2-11 ヴォーパルバニー その6 ジェノサイダルオルガン
「アルファ型のスチーム・ヘッドには、必ず大量破壊兵器が搭載されている。より正確に言えば、自分で判断して大量破壊兵器のトリガーを引く存在。それを望まれて製造されたのが私たちなんだ。それ以外の役目は、言ってしまえば付属品や副産物のようなものだよ」
白いヘルメットを装着したコルトがどんな顔をしているのか、リーンズィには分からない。片手に回転式拳銃を握ったまま、ふらふらと都市の残骸のジグラットを登っていくSCARの周囲には、人工脳髄から生体脳へ投影された無数の警告が付きまとっている。
『アポカリプスモード起動中:危険/即時退避推奨』
『目標射撃管制装置からの不規則照準を探知』
『人工脳髄権限奪取試行:エラー。レベルⅣ権限においてのみ奪取可能と推測』
『先制攻撃を提案:通常兵装全使用許可』
『対抗手段選択提示:非推奨/アポカリプスモード・レディ』
どれも軽々しく扱うことの出来ない内容である。
アルファⅡモナルキアは総体としてコルトを危険目標として認識しており、ユイシスもすっかり憎まれ口を叩かなくなった。
ヴォイドは有事となればコンマ数秒でSCAR運用システムごとコルトを無力化するだろう。
しかし麾下にあるはずのミラーズはカタナ・ホルダーから手を遠ざけ、金色の髪の下で目を細めている。警戒よりはむしろ憐憫の眼差しをこそ、その女兵士の背中へと注いでいた。
ミラーズの背後に続く護衛スチーム・ヘッド部隊も同様だった。
頭部全体を装甲で覆い隠している機体も多いが、誰一人として口を利かなかった。
視線を逸らし、あるいはコルトの背中を見つめ、あるいは己の足先を見つめ、息を潜めて列を成していた。
ジグラットの傾斜を緩慢な速度で登攀していくSCAR運用システム。
その熟した毒の花の蕾のような砲塔を背負う大量虐殺兵器に先導されるような形で、一行は歩みを進めている。
多脚と転輪での走行を無秩序に切り替え移動するその機械から、人間的な意思はやはり感じられない。何かの寄生生物によって動きを操られている昆虫の、夢遊病的な歩行。そのようにさえ感じられる。走光性に従い己の意思とは関係なしに歩む異形の司祭……。
コルトを護衛するために集まったはずの部隊の行進は、白痴の神を信仰する異教の葬列じみている。
「君にも搭載されているんだろう、虐殺機関は。隠さなくたって良いよ」
リーンズィたちをチラと振り返った拍子に、その白いヘルメットのスチーム・ヘッドは熱病患者のように倒れ込みそうになった。
助け起こすまでもなく踏みとどまったが、あからさまに歩みが不安定だ。
『SCAR運用システムの起動に演算リソースの大半を注ぎ込んでいるものと予想されます』と宙に浮かぶユイシスのアバターが告げる。嘲るような声音が全く無い。SCARの危険性を推し量っているのだろう。
「ねぇ、君のはどんな虐殺機関なんだい?」
「……私にはそうした名称の装備は搭載されていない」
「隠さなくても良いよ。アポカリプスモードっていうのがそれなんでしょう? 君も私と同じなんでしょう。同類なんだ。同じ大量破壊兵器のトリガーじゃないか」
アポカリプスモードの詳細についてヴォイドに問い合わせるが、回答する権限はリーンズィの側にあるとして棄却された。
アルファⅡモナルキアの意思決定の主体はリーンズィだが、最終的な決定権の在処が判然としない。
ヴォイドとリーンズィの間でたらい回しにされているらしいというのはログを参照すれば分かるのだが、こういう突き返しをされると弱ってしまう。
リーンズィがアポカリプスモードの情報を読み出そうとしても、誰がその閲覧を許可し得る立場なのか、判断が一意に定まらないのだ。あからさまなはぐらかしである。
そうして回答に窮していると、具足から圧縮空気を噴射させたペーダソスが橋頭堡の側面を登ってきて、リーンズィたちの傍に着地した。
「リーンズィが困ってるだろ、あんまり変なこと言うな」
「盗み聞きしていたのかい、ペーダソス。それとも盗み聞きしている別の誰かの頼みでここに来たのかな。どちらでもいいけどね。私は事実を確かめているだけだよ」
「いいか、アルファモデルはみんな大量破壊兵器のオマケってのがまず間違いなんだよ。そこまで悲観的な存在じゃ無いだろ、俺たちは? そう思うよな、リーンズィ」
