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星空の下

作者: 伊酉ふみ

今回、以前から構想を持っていた発車メロディを題材とした短編小説を完成させることができたことを非常に喜ばしく思っております。最後まで読んでいただけると幸いでございます。


 午後5時55分、私はホームへ降り立った。もう三月も半ばだというのに相変わらず真冬のようにこちらへ熱風を送ってきた車内の空調器から解放され、やや涼しげに感じなくもない初春の風にしばらく吹かれたのち、改札口へと階段を下った。

 まだ日が沈んで間もなしとはいえ、すでに学校帰りの学生や自分のような仕事帰りの会社員などで通路は埋まっている。というのも数年前に労働関連法が改正され、原則として理由のない残業が法的に禁止されて以来、早い時間からこうした会社員の姿が以前にも増して多く見られるようになっているのだ。普段の通勤で利用する電車で必ず通るここは特急やライナー列車など全てが停車する大きな私鉄駅だったが、下車するのは今回が初めてであるため、未知なる駅構造にやや戸惑いながらも人波を頼りに無事改札を発見した。確か待ち合わせ場所は南口改札を出たところだったはずである。

 ICカルテをかざし改札を抜けると、チャットアプリで互いの位置を確認するまでもなく、中学校までの同期、猪浦(いのうら)が券売機の横に立っているのがわかった。相変わらず平均よりかなり低い身長で、だいぶん前にあったときと同じややくたびれた黒背広を着たうえに、これまたしなびた外套(がいとう)を羽織っているその姿は女性から見るとガッカリしてしまいそうなものではあるが、子供時分からのつき合いがある私としては、彼がいわゆるビジネスウェアを着ていることに対する違和感のほうが大きかったりする。

「悪い悪い、待たせたか?」

 一応、後から来た私が尋ねると、

「おー、亀井!いや、時間には間に合ってるから大丈夫だろ。僕もついたばかりだからさ」

 と、冷静な答えが帰ってきた。

「しかし、お前が俺を飲みに誘うとは珍しくないか?だいたいお前は酒に弱くてアルコールが飲めたもんじゃないだろ」

「いや、実際今回も酒を飲むつもりはないよ。ただね、いろいろと話を聞いてもらいたくて…おっと、ここで話し込んでちゃあつまらない。早く店へ向かおうぜ」

 そこで私たちは改札を後にした。


 駅舎内の階段を地上階へおり建物から出てみると、日はすでに落ち、夕方と夜の間とでもいうべく濃紺の空に暗く灰色の雲が少々浮かんでいた。なんとも悪くない、けれど少しばかり哀愁を感じなくもない景色に彼はポケットから青くて小さな平べったい直方体の紙箱を取り出すと、中から取り出した白い細筒状のものを口にくわえた。半世紀前であれば日本中そこかしこで見られた光景だろう。しかしいまでは、昨年の暮れに事実上各地の条例からの格上げである禁煙法が施行されたことに伴い、原則として全ての場所での路上喫煙が禁止されているはずなのだが…

 不思議そうに自分の口にくわえられた葉巻を見つめる私に気がつき、彼は言った。

「ああ心配しないで、これは捕まらないから大丈夫」

 ふーっと、黄昏の空に息を吐き終わると、彼は再び早足で歩き出したので私は慌てて後を追った。


 国分寺街道を南に進み一つ横道に入ったところにある呑み屋は初めて入る店だった。私たちに対しおきまりの挨拶をかけてくる店主に対し彼は片手をあげて返すと、翻ってカウンター席の隅に私を案内した。何やら注文を済ませると、彼はさてと言って話しはじめた。

「そうそう、さっきのタバコの正体は子供用のココアシガレットを紙で包んだものさ…もっとも、これまた本家のタバコ同様、いつ販売規制がかかるかわからないけど。数年前まではあれに火をつけてくわえていても何も言われなかったのに、今となっては口にくわえているだけでおまわりがジロジロ睨んできやがる。まったく困った世の中だ」

