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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション2 スヴィトスラーフ聖歌隊 大主教『清廉なる導き手』リリウム
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2-12 祭礼のために その8-6 聖なる猫を待ちながら

 不明な機能制限解除の許可を出してから、瞬きにも満たない一刹那で、ライトブラウンの髪の少女は正常な呼吸を回復させていた。


 まだ肉体には疼痛があり、活動は自由では無い。

 しかし、思考だけはクリアだ。もはや肉体からの干渉によってリーンズィが支配されることは無い。指先は元より臓腑の一つ一つに至るまで、全ての部位がアルファⅡモナルキアによって制圧され、他ならぬリーンズィのものになった。その確信がある。

 ユイシスが具体的にどういう操作を行ったのかは、リーンズィにも理解出来ない。レポートすら上がってこないため、推測を巡らせることさえ不可能だ。

 しかし、ユイシスが上手く事を運んでくれたのだと直観的に理解していた。


「ユイシス、何をしてくれた……?」


 神様女神様ユイシス様、ありがとう、君の手際は本当に綺麗だ、エレクトロニカは最高だと思う、などとあからさまな謝辞と麗句を追記して尋ねる。人は誉められると嬉しいらしい、というのがここ最近のリーンズィの気づきだ。主にレアせんぱいを愉しませるときに使う。

 ユイシスは本来これを使うべき対象ではないのだが、今回は特別だ。

 しかし、ユイシスは答えない。

 どうしてだろう、と思いつつ、エージェント・アルファⅡだった頃の記憶を掘り起こす。

 エージェントとAIは、完璧にお互いを知り尽くしているが、同時にお互いを完璧に受容することは決してない、などと言っていた気がする。鏡越しに手を重ね合う――出来ることと言えばそれぐらい。今回は、無理をしてくれたのだろう。

 リーンズィは支援AIへの信頼度を一段階向上させ、「よく出来ました」カードのスタンプを送信したが、無声通信ログに既読が付いたのに無視された。そういうこともある。


 とにかく、致命的な一線を乗り越えたという安堵が、リーンズィの霞がかる肉体に、温かな布のように覆い被される。

 ロングキャットグッドナイトは結局現れていないが、この安寧は間違いなく彼女の功績で、なんと偉大な人なのだろうと、リーンズィは再び祈りを捧げる。

 ロングキャットグッドナイト、なむなむ。

 ロングキャットグッドナイト、あーめん。

 ハレルヤハ、ロングキャットグッドナイト! 

 猫の御国に猫とお休みとご安心のあらんことを。

 ロングキャットグッドナイト。どれだけ繰り返しても全く気の抜けた音の並びではあるが、名前だけでリリウムの重圧を取り払ったのだから、霊験あらたかである。


「しかし、大主教がこんなことで集中を乱すとは考えてもいなかった……」


 冷静になると殊更違和感が際立つ。

 大主教リリウムの反応はどう見ても過敏だった。

 白銀の少女の醜態を見よ。リーンズィを攻め落とすことなど忘れてしまった様子であたふたとしており、「なっ、なんでここでレーゲントなんですかっ?! レアせんぱいとはいいところまでいくけど、わたくしやお母様以外のレーゲントと仲良くなる未来は無い、そういうお話だったじゃないですかー! ろんぐ……ろんぐ……長くて言えないんですけど! 何なんですかそのモニャモニャした音は!」とじたばたしている。


「落ち着いて、落ち着いて」とミラーズもリリウムの肩を撫ぜていたが、ミラーズの表情からも趨勢が決したのは明らかだ。


「ええ、そうですね。もう結果は出ました。ちゃんと諦めることです。他ならぬ我が娘、リリウムのお願いだから、一度は味方すると決めましたけど、私だってアルファⅡモナルキアなんですからね。次からはリーンズィの側に立ってあなたを妨害しますよ」


「そんなー、お母様ー! わたし、ヴァータとキジール様が去った後、とってもとっても寂しくて、それでも頑張り続けてきたんですよっ。ええ、確かに昔のお母様とは、少し違うのかも知れません。でも抱きしめて欲しいし可愛がって欲しいんですよ……」


