2-12 祭礼のために その2 シルバー・バレット
自己切断された腕部は大蛇の首の如くのたうち装甲を飾りて生え揃うつるぎの爪がアスファルトを搔くや否や割れ裂けて千々に分かれ地に落ちて砕けた鏡にも似て四散し大小様々の触覚状の器官へ変じ蠢いて地に食らいつき跳ね上がり勇躍/蓋然性の壁は致命の斬撃/相手をただ切り刻むだけの粗野な暴風/虚空を翻る黒いスカートの裾=無垢にして無傷、無数の刃の先端が掠めるも円月の太刀に払われ、返す刃の煌めきが攻守を寸時逆転させる/上下逆一つの軌跡は須臾の時空に身を躍らせる少女の呼吸に応じ己の線引く残光さえも裂いて二つが三つに三つが五つに果ては弧を引く七つの閃光へと変じて致死の首飾りとなり巨人の怪物の腕に巻き付き白銀の装甲を切断痕で飾る/刻まれた腕は虚空へと掻き消え消え去った時間を追いかけるようにして手足の欠けるところの無い組木細工の異形の巨体が迫り関節を引き延ばした手足を四方八方へと伸張/軌道上の建造物は裂かれ先端のクローが錨となって灰朽ちて神錆びた廃オフィスの深奥までをぶち抜いて固定=鈴生りの白刃に少女の黒い眼差しが乱反射する/剣の鏡/剣の鏡/剣の鏡/剣の鏡、剣が連なり八卦を形作り閉じ込められた少女の運命を占う、刃の結界、捉えられた黒髪の少女はただ蒸気の奔流に身を任せ黒い蝶のようにひらりひらりと身を躱しただ蒸気甲冑から噴き出した白煙の痕跡のみが鎧の刃に触れて裂かれ一滴の血も与えることはなく屍蝋じみた肌の美姫の革靴の靴底は刃の腹平らかなる側面を踏みにじり赤らむ膝を撓めるや宙返りをして次々に刃の群れを渡る姿/鳥の骨組み/無毀なる剣/踊る姿は黒羽の蝶/十拳の剣は鏖殺の結界を擦り抜ける=無限の剣、無限の鏡、狭まる剣は鏡面世界に乱反射する日没の地平線、剣の軍勢は光あれと金属の擦れ合う金切り声で賛美を奏で少女を逃がさず結界で引き絞り轢殺せんとベルリオーズは鎧を複雑怪奇に組み替えて結界を伸縮=少女は嗤う、吐息の甘く匂い立つ蒸気を舌先で舐める/背面跳びの要領/迫り来る剣の断頭台/断頭台/断頭台/断頭台……見透かされた未来図/図であれば線を引くべし。可能である世界は全て実現する/死線を歪めて少女は踊る/アシスト用蒸気甲冑のフレームで/柔肌を晒す腕の腹で/切断を免れる角度で脚を絡め/逃走ではなく逃走を結界の内側=絶対必殺の射程圏内=脇に構えたトツカ・ブレード/『かちゃり』と少女の赤い舌先が無音の鍔鳴りを真似る/『蒸気抜刀ーー二重流星之太刀』/不可視領域の斬撃が一重二重と組木細工の騎士の首を寸断する/ベルリオーズの活動が停止したのもまた不可知の刹那/消失と復元/破壊された頭部は破壊されていない/恒常性の回復=授かる意志は『全ての殺傷を撲滅するまで永劫に殺し続ける』/言葉は刻めない/意志は壊せない/無毀なる狂気に疵は無し/ただ一つの願いのために騎士の肉体を不滅が繕う/一瞬前の光景が否定される理不尽=如何なる刃も言葉は断てない/ケットシーは動じない、ただ最適解の未来を引き寄せる。小柄な四肢で反動を付けながら結界を難なく脱出したケットシーに/『殺すな! 殺すな! 殺すな! 死ね! 殺すんじゃない! この俺が止めてやる! だから死ね!』/追撃=無数の傷、無数の欠落、無数の損失は物理法則の帳簿を欺瞞されて流転。不滅であるという暴力に任せた終わらない連撃/未来を見るケットシーの終わらない回避。流麗なる山猫、あるいは首を刎ねる兎の身のこなしで入り組む刃の檻を跳ね踊る。
ライトブラウンの髪の少女、リーンズィは眩暈の錯覚をする。
戦闘経験の蓄積、オーバードライブの倍率がどうという次元では無い。
彼らは明らかに人間存在が留まるべき領域を侵犯している。
リーンズィとて、アルファⅡモナルキアの性質とは別に、普通のスチーム・ヘッドにはない機能を持っている。
別の終局世界への跳躍を果たすカタストロフ・シフト、『見たいものを見る』絶対知覚のヴァローナの瞳。
ただ、それらはあくまでも少女の肉に押し込まれたリーンズィという偽りの魂、人間足るべしと定められたその器に依拠したものだ。ヴァローナの瞳にしても、眼前の刃の暴風を知覚してはいるが、しかし取得した情報をリーンズィの処理能力が追いついていない。時間をおけば分析できる。だがリアルタイムでは、とてもこの異様極まる攻撃の応酬を飲み込めないのだ。
