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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション2 スヴィトスラーフ聖歌隊 大主教『清廉なる導き手』リリウム
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2-11 ヴォーパルバニー その9 黒髪のストレイシープ(蒸気抜刀・前1)

 息を潜めたまま耳を澄ませる。

 壊れた時計の歯車の如き蒸気甲冑の駆動音、狂騒の暴風めいた排気音が渦を巻き、それも都市の狭間を貫く女の悲鳴のような暴風の吐息が掻き消してしまう。

 だというのに己の息遣いがやけに大きく聞こえる。

 ミラーズが時折足を止めて頭を撫でてくれれなければ、緊張が爆発していたかも知れない。

 リーンズィはミラーズの天使の和毛、ゆるくウェーブのかかるその芳しい髪束に顔を埋めて香りを吸った。潜水士が新しい空気を求めるように。

 甘やかな香りが肺腑を満たす。

 こうした慰めが無ければ、リーンズィは早々に疲れ果ててしまっていたことだろう。


<首斬り兎>は蒸気機関を停止して、バッテリー駆動の状態で家屋に潜んでいると予想された。

 解放軍側の戦力を正確に把握しているわけでもないだろうが、この状況が罠であると分からないほど狂っているとも思えない。

 次の瞬間には致命の暴風が吹き荒れているかも知れない。

 イメージするのはヒトの形をした、限界まで引き絞られた弓矢だ。

 それもひとたび放たれれば、全てを一瞬で貫いて終わる。


 だがその一瞬を認識し、対抗的出来る機体がいる。

 それがリーンズィたち、調停防疫局のエージェントだ。

 アルファⅡモナルキアには、あらゆる敵性スチーム・ヘッド、あらゆる悪性変異体の急襲に対し、身の安全を確保し、適切な距離と位置にまで離脱するための機能が備えられている。

 世界生命終局管制装置の安定した起動のための機能だ。

 それを転用して、今回は目標から離脱するのでは無く、一時的にその暴威を押さえ込むために活動する。


 無論、純戦闘用ではないアルファⅡモナルキアに適した任務では無い。

 究極的にはその支援機にすぎないエージェント・リーンズィたちでも、それは同じだ。

 だが、こなせない任務ではない。

 致命的な一撃を防ぐ、というのは、ある意味では彼女たちの本領であると言っても良い。

 持ち堪えて、ケルゲレンや、他のスチーム・ヘッド部隊が本領を発揮する時間を作る。

 それが今回の討伐作戦において、調停防疫局のエージェントに託された役割だ。

 

 絶えず視線を家屋の窓に注いでいたリーンズィは、ある廃雑居ビルの二階の窓に、何か布きれのようなものが動くのを見た。

 カーテンではないかと訝しんだが、硝子は脱落し、窓枠も朽ちつつある。

 その状況でカーテンなど残されいるものかと己自身に反駁をする。


 立ち止まって観察を続けた。強い風が室内に吹き込んでも、先ほど見たような動きは感知されない。

 窓際には、何も存在していないのだ。

 猛烈な違和感とともに、背骨に、亡者の冷え切った指になぞられた時の怖気が走る。


「リーンズィ、どうした?」ケルゲレンが異状に気付いて停止のハンドサインを出した。「何か発見したか?」


「いま、そこに……」とリーンズィが指差す。誰しもが同じ方角を見た。「そこの窓に、何か見えた。ミラーズは?」


「うーん。背丈の差でしょうか、気付きませんでした」


「我が輩も気付かんかった」とケルゲレン。「グリーンもであろう?」


「ですね。僕らだいたい同じ視界の広さですし」


「俺はその窓を見ていたが」と先頭のイーゴも首を振る。「通り過ぎる時は何も無かった」


「そうか。えっと……そっちの大きい人、パペットは……」


 リーンズィがスチーム・パペットを振り仰ぐが、特に反応しない。リーンズィのことを見もしなかった。


「えっ、どうして無視をする……」


 ショックを受けて一歩後退りしたリーンズィに、ケルゲレンが肩を竦める。


「無視しているわけじゃなかろ。そいつには複雑な会話をする能力がもう無いのでな。しかし未知の機関駆動音や高熱源反応を探知すれば即座にアラートを出すはずじゃ。かといって敵がいないとは断定できん。相手がバッテリー駆動で隠密行動しているというのなら反応する道理がない」


 アルファⅡモナルキア・ヴォイドに搭載されているユイシス本体ならば、人工脳髄に収録したデータをアップロードすれば詳細に情報分析が可能だ。

 しかし敵支援機のジャミングにより、通常回線はジャミングされてしまっている。

 それでもチープ・ユイシスの不完全な分析能力の働くところによると、確かに布らしきものが視界内に存在していたようだった。


『推定:アクリル製の黒い毛布/人感ありと判断』


「支援AIのコピーによる検証が終わった。やはり誰かが毛布か何かを被って、窓から我々を覗いていたようだ」


「ふむ……無視できん。現地を確認するべきだな。ここは即時オーバードライブが可能で、不審物を己の目で見たリーンズィが適任であろう、そこの家屋を探索せよ。ミラーズは我々の護衛。有事の際には、蒸気噴射で窓から飛び込んで、リーンズィの支援じゃな」


「それなら最初から二人一組の方が安全じゃないかしら。リーンズィ一人では心配です」


「気持ちは分かるぞい。弟子か家族か恋人か知らんが、そこまで親密なら心配じゃろう」黒い全身甲冑がしきりに頷く。「しかしそうすると、こちらの警戒が手薄になる。<首斬り兎>に匹敵するオーバードライブを即座に起動できる君らエージェントがおらんと、我々は奇襲を受けたとき全滅じゃ。<首斬り兎>の仕掛けた罠という可能性もあるからの。我々もオーバードライブは当然可能だが、自在にオン・オフ出来るものでは無いし、連続使用には制限時間もある。使いどころを見極めないと隙を晒して終わる」


