2-11 ヴォーパルバニー その11 エージェント・ヴォイド(蒸気抜刀・後1)
どこかで戦闘が始まっていた。
加速した感覚の見聞きする全てが、あらゆる情報を以て、街全体を震わせる重低音を捕捉している。
作戦領域に展開するスチーム・ヘッドたちの蒸気機関が、死力を尽して叫び声を上げ--停滞した時間の中で一つに連なり、遥か遠い時代より続く地鳴りのように、都市全体に響き渡っているのだ
同じ音が、己の背中からも聞こえる。心音など聞こえない。全てが機関の上げる爆音に塗り潰される。血と肉の存在さえ忘れそうになる。唸りを上げる発動機が緩慢な速度で歯車を噛んで骨身を震わせる。
第五分隊に配置された戦闘用スチーム・ヘッド、クロムドッグは、この轟音にさらされた時、いつも同じ想像をする。
古の時代に滅び去った、四足と翼を持つ山脈のような龍、その骨肉の要塞のごとき胸の奥で脈打つ心臓。竜の鼓動もまた、大地を、骨肉を、聞く者の魂を揺さぶる轟音だったはずである。
蒸気機関とは即ち人工的に龍の鼓動を再現する器官なのだ。
気心の知れた仲間たちには何度か話したことがある。理解されたことは一度も無い。さすがにそれは大袈裟だ、龍とは一体何のことだ、匹敵するものと言えば戦車のエンジン程度であろう、などと笑われてしまう。寛容な態度で知られているエーリカにすら「クロムドッグってたまに変なことを言いいますねぇ」などと不思議そうな顔をされた。
大袈裟なのは事実だろう。しかし、この不朽結晶連続体で組み上げられた蒸気機関、複雑怪奇な芸術品の内部で発生する爆発と圧縮のサイクルは、人間という脆弱な種族の肉体を動かすには酷く不釣り合いで、史上類を見ないほど暴力的である。自分の言が異常であるにせよ、この機械の破滅性ほどではない。
その点まで否定するものは、一人もいなかった。
戦うこと以外何も出来ぬ、眠ることさえ許されぬ不死の、その誰しもに戒めとして与えられたこの金属の錨、来歴の定かならぬ歯車仕掛けの機械が奏でる爆音は、戦争に向かう時代の狂騒よりもなお酷いやり方で血潮を震わせる。
ひとたび動かせば流血と騒乱が生じる。
とても人が背負えるような業ではないが、スチーム・ヘッドはこの鼓動から永久に逃げられない。
クロムドッグは運命から逃げようとする愚者のようにひた走る。
仲間の背を追い、己の背を警戒し、弾丸となって疾駆する。
人間は、人間の心臓に従って、あくまでも人間に許されている時間のみを生きる。
それが本来だ。人ならざる身体能力を得たスチーム・ヘッドは、つまるところ龍と心臓の貸借契約を結んでいるに過ぎないというのが、クロムドッグの持つ思想だった。
現に、この加速された時間、オーバードライブの世界においても、生身の肉体はおぞましいほどの負荷に対して悲鳴を上げている。人間の速度、人間の時間ではないからだ。
銀色の強化外骨格の中で筋繊維は次々に断裂し、骨格はアスファルトを跳ねる時の反動で割れ砕け、滞空している僅かな時間に、損傷を検知した肉体が人工脳髄からの支援を受けて仮初めの修繕を施す。
壊れる。
再生する。
また壊れる。
永遠に終わらない破壊と再生は、どこにも繋がっていない。一つの円環にも似る。自己完結した破壊と再生の連鎖。
偽りの魂に支配された不死病患者とは、そのような不条理に縛られる。
二十倍もの加速ともなれば、単なる時間経過がその破壊を重篤にしていく。
戦闘機動ともなればさらに数倍の破滅的負荷が全身を苛み、主要な臓器は当然に壊滅せしめる。無事で済む血管は一つも無い。
どれほど再生能力が向上しても、過剰な力に対する力、その取り立てを免れることは出来ない。加速している限り徴収人が追いつくことはないにせよ、オーバードライブを解除して、生命管制のレベルが落ちた瞬間に、クロムドッグも意識を失う。生体脳が停止する。骨格の再生も筋肉の安定維持も覚束なくなる。ぐちゃぐちゃになった心臓が停止する。人間の鼓動が終わる。人間の命が、人間の時間が終わる……。
そして、全てを取り上げられて、それでも死なない。
何があっても死ぬことだけは無い。
紛い物の鼓動が胸の中に再び還ってくる。
クロムドッグのように全身を不朽結晶の甲冑で装甲した機体ならば、倒れ伏せることさえない。死んでも眠れない。立ったまま死んで、立ったまま再起動する。
クロムドッグは武装の状態を意識する。電磁加速拳銃のバッテリー、異常なし。弾頭確認、異常無し。致死性スタン装置、異常無し。
殺しの道具を携えて、不死の猟犬は仲間たちの背中を追う。
元より全てが不自然極まる。生身の人間、命に期限のある未感染の人体なら、万全の耐加速度装備であっても、この領域に踏み込めば死ぬ他ない。墜落死する間際の人間ですらあり得ないこの速度!
