2-11 ヴォーパルバニー その8 集められた道化師(蒸気抜刀・序2)
ブーツの爪先が、瓦礫の破片を踏み砕く。
不揃いな足並みはしかし、同じ方向に向かっていく。兵士たちの足音が灰色の街に木霊し、そこに何拍か遅れて、大型のプレス機械が立てるような轟音が混じる。
部隊の殿を務めるスチーム・パペットの駆動音だ。
無数のセンサーが周囲に走査光を断続的に照射している。
隊列に加わるリーンズィ、少女の柔肌を不朽結晶連続体の突撃聖詠服一枚で包んだ背の高いその調停防疫局のスチーム・ヘッドは、ライトブラウンの髪を揺らし、緑色の視線で敵を探した。
建造物の窓に影を探す、路地裏に刃の煌めき探す、屋上にマズル・ファイアの光を探す。
先の裏路地からふらりと現れた影に、斧槍を握る手を強張らせる。オーバードライブ突入まで意識した。しかしリーンズィの頬へ向けて、傍らの金色をの髪をした少女、ミラーズが柔らかく手を伸ばし、それから指の背で頬から首筋までを撫でた。
ぴくりとリーンズィが身を震わせたのを確かめ、「ただの彷徨える者です。大丈夫ですよ」と囁く。
ミラーズの細い喉が、囁くような声で、即興のリズムに乗せて、この世界のどこにも存在しない言語を紡ぐ。その不死病患者は呆然としたまま道路の端に移動し、何か心配事でも思い出したようにゆっくりと座りこんだ。
そして永遠に動かなくなった。
「感謝する、ミラーズ」と言いながらミラーズを抱きしめようとした時だった。
「ほう、これは楽が出来て良い。戦闘も可能なレーゲントという話だが、どこでも節操無しか。文字通り何にでも使えるではないか。レーゲント風情を我ら精鋭部隊に組み込むなどファデルのやつめついに発狂したかと疑ったものだが、使い勝手の良い女は大歓迎だぞ」
冷笑的な呟きを漏らしたのは、一行の中心を歩いている全身甲冑のスチーム・ヘッド、ケルゲレン・ド・トレマレックだ。
黒色の装甲と二重構造の脚部が特徴的な機体だ。人間の脚部と平行する形で、通常とは逆方向の関節を持つ巨大な機械脚が追加されている。腕部の盾と剣を一体化したようなプレート状の増加装甲も目を惹く。銃火器も仕込まれている様子だった。
極めて充実した装備である。優秀なスチーム・ヘッドなのだろうと考えていたが、リーンズィはムッとした。
とにかく彼の言い方が気に障ったのだ。
リーンズィとミラーズは、<首斬り兎>討伐のための殲滅部隊に組み込まれ、街道を歩んでいた。
調停防疫局のエージェント二名を含め、戦闘用のスチーム・ヘッドが六機、スチーム・パペット一機である。些か頼りない編成ではあるが、六機を基本単位とした戦闘部隊が、同じ方角に向けて二十も投入されている。いずれか一つのチームでも<首斬り兎>を補足すれば、近隣のチームがその地点へ瞬時に集結し、合計百二十機超の大部隊で攻撃を仕掛ける。
無理のある想定だが、それでも討伐が難しいようなら、都市の中心部に向けて追い込んで挟撃。
なおも困難な場合は、リリウム率いる不死の軍団で押し潰す。
徹底的で、これ以上は望みようが無い布陣だ。失敗の余地など存在しない。
それだけに。鏑矢として放たれた探索部隊の責任は重大だった。
成功が前提なら、初動の善し悪しが全体の損失の多寡に直結していると考えても間違いではあるまい。
それだから、こんなふうにいがみあうのは間違いなのだ、とリーンズィは反感を覚える。
同時に最愛の人間として設定されているミラーズを侮辱された怒りに突き動かされ、「ミラーズは非常に優秀なエージェントだ、ペンギン隊長」と反抗的な言葉を紡いだ。
「どうした、背の高いレーゲント。いいや、アルファⅡモナルキアの子機だったか?」
「私はエージェント・リーンズィだ」
「なるほどレーゲント・リーンズィ。で、その売春婦上がりが今何と言った?」
「ペンギンと言った、ペンギン隊長」
「我が輩はケルゲレン・ド・トレマレックだ」