調停防疫局のエージェントとしてケットシーを放ってはおけないと勇み、進路を転換してはみた。
結局のところ手の施しようが無い。海兵服姿の美しいサムライと、不滅の鎧で魂を覆う異形の狼の苛烈極まる剣舞踏。絡み合う円環はさながら己の尾を食む一匹の竜であり、その完結した攻防に割り込む隙などどうして見つけられようか。
そんなリーンズィの慄然と躊躇を余所に、ヴォイドたちは粛々と準備を進めていた。
『シークエンス1、リローデッド。準備はよろしいですか?』
『アポカリプスモード、起動』
『エラー。現在、最終意思決定権はエージェント・リーンズィに委託されています』
ヴォイドは脚を止めたまま、重外燃機関から噴出する血煙に身を任せていた。機関の荒々しい脈動が大気を揺るがし、バイザーの奥で二連二対のレンズを爛々と輝かせている。見知らぬ次元、見知らぬ宇宙からやってきた異様な生き物にように見えた。
『リーンズィ』黒く濁った銀色の世界が、不意に背後の少女を振り返った『君は何を定める』
『本当にやるしかないのか、ヴォイド……?』
言いながらリーンズィは、短槍で道路脇の手頃な標識のポールを切断し、短槍を捨てた。スチーム・ヘッドとの戦闘ではおおよそ役に立たない即席のなまくらな大槍を両手で握る。
不朽結晶は不滅の物体だ。いかなる武器であれ、構成要素は不朽結晶で複製・置換した方が確実に優れる。
だが目標が物理的なダメージを受け付けないのであれば、破壊力も耐久力も不要だった。
それよりはリーチがあった方が良い。少しでも敵を遠ざけたいと強く願った。
『準備はよろしいですか?』とユイシスが冷笑的に尋ねる。
『いつだって私の準備は万全』
不機嫌そうに返事をして、申し訳程度に先端を尖らせたその粗末な槍を構えながら、いざ戦端に飛び込もうとして、しかし肉体が拒絶を叫ぶ。
ライトブラウンの髪の少女は、真空の宇宙で息を飲む。
対峙した道の先には、荒れ狂う人型の暴風が、狂った時計の歯車の速度で不規則にのたうっている。
サイコ・サージカル・アジャストが機能していないことが心底心細かった。
ミラーズは形の良い眉を顰め、高機動蒸気甲冑の加圧を進め、小さな体に爆発的な推力を溜め込んでいる。号令があれば、我が身を打ち出すだろう。古き大主教、かつてキジールの名を冠していた金色の髪の少女。清冽にして蠱惑、穏健にして辛辣。かつて多くの人々を歌で久遠の平穏、不死の白痴の虚無へと誘った彼女もまた、精神機能は人工脳髄の作用により、外科的に怯懦や迷妄といった感情をカットされ、これ程までに狂気的な難敵を前にしてもフラットなままだ。
しかし、エージェント・リーンズィは、アルファⅡモナルキアの核たる機能であるそれを、封じられている。
己の混乱、怯えに満ちた感情を、ただ肉体が感知し、人工脳髄が理解するそのままのスケールで扱う以外に選択肢は無く、とにかく瞼の無い瞳のように、時々刻々と形を変える迷宮の如き巨人を直視するほか無い。
そんな彼女だからこそ理解が出来ていた。
どのように戦力評価をしても、リーンズィやミラーズではベルリオーズには対応不可能だ。
現にケットシーの、人知を超越した斬撃の連続すら功を奏していない。
悉く凌がれ、あるいはダメージを復元されてしまい、スチーム・ヘッド部隊への接近を遅滞させる任務を、充分に果たしているとは言えない。
『蒸気抜刀ーー』の声が耳に届く。
平静を装う涼やかな囁きも、いささか疲弊しているように思われた。
確かに尋常ならざるタフネスと機動力の持ち主だ。
ベルリオーズの行進に単騎で食い下がっている。だが、それも長くは続かないと見えた。いくら三百倍加速が可能であろうと、相手の世界観には損耗という言葉がおそらく存在していない。
永久に終わらない積み木崩し。眠ることを知らない規格外の存在が相手では、必ずケットシーの消耗が勝る。
ベルリオーズは無敵では無い。理不尽な復活さえ無ければ、ケットシーにアルファⅡモナルキアだけで撃破することは出来る。
だがいつになれば復活しなくなる? どれほど刃を滑らせれば活路が開けるのだ?
