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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション1 調停防疫局 エージェント・アルファⅡ
6/197

1-4 聖歌隊の不死者たち

 墜落の間際。

 斜面に激突したヘリの、骨組みだけのコックピットで、アルファⅡは極めて切迫した状態に置かれていた。


 胴体を座席に固定するワイヤー・ロープが、死刑執行人の振り下ろした斧のように肉を断ち切りつつある。

 脳内麻薬によって加速された時間の中で、心臓は月のない夜に鳴り響く大聖堂の鐘のごとくわななき、傷口から生命そのものである炎、煮えるように熱い血が零れ落ちていくのを感じた。


『即座の離脱を強く推奨します。ワイヤー・ロープを切断して下さい』

 他人事のようにユイシスが通告してきた。

『脱出するタイミングがあまりにも遅いので何か策があるのかと静観していたのですが』


 ロープを放置していても、衝撃で座席ごと機外に放り出されるだろうという楽観があったのだが、予想外にもコックピット周辺が壊れる気配は微塵もなかった。

 基幹部位だけが準不朽素材で補強されているという可能性を考慮していなかったのだ。

 もはや言われずともユイシスの推奨するような処置を取る他ない。

 既に筋肉層にまでワイヤー・ロープが斬り込んできているのが感覚出来た。

 いずれ臓器に到達し、さらには背骨までも両断するだろう。


 感染者、特にスチーム・ヘッドにとっては、腕や脚が肉体から脱落した程度ならば、損害としては軽微である。

 部品が回収可能なら傷口同士を押し当てるだけで各部の組織が融合を始め簡単に再生する。

 回収出来ないとしても、欠損した部位が新たに造り出されるまでの間、多少の不便があるだけだ。

 だが胴体を、複数の組織と臓器を丸ごと真っ二つにされるような極端なダメージは別だ。そのような異常な死を何十回も体験していなければ適応できない。再生に時間が掛かる。

 敵地で長時間行動不能になるリスクは可能な限り避けたかった。

 

 聖歌隊の少女がローターに巻き込まれた頃には、アルファⅡはもうタクティカルベストのナイフに手を伸ばそうとしていた。

 しかし、思考したとおりに体が動かない。

 脳内麻薬の増加によって、知覚速度はスチーム・ヘッド同士の戦闘にも対応できる域に達していたが、身体操縦はまだ通常状態のままだ。


> 破壊的抗戦機動(オーバードライブ)制限解除(レディ)


 アルファⅡは思考を紡いだ。


『オーバードライブ、スタンバイ。準備はよろしいですか?』


> 起動!


 命令を受諾したユイシスが、重外燃機関からガントレットへと働きかけた。


 全神経に対して電子パルスが発せられて、筋出力のリミッターが破壊された。

 アルファⅡは筋組織が断裂し、骨が砕けていく、その音ならざる音を聞く。

 肉体の活動が思考速度に追いついた。


 ついにタクティカルベストの胸から不朽結晶連続体で構築されたナイフを抜き、ステンレスが編み込まれたワイヤー・ロープに刃を入れた。

 己の腹部の肉ごとロープの何束かを切断し、ようやく拘束が緩んだ頃に、ヘリのローター・ブレードに叩き潰されて両断された少女の下半身が飛来し、無遠慮にアルファⅡにぶつかってきた。

 血が視界を汚す。

 大した質量ではなかった。

 加速度を無視しても、この程度ならば、オーバードライブを発動しているスチーム・ヘッドにとっては、鳥の羽が飛んできたようなものだ。


 しかしアルファⅡはナイフを取り落とした。

 衝撃によるものではない。コンマ数秒にも満たない思考で、ナイフを捨てることを決断したのだ。

 アルファⅡ、調停防衛局の最後のエージェントが極限下で出力した思考は一つだけだ。


「この感染者を保護しなければならない」


 耐ショック姿勢を選ぶ余裕はない。

 水平方向への自由落下という奇妙な形で飛び込んでくる、断面から臓物を花の枝のように無造作に投げ出した未成熟な人体の下半身を、左腕のガントレットで受けて、抱き留めた。


