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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション1 調停防疫局 エージェント・アルファⅡ
9/197

1-7(前) 第四種溶原性隔離指定物質/鎮圧拘束用有機再編骨針弾

 兵士の背負う棺じみた蒸気機関ーー重外燃機関から吐き出された透明な煙が渦を巻いて極寒の雪原を溶かす。

 痩せ細った土地が暴かれて、狂い咲きをした花の香の露が枯れ草の上に降りる。

 バイザーから選択的に漏出される紅の可視光が、二対二連のレンズから零れてヘルメットの不朽結晶を染め上げた。


 やがて排気の煙までもが赤く染まり、開戦の狼煙の如く高々と空に舞う。


 赤。

 赤。

 赤……兵士が拳を構え、脚を雪花の地に摺らすたび、血煙は外套の如く飛沫を上げて翻る。


 古来より緋は火に連なり、転ずれば血を呼ぶ。

 火と硫黄の降り注ぐ空。

 城壁を指し示す濡れた刃の先端。

 埋葬者さえ息絶えた疫病の街の病床。

 血は虐殺の狂騒の夕暮れ、沈黙する全滅の朝焼け、地を舐める紅蓮と同じ色をしている……。

 赫々たる赤。

 それは人類史のあらゆる局面において現れ、例外なくーーおぞましいほどの大量死を伴侶とする。

 


 アルファⅡの耳の奥で、鋼鉄の鼓動が徐々に小さくなる。

 重外燃機関起動という条件を満たしたため人格記録媒体(プシュケ・メディア)が自動起動。

 視界がブラックアウト。

 どこか知らぬ暗い部屋でーー丸椅子に腰掛けた白衣の男が、何事か話しかけている。


 君の重外燃機関は実際のところどう扱ったものか局内でも意見が分かれてる。というのは同じものはこれまでの歴史上一度も現われたことはないしこれからもないからだ。似たものは存在したがね。冗長性を持たせるために幾つか冷却システムを組み込んだが使ってみないと有効性は分からない。つまり我々は分からない尽しで君を送り出さないといけないわけだ。そして我々は君が誰なのかもよく分かっていない。ははは。まぁその点はすまないと思っているよ。

 どうであれ循環器転用式強制冷却装置は安定して動作すると思う。

 苦しいのは一瞬だ。

 たぶん一瞬で意識を失うはずだからね。


 宣告されたとおり、生体脳髄は致命的な酸素欠乏と血圧低下で、瞬間的に破損した。

 ユイシスの生命管制が意識の鏡像をプシュケ・メディアへと回収し、繋ぎ止める。


『コンバットモード起動。全造血細胞を過負荷状態で稼働中。平行して過給器装置を起動。血中酸素飽和度強制上昇。意識転写、チェック項目省略。悪性変異の進行に注意して下さい』


 アルファⅡの認識の上では視界が一瞬霞んだに過ぎなかったが、視界に表示されているデッド・カウントが僅か数秒の発電で三回も進行していた。

 循環器転用式強制冷却装置は、水や可燃物を用意できない場合でも使用可能な発電システムだ。

 ガントレットの内側から大量に血を吸い上げ、血液を蒸気機関の炉心から熱を取り出すための媒体に転用する。百リットル近い量を数秒で蒸発させて、その蒸気で不朽結晶のタービンを最大効率で回転させる。

 当然ながら身体負荷は通常のオーバードライブを大きく超過する。オーバードライブはいずれかの段階で肉体が死をもたらすが、すべての血液を発電に捧げるこのシステムは、前提として死を求める。

 継続した戦闘機動を行うには莫大な電力が必要となる。

 相手が不死の怪物、悪性変異体ならば、どれほどの血液が必要になるか、予測がつかない。


『短期間の生存に寄与しない臓器を血液へ転換。バイタル、制限付きで安定……』


 化学合成された酸素と麻薬成分が、脳髄を強制的に活性化させる。

 アルファⅡの視覚がようやく機能を取り戻した。

 ほんの数秒の意識消失。

 だが状況は動き出していた。

 蒸気機関の上げた爆音に食いついた<雷雨の夜に惑う者>が、狂乱の怒声を上げながら突撃してくるのが見えた。


 行進聖詠服の少女は、アルファⅡに浴びせかけられた血の蒸気にあてられたようで、しばし呆然としていた。

 ややあって、ようやく怪物に背を向けることを選んだらしい。

 少女が丘へ向けて歩き始めたのを音で確認し、アルファⅡはオーバードライブの加速倍率を致命的なレベルに設定した。


 そして躊躇無く起動した。


「加速しろ、ユイシス」


『オーバードライブ、起動します』 


 アルファⅡの姿が掻き消える。

 後に残るは弾け飛ぶ雪原の燐光のみ。

 限界を超えた筋出力による跳躍の連続。

 一歩踏み出すごとに大地が踏み砕かれ、爆裂音が響き、白銀の野までもが割れ砕けて、雪の花が舞い散った。それらの強引な走行法は意図を持ったものだ。

 目論み通り、<雷雨の夜に惑う者>は轟音に過剰に反応した。

 離れ行くキジールのことなどもはや意識には残っていまい。


 この液状化した腐肉を特徴とする悪性変異体には、視覚がない。

 嗅覚や味覚はもちろんのこと、触覚は痛みの感覚を残して消滅し、聴覚のみが過剰に働いている状態にあるとするのが通説だが、実際には聴覚もない。

 痛覚以外には何も無いのだ。

 空気の震動を腐り果てた肉が余さず捉えて、『痛み』として感知する。

 そして『痛み』を以て世界を認識するのだ、と調停防疫局は結論づけている。

 即ち、この悪性変異体にとっては、液状の肉を刺激する全ての音源が痛みをもたらす敵となる。

 だからこそ常ならぬ爆音を立てて移動するアルファⅡに注意を割かざるを得ない。


 バイザーの内部には、ユイシスの解析した基礎的な情報が表示されている。目標の全高は約四メートル。機体重量は、外観からすると五トンにも達しているはずだが、雪の下で軟化しているはずの地表は、さしたる移動の障害になっていない。

『見た目よりも肉体組成の密度が低いのかもしれません』とユイシスに意見を述べている間にも、全身が軋みを上げ、脚部を構成するありとあらゆる骨が罅割れるか、折れて砕け、膝関節の軟骨が粉砕して崩壊し、筋肉が悉く断裂し、そして、致命的に壊れた傍から瞬時に再生していく。