ミラーズが刃を加速された時間の中に手放し、そっとリーンズィの二の腕を抱いた。
ふわふわの金髪から漂う甘やかな香りと柔らかな感触が、恐慌状態にある精神を僅かに落ち着かせる。
『何があっても大丈夫よ、リーンズィ』と正邪の入り交じる媚笑。『何があっても大丈夫』
その言葉は、冷たくも温かい手指となって、リーンズィの心の襞をゆっくりと撫でた。
存在しない呼吸を整え、冷静であれと唱える。
考えるべきは、どう戦うか、よりも、何故戦っているのか、だ。
そもそも、あのベルリオーズという機体は、何故スチーム・ヘッド部隊を狙っているのだろう。
リーンズィは不意に違和感を覚える。ベルリオーズがロングキャットグッドナイトの命令を受けて活動しているのは確実だが、だとすれば、標的はケットシーに限定されると考えるのが妥当だ。
『殺すな! 殺すな! 殺すな! 死ね!』などと不愉快なノイズを撒き散らす組木細工の巨人は明らかに『殺人』に反応して災厄をもたらす存在であり、だからこそ他のスチーム・ヘッドにも無差別攻撃を行なっている理由が分からない。
あの和やかな猫の使徒の前でスチーム・ヘッドを殺したのは、ケットシー以外に存在しないのだから、聖なる猫の使徒が下したと推測される命令からも、ベルリオーズの言動から推定される目的意識からも、他の機体を狙う必要性が導けない。
今まさに彼と刃を交えているケットシーさえ撃破できれば良いはずなのだ。
戦闘能力はただ彼女にのみ集中すれば良いのであり、攻撃の応酬の合間に強引に前進を続ける意味が不明だ。
まさか、と怖気の感覚だけが人工脳髄から吐き出される。
まさか、ベルリオーズには機体の区別など一切付いていないのではないか?
ケットシーが誰なのかも分からないまま、とにかく破壊活動を続けているのではないか?