ヘルメットを浮かして、レアによく似た顔でライトブラウンの髪の少女の横顔を覗き込む。
リーンズィは曖昧に頷いた。
「まぁ確かに鉄砲の部品なのは事実かも知らん。俺だって元々は『凍てついた目』のオーバードライブが出来るか確かめるためだけに作られただけの試験機だ。でもそれは事実の一側面に過ぎないぜ。他に何も望まれなかったかって言えば、それは断じてノーだろ」
「君はそうなのかも知れないね。開発者たちとの関係も良好だったんだろう。でも私に関して言えば、物騒であるにせよ、真実だとは思わないかな? 破滅を運ぶ機能以外には何も望まれなかった。技術者たちは大量破壊兵器のトリガーを自分たち以外の存在に押し付けたんだ。永久に生き続ける、自由意志なき不死病患者にね。君だって押し付けられた立場である筈だよ、リーンズィ」
「私は……私の来歴について、理解していない」
「ほらね?」とコルトが振り返る。「理解しているべきことを理解させてもらえない。開発者たちの都合の良いように機能を制限されてる……」
「いったいどうしたんだ?」
リーンズィは泣きそうな声を出した。怖いのではない。辛かったからだ。
コルトの言動が明らかに普段と違う。
超然とした態度で、昆虫のような無感情さで通信を検閲する懲罰担当官とは思えない。
まるで疲れ果てた普通の女性のように思える。
「いいや違うね、コルト。生真面目なアルファモデルってのは気の毒だな。あんたは気を張りすぎだ。……俺は今回のSCAR使用は不適切だと思うね。やるにしてもヘカトンケイルやレーゲントに念入りに整備をしてもらってからの方が良いと思うね」
「生真面目かな? 自分ではそう思わないよ。私は与えられた役割を果たすための感情しか持っていない。ただそれに従っているだけさ。私たちはいつだってそうだ。そうだろう、リーンズィ。君なら分かってくれるよね。私たちが機械の部品に過ぎないって」
「それは……うん」リーンズィはライトブラウンの髪を揺らしながら素直に頷いた。「コルトは昆虫のような人格だ。いつも笑っているのに感情が全然分からない。まるで笑顔の仮面を被った機械のようだ」
ごく当たり前のように悪評を口走ったので、「おいおいリーンズィ」とペーダソスが苦み走った顔をする。
「だがペーダソスと並べてようやく分かった。君の表情は、実際にはデフォルトの状態ではない。君たちがヘルメットを被ったままでも、今ならば分かる」
「そうだろうね。笑ってるように見えて無表情だってよく言われるね」
「その理解は正しくない。何故なら、人間は笑顔の仮面を被った機械ではないからだ」
ライトブラウンの髪の少女は、万華鏡の仕組みを探る子供のように無邪気だった。
何も聞こえていないかのように黙々と歩くコルトと自走機械に、訥々と言葉を浴びせた。
「スチーム・ヘッドに無表情などというものはあり得ない。眠ることを知らないスチーム・ヘッドは機能停止する瞬間まで意識を演算し続け、感情を手放すことが出来ない。一瞬たりとも自分が今いる状況を忘れることが出来ない。生体脳が演算する人格は、破壊されるその時まで、眼前の現実と対峙し続ける。だから、そこには常に感情がある。無表情などというものは、身体操縦のリソースが足りないときか、そのような表情を望んだときにしか生まれない。現に、君と同系列の素体を遣っているペーダソスは、どんな瞬間でも無表情ではない。君も無表情を演じているだけだ。表情が無いわけではない」
「そうですね、リーンズィ」ミラーズが痛ましげに同調する。「コルト少尉と仰いましたか。あなたは現に今、平気ではないでしょう?」
「私は機械のトリガーに過ぎないよ」
「機械なら感情は無い。君は機械のふりをしている。どうして?」
「機能を制限されているだけだよ」
「それだけじゃないだろってことをリーンズィは言いたいんだ」ペーダソスが口を挟む。「あんたの過去の働きを知らんリーンズィのほうが正しく見られるんだろうさ、よく言ってくれてる。あんたは所詮はスチーム・ヘッドだ、俺と多少は仕様が違うにせよ、結局は生身の脳髄から抽出した情報を詰めたちっぽけなメディアを頭に叩き込んで、偽物の魂をエミュレートしてるわけだ。神様や天使様、悪魔様にすらなれやしない。人間的感性から隔絶した振る舞いは出来ても、人間的感性の枠組みから外側には出られない」