 困ったと言いながら目がニヤニヤ笑っているのは、昔と変わらない。

「ひょっとすると、すでに何回か取調べを受けてるんじゃないか?」

「おー、御名答!だが、このところはほとんどないね。というのも、いくら僕を捕まえてもこちらがくわえているのはお菓子なわけだから連中、お目当(めあて)の罰金を取ることができない。やがてここいらのおまわりが僕の顔を覚えはじめてね、最初から何も奪えないと分かっちゃ、襲ってくることはないってことよ」

 その結果、「ジロジロ睨まれる」ってわけか。

「べつにこちらは捕まりたくてお菓子をくわえているわけじゃないんだ。僕はね、子供の頃から”素敵な風景の中でタバコをふかす”という描写に憧れを持っていてね。場所はどこでもよい、さっきのようなやや暗い夕暮れのもと、おもむろにポケットから取り出す。欄干に頰杖をつく男の口にはさっき火をつけた葉巻さ。ややあって彼の口から離れ、指先に移った葉巻からは流れるような煙が出ている。彼が見つめるのは最初から最後まで、あさっての方角…といった具合でね、大人になったらぜひやって見たいと思っていてね」

「あーそれなら俺も思ったことがあるぞ。確か高校生の頃、ヘビースモーカーがボーカルやってる某バンドのPVをみてからだったかな。と言ってもたばこは健康に悪いものだから吸わないというのはその前から決めてたし、だから結局憧れのままで終わってしまったわけだがな」

「健康思考なら当然僕も持ってるよ、そのこころがココアシガレット喫煙さ。ただね、こいつは火をつけたときの煙の出方がどうもね…」

 マスターが、おそらく先ほど猪浦が頼んだのであろう、水の入ったジョッキをふたつと沢庵(たくわん)の盛り合わせを出してくれた。先ほどの混雑のせいでかなり喉が渇いていたので一気に半分ほどぐいと飲み干す。

「煙が出るもなにも、詰まっているのは砂糖の塊だからすぐ燃え尽きるんじゃねえの。」

「そう、それにお菓子をただ燃してるわけだから勿体無いよね。かといって燃え尽きた後丸焦げと化した砂糖を食べるのは、味がよろしくない上体にもよくなさそうだ。だから僕としては依存性や健康的被害、それにあの臭くてたまらない匂い、この三つを無くした究極の使い捨てファッションたばこの登場に期待していたんだけど…この禁煙全盛の時勢に加えJTがM&Aによる買収やクサいCMの制作にしか興味がないときてるから、厳しそうだよね。」

「それはいい、最近の若者にも響きそうじゃないか!ただ、さっきのココアシガレットじゃないが、本物のたばこと似せすぎると警察の側にとっちゃ取調べが余計大変になりそうだがな」

「確かに。けど本物そっくりの雰囲気は壊して欲しくないんだよなー…アイコスのようないわゆる電子タバコははっきり言って論外」

「難しいところだな」

「てなわけで、当分の間はココアシガレットを吸うことになりそうだよ。おっとお冷やをもう飲みきったのか、つぐかい」

「おっと、ありがとう」

 とくとくと透明なグラスに注がれる水を見ながら、私は疲れからかぼーっとしていたようだ。

「何死んだような顔をしているんだい、今日はもっとたくさん話をするつもりで来たんだから明るく行こうぜ。ほら、飲めよ」

 と、酒の一気飲みを促すごとき要領で私のビールグラスを顔に近づけて来た。

「いやわかったわかった…俺もちゃんと楽しむから。ゴクゴク。ところで、話したいことってのは一体なんだ?」

「そうね。まあ先ずは僕のいまに至る生き様について聞いてもらおうかな。知っての通り僕も君もかれこれ30年近く生きているわけで、以前に比べては自分の人生というものを客観的に見られるようになって来たと思うのよ。」