「うん、合理的だと判断する。それで、目標がここに存在したとして、戦闘になったら?」


「単騎で制圧できるなら任せる。だが不可能だと感じたら我々が来るまで持ちこたえるか、即座に脱出せよ。敵味方問わず蒸気機関でオーバードライブに突入すれば、我々もそれに反応出来るよう準備は整えておく」


 リーンズィは戦闘準備を始めた。ガントレットの留め具を確認し、ミラーズの目も借りてブーツの靴紐を確認する。それから斧槍の穂先近くを右手で握り、左手で柄の中程を握る構えを確かめる。室内での遭遇戦に適した身体操縦プログラムをヴァローナの身体に適応し始めたところで、近寄ってきたイーゴに武器を手渡された。

 彼がタクティカルベストの胸に付けていたマガジンだ。


「これは?」


「持って行け。気休め程度だが、射撃武器の代わりにはなる」


「マガジンを渡されても私は銃を持っていないので意味がないのだが……いっそ拳銃でもくれたほうが……」


「オーバードライブで近接戦やってる最中に拳銃なんて役に立つか。これはマガジンに偽装したスマートブレット・パッケージだ。一度底部を叩いてから投げれば、加速度がトリガーとなって十二発の弾丸が一斉に発射される。そして放たれた弾体が目標を自動追尾する。お前の外見情報は入力済だ、誤射される心配は無い。言った通りの手順で投げるだけで良い」


 リーンズィは目を丸くした。「高高度核戦争勃発以前の新鋭兵器だ。そんな貴重なものを私に?」


「誰かが使うために、これらは存在している。今はお前に必要だ」


「イーゴ……。本当に汚職警官だったのか?」


「今する話ではないだろう。それじゃあ幸運を……」


 イーゴはリーンズィの肩を叩こうとした。

 触れる前にミラーズにブロックされた。


「ずいぶん過保護だな」


「リーンズィには既に私とレアという二人の恋人がいるのです。男性はみだりに体に触れないように」


「こいび……? 分からん、お前たちは結局どういう関係……いや、レーゲントの価値観に口出しはしないが」


「支援に感謝する」代わりにリーンズィが自分から彼の手を取って握った。「この謝礼はいつか必ず」


「必要ない。目的が同じなら、誰が使うかの違いしか無い。今はお前が上手くやれ」


 リーンズィは頷いた。

 右手に斧槍を、左手にマガジンを握って、扉のない玄関へと踏み込んだ。

 地獄の口のようなその薄闇に。



 枠のみが残された窓から射し込む僅かな陽光を頼りに室内を散策した。

 ブーツが打ちっぱなしコンクリートのひび割れた床面を叩くたび、埃の山が崩れて煙のよう立ち上る。

 それらが空気の中で揺れて、細雪のように舞っているのが見えた。

 一階部分には何も無かった。

 全く文字通りに、物が存在しない。


 都市が遺棄されるよりも以前から廃屋だったようだ。

 それがために床の状態がはっきりと視認出来た。

 階段室へ向かって、堆積した埃が崩れていた。文様のようなパターンから判断するに、靴を履いた誰かが通過した痕跡だ。

 このクヌーズオーエは、SCARによる都市焼却に反応した<時の欠片に触れた者>が再配置したばかりの土地である。

 殊にこの地区に関しては、リーンズィたちに先んじて探索を行った者がいるはずもない。

 言わずもがな、足跡の主は<首斬り兎>に限られる。


 ライトブラウンの髪の少女はふと違和感を覚え、目を細め、足跡の上に自分のブーツを載せてみた。

 足跡が丸きり見えなくなった。


「シィーは私よりも大柄で、男性だったはず……おかしい」


 靴もあちらのほうが大きいのが道理である。無論、エージェント・アルファⅡにしたところで、破壊されていたシィーの足の裏までは確認していない。

 予想より足が小さかったとも考えられるが、それでもあの体躯で、ヴァローナよりも小足などということがあるだろうか。

 あるいは、とリーンズィは思い直す。

 狂気の<首斬り兎>と化したシィーは、本来の規格、即ち『大柄な成人男性』から外れた肉体を使用しているのではないか。


 考えてみれば、キジールの肉体を操縦できたのだから、身体の乗り換えには、事実上制限が無いのだろう。

 高機動戦を仕掛けるならば、フルスペックを放棄してでも小柄な肉体を選択している可能性はある。

 想定される目標の体躯を下方修正しながら、リーンズィは慎重に足跡を辿った。

 危ないところであった。大柄な相手ならば、閉所での戦闘では自分が有利であると無意識に考えていたことに気付き、リーンズィは心臓が凍った脈拍を打つのを感じた。

 シィーの同位体が状況に適した肉体を装備しているなら、そうした状況の優位は丸きり覆される。

 蒸気噴射を使って弾丸のように飛び込んでくる熟練兵士の成れの果てに、自分はどこまで対応出来るだろう。


 二階に辿り着く。

 朽ちずに残っていたドアには開閉した痕跡がある。床の埃の異状も、目を凝らさずとも分かるほど顕著だ。

 ここに<首斬り兎>が潜伏しているのは明白だった。

 あちらは、とリーンズィは考える。とっくにこちらの接近に気付いているだろう。

 お互いに不死病患者としての花のような甘い体臭を嗅ぎ取っている段階だ。戦闘経験の少ないリーンズィでさえも、この扉の向こう側には誰かがいると確信していた。シィーの匂いに何となく似ている気がする。

