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霊笛  作者: 野中
霊笛・第三部
51/72

第三章(11)

―――――確かに。

私にできることは、ないかもしれないが。



背後から追いたてるような焦りに、私はふと自分の内に目を転じた。



何がこの焦燥と罪悪感の正体か。

そこから生まれる行動は、――――――…この状況で、正しい判断なのかどうか。

答えは。


ふぅ、と私は肩から力を抜いた。見てとった琴葉が、しずかに告げる。


「夜具を、準備します」

なんにしろ、備えろということは、百鬼夜行が現れた場合の戦力に数えられてはいるのだ。

何ができるかは分からないが、ひとまず今は…確かに、備える以外にない。


琴葉が去った後、たいして眠くはないと思いつつ横になる。

だが、障子から差し込む陽光は私の意識を邪魔することなく、気付けばすとん、と眠りの中へ落ちていた。



気を張ってはいたが、疲労は相当蓄積していたようだ。とはいえ。



―――――この、眠りは…。


訪れたのは、意識のありかが掴めない、気を失うようないつもの眠りではなかった。

むしろ、冴えわたっている。

大気に溶け込みがら、消えうせるのではなく、鮮明に。


この感覚になら、覚えがあった。




前兆だ。




眠りに入り、動かなくなった肉体に代わって、もっと自由な意識が飛翔し、肉体では捕らえられない何かを掴もうとしている。

ただ、それが何なのか、事前に察せないのが問題と言えば、問題だ。


だから、驚いた。

突如、闇の中から響いた声に。




「謹慎ですってっ!? 冗談じゃないわ!」




いきなりの怒声に面食らう。すぐ、気付いた。


これは、千華だ。


周囲を見渡すが、あるのは闇だけ。誰の姿も見えない。

それでも、すぐそばにいるかのような声の大きさに、頭が割れそうだ。

「まさか…宰相さまからの呼び出しは、そのような用件だったのですか?」


応じる声が、誰のものか、すぐには理解できなかった。

次いで、気付く。驚いた。奈美だ。



彼女に、これほど優しい声が出せるとは思いもよらなかった。



千華が、悔しげに歯噛みする。

「父さまの隣に、あの女がいたわ」

宰相。父さま。

一瞬、繋がらなかった。すぐ、思い出す。



そうだ、千華は領主の宰相の娘だ。



「まぁ」

「謹慎だなんて、父さまのお考えとは思えない。あの女の入れ知恵よ!」






地団太を踏む子供のような言い分で、一面で哀れにも感じる。


千華はあくまで父親を愛しているのだ。

だが、宰相と言う地位にいるような人物が、簡単に女性の言いなりになるものだろうか。


首をひねると同時に、私は慎重に耳を澄ます。






もしかして、この会話は。


―――――『現在』の、もの?

このような形で私が手にする情報は時間が曖昧だ。


果たして、奈美は力づけるように告げた。


「仰せの通りかと。でなければ、宰相さまが姫さまに罰を与えるなどないはずです」

…それは、おそらく。






千華が望んだ言葉。この場で、一番に。けれど。


幼子におもねるようなそれには、実が、ない。

むしろ、道を過てと唆しているようにも聞こえた。しかし。






―――――望む言葉を望むように与えられた千華は、その言葉に、ちょっとした疑念すらかき消してしまう。

あの女が悪い、と。父が、自分の悪いようにするはずがない。


奈美の言葉で、千華は、現実を自分のいいように解釈してしまった。


「なんて嫌な女! ――――――ねぇ、奈美」

憤然と吐き捨て、千華は侍女を暗い声で呼んだ。






「いつになったら、あの北方女を始末できるの」


想像による喜悦の毒を含んだ声。






どこまでも無邪気だからこそ恐ろしい響きに、私は思わず身を引いた。

間髪入れず、奈美はあやすように応じる。


「大皇の御幸が過ぎ去りましたら、…おいおいに」






長く聞いていたい話ではなかった。

とはいえ、逃げる方法が分からない。


周囲は、闇。どこへ向かえばいいのだろう。


とはいえ、いくらか場数を踏んだせいか、狼狽は前ほどではない。

とりあえず、目を閉じた。


見えるのは、同じ闇だが、外側ではなく、内側の闇だ。


両手と思われるものを、存在を確かめるように持ち上げる。それで、耳を塞いだ。




声が遠くなり、ほっと息を吐く。




なんとはなしに、理解した。

千華が奈美を気に入りにしている理由を。

だとしても、これは。






…ひどい状況だ。少なくとも、上に立つ立場の人間に用意される環境でない気がする。


そのことに、父親が気付かないわけがない。

どうして、こんなことになっているのか。

先日のやり取りから察するに、奈美は千華の父親が彼女につけたはずだ。

この地の宰相ともあろう方が、いったい何を考えての行動だろう。


これでは彼女は孤立する一方――――――、と、考えさした時。






突如、静謐な声が、私の意識を貫いた。










―――――独りになるつもりか。自ら。


え?

