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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション2 スヴィトスラーフ聖歌隊 大主教『清廉なる導き手』リリウム
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2-12 祭礼のために その3 赤涙兎の騎兵隊

『どうして私とあんたが戦っているのだか。因果なものよね、目指してる場所はきっと一緒だった。でも道は同じじゃ無かったわけ。あんたはそこで永久に戦う方を選んで、私はここから永久に進み続ける方を選んだ。そんなガラじゃあないけれど、話し合うことをしていれば、今頃同じ側に立ってたのかもしれないわね』


 独白する赤い瞳は敵を見ない。

 全ての動作は彼女が敵を認識する前に確定している。

 赤く発光するレンズに映じるのは、コマ落ちしたフィルムのように不可解に蠢く狼の騎士。

 変異体・不朽結晶併用型スチーム・パペット、フェンリル型ベルリオーズ。

 極小範囲で展開されたケルビムウェポンに焼灼された異形が炎に飲まれて黒く淀んだのは刹那、揺らめきと共に復元を完了している。復元と攻撃姿勢の変更は同時であり、正常な人間の知覚ではその不自然かつ急速な変移に対応出来ない。

 赤い瞳は光を映さない。

 装填された不死病筐体(ファウンデーション)生体CPU(リアクター)は、敵を認識しない。

 理解しない。

 判断しない。

 そもそも加速度に耐えきれず身体は圧壊している。

 だから、ウンドワートの魂はそこにない。

 ただ頭部から兎のような二本のセンサーポッドが僅かに蠢いた。


 現実を理解する必要が無い。全ては三十基もの人工脳髄による環境シミュレーションが理解する。

 数百倍に加速された時間の中で行われる予行演習/事前意志決定/人知を越えた不可知速度領域への突入。

 それは機械たちの時間。

 0と1で組み上げられた静謐の領域。

 そこに人間性が介在する余地は無い。


『正直なところ、あんたと私にそこまで差があるとは思わないわ。性能には大きく差があるけど、精神性って言うのかしら。あんたは抑止に拘った。私は……強い自分を維持することに拘った。どうして私が不滅者になってないのか不思議なぐらいよ』


 独白を聞く者はいない。

 その世界にはウンドワートしか存在していない。

 彼女の人工脳髄にのみ浮かぶ泡のような思念。

 兎の騎士は赤いレンズから涙の如く光を漏らしながら、静止した世界を勇躍する。

 全ては虚構、全ては虚像。

 夢が終わり、現実が始まり、虚構に描かれた絵図が現実の爪痕を刻み込む。

 完全架構代替世界触媒式先進的破壊事象干渉。

 オルタネイティブワールド・カタストロフ・オペレーションだ。

 それはウンドワートに搭載された三十名分の人格保存媒体(アイ・メディア)装填済人工脳髄、その超高度演算装置に匹敵する処理能力に任せて生成される現実世界の完璧な写像。

 ウンドワートは夢を見る。テクスチャを簡略化された灰がかった街並み、抽象化された瓦礫と標識の群れ。解決すべき主要な課題である狂乱の大鎧、不滅者ベルリオーズの周囲には、既知の行動パターンに関するタグが無数に貼り付けられ、そこから派生し得る攻撃のうち、蓋然性の高い最初の一手が、数十ほど重なり合った状態で表示されている。


 一切が静止していた。一切が虚像であった。


 夢の中で狩りをする。デイドリーム・ハント。蒸気甲冑の頭部のセンサーポッドや、全身に配置した観測素子で収集した情報から人工脳髄が組み上げた電子の代替世界。午睡の夢の殺戮の箱庭。ウンドワートの意志と思惟を無視しては誰も眠らず、誰も一つの言葉も紡げない。

 現実世界の選択的写像であるこの演算領域において、ウンドワートは絶対だ。この代替世界の幾ばくかの刹那を垣間見、好きなだけ巻き戻して自分の取るべき解を選択し、善き狩りを楽しむ。

