第三章(7)
声は、庭から。
そこに、下女たちの姿が見えた。
女官たちもちらほら中に混じっている。
複数が、箒やら火かき棒やらを手に、おしゃべりに夢中だ。
「でも東宮さまは残られるとか」
「では、大皇さまだけが?」
「離宮に今夜、百鬼夜行が通ると聞いたけれど」
つい先ほど、やり取りがあったばかりなのに、情報が早い。
だが、きちんと管理と教育が行き届いていないお屋敷はこんなものだ。
つまり、この情報の流れの早さは、組織の未熟さの表れ。
琴葉から怒りの波動が立ち昇ったのも、無理はない。
縁側近くを通る私たちにまだ気付かない、庭先の幾人かが、まだおしゃべりを続ける。
「双方につきたいところだけれど、身が一つしかないのが歯がゆいわ」
誰かの悔しそうな声に、沈黙が落ちた。意外にも、同意の沈黙のようだ。
百鬼夜行と言う異常事態に対する恐れよりも、一方を選ばなければならない状況に彼女たちは苦悶している。
「人員配置はどうなっているのかしら」
「順当にいけば」
どこか冷静な声が会話に割って入った。
「わたくしたち女官が分社へ同道し、あなたがた離宮の者たちが居残る格好でしょうね」
その辺りが妥当だろう。
同じ職場同士の者の方が、気心も知れている。
となれば、緊急時にも素早く一致団結できる。
ただ、決めるのは上役だ。
何を察していたとしても、このような場所で、大きな声で推測を口にするのは品がいいとは言えない。
それにしても意外だが、女官と下女が同席しているのか。
いや、同席、というのは正しくない。
双方が、同じ庭掃除に従事しているのだ。
これは、少し前まであった互いを排斥するような空気がない証拠だ。
たいした進歩と思うが、やはりどうしても、反発は残る。
「どちらかが知っていて、どちらかが知らない内情もあるわ」
誰かが、固い声で言った。それも一理ある。
「半々に分かれる方がよくないかしら」
「――――それは」
すぅ、と一方の声が冷えた。
「わたくしたちを信用できないと言うこと?」
質問、確認、―――――そんな類の台詞だったが、こっちだって信用ができない、と言う捨て台詞にも感じられた。
女性と言うのは、言外の言葉を敏感に拾う。
「それは、そちらの話でしょう?」
本音が出たわね、と言いたげに、鼻で笑う気配があった。
あっという間に亀裂が生じる。内心、私は頭を抱えた。とたん、
「いつまで遊んでいるのですか」
放たれた琴葉の声の冷たさに、私の身が竦みそうになる。
迫力。の、一言だ。
弾かれた勢いで振り向いた彼女たちはいっせいに顔を青くした。
こちらに向き直り、揃って頭を下げる。息もぴったりに。
「し、失礼致しました」
ついてきていた真緒が嘆息した。庇う気も、止める気もないようだ。
「みっともないこと」
容赦なく、琴葉は続ける。
「高貴な方の御前で、このような争いを―――――まだ何も決定していない内から」
叱責など生ぬるい。断罪に近い声音だ。
誰の視線も動かなかったが、『高貴な方』の部分で、場にいた全員の意識が私に向く。
庭先の下女や女官たちは、いきなり現れた娘に対し、そういう認識はないだろう。
彼女たちが畏まるのは、ただ私が、琴葉や祓寮の真緒に傅かれているからだ。
もとより、私は気にしない。
とはいえ、このままではいつしか東宮である志貴や、下手を打てば大皇のそば近くで似た過ちを犯すかもしれない。
そう考えれば、琴葉の態度ももっともなのだ。
「覚悟は、良いですね」
…だとしても。
「琴葉」
いっきに処分を下してしまいそうな琴葉に、私はしずかに声をかけた。
彼女たちは、顔を見れば反発し合っているようでも、はじめのときのような、歩み寄りも認めない頑なさはなくなっているように感じる。
進歩は、あるのだ。
