思うなり。



満月色の史郎の瞳が、私を射抜く。

そして、…信じられないことを言った。






「俺から、逃げろ」


ぶっきらぼうな声に、私は言葉を失う。


なんてことだろう。はじめて見た。…ここまで悔しそうな、史郎なんて。






「祓寮の連中に、守ってもらえ」


自身で告げた言葉に、屈辱を覚えたように史郎の表情が歪んだ。

私は咄嗟に尋ねた。


「でも、史郎さまは戦うのでしょう?」


その闇と。


史郎は苛立たしげに、動かない私を睨む。

「行け」

最早、問答無用の命令だ。

私の言葉なんか、聞いていない。


だったら。




私も、聞かない。


刹那、わけのわからない反感が、私の胸の内で弾けた。




「あなたが戦うなら」

遠い場所に逃がされて、守られてばかりではいられない。

どこかで小さくなって耳を塞いでいるのなんて、まっぴらだ。

「私も戦います」


「ばかやろう!」

突然の怒声。いつもなら、身を縮めるそれに。



今日は。


頭に、血が上った。





「ばかでいい!」





とたん。

私の髪を跳ね上げ、真横を何かが掠めた。

同時に、史郎の呻き。



「くっそ…」



私は信じられない気持で、落ちてくる髪を手で押さえた。

先ほど掠めたのは、史郎が身にまとう、…闇だ。



少しでも軌道が逸れていれば、私の目に当たっていた。



「聞き分けろ。この、闇は」

気怠げに、史郎が言葉を続ける。






「凛を真っ先に始末する」






不意に、先ほど真牙が柘榴に言った言葉が脳裏を過ぎる。


―――――貴様は仇を討たずにおれんだろう。己が命の仇をな。



聞いた話が事実なら。



北王の前身は、真牙によって殺された。なら。




史郎にとっても、私は、…私の中にいる真牙は、前世の仇だ。






気もそぞろに、私は喘ぐように言葉を紡ぐ。

「どう、して、…ですか」

皮肉だ。本当に、世界はうまくできている。


均衡を保つ、とは。



こういうこと、なのだ。



長い目で見れば、どこかで採算が取れるようになっている。


何かを振り払うように、史郎は頭を大きく振った。

「この間、この黒いのを押さえこめた決め手は、凛の霊笛があったからだ」

ならば余計、私はここにいた方がいいのではないか。とはいえ。


言われて、理解した。



豊音を奏でようとすれば、たちまち、あの闇は私を傷付けるだろう。


最悪、命が消える。



「その、闇は」

聞いて、いいことなのだろうか。

説明のつく話なのだろうか。


悩みながら思い切って尋ねた。



「何、なのですか」



史郎はふと、虚脱した笑いを見せる。

いえ、諦め? ただ。


その中にさえ、彼特有の強さは消えない。


史郎は隠さなかった。






「俺の一部だ」


次いで、私を真っ直ぐ見据える。

「そして、俺が乗り越えるべきもの」






「…久嵐の、ように?」

直観のまま尋ねた声は、自信なく揺らいだ。


史郎は舌打ち。



「そうだ」



彼は私から視線を逸らさない。






「ヤツに偉そうに言いながら、俺はまだあの犬っころより前の段階で脚踏みしてんのさ」






不甲斐ない話だ、と言いつつ、史郎は堂々としている。

恥じてはいるが、隠しはしない。


陰にこもらない、こういうところが、このひとはひどく男前だ。




「気にすることはないぞ、霊笛の君」

火滝が、朗らかに割り込んだ。


「これは、主が未熟なだけだからな」


「おい」

微笑んだ侍従に、史郎は不機嫌に唸った。火滝に恐れ入った様子はない。

どころか、からかうように続ける。

「そうであろう?」


「うるせえ」


億劫そうに反論した史郎は、何かを堪えるように目を伏せた。いや。

何かと、戦っている? 


今、この瞬間にも。


私に気付けたことが、分からないはずはないのに、火滝は面白がるように言った。

「先ほどまでは、きちんと体内の気を巡らせていたはずだ。それがどうして、こうなったと思う?」



火滝の目が、不意に私に向けられる。







「百鬼夜行に呑まれた伴侶が心配のあまり、―――――…隙をつくったのだ」








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