任務の遂行を至上とするスチーム・ヘッドにあるまじき暴走ぶりではあるにせよ、ケットシーを鎮圧あるいは破壊せよという命令を、肝心のケットシーの情報を一切与えられないまま実行しているのだとすれば、この無差別ぶりにも一応の説明はつく。
とにかく目に付いたスチーム・ヘッドを全て破壊すればその任務--ケットシーを罰するという目的は満たされる、ベルリオーズはそう考えているのではないか? あるいは、元より誰かと誰かを識別する能力など無く、ロングキャットグッドナイトはこの恐るべき怪物を解き放っただけで、優先権のある命令など下していないのかもしれない。
ぞっとするような想像だ。ならば、捕捉可能な全てのスチーム・ヘッドを破壊するまで、この暴走は終わらないのではないか。
絶対に止めなくてはならない、とリーンズィは悟った。
少なくとも、可能な限りの足止めは誰かがせねばならない、それが道理だ。
調停防疫局のエージェント、リーンズィの務めだ。
だが、道理は肉体の感じる恐怖を和らげてはくれない。
ヴァローナの遺した美しい少女の肉体は無意識的な恐怖に強張り、身体操縦に遅延が生じている。
『起きろ、リーンズィ。眠っている暇はない。私たちにそんな時間はもう残されていない』ヴォイドがリーンズィの顔を覗き込む。『あの怪物を止めなければならない』
『だけど、どうやって? 私たちがあの領域に割って入れると?』
『蒸気抜刀ーー千鳥舞飛燕之太刀』
暗澹たる沈黙に少女の声が突き刺さる。
二度、三度、四度、五度とケットシーの姿が虚空を渡る。振るわれる大太刀は不可視の宇宙を渡る一条の雷光であり、氷面の刀身は欠落した世界の欠片を映して照り返す。ヴァローナの瞳を稼動させても人間の動きではなく雷撃となった海兵服姿の少女は左右に跳ね両腕を大きく広げながら蒸気の奔流に後押しされて宙を舞う。恍惚の只中ではあろうが、その潤んだ目は我を喪わず、しかと敵を捕らえている。
眼下ではベルリオーズの狼の頭部が切断されていた。腹部から胸部にかけて刃が通過した痕跡がある。
頭部のセンサ類と、胴体に格納したリアクターは破壊されたはずだ。
通常のスチーム・パペットであればこの時点で恒常性を崩されて軽くとも前後不覚、下手をすれば機能停止の状態へと転落する。
だがベルリオーズの突撃は一向に止まらない。瞬く間に首を切り落とされたと見えるや、組木細工の騎士ベルリオーズもまた、世界が瞬きをするのと同じ速度で復元を実行した。そればかりか、不可知領域の加速世界で身体構造はまたも複雑怪奇に組み替えられていおり、先ほどまでとは全く異なる姿勢と角度から攻撃が繰り出される。撃破された瞬間と復活した瞬間で、攻撃態勢がすり替えられている理不尽。攻撃を身に浴びるのみだったはずの巨人は道理を無視して姿勢を整え、失われた時間の中で好き勝手に跳ね回り、一瞬で攻守を逆転させている。
ただし、出鱈目具合はケットシーも大差はなく、時間を遡って過程を書き換えるが如き、秩序の崩壊した攻防に平然と追従している。奇妙なことに、不可知の世界で彼らは全く違和感なく攻防のやり取りをしているようだった。
リーンズィは推測する。ケットシーの不可知領域への加速に合わせて、ベルリオーズもまた破綻した肉体で対抗オーバードライブを起動させているのか。
理屈は未だ分からないが、ケットシーが300倍加速の世界に突入したのと同時に、ベルリオーズもまた同レベルの加速を行っているのだとすれば、二人が当たり前のように火花を散らしているのは納得できる。ただし、ベルリオーズのたちが悪いのは、撃破された瞬間と復元が完了した瞬間は、別に連続している必要がないらしいということだ。
つまり自分にとって一方的に有利な状態を構築してから再スタートが可能なのであろう。
肉体を苛む苦痛から逃れようとする不死病患者の特性には合致するが、さりとてスチーム・ヘッドとしては破格の特性である。
ケルゲレン曰く、ベルリオーズはそれでも生前よりも今の方が弱いらしい。確かに十全な知性が備わっている状態でこの複雑怪奇な全身奇剣を振るっていれば、また違った強さがあるに違いない。
しかしここまで常識を無視した挙動をされて、弱いも何もあるまい。
ただただ理不尽だ。
言わずもがな、この闘争に参加する場合、アルファⅡモナルキアが相手をしなければならないのは、ケットシーと同レベルの機動力と、ケットシー以上に予測が困難な攻撃手段を所持する……そんな冗談のような存在ということになる。
ケットシーに加勢せねばならないという合理的判断と、不可能だ、という直感がせめぎあう。
なにせ、アルファⅡモナルキアはケットシーほど俊敏には動けない。
実態がどうであれ、彼らは決して純戦闘用スチーム・ヘッドではない。これまではどうにか副次的な機能を利用して仲間たちと連携してこれた。だが自らを唯一の存在にまで成熟せしめた無二の超一流を相手に出来るほど高性能では無い。そんな熟練兵たちとまともに戦闘している現状が間違いなのだ。