 そうしているうちに機体が地形に乗り上げてバウンドした。

 今度こそアルファⅡは機外へと投げ出された。

 雪月花の輝く丘の頂を越えて勾配の斜面を跳ね、離断された下半身を抱えたまま、ごろごろと無様に転がった。

 そのすぐ上を、ヘリの残骸の群れが通り過ぎて、地表に落着して雪原を荒々しく抉り、土塊を撒き散らしながら転がっていった。


 転げているうちに、心棒が失われたかの如く、当然にアルファⅡの両方の腕から感覚が喪失した。

 少女の下半身は勢いのまま腕の中から擦り抜けて放り出され、雪に血の赤をぶちまけながら転がっていき、埋もれていた岩にでも引っかかったのか、膝立ちの状態でつんのめって停止した。

 何か冒涜的なオブジェのようでもあり、異星から漂着した種から芽吹いた花のようでもあった。

 滑らかな肌を曝け出した下半身だけの肉体。

 アスベストを織り込んだ準不朽素材の下着と、軍隊調のブーツが、無毛の脚に映えている。鼠径部のゆるやかな起伏は断面から垂れ落ちる血でいっそ艶めかしい陰影を描き、雪の抑圧的な反射光の中で呪われた陰影画のようにも見えた。

 胴体の断面からは臓器のことごとく露出させているばかりから、腸管等の雑多な外側に臓物を散らけているその肉体は、あるいは踏みにじられた果実にも似ていたが、そのように感じるのは実際に甘やかな香りを発しているからだろう。

 感染者は、多少の差はあるものの、基本的に甘い香りをしている。


 アルファⅡはと言えば、オーバードライブを発動させた反動もあり、受け身すら取れないまま、転がっていくしかなかった。

 ユイシスがアルファⅡの背負う重外燃機関に設けられた長筒型の蒸気噴射機を作動させて、圧縮蒸気で姿勢を安定させなければ、うつ伏せた状態で倒れ、背負った機械の重量に潰されて長時間動けなくなっていたことだろう。

 胴体の切断や四肢の離断はなかったが、仰向けに倒れたまま、体を動かせなくなっていた。


「やはり……なんてことなかったな。墜落か。良くはないが、悪くも無い」


 仰向けになりながらアルファⅡ。

 バイザーには、地上で起きる有耶無耶へ無関心を貫く、超越的な青空が広がっている。

 周囲の雪が体温を奪っていくのが朧気に分かった。

 咳き込む。呼気は血の味をしている。

 喀血はヘルメットの排出孔からすぐに流れ落ちた。


 そのまましばらく待った。依然として全く身動きが取れない。

 再生が進んでいる感覚もないのが奇妙ではあった。


「……聖歌隊のスチームヘッドも、あの様子では暫く再帰出来まい。デッド・カウントが三桁に達していても、下半身喪失を再生するのにはかなり時間がかかる……半日ぐらいか? こちらは五体無事だ。私の方が有利だな」


 ユイシスは呆れたようだった。


『有利だな、ではありません。警告します。脊柱の複数箇所が粉砕骨折しています。四肢が動かせないことを確認して下さい』


「動かせない?」

 

 左腕のガントレットで右肩を掴み、防御姿勢を取ろうとしたが、腕そのものが存在しないかのように全く反応しない。

 ガントレットを自由に動かせないなら、アルファⅡは超高純度不朽結晶連続体の蒸気甲冑というこの世界で最高の守りを失っているに等しい。

 この状態では無防備が過ぎる。

 心臓への連続射撃を受ければ、そのまま肉体を地面に縫い止められかねない。


「確かに動かないな。再生まで何秒かかる?」


『再生の完全な終了まで、推定九〇秒』


「分かった。それまで安静にしていよう」


『いいえ、貴官は理解していません。安静にしている猶予はありません。音紋解析の結果、我々がやってきた方角、丘の向こう側に展開する聖歌隊指揮のラジオ・ヘッドが、現在も自律稼働していることが判明しました。二十秒後には丘の稜線から出て、こちらを銃撃してくると予想されます。残数は七名です』


