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霊笛  作者: 野中
霊笛・第三部
53/72

第三章(13)

消えたい。思うなり。




(…え?)




それまで何の反応もしなかった豆乃丞が、肩の上で、ぽんっと膨らんだ気がした。


すぐ近くの緑の羽毛を横目にする。

と、豆乃丞が全身で力んでいた。力の入れ過ぎで、ぷるぷるしている。


何がどうなっているのか。思う端から、


「悪企みで頭がいっぱいの人間に」


私が隠れている木の幹に、志貴の手がかかった。




「あんな音は出せないよ」




向こう側からあっさりと、志貴が顔を見せる。

私はいっぱいに見開いた目で彼を見上げた。が。


「…おや」

違和感に気付いたのは、すぐだ。

志貴は虚を突かれた表情で、私を見下ろす。

そんな表情は、意外なほど幼い。戸惑いの眼差しを私の周囲にたゆたわせた。


どういうわけか、何もない場所を眺めるように、視点が定まらない。


すぐ、離宮の方を見遣る。



「いた気配は、あるんだが」



頼りない志貴の声が、不意に落ちた。

私は息を呑みそうになった衝動を、必死に堪える。


間違いない。今、彼に私は見えていない。


咄嗟に、肩口に意識を向けた。

―――――豆乃丞?

この子が、何かしている。隠形か。こんな力があったなんて。


とはいえ、限界があるに違いない。

志貴は目の前で呆気に取られ、立ちつくしている。

早く立ち去ってくれないと、危険な気がした。



嫌な汗をかいた、刹那。







遠くから、波濤のように何かが押し寄せ―――――生臭い風が、粘つく蜘蛛の巣のように乱暴に絡みつきながら吹き抜けた。


嫌な感覚に、息が浅くなる。






志貴も感じたのだろう。改めて、周囲を冷静に見渡した。刹那。


「志貴さま」

幼い声が、毅然と夜の青い闇を震わせる。志貴の表情が引き締まった。

「始まったかね、朔」

蹲っている私からは、茂みに隠れて朔の姿は見えない。

向こうからもそうであろうことは、幸いだった。


志貴には見えないとはいえ、同じように祓寮の者の目からも、逃れられると楽観はできない。

第一、朔はほとんど気配がないから、探りにくいのだ。


「…こっち」

朔の言葉は断片的だ。撒かれた割に、恨み言の一つもない。

志貴にしても、逃げ続ける理由はないのだろう。朔に従い、黙って踵を返した。


足早に立ち去る気配に、私はゆっくり緊張を解く。

慎重に木陰から這い出した。目で見ても誰の姿もないことを確認する。

そこまでしてようやく、私は肩の鳥に声をかけた。

「もう大丈夫です、豆乃丞。ありがとう」


とたん、豆乃丞の身体が、空気が抜けたように萎んだ。

小さく丸くなって、もう休む姿勢に入っている。


この子は一体、どんな能力を持っているのか。

一度色々試したいものだ。


とにかく、今は。


私は一度、深呼吸した。気持ちを切り替えなければ。今考えるべきは、






(百鬼夜行)


志貴は、それらを離宮に『通す』と言った。ならば。

人外には、道を開ける。ただ。


―――――盗賊たち、は。



別と言うことだ。






彼等とは、ここ決着をつけるつもりだろう。


祓寮も、今宵ばかりは対人間の戦いに駆り出されるのではないか。

盗賊の首領と思われる男の狂気を思い出す。


一瞬、身が竦んだ。怖い。もう関わりたくはない。

そもそも、盗賊たち相手では、私は役に立たないのは分かり切っていた。



ならば、そちらからは逃げてしまおう。



あっさり私は心に決めた。


気になることは、他にあるのだ。

それは、柘榴に関わる事実。つまり。








『髑髏を抱く男』のことを、私は知りたい。


いや、知らなければならない。でなければ。

このまま見過ごしてしまえば、柘榴との縁が消えてしまいそうな予感があった。


千華姫が語った昔語りは、どこまで真実なのか。








私は、木立の中で立ち上がった。冷静に、身体をほぐす。

伊織たちから、何を望まれているかを考えれば、大人しくしておくこと、としか思えなかった。


ゆえに、決意する。





―――――見つかれば束縛されるなら、一人の内に、勝手にさせてもらおう。


幸い、現在、私を縛る人は、誰もいない。





離宮に向き直った。一風変わった気配が吹き付けてくる。

嫌な風と言うよりもむしろ、…浮かれ騒ぐ気配が。


賑やか。その割に、空虚。


派手な足音が縦横無尽に轟いているのに、部屋を覗くと誰もいない、といった風な奇妙な違和感に満ちた気配だ。

怯みそうになる。頭を横に振った。竦む足を叱咤し、駆け出す。


横目で、帯に挟んだ霊笛を確認した。


百鬼夜行が目指すは、裏門。彼らが最終的な目的地は古戦場だ。

進み具合から考えて、百鬼夜行は離宮の正面から入ったはず。






きっとその先頭に、彼がいる。


『髑髏を抱く男』が。黒い狐面の男。






ぐるり、離宮を回り込み、建物の壁伝いに私は駆けた。

ずっと夢を見ていた気がするが、肉体はきちんと休息がとれていたらしく、身が軽い。


視界は不意に、開けた。


裏側に来たのはこれが初めてだが、数歩先に見える、木立に隠れるような出入り口が離宮の裏口だろう。

まだ何の気配もない。

見張りがいないどころか、誰も辿りついていないらしい。


そこで、ぼんやり待っているのも間抜けだ。なら。




「迎えに、行きましょうか」




誰も控えていない上り口で、私は履き物を脱ぎ捨てた。

離宮の屋内を、内部へ向かって疾走―――――あり得ないほど無人だからこそ、できる行為だ。



最中、向かう先から、わっと鬨の声が上がった。


向かう先に、誰かがいる。

その事実に、命の気配が乏しい無人の空間の中、私はホッとした。


戦いの気配に、…あってはならない反応だが。



おそらく、盗賊が、離宮に現れたのだ。ならば、『髑髏を抱く男』は、もう。

気を引き締めながら、私は角をまがった。その、先に。








…立ち尽くす、人影が見える。男ではない。女。額には、…角。








驚いた。思わず、声を張る。

「柘榴っ!?」

前後して、柘榴が振り向いた。珍しく、意表を突かれた様子で目を見張る。


「凛?」

とたん、彼女は助かったと言いたげな顔になった。



…どうして?