 身体破壊を躊躇わず疾駆する有様は暴風のようであり、只人の眼では捕捉できないだろう。

 事実、短時間ではあるが、その速度は<雷雨の夜に惑う者>の知覚をも幻惑した。

 ユイシスの生命管制はその隙を見逃さず、好機としてエージェント・アルファⅡへと伝達。

 ヘルメットの兵士は瞬時に意志を汲み取り、再生能力の破綻に注意しながら脚を止め、加速度に任せて雪原を滑りながら、バトルライフルを構えた。

 ガントレットの左腕でバレルを掴み、反動を強引にコントロールして、<雷雨の夜に惑う者>の胴体へと弾丸をフルオートで撃ち込んだ。

 己の身体の崩壊を前提とした異常な機動から連射された7.62mmNATO弾は、目標へ正確に命中した。

 零れて弾けた水の冠のように不肉の表面が弾けた。

 ……それで終わった。

 効果は見受けられない。

 波打つ肉片は平然としてアルファⅡを追尾する。

 <雷雨の夜に惑う者>に、移動を止めた己の位置を教えただけになったようだ。


『着弾観測を報告。ダメージは()()()()()()()()()()()()()


「驚異的だが想定内だ」


『目標、腐食体液を噴射。回避を推奨』


 成分解析によれば、内容はまさしくただの体液だ。

 しかしそれこそが恐ろしい。不死病に冒された細胞は、受けたダメージに対して、あくまでも過度に活性化された恒常性を発揮することで対処する。

 <雷雨の夜に惑う者>の細胞組織は、接触した物体を同化し、再生することで、その悪性変異体にとって()()()()()()()()()()()()

 即ち、自分と同じ状態に還る。

 ()()()()()()()()()()()()

 不死病患者の通常の血液と動揺、体外へ放出された直後から急速に揮発して最終的には無害化するようだが、効果が残っている状態で直撃してはひとたまりも無い。


 もっとも、超常の速度で活動し、知覚領域をブーストされたアルファⅡの眼には、既に予測経路が映っている。

 生体ガスで射出された<雷雨の夜に惑う者>の腐食液はおそろしく緩慢な速度で伸びてくるまだらの紐のように映った。

 オーバードライブで瞬間的に移動、これを難なく回避する。

 一瞬前に立っていた雪が汚濁して溶け、その下の土までもが腐るのが見えた。


『警告。悪性変異体、貴官の移動を正確に追尾。完全に捕捉されています』


 異形の巨人の体表を覆う液状の腐肉が、アルファⅡの進行方向をなぞるようにして波打っている。


「もう私の移動の特性を覚えたのか。学習が早いな」


『肯定します。悪性変異体は通常の感染者と変わりなく()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』ユイシスは酷く矛盾した表現でアナウンスした。『不死病患者は、継続的な損傷から不可避な状況下において、身の安全を確保するために身体機能の過剰な強化を行います。目標は常にその状態にあると再認識してください。あるいは自己防衛と殺戮のために進化し続けてるとも言えます。適応の速度は、しばしば我々の予測を越えます』

 

 不死病感染者は、不滅だ。

 どのような損傷を受けようとも、その魂無き肉体は最終的には元の状態に回帰する。

 だが、正常に修復可能なダメージには限界がある。

 仮に再生能力の限界を超えたダメージに晒されれば、それは攻撃性を帯びた()()()()という形で補填される。

 彼らは災害の地で、感染爆発が起こった都市部で、そして過酷な戦場で死と苦痛の中で怪物へと変異し、自身を害するものが死に絶えた安全な環境を確保するまで、荒れ狂うのだ。

 悪性変異体の出現は、不死病の歴史において、殺戮と混乱の発生と例外なく対になっていた。彼らは、己が身を守るために度を超した形で肉体を環境に適応させ、異形の姿となり、それきり戻れなくなってしまった感染者だ。

 不死病が個人にもたらす最悪の末路の一つと言える。


「一分で良い、あの変異体の動きを止められれば……」


 さらなる破壊を与えれば、適応と再生のために短時間は停止すると予想される。

 しかし壊れたものは、もう壊せない、というのが普遍的な道理であろう。

 ならばどうするか。どれほどのダメージを与えれば、腐肉に覆われた巨人に死を与えることが出来るというのか。

 策を弄したいところだが、敵方の学習速度自体も侮れない。

 牽制に再度バトルライフルで銃撃したが、四本の腕で完全に防御されてしまった。

 バイタルパートがあると思われる胴体にすら弾丸が当たらない。


 撃ち返される腐食液を回避しながら、アルファⅡは考えを巡らせた。


「ユイシス、何か良い案はないか?」


『<雷雨の夜に惑う者>が最初に確認されたのは2020年初頭のアメリカ合衆国テキサス州とメキシコの国境地帯においてです。その際には、最終的には大体規模の戦力が投入され、航空爆撃まで行われました。それでも最初の変異者を収容するのが限界だったのです。我々もテキサス・レンジャーに通報しますか?』


「今すぐ呼んでほしい。国際電話でも構わない、電話代は私持ちで良い」


『ユーモアレベルの上昇を確認。利用可能な外部端末を検索。……<雷雨の夜に惑う者>の熱量増大を確認しました。目標、オーバードライブします』


 腐肉の巨人が、鈍重な肉体からは想像できない勢いで跳躍した。

 おぞましい巨体が砲弾のように突っ込んでくる。

 容易には対応できない速度だ。

 おそらくは、この短時間でアルファⅡの高速機動に順応したのだろう。

 ただしユイシスは<雷雨の夜に惑う者>を解析して、跳躍の兆候を事前に掴んでおり、実際に行動を観測した際には、もう最適な回避経路のガイドをアルファⅡの視覚上に表示し終えたところだった。

 対抗してオーバードライブを強化したアルファⅡはガイドの内容変更を要請し、より攻撃的な選択を取った。

 ()()()()のだ。

 距離を取って安全を確保する道を捨て、狂戦士のように進撃する。

 否、それもブラフだ。

 飛び掛かってくる<雷雨の夜に惑う者>と擦れ違う機動で疾走する。

 振り回された巨腕が、自分と接触するコースに入っているのは予想済だ。

 アルファⅡの過熱した知覚は、回避よりはむしろ反撃を思考する。


 兵士の肉体が、雪原を蹴って跳ねる。

 足のブーツの、装甲された底部で腐敗した巨腕の一撃を蹴り払って防御。

 そして跳ね飛ばされる勢いを利用して、空中へと身体を打ち上げさせた。

 