「SCAR運用システム自体にアイ・メディアを装填されている処刑専用機が、君たちと同じ領域にあるとは思わない方が良いよ。高度な自己判断能力を持ち、恒久的に大量破壊兵器の運用を担う。それが私の任務、SCARスクワッドの存在意義の全てだ。君たちが何を言いつのっても、それは不変だ」
橋の終わりにまで辿り着いた。
SCAR運用システムはそのままさらに前進した。背部の橋の側面に取り付き、機体をアンカーで固定して、蕾のような砲塔を目標のクヌーズオーエへと向けた。
眼下の景色はまさしく地獄だった。壁際には無数の鎮静塔が立ち並び、今もなお無数の悪性変異体や凶暴化した悪性変異体がうろついている。
誰も彼もが血を求めている、肉を求めている、殺戮を欲している。
覗き込むコルトたちを視認した個体がこちらに手を伸ばしている。
救いを求めるように。
壁を這い上ってくるような影は見当たらない。
数十メートルの壁を登攀することなど到底出来ることではない。
では何故これほどまでに多くの機体が護衛についているのだろう、とリーンズィは首を傾げる。
過剰戦力としか言いようが無い。
ペーダソスはまだ思うところがあるらしく、コルトに何事か伝えようとしている。
「……ファデルに依頼されたとしても、あんたは一人軍団だ。拒絶する権利があるんだぜ。俺もリーンズィも、あんたがイヤだと言えば、あんたの味方をする」
「必要ないよ。私は役目を果たすだけだ」
ヘルメットを外して、大嵐に惑う小さな花のように振り返る。コルトは額にびっしりと汗を浮かべて、微笑んでいる。その笑みは今にも壊れてしまいそうな危うさを孕んでいた。機械的な固定された表情であるが故に、平時の彼女とは似ても似つかない。異様な精神状態なのが明らかだった。
「それに、他には何も有効な手段もないよ。全部迅速に終わらせないと。私が……私が一度SCARを起動させるだけでこの地区の焼却は終わる……」
「ペーダソス、コルトはいったいどうした?」声を潜めてリーンズィが問う。「動作が不安定になっている」
「あれがSCARっていう機体のマズいところだ。焼けと言われたら負荷を無視して何でも焼き払うって切り替えちまう」
「それほど高負荷の兵器なのか」
「兵器の演算の負荷は、この際問題にならない。問題はこの後だ。暖機してる状態に過ぎないが、その段階でこれだ。……なぁコルト、考え直せ。リーンズィもやっぱりお前が心配だとよ。せめてヘカントンケイルを何機か喚んでこないとあんた保たないぞ」
「その要求は飲めないよ。私の原型機、アルファⅠフルドドには、他の側面も要求されたみたいだけど、私は単機能特化の量産モデルに過ぎない。そして君たちがどんな理屈を積み上げても、私たちアルファ型の開発経緯は書き換わらない。確定された歴史なんだ。色々と擁護してくれているつもりなんだろうけど、私の精神機能は実際に大幅に制限をされている。悲しまないし、怒らない。ただ、責任を取るだけ。君たちは、人に責任を押し付けておいて、判断は公平であれ、冷静であれというわけだね」
「そんな言葉が出てくるのは奇妙だ」リーンズィは純粋な違和感から疑問を零した。「私の知っているコルトはそんなふうに誰かを責めることはしない。公平で、冷徹で、猫が好きで、優しい」
「かもしれないね。SCARの展開準備はそれなりに負荷があるから……少しは変にも成るよ。でも私は、とても平坦な心臓の鼓動をコンパスにして活動している。やっぱりそんなのは機械と同じだろう? 私が機械の真似をしているだけだって言われても、嬉しくとも何ともないよ。もちろん悲しくもない。何も嬉しくない……」
今にもその断崖から身を投げてしまいそうに思えて、リーンズィは俄に焦燥感を覚えた。
ミラーズと視線を合わせ、頷き合い、またコルトを見た。
「肯定する。君は正しい。君の喜びを私は知らない。究極的に私は君では無いので、知りようがない。だから、君が知っていて欲しいことを知っていようと思う。コルトは、どう思って欲しい? どう思っていたい?」
リーンズィが尋ねた。
黒い髪をした女は、何事も読み取ることを許さない微笑を浮かべて、沈黙した。
それから袖口のオーデコロンを嗅いで、物思いに耽っているようだった。
彼女の香りが風下のリーンズィのところまで漂ってきた。
表情筋の強ばりを僅かに和らげて、視線をどこかリーンズィには感知できない方向に向けて、それから、リーンズィは儚げに笑った。