思わぬことに、私は面食らう。

なにせ、今は耳を塞いでいる。なのに、聴こえた。

ではこの声は、外側のものではなく。


…内側からの声、ということか。










(今度は、なに)

おそるおそる、目を開く。刹那。


強い太陽の光が視界を焼いた。

遠くで、蒼穹が果てなく広がっている。




あまりの壮大さに雑念が吹き飛んだ。いっきに、意識が洗われた心地になった。




そんな、抜けるような天の青を背景に、眼前、褐色の肌の男が陽気な笑顔を浮かべている。


見覚えのない顔だ。

だが、つい、一緒に微笑んでしまいそうなほど、開けっぴろげの笑顔だった。


…なのに、なぜだろう。




ひどく胸が締めつけられた。直後。




私は息を呑む。

私を見つめ、やさしげに細められた彼の双眸が、―――――真紅だったから。








柘榴の目と、同じ色だ。








気付くなり、ふ、と彼はその目を伏せる。いや。下を、見た。

つられたように視線の先を追った私は。


思考が、止まった。

堂々と立つ彼の胸に、刃が埋まっている。



柄を握る手は、…私、の。






―――――端から、俺はひとりだ。






私の驚愕とは裏腹に、唇は動き、冷静な声が放たれた。

否。私、ではない。この声は。




真牙。




混乱が怒涛の勢いで脳内を巡る。


私は今、いったい、何を見ているのだろう。

太刀を握っている手は、私の…真牙の腕だ。間違いない。では。



真牙が、この、南方の男を、今、まさに。



なのに、男の声は明るかった。

―――――ばーっか。自分から、壊したろう。

―――――もとから、壊れていた。

扉を閉ざす物言いに、彼は動じなかった。



―――――わかるんだよ、おれには。お前には、人外への情がある。



囁く声に重なって、泣くような叫びが蒼穹を貫く。

―――――南翔なんしょう公!

頑是ない、子供の声だ。

目の前の男の視線が、真牙の背後を向いた。何かを制すように。









それにしても…南翔なんしょう公?


それは人外の南方の王の名ではなかったか。









男の真紅の双眸が、真牙に戻る。

―――――なのに、殺せるのか。

諭すように、言葉が続いた。


―――――愛情をかけている者を、殺すなど。


それはまるで、慰めるような声だ。









―――――…自身を殺すも同じことだぞ。









―――――おやめ下さい、真牙さま、真牙さまっ!

先ほどと同じ声がまた響き、誰かが走り寄ってくる小さな足音が聴こえた。


すべてを断ち切るように、真牙は告げる。




―――――俺に似合いの死に方だ。




かなしいほど不動の声に、

―――――残念だがな、

また、南方の男はからりと笑った。







―――――おれはお前を見限らねぇぞ。それが仕返しだ。







死相を浮かべながら、まだ続きがある、と言わんばかりの態度で。


さすがに、真牙が目を見張った。直後。

―――――ではまたな。…親友殿。


彼が、真牙を突飛ばす。そのまま、自身は。




―――――南翔なんしょう公!




悲鳴が棘のように胸に突き立つ。

刹那、真牙の横を小さな影がすり抜けた。

ひとつの躊躇いもなく、目の前の崖から飛び降りようと動く。寸前。


その首根っこをひっ捕まえ、真牙は暗い声で呟いた。






―――――ひどい、仕返しだな。






淡々とした声。…なに?

疑問を覚えたのは、私ばかりではない。

真牙に引き留められた子供が、彼を振り仰ぐ。

その、双眸は。


蒼穹もかくや、というほどに澄み切った碧い瞳。ただ、白目の部分がないのが異様だ。


どこかで見た色だ。思うなり。

あの、亀の声が天から降った。









――――――ああ、よもや、娘を招いてしまうとはの。









とたん、私の脳裏で、記憶がつながる。

この目。そうだ、あの亀と同じ。


たちまち、私の意識が真牙の肉体を離れた。




引き上げられるように、上昇していく。蒼穹へ。








―――――これはただの記憶。遠い、遠い日の、既に誰にも変えようがない出来事。








その通り、だけど。

崖っぷちにいる二人の姿が、どんどん遠くなっていく。


思わず手をさしのばした、そのとき。




真っ白な光が、崖下で爆発した。


音もなく。風もなく。鮮やかな無数の白い羽のような光が、大気に拡散していく。




私の指先から力が抜けた。ああ。

―――――逝ってしまわれた。

ごっそりと身体を抉られるような喪失感に、息が詰まる。

空高く舞い上がっているのに、水底へ沈んでいるような感覚が全身に迫ってきた。


だめ。目を。目、を。




――――――覚まさなきゃ!




