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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション2 スヴィトスラーフ聖歌隊 大主教『清廉なる導き手』リリウム
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2-12 祭礼のために その9-3 アリス・レッドアイ・ウンドワートの自己破壊

 不朽結晶は有限なるもの全てを超越する。

 刃を象れば万物を切り裂く。命の価値を問わず、魂の有無を問わず、事の善悪を問わず、持ち主の望むがまま、破断する結末を切っ先の向こう側へと正確に運ぶ。

 白い髪と緋色の目を備えた少女は、手に浮かんだ汗をエプロンドレスの裾で拭った。

 そしてその服飾の不出来さに眉を潜める。布は良質だが、縫い目が粗い。自分自身で縫った服がこんなにも憎い。クロッチのごわごわとした感触が彼女の精神を逆撫でする。

 憎い。憎い。憎い。何もかもが憎い……。

 鞘からナイフを抜き放つ。

 震える手で握り締める。

 整っているが、人形的と呼ぶには些か幼いその面相が青ざめているのは、その肉体が未だ怒りに打ち震えているからだ。


「死……死ね……死んじゃえ……リーンズィ。リーンズィが悪いんだからね。リーンズィのせいで、私はこんなことをしないといけないんだから。死んじゃえ。死んじゃえ……」


 アリス・レッドアイ・ウンドワートは、譫言のように内心を言葉に代える。

 人工脳髄が演算する感情が突き動かすままに、不朽結晶製の黒いナイフを振り上げる

 その時間、その暗い部屋で、少女を止められるものは誰も居ない。

 目標は完璧に拘束され、無力にも彼女の目前に横たわっている。

 何もかも思うがままだ。

 何のどこを削ぎ落としても、どこを切り刻んでも、どのような悲惨な破壊を与えようと、全ては少女の自由だ。

 少女にはそれをする権利がある。何故ならばウンドワートは強いからだ。全軍で最強のスチーム・ヘッドだからだ。最強のスチーム・ヘッドはどんな振る舞いをしても許される。

 自分はこれから、人を、殺すのだ。そう考えると、得体の知れぬ怖気と、麻酔が染み渡るときのような高揚感が、少女の背筋を這い上がってきた。

 瞼を閉じて、確かにあったはずの愛情の残滓を確認する。二人でマスターの食事所で肩を並べていたこと。初めて自分のこの弱い肉体を曝け出したあの夜のこと。そして絶体絶命の窮地に身を挺して駆けつけてくれたあの日のこと……

 綺麗だと囁いてくれたあの緑色の/赤い瞳のスチーム・ヘッド。自分と同じ色の瞳になってくれた私だけの、こうはい。自分だけを好きでいてくれて、自分だけが好きにしても良い、この不滅が終わるまで、永久に分かたれることはないのだと、もう自分はひとりぼっちではないのだと、そう信じさせてくれた、初めて愛しいと思えた存在……。


 名残惜しい思い出を胸の奥底で反芻し。

 そして、それら愛しい感情の全てが、憤怒の炎の中で溶け落ちていくのを確認する。


「オヌシの夢は終わったのだ。ウンドワート、オヌシはやはり、一人きりなのじゃ」


 死と殺戮を仮託した人格で、自分自身に言い聞かせる。

 だから、決着を付けるのだ。


「……怖くない、怖くないわ。アルファⅡウンドワート……裏切られた私には復讐をする権利がある。何を考えて何したって、文句を言われる筋合いは、誰にもないんだから……」


 人を殺すには些か粗末な造りのナイフだ。しかし不朽結晶連続体は、ただ在るだけで至上である。自身の装甲の端材から造り出したその取るに足らないその凶器は、如何なる史書、伝説に現れる刃よりも、遥かに凶悪である。

 鋼は、張り子の壁であり、人体は骨の無い脂となる。

 恐るべき刃を振るうべく、握り締める――。

 矮躯から発散される熱。

 凍て付く空気が、その身を包もうとして、拒絶されて、蒸気に変わる。

 殺意を孕んだ甘い香りが、朦々と室内に逆巻いている……。


「――死ねぇっ!」


 レアは裂帛の気合いで以て刃を振り下ろした。

 白刃一閃。

 イメージするのはライトブラウンの髪の少女の首を撥ね飛ばす自分自身の姿。


 そして――少女の目前で、木の塊が切断された。


「死ねっ! 死ねっ! 死ねっ! 死ねぇっ!」


 ぱかん。

 ぱかん。

 ぱかん。

 自分を抱きしめてくれた腕が今は自分のものではないのが憎い。綺麗だと囁いてくれた唇が違う誰かに同じ言葉を囁くのが憎い。初めて自由意志で許した肌を撫でてくれたあの指先が他の誰かに触れているのが憎い。自分だけに想いを注いでくれたはずのあの眼差しが今は違う娘と見つめ合っているのが憎い。

 そして彼女を奪われたことに、暗い悦びを感じてしまう自分自身が……敗者であることに薄暗い安心感を得ている己自身が憎い。

 リーンズィを、そして自分自身を無残に切断・破壊する瞬間をイメージしながら、レアは目前の木材、万力挟みに固定した木の塊へ、ナイフを振るい続けた。


 出鱈目に振り回される刃は駄々っ子の振るう拳のようであり、実際レアは八つ当たりをしていた。

 その塊に向かって鬱憤を晴らしていたのだ。

「死ね、死ね」という怨嗟の声は次第に「ころす。ぜったいころす……!」という冷酷な呟きに変わり、ぱかん、ぱかんと木材を割り続けるナイフは、徐々に危険な加速を見せ始めた。

 美貌を苦々しそうに歪ませながらナイフを振り回し。

 少女はただ一人、己の居城で怒声を上げる。


「ふざけないで、ふざけないで! 何が婚姻の祭礼よ! 何が互いの組織の花嫁の代理よ! 何よ、あれだけ私に、このワシに、アルファⅡウンドワートに、人をその気にさせるような言葉を、さんっざん、思い出すだけで幸せな気持ちになってしまうぐらいリピートしておいて、なんで、なんでリリウムなんかと! まぁこの際結婚式は良いわよ、そういうことで手打ちになったんならね、だけど、あまつさえ抱き合っててイチャイチャしてる姿を全軍に配信?! あったまおかしいんじゃないの?! ああいううっとりした顔は私やミラーズにだけ見せるモノなんじゃないの!? されるがままなら仕方ないって思えるわよ、でもあんな、皆が見てる前で――!」


 怒気が殺意が臨界点に達したのか、衝動を発散しきれないレアの声に変化が出始めていた。

 息は乱れ、声は上ずり、目元には涙が滲んだ。

 少女は殆ど泣きながら叫んでいた。


「う、ううう! 死ねっ! 死んじゃえ、バカリーンズィ! もうリゼなんて呼んであげないんだから! 死ね! 死ねえっ! やっぱり殺してやる! 殺してやるもん! 誰が一番強くて偉いのか分からせてやるもん! みんなみんな殺してやる! 殺すーっ!!」


 か細い喉から悲鳴のように叫び声を上げて、最後の一刀を振り下ろした。

 ぱかん、と木材の一辺を切り落とし、ぜいぜいと肩で息をした。

 それから作業台の所定の位置に不朽結晶ナイフをあてがい、そっと刃を収納した。

 エプロンドレスの袖で額の汗を拭い、目元を拭い、悲嘆も憤慨も抜けきらない瞳を凝らして、切り刻んだ木材を確認した。


 それは彫像であった。

 デフォルメされたウサギであった。

 二足で直立し、片手に包丁を持っている。そんな気の抜けたようなビジュアルの、しかしいかにも凶暴そうなウサギ像である。サイズは置き時計の隣など生活に密着した場所に設置できるよう小さめだ。


 リーンズィへの恨み言が未だ渦巻くレアの人工脳髄は、しかし冷静な部分をしっかりと駆動させていた。レアは「ウサギの首元のくびれがまだ甘い」と思ったので、万力を動かして木材の角度を変え、締め直して、作業台からワンサイズ小さいナイフを抜いて、万力ごと切断してしまわないように細心の注意を払いながら、また切っ先を走らせ始めた。

 すっ。すっ……すかっ。

 すっ。すっ……こん、こんこん、こん……しゃっしゃっ……。

 大まかな形を木材から掘り出した今、わだかまる思いを刃に乗せることは出来ない。

 今度は精密作業なので、終始無言だった。殺戮技法の数々を転用した彫刻テクニックに淀みは無い。元彫刻家のスチーム・ヘッドには劣るにせよ、レアの腕前も素人としてはそれなりだった。人工脳髄に搭載したアプリに保存した下絵、そして現実で十数日前に頑張って油粘土を捏ねて作った原型と見比べながら、木彫りのウサギを整えていく。