「リーンズィは私と仲良くしたいの? レアと君みたいな関係になりたいのかな?」
「コルトはレアのお姉さんだと聞いた。レアのお姉さんは私のお姉さんに等しい。ならば助けたいと思うのは当然のことでは? とても……とても苦しそうに見える」
「どうしても私と仲良くしたいなら、怒ると怖い、嫌なお姉さんとでも思っておけばいいよ。冷徹で、傲慢で、友達がいないのさ。君のシンプルな性善への信仰に口を挟めるほど、私も偉くはないから。仲良くしたいなら好きにしなよ」
「コルトお姉さんとでも呼べば良い?」
「あは。くすぐったいね」ちっとも嬉しくなさそうにコルトは笑った。「それは遠慮しておくよ。レアが臍を曲げると厄介だから。私は……あまり友達というものに良い思い出は無いよ。交友のある機体を、粛正のために後ろから撃つ時、どんな気分になるか知ってるかな?」
「さぞや酷いだろう。私もレアせんぱいを壊せと言われたら頷けない」
「ううん。私は何も感じないんだ」コルトは酷薄そうに笑った。「見知った顔が炎の中に溶けていく。でも何も感じない。可哀相とも、こんなことはしたくなかったとも、思わない。ああ、こうなってしまったんだな、と記憶するだけさ。私はそういう機体なんだ。さぁ、さっさと片付けよう。始末は早めに付けるのが一番だ。SCAR、砲撃シークエンス起動」
残骸の橋の側端に取り付いた異形の多足歩行機械の背中がばらりと開いた。
晒された塔の内部には砲門や給弾装置と呼べるものは何も存在しなかった。それは巨大な真空管に似ている。
「結局こうなるか」ペーダソスは呻きながらリーンズィに退避を促した。「間違っても射線上に立つなよ。アルファモデルでも燃えて終わりだ」
ライトブラウンの髪の少女は言われるまでもなくミラーズとヴォイドに引っ張られて後ろへ下がって、姿勢を低くしていたた。一方でペーダソスは一歩離れたところで腰を下ろし、これから焼却する都市と対峙するコルトを、まんじりともせず眺めていた。
「君も逃げたらどうかな?」
「あんたが焼き払った後を観測するためにここに来たんだ」と偵察軍の長である少女は溜息を吐く。「炎が怖くて偵察軍が出来るかよ。もちろんあんたも怖くないぜ」
「……私はルールに基づいて審判し、破壊する。それだけだ。君たちが私の活動に疑問を抱いているのも、知っているよ。でも何とも思わない。心はあるんだろうね。感情だって、うん、備わっているよ。でも、何とも思わない。覗き魔と言われようとも、貌の無い機械だと言われようとも、何ともね」
「そうは見えない」リーンズィは困ったような顔をして後ろから声を上げる。「コルト、君はどうしたい? 何になりたいんだ? 何かやりたくないことをしようとしている。私にはそう見える」
コルトは微かに視線を落とし、それからまた、いつものように微笑んだ。
「私を信じても良いことは無いよ」
「信じていたいと願うのは悪ではないはず」
「……薄情者だって見透かされて、愛想を尽かされるのは、少しだけ、胸が痛む。私と関係の無い場所に誰かが行ってしまうのに堪えられない。だから私のもたらす破壊を見ても、出来れば逃げないでほしい。お願いしていいかな」
「逃げない」リーンズィは確かに頷いた。「私はここにいる」
それじゃあ始めようか、とコルトはまたヘルメットを装着した。
剥き出しになったSCARの砲塔が燐光を帯び始め、氷河を透かしたような青白い光で周囲を照らし始めた。蒸気機関は回転数を爆発的に増大させ、極大の電動鋸じみた異常な音声を轟かせる。
SCAR運用システムは、規模だけで判断するならばアルファⅡモナルキアの重外燃機関よりも巨大だ。当然この程度の騒音はあるだろうと予想していたが、それとは別に脳裏でけたたましく警報が鳴り響くのでリーンズィは僅かに怯んだ。
『推奨:即時退避』の文字が視界を埋め尽くさんばかりに増えていく。
「放射性マーカー、セット開始」
コルトは無造作に拳銃を向け、トリガーを引いた。銃声は聞こえない。ただそれに追従してSCARの塔のような形状のレンズから一瞬だけ青い光線が伸び、空気を焼き切って、観測不能な距離、おそらくは都市の始まりから終わりまでを貫いた。
その光線には破壊力が備わっていなかった。
光が通り抜けた箇所には何の変化もない。ただ、貫いた。
『警告:粒子状不朽結晶の射出を確認しました』