 どれだけスチーム・ヘッドが加速したところで機械たちが夢見る戦術的判断の一瞬の閃きと比べれば止まっているのと同じだ。

 望むがままに未来をデザインしたならば、あとは確定させて目覚めるだけ。

 赤い瞳は何も見ない。すぐに潰れて、眠ってしまう。

 兎を模した大型蒸気甲冑が胎内に格納した不死病筐体の耐久性を度外視した極限加速を実行する。ベルリオーズは鎧を鎖鋸のように組み替えて周囲の建物ごとウンドワートを轢断しようとしたが、ついにその切っ先は何を切り裂くことも無い。ウンドワートは建造物群の狭間を縦横無尽に跳ね回り、死角から重外燃機関を引き裂き、胴体をケルビムウェポンで焼灼し、一繋ぎの輪となった連結刃の装甲群を、紙切れのように裁断する。


 ウンドワートが吠え猛る。『曲芸師の真似事は終わったかぁ?! いい加減に戦士としての意地を見せればどうじゃ? 犬ころにそんなプライドがあるならばの話じゃがのう!』


 その言葉に熱は無く、心は無く、魂は無く。一瞬の静止のあと、目覚めて、夢を見る。夢から覚めて、敵を狩る。狩りの最中にまた眠る、壊して、壊して、壊し続ける……。


 割って入ろうというものは一人もいなかった。ただその完璧な合理性に裏打ちされた破壊に魅了された。

 誰もその動きに追いつけない。意識や推測が及ぶことさえ無い。

 人間という存在は、遅い。

 遅い時間に囚われて生きている。

 根本的な問題として、人体を構成する機器は、人間性を超えた領域に対応していない。例えば外界を受容するための『見る』という行為それ自体に、耐え難いほどの遅延が存在する。水晶体が光を捉えて網膜に投じ、パルスが視神経から左右の大脳視覚領域に到達し、さらに脳髄のそこかしこに情報を伝達。補正された情報が、意識を実行する主体へと入力されるのだが、この時点で実に20ミリ秒以上。そこから如何に身体を操縦するかについて判断を下し、改めて全身の筋肉へと信号を送らなければならないため、最終的には人間が理解する現実と絶対的に存在する客体としての世界は大きく乖離する。

 無論、人間たちの時間を基準とした都市、人間たちの可知世界では、その程度の遅延は何の問題にもならない。それが人間たちの時間。死に急ぐことを免除された安逸だ。


 だが破壊的抗戦機動に突入した戦闘用スチーム・ヘッドならば、20ミリ秒もあれば敵の抵抗能力を削いで首を刎ね、人格記録媒体を破壊してもまだ猶予がある。

 ウンドワートはさらにその上を行く。一連の連続破壊を実行する時間は、恐るべきことに3ミリ秒にも満たない。執拗にシミュレーションを繰り返し、数度の試行でベルリオーズの言詞甲冑を最高効率で破壊するルートを確定。静止した電子の箱庭で朦朧としながら思い出を紡ぐ。


『最強の座をかけて争ったことなんてどうせ覚えていないんでしょう。お互い死に損ない、お互い勝ち続けるしか能が無い粗大ゴミ、仲良く出来るかもしれないと思ったこともあったけど、結局はこうなる』


 白昼夢は閉じ、現実が開き、そして赤い瞳は何も見ない。未来予測演算を利用して最適な攻撃パターンを入力すれば後は何もしなくて良い。フレームを策定して超高度演算装置を補助することこそが、最大戦闘能力を発揮する段階において、彼女が担うべき役割の全てだ。

 ウンドワートの影が閃光となった瞬間に何が起きているのか、その場にいる誰にも正確に理解出来ない。人間たちの時間はこのレベルの動きを解釈できないためだ。

 機械たちの時間は、人ならざる身でありながら人間の時間に囚われている狼の騎士ベルリオーズにも当然反応不能だ。主観時間ではほぼ同時に撃ち込まれた複数の致命の一撃に『ぎ、が……?』と唸り声を漏らす。