「大丈夫ですよ」ミラーズはそっとリリウムに寄り添った。「敵でも味方でも、時間が許す限り、いつでも傍には居ますからね。まぁ基本的に敵よね、こうなったら。でもね、リリウム。リーンズィも、私が名付けた名前なの。最も新しい私の娘なのですから、あなたも優しくしてあげましょうね……?」


「酷いですお母様! 嬉しいけど嬉しくないですー!」


 リーンズィは急速に安定していく肉体に心地よさを感じながら、一つの可能性に思い至る。


「まさかロングキャットグッドナイトは、大主教リリウムの知己ではない……?」


 そう言えば、あの猫のレーゲントは大主教ヴォイニッチの眷属である、という話を聞いた気がする。

 派閥が違うのなら、敵対しているどころか、全く知らないという可能性が無いでもない。

 だが、仕える主が異なるとは言え、あれほど強大なレーゲントと大主教に面識が無いなどということが有り得るだろうか。


「ろんぐ……ろんぐきゃ……だから何ですか、それは。何なのですか!」


 耳ざとくリーンズィの呟きを聞きつけ、リリウムは楚々とした白銀の美貌を曇らせる。


「四つぐらいの音が聞こえますけど……結局どういう意味なんですっ? そろそろ教えてくれても良いんですよっ?」


「ロングキャットグッドナイト。彼女はクヌーズオーエの夜を守るヒーロー……」


「え。ヒーロー?! 誇大妄想狂(メガロマニア)のシーちゃん以外に、わたしの知らない間にまた誰か増えるんですか?! いえ、そうではなく! あのっ。あのですね、名前だとして、そこで呼ぶべきは……やはり頼れる同じアルファⅡの()()()()()()ではないのですかっ。えっと、つまり、ウンドワート卿のことですけど。……あっ?!」


 リリウムは再び青ざめた。


「ごめんなさい、浅慮でした。あの、確認しますね、手遅れかも知れませんけど。わたし、予言された未来がどういう順序で成立しているのかまでは、その、あんまり分かっていなくて……アリス・レッドアイ様、つまりレアせんぱいと、ウンドワートは、同一人物……そこはもう分かった後ですよね……?」


 攻めに攻めていた側が、今度は弱気そうに目を細め、体を倒し、吐息がかかる距離で不安そうに問いかけてくる。


「レアせんぱいが実はウンドワートだというのは……」

 唇が重なる。猫が挨拶をするような柔らかさ。謝罪するような優しいリズムだった。

「うん、それはもう分かってるので……だいじょうぶ……えっ、何故キスを!?」


「ですよねっ。よかったー!」

 リーンズィの当惑など知らない素振りで、リリウムは元気を取り戻して身を起こした。

「ならば、この窮地で呼ぶべき名前はウンドワートのはず。()()()()は、そうなると予言していましたし、()()()も心得ていました。あなたが叫ぶべきは、『助けて、ウンドワートー!』が正しいのです。だってあのアリス様より強いスチーム・ヘッドは、今も昔も解放軍にはいないのですから。だからその、ろんぐ、うにゃにゃにゃにゃ? というのは言い間違いであることがわかりますね? 今なら言い直すチャンスをあげますよ? わたしは寛大で優しいのでした」


「チャンス……」リーンズィは復唱した。「えっ、チャンスをあげられても困る……」

 そうして聖女の指先からさっと逃れる。


「ロングキャットグッドナイトとウンドワート、やっぱり被っている部分は『ド』と『ト』ぐらい。言い間違えるはずがない」


「で、ですよねー。全然似てませんもんね! 音だけでも、実はそれは分かります……」


 リリウムはやけっぱちな声を漏らして、焦りの汗を流しつつ、しかし懸命に微笑みを浮かべている。

 そしてさっと上体を反らし、目をグルグルさせながら独り言を始めた。


「あれっ……あれーっ。えっ? 何ですかこれ……運命が違うじゃないですか。これ不味くないです? どういうことですか、わたくし!」


 聖少女はリーンズィへのハッキングを完全に停止している。

 スローテンポな舞踏を踏む祈祷師のように、何だか一人でわたわたとし始める。

 ミラーズを目端で観察するが、特に異常を検知しているようには見えない。どうやらこちらのほうが普段のリリウムに近いらしい。

 つまり、二つの曖昧に融け合った人格が境界線上を行き来するというのは、ままあることのようだった。


「ど、どういうことか分からないです、わたし! えーっ。も、もうこれ事前に聞いていた展開と全然違うではないですか! ここで呼ぶ名前はレアせんぱい、これ一択のはず……はっ。いいえ、まだ間に合います。分かりますか、これは試練なのです」


