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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション2 スヴィトスラーフ聖歌隊 大主教『清廉なる導き手』リリウム
72/197

2-12 祭礼のために その7(2) 黙示録の兵士たち

 リーンズィはディオニュシウスの挙動が明らかに異常であることに気付いていた。

 攻撃された瞬間に時間を遡り、自分の反撃が一方的に成立する位置に……相対者が攻撃を仕掛けるその致命的な一瞬の隙を狙い、過去の時点で確定している死角へと移動している。どのように観測しても、そのようにしか見えない。論理的な反駁の余地が無い。

 理屈に合わない。

 肯定してはならない時間連続体の()()()だ。

自分が有利な状態へと状況を組み替える不滅者や、自分に選択可能な可能世界から都合の良い未来を選び取るケットシーとも異なる、因果律を嘲笑うかのような超越権能。

 盲目にして白痴、脳髄を持たず、ただ不滅不朽の外套、調停防疫局の旗に燃え盛る蒼い炎を抱え、無貌の騎士は極めて短い過去と未来を、時間という平面に穿たれた穴を擦り抜けるかの如く移動する。

 世界の在り方それ自体を歪めていく……。

 このような悪性変異体は、存在してはならない。


「……違う」


 リーンズィはか細い声を吐き出して、瞼を細める。

 既に限界を迎えつつあるヴァローナの瞳で真相を見通そうとした。

 何か誤解があるように感じられてならない。

 身に降りかかる危機をも忘れそうになるほどの強烈な違和感が、ディオニュシウスにはあるのだ。


「アポカリプスモードは……これのことでは、ないのだろう、ヴォイド」


 無論、悪性変異体と化したヴォイドにはもはや言葉など届かない。

 ならば、その問いかけは自分自身の深奥、アルファⅡモナルキアとしての全権によって構築されるデータベースに対して響く己の声に他ならない。


「ユイシス、アポカリプスモードはこの程度の能力なのか? ……なの?」


『この程度とは? 定義が不明です』金色の髪をした天使の幻影が鼻先で嘲笑する。『統合支援AIは回答する必要を理解しません』


「今は私こそがアルファⅡモナルキア。回答を拒否する理由はないはず」


『否定。回答を拒否しているのではありません。当機は貴官の質問を理解していないのです』


 統合支援AIと問答をしている間にも、波濤の如く塔の群れが打ち寄せる。

 虚空から現れては去っていく首無し騎士の軍勢、同じ外観、同じシリアルを持つ全く異なる同一個体の群れが、風景を埋め尽くす冒涜の塔を、根こそぎに破壊していく。

 一つの時間連続体に同時に同位体が出現する可能性は無い、とはシィーの言葉だったか。

 もっともらしく聞こえた理屈が、こうも容易く破却されている。

 どうであれ、これならばアルファⅡウンドワートの救援に向かうことも可能だ。

 海を割る預言者のように異形の騎士どもが塔の波を打ち砕いてくれる。


 アポカリプスモードを起動するしか無いと裁定を下した、かつての自分……認知機能をロックして、そのまま消え去ってしまったエージェント・アルファⅡ……ただ一人だった頃の自分の計画は、きっと正しい。

 しかしリーンズィは言い知れぬ違和感に苛まれていた。

 この、目に見える表層が、アポカリプスモードの本質とはとても思えないのだ。リーンズィは言語化する以前から凄まじい吐き気を感じていた。肉体が何かを直観している。

 奇妙な確信がある。より致命的な何かが進行している。

 何か取り返しの付かない自体が始まってしまっている……。


 限界を超えて、リーンズィはヴァローナの瞳に願う。

 使用者に見たいものを見せる権能。それは広大無辺なアルファⅡモナルキアのシステム事態に対しても有効だった。アクセス可能な領域に関してインデックスを入手できないのであれば、状況を入力し、自体を解決可能なパスが存在する領域を直接視れば良いのだ。

 だが、計画上のスペックを確認しても、それがあらゆる攻撃に対応可能な全自動報復兵器であるという以上の事実は分からなかった。

 特務仕様型(ホースマン・)局地殲滅用変異体(アナイナレイター)

 武装は不朽結晶連続体で構築された刀身に限られ、それ以外の構成要素は全て飾りのようなものだ。

 戦闘には決して向かない個体であるにも関わらず、常に先手を取るというその常軌を逸した能力によって、絶対的な制圧性能を獲得している。

 別のアプローチからの検証を試行する。

 では何故アポカリプスモードの使用は忌避されるべきなのか?

 自問する必要さえ無い。このような存在をデザインするアポカリプスモードが、忌まわしい機能であるのもは明白だ。調停防疫局は永劫の苦痛の中で藻掻き苦しむ定めにある悪性変異体を決して許容しない。

 どのような目的であれ、己自身の手で不死病患者を新たな悪性変異体へと、終わらない苦悶にのたうつ悪夢へと変えてしまったのだから、濫用を避けるべきであるという方針は正常である。

 だが表層的な事象を集積しても、やはり「強力な悪性変異体をデザインする」程度の機能としか結論できない。

 そう、単なる機能だ。濫用は出来ないにせよ、本能的な嫌悪の出所にはなり得ない。


 リーンズィを焦らせるのは無知では無く自分の内側に設けられた空白である。

 確信していた。何か恐ろしい認識の欠如を抱えている。

 かつての自分が、何の目的で、何を恐れてこの機能の使用を拒んでいたのか、リーンズィには分からないままだ。

 さらにアプローチをずらす。

 ディオニュシウスが出現する度に意味不明なデータが送信されてくるのに、気付いていないわけではない。あるいはこの不可解なデータを手当たり次第に解析していけば、答えに辿り着けるのではないか。

 ふと、柔らかな感触が手指を楽しませた。

 リーンズィの露出した右手、アルファⅡモナルキアのガントレットに包まれてない真っ白な手指に、金色の髪をした少女の指が絡まっている。

 ミラーズ。いつでもリーンズィに寄り添ってくれる愛しい人。

 花と糖蜜を混ぜたような甘く狂おしい香りが渦巻く風に乗って鼻先に届く。

 慰めてくれているのだろう? 

