2-11 ヴォーパルバニー その7 カーニバルの幕開け(蒸気抜刀・序)
二機のスチーム・ヘッドが蒸気機関から煙を吐きながらビルの壁面を駆けていた。
まだ砕けていない煤だらけの硝子に二人の影が映じる。
窓の内側、オフィスの朽ちた椅子に腰掛ける不死病患者が、外を駆けていく疾風の如き影を無表情に視線で追い、しかし一言も発しない。
バリオスとクサントスはファデルに指定された地点に到着して、観測を開始した。
コルトの都市焼却に耐えきった正体不明機が存在するはずだった。
ヘルメットの可変倍率レンズを操作しようとして、すぐにそれを発見した。
だが、言葉が出ない。
無言で互いの動向を探り、そしておおよそ同じ困惑を得ていると納得を得た。
二人には観ているものが何なのか理解ができなかったのだ。
「何なんだ、あれ」とクサントスが戸惑いの声を上げる。「何をする機体だと思う」
「機体っていうか……まぁ、パペットみたいに見えるッスけど……」
「そうだな……そう見えるが……」
「そもそも『機体』なのか、っていう話ッスよね」
偵察軍の兵士たちが困惑するのも当然だった。
その何かは、あまりにも彼らの常識から逸脱していた。
スチーム・ヘッドもスチーム・パペットも、そのシルエットは原則として人型に定められる。人間の脳を演算装置として利用し、なおかつ生身の人間から不可逆的に抽出した人格記録で以て活動させる都合上、人型以外だと精神への負荷ですぐに限界を迎えるためだ。
個々人によって適性は異なるにせよ、人間は基本的に自分が人型であったとき以外の運動記録を持たない。
人型でない身体を動かすのはあまりにもストレスが大きいのだ。
継承連帯にもコンカッション・ホイールという非人型の機体が存在するが、生前はレーサーだった、等の特殊な事情が無い限りは、採用はされない。
繋がれた人格記録媒体は短時間で発狂してしまう。
だというのに、発見されたそれは、あまりにも大雑把に、ヒトの形から外れている。
装甲表面から途切れ途切れの息のように電流が迸っているのは、おそらく電磁迷彩が起動していた残滓だ。SCARの発生させた超高熱に晒され、強制解除されたのだろう。
それ自体は、どうということも無い。
むしろその事実が無ければ、風変わりな廃棄物として、バリオスもクサントスもいっそ無視してしまったかも知れない。
問題は、理解を拒むその特異な形状にあった。
タワー。
脚の生えた、タワー型の何かだった。
「機械っぽくはあるんスけど……」バリオスが首を傾げる。「何の機械っスかね?」
「あんまり真面目なものには見えんな。パペット研究施設に放置されてる、何世代か前のスチーム・パペットの試験機とか……」
「そうじゃなかったら、経営難で閉園した移動遊園地に放置されてるボロアトラクションとかっスかね」
「何故移動遊園地なんだ?」
「脚生えてるっス。自力で歩くんなら移動遊園地には便利そうじゃないっスか?」
「ああ、うん、そうかもなしれんな……」
とにかくそのように形容するしか無かった。下半身に限って言えば、輸送用パペットに準じた堅牢な外観をしていたが、上半身に『人型』と呼べる要素が存在していない。
頭部はもちろんのこと、腕に相当する部位も無い。
胴体がある、と表現するのも不適切だろう。
腰部から先は文字通り塔のような構造で、回転しそうな軸はあるが、人間らしい関節は見当たらない。
そして塔の頂上からは、飛行塔やヘリタワーと呼称されるアトラクションの如く、用途不明な装甲コンテナを、六つほどアームで懸架している。
アームにはさすがに可動部があったが、構成要素として大きいのは簡素な構造のレールで、何か器用な作業をしたり、武器の類を装備したりするのは不可能に見えた。
出来ることと言えば、アームを高速で伸縮したり、先端のコンテナをグルグルと回す程度だろう。
遊戯施設と捉えるには些か剣呑なのも事実であるにせよ、子供を乗せて遊ばせるのでなければ、今やノイズすら映すことの無いテレビの中の、もはや永久に放映されない特撮番組、さもなければ古びた玩具店の棚ぐらいにしか居場所はあるまい。
そんな奇妙な形状の機械が、道ばたにいきなり立っているのだ。
