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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション2 スヴィトスラーフ聖歌隊 大主教『清廉なる導き手』リリウム
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2-10 清廉なる導き手 その9 調査隊の行進

 百人隊長の一人である『時計屋』ヘンラインにとって、その日の調査任務は胃が痛いものだった。

 もっとも、人格記録媒体(アイ・メディア)に人格を移植されてから三一五三六〇〇〇分を経過した身で、人格を演算している生体CPUも、発症してから一朝一夕で仕上がった不死病患者ではない。生前の体躯にかなり近く、ヘンラインは現在の肉体をいたく気に入り、五二五六〇〇〇分以上も使い込んでいるのだから、期間としてはそれなりである。

 ストレスで傷む胃などあろうはずもなかった。

 だが、現実に、ヘンラインは巨大な蒸気甲冑に置き換えられた自分の無機質なボディに、確かに苦痛を感じている。

 かつて情報将校として奔走していた記憶が、幻の痛みを生むのだ。言わば胃痛の幻肢痛だ。板という板に挟まれ尽して、モラルと任務の狭間、スケジュールというスケジュールの擦り合わせで血反吐を吐いていた時間。買い集めた胃薬を、健康増進のサプリメント剤のように何種類も飲んでいた記憶が。不死身の肉体の胃に苦痛を再生するのだった。


「どうして自分にばかりこんな役目が回ってくるんだ? どうして皆して、首を時計の針で挟もうとするんだ……」


 ヘンラインは誰にも聞こえないよう、不朽結晶連続体で構築された鎧の内側で愚痴をこぼす。パペットの後頭部に設けられたレンズで、密かに胃痛をもたらした主たちを見渡した。

 一人は不朽結晶連続体のインバネスコートで身を包んだ、明るい茶髪をした少女だ。

 使用している肉体の年齢は、十代の半ばから後半ほどだろうが、その年代としては背が高い部類に入る。

 目が覚めるような美貌を別とすれば、最大の特徴はその名前にある。

 アルファⅡモナルキア、エージェント・リーンズィ。

 あのアルファⅡウンドワートと同系統の機体であると言うのだ。


「レーゲントの面で、子供みたいに目をキラキラさせてるのは厄介だ……」


 厄介だ、ではない。

 好奇心旺盛なスチーム・ヘッドなど、厄介さの塊だ。

 精神的に安定しているのは、スチーム・ヘッドとしては最低限満たすべき条件だからだ。老木じみた硬直した精神こそがもっとも望ましいとさえ言える。

<首斬り兎>に警邏小隊が壊滅させられたという報告を受けた際の胃痛を100とすると、この機体から感じる危険さは20に値する。

 これはそこそこお気に入りの時計が壊れて、しかも部品調達の目処が立たない時のストレスに等しい。


 クヌーズオーエ解放軍、特に継承連帯側のスラングにおいて、レーゲントというのは『厄介そうな美少女』を意味する。実際にはレーゲントではなくても。

 元々の肉体の持ち主だったヴァローナの意識は崩壊しているという話だが、その類い希な容貌を受け継いだリーンズィも詰まるところレーゲントで、美少女だ。

 黙って立っているだけで人を惹き付ける、潔癖かつ人なつっこそうな、アンビバレントな美貌。

 そのくせ、廃墟と化したクヌーズオーエの街を眺める翠玉の目は生まれて初めて観光旅行に出た子供のように輝いていて、素っ気なくクールな口調とは裏腹に、表情が豊かで、感情が分かりやすい。

 端的に言えばやはり子供っぽいと言えた。

 外観年齢に相応の素直さ、というものは、不死の兵士には、本来あってはならない。スチーム・ヘッドは幼さとは無縁の存在だ。

 死を経験した人格は、ある意味では生誕からもっとも離れているとさえ言える。

 リリウムの護衛機であったヴァローナの立ち振る舞いは、百人隊長であるヘンラインも当然知っている。知っているからこそ、彼女のものだった肉体を今現在操作しているのが、まるきり別人なのだと明瞭に分かる。

 ヴァローナは人前では余裕綽々の笑みしか見せなかったし、そもそも滅多なことではペスト医師のようなマスクを取らなかった。何よりある種の気高さを全身に滾らせていて、一瞬たりとも油断というものをしない人物だった。

 いついかなる時も大主教リリウムの周囲に気を配っていた。公開データでは、戦闘用スチーム・ヘッドとしては低スペックだったが、ヘンラインとしては彼女に好印象を抱いていた。

 任務に忠実なのは良いことだ。スチーム・ヘッドの理想像である。


 それに比べて、このリーンズィとかいう小娘はどうか。


「まるきり子供じゃないか。こいつがあのウンドワート卿と同じ、特務仕様、アルファモデルのスチーム・ヘッド? レーゲントの出来損ないの間違いじゃないのか?」


「ん?」と少女の隣で奇怪な自走虐殺兵器に腰掛けている純白のヘルメットが首を傾げた。「どうかしたのかな、百人隊長?」


 気付かれた。ヘンラインは寸時動揺し、いや、見ていて何が悪いのか、だいたい、見ていると分かるはずがない、と思い直した。

 精一杯、無関心な風を装って返事をする。


『さて。コルト少尉、何のことです?』


「何のことだろうね? いいよ、そういうことにしておこうか」


 ぎりぎりと胃が痛む。

 目下、最大の悩みの種は、このコルト少尉だ。アルファⅠ改型、コルト・スカレーレット・ドラグーン!

