2-12 祭礼のために その9-4 背教者の言葉は祈りに似て
ウンドワートは目覚めた。
物理的に解体され、完全架構代替世界から再構築され、一個の意識体として目を開いた。
確たる自己の存在に気付いた……
何もかもが他人事のようだった。自分自身の肉体の無様な姿を、どこか遠くから眺めている。少女は光の射さない暗闇に囚われ、見窄らしい肉付きの、肋の浮いた体を、無数の自在腕によって、ほしいままにされている。破壊される。抉り出される。貫かれる。髪の一本から足指の先までを、花の香りのする不死の体液でしとどに漏らしそれでいてさらなる汚濁を求める……。
幾度目かの心停止。
白髪赤目の少女が背筋を反らして、そして、がっくりと項垂れた。
次に顔を上げたときには瞳には暗い光が灯っている。
何度か咳払いをしあ。粘つく唾液を吐き出した。声が出せない。制御不能な状態に陥った生体脳と再起動した人口脳髄の間にはあまりにも大きな断絶がある。
すぐに人工脳髄と生体脳のリンクが不安定化し、ウンドワートは肉体から弾き出された。
ウンドワート――自身をアリス・レッドアイ・ウンドワートだと認識しているその人格は、人工脳髄の内側で呟いた。
『――ああ、みっともない、みっともない。我がことながら、見るに堪えないわ。どうして私はこうなのかしら。クヌーズオーエ解放軍最強のスチーム・ヘッド! それが私である筈なのに、この有様はどう? 拘束されて、痛めつけられて……でもこれがわたしの深層の欲求なのよね。なんて無様な敗残者。犬畜生なんて言葉じゃ足りないわ……』
車椅子の上から機械の腕を操る侍女服の少女は、脳波や筋肉の痙攣から、人格たるウンドワートが覚醒したことに気付いたようだった。
メインの思考を人工脳髄の側に切替え、無線通信で彼女に挨拶した。
『やぁ君、僕たちのサー・ウンドワート。人格の復旧に成功したんだね。おはよう、おはよう』
『当然よ、当然よ、私はいつでも成功する兵士だもの。成功して、勝利するの。酷い朝ね、ヘカトンケイル。本当に酷い朝よ』肉体の制御を放棄して、肉体無きウンドワートが、鎧の内側に眠る人格記録媒体が返答する。『朝かどうか知らないけど。ああ、またこんなに破壊されて。本当にみっともない。情けないったら……』
『そう思うんなら、全くこんな雑事に煩わされる僕のことも、たまには、いやたまにとは言わず百時間ぐらい考えると良いよ。誰も適任が居ないから引き受けているけど、誤解しないでおくれよね、僕だって趣味じゃないんだからね。引くのは切り取り線じゃなくて図面が良いし、切り落とすのだって手や足じゃなくて資材が良い、いや誰かを救うために肉を捥ぎ取ったり体内を掻き回すのは好きだよ? 感謝されるのは嬉しいし、誰かを救えるのも嬉しい、何よりかつて生きていた僕自身がこういうことをされていたからね。こうすることでしか癒やせない病もあるって理解しているよ。臓物の大半が無くなってベッドから起き上がることも出来なくなる前は、外科医を目指していたぐらいさ』
『その割には楽しそうに私のボディをいたぶってくれてるじゃない』
『君のことが好きだからね。好きな子が苦しいと、嬉しい。ああ、返事は要らないよ、それぐらいは楽しませてよ。でもこれだって、僕の趣味じゃないんだけどね? 何故だろうね。いざ目の当たりにすると嬉しいのさ。僕たちの祖先がそういう人格だったのかも。あるいは……僕のオリジナルの、オリジナルが……』
『祖先に責任転嫁してどうするのよ、同じTモデル不死病筐体でしょ。やっぱり変態じゃない。死んじゃえ、死んじゃえ。ばかばかヘカトンケイル。へんたい千手観音』
親しげに、気怠げに呟くその声は、死の苦痛に痙攣を繰り返す肉体からは完全に乖離している。
言葉とは裏腹に、人工脳髄のみで思考を完結させているウンドワートの精神は、寝静まった街を映した鏡のように静かだった。狂騒と憤怒から最も遠い、凪いだ朝である。肉体からは絶えず、異常な神経発火の情報が入力されているが、全ては他人事のように感じられた。
あらゆる混迷は静けき海の漣の如く遠ざかる。運営する完全架構代替世界に保管されたアリス・レッドアイ・ウンドワートの精神は、半ば以上機能停止した生体脳、そして人工脳髄に代わって、リアルタイムで補完されているためだ。ウンドワートの現在の在り方は、ある種の人工知性体に近い。
彼女にとって、呪わしい性質ばかりを備える肉体は、枷だった。
彼女の臆病な自尊心を覆い、押し込める、窮屈な殻であった。
本来、ウンドワートのような、『Tモデル不死病筐体』と呼ばれる特殊な肉体、由縁の知らぬある検体のクローン体から発生した人格は、決まって扱い難い性格に成長する。
驕慢で奔放、人を惑わせて楽しみ、誰にも従わないというのが標準の仕様だ。
それを差し引いても、不死病に馴染みやすいという性質は魅力的で、しかも肉体のあらゆるスペックが常人を大幅に超えている。見栄えも良いのでどんな用途にも使える。
高性能スチーム・ヘッドを一から作成するなら、彼女たちを上手く育てて仕上げるのが最適だ。
養成過程で何をどのように矯正するかは、この特別な筐体の使用権を与えられた開発チームに一任される――その工程で人道や倫理をどう持ち込むかまで、丸きり自由だ。
『ああ、怨めしい。怨めしいわ、創造主たちが。どうしたって私をこんなふうに教育したのよ……いいえ、いいえ、きっと連中、犬ころの躾でもするつもりで計画を立てたのよね』
最強を志向するスチーム・ヘッド。その開発を求められた技術者集団が選択したのは、素体とする少女を徹底的に貶め、強者と弱者の関係を刻み込むことだ。
百年以上も前に解体された組織――カルト教団に偽装した結社の外郭団体――の教育プログラムによって、アリスと名付けられたTモデル不死病筐体は、たっぷりと愛されて幸福な幼少期を過ごした。
それから地獄の淵のような文化争奪の最前線に投入され、どこまでも穢された。
屈辱のうちに歪み果てたが、アリスはそれでも、廃人にはならなかった。
復讐心と敗北への恐怖によって、他のTモデルには存在し得ない、力への欲望に目覚めたのだ。
