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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション2 スヴィトスラーフ聖歌隊 大主教『清廉なる導き手』リリウム
73/197

2-12 祭礼のために その7(3) VigilanTES

 漆黒の曲面装甲に身を包んだスチーム・ヘッドが、最大速度で街道を疾走していた。

 躍動する両の足、大腿部から爪先までを一回りも大きな機構で覆う特殊仕様の足甲には、発条仕掛けの簡易撃発機構が仕込まれている。背部に搭載した蒸気機関(スチーム・オルガン)の鼓動によって蒸気の血を吹き込まれ、彼が志向する肉体を前方へと弾き出す。それ故に、彼の疾走は地を蹴ると言うよりは虚空を壁として蹴るようであり、その姿は海中を飛んで進む海鳥の在り方に似ている。


 名をケルゲレン・ド・トレマレック。

 かつて人類文化継承連帯が実験的に開発した高性能戦闘用スチーム・ヘッドの一機。クヌーズオーエ解放軍が保有する唯一のペンギン級スチーム・ヘッドである。

 企鵝ペンギン。それは冷厳なる南の海に生きた、伝説的な海鳥である。今となっては映像記録でしかその姿を確認することは出来ず、解放軍においても、オリジナル・ペンギン動画はオリジナル・ネコやオリジナル・イヌの動画と同様に、非常に高値で取引されている。

 失われた時代、方位磁針と人工天体が託宣の巫女の如く崇められ、天と地とが血を分けた姉妹として睦まじく昼夜を過ごし、人間が機械と都市を愛し、幸せに暮らしていた頃。地の底よりさらに隔てられし原初の地獄、海と名の付く窒息した宇宙を狩り場とした、翼無き者、あるいは翼持つ人の如き者……堕ちるべしと定めた神に逆らい、海底を泳ぎ続けた反逆のモノクローム。それこそがペンギンである。

 ケルゲレンはその不遜なる鳥を真似て、窒息した宇宙を駆ける。海と陸の差は些事である。永劫の虚無に横たわる曇天が水面ならば、足甲の破砕する灰色の街路が海底だ。クヌーズオーエこそは、不死によって鎖された昏い海である。果てしなき無明、白骨の暗黒、死んだ都市、骨の都市、灰錆びた都市! 

 魂の燃え尽きた、囚人無き牢獄、ケルゲレンこそがこの窒息する海中を飛び泳ぐペンギンなのだ。

 両腕の装甲板をフリッパー()のように広げ、海中を一直線に飛ぶ黒い鏃の素早さで、ケルゲレンは死の街を貫いていく……。


 しかして、ケルゲレンは孤独な放浪者ではない。

 ケルゲレンは依るべきなき鏃の群れ、その先端である。

 <首斬り兎>捜索のために市街地へ展開していた部隊の残存勢力だ。

 漆黒のペンギンを追い、蒸気の噴煙を撒き散らし、戦闘用スチーム・ヘッドの集団は一目散に撤退を進めていた。不滅にして不朽、無敵の鎧に囚われし同胞(はらから)ども。狩猟者の軍勢も目覚めた猫の前では鼠の如く駆られるほか無い。

 今はただ猫を鎮められる乙女の歌を求めて駆ける意外には無いのだ。


「ここまでは……ここまではまだ被害が少ない方じゃ」ケルゲレンは低い声で呟きを漏らす。「アルファⅡたちが上手くやってくれている。問題はここからじゃ……。<ナイン・ライヴズ>を振り切ってファデルたちと合流出来ればこの上ないが……」


 統括者であるケルゲレンは、ヘルメットの奥、人工脳髄の視覚拡張ソフトを走らせた眼球で、そこかしこを射貫いていた。

 灰色の街並み、腐れた看板、色褪せたショーウィンドウに探す。

 そこを探せ、あそこを探せ! 

 経験則に基づいたパターンで視線を巡らせる。

 探す。

 人間の顔を、探す。


 ――視覚情報には一件のヒットもない。

 この街には、誰もいない。

 ――不死病患者がいなくなっている。


「もう既に……手遅れということかの」


 彼らは数刻前に、この道を通って、都市の奥へと進行したのだ。

 その時には存在していたはずの不死病患者はどこに消えてしまったのか。

 クヌーズオーエには、多かれ少なかれ不死病患者が散らばっているものだ。

 より正確に言えば、不死病患者がいなければ、クヌーズオーエという街は時空連続体として存在出来ない。

 これはかつて大主教ヴォイニッチが出した仮説に過ぎないが、解放軍所属スチーム・ヘッドの多くが、実体験からその説に賛意を示していた。


 この無尽蔵に続く鏡像の都市は、不死病患者の檻なのだろうと、誰もが言葉にせず、了解している。

 ケットシーが凶刃を振るい、そして今は猫の使徒が跋扈するこのクヌーズオーエとて、間違いなくそうだった。ケルゲレンの記憶する限り、ケットシーと接触する以前には、実際に何人か不死病患者を見かけていたのだ。

 アルファⅡの子機であるミラーズが聖句で街路脇に移動させていたし、その時無用な挑発をしたせいで険悪な雰囲気になったのも、はっきりと覚えている。

 聖句遣いを擁していない他の部隊も、不死病患者に危険が及びそうであれば、建物に放り込むなり、邪魔にならない場所に移動させるなりの処置を行っていたはずである。

 それが、あろうことか、どこにも見当たらない。

 建物の硝子の無い窓にも、その影さえ見えない!

 不滅であるべき憐れな者どもが、一人もいなくなっている……。

 凶兆に他ならない。


『イーゴ!』比較的生身の身体性を維持している戦友、イーゴに短距離通信で問う。『どうやら時空間に対して大規模な干渉を受けているようじゃ。予徴はあったか?!』


『あの可愛い黒髪の娘さんに首を斬られて……俺はそればっかりだった』うんざりしたような声が返ってくる。『とても他には気が回らなかったな。今でも首が痛いぐらいだ。そこからさらに<処刑台>ベルリオーズだ。警戒なんてしていられない。人工脳髄も鎮静作用を重点に置いて作動していた。風景の変化なんて捉えられないさ』


「ぐぬぬ……」


 完全に後手に回ってしまっただ。いつからこんな異常現象が生起していた? 