眉を潜めた私に近づきながら、柘榴は上機嫌に言う。

「いかんな、凛。ここは危険じゃ」

私は思わず立ち止った。柘榴が手を差し伸べる。

「安全な場所へ送ろう」

声は、優しい。けれど私は、彼女の手から身を引いた。


どうして、と言われても説明は難しい。

ただ、ここで柘榴の手を取ってはいけない気がしたのだ。


なにより、私は先へ進みたい。ゆえに、彼女に従うわけにはいかなかった。




「―――――凛?」


柘榴が幼子めいた戸惑いを顔に浮かべる。




私の態度が理解できないと言いたげに。…それは、分かる。だが。


次いで、彼女の顔に浮かんだ警戒は、いったい何を意味するのだろう。

ひとまず、私の望みを伝えるのが先だ。

私は彼女が背を向けた廊下の先を、示すように指差した。


「柘榴、私は、…先へ進みたいのです」

一瞬、柘榴の顔に、理解が浮かんだ。背後を疎む態度で目を背ける。


「何があるか、承知の上で、かの」

頷けば、柘榴は苛立たしげに私を睨んだ。

「凛では邪魔にしかならん」



容赦ない断定。でも怯めない。



「柘榴は違うでしょう」



私は足手まとい。でも柘榴は立派な戦力だ。

場の外で私の護衛につくより、ここに残った方がよほど有用だ。ところが。


私の、指摘に。

柘榴の双眸が、一瞬、怯んだ。動揺に、揺らぐ。やにわに、悟った。




「柘榴、まさか」


―――――逃げたいの?




思わず、私は言葉を呑みこんだ。

言えば、柘榴を意固地にさせそうな気がした。


それは単純に、強力な敵を前に怯む、と言う態度ではない。もっと、別の。



「…凛の、安全は、―――――北竜公の願いぞ。命を賭して凛を守るのが、わたしにかけられた呪いじゃ。忘れたか?」



彼女が言っているのは、西方でのことだ。それは、事実。けれど。

「ねえ、柘榴」

厳しく響かないように、私はそっと言葉を紡ぐ。

「私を言い訳に使わないで」


柘榴は目を伏せた。唇を噛む。

私の中で、疑念が確信に変わっていく。柘榴は怖いのだ。



根っからの戦士である彼女が、戦いを恐れることはない。怖いのは。






…『髑髏を抱く男』との対面だ。






南方で会ってから柘榴は妙に、切れ味が悪い。

余計なこと、かもしれなかった。だが私は、このままでいいとは思えない。

「…百鬼夜行を終着地点までいかせれば、それで事態は解決するのかもしれないけど…」


だから、言いにくいことを、無理に口にする。




「『髑髏を抱く男』と話す機会は、今を逃せばもうないのではありませんか」


「話なぞ、わたしは望んでおらぬ」




早口で応じた柘榴の双眸は、暗かった。

私は、地下のあり様を思い出す。


今崩れ去ろうとしているあの場所は、守護の意志に満ちていた。


柘榴が、両親に対して何も思っていなかったはずはない。

だが、柘榴の心が事態に追いつくのを待つには、本当に、時間がなかった。


「柘榴」

私の呼びかけに、柘榴の顔に険が走る。

「うるさいのぅ」

呟くなり。



柘榴は嫣然と微笑んだ。





背が冷たくなる。


肩の上の豆乃丞が身を固くした。


「…もう、ままごとは終いにするか。それなりに楽しかったがの」

突如、すっきりした声で、柘榴は私を呼んだ。






「ではな、凛」






見えたのは、子供のように無邪気な笑顔――――――だが柘榴はこう言うときが危険だ。


私は咄嗟に横へ跳ぶ。

豆乃丞が天井近くに舞い上がった。


空いた空間を柘榴の拳が薙ぎ払う。


ほ、と柘榴が息をこぼした。



「師として小春は優秀のようじゃ」



確かに。






小春の修行がなければ、私の頭部は今、果実のように割れ弾けていただろう。


倒れそうになり、強か肩を打った壁を向こうへ押しやるように、私は振り向く。






ただし、今の回避は偶然と言うか、奇跡だ。

いや、柘榴は加減していた。正確には。



私を舐めていた、だけ。



殺意は本物。違う。殺意なんてものなくても、彼女は他人を殺せる。

足元に見えた邪魔なものを片づける、その程度の感情しか柘榴にはない。


柘榴の出方を必死に探りながら、私は口を開く。



「史郎さまの呪いは、どうするの」


私を害せば、その痛みは自身へ跳ね返ってくる。

私の物言いに、柘榴は一瞬、目を見張った。次いで、楽しげに微笑んだ。






「ふふ、ついた首輪を掴んで容赦なく振りまわすような言よな。だが」






柘榴は私に向き直った。来る。次の、攻撃が。ああもう。



彼女に、相手を嬲る趣味はない。つまり、攻撃一つ一つが一撃必殺。


避けられるか。悩む暇などない。




避けなければ、次はなかった。











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