正式にウンドワート・アーマーの装着者に選定され、機械的な再調整を受けてからは安定化し、力と地位のみを志向する捕食者として完成した。
そのはずだった。
そうでありたかった、とウンドワートは己の凄惨な痴態を俯瞰して自嘲する。
『Tモデル不死病筐体はみんな異常性癖に目覚めるのかも知れないわね。だってヘカトンケイルなんて、全機変態だもん』
『変態とは酷いじゃないか。否定しないけどね。あはは、だって僕も、気がついたらこんなふうに沢山になっていたわけだけど。こうされるって気付いてなかったのかっていうと……そうでもないんだよね、たぶん。自分が無断で複製されて、人に奉仕するだけの機械にされてしまうって……きっと予期していた。僕はきっとこの未来を知っていたんだ。ああ、毎日が刺激的で、楽しすぎて気が狂いそうだよ。一桁ナンバーはだいたいみんな狂ってしまった後だけど。ところで、ねぇ君、それじゃあ、こんなことされないと混乱から解放されない君は、何なのかな。ねぇ、肉体の、この憐れな声が聞こえるかい。どうなのかな、ねぇ、どんな気持ちだい? ウンドワート』
ウンドワートには、何も言い返せない。
お決まりの情報入力。今度は言葉で甚振ろうというわけだ。
『……ええ、ええ。そうよ、私はイカレてるのよ。壊れてるのよ。こう応えれば満足?』
毎回似たような遣り取りをしているが、飛び抜けて異常な嗜好性を持っていることについては、ウンドワートは抗弁が出来ない。欲求に関して言えば、この白髪赤目の痩せぎすの美しい弱肉にとって、愛とは注ぐものではく、一方的に容赦なく注がれるもので、それらは常に暴力的でなければならない。
そのように学習し、そのように生き延びてきた。
不朽結晶の巨人どもが支配するあの地獄の中で。
人格記録媒体に封入された彼女の精神にしても、重点的に補修されてはいるが、深層部分では変わっていない。どれだけ強者ぶっていても、内包している衝動性はどうしても被虐に寄ってしまう。多少データベースを整理した程度では無意味だ。非人道的に痛めつけられ、強者に服従する。そのように教え込まれてきたという肉体の履歴までは、抹消出来ない。
ストレスを与え続ければ肉体は条件付けに従って敗者らしく、躾られた犬らしく、忠実な道具らしく振る舞うようになる。
そうなればウンドワート自身にも精神の制御が難しくなり、正気の自分と狂えるアリスの間で人格が崩壊していく。
極限での任務をこなした後、ウンドワートは敢えてその醜態の発露を選択する。
万全な状態に回帰するには、その無様な姿を経由するほか無い。
『……悪いわね、悪いわね。申し訳ないとは思ってるのよ。技術部門のトップにやらせる仕事じゃ無いし。でも、私の肉体の認知機能って、本当にどうしようも無い形で歪んでるから。すっかり教え込まれてるの。だからこそ、他の誰にも見られたくない。信用できる、同等クラスの機体にしか任せたくない。仰ぎ見るべき栄光あるアルファⅡウンドワートの惨状を、そこらの三下に見せるわけにはいかないの。その戦略的意義はあなたにも分かるでしょう? 士気に関わってくるでしょ』
『かもしれないね。君の士気には、ね。色々なスチーム・ヘッドを診てきたけど、みんな正直なところ、個人個人の嗜好なんて知ったことでは無いみたいだよ? まぁあのウンドワート卿の自己破壊プロセスのスイッチは外側から押せるだなんて、大勢が知っているべきことでは無いから、僕としても、僕だけがこれをやれるというのは、安心だよ。ご安心だね』
『そう、ご安心なのよ』復唱してから問い返す。『誰の口癖だっけ……』
アルファⅡウンドワートには二つの欠陥がある。
一つには、通常のパペット同じような手段では人格記録の校正が出来ないということ。戦闘のストレスで発火した精神を癒すための正式な手順は完全に失われていしまっている。
もう一つの欠陥は、生身の肉体に特定の継続的に刺激を入力すれば、強制的に自己解体と復旧のプロセスを起動させることが出来てしまう、ということだ。
原理は単純だ。肉体のストレス反応を意図的にエスカレートさせ、危険域に達するまで刺激を与え続ければ、人工脳髄のハード的な保全機構が作動し、エマージェンシーモードへ移行する。
すると人工脳髄が生体脳の制御とフィードバックを放棄し、人格記録の参照先を肉体からのノイズで発狂したウンドワートではなく、完全架構代替世界に存在するバックアップへと切り替わる。情動制御システムが高レベルでの情動切除を開始し、人格記録防衛のために標準思考から逸脱した感覚を演算から片端から排除するようになり……ウンドワートの人格は一度、人間的な機能を停止する。
擬似的に破壊されて、死ぬのだ。
通常の手段では鎮静化出来ないウンドワートについて、ヘカトンケイルたちはこの二つ目の欠陥をメンテナンス用のツールとして利用してきた。情動制御が安定化すれば、人格の停止は時限で復旧し、恒常性も本来在るべき状態へと回帰していく。そうなれば肉体からストレス反応が消えるのも、時間の問題ということになる。
即ち、これこそがウンドワートの自己破壊プロセスである。
彼女の自己破壊は異常な身体状態からの復元を強制的に励起し、精神的疲弊をリセットするための手段だった。
『可愛らしく喘いで血をダバダバ流す君を見られるのは正直そう悪いことでは無いよ。青ざめたり赤らんだり。表情豊かな君はとても可愛い』
『内臓を掻き回しながら吐くセリフじゃ無いわよ、異常者』
『相手が異常者でも異常者だと面罵するのは酷いと思うよ? 肉体の方はなかなか感覚がオーバーフローしないね。よっぽど疲れていたのかな。反応が鋭敏すぎる。こんな風にされてもまだ罰を求める。君という人格を適応してもまた弾かれるね』
――自己破壊による人格の再構築。
――肉体の恒常性を飽和させ、暴走した感覚器を強制的に沈静化。
それがヘカトンケイルが、ウンドワートの本体、この無力な少女を、定期的に、徹底的に、冒涜的に破壊する理由だった。
一歩間違えれば人格崩壊を招きかねない危険行為だ。