 アルファⅡは辛うじて動かせる首から上だけを使って、指摘された方角に視線を向けた。

 ユイシスの知覚拡張処理により、丘の稜線を透かすようにして、こちらへ近づいてくる七人の不死の兵士の姿が、視覚上に構築された。

 足先の感覚だけを頼りにして歩く盲人のような不確かな足取りだったが、着実に接近しつつあり、手には銃をぶら下げている。


聖歌指揮者(レーゲント)、つまり指揮官がダウンしたのに、彼らはまだ動いているのか」


『インプラント式の自律式簡易人工脳髄を搭載している可能性があります。バッテリー残量の1%をEMP放射に使用することを提案します』


 アルファⅡが実行を促すと、左腕のガントレットの掌に設けられた発振器から高出力の電磁波が無差別にまき散らされた。

 不朽結晶を利用しない簡易な人工脳髄は、多くの場合、生体脳に無骨な金属のプラグを直接差し込むという時代錯誤な侵襲的加工に頼っている。

 無線で操縦されているにせよ、内蔵されている行動ロジックで自律行動しているにせよ、大抵のラジオヘッドは、高出力電磁波の直撃を受ければ、人工脳髄自体がショートを起こし、生身の脳を焼き切られ、機能を停止する。

 概して簡易な不死の兵士は電子攻撃に対して脆弱性を持ち、この欠陥が高高度核戦争の勃発を招いた。


 だが、ユイシスが情報を解析している限りでは、聖歌隊の不死者たちは、電磁波の嵐の中でも問題なく移動を続けていた。


『EMP放射終了。効果を確認できませんでした』


「人工脳髄を使っていないのか? 聖歌指揮者は遠ざけた。もう原初の聖句も聞こえていないはず。そうだな? では何故動く」


『推測。感染者たちの個々の脳髄の記憶領域に、自律行動を支援する言語命令がインストールされている可能性があります。高位のレーゲントがしばしば利用する【構造化された聖句】です。入力が途絶えている以上、いずれ情報的に揮発するものと考えられますが、我々に危害を加えるには十分な猶予です』


「物理的に排除するしか止める手段はないな。肉体の復帰は?」


『脊柱に関しては、応急処置完了まで三〇秒です』


「間に合わない。オーバーライドの準備を」


『非推奨。悪性変異が急速に進行する危険性があります。現在の適応度における変異率上昇は回避すべきです。安全域を確保してください』


「この状況で三〇秒は長すぎる。私たちのような存在は……常に先手を取った側が優位に立つ。意思決定主体の優越権を行使して、オーバーライドの実行を命じる」


『受諾しました。視聴覚からのリアルタイムフィードバックスタンバイ。疑似固有受容感覚形成完了。非常用電源回路閉鎖。プシュケ・メディア、電磁遮蔽を検証。チェック項目省略。オーバーライド、スタンバイ。準備はよろしいですか?』