 思い出したようにリーンズィにそっと優しく微笑みかける。「そういうことなので、リーンズィ、言い直しても良いんですよ……?」


「どういうこと。良いんですよと言われても言い直さないし、言い直しても意味が無いと思う」


「ええーっ。やっぱりおかしいです! ()()()()の見てきた未来と違う雰囲気です! わたし、まさか失敗コースに入ったんです!? ここでウンドワート卿の名前を呼ばないなら、後から怒られること覚悟で念入りにあの人を排除したのに、意味がないではありませんか! な、なんでー!? 天使様、リーンズィ、今からでも言い直しても……予言の通りになりましょう? 一つになりましょう! 悪いようにはしませんので! 至上の悦楽と楽園を目指す歓びを、どうかわたしと共に!」


 リリウムは言葉の裏で懸命に聖句を走らせ始めていたが、リーンズィに対しての効果はどうにも精細を欠く。ユイシスの構築した防壁の効果だろう。必死の思いで肉体にロックを掛け、思考を制限していたのが、もはや嘘のようだった。

 リーンズィの腹に跨がったまま、ぴっ、ぴっぴっ、と指差すジェスチャーしながら熱弁するリリウムの言葉にも、聖句は忍ばされているが、リーンズィを強引に動かす力は宿っていない。可

 愛らしい女の子がよく分からないことを口走っているとしか見えない。

 天性の美貌、神の愛をも幻視させる非人間的な少女性には何らか変わるところは無いのだが、先ほどまでの光輝がひとかけらも見当たらない。


 あまりの零落ぶりにリーンズィは毒気を抜かれた心地だった。

 生体脳を脳内麻薬で沸騰させられ、人工脳髄までも聖句で散々掻き回された後だ。

 どうしたところでリーンズィは加害を受けたことへの不快感を拭えない。

 だというのに、リーンズィには、彼女が自分の脅威だとは思えなくなってしまっていた。

 ロングキャットグッドナイトが、リリウムを、その名前だけで倒してくれたような気がした。


「そこまで強い存在なのか、猫の人……?」


「誰だか知りませんがどうでも良いのです! リーンズィ、わたしとの未来に、本当に悪いことなんて一つも無いのですよ? わたしも、わたくしも、婚姻なんて不慣れで、不埒でふつつかなところはあるかと存じますが、きっとご満足です! 信徒たちへのそれよりも、三倍、いいいえ六倍は献身しますので!」


「えっと……悪いようにしないといわれても、既にこうして乱暴をされそうになっている時点でかなり印象が悪いし、ここからさらに悪くなるのは何となく分かる。それで、私がさっきの無意味な言い直しをやる必要はあると思う?」


 まだ肉体は細かい痙攣を繰り返しているが、リーンズィは正常な思考で言葉を紡ぐことが出来る。

 何もかも猫の人とユイシスのおかげだ。脳裏で統合支援AIがアバターを小さく表示してピースサインをしている。いつのまにそんな器用なことが出来るようになったのだろう。「よく出来ました」「ありがとう!」のスタンプを送信したがやはり既読無視された。そういうこともある。


 そんなーっ、と銀色の聖少女は涙目になる。傍に控えていたミラーズが「落ち着いて、私のリリウム。一度堕とした女の子をもう一度堕とすだけではありませんか。あなたはヴァローナのことをよく知っていたはずですよ。それとも、あたしの口から、リーンズィにしかない可愛らしいところを聞きたいの?」などとろくでもないアドバイスを始めた。


 本当に今回だけはリリウムの味方になるつもりらしい。

 リーンズィを害しかねない行為で機能不全を起こしている様子も無い。

 しかし、知らないところでユイシスと密約でも交しているのかも知れない、と思いつく。


「そっ、そうでした、あなたにはまだヴァローナの肉体という檻があるのです。それに、リーンズィのほうの人格は幼いままのはず。だから彼女にしか無い弱点がある! わたし、間違っていました。ヴァローナのではなくリーンズィを見て、知らなければいけないのですね……!」