ヘカトンケイルとて、これが最も良い手段だとは考えていないだろう。
しかしウンドワートの人工脳髄は特殊仕様であり、自己破壊・再構築のプロセスを正規の手順で起動可能な元の開発チームは時の狭間に消え去って既に存在しておらず、解放軍自慢の医療用人工義脳を使っても、その深層部分にはアクセス出来ない。
誰にも彼女を扱えない。救えない。単純な身体接触であっても極度に恐れる繊細な人格で、しかも人格を成立させる過程で肉体に与えられた性向も一般の範疇に収まるものでは無い。ヘカトンケイルを除けば、誰が彼女、アリスの名をひた隠しにする、このか弱い人格の名誉を保ちながら、残虐の手段で以って、再生させることが可能であろうか。現状で意図的に自己破壊プロセスの起動と自己安定化を促すには、ヘカトンケイルのような高度技術者が、バイタルを確認しながら、なおかつ慈悲の心を保ちながら、計画的に肉体を痛めつけるしかないのだ。
『でもね、頼れるのが僕たちヘカトンケイルだけだなんて、それは甘えだよ。リスクは減らすべきだけど、依存先が少なすぎるのは、それはそれでかなりのリスクだよ』
『生憎と甘えられる相手なんてヘカトンケイルぐらいしかいないのよ。ファデルやペーダソスには絶対無理。他の幹部にだって無様に壊されてるところは見せたくない』
『以前から提案してるけどコルト少尉はどうなんだい? ここには今日はいないけど、彼女も君と同格じゃないか。同じTモデル不死病筐体だから肉体の機微も知悉してるだろうに』
『冗談! 冗談よ、やっぱり、そんなの。コルトなんかには、私のこんな姿、見せたくない……あの姉気取りのポンコツだって、きっといい顔はしないわ。フリーク・アウトの兆候ありって見做されて、それこそわたしは壊されてしまう。SCARで肉体を蒸発させられたらって思うと、怖くてたまらない。不死病の因子を強制的の発火させるのよ? こんな単純な苦痛じゃないんだから』
『コルトからしてみれば、妹扱いしてる機体がここまで暴力行為に晒されてることの方が、悪夢だと思うけどね』
とにかく、ウンドワートのメンテナンスというのは、おおよそまともな状況では無い。スナッフ・フィルムの撮影にも似ているが、スチーム・ヘッドの肉体は不滅である。少女肉体が壊されては再生し、再び破壊されるという光景は、僅かでも正常な感性が残っている機体が目にするなら、悪夢以外の何物でも無い。
ウンドワートにもその点は自覚がある。
他のスチーム・ヘッドやパペットがしているように、擬似的な愛欲の発露にでも頼れば良いのではないかという提案も、ヘカトンケイルは繰り返し行ってきた。しかしウンドワートは、これに関しては悉く拒否してきた。弱肉たる己を、心の脆い部分、生理的な反応では無い真実の己まで晒してしまうのが、恐ろしかったのだ。
ウンドワートは最強のスチーム・ヘッドである。
それ以外に寄る辺などない孤児である。
『コルトは同情なんてしないわ。淡々と不良機体を始末するだけ』
『そうかな、そうかな、どうかなぁ。まぁいいよ、そういうことで。じゃあ核心に斬り込むね、残り時間は短いからね。君の生体脳が破壊されて狂っている間、そこに生体CPUとしての能力は期待できない。だから、人工脳髄だけに思考を頼る君の時間は、君の自覚よりもずっとずっと早い……もうすぐメンテナンスも終わりだ。君が素直でいられる時間は、終わりなんだ。だからその前に率直に尋ねるよ。ねぇウンドワート、君には新しい友がいるじゃないか。せんぱいと呼ばせていて、後輩と呼んでいるんだろう。君のメンテナンスってさ――君の大好きなリーンズィに任せるのでは駄目なの?』
『……こんなことはさせられないわ』
ばつん。切断された肉体を横目で見遣る。
体から血液が流失していく感覚に、恐怖も痛みも無い。体温が失われていくときの怖気は別の感情、別の想像の呼び水となる。
来て欲しくない未来。折角手に入れた『こうはい』、自分を無条件に受け入れてくれるリーンズィが、今ここにいない現実。
そしてこれからも永久にいないままであるかもしれないという想像が、まざまざと脳裏に浮かぶ。
『……わたしがさせたくない。嫌な思いはさせたくないし……これ以上幻滅されたくもない』
『欺瞞だよ。彼女とはただ愛し合うだけで良い。こんなことをする必要は無いじゃないか。ジェネラルは君を敬愛して拒んでいるけど、僕はデータを受取っているんだよ。拷問じみたメンテナンスじゃなくても、アルファⅡモナルキア・リーンズィと楽しく時間を過ごしただけで、君の心身は格段に安定化されたわけだからね! 驚いたよ、君は確かに彼女と接触して、本当に素朴な安らぎを感じていたんだ。まるで恋する乙女みたいじゃないか。信頼できる機体と、恋人同士がするようなことをちょっとやっただけで、あの夜の君はすっかり落ち着いていたんだよ。それを習慣化すれば万事は解決だ。こんな大がかりな拷問場所を用意する必要もなくなるし、君をフリーク・アウトさせるリスクも桁違いに低下する。リーンズィとの定期的な交流を選択肢に含めるのは、君とリーンズィの双方に利益があると思うけどね。ねぇ、好き同士なんだろう? 君たち。それとも違うのかな』
『……双方に利益って、何よ。リーンズィには特にメリットは無いわ』
『好きな人と公然と愛し合えるのは利益じゃないか』僕はあんまりその辺の感覚は分からないけどね、とおどけた調子で肩を竦める。『まさか、彼女の愛を疑っているんじゃないだろうね。アルファⅡモナルキア・ヴォイドから提供された情報では、彼女は君のことを心底から慕っているよ。そして彼女の基盤は肉体的な愛着感情に存在しているんだ。君と触れあうことが出来るのは、リーンズィにとって純粋な悦びであり、存在承認についてもプラスに働くわけだ。だから君にも彼女にもヨシというわけさ。二重に三重に良いことだらけだよ?』
『でも……頼めない、頼めないわよ。あの子との、その……一夜だって……正直、私が強要したようなものだし。私が一緒に居て欲しいって訴えて、あの子はそれに応えただけ。それに、あの子はもう、遠いところにいってしまうわ……』