『遅い遅い遅い遅い! どうしたベルリオーズ、浅ましい猫の奴隷に成り下がったと聞いたが、猫というのは然様にのろまで、情けない生き物だったかぁ!?』


 その嘲笑の声すら事前に設定したもので、リアルタイムで発声しているものではなかった。ウンドワートの魂は眠っている。思考が可能な状態では無い。極限加速の加重と震動によって彼女の生体脳は著しく損壊し、生体CPUとしてはまともに機能していない。

 全力を発揮する場合、ウンドワートは思考判断から動作実行までの全行程を人造脳髄と蒸気甲冑に依存した機体にならざるを得ない。最大加速度でのデイドリーム・ハントの後に発される言葉は全て完全架構代替世界でリハーサルした行動をなぞったお遊戯に過ぎない。

 これも三十名分もの人格記録媒体装填済人造脳髄を超高度演算装置として利用しているからこそ出来る荒技だが、だからこそ生体CPUが存在としてあまりに無力なことが浮き彫りとなる。

 人間とはしょせん、その程度のものだ。生得的に与えられた領分を超えられない。本来的には、何十倍にも加速するような不自然な挙動は実装不可能だ。そのような力が出せるように設計されてはいないし、仮に実現可能でも壊れてしまう。


 戦闘用スチーム・ヘッドならば、勿論事情は異なる。

 使用している不死病筐体(ファウンデーション)も結局はヒト由来のものに過ぎない。如何にも脆く儚い血肉である。しかし、不死病の再生と適応の特性がそれらを解決する。破壊的抗戦機動の回数を重ねる毎にその致命的な過負荷に順応していき、やがて生体脳の神経伝達経路は最適化され、神経網すらも不朽結晶を含んだ高速通信回線へ置き換えられていく。さらには人工脳髄も超高速機動の演算を補助する。

 だが、それら超人的な身体運動も、所詮はヒトの枠内に収まるものだ。

 ただ限界に肉薄するのみで、臨界点を突破することはついぞ叶わない。


 あるいは不死病筐体自体は、いつか変移の果てに人類を超越するだろう。陥穽はむしろスチーム・ヘッドに偽りの魂を吹き込む人工脳髄、その人格記録媒体にこそある。不死病筐体で実行されている擬似人格、その抽出元は、人間の粗い感覚器で知覚可能な狭い宇宙しか知らない。

 肉体がどれほど高度化しても、ソフトウェアがそれに対応していない。スチーム・ヘッドは人間の時間の囚人に過ぎず、人間に見えるものしか見えないし、人間に聞こえるものしか聞こえない。人工脳髄で拡張しても、人間は人間の時間からは逃れられないのだ。


 だから、ウンドワートは赤い瞳は何も見ない。

 現実など必要ない。人間たちの時間は遅すぎる。


 必要なのは機械たちの時間だ。


 再生を遂げた赤い目が開かれ、景色を写す。その瞳は何も見ない。


 生体CPU(リアクター)の再生完了と同時にウンドワートはデイドリーム・ハントを即時再発動。写像の王国に一人佇むウンドワートは、現とも幻とも言えない浮遊感の中で周囲の環境から取得した情報を精査し、ボロボロに引き裂かれたベルリオーズの姿を確認した。未来予測演算通りの結果だ。一度行動を確定させてしまうと実際の経過がどうなろうとも全工程が終了するまで止まらないのがデイドリーム・ハントの難点だが、こと不滅者との戦いにおいては不利益にはなり得ない。