だが不死病に冒された肉体の、その白紙となった生体脳に人工脳髄で人格を書き込んでいるだけのスチーム・ヘッドは違う。
あらゆる破綻を無視して、全ての代価を踏み倒し、当然のように再生を遂げる。
人格記録媒体、偽りの魂の源たるそのパーツさえ無事なら、それで良い。
あるいは現在の第五分隊の隊長であるエーリカは、「スチーム・ヘッドの力とはイカロスの翼のようなものです」と表現した。
「何であれ全てはヒトには過ぎたる力なのは事実でしょう。悪魔か、さもなければ天使に魂を売って得た埒外の力。ヘリオスの怒りに触れて失墜すべきところ、死を失ったという一点で許されているのかもしれません。さもなければ永久に死ねない、という点を憐れんで、見過ごしておられる。スチーム・ヘッドは免罪されているのではなく、真なる地獄に堕ちているのだと解釈することも出来ます」
エーリカが曰く、不朽結晶連続体という永劫朽ちることのない牢獄に閉じ込められて、私たちは自分の意志では、息さえも自由に出来ない。この命には終わりがない。我らは裁かれる機会さえ奪われた罪人である。
武装を確かめる、目標の影を探す。
……クロムヘッドは、はた、と違和感を覚えた。
自分は何を考えているのか。もちろん考えるべきことを考えている。
問題ナイ。首斬り兎との戦闘はまだ始まっていない。それならば何もかも問題ない。
何を考えていても咎められることはない。
それなのに納得がいかない。何故だろうと思考を巡らせて……。
もうこの思考は終了しているのだ、という事実を発見する。
自分は考えていない。思い出しているのだ。
違う時間、ここではない場所で、クロムドッグは活動している、していたはずだ。
周囲には、自分と同じくオーバードライブ状態で活動している仲間たちがいる。
現在は、そうではない。そのはずだった。
ああ、ならば、ここはやはり過去の時間、過去の主観だ。
どうして終わってしまった時間を見ている?
不整合に思考が追いつかない。
彼の思考とは無関係に状況は進む。
不可知の宇宙からレコードの針が降りている。
失われた時間の刻んだ溝を、無慈悲になぞっている……。
一度見た風景。
一度過ごした時間。
クロムドッグは何百回もの破壊と再生によって得た頑健な眼球で世界と相対する。
そうしているうちに、全ての疑念が曖昧になって、消えた。
発見した事実を忘れた。
空を見る。減速した時間、荒々しい筆致の雲が、色味の無い空にぶちまけられている。その様は凍り付いた波濤にも似る。
空を海とするならばまさしくこの地が空である。
地に向けて塔を伸ばす逆転した世界は今、まばたきをしている……地表に光は無く、太陽は暗闇にあり、我らイカロスが群れなすのを見つけていない。
己の足音さえ喪われた宇宙に、しかし回避不能な活動限界が、軋む音の幻聴となって響き渡る……不滅の牢獄に抱えられた、ただ死を免れただけの肉体に、傲慢な偽りの魂が、奔れ、戦えと命令を下す。
クロムドッグは集中する。第五分隊の猟犬どもは声ならぬ声で咆哮する。龍の鼓動が神経系を駆け巡る。人ならぬ領域を疾走する彼らは、さながら地表を飛翔するスプートニクである。燃料が切れるまでの一瞬……あるいは摩擦熱が限界に達するまでの一瞬……あるいは抱え込んだクドリャフカが死ぬまでの一瞬だけ、それぞれが人の領域外で目を開いていられる。
戦闘開始から、実時間ではどれほど経過しただろうか。クロムドッグは考えていた。スチーム・ヘッドの時間感覚とは実に適当なもので、永久に終わらない時間に閉じ込められた彼らは、ほとんど一日単位――日が昇って沈むまで――でしか時間の経過を理解しないものだが、オーバードライブ状態ではさらに不明瞭になる。
第五分隊に所属している機体がオーバードライブに突入するまでの速度は、他のスチーム・ヘッドに比べれば速いにしても、他の純戦闘用特殊機体群、例えば第一から第四までの分隊と比較すれば、幾分か遅い。総員がオーバードライブに移行した時点で、戦闘開始から6秒も経過していた。
突入後の時間経過は曖昧だが、3000ミリ秒は過ぎているはずだ。
となれば、もうそろそろ10000ミリ秒は経過しただろうか。
つまりは10秒だ。10秒もオーバードライブ戦を行うのは、異常と言っても良い。
戦闘用スチーム・ヘッドにとって重要なのは、保身無きオーバードライブ突入まで何秒が必要か、である。その最強のカードをどこでどう切るか、という判断も重要だが、理想的な状況においては、実は戦闘用スチーム・ヘッドの間に戦闘と呼べるものは発生しない。