『それって婚姻のせい? ふうん。リーンズィが大主教リリウムと、組織の代表として婚姻の儀式を行ったのが、そんなに気になるかな』
『もちろん、もちろんそれもあるけれど……リーンズィはたぶんウンドワートが一番強くて偉いスチーム・ヘッドじゃないって気付いてしまった……』
『どうしてかな。ウンドワートは依然として最強のスチーム・ヘッドだよ? 技術部門のトップであるこの僕が保証する。よっぽどの悪条件じゃない限り君に勝てるスチーム・ヘッドなんて存在しない』
『……知ってるでしょ。アルファⅡモナルキアにはもう負けてるのよ。あんな貧弱な兵装の機体に』
『負けてないよ? 真正面から相手に合わせた、そのせいでついたブラック・マークだ。アルファモデルでも何でも、完全架構代替世界搭載型のスチーム・ヘッドは相手のフィールドに飲み込まれたらもう終わりなんだからね、そのことを忘れてはいけない。君の必勝パターンは遠距離から敵を捕捉して、デイドリーム・ハントで先手を取って、対応する時間をコンマゼロゼロ1秒も与えないまま殺しきること。それを、しかし君は、わざとしなかった。手心だね。だからあんなのは本当の負けじゃないよ』
責め立てられて苦悶する己の肉体を見下ろしながら、赤い目をした少女は自嘲する。
『違うの、違うの。負けた事実が、大事なの。アルファⅡモナルキアは最強でなくても良いけど……アルファⅡウンドワートは強いだけだから。最強でなければ存在意義の無いスチーム・ヘッドなの。たぶんリーンズィも、リリウムのレギオンを前にしてクヌーズオーエで本当に尊ばれているものは、ただ強いだけの存在じゃ無いというに気付いたんだわ。だからあれほどわたしを慕ってくれていたのに、私から離れた。代理でも何だのは口実よ、リリウムに鞍替えをしてしまった……』
かつて人類文化継承連帯においては、暴力こそがその機体の価値を定めた。
強力な機体は王侯の如く崇められ、幾つかの山嶺をも飲み込んで己の構造物へと作り替えた全自動戦争装置は、その全世界に対する破滅的な侵攻能力によって絶対の地位を築いていた。
誰もその超高度人工知性を止められなかった。
あるいはそれは、人間が己が意志で創造したもののうちでは、最も神に近い存在だった。
『ずっとずっと、私は至高のスチーム・ヘッドだった。勝利して、勝利して、勝利して……どんな機体でもわたしには敵わなかった。私は世界で一番の強者だった。どんな横暴でも、どんな癇癪でも、誰にも文句は言わせなかった』
英雄の時代は、神話の時代は、暴力によって築かれた地位は。
クヌーズオーエ解放軍においては、砂礫の城だ。
あるいは剣と銃で組み立てられた玉座である。
いかな不死、いかな絶対者であろうと、そこに永久に腰掛けることは出来ない。
所詮はその場限りの積み木細工。
崩れ去ることを束の間猶予されただけの、無価値な幻想に過ぎない。
多くの命、多くの国家、多くの魂が、暴力が全てを支配する時代を拒んだ。
滅んでは生まれる多くの歴史が、悪王を椅子から排除してきた。
理不尽な暴力を追放するために戦った。その波がクヌーズオーエ解放軍にも訪れた。
それだけのことだ。
絶対的な強者が君臨する時代は、不死の時代を彷徨うこの軍勢からも、失われたのだ。
これよりは、失われていく人心を繋ぎ止めるための時代。
ただ生きることをのみ志向する、牙と鎧を持つ兵士たちの、偽りの魂が流浪する時代……。
人類文化継承連帯。人の営みを継承するというその意志が、確実に蘇った世代。
だから、現在の解放軍での地位は、必ずしも暴力によっては築けない。
『ヘカティ。英雄だけが尊いだなんて、もうそんな時代は終わったの。そうでしょう? 強いだけなんて価値が無い。私は失墜し、ただ強いだけの兵士に成り下がる……』
『そんなことはないよ、サー・ウンドワート。君は僕と違って唯一無二の存在であり続けているよ。何故、戦闘用スチーム・ヘッドが山ほどひしめく人外魔境で、君一人だけが卿なんて大袈裟な爵位で呼ばれているのか、もっと真剣に考えるべきだろうね。僕なんかは、見てごらんよ。誰も彼もひとまとめにヘカティだよ! それぞれが違う同一人物なのに! ちっとも変わらない愛称で呼ばれる僕に比べればはっきり分かる。君は強いだけの兵士とは次元が違う。本当にそれが分からないのかい?』
『そうね……でも、きっと、おだてられてるだけよ。おだてられてその気になる、血によって恍惚に叫び、弱者を嬲れるなら文句を言わない。扱いやすい戦場の雌犬だわ……』
ウンドワートには真実、暴力以外は何も備わっていない。
ヘカトンケイルの多腕にあちらこちらを掻き回され、ネジが途切れかけた機械のように震えるその脆い少女の肉体も、本質的には暴力を振るうためのデバイスの一部でしか無い。パペットには、不死病患者が必要である。それだけしか、利用価値が無い。
……暴力以外には何も寄る辺の無い彼女だからこそ、時代の趨勢がはっきりと理解出来た。
無制限進撃と、謎の黒い塔の付近に拠点を持つ不明武装勢力<暗き塔を仰ぐ者>殲滅を掲げるキュプロクスの突撃隊。
彼らは人類文化継承連帯の一員としては理想的な集団だ。征服し、収奪し、支配して、保管する。何よりも友愛を重んじ、同胞が破壊されれば敵が地平から消え去るまで報復する。
だがクヌーズオーエ解放軍では、そうした風潮が前時代へと逆行した。
一方的な武力攻撃を是としない集団が決起した。
彼らの結束と蜂起、勢力の急速な拡大こそが、パラダイムシフトだった。
萌芽は、そこかしこにあったのだ。権力を求めて――それが寒々しく、実を結ばず、何一つ生み出すことの無い権力だとしても――力を示すため、ひたすらに潰し合い、派閥争いを繰り返す。その旧来的な構図への忌避感、もはや人ならざる身で、自分の魂が偽りのもので在ると残酷なまでに理解出来る状況で、終わりのない闘争に明け暮れることの徒労感は、じわじわと彼らを侵しつつあった。