 そうではない、という確信があった。


 ようやくヴァローナの瞳が、それを見つけた。

 事態を決定的たらしめるための糸口を。

 新たな隻腕の首無しの騎士が、アルファⅡモナルキア・ヴォイド、あるいはかつてドミトリィと呼ばれたエージェントの成れの果てが現れる度……その悪性変異体の体内にある首輪型人工脳髄が、行動ログを転送してきている。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 調停防疫局標準の方式で圧縮されたそれを展開すると、リーンズィの記憶領域に見も知らぬどこかの記憶が書き込まれる。


 1999年、お前は旅客機の中で目を覚ます。進んでいる。首の無い騎士を見て乗客たちは戸惑いの声を上げる。武装した男が銃を向けて来たため自動的に斬り殺した。真っ二つになった人体から血液が噴き上がり、血煙を割るように悲鳴が上がる……コックピットに押し入ろうとしている男の一人がお前に気付き小銃を乱射する。不滅であるその身に銃弾は通じない。流れ弾が乗客を何人かに命中した。そのまま前進する。ドアごと武装集団を横一文字に斬る。男どもは二つに分かれて崩れ落ち、反対側からドアを押さえていた副操縦手も動揺の有様で落命した。生き残った機長は青ざめた顔で見つめている、お前の燃え盛る蒼い炎、その剥き出しの眼球を。お前は座席をその場から一歩も動くこと無く全て見た。お前の花嫁はここにいない。金色の髪をした女が頭を抱えて震えている。似ているが違う。お前の花嫁はここにいない。

 お前は次の可能性世界へ向かう……。

 1993年。冬の日。お前はどこかの邸内で目覚める。屋敷を彷徨い、電話を掛けている年若い男を斬り殺す。電話口の向こうから怪訝そうな女の声が聞こえる。聞き覚えはあるがもう何も思い出せない。何故そうなったのかお前は理解しない。怯えた顔をした少女が物陰からお前を見上げている。お前の花嫁ではない。

 お前は次の可能性世界へ向かう……。

 1998年の春の日。お前は穴蔵の娼館で目覚める。青白い炎に照らされて、刃を片手に彼女をにやにやと眺めていた男たちがお前に気付き、傲然とする。刃を振るわれるが死にはしない。不滅だからだ。背後から突いて殺す。悲鳴を上げて飛びかかってくる男たちを機械的に殺害する。少女が騎士様、と誰かの名を呼ぶ。似ているが違う。お前の花嫁では無い。

 お前は次の可能性世界へ向かう……。


 全ては混沌としていた。点と点、虚無と虚無である。

 規則性の無い点に線を引いて繋げても、現れるのは自己連続性の崩壊した画家が描いた自画像のような、見るも無惨な壊れた記憶のみだ。

 無数の断片、無数の断続的な記憶、無数の殺戮が淡々と積み上げられていく。

 新たなディオニュシウスが出現する度に、こうした残光のような曖昧な記憶が増えるのだ。

 それらはあまりにも脈絡が無かった。

 全ての記憶にミラーズ/キジールと似た容姿の少女が登場しており、直接的な暴力に晒されているか、あるいは危機に瀕しており、突然現れたディオニュシウスが、敵対者を殺害する。

 大まかな流れだけは一致しているが、それ以外の点はまるきり状況が異なる。

 矛盾の無い時系列へと整理することさえ出来ない。


 リーンズィは考える。ヴォイドの言い様からして、ディオニュシウスを駆動させているのはドミトリィーーオリジナルのエージェント・ドミトリィの感情だ。

 迷妄の果てに選択可能だったかも知れない空想世界を組み上げて、その架構現実を自身の瞬間的移動の部品として利用しているのではないか?

 似た様態として考えられるのは、ベルリオーズやヴェストヴェストといった不滅者たちだろう。

 不滅者についても、外部化した理想的可能性世界を足がかりにして、そこで自己復元を実行していると仮定すれば据わりは良い……。

 そんな迷走する思考を解きほぐすかのように、強く、強く手を握り締めながら、傍らの少女が身を寄せてきた。


「ねぇ、リーンズィ。リーンズィには、あの方の行いが、騎士様の流浪が、愚かに見えるのでしょう。いいえ、事実として、そうなのです。救いようが無いほどに愚かで……いかなる異邦の地を見渡しても、あの御方ほど愚かしい夢を抱いているものは、数えるほどしかいないのです」


 吹き荒ぶ破壊の風に、ミラーズの歌うような声が紛れる。清らかな声にはいっそ悲嘆が滲んでおり、紡がれる辛辣な言葉とは裏腹の、胸を焦がす色が棚引く。金色の髪をした天使は、ついに手にできなかった宝石箱が踏みにじられ、暗澹たる蛍光の灯の下、輝くばかりの無数の粒子と成り果てた宝物の、その残骸を眺めるようにして、じっと目を伏せている。


「ええ、ええ。何が騎士様なものですか。ドミトリィは本当に勝手な人よ、散々に夢を見させて……結局あたしを助けてはくださらなかった。今も自分勝手な夢に耽って、ひとりよがりで……今こうして、救われなかった私がいるのに、どうしてあたしを救うことなど能いましょうか。けれども……私はあの御方を信じます。もはや救われない、憐れな少女だった頃の私を追い求めるあの御方を信じます。賢者たちよ、知者たちよ、私があの御方を信じるのは……彼自身が、それが可能であると、信じていないからです。だからせめて、私だけは信じてあげないといけないのです……」


 そう結んで、ミラーズは、かつてドミトリィに愛されたその少女は、声を張り上げた。


()()()()()()()()()()()()退()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()辿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 辿々しいリズム、混沌とした語句の連続。

 韻律さえまともに備わっていない。しかし、それは確かに頌歌だった。

 原初の聖句によって編まれた、神の威光を、愚かなる騎士の蛮行を、世に知らしめるための言葉だった。

 隻腕の異邦の騎士に捧げられたその歌に、しかし、ディオニュシウスの反応は微かだ。

 ほんのひととき、その炎上する蒼い巨大な眼球、過去未来現在の別を持たない剥き出しの知覚器官が、ミラーズの金色の髪をありありと照らし出した。

 視界に【ディオニュシウス:コード認証に成功】の文字列が踊る。

 ミラーズは原初の聖句を利用して確実に異邦の騎士の行動原理への介入を果たしている。

 ミラーズの体温が、リーンズィの手から離れた。

 リーンズィの動揺を余所にして、死と退廃の入り交じる行進聖詠服、そのねじくれた衣装、不滅にして不朽の服の裾元をはためかせ、少女の白い脚、装甲されたブーツの爪先が瓦礫を踏む。

 少女は無力だった。

 しかし、体のラインを薄らと浮かせる薄い布きれは、あらゆる弾丸に対して不屈である。ホルダーには斬れぬ物のないカタナを吊るし、四肢に拘束具の如く纏わり付くアシスト用強化外骨格は彼女に人外の機動力を与える。

 だが、そのいずれも塔の不滅者ヴェストヴェストと対面しては砂礫の城壁に過ぎない。

 只一度の接触で破滅する。風の渡る稲穂のような、豊かな黄金の髪をした少女の肉体は、耐えられない。

 絶崖にぶつかった小舟よりも容易く、壊れて、散り果てるだろう。


 だというのに、少女は笑いかける。「ついてきてください、リーンズィ」と脳髄を蕩けさせる超常の声が心臓を震わせる。


「何があっても大丈夫。怖いことなんて一つもありませんよ。騎士様がいらしてくれました……」


 誰の目にも分かる無謀な前進であった。

 しかし奇妙な確信がある。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 非論理的であることは自覚している。

