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霊笛  作者: 野中
霊笛・第三部
36/72

第二章(3)

「そう言えば、南方には地下窟があったな」

いいことを聞いた、と言わんばかりの口調。

虎一は厳しく応じる。


「出入り口は教えねえぞ」


「虎一!」

蛍が叱る。虎一は何食わぬ顔だ。真牙もしれっと、

「構わんさ」

受け流す。



―――――地下窟、ですか?



私が尋ねるのに、真牙は小声で呟いた。

「昔から南方には、網の目のように地下窟が広がっている」

お前もそこに行っただろう。


言われ、最初に連れていかれた場所を思い出す。



つまり―――――迷宮のことだ。



「それを利用する」

真牙は多くを語らない。

利用? ――――逃げるために? どうやって。

真牙はもう、応じなかった。代わりに、駆ける勢いも緩めず、



「ではな」



背後の二人に言い捨て、

「…おい!」

咎めるような虎一の声を置き去りに、手すりを飛び越えた。

外へ向かって。


ここは、二階だ。


私には、確かに一度、二階から飛び降りた経験はある。

が、慣れるものではない。

けれど私の身体は危なげなく、落ちる途中で、くるん、猫のようにしなやかに一回転。

羽毛のように軽やかに庭先へ降り立った。

舌打ちながら見下ろした虎一が、唸るように怒鳴る。

「てめぇ、なにモンだ」




「盗賊さ」




真牙はさらりと嘯いた。


その間にも、追ってくる気配は迫ってくる。

虎一が悔しげに壁を叩いた。顔を引っ込める。

地下への出入り口とやらに向かったのだろう。


真牙はと言えば。


庭の中心に、ぽかりとあいた何もない空間に悠然と進み出た。

殺風景で、隠れる場所もない。足元の土は、強く踏み固められていた。

誰かが鍛錬でもしていたのだろうか。

その中央に立ち、真牙は満足げに頷いた。

散歩にでも出かけるような気楽さでぽつりと呟く。






「やるか」






何を?


思う端から、屋敷のあちこちから物騒なものを手に持った男たちが続々と庭先へ出てきた。

飛び交う声は多すぎて、何と言っているか最早わからない。


ただ―――――彼らが私を標的にしているのははっきりしていた。

それでもたいして不安を感じないのは、真牙がいるせいだろうか。


突如、真牙はいっさいを断ち切るように、目を閉じた。刹那。


―――――熱塊が、腹の底に叩き込まれた、そんな感覚に、私は呻きそうになる。

ぐつぐつと煮えたぎる溶岩のようなそれに、じっとしているのが苦しい。



「こらえろ、娘。すぐ終わる」



耐えるような声に、ちょっとした戸惑いを覚える。

こんな苦しいはずはなかったのに、と言った手違いを、真牙自身が感じているような。


なんとなく、私は気付いた。



…これが、かつての真牙の身体感覚なのだ。

ただ、残念なことに、私にはなじまないと言うだけで。



得心するとともに、業火めいた気配が、瞬く間に大気を席巻。



豪風の勢いで大気を圧した。



とたん。

鼻先で獣に牙を剥かれたように、大半の敵意が消沈する。



むしろ一瞬、周囲すべてが死んだかのような沈黙が落ちた。



…真牙が、彼本来の戦意をはじめて剥き出しにしたためだ。否。


肉体が私であるため、かつての彼とは比べ物にならないのだろうが、それでも。

中心にいた私には体感できるはずもないが、戦士としての格の違いを思い知らせるには十分だったはずだ。


けれど、どうしてだろう?


どうしてここで、真牙は彼自身の気配を解放したのか。

追手を怯ませるため?

いや、追手だけが相手なら、真牙はもっと隠密に行動して気がする。

ではなぜ。


怯むのを通り越して、刃を交える前から敗北の気配が周囲に満ちた瞬間。






「くるぞ」






真牙が短く警告―――――何が、と問う間もない。


(えぇっ!?)








