2-10 清廉なる導き手 その11 末裔の少女
「君がお洒落をすれば喜ぶ人がいると思うよ」と言われたので、リーンズィは布の塊を素直に受け取った。
まだ朽ちていない布束や、黴が浮いている革のコート。こんなものが何の役に立つのだろう、とリーンズィは不思議に思う。
いずれもスチーム・ヘッド、特にオーバードライブ機能を搭載した機体の活動には、到底堪えるものではない。準不朽素材でもない下着など、すぐに擦り切れてしまうだろう。その点、リーンズィの肉体、ヴァローナが着ている、インバネスコート型の突撃聖詠服は優れていた。
不朽結晶連続体で編まれているだけあって、どれだけ酷使しても破損する兆候が無い。装着していても不快感が少ないというのも特徴だろう。わざわざ胸部だけを固めて乳房を保持するようになっている構造を見た時には、これこそまさしく不合理性の発露だと思ったものだ、とリーンズィは自分の体を包む不朽の衣服をさすりながら考える。意外にも、激しい動作を充分に想定して作られているようだ。
そもそもリーンズィには身繕いをするという感覚自体が理解しがたいものだった。割れた鏡に向かって、拾った衣服を首から下に宛ててみる。
よく分からない。好悪が無いので、まさしく理解が及ばない。
ただ、自分のものでは無い肉体、アンヴィヴァレントな美貌を持つ少女であるヴァローナには、どの服も相応に似合っている。
「とは言え、アルファⅡモナルキアのエージェントたる私には、今の服があれば充分なのでは……?」
リーンズィとしては、どうしてもそう思ってしまう。お洒落というのが何かの役に立つのだろうか。誰か特定の服を着ていてくれれば、嬉しいだろうか。
金色の髪をしたミラーズを思い浮かべながら、着て欲しい服があるか考えてみたが、思いつかない。
ヘカトンケイルが着ているような改造給仕服などは似合うだろうが、逆にミラーズに似合わない服など存在するのだろうか? 何を着ても美しいはずだ。
衣服に興味が無いのはコルトにしても同じようだった。人には服を勧めた割に、ベルトを何本か確保した後は、文庫本や飲料、缶詰の類を漁っていた。風船のように膨らんだ保存食の、内容物が噴出した痕跡のある赤錆びたブリキ缶のラベルを読んでいるようだったが、そのうち無言で棚に戻した。
黒髪を纏めて、ヘルメットを被り、SCAR運用システムに向かって取得した画像データの解析を実行を指示した。しばらくして溜息を吐いて、飄然としたその素顔を晒した。
リーンズィからの視線に気付いていたらしく、曖昧な微笑を浮かべて首を傾げてきた。
「コルトには何か分かったのか? 分かったの?」
「いつも通りさ。つまり、何も分からない。クヌーズオーエの鏡像体は全部そうだけど、言葉に意味が伴っていないんだよね。だから文字列として解析しても、満足な結果は出ない。……どうにもこの新しいクヌーズオーエは基準点から二百年ぐらい経っていそうだ。食べ物の類は信用ならない」
ぼろぼろの真っ黒な塊を持ち上げて、珍しくコルトは残念そうに溜息を吐いた。
「煙草も香木もご覧の有様だよ。全部湿気って、黴だらけになってしまってる。不死病患者と一緒に閉じ込められていたらなら、少しは免れているかなと思ったけど……」
「私もそういった物資を探した方が良い?」
「そういった物資? ああ、缶詰とか、こういう消耗品とかかな?」
「うん。コーヒーなども貴重品だと聞いた。解放軍では飲食物の需要が高いのでは?」
「嗜好品は確かに貴重だし、需要も高いね。でも不朽結晶連続体や準不朽素材じゃない服だって、基本的には嗜好品だから、あんまり価値は変わらないよ」
「そうなのか……そうなの?」
「重要なのは朽ちてないかどうかだよ。この店は、あんまりもう期待出来ないかな。準不朽素材のアンダーウェアなんて展示してるから、もしかして、と思ったけど、所詮は客寄せの展示品だったんだろうね」
「じゃあ服を探した方が良い?」
「必要はないよ。めぼしい服は、リーンズィに渡した分で全部だからね」
リーンズィは腕の中に収まる程度しかない衣服を見て呆然とした。
「たったこれだけしかないのか……」
「市街地の探索なんてそんなものさ。ま、あとはトレーニングの一種だと思って適当に見て回ると良いよ」
リーンズィは薄暗がりの中で素直に頷いて、服をまとめて肩の片方に掛け、ライトブラウンの髪を揺らしながら、然程広くない店内を歩いた。
向けた視線の先の棚に、気を引くものがあった。
ウサギのぬいぐるみだ。
レアが、ウサギの意匠の入っていたグッズを愛用していたのが自然と連想される。
衣服を傍らに置き、ぬいぐるみを一つ取ってみた。
