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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション4 殺戮の地平線  世界生命終局管制機 アルファⅣ<ペイルライダー>
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S4 <サイプレス>/転げる石のような心で 

 サイプレスは酷く難儀しながら階段を登り続けた。

 というのも彼女の蒸気甲冑は楕円形で、重量のバランスが悪く、しかも上体を上体を満足に動かせないためだ。何度も転びそうになって、実際に何度も転落した。

 最下段まで転げ落ちるたびに彼女は悪態を吐いた。


『うわーっ。これだから階段は嫌いなんですよ! こいつらはいつもいつも、人の背中を地面へ引っ張ることしか考えてない! いいですか、あなたたち、もうちょっと人間に親切にすべきです、創造主はヒトなんです! もっと敬うべきです! 何で縦方向に移動したいだけなのに、こんな怖い思いをしないといけねーんですか! 優しさが足りてねーんですよ! あなたたちは、人に優しくって教わらなかったんですか!?』


 階段は答えない。階段だからだ。

 罵声は理不尽で、どこまでも空虚だった。それを聞き届ける存在はいかなる形でも存在しておらず、何を言ったところでどのような実行力も有していなかった。彼女自身、自分がどれだけ無意味で価値のないことを言い連ねているのか、過不足無く理解している。

 決して割れないハンプティダンプティ。取り返しの付かないことは何も無い。


 そもそも階段を昇り損ねる、と言うこと行為自体が茶番だ。好き好んで落ちているのだ。

 アルファⅢ<サイプレス>は、世界に冠たる調停防衛局が、そのスチーム・ヘッド関連技術の粋を集めて量産した、最後のアルファシリーズだ。究極的な水準での堅牢性と引き換えに切り捨てられた機能も多いが、階段も上れないような欠陥機ではない。

 頂上が雲間に霞むような峻険な山岳地帯さえ踏破可能だったし、実際にそれらの機能を最大限に活かし、何度も困難な道程を乗り越えてきた。沈黙した不死の楽園を見下ろしてきた。一度や二度の仕事ではない。百万回目の霊峰の頂きで、彼女は数えるのをやめた。

 いつから、何でも無い段差で、事故を装って滑落することが癖になったのか。サイプレスにも、それははっきりと自覚していなかった。たびたび客観的な自分を取り戻して、何かつらいことがあったのかもしれないとは思うが、百年単位で積み重なる、無意味化した人生の断片、彼女個人の記憶を辿る気にはなれなかった。

 何故これほどに転落を愛するのかは、それでも分析は可能だ。少なくとも、彼女はいつでも一人きりだった。任務の最中に生じる達成感も絶望感も、もはや彼女の友人では無かった。

 瑞々しいのは恐怖だけだ。

 だから人を愛するように恐怖を愛した。三半規管が天地を見失う瞬間の恐怖は目が醒めるほど強烈で、彼女の肉体に生命の危機と、自分がまだ生きているのだということを思い知らせた。そうした感覚を消し去ることも可能だったが彼女はそうしなかった。

 そこには確かに快楽があったからだ。


『はぁ……やっぱり落ちるのって気持ち良い。心臓がばくばくして、全身から汗が滲んで……恋ってこんな感じなんですかね。この地球が恋人というわけですか』


 まぁ大地にキスするための口も露出してねーですが、と自嘲する。

 かつて、死は劇薬だった。止まりかけた心臓でさえ、死の恐怖を前にすれば一度は飛び起きる。だが不滅たるスチーム・ヘッドにとって、死などまやかしに過ぎない。廃墟の街で見つかる辞書にのみ残された古めかしい言葉だ。

 しかし、仮初めでも、命を脅かされているという感覚は、確かに感じられる。この世界は狂気的で、いつでも誰かを傷つけようとしている。刃を持つ全ての脅威の虚像が、サイプレスに満足感を与えていた。

 死を実感しなければ自分が究極の不滅であることに堪えられなかった。


 どれほど道中を楽しんでも階段での移動は一日も経たず終わった。

 進めば進むだけ彼女の幸福は遠のいた。

 待ち受けていたのは不滅の常夜灯がぼんやりと光るシャフトだった。

 梯子や階段の類は無い。そこから先は昇降用のリフトを使わなければならず、そしてそのリフトは破壊されていた。上層で壊してから蹴落とされた様子だった。


『……登る気がある人には通じない小細工ですよ、こんなのは。まぁ、待ち受ける側が事前に出来る対策なんて、これぐらいしかねーですし、やれることを手順通りやれるのはえらいえらいです、私は評価しますよ。戦闘用の連中ならあちこちの壁ピョンピョン跳ねて昇っていくと思いますけどね……』