誰しもが疲弊していた。この先には何もないと知りながら戦い続けることなど、超人ならざる精神、人間から抽出した、象られた精神には、耐えられるはずもない。
だから、決起した。
誰もが揮発を猶予されただけの空虚な心で、しかし前進的な蛮勇と、人間的で市民的な理性を持って相対したのだ。
そして粛清の嵐が吹き荒れた。<暗き塔を仰ぐ者>を地上から根絶するのでは無く、己らを切り詰めることをクヌーズオーエ解放軍は選んだ。
突撃隊がついに最後の一機まで排除された時、その変化は決定的なものとなった。
『……君を慕う人々を蔑ろにしてはいけないよ』ヘカトンケイルは不満そうだ。『君は多くを救い、今も救い続けている。ずっと弱い方の味方をしてきたんだ。そのことの価値を問うのは、彼らへの裏切りにも等しい。君は英雄さ。クヌーズオーエ解放軍に最後に残された本物の神代の兵士さ。紛い物の僕なんかとは違うんだよ? 羨ましくって仕方が無いというのに』
喜悦に肉体の赤目を潤ませながら、ウンドワートの人工脳髄は悪態を吐く。
『なんて皮肉、悪辣な冗談! 英雄だなんて買いかぶりよ。臆病で、臆病で、どうしようもやつなの、私は! 別に弱い方の味方をしたわけじゃない! 一時の勝利じゃなくて、私が永久に勝ち続けられる側を選んだだけなんだから。キュプロクスの突撃隊なんかに肩入れしたら、いつかやつらに寝首を搔かれるもの! 壊されるもの、犯されるもの! 本体がどんなナリかはずっと隠してたけど、こんな弱肉の女だと分かったら、あいつら掌を返したに違いない! だから、いざとななれば、簡単に潰せるやつらの側に付いた。それだけなのに……気付けば義に篤いヒーロー扱い。でもそれが何だか気分が良くって……簡単にその気にさせられて……ああ、本当に情けないったら……』
暴力が全てを纏め上げる時代はキュプロクスとともに破滅し。
クヌーズオーエ解放軍は、極めて穏健な集団へと変貌した。
新たな軍団長としてファデルが任命されたことなどは、時代が一つの結節点を迎えたことの証左だった。機体性能に限って言えば、彼には、ウンドワートに勝るところは一つも無い。だがその誠実さと折衝能力、ローニンなる不明なスチーム・ヘッドから得た独特な戦術眼、面倒見の良さを評価されて軍団長にまで取り立てられた。
確かに人当たりは良い。
自分を差し置いて戦闘部隊のトップであるという点を除けば、ウンドワートとしても嫌いな機体では無い。
『ヘカティも見てきたでしょう。クヌーズオーエ解放軍の改革はどんどん進んでる。戦闘用スチーム・ヘッドは迎撃部隊だの何だのに割り振られて、頼られるけど極端な権限を持っていないのが自然というポジションに回されて。躍進したのは、壊す以外の価値を持つものたち。人間らしい才覚を持った優しい魂たち……みんな人類文化の継承者として正しく生活を始めているわ。仕事を楽しみ、責務を果たし、趣味に没頭する……強さよりも何かをよりよくしていくことが大事になり始めた……』
時代は変わったが、戦闘用スチーム・ヘッドが以前より軽んじられているわけではない。戦闘能力は依然として崇高なものだし、積極的に前線に立つ機体は一目置かれている。
とは言え、そんな彼らにしたところで趣味が戦闘なのだし、平日には自慢の戦闘技巧を披露し合ったり戦術ネットワークに解説動画をアップロードして愉しんでいる。彼らも生活を楽しむ側に舵を切ったのだ。
それだから、ウンドワートの解放軍史観には、些か被害妄想の気色がある。
だが、とにかく全体としては『暴力による支配』とは違う軸での評価が進んだ。それは事実だ。
極端な例として、あのジェネラルがいる。
人工脳髄が馴染めた肉体が、嘲るように息を鳴らす……。
『ヘカティがジェネラルを擁立したときは驚いたのよ。本当に驚いたの。もっと優秀な技術者がたくさんいるし、あなた自身が全権限を掌握しても、きっと間違いではなかったのに。なのに、わざわざ引っ張ってきたのは、戦闘能力は皆無、技術者としても三流四流の、あんないけ好かないやつ。何か弱みを握られたのかとも思ったわ。でもヘカティにはキュプロクスたちを排除した段階で、もう未来が見えてたのよね?』
ジェネラルがどうして技術部門の責任者、解放軍の幹部を任されているかと言えば、彼には『責任を取る』ということに対して並々ならぬ覚悟があるからだ。
全体のため、円滑な組織運営のため、破壊を伴う衝突を回避するためならば、自分がどのように泥を被っても良いと覚悟して行動する。狂気的な献身、狂気的な秩序への意思。
クヌーズオーエ解放軍でも、そうした苦難以外には何も無い道へと歩いていける機体は限られている。
ジェネラルは間違いなくその中の一人だった。
相手にも自身の覚悟を信じさせるだけの凄みがある。
『あいつは死を恐れない。どんなに壊されたってその信条には罅一つ入らない。だからこそ信用される。人徳というやつよね。だからこそ新生したクヌーズオーエにはふさわしい。この継ぎ接ぎの軍勢を取り纏めるためには、あいつみたいな癪に障るやつが必要だった』
ウンドワートの暴走を止めたように、スチーム・ヘッドの間で重大なインシデントが生じたとき、彼は必要ならば、一切の躊躇なく、自分を、自分の持ち得る可能性世界を全てを捨て去り、それを緩衝材へと変え果てるだろう。
暴走するトロッコを止めるために真っ先に自分を線路に投げ込めるのだ。
ただ任務に忠実なだけのスチーム・ヘッドでは、到底真似が出来ない。
冷静に思考し。
己をどのように使い捨てるかまで考える。
そんなの、誰にも真似は出来ない。この先に未来があると、自分でも信じていない題目を信じて、怠惰な都市探索を繰り返す兵士たち……自我が崩壊して終わるまでの時間を、情熱の残り火へと捧げる技術者たち……同一人物の量産という禁忌を冒して創造されたせいで、偽りの一回性すら有さないヘカトンケイル……彼らでは、自分自身の完全な破壊まで一つの手段としてカウントするジェネラルの代役は、決して務まらない。
だから『ジェネラル』の渾名は、決して皮肉のためだけに与えられたものではないのだ。
彼は無能だ。
彼は傍観しているだけ。