前触れなく、足元が、崩れた。








「はははっ」

真牙が陽気に笑う。

「五千年も昔の裏切り者を、未だ覚えているのか、―――――怨念ども」


それこそ、五千年も昔への呼びかけであるかのように、深遠な響きの言葉だった。


足元から、土の礫が噴き上がる。

真牙が顔を庇った。

大地が崩れゆくままに、私の身体は落ちる。

噴き上がったのは、湿った空気だ。同時に。










―――――ウオオオォォォオォン…。










獣の遠吠えとも、木霊とも取れる不吉な響きが、耳朶を掠める。


周囲の冷たさに関わらず、生き物の群れの中に、前触れなく突っ込んだ質感があった。

そのおぞましさに、さきほど真牙が何をしたのか、私はようやく納得した。


真牙が自分の気配を濃密に解放したのは、この、怨念の群れを呼びだすためだ。


五千年も昔、真牙が裏切った、人外たちの怨念を。

彼等は大地を突き崩すほどに、未だ真牙を恨んでいるのか。




しかもそれを、―――――真牙は、逃れるために利用した。


残酷、と言うべきか。合理的と言うべきか。




真牙はと言えば、足元が崩れるなり、あっさりと自身の気配を体奥へしまいこんでいる。

周囲に満ちた己への殺意に欠片も動じていない。


いずれにせよ、真っ当とは言いかねるこの男が、いったい、かつて何をしたのか。


無意識に、関心を向けるなり。

(…っ、あっ?)






突然だった。











私の視界が、まっしろな吹雪で覆われる。


驚く間もなく、『私』は全身を振り絞って叫んでいた。




―――――開門願う!




否、今ここにいる私は何も言っていない。

これは、記憶だ。


誰の。真牙の?


思うなり、ますますその感覚は鮮明になって行く。

全身が、熱い。雪深い山の中。吹雪と言うのに。


真牙は満身創痍。しかも、息は途切れがちだ。死にかけている。


半ば倒れながら、それでも。

太刀を、杖代わりに、請うように叫んだ。


―――――開門願う!


見上げれば、重厚な鉄の城壁。

びくともしないそれは、城の主の拒絶に見えた。





―――――条件にかなう者の訪いぞっ。約定を違えるか、王よ!





不意に。


吹雪が、やんだ。

あまりに突然のことに、それに抵抗していた身体が、もんどりうって倒れる。

一度倒れたら、最後だった。立ち上がれない。

じわり、雪に熱い赤が沁みていく。


―――――ほぅ、約定かえ。

耳から入った艶のある声が、心臓を氷の鞭で縛ったようだった。

女の人の、声だ。

かろうじで動かした目が、視界の隅に、素足を見る。

雪の上、埋もれることなく、白い足がすんなりと立っていた。


いきなりそれが、優雅に撓う。






―――――儂の用意した罠を潜りぬけてきたものの願いをひとつ叶えてやると言うた、あれかのう?






うつ伏せだった身体が、ごろりと仰向けになった。

真牙の巨躯を無造作に扱ったとは思えない華奢な脚が、石でも踏むように真牙の胸の真ん中に置かれる。


―――――百年昔の話じゃ。忘れておったわ。ま、よい暇つぶしにはなろう。


ころころと笑った相手は、真牙の胸に置いた足に体重をかけつつ、真牙の顔を覗き込んだ。

―――――して、…なんぞ?