ユイシスの分析に耳を傾けながら、シークエンスを見守る。
コルトは五発の弾丸を使って、眼前のクヌーズオーエを淡々と撃った。
ばらばらの方向に打たれた合計五筋の閃光が真っ直ぐに都市を貫いた。ユイシスの分析によれば、この五度のビーム照射は都市を包む五指のような形で展開しているようだった。
しかし観測可能な範囲には何の変化も生じていない。
「綺麗な光ですね……」とミラーズが呟いた。「ところで、さっきからこの……見えてる世界に浮かんでいる変なやつは、消えないんですか?」
あまり警告表示の意味を理解していないらしい。
普段ならユイシスがフォローしているところだが、彼女らしからぬ緊迫した声音で解析結果がアナウンスされた。
『SCARの範囲焼却メカニズムを特定しました。連鎖崩壊型放射性不朽結晶の大量照射による範囲内強制変異です』
「強制変異……まさか不死病を利用したシステム!」
『肯定。該当メカニズムにおいては、最初に極めて微細な質量の不朽結晶連続体を収束して粒子放射線ビームとして放射します。ビームは物体を貫通して直進し、射線上の物体を有機・無機問わず感染させ、質量を変化させます。特に気体にはある種の相転移が発生し、急激な拡散が発生。プロセスとしてはサーモバリック爆弾の燃料散布と同等です』
「ビームの射程は?」
『ヴォイドが観測した限りでは10km。最大射程は、より長大でしょう。ただし、無闇に拡散させては自然災害規模の大破壊となります。最初に粒子ビームが通過した部分を変異限界として相転移すると推測するのが適当です。ただし、この仮定においても、設定された射程範囲においては変異が無差別に広がるものと予想されます』
「……調停防疫局に同じ兵器を搭載した機体は」
『存在しません。不可逆的な大量破壊兵器の採用を調停防疫局は否決しました。あまりにもコントロール不能な要素が強いためです』
マーカーを設置し終えたコルトは重くてとても持てないとでもいうように拳銃を降ろし溜息を吐いた。
そしてぶつぶつと呪文でも唱えるかのように呟き始めた。
「本案件、第九八一番クヌーズオーエ焼却に関して、有効な異議は現在まで提出されていない。SCARの運用管理者としての見解を述べる。カースドリザレクターの数、暴徒化した不死病患者の数も、既定値を大幅に超過している。仮想された倫理委員会からの要請に対し、再度の検討が必要になったと仮定。さらに論考を進める。彼らは治療可能な設備は現状存在しない。汚染は甚大であり、回復の余地もない。もはや議論の余地も無い。どのように検討しても焼却処分は妥当である。次に、作戦目的に対しても合目的的であるかを論証する。仮称<首斬り兎>をこの地区に誘引し、捕縛あるいは破壊する。該当の不明機は甚大な脅威であり、これの排除は、今後のクヌーズオーエ開拓において必須であろう。では、そのためにSCARを使用することは妥当か。目標機に攻撃され、装備を破壊されたスチーム・ヘッドは累計で百機を超えている。脅威度は他に類を見ないと言えるだろう。単騎であると仮定しても<暗き塔を仰ぐ者>全軍と比較して遜色ない。これの排除に際して、どのような犠牲を払っても、それは決して規範意識を逸脱するものではないと判定する。汚染度、目標の危険性、作戦の必要性。あらゆる観点から、今回のSCARの使用は妥当なものと結論できる……」
SCAR運用システムの蒸気機関回転音が極限に達した。
真空管じみた透明な砲塔の内部に赤い点が生まれ、見る間に肥大化して矮星の如き禍々しい光を放ち始めた。
周囲に『悪性変異体を検知:最大警戒/<燃え落ちる街の修道者>』の文字が躍る。
<燃え落ちる街の修道者>は尋常の方法では進行を阻害することさえ困難な悪性変異体だ。本来ならば全力を投じて沈静化すべき反応だが、この状態で停止措置を講じても、この赤い光が解放されて、無制限の変異連鎖が生じるだけだろう。
『解析。赤い光源は、特定の悪性変異体の性質を付与された微小粒子状不朽結晶連続体です。着火装置に相当する要素と推定。粒子放射線ビームが変異因子散布領域に到達した時、射程内の全てが付与された悪性変異体の因子に撃発され、同様の状態へと状態変化します』
「全てが<修道者>に変異するのか?! 危険すぎる……仮に巻き込まれたとして、破壊を免れる方法は無いのか」
『回避は不可能です。効果範囲内で、高純度不朽結晶連続体で構築されている物体以外は全滅します』
