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霊笛  作者: 野中
霊笛・第三部
35/72

第二章(2)

唐突なことに、私は身を強張らせることしかできなかった。

その、上に。


まだ生温かい何かが放り込まれた。


複数、積み重なっていく。

あらたな血臭に息が詰まった。ある意味、それは幸いだった。


身体の上にのしかかるそれらが重くても、声を漏らさずすんだのだから。


心臓が、うるさいくらい鼓動する。

息を殺して、様子をうかがった。


いきなり、誰かが乱暴に納戸へ踏み入る。


死体の影で、おぞましさも彼方に感じながら、私は身を縮こまらせた。

直後、身体に鈍い衝撃が走る。


…たぶんこれは、死体を蹴りあげているのだ。




「チクショウ、うるさい、うるさい、うるさい…邪魔なんだよっ」




熱に浮かされた、だが存外に若い声が、呻くように呟いた。

「オレはぜったい、あの姫を手に入れる…! 他の誰にも譲らねえ」


幸か不幸か、複数積み上げられたそれの向こう側にいるために、私に致命的な痛みはないが、相当な力を込めて蹴りつけているのは分かった。


耳に聴こえる乾いた音や濡れた音がなんなのか。想像力を努力して閉ざす。




「オイ、首領。狂うなら一人で狂え」




「あぁっ!?」


衝撃が止んだ。代わりに、肌が切れそうな緊張感が膨れ上がる。

史郎が醸し出す覇気に比べれば、可愛らしいものだが。


戸口にいるのだろう、少し離れた場所からする声が、うんざりと言葉を継いだ。

「実際、潮時だ。絞れるだけ絞り取って、場所を移した方がいい」


「てめぇもか! タマぁついてねえのかよ、臆病モンが!」


「命あってのモノダネっつってんだよ!」


怒声と、興奮の荒い息が交錯する。

あとから現れた方の声が、低い声で言った。





「血判状はどこにある」


「露骨だな」





荒れた空気を隠さない、首領と呼ばれた男が、意地の悪い笑い方で応じる。

「腹芸は好かねえ」


鋭い舌打ちが、余計な会話に付き合う気はないと告げた。



いっきに空気が白ける。


まるで、決裂したような。



…どうしてそういう雰囲気になったのか、私はすぐに呑み込めない。

「持っていくなら、好きにしろ。ただし、血判状は」

自棄というより本気でどうでもよさそうに、首領の声は答えた。






「―――――黒蜜が持ってる」


「…あの女か! 正気か、てめぇっ!」






その名に、死体の山の中で、私は一瞬震える。


会話からして、ここはおそらく盗賊の巣だ。

よりによって、ここでも―――――黒蜜の名が出るなんて。


幸い、誰も死体がわずかに揺れたことに気付かなかったようだ。


「おうよ。黒蜜の言葉通り、全部笑えるくらいうまくいってるだろ。あと少しなんだよ」

薄く笑う首領の声が、遠ざかっていく。



納戸の扉が閉ざされた。それでも、私は動けない。



緊張のせいもある。けれど。

西方の出来事を思い出した。…戦場跡を。







まさか黒蜜は、―――――南方でも。







…ならば。


怖がっている、場合ではない。

私は強張った身体に力を込める。そのときになって、気付いた。


動けない。だが考えれば当然だ。



複数の人間の体、しかも意思の力がひとつもこもっていない死体が身体の上にあるのだ。



思いだしたように、圧迫される苦痛が襲ってくる。

だからと言って、助けを求めて声を上げるわけにもいかない。


途方に暮れた、その一瞬。




―――――然様なれば。




昨日聞いた声が、脳裏に響いた。刹那。

ド、ゴンッ!!!