たちまち、真牙が目を見張ったのが分かった。


私も唖然となる。


なんて。








凄絶な、美。








完璧、と言ってしまうには、野性味が強すぎるが、おそろしく整っている。


整い過ぎて、ぞっとするほど冷たい。




白い雪景色の中、灰色の空を背景に、極彩色の花が咲き誇っているようだ。




それが、…なぜだろう。






私の中で、史郎と重なった。


男女の差など簡単に振り切って。






満月色の双眸のせいだろうか。だらしなく着崩した格好のせいか。それとも。


なにひとつ似ていないようなのに、すべてが同じような心地になる。



彼女の脚が乗った真牙の胸が、みしり、嫌な音を立てた。



肋骨が折れようとしているのか。肺を押し潰そうとしているようだ。

これでは、言葉も発せない。



…分かって、やっている。



―――――だらしないのぅ。だが、その目は良い。

うつくしい生き物が、真牙の上に屈みこむ。

脆いような細い指が、真牙の肩を掴んだ。


―――――飽きるまでは、飼うか。弄ぶのも一興。ああ、そうじゃ。


不意に、肩を掴んだ指先に、力がこもる。

―――――束の間であろうが死ぬまでは覚えておけ。北王たる儂の名は、


真牙の喉が仰け反った。

苦悶の絶叫がほとばしる。なにせ。


女が、玩具のように、太刀を握りしめた真牙の腕を引きちぎったからだ。


強烈な苦痛が脳天を貫いた。

そのくせ。






―――――雪花よ。






耳触りのいい声が、いきなり、耳から忍び入り、落ちた下腹を内部からぬらりと撫でる。


痛いのか。


心地いいのか。


瞬間の、惑乱があった。



真牙と半ば同化した私は救いを求め、満月色の瞳に叫ぶ。






―――――史郎さま!






無論、誰にも聴こえるはずがない。


私を内に宿した真牙とて、聴こえなかったろう。

なのに。

刹那、雪花と名乗った彼女が、目を瞬かせた。


ほ、と息を吐く。




―――――なんと、未来からの呼び声とは。




いきなりだった。


雪花と『私』の目が合う。






そのとき。











―――――いかん!


真牙の声と共に、扉がぴしゃりと閉ざされた感覚があった。

―――――どこまで入り込んでいる、戻れ!