リーンズィは加工されていない本物の恐怖に身震いした。
確かに懲罰担当官に相応しい装備ではある。処刑部隊として活動していたというのも何ら不可解では無い。どれほど高性能なスチーム・パペットでも、この兵器に晒されれば文字通り存在ごと焼き尽くされてしまう。起動には時間が掛かるようだが、これほどの射程があれば何の問題もない。
オーバードライブの使用が危惧される場合は範囲焼却すれば事足りる。
もちろん、焼却された不死病患者は、相応の負荷を背負って再生してしまう。
つまり相応の悪性変異体が出現するリスクを否定しきれない。
その欠は、しかしこの鏡像連鎖都市においては無視されるはずだった。カタストロフ・シフトにより、身を以て体験している。おそらく重度の変異を起こした個体は、クヌーズオーエにおいては<時の欠片に触れた者>によって異なる世界へと放逐される。 この絶対的な破壊には、真実何のリスクも無いのだ。
しかし、これほどの兵器が一つの人格、単なるスチーム・ヘッドに任されている事実は、改めてリーンズィを心胆寒からしめる。
都市焼却機フリアエ程度の管理機構でなければ、運用してはいけない兵器だ。
「最終焼却プロセスを開始。最終審議、開始……」
「……俺も俺の仕事をしないとな」ペーダソスは己の背負う蒸気機関に火を入れた。「Zケルビン・コア、オンライン。渦動破壊連続冷却開始。空間受動観測装置、全起動。ここから先、俺はコルトに構っていられない。リーンズィ、みんな、任せるからな」
「任せる。何を?」リーンズィは怪訝そうに首を傾げた。
「コルトをだ」
何故? と重ねて問う時間は無かった。
「……この私に射程範囲内の全てを焼却する権利はあるか?」
その白いヘルメットのスチーム・ヘッドは、頭を抱えて。
それから、あらん限りの声で叫んだ。
「う、あ……うあああああああああああああっ! そんなのっ、そんなの――――――あるわけがないじゃないか! 誰にそんな権利があるんだっ?! 誰がどんな風に判断したらみんなみんな焼いて潰してこの世から消して良いって言う結論になるんだ! 良いわけない、良いわけない、良いわけがない! 私にそんな権利があるわけないよっ!」
その悲鳴がコルトのものだと、しばらくの間リーンズィは理解できなかった。
「コルト……?」
ヘルメットをグローブで殴りつけながらコルトは、憎らしげに都市の残骸を蹴り始めた。
「このトリガーを引いたら、みんな死んじゃうんだよ?! みんな焼け焦げて燃えて炎になって消え去る! もう戻せなくなる! 不死病患者だけじゃなくて、みんなが大事にしてたものも歴史も文化も全部燃えるんだよ?! ああ、それに、それにそれに、まだこの都市のどこかに未感染の人間や仲間のスチーム・ヘッドがいるかもしれないじゃないか。可能性が無い?! 誰がゼロだって保証してくれるの。全部根こそぎに燃えつきちゃう。こんなのはやっちゃいけないことだよ! こんなことを肯定する理屈なんてあるわけない! そんな権利誰にも無いよ! なのに……どうして?! どうして私がそんなことしなくちゃいけないの!? どうしてトリガーが私の手の中にあるの?! 私にそんな権利があるわけが……あるわけが、ないじゃないかあっ!」
赤い光の中で叫び続けるその姿に。
凜然と立つ兵士の面影は無い。
あの飄々とした懲罰担当官としての風格は、完全に失われていた。
「何……え……?」リーンズィは困惑した。都市の観測を行っているペーダソスに視線を向ける。「これは?」
「本物のコルトの人格だ」
「本物の、コルト?」
コルトは泣きわめいていた。「これを、私がやらなくちゃいけないの?! なんで?! なんでそんなことしなくちゃいけないの?! 私が何をしたって言うの、嫌だよ、撃ちたくないよ、撃ちたくないよぉ……!」
「コルトが……コルトが変だ。精神が異常を来してる。暖かいブランケットが要る……」
ペーダソスは諦観した様子で、コルトの狂乱を眺めていた。
「……トリガーを引くために作られたというのは間違いでも無い。あんたもたぶんSCARがどういう兵器なのかは理解してるだろう。途方も無い兵器だ。解放すれば途方も無い破壊が起きる」
「それと今のコルトに何の関係が」