床を、何かが突き上げてくる。


と思うなり、猛烈な勢いで床板をつきぬけ、噴き上がったのは、水。

それらは死体を蹴散らすだけでは飽き足らず、天井まで貫いた。


先ほどの声、おそらくは昨日の亀だが。


唖然となる間もない。

激しい足音がした。

誰かが駆けもどってくる気配。

木戸が開け放たれる。


その最中も、水は勢いを止めない。



むしろ出口を見つけたとばかりに、木戸から鉄砲水の勢いで飛び出した。



あまりの猛威に、私もなすすべなく押し流される。

背中を、強か廊下の壁にぶつけた、その時。




―――――視線を感じた。




あまりの強さに、不自然な体勢でぎょっと振り向いた。

その先に見えたのは。


存在そのものが、殺意のような、双眸。


見たこともない顔だ。




まばらに生えた髭。浅黒い肌。


水の勢いに押されながら、そのひとは私に手を伸ばした。




命あるすべてが許せない、と言いたげな態度で。


水の中、体勢を立て直すのが先決だろうに、殺意に操られているような腕が伸びた。

なにがなんでも潰す、と執念に満ちた指先が、私の袖を捕らえる。


私が見てしまったから、だろうか。



かつて彼の仲間であったはずの、死体の山を。



彼は、破れかぶれの力で私を引き寄せた。

己自身、不自然な姿勢で、なのに。


腰だめにした匕首の切っ先が、私の胸に向いていた。


思わず目を見開く。

頭のどこかが冷静に判断を下した。いけない。





この刃は確実に、私の心臓を貫く。





咄嗟に、もがいた。


足が、何かを強かに蹴りつけた感覚があった直後、拘束が緩む。

水に翻弄されながら、それでも相手から距離を取ろうとした矢先。


髪を掴まれた。


叫びかけ、水を飲んでしまう。目がくらんだ。

その時には。





(あ、)





眼前に、刃のきらめき。刹那、思考が止まった。


間髪入れず。

―――――それは起こった。









「悪いが」









冷え切った女の声に、私は眼を見張る。


その声が自分の唇からこぼれたことに、遅れて気付いた。



「まだ死ぬわけにはいかん」



刃の切っ先が、目の前にある。

だが、いつまで経ってもそれが私の肉体に達することはない。


それもそのはず。




身体を、ほとんど水に翻弄されながら、私は容易く相手の手首を掴み、ねじり上げていた。




それが、自分で成した所業と確認する間もなく、私の唇から鋭い息が漏れる。

とたん、手の内で、鈍い手応えがあった。


相手の手首が折れた。


確信すると同時に、男が鈍く呻く。

直後、ここに留まることはもはや無用とばかりに、私の身体は完全に水の流れに委ねられた。


不意に、私は誰かのため息を感じる。






―――――しょうのない娘だ。






頭に響いたのは、どこかで聞いた声だ。

どこだったか、すぐに思いだせない。








鋼じみた意思が、感情の一切を喰い殺したような、静謐でありながら濃密な獣性を秘めた声。


―――――言ったはずだ。狂いたくないなら、二度と俺を招くな、と。








唐突に、理解が脳裏に閃いた。




(真牙!)