「長くて言いにくいし、その変な大きい脚でよちよち歩いているところがペンギンそっくりだ。私は動物のビデオで観たので詳しい」
「動物のビデオ……まぁペンギンも鳥類、確かに動物だが……」ケルゲレンはしばし沈黙して、それから咳払いした。「口の利き方がなっていないんじゃあないかね。君らの元締めは客にそんな口の利き方をするよう教えているのか」
「君は客では無い。我々に元締めは存在しない。私は調停防疫局の代理人である」
「ほう、あくまで軍属であると主張するか。であれば、我が輩の方が、君らより遙かに軍歴は長いのだぞ。相応しい態度があろう。歴史あるノルウェー陸軍近衛部隊出身であるこのケルゲレンを指して、よちよち歩きのペンギンだと?」
リーンズィは険しい目つきのまま首を振った。
「軍属でもない。調停防疫局はWHOの武装した外局だ」
黒色の全身甲冑に納められた不死病患者は、それを聞いてあからさまに動揺していた。
「だ、WHO? うむ……? 何故WHOがスチーム・ヘッドなど……」
「いやーでもですよ、ケロさんのエンブレム、モロにペンギンですよね」
ケルゲレンの興味が移ろいかけたのを見計らったかのようなタイミングだ。
軽い調子で口を挟んできたのは、リーンズィたちと肩を並べて前衛の位置に付く、近接戦闘特化型のスチーム・ヘッドだ。
やはり全身を不朽結晶連続体の装甲で隈無く覆っているが、ケルゲレンとは逆に具足の先端が異様に細く、登山用のストックと義足を組み合わせたような形状をしている。
さらには蒸気機関と肩部が増設されて腕が四本あり、全ての腕に『WATER!!! PEACE!!! GREEN!!!』という三行の文字と、銃火器で武装したデフォルメ野生生物の集団がエンブレムとして印刷されている。
一瞬だけアバターを表示した簡易型ユイシスが『要注意:複数の国家で要注意団体としてマーク』と警告を残して消えた。
「ほほーう? それで?」ケルゲレンが元の横柄な声音に戻った。「隊長であるこの我が輩をケロさんと言ったのはどこのテロリストだったか」
「やだなぁケロさん、今はただのグリーンですよ。誰でも無いグリーンです。仕事柄ペンギンには詳しいので、ケロさんがペンギンそっくり、という指摘も分かります」
「ほう、ほうほう。お前まで人をペンギン呼ばわりかぁ、グリーン。野良犬の如きテロ屋風情が、尊敬すべき上官に対して、まるで学者のような口を利くものであるなぁ」
「野良犬だの何だの酷いですね。在野の有識者ですよ、有識者。だいたい、テロリストって言ったら、スヴィトスラーフ聖歌隊とかだってそうじゃないですか」などと言いながら、視線をリーンズィとミラーズに振る。「こういう場面で、そういう差別よくないですよ。急造チームでも一致団結、打倒<首斬り兎>です。クヌーズオーエ解放軍なんて、結局ははみ出し者ばかりなんですから」
応酬する言葉の険悪さ、言葉の生み出す空気の悪さに、リーンズィは少しばかり嫌悪感を覚えた。クヌーズオーエ解放軍には荒くれた者が少なからずいるが、しかしここまで露骨な悪口の言い合いをするものは稀だ。そういった諍いは根絶されたものとばかり思っていたため、幼いリーンズィにとってはこうした険悪な空気の継続はショックですらあった。
「君たちはさっきから人を売春婦、テロリストと、随分酷い言い方を……」
「お前たち、そろそろ黙れ。くだらないことで騒ぎすぎだ」
最前衛を任されているタクティカルベスト姿の機体が振り返って咎めた。ポイントマンを務める機体で、イーゴという名前だった。
特に名乗られていないが、リーンズィにそれが分かるのは、彼が背負っている蒸気機関に名前の刻印がしてあるからだ。
一行の中では最もシンプルな見た目をしていた。準不朽素材ですらない簡素な戦闘服に、非装甲の不死病患者制圧に特化したベルト給弾式全自動散弾銃。腰部の弾薬箱からはショットシェルのベルトが伸びている。
不朽結晶製の、人格記録媒体再生装置内蔵型フルフェイスヘルメットに、身体動作補助用の強化外骨格を装備しているが、いずれも人類文化継承連帯では広く見られる形式だ。