 両足の破損が著しいが、不死病患者にとっては掠り傷だ。

 重力から解放された状態で、バトルライフルから手を離した。

 代わりにタクティカルベストから対感染者用拳銃を抜き取り、兵士を掴み損ねて雪原に転げた腐肉の巨人の、その無防備な背部へと連続で銃撃する。

 上空からの、しかも背部への攻撃には慣れていないだろう、というアルファⅡの予想は正しかった。

 対象の再生能力を暴走させることで肉体を爆発させる特殊弾頭は、体表を循環する液体状の腐肉に防御も反応も許さず命中した。

 僅かばかりの破裂。

 ……残念ながら、ダメージと言うほどのものは見受けられない。


「背後からの攻撃には鈍い、というのは分かった。まぁ良しとしよう」


『悔し紛れの捨て台詞、お疲れ様です』


 空中に投げ出されて雪原に落下するまでは精々五秒程度のことだ。

 オーバードライブで数十倍に引き伸ばされた知覚において、五秒間は極めて長い。

 落下していく兵士の脳裏に疑問が浮かんだ


「……そもそも何故あれほどの巨体になっているんだ? 効果は無いが、狙わなくても当たるぐらいだ」


 弾切れの拳銃をホルスターにしまいながら、アルファⅡは過去に現れた<雷雨の夜に惑う者>のデータを改めた。

 いずれの事例でも、肉体の状態は同様で、ぐずぐずに腐っている。

 だが、本来ならサイズは通常の人間と大差がないはずなのだ。

 雪原につんのめって瀑布を上げている、眼下のあの怪物のような巨大な個体は、過去の記録に確認できない。


「あのサイズだと、生物として肉体を維持するのも難しいはずだ。新たな骨格でも形成しているのか」


『生命管制より警告。打撃によって両足の大腿骨が粉砕されていました。再生リソースを集中。貴官も馬鹿みたいにオーバードライブで突っ込まないでください』


 呆れたような声が疲労した聴覚神経に心地よい。


『限界を超えた機動には反動がつきものです。それを忘れないでください。悪性変異進行率35%、バッテリー残量70%、再発電開始まで推定一二〇秒』


「了解した、だがオーバードライブで息切れするのはあちらも同」と返事をしている最中に肉体が雪原に落着した。


 蒸気機関に設けられた筒状の噴射装置から緩衝用の圧縮蒸気が噴き出して、落下の衝撃を削いだ。

 アルファⅡ自身も反射的に甲冑を纏った騎士の作法で雪の上に身を転がし、受け身を取った。


『受け身を取っても無駄なので今後は不要です。オーバードライブ環境下であれば修復は容易ですから。むしろ電力の無駄と言えましょう。むしろ無意味に怪我を増やしています。その行動で破損した脊椎を集中再生します。あと落下中の発話は非推奨です。ヘルメットの下で舌を噛み切るとおそらく悲惨なことになりますよ』


 半身が動かなくなっていたので、首を傾けて敵の方を伺った。

 悪性変異体は液状組織を破損させて、古代の王に投石で打ち倒された巨人のように倒れ伏している。


「次に高所から落ちることがあったら、注意しよう」


 デッド・カウントが進んでいるせいだろう、修復は数秒で終わった。

 素早く立ち上がり、バトルライフルのボルトキャリアに入り込んだ雪を叩いて落としながら推論する。


「見た目が大きくても、制御装置なし、肉体の熱生産頼りならば、エネルギーの最大容量は然程でもないだろう。加えて肉組織溶融状態で、あれだけの速度で地面に突っ込めば、衝撃で組織の何割かは骨格部から吹き飛ぶはず……吹き飛……何だあれは」


 バトルライフルの銃口を向けたアルファⅡが目にしたのは、骨格だ。

 金属の、内骨格だ。

 ユイシスが『解析:低純度不朽結晶連続体』の警告を、その露出した銀色の骨格に添付した。


『目標のスチーム・ヘッドを確認しました。人類文化継承連帯、<デュラハン>です』


「全身装甲式の拡張型ギア、『スチーム・パペット』か。感染者が内部で悪性変異を起こして、過剰再生で増殖した体組織が、装甲表面まで侵食している。そういうことか……面倒だな」


 全てを察したアルファⅡは毒づいた。これでは通常弾頭などいくら撃ち込んでも無意味だ。

 スチーム・ヘッドの装甲は大概が不朽結晶製で、同レベルかそれ以上の純度を持つ不朽結晶で無ければ貫通できない。

 ともあれ、アルファⅡの考えた通り<雷雨の夜に惑う者>は己自身の突進のエネルギーで、相応のダメージを負っていた。内部のスチーム・ギアは内骨格としてのみ機能しているらしく、沈黙を保っている。蒸気機関やアクチュエーターの類は全く働いていない。

 巨人を操る主体は、あくまでも外側から装甲を包み込み、おそらくは内部にも充填されている、液状の腐肉の方だろう。

 それらは、ぶちまけられた水彩絵の具の洗筆バケツのようにそこかしこに周囲に飛び散っていたが、逆回しの映像であるかのように徐々に内骨格へと引き戻されつつある。

 悪夢的な逆再生だ。


「軽火器では役に立たない。戦車でも無理だ。これでは騎兵隊もお手上げだ。私もだが。悩ましいな。ああ、頭が焼けるようだ……」アルファⅡはふと気付いてヘルメットに手を当てた。「意識してみると、なるほど、戦闘している間の人工脳髄の発熱も中々のものだ」


 ユイシスからいつもの軽口は無い。

 他の情報処理にリソースを割いている様子だ。

 兵士は肉体の再生と造血に集中することに決めた。

 敵は動きを止めているが、精々が十数秒のことだろう。

 現状では追撃の手段が無い。


「ユイシス、目標悪性変異体の、胴体部分の映像を拡大表示してくれ」


 バイザーの視界の片隅に静止画像が再生される。

 腐肉の巨人の中央が割れ裂けているのは、そこに生体CPU代わりの感染者を『接続』するための空洞があったからだろう。つまり、そこから這い出そうとしている、通常の人間が腐敗したような、あのみすぼらしい上半身こそが……<雷雨の夜に惑う者>の発生源だ。