「うんうん」

「でまあそういった客観性にある程度基づく形で僕の半生記を語りたいと思うんだけどどうだい?」

 素晴らしい。口下手な私は人の話を聞くということが結構好きなたちであるから、喜んで言った。

「分かった。話してくれよ」




 久しぶりの再会とあってすっかり長い時間話し込んでしまった。既に大量のソフトドリンクを飲み干し、いくつもの肴を平らげた後である。

「で、今まで話してきたように、僕は今まで生きているうちに黒歴史を重ねすぎてしまったわけだよ。それは生きてるうちに積もりに積もっていくばかりか、記憶から消え去ったと思いこんでも普段暮らしている時にふと思い出すことがあるじゃない。当時の自分の姿が恥ずかしくて思わず叫び出したくなるんだよね」

「なに、じゃあ昔お前がいきなりわけもなく『うわー』とか言って頭を抱えてたのはそういうことなのか。気持ちはわかるけどな」

 そんな所作もそれで、周りから引いていく人間もかなりの数いるだろうから、黒歴史に含まれてしまうのではないだろうか。

「ありゃ、人前でも出ていたか。まあいいや、でね、はっきり言って周りの人間は忘れてしまっているかもしれないが、でもそう言った黒歴史を覆いかぶせるような業績を残したいなと思ったわけよ」

「うんうん。それで?」

「あとは、これは本当に良くなくて治したいと思っているんだけど、僕の性格は人の感情にすごく影響を受けやすくて。特に周りの人間の機嫌が悪いと、自分も怯えるばかりかイライラしてくるんだよね。例えば家で親の夫婦喧嘩が起こったときには、妹に対して強くあたったりとか、物へ八つ当たりしたりとかしたね。結構たくさん壊してしまった、読者に引かれるから多くは語らないけれど」

「へえー、普段は温厚そうなお前がねえ」

「いや本当に僕は感情の浮き沈みが激しいからね。あまり言いたかないけど、ふさぎこんでいるときは本当に死んでしまいたいと数えきれないぐらい思ったし、体を傷つけようと試みた回数も枚挙にいとまがない」

 ごほん、と咳払いを前置きに、若干青ざめた顔のバイトの女子が「おさげしますねー」と我々の皿を持ち上げ、炊事場に運んで行った。

「おいおい深刻な話になってきたな」

「ふふふ。まあそう言われても無理はない。だが、あるとき名案を思いついたのだよ」

「何の名案だよ」

「この世に名誉を残し、かつ死ぬまで自他を傷つけない方法さ。こうするというのさ!」

「な!馬鹿野郎、やめろ!」

 酔っ払って気が変になってしまったのだろうか、猪浦の手にはどこから取り出したのか妖しく光る日本刀が握られ、その刃はまっすぐ彼の腹を向いていた。私は反射的に彼の右腕を掴んで抑えた。店内のわずかな客と店員も、なにごとかとざわつきはじめている。

「離せ!離してくれ!南無阿弥陀仏」

 周りの連中が駆けつけるより早く、猪浦は私の手を振りほどくと呪文とともに勢いよく腹をかき切った。誰もが、血しぶきが飛び散り、猪浦の服が赤く染まる現場を想像しただろう。



 だが、そんなことは起きなかった。なんと自ら腹を切ったはずの猪浦は先ほどまでと同じようにピンピンしているではないか。

「おどかしてすまない。これは前にダチ公からもらった模擬刀だ。だから切れないのだ」

「おいおいなんだってこんな人騒がせなことをするんだ。みんなびっくりしたんだぞ」

「いや今回はちょっとびっくりさせようと思ってね。ただいずれ50の齢に達したとき、僕が同じ方法でこの世に別れをつけるのは確かだ」

「またまた、なにを言ってるんだ。さっきから正気か?」

 言ってから、彼が全く酒を飲めない体質だから今日はアルコールを飲んでいないことを思い出した。ということはシラフでやっているのだ。

「いやいや僕は正気だ。さっき言っただろう、これは僕がこの世に名誉を残し、また死ぬまで自分や周りを傷つけない方法だって」

「うう、どういうことだ、それは」

「切腹ってのはね、自分たち人間の精神が腹に宿ると信じていた昔の日本人が、自分の罪を洗い流し、自分の精神が綺麗か汚いか他者に見てもらい、自らを生かす道なのさ。僕もはっきり言ってにわかの立場だから詳しくは言えないけどね、新渡戸稲造氏によると、罪を償い、過ちを謝し、恥を免れ、友を救う、もしくは自己の誠実を証明する方法、なのですよ」