いえ。違う。冷静に考えろ。

目なら既に開いている。なら?


正解は、この視界を、遮断すること。


目覚めなければならないと思う気持ちを抑え、私は無理に目を閉じた。とたん。











ばち、と目を見開く。


…開け、た。











ばく、ばく、と心臓が躍るように脈打っている。


宥めながら、起き上がった。

顔を押さえ、頭を振る。いけない。


おそらく私は、あの、長老と呼ばれた亀の夢に迷いこんでしまったのだ。


現実感を取り戻すため、私は深呼吸を数回繰り返す。

腹の底まで、空気を入れた。丹田に力を込め、立ちあがる。




既に外は暗い。




だがすっかり、目は冴えていた。

着替えた私の肩に、起きていたのか、豆乃丞が止まる。


小さな重みに、亀がくれた珊瑚のことを思い出す。


結局、返しそびれた。また会う機会があればいいのだが。

…楽観的に、期待はできないけれど。



小さな飾り櫛で髪をくしけずり、私は廊下に出た。



夜の空気は、月の光に冷やされている。

昼の熱気が嘘みたいに、しずかだ。

分社への移動はつつがなく進んだのだろうか。

気にはなったが、夢の名残を振り払いたくて、私は少し庭を散策することにした。




懐に、必要最低限のものは入っている。


帯にさした豊音を指先で確認し、意識を外へ向ける。

幸い、縁側の下に、草履も用意してあった。

広い庭だ、迷わないように慎重に景色を見ながら、私は離宮の庭へ一歩踏み出す。




満月が近いのか、大きな月は明るく、足元に不安はない。




次第に、のびのびと、私は木々の間を軽い足取りですり抜けていく。

穂鷹山の森の方がもっと深い。


この程度の庭は、特に警戒も必要ないようだ。



(いきなり低位の人外が飛び出してくることもなさそうだし)



どれほど歩いた頃だろうか。


視線の先、不意に瞬いたひかりに私は思わず近くの木陰に身を潜めた。

耳に届いたのは、何かが空を裂く音。


身を縮め、どこから、と耳を凝らす。と。


断続的に続く音の方で、何かが動いているのが見えた。




獣。一瞬そう判断したのは、動きのせいだ。あまり、理性的に見えなかった。ところが。




よくよく見れば、違う。


あれは、ひと、だ。


月光の下、あかるい青い夜の中、袖が飛燕のように翻る。

目を凝らしてみれば、それは意外な相手だった。





(志貴さま)





太刀を手に、鋭く動いているのは、志貴――――――東宮そのひとだ。

腰に太刀を下げているのは知っていた。だが、彼は守られる側だ。


実際に使えるとは思ってもみなかった。

いや、守られる側だからこそ。




最後の最後で身を守るのは、自身の腕以外にないのかもしれない。




月光の下、私は木陰からしばらく、彼を見守った。


志貴という人物が優しいのか厳しいのかは、よく分からない。はっきりしているのは。






権力者の冷酷を彼も確かに身の内に宿しているということ。






それを、知っていて。いえ、知っているからこそ。


月光の下に見えた彼の表情に、私は戸惑った。

怖いほど、真剣だ。苦しげなくらいに。


昼に見せた穏やかな余裕はどこに消えたのか。




何かあったのだろうか―――――大皇と会った時に。




だが、私では。

(聞いたところで、答えてくれない気がする)

なら。


私は懐を探った。



取り出したのは、―――――変声の呪符だ。残り二枚のうちの一枚。



見下ろし、私は再度志貴を見た。

近くに朔は見当たらないが、あまり近付き過ぎれば志貴本人にすぐ見つかるだろう。




声が届くと思うある程度の距離を詰め、呪符を指で挟んだ。


その真ん中あたりを唇にあてる。

一瞬の躊躇いの後、…木陰から呼びかけた。




蘇芳として。

『―――――…今宵は』

ぴたり。志貴の動きが止まる。





『笛を、お持ちではないのですね』





志貴の口元に、苦笑が閃いた。


「…蘇芳、かね」









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