厳しい叱責。真牙。

身が竦む。


鋭く息を呑み込むなり。




「…あ」




私の呆けた声が、岩壁に反響した。

瞬きを繰り返す。


視界がいきなり変わったことについていけない。


どうやら私は、座り込み、ごつごつとした壁にもたれかかっているようだ。

ぼんやりした感覚に、手で額を押さえ、頭を振る。


そこで、気付いた。私の意思で動ける。


つい、内側に真牙を探した。いない。


感覚が伝えるのは、完全な、無。


無意識の行動――――すぐ、意識の矛先を引っ込める。だめだ。


あまり、真牙を呼んではいけない。

五感が、すぐさま回復を始める。


慎重に、周りを見渡した。薄暗い。


肉体に異常はないかを確認しながら、ゆっくり頭上を見上げる。

光が見えた。だが、遠い。

そうだ、私は落下したのだ。随分、深く落ちた、のだろうか。


少なくとも、頭上に見える光までは、這い上がるのが難しい距離だった。


よく無事だったものだ。真牙の身体能力には素直に感心する。

仕方なく、周囲を見渡した。

目に映ったのは。




―――――っ。




思わず強く、口元を押さえた。弾かれた勢いで立ち上がる。

一度、俯き、目を閉じた。

足元へ移動させた視線を、今度は覚悟を持って周囲に向ける。


…やはり、複数の死体は消えない。


地面の崩壊に巻き込まれた盗賊たちだろう。とはいえ。

先ほどから、死を目の当たりにし続けているせいか、次第に慣れてきている。

こんなことに、慣れてしまいたくはないのだが。


ひとつだけ、確かなことは。




生き残るためには、恐れている場合ではない。




ぐっと歯を食いしばった。歩き出す。


道なら、左右に続いていた。

もしかすると、追手が来るかもしれない。

薄闇の中、身ひとつなのは心細い。


けれど、せめてここから離れなければならない。


真牙は地下窟、と言ったが。

南方の地下はこんなに広い空洞が広がっているのか。


こんなだと先ほどのように、簡単に崩落するのではないだろうか。地震が心配だ。


崩落現場から離れた私は、ようやく周囲を見渡す余裕ができた。

地下は漆黒の闇であるはずだが、先ほどからわずかに感じる光源は、思った通り、壁にちらほらと咲く雪のようにちいさな花だ。

南方にはじめて訪れた日にも見た、あの。


おかげで、視界に不安はない。ただ。



進む先に何があるのか読めないのが、難だ。



南方離宮に、無事、戻れるのだろうか。

そういえば、あの蓮の花は見えない。

なんとはなしに思った時。


―――――前方に、ほのかな明かりが見えた。


気付いた瞬間、思わず私は駆け出した。

外かもしれない。

期待に、一歩踏み出した刹那。




透明な膜を潜り抜けたような違和感があった。とたん。




いきなり、視界が変わった。


先ほど見た柔らかなひかりと同じものが、突如視界全体を照らす。

咄嗟に目を細めた。


どうやら、太陽の光では、ないようなのだが。


手で目元を庇い、その隙間からそろそろと光源を見遣る。と。

「え…?」

白い蓮が見えた。



天井から、氷柱のように細長く伸びた岩を幾本も水面に映す、湖の上。



白く輝く蓮の花が浮いている。


あの日見たものと、確かに同じだ。

場所は、違うようだが。



目の前に広がる空洞は広く、その足元いっぱいに広がる大量の水は、地底湖と言っていいのだろう。



周囲には、深い静寂、そして、花が発する艶めいた光。

まるで、ひかる揺りかご。



幽玄―――――そんな言葉が似合う光景から、私は慌てて眼を逸らした。



うっかりと魅入られてしまいそうな、正気に戻れば逃げ出さずにいられないような危険な美から、私はどうにか距離を取る。

私は、帰らなければならない。

ひとまずは、南方離宮へ。


急く気持ちを押さえ、踵を返す。刹那。


顔面に、風を受けた。

面食らう間もない。






「なんじゃ」


女の声がした。しかも、聞き慣れた。






「こんなところに、人間か? 人外かと思うたぞ」


背後からの冷たい声に、私は眼を瞬かせる。

聞き覚えのある声だったからだ。

刹那。


「柘榴殿」


寸前まで何もなかった前方に、人影。

虎一とはまた印象の違った痩身。青年だ。

彼もまた、知り合いだった。


覇槍公・征司。




「覇槍公、何度も言うが、殺すが慈悲ぞ」




彼に呼びかけたのは、私の背後に立つ柘榴だ。

「あの、みっともないざまを人目に晒す位なら」



「戦士としては同意する。しかし、史郎殿が決められた。待つ、と」



とたん、背中でマグマが渦巻いた心地になる。

何の話だ。

「西の二人も同意した。あとはそなたのみ」


北方に連なる覇槍峰の主・征司は、臆することなく溌剌と言い切った。


あっけらかんとした口調は、裏表がなさすぎで、逆に本音が読みにくい。

少し前の清孝のようだが、征司のそれは、あの無垢さとはまた違う従順さだった。

何もかも承知で、動いているような。


「くだらんな」

切りつけるような嘲る声が、柘榴のものだとは、すぐには私には察せなかった。





「わたし程度の腹積もりなど、二柱の王の前で、なんの意味があるのじゃ」


「あると言われたのだ。ならば、あるのだろう」





お使いを頼まれた子供のように、征司の声は、愚鈍なほど真っ直ぐだ。


疑うことなど欠片も知らぬと言いたげな危うさと、その絶対の確信には、たまに強い歪みを覚える。

「ゆえに、重ねて求める」

そうすることに、なんの疑問も抱かないと言いたげな口調で、征司は言った。




「遠く、添石の血統に連なる鬼女・柘榴よ」




厳かな口調は、断罪に似ている。とはいえ。

聞き逃せないことを、征司は口にした。


添石の血統? 柘榴が?