「オーバーライド、起動」


 左腕部のガントレット型のスチームギアから、大出力の電気パルスが放射された。

 今度の目標は、丘に白い息を吐く不死病患者たちではない。

 倒れ伏せた自分自身だ。

 アルファⅡの左腕、甲冑の内側にある電極が筋肉を焼き焦がし、引攣らせる。

 電流に破壊された心臓が細動を起こし、アルファⅡの視界が明滅する。


 もはや脊柱の損傷など問題にならなかった。

 電気パルスは雷のように経路上の肉を裂き、血液を容赦なく沸騰させて、目標の筋組織自体を極めて直接的に、野蛮に刺激した。

 腹直筋や外腹斜筋、腹横筋等が破壊的に収縮させられた。

 アルファⅡの肉体が、螺旋仕掛けの人形のような異様な仕草でがばりと起き上がる。

 末期の低酸素脳症のように全身が痙攣した。

 僧帽筋周辺が弛緩しているせいで首の位置が安定せず、痙攣に合わせて砲金色のヘルメットが激しく揺れた。


 右腕が、関節の可動域を半ば無視して、タクティカルベストの胸から拳銃を無理矢理引き抜いた。

 そしてクリック式の関節を持つ人形のような角張った動きで、稜線から現われた無表情な兵士の額へと銃口を向けた。

 殺人的な電気パルスによる筋組織の収縮に操られる姿は、未熟なオペレーターの出鱈目な運指に翻弄される壊れかけの人形に似ている。

 皮下で焼損した筋肉が再生を開始し、蚯蚓のように蠢く。そして再生する傍から破壊されていく。


『火器管制装置オンライン。カウンターガン、レディ。調停防衛局の戦闘規定に基づき、当機は攻撃に対して応戦する形でのみ射撃を行います。観測と指示の入力を』


> アルファⅡ、了解。観測情報を共有。稜線から顔が出た。こちらを見た。首の筋肉が動いている。肩もだ。銃を構える兆候だ……。


『攻撃の意思ありと判断。迎撃を開始します』


 嘲弄するような声で御託を並べながら、アルファⅡの肉体を強制操作するユイシスは、目標の輪郭が稜線から出た瞬間に躊躇無く射撃を開始した。

 感染者制圧用に作成された特別製の大口径拳銃が火を噴くと、射手の耐久性を考慮していない反動がまず最初にアルファⅡの右腕の関節を破壊した。

 弾丸は命中。エナメル質でコーティングされた炸裂弾に撃たれた感染者の顔面に、拳ほどの大きさの穴が空き、雪原へと、記念日に送るカーネーションのような鮮血の花を咲かせた。

 ユイシスはパルスの発信を緩めない。

 のたうち回る腕を無理矢理操作して、拳銃を構え直し、現われた順に、頭を、胸を、正確に撃ち抜いていった。

 発射した全ての弾丸が命中した。


 血と肉の湯気が雪原を濡らし、融かして蒸気を上げている。

 電流に焼かれた肉の焦げた匂いが風に吹き流されていく。


 七回の射撃を行った後には、アルファⅡの右腕の関節は完全に崩壊していたが、筋組織の火傷が再生した後には、すぐに筋組織同士が絡まり合い、軟骨が再掲載され、砕けた骨も接合した。


『全目標の排除を確認しました。オーバーライドを終了します』


 アルファⅡはがっくりと脱力した。

 筋組織の強制的な収縮という不可視の操り糸を失って、背中から倒れ込んだ。

 そして全身の骨格と筋組織が修復されるのを待った。



 結局、たっぷり一二〇秒も経った頃、ようやく自由に動けるまでに回復した。

 重外燃機械に押し潰されそうになりながらよろめいて立ち上がり、血で汚された、数分前までは清閑なる眺望を呈していたであろう白雪の丘を見渡した。

 飛び散った血と肉は赤いスミレの群生地のようでもあり、狂気的な心理学者が生き血でロールシャッハ・テストを行った後のようでもあった。

 アルファⅡの身を包む戦闘服も血まみれだったが、いずれも冷風に晒されて凍り始めるか、蒸発を始めている。

 他の不死病患者から四散し、本体への結合が不可能になった血肉が恒常性から切り離されて綻び始め一挙に蒸発し赤い薄煙が虐殺のあった河の穢れた川霧のように、足元に淡く立ちこめる。


 現実と幻想との境目が曖昧になる景色の中で、アルファⅡの有様は無惨なものだった。

 鏡面の如きフルフェイスのバイザーに映る世界はいびつに歪んでおり、青空に浮かぶ太陽は無遠慮に光を投げかけていて、感覚の全てが余所余所しい。吸引する冷たい空気さえ細かな棘を持った灰のようで、アルファⅡ自身は認識していなかったが、吐き出す息は苦痛に震えていた。