 戦闘経験で勝るシィーも、こちらに気付かないはずが無い。

 意を決する。左手のスマートバレット・パッケージを腰の後ろに隠し、右手の斧槍の柄でそっとドアを押し開いた。

 踏み込む前にあちらから仕掛けてくるパターンも想定していたが、その兆候は無い。

 室内を覗き込む。


 対角線上、窓からは覗き込めない位置に立っている影がある。

 別段、暗がりの中にいるわけではない。

 影と認識してしまったのは、その人物が光を飲み込むかのような黒い髪と黒い目をしていたせいだ。

 あるいは一抹のほつれも存在しない完璧な黒。

 ショートカットの清潔感のある髪に、不安感を煽るほどに突き詰めて白い肌。

 女性だ、とリーンズィは認識した。

 シィーは女性の肉体を使っている。


 まだ少女と言って良い年齢だろう。ある年代にのみ許される壊れ物のような儚さをそのままに、人間の息吹を感じさせない、一切を等閑視するような不可解な美貌。

 それが既にこちらを知覚している。こちらを見ている。

 深淵がこちらを覗き込んできているような怖気と、心臓がその一部の狂いも無い造形に魅入られて奇妙な早鐘を打つのが聞こえた。

 それでも脅威としては検出出来なかったのは、首元から下を黒い毛布で覆い隠しているからだ。

 装備の一切が不明だった。

 武装していようが筋肉を撓めていようが、その内側が晒されるのは、おそらくこちらに飛びかかってくる瞬間だ。


『解析結果を報告。目標の被覆装備と先ほど視覚したアクリル製毛布は合致率は非常に高いです』


 リーンズィは思考での入力に切り替えた。あれは誰だ?


『要請を受理。レコードの検索を開始します』


 本家と違ってとにかく動作が遅い。チープ・ユイシスは戦闘には貢献しないだろう。

 無言の対峙が数秒続いた。

 遭遇、即戦闘開始を想定していたため、リーンズィは退くも進むも出来なくなっていた。

 おそろしく無感情な視線、意識が無い不死病患者のそれとは異なる、天も地も無価値であると宣告するかのような真っ黒な視線には、敵意が微塵も含まれていない。

 敵意の存在しない相手に一方的に斬りかかるのは調停防疫局の倫理観に反するため、仕掛けられなければ応じられない。

 ……誰も試せなかっただけで、話し合いが通じる相手なのでは? 

 リーンズィがそんなふうに思い始めた時だった。


「歌うのは……」


 と少女が口を開いた。

 余人には知れない異様な夢、その中で遊歩する病人が発するような、淡い声音だった。


「テレビで歌うのは、もうやめたの?」


「歌……?」ライトブラウンの髪の少女は、淡い光の射す中でただ困惑した。「歌うのをやめたのか? 君が?」


「そっちのこと。テレビであなたを見たことがある。あなたの歌も好きだった。具体的には覚えてないけど」


 少女は頭を下げ、それに追従して頭に巻いている鉢巻のような布もリボンのように揺れた。

 その下に人工脳髄があるのだろうか。


「あなたのバンドの名前も覚えてない。あの頃は治療で大変だったから」


「いいや、私もその時期のことはよく知らない」


「そう。あなたも大変だった。ニュースで見た」


 リーンズィも何となく頭を下げ、同時に確信する。

 やはり話し合いによる解決が可能だ。


「あなたのことは歌番組だけじゃなくてニュースでも何度も見た。ネットでも動画を晒されてたよね。それから行方不明になったって。でも元気そう。クスリの後遺症も、もう大丈夫なんだね。こっちに戻ってこられて良かった」


 ヴァローナの生前についての話題なのだな、と何となく当たりがついた。

 逆に困惑は深まるばかりだ。


 明らかにシィーでは無かった。

 少なくともリーンズィが記憶している限りでは、シィーと喋り方が全く異なる。

 同じなのはおそらく肉体の出身地ぐらいなもので、その出身地にしても、眼前の少女がアジア系だと分かるまでかなり時間がかかった。

 病的なまでの肌が白さが全てを曖昧にしていた。皮膚の老化や日焼けといった肉体の活動の痕跡が肌に一切見受けられない。色白と言った言葉で表現することさえ不適切だった。

 不死病に冒された肉体であっても、その肌の白の濃さはいっそ死者を連想させる。


「テレビの人だよね」と黒い髪をした少女が問う。「ゲスト? その服不朽結晶連続体。頑丈そうでかっこういい。新メンバー? 斧槍が武器なの? 今度は西洋文化重視なのかな。美人だし装備もしっかりしてる。次のシーズンのレギュラー?」


 少女は無表情を維持したまま矢継ぎ早に問うてきたが、リーンズィには問われていることが全く理解できない。


「何を言っている。メンバー? レギュラー?」


「テレビで見たことあったから、こっちの業界の人なんだって分かったの。知ってるタレントの人を見るのは久しぶり。顔を隠してないのもそういうことだよね。殺しちゃいけないって分かるぐらい綺麗な顔してるもん。最近はエキストラの人も美人になってきたけどそのせいであんまり殺すと評判が気になっちゃって。出来るだけ殺さないようにするのが大変で。でも武器を持ってるからエキストラじゃないんだよね。だから話がしたくて殺す前にサインを出したの。毛布に気付いて、きてくれたよね。知ってるから来てくれた。だからそうだよね」


 少女は人形のような顔のまま、不自然なほど朗らかな声で語る。

 真っ直ぐな眼差しだというのに、その表情はどこまでも虚構じみている。


「関係ないとしてもぜったいにテレビの人だよね、撮影なの? 何の撮影? 隣の金髪の子も綺麗だよね。あの子もそうなの? 二人で何を撮影しているの? 恋愛映画? いちゃいちゃしてたし。ここは何のロケ地なの? こんな都市知らなくて。ここはどこなの? あなたはどこの局の人? テレビの人だよね?」


「何、何を……?」


「緊張してるの? だいじょうぶだよ。まだ前室だし。テレビだよ? こういうのは初めて? 元々歌手だもんね。仕方ないよ。局の人にはなんて言われたの? 敵役? 味方役? カメオ出演? 戦闘は得意? やっぱり歌うの? 濡れ場は大丈夫? 好きにやらせてもらうけど、そういうの大丈夫なほう? 痛いのと優しいのどっちが好き? よその国の局とのクロスオーバーなのかな。すごかったよね演出が。あんな炎の柱初めて見た。そっちは事前に聞かされてたの? 予算がもらえたんだなって分かったからここへ来たよ。ここに何しに来たの? サプライズ?」