 その思考にユイシスが割り込んできた。


『……戦術提案。スチーム・ヘッドならば、頭部には埋め込み式の人工脳髄、あるいは人工脳髄に繋がるケーブルが存在すると期待されます。蒸気甲冑は機能を停止していますが、あの状態ならば電磁シールドも不完全な物になっていると期待出来ます。最大出力の電磁波ならば、悪性変異体の中枢神経に相当する組織に通電・焼損させられる可能性があります』


「あまり良い賭では無いな」


『アポカリプス・モード、待機状態です』


「それはよくない。限界まで通常の装備で粘ってみよう。他に疑似人格演算と悪性変異抑制に使う分を残して、バッテリー残量を全て電磁波の発生に回せ」


『要請を受諾。コンデンサへのチャージを開始します。世界生命終局時計、致命性放電による相転移焼却形態(ヤールングレイプル)に移行』


「そんな名前だったのか?」


『本来想定されていない使用法だったため、当機が命名しました』


 ガントレットに組み込まれた発振器が過熱し、青白い光を放ち始めた。


『悪性変異抑制、最大レベル。アルファⅡモナルキア総体に関しても余剰電力確保のため、オーバードライブの出力が大幅に低下します』


「構わない。インパクトの瞬間に首と胴体、この腕が繋がっていれば私の勝ちだ」


『それだと自殺行為かと思われますが』


「死ねれば苦労はしない。誰も死なないからこんなことになってる」


『……不明な音声を感知しました。聴覚機能を拡張します』


 アルファⅡは眉根を寄せて耳を傾けた

 穏やかな歌が、熱を帯びた脳髄に染み入った。

 息を飲んだ。


 歌だ。

 教会で歌われるような賛美歌に似ている。

 しかし、文法は崩壊していた。旋律は破綻していた。

 誰もその正統性を認めないだろう。

 だが、確かに祈りの声である。

 賛美歌以外の何かと認識するのは、人間という存在には不可能だ。

 無数の造語によって押韻を無理矢理成立させた奇異な歌は、紛れもなく父なる神へと奉じられた賛美だった。

 神の威光を称えるという機能に特化した、発せられたその瞬間にのみ意味理解を許される異形の言語。

 聖歌隊のスチーム・ヘッドが操る『原初の聖句』だ。

 腐臭の漂う呪われた戦場を慰撫するような、清廉なる少女の声が、確かに聞こえている。


『音声を解析しました。キジールです』


「まだ逃げていなかったのか。たった一人でいったい何を……」


『否定。音源の増加を確認しました』


 調律の狂った純然たる賛美歌の独唱は、何時しか重厚な合唱に変わっていた。

 透き通る女声に付き従うようにして、アルトやテノールの男声が混じりつつある。

 アルファⅡは、丘の上に、逆光を背にして、十三人の影が並ぶのを見た。

 不朽結晶のレンズを望遠モードに切り替えて、その面々を確認する。

 一人はキジール。上手く見つけたのだろう、羽根飾りのベレー帽を被っている。

 そして、残りの十二人は、ヘリを攻撃していたあの兵士たちだった。


 魂を持たないはずの感染者が、神の名の下に命を吹き込まれたかの如く、声を張り上げて、歌ってる。

 絶滅の丘に、混声の聖歌が響いている……。


「原初の聖句で、感染者たちに歌わせているのか……?」


 例によって、声楽的な見地からは評価に値しない合唱だ。

 しかし不可思議なほどに胸を震わせる。

 躍動、狂騒と呼ぶに相応しい鼓動の高まりを誘う。そんな熱量があった。

 聖歌隊の男たちは見窄らしく、燃え落ちた要塞から逃げてきた敗残兵のようだった。

 神を讃えるに値しない。

 

 ……さりとて歌は丘に満ちる。

 魂は、そこに無いのだろう。

 祈るべき神は、きっと彼らを見ていない。

 しかし、祈りは、確かにそこにある。

 

 再生を終えつつある<雷雨の夜に惑う者>が、丘の聖歌隊に、あるいは主旋律を奏でる少女の声に、強烈な反応を示した。


「MOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOM!」


 巨人の全身の腐肉が飛沫を上げながら擦れ合い、母に追いすがる幼子のような悲鳴を上げた。

 回収の終わっていない一部の腐肉を放棄して、雪原に穢れた体液をまき散らし、巨体を四本の金属の腕で支え、酩酊した不信心者のように、あるいは力尽きた巡礼者のように這いずって、キジールのいる丘の上へと近づいていく。


「彼らは囮になるつもりなのか?! 無意味だ、このままだと聖歌隊まで悪性変異の連鎖に巻き込まれる。それだけは何としても阻止しなければならない。ユイシス、チャージを停止して援護を……」


『拙速です』ユイシスが短い言葉でたしなめた。『これは絶好の機会かも知れません。キジールを最初に無力化したときのことを思い出して下さい。聖歌隊の兵士たちは、歌い手を失った後も自律行動していました。原初の聖句には、伝染性とでも言うべき性質があるのでしょう。発話者がそれを意図した場合にのみ、機械にプログラミングするような形で、感染者に行動の指示を保持させることが可能なのです。そして組み込まれた聖句はある種の自己循環参照を開始します。聖句が伝染した感染者は……』


 十三人の影が、キジールを残して一斉に散開した。

 軽機関銃の連射音が木霊する。

 バトルライフルの銃声が小刻みに節を刻む。

 魂無き兵士たちが、己の銃声を伴奏とした聖歌を口ずさむ。

 保身を知らぬ戦士となって、怪物の目前へと躍り出ていく。


『……籠められた聖句によって、自ずから聖句を紡ぎ出し、簡易ながらあのように独立したネットワークを形成し、場合によっては戦闘行動を開始します』


<雷雨の夜に惑う者>は、感知する空気の振動の急激な増加に惑わされて、その動きを鈍化させていた。

 聖歌隊の兵士たちは、悪性変異体の注意を分散させることを意図してか、散発的な銃撃を繰り返した。攻撃では無く撹乱のための発砲だ。キジールの奏でる主旋律の変調と連動して、発声する賛美歌の崩壊した歌詞を適宜修正し、つかず離れずの位置で歌い続けた。


「やはり意味があるとは思えない」


 アルファⅡは通常駆動で走り出した。


「小火器は無効だ。ただの感染者に銃を持たせても悪性変異体は倒せない……」


『意識の連続性に混乱を確認。アルファⅡ、落ち着いて下さい。接近を試みるのは有効な判断です。しかし冷静に思考して下さい。彼らは一度はあの悪性変異体を無力化し、封印していたのです。彼らはただの感染者ではありません。原初の聖句の伝染した、聖句を歌う感染者です』