 砲金色のヘルメット、側頭部に刻まれたカドゥケウスの赤い紋章、棺の如き形状の蒸気機関と、左腕部を飲み込んだスチーム・ギアのガントレット、そしてそれらを連結するケーブル類だけが無傷だった。

 多量の出血を補うために、全身至る所で短期の活動には不要な臓器が分解され、造血が推し進められていたものの、なおも続く慢性的な貧血から、直立姿勢を維持するのは困難だった。

 それでも油断なく、血肉の上げる煙の中で背筋を伸ばし、射殺した感染者たちに尚も拳銃を向ける姿は、歴戦の兵士の写し絵ではあるのだろう。

 あるいは、どこか見知らぬ惑星に漂着してしまって途方に暮れている、無力な宇宙飛行士にも似ている。


 アルファⅡは血反吐を飲み下しながらユイシスに問うた。


「彼ら……あの不死者、さっき殺してしまった感染者たちだが……」


『修正を提言。応戦したのは貴官ではなく、当機です。受勲に値する働きだったと自負しています。AI初の勲章受章者には当機を推薦して下さいね』


「それをいうなら私はパープルハートものの献身だったと思うが……全身の肉が焦げてしまった……それで、彼らは再生まで何秒かかる?」

 心臓もしくは脳幹を破壊したはずだ。

 絶対的な致命傷を負って沈黙した兵士たちを見渡して、アルファⅡは冷静だった。

「悪性変異の危険性はどれぐらいある?」


『感染者は不滅ですが、連続性は永久ではありません。心臓や頭部の物理的破壊は極めて大きな意味を持ち、その瞬間には確実な生命の断絶が訪れます。基幹部位を破損すれば、恒常性に著しい混乱が生じて、身体コントロールは一時的ながら完全に失われます。統計上、生命活動に不可欠な部位を破壊された感染者は、支援なしでは復帰に一五〇〇秒の時間を要します。悪性変異の可能性については、継続的に身体への破壊を加えなければ、心配は不要です。ご安心ください』


「何も不安ではない、……が……」


 ユイシスの言葉とは裏腹に、顔面を後頭部まで丸ごと吹き飛ばされたはずの兵士の一人が、長い眠りから覚めたかのように、何気なく身をもたげた。


「……もう一五〇〇秒も経ったか?」


『否定します。生命管制。コンバットモード、スタンバイ。脅威は去っていないようです。この速度での再生は異常です。十分に警戒を』


 アルファⅡは深呼吸をして、己のプシュケ・メディアに記録された非言語的な戦闘ルーチンを起動させた。

 左腕のガントレットを曲げ、胸の位置で固定し、右腕の二の腕を掴んで、不滅の装甲に覆われた左肩を敵に向けた。

 そして腕組みをするようにして、拳銃を握る右手を左腕のガントレットの上に乗せた。


 ガントレットは依託射撃の支台であり、己の心臓を防御するこの世で最も硬い守りだった。

 艦砲射撃であってもこのガントレットだけは破壊できない。


 まさに蘇生し、動き始めた、その不死の兵士を観察する。

 穿たれた穴は、穴自体が傷口に飲み込まれていくという騙し絵じみたプロセスで見る間に再生していった。

 脳幹、眼球、鼻梁。

 失われた一切を再獲得した兵士は、覚束ない足取りで立ち上がり――ここではないどこかに視線を向けながら、不意に叫び始めた。

 乱暴に手足を振り回し、手負の獣じみた絶叫を上げながら、興奮した様子で暴れた。

 そして数秒後に立ち止まった。


 それきり動かなくなった。

 何もかも忘れ果てたといった表情で、凍り付いたかのように停止した。


『感染者の自己凍結を確認。無力化しました』


 他の兵士たちもタイムラグこそあったが、予想外の速度で次々に蘇生した。

 最初の兵士と同様の反応を示し、奇妙な動きで、その場には存在しない何かを、あるいは仲間である筈の兵士をひとしきり威嚇して、途中で電源を抜かれてしまった家電製品のように停止していった。