 洗脳されているのかも知れない。

 ミラーズへの愛慕が、思考を曇らせているのかも知れない。だがどうしても信じてしまう。

 ()()()()()()()()()……あるいは、お前はこの先にある未来を、既に知っているのか。誰かがそのように耳打ちをする……。

 ライトブラウンの髪の少女は、重外燃機関に懸吊したフルフェイスヘルメットをガントレットの左手で確かめながら、誘われるがままについていく。


 無秩序な破壊の嵐を渡る少女の前には、常にディオニュシウスがいる。その無貌の騎士、狂乱のうちに機械的に反撃を繰り返す悪性変異体は、途切れがちな聖句、辿々しい舌遣いの、稚拙でちぐはぐな神へ捧ぐ言葉に釣られるようにして、ミラーズに随伴している。

 無数の騎士、無数の貌の無い騎士、無数の形骸の騎士が、無数の騎士の骸が、彼女に害を為す存在が迫る度に現れ、切り裂く以外には何の機能も有さないその腕で障害を排除し、ミラーズを垣間見、そして己の花嫁では無いと理解して、どこかへ去っていく……。

 今・ここではない、いつか・どこかのミラーズ……。

 ミラーズに似た誰かを救助した行動ログだけを残して。


 ふらふらと歩いているうちに、リーンズィの赤い瞳が振り返ることも無いまま違和の出所を見つけ出した。

 無言で追従してくるケットシーだ。

 プリーツスカートに海兵服、最低限の運動アシスト装備を身につけただけの姿は可憐で、平時であれば写真の中で腰掛けて微笑んでいるのが似合いの、繊美な少女ではあるが、その本性は狂気にこそある。

 余人にはうかがい知れないカメラを気にして動き、強者と見れば存在しない視聴者のために斬りかからざるを得ず、対話をするポーズを維持しながら、妄言を並べて執拗に攻撃を加える。

 どこをとっても迷惑な性分ではあったが、ヴェストヴェストのような破壊の化身にさえ臆せず突貫していく程なのだから、大した戦狂いである。

 それがどういうわけか、ディオニュシウスにだけは、決して手出しをしようとしない。これまでの傾向を考えれば「蒸気抜刀(じょーきばっとー)」の掛け声と共に、珍奇な剣技を繰り出している頃だ。

 耳を傾ければ、ちりん、ちりんと、落ち着き無くカタナを抜き差しし、大型不朽結晶刀剣の鯉口に吊るした鈴を、手慰みに鳴らしているのが聞こえてくる。

 しかし実際に抜き放つ気配がない。

 ますます確信の度合いが深くなる。

 ますます不吉になる。

 ますます致命的な事象、その鮮血の色合いが濃くなる……。

 リーンズィは重外燃機関に阻まれながら苦労して振り返り、父の腕でも抱きしめるようにしてカタナを抱えている黒髪の少女人形、非人間的な美貌の、東洋のスチーム・ヘッドを眺めた。


「君は何故あの悪性変異体に攻撃しない?」


「リーンズィはとっても悪い機体」血の気の薄い唇がぶつぶつと不服を連ねる。「スチーム・ヘッドから産まれたマモノが一番恐ろしい。それが分かっていて、自分であんな危険なマモノを産んだ」


「それについては弁解のしようが無い」リーンズィは素直にしょんぼりとした。予想通りケットシーはそれ以上追求をしてこない。しつこく口論しても視聴率にならないと思っているのだ。「しかし、あれと斬り合おうとは思わないの?」


 ケットシーはヴェストヴェストから吹き付ける暴風を浴び、黒曜石から削り出したような髪を靡かせながら、首を振った。


「斬れる未来が見えないから、斬らない」


『賢明な判断だと当機は評価します』と宙空に現れたユイシスが、ケットシーに寄りかかり、人形のような生気の無い肌に指を這わせつつ、口の端を歪ませる。『可能であると確信出来ない事象は、実行できない。可能世界の選択という希有な才能を持つ貴官の、数少ない弱点です』


「何もかもヒナの思うとおりになる。だって主人公はヒナだもん」溜息を一つ。「だから分かるの。もしもあのマモノを、楽にしてあげようとしたならば……その瞬間、ヒナは後ろからあのマモノに斬られる」


 ミラーズに手を引かれて進むにつれて、塔の暴威は物理的圧力となって認知宇宙に降りかかり、強烈な過負荷で視界を狭窄させていく。

 それは単に巻き上げられた塵埃によるものではなく、認知世界に降り積もる澱のように思われた。宇宙から降り注ぐ霧のように思考を圧迫してくる。何もかもが遠のいて、現実感を失い、色褪せていくいくような錯覚に襲われる……。


【警告:不明な熱源の接近を検知】の文字がリーンズィの拡張視覚に躍る。【距離:0メートル】


 奇妙な数値だ。

 リーンズィは首を傾げる。


「誤検知か友軍では?」


「センサ類では既に捕捉。現在、IFFを確認できません」


「スタンモード、レディ」音声入力に従ってリーンズィの左腕が雷光を纏う。「こんなものでどうにかなるとも思わないけど」


 装弾をしている間にケットシーが電撃的に反応した。

 背後から掴みかかってきたそれの腕を、彼女は瞬時に肩に担いで関節をひしいだ。


「蒸気抜刀、虎透し浸透発勁(タイガースピア)!」


 腕部圧縮蒸気噴射孔から蒸気を噴射しつつ掌底を打ち込み、機関震動をダイレクトに浸透させて、内部構造を麻痺させる。

 それだけに飽き足らず、ウンドワートから受けた攻撃から学習したのか、少女ケットシーは遅滞なく巴投げの姿勢に入った。

 カタナを固定具のように扱って謎めく腕を抱きかかえ、器用なバランス感覚でくるりと転げた。

 終始振り返ることすらせず、華奢な白い脚を根元まで晒しながら綺麗な弧を空へ描き、あっという間に闖入者を地面に打ち倒した。

 さらには、背後の彼が握っていた、長物らしき武器を、その手から蹴って、離してみせることまでした。

 東洋にて最強、葬兵の第一位という自称は、決して誇張では無いらしい。

 何の気配も無く出現したそれを、あっさりと無力化してしまうその手際は曲芸の域だ。


「後ろからいきなり肩を掴むのは常識的に考えて失礼」


 転げる動きのまま素足で鎧の腕を絡め取り、関節を破壊的にロックする。


「ヒナは優しいし編集の都合もあると思うから殺さないであげたけど、これが旧日本自治区のエド・イラなら、切り捨てごめんなさいだった。優しい現代社会の市民感情、ひいてはテレビの前の皆の素朴な気持ちに感謝すべき」