『アポカリプスモードを起動すれば対抗手段は作成できる』
ヴォイドの声はあくまで平静だ。感情などとうの昔に捨て去ったのだろう。
ベルリオーズの巨体を押さえ込むには、やはりそれしかあるまい。どれほど平静に振る舞おうとも、アルファⅡモナルキア・ヴォイドでも単騎ではベルリオーズと戦えない。ケットシーの真似事も出来ない。
出来るのは、禁忌の箱に手を伸ばすことだけ。
ヴォイドが告げる。『エージェント・リーンズィに勧告。最小の犠牲で最大の成果を。公平な判断を要請する』
刀ではためく黒い蝶、ケットシーと、狂気の世界で変容と復元を繰り返すベルリオーズ。
殺人的な二つの暴風は確実に接近しつつある。悩んでいられる時間は短い。
この加速した世界で一秒すら長すぎる。
アポカリプスモードの起動は確かに有力な選択肢だ。全ての問題を究極的に解決することだろう。
問題はその実態が調停防疫局の活動理念と丸きり食い違っているということだ。
リーンズィとしては、多少の犠牲を払ってでも、この局面を無視したかった。
アポカリプスモードなど決して使用してはならないと断じたかった。
自殺を空想した人間が永久に自殺を可能な選択肢に含めてしまうのと同様だ。これを使ってしまっては、常に選択肢にアポカリプスモードが浮かぶことになるのだから。
『K9BSやダブルクロスモードでどうにか拘束する……そうしたい。生命に直接影響が及ばない範囲なら、復元も起こらないかも』
『ならばアポカリプスモードの準備のみ進行する。完了まで500000ミリ秒。エルピス・コア、オンライン。出力安定のためにリソースを優先投入。右腕部悪性変異体の自動操縦は困難。生命管制機ユイシスにコントロールを要請』
『<青い薔薇>、制御権を受諾しました』
『ま、待って……500000ミリ秒?!』リーンズィは瞠目した。『アポカリプスモードの起動、そんなにかかるのか?』
『えっと、500000ミリ秒って何秒?』ミラーズがぼんやりとして首を傾げた。『あたしたちが細切れにされるより短いの?』
あまりにも長すぎる。増援無しでは到底食い下がれる時間では無い。
『まず私が打って出る。リーンズィはコロネーション・プロトコルの準備を』
女の声が告げる。『<青い薔薇>、オーバードライブ実行』
ヴォイドの右腕を構成する魂無き青い茨が、狩りの時間に猛り狂い、輪郭を震動させておぞましくも猛々しい歓喜の声を停滞した空間に響かせる。
それらは凍り付いた空気を押し退ける波濤となって道路を抉り地下へ潜り込んだ。
地下構造は既に音紋解析でスキャンを終えている。光すら射さぬ干からびて久しい下水道に植物に擬態した変異体の濁流が迸り爆発的に増殖した青い薔薇は自己崩壊しながらエネルギーを生産、意識の介在しない暗渠から幾百の槍となって組木細工の騎士を襲った。
ケットシーの変幻自在の剣戟を受けながら前進を進めていたベルリオーズは、驚異的な結晶純度の装甲でこれを凌ごうとしたが、波の如く弾けた蔓の群れが、今度は装甲の隙間へと殺到する。生体部分が露出しているなら、これを狙わない手は無い。<青い薔薇>は本能的に己が苗床とすべきモノを理解している。
ベルリオーズの奇々怪々な変形、自分自身を何か便利な七つ道具としか思っていないかのような無軌道で破壊的な跋扈を支えているのは、莫大な機関出力でも刃を備えた高純度不朽結晶の鎧でも無い。
細やかに、しかしダイナミックに張り巡らされた、生体肉の繊維束である。あるいはそれは肉ではなく、何か粘菌演算器のような生物機械なのかもしれないが、いずれにせよ命は命であろう。
青い薔薇は肉に同化して汚染し、変異を強制して、自己安定化のための苗床に仕立てる。
『これは……これはなんだ。いや、見たことがある……青い薔薇……薔薇とは、いったいなんだったか……』
ケットシーは、既に過去、この技を見ているし、こうして発動した未来も見ている。だから巻き込まれることはない。
鮮やかな身のこなしで宙を返った間合いから外れる。
異形の狼も刃の結界を巻き戻そうとするが間に合わない。ベルリオーズの生体組織は瞬く間に蔦に貫かれ茨に楔を打たれ、四方へ打ち出された結晶線維により、ボディを外骨格ごと締め上げられた。
こうなっては通常なら挽回は不可能だ。青い薔薇は種子を散らし、花を散らし、冬空に狂える神の奇跡が蒼白の花弁となりて咲き誇り、無限の花で葬送を飾り続ける。
果たして組木細工の狼は完全に身体を拘束され、ひとまずはその場に固定された。
リーンズィは首を傾げる。正直なところ、この一手で拘束が完成するとは信じていなかったのだ。
しかし現実にはあまりにも上手く運んでしまった。
ベルリオーズはケットシーのオーバードライブには対応出来る。
なのに、どうして青い薔薇のオーバードライブには対抗できないのか?