SCARによって焼却された直後であっても、異常な病による滅亡の後であったとしても、町中で発見するには毛色が違いすぎた。
「マスター・ペーダソスが観測した異常な反応ってもうこれしかあるまい。座標も合致する」
「コルトさんの都市焼却で焼け残ってるのも事実っスからね」
「SCARの強制変異に耐えられるってことは、高純度の不朽結晶連続体なんだろうが……活動の兆候は見当たらないな」
「どう報告するっスか? 迷子の移動遊園地がいるって?」
「移動遊園地に何か拘りでもあるのか?」
「でもどうとも言えないっスよこれ」
「見たまま報告する。画像データで」
「画像そのまんまは真心が無いっスよ~」
「心が無いのがスチーム・ヘッドだ。許される」
などと二人が話しているのを、その奇妙な機械は見ている。
じっと、見ている。
どこからともなくスッと現れたロングキャットグッドナイトに渡された猫を無言でモフモフしているコルトを横目に、リーンズィは橋頭堡を引き返した。
表面上、コルトは平静に戻っているようだが、明らかに意識が混濁していた。
そばには相変わらずペーダソスが控えている。もう、心配する必要はないだろう。
橋のたもとに引き返したリーンズィたちアルファⅡモナルキアは、ひたすらファデルに抗議のメッセージを送り続けていた。
コルトはSCAR使用に伴う心的外傷を忘却しているようだが、その影響の深刻さは今や自明である。通信の検閲や他者の権利を蔑ろにするような言動を平然と行うのも当然だった。言わば彼女にとって激しい情動、慚愧や後悔に類する感情は、傷を覆う瘡蓋によって、厳重に封をされているに等しいのだ。彼女は常に感覚を麻痺させられている状態なのだ。
SCARの使用はコルトの人格を致命的なほど劇的に傷つける行為であり、命令されたものであるにせよ自発的なものであるにせよ、調停防疫局としてはこれを決して認められない。
そんな文言で100件ほど抗議を送ったあたりでファデルから直接の音声通信が入った。
『リーンズィ、リーンズィ! 勘弁してくれ、今は<首斬り兎>の始末が先決じゃねえか! 何のためにコルトにムリさせたと思ってんだ! 軍団長権限で、このスパムみたいなメッセージの山の送信中止を要請する!』
「我々はこのような非人道的な行為を断じて許容しない」リーンズィは自分の声が些かの怒気を孕んでいることに気付き、意外に思いながら、しかし率直に意見を叩きつけた。「貴官らはスチーム・ヘッド、コルト・スカーレット・ドラグーンの精神衛生を著しく侵害している!」
『完全な同意の上だし、確実に使える手段がこれしかなかったんだよ! 俺だってコルトのやつにあんなもん何回を使わせたくはねぇ』
「ならば命じるべきではなかった!」
『命じてはいねぇんだって! SCARの使用だって、司令本部で案の一つとして提出されただけのモンだった。魅力的だが現実的じゃねぇ。放っておけば流れてだろうよ。それをコルトが傍受して、一人軍団としての権限で割り込んで、ごり押ししてきた』
「それは詭弁というものだ。たとえ直接宛てたもので無いとしても、全てのネットワークを監視しているコルトの存在を、君は理解していたはずだ。君たちはコルトに忖度を強要したに等しい」
『詰められると反論できねぇが……その提案にしたってよ、NGワード付きだったんだ。コルトは自分がSCARを使った後どうなるのかについて、自己検閲で忘却する。教えられても見えねぇし聞こえねぇ。重要で無いなら、周辺の情報ごと忘れ去る、だからその提案もコルトの記憶には残らないはずだった。それなのにあいつは自己検閲を掻い潜って<首斬り兎>の燻り出しを買って出た。やつも本気なんだよ。それこそ無視できねぇ』
「……だいたい、焼却した地区には<首斬り兎>は存在したのか? あの焼却灰有効だったのか。」
しばしの沈黙。
『最後に襲撃があったのがあそこだった、ってだけだ。すぐ監視網を構築したからそう遠くは離れちゃいないだろうが、十中八九別のクヌーズオーエに移動した後だろうよ』
「ではコルトが無駄骨ではないか! 苦しい思いをさせたただけだ!」