 史上最高の切れ味を誇るナイフ、もとい不朽結晶連続体の彫刻刀が再び収納スペースに戻されたのは、お昼過ぎのこと。アリス・レッドアイ・ウンドワートのアトリエの天窓にも光が入るようになり、部屋は暖かな日だまりに沈みつつある。

 後は、彫刻の表面を仕上げるだけだ。

 もっとも、ここから売りに出せるレベルまで持って行くには、まだ数百時間はかかるのだが。


 アリス・レッドアイ・ウンドワートは、一息吐くことに決めた。怒りにまかせて明け方から今まで、熱狂的に製作に取り組んできたが、作業がひと段落つくと、気勢は大いに萎んだ。

 それに、今回もどうせ大したものには仕上がらないという諦念がある。最初からその予感は確かに存在していた。それでも気晴らしは気晴らしであった。

 そのようにしてレアは、自分の隣に今リーンズィがいないという事実と戦っていた。


 不朽結晶の刃は全てを断ち切る。

 では、感情を切り落とすことは出来るのか。

 ……形の無いものには、無力である。



 時は僅かに遡る。


 大主教リリウムによって戦列から排除された後のことを、ウンドワートは何も覚えていない。

 気がつけば彼女は負傷者――蒸気甲冑の応急修理が不可能な機体――たちと一緒に第二十四攻略拠点まで高速で送還されていた。

 レアは、荒れに荒れた。

 思い出せるのは、リーンズィがリリウムに奪われたと言うことだけ。

 もはや彼女の中では単なる後輩ではないのだ。彼女の幼くも長く苛烈な人生の中で、初めて出来た恋人……と表現しても過言では無い。そんなリーンズィが、よりにもよって、あのリリウムに略奪されたのだから、当然であった。


 聖句の影響から脱して再起動した瞬間から、彼女は暴れ狂っていた。

 ただし、兎を模した大型蒸気甲冑が無い状態では彼女の未成熟な肉体は、レーゲント並に非力である。敢えなく技術者たちに取り押さえられ、ヘカトンケイルに医療用義脳を打ち込まれ、意識を飛ばされた。

 目覚めた頃には日が沈みかけており、全身から活力が失われていた。リリウムとリーンズィは組織間の婚姻とやらを完遂した、という話だけが聞こえてきた。

 ウンドワートはその期間ずっとヘカトンケイルに制圧されていたため、当然ながらリアルタイム配信を見逃しており、事態がどのように推移したのかも把握できなくて、自分が守ってあげないといけないリーンズィがそのような有様になったという事実に、怒るのを通り越して、泣きじゃくった。

 その場に居合わせた技術者たちは、祭礼がどのようなものだったのか一切言わなかった。彼らは専属のスタッフであり、ウンドワートの激しやすく、鬱屈しやすく、そして執念深い、厄介な性質をよく知っていた。

 アルファⅡウンドワートと、アルファⅡモナルキア・リーンズィ。二種のアルファⅡが、個人と個人、少女と少女というプライベートのレベルで非常に接近していることも、コルト・スカーレット・ドラグーンからの報告から把握していた。

 だから言わなかった。つまり、彼らは賢かった。正しい選択をしたのだ。



 ウンドワートが本格的に激怒したのは、解放軍に届け出をして形式的な市民税を払い占有している廃屋、趣向を凝らして少しずつ改築している隠れ家兼店舗兼アトリエに帰ってからだ。

 それまでは正気だった。意気消沈していたが、激昂することも無く、普段通り人目を避けて道を選ぶ程度の知惠は働いていた。少女は自分が美貌を持っていることを熟知していた。奪いたくなるような儚くひ弱な五体を持っていることを、思い知らされていた。クヌーズオーエ解放軍に炉端のレーゲントを暴行するような異常な機体は存在しないだろうが、それを抜きにしても、鎧無しで白昼堂々と出歩くのは、ウンドワートにとっては今でも恐怖だ。


「……大丈夫、大丈夫よウンドワート。ここには私をめちゃくちゃにするような連中はいない。そんなやつらはもう全部壊されて、消え去ったんだから。あの日、あの時、ワシがこの手で、何度も何度も何度も磨り潰して、永久に肉塊から戻れないように、念入りに怖してやったんだから……」


 そんなことを言い聞かせないと、体が竦んで動けなくなる。

 頭から毛布を被って路地裏を進む。誰も居ない道だけを慎重に選んだ。素性を暴かれたくない。情けなく頼りない弱肉の少女と、絶対的戦闘強者であるウンドワート。両者を等号で結ばれてしまうことが、恐ろしくて堪らない。レアは最強のスチーム・ヘッドだった。何をしても許される至上の存在。そうでなければ、自分の生存に堪えられなかった。愛情を持って真実を知ってくれているスチーム・ヘッドは一人だけ。ライトブラウンの髪をした愛しい少女、リーンズィ、リゼ後輩は……ここにはいてくれない。


「リゼが一緒なら、平気になるのかしら……あの子が、ぎゅっと、わたしの手を握ってくれたら」


 だが、彼女はリリウムと婚姻を遂げた。

 そのことに思い至り、肉体が急性のストレス反応を示し、全身の毛が逆立つような感覚に襲われる。

 まだ大型蒸気甲冑使用に伴い心身損耗が回復しきっていないのだ、とレアは冷静であることを強く意識する。以前、リーンズィに乱暴を働きそうになったときも、こんな精神状態だった。メンテナンスを受けるまでは、暗いことは考えるものでは無い。


 途中で見かけた猫を捕まえて愚痴をこぼし、一連の混乱について解放軍幹部として、使徒アムネジアへの苦情を申し立てた。

 アムネジア・ナインライヴズことロングキャットグッドナイトは、解放軍が再度の内紛状態に突入しないよう自律活動する、極めて特殊な監視役だ。

 ある種の治安維持を委託された密使であり、特別な権限があれば彼女もまた「一人軍団(アウスラ)」なのだと分かる。

 クヌーズオーエ解放軍の純粋な戦力とは見做されないのは、ひとえにロングキャットグッドナイトが、個では無く現象の領域へと脚を踏み込んでいるからだ。その無差別な破壊力と不滅者という存在の理不尽さは、知覚しているだけでスチーム・ヘッドに極大の精神負荷を与える。まともに意識していては兵士たちが不安神経症を起こしかねないため、普段はその存在は秘匿されているのだ。


「にゃー」と鳴きながら脚にすり寄り、お腹を見せてくるロングキャットグッドナイトの眷属を、レアは上機嫌で、しかし強い嫉妬の念を抱きながら、撫で回した。

 <猫の戒め>たちを思い出す。ロングキャットグッドナイトの佇まいを思い出す。あれほどの『強さ』を持ちながら、それを誇示せずに平気で生きていける揺るぎなさ。

 強さ以外には何も無いアルファⅡウンドワートには、眩しくて堪らない。


「あなたのご主人様は強くて、可愛くて、羨ましいわね」レアはうりうりと猫のお腹を突きながら嘆息した。「私の方が強いけど。だけれどそれは、強いだけだもの……」


 にゃにゃにゃ、と戯れ付いてくる言詞猫たちには、鎮静と安定化の聖句が組み込まれている。遊べば遊ぶほど気持ちが落ち着くように、そしてロングキャットグッドナイトの存在を忘れ去っていくように作られているのだ。

 これこそが猫セラピーであり、解放軍兵士のほぼ全てが抵抗力を持たない。レアはロングキャットグッドナイトの存在も猫の存在も忘れなかったが、それはリーンズィの記憶と猫のレーゲントが強く結びついていたからで、そのうちにロングキャットグッドナイトの正体については忘れ果てた。

 猫セラピーのおかげで、帰り着いたときには、だから彼女は穏やかな気分だった。



 だが祭礼の映像を見た途端に彼女の平静は吹き飛んだ。

 レアも、ある程度は覚悟していた。詳しくは知らなかったが、祭礼の内容は結婚式だったという。

 クヌーズオーエ解放軍と調停防疫局の組織間の婚姻だ。

 意味は分からない。だがその代理人はリリウムとリーンズィであった。

 結婚式なら、愛の宣誓や、キスぐらいはあるだろう。

 皆の前で。

 わたしのリーンズィが。

 あのいけ好かない大主教と、キスを……。

 知らないわ、知らないわ、とベッドで枕を抱きながらレアは赤い目に嫉妬を渦巻かせて伏せる。


「……気にしないわ。別にそれぐらい、どうってことないし。リーンズィはわたしだけの後輩。リゼ後輩はわたしだけに贈られた名前。このアリス・レッドアイ・ウンドワートだけのもの。形ばかり誰かと愛し合っていたとしてもそれは本当のことではない。私は冷静、私は冷静……」


