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霊笛  作者: 野中
霊笛・第二部
14/72

第一章(1)

「なんだぁ?」


隣にいた史郎が、心底怠そうに呟いた。

「あいつら」

荒野を見渡し、盛大に舌打ちをこぼす。



「来るのが早すぎだ」



史郎は空を見上げた。

夜明け前だ。まだ薄暗い。

隣に寄り添い、私ははるかに広がる荒野を見遣った。


今日は、宴の初日だ。


既に集結しつつある人外たちが、端々で小競り合いをしながら、基本はのんびりと、荒野で座りこんだり徘徊したりしている。なのに。

ここにはなにもない。あると言えば、巨大な空間だけ。

空っぽの。


これから華やかな宴が始まる場所とはとても思えなかった。


私は首を傾げる。

今日から三日、春の宴だと言って史郎に連れてきてもらったが、宴は野で行うのだろうか。

冬の儀式の立派さを思えば、舞台が荒野とは心許ない。

が、見方を変えれば、それはそれで趣がある。


後ろで赤い房がついた扇を優美な指先で弄んでいた青柳伯が、やさしげに微笑んだ。

青とも銀ともつかない長い髪を、彼は珍しくひとつに束ねている。

「宴が楽しみなんだよ、皆」

「他人事のように仰せだが、オレたちもだろう」

脇にあった巨大な岩にひょいと飛び乗り、生真面目に言ったのは、覇槍公・征司だ。

彼は、眼の上に手で庇を作り、荒野を見渡した。


私は不思議な気分で、三人を見遣った。

北方の人外の代表と言えばこの三者と聞く。

穂鷹山の邸を訪れた人外の幾人かが口を揃えて言ったから、事実だと思う。


よく言われる霊力の高さは、自分のものも他人のものも、私には測れない。

だが彼らが、強者であることは確かなのだろう。


今日は、史郎を含め、三人全員軍装だ。


軍装と言っても、鎧でも着物でもない。

身体の線に沿うように作られながらも、動きやすさを緻密に計算された衣服だ。

お伽噺に聞いた異国の衣装を思わせる。

男性の身体をどうすればもっとも魅力的に見せられるか、という一点に対する異様な執着をも感じた。

色彩は、鮮やかな青。視界の中、ひどく映えた。

この三者が身につけ、並び立つと圧倒される。


眼福だが、史郎に関して言えば、普段の着崩した格好より、襟まできっちり締めた軍装の方が直視できないと言うのも、おかしな話だ。


そのうちの一名――――五千年の刻を生きていると噂の青柳伯が、私の顔を覗き込む。

いつもながら、ちょっとした動きがやけに雅だ。

つい感心してしまう。

「元から強かったけど、凛ちゃんの霊力は怖いくらい磨かれたよね。巫女の資質があるのかな? これだと普通、人間は壊れるよ」


それにしたって、近い。


私は史郎へ身を寄せ、袖を掴んだ。

被衣の端を別の手で鼻先まで引っ張る。


小春謹製の被衣は不思議なつくりで、私から周囲はよく見えるが、外から見れば、被衣に覆われている部分は見えなくなるらしい。

うっとりするほど滑らかな手触りで、身体の線によく沿う。

丁寧に刺繍された純白の花模様が清楚だ。


青柳伯が楽しそうに笑った。

「僕からも隠れようとしなくなっていいじゃない。それ、小春ちゃんのお手製? 似合ってるよ。おめかししてるんでしょ。髪飾りの音がする。ねえ、せっかくだから見せてよ」

見たいな、という声は甘いのに、私は緊張する。

どんなに優しげでも、このひとは怖い。

つい、身構える。

「青柳伯」

退屈そうに史郎は言った。




「痛みは好きか」




口調はともかく、顔が本気だ。


「怒らないでよ」


史郎の怒りを冷ますように、私から離れた青柳伯は、そより、と扇で彼を扇いだ。

史郎は舌打ちした。

「八人もいる奥はどうした」

「あとから来るよ? 君の眷属たちもそうだろ?」

「どちらにせよ」

険悪な史郎と青柳伯の雰囲気を丸無視で、征司が口を挟む。


「史郎殿も凛殿も霊力を少し抑えられよ。過剰は歪みを生む。史郎殿は殺戮を、凛殿は――――」


半端に言葉を切って、征司が私を一瞥した。

「失敬。怖がらせようとしているわけではない」