埃にまみれて、如何にも惨めなありさまだったが、腐敗は進行していない。洗濯タグのピクトグラムを見た限りでは、化学繊維をふんだんに使っているらしかった。背中にはファスナーが設けられており、色落ちした放射能標識と矢印が書かれている。
一応内部を確認したが、電池ケースのようなものがあるだけで、何も入っていなかった。
ばふばふと叩いてやると、表面を覆っていた埃が綿雪のように飛んで宙に溶け、場違いなほど愛らしい白ウサギの姿が仄暗い店内に浮かんできた。
商品名が書かれていると思しき札は腐れて変色し、そもそも文字として理解できなかった。
リーンズィはウサギを目の前に持ち上げてじっと見つめた。ふてぶてしく腹ばいになって、暢気に居眠りをしているような造形。少女はぬいぐるみの手や脚をつまんで弄んで楽しみ、そのぬいぐるみに、仮にうたたねウサギと名付けた。
陳列棚には同じシリーズらしきぬいぐるみが置かれていて、セット商品なのだろうか、二本足で立った珍妙な亀のぬいぐるみも置かれていた。
何とはなしに、うたたねウサギを撫でてみた。とても、もふもふとしている。内部にはアクリルビーズでも詰められているのだろうか。それから、ぬいぐるみを持ち上げたり下ろしたりして、その動作からしばしロングキャットグッドナイトに思いを馳せた。
「……この運動、思いのほか楽しいな……」
リーンズィは少しだけロングキャットグッドナイトの気持ちが分かった。
「ん、イソップ童話シリーズのぬいぐるみじゃないか。興味が無かったから気付かなかった」
コルトが寄ってきて、リーンズィの弄んでいるぬいぐるみをつついた。
「状態も良い。当たりだね」
「これは、人気がある?」
「可愛いよね」
「かわいい。あと、されるがままなのが良い」
「そのあたりは副次的な価値だけどね。電池は……さすがに無いか。リーンズィのその細い腕だと、中身が入ってたらそんなに軽々持ち上げられないだろうし」
「電池に真の価値がある?」
「うん。そのシリーズ、本来の用途は外部からの電気の供給に頼らない暖房器具なんだよ」
「確かにモコモコして温かそうだが……」
「そうじゃなくて。これ、原子力電池のケースなんだよね」
「原子力電池」
リーンズィは復唱した。
「もしかすると、放射性物質が崩壊するときのエネルギーを利用して発電する装置のことを言っているのか?」
「それ以外に原子力電池ってあるかな」
「いや……確かに原子力電池を中に入れれば発熱して温かいと思うが……人体への影響とか……いや、そもそもこんなぬいぐるみにどうして放射性物質を……?」
「うん、謎なんだよね。どう考えても民生に出回るような代物じゃ無いのに、クヌーズオーエを探索してるとたまに発見されるんだよ。それを抜きにしても、そのぬいぐるみは腐らなくて可愛いから掘り出し物だよ。価値はそこまで無いけど」
「無価値なのか?」
「無価値では無いよ。まぁ売れるかどうかは君次第だね」
リーンズィはうたたねウサギの顔を自分の方に向けて、何度も頷いた。
「同意する。無価値である筈が無い。これはどう見ても可愛い。やはりこれは可愛いのだな。よし、たくさん持って帰って、何個かはレアせんぱいへのお土産にしよう」
「そうだね、贈答品にするのが確実だよ。レアも喜ぶと思うよ。でも、あんまり持って帰ると、荷物が多くなりすぎじゃないかな? 来たのと同じ長さの道を引き返すわけだけど」
リーンズィは手の中のもこもこにハッとさせられた。
ぬいぐるみは、兎に角かさばる。
そんな当たり前の事実に衝撃を覚えた。
「じゃあ、たくさんは持って帰れないな。三個……いや、二個。一個は部屋において、もう一個はレアせんぱいに……」
コルトがこほん、と咳払いをしたので、リーンズィは不安そうな顔をした。
「どうした? 喉が故障したのか? 埃のせいか?」
「え、違うよ。やっぱり医療関係の組織だとそういうのが気になるの? そうじゃなくてね。何なら、私のSCARで運んでも良いんだよ?」
「しかしあの機械には警戒の任務が……」
「安全を確保した道を引き返すのに警戒は必要かな?」
「でもコルト少尉には何の得も無い」
「まぁ、私だってアルファシリーズに連なる機体だからね。遠縁の姪っ子にいい顔をしたいこともあるよ。確かに私は何も信じてないけど、そうした繋がりまで存在してないとは考えていないからね」
リーンズィは目を丸くした。
そして少しだけ躊躇い、申し訳なさそうに目を伏せ、口元に喜びの笑みを浮かべながら、コルトに尋ねた。
「……では、お言葉に甘えても、いい? こんな、ただのぬいぐるみだけど……」
「うんうん。甘えて良いよ」コルトは人間的であると錯覚させるような感情を示して、笑った。「くすぐったいね、頼られるっていうのは。……あの子だって、もっと素直なら可愛いのにね」