 それでも何が起こったのか確かめないと、気が休まらない。

 決して気持ちを荒ぶらせないようにと精神集中し、自宅のベッドで戦術ネットワークから『大主教リリウムの聖少女説法配信チャンネル』にログインしたが、祭礼のアーカイブ映像はプレミアム会員であるウンドワートにも無料では開放されていなかった。


「ゆ、有料ってどういうこと?! しかもこの価格の付け方は……!」


 白髪赤目の少女は大きく怯んだ。

 リリウムが販売している映像は、例によって例の如く、他のレーゲントや解放軍兵士が販売している映像よりも桁違いに高い。

 それも一桁ではなく、二桁近く高額なのだ。

 もっとも、クヌーズオーエ解放軍の最高戦力であり、過酷な任務の数々をこなす超高給取りのアルファⅡウンドワートに支払えない額ではない。普通のスチーム・ヘッドならば悩むところだろうが、レアならば「高いわね」と思いながらワンクリックして終わる。この価格帯の映像だってこれまでに相当数買い漁っているので、今更値段ぐらいでは怯まない。

 怯んだのは『価格帯』で『内容』を察してしまったからだ。


「儀式や説法の撮影だけなら、もっと安いはず」似たような内容の映像が山ほど在るし、基本的に需用が全然無い。「でもこの値段だと……まさか……まさか、結婚式の後に……? 価格に見合うだけの……プライベートな映像が……リーンズィとリリウムの……」


 レアは、実のところ、こうした動画チャンネルのヘビーユーザーである。主にレーゲントたちが仲睦まじく互いを許し合う様を愛好している。彼女たちに自己投影することで、癒やしを得ているのだ。

 誰ともわかり合わない、わかり合おうとさえしないレアにとって、矮躯に不相応な蒸気甲冑使用のバックファイアである猛烈な自己確認の欲求や、暴走した加虐心を抑制するには、ヘカトンケイルに依頼するか、映像を手がかりに、自分の中だけで荒れ狂う情動を完結させるしか無いのだ。

 別段、リリウムの信者というわけでもない。だが、体つきが比較的似ているし、色も全体的に白っぽい。リリウムは、暴力を持たない癖に、自分よりも上位に存在なので、まことに気に食わない娘だったが、自分と重ね合わせるには好都合だった。

 だから価格帯と内容の関係がもう大体分かっているのだった。ウンドワートはもうリリウム動画の専門家であると言っても良い。内容のレビュー活動でも匿名でいっぱい参加しているし「参考になった」と票は結構貰っているのだった。

 しかし、レアは経験に裏打ちされた己の直感を、必死に否定しようとした。


「そ、そんなわけない、そんなわけない。映像がやたら長いのは、式典系のやつではよくあることだし。さすがに聖歌隊式でも、教会でそんなこと……あり得ないわ」よく知らないけど神聖な場所だし、と理屈を立てる。「そう。レーゲントだけならまだしも、相手はリーンズィなんだから! 私のリゼが、こんな場所ではしたない真似をして、しかもその映像を公開してしまうだなんて、そんなの許可するわけがないもの。だから、そう。思い過ごし、思い過ごし……結婚式なんて貴重な映像だし。きっと資料的価値のせいよ!」


 思い過ごしでは無かった。

 恐れていた場面に行き当たって、アルファⅡウンドワートの脆弱な精神が沸騰するまで、三十秒も必要無かった。むしろ三十秒もよく正気でいられたと称賛すべきだろう。

 流れたのは、さほど猥褻な映像では無い。旧時代の『恋人』同士のリラクゼーションという程度の戯れであり、普段リリウムが公開している動画に比べれば生やさしいものだ。

 だがリリウムと互いを知り合うリーンズィの姿は、彼女には威力が高すぎた。

 リリウムはレアよりも数段は上の手管と話術でリーンズィを愉しませていた。

 レアは、二人の姿に、呆け、見蕩れ、憤怒し、それから心が折れた。

 その映像に、現実に、あっさりと屈した。

 終わりまで来て正気に返って、今のは嘘だったと思いたくて該当の部分を見直し、また心が折れた。

 何度見ても映像の中にいるのは自分ではなくリリウムで、リーンズィが愛し合っている相手は自分ではなくリリウムで……。


 しかもリーンズィがリリウムに施す愛情表現、言葉、表情は、レアに対するそれと、さほど変わるところは無かった。


 レアは心臓が痛むという感覚を生まれて初めて覚えた。

 胸に炸裂弾が撃ち込まれたって、こうまで苦しい思いをしないだろう。弱肉として虐げられた頃、心臓を毟り取られたときの苦しみも、この瞬間の苦痛に比べればマシだった。

 ぽろぽろと涙を零し、彼女は、ぺしゃんこになってしまった。

 それから呆然と映像をリピートした。全てはもう起こってしまったことで、最強のスチーム・ヘッドであろうとも、書き換えることは出来ない。その事実を真っ白な頭で受け止めた。

 そうしているうちに、再生している映像とは別口の儀式のリアルタイム配信が始まったのに気づいた。

 機械的に最初の部分だけ内容を確認した。



 彼女はついに爆発した。

 リーンズィほど誰かを愛しいと思ったことは無かった。

 だから、これほど激しい怒りを覚えたのも初めてだった。

 アルファⅡウンドワートは、リーンズィを含めた関係者全員を破壊することを決意した。

 それさえ出来るなら後のことはもうどうなってもいいと思った。

 両の目を赫赫と輝かせたウンドワートは、彼女だけのシェルターから飛び出していた。

 鎧は無いが完全戦闘態勢だ。標準支給の準不朽素材のブーツに、胴体部のみを保護する不朽結晶製のパイロットスーツに、袖を詰めたフライトジャケット。普段は首元まで上げるジッパーは閉じておらず、普段は誰にも見せることのない、自身が嫌悪する、矮躯の線、力ない少女の、ただ繊細なだけの肉体の輪郭を、無造作に晒して疾駆する。

 気にすることもない。あれほど高かった太陽は既に落ち、攻略拠点は夜の時刻だった。

 誰も見てはいない。息の詰まる闇が滲みだして、行き来する人影は疎ら。それらの通行人にしても大半は景観維持、文化継承のために市街を巡回している『市民』役の不死病患者だ。

 最低限度の街灯だけが、死に堪えた港町の灯台のように弱々しく輝いているに過ぎない。スチーム・ヘッドもいるにせよ、誰も自分を知らない! ウンドワートの本当の姿を知らない! ずっと隠れて生きてきた。ウンドワートの正体を知らせずに生きてきた! 遠目には、変わった出で立ちの歌歌いの娼婦、レーゲントが、何の用事でか、夜の道を走っているようにしか見えないだろう……。

 蒸気の帳を突き抜ける。振り返る無機質な視線は知らない振り。それでいて、ウンドワートは、心の底では恐怖しているのだ。信頼できる鎧を失った彼女は無力な不死病患者の少女に過ぎない。ただ肉体が不滅であるだけ。死ねないだけ。

 大柄なスチーム・ヘッドとすれ違う度に筋肉が僅かに強張る。遠い日に受けた恐怖の記憶は今も鮮明だった。だから現実逃避をしている! 本当にウンドワートの正体を誰も知らないのか? こんな目立つ外見をした自分が! レアは自己欺瞞に必死だった。いつでも自分を宥め賺すのに必死だった。答えは知れている。気付かないはずが無い、白髪赤目のスチーム・ヘッドなんてクヌーズオーエ解放軍には一人しかいない! 注目を受けないはずが無い……。

 ウンドワートが尊敬されるのは、ただ、強いからだ。たったそれだけのこと。混乱するノイズの生体脳で、少女は自嘲に自嘲を重ねる。強くないウンドワートに価値は無い……。

 レアは逃げ出すウサギの速度で走り続ける。

 その自意識を振り切ることは、現実から逃げ切ることは、やはり出来ない。




「ウンドワート卿、まさかここにいらっしゃるとは。当ハンガーにはどのような御用向きで?」


 その異様な背丈のスチーム・ヘッドは酷く丁寧な声音で話しかけてきた。

 癪に障るな、と不愉快に思いながら、ウンドワートは殺戮の血と炎の赤を閉じ込めたその瞳で、臆さずに彼を、彼らを見上げた。

 生身であれ鎧姿であれ、ウンドワートの解放軍での立ち位置は不変である。

 そう信じて、絶対的殺戮者としての精一杯の殺意を放射しながら威圧した。

 自分を恭しく迎えたハンガーの技術者たち。作業の用の無数のアームを背に負った長脚の道化(スティルト)ども。中世のペスト医師の如き異形の仮面に面相を隠した彼らの奇怪な影が機材の散らかる床に長く長く落ちる。ウンドワートに覆い被さる……。

 気に入らない。

 何もかも気に入らない。

 白髪の少女は唸り声を上げる。


「何が『まさかいらっしゃるとは』じゃ。ふざけるな腐れテクノクラートども」


 狂気めいた殺意の表情に、一層苛烈な気色を載せて吠える。

 あまりにも憤怒の度合いが深長に過ぎるため、彼女の理性は失われかけており、己が口にした言葉によって、初めて自身の思考内容を理解する。

 技術者どもの、この偶然を装う面の厚さについて思考が及び、さらに怒りが延焼する。


 まさか、など馬鹿げた話だ。待ち構えていたに決まっていた。

 技術者も夜間は活動を停止するのが攻略拠点のルールだ。それが、貴重な電力を消費してまで照明を灯して、整列して出迎えるなど、事前に情報を得ていなければ出来ないはずだ。

 どこまで虚仮にすれば気が済むのか。

 自分が非力な生身の姿でやってきたから調子に乗っているのか?