自重した言葉はなんだったのか。



「ただ、きっと爺様たちが小言を言うぞ、均衡を欠く、とな。連中はしつこい。心しておくといい」



ひょろっとのっぽな、剽悍な狼を連想させる彼は、カラリと笑う。爽やかだ。

史郎の眉がうるさそうにしかめられる。

唸る声の不機嫌さは、いつもの倍だ。

「三百程度の若造が説教か。その歳から爺になってどうする」


三百歳の征司を若造扱いの史郎は千歳だ。

その時間の重さは、二十年も生きていない私では想像も及ばない。

征司の反応は待たず、史郎は私を見下ろした。




「凛、これから宴の場を『創る』ぞ」


つくる。




言葉の響きが、少し違う。

設営はこれから、という意味だろうか。

私はしずかに頷いた。

「お手伝いいたします」


史郎の顔から、一瞬皮肉が消える。

垣間見せた嬉しそうな顔は、子供のように手放しで無防備だ。

「そう来ねえとな」

同時に、ことん、と胸の中に自然と言葉が落ちてくる。

(好きだな)

気持ちごと攫うように、史郎が手を取った。


「こっちだ」

遊びに誘う態度で、手を引かれる。

大きな背中が、ずんずん先へ進みはじめた。私は懸命に後を追う。

「ん、いや、こっちか?」

いきなり、史郎が方向転換――――歩くのに必死過ぎた私はついていけない。


足がもつれた。


「あ」

転びそうになった私の肩を、

「すまん、速いか」

史郎が支えてくれる。

首を横に振ろうとして、私は思いとどまった。


本音では、ついていけますと言いたい。


だが、できないから転びそうになって、史郎に手間をかけたのが現状だ。

頑張りが足りないのか。

ここが、自分の限界なのか。


見極めが私にはまだ難しい。



限界を自覚するのは厳しいが、きちんと把握していないと周りにもっと迷惑をかける。



申し訳ない気分で、史郎を見上げた。

「…お手間でなければ、もう少しゆっくり歩いて頂けると、助かります」

息が上がっているのを隠せない。

なかなかとじられない口元を、なんとなく掴んだ被衣で隠した。


「手間とは思わん。早く進みたいなら、抱えていくまでだ」


史郎は常に明瞭だ。

幸か不幸か彼には今、足手まといを置いていく選択肢はないらしい。

私はその一点に、心から安堵する。


史郎は悩むように沈黙した。一瞬だけ。

たぶん、このまま歩くか抱えるかを考えていたに違いない。

彼はすぐ、踵を返した。

先を行く歩調は、先ほどよりゆっくりだ。

私は、斜め後ろをついて歩いていく。


途中、隣、とぶっきらぼうに言われた。



おそるおそる横に並ぶ。とたん、息だけで笑った気配が頭上に落ちてきた。



本当は下がりたいが、これでは引っ込めない。


周囲から、視線を感じた。

他の人外たちが、史郎たちに気付く。いや、とうに気付いてはいたのだろう。

気付かないふりをしていただけだ。


史郎が動くことで、さわさわと囁きがさざ波のように広がった。

基本的に、注目されているのは史郎たちだ。私はオマケ。

以前、穂鷹山で感じていた、食欲に似た噛みつかんばかりの意思も感じるが、今は好奇心が強いように思える。

史郎は、何かを探すように周りを見渡した。

彼を見上げ、尋ねる。

「誰かをお捜しですか」

できることがあるなら、手伝いたい。


「探してんのは『誰か』じゃねえよ。…よし、見つけた」




…なんというのか、何事も手伝いを必要としない史郎の万能さが、時につらい。




誘われたその一角には、岩がなかった。

地面は乾いて固い。

土だけがある。

史郎は無造作にその上に立った。


ふわり、軍装の裾が翻る。


一度軽く踵でそこを蹴った。何を確認したか、頷く。

「これだ。ここを探していた。さ、来い」

引き寄せられた。私は史郎の前に立つ。


向き合った史郎が尋ねてきた。




「そもそも、宴の場所を決めるのは誰だと思う?」




私は目を瞬かせた。

わざわざ聞いてくるからには、重要なことなのだろう。


位階持ちの方々が相談して決められるのだろうか。


それとも、各地の代表者がいくつか候補を上げての多数決?