 おそらくは相当に大規模な時空間改変か、この回廊迷宮たるクヌーズオーエに新たな代替世界を直接接続する<接ぎ木>が発生している。

 口惜しいことに、察知出来なかった。

 そう言えばベルリオーズとの戦闘中に、アルファⅡモナルキアのリーンズィが何か妙な挙動をしていたようにも思われる。今頃になって気付いても手遅れだが、しかしケルゲレンにあのタイミングで異常を検知するのは、やはり不可能だったことだろう。

 ベルリオーズという巨大すぎる脅威に認知リソースを圧迫され、周辺環境への注意は甚だしく制限されていたからだ。そんな状況では、勘はどうしても鈍る。

 世界自体が組み替えられてしまう、そのような常識外れの事象についてさえ、全く、毛ほどもケルゲレンたちは認識出来なくなる。

 これはデジタル制御方式のスチーム・ヘッドに特有の欠陥だと言っても過言では無い。

 生身の人間ならば当然気付くであろう超自然的な変化というものが、この世界には――超越存在にも等しい謎の悪性変異体、<時の欠片が触れた者>が活動するこの時間枝には、確実に存在する。

 純粋な生命体であれば、超常の存在からの干渉に僅かであれ敏感に察知して、得体の知れぬ怖気や違和感と言った、非言語的な感覚から警戒態勢に入るものだ。


 しかし高度化した人工脳髄は、そうした機能を生体脳からオミットしてしまう。

 非論理的な、肉体の原始的な直観がもたらす違和感や恐怖心を、エラーとして補正してしまうのだ。

 なお悪いことに、戦闘用ともなると、全身を装甲で覆っている都合上、外界へ露出している生身が極端に少ないので、肌感覚等というものが機能しなくなる。


「<時の欠片に触れた者>の仕業か、ナイン・ライヴズが先回りをして片端から移動させよったか……」


 いずれにせよ、ここから挽回する手立ては無い。

 ケルゲレンは一層の増速を軍団に命じる。

 戦闘用に限らず、殆どのスチーム・ヘッドは時速80km前後での走行が可能である。肉体に破滅的な負荷を与えるオーバードライブに頼らずとも、不滅の外骨格たる蒸気甲冑と、適応変化が十分に進んだ骨肉があれば、その程度のレベルには大抵誰でも辿り着く。

 裏を返せば、どの機体も特殊な装備が無い限り、その程度が限界だ。基本的には不死病筐体(ファウンデーション)をそこからさらに強化するのは難しい。

 ただし、ケルゲレンはひと味違う。無論、ノルウェー陸軍近衛部隊に実在した偉大なる結束の象徴、企鵝の騎士、ニルス・オーラヴを意匠の根底においた独特な蒸気甲冑を纏うケルゲレンとて、巡航速度は他のスチーム・ヘッドと大差無い。

 だが、それでも特に秀でた部分はあるのだ。

 先頭を任されているのは、彼がこの群れの中で、最も安定した機動力を持つ機体だからだ。

 ウンドワート計画からのフィードバックを受けて構築された曲面装甲は、可愛らしいペンギンの紋章をつけているものの、設計思想としては、最強のスチーム・ヘッドとして計画・製造されたウンドワートから少なくない部分を受け継いでいる。決して大衆受けや酔狂だけを意識した機体ではないのだ。

 流体力学の観点から空気抵抗を低減させ、翼めいた腕部装甲は揚力を発生させ姿勢安定に貢献する。それ故に高速移動時でも人工脳髄や生命管制に投じるリソースが――他の戦闘用と比較してだが――幾分か少なく済む。

 この場合、こうしたリソースの余裕は、速度の維持安定性と、十全な索敵能力の両立という形で表出する。


 高負荷環境での索敵は、至難である。

 最強のスチーム・ヘッドたるウンドワート、その現実的な後継に類するペンギン級スチーム・ヘッドほど確実な索敵が可能な機体は、このグループの中にはいない。このような機体を前方警戒に投入するのは、神出鬼没な猫の使徒ナイン・ライヴズを相手にする上では極めて大きな効果を発揮する。

 解放軍の面々は現在、鋒矢のような陣形で走行しているが、蒸気機関(スチーム・オルガン)はその作動原理上、出力を高めるとどうしても大量の蒸気を放出するようになる。

 結果として後続集団は前方から流れてくる蒸気に撒かれて殆ど視界が無くなってしまうのだ。

 ケルゲレンがこの局面において自分が果たすべき役割は大きい。そう彼は自負していた。


「ウンドワート卿が命を賭して逃がして下さった我ら同胞、必ずや後方の陣地へと送り届けなけば……!」


 しかし焦燥は募る。無駄では無いのか? これだけの戦力を揃え、<首斬り兎>に挑み……そして猫の使徒に手が出せず、ただ逃げ去るのみ! 無意味では無いのか? 考えてみればケルゲレンは、解放軍の面々は、いつだって無力で、どうにもならない現実をそうとは認めずに戦い続けている。


「無駄では無い、無駄では無いとも……」


 無駄ではない。そうだろうか。お前は唱え続ける。無駄では無い……しかし考えずにはいられない。こんなことを続けて、いったいいつ最終的な回答に辿り着くのだ? 誰もが納得するような終局へ、どうすれば至れるのだ。何が導くというのだ。これ以上どこか行き先があるのか? かつてお前は判断ミスを犯し、ペンギン級スチーム・ヘッドの仲間を、部下を、輝かしいノルウェー陸軍近衛隊の面々を、血を分けた戦友たちを、全て喪失した。華々しい時代はとうに終端に至っていた。ケルゲレン・ド・トレマレックもまた、そこで鎧を捨て、同じく物言わぬ不死病患者となり、終わるべきだったのではないか?

