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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション4 殺戮の地平線  世界生命終局管制機 アルファⅣ<ペイルライダー>
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S4 <サイプレス>/廃棄楼閣都市の衛士

 この世界で最も硬い卵は、海底を歩き続けた。

 目印も指針も無いのが常だったが、今回は方角も位置も知れていた。アズール・ミレニアム・ファクトリーに戻るまで、一週間も必要では無かった。

 もっとも、目的地の座標が明らかだったとしても、移動方法に差異は出ない。アルファⅢ<サイプレス>に可能なのは基本的に歩くことだけだ。地上であれ海底であれ、歩くことしか彼女には出来ない。

 一刻も早く意味のある場所に辿り着きたいという欲求が、道中を却ってもどかしいものにした。


『ぶくぶくぶく……』などと言ってふざけてみるが、可笑しいのはいつものことながら数秒で、我に返れば口から泡を吐くことさえ出来ないに出来ない不自由さに、骨が軋む思いをする。

 海底は無限に広がる牢獄にも等しい。枷を付けられた囚人であることを、挑むものに強いる。

 サイプレスは泥濘の上で必死に具足を回し、両腕の鎧で海中を掻き分ける。歩くという行為の体裁は繕っているが実態は違う。余程の岩場でも無い限りは具足の足裏が擦るのは泥の山で、足場の確保など到底出来ない。身を委ねればどこまで沈むかも分からない始末だ。かと思えば浮力と潮流のせいで不朽結晶製の甲冑すら容易く流されそうになる。

 だがサイプレスは真っ直ぐに進むことが出来た。


『ほんと、上手になったのは変な移動の仕方だけですねぇー……』と自分自身を嗤う。


 彼女は実際には、歩いているわけでも泳いでいるわけでもない。搭載された機関を利用して斥力を操作し、自分自身の座標を固定、一瞬一秒毎に踏みしめるための平面を作成。さらに背後から自分自身を押し出すような斥力を発生させることで、擬似的に歩行を実現しているだけだ。

 斥力操作の度合いを調整すれば、魚雷の如く海中を疾走することも可能だったが、海上に勢い良く飛び出してまた沈むというのが関の山で、ペンギンのように自由自在というわけにはいかない。多くの人類がそうであるように彼女にも飛行の才能は無かった。手足を全く動かさずに進むということがサイプレスにはどうしても出来ない。

 そういう意味では、彼女もまた神の子であった。この世に産み落とされたあらゆる人間と同じく、全く無力な存在であった。誰しもが、この回廊と化した無間地獄で苦しむ誰しもがそうであるように、何ら特別ではなかった。無限に存在する命の、ありきたりな一つの類型。救世主には、ほど遠い。


 海の横断は慣れたものだったが、サイプレスは海の中が嫌いだった。目に見える全ての場所が海水に満たされており、進むも引くも思うようにならない。大抵の場合、いのちは死に絶えていて、淀んだ水の世界が延々と続くだけだ。海亀が横切るとか鮫が襲ってくるとか、気分を紛らわせるような出来事は何一つ無い。あるとすれば海中に過剰適応して異形の怪物と成り果てた不死病患者が、人間とは掛け離れた瞳で、こちらを見ているぐらいだ。気分が良いものではない。永遠に醒めない暗夜の悪夢を歩いているような気分になる。

 とは言え、太陽が中天にあると推測される時間帯だけは、視界が明るく、気分が良かった。人類史において消費されてきた全てのエメラルドを細かく砕いて水に溶かしたように、目に見えるもの全てが緑色に輝いて見えた。


 サイプレスはこうした海底にいるとき緑閃光と呼ばれる自然現象についてたびたび思い出した。太陽が沈む直前、瞬きするほど短い時間に、血まみれの地平線が緑色に燃え上がる。そういう儚くも目の眩むような現象だ。神の存在を信じたくなるような奇跡。サイプレスも数百回しか見たことが無い。生きた人間が観測することは極めて稀で、見た者には幸福が訪れると言われている。

