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霊笛  作者: 野中
霊笛・第三部
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第三章(4)

「良いよ」


さすが、志貴は間髪入れずに応じた。

彼の声は、気怠げであり、楽しげであり。真意が読めない。



真緒が進むよう、促してきた。



私は足を動かす。表面上は余裕綽々。内心は蒼白。

どうにか折り合いをつけながら、御簾を潜った。


どうやら、今までいたのは、控えの間であったようだ。琴葉と真緒はついてこない。




踏み入った広い空間には、志貴だけが座している。




独り座すには広すぎる場所だ。

向こう側には、また別の御簾が垂れ下がっていた。


こちらからは良く見える向こう側の右手に座す面々に、私は一瞬足を止めそうになる。



添石家嫡子・永志が凍てついた表情を綾月に向けていた。



その隣で別人のようにしおらしく座しているのは、千華だろう。

私と同じく被衣で顔が隠れているから、表情はわからない。


彼女を挟んで永志の逆側に、比嘉家嫡子・国臣が座している。

彼は憤怒の形相で綾月を睨んでいた。



彼等の対面には、祓寮の人間が座っている。



出席しているのは、伊織と綾月、そして夜彦だ。

御簾の向こう側で、それぞれが左右に分かれて座っていた。


志貴の護衛である朔は御簾のそばに控えている。



それで私は、どこへ落ち着けばいいのだろう。内心途方に暮れた。



気付いた志貴が、にこりと微笑んだ。


無言で、彼より一段下の座を示す。

見れば、確かに席が設けられていた。


いかにも高級な座布団に、私はおそるおそる腰を落ち着ける。



同時に、御簾の向こう側、すぐ近くで誰かが座った。真緒だ。



琴葉は、控えの間で待機しているらしい。

澄ました顔の綾月の隣で、何事もなかったように口を開いたのは伊織だ。






「凛さま、ずっと離宮にこもられていては退屈でしょう」


軽快に、話を振った。






よりによって、―――――現れたばかりの私に。


隅に控えていた侍女や下女たちが顔を見合わせたのも無理はない。

さすがにざわめきが起こらないのは、場所が場所だからだろう。

なにより、ここには、彼がいる。

私は、被衣の下で、ちらと志貴を横目にした。


彼、―――――東宮が。


先ほど私は伊織の娘として部屋へ通されたばかりだ。

にも関わらず、父親であるはずの伊織が、『凛さま』と呼んだ。

違和感を覚えない方がおかしい。


しかも、私のいる場所がまともではない。


無論、伊織とて、御簾の中にいて不思議のない立場のはずだ。

だが結果として、伊織は御簾の外側、祓寮の人間として座っている。



『父』が御簾の外にいるのだ。


本来なら『娘』の私は彼の下座に座らなければならない。



ただ。




そうなると、詳細な説明と紹介が必要になってくる。




この国では大概の場合、身分が上の者はこう言った場所にも出入りが自由であり、その際に紹介は同席者になされない。

されるとすれば、入室の際のあの呼びかけだけだ。


伊織のことだ。



うっかり間違えた――――――わけがない。



この状況は確実に計算の内。


意図的に用意されたこの状況を、こう判断した者は多いはずだ。




―――――身分が上の者のご息女を、わけあって伊織が預かることになっている―――――




とんでもない勘違いだ。

勘違い…だが、おそらく、これが伊織の狙いで、設定なのだろう。



なにより、私の説明と紹介が省ける。



行動と、たった一度の呼びかけで、伊織はすべての説明をこなしてしまったわけだ。


覚悟は決めていても、状況についていくので精一杯だ。

目の端に、夜彦が苦い表情を浮かべたのが見えた。


おそらく、彼にもなにがしかの経験があるのだろう。


言葉もないままの私に、さらに伊織は話しかけた。

「いかがでしょう、折角の機会です」

もうやめて。


私の内心の声など知らぬふりで、片眼鏡のつるを撫で、伊織は柔和に言葉を紡ぐ。



「南方名家のご子息方に、昨今の南方の様子を直にお聞きしては」



無茶ぶり。



するほうは、楽しいのかもしれませんが、ね?



頭の中が真っ白になった。

拍子に。


混乱まで抜け落ちる。



…しまった、逆に冷静になったようだ。



私は志貴を横目にする。彼は楽しそうに微笑んでいた。


完全に他人事で見物人の風情だ。


いっそ私もそう思えたら。恨めしく思う。とたん。




思考の靄がいきなりスッと晴れた。




いや、そう思ったらいいのだ。


なにせここには、伊織をはじめ、頼りになる存在が控えている。

即興芝居などお手の物に決まっていた。

こうなれば開き直るしかない、とも言う。


ふと、頭の片隅で、声で千華たちに昨日の悪漢が私だとバレはしないかと思う。


が、まさか千華を人質にとって脅した娘が、東宮と同席しているとは想像の埒外にあるに違いない。

私は少し考えた。

ええい、迷っても仕方ない。


一拍置いて、遠慮がちに声を放つ。




「よろしいのですか?」




ただし、下手に出過ぎてはならない。


いつもの慣れた自分を抑え、――――母を思う。

彼女なら。






こういうとき、どう動く?