『いいや、無駄じゃねぇ。コルトの仕事は完璧だった。本プランだった重武装スチーム・パペットの大規模大量投入よりも余程効果的だっただろう。……しかし俺の見込みが甘かったのは確かだ。<大粛清>があってから半世紀だ、もうコルトのやつも立ち直ってるかと思ってたが、あそこまで崩壊した状態が継続しているとは……側近だったヘンラインがある程度正気に戻ってるから、コルトも回復している頃合いだろうと早合点した俺にも、どうしたって落ち度がある』
「ヘンライン。百人隊長、『時計屋』ヘンラインか?」片腕に柱時計を括り付けたスチームパペットだ。ファッションセンスが異常だったが、言動は正常なものだった。「何故彼の名前が出てくる」
『あいつは元々コルト護衛部隊の司令機だ』
「殆ど面識が無いような印象だった」
『ああ、記憶を変造しているんだろうな。コルトと似たような外科的記憶切除機構を備えていて……俺たちはあいつらにかなりキツい選択を強いた……ある程度の情報は、アルファⅡモナルキアにはしっかり伝えているぜ。SCAR使用の意図だの何だのは、自分の本体から聞いてくれや』
「まだ話は」
『コルトはやってくれた、次にやるのは俺たちだ。精々上手くやろうや』
そう告げるとファデルは一方的に回線を遮断した。
リーンズィはファデルがいる方角を見ながら歯痒そうに息をついた。
「……ユイシス。何か知っていることがあれば教えてほしい」
『仮称<首斬り兎>は、過去のデータより、目標の脅威度や新規性に反応して活性化する傾向があると推定されています。これまで被害に遭った部隊は、いずれも戦闘用スチーム・ヘッドを中心に構成された実戦部隊です。レーゲントを初めとする非武装スチーム・ヘッドは、初回を除いて無視されています』
「そのこととSCAR使用の間に何か関連性があるのか?」
『あるから報告しているのですが』とユイシスが一瞬だけアバターを出現させ、ミラーズの顔で呆れた素振りを見せて消えた。メモリの無駄遣いだった。代わって、これまでの襲撃内容を纏めたデータが視界内に次々と展開された。『<首斬り兎>が目標とする部隊の戦力規模は、最初の襲撃から現在まで、全三十回の間で、一貫して大きなものになり続けています。<首斬り兎>は常に前回よりも充実した部隊を標的としているのです』
「そうなのか……そうなの?」
『そうなのです。貴官は、何故予習をしていないのですか?』
情報を共有してもらえないどころか情報へのアクセスを遮断されていたからなのだが、その反論をすると三倍の量の嘲笑をもらうことになる。
賢明なリーンズィは素直に謝罪し、嘲笑を二倍に抑えることに成功した。
『前回襲撃された部隊は戦闘用スチーム・パペットを多数擁する一線級の部隊でした。これと比較して新規性があり、なおかつ充実した戦力であること示すには、コルトにSCARを発動させるのが最も確実です。街一つを熱エネルギーに変換したのですから、遠方からでも容易に観測可能でしょう』
「ではSCARは<兎>を惹き付けるための餌に過ぎないのか」
「ああ、それで納得しました。その兎さんというのは、つまり子供なのですね?」それまで曖昧に微笑んでいたミラーズが、納得したようにぽんと手を叩く。「言ってしまえば私たちは歩くカーニバルみたいなもの。事実私たちレーゲントが属する集団は例外なく祭礼の行進なのです。誰だって近寄ってお祈りをしたくなるものです。だけど、遠くにいる子供には花火を上げなければ伝わりません」
『肯定します。私のミラーズは理解が早くて素晴らしいです』
「ふふ。あなたの説明が分かりやすかったからですよ、私のユイシス」
そうして人目も憚らず抱擁を始めた二人を余所に、リーンズィは慎重に思案する。
「しかし、<兎>はエージェント・シィーの同位体だ。劣化したコピーであっても判断能力がそこまで低下しているとは考えにくい。少しばかり大きな花火が上がったぐらいで、こんな見え透いた罠に飛び込んでくるだろうか?」
『まだ分からないようなリーンズィは、深く反省するよう要請します』びしっ、とリーンズィの鼻先に金色の髪をした少女の幻影が鼻先をつつく。『<首斬り兎>は常に巨大な敵を探して活動しているのです。傾向から判断するに、むしろ無謀な戦力差で無ければ一顧だにしないでしょう』