 偶然を装うには全てが馬鹿馬鹿しいのだ。


 案山子の化け物のような外観をしたその技術者は、今にも自制する最後の一線が切れそうなウンドワートに対し、臆すること無く、再び恭しく頭を下げる。

 数ある『勇士の館』でも最上位に位置するこのハンガーを取り仕切る技術者は、司令官(ジェネラル)と呼ばれていた。


「いえいえ、たまたま、偶然でございます。それとも貴官には我々の動向を知る権利があるとでも?」


「キサマにはあるじゃろうが、ジェネラル」


 この技術者は、実際にクヌーズオーエ解放軍の司令官というわけではない。

 司令部のメンバーではあるが、技術部門の利害調整役と言うだけで、地位は高くないし、技術部門の統括責任者であるヘカトンケイルたちと比べても、やはり権力的に下位だ。

 技術開発にも熱心でない。口だけは一人前という忌々しい機体だった。

 元々の渾名は『総支配人』。ジェネラルマネージャーだ。あるいは劇場支配人であろうか。動作が芝居がかっているから、ではなく、あたかも廃館寸前の劇場の支配人の如く、利益を確保するためなら平然と嘘を吐くから、皮肉ってそう呼ばれるようになった。


「ジェネラル。このハンガーを預かるキサマがコルトと繋がっておるのは分かっておる。最高戦力であるアルファⅡウンドワートの動向は解放軍にとっての懸念事項の一つであるからのぉ。ワシが暴走すればキサマら凡百の機体では束になっても勝てん」


 白髪を振り乱して少女は、どう頑張っても恐ろしくはならない鈴が鳴るような声で、どうにか威厳を保って、雑言を吐きだした。


「いつでもコルトがワシに照準を向けておった……! そればかりではない、監視の情報は常にキサマらに共有する取り決めじゃろう!」


「事実ではあるにせよ、正確でもありまぬ故、ご了承頂きたく。監視と射殺の命令はかなり以前に取り下げられております。これを説明するのもここ三十日で五度目ですが……」

 追及は取りやめて、ジェネラルは深々とお辞儀した。

「誰しもがウンドワート卿を尊敬しております。警戒などしておりません。クヌーズオーエ解放軍への献身はまさしく英雄に相応しい。先の<首斬り兎>討伐でも、不慮のトラブルに際して、全軍を逃がすためアルファⅡモナルキアともども殿を務めていらしたとか。己の蒸気甲冑を犠牲にしてでも友軍を守護せんとするその心意気、まこと敬服の極みでございます」


「アルファⅡモナルキアの名前を出すな、あの疫病の如き淫売を!」ウンドワートは弾かれたように叫んだ。「あやつはワシを裏切った。甘言を弄して人を玩び、この上ない侮辱を込めて嘲笑いおった……! 大主教リリウムと裏で手を結んでワシを貶めようとしていたのだ! トドメにお前のことなどどうでもよいというのを示すためにあんな映像を流した。そういうことじゃろう!」


 まさかそんなはずはない、という願いに、他ならぬレア自身の理解が追いつかない。怒りを煽られ、だが真実は関係ない。そうかもしれない、という猜疑があれば種火は強く、強く燃え上がる。唸りはますます強くなる……。


「このワシを、あんなやり方で、笑いものに! 万死に値する裏切りだ! どいつもこいつもワシを疎んでおる! そうじゃろう! 関わったクズ肉どもには極刑に相応しかろう……! 否、組織的謀略だ! アルファⅡウンドワート排除のための謀略が動いておる! みんなしてこのワシをのけ者にして、殺そうとしているんじゃ!」


 透き通るような肌を猛烈な怒りと悲嘆の入り交じる炎で赤くした白髪の少女の熱弁に、技術者たちの多くに動揺が走った。それほどまでにウンドワートの慷慨(こうがい)には真に迫ったところがあった。

 力ない容貌の少女が、しかし爆発的な憤怒で弁を立てているのだ。レーゲントにしても、メランコリック、あるいは感情的に悲観を語ることはままあれど、こうまで形振り構わぬ有様で叫ぶは稀である。ウンドワートも普段は傲岸だが、取り乱すことなどありはしない。

 だがジェネラルは動じない。


「事実であれば、非常に深刻です、ウンドワート卿。しかし貴官は思い違いをしておられる。恐れながら申し上げますが、謀略というのは全くの誤解かと」ジェネラルは頭を下げた。「大主教リリウムが些かよからぬことをしたのは間違いありませんが、あの映像配信に関しては、我々も予想していなかったことです。仮に貴官を蔑如にする意図が巡らされていたと仮定しても、それは決してクヌーズオーエ解放軍全体における総意というわけではなく、謀略などでは断じてございません。甚だ遺憾とするところであります」


「ヌケヌケとほざくのぉジェネラル! キサマが親リリウム派であることを、ワシが知らんとでも?! ワシには見えておる、全て見えておる! キサマも反逆者じゃ! あの腐れカルトの大淫婦を買うために、このワシを売った、というワケじゃろうが!」


「心外なお言葉です。そしてレーゲントをそのように呼ぶことは禁じられている、と貴官に申し上げるのは、三十日でこれで二十三回目かと思われますが……。いずれにせよリリウム様には、ウンドワート卿を貶める意図は決して無かったと存じております。リリウム様とて、アルファⅡウンドワート、偉大なるサー・ウンドワートには、敬意を持っておられます故」


「敬意があるならこのような仕打ちをするか?! 意識を破壊して、強制的に後方に送りおった! 御託はもう良い。その腐れた口を閉じよ、ジェネラル! このワシが、鎧が無ければ何も出来ぬ小娘の肉ではないとは知っておろうが。それ以上繰り言を繰り返すならキサマは、夜明け前にはクズ肉と鉄屑だ!」


 逆立つ白髪の髪の先で紫電が弾けた。

 ウンドワートは、ケルビムウェポンの形成する電磁場に対して無意識的に干渉することが可能だ。しかし有るものを崩すだけが能では無い。首輪型人工脳髄の余剰電力を利用すれば、指定地点の簡易な焼却が可能だった。

 スチーム・ヘッドは、焼き尽くされても滅ばない。

 それは同時に滅べないということを意味する。連続しての焼却はスチーム・ヘッドであっても相応の苦痛を伴う。

 このアリスというのは、無力な少女だ。普段はそう自認している。だがウンドワートとしての意識を最大限度引き出している状態ならば、このように振る舞うことも出来る。こんな機能が扱えるスチーム・ヘッドは彼女以外には存在しない。名実ともに彼女は特別なスチーム・ヘッドだ。彼女だけが、それを理解していない。


 牙を見せた最高戦力に詰め寄られても、道化の支配人は至って冷静だった。


「我々を破壊しても、何一つ、そう、何一つ貴官を利することにはなりません。冷静になってください。貴官は一過性の感情に心を乱しているだけです。そうだ、白熊印の(ポーラ・)コーラでもいかがですか。仲間たちの慰労のためにヘカトンケイル様がハンガーに持ち込んでいたのですが、幸い自分の分ならば、ウンドワート卿には差し上げることが可能です」


「ほしくない! 欲しいのは殺戮のための力だ! 黙ってワシの鎧を出せ! あのふざけた祭礼をぶち壊しにしてやる! リリウムもぶち壊す。ワシを裏切ったあの娘もそうじゃ! コマ切れして晒し者にしてやる!」