「なるほど、だからといって…」

「現代的に考えると、あらかじめ死ぬ時期を決めておいたほうがいわゆる終活とか人生計画も立てやすいし。あと運よく長生きできたとしてもいつ死ぬのかいつ死ぬのかと不安な日々を送るのは僕には怖くてできないと思うんだよね」

「あー、その発想はなかったけど」

「で、まあ、最終的に自分で自分を殺めることになると決めると、例えばイライラしたときに何かを傷つけたりすることも少なくなった。どうせ最後には自分を傷つけるんだから、と思い込むことによってね。まあ正しい使い方なのかはわからないけれど、でも結果論として悪いことではないんじゃないかと思うんだ」

「そうか。まあ死に方なんて他人が口出しできることでもないから、自分を信じればいいんじゃないか?」

「そうだといいけどな。個人的には、最期は僕らの地元、育ったまちで死にたいな。まま、この話はまたいつかするよ。あ、そろそろ店を出ようぜ。どうやら周りの視線が厳しい」



 私は猪浦とともに飲み屋を後にした。気のせいか、店へ入る前よりも清々しい気分になっている。

「今日はありがとう」

 ふと隣から声がした。

「いやいや、こちらこそ色々な話を聞くことができてよかった。」

「そうか。僕も色々話せてよかったよ」

 なぜか二人ではっはっは、と笑ってしまった。うまく口には出せないものの、幼馴染と話しているときのこういう温かい雰囲気は嫌いではないし、むしろ気に入っている。

 ふと、思いついたことがあったので、私は口を開いた。

「そういえば、10年前の今頃はちょうど、平成が終わるってときだよなあ…」

「あーそうか、そうだね。しかしいまになって考えると10年間は本当にあっという間だった。一気に年を取ってしまった感じ」

「なんかあの頃はまだ若いから目の前を生きるのに精一杯で、あんまし終わるっていう実感がなかった気がするわ。あー、いや、でも、その前の年の暮れかな、テレビで平成中に起こった出来事やヒットを辿る、みたいな特集があった。それを見たときは、自分が生まれた時から、いや、生まれる前からあった元号が終わってしまうのかという、なんだか少し寂しい気持ちになったな」

「あー、いい番組だねえ。僕は知っての通り、小学校の頃から割と昭和好きな人間でね。まあ平成以降生まれの特権かもしれないが、ようは白黒写真の中の、アナログ全盛で人々が今より貧しくとも賑やかだった時代に憧れを持つってわけさ。友達にふざけて『まったく、最近の若者は』とかよく言ったね」

「言ってたなー、いやお前も最近の若者だろってやつだな」

「ははは、それは言ってはいけない。ただ、そういう昭和への憧れが成り立つのは、昭和がもう終わってしまったからさ。過去というのは当然美化されるからね。けど昭和が終わって、平成という言わば引き立て役がなければ、昭和もそれほど輝いて見えないに違いない。これは多分、昭和に生まれていようといまいと、全ての人間にとって同じだと思うけどね。」

「なんだか浅田次郎氏の『黒書院の六兵衛』を思い出すね。でも、その平成だってもう終わっちまってるじゃないか」

「ほんとだよ。多分僕らを含めて多くの人は平成がもっと長く続くと思っていただろうし、当然毎年毎年平成であることが当たり前だと思っていたはずだ。それだけに、突如譲位が決まり、平成の終わりが近づくにつれて、だんだんと僕の胸の中になんとも表せない寂しい感情が生まれたわけですよ」

「何言われてるかわかんなくなってきたけど、まあ当たり前だと思っていることって永遠にはには続かないし、なくなるって分かってから急にありがたみというか寂しさを感じるんだろうな。そして、終わった後も俺たちの心の中には生き続けると…あれ、この道、府中駅に行く道と違くないか?」

