表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霊笛  作者: 野中
霊笛・第三部
56/72

第三章(16)

脅しとは違う。


ただの事実を述べるような、だからこそ不吉な台詞だ。



告げられたのは、柘榴。

なのに、私まで身が総毛立った。


そのとき。





「「「あ」」」





私と『髑髏を抱く男』以外の三人が、揃って間の抜けた声を上げる。

何を感じたか、彼等は、一斉に同じ方向を見遣った。


先ほど火滝が穴を開けた場所だ。



呆気に取られたような雰囲気が、場に満ちる。



寸前との落差に、私は一人、戸惑った。

なんだろう?


分からないなりに、そちらへ目を凝らせば。




「おや…」

真っ先に我に返った火滝が首を傾げた。


「うん、仕方ないね、これは」

他人事のように呟く。


「失敗したな、主。そう言えば、覇槍公は」

征司の名に、私は意識を凝らした。

離宮に、彼の気配はない。


火滝が嘆息交じりに続ける。


「長老の見舞いに行ったのだっけね」




初耳だ。知っていれば、もらった珊瑚を言付けられたのだが。

まあ、個人的なことはともかくとして。


征司がそこにいるとことの、何が失敗なのか。いや。



この口調だと、征司がこの場に欠けていることを、忘れていた感が強い。なら?



「仕方ねえだろ」

うんざりと史郎が応じた。

「久嵐と清孝は捕りモノに参加したんだ。ヤツしか残らねえ」

ヤツ。私は少し考えた。

あ、もしかして…。



「入道野郎…今度毬にして遊んでやる」


私の背後、史郎が抑えた声で唸る。同時に。








「がははははははははははははははははっ!!!」







いつか聞いた磊落な笑い声と共に、穴から巨大な丸い物体が転がり出てきた。


丸いと見えたものは、修験者の格好をしているようだ。間違いない。



影介だ。



寸前に、火滝は脇へ避けている。

それが先触れだったように。








けたたましい嬌声を伴って、何とも知れない人外の群れが廊下へ雪崩込んできた。


『髑髏を抱く男』の姿は、瞬く間に呑まれて見えなくなる。

私は、唖然となった。

驚いたのだ。

気付かなかったことに。


実際目の前に現れるまで、この騒々しさがちっとも意識に触れなかった。



異様な話だ。



これでは、これらの進路を先読みしなければ、避けられない。







豊音を握りしめ、私は隠れるように背後の史郎に身を押しつける。

くるみ込むように、史郎は抱きとめてくれた。


人外の群れの周囲には、白とも黒ともつかない靄がかかっている。



あれは、瘴気だろうか。


それとも単純に、人外たちの熱気だろうか。



霧に似たそれが、波のように廊下の上を走ってくる。

「呆れたのう」

柘榴に動じた様子はなかった。

むしろ我に返ったように、いつもの調子で呟く。


「百鬼夜行を誘導するどころか、主の不在をいいことに、共に楽しくなって騒ぐとは…」


影介の話だろう。が

そうだとすれば、征司は主人としてきちんと彼の手綱を握っているようだ。


そこが意外と言えば意外と言えなくもない。


「分からなくもねえ」

史郎は肩を竦める。




「俺だって参加してぇんだが、最初は潰して回るしかなかったしな」


「冗談でもよくないのぅ。北竜公が踊り狂えばここら一帯荒野となる」


「いやなら、鬼女。いや、柘榴」

史郎は手にした煙管で、人外の波に『髑髏を抱く男』が呑まれた方を示した。



「あれを正気に戻せ」




柘榴が顔をしかめる。

挑発的に言い放った史郎は、迫る瘴気と百鬼夜行を前に、私をさらに引き寄せようと動いた――――――刹那。








「悪いね、北の旦那」








ひょうきんな声が私の耳元を掠めた。

どこかで聞いた声―――――思うなり、百鬼夜行の中から、腕が伸びた。



私の手首を掴む。


あ、と思う間もない。


思わぬ力で引きずり込まれた。よりによって。




百鬼夜行の…靄の中へ。








「ちょっと、貸してもらうよ」








満ちた瘴気のはざま、垣間見たのは、男の姿。

―――――黒髪、隻眼の男だ。無精ひげ。蓬髪、やせぎすで黒づくめ。


私は目を見張った。このひとは。



(鴉葉)