彼は状況を待つだけの存在。
何も生み出さずどこにも向かう気はない。
だがまさしく『司令官』である。
次代を導く代表者である。
責任を取って滅びる覚悟があるのだ。
『ところが私は、単純に強いだけ。一騎当千、不滅にして不屈。それ以上だって自負している。壊して回るだけで良いなら、どこの馬の骨とも知れぬ機体を一万機屠ってもまだ余裕はある筈よ。――でも、それだけ』
少女は自嘲する。この、ちっぽけな少女は自嘲する。
要するに、戦闘用スチーム・ヘッドを千機も揃えればウンドワートは代替可能なのだ。
困難ではあるが、不可能では無い。
無二でもなければ、絶対でも無い……。
最強では無いウンドワートなど、メンテナンスに手間がかかるだけの、厄介な戦闘用スチーム・ヘッドだ。
『私は結局、いてもいなくても良い機体なの。何も創れないし、愛せない、愛されない。壊すことだけは得意だけど、それだって一番じゃ無いの。このクヌーズオーエで、価値を生み出せない機体なんて……』
『君の代わりなんてそうそういないだろうとは思うけど、しかしそれでは意味が無いというわけだ。分かるよ。それは客観では無く主観の問題だから。他ならぬ君自身が、いてもいなくてもいいと確信しているなら、そうなんだろうね。でもウンドワート、リーンズィも愛せないのかな?』
その名前に。
肉体と人工脳髄の両方が、切なげなパルスを発する。
『ねぇ君、ウンドワート。愛してる? 愛していたい? 誰かを愛せるということは、価値だと思うよ。愛の形をなぞることは出来るけど、本当に心底から誰かを愛せるという機体は、年々減って行っている。肉体は不滅でも、象られた魂は摩滅していて行くんだ。僕を見たまえよ、あまつさえ僕同士で憎み合っている。そのくせ自分自身が大好きなんだからお笑いだよね。あははは、は、は……でもウンドワート、君は違うだろう。君は「こうはい」を手に入れた。君は大好きな人を見つけた。守りたい誰かを手に入れた。人類文化の継承者として立派なことだよ。これは本当に素晴らしいことなんだ』
『……だけど、見抜いたの、見抜かれてしまったの。リーンズィはわたしの腐れた性根を見抜いたのよ。だから、どこかへ行ってしまうの。わたしよりもずっと確かな価値と視座の具現者、大主教リリウムをこそ選んだ。合理的で賢明な判断よ、分かるの、分かるの。だけどわたしはそれに耐えられない。自分勝手に激昂して、泣きわめいてほんと、バカみたいよね。リーンズィはわたしの薄汚い力への欲動と、負け犬丸出しの惨めな本性と、無知に付け込んで自分に恋人みたいにせんぱいだなんて呼ばせる、おぞましい心根に気付いたのよ。こうなったら、ウンドワートが如何に唾棄すべき存在なのかはすぐバレる。リリウムの方がずっと建設的で清潔なんだって分かってしまう……』
自在腕の群れで工業的に白髪の少女の肉体を痛めつけ、些か上気していたヘカトンケイルは、人工脳髄から漏れ出たその嘆きを受けて、ふと冷静になったようだった。
興が冷めたと行った様子で攻める手を緩めた。
車椅子の上で脚を組んで、溜息をつく。
演算された人格の苛立ちを反映して、裸足の指先がじれったそうに絡み合う。
それら一本一本に結わえられた極細の鋼線が、規則正しい振動を機構に伝え、動作を入力された自在腕の一本が蒸気を吹きながら稼動し、侍女姿の人形の汗ばんだ顔から、黒髪を一束払い除けた。
『まったく、趣味じゃない腑分けも、せめて楽しくやりたいという僕の気持ちも、いっそ毎秒考えるといいよ。リセットされたというのに、君らしくないじゃないか。いかにも君らしくないよ、ウンドワート。サー・ウンドワート! 聞こえているかい。ねぇ、アリス・レッドアイ・ウンドワート軍曹? いつもの君はどうしたんだい! 実のところ、君は誰よりも自分を痛めつけることのスペシャリストだ。自分自身で自分を傷つけ、それで相手の傷を理解しようとする。それをむさぼり、それを継承し、最強の名を高らかに掲げる! それが君だ。赤い涙を流す英雄、それがウンドワートだ! なのに、それが今、まさしく自分を慰めるためだけに自虐をしている。しかもよりにもよって、ご執心のリーンズィを道具に使うだなんて! 感心しないよ。君の愛は、彼女の愛は、そんなくだらない自傷に使うべきじゃ無い。そんなのでは駄目だ。他人の名を持ちだして玩具にするなんて、それこそ最低だよ、アリス!』
『これが本当の私、アリスの精神構造なのよ。有りもしない幸福に縋ったりしない、本当のウンドワート。私にはもう現実しか見えてない。夢なんか見えない、鏡には私しか映ってない。私はただ現実を見ているだけ。元々こういうやつだったのよ。なんてくだらない。なんてみっともない。情けないったら……』
『何が現実なのかな。ねぇ、応え給えよ、ウンドワート。スチーム・ヘッドの目に映る現実なんてありはしないんだ。全部夢幻、実を結ばぬ虚ろな影だよ。考えてもみ給えよ、君の嗜虐や栄達への欲求は決して否定されるべきものじゃないんだよ? 焦がれることは、人工脳髄の機能維持には欠かせないファクターなんだからね。僕たちヘカトンケイルが自分同士で否定し合い、補完し合い、それでいて本当の僕であることを志向するように!』
『じゃあどうしろっていうのよ?! この臆病な娘っ子に! 無力な襤褸切れに!』
『そんな言葉は誰にも使ってはいけない。君自身にも使ってはいけない。いいかい、君は自分を見失っている、サー・ウンドワート。最強のスチーム・ヘッド! 君はどんなに不貞腐れたって、最強であることに焦がれないといけない。見捨てられることを恐れないといけないし……それでいて誰も踏みつけには出来ないんだ。壊すことは出来ても、そのくせ、誰からも価値は奪えない。君は臆病で、優しいんだ。でもね、いい加減その無駄な優しさを捨ててみたらどうだい? 欲しいものを奪えば良いのさ』
思いも寄らぬ言葉に、ウンドワートの精神は些かの動揺を覚える。
所詮この世界は弱肉強食。
強い者は何をしても良い。
弱者はただ貪られるだけ……。
では、最強のスチーム・ヘッドは何を望むのか?