 中にはむくりと上体を起こし、座り込み、騒ぐでもわめくでもなく、そのまますぐに動かなくなった者もいた。声を上げることも、暴れることも、視線を動かすこともしなかった。

 何千回もこの行程を繰り返した後といった風情だった。


『全目標の自己凍結を確認しました』


「そうか」


 アルファⅡは拳銃をタクティカルベストの胸のホルスターに戻した。

 そして完全に静止した不死の兵士に近づいていった。

 一人の顔の前で手を振る。

 ヘルメットの黒いバイザーに毛穴が映り込むほど接近した。

 攻撃的な動作の兆候はない。


 今後もこのような戦闘がある可能性を考えると、対感染者様拳銃だけでは不足があると感じられた。 余計な刺激を与えないよう、慎重な手つきで、不死の兵士たちの構えていた銃火器を漁り、一番取り回しの良さそうなバトルライフルを拾った。

 バレル下にはボックスマガジン式のショットガンが取り付けられている。

 標準的な形式の、対機械化感染者を念頭において作られたライフルだ。

 外観は古びていたが要所に準不朽構造体が採用されており、動作機構はよく整備されていた。

 どうやら武器の整備と改造を行える設備ないし集団がどこかで活きているらしい、という事実にアルファⅡは思考を巡らせた。


 弾倉内を確認する。残り少ない。自己凍結した兵士たちの武器から弾丸も集めて回ることにした。


 不死の兵士、あるいは兵士として利用されていた感染者たちは、もはや人間的な思考というものが抜け落ちた虚ろな視線を向けてくるだけだ。

 襤褸切れのような戦闘服のポケットを探り、未使用の弾倉を引きずり出して、バトルライフルの薬室に叩き込んだ。

 そしてガントレットを盾と支台にする、腕組みじみた射撃姿勢を取って、自分たちがやってきた丘の向こう側を確認しに行った。

 ヘリが突入した方の斜面だ。


 機体で挽き潰したはずの兵士たちもまた、既に再生を遂げていた。

 四足獣のような動きで雪原を這い回った痕跡があったが、それぞれが思い思いの場所で無事に再生を完遂し、自己凍結状態に陥っていた。

 

 ヘリのローターに切断された聖歌隊の少女の上半身は、ずいぶん遠いところに吹き飛ばされていて、まだ動いているのが見えた。

 皆、まだ生きていた。

 死ねないでいた。

 この地で引き裂かれ、複雑に折れ曲がり、そして完璧に死に絶えているのは、骨組みを剥き出しにした見すぼらしいヘリのみとなった。


『全目標の無力化を確認。敵戦力、沈黙しました』


「……体幹部を破壊されてこの短時間で再生するというのは、信じがたいな。デッド・カウントが100や200ではこうならないはずだ。ただの感染者じゃない」


『元は戦闘用スチーム・ヘッドだったかのかも知れません』


「それが何故こんな粗末なラジオ・ヘッドに成り果てている理由が分からない」


『無意味な検証です』

 ユイシスは淡々と言った。

『かつてどうだったのかは、無意味です。彼らは他の不死病患者と比較して、何ら変わることのない存在です。ただの自己凍結者(フロストマン)です』


 アルファⅡは射撃姿勢を解いて、兵士たちを見渡した。


 かくして死者たちは再生した。

 新たな命、穢れなき魂のもと、何もかもを忘れ去り、未来永劫立ち尽くすだけの存在へと、本来在るべき姿へと回帰した。


 これが現在の人類の有様だった。

 すなわち、彼らのような有様こそが、不死病に罹患した人間の本来の姿であった。

 不死病には二つの破滅的な性質が備わっているが、その一つが人間を自己凍結者(フロストマン)に変えてしまうということだ。


 不死病は全ての感染者に、完璧な、どこまでも完璧な肉体を与える。

 感染者は飢えることも乾くことも無くなる。

 そして――自由意志と呼ばれるものが消滅する。


 畢竟、意識とは生命維持に供される器官の一つに過ぎない。

 生命が永遠となったのなら、意識などというものがその存在に介在する余地はない。食欲、性欲、睡眠欲といった三大欲求すら備わらない肉体に、魂などというものは必要ではない。