『悲しいわ、悲しいわ。以前のベルリオーズなら私のデイドリーム・ハントにも少しは対応してみせた。腕の一本は切るのを免れたり、脊柱まで断ち切られるところをギリギリで食い下がったり……だけど残念ね、数えるほどのパターンと反射的な迎撃行動しか取り得ない不滅者だもの。もはや少しの智慧も働かない』


 ウンドワートは嘆息する。実際にはその世界に肺はなく、口はなく、呼吸すら存在しない。あくまでも感覚的なものだ。同時に限りなく現実的である。


『不滅者のオーバードライブは他の不死病患者に相乗りしたもの。最大出力ならば人工脳髄だけで稼動出来るのがデイドリーム・ハントなんだから、その機動には干渉できないのが道理。分からないでしょうけど、ベルリ、最初から勝負になってないのよ。もうどうしたって私の独壇場になる』


 ウンドワートが独白している間にも、写像の世界は未来の鏡となって眼前に立ち現れる。右腕の関節を延伸させたベルリオーズが泥のようにまとわりつく空気を割り進んでくる様が在り在りと見えた。のたうつ右腕はフェイントを交えつつ自分の左腕を掴んで引き千切り、射程を単純に倍加させ、ウンドワートをその旋回半径に捉える。刃の鞭で胴体を捉え、絡め取って、ウンドワートにアームの先端を打ち込もうとしてくる。


『はい、リテイク。あと何万回でもそれやってて』


 ベルリオーズの状態がデイドリーム・ハント発動の初期位置に巻き戻された。かなり高い精度ので未来予測が得られたが、基本的にベルリオーズよりもウンドワートの完全架構代替世界触媒破壊による行動の方が速い。極めて物理的に、シンプルな意味で速度が違う。

 てらいもなく殴りに行っても全く問題無いと兎の騎士は判断する。

 だいたい、とベルリオーズの行動を呆れながら品評する。猛烈な勢いで行動し続けるがために対手は怯み、迎撃に際して混乱してしまう。だが丁寧に動きの所作を解体して分析すれば、最短経路での最大破壊を狙うばかりで、それ以外の行動の派生、例えば反撃された際の行動パターンなどをまともに用意していないのがあからさまに分かる。

 つまり最後の粛清戦以来何の進歩もしていないのだ。いちいち創意工夫に富んだ応答を返すのも馬鹿らしくなり、ウンドワートもまた定石通りのパターンを入力して応戦する。

 夢が閉じ、現実が開く。

 赤い瞳は何も見ない。


『遅い遅いッ! 欠伸が出るぞベルリオーズ! そんなにナマスに刻まれて市場に並べられたいかぁ?!』


 アルファⅡウンドワートは先行入力された通りに音声を発しながら、世界が瞬きをするのと同じ速度で懐へ飛び込んでいた。カウンターで繰り出された大型蒸気甲冑の左の爪が、異形の狼の胴体を貫き、同時に射撃の委託先を確保。右腕を頭部から破砕して、顎部へと電磁加速砲の銃身を突き刺して、ケルビムウェポンの磁場安定器を射線に捉え、体内に向かって不朽結晶弾頭を乱射。ベルリオーズと弾頭の間に結晶純度に大した差はないが、本来なら不死病筐体が存在するべき部位へ執拗に弾丸を送り込む。

 通常のスチーム・ヘッド戦ならば既に決着が付いているレベルの速攻である。ベルリオーズは抵抗しない。あまりにもウンドワートの攻撃が速すぎたため、自分が破壊されたことに未だ気付いてすらいない。

 そして、そこまでの行動を終えても赤眼の兎の騎士は、己の時計を止めていない。不朽結晶装甲の第一層がベルリオーズの粘菌流動人工筋肉と癒着する前に、理性的な動きで以て退いて、背後から迫るベルリオーズの刃の鞭へと自分から接近。五本の爪をピアノ演奏者の如く振るって切断する。


『見えるぞ見えるぞ、止まって見える……どうしたベルリオーズ、情けないではないか。犬死にするのが趣味になったのか? ならば犬ころらしくくたばって、そこで無様に果てるが良い!』


