第二章(3)
「ここら一帯、皆、死ぬ。お前のせいで…お前以外は」
厳しい口調。同時に、仕方ないな、と許す口調だ。
史郎の表情は静謐だった。
私を責めているとは、思えない。
私は、刹那、混乱した。
今はどういう状況だ。
恐怖に屈している場合ではなかった。
理解しなければならない。
よくない悪いものが今なお進行している。私の手が届かない場所で。
それが、史郎を傷付けようとしていた。
だめだ。それは。絶対に。
私は首を横に振った。
「史郎さま」
「俺のモンに傷が付くのを許した罰だ」
淡々とした物言いに、私の背中が泡立った。
不可視の暴威が、天で渦巻いている。
まさか。北王――――その力が、荒れ狂っているとでも?
小春の言葉が、脳裏によみがえる。今、このときに。
――――御身の言動一つが、災厄の引き鉄となりかねません。
「罰なら、私に」
ようやく絞りだせた言葉は、半ば潰れていた。ほとんど悲鳴だ。
だめだ。足りない。こんな、訴えでは。
せめて、もっと声を張らなければ。
「…罪なら、私に」
直感した。
史郎はこれから起こることを、決して私のせいにはしない。
そんなのって、ない。
口では私を責めている。でもそれすら、形だけ。
責めるのは、優しい言葉をかければ逆に、私が罪悪感を、今以上の罪悪感を抱いてしまうからだ。
止めないと。踏ん張れ。なにか。なにか、ないの。
ない。
なにもない。あるのは、この身一つだけ。いや。
この身ひとつだけ、――――あるなら!
(じゅうぶん、でしょう)
意を決した。
力の入らない膝に、力を込める。立ち上がった。よろける。
なんて頼りない。
我がことながら、つい歯噛みする。
私はなんのために修行をしていたのか。今が一番肝心な時だ。…動いて。動いて!
お願いだから!
「悔いろ」
史郎が、表情を消した。
私は、自分に言い聞かせる。
しっかり、なさい。
胸を張った。真っ直ぐ、史郎を見据える。手足の感覚が鈍い。
一歩、踏み出せたと気付いたのは、二歩目で史郎が顎を引いた時だ。
警戒する獣のように、史郎の全身が緊張を孕んだ。
なぜ。これほど強い人が、こんなに弱い私の何を、警戒するの。
たまに史郎が見せるこの反応が、私には不思議でたまらない。
怯えた子猫を逃がさないような慎重さでゆっくり歩を進め、私はありったけの気力を込めて、言った。
「しっかりなさい」
先ほど、自身に言い聞かせたのとそっくりそのまま、同じ言葉を。
どうか。
アナタは、自分の弱さに負けたりしないで。負けないで。
祈りながら、続ける。
「私が、この程度の怪我で壊れると思っておいでなら、侮辱です」
近付く。近付く――――史郎は、動かない。
ただ、私の肩の傷へ、視線が動く。
見ていられないとばかりに、彼は目を閉じた。
まだ、危機は去っていない。
一瞬でも気を抜けば、周囲はきっと地獄に変わる。
史郎の中の怒りは消えていないから。
それでも。
このまま彼の怒りを抑え込むことは、長い目で見れば、危険だ。短絡だ。
危険を生む原因となる感情を打ち消すことを危険というのは、矛盾しているかもしれない。
だが、経験からして、それは事実だ。
その、屈託を。
ほどかなければ。
溶かさなければ。
何も解決しないのと、同じだ。
史郎の目の前に立つまで、あと一歩。待てず、私は手を伸ばした。
泣きたい気持ちで、囁く。
「お会い、したかった、です」
史郎の内側の葛藤を慮るべきなのに、私は咄嗟に訴えていた。
無事な片手で、史郎の頬に触れる。彼の肩が小さく跳ねた。