黒蜜の、眷属。

そうだ。黒蜜がいた。そして赤桐も。



骸ヶ淵に関わりあるものが、この地に揃っていると知っていたのに。



うっかり、忘れていた。いや、忘れていた、と言うのともすこし違う。

私は彼らの存在を、意識から、外していたのだ。



見つかっていないのだから、この地でこれ以上、私と彼等は関わらないだろう、と楽観していた。




油断だ。


なにより、誰も思わないだろう。








―――――北王の目の前から、彼の伴侶を掻っ攫う度胸を持つものがいるなど。







いっきに視界が瘴気に塞がれた。

同時に音も遮断される。


それなのに。


身体が、押し流されるように動いた。

水に流された時のように。


私の力では、抗えきれない。


引っ張りこまれるなり、手首を掴んだ鴉葉の指の感覚も消えていた。



つまりは、放り出されたわけだ。



にも関わらず、周囲に満ちた奇怪な熱気に、どう言うわけか、私も変に浮かれそうになる。

どこまでも流されていきたくなる衝動に気付き、私は息を止めた。

この、瘴気がいけない。


これ以上、吸いこんでは。


どうすれば、ここから出られるのか。

右も左も分からなかった。が。



史郎。



そうだ、史郎の気配なら、掴めないだろうか。

そこが、出口だ。

あれほど巨大な存在を、感じ取れないわけがない。


私は、流されそうな意識を叱咤した。

豊音を抱きしめ、史郎を探す。


そのとき。











―――――ヒュウウウウゥゥゥウウゥゥ…ッ。











突風が細い隙間を無理やり吹き抜けるような音が、突如響き渡った。

いやに胸が騒ぐ。

その感覚に、私は目を見張った。


なにしろこの間、聞いたばかりの音だ。これは。




あの髑髏の。




思うなり。











―――――お帰りになられた、お帰りになられた…っ!


今にも踊りだしそうなほど嬉しそうな少女の声が、脳裏に響く。


―――――戦場で死んだなんて嘘だったのね。あの子ったら、嘘ばっかり…。

だがそれもすぐ、しりすぼみになった。



―――――ああでも、どうして。



少女の声が、不安に揺れる。

―――――あなたのお身体はこんなに冷たいの? 塞がらない傷口、血も出ない。


何かを怖がる沈黙の後、少女は厳しく言った。




―――――だめよ。お父様のところへは連れていけない。ええ、分かっているわ。




少女は苦しげに喘ぐ。











同時に、私も詰めていた息を吐き出し、とうとう薄く吸った。


いつまでも息を止めていられない。


とたん、ぐっと少女の意識が私を呑みこもうと迫る。

こらえながら、耳を澄ました。


だってたぶん、この少女は。






―――――父に、わたしとの婚姻を許して頂ける条件、それが此度の戦での戦果。




瘴気の中、誇らしげに、顔の見えない戦士が足元を指差した。


いくつかの生首が垣間見え、すぐ、瘴気にかき消される。




―――――これほど敵の首級をあげれば、お父様も認めてくださる。けれど…。

苦悶を隠さない少女の声が、不意に金切り声に変わる。


―――――お父様に今のあなたを会わせるわけには…いいえ、いいえ!

…妹姫の言ったとおりだったのだろう。






戦士は、戦場で死んだのだ。


けれど、帰った。

愛しい姫の元へ。




死体で。




そんな化け物を、この地の支配者たる相手に会わせるわけにはいかない。


戦士を父親に会わせないのは、彼を守りたいためだ。

だが、相手から見ればどうだろうか?