 崩れ落ちるベルリオーズを前にして、しかしウンドワートは自分が何を言っているのか理解していない。これもまた全てはデイドリーム・ハントの最中に先行入力した通りの記録音声だ。

 全自動連続攻撃を解除したウンドワートは一時半自動モードに切り替わり、鎧の内部での生命管制を重点強化。圧壊した不死病筐体の肉体再生を開始。一方で熾烈な連続攻撃を受けたベルリオーズの言詞甲冑は、同時に複数箇所を破壊されたことで多重構造連鎖恒常性(リダンダンシー)が崩壊していた。狼を模した、もはや狼とも言いようのないガラクタの大型蒸気甲冑は、捻れて歪んで膝をつき、行動を仮初めに停止させている。今や見る影も無い。何の価値も無い瓦礫の山に過ぎない。不死の実態を知らぬ幸せなものからすれば、それは命潰えた残骸だ。


 だとしても、滅びることは決して無い。

 それが肉体ではなく己の使命(オーダー)を真実、存在継続の礎として、人間としての言葉を捨て去り、大主教ヴォイニッチの祝福を受け、宿命と契約した存在ーー不滅者(テスタメント)である。


 しかし、復元も、破壊されて即座にもたらされる奇跡ではない。どれほど恒常性の構造を複雑化したところで、根本的の部分は通常の不死病患者のそれと共通している。無体な破壊に対しては処理が追いつかなくなり、相応のエラーが生まれるものだ。ウンドワートがそうしてみせたように、タイムラグ無く、複数箇所を同時に破壊してやれば、言詞甲冑の恒常性は必然として極度に掻き乱される。

 不滅者を破壊しても、その破壊の可能性を回避した攻撃姿勢に切り替わるだけで、何の意味も無い。確かに一面では正しいが、それは不滅者を過大評価しているがために生まれる言説である。

 復元と攻撃姿勢の変更が同時に発生するにしても、聖句がその綻びを繕うには幾ばくかの時間が必要となる。聖句による指令言語によって存在の核を肉体の外側、蒸気甲冑、あるいは信念や目的意識といった抽象的な概念へシフトしていると言えども、基本的には指令言語は人間の言葉であり、必然として肉を重視する。やはりその総体を維持している要素として、架構の身体が貢献するところは大きいのだ。

 それ故にオーバーフローを起こすまで徹底的に攻撃を加えれば、言詞装甲の破壊から再構築が完了するまでの間に相応のタイムラグが生じる。

 加えて、ベルリオーズ自身は何のパターンが成立しなかったのか分析できないまま、復元を終えてしまう。機械的な反射に終始するしか無い不滅者にとってこの情報欠落は致命的だ。


 やがてエラーは積み重なり、復元完了までの所要時間は漸次増加していく。


 今はまだ僅かなその猶予に、ウンドワートに納まるか細く儚い生体CPU(リアクター)の再生を急ピッチで進める。

 無論、その動作が間に合うことまで含めて、とっくの数ミリ秒前に未来を演算済だった。


 敵の復元が実行されるまでの間に鎧の内側に収めた不死病患者を元通りに仕立て、ベルリオーズが攻撃姿勢に入った瞬間にデイドリーム・ハントで未来を演算し、加速して打ち倒す。

 その反復だ。しかしこの絶え間ない破壊は不滅者狩りにおける定石である。



 ウンドワートはベルリオーズを完膚なきまでに圧倒していた。誰の目にもウンドワートを捉えられないが、ベルリオーズが一方的に木っ端微塵に吹き飛ばされる瞬間だけは認識される。その強固な認識が、ベルリオーズが敗北する瞬間の観測の積み重ねが不滅者ベルリオーズを弱らせていく。