 無論、究極的な実体は不明ではある。本当に自由意志が無いのか? 魂が無いのか? 外部からは観測できない高度な精神活動が行われているのかも知れないし、魂か何かが分離して世界の終わりまでどこかを彷徨うのかもしれないが、少なくとも脳波は、徐波睡眠に似た状態で安定し、変動しなくなる。

 深い瞑想状態にある修行僧のように、姿勢を固めたまま、指一本動かさなくなる。


 死を超克した存在に、意識などというものは必要ない。

 生命、および自己情報を保存するための活動は、全て無価値となる。

 単体で永続する完璧な生命になるのだから。

 故に不死病の感染者たちは自発的な思考を病によって奪われるのではなく、無用の長物として手放してしまうのだ……それが研究者たちがかつて示した、おおよそ共通する見解である。


 今し方アルファⅡが仮初の死を与え、生体脳から命令情報を揮発させた感染者たちも同様だ。

 外部からの特異な刺激が無い限り、生ける温かな氷像としてその場に留まり続ける。

 あらゆる苦悩、渇望が凍結された彼らは、幸福なのだろう。


 だが、そのような症状を呈する人間が地上を埋め尽くせば、そこに文明と呼べるものは存在しなくなる。

 必要がないからだ。

 生活者のいない都市は空白の箱庭であり、走る意味を失った車両は不格好な鉄の塊であり、伝えるべき言葉を失った手紙は真実ただの紙切れであり、隣人を殺すための凶器は存在理由を失い、神の名を唱える者も物理的に消滅する。

 この不滅の時代に、不滅の疫病の時代、凍てついた楽園の時代に、人間の心だけが存在を許されていない。


「……空軍基地を出る前にレポートを読んだ。十数年後には世界中、どこを見ても、一人残らず不死病を発症して、こういう光景だらけになっているだろうという内容だった。……十数年後というのは、いったいいつから、十数年なんだ? 今は……レポートが書かれてから、何年後なんだ」


『手がかりはあります。スヴィトスラーフ聖歌隊です。彼女たちは何かを知っていることでしょう』


 通常、感染者の『自己凍結』を外部から苦痛なく平穏な形で妨げる手段はないが、何事にも例外はある。

 スヴィトスラーフ聖歌隊の用いる『原初の聖句』がその一つだ。

 原初の聖句は、機械だけでは再現できない。不可思議なことに、それは特異な精神構造と生身の脳髄、特定の肉体のセットによってのみ運用が可能だ。

 そして、聖歌隊が原初の聖句を扱えるということは、スチーム・ヘッドが健全な状態で存在していることをも意味する。

 特異な精神構造を擬似再現する人工脳髄と肉体がともに正常に稼働していなければ、原初の聖句は扱えないのだ。



 視界の片隅に記録映像を呼び出す。

 ゆるやかに波打つ美しい金色の髪をした聖歌隊の少女の姿が提示される。

 記憶領域から再生された、プロペラに轢断される寸前の姿だ。

 アンティーク調の行進聖詠服から覗く肌は息を飲むほど白く、滑らかで、不自然なほどに清い。

 繊細な作りの顔に浮かぶ笑みは晴れやかで、緑色の瞳は目玉ごと抉り出して競売にかければ買い手がつくだろうというほど美しい。

 汚濁という言葉からはほど遠い存在に思える。

 だが、その清純な外見とは裏腹に、美の性質に言い知れぬ退廃の気配がある。


「……冷静に話が出来れば良いが。聖歌隊は世界大戦の引き金を引いた有力な勢力で、狂信者の集まりだ。聖職者の集まりだったという言い方も出来るが。意思疎通が出来ればまずは御の字か。用心しなければ」


『神話の時代、悪魔とは神でした。堕ちた天使たちでした。彼らは果たして、純然たる悪意の具現者だったのでしょうか。あるいは忘れられた聖性の残滓だったのでしょうか。聖邪の区別は当機には不可能です。誰にも不可能でした。貴官の猜疑を肯定します』