多脚の機械は障害物を避けながらリーンズィのすぐ傍まで走行してきた。ありがとう、とリーンズィがSCARの装甲を撫でると、コルト少尉がどういたしましてと返事をした。
リーンズィは慎重にSCAR運用システムに突起物に戦利品を吊るしていった。ただ、考え無しに作業したせいで、うたたねウサギが首吊りをしたような格好になってしまった。一旦取り外し、クリスマスツリーの星飾りのように、SCARの蕾のようなドーム状の天辺に一つだけ載せてみた。
うつ伏せて、ぐでっと四肢を伸ばすウサギは、何だか空を飛んでいるようにも見えた。その調子で、天辺の他の傾斜にも慎重にぬいぐるみを積んでいくと、陣形を組んだウサギの軍団が完成した。
「器用に積むね。それにしても、レアがウサギ推しなのは知ってるんだね?」
「ウサギの小物をたくさん持っているのは知ってる。レアは、やはりウサギが好き?」
「好きって言うか……。ええ……明言してないんだ……」年代不詳の骨董品を持ち込まれた質屋が出すような微妙な声音であった。「レアはともかくとして、リーンズィはウサギは好きかな?」
リーンズィは少しだけ考えて、頷いた。
「ウサウサピョンピョン卿以外のウサギは好きだ」
そっかー、ウンドワート以外かー、とコルトは曖昧な顔をした。
店舗内を探しているうちに二人は室内の不自然さに気付いた。
一度外に出て、建物の外観を確認し、中に戻って、抜け落ちた天井を見た。
それから、暗い店内に腰を下ろし、膝をついて床を観察する。
棚の幾つかを押し潰している床材の量を確認し、そして散らばっている商品のうち、どれだけがその場にそぐわないのかを確かめた。
衣類の陳列棚の床に、化粧品や袋菓子の残骸が散らばっている。さらには、コルトがヘルメットを被って検分した限りでは、床に積もった破片には、木材でも衣類でも無い微細な破片が含まれている。
おそらくは完全に朽ちた段ボール箱だろう。そんなものはこのフロアには一つも存在していないというのに。
「これはここにあるべきものじゃないね」
「ということは、上から落ちてきた」
「だろうね。問題は、上にアクセスするにはどうすればいいのかということ」
不整合とはそれのことだ。
明らかに二階建ての店舗だったが、店内には上階に行く経路が見当たらなかった。階段もエレベーターもない。
「覚えておくと良いよ、リーンズィ。こういうのに気がつくと得をするんだ。在庫を格納しておくためのスペースも足りていないし、そういう意味でも上階が存在していないと変なんだ。おそらく二階への入り口は意図的に塞がれてしまってるね。上に大事なものを隠しているんだろう」
白いヘルメットのスチーム・ヘッドは、西部開拓時代の古い回転式拳銃を模したその不朽結晶製兵器を抜いて、四四口径の鉛玉で、何も無い空間を狙って一発だけ発砲した。甲高い発砲音が店内の静寂を無遠慮に引き裂き、跳ね回る狂犬のようにそこいら中に反響した。うう、とトイレに閉じ込められている不死病患者が警戒の声を出して、すぐに静かになった。
ライトブラウンの髪の少女は、息を潜めて、じっと耳を澄ませていた。
そして、密かにヴァローナの瞳を起動させながら、視覚において非言語的な機能が働く部位を探した。
壁際の陳列棚に違和感があった。手がかりを掴むとイメージが連鎖していき、その店内の棚の、本来あるべき位置、適切な配置というものが、朧気ながら理解できた。
入り口の扉を塞いでいた棚があるべき場所も、図形的なバランスから非言語的に導出されたが、今度は幾つかが足りていないという直感があった。足りていないと感じ始めると、今度は壁際の陳列棚の配置の曰く言い難い不自然さが存在感を増してくる。
決定的な確信があるわけではない。しかし、違和感のある場所から棚を移動させれば、ちょうど調和の取れた状態になる、という絵が見えた。
時の嵐に取り残された店内で、よくよく観察すればその棚に並べられた品々には一貫性が無い。シリアルフードが入っていたらしい黒ずんだ虫の死体に囲まれた紙箱の残骸、破裂したスナック菓子の袋、丸められたレジ袋、丸められたレジ袋、丸められたレジ袋、もはや誰からも必要とされないサプリメント剤の空瓶、錆び果てて根元から折れた簡素な卓上十字架。
共通する要素があるとすればいずれも然程の重量が無いと言うことだ。
偽装を誤魔化すために、後から個人で運搬がしやすい品物を有りっ丈詰め込んだという風体だ。
「ここだろうか」
リーンズィの甲冑の指先が棚を指差した。
「だろうね。SCAR運用システムの音響解析でも同じ結論だよ」
二人して棚を移動させる。
空飛ぶうたたねウサギは、SCARの上から一部始終を平和裏に眺めていた。