 しかし、あるいは見方によっては、自分は、今まさにその緑閃光の真下にいるのではないか? この緑色の光の下で……。


『だというのに、ちっとも幸せになれねーですが』泥の中で藻掻くようにして進みながらサイプレスは不平を訴える。『あまつさえ全身で浴びてる最中ですが。虹のたもとには宝が埋まってるって聞きましたけど、でもグリーン・フラッシュの真下には何にも無いってことですか? 海中差別ですか? それとも定命限定? なんだか酷い話じゃねーです?』


 緑閃光はレイリー散乱に関係する現象で、海がしばしば緑色に輝くのは泥の微粒子によるものだが、サイプレスとしては性質的に両者にそう差異があるとは思えない。御利益があってもよさそうなのに、願いも祈りも一つも叶った例しがない。


『だいたい、幸せになれるって何なんです。誰をどう幸せにするんです? 今すぐ私の人格記録媒体(プシュケ)を壊してくださいよ。もう進みたくないんです。……ほら、叶えてくれない。そんなことさえ出来ないから、全人類がわけわからないことになって、どうしようもなくなったんですよ。幸せなんてあるはずない。望む未来に道が続いてるはずがねーんです……』


 そうだ、手遅れなのだ。全く、どうして自分はこのような苦労を味わっているのだろう? 誰の命令で? 調停防衛局などとうに滅んだに違いない。巡ってきた世界の惨状がそれを物語っている。

 結局誰も人類が滅亡するのを止められなかったのだ。


『しかし君、それなら……』


 自然、己へと紡がれる言葉は諦念が滲んでくる。

 捨て去った言葉、捨て去った心。

 古い時代の自分の声がどこからか聞こえてくる。


『そんなにたくさんの文句があるんなら、別に止まっても良いんだよ。誰も怒りはしないよ。もう疲れたろうに。誰だって海の底を何万時間も歩かされるなんて聞いてなかったし……もっと早く何かが、救いになるような素晴らしいものが見つかるはずだった。それが見つからないと言うことは、最初から意味が無かったということだと思う』


 内心の声に、ややあって、サイプレスはしかし不服そうに唸った。


『だけど、ここで終わるんなら、そんなの、何のために始めたんだか分からねーでしょう。最後まで行ってみないと無意味だったかどうかも分からねーままですよ』


 我が身と問答し、嘆き、言い返している間にも、海上では時間が進んでいく。

 ……光が届いている間はまだ、行軍は楽なのだ。

 夜が来ると何もかも一変する。淀む世界を這う惨めな感覚だけがサイプレスの全てとなる。

 まず視界を喪失した。輝く海は長い時間を掛けて赤く染まり、光を奪われていき、やがて泡が弾ける軌跡すら見えなくなった。数刻の間に天と地の位置を知る感覚すら失われた。得体の知れぬ大型の海棲生物がすぐ傍を泳ぎ回っているような錯覚に襲われながら、脳裏に投影した深度計を睨んで、歩き続けた。

 パニックを起こしそうになった時だけ蒸気甲冑に内蔵した照明器を起動させて、水中を確かめた。

 光の途切れる場所では何か見たことのない生き物がこちらの苦闘を無感情に伺っており彼女がはっきりとその姿を確かめる前に身を暗闇の側へと隠してしまったが幻覚だった。幻覚だと分かるのは観察の過程を経ないまま『見たことが無い』と理解したからで、事象の不自然な断絶、錯誤の類を正常に検出出来るという事実は、自分がまだ正気でいることを彼女に教えて、勇気づけた。

 脳内物質の制御を行いつつ、自分が地球の中心方向に足を向けていると確信する。斥力場を操作して、踏みしめる平面を創造する……。


 と、世界が瞬きを始めた。

 照明器の挙動が異常だった。

 安定した。また点滅し始めた。

 不死身の肉体から、血の気が引いた。怖くなってすぐに照明を消した。各部位に診断を掛けたが異常は見つからない。不朽結晶で構築された機材だというのに、この照明器だけは、信頼性が日増しに低下している。