 デイドリーム・ハントの最中、ウンドワートはリーンズィが『何故ベルリオーズはピョンピョン卿に反応出来ないのだ? ……出来ないの?』と問いかけているのを発見した。

 ピョンピョン卿じゃないもんその渾名吹き込んだの誰だ殺すぞと若干拗ねながら情報共有の行動を先行入力する。


 不滅者は大気中に存在する不死病因子、あるいは不朽結晶粒子で仮初めの身体を構築する実体ある幻想だ。言葉で編まれ、存在核で我が身を承認し、目的を達成するまで活動し続ける。物理的実体を持った再帰的な構造を持つ<原初の聖句>と呼んで差し支えなく、不滅者の言詞甲冑を観測することは、即ち原初の聖句を浴びることに等しい。言詞甲冑は総じて『言葉』と『認知』、『承認』の聖句特性を持つため、スチーム・ヘッドがただ認識するだけで害となる。不滅者はスチーム・ヘッドの演算を自分自身にも適応し、擬似的なオーバードライブに突入する。誰かが二十倍の加速度を維持しているならば当然二十倍に、三百倍なら三百倍に合わせてくるのだ。


 だが純粋な機械たちの時間、その0と1が支配する生命無き静謐の世界に、テスタメントの生者の「ことば」は侵入できない。アルファⅡモナルキアは予想外にも不可侵のプライベート空間に入門してきたが、あれはあの機体の電子戦闘能力が異常すぎるだけだ。


 リーンズィは『そういうもの?』と首を傾げていた。かわいい。そんな場合では無かった。


 ベルリオーズを壊して、壊して、壊して、壊して、壊し続ける。たまにデイドリーム・ハントの中でリーンズィをちらと確認し、清廉な潔癖さと仄暗い色彩の入り交じる味わい深い美貌に憧憬の色が混じっているのを確認してウンドワートは深い満足感を覚えた。

 襤褸屑のように刻まれた狼の騎士は不意に知性ある動きを見せた。


『ころっ……殺すなぁあああ……うう……ああ……何故殺す、何故これ以上命を損なわせようとする、あああああああああ? ウンドワート! 思い出したぞ、貴官はウンドワート。我々は争いを駆逐するために生み出されたのでは無いのか? 何故殺し合う? 何故こんなことになっている? 何故だ? 何故? 何故? 何故? 何故? 殺す……殺すなあああああああ!  殺すな! 殺すなぁ! 殺すぐらいなら殺す! 死ね!』


 復元を完了したベルリオーズが、破綻した言葉を吐きながら向かってくる。発言内容に元のベルリオーズの片鱗が紛れ込んでいるのは言詞甲冑の復元能力が飽和してきた証左である。ウンドワートは気にも留めなかった。やることは何らかわらない。未来を予測し、加速した状態から致命打を打ち込み続ける。それだけだ。何せ背後にはリーンズィがいる。彼女をケルビムウェポンのような稚拙な武器で焼かれてはとても耐えられない。彼女はウンドワートにとって初めて手に入れた『強さ』以外の栄光だ。トロフィーの代わりにしているのではないかという煩悶はあったが、しかし破壊の危機に晒されて生じた衝動は、リーンズィのかけがえの無さを強くウンドワートに印象づける。仲間を守るためには全力を尽してきたが、ライトブラウンの髪の少女の、あの甘い呼びかけの声を想像するだけで、全身圧壊の苦痛さえ掻き消えるほどだ。

 この胸の内の炎を失ってしまうこと。それだけは絶対に防がないとならない。

 一方で、僅かな哀憐から、殺戮の箱庭で旧友の残影に言葉を漏らす。


『ベルリオーズ、あんたはもうどういう戦いをしてるのかも分かってないんでしょう』


 苦し紛れの様相のベルリオーズは、またも雄叫びをあげるような姿勢へと自身を復元。ケルビムウェポンの起動を狙ったが、兎の騎士ウンドワートとしては嘆息するしか無い。

 ケルビムウェポン。まさしくどうでもいいような武装だった。


『無駄よ、無駄。それ通じないっていうのも覚えてないわけね』


 デイドリーム・ハントの箱庭で、ウンドワートはごく当たり前のようにケルビムウェポンの発動キャンセルの電磁場を形成。今度は頭部と腹部を切断して別方向に蹴り飛ばすモーションを選択。