この状態で罰を与えてしまっては、決定的な亀裂になってしまいかねない。
だからと言って、見過ごしても遺恨が残る。そもそも、示しがつかない。
「はい」
私の呼びかけで、琴葉が止まってくれる自信はなかった。
だがひとまず、彼女は叱責を続けず、振り向く。
とめるつもりなら跳ね除けますが? と言う威圧と共に。
たちまち、私の心が折れそうになる。どう話をもっていくべきか。
悩みながら、根性で、私は言葉を紡いだ。
「私には分からないのですが」
確かに、騒いでいたことに罰は必要だ。
だが私が見たところ、問題は、それ以前にある。
「彼女たちは何を争っていたのです?」
琴葉が目を瞬かせた。意外な言葉のようだ。
それっと私は畳みかける。
「いえ、そもそも、彼女たちは、争っていたのでしょうか」
なるほど、表面だけ見れば、険しい言い争いに発展しておかしくない雰囲気だった。
だが私には、そう聴こえなかった。
私の言葉に対する反応は、みっつに分かれた。
琴葉のように、虚を突かれた気配。
また、真緒が示した、言いたいところが理解できないと言った反応。
もしくは、このヒトは本当に状況が見えていたのか、と言ったばかにした態度。
私自身がどう思われようと、私は構わない。
ただ、今回ばかりは言葉の意図を理解してもらわなければならなかった。
私は、言葉を重ねる。
「聴こえた限りでは、皆、同じことを主張していたようですが」
間違いない。言い争おうとしていた右も左も、主張は同じだ。
私は丁寧に言葉を告げた。
「大皇家への忠誠の深さを」
あ、と納得した気配がその場に満ちたのは一瞬だ。
寸前とは違う沈黙が下りる。
彼女たちの誰ひとり、百鬼夜行を恐れた様子はなかった。
普通の人間なら、我が身かわいさのあまり、逃げたいとはじめに言うはずだ。
もしくは、そんなものと関わらせる主家を恨むか。
しかし、彼女たちに、その手の後ろ向きな気配はひとつもなかった。
そこから感じるのは、仕事に誇りを持った、主家に忠実な人柄だ。
にも関わらず、彼女たちは意気投合には至らない。
認め合う前に、途中から会話を対立・競争へ発展させた。
この流れに。
何か、――――――奇妙な違和感がある。
高い意識を持った女性たちが、相手の意見も聞かず、自分の意見だけを一方的に押しつけようとするだろうか。
生じる食い違いが、もし、人為的なものだとしたら?
思いだせ。
誰が、最初に棘を投げ込んだ?
「…自分たちを信用できないのか、と最初に言ったのは、誰です?」
話の流れがこうまで争いに向きやすいのが、誰かの意図的な行動の結果とすれば、話は少し違ってくる。
気のせいであればいい。
密やかな、問いかけに。
庭先で畏まっていた女たちの視線が動いた。
不穏を最初に放った女へ。
彼女は一人、しずかに顔を上げた。
に、と笑うなり、顔面が、――――――裂ける。
そうとしか、見えなかった。
一斉に悲鳴が上がる。
女たちが弾かれるような勢いで、彼女から距離を取った。その、合間を縫って、
「御免!」
低く疾走した真緒が、顔が裂けた女の足元から逆手に持った小太刀を跳ね上げる。
狙われた女が、宙でとんぼを切った。
片袖で顔を隠しながら、忌々しげな声を放つ。
「陽の小太刀…っ。女の装飾品にしては物騒だな」
「人外を滅するのに女らしさが必要か?」
跳躍ひとつで思わぬほど遠くに着地した女が、腕を下げ、顔を見せた。
驚くことに、その面立ちは、先ほどの女性とは、年齢からして違っている。
赤い短髪。細身の、少年めいた容姿。その、面立ちに。
私は、目を見張った。
―――――赤桐だ。
西の骸ヶ淵伯、その眷属。
彼女は、真緒の返事を鼻で笑った。次いで。
「…まあ、いいか…」
感情の薄い目で、周囲を見渡す。
「せいぜい、足掻け」
未練もなく、踵を返した。身軽に駆け出す。