まだ、その目は開かない。
史郎の怒りの根は何だろう。
壊すのではなく、少しでもきちんと解けるように、私は史郎の頬を持てる限りのやさしさをもって淡く撫でる。
泣きだしそうな息が、彼の口元からこぼれた。
満月色の目が、瞬く。
ゆっくり、…しっかりと、私の姿を映し出す。
鏡のように純粋に見るモノを映し出す史郎の双眸に見えた私の姿は、みすぼらしかった。
ぼろぼろだ。史郎につり合うところが一つもない。だけど。
その程度の事実、会えた喜びを前にしては、どうだっていい。
「迎えに来て下さって、ありがとうございます」
嬉しいという気持ちができるだけ伝わるように、言葉を丁寧に紡いだ。
それだけで、他の全部、どうでもいい。
史郎は、少し気恥かしげに頷いた。
「おう」
とたん、――――変容は起きた。
怒りが解ける。溶ける。…そして、変わった。
慈悲に。
それは不思議なことではない。
なぜなら、――――怒りと慈悲は、対のものだからだ。
同じ源から溢れ出る、同じ力。そう、本質は同じなのだ。
ゆえに、怒りを抑え込み、否定すれば、慈悲も消えてしまう。
刹那。
天から抑え込むようだった圧力が、ふわり、やさしい春風のように変わった。
あたたかな霧雨めいたものが、頭上から地上へ、さぁ、と降り落ち、風のように吹き抜けていく。
その感覚を、何と言おう。
周囲の空気が、ふぅっとぬくもる。同時に。
鋭い光が天に差し込んだ。
――――夜明けだ。
意識が空へ向く。刹那。
身が傾いだ。
すぐ、史郎の胸の内にくるみ込まれた。
ぽた、と指先までぬるく伝った血が、大地に滴る。
傷が、どくんどくんと大きく脈打った。熱い。
なのに、全身が寒かった。
額にぬくもりが触れる。史郎の唇の感触だ。あやすような。
「凛」
「は、い」
「俺に望むことはねえか」
少し夢見心地のまま、考える。
以前も、同じことを訊かれた。
望むことと言われても、史郎はいつも先回りして与えてくれるから。
「ありま、せん」
「そうか」
史郎の声は、少し固かった。
私は戸惑ってしまう。どうしよう。動けない。
史郎が壊れモノを扱うように抱き上げてくれる。
私たちが落ち着く頃合いを待っていたように、
「あなたは」
無事だったあばら家の中から、低い声が絞られた。
「…『何』、です?」
夜彦だ。
史郎がそちらを一瞥する。夜彦の質問には答えず、言った。
「妻が世話になった。特にそっちの槍男」
「人外…いや、神格か…!」
虎一が呻く。
槍を支えに立ちあがった。
「どっちも同じだ、滅びろよ」
威勢は精彩を欠いていたが、史郎を前にしても主張が変わらないのは感服する。
史郎の口元が笑んだ。
「凛以外、人間なんざ、石ころと同じだが…」
それは快活というより、陰惨な笑みだ。
「いいだろう、その顔、覚えてやる。栄誉にしな」
「覚える間なんかねえよ」
虎一が不敵に槍を扱く。
「すぐに死、」
虎一の言葉が不自然に途切れた。その首筋に、
「元気なのは結構だけど、大勢が読めないバカは嫌いだよ」
扇が押し付けられている。青柳伯だ。彼も来ていたのか。
宴はどうなっているのだろう。
青柳伯の片手に、首根っこを掴まれた久嵐がいる。
乱暴な扱いだ。
しかし、すぐ不満の声を上げそうな久嵐が何も言わない。
顔が強張っている。
史郎や青柳伯の正体が、彼には頭ではなく本能で理解できているのだろう。
蘇芳は大丈夫だろうか。
視線を巡らせれば、彼は夜彦に庇われるような格好で唖然としていた。
それにホッとするものの、すぐ、心に引っかかったものがある。
夜彦?