 逆に乱れて拡散しかけている電磁場をコントロールして収束させ、ベルリオーズの方を焼却する。

 兎の騎士を卿と呼んで信奉するケルゲレンのような機体はともかくとして、多くのスチーム・ヘッドにはウンドワートがケルビムウェポンを撃ち返したようにしか見えなかっただろう。

 だが実際には異なる。

 ウンドワートからしてみれば敵の形成した磁場は自分の道具に過ぎないのだ。

 ケルビムウェポンの対処は「範囲外へ逃げる」「撃たせない」の二択しかないのが普通だが、そこはウンドワートとしては些か疑問なところだ。

 かつて兎の大型外骨格を与えられる以前には、ウンドワートは、何も持っていなかった。その状態で荒くれどもの供にされたのだ。いっさいは奪われるだけ。力なき者はただ搾取されるだけなのだと唇を噛み、屈辱に耐えるばかりだった。

 だがその暗澹たる日々でもウンドワートにしか出来ない業があった。


 起動したケルビムウェポンの封絶とコントロール。

 完成した磁場に後から割り込み、相転移が始まる前に拡散させ、あまつさえ乗っ取ることまでしてみせる。


 ケルビムウェポンは確かに無敵の矛だ。しかしそれ自体が高価で数が少ない上、発動タイミングが難しく、外せば敗北するというハイリスクな武器だった。勝利を確定させる兵器だというのに勝利が確定した状況でしか安定して使用できない矛盾を抱えている。

 極力使用しない方が良い、というのがウンドワートがいた世界での常識だったため、その技能が活かされる場面は少なかったが、少なくともウンドワートには最初から、どんな状況でも確実に、その炎の刃の切っ先を反転させることが出来た。

 何故これが他者に出来ないのか、ウンドワートにはよく分かっていない。簡単なことではないかと思うのだが、誰も同意してくれない。もしかすると自分の鎧の機能なのではないかとも思うが、ヘカントンケイルたちでも分析が出来ないとのことだった。

 そもそも人付き合いが極端に少ないウンドワートには相談相手があまりいないのだが、とにかく敵のケルビムウェポン発動は、それを打ち消して絶好の隙を作る起点である。


 ウンドワートは万物を焼き尽くす恐るべき火の剣を、あまり脅威と思ったことが無い。

 危ないと思ったのは、アルファⅡモナルキアの一撃を食らいそうになったときぐらいだ。


 直撃すれば生体部分が蒸発させられるので、みんなこの欠陥兵器のことを過度に恐れているのではないか、というのが素朴な感想だった。

 プラズマ形成のための電磁場がせめぎ合う中、狼と兎、二機のパペットは戦闘と言うには些か語弊のある絡み合いを続けた。ウンドワートが一方的に殺害を繰り返し、ベルリオーズは復元して反撃を試み、実際に行動する前に不可知速度で活動するウンドワートに全ての攻撃をキャンセルされる。相手が不滅者でなければ虐殺と呼んでも差し支えの無い図画だ。そして効果は絶大にして完全。