「胸糞悪い理屈さ。誰がその兵器を運用する責任を負いたい? 都市に撃てば無辜の民が歴史ごと、仲間に撃てば人格記録媒体に納められた魂ごと消滅する。誰がそんな責任を負える。永久に失われる価値について、誰が責任を取れる?」
「誰にも負えない。責任を取れる問題では無い」
「でも誰かに責任を押し付けないといけない。だからコルトのような運用者が作られた」
「そんな、そんな馬鹿なことが……」
コルトは息も絶え絶えに、どこかに誰かの姿を探している。おそらくは、自分の代わりをしてくれるだれかを。「撃ちたくない、撃ちたくない、嫌だよ、もう撃ちたくないよ。こんなのやりたくない……」
「コルト……み、みんな、コルトが苦しそうだ。早く止めないと……」
リーンズィは青ざめた顔で背後のスチーム・ヘッドたちを振り返った。
皆、沈黙していた。
大量破壊を前にしての沈黙では無い。
必死に現実から逃避しようとしているコルトを、注視している。
ライトブラウンの髪の少女は悟った。
何機かがオーバードライブに突入しているのが分かった。
間違いない。
彼らは、この状態に陥ったコルトが暴走するのを防止するためにここにいる
護衛部隊とは皮肉なものだ。
コルトが、他ならぬコルトを傷つける。
それを防止するための部隊なのだ。
「助けて……誰か、誰か助けて。私には撃てないよ、こんなの出来ないよ……」
「みっともないよな、見てられないよな」ペーダソスは何も見ていないようだった。「酷すぎるって思うだろう。これがコルトが信用されている理由だ。SCARを撃とうとすると、普段は凍結されている本物のコルトの人格が正常化されて、あいつの純粋な感受性を秤に使って、審判を始める。収集してきた情報、直面している危機が、見た目通りの若い女の頭に流れ込んでいくんだ。もしここでコルトが撃ちたくないと判断したら全プロセスが終了する。そんな柔な責任感の持ち主じゃ無いけどな。完璧に刷り込まれてる」
「な、何故そんな非人道的な機能が……」
「誰も冷酷な機械に壊されたくは無い。感情豊かなやつに情状を人道的に考慮されて死にたいはずだ」
「それはエゴだろう。裁かれる側のエゴだし……裁くのを命じる側のエゴだ。だってこんなのは……背負えないし、堪えられないはず」
「背負えないし、堪えられないだろうな。だからSCARスクワッドは全滅した。自殺したんだ。自分を範囲焼却に巻き込めば消え去ることは出来る。コルトもそろそろ限界に近い。本来ならこんな大仕事にはもう参加させるべきじゃないんだよ」
「……」リーンズィは絶句して、よろよろと立ち上がった。「コルトを止めるべきだ」
「好きにしろ。誰も成功していないけどな」
SCARの放つ轟音の中では原初の聖句さえ無力だ。ましてや、リーンズィの声など届くはずも無い。
おそるおそるコルトの肩を掴むと乱暴に振りほどかれてしまった。
「コルト、待ってほしい。こんなのはダメだ。他に方法を……」
「やるしかっ、やるしかないじゃないか。私だけがこれができる。みんなを助けるにはこれしか方法が無い! 分かってる、分かってるよ、そんなのは分かっているんだっ! SCAR、ぜんぶ、全部焼いちゃえ――全部、全部、目に映るもの全部っ!! 焼いちゃえ!!」
そしてSCARが起動した。
リーンズィには、その瞬間は見えなかった。
ただ橋の先にある風景全てが、赤く、赤く、赤く染まった。
目を逸らすことさえ出来ない。
全てが純粋な炎へと変異した。
人のような炎、車のような炎、塔のような炎、高層建築物のような炎……。
赤くない部分などどこにも無い。
まさしく一つの都市が、その全ての歴史ごと、焼き尽くされた。
一瞬後にはもうそれらはどこかに放逐されている。
何事も無かったかのように燃え落ちる都市は消え去り、変わって至って平穏な、いっそ牧歌的とも言えるクヌーズオーエにすり替えられている。
炎の塊にされた不死病患者などおらず、あちらこちらに立ち竦んでいる影が見えるだけだ。
<時の欠片に触れた者>が再配置を行ったのだと言うことは理解できた。
SCAR運用システムの蒸気機関が停止し、耳鳴りがするほどの静寂が訪れた。
響くのはただ、女の嗚咽だけだった。
「う……ううううう……やだよぅ……どうして、どうして私が、こんな……」
コルトは拳銃を握ったまま膝から崩れ落ちた。
ヘルメットを脱ぎ、頭をかきむしり、引き攣った笑みを浮かべて涙を零している。
「嫌だ……もう嫌だよ……こんなの嫌だ……疲れたよ……」