『見事な手際じゃな』
唐突に背後から声を掛けたのはケルゲレンだ。
リーンズィはびっくりして振り向きざまに彼の頭を標識から切り出して作った槍で打ち据えたが、特に効果は無く、槍だけが砕けた。よくよく見ればケルゲレンだけでなくグリーンやイーゴ、そして軽装の戦闘用スチーム・ヘッドがあちらこちらに居座っている。全体からしてみればごく一部だが、リーンズィには驚きだった。
『どうしてここに? 逃げるのが一番だったはず……』
『全員で逃げるのなら、意味がある。相手は常にワシらの背後にしかついてこないし、そしてベルリオーズのオーバードライブ倍率は、ワシらのオーバードライブ以上の速度は出せない。つまり過酷ではあるが、コントロールが可能なのじゃよ』
『てっきり尻尾を巻いて逃げているだけだと……』
『計画的尻尾巻きじゃよ。しかし、ここでオヌシらが足止めを買って出て、生き抜いたことで若干狂いが生じた。部隊が分かれたせいでナイン・ライヴズ、ロングキャットグッドナイトがヴェストヴェストを解放する位置が全く読めんようになった。どちらにも現れうるわけじゃな。ワシらは最大級の危険が出現した事実を正確に共有しあわないといかん。つまり、ただ分散するのではなく、狼煙を上げる役目が、分隊ごとに必要になる』
蔦に絡まれて藻掻き苦しむベルリオーズを眺めながら、ケルゲレンはレンズの奥で目を細めた。
『……誰か毛先一本ほどでもベルリオーズを知っているものはおるか? 正しいあやつの姿が見えているものは』
『む、とても分かっている』リーンズィは茨に拘束された歪んだ人型の大鎧を指差した。『物理破壊が通じない。この拘束もいつまで保つか分からない』
『それは不滅者全般の性質に過ぎん。ベルリオーズはさらにその上を行く。独自の機構の全容が分からないままでは、どんな手練れも最後は裂かれて終いじゃよ』
『ヒナにも分かる。すごいお金が掛かってる……こう、リアルタイムVFX。どれだけの予算が動いてる企画なの?』
『なんでそんなにテレビにしたいんじゃ……』
『何度殺しても殺せない。でも不死殺しのケットシーは良い感じに来週ぐらいに倒せるのであったー。つづく……これで今週は終わりにする?』
『この世界はテレビでは無いのじゃが……』
『仕方が無い。ケットシーには現実が見えていないんだから』
ミラーズが刃を頬に当てて首を傾げる。『可能性のある未来を予知して無理矢理引き寄せる力、だっけ。すごい祝福よね』
ケルゲレンが傾注を促す意味で咳払いをする。
『ともかくじゃ、問題は現在のベルリオーズの性質にある。あやつは破壊出来るが、破壊出来ない。というのはあやつはもはや、元手となった肉体や蒸気甲冑、人工脳髄には、存在せん。原初の聖句によって編まれた目的意識がそれらを取り込んで拡張し、自己の恒常性を一定の範囲内で複雑化させておる。要するに目的意識が尽きるまで本当に不滅なんじゃ。いくらでも巻き戻る。それ故に言詞甲冑と呼ばれておる。言葉は刀では切り落とせんじゃろ?』
『ペンが剣よりも強いやつ?』ヒナは頷いた。
『難しいところじゃな。原初の聖句で言葉を上書きして活動を鈍らせるぐらいしかないので、そうとも言うかもしれん』
蔦に巻かれて唸り狂うベルリオーズを前にして、ケルゲレンは溜息を吐く。
『面倒なのは他の不死病患者と違って再生が肉体の破損ではなく目的意識の阻害によって生じるという点じゃな。そして再生は目的意識遂行の妨げになる事象をパージし、あるべき行動と差し替えるという形で実行される……あの薔薇の拘束もじきに解けるじゃろう。さてリーンズィ、これまでの時間があれば何が出来る? ワシらはボーッと突っ立って、講釈を垂れている。そんなのろまな目標に対して新鋭スチーム・パペットの成れの果ては何をしてくる?』