果たして、朽ち始めている扉が現れた。錠がかけられており、蝶番は錆びきっていて、ドアノブを掴むと誰か分からぬ顔の無い怪物が向こう側から扉を抑えているような錯覚がある。リーンズィは甲冑の指先を鍵穴に押し当て、一瞬だけオーバードライブを起動させて出力を向上させ、シリンダーを押し込んでぶち抜いてから、何度か扉を蹴り、受け具ごと扉内部のデッド・ボルトを破壊した。
暴力的に開放された扉が、無慈悲な時間の経過を代弁して悲鳴のような甲高い音を上げる。手折れた扉の先には階段があり、天窓から光を取り込んだだけで埃舞う暗澹の空気が肺腑に纏わり付く。如何にも不吉で、進みたくないという本能的な嫌悪感にリーンズィは感慨を覚える。
これが管制されていない感覚で捉える生の『不吉』なのだ。
「上はきっと倉庫だろうね。SCRAで見てきても良いけど」
「それはいけない。彼にはウサぐるみたちを守る仕事がある」
「じゃあ私が行こうか」
「鉄砲を撃つと不死病患者が怯えてしまう。素手で制圧できる私が適任だと思う」
「私もそれなりに腕は立つよ? バイク乗りのコスプレして、趣味で拳銃撃ってるけど」
「拳銃は趣味だったのか? 武器ではなく?」
「もちろん趣味だよ? 実用がないとは言わないけどね。六発しか装填できない、しかもシングルアクションのリボルバーなんて、真面目に使うものでは無いよ。相手が素早くないならパンチの方が確実だし」
「それならば不朽結晶装備の私が先頭だ。コルト少尉はその後からついてきてほしい」
「妥当なところだね。命令を受諾したよ」
コルト少尉は単眼のヘルメットを被った。その不朽結晶連続体のレンズと目配せをして、リーンズィは徒手格闘を構えを維持し、慎重に軋む階段を昇っていった。
相当に腐敗が進行しており、壁一面が黴や得体の知れない植物の蔦に覆われ、無視できない罅が入っている。小さな虫が無数に這い進んでいる。
未知の文明。遺棄された都市に生まれた言葉も知性も持たない新しい生態系。
一歩踏むたびに打ち捨てられた死骸の背骨を踏んだような不快な音がした。フル装備のアルファⅡモナルキアヴォイドなどが昇れば、崩落してしまうかも知れない。
上階に辿り着いて、その出入り口を塞いでいる扉も先ほどと同じように破壊する。
硝子の無い窓から差し込む光で室内は思いのほか明るかった。
やはり、床があちこちで崩れていた。朽ちて湿り気を帯びた黴だらけの段ボールがそこいら中に転がっている。コルトが予想したとおり、倉庫だったのだろう。これらの在庫は、もはやどのような帳簿にもカウントされることは無い。顧客はおらず、人の営みはなく、ここに人類文化は息絶えている。息絶えた人々の時間が、静かに、ここに漂っている。
リーンズィは考える。このクヌーズオーエは二百年ほど前のものだとコルト少尉は言っていた。出入り口はバリケードで閉鎖され、二階への階段は塞がれていた。
そうまでして上階を守ろうとしたのは誰なのだろう? トイレで自殺していた女性のことを考えた。きっとこの店を愛していたに違いない。そして愛したものの、新しい時代における価値を知ること無く、この薄暗い店舗で永久に過ごしてきた。頼る者も愛する者無い。永久にひとりぼっち。
知らず、リーンズィは目を伏せていた。
彼女はこれから永久に一人で何かを守り続ける覚悟をして、あのトイレで自殺をしたのだ。
足場が許す限りで散策していると、在庫らしき段ボール箱に東洋に伝わる十二支のプリントが微かに残っているのを見つけた。
好奇心にかられて開封してみると、二足で直立している猫のぬいぐるみが出てきた。
だが、十二支のプリントに猫の姿は無い。
「置き去りにされた猫。仲間はずれにされた猫。十二支の十三番目だ……!」コルトが不意に弾んだ声で口にした。「東アジア経済圏で流行ってた十二支シリーズ・コレクション・トイのシークレットだよ。こんなところにあるなんて」
持ち上げると、胴体が少しだけ伸びた。ロングキャットグッドナイトが可愛がっている猫のことが思い出されて、リーンズィは自然と微笑んでしまう。
彼女の真似をして上下してみる。
「伸びる。よく伸びる。本物の猫もこんなに伸びるのだろうか」
「猫は伸びるよ」コルトが食いついてきた。「リーンズィは猫も好きなの?」
「好きだ。猫が好きなレーゲントも知り合いにいる」
「へぇ。猫なんて滅多にいるものじゃないけど。そう言えば二十四攻略拠点には今あれが来てたね。彼女、猫にはなかなか触らせてくれないからフラストレーションが溜まるよ」
「ロングキャットグッドナイトのことか?」
コルトは無言だった。
「ずいぶん長い名前だね。今はそんな風に名乗ってるんだ、あの異端者は」
「知り合いではないのか」