いや、もっとも力を持つ者――――王が問答無用で決するのか。



どれもが正解のようで、間違っている気がした。



なにせ、人外という生き物は、私が知る者たちだけでも、自由すぎる。

たとえ引き換えが己の命であっても、彼等は自身の想いを貫くだろう。



彼等の行動に強制力をもって作用できるモノなど、見当もつかない。



困惑する私を見下ろし、史郎はニッと笑う。





「大地さ」





答えられなかった私に、彼は満足そうに告げた。

私はなんとなく、足元を見下ろす。

だからと言って、いきなり地面が喋り出すわけでもない。

私の態度にか、史郎は楽しげに続けた。

「たとえば…そうだな。俺の本性は龍だろう。どうして、その形に成ると思う」


考えたこともない。

史郎は私の身体をくるりと回し、向こうへ向かせる。

とたん、私の目にぞろぞろ集まってくる人外たちの姿が映った。

緊張した私の肩を軽く叩き、史郎は子供でもあやすように言う。


「王とは、直にその地の力を享ける者――――即ち、俺が龍と成るのは、北方の大地がその形の波動を放っているからに他ならない。同じように、」

人外たちがこちらに集まってくるのは、宴の始まりを予感してのことだろう。


「東は天馬」


私は東を見遣った。

遠い山の端を、太陽の曙光が縁取っている。


「西は白狼」


西はまだ暗い。先ほどまで、月が見えていた。


「南は火鳥」


南の空は、薄明るくなりはじめている。

みるみる闇が払われ、夜が開けてくる。


ぐるり、見渡した刹那。



三方から、一瞬、強い風が吹きつけてきた。



違う。風は吹いていない。凪いでいる。

誰の衣服もなびいていなかった。

なのに、分かる。

遠くから、波が打ち寄せるように巨大な何かが迫る感覚があった。


何かが、近付いている。やがて姿を現すだろうが、目を凝らしてもまだ見えない。


それがなんなのか、今なら、分かる。

まだ見ぬ、人外たちの気配だ。


「まだ、それらの王が現れる兆しはない。…だからな」

不意に、史郎の声がうんざりと沈んだ。



「四季の<祝祭>。それらの開会の音頭を取る役目はこの千年、毎回俺に回ってくる。天地が王の宣言を望んでるからだ」



史郎の説明を、はっきりと理解できたわけではない。

だが、言葉を交わさなくとも、人外たちには理解できるのだろう。

天地が何を望むのか。ゆえに。

春の宴をこの場所で、と導く大地の意思に従い、人外たちは迷うことなくこの地にやってきた。

「ここが扉だ」


いくら耳を澄ませても、目を凝らしても、私には何も分からない。

天地が望むと言われても。

ここが扉と言われても。

だがそんなことは、史郎の言葉を疑う理由にはならなかった。




「開ける。手伝え」


何をすべきかすら、分からない。だが、私は迷わなかった。


「はい」




よし、と史郎は強く頷く。

腰に佩いていた刀を鞘ごと引き抜いた。

軍装になった時から気になっていたが、彼が刀を身に帯びるとは珍しい。


なにも持たずとも、史郎自身が純粋な『力』だ。

つまりこの刀は、武器として手に取られたわけではないのではないか。


奇怪な気迫を怒涛のように総身から放っている刀で、私は少し怖かった。

背後から、私を囲うように史郎の腕が伸びる。

史郎は両掌の上へ、刀を乗せた。

天への捧げもののようにも見えたが、恭しいのは所作のみで、背後にいる史郎の気配はいつもと変わらない。

とことん、不遜だ。


「凛、景気付けだ」

口調が変わる。

皮肉や嘲笑が抜けおち、自然と背筋が伸びる厳格なものへ。

背に、史郎の身体の感触がある。

左右には、腕の囲い。ここなら安全だ。


人外たちの注目を感じても、ちっとも怖くなかった。


とたん、従う以外の選択肢を力づくで排除する、ほとんど暴力的な命令が下る。






「奏でろ」






静かというのに、ずしん、と腹の底までくる声だ。


恐怖などない。どころか。

私の胸は、淡く昂揚した。

史郎が霊笛を欲している。



他の誰でもない『私』の音を、だ。



わずかに残っていた緊張すら、すっかり消えうせた。

従順に頷く。帯に挟んでいた笛を取り出した。

私にとって、これは服従ではない。解放だ。


どの曲がよいだろうか。あれがいいか。これがいいか。考える時間も惜しい。

背には史郎。頭上には、夜明け前の天蓋。荒野には、人外の群れ。

霊笛を意識していると、それら現実が、ふと遠くなる。

否、それらを考えるときに、私自身の感情が混ざらなくなってくる、と言った方が正しいだろうか。

目を閉じた。

霊笛に、指を這わせる。そぅっと唇で触れた。


これから、何がはじまる?