 不具合が出る度に思い出すのだが旅へ送り出す前に技術者は太鼓判を押したものだ。向こう千年は暗闇とは無縁で、そして千年もかかる任務では無いはずであり、加えてこれが壊れると言うことはスチーム・ヘッドとしても限界が近いといことなので、どのみち心配する必要はないと。

 ところが、今まさしくその時が近付いている、

 技術者が嘘を吐いたのか。使用期限が過ぎたのか。終わりの時が近付きつつあるのか。

 どれもサイプレスには分からない。

<サイプレス>シリーズは極めつけに頑健だが、出撃先での修理は考慮されていない。帰還が叶えば話は別だが少なくとも自分では手の施しようが無い。その時が来た時のことを考えると、臓腑の冷え込む感覚が、生体脳を怯えさせる。仮にこの海底で蒸気甲冑が動かせなくなって、外付けの全環境対応型人工心肺が停止したら、自分はどうなるのだろう? この不朽の鎧の中で溺れて、それでも死ねなくて、永久に。永久に……。


『それで……何も見つからないまま終わるの? この暗闇の中で?』


 彼女に声を掛けてやる存在はどこにもいない。

 無敵のスチーム・ヘッドは、世界でたった一人だった。



 遙か上方、海面が明るくなった。朝だ。光量は豊かではないが暗視機能で十分に視界が確保出来る。それだけでサイプレスは新鮮な空気を吸ったような安心感を得る。サイプレスの蒸気甲冑に閉じ込められて以来、外気を取り入れて呼吸したことなど無いにせよ。

 遺跡と化した海上楼閣都市、アズール・ミレニアム・ファクトリーのことを考えるようになった。ずっと都市を防衛しているあのスチーム・ヘッドと話すのは大層素敵なことだと思えたが、それは願望や妄想に近いもので、というのもあの管制室で得られた情報以上の何かを知っているわけが無いと確信しているからだ。


『ヒトを映画のスクリーンにみたいにして願いを投影するのは良くねーですけど、でもどうしたって人恋しくもなるものですし。人肌恋しくもなりますし?』


 いずれも戯れ言。脱げない鎧だ、何せ他者と肌を重ねるなど世界が終わっても不可能だ。

 それでも言葉には命の温かさがある。

 そこに慰めを求めるのは自然なことだ。

 二本の脚で歩くには向かない土地、何十万年も前に神が沈めたもうた塩水の宇宙を黙々と進む。海底は相も変わらぬ泥濘の連続で、時折岩山のように隆起していたが、数分間無意味な小休止を取るのに使えるぐらいで、海中では乗り越えるのも一苦労だった。

 もしも神というものが地に在り天に在り人類を愛していたのならば決してこのような地形にはしなかったはずだと毒づくが、神様だって人類を海底を歩く存在としては創造しなかったはずで、だからそれはとんだいいかがりですよとサイプレスは自分を非難した。どうしてパスタを宇宙空間でも食べられるようにしなかったんですかって、料理人を怒鳴るようなものじゃねーですか。

 幾つかの夜と昼を越えて、アズール・ミレニアム・ファクトリーまで戻ってきた。

 悪性変異体に何度か襲撃されたが、全て焼却した。

 道程は苦痛だったが、結局サイプレスが支払ったのは、時間だけだった。


 斥力場を発生させて、せいいっぱいジャンプして上昇し、海上へ飛び出した。

 落下する前に壁に腕を叩き込んでぶら下がった。前回利用したのと同じ場所、そこから再度の登攀を試みた。装甲の結晶純度に任せて指先を外壁に突き刺して登った。

 まだ前回の孔は空いたまままで、少しばかり楽が出来た。


 途中で不朽結晶外壁をしつこく蹴って足かけの窪みを作り、索敵のための時間を取った。水平線に<十三人の吊るされた男たち>がいないかを走査した。前駆現象である生体への不安感のようなものは湧いてこない。少なくともしばらくは安全なようだった。