 サイプレスはどこかの時間枝で見た開発計画の記録を読み出して、適当な壁を拳でぶち破った。

 予想した通りの位置に隠し操作盤を発見した。そして今し方破壊した蓋部分の裏側をスキャンして仮想的に再構築し、どこに開放のためのスイッチがあったのか調べた。特に意味は無く、今後参考になることもないだろうが、そうした。

 ひとしきり楽しんで、操作盤に触れて、自分の重外燃機関から電力を供給した。

 あれやこれやと出鱈目に操作して、巻き上げられていたワイヤーを降ろす手順を見つけた。


 リフト自体は破壊されているが、吊り下げるワイヤーは健在なので、システム面で対応しているエージェントならこれを利用することが出来るという仕組みだった。得意げな歩みでワイヤーを掴みにいき、そのまま数分間待った。一向にワイヤーの巻き上げが始まらないので、これはどういうことかと何度も操作盤の方を見たが、適宜そのような操作をしてくれる仲間はどこにもいない。

 忘れてしまっていたのだ。彼女は一人だった。

 機械を遠隔で操作する機能も無かった。


 結局、原始的な手段に頼った。ワイヤーを余分に降ろし、巻き上げ速度を低速に設定して、出来るだけ急いで掴みにいくということで解決した。停止の操作もできないため、頂上まで辿り着いた時には巻上機に腕を噛ませた。それから拳で破壊して、止めた。

 昇りきってから、壁を普通に登攀してもあまり変わらなかったなと考えた。


 区画を超えると不朽結晶製の隔壁に行く手を阻まれた。

『かなり分厚い』と甲冑の腕で触れて分析する。『よっぽど大事な物がないとこんな壁は用意しないでしょうね』

 有り得るのは人類の生存に関する設備だ。サイプレスは熟考した。

 隔壁の向こう側に生きた気密区画や防除施設がないと言い切れなかった。

 隔壁を執拗に叩いて音を反響させ、微弱な電波的探査針を打ち込んで向こう側を調べた。


『この微妙に回るような感触はモーター……? 何かいっぱいある……? 全部モーターだとして、何に使うやつかが分からないと意味がねーですねぇ。うーん、換気ファン……意外にも発電機がたくさん並んでいたりして。まさかまさかのトレーニングジムで、エアロバイクという可能性も……?』


 視覚で捉えられない限りは断定が出来ない。だから音と電磁波を頼りに走査を進める。

 広い隔壁のうち、掌で触れられるごく狭い範囲にピンを打ち、反響を解析して、猫の額にも満たない空間について情報を得る。目を閉じたまま油絵の表面をそっとなぞって、描かれているものを読み解こうとするかのような、恐ろしく繊細で、迂遠な作業だった。

 どうせ死んだ都市だ。警戒は最低限で良い。どのような配慮も無意味で無価値だ。だがサイプレスはこうした無駄骨が嫌いでは無かった。少なくともそこには、目的があり、達成があり、成果があり、満足感があった。実際の所、この程度の純度の不朽結晶なら簡単に自己崩壊させられたが、万が一にもありそうもない可能性を敢えて考慮して、慎重に事を進めた。どれだけ使っても使い切れない時間が目の前にある。急ぐ必要は無い。


 作業を開始して解析が完了するまで三日ほどかかった。一日目には既に無意味な調査だと判明していたがサイプレスは最後までやり通した。

 いざ隔壁を崩壊させるのには三秒も要らなかった。

 蓋を開けてみればそこは大規模な洗浄・消毒区画で、案の定機能停止していた。動いている機械は一つも無かった。サイプレスに暗視能力が無ければ真っ暗な洞穴にしか見えなかっただろう。蒸気甲冑の具足がコーティングの浮いた床を叩く音だけが奇妙に大きく広がって聞こえた。

 失われれた時代について想像することだけは出来た。不死病の侵入を防ごうとした人々の苦闘が見て取れた。収容が決まった人間は、ここで大量の水を浴びせられ、消毒液をぶちまけられ、病変がないか隅の隅まで調べられたことだろう。