 震える声で聖句の歌を唱え、リーンズィの唇を奪おうとしてくる。


「ま、まだ……まだ終わってないんですからね、ヴァローナのことは何でも知ってるんですから! 使い込んだピアノと同じぐらい自由自在です! どこを弾けばどんな音が響くか……そ、そうです、聖句だって完全には防げていないんでしょう?」

 ヴァローナから漂う花蜜の汗の香りに、得意げな顔をした。

「やっぱり、そんな可愛い顔をして。本当に聖句が効かないならこんな蕩けた顔はしません……! ああ、ヴァローナ、わたしの最後の使徒! 一緒に来て下さい、あなたと一緒に、わたくしは、わたしは、今度こそ天使様を捕まえるのです!」


 だが、現実は真逆に進行している。

 肉体に由来する情欲は、リーンズィの思考にそこまで影響をもたらしていない。リーンズィがこの接触を望んでいないからだ。思考はとっくに平静な状態へと回帰していた。

 リリウムが思考侵略の橋頭堡としているヴァローナの肉体にしても、入力される情報よりも、不死病患者としての恒常性による異常回復が勝りつつある。


『対リリウム用聖句対抗手段の確立に完全成功。全言詞防壁チェック。正常に動作中。骨が折れました。さすがは当機の愛しいミラーズと、あのエージェント・スヴィトスラーフの子孫ですか』


 ユイシスの溜息のようなアナウンスが脳裏に流れる。

 疲れを感じさせるその声が響いた直後。

 電子の精霊は可視設定でアバターを出現させた。


 リリウムが使用している隷属化デバイスは、おそらくは異なる時間軸のリーンズィに由来する。

 つまりアルファⅡモナルキアのものだ。

 当然、ユイシスの姿は彼女にも見えることだろう。

 相手に相応の演算領域を押し付けるプロセスが必要な処理だが、つまるところ、それが可能であるほどに状況の掌握が進んでいるのだ。

 翡翠色の目玉を猫のようにぎらつかせ、ユイシスは見下した笑みを聖女に投げかけた。


『残念でしたね、下等な聖句遣い。何が大主教ですか。シンフォニック・レギオンと呼称していましたか、あの聖句増幅生体群は大した物ですが、針の剣で、当機の山稜の如き城壁は崩せません。それ故に防ぐだけなら容易いものです。当機は当機だけで完全な防御を実現しましたよ。何故なら当機が一番だからです』


 どやどや、と慎ましい借り物の胸を張る。


『どれほど強化したところで、所詮は、かつて在りやがて来る真の聖句遣い、その出来損ないです。あなたは可愛いだけのお人形と言えます。可愛らしいお口は可愛らしく喘ぐためだけに使っては如何ですか?』


「なっ、なんて不躾で卑猥な!」


 リリウムは目つきを鋭くして周囲を見渡した。


「そのようなことを人に言ってはいけないとお父様やお母様から教わらなかったのですか!? 後、どこです? 見えないところから悪口とは卑怯です! 可哀相に、きっと愛情が足りない家庭で辛い思いをしてきたのですね……! わたしが交歓し、説法をしてあげますから、姿を現すのです!」


『あははは。父も母もいませんよ。当機はそういう存在です。さらに警告。当機は上ですよ、上。精神的にも視覚的にも上にいるのです。背が小さいのに、そんな大きな帽子を被るから、見えるものも見えなくなると指摘します』


「上ですって! あのですね、わたしをあまり馬鹿にしないことです! まさかふわふわ空でも飛んでいると……えーっ!? 浮いてるー!?」


『存外に良いリアクションをしますね』とユイシスは少し嬉しそうな笑みを浮かべた。


 怒りに口の端を引き攣らせていたリリウムは、今やくるくると表情を変えている。

 気ままに風に流されている金色の髪の乙女、その幻影に目を丸くしていた。


「何ですか、これ!? というかキジールお母様ではありませんか!?」


 苦笑いしているミラーズと空に浮かぶユイシスとを、混乱した目つきで見比べる。

 見かねた金色の髪の乙女が、愛娘の敗北を確信して口を開こうとしたとき、


「あっ、アドバイスは結構です。大主教ですので! これは試練、乗り越えるべき試練……そう、簡単なトリックです! 聞いたことがあります、これはCGというやつですね! そしてよく見たらキジールお母様とは違うのです。えーっと、あなた、なんか嘘っぽいですよねっ。CGだから嘘っぽい、そうでしょう? あと表情が出資者をたらし込んでいるときのお母様みたいに邪悪です!」