「何を、言っているんだ?」


 リーンズィは本心から同じ言葉を繰り返した。


「さっきから何を? 私は君の発言を理解出来ないのだが」


 少女は言った。


「もういい分かった関係ないなら死んで」


 切り捨てるように言い放たれた言葉は、弾丸じみていて。


「撮影の邪魔になるから」


 リーンズィにはそれが宣戦布告なのだと分かった。

 時間が鈍化した。

 対抗オーバードライブが発動したのだ。

 しかし認知能力が状況に追いついていない。

 反射的にスマートバレット・パッケージを叩いて、後方へ投擲、空いた左手で柄の中程を掴み、右手を穂先に滑らせて、斧槍の柄で己の体幹を防御した。

 革靴の爪先が柄に突き刺さったのはその直後だ。

 黒い艶のある革靴型戦闘用ブーツ。

 まるで学生が履くような小洒落た意匠だ。

 首を狩られる! 殆ど直感に任せて斧槍から手を離し、喉元をガントレットで守ろうとしたが間に合わない。

 衝撃が首に奔ったが、その感触からこれは致命打にならないという予測が先行した。

 脛骨は軋んでいるがそれだけだ。

 リーンズィの首輪型人工脳髄が、必殺の一撃を受け止めていた。

 視界に映っているものを処理し切れていないが、叩き付けられたのは不朽結晶連続体の短刀だ。

 しかし首輪型人工脳髄を破壊するに至っていない。

 アルファⅡモナルキアの主要装備と同等硬度の不朽結晶で構築されているこの装置は、あのウンドワート卿ですら破壊は出来ない。

 口づけでもするような位置にある黒髪の人形の美貌に、関心が浮かんでいるのが目の端に映る。

 そしてその目の中で彼女の手がまだ動いている。


蒸気抜刀(じょーきばっとー)――』そんな声が聞こえた。


透過断空之太刀(ダンクウ・カラダチ)


 意味は分からない。

 だが何か来る。シィーならどう動く。

 ここからどう動く!

 得物が通じないなら、それを囮に次の手を瞬時に打つ!

 

 間一髪で、デッドカウントの信仰を免れた、その歓喜を伴う直感をねじ伏せて肉体を操作し、こちらの喉を滑る進路を取っている少女の腕を掴んで止めた。

 首筋に奇妙な感触。

 首輪型人工脳髄からズレた位置に何らかの刃を押し当てられている。

 仮に抵抗しなければ、今度こそ首を刎ね飛ばされていただろう。

 この加速された一瞬、幸運によって獲得した10ミリ秒にも満たない時間で、リーンズィはどうにか状況を理解した。


 翡翠色の目には、毛布を捨てた少女の姿があった。

 信じられないことに、接近してくる瞬間を捉えられなかった。オーバードライブ加速度はおそらく二十倍以上。

 対角線上におり、4mは距離があったはずなのに、もう眼前にいる。

 スチーム・ヘッド同士の戦闘では先手を打った方が常に有利だ。状況判断の時間さえ圧迫されては不利は拡大するばかりである。リーンズィは必死に少女に思考を追いつかせようとした。少女の背後で渦を巻くようにして埃が舞い上がっているのは圧縮蒸気の噴射によって加速したからだろう。

 その加速度に任せて、まず行動を封じる目的で蹴りを一発。

 足を上げたままの片方の足を床に接地させ、こちらの動きを制限しつつ、手に握った短刀で首を刎ねに来たのだ。

 そして、その手には何も握られていない。首輪型人工脳髄に刃を阻まれた後、ライトブラウンの髪を寸断したのは刃では無い。

 不朽結晶連続体どころか金属でさえない。

 圧縮蒸気の奔流だ。少女の装着しているフレームを剥き出しにした高機動仕様の蒸気甲冑、その手首部分に設けられた放出口より無影の刃が形成されている。

 通常の蒸気甲冑であれば関節となる部分を正確になぞっている。

 最高硬度を持つ首輪型人工脳髄が無ければ既に勝敗は決していた……。


 戦慄している暇は無い。一度捉えたペースを相手に返してはいけない。

 リーンズィは斧槍を、壁として利用すると決めた。自分から肩でぶつかっていく。斧槍の柄が間接的に少女を押し返した。

 こちらを爪先で抑えている状態ならば、この衝撃には対応出来まい。

 相手の白い大腿が伸縮し、黒髪の少女がバランスを崩したと確信したタイミングで、リーンズィは斧槍を改めて掴んだ。

 相手の足に絡めて地面に引き倒そうとしたが、少女は剥き出しの大腿部や足首部分に装着したギアを起動させていた。

 噴射した蒸気で姿勢を制御。さらには背中に取り付けた蒸気噴射孔の力を借りて、身体運動の常識を無視した動きで距離を取ってきた。

 人間にそんな動きが出来るわけが無い、という驚嘆がリーンズィの体をわななかせる。

 だが事実として、少女はそれをやってのけた。


 そして距離を離した少女の全貌を目の当たりにして、リーンズィはさらに混乱した。

 あるいは全盛期のシィーならばこういう戦闘機動を取るのかも知れない、という処理はできたが、どうしても目にしているものが理解できなかった。

 少女は学生服を着ていた。

 海兵風の学生服だ。

 それ以外に適切な形容が無い。海兵服に似た独特の意匠は旧日本文化圏に特有のものだ。

 視界には『破壊不可:高純度不朽結晶連続体』の文字が表示されている。

 レーゲントたちの行進聖詠服と同じく不朽結晶で編まれた服なのだと理解可能だが、防具として全く機能していないという点で異常性の度合いが桁違いに高い。

 まともに布地があるのは上半身とスカート型の腰部だけで、腹部や脚部を全くガードしていない。その上半身にしても急所である脇部は剥き出しになっており、真正面から心臓を攻撃される時以外はまるで機能しないだろう。