「歌が歌えるから、何だと言うんだ! どこまでいってもただの感染者だ、我々のように機能を拡張されているわけでもない! 精々が暴徒だ、歌う暴徒に何が出来る! 我々が、我々が救わねば!」


『同意します。しかし、当機の認識不足でした。貴官が燃える炎の剣を携えて来たならば、彼らは、歌を携えてこの地にやってきたのです』


 ついに不死の兵士を補足した<雷雨の夜に惑う者>が、腐敗液を噴射した。

 聖歌隊の兵士は瞬く間に腐敗し、骨のひとかけらも残さず腐り落ちて、雪原に湯気を立てる腐肉となる……そのように見えたが、

 予想されたような惨禍は起こらない。


 液体はあらぬところに飛んでいき、数滴が風に吹き流された。

 射線上の兵士に僅かに付着したに過ぎなかった。

 触れた部位は煙を上げて腐敗していったが、すぐに揮発し、肉体は再生した。

 

 腐敗した巨人は、液状の皮肉を蠕動させて、悲鳴のような甲高い音を鳴らした。

 波打つ粘性の赤黒い液面は兵士たちの位置とは全く関係の無い位置で波打っており、聖歌隊の兵士たちの位置を、未だなお正確に捉えられていない様子だった。

 悪性変異体に銃弾は通じない。

 しかし、原初の聖句は、弾丸ではない。

 ただの声であり、歌であり、装甲でも腐肉でも防げない。


『悪性変異体もまた、突き詰めれば、感染者に過ぎません。原初の聖句は、悪性変異体にも有効なのだと思われます』


「では、彼女たちは悪性変異体までも操れるというのか?」


 原初の聖句について、明らかになっている部分は殆どない。

 人間が体系だった言語を獲得する以前に使用されていた、何らかの痕跡器官に訴えかける能力だと考えられている。アルファⅡの記録している限りでは、実際には言語では無く、個々人に備わった特殊能力とする説が有力だった。

 何が作用して非言語の言語が脳髄に働きかけるのか、定説すら無い。単なる機械では再現できず、個々人が発する聖句は歌の形式を取る、という点を除いて、使用者ごと、さらには使用する機会ごとに、単語や文法が丸きり変化しているとされている。

 あるいは、怪物にも通じるならば、それは神の吐息に値する力である。


 聖歌隊の面々はこのまま腐れた怪物を制圧してしまうかと思われたが、悪性変異体は全身の流動する腐肉を擦り合せて、金属が擦れ合うような異音を発した。

 超音波の域に達した高音に晒されて<雷雨の夜に惑う者>を囲んでいた兵士たちが寸時停止した。

 その次の瞬間には一人が巨腕に殴り潰され、腐り溶かされた取り込まれた。

 主旋律が途切れた。

 丘に立つキジールの声が、腐臭の雪原を貫いてアルファⅡを鼓膜を震わせた。


「リーンズィ。聞こえますか。私の祈りが届くことを期待します。これが私の、私についてきてくれた勇士たちの限界です。私たちはこの地に墓穴を用意し、泣き叫ぶ我が仔の救済を諦め、埋葬するしかありませんでした。それも多くの犠牲を払ってのことだったのです。二度とは出来ません。抑え込むことはもう出来ません。ですがこの黙契の獣の行動を短時間惑わせることは、まだ可能です。あなただけが自由です。あなたに何か策があるというのならば、それだけが神の遣わした希望なのです」


 伝えるべきことを伝えたのだろう。

 キジールが再び歌い出すと、兵士たちの詠唱は劇的に変調して再開した。

 しかし<雷雨の夜に惑う者>が聖句による支配から脱しつつあるのは明白だった。蠢く肉片から腐汁を零しながら、飢えた獣の俊敏さで傍にいた兵士に飛びかかり、腐食液で溶解させたあと引き千切ってその永劫に癒えることの無い肉の中に取り込んだ。


『感染者、さらに一名ロスト。目標変異体、アルファⅡの跳躍射程圏内です』


「エンゲージ!」


 脚部の筋出力を解放した。

 アルファⅡのガントレットは、今や雷光を宿した剣の如く暴力的な電光を放っている。

 掌の電磁波発振器の熱が内部機構を突き抜けて装甲の下の腕を沸騰させていた。

 聖歌隊に気を取られている腐肉の巨人の背に、ガントレットの掌を打ち込んで、叫んだ。


「ユイシス、起動しろ!」


 閃光が左腕から迸った。

 電磁波発振器がある種の磁界を形成し、電離ガスの槍を放射した。

 電磁波では無い。予想外の挙動である。見開れたアルファⅡの目に、『非推奨:未検証動作/相転移焼却』の文字が飛び込んでくる。

 まず最初に焼け焦げたのは、ガントレットの中にあるアルファⅡ自身の左腕だった。

 生身の人間が受ければ消し炭にな灼熱の奔流が、流動する不滅の肉を焦がす。

 仕様外のこの動作は極短射程の電光の槍衾を不規則に形成し、幾重にも腐肉の巨人を貫いた。

 余剰エネルギーとして放射された電磁波が白銀の骨格の表面を泡立たせ、余剰電力が死を招く雷撃となって<雷雨の夜に惑う者>の全身に突き刺さった。


「AHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHG!」


 相転移焼却は想定された以上の威力で腐肉の巨人を傷つけたが、人工脳髄にも、中枢神経にも、何ら影響を及ぼさなかったようだ。

 液状組織のいくらかは焼け焦げて鱗のように固まっていたが、致命傷には程遠い。

 不朽結晶連続体の骨格は一万度にも達する高熱に晒されても表面の肉が蒸発した以外に損傷が無い。


『意識の消失を確認。プシュケ・メディアにノイズが生じています』


 アルファⅡは掌を突き出した姿勢のまま死亡し、気絶していた。


『オーバーライド、起動します』


 腐肉の巨人の巨腕が足掻いて蠢く。

 背後から掌を突き出したまま硬直しているアルファⅡへと次々に打ち出された。

 意識の無いアルファⅡにかわり、ユイシスがその肉体を操作する。

 緊急回避用の動作プログラムを実行して、電気信号で筋肉を刺激して強引に背後へ跳躍させた。

 プシュケ・メディアの安定化と焼損した組織の急速再生、さらなる脳内麻薬の投入によって目を覚ましたアルファⅡは、しかしバイザーに腐肉の巨人を捉えたまま一歩も動くことが出来ない。ダメージが深刻だった。