 一方で、遙か彼方に見える異様に巨大な黒い塔は未だ厳然として屹立していた。


『元はと言えば、アレが気になってしょうがねーので、ここまで歩いてきたわけですが』


 地平線のさらに向こう側から伸び、蒼穹の果てまでをも一直線に割り断つ黒い影。サイプレスの記憶している限りでは、塔は彼女の主観において数秒で突如として現出した。一夜で都市が現れたり消えたりするのは決して珍しい現象では無かったが、その黒い塔は他と比較しても明白に異常であった。出現して以来その塔は寸毫も変化を見せないのだ。

 最初に発見したときは蒸気甲冑のレンズに罅が入ったか、人工脳髄に異常が出たのかと、真剣に混乱したものだ。自分が壊れてしまったわけではないと確認するのに随分と時間を費やした。

 現在は、あれは自分の構成機器とは無関係に存在している、と結論づけている。

 おそらくは何らかの建造物。便宜上『塔』と呼称しているが、形態から名付けただけで、本当に塔なのかは分からない。むしろ、塔であって欲しい、という願いしか無かった。そこに誰かがいてほしい、自分の任務を終わらせてくれる存在があってほしい、とサイプレスは期待していた。


 楼閣都市の壁面を登りながら、もはや嘆きとしてさえ認識出来ない、身に馴染む絶望を吐き出す。どうしてこれほどまでに世界は壊れてしまったのか? サイプレスが出発したときには、人類が単純に滅びかけていただけだったはずなのに、いつのまにか人類よりも世界の方が余程危うくなっている。

 物理法則の類が自明な真理として聳えていた時代が懐かしい。もう全てがおかしくなってしまった。天地が逆転して空へ落ちるような事態になってもサイプレスは動じないだろう。

 ある都市で彼女はまさしくそれを思わせる異変に遭遇したのだ。電波塔内部を捜索している際に建物が倒壊したのかというほどの衝撃に吹き飛ばされ、酷く打ち据えられた。

 周囲を見渡し、自分が腰掛けているのが床ではなく天上だということに気付いた時は血が凍る思いをした。

 致命的な破局、致命的な混乱、致命的な崩壊。時間と地形は人類史の積み上げてきた常識を嘲笑い、嵐の街で描かれた砂絵のように目まぐるしく有様を変化しさせていく。何故こんな状況になってしまったのか? サイプレスには何も分からない。任務達成は可能なのか? 臓腑が裏返る感触。こんな狂った宇宙で、いったい何が成し遂げられるというのか?


『……はてさて。あの屋上のヒトは何か知ってますかね』


 思考を切り替えて登攀を続ける。考えることを放棄するのは愚か者のやることだと思っていたが、想像を超える異常事態を直視し続けていては、正気を保てない。

 だから知らないふりをする。今なら生前と違って友達も出来そうだとサイプレスは自嘲するが、残念ながら他者というものを殆ど見かけない。


 遅々としていても移動は順調だった。頂上まで直行しようかと考えて、『いや許可証が必要ですね、状況を分かっていない駄目な男には、分からせてやるための道具がいります』と思い直した。


 侵入経路も最初のルートと同じにした。何日か前に自分で補強した窓を蹴破り、差し込む光を頼りにして、不朽結晶から吐き出された無垢の柔肌、Tモデル不死病筐体の肉体が水面に浸っているのを見つけた。意識の有無を調べたが当然ただの自己凍結者と成り果てていた。もはや生前の意識は欠片も残っていない。知識のある人間でなければ、場違いな場所で事切れた美女にしか見えないだろうが、サイプレスには資材としての使い途が分かっている。

 窓が破れたままにしておくわけにもいかない。女の腕を毟り取り、補修する部品へと転換して、ペースト状に加工したあと窓を塞いだ。それから苦痛に藻掻く乙女をコンソールの上に載せて、横に寝かせ、それから背中をさすり、首筋をなぞり、手早く落ち着かせた。自分自身と殆ど変わるところのない肉体。自分は髪はもっと長い方が好みだったかな、と摩滅した過去に思いを馳せる。