 脚部は余さず無装甲の状態で、病的に白く艶めかしい大腿部には蒸気甲冑のフレームが添えられているだけだ。

 斬ろうと思えば幾らでも斬れそうだが、しかし斬りかかれる隙をリーンズィは見いだせない。

 なおも異様なのはスカートに内側であり、蹴りをまともに受けたリーンズィにはそれが明確に視認できた。少女の股間はレース状のショーツによって保護されており、肌の露出は無かった。戦場にランジェリーを履いて出てきていることについて、合理的な説明が一切思い浮かばなかったが、状況はより深刻だ。

 その下着にさえ『破壊不可:不朽結晶連続体』の文字が表示されていたのだ。

 何もかも理解不能だ。装飾性の高い、通常のランジェリーのようなものを、わざわざ不朽結晶連続体で作成する。それはもはや悪夢的ですらある。網目状の構造によって、おそらくは通常の下着と同様に伸縮するのだろう。これほど緻密な構造の不朽結晶繊維服は見たことが無い。

 永遠に朽ちず、壊れない物体で編まれているにも関わらず、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。意味が無いのだ。当然の帰結として、そんなものは作られた例がない。どれほどの財源と設備が必要になるのか見当も付かなかった。そんなものを製造するに至る、気が狂った過程もだ。


 おそらく誰にも理解できないだろうとリーンズィは自分に言い聞かせた。

 自分の経験が足りないことに起因する混乱では無い。

 この少女は――横不明なスチーム・ヘッド、仮称<首斬り兎>は、まともな機体では無い。


『もしかして聞こえてる? 反応したよね。この通信回路を使える。しかも同じぐらいの速さで動ける。すごいね。やっぱり局の人でしょ。美人だもんね』


 少女がゆらりと上体を揺らし、胸を反らしながら問いかけてくる。

 豊かな乳房は袋状の繊維服で覆われており、その動きや呼吸に合わせて無闇に形状を変化させた。どうやら海兵服型の外装と袋状の部位との二重構造のようだ。乳房の変形が分かるようになっているらしい。

 何であれそんなものは作成する意味が一切無い。


『聞こえたの、蒸気抜刀(じょーきばっとー)の声が?』


> 報告。使用中の周波数を解析、シィーと同一です。


 だがシィーでは無い。

 所作も背丈も声音も視線も何もかもシィーとは異なる。

 理解不能な服装に加えて、少女にはどうしても無視しがたい点がある。

 首輪型人工脳髄だ。

 彼女は、調停防疫局しか持ち得ないそれを、何故か装着している。

 何なのだ、これは? 自分は何と戦っている? 


『君との交戦は望んでいない。所属と階級を問う』


『東アジア経済共同体。葬兵の第一位だよ。知らないの? あなたもテレビの人なんだから知ってるはず。交戦を望んでいないっていうのは古い脚本? こんな美味しそうな大部隊を用意してくれてる。交戦しないなんてあり得ない。視聴率最近落ちてそうだしテコ入れなんでしょ? それか新しいシーズン第一話? とにかく蒸気抜刀を防がれたのは久しぶり。今日は取れ高良さそう。とても嬉しい』


 相変わらず発言の意味が不明だ。『東アジア経済共同体の葬兵』という単語には聞き覚えがあるが、今のリーンズィにはレコードを探す余裕が無い。どこかの誰かに向かって己の発育の良い体を強調しているだけにしか見えないこの無表情な少女が、次にどんな一手を繰り出してくるのかさえ予想出来ない。

 蒸気抜刀。

 そうだ、蒸気抜刀。それを強調していた。

 おそらくこの圧縮蒸気を利用した戦闘技巧の名前だろう。


『その制服は? 学生なのか?』


 少しでも意識を削ぐために質問を重ね、攻勢に移る隙と、ミラーズやケルゲレンたちが援護に駆けつけてくれるのを期待する。実時間ではまだ0.1秒も経過していない。救援は――まだ来ない。

 途端、リーンズィは愕然とした。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 蒸気機関を使用していないせいで熱量は劇的に変化しない。

 この部屋の外では、即座にはオーバードライブ突入を感知出来ない!

 ミラーズはともかく、ケルゲレンたちの起動は絶望的だ。


『違うけど、こういう服着てると、視聴率が上がるの。えっちだから』


『視聴率が……? えっちだから……?』 


『単純だよね。でもそれがテレビで、テレビを見た人が元気になるし、それはヒロイン冥利だよね。可愛いでしょ。この制服好き。視聴率が上がるとスポンサーの人が新しいオモチャ作ってくれるのも好き。あなたは何色?』


 とりとめの無い言葉の奔流を浴びせながら、脈絡無く再度飛びかかってくる。

 直線では無い。まるで跳ね回るガム・ボールだ。

 あるいは、ウサギの渾名は間違いでは無かった。

 蒸気噴射で加速しながらありとあらゆる平面を跳ね回るウサギ。

 その三次元機動はヴァローナの瞳によって『見た』としても対応が難しい。


 少女の背中の中規模蒸気機関がついに起動し、折り畳まれていた骨だけの翼のような蒸気噴射孔から蒸気噴射が始まる。

 空中で身を捻ったかと思えば少女の手には新たな不朽結晶の短刀が握られている。

 外骨格のそこかしこに予備の短刀が仕込まれているようだ。


蒸気抜刀(じょーきばっとー)――刹那五月雨之太刀(キル・サマーレイン)


 太刀要素は無かった。蒸気噴射で不規則に移動しながら突撃し、斬りかかってくるだけだ。

 ヴァローナの瞳を最大出力で起動させながら、左右も天地も無視した出鱈目な斬撃の嵐を、辛うじて斧槍、そしてガントレットの甲で弾く。

 武器の結晶硬度で劣るため、攻撃を受けるたびに劣勢となるが、未来予知じみたヴァローナの瞳の力を借りればどうにか捌ける。ただし、刃を止めても容赦なく叩き込まれる足技や肘打ちまでは防御できない。