 焦燥は非難がましい自問となり、脳裏を冷水のように冒す。目に映る全てが色褪せて見える。元より鮮やかな世界では無い。だが酷く現実離れした、書き割りのような虚しさが認識宇宙に付きまとう。いずれか知らぬ生活の残骸、もはや熱の無い無名の残骸と成り果てた街には起伏が無い。地形自体、平原の街じみて異様になだらかであるのもそうだが、風景に代わり映えがしない。どこまでいっても、全く同じと言って良い風景ばかりが続いている。火の尽きた世界だ。

 何もかも手遅れで、未来などありはしないのではないかという馴染み深い諦観が心臓を冒す。


 それがトリガーだったのだろう。かつて大主教リリウムに吹き込まれた啓発の言葉が、不意に脳裏に浮かび上がる。

 凍土の海を閉じ込めた、非現実的なまでに美しい娘が、初雪の朝に息を弾ませる清らかな泉の乙女のように、壇上で演舞のような手振りをしながら、高らかに歌っている。


『ああ、この神無き世にこそ希望を知るのです。皆様方、未だ眠らぬ騎士の人々! 火を絶やしてはなりません! 我々はこの打ち捨てられた世界に、それでも行進することを決意した颯爽たるパレードなのですから。神の御国は命の熱をこそ祝福し、その門を潜る日を待って下さっているのでしょう。皆様方、戦うことを選んだ皆様方! 火を掲げて進み続けましょう。この月の無い暗夜に凱歌を奏でるのです。私たちという祝福と愛を振りまくパレードが来たと、まだ諦めていない多くの仔羊たちのために、歌い続けましょう……!』


 言祝ぎにも似た呪縛の記憶は、しかしケルゲレンの心臓に再びの火をもたらした。

 そうとも、手遅れだから何だというのだ。それでは立ち止まる理由にならない。いずれリリウムの部隊もこちらと合流するはずだ。確かに危機的状況ではある。だが慣れきった危機でもある。リリウムが時折口にしていた言葉が、最後に脳裏を過ぎる……「大丈夫。あの方も言っていました。何があっても大丈夫、と!」


 再び鋭敏になった感覚で、油断なく警戒を続行する。

 どんな異変も見逃してはいない、という自信はある。

 しかし事実誤認という可能性はないか? 顔認識アプリに異常が出ている可能性もある。

 念のため、ケルゲレンのすぐ傍を走る機体を呼んで確認を取ったが、彼らもやはり影を見ていなかった。

 より確度の高い情報が必要だったが、超広域ジャミングは健在であり、残念ながら通信は短距離に限られる。他の部隊との連携は極めて困難だ。


「ユンカースとやらは……」リーンズィに情報共有されたケットシーの支援機の名前は、そんな具合だっただろうか。「あれを見てもジャミングを解く気にはならんのか……? もはや我々とあの東アジア経済共同体の娘の戦いでは無いと言うことは、分かるであろうに」


 背面レンズに視点を切り替えて、乱立する漆黒の塔が波となって押し寄せてくる破滅的な光景を改めて確認する。視覚取得に際して複数のレンズを経由するため、風景は丸くひしゃげ、歪曲し、この世ならざる悪夢をも映し出す。垂直の塔が規則的に増殖して無造作に都市を薙ぎ払っていく狂気の大海嘯。粉砕された都市の欠片が渦を巻いて周囲に煙の城壁を二重、三重に作り上げている。


「何度見ても、まるでこの世の終わりじゃよ、まったく! 距離はあるにせよ後詰めの本陣からもはっきりと見えるようになっているはずじゃろうに。まぁ終わってばかりの世界じゃから、旅の次第によっては、見飽きたものであるかもしれんの。そして何があっても大抵の場合、意外と終わらんからのう……」


 考えてみれば、ケットシーが相当な修羅場を潜っているのは間違いない。

 ユンカースとやらもその支援機なのだから、脅威度評価の看貫(かんかん)が、すっかり麻痺しているのかもしれない。


『どうします? ヴェストヴェストは振り切れそうですが』と移動する一群に紛れた四腕のグリーン。『元々あいつだけじゃ怖くない。それより問題は、次の戒めが何かですよ。ただ逃げているだけでは詰むでしょ。快速機をさらに先行させて、救援を呼びに行かせたらどうです』


『おっ? 俺の方は準備オッケーだぜ』


 気さくに声を掛けてきたのは偵察軍と迎撃部隊を兼任するスチーム・ヘッド、バビエカだ。

 どの分野でも粗雑さが残るが、<愚か者の名>に恥じぬバイタリティを持ち、無限に続くかと思われる探索に従事するクヌーズオーエ解放軍においても精神的な摩滅の少ない一機で、大凡全てのポジションをこなせる。

 蒸気機関に増設した過給機器を使用すれば(負荷は増大するが)120kmでの走行も可能だし、廃屋の屋上などの悪路も踏破可能だ。

 ケルゲレンは風の中で思案する。


 実際、<猫の戒め>の中でも、ヴェストヴェストは脅威度が低い部類だ。

 破壊的で、手の施しようが無いのは事実だ。

 低強度の機体であれば不朽結晶連続体の塔に触れれば砕け散る。

 最後にはコルトの都市焼却もかくやという大爆発を引き起こすため、重装甲の機体でも肉体の全損という大打撃を負うことになる。

 もっとも、いずれもその領域拡大に巻き込まれた場合の話だ。

 ヴェストヴェストの増殖速度はともかくとして、領域が満ちるまでの猶予はさほど逼迫したものではいない。オーバードライブの使用禁止さえ厳守していれば振り切れる。

 それを抜きにしても人格記録媒体を破壊するほどの決定的破壊力では無いため、見た目の威圧感を考えると、むしろ威力は大人しい。

 だからこそ、もたらす苦難は別にある。

 ヴェストヴェストは<猫の戒め>において、明らかに補助的な役割しか持っていない、と言うことだ。


 あの狂信の塔は、必ずフェンリル型ベルリオーズのような超好戦的な不滅者と同時に解放される。

 言ってしまえば移動阻害の任務を持つのがヴェストヴェストなのだ。ベルリオーズのような天性の狩猟者に対応しながらヴェストヴェストから逃げるのは、本来ならば難しい。ウンドワートに次ぐ実力者だったベルリオーズが、さらに不滅性まで獲得しているのだから、尋常のスチーム・ヘッドでは相手にならない。