そういうもの? とライトブラウンの髪の少女は不可思議そうに首を傾げる。
リーンズィが参照可能なレコードにおいても、エージェント・シィーが卓抜した戦士だったことは明白だ。首斬り兎は単騎だというのが大勢の予想だが、実際のシィーが数倍の戦力差を前に立ち回れたのは、端的に言えば、蒸気機関のオーバーヒートや電力不足に際して生じる隙をカバーしてくれる仲間がいたからだろう。
かつてのキジール、そしてファデルのような仲間が。
「……スチーム・ヘッド同士の戦闘においては、明白に有利なのは先手を取った側だ。一秒でも先にオーバードライブに突入するアドバンテージはそれほどまでに大きい。そしてその点で同等となると、今度は数を揃えた側が原則的に勝利する……」
シィーほどの腕前なら十倍までの戦力差は覆せるかも知れない。
だがこちらは百単位の軍勢である。
ユイシスの予測演算で確認しても、仮想フル装備のシィーでも、勝利できる未来など万に一つも無い。
アルファⅡモナルキアとファデルの司令部は、協力関係にある。演算結果は相互に照らし合わせたもので、お互いにかなり確度が高いと認識していた。
『出来るのならば万に一つの可能性すら潰す。それがクヌーズオーエ解放軍の流儀です。……報告、偵察軍のバリオスより映像データを取得しました。アルファⅡモナルキア全機に共有します』
視界に奇怪な金属の塊が出現して、リーンズィとミラーズは同時にぽかん、と口を開いた。
「……なんか変なのがいる!」リーンズィはぎょっとした。「とても大きい!」
「あれっ、これがそうなの? 兎要素がなくない?」ミラーズは少し残念そうだった。
『警告。最初から兎要素はありませんよ。飛び跳ねるような独特の機動から兎と称されているのみと補足します』
「ええー」ミラーズは指を伸ばした両手を頭の上に当てて兎ポーズをした。「こういう感じの……」
『それは何の期待ですか? どうであれ、これが<首斬り兎>本体である可能性は低いと予想されます』
「きっと支援機なのだな。これで高速機動はムリだ。しかしこれがクヌーズオーエにおけるシィーの支援機だとすれば……すれば……すれ、すれば……?」
リーンズィは何度も映像を確認し、確認し、確認し、また首を傾げた。
「これは何なのだ?」
ガラクタを雑多に組み合わせたような外観だ。輸送用スチームパペットの改修型と思われる下半身に、用途不明の謎の設備が載せられている。カラーリングが統一されているため外観には一貫性のようなものがある。しかし、それでもリーンズィの脳髄では、とても合理的な運用が思いつかなかった。いっそテーマパークから脚の生えた遊具が脱走してきたかのような印象だ。それほどまでに怪奇である。
『解析不能。合致する機体はデータベースに存在せず、調停防疫局での開発計画においても、類似のコンセプトは存在しません』
「とても役に立ちそうに見えないが、しかし万に一つの可能性も……あるのでは? あそこからシィーがいっぱい出てくるとか、ありそう」
ふふん、とアバターのユイシスが慎ましい胸を張る。
『秘匿情報を開示。現在、該当地区には前線に展開していたリリウム直轄部隊が接近中です。総戦力、ラジオヘッドを含め約3万。挟撃する形となります』
「あの子が来るのですか」同じ顔をした少女が、帽子の下で顔をほころばせる。「ではなおのこと、万が一もありませんね。自慢の娘たちの中でも特に自慢の娘なので」
「二人とも何故か得意げだが、別に自分の手柄ではないのでは……?」
言いながら、リーンズィは安堵していた。リリウムの操る戦力がどの程度かは不明だが、これで戦力差は確定的となった。
もういっそ<首斬り兎>も降参してくれれば余計な戦闘が起こらないで済む。
ライトブラウンの髪の少女はそんなことを夢想する。
叶わないから夢なのだ、と誰かが嗤うのを聞いた。
『報告。ファデルの派遣した先行部隊が不明機の周囲に到着しました。検証終了後、我々にも出発の要請が来ると思われます』