 不意打ちされてミラーズがびくっとした。「そこで私の後ろ暗い情報は必要かしら、リリウム? リーンズィの前では、ここのところ、そういう顔は控えていたんだけど……! レアとかいう子と親交を深めるのに悪影響になりそうだし……」


「おや、そうなのです? これは失礼しました。とにかく、お母様はいつもはそんな顔しておりませんっ。やっぱり何もかも微妙に違いますねっ、違う人ですねあなたは! つまりお母様を騙る悪魔です!」


『肯定します。違うAIですよ。追加提言、訂正要求。当機としては別にミラーズを騙った意図はないのですが。愛しい人の肉体を愛の証として我が身としているだけです』


 完全に彼女の好みによる選択だったとリーンズィは記憶しているが後が怖そうなので口には出さない。


「御託は結構ですっ! 降りてきて平伏するのです! わたくしどもの説法で改心を……おや、おやおや?」


 帽子の鍔を摘まんで左右に揺らし、うー、と可愛らしい唸り声を上げる。


「その喋り方にも聞き覚えが……リーンズィに集中していたせいで気付きませんでしたが……」


 はっと気付き、びしっ、びしびしっとユイシスのアバターを何度も指差した。


「あなたは、さっきもわたしを惑わす言葉を言っていた気がしますねっ。えっと、だいぶん前! わたしとリーンズィが初めて顔を合わせたときです! あのときはお母様と間違えて話をしていましたがもう騙されません。やはり、汝は悪魔……! はたまた神の試練なのでしょうか」


 そして考え込むようなジェスチャーを取る。


「うーん。一体全体、何やつです?」


 忙しない子ですね、と暗黙にユイシスが呟く。


「聖性の発露と薄暗い猥褻さのギャップが心の脆弱性を突き、そしてこのオーバーなリアクションが親しみやすさを刺激して、手に入れたいという欲求を煽るのです。とてもよい子に仕上がりました」とミラーズは奇妙な自慢を返した。


 ユイシスは金色の髪を漂わたまま。リリウムと同じ地平に立つことはしない。

 嫌がらせか、あるいは何か拘りがあるのか。リーンズィにはよく分からない。


『遅ればせながら、当機はアルファⅡモナルキア搭載の統合支援AI、ユイシスです。以後お見知りおきを。あなたにとっての【わたくし】に相当する人格と表現すれば理解可能でしょう。予言がどうのこうの言っていた割に、何も知らないようですね』


 ふっ、と相手を見下げ果てた表情で、からかいつつも心底から嘲笑う特別なジェスチャー。


「ひいっ、よくよく見ると表情がお母様より邪悪です! 魔王みたいに笑っていますー!?」

 

 聖少女は年頃の乙女のように悲鳴を上げた。



 気の抜けるような舌戦が繰り広げられている間にも、リーンズィは身体の自由をほぼ取り戻していた。

 未だに体の芯では情報攻撃の残滓がのたうっているが、多少肉体出力を引き上げれば、リリウムを撥ねのけて押し倒すぐらいは簡単だ。

 衣服越しに心臓を圧壊させるなり、頭部をねじ切るなり、過電流を流して人工脳髄を破壊するなり、様々な行動プランが思いつく。

 どれもさほど難しい行為ではない。

 全身を不朽結晶連続体で装甲しておらず、頸部などの急所を外部に晒している限り、大主教リリウムには暴力が通用する。


「……だが他に手段はないのだろうか」とリーンズィは模索する。

 