『……最大火力の使用』リーンズィはハッとしてミラーズを抱きかかえ、回避の姿勢をとった。『みんな、退避しろ!』
果たしてベルリオーズは拘束されていた時間を『無かったことにして』あるべき姿へと回帰する。
茨は消えた。永久に咲き誇る青い薔薇は『そうであるという記述』と共にどこか知らぬ言葉の狭間へ滑り落ちた。
組木細工の騎士は四肢を獣の如く伸ばし、重外燃機関から血煙を吐いている。大開きなった顎の奥、胸部に仕込まれたプラズマ発生器が煌々と光を発していた。周囲の空間に電磁波の嵐が吹き荒れ、リーンズィは直感的に磁界の檻、不可視の焼却炉の只中に放り込まれたのだと察した。
『これがベルリオーズの全身可変刃に次ぐ特性、あらゆる状況から範囲焼却を実行できる殲滅力じゃよ。粘菌筋肉質を利用すれば発動の演算もエネルギー流路の設定もスムーズじゃからな。チャージに三秒も四秒もかかる機体とは全く異なる』
『ケルヴィム・ウェポンか!? ダメだ、もう避けきれなーー』
『避けるは必要ないんじゃよ』ケルゲレンは頷いた。『誰にでも予測が可能な、いっそ稚気じみた攻撃手段の選択。この機会を逃す手段はないんじゃからな』
『では、何か秘策が?』
『いいや。しかし、あの御方はこの瞬間を待っていた。ケルビム・ウェポンは諸刃の剣じゃよ……尋常な機体ならば、計算リソースの大半をそこに注ぎ込まねばならぬ。百度殺すにも十分な隙を、あの御方は見逃さない』
それは、銀色の銃弾だった。
彼方より飛来した銀色の銃弾が、巨獣を貫いた。
リーンズィには、それは長く尾を引く鋭利な光としか見えなかった。そしてその光が赤い涙のごとく残光を残すのを見た。新たな線が空間を走ることはない。光は、気付けば既にそこにあった。何故なら須臾の間に現実世界へ穿たれた楔こそが彼女だからだ。
ケルヴィム・ウェポンの動力源たる生体融合炉は基地を崩され、磁界はあっけなく崩壊した。飛来した--おそらくは凄まじい距離をひと息に跳躍してきたその機体は、身体構造を組み替えて逃れようとするベルリオーズを食い散らかすかのごとくバラバラにしていく。
その機体は、ベルリオーズよりも純粋に、獣に近かった。あるいは人間に近かった。獣の意匠を施された鎧。魂を装甲したベルセルク。ベルリオーズはラグなく復元して蛇腹状の手足を振るっていたが、全て切断され粉砕され、それどころか逆に反撃をストレートに打ち込まれている。
さらなる一撃が巨獣の胴を貫き心臓を握りつぶしさらには突き込まれた右腕部の電磁投射砲が爆風を呼び覚ましベルリオーズの背中の重外燃機関をも破壊した。
装甲で四肢を延長した体躯はどこかしら華奢だったが、そのパペットにしては細い線の姿を知覚出来るのは、途切れ途切れの時間の中でだけだ。
加速した時間であってさえ、視覚不可能な攻撃が、一方的に繰り返される。
ケットシーの可能世界選択とは性質が異なる。
白昼夢の狩場で遊ぶがごとき残虐。
その兎の耳のような多機能センサを保つスチーム・パペットの、逆関節の具足が撓むのをリーンズィは見た。
見た、と思った瞬間には既に次の殺戮がベルリオーズのボディを散華させている。
砕け散ったベルリオーズは全く異なる地点にその存在を復元させ、それまでのダメージを消去して再びケルヴィム・ウェポンの発射態勢に入っていた。
赤熱する大気。生きとし生ける全てを焼却する暴虐の兵器は既に起動している。