「おっと、今更気がついたか。いや、誘拐とかじゃないからビックリしなくていいよ。ちょっと君に見せたいものがあってね」

「え、何それは」

「今は秘密。君のよく知っているものだよ」

 なんだなんだまだ何かあるのか、と思ってしまったが、もはやついていかない理由などなかったことと、若干の興味も手伝って、ゆっくりと彼の影を追った。

 歩いているのは大通りを外れた住宅街の細い道で、ふと見上げればおそらくあの10年前と変わらぬ更けわたった真っ暗な空に、数個の星がまたたいている。子供の頃に住んでいた千葉の田舎の夜空と比べるととるに足らないといったところだが、たまに通る銀座や渋谷の何も見えない空に比べたらだいぶんましな光景である。ところでこの時間にもうオリオン座が見えないという事実は、確かな春の訪れを示しているのだろう。



 やがて再び出た大通り、府中街道をやや進んだところにあった建物はJR線の駅だった。【府中本町駅】とある。名前は聞いたことがあるが、使った覚えはない。

「はい、着きました」

 と猪浦。

「え、今日はJRで帰れというのか?まあ乗り継いで行けば帰れないこともないだろうけどな。っていうか、見せたいものってなんだよ」

「あ、ごめん。言い方が悪かった。みせたいものじゃあなくて、聴かせたいものだ」

「ええ、どういうこと」

「まあしばらくしたらわかるから。とりあえず中に入ろうぜ」

「分かった」

 入り口の改札を抜け、案内表示板を見ると、どうやら南武線と武蔵野線が乗り入れていることがわかった。といってもJRを普段使わない私にとってはあまりなじみのない路線ばかりだ。

「この駅は僕が毎日使ってる駅だよ。南武線に乗って川崎まで一本で通勤できる」

「あーそうか、だから名前を聞いたことがあったのか」

「確か前言ったことがあるからね。それ、こっちの4番線ホームだ。ここから電車で立川まで行けば中央線に乗り換えて八王子までいける。あ、次の分倍河原で京王線に乗り換えたほうがいいかな」

 猪浦は社会人になってからこの近辺に住んでいるうえ、昔から鉄道ファンであるだけあって随分詳しい。

「ありがとう、とにかく4番線から乗ればいいんだな」

「そうそう。…行こうぜ、僕も見送るから」

 階段を降りた先に4番線ホームはあった。

「次の立川行きに乗ればいいんだよな?」

「あ、そうなんだけど…すまないが、一本乗らないで待ってくれないか?ちょっと事情があって」

「ん?そうか、何か聞かせてくれるって言ってたな、けどいつ聞かせてくれるんだ」

「そのこころは…電車が来た後にわかるよ」

 猪浦が先ほどからやたらと「…」を多用しているのが気になる。何か思うものがあるのだろうか?



「あ、電車が来た」

 さきほどから鳴っていた接近メロディが数周したのち、黄色と焦げ茶色のラインをまとった車両がホームに滑り込んで来た。この車両が南武線のようである。

 ドアが開く。夜更けとあってまばらな乗客の一部が降りると、すぐに発車メロディが鳴り始めたのだが…


「こ、これは…」

「うむ。懐かしいかい?」

「当たり前じゃないか。もうかれこれ10年近く聞いてないんだから」

 驚いたことに、ここで鳴った発車メロディ、私たちの故郷である印西(いんざい)木下(きおろし)にある、JR成田線木下駅で使われているものだったのである。車掌が気を利かせてくれたのか、それとも偶然か、大して乗り込む人もいないというのにメロディはエンディングの余韻まで鳴らされ、やや慌てたようにドアが閉まった。