 少しずつダメージが蓄積していく。

 おそろしいことに、ここまでの猛攻だというのに、少女は人形のような顔に恍惚とした笑みを浮かべている。リーンズィを嬲って楽しんでいるのだ。


『あは。すごいすごい。葬兵でも上位クラスだよ。その顔はそのままにしてあげる。とっても好み。キスしたい。必死な顔、可愛い。 ねぇ、武器を降ろせば一晩は殺さないであげる。仲良くしよ。とっても楽しくしてあげる。テレビで流せばきっとたくさんのファンが付くよ。昔のスキャンダルも利用して強く生きてね。視聴率さえ取れればそれで良いんだよ』


『君は……君は異常だ』


『視聴率を気にしないのが変なの。あなたはまだ知らないんだね。この世界のヒロインとして教えてあげる。皆を元気づけるのがテレビの人の役目なの』


『さっきから、テレビ、テレビと……。これはテレビでは無い。現実だ』


『テレビだよ。ちょっとだけ過激なヒーローショー。誰よりも素敵で、ちょっと残虐。そして何より敵を倒すと皆喜ぶ。テレビショーだよ。知らないの? テレビで毎日放送してるよ』


 ふざけた言説を流し込みながら刃の嵐は止まらない。

 あろうことかリーンズィの防御が崩れたタイミングで体を密着させ、胸を触り、唇に触れてくる。

 危うく振り払っても、反撃にならない。

 遊ばれていた。

 慈悲や喜びからでは無い。

 彼女の狂った価値観から推定されるのは――『そうしたほうが視聴率が取れるから』だ。

 狂っている。だが強い。圧倒的に強い。

 これまで多くの機体が破壊されたことを理解する間もなく葬られたのは必然である。

 次元が違う。


 勝てない、とリーンズィは悟った。この機体には、勝てない。

 装備にも思考にも、まともな要素はまるで無い。

 だが、戦闘能力が極端に高すぎる。振るわれる刃の速度は加速し続けている。

 迎撃のためにぶつけるガントレットも徐々に破壊されつつある。心臓を一突きにしたり首を刎ねたりしないのは、技で攻めたほうが見栄えが良いからだ。

 少しずつ服を剥ぐ目的もありそうだった。

 テレビ。テレビ、テレビ、テレビ、テレビ……。彼女は得体の知れない『テレビ』に行動の基軸を置いている。扇情的な海兵服も、防御力の無い不朽結晶繊維の下着も、全ては衆目に阿って『視聴率』とやらを稼ぐためのもの。

 理不尽の権化だ。

 何もかもが狂った価値観で活動しているというのに絶対的に格が違う。


 押されているリーンズィの背後で、伏兵たるスマートブレット・パッケージがついに炸裂した。

 不意打ちになるはずだった。

 精密誘導された十二発の飛翔体がマッハ3の速度でセーラー服の少女に突き刺さる。


『珍しい武器。やっぱり予算が凄いね。新シーズンの一話?』


 だが少女は無傷だった。

 弾丸の半分は回避され、半分は命中した。

 ただし、それら全てを外骨格や制服、刃と言った不朽結晶装備で一発残らず受け止めている。

 そんなことが有り得るだろうか。

 有り得るのだ。

 この規格外のスチーム・ヘッド、葬兵を名乗るこの少女には。

 まだ0.5秒しか経っていない。こんな相手に三秒も持ちこたえることはできない。

 では窓外に脱出するか? 不可能だ。

 後ろから蹴られて、這いつくばらされて、首を根元から刎ねられる。それで終わりだ。


『まだ貴女の仲間は来ないね。そろそろ絵に変化がほしい。拷問でもしようかな』


『私を拷問しても得るものは無いぞ』


『あるよ? 綺麗な女性が許してくださいって泣きわめいて、そのうち自分からもっとしてって懇願するようになる。そしたら視聴率は上がる。それが資本主義だし、テレビの世界だよ』


 リーンズィは剣戟を捌きながら泣きそうになった。この少女の言葉には、真実、何もかも意味がないのだ。絶望的な感情で理解した。事情は分からないが、表層的な行動原理は分かった。

 制服と言動を見ればある意味では一目瞭然だ。スヴィトスラーフ聖歌隊の行進聖詠服よりも、さらに純粋に意味がない。無粋なほど扇情的で、露骨に誘惑する仕草をしており、祈りも願いも何も感じられない。

 ユイシスに質問する必要もない。

 これは、コスチュームだ。

 商業主義的な価値観、そして『テレビ』で活躍するヒロインとしての装束。

 本物のシンボルとしての衣装。

 本物の英雄としての制服。

 彼女は通常の倫理観の中で活動していない。この世界を『テレビ』と信じている。

 これまでの解放軍襲撃も、きっとおそらくは存在しない『テレビ』の視聴率とやらを稼ぐために気紛れに襲っていたのだ。


 そうしているうちに、致命的な瞬間が来た。

 天井を蹴って突貫した来た少女を迎撃しようとしたが、蒸気噴射でタイミングを外される。


 ガードのために斧槍の柄を掲げたが、それも呆気なく両断されてしまった。

 咄嗟にカタストロフ・シフトを起動する。

 一瞬だけ滅亡した世界へ退避し、彼女の背後を突ける位置に移動して、帰還した。

 その瞬間に喉を掴まれた。


『な――?!』


『瞬間移動なんてすごい。でも背後を取るのはダメだよ、テレビで何回も見たもん。なんでみんなそうするんだろうね? お約束なんてすぐ分かるのに』


 そのまま壁際に投げ飛ばされた。さらに胸を強く蹴られ、壁際に押さえつけられる。

 両手をガントレットごと不朽結晶連続体の刃で縫い止められた。

 壁に貼り付けにされてしまった。

 苦悶に歪むライトブラウンの髪の少女の顔に口づけをして、黒髪の少女は愛撫する仕草で突撃聖詠服の裾をまさぐる。リーンズィは悲鳴を必死に抑えた。


蒸気抜刀(じょーきばっとー)……』と電波の声が耳朶を打つ。突撃聖詠服の前合わせの隙間から射し込まれた手が、脚の素肌に押し当てられた。『虎透し浸透発勁(タイガースピア)