『そうすればご安心頂けるというわけですねぇ。ここは清潔で、安全で、確実な防疫が成されている場所だって。でも分かっているんですよ、都市の運営者はそう思わせるためだけにこの区画を作ったんでしょ。この都市はそういう機構のはずですから』


 さらに幾つかの区画を超えて、ようやく目当ての区画まで到達した。下の階層で得たデータと何度も照会してそこが冷凍睡眠設備であることを確かめた。完全な沈黙。電源は全てダウンしていた。運用している間に燃料を消費し尽したのかと思ったが違った。

 無数にある扉のうちから一つを無作為に蹴破って侵入した。どこにも繋がらない行き詰まりの未来。臭素分析が死体の腐臭を捉えている。

 さほど広くないスペースだが、壁一面にみっしりとハッチが設けられている。

 おそらくは内部に人間が収められている。忘れられた教会のカタコンベか、あるいは何か得体の知れぬ事件、不可解な大量殺戮事件と相対した警察組織が、見るに堪えぬ死体の山の扱いに頭を悩ませて作り上げた、やけっぱちの死体安置所のようでもあった。

 遺伝子プールを未来へ持ち越すための施設と言えばいかにも高尚に聞こえるが、おおよそ人間を5000人を収容する煌びやかである筈も無い。狂える自然環境を制し、次の千年が訪れるまでの間、ヒトを継ぐモノが現れるまでの間、無垢の生者を氷獄の辺縁で眠らせておく設備群。見栄えなど気にしてはいられない。

 しかし、実態はより悲惨だった。腐れた液が溢れて零れた痕跡がそこかしこにあった。

 臭素分析をするまでもなく、その空間には果てしない歳月を経ても分解しきれない死臭が充満していた。


『まぁ、そうなるでしょうね。どうしようもねーんですから』


 サイプレスは壁面のハッチを一つ開き、ロッカーの中身を引き出し、中身を検めた。人間の残骸を見た。内容物が全て腐れて漏出し、渇き果てて、ぺちゃんこになっていた。腹が破裂しているのは腐敗ガスによるものだろう。売値の付かない安物の革袋。無言でロッカーを押して戻した。それからその棺の群れを見渡した。夥しい数のハッチ。無数にある可能性の扉。どれか一つでも、人をこの世に繋ぎ止める楔となっているか? サイプレスはこの検討自体を棄却した。

 据え付けのコンソールを強制起動させて記録を見た。冷凍睡眠装置の稼動時間カウンターは西暦2540年付近で止まっていた。稼動開始が何年だったのか、どの程度持ちこたえたのか、推測することさえ不能で、いずれにせよどうもよい。

 サイプレスが理解したのは、やはりここは思った通りの施設だったということだ。

 冷凍睡眠設備らしき何かがある部屋を手当たり次第に荒らして回った。

 最上級市民が収容されていると思しき豪奢な部屋を見つけた。セキュリティは複雑に偽装されていたが調停防衛局の汎用暗号鍵で簡単に解錠できた。

 電子ロックを解除して少しだけ中を見た。

 目が合った。


『こんにちは。当機は調停防衛局のエージェント、アルファⅢ<サイプレス>です。どうやら元気そうですね。今日の天気を知りたいですか? 知りたいですよね。こんな真っ暗な部屋では何も分からねーでしょう。天気予報も見れそうにないし。良かったら海鳥の声でも聞きませんか?』


 無意味だった。現実を目の当たりにしてもサイプレスの蒸気甲冑の単眼は無感情だった。扉を閉じる。二度と開くことはないだろう。動揺はない。落胆も苦悩もない。喜びも悲しみもない。それらはずっと昔に彼女に背を向けてどこか知らないところへ行ってしまった。

 淡々とコンソールからデータを抜き取った。何十時間も繰り返した。サイプレスは泣きも笑いもしなかった。5000名分の名前をリスト化して、完全架構代替世界へとアップロードした。都市機能を完全に再現する機体でも存在するならば、遠い未来に役立つかもしれない。


 だがサイプレスはもうこの行為に意味があるとは信じていなかった。だが信じないという行為にすら意味が無い。意味が無いと分かっていてもやるしかなかった。続けている間は、本当にそれに意味が無いとはサイプレス自身にすら断言出来ない。目標を達した時には不滅の肉体は些か憔悴を覚えていた。


『……でも何も感じなくなったら本当に終わりですよ』サイプレスはぼそぼそと呟いた。『君はこの丸っこい鎧の中で不死の白痴になって世界が終わるまで楽しく過ごすんです。まっぴらごめんですよ、そんなのは。Tモデル不死病筐体はどんな文明でも評判が良いビジュアルなんですから。終わるまでにモテ散らかさねーと……』