 ケットシーの妄言など聞こえてはいない。

 打ち倒され、引き回されたそれは、もがきながら、言葉にならない言葉を叫ぶ。

 それは、スチーム・ヘッドだった。

 そして飛び抜けて旧式だった。

 アルファⅡモナルキアも局所の防御にのみ特化した古い設計思想の機体だと揶揄されるが、それよりもさらに形式が古いと断定出来る。

 全身装甲型の蒸気甲冑を纏ってはいるものの、生産性を高めるための合理化も、機能向上のための複雑化も、その機体には存在しない。

 博物館に飾られているような年代物の騎士甲冑に耐熱・耐水のための増加装甲をたっぷりと施して、運動補助用の強化外骨格をどうにかして取り付けて、それに改造したドラム缶を背負わせればこうなるだろうというような、無闇に野暮ったい外見をしている。


「暴れないで。変なところ触らないで」理不尽なことを言いながらケットシーが視線を向けてくる。「これ誰。ヒナは解放軍に詳しくないから分からないけどキャストの人?」


 ケットシーは拘束を緩めない。

 増殖し続ける塔よりも、消滅・出現を繰り返すディオニュシウスよりも、手の届く範囲に突如現れたその機体を警戒しているらしく、関節のロックを緩める様子が無い。


「私に聞かれても……」


 先導するミラーズの手を逆に引き返し、脚を止めるよう促す。

 ディオニュシウスの進軍もまたそこで停止し、淡々と分裂、あるいは時間遡行しながら、塔の波を裁き続ける。

 リーンズィはとにかくウンドワートを助けるのを優先しようと考えを切り替えていたのだが、突然の闖入者に対して、いらぬリソースを配分する羽目になってしまった。

 とは言え、なるほど、観察してみると、その機体には相応の価値が備わっているようにも思われた。


「これは……解放軍……か……?」


 かなりの戸惑いがあった。

 援護に駆けつけた機体という可能性もあるにせよ、その機体に全く見覚えがない。

 少なくとも<首斬り兎>の討伐に投入された群には含まれていなかった。全ての機体のデータを持っているわけではないが、これまでに見たことが無いという確信がある。

 ミラーズが歌を奏で、狂気の騎士が剣を振るう。

 その背後でリーンズィとケットシーは正体不明の闖入者をどうしたものか、視線を合わせて無言で合意を図ろうとしていた。


 ライトブラウンの髪の少女は赤い瞳でそのスチーム・ヘッドをまじまじと眺めた。

 一拍遅れて、拡張視覚に【所属不明】の字が浮かぶ。

 やはり解放軍の機体では無い。

 無限に増殖するのではないかと思われる異形の塔、意味不明な情報ノイズを撒き散らす、因果律を無視した首なし騎士と比較すれば、無害そうではある。

 しかし、異質さで言えばそのスチーム・ヘッドも同等だ。

 それほどに()()

 もがきつつ、機体各所から蒸気を薄らと漏らしているが、それでもケットシーを振りほどくことに成功していない。

 ケットシーの拘束がいくら完成されたものであっても、所詮は生命管制特化型の出力である。真の戦闘用スチーム・ヘッドならば、少女の股関節に痛撃を見舞い、間髪入れず己の肉体の関節破壊を厭わずに跳ね上がって、反撃に転じている頃だ。


 ただ、それが全く出来ていない。華奢な少女に背中から跨がられ、俯せのまま、じたばたとしている。時折体を起こすことに成功しかけるのだが、瞬間的に出力を高めたケットシーにあっさりと組み伏せられてしまう。

 どうやら瞬発力で劣っているらしい。

 こうした性能上の欠陥は純粋蒸気駆動型に特有のものだが、とリーンズィは困惑のうちに思慮する。スチーム・ヘッドの主眼点は身体性の拡張にある。枷にすらなりかねないこの方式は、黎明期の機体にしか採用されていないのだ。パペットにはそれでも使い出があるため、改修も無く運用が続けられるケースがあるのだが、スチーム・ヘッドとしては例外なく骨董品と言っても良い。