極めて単純な話で、余程の重装甲機同士の接触で無い限り、先にオーバードライブに突入した側が一方的に勝利するからだ。対抗オーバードライブを起動して、自動で加速した世界に突入可能な機体も存在するにせよ、相手から0.05秒ほど遅れるのであれば、それだけで敗北は確定する。
攻撃側はまさしく瞬きする間もない刹那に、無反応な対手の頸を、刃をねじ込むなりなんなりして切断して、再生を阻害するために頭そのものを肉体から払い除ける。
それだけでやりとりは終わる。
後には暴風が鮮血を孕んで渦を巻き、相手は頭部を失って行動不能となる。実に呆気ないものである。
だが、引き延ばされたこの時間の中で、まだ蒸気機関の唸り声が聞こえる。
混じり鳴り響く高音域は、剣戟の音か。
戦闘はまだ終了していない。
クロムドッグたちは無線閉鎖をして一言も意思疎通をしなかったが、危機感だけは暗黙のうちに共有していた。
スチーム・ヘッド同士の戦闘は一刹那で終わるべきである。
<首斬り兎>が単独だとするならば、戦闘開始から戦闘終了までは、100ミリ秒でも長すぎる。
あちらは一機。
こちらは一つの分隊に、最低六機……。
相手に先手を取られたとしても、戦闘が始まれば、そこから数秒で同数の戦力を擁する増援部隊が多数到着する。三〇機前後のスチーム・ヘッドの同時投入だ。
過剰戦力と言って然るべきだった。
それなのに、10秒かかっても決着がついていない。
警邏部隊の番号は遭遇の蓋然性が高い順に割り振られている。
スチーム・ヘッドの制圧に特化し、軍団でも独自の地位を確立しているケルゲレン率いる第一分隊は別格だ。ファデルからの信頼も篤い。
第二から第四までにしても、弱兵では無い。いずれも高い加速知覚の適性を持ち、仮に先手を取られても、蒸気機関の駆動音に反応して0.3秒以内に対抗オーバードライブに突入。そのまま猛り狂って敵を食い殺す。この退廃と不死の支配する時代のベルセルク。熊の毛皮ではなく永遠に朽ちぬ装甲で裸体を隠す。そんな戦闘用スチーム・ヘッドが惜しみなく投入されているのだ。
負ける理由がない。目標を須臾の時間で圧殺して然るべき状況である。だが現実はそうなっていない。
戦場が近付いているのが分かる。剣戟と蒸気機関の轟音がいよいよ高まり始めた。
部隊の中核にいるエーリカのハンドサインに従って、クロムドッグは走行を加速。
狼の如き疾走で分隊の先頭に躍り出る。
見渡すのは貌の無い廃墟の群れ。
ある交差点の真ん中で、何人かの不死病患者が、呆然とした顔で一方向を向いている。
不死病患者は通常、どこか一点を見ることは無い。
つまり、その先に戦陣の暴風があると推測可能だ。
クロムドッグは背部の蒸気機関に直結させていた充電装置から二挺の電磁加速拳銃を抜き放って、姿勢を下げ、さらに加速。機関出力を限界まで引き上げる。
稲妻の機動で地を這い、灰色の廃墟に、その電磁攪乱作用を付与された装甲の放つ銀色の閃光で、意図的に空間に己の移動の軌跡を残す。
交差点に飛び込む。だが進路は変えない。直進だ。
直接戦闘地帯に突撃する愚は冒さない。第二から第四までが恐るべき猟犬の群れなら、第五は彼らが詰めた状況の最後の一手を一押しする、言わば猟師である。彼らには一様に、通常のオーバードライブ機よりも執拗に思考を巡らせる認知特性がある。
それを活かすためには、まず必要になるのは情報だ。先行しているべき分隊からの通信が広域ジャミングで一切拾えない以上、たとえ一瞬でも敵味方の有様を垣間見てから判断する必要がある。
交差点を横切りながら、手を掲げ、凍てた日差しを装甲で照り返す。敵を引き付けるためだ。
三連レンズのヘルメットが、通りの先にある戦場を視認した。
予想以上の惨状だった。友軍機が串刺しにされ、あるいは離断され、そこかしこに立ち竦んでいる。
いずれも頸部や心臓部など、オーバードライブ戦闘中には再生が困難な部位を、特殊な不朽結晶装甲弾を用いたのであろうが、ピンポイントに破断されている。
壁面に打ち付けられて微動だにしない機体。頸部を喪って頭部ごとまだ空中に身を躍らせて、実験映画のフィルムに収められた静物のごとくゆっくりと墜落している最中の機体もあれば、膝をついているに留まる機体もいる。スチーム・パペットが胴体を撃ち抜かれて擱座している。
どうであれ虐殺にも等しい大敗の光景だ。
この地獄絵図が現出して然程の時が経っていないのは、各機が中途半端な状態で静止していることから見て取れる。
