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霊笛  作者: 野中
霊笛・第一部
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第二章(1)

山道をのぼりながら、私は恐縮しっぱなしだった。


「申し訳ありません」

「気にすることはない。オレはこれから史郎殿のところに行く。ついでだ」

集めた薪を積んだ笈を背負って、快活に笑うのはひょろっとのっぽの青年だ。

痩せぎすだが、全身、鋼のような筋肉に覆われている。

外見は、剽悍な狼と言ったところだが、人懐っこい気さくさは、丸い仔犬を思わせた。

なにより、澄んだ瞳のひたむきさに悪感情を抱く者はいないだろう。

ただし、真っ直ぐ過ぎるから、心に疚しいことがある相手は目を逸らしてしまうかもしれない。


おそるおそる隣に並び、私は彼に再度頭を下げた。

「ありがとうございます、覇槍公」

礼を言いながらも、落ち着かない。

黒い革鎧を身につけ、身軽に歩く彼こそは、北方に連なる覇槍峰の主なのだ。


遠くに望める薄青い峰を思い出し、その威容と、気軽に薪拾いまで手伝ってくれた目の前の彼とがつながらず、わずかに戸惑う。

けれど史郎から紹介されているのだから、間違いがあろうはずがない。


その史郎が私に向ける態度と、彼が私に向ける態度の差も、遠慮を生む原因だ。

なにしろ史郎は、手伝いを申し出ることなどない。


尊大で、皮肉屋。

私への命令を臆することもない。


紙を取るのから墨をすること、窓を閉めることから、羽織を肩にかけることまで命じる。


命令されると言うことはやることがあると言うことだから、私はむしろありがたかった。

史郎がなんでも自分でやる性質なら、私は身の置き所がなかっただろう。


青柳伯に拾われるまでの事情をかいつまんで話してからも、特に態度が変わることもなかった。

私を気にしてくれたのか、青柳伯は史郎に私を預けて以降、幾度か顔を見せたが、史郎がわがままでごめんねぇ、と苦笑した。

傍から見れば、苦笑するような態度らしいが、やたら距離を置かれ、腫れ物を扱うようにされるより、遠慮ないほうが、いっそ心地いい。


とはいえ、史郎がそうだから、手伝いを申し出されると、逆に落ち着かなくなる。

「構わん。史郎殿の奥方に、こんな雑用はさせられんよ。それからオレのことは、征司、でいい」

天真爛漫な笑顔を向けられ、私は曖昧に微笑んだ。


征司が嫌いなわけではない。そうでなく、奥方、と言う言葉に申し訳なく思うのだ。


この一週間、史郎の許に入れ替わり立ち代り訪れる客人たちに、絶えず、妻を娶った、と紹介され続けて来たが、実質は違うから。


私は、史郎の妻ではない。


疑うことを知らない征司の態度に、後ろめたい気分になるのだ。

「まったく水臭いな、史郎殿は。結婚など、めでたいことなのだから、北境一円に触れを出して、盛大に式をあげればいいのに」

拗ねて唇を尖らせた征司に、すみませんと小さくなる。

決して、史郎が悪いわけではないのだ。


征司は慌てて手を横に振った。

「責めているのではない。そうだな、それすると祝いというより、戦争のようになったかもしれないから、内輪でいいのかもしれん」

「戦争?史郎様は、人外の世で、よく思われていないのですか?」

不安に顔が曇る。史郎の身の安全を思って。


実直な、この征司をはじめ、史郎を訪れる人外たちは、態度の差こそあれ、史郎を認めているように見えたのだが。史郎に害意を持つなら、私はもう彼らを受け入れない。

自然と、顔を厳しくした私に、征司は目を見張った。

次いで、納得したように頷く。


「そうか、人間には理解し難いことだったな。オレたち人外にとって、強い力に対する服従心というのは絶対だが、滅びると分かっていても、強い者に挑戦したいという衝動も絶えず胸のうちで騒いでいるのだ。青柳伯など、自滅的だ、と、笑うが」


それは、生存本能というものを蹴倒すような欲求だった。と言うのに。

征司はそんなことを言いながら、人が良さそうな笑顔を見せる。


私は薄ら寒くなった。

いや、それとも、狂気のようなこれも生存本能の一種だろうか。


種としての。


人外は長い寿命を持つ。その点、進化は遅い。放置すれば、停滞を選び取るほどに。

人間よりはるかに優れた生命体とは言え、停滞は、種としての滅びにつながるだろう。

それを乗り越えるために、生まれたのではないだろうか。自滅的な、その衝動は。


どうにか彼らの法を飲み下し、私は現状に当てはめる。

「北王の、史郎様に挑みたいと思うものは多い、ということですか」

「そういうことだ」

「覇槍公…征司様も?」

征司は小さく笑って、答えなかった。

前を向いて、さわやかに別のことを言う。


「オレたちの世は、それが理だ。が、安心しろ、史郎殿は違う。支配の方法を見れば分かる。さすが、元は人間だということはあると思うぞ」

「――――史郎様は、人間だったのですか?」

私は息が止まるくらい驚いた。

人間が人外になることは、皆無ではない。

どのような結果そうなるかは知らないが。





ある者は墜ちる、といい、ある者は昇華と言う。






まさか、史郎が人間だったなんて。愕然とした。

王の称号まで得た存在だ、彼は生まれながらの人外だと私は思っていた。


そうか、史郎は人間だったのか。

知ることで、生まれたのは、近親感だ。


侮蔑など欠片もない。

遠い存在が、身近におりてきたように感じた。


私が史郎の奥方だ、と思っている征司は、少しでも多く史郎を知ってもらおうとでも言うつもりか、饒舌だ。

「オレたちも祖先は人間だが、伯や公という称号は、世襲制だから、人間だった頃など忘れておるのだ。なにせ我らは、生まれたときから人外、だからな。史郎殿のように人間からはじめて公や王になりました、などということは、今では珍しい」