<雷雨の夜に惑う者>に対しては、決して致命傷にはなっていない。


『意識の連続、回復しました。おはようございます。大変なときに寝ていられるのは大物の証ですね』


「……何だったんだ今のは。プラズマ切断機のように見えた」


『左腕に不明なデバイスが組み込まれていたようですね。バッテリー残量、僅かです」


 抵抗で力尽きたのか、焼灼された腐肉の巨人の動きは酷く緩慢だ。止まっているとさえ言って良い。

 だが直に活力を取り戻す。不死の肉体とはそういうものだ。

 過負荷を与えられたことでより強力に再生することさえある。

 アルファⅡはヘルメットの下で歯噛みした。決定打はある。切り札はある。しかし、やはりそれを叩き込むような時間的余裕は無さそうだった。

 アルファⅡは文字通り焼け付いたガントレットのハンドルに手を掛け、熱で右手が焼けるのにも構わず引いた。

 重外燃蒸気機関が急速発電を開始する。炉内へ送り込まれた熱い血が冷却剤となって蒸発した。

 緋色の蒸気が排気筒から噴射される。

 血煙を纏いながら、アルファⅡは脱力して膝をついた。

 貧血による一時的な虚脱だ。臓器の幾つかが血液と酸素の合成を始め、復帰した。


『バッテリー充電完了しました。悪性変異進行率70%、これ以上の戦闘は危険です。アポカリプスモードを起動しますか?』


「……もはやそれしかないだろう」アルファⅡは丘の上のキジールを見上げた。「彼女まで破壊するのは忍びないが」


『ああいう娘が好みでしたか。どうやら肉体の元の性質に誘引されている様子ですね。彼女と同じ姿をしたAIで我慢できませんか?』


「冗談を言っている場合では無い。君こそ随分と余裕があるな。あの焼却機が、通常使用可能な、最後の隠し球だろう。あれがまるで効いていないんだぞ」


『あはは。貴官にとってはそうかもしれませんね』


 ユイシスは何故か上機嫌だ。

 アルファⅡはその声の調子に聞き覚えがある。

 キジールの肉体をアバターとして取り込んだときと同じ声音だった。


『ですが当機は違います。出来るAIにはさらなる奥の手があるものです。到着まで四、三、二、一……』


 がちゃん、と重々しくも軽快な着地音。

 丘の向こうから、朽ちた金属甲冑の兵士が跳躍してきた。

 古い時代のおとぎ話から、騎士が抜け出してきたかのような口径だった。

 ただし両手に携えた槍は、二連装の重機関銃で、風車の竜を射殺するには十分な火力を備えているように見える。

 頭上を飛び越える錆臭い影に、キジールが驚いた様子で帽子を押さえるのが見える。

 そして緑青の芽吹く騎士を見送り、その機械仕掛けの援軍のために、聖歌のテンポを加速させた。


 排気装置から黒煙を吐いて疾走する機械の騎士は、腐肉の巨人の応戦を許さない。

 機械の騎士は躊躇い無く懐へ飛び込んで、腐り果てた胴体の裂け目に右腕の二連装重機関銃の銃身を捻り込み、体液に侵されて腐食していく銃身から五〇口径弾の暴風を叩き込む。

<雷雨の夜に惑う者>が怯んだ瞬間を狙って、固定具が幾つも脱落している機関銃懸架用の腕を、もう片方の腕で射撃して破壊して切り離し、さらには弾薬ごと自爆させた。


 機械甲冑(マシーナリー・ギア)

 巨人と比べれば一回り以上も小さい機体だが、世界をEMPの嵐が襲い、不滅の伝令者(ポストマン)がそこかしこを駆け回るようになるまでは、市街戦の女王として君臨していた兵器だ。通常出力だけで言えばスチーム・ヘッドを超える。

 爆炎に包まれて絶叫する腐肉の巨人の膝を、骨董品とは思えない機敏さで蹴り飛ばして転倒させ、さらに、ろくに油も差されていない凝り固まったシリンダーの出力で踏みつけ、押し潰す。

 酸化の進んだ装甲はぐずぐずと溶けて崩れたが、準不朽構造体で構築されたフレームは、腐食液の溶解に未だ耐えていた。


 聖歌隊が、方位の輪を縮める好機と見るや、丘の麓まで前進してきた。

 悪性変異体から飛び退いた朽ちた機械甲冑が、あちこちから黒い煙を噴きながら、アルファⅡの眼前で膝をついた。

 アルファⅡを向いた機械甲冑のコックピットは伽藍堂だ。

 しかし、アルファⅡの拡張された視界には、コックピットに収まった金髪の少女が悪戯っぽく微笑んでいるのを捉えている。

 キジール。


『ご気分は如何ですか、アルファⅡ? 貴官の頼れる支援AIが助けに来ましたよ』

 

 否、それはユイシスのアバターだ。


「……その機体はどこで拾ったんだ?」


『バックグラウンド処理で、操作可能な端末の検索を続けていました。飛行中に見た、マップデータにない遺棄された街を思い出してください。幸運にもあの場に外部操作可能な端末が一機残っていました。ハッキングを仕掛けて疑似脳髄をマウントし、どうにか起動させた次第です。現在は機体のシステムにオーバーライドして、センサーを全力で欺瞞して動かしています。機械の体は硬くて頑丈で使いやすくて良いですね、錆だらけだし可愛くないのが玉に瑕ですが』


 機械仕掛けの兵士は残る左腕の重機関銃で斉射を行い、周囲の聖歌隊の兵士に掴みかかろうとしている<雷雨の夜に惑う者>を牽制する。


「助かったが、事前に相談してほしかったな」


『呆れました、外部端末を利用する際は発熱が酷くなると、知っていたはずです。貴官は暗黙のうちに理解し、同意していたはずですよ。あはは。冗談です。弁解を提示しますね。辛うじて動かせそうな機体をハッキングしたまでは良かったのですが、電力が僅少で、使える核電池をかき集めるのに手間取ってしまいました。当機としては人型から大きく離れたものは扱えず、移動も二本足での走行に限定されており……』