内心、唇を噛みしめる。

命の危機を前に、私はまた無意識に彼を呼んだのか。


―――――だが、この状況。…仕方あるまい。


いきなり、身体が広い場所へ放り出される感覚があった。

寸前までは、狭い通路のような場所で、壁や柱を蹴りながら、うまく流れに乗っていたのだが。



…どうやら、終点らしい。



周囲から、水が引いていく。

水を吸って重くなった着物をものともせずに、私の身体が身軽に立ち上がった。


そう、私の身体、だ。なのに。



その動きは、私の意思ではなかった。



異変に気付いたか、周囲に、慌ただしく行き交う足音が満ちてくる。

ぐるり、周囲を見渡した。


どうやら、どこかの屋敷の奥庭らしい。


眼の前に立っている建物に、廃屋という印象はない。

金持ちの妾の別邸、というような、わずかに後ろめたいつつましやかさがあるが。






「聞け、娘よ」

背を伸ばし、すっと立った『私』は、小声で厳かに私に語りかけた。










「お前が性格にも容姿にも似合わず、暴力を引き寄せるのは、おれの業のせいだ」










真牙だ。


では、今私の身体を操っているのは、真牙なのか。

そうとしか、思えないが。

にわかには、信じ難い。


私の迷いを感じたか、真牙は包み隠さず指摘した。




「このままでは、お前は死ぬ」




死。


その言葉に、私の意識はいっきに驚きから醒めた。

確かに。



気付けば、周囲を荒い雰囲気を放つ男たちが取り囲んでいる。



立ち込める空気は、友好的とは言い難い。

立場が逆なら、私も彼等に同意しているところだ。


なにせ、異常のあった場所には、盗賊たちの複数の死体が転がっている。

推測に過ぎないが、状況からして、それら死体は集まってきている男たちの仲間ではないだろうか。

その中央で悠然と立つ、女が一人。



…怪しまない方が無理というものだ。



彼らが咄嗟に動きかねているのは、目の前の出来事が、異常だからだろう。


まずは、状況を認識するのに手一杯と言ったところか。

だが、彼らが正気を取り戻すのは、そう遅くないはず。





「…仕方あるまい」


真牙は嘆息。





濡れそぼった髪を邪魔そうに後ろに弾き、真牙は冷静に呟いた。

「俺の意識が呼び覚まされた理由があるなら、きっとこのためなのだろうからな」

彼の言葉が終るなり。



「てめぇら、その女を逃すな!」



振り返れば、先ほど手首を折った男が立っている。

この声、首領と呼ばれた男の声だ。


彼に肩を貸しているのは、先ほど首領を非難していた男だろうか。

彼は、『私』を一瞥した。


道具でも見るような目で。


すぐさま、男は悪びれることなく言い放った。






「そいつが仲間を殺したんだ! ―――――殺せっ」






誰かに少しでも正気であったなら、そう簡単に相手の言葉を鵜呑みにはしなかっただろう。だが。


それは、このとき・この状況に合わせた、単純でうまい号令だった。




いきなり室内から水が湧き起こった怪異。


この数日仲間が減って行った奇怪な状況に対する疑惑。




それらに、その声は火をつけた。


盗賊たちの意思を揺るがせていた不安は、簡単に怒りと殺意を暴発させる。

彼等は、号令に忠実に動いた。


男たちは無言で殺到する―――――死体を飛び越え、中心に立つ『私』―――――真牙に。


吹き付ける熱風じみた殺意に、私自身は、竦みそうになる。

けれど。





真っ先に心が負けていては、生き残れない。


ぐっとこらえる。自身の恐怖を見据えた。刹那。





真牙が不敵に笑った。


「それでいい」

いきなり、視野が低くなる。身を屈めた。思うなり。

ぶぅん、頭上で、何かが唸る音。わずかに身体に感じた冷たい風に、背がぞくりとする。


剣風。


それに押されるように、真牙が地を蹴った。



「こんなものはそよ風に過ぎんよ」



私を宥めるように呟き、疾走―――――男たちの間に飛び込んだ。

外へ、駆け出そうとしている?