 呪わしそうに言葉を発する度に、リーンズィと慎ましく触れあい、確かに心を重ねていた頃の安らぎが脳裏に去来して、ウンドワートの狂騒はさらに加速した。

 愛しかった日々が彼女の心臓に爪を立て、出血させている。


「いいえ、出撃は不可能です」


「それを決める権利はキサマにはなかろう!」


「はい。しかし、蒸気甲冑の修理は未完了です」


 壁のように立ち並んでいた技術者たちがジェネラルの一瞥を受けて動き出す。

 一斉に身を除けて、ハンガーの一角に視線を向けた。

 そこには刑死者のようにウサギ型蒸気甲冑が吊るされていた。

 無残な有様だ。あちらこちらの装甲がパージされたままで、まだフレームしか組み上がっていない。

 駆動系統は完全に修繕前だ。

 重外燃機関に至ってはオーバーホールの最中らしく、とても使い物になりそうもない。

 一目で起動不可能な状態だと看破して、レアの灼熱の瞳に激昂の揺らぎが生じる。


「未完了とはよくもまぁ言ってくれる! そもそも未着手であろうが! ええ!? ワシが来ると見越して、修理を疎かにしておったのだろう!? オヌシらのことは嫌いだが、しかしその腕は偽りではなかったはずじゃ。オヌシらは己を偽り、ワシを偽った! オヌシらは二度、三度とワシを裏切っておる!」


「ウンドワート卿。それ以上は、どうか。聞き逃すことが出来ない御言葉です」


 抗弁しながらもジェネラルは跪いて、今度こそ心底の謝意を込めて頭を下げた。


「どうか弁解させてください。我々の名誉に賭けて、あり得ない事態です。正体不明の木の根……未確認の不朽結晶繊維が、基幹部を初めとする主要箇所に潜り込んでおりました。これらを完璧に取り除かなければ、ウンドワート卿は十全な力を取り戻せません。待ち受けていた、という卿の指摘は、認めましょう、事実です。だがやはり正確でも無い。我々は敬愛するウンドワート卿の甲冑を一刻も早く完全な状態に回帰させるべく邁進しておりました。夜を徹して貴官に忠義を果たすつもりでいたのです。そこにウンドワート卿出奔の報が入り、このようにしてお迎えした次第です。結果としてウンドワート卿を愉快ならざる心地にさせたことは、我々の不徳の致すところでございます」


 何時間も前から用意していたとでも言うような形式的な忠誠の言葉。

 いっそ冷笑的でさえある文句に、レアは狂気的な苛立ちに襲われた。

 色素の欠乏した髪を掻き毟って小鳥の囀るような怒号を飛ばす。

 その瞳には狂気の赤を。


「御託は良いと言っておる! ワシは恥を濯がねばならぬのだ! さっさと鎧を出せ、ワシはあやつらを皆殺しにしなければとても生きていけん!」


「なるほど。では、何故生きていけないのです」


 不意に切り返してきたジェネラルの言葉。


「当方には皆目分かりません。……ええ、ウンドワート卿があのアルファシリーズのスチーム・ヘッドを特別視しておられるというのは、貴官の姉君より聞き及んでおりますが」


 決定的な一言だった。

 『コルトからの情報』という要素に、ウンドワートの顔から血の気が引いた。

 蒼白の顔面で、赤い目だけが爛々と輝いていた。

 この状況でわざわざコルトを引き合いに出すと言うことは、やはり、こいつは極めてプライベートな事情まで深く知識を得ていると見て相違なかろう。

 だがウンドワートが青ざめたのは、自分の全てを窃視されたと知って恐れを成したわけではない。

 彼女の神経は逃走ではなく闘争を選択している。

 その『警告表示』だ。

 レアは無言で廃材――即席の蒸気甲冑ハンガーを構成するための腐食した鉄パイプ――を持ち上げるや否や、勢いを付けて高く掲げ、目前に跪くジェネラルの頭部目がけて、矮躯に似合わぬ速度で振り下ろした。

 瞬間的なオーバードライブの起動。

 生身の人間ならば、頭は跡形も残らない。

 不朽結晶のヘルメットにぶつかった鉄パイプは、当然目的を達することが出来ないまま、自身に与えられた破壊力によって砕け散り、室内に雷が朽ち木を割るかの如きけたたましい音が響き渡った。

 技術者が何人か息を飲んだ。


「ころしてやる」少女は歌うように宣告する。「もうそれしかない」


 ウンドワートの人生観は極めてシンプルだ。

 この世は所詮、弱肉強食。

 自分を弱肉に貶めようとする存在は、全て潰さなければならない。

 敵対的であるなら、これを潰す。

 侮辱されたなら、これを潰す。

 脅かされたなら、これを潰す……。


 シンプルな思考様式は最速の行動をもたらす。決定から実行まで一瞬の逡巡も無い。

 鉄パイプで殴打するという選択について、ウンドワートは何一つ考えないまま実行していた。最速で応報するための手段がこれだったというだけで、自分がジェネラルを殴打した事実にも、行動が終わってから気付いた。


「決めた、決めたぞ。一人一人、串刺しにして、焼き殺してやる。発狂するまで何度でも焼く……まずはジェネラル、キサマからだ」


「まさか。いいえ、まさか、ウンドワート卿、貴官はご自分が何を仰っているのか、理解していないのでしょう。冷静では無い」


 頭を打たれたというのに、ジェネラルの態度には変化が無い。

 ……彼が動揺するところを誰も見たことが無い。

 ウンドワートはこの男が心の底から嫌いだった。自分を過酷な地獄へ送り込んだ軍事教官を思い出すからだ。

 ジェネラルは条文でも読み上げるかのように言葉を紡ぐ。


「果たして、あの配信はそこまで重大なものでしたか? 所詮はスチーム・ヘッド同士の戯れではありませんか。見慣れた風景、見慣れた行為ではありませんか」


「口を利くな。出して良いのは悲鳴だけだ」


「アルファⅡモナルキア・リーンズィのボディはヴァローナのもの。我々古参にとっては既知の肉体です。詳細な活動映像も、古参ならば一度や二度は目にしたことがあるでしょう。ですが、多くの機体が大して関心を持っていない。もはや心を動かすに値するものではないのです。リリウム様が公開されたあの映像にしても、我々にとっては象徴的意味しか存在しません。ただのレーゲント劇場、ただの人類文化継承の一幕です。ご理解頂けますね。情愛も欲望も、そこに問われていないのです。ただ意味のみが求められているのです。くだらない遊戯だと断じて然るべき案件かと。聡明なウンドワート卿ならば察しておられるのではありませんか。全てが任務であり、全てが些事だったのだと」


「任務だと……」


 卒然として、ウンドワートは赤い目の狂気を鈍らせた。

 ジェネラルの指摘は的を射ている。どのような情景が公開されようと、それが行事や儀式であるならば「くだらない遊戯」なのだ。

 ……稼働年数が数年にも満たないようなスチーム・ヘッドならば、衝動に突き動かされて肉欲に溺れることもあるだろう。

 だが十年、二十年と時間を経るにつれて、そうした精神の活動は、個々の人間性とともに無意味化していく。

 不滅の肉体にあっては、あらゆる行為に意味が無い。

 肉体的欲望は精神活動に伴うストレス反応にまで失墜し、愛は虚妄となり、神聖や不可侵性は廃絶される。あらゆる身体的接触は、肉体から人工脳髄へ情報を入力するためのオプションに成り果てる。

 殆どのスチーム・ヘッドにとっては、誰がどこで何をしていようと然程の関心事にはならない。それは「真実」ではない。どうでもよいことだ。そも、スチーム・ヘッドに真実は無い。向かう先が無い。終点が存在しない。命は繋がらない。価値や意味を問う者も、引き継ぐ者もいない。

 目標地点の真贋は問題にならない。

 奇しくも救世を掲げ、無価値なはずの情動を最も肯定すべきリリウム自身が、このように述べている――「ここで終わってしまわないために、わたしたちは前進するのです。こんなところで眠りたくないと嘆く人々が、失意のうちに倒れる前に、わたくしどもが、どこまでも導いていくのです」と。


 どこかへ向かって前進することによってのみ、スチーム・ヘッドの意識は維持され得る。

 虚構や信仰、惰性、習慣といった儚くも無価値な要素だけが、擬似人格なる虚妄の洞に関係性の波を立て、今・ここに、辛うじて人間性を繋ぎ止める……。


「……ワシが過度に入れ込みすぎていると。個人の憎悪を持ち込むなと、そう言いたいのか」


 それら虚妄に対する反発心を組織と組織の間に持ち込めば、いずれ致命的な対立に発展しかねない。ウンドワートとて、そうした価値観を重視しすぎたかつての盟友たち、キュプロクスの突撃隊がどのような破滅をもたらしたのか、忘れてしまったわけでは無い。