視線を先に進める。難攻不落の要塞たるべきスチーム・パペットが、ビーチで機銃掃射を受けた名も無き一兵卒のごとく沈黙しており、どうも彼を盾にして果敢に前進を試みたらしい機体も、首を落とされ、四肢を断裂された状態で沈黙している。それも一機だけではなく、そのようにして接近を試みたらしい機体が、何機も滅多斬りにされて、転がっていた。
クロムドッグは破壊された全機体を識別。第二から第四までの分隊だと判断。
継続しての活動が可能な機体は一つも見当たらない。
最低でも六機ごとの分隊で攻勢を仕掛けたはずなのに、何故こうなるのか。油断や慢心があったにせよ、常識で考えればこの光景はありえない。
その先で二人のレーゲントを見つける。否、アルファⅡモナルキアなる新規加入のスチーム・ヘッドが操る『エージェント』なる機体だ。彼女らは理解しがたお異様な姿をした影と刃を交えている。クロムドッグは安堵した。彼女らは第一分隊の預かりである。つまり、まだ全滅はしていないのだ。
エージェントたちはどうにか致命的破壊の運命を回避し続けている様子だ。実際にはもうレーゲントではないらしいのだが、彼女たちに特有に美貌のおかげで機体識別はスムーズだった。やはり第一分隊に配備されていたリーンズィとミラーズだ。調停防衛局のエージェントを名乗る不明機たち。
彼女たちが踊るように戦うその周囲は、爆撃のあった都市の如く焼け焦げている。ケルゲレンとグリーン、イーゴが得意とするコンビネーション、電磁誘導体を利用した偏向プラズマ焼却が発動した痕跡だと知れた。
言ってしまえば小規模ケルビムウェポンだ。範囲を極端に限定して、予測不能な位置から、高速で相転移攻撃を仕掛けることが可能である。範囲固定・目標観測・焼却開始を三機で分担している点に特色があり、各機への負担の軽さから、通常は不可能とされるオーバードライブとケルビムウェポンの平行使用を実現している。
だが、信じがたいことにこの必殺の一手は、何の成果も無く回避されたらしい。
とにかく第一分隊だけは、まだ壊滅していない。ケルゲレンたちは全身を酷く傷つけられているが無事なようだ。イーゴは頭部を落されていたが、彼に関しては全く問題にならない。通常機に偽装された生命管制特化機というのが彼の本性であり、装備は簡素だが、オーバードライブ中でも大規模な肉体修復が可能だ。今は雌伏の時と言うところか。
観察すべきは最大の懸案である敵であろう。予想通り、高機動装備の蒸気噴射で跳ね回り、二本の刀剣型不朽結晶兵器でリーンズィとミラーズをいたぶっている。
何もかも異様で、クロムドッグにも類似の機体を見た記憶が無い。
年若い抄に見える。美貌はレーゲントのせいで見慣れているが、特に異様なのはその服装だ。
まるでアジア圏の学生のようであった。スヴィトスラーフ聖歌隊が着用している行進聖詠服と同じく不朽結晶繊維で編まれているようだが、彼女らの装備よりも格段に露出が激しく、極めて単純に、防御能力に期待出来ないデザインだ。
周囲に散らばっている玩具のような武器は外付けのパッケージか。
と、<首斬り兎>がこちらへ僅かに視線を向けた。
クロムドッグは警戒レベルを最大レベルに引き上げる。リーンズィやケルゲレンたちを相手にしながら背後に注意を払えるほどに余裕があるというのか……。
交差点を駆け抜ける極めて短い時間で、クロムドッグはそこまでの観察を終えた。
オーバードライブと思考精度は、基本的にはトレードオフだ。通常は二十倍速ともなれば思考は致命的なほど近視眼的なものになる。加速された世界は人間の時間ではないからだ。
クロムドッグの場合は、オーバードライブ中でも思考能力がさほど制限されない。それが彼の特性だ。
生体管制は最高水準だが、特段戦闘能力が高いわけではない。オーバードライブ突入までのラグも、最高峰の機体には及ばない。しかし加速された認知能力や身体活動を処理しても、普通なら思考が停滞すべき所で、まだ余裕を維持できる。第五分隊に属する機体なら誰しもがそうだが、クロムドッグの適応性は彼らより一段階上にあった。
彼に任されたポジションは、言うなれば第五分隊の囮兼偵察役だ。危険な役回りではあるが、同時に極めつけの大役でもある。致命的に進行した自体を前にしては、やはり情報をどれだけ先取できるかで任務遂行の難度は変動する。
戦闘が始まっている以上、敵は既にこちらの軍勢のおおよその戦闘能力について概算を弾き出していると考えて然るべきである。優位を取られているのだ。ならばこちらの情報が白紙では話にならない。完全な非対称状態だけは回避しなければならない。