 ヴァローナ由来かもしれないが、情けをかけたい気持ちがミルク皿一杯ぐらいはある。

 それに、ここで彼女を破壊しては解放軍での自分の立ち位置が怪しくなる。

 あと、ユイシスにからかい倒されているのを見ていると、どうしても攻撃する気になれない。


 リリウムが何故リーンズィをハックしようとしたのかも、気になる。

 しかも、偶然に遭遇したとしか思えにヴァローナまでもが、どうやらリーンズィというエージェントを陥落させるために配置されていた餌のようなのだ。

 ヴァローナはきっと彼女の親友や恋人といった存在だったはずなのに。

 それを使い果たして、人格を破壊してまで、アルファⅡモナルキアへの罠に作り替えたことになる。

 いったい、どこでどういう計画が進んでいたのか。


 ――彼女は必死に一緒に行こう、一つになろうと訴えかけていた。

 リーンズィは計画的に加害されたという気持ちでいるのだが、しかしどうしても丸きりそうだったとは、敵意だけで構築された計画だったのだと、信じることが出来ない。

 あるいは、まだ表出していない善なる真意があるのかも知れず――


 とにかく、散々にヴァローナの肉体を利用されたのだから、こちらもとりあえずヴァローナの肉体でやり返せないものかと彼女の人工脳髄について対リリウムで検索したところ、奇妙なモーションがサジェストされた。

 リーンズィはそれを使ってみることにした。


 リリウムを己の胸元に引き寄せた。あう、と剥き出しの白い乳房に埋もれたリリウムの、桃色の染まる頬を撫で、銀色の髪にそっと指を通し、帽子を浮かせて頭に口づけし、そして横たわる自身の肉体を立ち上がらせるついでに硬く抱きしめて、彼女ごと立ち上がらせる。

 あうあうあう、とリリウムは小動物のように鳴いてリーンズィの首にゆるりと手を回した。


「これは……ヴァローナも得意としていたお姫様抱っこの構え! 抵抗が出来ません!」


「暴れるなり何なりしても私は気にしない」


 どうとでも持って行けるからだ。この姿勢から頸椎を破壊して人工脳髄ごと左腕の蒸気甲冑で頭を粉砕することさえ容易い。


「ダメです! こうして抱っこされるのが大好きなので誘惑に勝てないのです……! 大好きなヴァローナの汗も良い匂いがしますし、憧れの天使様に抱かれているだなんて最高じゃないです? なので動けなくなるのです……!」


 リリウムは宣言通り全く抵抗しない。

 ヴァローナの肉体にやたらと抱き上げるモーションの履歴が残っていたのでまさかと思いつつ実行したプランだったが、拍子抜けするほど有効に機能してしまった。


「どうしよう、ユイシス。大主教リリウムの確保に成功してしまった。もう勝ちでは?」


「リリウムはこうなってしまうと本当に大人しい子なの。赤ちゃんの方が抵抗するぐらい……今回もどうやらダメみたいですね」とミラーズがぼやく。「まぁ普通のスチーム・ヘッドが相手ならここからたらしこんで相手を洗脳して逆転勝ちなんだけど。リーンズィには通じませんし」


 空に浮かぶユイシスが嘲笑う。


『つまり今は我々のなすがまま。ふふふ、無抵抗な女の子は当機も大好きですよ。しかし因果には応報があるというもの。ねぇ、リリウム? ウンドワート卿を呼んで、お仕置きをしてもらわないといけませんね……?』


「ひっ」

 先ほどまでの聖性と恍惚の笑みはどこへやら、リーンズィに縋り付いて胸元に頬を寄せてくる。

「て、天使様、助けてください、アリス様は怒ると本当にめちゃくちゃをするのです! あの人やると言ったら本当にやるんですよ!?」


「私の愛しいユイシス、あまり私の娘を怖がらせないで? 彼女も大切な自慢の娘なの」

 無声通信を重ねてくる。

> 元々はリリウムと協力して、スヴィトスラーフ聖歌隊と調停防疫局で協調路線を確立するのが目的なんでしょ。最初の一回を逃したら、この子は運命に対して決定打を持たない。以後は仲良くして悪いことはないし、親としても、仲良くしてあげて欲しいんだけど。


 ミラーズからの懇願に、ユイシスは意外にも素直に謝罪した。


『謝罪します、当機の愛しいミラーズ。彼女のリアクションが良いのでついつい遊んでしまいました。……それでははっきりと宣告します、大主教リリウム。今回の攻防戦は完全にアルファⅡモナルキアの完全勝利です。そのお姫様抱かれ姿勢は、当機らへの恭順を示すと理解します』


「そ、そんなことってありますか! まだ決着はついていません。この姿勢が恭順と仰いましたか? わたしはまだ一向に負けていませんが……」照れた顔でぎゅっとリーンズィにしがみつく。「負けていませんが、これはこれでありですね。次善の次善です。リーンズィと仲良くなれたことの証ですねっ。それに、きっと次はもっと上手くやれるはずです。次回に期待です! ハレルヤハ!」