 彼女から脱がせた装備一式を漁った。このスチーム・ヘッドが楼閣都市の相当程度の地位を持っていたのはもう間違いなかった。

 全体的に地味に見えるのは、偽装だ。Tモデル不死病筐体が木っ端の管制官として使い潰されているわけがないからだ。

 ふと思い立ち骨の山を漁ると破壊された重概念機関が隠されているのを発見した。

 見たことのないマークの横にアルファⅢであることを示す刻印を見つけてサイプレスはしばし沈黙した。


『もしかして、この都市の責任者です?』


 暗視能力が無ければ何も見えない暗闇で、コンソールに横たわる女は安らかに天井を見上げている。全ての任務から解放された後だ。

 意識は揮発し、精神は摩滅し、肉体は真なる不滅となった。誰にもその魂は読み解けない。

 とにかく彼女の装備を持って行けば、都市が、かくも無残に死に絶えたと、あの砲手に教えられるはずだった。何なら証拠になるかと考え、結局ヘルメットだけ持って行くことにした。



 再び現れた卵型スチーム・ヘッドの姿に、「何なんだお前は……」と砲手は呻いた。声音には警戒の色の方が強い。今回は腕部兵装を向けることもせず、侵入者を凝視している。不朽結晶弾撃ち込んだというのに彼女が文字通りの無傷であると理解したからだろう。

 回収してきたヘルメットをアピールしながら、サイプレスは気安そうに腕をひらひらとさせた。


『改めまして。初めまして、こんにちは。今後ともよろしくです。私は調停防衛局のエージェント、アルファⅢ<サイプレス>の……まぁ何番目かは割愛です。ずっとずーっと、人格記録の回収と再生を目的に行動しています。我慢強いほうですが、いきなり撃つのはやめてくださいね。そんな豆鉄砲効かないので。そちらは撃ち損。戻ってくるのがめんどくさいのでこちらも損。まぁでも、差し引きすると、そちらの損のが上ではねーです?』


「だから何なんだ、お前は……ペラペラと……」砲手は咳き込んだ。久々に喉をまともに使ったという様子だった。「エージェント……調停防衛局だと……? どこの軍の者だ」


『我々は国際刑事裁判所(ICC)が管理していた準軍事組織の構成員です。今はWHOに鞍替えしてますが』


「そう、か……? いや、ますます分からないな……ICCと言ったのか? 裁判所がお前のような戦略級スチーム・ヘッドなど保持しているわけがないだろう……」


『分からないのはこちらの方ですよ。ICCのスチーム・ヘッド不在なら、戦争なんてやりたい放題じゃねーですか。人類に対する罪だけは断固阻止しないと。そうでもないと世界平和、本当に夢物語で終わりません? よそでは何考えてどう戦争を終わらせようとしてたんですかね。まぁだいたいのところで夢物語だったみたいですけど』


 けっきょくはこちらの世界でもね、と冗談めかして付け加えるサイプレスに、砲手は一層不可解そうな態度を強めた。


「敵……では、無いらしいな。いつだったか……お前を撃ったような気がするが……」


『撃たれましたねぇ。ダメージはねーですけど。謝れば許してあげますよ、私は優しいと評判なんです』


「軽率だった。すまない」砲手は事務的に応答した。「評判とは何だ? 仲間が居るのか?」


『仲間が出来たとき評判になる予定です。そんな世界もあるでしょう』


「しかし、翻訳が上手く行っていないのかもしれないが……お前の言葉はおかしい……さっきから、まるで……世界が幾つもあると言っているかのように聞こえる……」


『お使いの翻訳アプリは正常ですよ。世界は複数ある。しかもそれらは医者がホッチキスで傷口を縫い止めた後みたいになっていて、地続きなんです。理屈はなしで、そう考えるしかねー状況なんです。私は実際、七つの海を七十七回は股にかけています。嘘です、ずっと海底暮らしでしたけど。お友達は海藻だけですよ本当。滅んだ世界をうんざりするほど眺めてきました。お決まりのパターンばかりですよ。国際法違反の不死病兵士量産、条約破りの高高度核戦争。その前後に不死病が流出して、変異して、世界規模でパンデミックが発生して……まぁパンデミックが意図的かどうかぐらいの差はありますが。ここもそんな感じじゃねーですか? どうなんです? 何があってこんなふうに?』