「ん……? この映像は正式にファデルから共有されているものではないのか? ない?」
『ハッキングした情報軍兵士、バリオスから取得中の映像です』
「その調子だと我々が討伐されてしまうのでは?」
リーンズィは呆れ果てた。
「3、2、1……撃てーい」
指揮官役のスチーム・ヘッドの合図に応じて、パペットの抱えた電磁加速砲から最大出力の不朽結晶装甲弾頭が射出された。
甲高い音が響くや否や、砕け散った弾頭が周囲に飛び散り、射線上にあった建造物を吹き飛ばし、アスファルトを粉砕した。
拒絶された破壊は周囲に無秩序に拡散し、何もかもを粉砕した。
盾を構えて様子をうかがっていたスチーム・ヘッドの一機が、跳ね返って散弾と化した不朽結晶の雨を受け止めて悲鳴を上げた。
「危なっ! 怖っ!」
「そこまでかぁ?」
跳弾に腕を吹き飛ばされた機体が暢気に返した。腕の残骸を拾い上げ、その肉と骨の塊で自分のヘルメットをゴンゴンと叩く。
まろび出た繊維束同士を繋ぎ合わせると、分かたれていた二つの塊は瞬時に接合した。
「こんな低純度不朽結晶じゃあ俺らの装備だって多少凹む程度じゃん。すぐ直るし」
「そういう油断が命取りなんだぞ。相手は私らの装甲ごとスパスパ切るんだから」
「でもさぁ、無限に切れる刃毀れしないカタナなんてあるかぁ? 俺らが適当に盾噛ませたらすぐ終わりっしょ」
「ああー、んー? ダメっぽいなぁー、これなぁ」と指揮官役がぼやいた。「猫が爪で戦車の装甲引っ掻いた方がまだ効果あるぞ」
異形の塔型パペットは完全に無傷だった。
砲弾は最大出力で完璧な角度から突入したが、目標の胴体部には文字通り傷一つ見当たらない。
解放軍側のパペット、肩に金色の獅子のエンブレムを持つ巨人は、砲を降ろしながら頭部を左右に揺らした。
『状況から判断するに不朽結晶の純度で負けてる。これはSCARの効果が無い以上予測は付いていた。射撃で破壊するなら、特務レベルの機体を破壊するための弾丸が必要だ』
「本陣で用意はしているが、こんな案山子に使うのは勿体ないっつうか……こんなふざけた機体なのにな……ま、収獲もあったな。こいつ撃たれても何とも言わないが、何とも言わないだけだ。普通に活動してるな?」
『肯定する。明らかに上半身の部分に重心が偏った機体構成だと言うのに、着弾の衝撃でよろめくこともなかった。スタビライザーが正常に機能している証拠だ』
「完全装備の機体を持ってきて、取り敢えずナマスにしてみるか? 中から寝てる兎が出てくるかもしれんし」
『内部にはおそらく何も存在しない。定期的に微弱な電波を発しているのを確認した。おそらく外部の本体と連絡を取り合っている』
「それ尚のこと壊さないといけない案件だろ。とりあえずは『見』だな。とにかくファデルからの指示を……」
『ピガーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!』
唐突にタワー型パペットの全身からノイズが撒き散らされた。
全機が一斉に瞬時に距離を取り、武器を構えて警戒姿勢を取った。
『活動レベル上昇』
「見りゃ分かるよ!」
『ピガー! ピガー! タスケテ! タスケテー!』
塔型パペットは壊れたレコードのように何度も何度も似たような文言を繰り返した。
『何だ……?』
「何だろな……」
『ピガー! ピガー! コワサレル! コワサレル! ピガー! ピガー!』
「何こいつ、何? めちゃくちゃカタコトなんだけど」
盾を構えていた一機が呟く。
「喋ってるし、意思があるんじゃねえの。おーい……」
「あっ待て、油断すると」
近付いていったスチーム・ヘッドに向かって、レールから電磁加速されたコンテナが突き出された。
超音速で迫る巨大な質量体を、「ああー?」などと呻きながらその機体は難なく回避した。
コンテナは虚しく罅割れたアスファルトを砕き、先遣隊が監視している中で、何事も無かったかのようにレールを引き返していった。
「これ、マジでそんな真面目な機体じゃないんじゃねー?」
「直撃してたら純度差で砕かれてたんだぞー! 慢心するなー!」
『ピガー! タスケテー! コワサレルー! タスケテー!』