「まぁ、現在はな……」と歪曲した宇宙でおぞましい増殖を続ける塔の群れを眺める。


 ベルリオーズが追ってくる気配は無い。

 アルファⅡたちが、偉大なる科学の騎士たちが、やってくれている。

 あの破壊の渦の只中で、ウンドワート卿やモナルキア、そしてケットシーはベルリオーズを完璧に封殺してくれているらしい。何としてでも追跡を続行しようとするベルリオーズが今の今までケルゲレンたちの地点まで到達していないのがその証左だ。

 ヴェストヴェストの領域内部で生存しているだけでも驚きだが、その上でベルリオーズまで相手にするというのは、全く埒外の世界である。

 奇跡のような戦果を創造し、ケルゲレンは一時陶然とした。

 同時に、ウンドワート卿への敬愛をさらに務めた。

 ……<猫の戒め>のうち、最悪の戦力の一人がベルリオーズだ。

 ヴェストヴェスト無しでもベルリオーズ単騎のキルレシオは異次元に達している。その怪物からの追撃が無いというのはまさしくウンドワート卿の恩寵である。

 第一の戒め、<異なる御国より来たる者>ストレンジャーも脅威だが、そちらについては考えても仕方が無い。対処法が全く存在していない唯一の不滅者だ。

 それに、さすがのナイン・ライヴズも彼女の解放は躊躇うだろう。


 2から10までの戒めが、何かしらの悪行を正すために現れるのに対し、ストレンジャーだけは全く異なり、条件の予測が付かない。記憶をロックされているので無い限り、ケルゲレンがストレンジャーの解放を見たのは一度きりだ。その一度にしても、大した犠牲者は出ていないのだが、しかし図抜けて理不尽なのがストレンジャーであることは間違いない。

 ナイン・ライヴズの側からしても、あれが扱いの難しい札であろうことは分かる。

 あの不滅者の行いは、応報と呼ぶには狂いすぎている。

 と、なれば、とケルゲレンは予想を組み立てる。

 ベルリオーズはアルファⅡが押さえた。

 ヴェストヴェストは連係相手を失って正常に機能していない。

 しかし、これは猫の戒めが完遂されていないことをも意味する。ナイン・ライヴズにこの状況で許してもらえる理由が何一つ思いつかない。


 そろそろ次の戒めが解放されるはずだ。

 おそらくこちらが大所帯で活動している点が問題になるだろう……。


『殿集団から緊急報告』スチーム・ヘッドの一人がケルゲレンに通信を回してきた。『何か廃墟に少女の影と猫を見たと言っているやつがいる』


『それは何秒前じゃ?』


『タイムスタンプもないが。リレーで遅滞なくここまで回ってきたとして……三十秒ほどか?』


『報告ご苦労。おかげでびっくりして心臓を吐きださんで済んだようじゃ』


 まさしくその時、ケルゲレンは路地裏に影を見つけていたのだ。

 ヒッチハイクでもするかのような気楽そうなポーズで、場違いなほど可愛らしい子猫を掲げている少女。貫頭衣のような簡素な行進聖詠服に身を包んだ清潔な聖娼……ロングキャットグッドナイト。

 不滅者<ナイン・ライヴズ>だ。

 その路地を通り過ぎる。またナイン・ライヴズが立っている。

 路地を通り過ぎる。またナイン・ライヴズが立っている。

 路地を通り過ぎる。また次の路地に……。


「完全に捕捉されたか」


「嘆かわしいことです。この柔らかくふわふわとした幼い猫は怯えています」路地を通り過ぎる。「何故ならば、皆様が略奪の意志を持って、軍靴をけたたましく打ち鳴らし」路地を通り過ぎる。「商店を荒らし回り、猫たちの安寧の遊び場に」路地を通り過ぎる。「恐ろしい笑い声を響かせているからです……」路地を通り過ぎる……。


 他の機体は今ひとつ反応していない。

 擬似人格演算に相乗りの中核にされているのは自分だ、という理解がケルゲレンの脳裏に降りてくる。


『しかし、ふーむ。略奪……? 言いがかりじゃろ……』


 思い当たる節はないが、実のところ<猫の戒め>は一体目が呼び出されれば、連鎖的にあまり関係の無い不滅者も呼ぶようになる。一体目が解放されるまでのハードルが極端に高いので普段は気にする必要は無いし、何より、裁きが終われば彼女の聖句で強制的に忘却させられてしまうので、気をつけること自体不可能なのだが……。

 とにかく、不死病患者を避難させるついでに、商店から賞味期限切れの栄養チョコレートでも持っていった機体がいるのかもしれない。

 その程度で罪状は十分だ。ケットシーによるハンター殺害を止められなかったのが痛い。

 ケルゲレンは鋭く通信を背後へ回す。


『来るぞ。言い分からして<第八の戒め>じゃ。合戦準備。不滅者とワシらとでは格が違う、やれるという気持ちでやっていくぞい』


『ヒエッ。八番だとあいつらかよ』とバビエカ。『先行してたら俺、壊されてたパターンだ……囲まれたら何にも出来ないし』


 路地を通り過ぎる。


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 路地を通り過ぎる。猫の使徒の傍らに新しい影が出現している。装飾の少ないゴシック調の行進聖詠服を纏った昏い眼差しの少女だ。布地は極めて薄く、光の加減によっては、裸体の秘めたる淡い色が、薄らと浮かぶ。

 レーゲントだった。黒髪は雨に濡れたかのように鬱屈とした妖艶の香りを湛えている。額の片隅には淡いピンク色の、純潔の唇のような瑞々しくも可憐な造花。偽りの魂を込められた小さな人工脳髄が突き刺さっている。目元は悲しげでありながらも虚ろで、何者をも見てはいない。

 次に現れたときには、路地では無く、ケルゲレンら解放軍の前方300メートルの地点に唐突に現れていた。先ほどのレーゲントが、大事そうに額縁を抱えている。

 そこにはレンブラントの『夜警』を模して描いたスチーム・ヘッドの軍勢が描かれている。

 気鬱の人形作家が拵えたような、壊れ物にのみ付きまとう淫猥と退廃の美が、その少女には付きまとっている。<清廉なる導き手>リリウムの娘の一人……リリウム・シスターズ。