――――宴だ。




私には、未知のもの。不安も期待も同等にある。けれどそこに史郎がいるなら。


私にはそこが楽園だ。


曲などどうでもいい。音に形を与えるなら、この気持ち一つあれば足りた。





刹那、初めの音が天を衝いた。





少し難しいとすれば、それだけだ。

風に乗って旅をする蝶が、上昇気流を捕まえる、そういった繊細な作業。


ただし、風に乗ってしまえばこちらのもの。


あらかじめ用意されていると感じる流れに寄り添う形で、私は音を追う。











月丸に預かったこの霊笛に、私は豊音と名をつけた。


その名の通り、豊音から創りだせない音はないのではないかとすら、時に思う。

溢れて満ちる音の洪水に、私は溺れる。一体となる。


…月丸とは、史郎の幼名だ。

夢か幻か、私は幼い頃の史郎に出会ったことがある。私自身、信じ難い体験だった。


が、手元にある豊音の存在が、夢ではないと教えてくれる。

史郎は、幼い頃に出会った娘が私だと、未だ知らない。

とはいえ、わざわざ伝えることでもなかった。

過去に未練はない。




大切なのは、この瞬間。今。ここ。共に過ごせる時間だ。












音に寄り添った私の意識が、肉体を突き抜ける。

境界など知らぬように広がっていく。

同時に、周りの気配を繊細な部分まで把握できるようになった。

息遣い。熱。波動。鼓動。――――あふれる霊気。


感覚が霊気を掴んだ刹那、どっと意識をかっさらわれた。

背後に立つ、史郎の気配に。



果て知らずの、濃密な霊力。



組み伏せられる格好で、奉仕を強要される。

いや、もっと深いところからは、遠慮を感じた。わずかな、恐怖も。

こんなに強いヒトが、どうして。

思う端から、史郎の中から答えが返る。


――――壊さないか?


つい、私は笑いだしそうになる。

私に逆らう気はない。むしろ協力したいのだ。

望んで従う。心から。

私は全力で、彼になじむ。

史郎だって、知っているはずだ。

相手に合わせ、溶け込めば、闘いは生じない。私は壊れない。



――――安心してください。だから。



好きに、私のすべてを使ってほしい。

アナタが必要なだけ、必要なように。


音が、次々色づいていく。史郎の気配がより巨大になる。質量を増す。


不意に、私は気付いた。

史郎の意識は、捧げ持った刀にある、と。なにせ。



そこに、彼の膨大な霊気が降り注いでいる。



感じ取るなり、肝が冷えた。

これでは刀がたまらない。


巨大な隕石の直撃を立て続けに食らっているようなものだ。


それだけ史郎の霊気は強烈だった。

彼は全力でないにしろ、どうにか耐えきっているこの刀は、実は相当の一品ではないのだろうか。

ただの鋼なら、一撃できっとぼろぼろになっている。


意識の端で呆れ半分、把握する最中、もう一点、妙な気配に気付いた。




足元と頭上。…何か、とんでもないものが潜んでいる。




水面を覗き込み、水の中の生物を探るような感覚で、私は意識を凝らした。


だが、見ようと思えば思うほど、それを逃してしまう。

なにより、それだけに集中することは不可能だった。

私は、霊笛の音に酔っている。そのくせ、音に酔う自分を冷静に見ている自分もいた。


史郎の霊気を増幅させる音の色彩が、華やかに乱れ散る。


それらが混じり合えば、最終的に白になる。

時が、近い。直感で、悟る。

(…はじまる)