 蒸気噴射による掌底が、零距離からの打撃となってリーンズィの両足を震動させた。

 神経系が麻痺して腰から下の力が抜ける。

 血管系が崩壊し、神経系は迷走を起こし、もはや自分の意志では動かせない。

 肝心なのは、()()()()()()()()()()()()()()()()

 不死病患者と言えど、破壊を伴わない麻痺は、即座に治癒できない。


『それじゃあ脱がしちゃおうかな』


 不意に脳裏を過ぎったのはレアとリーンズィのこと。

 何も抵抗できないリーンズィの突撃聖詠服が、ボタンを一つ一つ外されていく。無論、何をされても、オーバードライブ環境下では無意味だ。

 だが生理的な嫌悪感が凄まじい。


『ううん、あんまり意味ないか。オーバードライブでこういうのするの初めてだし……まだ0.9秒ぐらいかな。時間あるね。それまでにもうちょっと関係を深めよう?』


『……?』


『この壊れたハルバード、丁度良い。これをあなたの内臓に押し込むの』


『何を……?』


『体液は交換しないとね。えい』


 少女は躊躇無く自分の腹に斧槍の残骸、石突きの突起を突き刺した。引き抜かれ、血濡れの杭と化したその凶器を、今度は無防備に外気に晒されているリーンズィの、服を開かれた腹部へ宛がう。

 演算された冷たい感触に、リーンズィは上ずった声を無声通信で撒き散らした。

 少女はスカートの下から足を出し、膝を石突きとは逆側の先端に当てた。


『綺麗な肌……そういうの好きだよ。今から、このハルバードを思い切り突き込むからね。どんな感じだろうね。冷たい塊が背骨まで全部貫いちゃうよ』


『こんなことをして……何の意味が……』


『お腹の中にこんなのが入ってくるなんて怖いよね。次の敵役が登場するまでに何秒かかるか分からないけど、その間あなたはずっと動けず、お腹の冷たい鉄の塊に悶え苦しむ。正直に白状すれば、すぐに抜いてあげるよ。でも最後まで我慢するのが良いよ、そういう子ほど人気出るし。大丈夫、みんな始末したら、ちゃんとたっぷり可愛がって、自我を優しく消去してから、殺してあげる』


 腹膜を突き抜けてめり込んでくる感触に、リーンズィの感情とは無関係に肉体が恐怖の信号を発した。

 

『や……やめ……やめて!』


『やっぱり生きてた頃のこと思いだす? 苦しいと思うけど……乗り越えないと次の台本には載せてもらえないよ。もっとテレビを見ようね』


 膝が石突きを蹴り込もうとした、その瞬間。


『そこまでです、この異常者!』


 窓から蒸気噴射の煙を身に纏った小さな影が、金色の翼の如き髪を棚引かせて現れた。黒髪の少女の迎撃は即座だ。


 弾丸のような突撃を軽くいなし、『さっきの金髪の子。やっぱりレギュラー? 可愛い人。あなたもきっとテレビの人だよね。今日は久々に賑やかな撮影になりそう』と無表情に歓喜の声を上げた。


『リーンズィ、大丈夫ですね! 遅くなりました! この距離まで近付かないと通信が出来ないなんて……なんてことです?! 裸じゃありませんか! それにその……お腹はどうしたんですか!?』


『まだなんとか無事。怖かった……』


 注意がミラーズに割かれたため、多少強引にでも動くことが出来た。リーンズィは腹のハルバードを引き抜き、磔にされていた両手を強引に動かして固定具となっていた不朽結晶短刀から脱して、さらにはそれらを武器として握った。突撃精鋭服による被装甲部位確保のために、素早く一番上の留め金を閉じる。


『見ての通り敵はシィーではない。未知のスチーム・ヘッド、葬兵を名乗る機体だ。我々では勝てない。ケルゲレンたちと合流しないと』


『……シィー?』


 通信を傍受した少女の声が突如として無機質なものになった。


『今、シィーって?』


『何もさせないわよ!』


 ミラーズは蒸気噴射を多用しながら壊れたカタナを振るい、果敢に少女を封殺に掛かる。

 だがどんな剣戟も容易く捌かれてしまった。

 慣れや反射によるものではない。

 あたかもそれを何年も前に見たとでも言うように。


『その技……』少女はぼそぼそと囁いた。『やっぱりシィーの剣だ』


『何なのよこの人?! 技がまるで通じない! こんなに効かないものなの?!』


『離脱だ! 離脱するしかない、勝てない!』


『逃がさないよ。あなたたちには、ここで何もかも吐いてもらう』


 不可思議な三次元軌道からの一撃が、ミラーズに襲いかかる。練度が違う。速度が違う。

 ミラーズでさえも、これを凌ぐのに精一杯だ。

 返す刃までは防げない。


『あ……これ、ここであたしたち、終わり……?』


 無音の突風。

 窓から新しい影が突入してきた。

 ケルゲレンではない。

 それは、槍だ。

 槍のごとき大型不朽結晶弾頭。

 凄まじい速度で突入してきて、蒸気噴射を繰り返し、室内で静止した。

 方位磁針のように回転して、穂先を少女に固定させる。

 ミラーズに固執していた少女がそれを察知して咄嗟に身を躱すが、槍弾は内燃機関を作動させて蒸気噴射を実行。当初の突入角度とは異なる方向、少女のいる場所へと軌道修正して爆発的に急加速した。