 後は屋上に陣取る何某かの防衛機構と対面するだけだった。

 わざわざ接触する意義は薄かったがサイプレスには多少気になった。

<十三人の吊るされた男たち>と戦うのは茨の道だ。敗死の汚泥に沈む以外の未来は存在しない。全自動戦争装置ならともかく、一個人や一組織がどれだけ抵抗しても、結局は破滅の瞬間を遅らせるのが関の山だ。この無明の苦闘に挑んでいる何某か……正体は、何だろうか? 


『完全に機械化された自動砲台?』まだ稼動しているとは考えにくい。このアズール・ミレニアム・ファクトリーが都市機能を停止してから、少なく見積もっても五百年が経過している。『だって、知らない国で河川が広がり岩が砕けて砂になって、大河が干上がって砂漠になって、お馴染みの南極大陸が完全に消滅して海に流れ込んで、そのせいでペンギンが絶滅してもまだ余るぐらいの時間じゃねーですか』


 機械は永遠の存在では無い。メンテナンス無しで一世紀保てば僥倖、五百年後も動くなら奇跡だ。スチーム・ヘッドであるサイプレスはそのことを重々理解していた。

 だが不死病患者と蒸気甲冑は永遠である。這い回る怪物の吐息じみた重苦しい重低音、己の駆動音がそこかしこに反響していたが、それこそが蒸気機関の上げる不死の心臓の鼓動に他ならない。不朽結晶で象られた、不滅の絶望にヒトを縛り付ける電力の源。

 これさえあれば人間は人格記録が摩滅するまで永久に彷徨い続けることが出来る。

<十三人の吊るされた男たち>を何百年もの間、確たる意志で、迎撃し続ける。

 そんな真似は余程気骨のあるスチーム・ヘッドにしか出来ない。


『自分のご同輩だと思うんですけどねー……Tモデル不死病筐体の姉妹かも』


 最上階に進むには長い長い梯子を登る必要があった。死体だらけの冷凍睡眠設備の捜索で予想以上に疲労した。滑落して遊ぶのは控えた。

 サイプレスは卵型の蒸気甲冑器を器用に動かして、黙って長城の頂きを目指した。どんな機体がそこにいるのだろう? 脳内麻薬の量を操作して期待感を盛り上げる。一緒に来てくれたりするだろうか。何かこれからの未来について有益な情報を持っているだろうか? そのことだけを考える。

 この任務に就いたときは、救世主になったつもりだった。

 色々な未来を想像出来た。

 今はもう長期的な計画については何も考えていない。そんなもの、とっくに考え飽きてしまった。



 重いハッチを押し上げると世界から氷と名前の付くもの全てを消し去ってしまった肥大化した太陽が彼女を見咎めた。臭素解析から復元した潮風の香りを楽しむ。蒸気甲冑のレンズの感光能力を調節しながらそこから這い出た。

 塔の最上階は大型の輸送用回転翼機が着陸可能な広大な発着場となっていたが、数え切れない程のケーブルが一面を覆い尽くし、暗渠を通ってどこか

 発着場から悪夢の来る海を睨めつけている人影がある。

 明らかに特定機能にのみ特化したスチーム・ヘッドだ。腕部出力と脚部安定性だけを極端に重視した蒸気甲冑。その両手には塔を提げている。不朽結晶で構築された白亜の塔。あるいはそれは、巨人殺しの大槍だったのかも知れないが、いずれにせよ埒外の威容を誇っていた。艦載砲として採用される規模の電磁加速砲だろう。本人の全長と比較してすら十数倍の砲身を備えている。

 その長槍のような大規模破壊兵器を手にして海を見据えて微動だにしない不朽の鋼の佇まい。

 千年の時を経た戦士像も彼の前では竦むだろう。


『こんにちは』と声を掛ける前にその機体は振り返っていた。胴体に寸胴鍋のような装甲を施しており、サイプレスと似た形状をしていたが、拡張された四肢のおかげで動作の精密性は高いようだった。