子供たちを守るように立っていたのは彼ではなく、確か、
「史郎」
青柳伯が、ゆったりと呼んだ。それに前後して、
――――ィンッ!
鼓膜をつんざく金属音が、夜明けの中で響き渡る。
「ふむ」
「すごいな、受け切りますか」
納得したような史郎の声に、生真面目な響きの声が重なった。
顔を上げれば、史郎が手にした煙管と十字に重なった刀の向こう側に、清孝の顔が見えた。
彼の総身からふっと力が抜けた、と思った時には、清孝は後方へ飛び、距離をとっている。
史郎は手の内で、くるり、煙管を回した。私は目を瞬かせる。
いつもの煙管でなかった。
「失礼した。強そうだったので、つい」
清孝は爽やかに笑う。
『つい』で斬りかかる人物には見えない。
「構いやしねえよ。人間の闘り方は好みだ」
史郎が腕を戻し、私を抱き直す。
「一対一ですべてを賭ける。殺した相手の顔も分からねえ殺し方より、よっぽど健全な殺し合いだと思わねえか」
「大丈夫かい?」
いつの間にか、すい、と横を通り過ぎた青柳伯へ頷き、史郎は場を見渡した。
首根っこを掴まれた久嵐を一瞥する。
「妙なもん拾ったな」
「捨ててくわけにいかないでしょ」
「ふん。で、そっちの女は…、」
ついでのように、唖然としていた柘榴へ目を止めた。
「それは角か?」
「鬼かな」
史郎と青柳伯が、目を見交わす。
彼らの態度は、さして深刻そうでもない。
柘榴を恐れるようでもなかった。
冷静な目で、柘榴を見下ろす。
「だが、血肉を持っているな」
「連れて行こうか」
「騒乱の種だ」
史郎が頷いた。即断。
呆気なく話がまとまる。
「地脈を渡る」
「御意」
青柳伯が扇を開いた。赤い房が躍る。
足元の大地が輝いた。水面に光が反射するように。
春の宴の荒野へ向かった時は、風脈を渡った。
それらがどのようなものかは利用したところで簡単に理解できるものではないが、その時も、淡い光を見ている。
それらによって世界すべては繋がっていると史郎から聞いている。
清孝が、素早く後退した。光の輪から出る。
彼は穏やかに微笑み、剣をおさめた。
「できれば、久嵐――――その子供には、ひどいことはしないで頂きたい」
「余計な世話だ!」
清孝の言葉に反応したのは、久嵐だ。
「おれの村を人外の棲みかだと虐殺した白鷺の侍が…子供は助けるだと? 意味が分からねえ」
射殺さんばかりの久嵐の視線を、清孝は涼しい顔で受け流す。
史郎は何も言わない。
ただ、あばら家を通して、遠くの何かを見る目をした。
「佐倉の私兵が来る。ふん、嗣子がそれほど大事か」
何もかも見透かした表情で、蘇芳を一瞥する。
彼の前で守るように立っている夜彦が、太刀で虎一の行動を制していた。
「ん? いや、その前にこの気配…面倒だな、もう行こう」
史郎が目を伏せる。
ゆるり、青柳伯の扇が舞った。
ぼやける視界の中、夜彦の背後に散歩でもするような気軽さで、新たな人影が現れる。
「おや、無事だね。よかった。恐ろしい気配がしたのに、『死』の気配がないとは」
柔和な言葉に、私の心が一瞬反発した。
『死』はある。人外たちの死が。
ああ、たぶん、この声の主は。
――――人外などどうでもいいのだ。
「長っ? いつこちらへ」
声を上げたのは夜彦だ。
その時にはもう、私たちの身体は地脈を渡る準備に入っている。
不可視の壁ができた向こう側、夜彦の隣に小柄な人物が立った。
細身。片眼鏡。優しそうな顔立ちの、老紳士。
濃紺の襟巻に手をやり、達観したような微笑みを浮かべている。
気のせいだろうか。彼と、目があった。刹那。
彼は驚いたように微かに目を見張る。
まるで、私を知っているかのように、呆然と呟いた。
あるひとの名を。
「澪、さま?」
――――それは、母の名。
そのあとの記憶は、途切れがちで、はっきりしない。