「『髑髏を抱く男』が望む地に立つまで、一切の手出しはしないとここで誓え」






――――待つ。


先ほど言った、史郎の決定とはそういうことか。

「誓いなど」

柘榴は、鼻で笑った。


「簡単に反故にできる―――――と言いたいところじゃが、相手は音に聞こえた覇槍公…」


意気揚々と言いさした柘榴は、途中で舌打ちをこぼす。

言葉の最中に何を思ったか、私をぐいと引っ張った。


私の背が、柘榴の胸と密着する。



「その言葉を聞く前に、さっさとあの男を始末しようと走った私を、この歪み切った空間で捕らえたのも、見事。裏返せば、わたしの未熟と言うこと。その差は」



柘榴の細い指が、私の首にかかった。

「この人間を人質にすることで補おう。これを殺されたくなくば、わたしを見逃せ」

何事が起きようと、すべて他人事めいた態度を崩さない柘榴らしからぬ行為だ。

というより。






あれ。


もしかして、彼女は私だと分かっていないのか。






一瞬、征司は呆気に取られた表情になる。

すぐいつもの表情で、首を傾げた。



「見知らぬ人間がいつ何人死のうと、オレには関わりのない話だ」



無邪気に応じた征司が本気だと、私は即座に理解する。

あ、これはだめだ。




二人とも、私が凛だと気付いていない。


危険だ。




さすがにいつまでもぼんやりはしていられない。






「二人とも」






殺される前に、肩まで両手を上げ、口を開く。

「今は争っている場合ではないと思うのですが」

刹那、時ならぬ沈黙が場を占めた。直後、二人の声が重なる。






「「凛」殿!?」


…本当に、本気で気付いていなかった。泣いていい?






「む、確かに気配が」


唸った柘榴は、しかし拘束の力を緩めなかった。どころか、

「それならばそれでよい」


はい?