そのようにして堅実に状況を進めるのが、第五分隊に配属されたメンバー。
通称『ハウンド』の特徴だ。
戦闘用スチーム・ヘッドとしては二軍が揃っている。どちらかと言えば偵察軍寄りの顔ぶれで、掛け持ちや転向者も含まれる。その反面、偵察を至上任務とする彼らほどの持久力や、壁を走り続けるなどの曲芸じみた身体感覚はない。しかし、戦闘能力と高度な認知能力を安定した水準で維持可能。軍団長ファデルの直接の指揮下にある隠し球だ。
クロムドッグは不明スチーム・ヘッドに目視された瞬間、生命管制のレベルを引き上げていた。
味方の多くが射撃で潰されていたため、狙撃される危険性を感じたからだ。
ところが、交差点は無事通過できた。
息つく暇も無い、対岸の道路に辿り着くや素早く建物の影に隠れ、壁面に甲冑の拳を叩き込んで急減速。肩関節が粉砕されるのも無視して、姿勢を急速に転換し、交差点付近で待機している仲間たちへ蒸気甲冑備え付けのライトでモールス信号を送る。
敵は増加装甲型射撃装備を保有。
基本装備の軽量さから近接格闘特化型。
第二から第四は全滅。
第一は切り札を使っても目標を無力化出来ていないがまだ敗北していない。
もっぱら、目標の注意はそちらに向けられている。
三つの分隊、即ち戦闘用スチーム・ヘッドが18機も沈黙しているという異常事態に、隊長のエーリカに動揺は見られない。他の仲間たちも平然としてた。
肝心なのは相手は第一分隊に惹き付けられているという事実であり。
『好機とみました。全機、突入!』
だからエーリカが手を掲げ、突撃のサインを出した時点で、無線封鎖を解除して最大出力のオーバードライブで駆け出していた。
『行け行け行け行け!』
『投射面積は小さく保てよ!』
『いや、回避に徹するべきだ。被弾するリスク自体を下げるべきだろう』クロムドッグは淡々と私見を述べる。『パペットすら射撃で破壊されている。我々の装甲では簡単に貫通される』
エーリカはと言えば、交差点に陣取ってケルビムウェポンの起動準備を始めていた。彼女もまた特異な才能の持ち主で、オーバードライブとケルビムウェポンを同時に使用できる。だが発動するまでに100ミリ秒は掛かるだろう。あまり現実的な能力ではない。
しかしそうした内情など敵には知れない。
ケルビムウェポンはどの世界でも対スチーム・ヘッド戦の切り札だ。無視は出来ない。
プレッシャーを掛けるための囮を買って出た形だ。
クロムドッグは仲間たちの背中を見送りつつエーリカの指示を待った。
そして観察した。
先陣を切るのは、両手に不朽結晶小型斧を携えたブラドッド。
消防用の斧じみた武器は、貧相で、如何にも頼りないが、先の不死病災禍において、大量発生したアクセ変異体に対し、まだ生身の人間だった彼はまさしく消火斧だけを頼りに無傷で脱出を果たした。彼にとって消火斧は無類の戦友なのだ。何より、余計な武装を抱えていては一番手は担えない。加速力と身のこなしに重点を置いた合理的なアセンブルと言える。
ブラドッドは破綻覚悟で限界まで加速している。二十倍速以上で敵が攻撃してくることを見越しての三十倍加速。定命の人間には視認することさえ難しいだろう。
その気配を察したらしい。
リーンズィたちをいたぶっている様子だったスチーム・ヘッド、極東の女学生のような姿の機体が、突如として煙の塊を残して消えた。
エーリカたち『ハウンド』にもその軌跡は見えない。
しかし、かの『ヴァローナの瞳』を受け継ぐエージェント、リーンズィの視線を追う程度なら造作も無い。どの機体も彼女の方を向いていた。
出立の時は輝いていた彼女の両腕の不朽結晶手甲は、どれほどの攻撃を受け止めたのか、今や古城の外壁のごとく見る影もないが、それでも剣戟をしのぎ続けていたのだ。
つまり、彼女にはかつてヴァローナがそうであったように敵の攻撃や移動がはっきりと見えている。
その視線を追えば、敵が崩落しかけた雑居ビルの二階に消えたのだと分かる。
『メタルが聞こえる』不意にブラドッドが報告してきた。『オリエンタルメタルだ。三味線の音が混じってる……』
『蒸気抜刀――』
正体不明機が再び現れた瞬間は、クロムドッグには視認出来なかった。
世界が書き換えられたかのような錯覚に、怖気という感情が再生される。蒸気噴射の煙から察するに、実際には圧縮蒸気の解放によって急激に加速・移動したに過ぎないのだろう。オーバードライブ時の認知の隙を狙ったのか。
屍蝋のような白い肌のその少女は、宙に浮かんで、手に不朽結晶連続体の機関式大型兵器を携えている。
不朽結晶連続体の衝角。