「敵では……無いのでは?」


 とりあえずは、自分たちには無害そうに思われた。突然の出来事に心を乱してしまったが、いつまでも拘束して立ち止まっているわけにも行かない。

 こうしている間にもウンドワートへの援護の有効性はどんどん低くなっているのだ。


「攻撃の意図があるなら、初手から武器を振り回せば良い。肩を掴むに留めてきたのなら平和的な意図があると消極的に推測する……ケットシー、拘束を解くべきだ」


「リーンズィはかしこい」うんうん、とケットシーが頷いた。「ヒナもそう思う。これで何かあっても二人の責任と言うことでお願いします。放送事故の秘密の共有……」


 ケットシーがするりと身を離して、大型不朽結晶剣の抜刀姿勢に入る。

 そのスチーム・ヘッドはようやく自由になった片腕も使って、ゆっくりと身を起こした。

 不意打ちに特化した武装も持っているようには見えず、リーンズィはもどかしい気持ちでその緩慢な動作を観察した。

 そして、見た。

 頭部の形状は騎士甲冑とも異なり、やはり印象としては潜水士や宇宙飛行士のそれに近く……。

 ヘルメットに、竜の刻印。

 リーンズィは目を見開く。

 そのスチーム・ヘッドの頭部の半分に、赤い竜の刻印が施されている。

 アルファⅡモナルキアに施された調停防疫局の紋章と似た文様が、そこにはっきりと見て取れる。


 唖然と視線を彷徨わせる。そのスチーム・ヘッドが取り落とした、長柄の武器と思われたものは、戦端に穂を備える()だ。

 材質は不朽結晶連続体。結晶純度こそ低いが、思想的には調停防疫局と同様のものが覗える。

 そこにもやはり赤い竜があしらわれている……。


「何なのだ……何なの?」


 もちろん、それは調停防衛局の御旗とは明らかに異なる。

 彼らの竜は行軍の最中と言ったような有様で、世界地図を背にして鎮座する蛇竜のエンブレムとは、似て非なるものだ。

 彼らが積極的戦闘を目的にした組織の成員であることが伝わってくる。

 リーンズィは深層領域から関連する記憶を引き出した。


 赤土の荒野で、給仕服姿の黒髪の乙女が、拗ねたような貌で嗤っている……。


>でも、似た旗は何度も見た覚えがあるよ。ウェールズ王立渉猟騎士団っていう集団が持ってる。

>うん、改めて検証すると、赤い竜が描かれているところしか似てないかな。

>彼らが何という組織なのかも、本当は知らないんだ。

>騎士っぽい姿をしていて、ウェールズの国旗みたいなものを掲げて歩いてるから、僕が勝手にそう呼んでるのさ。


「ウェールズ王立渉猟騎士団……?」


 あの恐るべき殺戮兵器に言われていた通りの外観に思えた。


「騎士団なの?」ケットシーはにじにじしながら首を傾げる。「ポジションはどっち。敵? 味方?」


「確か彼らは……」


『そうそう、彼らはどうも<時の欠片に触れた者>を追いかけてるみたいなんだ』


 都市焼却機フリアエの声音を真似たユイシスが、空中にアバターを遊ばせながら記録を再生する。


『報告。現状での敵対意思は不明です』


 やはり、これが噂に聞いていた渉猟騎士団なのか。


「……その、いきなり私の仲間が投げ飛ばして申し訳ないのだが。私は調停防疫局のエージェント、最終全権代理人、アルファⅡモナルキアだ。貴官の所属と目的を問う」


 リーンズィは左腕ガントレットのスタン装置から威嚇の火花を放ちながら誰何した。


「何をしに現れた?」


 そして、正体不明機が背にしている破壊の風景を目の当たりにする。

 粉砕され、塔が乱立するばかりとなった己らの背後の荒涼たる有様に気付き、戦慄とともに問いかける。


「そして、どうやって……ここに?」


 死地の只中だ。

 ディオニュシウスの刃が押し寄せてくる塔を片端から破損情報に変換しているにせよ、彼の刃が届かない範囲内では、復元も増殖も問題なく続いている。

 通常のスチーム・ヘッドであれば、そもそもここに至れないはずなのだ。

 不朽結晶連続体で構成された塔に跳ね飛ばされて終わりだろう。

 それなのにこの鈍重そうな旧式スチーム・ヘッドは、何故か平然としてここに現れたのだ。


 ウェールズ王立渉猟騎士団らしき機体は両手を広げ、その見窄らしい装備を晒して、無言のうちに敵で無いことをアピールしてきた。そして答えた。


「urhhh…謌代€�↓謨オ蟇セ縺ョ諢乗€昴�縺ェ縺�」


「なに?」リーンズィはきょとんとした。


「変な音がしてるけどこれ何?」


 変な音、というのは事実だ。

 喉に穴が空いた兵士が末期に漏らした呻き声のようですらある。


「別の言語体系の宇宙から来たのか……?」


「その方は『敵対の意思はない』と仰っています」ミラーズが不意に歌うのを中断して翻訳結果を告げた。「リーンズィ、あなたが矛を降ろしても問題はありません」


「彼の言葉が分かる……の?」


『発音が極端に悪いだけと推測』


 ユイシスがミラーズの傍で嘲笑う。


『レーゲントならば言語の壁など容易いものです』


「urhhh…蜿榊ソ懊′驕輔≧縲ょ菅縺溘■縺ッ謨オ縺ォ縺ェ繧峨↑縺�」


 無抵抗な素振りで、なおも言葉を重ねてくるのだが、リーンズィにはやはり意味が分からない。


「すまない。私には君が何を言っているのか理解出来ない」


 渉猟騎士団は粘着質な唸り声を上げながら、己のヘルメットの前面、顔面を覆う遮光バイザーに手を掛けた。

 そして、その内側を晒した。

 ケットシーが露骨に眉を顰めた。

 リーンズィもまた、その異様な有様に言葉を失う。

 あるべきものが無かった。

 目も鼻も口も、人間として備えているべき器官が一切無い。

 そもそも貌と呼べる物がなく……。

 消化器のような肉の管が、ヘルメットに沿って。押し込められているのみだ。

 それら肉の管は群れを成して蠢き、捻転し、歯車の如く絡み合い、汁を零して、ぐちゃぐちゃと粘つく音を立てながら、湯気を上げるのみで、視聴覚についての機能を持っているようには思われない。全ての部位が蠕動しながら移動しており、胴体部分へと移動していく管もある。

 頭部と認識出来たのは、ヘルメットという外骨格で縁取られているがために起きる錯覚だったのだ。

 おおよそ人間性から最も遠い生命の様式だった。

 不死病患者らしい花の香りのする匂いがなければ、嘔吐感を催すほどに醜悪な光景である。

 リーンズィが声だと認識していたのは、そうした腸管の如き臓物の隙間を通って吐き出される、何らかの呼気であるらしかった。

 ヴァローナ由来の生理的嫌悪感が全身を突き抜ける。あまりにも衝撃的だったため、リーンズィが無意識にこの異物に撃ち込むための有機再編骨針弾の弾頭を選択していると、騎士団員は大儀そうに肉の管を蠢かせ、流路を変形させながら、今度こそ何事か発した。


「え……ぜんつぉだ。……トキノかケェらにフレた……モの……」


「……時の欠片に触れた者……?」


 リーンズィが憶測混じりに復唱すると、骨董の外骨格が頷きの動作を見せる。


「ついぜき……し……ていrう……」


「リーンズィリーンズィ、これどうするの? なんか悪役っぽいしヒナが斬る? 斬れると思うし」


「でも敵対の意思は無いと……」


「ヒナは詳しいから分かるけど、意志がどうとかとじゃなくてこんなのは悪役でしかあり得ない造形。しかも子供が見たらクレームになるやつ。BPO怖いし早く殺そ?」


「さすがに放送倫理を恐れて殺す方が倫理的に問題なのでは……」


 発声に疲れたのか、騎士団員はバイザーを閉じてしまった。

 塔と騎士の狂乱から身を守るためかも知れないし、少女二人の反応があまり良くなかったのを気にしたのかも知れない。

 代わって、ぎこちなく両腕を動かして、パントマイム混じりのジェスチャーを送ってきた。


『解析。国際手話と類似した動きです。解析結果を表示します』


 古めかしいスチーム・ヘッドのすぐ傍に、ユイシスが【誤検知して、ここに来てしまった】と翻訳案をリアルタイムで書き加えていく。


【その悪性変異体の反応が<時の欠片に触れた者>に類似しているためだ。実際に観測して、脅威度が警戒水準に達していないことを確認した。現時点で、我々に貴官を攻撃する意図は無い】


「敵では無いのだな?」


 口で言いながら、物理演算を有効化したユイシスにアシストされるがまま、手話で以て応答する。


「猫の手も借りたい状況で、しかし猫は信じられない。これ以上敵まで増えてはどうしようかと思った」


 不要な文言であるが、とにかく伝えられるがまま動作する。ミラーズの香りまで再現した上で背後から体を抱かれ、あれやこれやとボディタッチされているため、リーンズィは少しもどかしい思いをすることになった。

 塔と騎士が際限の無い矛盾の螺旋を描き、得体の知れぬスチーム・ヘッドと対面している状況でやることではないと内心で抗議するが、『肉体の緊張が基準値を超えているためです』と囁かれては対抗出来ない。

 ユイシスがふざけていないという確証はないが、異形の騎士団員は満足げなジェスチャーを返してきた。


【そうだ。手話が通じるようで安心した。この状況下でユーモアを発することが可能なら、その変異体の制御も問題ないだろう。先ほどの問いについてだが、申し訳ないが、所属は現在開示できない】


 動きに淀みはないが、じっと見ていると、どうしても先ほどまで外界に晒されていた管の群れが脳裏にチラついた。

 おそらく、このスチーム・ヘッドに人間らしい肉体は存在していない。蒸気甲冑の内部には、頭と同じく肉の管がぎっしりと詰まっていて、それが外骨格を操って、普通の人間のように振る舞っているのだ。本能的な忌避感を惹起するおぞましい光景ではあるが、しかし騎士団員の動作は、信頼性の高い知性があることを示唆していた。