「知らないわけでもないよ。管轄外だから普段は接触がないだけ。私たち解放軍とは別の派閥だから、みだりに接触も出来ない。ヴォイニッチの使徒なんだ。それがどうして解放軍側で活動してるのは明らかでは無いよ」
彼女は、では一体何なのだろう。
誰にも知られないまま、ずっと猫を連れて、街を彷徨ってるのだろうか。
あのトイレに閉じ込められた不死病患者とどう違うというのか。彼女はもしかするとひとりぼっちでずっと夜の街を守っているのではないだろうか。
何故だか悲しくなったので、リーンズィはロングキャットグッドナイトのかわりに、このぬいぐるみを連れて行くことに決めた。突撃行進聖詠服の胸元のボタンを外し、そこに押し込んで、頭だけが自分の首元から覗くようにした。
「一緒に行こう、小さい猫の人」
胸元で猫がにゃーと鳴いた気がした。
「ところで……その猫のやつ、どこにあったのかな?」
コルトがそわそわした調子で尋ねた。
「他にもまだある? ない?」
「この十二支の段ボール箱に入っていた」
「そっか。それね、レアものなんだ。三箱に一個しか入っていないシークレットで……あ、もうそれしか無いみたいだね、この干支シリーズ……」
「もしかして、ほしいの?」リーンズィは己の体を庇うようにして抱きしめた。「ほしいのなら、あげなくもないが……」
「いや……いやいや、後輩から奪い取るなんてことは私はしないよ。レアだってそんなことはしないだろうからね。負けていられないよ」コルトは毅然として言い切った。「私が信じるルールにも反するし。君も気に入ったから、そうやって、大事に服の中に入れてるんでしょ? 欲しいけど……そこは帰ってからの交渉だ」
咳払いを一つ。
「まぁ、俄然気になるのはあっちだね」
指を指されずとも、リーンズィも気にはなっていた。
床が崩れたその先に、錠前の付いたまた新たな扉が見えるのだ。
忌々しい程に執拗な防護。生憎と、そこまで続いている床が完全に無いため、簡単には通過できない。
「錠前なんて面白いよね。あまり見たことがないよ。全部が終わるこの世界で、それでも守っておきたいものなんてあったのかな。もしかするとお宝かも」コルトが視線を向けてくる。「確認して損はないと思うけど」
「飛び越えよう」
体を屈め、一息に飛び越えようとしたリーンズィを、コルトが制した。
「これは提案なんだけど、この状態で君の異世界転移……カタストロフ・シフト使ったらどうなるんだろうね?」
「カタストロフ・シフト?」ライトブラウンの髪の少女は困惑に顔を曇らせた。「あれは濫用できるものではない……何故今そのようなことを?」
終局世界転移型緊急回避。体内に仕込まれた悪性変異体の因子を活性化させて、<時の欠片に触れた者>による追放処置を誤作動させる。
そうすることで、彼らの「クヌーズオーエを崩壊させない」という意思を利用し、こことは似た違う世界、廃棄された行き詰まりの世界へ移動するという機能だ。
実際の所、使い勝手は決して良くない。発動回数には限りがあり、帰ってこれるかどうかの保障も曖昧で、心理的な負担も大きい。
言ってしまえば、目の前の危険を回避するために、より危険な世界の、比較的安全な場所に退避するというだけの機能だ。最悪の場合は転移した先で、そのまま破滅の渦に呑まれかねない。
差し迫った喫緊の危機が無いというだけで、絶対値で見れば転移先の世界の方が圧倒的に危険なのだ。
これまでにテストで何回か起動したが、未知の寄生植物の蔦に覆われた人間のような何かが歩き回る街や、火炎嵐の向こうに巨大な影が蠢く都市、上半身と下半身に分断された見上げるような異形に追いかけ回されるなど、とにかく絶望的な世界にしか転移できなかった。
「まぁまぁ、外に出るわけでもないし。いきなり建物の外に出る可能性も低い。仮の話だけど、カタストロフ・シフトで向かった先でも、この床は壊れてるのかな。気にならない?」
「それは……」
指摘されて、リーンズィはうずうずした。
主観的には、地形を修復するためにも使用できない技術では無い。試してみたい気持ちがあった。
「それじゃあ、やってみる」
首輪型人工脳髄から、体内のどこかに埋め込まれた因子を起動させる。どうにもミラーズと肌を重ねてお互いを知るたびに補充されている気がするので、だいたいどこに因子が装填されているのかは分かっているが、敢えて意識しない。
背後に七つの燃え上がる眼球を持つ怪物の気配がした。
<時の欠片に触れた者>だ。
異分子を排除せんとする超越的存在の熱量に、リーンズィは眩暈を覚える。
代替世界への転移は一瞬だ。心構えさえしていれば、この時点での混乱は大した問題にならない。
足下が無限の泥濘になり、永遠に沈降していくかのような不快感。
だが、不快なだけだ。