最初の光が、ちかりときざした刹那。






「…いいぜ」






史郎が、耳元で囁いた。同時に。


百万の太陽が、突如周囲で生じた強烈な眩さに私は目を――――『開いた』。


最後の息が、霊笛を抜ける。

『外』に、あの眩さはなかった。が、目がくらむ。

とたん、肉体の重みを思いだした。倒れそうになる。

咄嗟に、史郎の胸に縋った。


「ははっ!」

史郎の心底楽しげな笑いが弾けた。

間髪入れず、彼は抜刀。

刃の切っ先が光の弧を描く。

その軌跡を誰もが、固唾をのんで見守った。

「すげぇ女もいたもんだ」

耳元で、私にだけ届く、真摯な囁き。

史郎が片手で、私をさらに胸の奥へ引き寄せる。


次いで、怒声に似た声で、周囲を鞭打った。




「宴だ、てめぇら!」




史郎が刀を振りかぶった。

満身の力を込めて、刃を大地に突き立てる。

瞬間。








――――何かが、開いた。








音がしたわけではない。

ただ、竜巻にでも吹きくるまれたような乱暴な感覚があった。

実際には、風は息を潜めるように止まったのに。


わっと万雷の拍手、歓声が沸き起こる。あまりの大きさに、頭が割れそうになる。



音が大きいと感じる理由は、寸前まで、痛いくらいの静寂があったからだ。



隠れるように、史郎に身を押しつける。

霊笛を胸に抱きしめた。

ぎゅっと目を閉じる。


きっと、わずかの間、五感が狂っていた。




「凛」




すぐ、尊大な呼びかけが聴こえ、私は小さく息をつく。

史郎の腕が、軽く私の背を揺すった。

「もういいぞ。俺が必要な通りに、すべて、――――成った」


え?


私はおそるおそる、目を開ける。

怖いような気分で、史郎の腕の中から周囲を見渡した。

とたん、呆気に取られる。


びっくりしすぎて、声もない。

私は、広間にいた。

真新しい畳のにおいが鼻をつく。

見も知らない場所だ。

別の場所に移動したのかと思ったが、史郎の様子からして、どうもそうではない。


では、先程の荒野だと言うのだろうか、ここが。にわかには信じ難く、私は周りを見渡した。


精密な欄干。豪華な襖。

唖然と見遣った磨き抜かれた廊下から、いきなり、わらわらと兎頭のちいさな人外が複数駆け込んでくる。

彼等は、屏風を倒しながらぴょんぴょん陽気に広い部屋の四隅に散った。

どういう仕組みか、彼らが部屋の隅に到達する寸前、その場に巨大な太鼓が現れる。


寸前までは、なにもなかったはずだ。

あると知っていたように、ちいさな人外たちは太鼓に飛び付いた。刹那。




どどん、どーん、どどん、どんっ。




なにかの合図のように、太鼓が打ち鳴らされる。合間に踊る、撥の音。

てんでばらばらに動いているのに、まるでずっと昔から打ち合わせしていたように面白おかしく重なる拍子。

直後、遠くで、近くで、一斉に何かが動く気配があった。

史郎が告げる。


まるで、声ひとつですべてを動かすように。




「宴のはじまりだ」




兎頭の一体が、楽しげに声を張った。


「北王さまの、おなーりー!」


今告げるのでは遅いのではないか、とも思ったが、少しぐらいズレたとしても、楽しいのが一番だ。

声の陽気さに、つい微笑んだ。直後、



「ならびに、霊笛の君の、おなーりーっ」



別の声が高らかに宣言した。

私は回りを見渡す。すぐ、気付いた。

あ、私のことだ。

少し面食らう。その呼ばれ方は初めてだ。


手の中の霊笛を意識した。

史郎が私の肩を軽く叩き、周囲を見渡す。



「おう、大儀」



続く太鼓の音。次から次へ、読み上げられる名。

いつの間にか、続々と室内に人外が集まり始めている。

「やぁ、史郎、凛ちゃん、お疲れ」

なんでもないようにひらひら手を振って近付いてきたのは、青柳伯だ。

雅な顔立ちに、苦笑が浮かぶ。


「って言っても、気配に消耗が見えないよね。いやになるね、この化け物っぷり」

「冬の舞台にも、静謐な中に底知れない力強さを感じたが」

槍を手にした覇槍公・征司が青柳伯の後ろに続きながら室内を見渡した。

「このたびの『城』も圧倒されるな。そもそも、何部屋あるのだ」


城?