姫の心変わりを疑ったかもしれない。

少女の声が悲痛に染まる。




―――――あなただけ。わたしには、あなただけ…! だからこそ…。




会わせるわけには、いかない。


…戦士に、状況の自覚が当時、どれほどあったのだろう。


思い出へ向かっていた泣くような声が、ふと翻ったのは、そのときだ。











―――――ねえ、あなたにならわかるでしょう? 妻なれば。











遠かった少女の声が、私の耳に冷たい息と共に吹き込まれた。

髑髏が、いきなり私に反応した理由を悟る。



私が、史郎の妻だから。


ならば。


焦りを押し隠し、私は慎重に言葉を紡いだ。


「あなたがあの戦士の伴侶、と言うなら」

この機会を逃がすわけにはいかない。



「もう彼を、眠らせてあげて下さい。それとも」



一度言葉を切って、私は身構えた。






「大切な相手を死後もあのように彷徨わせることが、あなたの望みなのですか」


言いにくいことを、厳しく言い切るには、私自身にも覚悟がいる。






とはいえ、相手が応じてくれるとは思っていなかった。

相手は人間ではない。


ほとんど期待していなかった、刹那。



―――――違う! ただ、怖いの! わたし、あの方を失望させてしまう…!



あまりの必死さに、私は息を呑んだ。

失望? 


あれほど、望まれているのに?


先ほどの、様子から。

…あの戦士に、死後の記憶は曖昧なようだ。



果たして、そのとき。



何かが、起きたのではないか。

二人を狂わせる、何かが。





「なにが、あったのですか」




問うなり、少女から虚脱した笑いが返った。

答えはない。

代わりに。




―――――あの方が帰ってきたあと、わたしは懐妊したの。まさかと思ったわ。だって、あの方の身体は冷たくて…。


語った内容に、驚いた。




だが、それこそ、かつて柘榴が告げた言葉と一致する。


彼女は言っていたではないか。






―――――骸が母よ。父は死霊。それでも生まれ、生きておる。






信じられない。

あり得ない。


けれどそんな常識を覆す説得力が、少女の声にはあった。



―――――怖くなんてなかった。嬉しかった。奇跡だった。…なのに!



不意に、か細い声が激した。








―――――守り切れなかった。赤ちゃん。わたしと、あの方の…ごめんなさい、ごめんなさい…っ。








守り、きれなかった?




…奇妙な言い方だ。




まるで、敵か何かにでも奪われたかのようだ。






…彼女は、寿命で亡くなったわけでは、ないのだろうか。






柘榴の言い方では、母体の死後、彼女は誕生したようだが。

その、真偽は別として。



そのとき、何が起きたんだろう。



きっと、その出来事が鍵なのだ。

知りたい。


だがどのように尋ねればいいのか。



一瞬、意識を逸らしたのがいけなかった。



少女の謝罪の声が、気付けば、中途半端に消え去ろうとしている。

私は慌てた。

これが少女の負い目、罪悪感。


それによって、彼女は心を閉ざそうとしていた。




その隙間へ、どうにか滑り込もうと私は声を張る。

なんでもいい。


とにかく、少女を振り向かせる言葉が必要だ。






深く考えず、咄嗟に放った言葉は。






「産まれています!」


柘榴はいる。

この世界に。


太陽の下で、




「生きています!」




普通に考えれば、彼らが親子だなど、到底信じられない。けれど。

柘榴が言ったのだ。


信じるには、それで十分。






「あなたたちは、もう出会ってる!」






少女が振り向いた気配があった、瞬間。


周囲の瘴気が千切れ飛んだ。いや。



吹き飛ばされた。闇に。



人外たちの悲鳴が上がる。

身が千切れ飛んだのも多いのだ、無理はない。



それでも、楽しげに踊りの行進は続く。



その光景が逆に不気味で、私ははっきりと正気に返った。




行列の、外。






猛烈な気配に顔を上げると、―――――史郎の姿が見える。






彼の胸元でちかりとひかったのは、例の石英だろう。


ならば、人外の力は抑え込んでいるはずなのに、…こうも重い気配を放つのだから、その力のほどが知れようと言うものだ。


正直、怖い。

だが、彼の傍へ戻る以外の選択肢は、私の中に端からなかった。

私は覚束ないながら、人外たちをかき分け、彼がいるがわの壁へ向かう。

「史郎さま」

いかなければ。

帰らなければ。


とにかく、史郎のそばへ。




当たり前のように史郎へと駆け戻る途中。






史郎が苦しげに壁に手をついた。


(え?)






私は目を瞬かせる。

はじめに見えた異常は、闇。

先ほど、瘴気を引き裂いたのはこれだ、と直感で悟る。




史郎を中心に、その闇がとぐろを巻いていた。




思わず、足を止める。









評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