「それが出来ないから戦争が始まった。何が良いのか悪いのか、私たちには分からない。この感じだと……終わらせることも出来なくなった」


 丘の先へ戻り、聖歌隊の少女の切断された腰部を探した。

 すぐに見つかった。鮮血のアラベスクの中央点、準不朽素材の繊細な飾りの付いたショーツに、無骨なブーツを身につけただけの、下腹部から下しかない裸の肉体が、断面から零れた腸管をくねらせながら、立ち上がろうとしていた。

 すぐに倒れる。

 また立ち上がろうとする……。

 倒れる、臓物が撒き散らされる、臓物が巻き戻る……。

 そんな古い時代の実験映画かホラー映像のような光景が、繰り返し繰り返し上演されている。


「……思ったより酷いことになっているな」


『刺激的な出会いになりましたね』


「上半身のところに連れて行ってやらないと……しかし裸のままにしておくのは酷な気がしないか?」


『疑義を提示。お互いにスチーム・ヘッドです。性別などの要素は文化的な背景の上にしか存在していません。羞恥心への配慮は不要かと」


「それでも、少しでも心証は良くしておきたいだろう。交渉をするのだから」


 ヘリの残骸の周囲を見渡した。

 コックピットから機外へ捨ててしまった、不朽のナイフを雪の上に発見した。拾ってタクティカルベストの鞘に収めた。

 それからヘリのひしゃげたフレームをねじ曲げて、離陸前に適当なスペースに放り込んでいた布束を、苦労して引っ張り出した。


 広げてみる。

 あれだけの衝撃に晒され、潰されていたにも関わらず、折り目一つ付いていない。


 青い布には、赤い世界地図が描かれている。

 焼き尽くされた世界の地図が。

 その中央に突き立てられたのは、立ち向かうべき敵を見失った愚かな戦士の両刃の剣。

 そしてそれに巻き付く翼ある二匹の蛇……。


 調停防疫局のシンボルをあしらった旗だ。

 ポールは置いてきたため、実際に旗としては使用できない。

 だが不朽結晶連続体で構成された一枚布であり、有用であろうということで持ち出してきたのだ。

 アルファⅡはバトルライフルを準不朽素材のスリングで首から掛けた。

 そして奇怪な動きを繰り返す少女の下半身に歩み寄り、毛布でくるむようにして、その不滅にして絶対の旗で、細く儚げな肉体を包み込み、抱き上げた。

 不朽結晶の繊維の隙間からぼたぼたと血が零れ続けた。


『不朽結晶連続体は極めて貴重な素材です。その旗の製作にいくらの予算が投じられたかご存知ですか?』


「知らないな」


『当時の金銭的価値に換算して、最新鋭戦闘機三機分に匹敵します』


「しかし、戦闘機が、この感染者の裸身を隠してやるのに、何か役に立つか?」


『消極的に同意します。これが、一番良い使い方なのでしょう』


 聖歌隊の不死者、麗しき退廃の少女の上半身は、丘の麓にある森林地帯の傍まで吹き飛ばされている。

 バイザーの下、二連二対のレンズによる視覚を望遠に切り替える。


 映し出された人形めいた金髪の少女の顔に表情らしきものは無い。

 感情が無いのではなく、暗黙のうちに、身を裂く激痛を押し殺している様子だった。

 涙を薄っすらと浮かべていたが、泣くことは堪えている。

 血を吐きながら、ひたすら這いずって、少しずつこちらへ、切り分けられた己の半身へと接近しつつあった。

 傷一つ無いアンティーク・ドレスの下には、当然ながら下半身がない。



 致死量を優に超える出血で雪を溶かし、その姿は腥い血潮の陽炎に包まれて、どこか神性を帯びていた。

 アルファⅡはしばしその姿を眺めた。


 そして、血濡れの旗と、彼女の下半身を抱きかかえたまま、そちらへ歩き始めた。

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