 一つの事実として、ウンドワートが到着して以来、ベルリオーズは殆ど前進できていなかった。

 あれほど暴虐の限りを尽した大型蒸気甲冑が、ウンドワートただ一機に制圧されつつある。


『ウンドワート卿、すごい……かっこいい……とても強いのだな……』


 リーンズィがライトブラウンの髪を戦闘の暴風に遊ばせながら、陶然として呟く。

 それが聞こえてくる。


『あれ誰? 最上級の戦闘能力っぽい。みんなのリーダー? ヒナぐらい強くて立派で人気がある人な気がする……はっ、まさか……こっちの主人公?!』


 <首斬り兎>が何故かヒソヒソ声の電波を飛ばしている。


『あれが一番強くて立派な人。らしい。少し怖いが、ぬいぐるみをくれたり微妙な優しさがある』


 リーンズィの、尊敬の滲む声が妙に耳にこそばゆい。


 そうそう、とっても強くて偉くて無敵で最強な尊敬できるスチーム・パペットなんだからね、と返事をしたくなるが、そんな余裕も勇気もない。 

 何せこの大鎧に収まった状態で、素の口調を聞かせたことがない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という不安が脳裏を過ぎるが、感情は封殺に影響させない。

 不滅者狩り、特に『聖なる猫の戒め』どもの相手は慣れている。

 彼らは強力ではあるが、使徒アムネジア、不滅者<ナイン・ライヴズ>に存在核を仮託することで辛うじて活動可能になる、非常に不安定な存在だ。

 綻びを増大させ続ければ、滅ぼすことは出来ないにせよ、いずれ言詞装甲の維持限界点を突破出来る。

 理論上は殺し続ければ短時間ではあるが無害化できるのだ。


 ベルリオーズは不滅者の中でも格が違う機体ではある。その戦闘能力は圧倒的で、触れるもの全てを壊す断頭台だ。それ故に、他の機体では迂闊に手を出せば壊されて終わる。

 だがウンドワートからしてみれば、ベルリオーズもまた弱者だ。

 見知ったパターンと見知った思考ロジックで活動する、かつての同胞の成れの果てに過ぎない。


 壊す、壊す、また壊す……。連続でのデイドリーム・ハントの負担は大きい。単調ではあるがハードな作業だ。苦行であると言って良い。おそらく作戦終了後は身体不一致のストレスと肉体の感覚暴走、快楽中枢の誤動作により地獄を見ることになるだろう。

 多くの同胞の盾となり刃となり、己の戦闘能力という有用性、絶対強者という立場を維持することは兎の騎士の心の安定にも繋がる重要なファクターだが、それにしても戦闘後の負荷の爆発には耐え難い。


 既にウンドワートの関心は戦闘後の気性の昂りをどう発散するかにシフトしつつある。

 唯一嬉しいことがあるとすれば……と完全架構代替世界の中で、ひとときだけウンドワートはベルリオーズ殺害から離れた。

 空想の中で、兎の騎士の鎧を脱ぎ捨て、リーンズィに抱きついてみる。

 ウンドワートの活躍を眺め、赤く変色した目を少し細めて、疲れたような、安心したような顔をしている。ピカピカだった両手のガントレットはボロボロで、服をまくるとお腹からの出血痕がある。よほど恐ろしい思いをしたことだろう。胸に掻き抱いて頭を撫でてやる。少年のような美しい顔貌にキスをして、躊躇いがちに「せんぱいは、すごいでしょう?」などとはにかんでみる。

 無論、現実にこの行為は確定させない。


 自分が傲慢であったがために、最初の出会いは最悪だった。

 僅差で敗北を喫した後も、ウンドワート自身、率直に言ってアルファⅡモナルキアは警戒していた。

 だがリーンズィの純朴な優しさが心の襞を擦った。

 名前を呼んでくれるときの甘い声音。

 プライベートで温かな逢瀬を重ねるうちに、いつしか、ウンドワートは彼女にとって本当に尊敬される存在になりたいと願うようになっていた。


『大丈夫だからね、リーンズィ。あなたのせんぱいが守ってあげる。遅くなってしまったけど、これ以上怖い想いをさせることはないって約束する』


 そっと囁いて、その言葉は現実世界に届かない。

 跳躍する兎の騎士は、どこか晴れ晴れとした気持ちでベルリオーズに刃を振るい続ける。

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