ハウンズにとってはありふれた兵器だ。ヘッドがパペットを倒す際には、しばしば使用される。
だから、その先端に電磁加速銃が仕込まれていることも知っている。
棒状の弾丸が放たれるのと同時にブラドッドは身を翻した。
敵は優秀だ。スチーム・ヘッドにとっても致命的な、正中線目がけての狙撃を、正確に行うだろう。しかも先行部隊の有様が示すとおり、スチーム・ヘッドでも避けがたい高速であり、不朽結晶連続体の装甲も貫通する。
それが分かっているなら回避は難しくない。
相手の視線や銃口の向きを観察していれば、事前に回避コースを定めるのは困難ではない。発射前には反動に備えて筋肉が強張る。
言わば初見殺しの兵器だ。他の部隊は、言わば初見にだけ絶対性を示す、くだらない飛び道具に翻弄されて撃破されたのだ。
果たしてブラドッドはカタナのような形状の弾丸の下を擦り抜け。
『――ネネキリマルMK4起動。蒸気抜刀、侍銃燕返し』
戦意を削ぐような儚げな少女の声を聞き。
そして、撃破された。
空中で回転した刃に肩口から胴体を切断された。
ブラドッドが回避したはずの飛翔体は、空中で軌跡を変え、大きく弧を描き、まさしく完全な背後、ブラドッドの死角からその胴体を装甲ごと叩き斬ったのだ。
飛翔体自体に蒸気噴射孔と簡易な人工脳髄が仕込まれていたのだろう。自動で敵をホーミングする機能だと推定される。通常なら考えられないほどの高コスト装備だった。
予想外だが、種が分かればやはり対応不能な程強力な兵器ではない。後続のパラムはブラドッドの残骸の下半身部分を蹴り上げて抱えて、分厚な盾として突撃を継続。さらにその後を追う機体、電磁加速長銃を構えたカランセは、偵察軍のように建築物群の壁を駆けて、高所から射線を通そうとする。
『……ハンターはまだか?』と言い残してブラドッドの意識が散逸した。
ハンターは、ハウンドと縁が深い機体だ。別働隊となることが多いが、実質的にはハウンドの所属と言って良いほどだ。
ここでハンターの名前が出ると言うことは、ブラドッドはハンターの狙撃奇襲以外に活路が無いと考えたようだった。
第一分隊の面々は、空中で狙撃姿勢を取った首斬り兎が後方へ向けて放った鱗状の迎撃弾幕から辛くも逃れたところだった。
呼吸の隙と見たらしく、同行させていた輸送用パペットに取り付いていた。装甲を開き、内部に保管していた各々の追加装備を抜き取り始めた。
だがそこから首斬り兎を追撃する兆候がない。ハウンズの面々の援護に入るべき場面である。
迎撃弾幕が展開されていることだけが理由では無い、とクロムドッグには分かる。
おそらく敵が狙撃姿勢を取っていても何らかの兵器が起動しており、無警戒にはならないのだ。
パラムの突貫を支援するためカランセが射撃を開始したが、首斬り兎はほとんど最小限の動きでそれらをガードした。
恐るべき反応速度だが、その間パラムからは照準が外れ――
『蒸気抜刀ーー侍銃三段打ち種子島之太刀』
カランセもパラムも同時に撃破された。
複数の銃口から一斉発射された合計十本のホーミング・カタナに異様な角度から貫かれたのだ。
異常な連射速度と発射数であり、回避も防御も事実上不可能である。
さらにケルビムウェポンの起動準備をしていたエーリカにも弾丸が遅いかかる。
『かかりましたね。クロムドッグ、今です』
エーリカが頸部と胸部を貫かれるのを見ることも無く、クロムドッグは最後の突撃を開始した。
先遣部隊が悉く全滅した理由はもはや明瞭だ。あの狙撃装備らしき武器が規格外すぎるのだ。誰も不朽結晶装甲弾を湯水のように使ってくる相手など想定しない。その想定外を突かれた。超高速で高純度不朽結晶を射出すれば当然有効ではあるのだが、その性質上、戦闘中の再利用は出来ない。回収出来ない可能性も高く、使い捨てにもなりかねない。
コストパフォーマンスが極めて低いのだ。同じ素材を適当な柄に括り付けて打撃武器にしたほうが効率的だ。だが相手はそんな常識を無視して、こんな辺境の片田舎、得体の知れない都市の真ん中に、大隊規模のスチーム・ヘッド部隊に一台配備されるかどうかという高級兵器を投入してきている。
そんなものを相手が使っていると予想出来るはずがない。大半は対応出来ずに撃破され、生き残りも回避にリソースを削られた後に、確実に白兵戦で仕留めらたのだろう、とクロムドッグは予測した。
手の内が見えたならやりようがある、と自分に言い聞かせる。
クロムヘッドは躊躇すること無く真っ直ぐに駆ける。
騒々しい安っぽいメタルが無線通信に割り込んで来る。