【可能世界の消費的選択は、隣接する可能世界の汚染である。際限ない射程の拡大は不可知領域における事態の深刻化を招く。我々はその警告に訪れたと解釈して欲しい】


 そうして騎士団員の機体の指差す先に、顔の無い騎士、かつてヴォイドであり、ドミトリィだったものの妄念に身を任せた骸の騎士、ディオニュシウスがいる。

 塔と対峙すると同時に塔の背後に現れて剣を振るい、元から存在した個体は虚空へと掻き消える。破綻した因果律の展開が、至極当然のように維持されているさまは、甚だ異常であるにせよ、異形のスチーム・ヘッドが言うには、危険度は<時の欠片に触れた者>に遠く及ばないらしい。

 しかし、何故ディオニュシウスと<時の欠片に触れた者>と比較するのか?

 ディオニュシウスとあの超越存在に何の関わりがある?

 アポカリプスモードとはいったい何なのだ?


 ……リーンズィは不意に眩暈を覚えた。

 サイコサージカルアジャスト、精神活動を外科的に抑制することで感情が閾値を超えて活性化することを防ぐオプションの起動が提示されたが、拒否する。

 ヴォイドはリーンズィに、独自の感情を持つ機体になって欲しいと願っていた。

 感情は脆弱性だ。時に判断能力を鈍らせ、肉体を怯懦で縛り、逃避のために非合理的な選択を行わせる。

 しかし、それこそが標になると理解していた。

 恐怖と畏怖無しでアポカリプスモードと向き合うことは出来ない……恐怖と畏怖だけが、その認識を正しいものへと変えていくのだろう。


 己が無意識のうちに棄却していた可能性に、向き合うべきが来ていた。

 この異形のスチーム・ヘッド……ウェールズ王立渉猟騎士団と仮称される機体は、都市焼却機フリアエが証言していた通り、<時の欠片に触れた者>を追跡している。まずそれは間違いない。

 そして時空間を自在に移動・操作する悪性変異体を追跡するには、同様の手段が必要であろうから、ウェールズ王立渉猟騎士団も相似の権能を持つはずだ。

 突如として出現したのは、文字通り『時空間を移動してきたから』に他なるまい。

 非人間的な存在形式も、そのために極端にチューニングされたものだろうと漠然と予測が付いた。外観から察する限りにおいて、性能は到底戦闘に耐え得るものではないが、通常なら実現し得ない機能を搭載しているのであれば、話は異なる。

 見た目こそ奇異だが、騎士団員は間違いなく他のスチームヘッドよりも高位の存在だ。

 それが「ディオニュシウスは<時の欠片に触れた者>と似ている」と言っている。


 脳裏に誰かの声が響く。アルファⅡモナルキアに装填された無数の人格記録媒体の声が。

 ……アポカリプスモードは、原則として、絶対に解放されてはならない……。


 全ての糸が繋がるまで時間はかからなかった。

 手遅れであることは見るまでも無い。

 平穏な時間軸は既に事切れて、屍をさらしている。

 それらは最初から撓みの無い首吊りの縄で、そこにはとっくの昔に、世界が吊るされていたのだ。


「ミラーズ。急ごう。手遅れの世界が増えてしまう前に」


 背中を押してミラーズに囁きかける。

 金色を髪をかき上げて、香りを嗅ぎ、それからまた泣き出しそうな声で「急ごう」と繰り返す。


「心配してはいけません」ミラーズは慈しむ声で唱える。「何があっても、大丈夫だから。あなたが恐れるのであれば、幾らでも歌を歌いましょう。ずっとあなたの傍にいて、その手を握り締めましょう。だから、お願いーー思い詰めないでね、リーンズィ。あたしの一番新しい愛し子……」


「私たちは、そう。きっと何があっても大丈夫」


 リーンズィは弱々しい声で頷いた。そして目を伏せた。


「でも私たちの外側は、違うのだ……」


 ライトブラウンの髪の少女の内心に芽生えたその迷妄を振り切るようにして、ミラーズは高らかに声を張り上げる。

 歌に誘われた貌の無い騎士は前進を再開し、刃の傘となって塔の存在を否定していく。

 リーンズィは意志決定の優越により統合支援AIを呼び出し、震える声で問うた。


「ディオニュシウスの出現と消滅はーーカタストロフ・シフトの応用だな?」


 カタストロフ・シフトはアルファⅡモナルキアに固有の機能だ。自身に高危険度の悪性変異体の因子を埋め込み、任意のタイミングで発芽させて、<時の欠片に触れた者>による機械的な隔離処置を利用し、滅亡した異世界への移送を強制させる。ミラーズというアンカーを持たないリーンズィが使用すると自殺行為と成るが、極めて特異な機能だ。


「一方でディオニュシウスは、それが単独で出来る。自分の意志で転移が可能なんだ」


 即ち時間枝の能動的移動が可能なのだ。

 この点ではあの悪性変異体、七つの眼球を持つ炎上する影と類似である。

 ユイシスのアバターは、ミラーズと同一の、それでいて、本来優しげな顔立ちの彼女とは決定的に異なる冷笑的な美貌で、『肯定します』と耳打ちする。


『ディオニュシウスと貴官の差異として、ディオニュシウスは可能世界に対し、独力でアンカーを投じ、世界間移動を実行可能です。正確に言えば、応用であるのは貴官のカタストロフ・シフトの方です』


「単独で時空間を移動出来るが、しかし何の標も無く時間枝という大海に乗り出すことは出来ない。使用するアンカーは『キジール』……ドミトリィが生涯にわたって思い続けた、彼の罪だ」


『肯定します。ディオニュシウスは近似する可能世界の彼女、特に生命の危機に瀕している分岐宇に対して無作為に転移します』


 塔の不滅者ヴェストヴェストが塔の津波となって押し寄せる度、致命的な衝突と破壊を経験する前に、ディオニュシウスが相手から見て完全に死角となる場所に出現して、攻撃を受ける前に反撃を実行する。

 目に見える現象は、それだけだ。

 単純に過去へ遡って結果を書き換えているようにも見える。


「しかし、この理解も正しくないのだ」


 貌の無い騎士の受け止めきれなかった瓦礫を、ガントレットで打ち払う。


「直接過去へ跳躍しているわけでは無い……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 リーンズィは今や全ての真相を見通している。

 ディオニュシウスから送られてくる謎の行動ログは全て『彼が実際に実行してきた任務』なのだ。ヴォイド=ドミトリィ=ディオニュシウスは、リーンズィを守るために行動しているわけでは無い。