首を傾げる。

青柳伯が口元を扇で隠し、私に向かって、目だけで微笑んだ。



「この場に人外を招くのは大地で、宴の準備はそれらが整えるんだけどね、形を与えるのは王なんだ。王の力が不足だとろくなものができないけど、…分かるでしょ?」



私は曖昧に頷いた。

正確な意味は正直、理解できないが、感覚としてなら分かる気がする。

被衣の端をちょいと引っ張り、史郎が私の顔を覗き込んできた。

「凛の霊笛の補助があるおかげだな。もっとでかくした方が正直、楽なんだが、さすがに抑えた。でかけりゃいいってもんでもないしな」

「ああでも」

青柳伯が、さらりと問題を口にする。



「君ら、まだ夫婦になってないよね。ばからしくなるくらい一体感あるけど、…うーん、やっぱり『まだ』だよね?」



最初は何を言われているのか、分からなかった。

繊細な問題を口にしているにも関わらず、単なる世間話の雰囲気が崩れないからだ。

さすが、五千年生きた人外。

どんな時でも自然体だ。無駄に。


恥じらうべきなのかもしれないが、こうまであっけらかんと口にされると、羞恥心もどこかに飛んでしまう。






小春にもどうなっているのか、と聞かれたことがある。

その折、助言までもらった。

「御寮さまがお誘いになればよろしいのですよ。皆が寝静まった頃に、殿の部屋に赴き、『お情けを頂戴しにまいりました』と仰るだけでよいのです」

だが私は、肩を落とすしかできない。なにせ、


「もう、ゆきました」


既に行動を起こした後だったからだ。

ちょこちょこ雑用に動きまわっていた小春が、私の足元を横切るなり、まじまじ見上げてきた。

「そのような作法をよくご存知で」

「以前、夫となる予定だった方に嫁ぐ前に、言い聞かされましたので。とにかく毎晩そうするよう、お望みだと」

「まあ、ちょん切ってきましょうか」


何をだろうか。

まあ、相手は亡くなったのだし、問題はそこではない。

私はため息をついた。

「ですが、史郎さまには怒られてしまったのです」

「どのように?」




「『お役目で来るんじゃねえ、もっとものほしそうな顔をしろ』と」




そのまま私は部屋から追い出され、それきりだ。


史郎の言葉の意味が理解できない限り、同じ行動は取れない。

小春は、ばかにしたように鼻を鳴らした。

「いつまで保つものでしょうかね」


それは、私と史郎、どちらにむけた言葉だったろう。






なんにしろ、ここで青柳伯の言葉に応じたのは、史郎だ。

「義務で閨を共にするって言われてもな、かわいそうだろうが、俺が」

躊躇なく、史郎は親指で自分を指した。


そうなんだ。


私はうろたえるよりも、力づくで納得させられた心地になる。

史郎の口調はやたら堂々としていた。

叱責も悲壮感もない。

恨み言ですらなかった。

ひたすらあっけらかんとしている。


とはいえ。

ならどうすればいいのか、という答えは、結局得られない。

青柳伯が面倒くさそうな顔をした。

「史郎はどうしてそう、どうでもいいところで繊細かな。据え膳は据え膳でしょ」

「てめぇは顔に図太いって書いとくべきだ、詐欺だろその外見」

「お二方揃って、なんだ。優先すべきは、相手の女性の気持ちだろう」


「「天然は黙ってろ」」


史郎と青柳伯の一睨みで、征司は黙る。

この三人の力関係がよく分かった。

だが、征司の素直な反応に、かえって他の二人は我に返ったらしい。

青柳伯が気を取り直した態度で言った。

「凛ちゃんと相性いいのは結構だけどさ、最近の穂鷹の邸もどうなの? 規模が半端なくなってない?」


青柳伯の声に、呆れが混じる。あ、やっぱり…、



「邸の部屋、増えてますよね…」



気のせいではなかったようだ。

まさかと思っていたけれど。


つまり、史郎の力で『場』が左右される、とは、そういうことなのだ。


征司は今、『城』と言った。

先ほどの荒野に、いったい何ができたというのだろう。


私には、この広間しか把握できないが。


「そうそう、こないだ凛ちゃんの部屋に行ったけどさ、あれ、何? …睨まなーいの、子供じゃないんだからね、史郎」

青柳伯が、意味ありげな眼を私に向ける。

「凛ちゃんは留守だったし、中には入ってないよ。だいたいもう行く気はないから。だってこの子の部屋ってさぁ」

私にはもったいないくらい、いい部屋だと思うけれど、他の人には違うのだろうか。


すぐ史郎に半眼を向け、青柳伯はわずかだけ臆した声で呟いた。





「…独占欲を感じるのね。ある程度ならいいけど、あれはちょっと、怖いわ」






●こぼれ話:彼らがそれをする理由

兎頭1「我らがなぜ太鼓をたたくか?」

兎頭2「そりゃ決まってますよ!」

兎頭3「決まってるんですよ!」

兎頭1「よく分からないけど決まってるんですよ!」




兎頭1・2・3「「「満月に白い団子に良い太鼓! 痺れるねえ!」」」




兎頭2「やや、あちらにも良い太鼓が」

兎頭3「叩かねば!」

兎頭1「しからば、御免!」

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