気の狂ったような東洋の弦楽器のリズムが、時計の代わりにけたたましく時間を刻む。
首斬り兎の射撃開始に合わせてクロムドッグは両手の電磁加速拳銃を構えた。
射出されたカタナ弾。それが軌道を変える前に、首斬り兎ではなくカタナ弾自体を狙撃する。
放たれたカタナ弾は六発。
こちらの電磁拳銃の装弾数は一挺三発、両手で六発。威力は十分だが、敵の構えている衝角じみた大型兵器は突破不可能。ならばこのように使うのが一番有効だ。
弾丸で弾丸を撃ち落とす。針に糸を通すような所行である。だが認知機能特化型のクロムドッグには出来る。
照準。射撃。命中。照準。射撃。命中……カタナ弾二発発の迎撃に失敗。
さらに追加で二発の発射を確認。終わった。
否、まだ手はある。
電磁拳銃を投擲してカタナ弾を撃ち落とし、味方の残骸まで蹴りつけて、敵弾の機動を阻害。
直撃を免れない一発は、敢えて回避せず、自分の蒸気甲冑の装甲で受けて、表面で滑らせて流す。
リーンズィが手甲で同等の刃を凌ぎ続けていたというのなら、刃筋が立たなければまともに切断能力を発揮しないのだと予想は出来た。賭けに近い迎撃だったが、クロムドッグは遣り遂げた。さらに数発撃たれていれば突破は不可能だった。
機能停止したエーリカのことは、振り返らない。
敵は全弾を撃ち尽したらしく、狙撃装備のパージを始めている。
ここからが本番だと言っても過言ではない。クロムドッグは両腕に仕込んだスタンナックルを起動して格闘戦に備える。モーターもコイルも露出していない暗殺装備だ。
おそらく外観からはそのような武器だとは見えないだろうが、定命の者が触れれば肉体が爆裂してしまうほどの電流が流れている。
クロムドッグは、さほど戦闘が得意ではない。おそらく首斬り兎を単独で仕留めるのは不可能だ。
しかし相手の肌であれ刃であれ、一瞬でも電流を叩き込めれば、大局において勝敗は決する。オーバードライブの世界でも電流はゼウスの命ずるがままの速度で世界を貫き、相手の筋肉を収縮させ、神経系を全損させ、人工脳髄を混乱させる。
全身甲冑型スチーム・ヘッドには通じない武器だが、学生のような姿をしたこの正体不明機には、充分効果があろう。
そして、その一撃と引き換えに、たとえクロムドッグが頭部を破壊されても。
ハンターや第一分隊が首斬り兎討伐を達成してくれる。そのはずだ。
『ダメだ、クロムドッグ』
リーンズィの無線がようやく届いた。意には介さない。
この一瞬の交錯に全てを集中させる。
『このスチーム・ヘッドは――』
首斬り兎が丈の短いプリーツスカートを波打たせながらゆっくりと落ちてくる。
スチーム・ヘッドは通常、滞空を好まない。
蹴れる地面のない状況では、スチーム・ヘッドの動きは大きく阻害される。
致命的な隙だ。
もちろん、接近に成功した他の機体も同じようにこの瞬間を狙ったはず。
接近して、しかし殺された。
真に危険なのはここからのシークエンスだ。
クロムドッグは神経を極限まで研ぎ澄ませる。
ブラドッドは捨て駒になると分かって立ち向かった。カランセとパラムも敵の射撃武器の特性を暴いてくれた。連射可能だと分かっていなければクロムドッグはこの局面にたどり着けなかった。エーリカが最後に作った隙が決定打になった。
恐るべき敵の特殊装備を封殺することに成功したのは、ハウンズの捨て身の貢献があってこそだ。
『この一撃で報いるーー!』
帰還した後の宴会と修理はまだ考えない。
この一撃、首斬り兎に下す鉄槌の如何で全てが決まる。
着地する猶予は与えない。
敵はまだ空中にいる。
いったいどれほどの反応速度がある?
どれほど精妙に太刀を振るう?
大事を取って安全策を張り巡らせる。周囲のスチーム・ヘッドの残骸を蹴り上げて浮かべて敵の視界を遮る。
さらに適当な部品を進出するための経路とは逆方向に投げて、壁の向こうにいる敵の気を反らせる
そうしながら犬の如く這い、繰り出される接触即感電の一撃を空の敵へと叩き込む。
回避は困難。
受け流すのは容易。
だが受けてもらうだけで勝敗は決する。チェックメイトだ。
獲れる、という確信があった。
あとはスタンナックルから電流ががががががあがががががあががががががCRITICAL ERORRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR体が動かない。
思考が散逸していく。
何故こうなった?
何故自分が撃破されている?
いつのまに、敵は、首斬り兎は、笑みを浮かべたこの愛らしい少女は……
自分の首を刎ねた?