 即ち、ジェネラルが紡ぎ出した言葉とは、ウンドワートの旧態依然とした価値観、かつて対立と虐殺を招いた態度についての指弾だ。

 少なくとも、表面上は。


「任務……全てが、任務……じゃと?」


 だが、より多くの示唆をジェネラルは与えていた。

 ただそれを強調されるだけで、見えてくる現実があった。

 決して直視したくない現実が。

 ウンドワートは沈黙で言葉の次を促す。

 それが現実なら、あまりにも、惨めすぎる――ウンドワートには、そのような現実は、堪えられない。


「実際、あの配信も大した興味を惹いていないのです。祭礼の配信映像を見ていたのは全軍の30%程度です。大した数字ではあります。解放軍司令部が定期的にアップロードしている人格記録セルフキャリブレーション企画のライブ配信でさえ視聴率は20%に満たないのですから、多くの解放軍メンバーが組織間の婚礼というものに興味を抱いていた、これは事実です。ですがあなたは理解しておられない。初夜などと言うものも形式的で実を伴わない。レーゲントに特有の、そして恒例の文化的行動であって、そこらで行われているコミュニケーションから大きく外れた内容では無い。スチーム・ヘッドにとっては見飽きたものなのです。リリウム様の信徒ならいざ知らず、ライブ配信で他人のリラクゼーションを眺めるなどというのは、全く意義がありません。スチーム・パペットのリアクターのフリークアウト防止、セルフメンテナンスには有益でしょうが、率直に申し上げて自分の趣味に没頭していた方が何倍も有益です。事実、婚姻の祭儀が終わった段階で、視聴率は一桁にまで落ちました。お分かりいただけますね。リリウム様とアルファⅡモナルキアが何をしていたところで、そこに真実は無いのです。殆どの者が価値を認めない。ウンドワート卿は混乱しておられる……」


「じゃあなんじゃ、キサマは? ワシの怒りも本質ではないと言うか? ええ、ワシが怒るのも下らないと言うか!」


「肯定します、その通りです。怒るに値しない事実について、ウンドワート卿は怒っておられます。何故そこまで激昂するのか、理解することも難しい」


 ウンドワートはジェネラルの右腕部を焼却した。

 容赦なく毟り取った。

 首を破壊しなかったのは、ウンドワートが僅かなりとも理性を残している証拠だ。


「……裏切り者は破壊する。スチーム・ヘッドとしては当然の行動だ。リーンズィは私を裏切った! 堂々と不貞を働いたのだ!」


「いいえ、不貞ではございません。今は形骸と言えども、人類文化継承連帯の一員として、事実のみを検証してください」


 右腕部の損傷を意にも介さない。苦鳴の一つも漏らさない。

 ジェネラルは跪いた姿勢を崩さず言葉を投げかけた。


「本官も、ウンドワート卿とリーンズィなる機体がどのように友愛を結ばれていたのかは、実際の所、仔細には承知していません。コルト様は情報を下さいますが、取捨選択の自由は常に我々にあります。我々はウンドワート卿の平穏が揺らぐことを望まない……。ですが、そこまで激されるということは、おそらく深い繋がりであったのでしょう。ウンドワート卿は愛をお知りにられたのやもしれません。……人間ならば、執着することも分かります。レーゲント的な価値観ならば駆け引きや趣味の一環として有効でしょう。ですが我々は継承連帯のスチーム・ヘッドです。そこに定命の人間、表層的な要素を持ち込んで考えてはなりません。客観的に見れば調()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()です。本官の見解を述べるならば如何なる形であれアルファⅡモナルキアはエージェントとしての任務を遂行したに過ぎません。そのような成文契約を残されているというならともかく、不貞であると非難したり、謀略があったなどと主張するのは、不安定に過ぎます」


「何を……何を知ったようなことを……現にあやつは、リゼは、不貞を」


「では、ウンドワート卿がヘカトンケイル様にボディのメンテナンスを依頼することも、不貞ですか」


「それとこれとは……」


「どう違うのですか。ウンドワート卿、どうか冷静に。それらについて、検証してください。避けようのない事態、任務上必要な行為。何が罪なのですか。何がどう関係者への背反になるのですか」


「ぐ、ぬ……」


 ……実力的には、要塞と歩兵並の差がある。

 しかし、押されているのは終始ウンドワートの側だった。

 ジェネラルは普通なら反撃を恐れて躊躇するような言葉でも、臆すること無く口にする。

 レアとて聞き分けが無いわけではない。体の中心まで憎悪の熱に侵されても、人工脳髄の中核は正常に稼動している。

 ジェネラルが慈悲深くも言葉にしていない残酷な現実の予想まで、読み込んでしまっている。


 ――仮に、リリウムへの接近が調停防疫局の任務だったなら、それは罪か。

 罪ではあるまい。任務は全てにおいて優先されるべきだ。


 ましてやアルファⅡモナルキアは「一人軍団」であるから、その行動について一方的に罪を問うのは不当な要求だ。


 では……。

 ――では、アルファⅡウンドワートへの接近もまた。

 ()()()()()()()()()()()()()としたら?


 レアとしては考えたくもない現実で、ぜったいに認めたくない可能性だったが……。

 リーンズィは自分のことなど愛しておらず。

 ウンドワートの性能を利用するために、愛を装ったのではないか……。

 ウンドワートは既に一度、モナルキアに敗北している。バックドアから人格記録を参照し、あるいは加筆し、彼女の嗜好や欲求を読み取って、リーンズィにその通りに行動させるなど、造作も無いことである。

 そしてそれは正しい行動なのだ。

 任務で、一人軍団(アウスラ)で――そして『勝者』であるならば。

 敗者であるウンドワートには、抗う術なんて残されていなくて……。


 ……自分はずっと勝手に思い違いをして、リーンズィに恋慕を抱かされていた?

 強者に弄ばれているだけだとも気付かずに……?


 それでは独り善がりではないか、とウンドワートは内心で己を罵倒した。

 自虐的な思考を巡らせる赤い目の殺戮者に、しかし知ったことではない、という態度をジェネラルは崩さない。

 彼の言葉は率直で、まったく、反論を赦してくれない。


「今一度確認を致します。どのような意図での行動であるか、アルファⅡモナルキア・リーンズィと直接に意見交換はされましたか。あるいはリリウム様と、軍団長ファデルと、類似の通信は実行されましたか。誰が、何の意図で、どういった経緯で事態に及んだのか、一度でも照会をされましたか」


「……いや……」


「では、最初にそれをするべきだ。善因善果、悪因悪果。それは道理です。裏切り者は誅戮すべしとのお考え、至極尤もでありましょう。重大な意思疎通インシデントが発生したのは事実であり、過失はリリウム様および調停防疫局リーンズィの側にあります。それも事実です。しかれども、何卒一度、御寛恕を。罰には、まず罪が必要です。罪なき罰も、また罪なのです」


 ジェネラルはまた深々と頭を垂れた。


「我々衛星軌道開発公社出身スチーム・ヘッド一同も、ウンドワート卿を深く、深く尊敬しております。武勲戦功の数々を讃えています。何よりキュプロクスら暴走した反逆者どもから我々を救って下さったこと、未だ感謝の念が尽きません。あの時ウンドワート卿が敢えて我々の側に立つことを選んで下さって、だからこそ我々は壮健なのです。……そのように尊い御方が、些事からの事実誤認により過ちを起こしたとなっては、我々としても忍びなく。それ故に申し上げます、誅戮するにせよ、罪過を検め、糾し、正当な手順を踏むべきです。どうかご再考を、ウンドワート卿」


「……キサマ、余程苦しんで終わりたい見えるのう」


 赤い瞳は忌々しげにジェネラルを睨み付けている。

 キュプロクスとの内戦の時期に、ウンドワートが穏健派の側に立ったのは、単純にキュプロクスたちが嫌いだったからだ。それに……最強を思考する存在は、自分一人で良い。戦力的に劣る方に味方をした方が、相対的に自分の地位向上に繋がる、という打算があった。

 どこまでも自分勝手な計算で、そのおまけで弱者が救われただけ。それは偶々なのだ。救おうとして救おうとしたわけではない。

 だからこういった賞賛の言葉は、ウンドワートにとっては居心地の悪いものだった。

 ジェネラルの首を掴み、紫電を前髪に閃かせ。

 しかし、破壊はしない。

 舌打ちして、その道化のスチーム・ヘッドを解放した。


「じゃが……オヌシの言い分が正しい。ワシが間違っておった。その右腕の傷、駄賃として受取れ」


「いいえ、間違ってはおりません。ウンドワート卿のお考えになることに理非を弁じること自体が烏滸がましい。そうでなくとも、ウンドワート卿はお優しい方だ、未だ瑞々しい感性を残しておられる。愛故に我を忘れるのも無理からぬ事かと。だからこそ我々は貴官を崇め敬うのです。ですが、どうであれ、踏まえるべき手順がある。それだけでございます」