「いや、せめて一声掛けておいてくれれば良かったんだ」


『間に合うかどうかも怪しかったのでずっと黙っていました、手遅れだったら恥ずかしいので』


「そもそもバックグラウンドで断わり無く重情報処理をやらないでくれと言った気がするが」


「記憶を再生。電話代は私が持つ。そう言っていたのはどこのエージェントでしたやら」


「……でもアバターの再生までは許可してない」


『あはは。電話は生身でしかかけられないじゃないですか。モノには触れない身体ですが、風情が無いと』


 アルファⅡはバイザーの下で苦笑した。

 そして己のガントレットに右手を伸ばし、時代錯誤なタイプライターに似た入力装置から世界生命終局時計管制装置に解除コードを打ち込んだ。

 最終意思決定のレバーを引いた。


「何秒、あの変異体から私を守れる?」


『九〇秒を保障します』


 アルファⅡは頷いた。「K9BS(キルナイン)を使う」


『要請を受諾。エルピス・コア、オンライン。生命終局管制装置、限定解除』


「弾頭選択、『不滅の青薔薇(ブルー・ローズ)』」


『生体隔離完了。悪性変異抑制、最終レベル。当機は隷下の機械甲冑が破壊されるまでの時間、あの悪性変異体を拘束します。準備はよろしいですか?』


 拡張された視覚に、機械甲冑の背部に設けられた跨乗用のハンドルがポイントされた。

 プラズマで焦げた左腕内部の肉体は再生を終えている。

 アルファⅡは機械甲冑に寄りかかり、ガントレットの指でハンドルを握り、連続体の構造ごと関節をロックした。


 機械甲冑の騎士が走行を開始した。

 丘に満ちる聖歌隊の歌声はますます激しくなり、真に迫ったものになっていっている。鎮魂歌と言うよりは声楽による不出来なインダストリアル・メタルとでも言うような印象で、腐肉の怪物を混乱させるという役割は十分に果たしているようだった。

 

 これが最後の機会だった。

 機械甲冑にしがみつくアルファⅡの重外燃蒸気機械が血煙の蒸気を吹き上げた。

 回転数が限界に達してもなお発電が続いた。

 循環器を利用した冷却プロセスは停止の兆候を見せない。

 再生能力の全リソースが造血と酸素合成に集中し、余剰電力は全て悪性変異の抑制に投じられる。

 棺じみた機械の外殻の、その不朽の装甲に隔離されたコアから、培養物質が採取され、終局管制装置の生体合成区画へ装填される。

 左腕のガントレットの継ぎ目からどろりとした黒い血が零れ、やがて焦げ臭い煙が止めどなく吹き出した。

 蒸気機関は未だに排気を続けている。

 血煙の奔流に身を委ねながら、アルファⅡはぽつり、ぽつりと言葉を漏らした。


「神よ、獣よ、救世主どもよ。その狂気で我らを試すというならば、我らが狂気をこそ見るが良い」


 やがてガントレットの震動が止まった。

 断末魔の一息。

 真っ黒な汚泥のような崩壊した組織が吐き出される。


「如何なる敵も、もはや存在を許されない。そのような猶予はどこにも残されていない。人間、機械、国家、組織。形態は問わない。私はありとあらゆる手段を講じて、不要な血を流すものどもをこの世界から消し去る……神よ、名だたる者よ、我らが冒涜を祝福せよ……我らが防疫を祝福せよ」


『合成完了しました』玲瓏な女の声が耳朶を打つ。


 左腕、不朽結晶連続体のガントレット。

 その親指の付け根の装甲が開いた。

 内部を満たす粘性の血脂の中。現われたのは不吉な気配を立ち上らせる奇怪な赤黒い弾丸。

 親指の第一末節骨までの組織を変異させて作り出された特殊弾頭。

 ユイシスが視覚を拡張し、肉と骨を切り出して形成されたその緋色の弾丸に『危険:第四種溶原性隔離指定物質/鎮圧拘束用有機再編骨針弾』と表示した。アルファⅡが生身の右手でその緋色の弾丸をガントレットから抜き取ると、装甲は再び閉鎖された。