「トゥーンベリ・リリィ……」


 愛称はトゥーニャ。口数は少なく、芸事に関心があった。心優しく、自分を傷つけるような熱心さで多くの者を救おうとし、解放軍兵士に慕われていた上級レーゲント。

 現在は単に『レンブラント』と呼ばれている。

 出自が示すとおり、元々は大主教リリウムの配下である。

 不滅者の製造は大主教ヴォイニッチの手に成るものだが、彼女は施術の対象を、己の派閥の者に限定しなかった。希望者を無差別に作り替えたのだ。

 それ故ヴォイニッチの信奉者ではなかった不滅者も少なくない。

 レンブラントもその一人だ。

 かつて解放軍穏健派と強行進軍派の派閥争いで心身を蹂躙され、さらには己の信奉者の多くが破壊されるのを見た。厭戦派だった彼女たちは、ファデルとキュプロクスの争いに耐えられるほど、精神を強く持っていなかった。

 まともに抵抗することさえ難しかった。レンブラント自身、己の信奉者が拷問され、発狂していくのを見せつけられたのだ。

 だから求めたのだ。自分たちを救ってくれる力を。裁き主のような形の無い何かでは無い、未来永劫世界に刻み込まれる力を。

 その戒めの解放には口上も無かった。少女はただ、拙い絵筆で描かれた絵画を、殆ど裸身に近いような薄衣ごと、ぎゅっと抱きしめて、「たすけて」と、酷く艶っぽい、それでいて絞り出すような、苦しげな息で懇願した。


「どうか、うばわないで。わたしたちのことを、まもって……うばわないで! みんな、たすけて!」


 その瞬間、絵の内側から無数の猫たちが飛び出してきた。

 猫は着地した瞬間に弾け飛んで、一機のスチーム・ヘッドへと変貌する。

 さらにその足下の影から円月刀を持った機体。

 新たな一機の影から、さらに武装した不死病患者が身を翻して現れる。

 不可思議な出現の現象は連鎖した。あるいは街路の影、あるいは刃の照り返す光の中。あらゆる影、あらゆる物品、あらゆる路地から、続々と不滅の兵士が無造作に姿を能わす。下水道の蓋を開いて這い出てくる者さえいる。

 いずれもごく一般的な装備をしている。

 中世騎士の如き刀剣で武装したスチーム・ヘッドが、続々と集結してくる……。


 この無数のスチーム・ヘッドの召喚こそが第八の戒め、<絵画守>レンブラントの権能だ。

 彼らの素性は知れている。多くの解放軍兵士にとって、大抵は顔見知りの、憐れな成れの果てだ。<絵画守>レンブラントは略奪者を退けるための防衛にこそ真髄を発揮する。

 奪われた者を記録し、存在しない絵画の中に記録として閉じ込め、不滅の術式に落とし込んで仮初めに呼び戻すのだ。

 それらは自身の信奉者、盟友、朋友……かつて気弱な彼女をトゥーニャと呼んで深く愛した兵士たち。そしてキュプロクスに虐殺されたものどもの無念。

 リリィの名を捨てたレンブラントは、それらの器となるべく率先して己の恒常性を組み替える。

 失われた魂たちを記録し、一体化して、仮初めに再誕させる。

 無念と妄執に依って立つ狂奔の聖女だ。


 呼び出された軍勢は、酷く生気に欠け、意識的な反応が鈍く、機械仕掛けの案山子と言った立ち姿だが、見た目ばかりは解放軍のスチーム・ヘッドと酷似している。もちろん、彼らが元は解放軍に属する機体だったからだが。


「……いよいよ<夜警団>のおでましじゃな」


 実際の所、その夜警団、というのも便宜上の名称だ。

 不滅者に堕ちたレンブラントとは意思疎通が不可能なので、本当は何という名前の、どういった集団なのか、分からない。しかし、刀剣を携えたまま無造作に立ち並ぶそれらの軍勢は、不滅者レンブラントが好んで模写したある絵画に似ている。オランダの画家が17世紀に作り上げた絵画、フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊――通称、『夜警』。

 それになぞられて、彼らも『夜警団』と通称されるわけだ。

 彼らとの戦闘は避けられない。レンブラントと対峙した時点でケルゲレンら解放軍の兵士たちは「レンブラントを脅かし、彼女の描いた絵を奪うために来た略奪者」と認識されるからだ。

 数秒と経たず、スチーム・ヘッド同士の大規模衝突に発展するだろう。


「雑魚だろ。ベルリオーズがおかしいだけだし、夜警団なんてもんはただの出来損ないの不滅者だ。俺だって猫に戻せるぞ」


 血気盛んな一機が不敵に言い放つが、すぐ傍の無数の刀剣をマウントした一機が「仮にも不滅者だ、油断するな」と諫言する。「倒せるかどうかは問題じゃない。この波が過ぎるまでは何万回倒しても無駄なんだ。この致命的な現実こそが第八の戒めの本質と心得ろ」


 夜警団の活動目的、存在核は、シンプルで、ある意味で消極的だ。

『レンブラントから何も奪わせないこと』。あくまでも防衛が主目的の不滅者たちで、個々の戦闘能力には特筆すべき点が無い。夜警の名が冠されている理由はそこにもある。危害を与えないよう注意を払えば全く無害で、装備が良いだけの不死病患者と大差ない。

 もちろん、進路上に展開してくる都合上、接触するほか無く、無害ではいてくれないのだが。


 当然の帰結として軍勢同士は衝突し、ついに戦端は切って落とされた。

 先鋒がぶつかり合うが、解放軍の戦力は圧倒的だ。一番槍を務めたケルゲレンは撃発機構を作動させて夜警団の不滅者に突貫し、腕武装甲板内部の仕込み刃を展開、眼前の夜警団の胴体を不朽結晶装甲ごと切断。復元実行位置を予測してさらに刃を振るい、手足を切り落とし、復元を実行するまでも無い程度の傷を与えて無力化する。