「どうじゃ、覇槍公。わたしの人質は凛ぞ? 見殺しにはできまい」



…成り立たない。なんの遊びだ。

人質と言ったところで、柘榴に私を害することができるのだろうか。

第一、彼女には北王たる史郎にかけられた縛りがあるはず。


いったい南方に来て柘榴に何があったのか―――――どうも、開き直っている。


どうやって宥めようか、と悩む私の前で、征司が真剣に応じた。

「人質が凛殿では退くに退けん。笑い話で終われるものではなくなるぞ」

征司は片手を腰にあてる。

首を傾げ、生真面目に尋ねた。

「…承知の上か」


「さよう」

「ならば」

場を占める緊張感―――――場違いな気分で置いてけぼりなのは、私だけのようだ。

軽くその場で、トトン、と足元を蹴った征司が身を撓めた。




「―――――参る」




声だけを残し、征司の姿が消える。刹那。

「く…っ」

背後の柘榴が息を呑んだ。私は前方に突き飛ばされる。かと思いきや、


「おっと」

腰に、征司の腕が回った。

腕を取られ、くるり、身体を仰向けにされる。



「ご無事か」



不思議と天真爛漫な笑顔で覗き込む征司に、私は無言で首を上下した。

近い。


が、彼の場合、下心などひとつもないのは分かる。


基本的に、天然なのだ。

何がどうなったのか、私は征司の腕の中で抱き起こされた。


かと思えば、私の肩に背後から手を置いて、征司は明るく告げる。




「今度は、オレが凛殿を人質にとったぞ。観念しろ、柘榴殿」




だから、なんの遊びだ。


私たちから距離を取っていた柘榴が、忌々しげに唇を噛んだ。

「卑怯だろう、公ともあろう男が」


人質『らしい』私は首を横に振った。




「確認ですが」




二人が勝手にやり合っているなら、私も勝手に話をさせてもらおう。

「皆さまは百鬼夜行を止めようとなさっているのですよね?」


「最初はな」

不貞腐れた風情で、柘榴が応じた。

征司が付け加える。

「人死にが出たと聞いては、放ってもおけなかった。ところが」


「殺戮自体は、百鬼夜行に紛れた盗賊の仕業、でしたね」


私が頷けば、柘榴がため息をついた。

「そう、人外どもは浮かれているだけじゃ。正気をなくしてはおるがな」

「だから今は、百鬼夜行は放置するつもりだ。あれは自然災害みたいなものだから、いずれおさまる。そうする方が、歪みが残らず、安全だ。無理に止めれば、…厄介が増える」


下位とはいえ人外の集団が通り雨と同じとはとても思えないが、害がないのは事実だ。

ならばおとなしく通り過ぎるのを待った方が、確かに問題も被害も少ない。


柘榴がぼそりと不穏な声を放った。


「ただ、自然に誘発されて発生するものではない。…原因がある」

「今回の件において、原因は」

征司は笑顔のまま、ひやりとした口調で告げる。






「『髑髏を抱く男』だ」






柘榴が唇を噛んだ。


悔しげな表情は、飄然と構えた彼女には、本当に珍しい。

つい、私は眼を瞬かせた。

百鬼夜行は偶然ではなく、誘発するものがあって出現する、という今の話に照らし合わせて考えれば。


「人外の群れを誘発する何かを、彼が放っていると?」



「それが、彼の、目的を達そうとする鬼気だ」



征司は片手の人差し指を伸ばし、目の前の空間に真一文字を描く。

「ああいったものは、人外たちが過ごしやすい道をつくる」

その彼を―――――止めない、と史郎が決したということは。


「彼の目的を、史郎さまはご存知だと言うことですね?」


つまり、ここにいる二人も。

柘榴はその何に、屈託しているのだろうか。

不貞腐れた表情で、柘榴は私の視線から逃げるように顔を背けた。

「あれは、死者」

拗ねた声で柘榴は呟く。




「死者の目的など明白じゃ。…生前の欲望」




柘榴は、岩さえ容易に砕く腕で、自分を抱くように二の腕を掴んだ。

なのに、なぜだろう。その姿は弱々しく、私の目に映る。

「南方離宮、その背後に広がる古戦場―――――やつはそこへ向かっておる。なにせそこでかつて起こった戦いに生き残れば、あの男」

柘榴はどこか悔しげに吐き捨てた。






「愛するひとりを、得るはずであった」






そうか。柘榴は。

知っているのだ。彼を。『髑髏を抱く男』を。

「む」

いきなり、眼前の出来事から興味を失ったように、征司が顔を上げた。


同様に柘榴も、何かに気付いたように周囲を見渡す。

「いかんな」

呟く柘榴に、征司が目を細めた。


「まだ追いかけっこを続けるか?」

一瞬、柘榴は唇をとがらせる。私を一瞥した。

諦めたように肩から力が抜ける。


「仕方あるまい。凛を危険には晒せん」

「では」

片手を私の肩に置いたまま、征司は柘榴に手を伸ばした。


渋々、柘榴はその手に手を重ねる。


遅れて、私も周囲の異変に気付いた。




目に映る光景が、――――――よじれる。




「史郎殿とのつながりが強固な内に戻るぞ」


「封印が解けた影響でな、迷宮の時と空間がねじれておるのよ」

おぼろげになる視界の中、柘榴が私と視線を合わせた。

「封印?」

私はつい、目を瞬かせる。

柘榴は肩を竦めた。


「この地下は、『髑髏を抱く男』を封じる場所だったのじゃが…ヤツは地上におるだろう」


私の脳裏を、史郎の言葉が過ぎる。

―――――南方の迷宮に封じられていた化け物。


私は眼を見張る。

だが、先ほどから、いきなり周囲の景色が変わる状況はそれが原因かと納得もいく。


「北王とのつながりがすべてをねじ伏せるうちに、脈動を渡る」


征司が力強く言い切る。

「――――ゆくぞ」

刹那。

(あ)

征司がつかまえたもの。いえ、感覚?

それが、私にも分かった。


思わず手を伸ばす。






―――――史郎さま!!






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