――散々にウンドワートの肉体を玩び、人工脳髄から本音を引き出してきたヘカトンケイルは、その破綻した実態を把握している。
『君は何故、その強さで以て、具体的に何かを望まないんだい?』
致命的な言葉だった。
まさしく、そうなのだ。
ウンドワートには絶対的な強者になった後のビジョンが無い。
何をしても良いと言われても、そんなことには興味が無い。
ただ弱肉に堕ちたくないだけだ。
『君の掲げる理念通りなら、何を奪ったって構わないだろうに! どうにかして是正すべき点は、まさしくそこにあるんだ。君の世界観では、君は何をしたって良い。どれだけ横暴に振る舞ったって良い。何を願ったって構わない。そうだろう、そうだろう君。サー・ウンドワート! 君は絶対的強者の地位にあるのに、普遍的な価値観の外側には絶対に向かわない。謙虚な、いかにもちっぽけな事にしか利用しない。レーゲントの際どい映像を買い漁ったり、自分専用の隠れ家を作って遊んだり、そんなことばかりだ!』
突然の暴露にウンドワートは大いに狼狽えた。
『ち、違うわ、違うわ! か、隠れ家は強者の特権なんだから! 維持するのにどれだけトークンが必要か知らないわけじゃ無いでしょ! それにそんなに映像だって買ってないし!』
『確かに莫大な額が必要だね。だけどそれはトークンがあれば誰でも出来ることなんだ。他にも美術工芸のための道具を買ったり、姉妹機の開いている露店でご飯を食べたり、高値の付いた背の高い美人さんのポルノ動画を買い漁ったり、大好きなリーンズィと似た匂いのする香水を買ってみたり、いかにも小市民的なんだ、君は! あ、でも自覚あると思うけど変な目的で香水買うのは本物の変態みたいだからやめといたほうがいいと僕は思うよ。これは友人としての忠告だ』
『ポルノの件とか香水とか、ヘカティはどれだけ人のプライバシーを侵害してるの?! あと香水は……別に……別にいいじゃない! ソファとかベッドに撒いて私的に愉しんでるだけだし……誰にも迷惑掛けてない……』
『ええっ、じゃあ普通に陰湿な変態じゃないか……そこまでリーンズィが好きなの? まぁ悪くはないよ、うん』給仕服の少女は少し頬を赤らめた。アリスの想いに、感じ入るところがあったらしい。『それは……いいよこの際。いいかい、君の本質は弱者。確かにそうだろうとも。だけど最強だというのも確かだ。ならば、最強の勝者らしく、この都市で暴力の価値が零落する前に、一度ぐらい本当に欲しいものを奪い取りに行ってしかるべきだよ。最強を以て、何一つ望まない……それは歪が過ぎるよ。そのせいで君はますます不安定になるんだからね』
「だからどうしろというの!」少女の肉体は悲鳴を上げた。「自己破壊する前は望んでいたわ、確かに望んでいたわ。思い通りにならないもの全部壊してやろうって。リーンズィもリリウムも皆殺しにしてやるって。それが正常? そんなことないわよね。わたしにだってそれぐらい分かるわ。いったい何を望めというのよ。ええそうよ、わたしは弱肉の地位に落ちたくないだけ! それだけなのに。望むことさえ……虚しくて、辛いだけなのに。どうしろというのよ」
吊るされ、破壊され、ウンドワートの肉体にはもはや汚れていない部分など一つも無い。
少女の白髪は汗と涙で濡れる。
人工脳髄の正常化に伴って、彼女の人格と肉体の分断は癒されつつある。
藻掻き苦しむ赤い瞳の少女。
その横顔には儚さすら漂う。
懇願するような表情に、侍女服のヘカトンケイルは、いかにも優しげな笑みを浮かべた。
そしてからかうような仕草で、そっと囁いた。
「君、花嫁を奪い給えよ」
「……どういうことよ」
「そのままの意味だよ? 組織間の婚姻だなんて言う形式張った儀式なんだ、チャンスはいくらでもある。君は悪い方へ悪い方へ思い込んでいるみたいだけど、リーンズィから君へ、一度でも拒絶の言葉があったわけじゃ無いだろう? リーンズィはそうそう変節するような子じゃ無いよ、信用しなよ、彼女は本当に幼くて一途なんだ。リーンズィはまだ『レアせんぱい』を愛している。君だってそうだ、恥ずかしがることは無いよ、あはは、バイタルを観察してる僕に隠したって無駄さ。君はリーンズィのことが大好きだ』
はっきりと口に出されると、それまではと別種の疼痛が剥き出しの心臓を貫いてくる。
ウンドワートは紅潮してくる裸身を隠そうとするが、生憎と自由になる腕は物理的に無い。
『ほら、心臓がこんなに高鳴ってる。僕が君にするどんな破壊行動よりも、君は彼女を想うことに悦びを感じてる。この世で何より大切に思ってる。だから、その最強の権利で以て、彼女を奪ってしまえば良い! あのぼんやり大主教の、リリウムからね。壊したり殺したりする必要なんて一つも無いんだ。世界はどうせ弱肉強食! 絶対的強者が花嫁を奪って何が悪いんだい? それに婚姻の儀式に異議ありと押しかけるのは正当な権利なんだから。臆病なフリして自己憐憫に耽っている場合じゃ無い。そうじゃないかな? 一回ぐらいは多目に見てもらえるよ」
「……ッ!」
ウンドワートは吊るされたまま頬を赤く染めた。
思い至らなかったが、それは、その通りだ。
別にリーンズィから拒絶の言葉を受けたわけでも何でも無い。
ジェネラルに諭された通り、リーンズィから何か最後通牒があったわけではない。
ぜんぶただの思い込みだ。