真牙は屋敷を背に向けていた。


盗賊たちもそう思ったのだろう。

逃がすな、と怒号が飛び交う。



一斉に、周囲の意識が外へ向かった。



外へ飛び出そうとする『私』を握りつぶそうと血走った目が動く。

とたん、真牙は鼻で笑った。




軽く、片手を地面に添え―――――直後、身軽に反転。即ち。




屋敷に向き直る。同時に、幾人かの足を刈った。

誰もが外塀へ駆け出そうとする最中、複数がもんどりうって倒れこむ。


彼等を後ろに残し、真牙は素知らぬ顔で屋敷へ飛び込んだ。


私はと言えば。

自分の動きだというのに、起こった後で、こうなったのだろう、と想像するので手一杯だ。



真牙の行動は、あまりに速く、あまりに大胆。



追手の気配を尻目に、真牙は低く呟いた。

「見ているな、チビ亀」

そして、一方的に命令。


「貴様の責任だ。乾かせ」


そうだ、私は全身濡れそぼっている。

こんな格好で室内を駆けては、どうあっても痕が残る。

なにより、動きにくい。…はず、だが。

階段を駆け上る足に、乱れも遅れもなかった。


それなりに鍛えているつもりだが、私ならこの状況はあり得ない。


言葉もなく、私は状況を見守る。




―――――…よもや、真牙さま、…。




頭のん片隅で、あの巨大な亀が、絶句した。直後。


ぶわっと乾いた熱風が、顔面に吹き付けた。

と感じた時には、袖が軽やかに翻っている。


本当に、乾かしてくれたようだ。


その後廊下をしばし駆け、角を曲がった。

迷わず、すぐそばの障子を押し開く。


中の様子を探ることもなく、室内に滑り込む。

幸い、中は無人。


音もなく障子を後ろ手に閉め、堂々と室内を横切る。


それにしても、奇妙だ。

真牙に身体を任せながら、私は視野に映る光景に首を傾げる。


屋敷の様子、廊下の雰囲気、室内の光景に至るまで、…盗賊の拠点というには清潔すぎる気がした。


あくまで、普通、と言うのか。荒んだ気配はない。

世間から隠れるような地味な感じを除けば、まっとうなお大尽のお屋敷、といった気がする。


「そうだな」

私の思考がどこまで読み取れるものなのか。

真牙は私の思考に応じて呟き、平然と箪笥の抽斗を開けた。


中には仕立ても布地もいい着物が、きちんとたたまれておしまいされている。

その中から適当な羽織りを引っ張り出し、

「上物だな」

真牙は鼻を鳴らした。すぐ、私に語りかける。



「なに、話は簡単だ。先日、あの若君らが話していただろう」



―――――血判状。思うそばから、真牙が頷く。




「血判状に名を連ねるのは、盗賊どもから見逃してもらうために、声を掛けられ、事前に安全を金で買った後ろ暗い連中の名だ」




言いつつ、真牙は羽織りに袖を通した。男ものだ。

私が着ると、ひどく不格好になる。

真牙が気にした様子はない。



「そのうちの誰かが、屋敷のひとつを貸し出しているのだろうさ」



真牙はさらに別の抽斗から、襟巻を二つほど引っ張り出した。

丁度いいと言いたげに頷く。


次いで、それで顔の下半分をぐるぐる巻きにした。


結果、私の鼻先から下が、すっぽり覆われる。

ひとつ余った方を、適当にたたみ、腕の調子を見るように振り回した。


たまらず尋ねる。



―――――なにをしているんですか。



「決まっている」

真牙はさらに、箪笥の上に伏せてあった手鏡を手に持ち、覗き込む。



「顔や容姿をはっきり見せるわけにはいかんからな」



私は唖然とした。その通りだ。

考えつかなかったが、確かに盗賊に面が割れるのは嫌だ。

真牙の手で出来上がったのは、奇異な出で立ち。


これなら、着物の柄も咄嗟には記憶に残らない。


かと言って、人様のものを…とも思う。

が、すぐさま私は自分の安全を優先することにした。

「ほお」

鏡を覗き込んだ真牙が、少し驚いたような声を上げた。



「見ろ、目の色が違う」



え。

同じものを見ていたはずだが、声をかけられるまで気付かなかった。

なるほど、目の色が―――――青い。



真牙の色だ。


「俺の色、か」



感情のない声で呟き、真牙は薄く笑った。

「コレは見せた方がいいな。…では」

不意に、全身に力がこもる。


「行くぞ」


真牙が、畳を蹴った。


助走もなしに、天井に近い場所まで身体が舞いあがる。

同時に。



―――――障子が外から踏み倒された。



踏み込んできたのは、二人の男。

惑ったように、左右を見回す彼等の頭上。


『私』の身体が、しなやかに飛び越える。


彼等の背後に着地する、寸前。

『私』の両腕が、鋭く撓った。

手にしていたのは、先ほど箪笥から拝借し余った襟巻―――――それが生き物のように宙をうねる。


直後、男二人の首に絡み付いた。



「がっ」



首を締め上げられた男二人が、短い声を上げる。

ひゅ、と喉が鳴った。もがく。


真牙は、木の枝でもまとめるように、首をひとまとめにして、いっきに―――――。




…待って!