征司は目をきらきらさせた。

史郎はよくこういった視線に晒される。

傍若無人な人物だが、彼には不思議と人を魅了する才があるのだ。


目の前に立てば、全身が固まりそうな凄味はあるが、基本的に鷹揚で寛容で、他者のことで本気で怒れるようなやさしさの持ち主でもある。それも、当然だろう。

史郎は特に征司のこの目が苦手なのか、いつも、止せ、とウンザリするが、私から見れば、微笑ましい。

可愛い、というのは失礼だろうが。


私が微笑むと、征司は照れくさそうに頭をかいた。

「もっと正確に言えば、本来、史郎殿は、捨て子だ。先代穂鷹公殿が拾い上げ、霊力の高さから跡取りに望んだが、反発は、ひどかったと聞く。穏和で知られた先代が、激怒するほどの事態が繰り返された最中…、そう、人間の数え年で、史郎殿が十二・三の頃か」

じっと話に聞き入っていた私を、征司は横目にする。

一瞬、言いにくそうな目になった。

それでも思い切ったように、ぽつり、呟く。






「一人の女が現れた。あるとき、山の中に行き倒れていたらしい。もう、名前も顔も忘れてしまったようだが、――――忘れるよう、努力したせいだろうな――――史郎殿がかつて伴侶と呼んでいた女だ」






私は目を見張った。

史郎からその人のことを聞いていたけれど、誰もが私には、腫れ物に触れるような様子で、話題に出さなかったからだ。


私は愛想笑いを浮かべた顔を伏せる。

どういう表情をすればいいか分からなかったから、笑う以外になかった。

征司がどういうつもりで話題にしたかも分からない。

第一、私と史郎の関係は、仮のものでしかない。


責める理由も、かなしむ理由もなかった。


私の態度をどう取ったのか、征司は顔を前に戻す。

「いきなり、すまない。だが、知っておいたほうがいいと思って。知りたくないなら、そう言ってくれ」

「…聞きたいです」

私は咄嗟に、そう言っていた。

本当に他人事と思うなら、聞かねばよかったのに。


征司は、ほ、と息を吐いた。

「それなら、よかった。余計なお節介かと思ったのだが、史郎殿はああいう人だし、嫁いだばかりだから、気楽に聞ける相手もおらんだろう?」

その通りだ。

私はその人に、興味があった。


あの史郎に、深い影響力を残した女性。どんな、人だったんだろう。


オレも人から聞いた話だが、と征司は前置きした。

「とにかく、聡明な女性だったらしい。高い霊力の持ち主で…ただし、史郎殿とは十日も共にいたわけではなかったようだ。史郎殿を狙った刺客から、史郎殿を庇って殺されたと聞いている」

「…そんな、短期間で?」

伴侶と呼べるような深い仲になったのか、と私は驚いたが、征司は首を捻る。


「人外にとって、伴侶と言うのは、単純に夫婦を指すわけではないからな」

「ならば、どういう相手をそう呼ぶんですか?」

「高い霊力を持った人間が、人外の力を助長するのは知っておるだろ?そういった相手を伴侶と呼ぶ。史郎殿と彼女の相性は、最高だったらしい」

「そう…ですか」


「あ、勿論、凛殿とも相性はよさそうだ。オレたちはそういうことを感じ取れるし、この手のことは、嘘をつけんからな」

慰めてくれているのだろう。私は微笑む。

「史郎様のお役に立てているのなら、嬉しいです」

それは、偽りない本心だ。


私は、誰かのためにここにある、そんな理由がほしい。

史郎の役に立てるのなら、それだけでいいのだ。


征司は、邪気なく微笑み返した。

咳払いし、口調を変える。

「彼女が亡くなる寸前、史郎殿の力が爆発的に高まったと聞く。それが北方一円の大地を呼応させ、北王となられた」

しんみりと落ちた征司の言葉に、私の胸が痛んだ。






人から人外へ化したとき、史郎は何を思ったのだろう。






「ただし、そこからがまた大変だった」

「?なにがですか?」

「北王と認められた力は、亡くなった彼女の存在があってはじめて現出したものだろう?」

私は、あ、と思った。盲点だ。

しかし、史郎は現在も北王と呼ばれている。


何が起きたのだろう。

いや、認められないと言われたとき、史郎は、何をしたのだろう?


息を呑んだ私に、征司は頷いた。

「王となるには力不足と、ごねた連中も多かったようだ」


「でも、そんな」

その言い分は分からないでもないが、つい責める声を上げたのは、大切な相手を失ったばかりの史郎を、それ以上傷つけてほしくなかったからだ。


征司はにこ、と笑って、凛殿はやさしいな、と呟く。



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