こうして泣き崩れる女性にかけるべき言葉をリーンズィは知らない。
だが放置してはいけないと、混乱し尽した思考を巡らせて、せめてねぎらいの言葉を、と判断した。
「コルト少尉……君は立派に任務を」
彼女は振り返らなかった。
ただ無言で自分の頭に愛銃を向けて、トリガーを引いた。
銃口から最後の一発が放たれ、脳髄を撒き散らして、どこかへ飛び去った。
「あ……」
突発的な事態に反応できず、リーンズィは呆然とした。
「そんな……」
「いつものことだ」とペーダソスは言う。「堪えられるわけがないんだ。自分で自分を罰することでSCARは完結する。今回もすぐ再生するだろうよ。そして感情が解凍されていた間のことは一切覚えていない。消去される。こいつの記憶は改竄され、捏造され、全部忘れるんだ」
「……」リーンズィは唇を噛んだ。「非道すぎる。調停防疫局はこれを認めない」
「誰も認めないさ。俺だって嫌だ。コルトだけが苦しすぎる。他のSCARスクワッドみたいに終わらせたくない」
「あなたがたは!」ミラーズがペーダソスを、他のスチーム・ヘッドたちを見渡した。「あなたがたは、彼女に何をさせているのか分かっているのですか?!」
「……知らないわけがない。でも我々には止められないし、責任も取れない」スチーム・ヘッドの一機が呟いた。「だが、彼女がもうこれで最後だと思ったら……ついていくことはできる」
「一緒に自殺する?! そんなことで義理が果たせると? それは傲慢というものです。唾棄すべき悪徳です。誰もそんな未来は望んでいないでしょう?」
「分かっている」そのスチーム・ヘッドは繰り返す。「分かっている……」
果たしてペーダソスが告げたその通りになった。
起き上がったコルトは平然としており、いつもの微笑をリーンズィたちに向けた。
何も変わらない、完璧に均整の取れた美貌の、仮面のような笑顔。
撃ち抜かれて飛び散った脳髄も、涙さえも、とうに蒸発して消えている。
自分が何を叫んでいたのか、全く覚えていない様子だった。
「ペーダソス、範囲焼却は成功したかい? 異常はなかったかな」
「コルト……」
『知らないフリをしろ』ペーダソスが囁いた。『忘れている間はむしろコルトの精神は安定してるんだ。解れたのを繋ぎ止めてるだけだが、少なくともいきなり自殺はしない。出来るだけ思い出させるな』
リーンズィは応えなかった。応えたくなかった。調停防疫局のエージェントとして認めたくなかった。
こんなふうに誰かが一方的に痛みを押し付けられるのは間違っている。
だが、沈黙した。
他にどうすることも出来なかった。
「ペーダソス?」再度コルトが血色の悪い唇で問う。
「……何もかもリセットされたよ。効果範囲内にあるものは全部燃え尽きた。でも反応が妙な部分があった。変異せず残ったものがあるのかもしれない」
「そう」コルトは嘆息してヘルメットを装着した。「早急にファデルにデータを転送して。SCARに耐えられるものなんて普通は無いよ。<首斬り兎>に関係するものだろうね。……私の仕事は、今日はもう終わりかな。久々に疲れたよ」
リーンズィには何も言えない。
リーンズィには何も出来ない。
コルトへしてあげられることは、ライトブラウンの髪の少女には一つも無かった。
何をしても無意味で、何をしても救いにはならない。
けれど、と人工脳髄は言葉を紡ぐ。
けれど、けれど、けれど……。
これは自己欺瞞だ、と思いながらも、リーンズィはコルトの傍に寄って、いつもミラーズがリーンズィにするように、宥めるように優しくコルトを抱いた。
「おや、どうしたんだい? 今度は私に興味があるのかな。レアと違って君を楽しませてはあげられないよ」
「猫と……」顔を見ないようにしながら、ぎゅっと抱きしめる。「この作戦が終わったら、猫と遊びに行こう。猫の人にお願いして、猫たちといっぱい遊ばせてもらおう」
コルトの息遣いが変わった。
猫に反応したのでは無い。
リーンズィが震えているのに気付いたのだろう。
「……どうしたの? 何かあったのかい? 誰かに虐められたのかな? 何でも打ち明けてくれて良いんだよ。私はそれが仕事何だから。君を悲しめる誰かを、懲らしめてあげようか」
「なんにもなかった。なんにもなかったよ」
リーンズィに出来ることは、何も。
コルトに出来ることは、何も。
何も、何も無かった。