『何だお前は。市長を思い出す声だな、イライラしてくる』とそのスチーム・ヘッドは憎たらしそうに言った。『誰の許可でここに来た。どこから入ってきた』


『救援に来ました。当機は調停防衛局のエージェント、アルファⅢ<サイプレス>の一機です。怪しいモノじゃねーですよ? 人格記録の回収を任務として行動しており……』


『許可書はあるか?』


『そんなのねーですけど。入国管理局でビザの発行でも頼むべきでしたか?』


『いや、何もしなくて良い。ここでお前は壊れて終わりだ、薄汚い不法侵入者だからな』


 発着場を覆い尽くすケーブル類が発熱を始めたと気付いたときには攻撃は始まっていた。

 塔の如き電磁加速砲から手を離したスチーム・ヘッドの手に、小型の拳銃型兵器が握られているのをサイプレスは見た。照準と同時、おそらくはその施設の全電力、発着場の地下に隠された蒸気機関群から得た電力を使って、その拳銃は極音速で不朽結晶弾を射出していた。対話が成立したのだ。『お前は壊れて死ね』という感情がそこにあった。

 放たれた高純度不朽結晶は見た目通り極拳銃弾の規模だったが、8gにも満たない弾丸は空気を爆裂させ月輪の如く輝く眩しい衝撃波を伴って直線上の空間をぶち破った。弾丸は弾かれて雲を貫き遠く空に広がる入道雲を引き裂いた。灼熱化した大気が陽炎の軌跡で抉り取られた世界を有様を曝け出した。


 威力も破滅性も完璧に予期していたが、サイプレスはそれに直撃した。逃げも隠れもしなかった。真正面から雷神の一撃の如き弾丸を受け止めたが、装甲はひとかけらも破損することは無かった。

 超高純度不朽結晶で胴体部を隙間無く防護する。これこそがアルファⅢ<サイプレス>が実現した、シンプルながらも絶対の防御能力だ。

 もっとも、猛烈な衝撃は殺しきれない。蒸気甲冑、決して砕かれないこの生まれずの卵はくるくると回転しながら数百メートルも吹き飛ばされ、真っ逆さまに転落して、花火のように派手な水柱を上げながら海へ没した。


 昏い底へと落ちていく。うんざりするような暗闇、心を蝕む波音の帝国。だがサイプレスは鎧の中で笑っていた。だって、あの施設には、本当にそこに求めていた誰かがいたのだ。轟然と向かってきた悪性変異体を無造作に海中で分解し、永久に割れぬ卵は、海底に両足を降ろす。最終的にどれだけ施設から離されたのか見当が付かなかったが、この先に話し合える誰かがいるという事実だけで、サイプレスの心を満足させるには十分だった。少なくともそこには、目的があり、達成が待ち受けている。それは幻では無く確かな実態なのだ。無意味の霧と孤独に苛まれていた精神は俄に活力を取り戻す。


『ひとりぼっちにさせてはあげねーですよ。何度もでも登る。何度でも出遭う。忍耐力で勝てるなんて思わないこと。慣れっこの試練ですよ、こんなのは』


 それは神話に現れる拷問に似ている。岩山を転がる石を追い、転げた石を頂上まで運ぶ。最後まで運び追えても、また転げ落ちてしまうかもしれない。それが見えざる大いなる存在による運命なのかも知れない。永久に終わりなどないのかもしれない。意味など無いのかも知れない……。

 だがサイプレスは喜びを以て、終わるまでそれを何度でも繰り返す。自由意志によって過酷な選択を選び続ける。その時初めてその罪人は罰以外の光を見るのだ。

 何千回と向き合った宿命だ。その試練をまた再度楽しむことが出来る。サイプレスは通常のスチーム・ヘッドなら粉微塵になっているはずの攻撃を受け、永久に脱出出来ないかも知れない海の暗闇で、しかし喜悦を感じている。

 神話の罪人のように、いつまでも石ころを担いでいるつもりはない。

 彼女はまさしく脚の生えた石ころだった。冷たい石ころに絶望は似合わない。


『石ころの虚しいしつこさを知らねーみたいですね。当機はしつこいんですからめ。カトンボみたいに追い払ったこと、後悔させにいきましょう。1000000回のクレームで目を覚まされてあげましょう』


 無限に転げ落ちる石ころの運命でも、しかし心は潤っている。

 サイプレスは新たな一歩を踏み出す。

 海底に具足の足跡が刻まれた。

 足跡は海流の動きに浚われていき、サイプレスが歩いてきた道は、すぐに消えてしまった。

 戻る道すら彼女には無い。

 進み続ける以外には何も出来ない。

 それがアルファⅢサイプレスだった。


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