 さらに言えば、自分自身が攻撃されたことに対する報復として攻撃を実行しているのとも異なる。

 鍵となるのはアンカー、目指すべき座標として設定されている彼の花嫁の同位体……ミラーズだ。

 ディオニュシウスが斃れればミラーズに危害が及ぶ、その可能性を検知した近隣の可能世界のディオニュシウス……それがドミトリィなのか、他の何かなのかは分からないが……それがミラーズを救助するために、どこかの世界から転移してくるのだ。

 それすら正確では無い。

 ディオニュシウスは、ありとあらゆるミラーズ/キジールを守るために、時空間を跳躍し続ける。

 今・ここなどという縛りは無い。

 射程は無限だ。

 即ちディオニュシウスとは、単一にして無限の群体。リーンズィたちの前に現れて塔を打ち払うのは、時間連続体を観測する変異体、ウィルオーウィスプの燃え上がる炎の目を手繰って、無限の可能性世界のいずれかからミラーズの救援のため転移してきた、連続性すら定かならぬ、同一にして異なる、見知らぬわけもない、名状しがたい存在形式の()()なのである。

 おそらく彼らは、どこで、どのようなミラーズが、何故危機に瀕しているかといった事情は、一切斟酌しない。ただ可能性を無作為に抽出して、無限回の試行を行っているのだとリーンズィには分かる。


 途方も無い能力である。目的達成のために、近隣の可能世界から自分自身を招集できるのであれば、ディオニュシウスを撃破する方法は事実上存在しないことになる。まさしく無限の軍勢、欠けることの無い狂気の赤い月のようである。誰も天体から逃げることは出来ない……。

 ケットシーですら斬りかかるのを躊躇うのであるから、その脅威度の異常性は疑う余地が無い。彼女がそれを実行に移したとき、どうなるのかは分からない。

 ヒナが可能世界を見通して数瞬先の未来を確定する前に無貌の騎士が首を刎ねるのか、それともヒナがその可能性さえ見越して先手を打つのか……。


『推測。最も恐ろしいのは矛盾し合う二つの能力が相互に連鎖して、無限の分岐を生み出してしまうことです。ヒナを殺害するために数十億のディオニュシウスが現れるかも知れません』


 ただし、これらの人の領域を逸した性質すら、アポカリプスモードの本質では無い。


「ユイシス。どうか君に分かるのならば教えて欲しい。ーーディオニュシウスが転移するのは、彼女が、ミラーズ……キジールになる少女が存在する座標のみだろうか?」


『肯定します。アンカーを用意しなければ、転移自体が不可能です』


「そう。それじゃあ次の確認……」


 リーンズィはからからになった喉に、唾を流し込む。


「転移先の世界に、不死病が存在するかどうかは、識別している?」


『否定します』


 怜悧な声で統合支援AIが耳を甘く噛んでくる。


『ディオニュシウスが識別するのは、彼の花嫁の存在の可否と危機のみです』


 これで確定した。

 ディオニュシウスの本質は、不死病という概念の播種にこそある。


 不死病は、伝染する。

 不死病がどのような病と結合して、変異がどれほど進んだかによって程度は上下するが、不死病患者、ひいてはスチーム・ヘッドが活動しているだけでも、周囲の健康な人間に感染が及ぶ可能性がある。

 アルファⅡモナルキアのように重外燃機関の冷却に大量の血液を使用する機体はそれだけで危険だ。

 全身が不死病による重篤な変異を迎えているステージ2、悪性変異体においては、感染拡大のリスクはステージ1の比にならない。

 悪性変異体が忌まれるのは、単にその戦闘能力や外観の無残さに依るものではない。

 出現すれば爆発的に不死病による汚染の拡大を加速させるからだ。

 そしてそこがリーンズィのカタストロフ・シフトと、ディオニュシウスのカタストロフ・シフトの決定的な差異であった。

 リーンズィの場合、使用するのはあくまでも偽陽性反応であり、実際に悪性変異を起こすことは無い。さらに、実際の移動経路を用意する<時の欠片に触れた者>は、滅亡後の世界を選択してくれる。

 移動先の世界は既に滅亡しているがために感染が拡大する恐れは無く、防疫措置を講じる必要も無い。


 だが、ディオニュシウスには、転移先の世界を保護するための機能は一切備わっていないのだ。

 複数の悪性変異を組み合わせたディオニュシウスが、不死病拡散のキャリアとして優秀なのは疑いようも無い。悪性変異体と接触すれば即感染するというわけではないにせよ、花嫁を救うという到達不可能な目的に対し、試行回数は無限に積み重ねられている。

 いずれかの可能世界においては、やがてキジールとなる少女、それに害を成す者を斬り、その人物を不死病患者として蘇生させているはずだ。

 あるいは己の花嫁の同位体さえも汚染しているかも知れない。

 さらには、その世界から退去する際の手順にも疑問が残る。

 例えば自身を構築する要素を分解して消去、量子化された情報のみを別の時間枝に転送して肉体を再構築している場合、去った地には不死病で汚染された微粒子が充満することとなる……。


 単に因果率を歪めているだけではない。

 事態はより深刻で、悪質だった。首無しの騎士が己の妄執を叶えるために転移を重ねれば重ねるほど、彼の花嫁を救おうとすれば救おうとするほど……近接する可能世界のうち、特に汚染の進んでいない領域が、崩壊していく。

 大抵の世界には不死病の因子が存在している。どの世界にも不死病が発生するリスクはある。

 だがそうした病や混乱とは無縁のまま終焉を迎える時間枝も、やはり無限に存在すると想定される。

 ディオニュシウスが現れた時、そうした本来なら清浄であるべき時間枝が、彼の花嫁の同位体を有するという理由だけで、自動的に汚染されてしまう。永久に不死の病などと言うものは出現しないし、それに起因する破滅的な最終戦争が勃発することもない、そんな安寧の宇宙が、ディオニュシウスが立ち寄ったと言うだけで、歪められてしまう。

 人の在り方が、尊厳に対する攻撃も同然の方法で、果てしなく歪められていく……。


 汚染され、呪縛され、その地は終わらぬ不死に冒されるのだ。

 なるほど、近似の可能世界を利用した因果律改変による局地殲滅は、完璧だ。

 撃破不能、移動経路特定不可の悪性変異体をコントロール出来るのならば、戦力としてこの上ない。

 だがその本質は戦闘では無い。

 ()()()()()()()()()


「アポカリプスモードは……」


 リーンズィは震える舌で、唇を、己の汗を舐め取る。痺れるほどに甘く、そこでようやく自分が、恐怖していることに気付いた。

 しかし、意を決して、己自身に刻み込むように、結論を舌先に結ぶ。


「アポカリプスモードは、不死病を、他の時間枝にまで伝播させるために存在している……。そうなのだな、ユイシス。見も知らぬ人間たちに、不滅と不朽を約束する。不滅であることを押し付けるための機能なんだ。回避不能の災厄を! 復活と審判、死と復活の運命を、無差別にばらまく……。その担い手を生み出す性質こそが、アポカリプスモードの本性だ……強力な変異体を生み出すのは副次的な機能に過ぎない」