 同様の一方的な無力化の手続きが、周囲でも瞬く間に展開されていく。

 解放軍の精鋭部隊であれば他愛の無い作業だ。

 ケルゲレンは瞬く間に二機、三機と始末して息を吐く。

 不滅であることは確かに脅威だ。しかし、ただ不滅なだけである。

 今し方切り捨てたどの機体も、以前は腕が立つ個体だった。

 しかし夜警団の不滅者となってからは見るに堪えないほど動きが劣化している。

 旧時代に利用されていた訓練用自動機械人形の方が幾らか動きが良いぐらいだ。

 ウンドワート仕込みの体裁きで、緩慢な動作で迫り来る夜警のスチーム・ヘッドを斬り殺しつつ、ケルゲレンは彼本来の口調で雄叫びを上げる。


「殺し続けろ! レンブラント本人さえ狙わなければ、夜警団を猫に戻すのは難しい仕事じゃあない!」


 発する間に二機、三機と、立て続けに不滅者をオーバーフローに追い込んでいく。

 本来的な不滅者とは、この程度の戦力に過ぎない。一方で、知性ある存在に率いられた不滅者ほど恐ろしい存在はない。

 例えば大主教ヴォイニッチ本人が指揮する『不滅隊』は、疑いようも無く難攻不落の怪物どもだ。

 そういった意味では、レンブラントの夜警団も同様の軍勢なのだが、彼らには群としての積極的な交戦意志を持たない。

 当然、隷属する不滅者にしても、攻撃の手際が悪い。

 百戦錬磨の解放軍からしてみれば、恐れるに足らない相手である。

 もっとも、表面上の話にすぎないが。


 解放軍は果敢に突撃を繰り返す。自身らの吐き出す蒸気の煙を切り裂いて、影芝居のような踊る影を剣戟の火花で描き散らす。不滅者を次々に屠り、蹂躙し、無力化する。

 多数で囲んで、不滅者を一気にオーバーフローに持ち込むグループもいる。

 復元不能になった不滅者は倒れ伏せたあと、無垢で無邪気な猫に代わり、とことことレンブラントの元に帰って行き、どこか猫にしか知れぬ虚空へと融けて消え去る。


「猫は追うな! あれは無視しろ!」


 花の香りがする血しぶきを浴びながら、漆黒の海鳥は空間を舞い踊る。


「意味も無ければ時間も無い! ひたすら攻め続けろ! 殺して殺して殺して殺して殺せ!」


 夜警団を圧倒するのは容易だ。

 ――しかし目の前の敵にかかずらう以上の隙を見せてはならない。

 無限だからだ。

 蒸気の帳の内側を見通すことは出来ないが、気配は着々と殖え続けている。

 不滅者は殺せる。

 だが守ろうとする目的意志までをも弑することは出来ない。

 そして『守護する』というこの単純な願望は、永久であり、無限である。

 それは定命の個人においては理念や理想に過ぎないが、レンブラントの夜警団に関しては、物理的現実である。一人殺し、二人殺し、三人殺している間に、四人目、八人目、十六人目の夜警団が防衛のために出現する。無数の物陰、ありとあらゆる視界外、先ほどまで何も無かったはずの空間に、凶器を持った夜警団の不滅者が這い出てくる。空中に打ち上げられた刃に新たな夜警団の姿がこぼれ落ち、果たして現実にも、そのようにして新たな夜警団の肉体が編まれる。

 切り伏せられた猫の影から夜警団の甲冑の腕が突き出てくる。

 機構は理不尽にして簡素。レンブラントの抱える絵画『スチーム・ヘッドの夜警』こそが、普遍的な影響力を及ぼす聖句として機能を発揮しているのだ。この絵画はヴォイニッチとの共同で組み上げられた数少ない『言葉以外に翻訳された聖句』である。

 何らかの知性体にその存在を認識されている限り、夜警団の存在証明を強制させるという厄介なレリックだ。

 無限の軍勢を相手にしてはいずれ歯車が狂う。

 ある解放軍の一機が、あるべき手数より一手多くの攻撃を繰り出した。

 処理する必要の無い夜警団に手を掛け……その刹那に夜警団の群れに四方八方から刃を浴びせられた。

 聖句で編まれた低純度結晶でも、武器としては過不足無く有効だ。


「しくじっ……たっ……!」


「馬っ鹿、末期の悲鳴には早いって」カバーのために意識を巡らせていた一機が、夜警団どもを単純打撃で遠ざけて、串刺しにされた友軍機を助け起こす。「こんなくだらない攻撃で死ねると思うな、記録媒体は無傷だぞ。駆動系もだいたい無事だ」


「すまん、欲を出しすぎた……傷の再生まで戦線に穴が空いちまう、すまねぇ」


「どちらが根負けするかの勝負だ!」


 ケルゲレンは夜警団の喉を貫き、袈裟に斬り、声を張り上げる。


「夜警団は殺せる、だが夜警団それ自体は、不滅だ! 気を抜けば、殺気を纏わぬ不朽結晶に貫かれるのだ! 火を絶やすな! 心地よい刃の冷たさを受け入れるな! この果てしなく朽ち続ける都市にお前たちのオルガンを響かせろーー!」


 ――夜警団が何名いるか、誰も数えたことが無い。無意味だからだ。<第八の戒め>は戦闘力で圧倒するベルリオーズや、物理的に対抗不能なヴェストヴェストとは異なる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という形で実現される裁きだ。

 正攻法で言うならば、聖句戦でレンブラントを抑えない限り、夜警団はおそらく制限時間いっぱい、無限に出現すると考えられている。耐えられない試練ではない。数が無限と言えども、活動時間は無限では無い。これほどの論理矛盾を引き起こす権能は一時間も維持出来ない。

 そのうちにレンブラントは眠ってしまうのだ。

 そうなれば夜警団も一斉に猫へと回帰し、危険は去る。

 ウンドワートでも無ければ御しきれない<処刑台>ベルリオーズに比べれば容易い。ケルゲレンにしたところで、夜警団に関しては幾度もこの裁きを凌いだ経験がある。


「長すぎる一時間になるが……!」


 この時間は基本的に短縮できない。レンブラント自身を殺す、レンブラントの絵を破壊する等のアプローチも試したことがあるが、原則としてレンブラントは夜警団が滅びきるまではオーバーフローを起こさない。画にも不可侵の永久性が備わっているのだ。