ノイズがかったわめき声を尚も撒き散らす塔型パペットに、一同はどうしたものかという視線を注いでいた。周囲の不死病患者たちも大音声に反応しており、意思の宿らない視線を先遣隊の面々に向けていた。
俄に空気が変わったのは、獅子のパペットが淡々と報告をした直後だった。
『緊急事態だ。司令本部と通信が出来なくなった。我々が使用できる全帯域をジャミングされてる』
「馬鹿な」指揮官役がフルフェイス・ヘルメットの下で驚愕した。「しかし、熱量に変化は無いぞ?」
『最初からスタンバイしていた、と言うことだ』
「釣られたのは俺たちのほうだったというわけだな?」
『おそらく。どうするイヴァン、出し惜しみは無用と見えるが』
「そうだな。レオン、抜刀を許可する」
獅子の巨人は電磁加速砲を背中にマウントし、代わって不朽結晶製の大鉈を抜き放ち、マニュピレーターに握る。
極厚の黒い刃が冷たい陽光を照り返して鋭く輝く。
先遣隊が有する中では最高位の格闘武器であり、最高硬度の装備でもある。並のスチーム・パペットならば、真正面から押し潰して轢断することが可能だ。
しかし、これであってもこの塔型パペットには通用しない。純度で劣るのだ。
精々が切り傷を幾つか付けた程度の段階で、剣は無為に砕け散るだろう。
『撤退するか?』
「いやぁ、監視は続行だな。ペーダソスがこの異変を見逃すはずがないし、偵察軍は……」と周囲の建造物を見渡す。「いち早く察して、伝令のために駆け出した後のようだ。俺たちはここで待つしかない。待って不測の事態に備える」
「何を?」と盾持ちのスチーム・ヘッド。
「生きて任務が終わるその瞬間をだ。ここからが正念場だ。たぶん遠隔地で待機していた本体が近付いてきている。兎狩りの始まりだ……!」
『どんな調子だ? 先遣隊のやつらはまだ壊されてねぇよな』
「俺の『目』には、どいつもこいつも無事そうに見える。そう簡単に死ぬ連中は送ってないだろ。問題はジャミングが始まったタイミングだな。十中八九。何かに合わせて発せられたと見て良い。発見された瞬間でもなく、攻撃された瞬間でもない。バグってわめきだしただけ、なんて希望的観測はナシだ。このタイミングで騒ぎ始めたことにこそ意味がある」
橋頭堡の上からペーダソスは全てを観測していた。
もたらされた異常事態発生の報告は、ある種の平静でもって受け止められていた。
通信の途絶、電子攪乱の開始。ここまでは予想範囲内だ。
先遣隊は混乱しているだろうし、そこは敵側の予想通り。
だが空間を押し退ける時に生じる波や不規則な流動そのものを広範囲に渡って観測するペーダソスの目、ゼロケルビン・コアによって作動する空間受動波観測装置は、未だ健在である。
元来は気象予測のために開発された装置であり、さらなる上位環境への干渉を目的としていることもあって、使用する環境を事実上選ばないタフな蒸気機関だ。
おそらく、敵はこの装備の存在を認識していない。情報でのアドバンテージは解放軍にある。
ペーダソスは何ら労することなく来訪者の影を検知した。
「このジャミングは<首斬り兎>本体を支援するための行動だな。警戒網を緩め、電子の目を欺いて目標地区へ侵入しやすく……よし、かかった。北西方向の壁を飛び越して、何かが侵入したぞ……ロストした。おそらく建造物内に入った。定石通りすぎるが、だからこそ対応しようが無いな。見るだけじゃ無く脚で探さないと」
『予想通り突っ込んできたってわけだ。俺らの存在に気付いていると思うか?』
「勿論気付いてるだろ。普通はSCARの爆発を見た時点で尻尾巻いてピョンだ」
『分かってはいたが正気とは思えねぇな』
「狂ってたらジャミング開始と同時に侵入なんて芸当はしない、敵はマジだぜ」
『マジだな。本気の狂人だ。これほど恐ろしい相手はいねぇ』
ファデルは全軍に向かって通達した。
『<首斬り兎>の誘引に成功した。事前の取り決め通り、兎狩り作戦を開始する』
そして異形の頭部を持つ巨体で背後を振り返り、背後から都市を睥睨していたアルファⅡモナルキア・ヴォイドを見下ろした。
『あんたはどうする』
「あの木偶の坊が気になる」ヴォイドは温度の無い低い声で応じた。