「……この世界も……滅んでいるのか?」


『んんー。滅んでいないように見えるんだとしたら視力の検査をした方が良いでしょうね』


 砲手は愕然とした様子だった。


「我々の……市民たちは……」


『まさか、何にも知らないんですか? ずっとここに一人で?』


「環大西洋海上都市同盟のアルファモデルは……市長の他には、もう俺しかいないから……俺が防衛をするしか……五百年……ぐらいか? ずっとここで、敵を待っている……」


 今度はサイプレスが愕然とする番だった。


『……最後に通信を行ったのは?』


「あの娘、市長は……ああもう死んだのか……いや死ねない、死なないが……」砲手はサイプレスが弄んでいるヘルメットを顎で指した。「彼女の声を最後に聞いたのが、つまり五百年ぐらい前だ……昼と夜しか数えてない。アバウトな認識だが……彼女は何故そんな姿に? お前が壊したのか?」

 

『見つけた頃にはもう人格記録が摩滅してましたよ。私は無実です。戦争犯罪かどうか決めたいならICCでやりあってもいいですよ、まだ存在していればの話ですが。それで、他にお仲間は? 私と違って社交的に見えます。その砲塔とケーブルと埋設した蒸気機関しか友達がいないなんてことねーでしょう』


「俺だけなんだ。俺しかいない」


 砲手の懸架している電磁加速砲はあまりにも巨大だ。横倒しになった塔じみていて、この都市の未来を暗示させるかのようで、いっそ不吉だった。戦術級、ひょっとしたら戦略級の運用すら可能だろう。翻っては個人が扱うのは不可能な機械だ。完全架構世界の運営の方が、あるいは楽であるかもしれない。

 だがこの極限の時代で大量破壊兵器の運用だけをよすがに生き続けるというのは、それ意外に何も持ち得ないというのは、サイプレスには不可能である以上に憐れに思えた。電磁針で走査した見る限りにおいて、砲手は全電力をこの砲撃設備の蒸気機関に頼っており、その上長距離行軍用の装備も何一つ持っていない。

 彼はこの死滅した楽園の囚われ人だった。


「俺しかいなかったんだ……専用の火器管制装置は、俺だけが搭載していた……」ぽつりと砲手は漏らした。「俺がここで撃ち続けるしか……あの怪物は俺にしか倒せなかった……皆を守り続けられるのは……」