 無意味であるばかりか、夜警団の攻撃性は一気に跳ね上がるため、非推奨の無力化手順だ。


「これいつになったら終わるんです?!」この試練を受けたことの無い解放軍兵士が悲鳴を上げた。弱敵でも蟻の如く湧いてくるのだ。パニックに陥るのも仕方ないの無いことである。「不滅者、不滅者、不滅者だらけだ! レンブラントってやつはどこからこんな数のスチーム・ヘッドを?!」


「終わるまで終わらん! 終わるまで動きを止めるな!」


 耐えるしか無い。レンブラントが絵画を維持し、聖句で編まれた絵画が夜警団を呼び出し、夜警団がレンブラントの存在証明を維持する。この三位一体を崩すことは難しい――無数の存在核で存在を編んでいるナイン・ライヴズを滅ぼすのが不可能なのと同じだ。

 ヴェストヴェストの領域拡大からは脱することは出来ている。

 後は戦い続けるだけで良い。


 問題は夜警団の数だ。

 彼女とともに友愛と殉死の道を選んだ機体は多い。非常に多い。

 だが、それらは精々が数十の単位だった。

 パペットを含むスチーム・ヘッド数十機でも古い時代ならば切り札になる数だが、レンブラントの眷属はどうやらそれとは全く関係がない。

 レンブラントの夜警団の最大の異常性は、蘇生される不滅者の数が、どう見ても、明らかに、どうしようもなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言うことだ。

 何故なのかが分からない。知らないはずなのに知っている、知っている気がするが全く知らない、という機体が、彼女の夜警団には何度も現れる。

 一度オーバーフローを起こした不滅者が戦線に復帰してくるのも勿論のこと、外形的な様式だけが類似した全く未知の機体までも次々に参戦してくる。

 一機一機は、三流のさらに下という次元まで性能が低下しているが……それでもスチーム・ヘッドだ。無限に増援が現れるこの死地から無理に突破しようとすれば、おそらく絡め取られて破壊される。迂回して進もうとすればそこに突然数え切れない不滅者が出現する……。仮に大きすぎる隙を見せてしまえば、その解放軍兵士は順当に人工脳髄を破壊され、虚無の辺獄へと墜落するだろう。

 広域通信が可能ならば他にも手はあるが、手持ちの戦力では蒸気の煙の中で必死に藻搔き続けるほか無い。

 安全な対処法はただ一つ。その場に留まって、時間切れまで決死の覚悟で『夜警団』を捌き続ける。

 レンブラントの眷属には、数を活かした連携や質量任せの三次元的圧倒という発想は無い。

 下手に動き回らず、ひたすら殺し続けるのが安全で最良となるのだ。


「火を絶やすな!」とケルゲレンは叫び続ける。「これは尊厳を燃やす戦いである。自分たちは奪うだけの存在ではないと知らしめるための戦いである。赫赫と燃える前進の意志を示すための戦いである。火を絶やすな!」


 イーゴが追従する。「そうとも! 夜警を担う存在は、何も不滅者だけでは無い。我々だってそうだ! この永劫の虚無の秩序と文明の光を取り戻さんとする我々こそが冬の夜の守手に相応しい!」


「火を絶やすな! 火を絶やすな!!」

「ひ、火を絶やすな……」

「火を絶やすな! 火を絶やすな! 火を絶やすな!」


 ケルゲレンたちのは祈るように叫び続ける。そうしていれば、やがて神の火が、己らの演算されたいつわりの魂に本物の光をもたらしてくれるとでも信じているかのように。


「パペット! パペット出現!」解放軍の一人が焦燥も露わに報告する。「スルト型の……以前の名前は確か、ベンジェンシーです! ケルビムウェポンの起動反応を確認!」


 ケルゲレンを初めとした、高度デジタル制御化スチーム・ヘッドの脳裏には、座標ロックに対するアラームが鳴り響いている。ベルリオーズは例外として、所詮は不滅者の兵器、連発してくることも無ければ、正常に充填することもない。こちらの移動に反応して座標ロックを微調整することさえ無い。

 言わば劣化したケルビムウェポンだが、プラズマ場が発生すれば容易く戦線が崩壊する。<第八の戒め>においては恒例の危機だが、レンブラントとの戦いにおいて最も難しい時間だ。

 陣地変えの必要があったが、今回はケットシーの支援機、ユンカースの広域ジャミングのせいで同期が取れない。


「くそっ、どうする。落ち着いて考えろケルゲレン……俺、いや、ワシよ! ウンドワート卿ならどうやってこの死地を乗り越える?!」


 答えを纏める時間は無かった。

 ーー高層建築の壁を蹴り、降り立つ巨影が一つある。

 城壁の如き巨大な刃が、そのスルト型の不滅者を頭頂から股下まで断ち割った。チャージを進めていた蒸気機関は爆発四散。防衛反応だろう、パペットの不滅者が次々に出現するが、円筒状の頭部を頻りに回転させる異形の巨人は、振るう大剣で難なくそれらを轢断する。

 動きは有機的に繋がり、一部の無駄も無く次の行動へシフト。解放軍のスチーム・ヘッドに殴りかかろうとしていた不滅者のパペットを刃の腹で弾いて空中に浮かし、追撃はせず、刃と言うよりは板状の盾といった大剣を振り回し、夜警団を蹂躙した。


 その異形のパペット、ミフレシェット(怪物)の渾名を持つ軍団長にしがみついていたレーゲントが、大胆に脚の付け根を晒しながら転げ落ちた。パペットに何事か文句を言いつつ立ち上がり、群がる不滅者に臆すること無く、全身を無遠慮な甲冑の手で掴まれることを赦しながら、栗色の髪を揺らし、舌先に出鱈目な韻律の詩を紡ぐ。

 すると、夜警団は月を見失った旅人のように脚を止め、自分が何故ここにいて、何をしているのかを見失った様子で活動を停止した。


『遅参しちまったかぁ! 損害はどんだけだ、ケルゲレン!』


 軍団長ファデルだ。

 彼に続いて、レーゲントを載せたり、腕に抱えたりした軍勢が<第八の戒め>夜警団たちの背後から強襲してくる。


 援軍だ。

 声楽補助用蒸気機関から少女たちの清らかな歌声が響き渡り、耳にした夜警団は次々に無力化されていく。


「良いタイミングじゃ、まだ被害が少ない! 助かったぞいファデル、一気に勝ちの目が増えた。しかしよくワシらの場所が分かったのう」


『夜警団のやつらがうちの陣地まで出やがってよぉ。どうにか捌いてたら、ウェールズ王立渉猟騎士団まで俺らの陣地に顔を出して、<時の欠片に触れた者>はいないかって聞いてきたんだ。ヴェストヴェストも暴れてやがるし、これは不味じぃなと見て、打って出ることにした。時間連続体で二番目にきな臭い場所はどこかと逆に騎士団の連中から聞き出して、ようやく援護しに来たってわけだ』