瞳を閉じて息を止めていれば狼狽えることも無い。
世界が定まるのと同時、噎せ返るような悪臭が湧いてきた。
リーンズィは思わず口元を覆った。状況が掴めず、激しく咳をして、湧き上がってくる胃液を飲み下し、ふらつくブーツの爪先をアンカーのようにして床を踏む。
ぐちゃ、と足下で音がした。
ライトブラウンの髪の少女は蒼白の顔面で音源を視認した。
死体だった。
死体を踏み潰していた。
死体は人間の顔をしている。
リーンズィはこの不死の時代で、人間の死を初めて見た。
おおよそ平穏に生きた者とは言えない、凄惨な最期だった。臓物を粗方引きずり出されており、両手で自身の大腸を握っている。だが腹から引きずり出された腸管は、また別の死体の首に巻きついており、どうやらそちらの死体は、はらわたによって絞殺させられたのだと知れた。
死体、死体、死体、死体。いずれも相食む羅刹のごとき鬼気迫る表情で、贖罪のために永久の殺し合いを強いられる、そんな地獄の風景じみていた。不死病患者ならば問題なく再生する程度の損壊だが、定命の存在ならばどのように治療を施しても救い得ないレベルで破壊されていた。
死んでから時間が経っていないらしく、腐敗は進行していないが、それだけに却って死の臭気が充満している。耳元を蠅が掠めていく音が聞こえる。いずれ、すべてが蛆虫どもの温床となるだろう。
不死病患者とは異なる、定命の人間の放つ異臭にリーンズィは堪えられない。
ライトブラウンの髪の少女は涙を流し、嗚咽して喘ぎながら口の端から涎を垂らし、混乱と違和の衝動に整合性を付けるべく状況確認した。
コルトの姿はどこにもない。死蔵された荷物も、崩落した床も、鍵の掛かった扉も無い。
転移は成功した。
だが、この世界の有様はいったいなんだというのか。
あるのはただ死体だけだ。死体、死体、死体死体死体! 少女は上ずった声を上げて身を竦めた。部屋の片隅には今にも尽きてしまいそうな燭台が掲げられており、リーンズィが身じろぎするたびに足下を浸す血の鏡が波打って鈍く輝いた。死体、死体、死体、死体、死体……つい先刻まで、ここで死が行われていたのは想像に難くない。獣のごとき者どもが故の知らない殺戮に興じて、今、ここには死体しか無い。どのようにすれば相手の背骨を顎で噛み砕いたり、あるいは己の肋骨を折り取って相手の剥き出しの心臓を貫いたりすることになるのか、リーンズィには理解できない。ただあるのは無制限な闘争の結実としての襤褸切れのような死体だ。無残に破壊され、尊厳という尊厳を剥取られた人間の肉が、ただ死んだ肉、過去形でしか表記されない命が、意思も魂も無い血の滴るタンパク質の塊として、床はもちろんのこと、天井や壁にまで散乱している。狂った人々が死と殺戮を求める機械と化して互いをひたすらに傷つけ合ったのだろう。人間がいる、あるいは明確にいたと確信できる、そんな世界への転移はこれが初めてだ、だがあまりにも酸鼻にすぎる。床は抜けていない。愛らしい雑貨や衣類の詰まった段ボール箱も無い。代わりに死体が山とある。いずれの残骸も酸鼻な最期を迎えている。あるものは頭をかち割られ、脳髄を四散されており、あるいは鈍器の代わりに使った己の腕の骨を握りしめたまま倒れ伏せ、あるいは目玉を抉り取られたまま他の誰かの頸動脈を噛み千切って死んでいる。血肉の泥濘に藻掻く苦悶と血肉を求めんとする殺意に彩られ、呪詛の吐息を結ぼうとしたような顔で、息絶えている。
ここに、不死は、安息は、どこにもいない。
ただ、不可解な闘争の果てに死んだとしか思えない、哀れな定命の者だけが陳列されている。
淀む空気の生臭さに嘔吐き、窓辺で深呼吸をしようとして、この世界ではまだ硝子が割れていないことにリーンズィは気付いた。
ただし、銃弾を撃ち込まれた痕跡が無数にあり、その孔からは饐えた冷たい空気が流れ込んできている。空は硫黄の色を孕んだ不吉な暗雲で、どこからか散発的に銃声が聞こえるようだった。
街路を見渡して、リーンズィはまた薄く声を漏らした。この室内と大差が無い。
ぐちゃぐちゃの肉体が絡み合い、憎悪をぶつけ合った後で息絶えている。
いずれも武装しているが、機械鎧や蒸気甲冑といった先進的な兵器は見当たらない。
銃声がした。リーンズィはある可能性に気付く。
「まだ、まだ生きている人間がいる……?」
こんな代替世界は初めてだった。
しかも、この不可逆的な惨状。不死病はまだ蔓延していないらしい。
戦争で滅びる、その最中の世界なのかも知れない。
それにしても街路や室内に展開された死は異常極まりなく、虐殺と共食いの狂気が過ぎ去った後のようだ。
ライトブラウンの髪をした少女は息を殺し、状況を探る。
見れば、錠前の下りていた扉がない。