蒸気が渦を巻いている。
不死の肉体を突き動かす龍の鼓動が遠のいていく。
時空が書き換えられたとしか考えられなかったが、そんなはずはない。
起きている現象だけが全てだ。
首斬り兎は認識不能な速度で姿勢を立て直し、反撃に転じた。
スタンナックルを回避し、自分の首を斬った。
クロムドッグは呆然とその事実を受容した。
『無名の敵兵AIにしては上出来。今シーズンはみんな活きがよくて壊しがいある』
愛おしむような甘い声が、空疎にクロムドッグの脳髄を冒す。
『そのスチーム・ヘッドは……』悲嘆に暮れたリーンズィの声が最後に聞こえた。『特別な武器を持っていないときのほうが、ずっと強いんだ……』
自分の首の断面をクロムドッグは見た。
視界が空高く舞い上がっているのは、首を切断されて、蹴り飛ばされたからだ。
地表には、手足を細切れにされていく自分の残骸が見える。
クロムドッグは己の決定的な敗北を理解した。
やがて自分の首も地に落ちる。
……だがそうはならないことをもう知っていた。
そしてこれが終わった事象に関する記録の再生であることも、知っていた。
黒髪の少女、レーゲント紛いの美貌を持つ首斬り兎の視線が、不意に険しいものになる。
リーンズィやミラーズが目を見開く。
ケルゲレンたちもヘルメットの下で瞠目しているだろう。
首斬り兎に撃破されたときと同じく、クロムドッグには起きたのか理解できなかった。
全ては彼の強化された認知能力の、その外側で完結していた。
だというのに、クロムドッグにはその外側まで見通すことが出来た。
彼の頭部は、今や奇妙な装飾の施された厳めしいガントレットに抱えられていた。
金色の髪をした妖精のような少女が宙に浮かび、暗くなる視界の片隅を横切って微笑んで囁く。
> 終局時計管制特権により、人類文化継承連帯クロムドッグの人工脳髄のセキュリティを奪取しました。調停防疫局は貴官のレコードの一部を獲得しています。異議申し立ては後日受け付けます』
誰だ。何をしに現れた。
> 状況は理解した。任務終了だ、クロムドッグ。賞賛に値する戦果だ。君の帰還は我々が保証する。
> 受勲ものの働きです、クロムドッグ。ハウンドの戦いを我々は高く評価しますよ。
少女の幻影がクロムドッグに口づけをする。
ああ、今までの走馬燈のような風景は、と、機能停止する寸前のクロムドッグは理解した。
彼らによってレコードを読出されていたのか。
> 君の後は我々が引き継ごう。
バイザーの奥で二連二対のレンズが赤く輝いている。
もうクロムドッグには名前を思い出せないが、これまでの記憶は、全て、彼によって再生された、自分自身の敗北までのレコードだった。
無様に敗北したわけではなかった。
自分の戦いを目印に、新たな道を拓くための機体が来たのだ。
願わくば、自分の最後の戦闘経験が、真なる勝利の道へ続いていることを。
『誰? どこのテレビ局の人……』
用済みとなったヘルメットを虚空へ放り投げたそのスチーム・ヘッドに向かって、ケットシーは警戒心を露わにした。
クロムドッグを解体した直後のカタナの切っ先を向けた。
『ヒナにも機動がはっきりと見えなかった。こんなことが出来るのはお父さん……お父様ぐらい。まさか、お父様の手下?』
彼女の目にもはっきりと分かるほど異質なスチーム・ヘッドだった。
形状では無くその在り方が不自然だった。
鏡面の如きフルフェイスのバイザーに映る世界はいびつに歪んでおり、棺の如き重外燃機関からは絶えず血煙が漏れ出て冬の大気を穢している。
戦闘服に包まれた偉丈夫の肉体、左腕と頭部しか包んでいない蒸気甲冑、全身のどこを見渡しても蒸気を上げていない箇所は一つも無い。
ひりつくような圧迫感。いつか父たるシィーと交信するために確保していた回線を通じて、何者かが干渉を行っているのが分かる。彼女の目にも、金色の髪をしたアバターの姿が見えていた。
その少女はぴったりとヘルメットの兵士に寄り添っている。
守護天使か、あるいは悪魔、天使、伴侶のように。
まるでスチーム・ヘッドという概念を借りた何者かが、只人の目には見えぬおぞましき馬で馳せ参じ、この世ならざる妻を伴って現れたかのような。そんな違和感がある……。
その姿は、どこか見知らぬ惑星に漂着してしまった宇宙飛行士に似ている。
彼がどこから来たのかは、誰も知らない。
何をするために旅立ったのかも。
かつてその瞳が何を見たのかも、誰も知らない。
『私は調停防疫局最終代理人が一人……アルファⅡモナルキア』
装甲されていない右腕が戦闘服ごと千切れ飛んだ。
隠されていた茨の異形が冬の空に晒される。
空に向かい、地に向かい、餌を求めて荒れ狂う触手のごとく暴れ始めた。
『アルファⅡモナルキア、エージェント・ヴォイドだ』
『目標、エージェント・ヒナを敵性スチームヘッドと認定しました』
天使の如く金色の髪を靡かせる少女が、高らかに宣戦を布告する。
『当機は、目標制圧のためにあらゆる支援を惜しみません。感染者保護の優越に基づく局内法規の適応範囲を拡大。エマージェンシーモード、起動。コンバットモード、起動。オーバードライブ、レディ。オーバーライド、スタンバイ。非常時発電、スタンバイ。循環器転用式強制冷却装置、稼働中。機関内部無尽焼却炉、限定開放。炉内圧力、上昇しています。エルピス・コア、オンライン。世界生命終局時計管制装置、限定解除。鎮圧拘束用有機再編骨芯弾、スタンバイ。――アポカリプスモード、スタンバイ』
『アポカリプスモード、レベル1。レディ』
ヴォイドが左腕のガントレットの最終意志決定のレバーを引いた。
爆音すら追いつかぬ超高速の世界に、断頭台の刃が落ちるが如く。
世界生命を終わらせるための歯車が、ごとりと音を立てて回り始めた