『肯定します。よくできました、と言いましょうか。よしよしでもしてほしいですか。まぁ五十点ぐらいの回答ですが』電子の精霊、ユイシスは両手を広げて微笑んだ。『()()()()()()()()()()()()。それこそがアルファⅡモナルキアの使命なれば、この程度は序の口と申告して差し上げます』


「そうだとしても、到底、許容できない。不死病の猛威を無関係な世界にまで射程に捉えてはならない。その道を選ばなかった世界を、我々は保護しなければならない……!」


 リーンズィは決然として言い切った。


「一刻も早くこの非人道的な現象を停止しなければ。ウンドワートを援護し、早急にディオニュシウスの失活化を実行する」


 その時、背後で剣戟の音が響いた。

 見れば、ケットシーがダイ・カタナを抜き放ち、解放軍のスチーム・ヘッドを切り裂いている……。

 リーンズィは声を荒げて静止したが、よくよく見ると、それはスチーム・ヘッドではない。

 真っ二つに切断されたはずの機体は即座に復元を実行し、『行動を停止させていなかった』という仮定でしかあり得ない場所へと瞬時に移動して、再度ケットシーに接近しつつある。

 新たな不滅者、猫の戒めから解き放たれた存在だ。

 スチーム・ヘッドにしか見えないが、それら謎の機体群は、塔の影から泡のように湧き出しつつある。


『推測。ケルゲレンたちの側で何か動きがあったのでしょう』


 ケットシーが、飛びかかるその機体へもう一太刀を浴びせる寸前、奇怪なことが起こった。

 不滅者が消えた。

 やや遠間にいたはずの旗持ちの騎士団員がケットシーのすぐ傍に移動しており、そして赤い竜の旗の穂先で、不滅者を刺し貫いて、高く掲げている。

 何が起こったのか、リーンズィの目にも映らなかった。

 さしものケットシーも人形のような顔に冷や汗を浮かべている。

 ただ突然に、結果だけが出現していた。

 渉猟騎士団は、旧型機だ。とてもオーバードライブが可能な機体には見えない。

 仮にそれを起動していたとすれば不滅者たちも同速度で動作を開始していたはずだ。

 だがそのような形跡は一切無い……。


『推測。該当機体は時空連続体の運行を何らかの機能で停止したものと推測されます』


「時間を止めたということか?! そんなことが可能なのか?!」


『出来ているため、可能なのでしょう』


「ヒナよりも速い……?」ケットシーは不服そうに呟く。「嘘。ヒナの方が速いもん」


【助力が必要と判断する】


 不滅者を遠心力で遠くへ放り、片手だけのジェスチャーとパントマイムで伝えてくる。


【その悪性変異体にさらに変異されては問題になる。必要ならば我々は、我々を招聘する。救援要請を受諾する準備は出来ている】


 新たに出現した猫の戒め、スチーム・ヘッドの不滅者の群れは、見るからに反応が鈍かった。

 復元機能を使おうとも取るに足らない。下手をすれば非戦闘員ですら封殺できるかもしれない。

 不滅者になれば生前よりも能力が低下するという言説は正しいようだ。

 ヒナにせよ騎士団員にせよ、これらに後れを取ることはあるまい。

 ただし、如何せん数が多い。

 無数の塔、無数の影から、数え切れない数の不滅者が湧き出てくる。


「恩に着る。助力を要請する。ヒナ、その騎士とともに防衛を!」


 ケットシーは先手を取られたことが余程堪えたのか、無言でカタナの柄を握り締め、返事をする代わりに数体の不滅者を瞬きの間に切り捨てた。

 手足の末端を斬るのみ。復元を実行させない精妙な剣捌きは、しかしオーバードライブに頼るところでは無い。

 騎士団員はその動きを興味深そうに観察していた。

 そうして、不意に旗を掲げ、目には見えぬアルゴナウタイの船に向けるが如く、旗を振るった。


『不明なスチーム・ヘッドの出現を検知しました』


 それらの軍勢は音もなく、光も無く、気配も無く、静謐のうちに訪れた。

 乱立する塔の一つに旗が棚引く。張り付いた兵士の、片方の手には槍。

 生身の単眼を一つだけ備えたヘルメットが地表を睥睨している。

 無数の不滅者が越冬雀の早贄めいて塔に串刺しにされている……。

 音もなく不滅者の背後に現れて甲冑の手で手足を引き千切り、アスファルトにばらまいている影がある。

 装甲の施されていない蒸気甲冑の下で肉の管が蠢いているのが見える……。

 高速移動型の不滅者は、止まった時間の中で追い縋って羽交い締めにされ、首を捻られ、ヘルメットから吐き出した管で脳髄を冒されている。

 両腕は鎧の圧迫で圧壊。

 騎士団員の胸の中、復元をするための空間自体が封殺されている……。

 オーバーフローを迎えた不滅者たちは煙を噴き上げて溶けて落ち、猫の形をした幻想がくるくると宙を舞い落ちて着地する。

 それから暢気に伸びをして、どこかに去っていく。


 不滅者たちは無力だった。

 何かをする前に淡々とこの不可思議な軍勢、ウェールズ王立渉猟騎士団によって無力化されていく。

 奇妙な兵士たちが、瞬殺無音の現象を引き連れて、次々と集結しつつある……。

 時間移動ーーそして、時間停止。

 考えてみれば単純な権能だった。

 鋭敏な感覚と可能世界の選択によって、後の後からでさえ先を取るケットシーが、一度でも背後を許してしまったのだ。

 それもあの瞬間、実際に時間が止まっていたのだと考えれば説明が付く。

 予測としては荒っぽく、些か荒唐無稽ではあるが、このような機能でも無ければ、<時の欠片に触れた者>の追跡など到底叶うまいーーしかし、この程度の機能では、やはり、叶うまいという憐れみも覚える。

 結局の所、彼らもまた、永久に届かない目標に向かって飛翔する、無謀なイカロスに過ぎないのかも知れない。

 須臾の剣士、不滅の軍勢、時間軍とでも言うべき異形が、吹き荒ぶ塔の嵐の狭間を駆け巡る中、リーンズィは己のが生み出した怪物を止めるために、嵐の中央部に向かって進み続けた。

 災厄を撒き散らす花嫁の騎士、無貌のディオニュシウスを先頭にして、聖なる乙女に手を引かれ、虚無の中枢へと、一直線に……。


 かくして、<首斬り兎>討伐に始まる一連の混乱は、にわかに混沌の坩堝、決戦の様相を呈し始めていた。

 程なくこのクヌーズオーエは戦火に飲まれ、四方世界は破滅の渦へ落ちて行くだろう。

 しかし、世には確かに存在するのだ。

 そうあれかしと望まれて産まれた、調停のための、真なる聖女が……。

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