蒸気機関と一体化した左右の補助用自在腕で二枚の不朽結晶盾をぶら下げているものの、ケルゲレンの多機能装甲と比較すれば簡素だ。いかにも官製の装備といった風合いであり、治安維持組織の正規部隊出身だとひと目で分かる。
特異なのは胸に銃でもナイフでも無く、用途不明のマガジンを装着していることぐらいだろう。
「だいたい、テロリストだの何だの、元警官である俺の前で楽しげに話すことではない」
「かもしれんな」ケルゲレンは二眼ガスマスクに似た装飾の頭部で仰々しく頷いた。「汚職警官が言うと重みが違う」
「ですねー、ですかねー?」と含み笑いでグリーン。「リーンズィさんはどう思います?」
知らない人たちのよく分からない会話に対して無の心になろうとしていたリーンズィに、不意に電撃が走った。成長を重ねたライトブラウンの髪の少女、その首輪に装填された人格は、一瞬で「そもそも汚職警官だのテロリストだのと言い合いをする空気が厭なのであって個別の事象に対しては別にどうとも思わない……」と返事をすべき場面では無いと気付く。
綿密な計算を重ねた。何度も自分の力だけで考えようとした。
そして何も思いつかなかったので、「そういうものなのか。そういうもの?」とミラーズに回答を丸投げした。
「成長しましたね、リーンズィ。悩んでいる顔も可愛かったですよ」ミラーズは背伸びをしてよしよしとリーンズィの頭を撫でた。「スヴィトスラーフ聖歌隊がテロ集団だなんて、そんなの言われ慣れてはおります。けれど、こうも悪し様に言われると落ち着きません」
「それはごめんなさい」グリーンはちっとも悪びれた様子が無い。
「ええ。謝れるのは素晴らしいことです。でも謝るべきことは他にもありますでしょう?」
金色の髪をした少女は、周囲よりも一回りも二回りも小さな肉体で、精神的に周囲を睥睨した。
歌うような声に一瞬で空気が支配される。
原初の聖句の力では無い。ミラーズの嘆きが空気を冷やしているのだ。
温度の無い緑色の瞳が、スチーム・ヘッドたちを見渡した。
「あなたたち三人に問います。新参を仲間はずれにするのは悪徳であるとは思わないのですか?」
「あ、バレてますねこれ」
グリーンがケルゲレンを見た。
「まぁ我々、レパートリーが少ないからの……」
「小芝居はやめろと俺は何度も言った」と振り返らずにイーゴ。
どういうこと? と問う前に、ミラーズが溜息をついた。
「そこの警官の人が仰る通りです。芝居なのです。レベルとしては学芸会と言っても良いわ」
「仲が悪いのは演技なのか?」
「一目瞭然よ。先ほどからの遣り取りは、おそらく全てお芝居です。反感を招くような言動を繰り返して、アルファⅡモナルキアのクヌーズオーエ解放軍における政治的な立ち位置を炙り出し、どう接したものか、量ろうとしていたのでしょう? 浅はかな人たち!」
「あちゃー。完璧に完璧ですよ。そろそろ台本変えません? レーゲントだいたいこれ見破りますし」
「本当に演技だったのか」リーンズィは周囲を見渡した。「私はぜんぜん分からなかったが……」
「聖歌隊も色々な場所で似たような寸劇を繰り返していましたから、この手の茶番の空気には慣れっこなのです。何よりケル……ケロ……様も……ケロ様で良いでしょう?」
「我が輩は正直なんでもよいぞ」と溜息交じりにケルゲレン。「名前が長いのは自覚しておるし」
「ケロ様もグリーン様も、立ち振る舞いが一本調子過ぎます。真の言葉を知る私の耳には、あなたがたの言葉が、これとまで幾度なく繰り返されてきた嘘であると知れました。仲間を疑い、偽りを積み重ねて惑わそうとするなんて。まったく、嘆かわしいことです」
「ほう、ほうほう、まるでリリウムのような物言い……では例の噂は本当なのかね?」
リーンズィはその噂が何なのかは知らなかったが、リリウムやリリウム・シスターズの母であるかを問うているのだろうと予測を立てた。