「もうよい。その長々とした口上にも飽いてしもうた。殺しに行く気も失せたわ」


 どのみち時間切れじゃ、とウンドワートは諦念の溜息を吐く。気配はとっくに察していた。自分の殺意の波が引くまでは気付かないフリをしていたのだ。

 ウンドワートの背後にて、がらり、と車輪の輪転する音がした。

 赤い瞳で線を引き、振り返る。わざとらしく、存在を誇示する影がある。

 夜闇を背にして、車椅子の少女が一人。白衣にゴシック系の薄布、装飾の豊かなメイド服という奇怪な出で立ちで、真意の読み取れないアルカイックスマイル。

 背もたれから身を乗り出しているのは、多腕の守護天使のような厳めしい機械部品群。臆することは無い、それらしく形だけを整えられた、無数の作業用アームの集積体だ。

 それぞれが彼女の手指、足指に神経繊維で接続されており、精密医療にも耐え得る極めて繊細な挙動を行う。

 少女は、ウンドワートを真っ直ぐに見ていた。彼女が一つ溜息をするような仕草をするだけで、アームの群れは像の輪郭を崩壊させ、意志持つ統率された群体が大長槍(パイク)を掲げるかのように蠢き始める。

 彼女たちこそ技術者たちの王。永らく星を追い続けた夢見人、ついぞどこに辿り着かなかった。

 衛星軌道開発公社が製造した、只一人の寵姫。

 その無数の複製体。

『只一人、自分だけがオリジナルである』と自分と同じ顔、自分と同じ思考、自分と同じ口調の、自分と同じ機体とともに信じる『量産型スチーム・ヘッド』。

 ヘカトンケイル。

 通称ヘカティだ。


「やあやあやあ。この僕を差し置いて、随分と随分なことをやってくれているじゃないか、してくれてしまっているじゃないか、君。技術者に狼藉を働くなんて重罪だよ。やっていることがキュプロクスと変わらないじゃないか。こんな弱い者イジメをする壊れた機械は誰かな、誰かな、誰かな?」


 ウンドワートは思わず唾を飲み込んでしまう。

 恐怖では無く、押さえ込まれていた肉体が反応を示してしまったのだ。肉体的なストレスの解消は全てヘカトンケイルに任せてきた。具合が悪いときに対面すれば、条件反射的にカウンセリングの記憶が読出されて赤い瞳が潤んでしまう。

 本能的に渇きを覚えてしまうほど、秀麗な造形をした少女だ。月夜に懸かる雲の儚さ。左右対称に近い目鼻だちに、朽ちた木の虚のような底抜けに暗い瞳が鎮座する。でいて。黒いショートヘアに、虚ろな光を宿す黒く愛らしい眼球。それ以外には表情を知らないといった様子で朗らかだった。

 クヌーズオーエ解放軍技術部の最高統括者。自走する解剖室の渾名もあるが、渾名よりは善良な性質で、そして渾名よりは凶暴な性根をしている。製造順によって多少の差異はあるが、同期しているのでどのヘカティも本性は基本的に同様である。

 袖の余った白衣をひらひらとさせながら、その何番目かのヘカティは問いかける。


「おやおやおやおや。アリス君、アリス君じゃないかー。どうしたんだい、こんなところで。なんてね、あはははははは! 嘘さ嘘さ分かっているよ。僕と、メンテンナンスに、メンテナンスに来たんだろう。僕と君の仲だからね、僕は君のことを知り尽くしているから分かるよ」


 補助腕で車椅子を転がしながらヘカティが近付いてくる。

 もはやウンドワートに抵抗する意志も気力も残っていなかった。

 頭に医療用義脳が打ち込まれるのも甘んじて受け入れた。生体脳を沈静化され、強制的に跪かされ、車椅子の少女を見上げるような姿勢にさせられる。

 息がかかる距離で覗き込んでくる顔は、自分自身に似ている。

 なのに、美しくて、暴力以外には何の取り柄も無い自分とはあまりにもかけ離れていて、ウンドワートは自己嫌悪に苛まれた。

 ウンドワートもヘカティも、同じくTモデル不死病筐体と呼ばれる特別仕様のクローン体をボディとして使用している。発育の具合はお互い異なるが、基礎となる顔貌はほぼ同じだ。

 だというのに、どうしてここまで自信や眼差しに差が生まれてしまうのだろう。

 どうして自分は彼女のようにはならないのだろう……


「……ジェネラルへの暴行容疑については、否認せん。処断は好きにせよ」


 無数の補助腕がウンドワートの肉体を持ち上げる。

 装備を剥取られていくのに体を委ねながら、ウンドワートは声を絞り出した。


「ふうん、そうなんだ。暴行容疑だって! 聞こえたかい。ジェネラル君、どんな暴行を受けたんだい、聞かせてよ聞かせてよ。もしかしてウンドワートが、この可愛らしい僕たちの妹ちゃんが、君の右腕をもぎってしまったのかな。もぎとって壊そうとしたのかな。だとしたらいけないね、いけないね、いけないね」


「まさか。事実誤認です。これは偶発的な事故です」


「でもそれはウンドワートが付けた傷でしょう、分かるよ君、それは分かるよ。だって僕は現場を皆の目を使って見ていたわけだからね! あはは、は、は! あははははは! 全部全部知っているんだ。何が起こったのか知ってるんだよ? それでジェネラル君、何があったのかな。正直に答えて良いんだよ」


「ええ、ですから、事実誤認です。所定の連続戦闘時間を超えてウンドワート卿は献身されておりました。甚大な負荷を背負った状態のスチーム・パペット・リアクターが発生させた想定の範囲内の誤動作、つまり偶発的な事故です」


 ジェネラルは脱落した右腕を傷口に押し付けながら淡々と答えた。


「ウンドワート卿は、過酷なミッションが連続した、そのストレス反応で参っておられる。挙動に異常が出ることもありましょう。むしろこの程度に抑えられる精神性こそ、驚嘆に値します。過失を問われるべきはすぐに重点的なメンテナンスを行わなかったヘカトンケイル様ではありませんか」


 皮肉なのか擁護なのかも分からない言葉に、ウンドワートは否定も肯定もしない。この場において、既にウンドワートは敗者だ。医療用義脳まで生体脳に接続されては、一切抵抗が出来ない。


「そうかなぁ、そうかなぁ。僕だって山ほど重傷スチーム・ヘッドを送りつけられて難儀してたわけだし。僕だって一人じゃないのに手が足りないぐらいだったし。これでも超特急で余所で仕事を済ませて駆けつけたんだよ」

 心配だからね、と面のような平坦な笑顔で、白髪の少女に囁く。

「医療用義脳で眠らせた後で適当に解放したのはマズかったかもだけどメンテナンスって色んな刺激を入力するにしても結局は対話が大事だからね。自分がどこの誰だか知られたくないウンドワートに自分がこの誰だか言わせないためには眠らせとくしかなかったわけだから僕は悪くないよ。悪くない悪くない。じゃあ誰が悪いのかな?」


「万事が事故でしょう」


「じゃあ事故なんだろうねぇ。事故なのかなウンドワートくん? おっと、機能を制限されてるから返事なんて出来ないんだったね! あははは! この子の蒸気甲冑はまだ?」


「はい。完了しておりません。ウンドワートは最強でなければならない。不完全な状態では、出撃させません」


「じゃあこの子もたっぷりメンテナンスしないといけないね」


 ウンドワートは抵抗しない。する気もない。

 むしろ思考能力を制限された状況が心地よいほどで。

 つまり、リーンズィとの関係について悩むことが出来ないほど、アリス・レッドアイ・ウンドワートは、追い詰められていた。



 勇士の館でカウンセリングとしてレーゲントに身を委ねる及ぶスチーム・ヘッドは少なくない。

 スチーム・ヘッドにとって肉体はセキュリティホールの塊だ。神経、脳髄、肉体、その脆弱性の全てを操る技術をレーゲントは所持している。解放軍において、彼女たちはテロリストや淫婦などではない。生命機械についての卓抜した技術者、という表現が最も現実に即している。

 需要と供給の一致から、一連の取引は平和的に行われ、情愛が絡む余地は少ない。一部は人間めいた親交を礎に、頻りに交流しているようだが、稀なケースだ。


 技術者であるヘカトンケイルと、最高戦力たるウンドワートの関係も、あくまでもビジネスライクのものだった。

 同じ素体を使っていて、同じ系譜に連なる存在でも、同僚同士、解放軍の幹部同士以上の感情的な繋がりは存在しない。姉妹などと嘯くことはあれど、量産された自分自身とすら暗黙に対立しているヘカティに、そんな殊勝な意識がある筈も無い。