「このメロディって木下駅限定のものだと思っていたが、こんなところでも使われてたんだな」

 私はますます込み上げてくる懐かしい思いとともに語った。

「駅で毎回毎回これが流れるもんだから、子供の頃から電車通学していた頃まで、成田線で帰ってくるたびに、あー戻ってきたんだなていうホッとした気分になったもんだ」

「うん。このメロディは『星空の下』っていう名前なんだけど、まあ仰せの通りあまりほかの駅では使われていないんだ。だからほどほどなレア感があっていいよね」

「そんな名前だったんだな。あ、てかお前もしかしてこのメロディが使われているからここに住むことにしたのか?」

「おお、ご名答。これね、やっぱり電車に乗って最寄り駅に帰ってきた瞬間にちょっとだけでも地元のことを思い出せるからいいんだよ。けどね…」

 彼はそこで表情を暗くした。

「成田線が3年前から終日ワンマン運転を開始したのは知ってるかい?あ、君んとこの実家はだいぶ前に引っ越しちゃったからわからないか」

 そう。私が地方大学への進学が決まったタイミングでたまたま私の父親の転勤が決まり、私たち家族は同時に木下を離れることになったのだ。その後何度か印西市を訪ねたことはあったものの、その際は自家用車や北総(ほくそう)線という私鉄を利用して行ったので、結局地元を出てから今までついぞ成田線を利用することはなかった。先ほど言った”10年近く発車メロディを聞いていなかった”というのは、そういう理由からだ。

「ワンマン運転とともに、発車メロディは車両搭載メロディが使われるようになったのよ。つまり、今までは駅のスピーカーから流れていたものを、車両のスピーカーから流すのさ」

「それで何が変わるんだ?」

「車両から流れるのは、車両に積んである汎用メロディなんだよ」

「と、いうことは…」

「そう。成田線の発車メロディは全て車載のものに置き換わってしまった。だから、『星空の下』はもう木下駅では聞けない」

 しばらく、私たちの間に沈黙が続いた。


「そんな。発車メロディなんて永遠に変わらないで残り続けるものだと思っていたのにな」

「木下はメロディ変更もなかったからそう思われてても仕方がないけどな。一連のことの起こりはだいぶ前、そうそれこそさっきの話にあった10年前の2019年春に、いわゆる常磐(じょうばん)線各駅停車の発車メロディの使用停止という出来事があった。」

「あー、そんなことあったんだっけ。俺は常磐線は使っていなかったからあんまりわからないけど」

「ままま、そういうことがあったのよ。あれ以降、駆け込み乗車防止の名目とか路線のワンマン化なんかに伴って各地で発車メロディの廃止が進んで、とうとう成田線もその波に巻き込まれちゃったんだ」

「そうなのか…まあ元々あんまり繁盛してる路線でもなかったしな。けどちょっと残酷すぎないか?」

「そう、なんだかんだ成田線の利用者数も長いこと右下がりで、こうなってしまうのも時代の流れからして妥当と言えてしまうし、ましてや他線の沿線に引っ越してしまった我々には文句をつける権利はないんだ。けどやっぱり、さっきの話ではないけれど、昔からずっとあったもの、当たり前だったものがなくなってしまうのはすごく悲しいことだし、やっぱりなくなってからその価値がわかるんだよね」

「そうかー。この世は無常てやつだな。あああ、なんかもう木下駅に行っても帰ってきたという感じがしなくなっちゃうな。まあ聞けなくなる前にちゃんと利用しとけって話だろうけどな」

「まあね。はっきり言ってこの府中本町駅でもいつ聞けなくなるかわからないけど、そうはいってもどうすることもできないね。まあ僕は日々ありがたみを持ってメロディを聞くようにはしてるけど。あ、そろそろ電車がくるよ」

「次の駅で乗り換えればいいんだよな?」

「うん、そうそう」

「なあなあ、まだお盆と正月には木下の実家には帰ってるのか?」

「そうだけど?」

「俺、久しぶりに成田線使って木下に凱旋したいと思ったんだ。よかったら、次の夏か冬にでも部活のメンバーで久しぶりに集まらないか?その時期だったら帰省してる連中もそこそこいるんだろう」

「何が凱旋だよ!あー、まあいると思うよ。じゃあ、近くなったら詳しく決めてこうぜ。そのときはまたよろしくね。おお、もうドアしまっちゃうぞ。じゃあさらば、また地元にて会おう!」