「えっ、次があっても困る……」


「ふふふ、わたしの頑張りも、結構おしかったですよね、天使様? あんなに可愛い顔をして! ヴァローナよりも素直な反応で愉しかったです。だけど、予言と違う名前で動揺してしまったところから、説法テンポを乱されてしまいました。ウンドワート卿が助けに来ることはないと絶望させたところで、ヴァローナの肉体からリーンズィの人工脳髄に肉体感覚から聖句を有りっ丈流し込んで、わたしナシでは生きられない状態にしてあげる予定でしたのに! でもそんなことはこれからゆっくりと関係を深めていけば問題ないですよねっ」


「ええっ、問題あると思う……何もかも問題ある」


「問題無いのです。愛さえあれば全ては許されるのでしたっ」


「無いなら許されないのでは?」リーンズィは冷静だった。


 リリウムは依然として恐ろしい相手だ、と思考を新たにする。

 今の今まで肉体越しに人格破壊しようとしていた相手に、すらすらと花畑で拷問でもするような未来予想図を述べて、全く憶するところがない。

 それどころかひたすらに歪な未来志向的関係を要求してくる。

 リーンズィは戸惑いつつミラーズを見た。

 やはり「自慢の娘です」という顔をしていた。


「それはそれとしてですね、当面の問題はアリス様ですっ」

 リリウムは必死だった。

「聖句で強制的に意識をトばされるの嫌いなんです、あの人。いくらわたしが大主教でも、デイドリーム・ハントで殴り込みされたら止められませんし、ブチブチに殺されかねませんよ?! 殺されるのやだー!」

 冷えた肉体を温めるようにライトブラウンの髪の少女と肌を密着させる。

「今まで散々見てきましたから分かります。アリスさん絶対こういうとき容赦しないもん! 絶対めちゃくちゃ痛めつけられます! えーっ!? じゃあわたし天使様獲得に失敗した上に怒ったアリスさんに拷問されて裸に剥かれて串刺しにされて市中引き回しの晒し者にされるんです!? やだー!! これでは無駄骨折りのくたばり儲けじゃないですかー!」


 全自動で狼狽し続けるリリウムの姿があまりにも無害そうなので、リーンズィは彼女を抱き上げたままさらに唖然としてしまった。

 何だこの全自動で愛を請い続ける少女は。愛したくなる。

 そんな情動の変化によってヴァローナの欲求が顕在化したのか、無意識のうちのリリウムの首筋から漂う濃厚な花の香りを愉しんでおり、ユイシスに『警告。変態っぽいです。非推奨』と警告される。『あとヴァローナのせいにするのも非推奨です』


「ところで無駄骨折りのくたばり儲けという言葉があるのか?」


 リーンズィは出し抜けに気になってそんなことを聞いた。


「どうしてそんなところに食いつくんですっ!? あなたはヴァローナですかっ。ヴァローナでした! ヴァローナ、助けてくださいー!」


「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 レアせんぱいの、二度同じ単語を繰り返す癖が移ってきているな、と真に愛しいひとを想う。

「レアせんぱいもそこまではしない……はず……」


 ウンドワート卿の脅迫じみた口上の数々は、あくまでも威圧と示威のための虚言。それがリーンズィの現在の認識だ。

 弱い自分を強い言葉で覆い隠す、レアせんぱいのひたむきな生存戦略。

 言葉通りに残虐行為をする場面は、ちょっと想像しにくい。

 ましてや、レアせんぱいとリリウムは、可愛らしいという点においては、同レベルだ。

 殺し合う絵面が浮かばない。


 斯くして、大主教リリウムとアルファⅡモナルキアの攻防は決した。

 リリウムが敵対的な兆候を見せることはもう無いと判断して良さそうだった。

 どうしていきなり押し倒されて乱暴をされたのか全く分からないが、認識の齟齬、誤射、不幸な事故だったと一時的に処理することに決めた。

 そうしないと全面的な報復措置に踏み切らざるを得ないのがアルファⅡモナルキアというシステムだからだ。

 これからどうしたものか――とリーンズィが感が考え始めたその時。


 都市の彼方から、とたたたたた、と急いで駆けてくる影がある。

 その小柄な猫っ毛の少女を。


 我々は、知っている!



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