『心当たりがあるのか?』
「ない。不明機だ。しかしシィーは、調停防疫局のエージェントである。両者に関係があるのならば、当機にはハッキングが可能かも知れない。『将を射んと欲すればまず馬を射よ』、彼の出身地域の言葉だ。支援機を先に制圧した方が作戦全体の確実性が高まる。よって、私はまず支援機を確認したいと考える」
『あんたの考えには概ね賛成だ。しかしだ、あんたの抱えてるお嬢ちゃん連中は別だ。あのヘンテコなやつのところには行って貰いたくねぇ。あいつらの現在のオーバードライブ性能はそれなりに使える。俺の権限で徴発して、本命の方、兎が来るであろうクヌーズオーエの北西部へと向かわせる。構わねぇな?』
「問題ない。リーンズィ、ミラーズ、両機とも即時オーバードライブが可能であり、敵の熱量変化に自動反応する対抗オーバードライブも搭載している。<首斬り兎>がどのような機体であれ、不意の襲撃であっても、三秒は互角に張り合えるだろう。そして三秒の隙があれば他の戦闘用スチーム・ヘッドもオーバードライブに突入できる。後は数の差で押すだけだ。君のプランも、同様であると予想する」
『ああ、まさに同じプランだ。俺が考えてるのと同じことをそっくりそのまま口に出してくれると手間が省けて良いな。もしかしてまたハッキングしているわけじゃねぇよな?』
「単なる事実確認だ」
『まぁいい。手堅くいくには、それぐらいしかねぇだろうからな。とにかく同意して貰えたみたいで何よりだ。……しかし、子機とはいえ、自分の分身を囮みたいに扱うってのはどういう気分だ? だいぶん見た目が違うけどよ、あれもあんたの一側面っつーか、枝分かれした別人格っつーか、そんな感じのもんなんだろ?』
黒い鏡像世界を映すバイザーの下。
二連二対の眼光は、果ての宇宙に漂う褐色矮星の如く輝き、ひとときも揺れない。
「感傷は無意味だ。私が何を見たか分かるか? 私がこれから何をすることになるのか」
「何だって?」
「何もかも同じだ。君も残骸も彼女たちも。灰は灰に、塵は塵にと言うが、これは本質を捉えた言葉だろう。どうなろうとも、本質的な差異はとうの昔に失われて、無意味なのだ。私は極めてフラットな状態でこの作戦を俯瞰している」
まるで鏡の向こう側から響いてくるような、酷く冷たい言葉の群れ。
ファデルは考える。俯瞰している、という言葉は単なる比喩表現ではあるまい。アルファⅡモナルキア・ヴォイドは、何か違う場所から状況を検分している。
当事者意識に欠けると言えば軽薄に過ぎ、余人の知らぬ破滅的な真理を知っているにしては蒙昧である。
この機体は一体何なんだ? ファデルは、見るからに旧式の蒸気甲冑を纏ったそのスチーム・ヘッドに、言い知れぬ怖気を覚えた。
戦闘用スチーム・パペットであるファデルの戦闘能力は圧倒的だ。生体CPUこそ少女の脳髄であるが、永遠に朽ちぬことを約束された装甲、その集積物である体躯は、文字通り見上げるほどに巨大である。
仮に騎士たちが剣を振るっている時代に現れたなら、神か悪魔と崇められただろう。
迷彩効果のある装甲は質量ミサイルの直撃を受けても傷一つ付かず、不朽結晶繊維束と核動力がもたらすパワーは腕の一振りで鉄筋コンクリートを容易く打ち壊し、生半可な蒸気甲冑など片手で捻り潰すことが出来る。シィーの元で数え切れないほどの実戦経験を積んだ結果、同等出力のパペットでも、もはやファデルの相手にはなり得ない……。
だから、本来ならばアルファⅡモナルキアのような、部分的にしか装甲が施されていない半端な機体など恐れるに足らない。
そのはずだった。
心理的なプレッシャーは、機体のスペック差で打ち消せるものでは無い。アルファⅡモナルキアという総体が抱えている巨大な虚無が、肉体の輪郭から瘴気となって染み出しているかのようだった。
砲金色のヘルメット、その内側に装填されている媒体の、人格の冷徹さ。
思想があまりにも虚無的に過ぎるように感じられた。
調停防疫局のエージェントなど他にはシィーしか知らないが、それにしてもこのような暗澹とした物言いをするのには違和感がある。
彼らアルファⅡモナルキアは、この世界をどう捉えているのだ?