あるのは、ただの扉。開かれた扉……僅かに開いた状態で放置されている。
その先にあるものを、リーンズィは知らない。
扉の向こう側を確認するか、少女は酷く悩んだ。
退去までの時間はあとどれだけだろう。転移した先では、壊れた地形が修復されている場合がある、という知識は得られたが、それ以上に、状況があまりにも前例から逸している。これまで見てきた終局世界に変質した人間の残滓はあったが、人間それ自体は存在しなかった。
確かめないわけにもいくまい。同じような殺戮の風景があるだけかもしれないが、もしかすると生存者がいるのかもしれない。この虐殺の嵐で生存者を見捨てることは出来ない。それが調停防疫局のエージェントというものだ。
混乱する頭で最低限の概算を立てながら、リーンズィはハルバードを短く構えた。とにかく、錠前が掛かっていた部屋を確かめないわけにはいかないと自分に言い聞かせる。
分厚いブーツの爪先で死体を踏み、転がして、跳ね上げた血の王冠で素足の白を汚しながら、息を殺し、その扉へと歩みを進めた。
扉を潜ると横合いからフルオートの散弾銃の銃口が突きつけられた。
そのまま頭を吹き飛ばされた。
リーンズィの頭部は肉と血の霧になり、機能を停止した。
だがリーンズィはまだ生きている。
扉を潜ってすらいない。
ライトブラウンの髪の少女は深呼吸をする。自分が無力化される光景を、リーンズィは確かに見た。扉を開くのはこれからだ。この扉の向こうに誰もいない、という仮定は既に棄却している。
今のはヴァローナの瞳が見せた『望まれた光景』だ。そのような危険がこの先にはある。誰かが扉の脇にぴったりと張り付いて、こちらの足音に神経を集中させている。そんな直感があった。
いっそハルバードで壁ごと敵対者を刺し貫くか。
「いや、敵意はないのかも知れない。これほど凄惨な殺戮の後なのだ。怯えているのかも……」
希望的観測をリーンズィは信じる。信じる以外には何も出来ないからだ。相手を信じて、話をしなければならない。それこそが調停防疫局のエージェントである私の役目だ、と心機を新たにする。
では散弾銃をどうする?
初遭遇した際、肉体の元々の主、ヴァローナは散弾を不朽結晶連続体のマスクで平然と受け止めていた。自分も同じように体で止めるか?
リーンズィは扉を潜った。そして相手の顔かたちや背格好を確認すること無く突き出された銃口を掴んで己の腹に押し当てた。
息を飲んだ相手の指に手を添えて、トリガーを引かせた。確実に言えるのは、不朽結晶連続体で構成された突撃聖詠服に散弾など通じるはずも無いということだ。
だが衝撃までは殺せないのがこの装備の特徴だ。古の時代のヴァイキングにクラブで殴られたかのような重い衝撃が腹部を乱打し、相応の苦痛にリーンズィは呻いて血を吐きそうになった。
なるほど、ヴァローナはおそらく正気を失っていたか、あるいはものすごく気合いを入れていたから、一撃を受け止めて平然としていたのだろう。
あまりにも順当な苦しみを、リーンズィはヴァローナの精神性を強く意識して打ち消し、あるいは破損した臓器の破片と気道を逆流してくる血ごと飲み下す。
弾丸を撃ち切らせた散弾銃を毟り取って、部屋の隅に投げた。
そこにも死体は転がっていた。やはり陰惨な死に方をしている。内臓が掻き出され、手足は食い千切られている。素人の肉屋が乱雑に解体を進めた後であるかのようで、見るに堪えない。
生きている息は、他に一つも感じない。
残っている人間が殺戮の主であることは、疑いの余地が無い。
「彼らを殺したのは君か?」
向き直って、エージェント・リーンズィは問いかける。
そして目を見張った。予想よりも遙かに体躯が小さい。そして敵意を感じさせる顔立ちでは無かった。あちこちが解れたブランケットを一枚だけ羽織っていて、それ以外には一枚の布も身につけていない。だれの者か分からぬ血に塗れた肉体からは異臭が漂う。だが、それでいて聖性を感じさせる滑らかな白い肌が眩しい。
穢されてはいるが、長い銀髪を湛えた。
その清廉さはいっそ、純潔の乙女よりも無垢である。
言語化することさえ拒絶するほどの美少女だ、ということは分かる。だがリーンズィにはその少女の精細な顔立ちを見知ることが出来ない。
認知機能のロックが作動しているらしい。
不可思議ではあるが、理由を考える余裕がリーンズィにはない。
少女は口元で血肉の糸を引き、喉までも血で濡らしていた。
考えられる理由は一つだけだが、敢えては口にしない。
精一杯の虚勢で立っていたのだろう。膝から崩れ落ちそうになるのを、リーンズィは背に手を回して優しく受け止めた。汚濁に塗れた手指に己の甲冑の手指を絡め、「大丈夫、何があっても大丈夫だ」と囁きながら、そのままゆっくりと床に座らせた。