思わず制止の声を上げたのは、男二人の首がたったこれだけで簡単に折れることを手応えで察したからだ。


畳の上、布を指に絡め、ごく冷静に手首を翻そうとしていた真牙は、寸前で止まる。

「なんだ」

温度のない声。怖い。でも、譲れない。

これは、私の身体。主導権は、…責任は、私にある。






―――――私は、殺したくありません。


「殺すべきだ」






容赦ない、即答。私は驚いた。


真牙には、なんの迷いもなかったからだ。

彼は確信している。否、確信、というのも、何か間違っている気がした。



あるべきものがあるように、獣が食料を得るために獲物を狩る時のように、本当に、ただ当然のことをしているだけ、そんな感覚がある。



そのまま真牙が手を引き切ろうとした、直前。

私はどうにか割り込んだ。







―――――私の身体に人殺しをさせるつもりですか。







不意に、真牙は動きを止めた。


とたん、泡を吹いていた男二人の身体が、操り人形のようにその場に崩れ落ちる。

「…くくっ、なるほどな」

真牙は喉の奥で笑った。


未練なく、鮮やかに男二人をくびり殺そうとした布を投げ捨てる。


代わりに、倒れた二人からめぼしい武器を奪った。


「それでいい。手綱はしっかり握っていろ」

手にしたのは、匕首だ。




「では娘、いかにしたい?」




真牙の問いは簡潔だ。


聞かれて、思い出す。







そうだ、彼を呼び起こしたのは私。








状況と、彼の存在感の大きさに臆す心を押し隠し、毅然と告げる。




―――――ここから逃げます。




気になることは多かったが、生きて戻ることが先決だ。

「承知」

真牙は颯爽と廊下に出る。そのとき。






「触んじゃないよ!」






威勢のいい声が横面に飛んできた。


面食らったのは私ばかりではない。真牙もだ。

肉を打つ音が響いた。

同時に、すばやく身を翻した少女の姿が私の目に映る。


その声と姿に、私は唖然となる。


場違いな、輝くような生命力に、圧倒されるほど華やかな雰囲気。

高い位置で束ねた癖のある赤い髪が、印象強く視界で跳ねる。


なんと、知り合いだ。



「この女…っ」



だが、呆然としている間はなかった。

彼女は、どうやら、そばにいた男を引っ叩いたらしい。


この屋敷にいる他の人間はすべて盗賊と見ていい。


商人の彼女がなぜこんなところにいるかは知らないが、このままでは。

引っ叩かれた男が少女の背に手を伸ばす。髪を引っ掴んだ。


彼女が苦悶の声を上げる。




「ふむ」




そのときには、真牙は男の背に肉薄していた。

軽く廊下の床を蹴った、と思った時には、






「醜い行為だ」


――――ガツッ、と匕首の柄尻が男の首筋を強かに打ちつけていた。






ぐるり、男が白眼を剥く。その場で膝から崩れ落ちた。

拍子に手から力が抜け、髪を掴まれていた少女が、前につんのめる。

どうにか体勢を整えた彼女は、素早く振りむいた。


真牙はと言えば。



「お前も逃げろ」



少女の真横を冷静にすり抜ける。

廊下を疾走―――――外へ向かった。


「え、あ?」

間の抜けた声を上げた彼女―――――昨日出会った赤茶の髪の娘、蛍は私の姿を追って、顔を動かした。


なぜ彼女がここにいるのか知らないが、盗賊たちと友好的な関係ではないだろう。


事情を知りたい気もするが、長居は無用。

立ち去ろうとする真牙の判断は正しい。だが、


「ぎゃ」

強制的に黙らされたような悲鳴が、通り過ぎる真横の部屋から聴こえた。

直後、真牙は前方へ身を投げ出している。


追って、戸板を押し倒す格好で、男の身体が廊下へもんどりうって転がり出た。