しかし、奪いに行くというのは……。
「大丈夫。無理筋のプランでも無いよ。君とリリウムの力関係は、事実上はあちらが全軍の最高権力者ではあるけど、一人軍団として、クヌーズオーエ解放軍の基幹部を司る君が口出しできないレベルの断絶じゃあ無い。僕だって個人的に最大限度口添えをしてあげるよ。さぁ、これで二対一だ! 勝てない勝負なんかじゃないって分かり始めてきたはずさ」
だが、ウンドワートは、それを実行したときの未来を想像すると、どうしても身が竦むような思いがするのだ。
彼女は臆病だった。
己の肉体の感情を知らない。
小さな肉体は、まだ恋もしらない。
恋なんて、知らないのだ。
誰でもそうだ。
最初の一回は、それが何なのか分からないものだ。
「でも、私は……わたし、は……」
「ふうん。それでも決断が出来ないのだとすれば、それは今まさに自分自身を否定しているに等しいからだよ。もしかするとメンテナンスで思考が平板化しすぎているのかもね。限界まで活動したことのバックファイアが来ているのかな? ウンドワート・アーマーが機能停止するまで戦い続けなんて、過去には無かったことだから」
ウンドワートは未来を想像する。
照会して、本当に拒絶の意志を示されたら。
リーンズィにいよいよ拒絶されてしまった未来を。
白髪の少女は恐怖して、懇願する。
「いやなの、もう考えたくないの。怖い未来は考えたくない。お願いよ、お願い。くだらない話はもうお終い。わたしをもっと壊して。わたしをもっと痛めつけて。頭の芯が煮えてしまうぐらい、めちゃくちゃにして……。でないとわたし、正気でいられないわ」
「これ以上は逆効果だと僕は判断するよ。君はもっと本来的な自分に還るべきだ。自己破壊プロセスだって何度も繰り返して良いものじゃないからね。繰り返し繰り返し標準思考へと矯正するうちに、君はどんどん削れて、人形のようになっていくんだ。それに、知っていたかな、もうすぐ夜明けだよ。もうお家に帰る時間さ。だから一度家に帰って、それからじっくり考えると良い。君は強い、君は強者だ。何を奪ってもいいだなんて、時代にそぐわない価値観だね、それも事実さ。いずれその強さは許されなくなるだろう。だけどまだ猶予はある。一回ぐらい本当のワガママを言っても良いんじゃないか?』
侍女服姿の技術者は改めて微笑んだ。
機械腕が一斉に拘束を解く。
やせっぽちの赤目の少女が、己の残骸が層を作る床に投げ出される。
肉体は散らばっていた体液や肉片を巻き込んで急速に再生した。
火照る肌を痺れさせ、ウンドワートは上目遣いに問いかける。
「……どうしてそんな夢みたいなことを囃し立てるの。味方になってくれるって、いきなり何よ。あなたがそんな凶暴な恋愛至上主義者だなんて、知らなかった」
「恋愛至上主義者というわけでもないさ。僕は君のことが大好きなんだ。君たちのことを愛しているのさ」
その言葉にあまりにも突拍子が無いので、アリス・レッドアイ・ウンドワートには真意が汲み取れなかった。
嬉しいという気持ちは意外にもある。
薄暗い関係を結んでいる関係なので、肉体が反応してしまっただけかもしれない。
「……ふうん。何十人居るんだか分からないあなたが、皆そうなの。私のことが好きなの?」
「は、は、は! まさしくバラバラに切り刻まれて、腑分けされて、たくさんになってしまった僕に言われても、変な冗談にしか聞こえないだろうけど……僕は指の一本一本、細胞の一つ一つで、祈ってるんだよ。大好きな人は幸せになって欲しい。みんな幸せになりますようにって! レーゲントみたいだけど、でも、誰だってそうだろう? 素朴な願いだよ。好きな人たちは幸せでいてほしいんだ。素朴な願いは、最強なんだ、だってそれ以上は、あまりにもシンプルすぎて、砕きようがないからね。永久に不滅で、どれだけ細切れにされても無限に存続するのさ」
「……だけど、だけど、花嫁を奪われたリリウムは幸せじゃなくなるでしょうに」
「そんなのは、おあいこだよ。君から花嫁を奪ったのはリリウムの方が先なんだから」
り、リーンズィとは別にそういうわけじゃ……と声を出すウンドワートに。
車椅子に鎮座する少女は、どこか切なげな声で囁いた。
「……二度と出会えないかも知れない、でも確かに愛し合う二人が、断絶を乗り越えて結ばれる。僕は……遠い遠い時代の、まだ僕ではなかった僕は……きっとそんな物語が好きだったんだよ。そしてその成就を願い、だから僕たちはこんなふうになってしまった。こんな過酷な運命を背負わされて……それでも尚、夢物語に恋い焦がれるのさ」
眩しい光でも遮るように、届かぬ光を求めるように。
数十、数百の機械の腕が、分厚なコンクリートで鎖された空へと伸ばされる。
ヘカトンケイルの言葉は、数百年を渡る祈りの残響。
彼女らの始祖の、原初の願いだ。
幾千に分割され、複製され、改変され、細分化しても。
その聖句は、今宵、この時、この凍てついた時代にも。
まるで福音のように降り注ぐ。
「ねぇ、君……花嫁を奪い給えよ。君のために、僕たちの古い願いのために、ね?」
愛あれかし、と無線に誰かの声が混じる。
その声が誰なのか、もう誰も、覚えてはいないだろう。
結社は崩壊し、塔は崩れ、戦争装置は敵を見失う。
そんな世界で、彼女の絶対遵守の命令言語は無力で。
だが、確かにウンドワートの耳には、届いたのだ。