気付けば、私は横になっていた。
意識が戻るたびにいつも史郎の気配が近くにあって、安心してすぐに私は眠りに落ちてしまっていた。
だが、淡くやさしい橙色の光が差し込むそのいっとき、私の意識は安全な巣穴から叩きだされた獣のように、緊張に満ちて覚醒を保っていた。
部屋を視線だけで見渡す。誰もいない。
いったい、何があったのか。
…熱がでていたのだろう。
だるさを誤魔化しつつ、私は起き上がろうとした。
身動いた、そのとき。
「冗談でしょう、起き上がったりしないでよ?」
僕が史郎に怒られる。
微かに開いた障子の向こう、縁側から声が届いた。
ようやく、障子に映る人影に気付く。
「…青柳伯?」
開いた障子の間から、笑んだ口元が見えた。
正直、そこまでしか目が上がらない。
というのか、目を開いているのすら、億劫だ。
「寝ていなさいよ。僕がきっちりお留守番してあげる」
「春の、宴、は」
「形代を作って置いてきたから、大丈夫。大概はソレでしのげるんだ、実はね」
青柳伯が、優しい声でくすくす笑う。
「ほとんどの連中は気付かないし、ある程度は戦えちゃう。サボり放題。僕はともかく、史郎はこの手を嫌うんだけどねぇ…今回ばっかりは、進んでやっちゃったよ。
西方が気になっていたとはいえ、思い切りがいいよ、ほんと」
史郎が思い切った原因は、もしかして、私だろうか。
だとしたら、申し訳ない話だ。
だが、謝らせてはくれないのだろう。史郎は自分で選択したのだ。
優しい風が、吹き込んでくる。
その、合間に。
「で?」
青柳伯が、幼子の頭を撫でるような声で尋ねた。
「玄丸に、何を聞いたの」
たちまち、私は得心が行く。
問いの形をとった台詞――――だが、青柳伯は、すべて知っている。
訊きたいことはないのか。彼は、言外にそう言っていた。
「彼は、言いました」
横になったまま話すのは、好みではない。
姿勢の通り、寝そべった声になるから。
できればきちんと正座をして――――だが、この場合は仕方がなかった。
「人間と人外の間にできる子は、総じて異形だと」
出来得る限り、しっかりした声で、私は言葉を紡ぐ。
「真実ですか」
「うん」
青柳伯は、けろりと答えた。容赦がない。
「その代わり、皆強い」
他の何を置いても、それこそが、人外にとって無二の価値ということだろうか。
「事実だよ、僕の奥さんたちに聞いてごらん」
どう返事をしたものか、分からなかった。
「それで? どうするの、凛ちゃんは」
青柳伯に、いつもの意地の悪さは感じられない。
試しているようでもなかった。
訊きながら、言外に、答えなら聴かなくても知っているよ、と言われている気がする。
「子供が異形だったら? 最悪、鬼だったら」
考えるまでもなかった。
即答する。
「愛する以外の、何ができるでしょう」
だよねえ、と青柳伯は笑う。
「昔、真牙ってヤツもそう言った」
「…シン、ガ?」
誰のことだろう。名前、と思うけれど。
だが今は、追及する余裕はない。
思考すら、意識する端から解けていく。
「さっきの話だけどさ、玄丸の言葉は、少し、嘘だね。『総じて』異形ってところ。例外もあるんだよねえ、これが。ま、その辺りは史郎に聞きなよ」
何でもないように、青柳伯は言葉を続けた。
「でも、異形だとして、だから何? 愛してるよ。幸せだよ? ねえ」
彼の声は、子守唄じみた優しさに満ちている。
「ただ、言っとくよ。人間と人外の恋には、悲劇しかない。少なくとも僕は、それしか経験しなかったし、話を聞いても無残だね」
青柳伯の声にこもるのは、悲しみではない。達観だ。
「大体、そんなことの前にさ。凛ちゃんが遭遇する大問題があるんだけど」
熱のせいか、感情の動きが鈍かった。
青柳伯の言葉が、どこか遠いところで響く。
他人事のように。
「…人間、やめる?」
え?