ミラーズは不機嫌そうに首を振るばかりだ。
「そんなことよりも、まずはご自身の立ち位置をこそ示すべきではありませんか。リーンズィのように何もかも素直に騙されるとでも思いましたか?」
「あー、かんっぺきにバレてますね」
「で、あるなぁ……」
「皆様方、急造チームという自称さえ偽りでしょう。そんなことまで嘘をつくなんて」
怒り心頭と言った様子のミラーズに、「いやそれは私も気付いていた」と慌ててリーンズィ。
「初めての顔合わせでは無いのだとしても、特定のプロトコルに基づいて行動しているのだとしても、彼らの連携具合には違和感がある。どんなに険悪な空気でも隊列が乱れないのは変だ。昨日今日でこの練度には仕上がらないはずだ。それは分かっていた。でも、何か話せない理由があるのかと思って無視していた」
「リーンズィは優しいですね。でもこういう場面では黙っていてはいけませんよ。……そもそも、私たちのような、即時オーバードライブ? でしたっけ? それが可能な機体が二機も投入されているということは、この分隊こそ本命なのでは無いのですか」
「……いかにもその通りである」
ケルゲレンが落ち着いた声音で応じた。
「我々はまさしく<首斬り兎>に最初に食らいつき、周辺の部隊が集結するまでの時間を稼ぐことを最大の任とする。諸君らが優秀な機体だと分かっていながら、その胸の内を知るために、不躾な問いをしなければならんかった。拙い手管しか知らぬ我々を許してくれ」
「僕からも。黙っていてごめんね。君たち以外は確かに『いつものチーム』だよ」と四本の腕を上に上げながらグリーン。「特別攻撃チームって言うか、時間稼ぎチームっていうか。あえて勝ちは狙わずに、負けないまま戦い続ける、みたいな。微妙だけど重要な役割を任されてる」
「危険な任務では?」
「そうそう。そういうの専門の精鋭チームなわけ。まぁ皆そういう危ない仕事しか回してもらえないロクデナシだったわけだけどね」
「ロクデナシ……」ライトブラウンの髪の少女はふむむと唸る。「懲罰部隊?」
「そこまでじゃないけどね」
グリーンの言葉を受けてイーゴが肩越しに振り返り、「いいや、最初はそんなものだった」と吐き捨てた。
「背後の部下が全滅しても前進し続けた無能指揮官、環境保護のために定命を捨てたテロリスト。そして見せしめがてらスチーム・ヘッド化された汚職警官の成れの果て……もはや何も持ってはいない、切り捨てるのに何の躊躇も無いクズ。それが俺たちだ」
眉根を寄せていたミラーズが、不意に表情を和らげた。
「でも今は違うのでしょう? 罪は精算され、真なる魂は神の国に導かれました。あなた方の肉体に残された偽りの魂をまた赦しを得て、神の国へ続く迷宮の、その最前衛を任せられている……大任ではありませんか。私たちにも、何も隠さず曝け出せば善かったのです」
「レーゲント流のくだらない慰めは不要だ。現実とは過去からの延長に過ぎない。懲罰部隊。その通りだ。
大義も栄光も、過去を消してはくれない」
リーンズィは、決して完全には振り返らないその元警官の背中をまじまじと見つめた。
「イーゴ……無口そうだと思ってたけど、もしかして意外とよく喋る人?」
「……お前はさっきから間の抜けたことを言うな」調子が狂った、と吐き捨てて言葉を繋ぐ。「俺も喋りたくは無い。腐った仕事をしていたやつに、何も喋る権利は無い。しかしケルゲレンとグリーンは今のくだらない揺さぶりでストレスが溜まってる。そういうのが得意な連中じゃ無いからな。お前らもやつらには少なからず敵意を覚えている。自覚していようがいまいがな。だから今は俺が細かいところを補足していくしか無い。そういう持ち回りだ。俺たち四人はいつもそうだ」
「四人」ケルゲレン、グリーン、イーゴ。あと一人足りない。「じゃあ、後ろのスチーム・ヘッドも?」
リーンズィはチラと振り返り、殿のスチーム・パペットと、その肩に腰掛けている重狙撃装備のスチーム・ヘッドを見た。