 真実だとすれば、あまりにも途轍もない苦闘だ。

 五百年もの間、この沈み行く楼閣都市の先端に立って、地平線の彼方から襲来する正体不明の怪物と戦い続ける。そしてそこには報酬も賞賛も存在し得ないのだ。

 どれだけの覚悟と責任感、脅迫観念的な闘志が必要なのだろう。

 サイプレスの方が圧倒的に稼動時間が長かったが、それでも彼女は砲手に親近感を覚えていた。

 だって、彼の戦いはある段階から、何の意味も無い徒労に変わっていたのだから。


『……都市区画は丸ごとお釈迦になっていますよ。もう誰もまともな姿では誰も生きていないでしょう』


「ああ……その辺りまでは、辛うじて聞かされていた。暴動が起きたとか……だが、コールドスリープ設備はまだ健在なはずだ……」


『彼らだけが希望なわけですか』サイプレスは視覚の隅に己がこの目で見てきた惨状を再生した。『彼らのためなら頑張れると?』


「……千年までは保存可能だと市長は言っていた。俺はそれを信じていたからここまでやってこられた……」


『それはそれは、市民想いでいらっしゃる。麗しいことじゃねーですか』


「……やつらの吠え面だけが見たかった……」


 砲手は口を閉ざした。それから喉のつかえを吐き出すようにして、言葉を紡ぎ始めた。 


「連中は……大多数の市民を切り捨てて上層階へ避難した……。安穏と惰眠を貪り、救助が来る日を待つと……そう遠くない未来に自体は改善するはずだと市長は、あのニヤニヤ笑いの女は約束した……だがこのザマだ! 救援も改善もありはしない! 自体は悪化し続けるばかりだ……! バカみたいな希望的観測に縋った連中に、他の下層市民を切り捨てて千年間眠り続けた連中を、寝ぼけ眼で『助けは来ましたか?』なんて訊いてくる連中を、思い切り馬鹿にして、笑ってやらないと気が済まない……! 全部無駄だったと! 希望は無かったと! お前たちは無駄に生き延びてここで死ぬのだと! それを聞かせてやることだけが今の俺の生きる喜びだ……! ああ、目に浮かぶようだ、やつらの絶望の表情が! 俺に損を掴ませやがって! 俺たちを犠牲にしやがって! くそったれ、くそったれ……」


『気持ちは分かりますが』サイプレスは卵型のボディで器用に腕組みをした。『なんか、見た目より陰湿な方ですね』


「……自分でもおかしくなってるとは思う。昔はこうでは無かった。市長を、心から信じて、愛していた。だが……あまりにも任務が長すぎる。こんな加虐の空想をすることでしか、俺は耐えられないんだ……」


『でもね、もう生きてる人、いねーですよ』


 何てことでもないかのようにぽつりと漏らされた言葉に、砲手は沈黙した。


「……どういうことだ?」


『コールドスリープが始まったのは西暦でいつごろですか?』


「2300年頃だったはずだが……」


『機械なんですが、2400年頃に全部止まったみたいです。中身確かめたんですが、だいたいみんな破裂してるかミイラになってるかでした』


「な……?!」


 砲手は電磁加速砲を取り落とした。機材がぶつかり合って雷鳴の如く轟き、何もかもが砕けてしまう音がした。


「そんなわけがない! 市長は絶対の安全を約束したんだ! あの女も大概いつもふざけていたが、そんなところで嘘はつかないはずだ!」


『我々Tモデル不死病筐体を信用してくださって何よりで。姉妹として嬉しいです』揺さぶられ、装甲を叩かれ、女の声は些か憂鬱そうだった。『想定外だったか、もっと早く救援が来るはずだったか。どちらにせよ現実は一つ。全滅です。もう都市は死んでいるんです。このアズール・ミレニアム・ファクトリーで意識を保っているスチーム・ヘッドは、現在貴官しか確認されていねーのですよ』


「そんな、そんな馬鹿な……」


 砲手はその場に頽れて、長大な砲塔を操るための巨腕で頭を抱えた。


「それじゃ俺は……俺は何のために……罵りたいだけじゃなかった。そうする未来を妄想していただけだ。自分の任務は誇りあるものだと信じていたのに……何故、何故こんなことに……市長、市長は……」


 サイプレスの手からヘルメットを奪い取り、己の額に当てた。


「何故こんな無謀な作戦を……俺を、何故こんな無意味な作戦に……何故……俺を縛り付けたんだ……」


『無駄なことなんて何一つありませんよ』サイプレスは努めて穏やかに語りかけた。『コールドスリープは至善の策。でも失敗は織り込み済だったんです。本命の策は他にあったと、市長さんでしたっけ? その人からデータを吸い上げた私は知っています』


「馬鹿な。何が出来たと言うのだ……」


『何もかもが』サイプレスは両手を広げた。『彼女は私と同じアルファⅢに分類される機体です。完全架構代替世界を支配するわけですからね』


「……分からない。彼女は防衛隊長である俺にも全ての機能は開示しようとしなかった」


『おや、少なからず気に入られていたようですね。あんまり趣味の良くない機能ですからね。幻滅されたくなかったんでしょう』


 サイプレスは両手を広げ、鎧の内側で微笑んだ。


『それでは教授させて頂きましょうか。完全架構代替世界運営特化型人類隔離救世機構、アルファⅢ』


 誰にも明かされることのないその美貌は、人類を守ることしか出来ない白痴の神々にも等しい。


『あらゆる祈りを受けて送り出された私たちの、その欺瞞に溢れた真実の機能を……』


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