「お仕事中なのでは」


気遣いながらも、我儘を通してもらえることを、さも当然とした口調で、伊織を窺う。

対する伊織は、と言えば。



「貴女の希望に勝るものはございません」



私の望みを叶えることが至福と言わんばかりの、満面の笑みを浮かべた。


まるきり本気に見える。




眩しい。




念の入った演技だ。


心の中で、乾いた笑いを浮かべる。

困ったことに、猛烈な注目を浴びている気がした。


針のむしろだ。逃げたい。


ところが逃げるにしても、何らかの発言がまず必要だった。



伊織がそんな反応がしたくなるような相手とはどのような行動を取るのか。



目が回りそうになるほど考える。ひとまず、




「まあ! では、遠慮しませんよ?」




茶目っ気のある口調で朗らかに告げた。


「今日、添石家の方が来られると聞いて、お聞きしたいことがあったのですけれど」

待ち切れない、とばかりに、私はその名称を出した。






「『髑髏を抱く男』」






彼らがそれを知っているかいないかは、どうでもいい。

私はともかく、自分が純粋に興味があることを口にする。


「彼が腕に抱く髑髏の持ち主は、添石家の祖先のものと聞いたけど、本当?」


ざわり、と室内が微かに揺れた気がした。

これは、誰かがはっきりと、そう言ったわけではない。だが。




征司が、言っていた。


柘榴は遠く、添石家の血につながる者だと。

その、彼女が言ったのだ。






―――――『髑髏を抱く男』は彼女の父親。






合わせて、私が垣間見た髑髏に沁みついた記憶。


まず、間違いない。




「…誰が、そのような…」

思わぬことだったか、永志が声に詰まった。

一瞬、不快が双眸を過ぎる。


不覚を取ったせいか、それとも。



人外に関わりある髑髏が自身の祖と思うことに、抵抗があったのか。



すぐさま持ち直し、永志は冷酷な表情で言い放つ。

「濡れ衣です」



「いいえ、永志兄さま」



否定を、間髪入れず否定で返したのは、






「事実です」






他ならぬ、千華だ。


寸前まで貝のように黙りこくっていたのが嘘のように、楽しげに告げる。

「確かにその話は、添石家の伝承にございます」


「千華」

永志は表情を消し、鋭く叱るように従妹の名を呼んだ。

「黙っていなさい」

叱責は、かえって千華を刺激した。


「永志兄さまが知らないのも無理はないわ。だって」

千華は優越感に満ちた声で言う。




「語り部たるは、家の女の役目ですもの」




「千華」

このような席では、きつい言葉で諌めることはできない。

永志は苦い声で呻く。


確かに、添石家のものが人外と関わったと世間に広く知られるのは外聞が悪い。


その程度は千華とて知っているはずだ。

案の定、言葉を付け加える。


「あの髑髏の主は、添石家から勘当された者です。ただ、」

名を確認するように呼ばれ、私は千華の視線がこちらに向けられていることを知った。


「不思議ですわね」


その視線が、冷えている。




「語り部しか知らないような話を、なぜ貴女様は御存知なのです?」




胸の内で心臓がひっくり返るかと思った。

なるほど、たしかに彼女は永志と血縁者だ。鋭い。

ただし、動揺はおくびにも出してはならない。


私はあえて微笑む。誰も見ていなくとも。



自身を鼓舞するために。



「やはり、そこから説明しなくてはなりませんか? …仕方ありませんね」

いかにも、しぶしぶ、私は種明かしする。


「実は先日、こっそり離宮を抜け出したのですが」


「また、そんなお転婆を…」

合いの手を打つように、伊織が困った顔で微笑んだ。

彼の咄嗟の対応に感心しながら、

「お叱りはのちほど改めて」


いたずらげに応じ、千華に目を戻す。




さあ、嘘を吐こう。はっきりと、嘘とわかる大ウソを。ただし。




わずかに真実を含ませて。


「その先で会った女性から聞きました。不思議な方で…」

私は脳裏に柘榴を思い浮かべた。

実際、彼女は存在からして不可思議だ。




「彼女は、添石家の血統に連なる者、と仰っておりました」


―――――作り話もいいところだ。




それが事実と思ったものは、場に一人もいない自信があった。

だが、わずかに真実が含まれている。






その真実が、核心であるがゆえに、これは相手の耳に残る嘘になる。






どうせなら、思いきり振り回そう。引っ掻きまわしてやる。


後悔したって、もう遅いぞ。

内心、ふふん、と鼻息荒く開き直った私は、やり返してやったぞとばかりに伊織を見遣った。

だが。




…あれ、なんだろう…楽しそう…?




不謹慎な作り話に、皆が咄嗟に反応し損ねていたそのとき。



「失礼ながら」



どこか荒っぽい声が、話に割って入った。


「そういった話は巷にありふれたもの。畏れ多くも、東宮のおそば近くに侍る方が、惑わされるのはいかがなものかと」

国臣だ。




はっきりした嘘に、まともに返されるとすこし罪悪感が湧く。それにしても。




なるほど、やはりこの手の話は多いのだ。

地方の名家である国臣がそういうのだから、大皇家にはますます多いだろう。

「だが」


不意に、静かな声が割って入った。




「物語としては面白い」




突如、空気が引き締まる。








東宮―――――志貴の発言によって。











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