パペットは標準的な輸送用装備で、早期警戒用のセンサー類が充実していたが、武装は殆ど無い。原子力動力由来の蒸気機関出力で、悪性変異体を拘束するぐらいは出来るだろうが、自我がかなり希薄な様子だった。移動式の機銃陣地、さもなければ即席の避難場所というところだろう。
ただし、パペットを移動用の銃座として利用している別のスチーム・ヘッドは、異様だった。
電磁迷彩外套で首から下を覆い隠したその機体は、しかしどこから見ても一行の中で最も目立つであろう。
彼自身の身長の三倍にも達する長大な砲身を折り畳んだ奇妙な砲塔を構えており、さらには人間を股から頭まで串刺しに出来そうな槍じみた弾丸を蒸気機関にマウントしている。
砲戦仕様の重武装パペットでさえ扱わない、極大出力の電磁加速砲である。大型の蒸気機関を背負っており、重量を支えるために相応の外骨格も装着しているのだろうが、それにしても全体としてのバランスが崩壊しているのは明白だった。
おそらく格闘能力は一切持っていない。フルフェイスヘルメットのバイザーは他の機体には見られない奇怪なセンサー群に換装されているため、あるいは肉眼では一切外界が見えていないのかも知れない。
そのヘルメットには黒い羽。
雰囲気が怖いので、リーンズィには直接尋ねることが出来ないのだが、猫を連れてきたことに怒っていた人物に見えた。
「あれか。あれも形式上は我が輩の部下であるな。我が輩が代わって紹介しよう、ハンター・ハンコックじゃ。ハンターと呼ぶと良い。度を超して無口なのは昔からだ、我々もプライベートであいつが発言しているのは聞いたことがない」
「そうなのか。そうなの?」リーンズィが首を傾げる。「でもさっき鳥がいっぱい降ってくるところで『猫が危ない!』と怒られたが……」
「怒られた?!」グリーンが驚愕の声を上げた。そしてパペットの上のハンターを見上げた。「猫大好きなの!?」
返事は無かった。ハンターはパペットの銃座から立ち上がり、手近な建物の屋根に飛び移った。
そして電磁迷彩を起動して完全不可視化した。
「あっ逃げた。へー。ハンター、猫好きだったんだ……」
「何者なんだ? 只者では無い感じがある」
「我が輩も知らんのだ。一緒に編成されることは多いが、実際は司令部の直属よな。スナイパーで、腕は一流。それだけ理解して後ろを任せておけば良い。……さて、ハンターも動いたということは、ここらが暢気にしていられる限界かの」
ケルゲレンが装甲板と一体化した腕を掲げて、全体に停止の合図を出した。
ケルゲレンとグリーン、二機の完全装甲型戦闘用スチーム・ヘッドが立ち止まり、調停防疫局のエージェントに視線を注いだ。
イーゴもその場に腰を落とした。
警戒姿勢を維持したまま、背後に意識を傾けている。
ケルゲレンが静かに告げた。
「おそらく……ここから先が死地になる。どうにも嫌な気配がする。これは勘だ。ただの勘だが、勘を侮るものは命を侮り、侮った死に背中を刺される。それゆえ一度、ここで足を止めさせて貰う。……決定的なところで噛み合っておらん現状を是正する機会はもうここにしかなかろう」
「肉体の発する非言語的なサインは重要だ。私はそれを尊重する」
「うむ、気が合うな、調停防疫局のエージェント。死なぬ肉体を装甲で身を固めると、ひたすらに勘は鈍る。だが我々はこの感覚を信じて生き抜いてきた……いやなに、長い話では無い。先ほどの弁明と本旨の説明をしておきたいのだ」
「うん。良くない言葉を沢山使っていた。良くないと思う」
「あれは良くないです」
「うむ……そろそろ台本を変えようかと思っている。反省している」
「反省はとても良いと思う」
「分かれば良いのです。私は赦します」
「うむ……君ら単純すぎやしないか。簡単に許しすぎでは……」黒い甲冑は逆に困惑した様子だったが、すぐに気を取り直した。「意思確認をしておきたい。そう、全てはそれに尽きる。これほど話が容易いやつらであるなら最初から率直に聞けば良かったな」