「無意味であったとしても、その結論は無意味な行為を完遂した先にしか示されない。我々は無価値であることを証明するために行進する生ける屍だ。塵に還る日を待つ……」
ファデルは想像し、その凍てついた人格の放つ譫言を受け止めようとする。
人知の及ばない永久の暗黒に住まう何者かが、目前の不死の口を借りて言葉を発しているかのような錯覚から逃げられない。一瞬でも気を許せば、その黒い鏡像の内側へと飲み込まれ、粉砕されてしまうのではないか。
そんな迷妄が、ほんのひととき。
かつてミフレシェットと呼ばれた巨人の演算装置を駆け巡った。
言うなれば、アルファⅡモナルキアとは、蒸気甲冑と不死病患者の身を借りた暗黒だ。
人間性の介在する余地の無い真空の宇宙。絶滅の化身。
そんな印象が、泡のように浮かんでは消える。
……本当に見た目通りの機体なのか?
ウンドワートからの報告によればケルビムウェポンに類似した装備も搭載している。
ケルビムウェポンは、ファデルの記憶では、継承連帯でも極めて先進的な兵器だった。
それを当たり前のように搭載している。
シィーが搭載していたような増加装備では無い。
このコンパクトな構成の蒸気甲冑に、最初から内蔵していたのだ。
そんな旧型機が存在し得るのか……?
何もかもに違和感がある。
最初から気付いていたことだが、その事実に改めて直面して、ファデルは今までに無いほど猛烈な警戒感を覚えた。
<首斬り兎>の正体は依然として不明だ。
リーンズィやミラーズも無事では済まないかも知れない。
数少ない調停防疫局のエージェントを失いかねない現実がすぐそこにある。
だというのに、首魁たるアルファⅡモナルキア・ヴォイドは、何故これ程までに平然としているのだ?
彼女たちの身の安全を心配する素振りさえ見せないのは何故だ?
ファデルとしては、彼らも解放軍の仲間なのだと考えている。出自が曖昧ではあるが、態度は協力的だし、意思の疎通も表面上は問題ない。密かに監視を付けていることに関しても抗議をしてこないあたり、己の危うい立場にも自覚的らしい。
その点まで含めて、ファデルはアルファⅡモナルキアを信じる道を選んだ。
だが、この調停防疫局エージェントの視座と、自分たちクヌーズオーエ解放軍の視座は、本当に同じものなのか?
同じ世界を見ていると信じて良いのだろうか?
円筒形の頭部は見下ろす。ヘルメットとタイプライターのような装飾のガントレットは、懐古主義の産物と解釈出来なくも無い。
だが彼の背負っている重外燃機関は何なのだ? ウンドワートの装備に似ているが、しかし致命的な次元で何かが違うのだ。
遠い連戦の日々において、あのシィーすら機能について明言することを避けたおぞましい機体。
『なぁ……あんたは、何を考えている?』
アルファⅡモナルキア・ヴォイドは応えない。
これから何が起こるのか。
その全て知っているとでも言いたげな、拒絶の沈黙。
ヴォイドは何も見ていない。
見るべきものは、まだ訪れていない。