 メンテナンスのために技術部門の最高責任者であるヘカトンケイルが出張るケースは限られている。

 クライアントの悪性変異が進行しつつある場合か、相手がウンドワートである場合のみだ。

 最高戦力たるウンドワートを、最高の技術者が整備する。

 これは当然のこととして周囲には受け止められているが、実態は異なる。

 同等程度の機体としか交流しようとしないウンドワートの相手が出来る機体が限られているというのがまず一つ。

 ウンドワートの肉体の欲求を満たすことはヘカトンケイルにしか出来ないという点がもう一つ。


 暗い部屋で、無数の補助腕が蒸気を吹き出して稼動する。白髪の少女の華奢な肉体は掴まれ、乱暴に押さえつけられ、罪人のように吊るされ、無数の機材で貫かれている。

 時に機械どもは少女の臓物を揺さぶり、肌を裂き、肉を抉り、電流を弾けさせる。医療用義脳で意識を曖昧にされたウンドワートは悲鳴を上げるのみだ。

 ヘカトンケイルの操る無数の機械の腕は、白髪の少女を文字通り人形のように玩び、さらには直截なやり方で、破砕する。

 メンテナンスなどと言うものではない。

 どのような機体でも、その後継を『拷問』以外の何かとは認識しないだろう。

 当然、スチーム・ヘッドをこのように痛めつけても、さほどの意味は無い。怒り狂ったスチーム・ヘッドが報復のために敵対者を捕獲して暴行することはあるが、どうであれ稼働年数が長ければ衝動もすぐに霧散する。そんなトラブルさえ、滅多に起こることではない。


「あっ……ああああ、あ、ごぼ……」ウンドワートは暗闇に臓腑の破片が混じった反吐を散らす。


「ああ、また零れてしまったね。ウンドワートは本当に痛めつけられるのが好きなんだね。」


「あ、あ、あああ! あは、あはは……もっと、もっと壊して、ヘカトンケイル!」


「そうだねぇ。どうしようかなぁ」


「壊して、壊してください! ああ、ご主人様、どうか!」白髪の少女は狂乱して、血を吐き続ける。


「困る、困るよそれでは。もう僕がどういう服装をしているのかも忘れてしまったのかな。メイドさんは僕なのに。だけどウンドワートの頼みだからね、仰せのままに壊してあげるよ。それじゃあ次は左腕から行ってみよう。最後まで我慢できるかな?」


 再生を抑制された少女には、普段の反抗的な眼差しは宿っていない。

 アリス・レッドアイ・ウンドワートへの蹂躙は、機械的に、徹底的に行われていた。

 あるいは、ウンドワートという人格はそこには存在しないのかも知れない。

 吊るされているのは、己を蹂躙される苦痛に酔いしれ、虐げられることに暗い感動を覚える、憐れな少女だ。


 ……ウンドワートは、こうした破壊的な刺激の嵐にあってしか、精神的な恒常性を獲得できない。レーゲントの聖句を浴びているうちにキャリブレーションが終了する通常のスチーム・パペットとは仕様がまるで異なる。

 そもそもが、そのような工程を経て作られた人格だった。敗北がどれほど無残な結末を迎えるのか徹底的に教育しなければ、勝利へ向かうという強固な意志を持った人格は発生し得ない。技術者はそう考えて、彼女の育成に陰惨極まる計画を立てた。

 敗者としての時間に適応し、敗者としての振る舞いを過学習したこの赤い目をした少女は、破壊的な刺激の中でしか精神の再生が出来なくなってしまった。

 結果的には望まれたとおりの人格と戦闘能力に仕上がったが、しかし安定性は極端に失われた。勝利すれば勝利するほど、敗北への恐怖が募っていき、やがて敗北を先取りした『安心』を求めるようになる。

 このような異様な性向が生じるとは、おそらく誰も予想していなかっただろう。


「負けるのは怖いよね。僕も生きていた頃はずっと病に負けるのが怖くて怖くて、毎晩泣いてしまっていたぐらいさ。いっそ先に死んでしまいたいとも思ったぐらい。分かるよ。だけどこうやって敗残兵にみたいにぐちゃぐちゃにされて、そんなのが楽しいとは僕は思えないよ。何回繰り返しても、君のことが分からない」


「……恥ずかしくないわけが無いわ。でもこれを済まさないと正気でいられない。きっとリーンズィを殺してしまう……」荒い息を吐きながら、不意に意識の主導権を取り戻したウンドワートが声を漏らす。「いいからメンテナンスを……ぎっ……続けて。そう、そうよ。肉体の神経が全部発火して、わけがわかんなくなる、まで、がああああ……痛いっ! やめて、やめ、やああっ!」その目から、生気が消える。「あ――あ、役立たずで、ごめんなさい、何も出来ないノロマでごめんなさい、だからもっと罰して、壊して、壊し尽して――!」


 赤目白髪の少女は、無数の機械腕による暴虐を拒絶しない。

 ……不死にして不滅、身体損壊に無頓着な解放軍スチーム・ヘッドの倫理観でも、このレベルで破壊されればただでは済まない。

 それどころが、実行する側が猛烈な抵抗感を示す。

 不滅である一方で、クヌーズオーエ解放軍のスチーム・ヘッドは『取り返しの付かないこと』には非常に過敏だ。これは、人類文化継承連帯では見られなかった傾向である。

 一般的にはここまでの暴力的な情報入力は犯罪で在り、実行者は処罰される。どのような形で在り、過剰入力で相手の人格記録媒体に不可逆的で陰惨な異常を刻み込むという明確な攻撃行為であり、媒体を破壊する方がいっそ慈悲深いとされる。

 誰もが自分自身が薄れていくことを感覚している。誰もが日に日に摩滅していくことを自覚している。

 だからこそ、人格記録媒体だけは、擬似人格だけは、不可侵のものとして尊重する。

 それが彼らの共通見解だ。どのような相手であれ、偽りの魂の依代たるこのメディアを辱めることだけは、してはならない。『拷問』は、もはやこの地上にあって数少ない、解放軍においてすら『非人道的で、取り返しがつかない』と見做される行為の一つだ。

 ウンドワートのメンテナンスが、ヘカトンケイルにしか出来ない理由は、こうした点にもあった。

 こんな残虐な仕打ちを何時間も行うのは、誰も精神的に堪えられないのだ。

 ウンドワートが正体を知られても構わないと思える程度に信用し、ウンドワートが自分自身の歪んだ嗜好性を曝け出しても大丈夫だと判断出来て、そしてウンドワートが望んだとおりにそれらを実行できる、最小単位のスチーム・ヘッド――そんな機体は、非人間的なメンタリティと複数の人間ならざる腕を持つヘカトンケイル以外には存在しない。


 吊るされたウンドワートは破壊され続ける。

 彼女は罪人であった。どれ程の勝利、どれ程の功績を積み上げても、彼女は罪人だった。他ならぬ彼女自身にとって、罪人だった。

 一切の加虐要求は、即ち自罰だ。ウンドワートは、この世界で最も、自分自身をこそ嫌悪している。弱々しい娘でしか無い自分を憎悪している。敗北する未来が訪れないことに恐怖している。積み重ねた勝利にどのような精算が待ち受けているのか、いつでも怖がっている。

 だから罰を与える。壊してもらう。未来を精算しようとする……。

 肉体からストレス反応を取り除くための手段はこれしか確立されていない。

 だがその時、アリス・レッドアイ・ウンドワートは、しかし、何十回と機械の腕に殺されながら、はっきりと目覚めているのだ。


 クリアになった人工脳髄においては弱者としての屈辱を噛みしめ、終わり無い拷問を受けているという現実を諦観し、苦痛を己の不出来への罰と解釈しながら、ここに至るまでの自己反省をフィードバックとして人格記録媒体へと書き込んでいく。この工程を肉体が安定化するまで繰り返す。

 ――ウンドワート専用のメンテナンスでは、この拷問を一晩以上継続して実行する。

 あまりに凄烈で、破滅的だ。他のスチーム・ヘッドならば、むしろこの状況でこそ急性のストレス反応を示す。だが、ウンドワートが正気の自分へと回帰するには、このルートを辿るしか無い。

 狂うしか無いのだ。

 自分自身を壊し、自分自身を直す。自分自身を辱め、自分自身の尊厳を取り返す。

 偽りの魂が終わりを迎えるまで、その狂おしい性質から逃れられない。

 レアは今までずっとこの狂気の世界に縋って生きてきた。

 自罰の、自己嫌悪の、自己否定の苦痛だけが、彼女に生きている感覚を与えてきたのだ。


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