獣のように身を低くして、それを確認した私の目に、獲物をしとめる猛禽の勢いで、室内から飛び出してきた痩躯が映った。

ぶぅん、低く唸ったのは、長い槍。

脳裏に蘇ったのは、それに射抜かれた記憶。

すぐ、気付いた。




―――――虎一の、槍だ。




なぜ、彼までこんな場所に。


思う間にも、容赦なく、槍が。


盗賊らしき男の背中を斜めに斬り上げた。

だが、相手もさる者、声は上がらない。どころか、…反転。


追う虎一と向き直った。

虎一が姿勢を整える間を与えず、



「いいぜぇ?」



腰だめにした短刀を彼の腹へ突きこんだ。とはいえ。

「遅ぇよ」

虎一の槍は、大きさを度外視した速さで動く。

いつ槍が手元に引き戻されたのか、私にはよく見えなかった。しかし。

「が」




男の短い断末魔の声と共に、血濡れた槍の穂先が、男の背から突き出ているのは現実だった。




「けっ、つまんね」


吐き捨て、確実に心臓を貫いた槍を、男の身体を蹴って乱暴に引き抜いた虎一の横顔に、

「こら!」




駆けてきた蛍がぴょんと飛んでぽかりと拳を入れる。




「痛ってぇ! んだよ!」


「こんな派手に暴れてどうすんだ! あたしらの目的は血判状だろ、忘れたのっ?」

暴れるのが目的ではないと言いたかったのだろう。


が、大声でそもそもの目的を叫ぶのも問題だ。


「…そうか」

真牙が、私の唇を使って呟いた。




「血判状をな」




虎一が、刃物じみた視線で、私を見下ろす。


私は、息が詰まったように感じた。真牙は、平然と見返したが。

とたん、


「すぐ好戦的になるな、役立たず!」

蛍が今度は彼の脛を蹴った。虎一は、声なく悶絶。



「あんたが血に夢中になってる間に、そのひとはあたしを助けてくれたの!」



忌々しげに顔を歪め、虎一は蛍を睨み下ろす。

「顔も見せねえ怪しいヤツをなんで信じられるっ!?」



こればかりは、虎一が正論だ。



おまけに今の私は、抜き身の刃を握りしめている。

無害とは言えない。

ハッと蛍は鼻で笑った。堂々と胸を張って清々しいほど明快に言い切る。




「勘だ!」




虎一が心底うんざりした顔になった。

「こんなのが真珠通り取締役の後継に内定してるなんて詐欺だろ…」


「存在自体が間違いなあんたに言われたくないね」



二人はいっとき「ああん?」額を突き合わせて睨み合った。不穏だ。とはいえ。



いっきに場が明るくなった気がする。

蛍の屈託なさのせいだろう。それにしても。



―――――二人とも、私が凛だとは気付いていないようだ。



今、私の身体を動かしているのは、真牙だ。

雰囲気も違えば、瞳の色も違う。

わからないのは当然の気もするが、不思議な気分だ。


なんにしろ、油断は禁物だが。


「お前たちが何者かは知らないが」

真牙は抑揚のない声で、ぬけぬけと二人の横顔に言い放ち、冷静に続けた。

「俺は去る。ではな」

確かに、今ここで彼等に関わる理由はない。

早々に立ち去るに限る。が。


「――――いたぞ!」


叫ぶ声。連なる、複数の足音。

背を叩く盗賊たちの怒声に、真牙は無言で駆け出した。


二人を置き去りに。




「なんの騒ぎだよ、こりゃぁ!」




にも関わらず、二人は私を追ってきた。

いや、盗賊たちから逃げるなら、こちらの方向へ行くしかないわけだが。


「地下を使えば、バレずに忍びこめるって言ったのは虎一だろ! 速攻で見つかってるじゃないかっ」


泡を食った蛍の叫びに、虎一が叫び返した。

「ふざけんな、あいつらが追ってんのはこの女だ!」

私の背中を指差す彼を、真牙は鼻で笑う。






「そう言えば、南方には地下窟があったな」







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