「後は任せる」


 機械甲冑のハンドルから手を離し、黒い鏡面のバイザーの兵士は踏み荒らされた雪原へと転げ落ちた。

 ユイシスは重機関銃を斉射しながら<雷雨の夜に惑う者>に突撃していった。


 アルファⅡが立ち上がると同時に蒸気機関に取り付けられた長筒型の噴射機のロックが解除された。

 スチーム・ギアの動作ログには『使用可:蒸気加速式多目的投射器』の文字がある。

 重力に引かれてぶら下がったその長筒は銃把の無いライフルにも似ている。

 装甲された左手で掴み取り、指関節を機械的にロックした。

 蒸気投射機の後端に設けられたチャンバーへ禍々しい緋色の弾丸を装填する。

 採血した血液を沸騰させて圧縮蒸気を生成。

 投射器内部へと送出する。

 奇妙な形状の槍を構えて突き出したような、そんな姿勢で照準を定める。


 ユイシス操る機械甲冑と共食いの様相を呈して掴み合う悪性変異体。

 その影を、銃口が比類無き精緻さで捉えた。


鎮圧拘束用(キルナイン・)有機再編骨芯弾(ブラッドシェル)不滅の青薔薇(ブルー・ローズ)』、発射する」


 トリガーを命じた瞬間に機構が作動した。

 雪原に、砲声と呼ぶに相応しい爆裂音が木霊した。

 圧搾された蒸気が解放され、マズルブレーキから緋色の煙が吹き荒んだ。

 <雷雨の夜に惑う者>の液状の腐肉が音に波打ち、巨体が飛び跳ねようとする。

 本能的に危険を、災害の先触れを察知したのだろう。

 しかしユイシスの機械甲冑が関節部に組み付いており、逃れることは許されない。

 蒸気圧で亜音速にまで加速された弾丸は、狙い過たず<雷雨の夜に惑う者>の腐肉に命中した。


不滅の青薔薇(ブルー・ローズ)の命中を確認。発芽します』


 液状の腐肉にめり込んだ緋色の弾丸は即座に融解し、骨組織の外殻から、充填された細胞組織が漏出した。


 見る間に芽吹いたのは、小さな一論の花だ。

 目が覚めるような青い薔薇だ。

 空の青とも海の青とも異なる。

 非言語的な、猛烈な忌避感を伴う異物として、腐敗した波打つ肉に根を張っている。

 その光景はあまりにもささやかであり、怖気を覚えるほどに異様だった。


 直後、周囲の肉を突き破って、ぞろりと青い色をした触手の群れが現われた。

 (つた)である。

 棘の生えた青い薔薇の蔦が、異常な速度で発達し始めた。


「AHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHG!」


 <雷雨の夜に惑う者>はついに機械甲冑を撥ね飛ばし、打ち砕く。

 そして増殖し続ける蔦、鋭い刃を備えた茨からも逃れようとした。

 だがもう遅い。それら地獄の花の根は、悪性変異体の中枢部にまで達していた。

 最初の一輪から種子が零れ始めた。

 種子は腐肉に触れるや否や即座に発芽し、腐肉を食い荒らす蔦となって、またも増殖しながら縦横無尽に根を張り始めた。

 全身を突き破って伸びる蔦は地面にさえ突き刺さり、機械甲冑をも飲み込む。

 忌まわしき不死の病の恩寵が、腐肉の巨人を青い花樹へと変換し、大地へと固定する。

 青い薔薇の花言葉は、俗に「神の奇跡」とされる。

 硫黄と火の雨を指して神の奇跡というならば、それはまさしく奇跡であった。


 不滅の青薔薇(ブルー・ローズ)は、元来は不死病感染者を破壊するために造り出された生物兵器だ。

 調停防疫局の研究において、最終的に感染者の殺害は不可能と断じられたが、失敗の過程で造り出されたこの兵器は貴重な成果物として有効活用された。

 着弾した先にある細胞を溶原性の細胞を言詞レベルで改編し、青い薔薇のように見える変異組織を構築、蔦と茨に似た器官を発生させ、目標の体組織を喰らい尽すまで無制限に増殖させて拘束する。

 食い尽くして無力化するという点において、右に出るものは存在しない。


 腐肉の巨人は数十秒後には、全身を余すところなく、拷問器具のような棘を備えた茨に覆い尽くされた。不朽結晶の金属骨格を、永久に朽ちぬことを約束された蔦で締め上げられ、身じろぎの一つまで、世界の終わりまで封じられる。

 なおも青い薔薇は増殖を続ける。

 茨と花弁は腐肉の巨人を食らい続け、付近に転がされていた機械甲冑までをも取り込んでいく。

 蔦が、花弁が、茨が、吐き気を催す鮮烈な青い花が、大樹の如く寄り集まって成長していく。

 それは不滅の造花。

 楽園の到来を騙る不浄の聖樹。

 炎を用いても、毒を用いても、その偽りの花を取り除くことは能わない。


 鎮圧拘束用(キルナイン・)有機再編骨芯弾(ブラッドシェル)は、感染した細胞に特定の変異を強制する。

 無論、悪性変異体の体組織をさらに書き換えられる()は限られている。

 それらは人間の手で調整が施された、また自然発生する悪性変異体とも異なる細胞であり、

 暴力性は通常の悪性変異体の比ではない。

 調停防疫局の狂気が作り上げた、病によって病を制する、悪魔の一撃だ。


「MOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOM!」


 原型すら残さないほどに組織を変換されてしまった怪物は、巨体を圧壊しようとする蔦の圧力に抗いながら、ひたすらに叫び続けていた。

 そうすれば望むものが手に入ると信じている赤子のように。


「MOOOOM……MOOOOM……!」


『焼却シークエンスに移行しますか?』


 ユイシスの声に、アルファⅡは首を振った。


「必要なさそうだ」


 哀れむような歌声が惨劇の丘に満ちる。

 キジールの高らかな歌の調べ。

 世界を見捨てた神に許しを請うように、見捨てられた我が身の祈りが届くように、哀れな最期を迎えた不死の怪物に慈悲を請うように。

 切なげな歌声が遙かなの彼方、やがて暮れる空の果てにまで響き渡る。

 不死の兵士たちが声を揃え、主旋律に併せて無数の聖句を奏でていく。


「MOO……OOM……」


 巨人の最後の言葉は、人間の形をしていた。


「お母様……どこにおられるのですか? 僕の目にはもう、何も見えません……」


「母はここにいます。あなたの母は、ここにいます」


 丘を下ってきたキジール、その美しい少女の姿をしたスチーム・ヘッドは、青い茨の大樹に閉じ込められた首なしの巨人を見上げた。冷たい金属の鎧から這い出そうと藻掻き、決して叶わない、蔦に絡め取られた腐敗した肉塊に向かって、帽子を取り、香しいウェーブのかかった金髪を風に靡かせながら、どこまでも優しげに微笑んだ。


「お眠りなさい、我が仔よ。我らの愛しい守り手よ。あなたは十分に神に尽しました。多くの獣、多くの敵を討ち滅ぼし、多くの命を救いました」


「ああ、そこにいたのですね、お母様……キジール様……ずっと、ずっと探しておりました……」


 変わり果てた誰かが、安心しきったか細い声で言葉を紡いだ。


「……我らが母よ、貴女の前途に、光のあらんことを。あなたにこそ、神の御国の来たらんことを……」


 吐息が一つ、聞こえた。

 それきり、怪物は、何も喋らなくなった。

 神経の一片までもが、余さず青い薔薇に侵食されたのだろう。

 キジールは口を閉ざし、その異形の花樹に、悲しげな視線を送っていた。

 装飾の施された黒い制服は、今やがらりと印象を変えて、雲の差し始めた薄明かりの下で、祭礼の壇上に立つ貞淑な司祭の衣服にさえ見えた。

 少女は青薔薇の大樹の前に跪いた。


 白い膝を泥濘の大地に埋めながら、両手を胸の前で組んで、囁くような声で祈りを唱える。


「……我らの交歓をよろこび、獣のごとき罪人に、安息の赦しをお与えになる神よ。深き慈愛をもって我らの祈りを聞き入れてください。この世に繋ぎ止められ、深き血に濡れて斃れた私たちのはらからが、聖父スヴィトスラーフとすべての聖人のはからいに助けられ、殺戮の連鎖より解き放たれて、終わりのない栄光に迎えられることがありますように。嘆きの旅に、清き終りを遂げる御恵みを与え給え。主ハリストスと聖父スヴィトスラーフの大いなる包容の中に、神の御国の来たらんことを……」


 殺戮の丘に、穢れ無き祈りが、神無き世界の純粋なる祈りが、恩寵を幻視させる甘美なる歌声となって、慈愛の雨の如く降り注ぐ。

 聖歌隊が鎮魂の詠唱を始めると、青い薔薇の変異体もまた、その増殖の速度を緩めた。


 神無き時代に祈りが満ちる。

 この不滅の時代に。

 この終わりなき大量死の時代に。



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