射線上の全てが焼き尽くされるまで5ミリ秒。
『やはりぃ……発条仕掛けの頭では、ろくな戦闘機動が思いつかんようじゃなぁ? そうであろうとも、所詮は冗長な言語の群れに過ぎぬ塵芥、ケルヴィム・ウェポンの乱射が限界よなぁ!』
二連二対の赤い眼光。
兎の兵士は偏執的に装甲を重ねられた腕部を展開。
無骨な装甲から飛び出したコイルから電磁の衝撃波が放たれた。成立する寸前だった磁界は再び霧散し、ベルリオーズが『お前は……誰だったか』と呟いた瞬間にはその顔面に五本の爪が叩き込まれている。
装甲を呆気なく貫徹する不可知にして不可避の速攻。
もはや間合いを離すことすら難しい距離で、その兎の騎士の腕部に搭載されたケルヴィム・ウェポンが起動した。
電波が頭に流れ込む。老人の声がせせら笑う。
『悲しい、悲しいぞ、魂なき兵士。もはや丸きりレーゲントの犬では無いか。犬は兵士でない。騎士でも勇士でもありえない。所詮は雑兵よ、ベルリオーズ。今のお前は犬畜生も同然じゃ。何も考えぬ兵士は、こうして殺され続けるのが似合いなのだ。オヌシは不滅になって……本当に愚かになったのう? 少しは骨のある男だったというのに……さて、ケルヴィム・ウェポンとは、こう使うのだ。骨身を焦がして思い出すが良い』
閃光が迸り、ベルリオーズが体の内側から焼き尽くされて絶叫する。
次に逃れたのは空中だったが兎の騎士の追撃が早い。逆関節の具足が蹴った建造物が跳ね回った衝撃を追いかけて崩れていく。
一方的に手足も首も胴体も何もかも切り離されたベルリオーズは瞬時に復元を実行、ケルヴィムウェポンの発動を敢行しようとしたが、やはり磁界は霧散させられ、無意味な電磁波となって周囲へ散り消える。
返礼とばかりに鋭利な爪の先に展開される灼熱/灼熱/灼熱/局所的相転移の連続による多重焼却。
ベルリオーズはただのたうち回り、回避に徹しようとするが、しかし兎の騎士は猟犬の如く追い縋る。
爪を鳴らし、電磁投射砲で歌い、神の業火を降ろしながら、ただの一時も不滅者を連鎖する責め苦から逃がさない。
兎の兵士はひたすら殺して、殺して、殺して、殺して、殺し続ける。
あまりにも圧倒的な光景に、リーンズィはしばし呆然としていた。
あの恐るべきベルリオーズが、何も出来ないまま無限に屠られ続けているのだ。
ケットシーはきらきらと目を輝かせてその神速の歩法、殺戮技工の数々を明らかに知覚し、うずうずしながらトツカ・ブレードを握り締めている。
ミラーズは『なるほどなるほど……ここでリーンズィにかっこういいところを見せたいのね』などと一人で納得していた。
『デイドリーム・ハントによる未来予測……?』
『それだけではない。あの御方の最大出力オーバードライブは、人工脳髄に依存しているのだ』
ケルゲレンは炎と血煙とを纏う勇士に跪き、頭を垂れた。
『言わば機械たちの時間をあの御方は生きている。オーバードライブとは生者の技法、己が身を崩壊させることで引き出す力。きやつら不滅者はそれに相乗して加速するだけの傀儡にすぎん。死を拒絶し、他者の<ことば>に演算を委託しなければ存在を維持出来ない言語性変異体では、あの御方の真に孤高なるオーバードライブ、機械の時間に身を委ねる献身の戦闘機動には干渉が出来ん。そうとも、あの御方はこのような怪物を狩るために生まれてきた……我が主、我らが模範、我ら解放軍最高の兵士……』
リーンズィはその赤い涙の軌跡を残す兎の騎士を知っている。
人類文化継承連帯所属。
機関式高性能人工脳髄先進技術検証機。
その唯一の完成機にして、最後の実戦配備モデル。
アルファⅡウンドワートだ。