「そのままでいる?」
なんの、こと。
「どうする?」
意味を考えることができない。
青柳伯の言葉だけが、車輪のように空回る。
彼は言葉を補足した。奇妙に、念入りに。
遠回りに。
「ほら、僕の奥さんたちは八人、人外になったけど」
なにもない思考の中、すとん、と理解が落ちてきた。
青柳伯は、人外と契った人間がどうなるかを語っている。
つまり、史郎と本当の夫婦になった時、凛の肉体に何らかの変化があると言うわけだ。
それならそれで構わない。迷いなどなかった。なのに。
「…その道を選ばなかったひともいるよ」
及ぼさない可能性もある、と青柳伯は言った。
青柳伯の妻は、八人。
彼女たち以外にも、彼を夫にと望んだ女性がいたのだろうか。
…いた、のだろう。
彼は先ほど、言ったではないか。
人間と人外の恋には、悲劇しかない、と。
だがもう、何も思考できそうになかった。口も開けない。
ただ、かなしくなった。青柳伯の過去を想って。
「ああ、もう」
気配から私の感情を感じ取ったのだろう。
青柳伯は投げやりに言った。
「君が抱くべきは、僕への同情じゃない。恐れだ。そして恐れるなら、自分の未来を恐れなよ。嫌だな、これだから、澪の血統は」
澪。母を、知っているのだろうか。彼は。
どこまで? …何を?
いつも知らない風に言うけれど、それは嘘なのか。
青柳伯は諦めたようにひとりごちる。
「君そっくりだ、真牙」
シンガ。
また、その名。
先ほどは違和感しかなかった名の響きが、空っぽになった私の意識をすぅっと落ちる。
深く、深く、一瞬で沈んで行った。
その、果てから。
響き返った意識がある。
『彼』は、億劫で開けなかった私の唇を容易く割った。
「そうだな」
冷静で、力強い声。臆病な私とは、全然違う。なのに。
別人、という感覚はまったくない。
その存在もまた、私だった。
遠くにいるようで、すぐ近くに感じる。
『彼』だけではない。幾人も。
――――私の中に、いた。皆、『私』だ。
だが、繋がった、と思った糸は、すぐにぼろぼろ崩れていく。
残ったのは、『私』だけ。
とたん。
青柳伯が、息を呑んだのが分かった。
「ウソでしょ」
乱暴に、障子が開いた。
顔を覗き込む気配がある。
私はもう、意識を保っていられなかった。
眠りの誘いに逆らえない。
「聴いて、凛ちゃん。その男の気配は、今後絶対、表に出しちゃいけないよ」
青柳伯の囁きは、異様なほど切羽詰まっていた。
「いいかい、澪の血統と言うだけでも、人外にとってキミの存在は罪なんだ」
賢い君ならわかってくれるね、と苦しげに彼は告げる。
「彼は遠い昔、人外の――――王の心臓を、刃で貫いた男だ」
―――――心臓に、牙を立てろ!
誰のものとも取れない怒号が、私の胸の奥で、わん、と反響した。
むごいような切なさが、胸をかきむしる。
酷なほどの痛みから、それでも逃げられない。
苦しみに胸を喘がせた時、頬を、温もりが包み込んだ。
史郎だ。なぜか、確信を持った。
目も開けられないのに。
惑乱が静まる。悲しみが、落ち着いた。
何事もなかったように。
そして、ようやく。
身体のこわばりが、嘘のように溶けて。
――――訪れる、やさしい眠り。