「何でも聞いてほしい」
「そちらとしては今回の作戦をどう考えているのだ?」
「どう考えている、とは? 質問の意図を理解しない」
「我々の目標はあくまでも<首斬り兎>の排除だ。当然ながら破壊も視野に入れている。しかし君たちはどうだ? 相手の正体は、発狂した調停防疫局エージェントという可能性が高いのだろう。破壊して良いのか?」
「破壊……」
リーンズィは沈黙して、目を伏せた。
それから困ったような視線を向けた。
「可能なら捕縛に留めて欲しいとは思う。だが、概ねの方針として解放軍に異論はない。暴走した高性能スチーム・ヘッドは破壊されて然るべきだ。何より私はシィーを知っている。凄腕の戦士だった。あれほどの実力者ともなれば尚更手段を選んでいられない」
「それを聞いて安心したぞ」ケルゲレンはホッとした様子だった。「君らは結構な人道主義者だと聞いていたからの。あらゆる戦闘行為を調停するために活動しているとか。だから、本心では反対しているのでは無いかと思っていた」
「確かに、私はそのようにありたいと思っている。でも今回はそのケースには当てはまらない」
「ま、僕たちも基本は抑えるのが専門だからね」と四本腕をヒラヒラさせながらグリーン。「壊さず鎮圧出来そうならそうするよ。そこは臨機応変に行こう」
「どうであれ、そのためには最初の数秒をリーンズィとミラーズに稼いでもらわないといかんのだがな。君らは見るからに非力だ。我々の方が君らよりも戦闘用スチーム・ヘッドとしての純粋性は遙かに上だろう。しかし我々のオーバードライブ突入は君らより遅いし、オンもオフも自在というわけにはいかん。直前と直後は隙だらけになる」
「負けなければいい、ということなら問題ないと思います」
ミラーズが帽子を脱ぎ、自分の頭をペタペタと触りながら応答する。シィーの人工脳髄を挿されていた時のことを思い出しているのだろう。
リーンズィも同意見だ。エージェント・シィーの剣技は、ある程度までミラーズへ転写されている。筋出力や運動能力ではシィーには敵わないにせよ、彼の技巧を真似て防戦に徹するのであれば、相応の働きは出来るはずだ。
「心強い。そうさな、オーバードライブで追いついたとき、君たちの所感を元に、私が最終的な意志決定を下す。戦うか退くか。増援はどの程度いりそうか、とな。当面の方針はそれで良いかの?」
「構まないわよね、リーンズィ?」
「構わない」ライトブラウンの髪を揺らしながらこっくりと頷く。「むしろ尊重して貰って申し訳がない。ケロ隊長の厚意に感謝する」
「君らも言っておったが、諍いながらこなせる任務ではないからの。さっきの小芝居はすまなかった。我々も不器用でな。ここからは態度を改める。お互いを信用していこうではないか」
リーンズィはもしかすると結構善い人なのかもしれない、とケルゲレンへの意識を改めた。そして一旦は信じると決めた。ミラーズもきっと信じるだろうし、彼の言動から欺瞞を嗅ぎ取っていたならば、知らせてくれているはずだ。
ミラーズが視線で促してくることも、言葉抜きに理解できた。
「そのためには……私も謝罪をするべきだと思う」意を決して切り出す。「ケルゲレン隊長。さっきはペンギン呼ばわりして悪かった」
「あああー、気にせんでいい。本当にペンギンがモチーフだからの」
「ペンギン!」リーンズィは目をキラキラと輝かせて何歩かケルゲレンに近寄った。「ペンギンの……スチーム・ヘッド?! ペンギン人間?!」
「いや中身は人間じゃが。え、ペンギン人間て、どういう食いつきじゃ」
「ペンギンのスチーム・ヘッド……すごいと思う」
「そんなもんいるわけなかろ。夢見がちか? なんじゃ子供みたいなことを」
「あたしの自慢の子供です」とミラーズが慎ましい胸を張るので、「そ、そうか……綺麗な娘さんじゃの……ひとつも似ておらんが」とケルゲレンは困惑気味の声を出した。