「騎士団が来たのか……有り難いと言えば有り難いがのう」


『ああ。どうにも不味いことが起こってる。連中、不味いときにしか来ねぇからな』


 見れば、古めかしい蒸気甲冑に身を包んだ赤い旗を掲げるスチーム・ヘッドが何時の間にか出現していて、不滅者ともたもたと取っ組み合いを演じた後、次の瞬間には知覚不能な領域で彼をバラバラに引き裂いて、猫へと戻すなどしている。

 ウェールズ王立渉猟騎士団までもが参戦したならこの場での敗北はなかろう。


『問題はヴェストヴェストだなぁ、畜生』


 軍団長ファデルの動きはその場のどんなスチーム・ヘッドよりも洗練されている。特注の大剣の腹で不滅者を投げ飛ばし、押し潰し、味方が危ないと見れば割り込んで盾となり、大型蒸気甲冑の四肢を自由自在に操って極めて効果的に不滅者の猛撃を凌ぎきる。

 彼が目標とするスチーム・ヘッドは、シィーという人物だ。どこか知らない時間枝で師匠と尊敬していた調停防疫局のエージェントらしい。ケットシーの父のようで、本質的には怒濤の攻勢を得意としていたようだが、ファデルは彼から攻撃の剣ではなく守護の剣を授かった。大凡全ての攻撃を打ち払い、味方を救うというその戦闘スタイルがもたらした信任は絶大である。この上にマネジメント能力まであるのだから、軍団長としては適任というのが解放軍での評価だ。


『ベルリオーズはどうしたんだ? まさか倒しちまったのか?』


 背中合わせの姿勢で問いかけてくる巨人に、ペンギンの騎士は遙か後方で蠢く異形の塔、蒸気の嵐の向こう側でに薄らと輪郭を浮かべる、吐き気を催すような破壊の塔、ヴェストヴェストの影を指差した。


「分からんのじゃ。アルファⅡたちが上手くあそこで釘付けにしてくれている……らしい。討伐目標だった首斬り兎……ケットシーも参加中じゃ。あやつ、ワシが折角運んでやろうとしたのにジタバタして一番危ないところにいきよって。ちょっとあの……変じゃな。強いのを抜きにしても」


『ウンドワートとモナルキア、それに首斬り兎ね。兎ちゃんはわかんねぇけど敵意無しなら今は良いかそれだけでヴェストヴェストとベルリオーズが何とかなるんのかねぇ……待て、ありゃなんだ!?』


 ファデルが寸時身を強ばらせた。


「どうかした、かの」


『分からねぇ。ただ……何か見たこともない怪物が……騎士、か? 騎士っぽいのが、蒼い炎と一緒に飛び回って……塔を切り刻んでるのが見えた……一人や二人じゃ無い。数え切れない数の……いや、なんだありゃ。増えたり減ったりしてる……幻か?』


 幻惑されているのかと思うような曖昧な報告だが、センサ機能の劣るケルゲレンとは異なり、ファデルの観測能力は非常に高い。この高性能なスチーム・パペットをして把握しきれない事態らしい。

 尋常外の自体が起きているといことだは、疑う余地も無い。殺戮の地平線の向こう側で、どんな戦いが行われているのか、ケルゲレンたちには想像もつかない。だが、信じることだけは出来た。

 本来ならばベルリオーズとヴェストヴェストの包囲網に囚われれば無残に破壊されるのみだ。ここでこうやって生き残っているのは奇跡に近く、奇跡の担い手たちはここに確かに存在する。

 塔が進軍するその狭間で、暴風が蒸気の帳を吹き流していく。街道を埋め尽くす不滅者と、鳴り響く聖女たちの原初の聖句……その向こう側。雷鳴の如き爆音を撒き散らす塔の狭間に、影が飛び交うのが、ようやくケルゲレンのレンズにも映った。

 白銀の大兎。アルファⅡウンドワート。


「ああ、ウンドワート殿、どうかご無事でいてくだされ……!」


 最近のウンドワートは如何にも楽しそうだった。きっと何か新しい楽しみを見つけたのだ。それがこれから先も続くことを、ペンギンの騎士は祈る。

 そのためには多くの仲間を救い、彼女の戦果を最大限にまで高め、確かにウンドワート卿は尽力し、己を責める必要も無いほどの働きをしたのだと、他ならぬウンドワート卿に納得して貰わなければならない……。

 何故ならば、ウンドワート卿はこの世で最も自分自身のことを見下している。彼女は自分を尊敬するための方法を全く知らないのだ。


「あなたはこんなところで腐って良い御方でははないのですから……せめて、どうか、自分を愛してくだされ」


 ケルゲレンはさらに声を張り上げて、仲間たちに檄を飛ばした。


「油断するな、ここからが正念場だ。絶対にこの試練を乗り越え……そして、一歩でも先に……新しい時代に向けて、前進し続けるのだ! こんなところで終わってはならない! 導き手が指し示すままに、我々は諦観を殺し、絶望を征服し、次の百年を、さらに次の百年を、そしていつか千年帝国の安寧に辿り着くのだ!」 


 ーーハレルヤハ。

 どこからか楽しげな声がした。リリウムの声だ。

 幻聴かも知れない。しかし、張り詰めたケルゲレンの精神には、それでも希望を指し示す方位磁針の代わりになる。活力をもたらす心地の良い歌声は、人工脳髄の内側に、長く、長く響いた。

 偽りの希望かも知れない。

 しかし、道が続く限りは、前進する他ない。

 それがスチーム・ヘッドである。

 失われつつある尊厳の火を守るために戦い続ける、寄る辺の無い夜警団の群れである。

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