「……撃たれても、死なないのですか」怯えと絶望、そして僅かな希望に、掠れた声で言った。「とても強い銃です。ぐちゃぐちゃにしたはずなのに」
「私の服は不滅なんだ。朽ちる定めにある弾丸は、阻まれる。だから全然平気だ。君はどうして私を撃った?」
「……これ以上、わたくしの血に狂って死ぬ人を見たくなかったの。すぐに死ねば、あの人たちみたいに酷い最後にはならないから」
少女は絶望的な目をしながら首を何度も振った。
「みんなそうなってしまうの。わたくしを血を求めた人は、みんな……」
「君の血には、何か奇跡の力でもあるのか?」
「皆は、そう信じていました。ただの迷信です……。ああ、あなたは、どこから、いらしたのですか。どうやってここに? 入ってこられる道は一つも無いのに。全部の道を塞いだのに。それとも……それとも、あなたは天使様なのですか? 黒い翼をした天使様……」
インバネスコートの少女は首を傾げた。
「とても天使には見えないと思うが」
「いいえ、いいえ。だって、天使様みたいに綺麗で……こんな場所には不釣り合いな、とっても良い香りがする」
生気の無い顔立ちを僅かに上気させた少女の頬を、リーンズィはそっと撫でて、宥め賺す。
人間の根源的な欲求を煽るのは、不死病の香気の特徴だ。それは、偽りの感情である。
「私は調停防疫局のエージェント、リーンズィ。とても……とても遠くから来た。天使なんかじゃない。それしか言えない。でも、君を救いたいという思いはある。ここは一体どうなっている? 一体何が起こっているんだ? 君は、何故彼らを殺した……?」
少女はブランケットの下、あばらの浮いた胸を、蒼白の顔で隠した。女性らしい体つきではあるが、骨と皮でいかにも筋張っている。慢性的に食料が足りていないと見て取れた。
「どうしても……お腹が……すいてしまって……。これが最後なら、と、まちがいをおかしていました」
「緊急避難ならば罪に問われることはない」
「いいえ、いいえ、……わたくしが、わたくしが不浄の存在だから……わたしが、至らないばかりに、こんな……でも、殺したわけじゃないの、わたくしはただ、彼らに捕らわれて、懇願されて、強迫されて、痛めつけられて……わたしの血を求めたの。でも、わたくしを傷つけた人は……みんな死んでしまうの。わたくしが祈らずとも、七倍の報復が虐殺を呼ぶの……」
窓外、かなり近い地点で銃声がした。
少女はびくりと身を縮める。
インバネスコートの騎士は跪き、彼女を安心させようとして抱きしめ、ミラーズがそうしてくれたように、頭の後ろに手を回して、何度も撫でた。
「どうか、守って下さい、天使様。もしもわたくしを殺してしまったら、彼らも無事に死ねません……」
「大丈夫だ。何があっても大丈夫」リーンズィは少女に囁く。「私はここにいる。大丈夫だ」
「お願いします、お願いします、天使様。お願いします……助けて下さい」
少女は必死に縋り付いてきた。
浅く息をしながら、眦から涙を零している。
「もちろん、君を見捨てたくない。ここから連れ出すことは出来なくもない。賭けに近いが……」
「そうではないのです」
少女は哀願した。
「天使様になら、出来るかも知れません。どうか、どうか、わたくしを……殺して下さい」
「殺す? どうしてそんなことを?」
少女は哀願した。少女は哀願した。少女は哀願した。
定命のその美貌を汚濁に染めた少女は、ただ己の死だけを請い求めた。
「わたくしを傷つけた者には、七倍の報復があるのです。遠い祖先がそのような罰を受けたと聞いています。それはわたくしにも受け継がれているのです。このコミュニティにも、ついに災禍が追いついてしまいました。土地は枯れ、水は腐り、肉からは自ずと蛆が湧くようになってしまいました。ここが最後の安息の地だったのに……わたくしが、ひとときでも気を抜いて、誘惑をしてしまったせいで、人々が狂ってしまったのです……たくさんの人が……わたくしの血を、肉を、求めました。とても強い力で……みんな、わたしの肉体が病を癒やすと思い込んで……抵抗は、出来ませんでした。でも、何十人にも同時に報復が降りかかれば、その報復は病となって伝染していきます。ああ、今まさに、神が無辜の人までも罰しておられます……みな、殺し合いを始めるのです。わたくしがいる限り、誰かがわたくしを知り、わたくしの血を誰かが得るたびに、こんなことが起こってしまうの……。だから、わたくしを殺して下さい。これ以上、わたくしに惑わされて死んでいく人を見たくないのです。お願いします、手遅れになる前に、どうか……御慈悲を……」
わたくしをころしてください。
少女は哀願した。