 私が電車に乗り込む間、頭上のスピーカーから、『星空の下』が美しく響く。

「おうよ!じゃあな。勝手にすぐ死ぬんじゃねえぞ!」

 発車メロディは今度はすぐ鳴り止んだ。まるで、思い出に浸っていた私たちを日常に連れ戻すかのように。閉まるドアはややスローモーションに感じられ、電車がやや焦ったようにホームを滑り出すと、ドア窓ガラスに浮かんだ街の灯はたちまち遥か彼方へと飛んでいった。



「『星空の下』か…」

 先ほど知ったばかりの曲名を呟きながら、駅への道で見上げたさほど綺麗というわけでもない星空を思い出した。綺麗さで勝負をつけるなら有名な北海道、鳥取やハワイ、また我らが故郷木下にすら敵わないが、今日のあの場所で猪浦と歩いて見たあの星空は自分の中でこれからも思い出として輝くことだろう。

 そういえばさっき”日常に連れ戻される”という描写を使ってしまったが、その通り日常というものは普段過ごしているうちでは全くありがたがられない存在である。それは日常に生きているうちはその日常が「常」であるかのように感じるからであろうが、しかしこの世界において常なるものは存在しないのだ。日常の中では何かが絶え間なく変化しているし、その日常自体もいつ終わるかわからない。

 発車メロディ「星空の下」が鳴る木下、私たちが過ごしてきた幼き日々など、全てが当時は代わり映えのない日常だった。だがそんな「日常」が「思い出」に変わってから初めてありがたられるのでは少しばかりもったいないかもしれない。たまには今生きている「日常」の中の変化を見つけ、今まさに生きている「日常」を大切に生きて行くよう心がけるべきであろう。



 夜は更けわたり、星空の下、今日も私は歩く。もう発車メロディの鳴らない木下で昔の変わらぬ仲間と再開するであろう数ヶ月後、そしてその先に広がる未来へ。







 Status--

 近郊地域65番(jr065)「星空の下」

 使用期間:2002年7月30日~ /テンポ:約117

 ★現在使用中 ○

 吾妻線川原湯温泉(上)

 上越線新前橋(上)

 成田線木下(下)

 南武線府中本町(下)

 武蔵野線西船橋(下11)

(以上九行はhttp://hassya.netより引用)

ご読了いただきありがとうございました。

前書きでも触れましたが、以前から抱いていた構想をこういった方法で形にすることができたことは非常に喜ばしいことで、今後も同様のケースがあれば倣いたいと思います。


また、今回の今一つの目標としては自分にとって等身大の作品を作りたいという思いがありました。このため、主人公たちの発言を通して作品中に自分の考え方を多く滲ませたり、いままさにホットニュースである元号の代替わりのことも匂わせてみたり、ちょうど執筆中行われた中学校の部活同窓会での気持ちを踏まえたりした結果、私としては目標が達成できたのではないかと思います(ただ「無常観」の押し売りになってしまった気がしなくもないため、反省しております。他のトピックの派手さでバランスが取れていることを願うばかりです)。


種明かしをしてしまうと、主人公の二人は性格こそ違うものの二人とも私の分身という扱いです(猪浦くんは私の本名から、亀井くんは「仮名」から転じたもの)。なぜ二人いるのかといいますと、私が普段頭の中で様々なことを思い巡らせる際、もし一直線で突き進んでしまう場合、ともすればやや欠陥性のある考察を生み出しがちです。それを踏まえて、小説に自分の考えを打ち込む際登場人物同士がある程度相互監視することで極端な思想が発生することを防げると考え、このような対談形式で執筆してみましたが,いかがでしょうか(個人的には目的が10割達成できたとは言いがたいと思いますが…)。



さて次作の発表は元号が変わったのちになりそうですね。今回のような発車メロディをテーマとした小説をいまふたたび執筆する可能性もあるので、ご期待ください。


新しい時代が読者の皆様にとって良いものとなりますように…

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