 その弾頭にはレンズらしきものが埋め込まれており、少女の回避運動を余さず補足して細かく軌道修正を繰り返している。

 時には加速された時間の世界で急停止して、複雑な軌道で照準を修正。

 また加速して追尾を続行した。


『簡易人工脳髄搭載型追尾誘導貫通弾! こんなものまであるなんて! 今の装備じゃ対応出来ない。でも死なない程度のやつ。そうよね、こういうのが無いと! 分かったよ。やっぱり今日から新シーズンなんだ!』


『ハンターの狙撃支援か?』


 こんな奇怪な狙撃は見たことが無いが、何にせよこの槍弾のおかげで脱出するまでの道程が見えた。

 この貫通弾は相当に厄介な代物らしく、少女もその対処に掛かりきりだ。リーンズィとミラーズを攻撃する手が止まっている。おかげで不朽結晶短刀で己の両脚を斬りつけて再生を促し、強制的に麻痺を解消する程度のことは出来た。


 それでもリーンズィたちが攻撃を仕掛ける気になれなかったのは、どう考えてもその程度を迎撃する手段はあるように見えたからだ。


『リーンズィ、引くなら今です。ケルゲレンたちと一緒なら何とかなります!』


 手を借りながら起き上がり、二人して全速力で窓から飛び降りる。

 その間際、リーンズィは振り返った。

 少女は素手の拳の甲で槍弾の軌道を反らし、無関係な壁に突き刺して止めることに成功していた。

 跳躍した二人を、オーバードライブ突入に成功していたケルゲレンとグリーンが受け止め、そして無線通信で困惑の声を上げた。


『ど、どんなバケモノが相手なんじゃ?! 二人ともめちゃくちゃではないか! リーンズィも可哀相に。……何で服を脱がされておる?』


『ひ、酷いことされそうになった……女の子に……』


『どういう状況じゃ!?』


『武装はなんだった?』と自動散弾銃を構えたイーゴ。『弾幕は通じるか?』


『殆ど非装甲だ。生身の部分に当たれば通じる……でも当たらないと思う』


『そのレベルの機体か。ハイエンドの上位機だな。厄介だ』


『特徴としてはやはり蒸気噴射による三次元軌道だ。仕掛けてくる手筋が見えない。でも近接格闘装備しかないシンプルな機体構成だ。その点を攻めれば何とか……』


 そのときだった。

 廃屋の二階に、突如異常な加速を加えられたコンテナが突っ込んだ

 そのまま滑り込んで室内の奥まで滑り込んでいく。

 オーバードライブされた知覚でも理解できるほどの高速。

 おそらくは遠方から目一杯電磁加速された上で射出されたものだろう。


『厭な予感がしますね』とグリーンが四本の腕を展開しながら呟いた。


 チープ・ユイシスの声が脳裏に響く。


> 解析結果を報告します。

> データベースの全走査を完了。該当する機体を確認できません。

> しかし過去に同系列機と遭遇していることを確認しました。


『同系列機……!?』リーンズィは瞠目した。『機体種別が分かったの?』


> シグマ型ネフィリムと推定。極めて高い拡張性が特徴の機体です。


『シィーと同じタイプだ。やはり彼女は別世界のシィーなのか?』


> 否定。不明スチームヘッドの出自の推定が完了しました。レコード内に合致の高い人物を確認。


『ラウンド2は……強そうな人がいっぱい。久々にこれを持ち出す甲斐がある。コスパ悪いけど人気ある武器だしスポンサーの人もすぐ補充してくれるよね』


 ビルの二階の窓から姿を現した少女は、先ほどとは全く違う装備をしていた。


『どこがシンプルなんだ?』とイーゴが呻く。『あの装備は何だ?』


『分からない。違う装備になっている!』


 有り体に言えば、それは翼に似ている。

 カタナ・ホルダーと蒸気噴射孔を兼ね備えた六枚の増加装備。

 腕にはレシプロ戦闘機のノーズに類似した奇怪な装備を抱え、背中の蒸気機関も戦闘機然とした大型のものに換装されている。


『さっきのコンテナかのう』


『いくつ……いくつ武器を持ち込んでるんですかね、あいつは』


> シィーより取得したレコードの一部を再生します。


 状況とは関係なく、チープ・ユイシスの報告は事務的に進んだ。

 それは記憶の断片。



> ふとシィーの脳裏に浮かんだのは、遠い昔、病床の窓から外を見下ろして、庭に咲く花の名を尋ねてきた我が娘の幼い横顔だ。

> 「あの紫の色の花。なんて言うの……」

> 当時のシィーにはとても応えられなかった。ミセバヤという花だと分かったのは後のことだ。


> 「ん? ああ。その時の記憶はバックアップされてないから検索しても分からんか……たぶんヒナにやられた。俺の娘だ。どうやってこんなとこまで来たのか知らんがね。まぁ、俺は満足だよ……」



『そんな……』


 リーンズィは言葉を失った。


『シィーではないのか。シィーでは無く……』


> 目標スチーム・ヘッドの特定が完了しました。

> 東アジア共同経済体悪性変異体掃討部隊『葬兵』の第一位。


 短いスカートの裾をはためかせ、漆黒の瞳と美貌を持つそのスチーム・ヘッドは。

 かつての儚げな面影も無く、絶対の殺戮者として地上を睥睨している。

 次の得物たちを。 

 次のトロフィーを。

 次の『テレビ番組』に登場する悪役たちを。


> シグマ型ネフィリム、仮称<首斬り兎>。


『みんな殺しがいがありそう。新しいスポンサーがついてくれるかな。嬉しい』


 少女はそのとき、ようやく、花のような微笑みを見せた。


> 別世界の調停防疫局が、過去に東アジア経済共同体に奪取された機体と推定。

> エージェント・シィーの実の娘です。本名は――(シィー)


> 雛・辻(ヒナ・ツジ)


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