「というかリーンズィのその肉体、ヴァローナは100%君の娘ではなかろ。歌手時代のあいつを知っておるぞ」
「しかし何故ペンギンをモチーフに?」と、わくわくリーンズィ。
「それね!」とグリーン。「ケロさんの原隊、ノルウェー陸軍近衛部隊だけど、国民感情に訴えるためにあの有名な『ニルス・オーラヴ准将』をモデルにしたんだよ」
「ニルス准将……?」
チープ・ユイシスのデータベースに照会をかけると、動画再生ウィンドウが視界内に現れた。
古い時代の風景、規律正しく整列した兵士たち。
その目前を、よく分かったような分からないような雰囲気のペンギンがずいずいと歩いている。
実際何も分かっていないのだろうが、ペンギンの歩きは実に堂々としていて、かつ和やかだった。
軍隊の視察に来た戦知らずの王様というのは、あるいはこのようなものなのかもしれないという佇まいだ。
「かわいい」
「かわいいですね」同じ映像を見ているらしいミラーズ。「なんであたしたちの人工脳髄にこんな映像が……」
無断で収録された映像だ。
「事前に編成表を見て、コミュニケーション円滑化のために参考映像を送信していたのでは?」
「でもペンギンの映像そんなに必要かしら……?」
「うむ。何を見ているのか知らんが、ノルウェー陸軍近衛部隊のマスコットがペンギンだったのだ。ウケが良いのと、当時の技術水準でギアを組むとペンギンめいたシルエットになったので、この有様だ」
「ケロ様はやはりペンギン人間なのですね」
「いやペンギン関係なく人間じゃが……」
「ペンギン人間」リーンズィはハッとした。「ペンギンヒューマンvsフライングキャット……カツオ争奪北極海大決戦?」
「……クソ映画タイトル生成botでも頭に入れてんのかお前」
見に徹していたらしいイーゴが、さすがに呆れた調子でぼやいた。
「決戦っていうか、カツオって北極海にはいませんけどね」
グリーンもどうでもいいようなツッコミを入れた。
「というか何故ペンギンと猫を戦わせようとするんじゃ……そもそも猫、飛ばんし……」
「猫に翼のたとえもある」
「虎に翼か? 何故猫を推す……」
「おはようございます、ロングキャットグッドナイトです」
「え、何じゃ今の。誰のマネじゃ?」
意外とノリが良いのでリーンズィはついつい楽しくなってしまったが、ミラーズに手を握られて我に返った。
「ほんの冗談だ。ユーモアは大事だと言われているので、ついユーモアを出してしまった」
「ユーモアの欠乏はスチーム・ヘッドにとっては死活問題じゃが、さっきから意味が分からんぞ」
「最後に教えて欲しい。ノルウェー出身と言うことは、クヌーズオーエも馴染み深いのか?」
「いや、我々の知るノルウェーにこんな都市は無かった。そもそも不死病患者の完全不活性化に成功していたからの。こんな混乱した都市自体が有り得ん。我々の近衛隊は次の戦場へ向かったが、ノルウェーから戦乱は駆逐されたはずじゃったのに。この都市は端から端まで残らず異常じゃ。正常な状態に戻すのが不可能だとしても、せめてあるべき静けさの中に還してやりたいものじゃの」
「同感です。永久に病に苦しめられるなんて、そんなことあって良いはずがないですからね」
「くだらない倫理観だ」イーゴが首を振る。「俺は任務を果たせるなら何でも良い」
リーンズィはこの集団の性質を、きっと自分と大差ないのだと判定した。
上手くやれそうだという確信を得て、斧槍を一層強く握りしめる。
誰もが未だ、見知らぬ誰かであるが、今後の意思疎通に支障はあるまい。
<首斬り兎>と化したシィーはきっと難敵だ。
知る限りにおいて、リーンズィもミラーズも、十全な状態の彼には勝てない。
しかし、このチームなら何も出来ないまま敗北すると言うことはないだろう。
ここからは0.01秒の遅れが敗北に繋がる世界。どうであれ、調停防疫局のエージェントが初手の対応を誤れば、そこでケルゲレンたちの命脈は途絶える。
何としてもそれだけは避けたいとリーンズィは純粋な感情で願った。