 どれだけの時間、顔を合わせても、「得体が知れない」という印象から一ミリの変化も無い。

 素体が美女であるというのと、態度が気さくだというので、何も知らない解放軍構成員たちからは慕われている。だが、ヘンラインのような古参幹部ほど、彼女の善性には懐疑的だ。

 現在、構成員たちが穏やかに任務に取り込めるのは、危険分子をコルト少尉が粗方粛正した結果なのだから。

 ヘンラインはまさにその粛正の風景を見ている。

 銃口を向けられていたわけでは無く、コルト少尉の後ろで虐殺に立ち会っていた立場だが。


 リーンズィの未成熟さは、まだ割り切れるが、コルト少尉はダメだ。

 ヘンラインのパペットは無意識に己の腹をさすった。そう、リーンズィはどうでもいいのだ。新入りで、しかも本体から切り離されたばかりの子機だというのだから、最初は期待できないのは当然だ。

 今は頼りなく見えても、同じ区画で活動していれば、そのうち『一人軍団(アウスラ)』に名を連ねる者として、相応しい活躍をするだろう。未来の英雄になるかもしれない。顔を売っておいて悪いことは無い。

 ファデルから調査任務に、このリーンズィなる不審なスチーム・ヘッドを同行させるよう頼まれたとき、厄介そうなネタだと思いつつ引き受けたのには、そんな妥協と打算がある。


 だが、コルト少尉の同行は勘定に入っていなかった。

 当然である。

 コルト少尉は、この任務が開始する三六〇分前になって、いきなり強引に調査任務にアサインしてきたのだから。

 ファデルも泡を食ったように計画を変更していた。かなり大規模な歯車のズレがあったらしい。

 こんなもの、勘定できようはずもない。


『どうして懲罰担当官がこんな辺鄙な任務についてくるんだよ……』


 おまけに、あろうことかSCAR運用システムまで連れている。

 彼女が腰掛けている自走機械こそがそれだ。四足で走行する、砲塔の無い小型戦車と表現するのが簡潔だが、実態はそうした表現からさらにかけ離れている。

 用途不明の蒸気機関、その酷く歪な集積体に、運搬用の大型脚部が無理矢理取り付けられてる、とでも言えば、多少は誠実になるだろう。

 ヘンラインの部下たち、感染者保護小隊の面々は興味をそそられて『画像を記録しても?』とか『それなんていう機械なんですか?』『ペーダソスが似たような機械作ってたな……彼と知り合いなんです?』とコルト少尉に話しかけているが、シルエットと機能を照合すれば、あの恐るべき支配者、都市焼却機フリアエの派生機であることは何となく分かる。

 もたらす破壊の規模を知っているヘンラインは、一分も落ち着いていられない。

 不朽結晶連続体で全身を覆った兵士も、彼女の前では心臓を剥き出しにしているも同然だ。


「この機械はね、馬だよ。格好良さが理解できるかい?」


「うま?」リーンズィが復唱した。「馬はそんなに縦に長いのか?」


「私の馬は長いんだ」


 どこが馬だよ。ヘンラインは悪態を吐く。遠目にも馬よりはヤドカリのほうが余程近い。


「ヤドカリのようなシルエットだが……」


 とても口には出来なかった感想を、リーンズィはあっけらかんと言ってしまった。

 俄に緊張したヘンラインを余所に、二人は牧歌的に会話を続けた。


「リーンズィはヤドカリが好きなのかな?」


「可愛いので好きだ」


 可愛いか?


「それなら良かったよ。まぁ馬っぽくないのは事実だしね」


 自覚してたのか?


「ヤドカリも良いね。ヤドカリ馬って改名しようかな」


 本当にそれで良いのか? 


 何を考えているか全く分からない。胃痛は増すばかりだ。溜息を吐き、パペットの腕部でヘッドパーツを触り、擬似的に目尻を揉む。

 皮肉なことに、ヘンラインは生身の人間として生きていた頃、具体的に何にどう悩まされていたのか、もう全く覚えていない。

 長い長いスチーム・パペットとしての任務の中で生前の履歴は摩滅し、朧気な残像としてのみ、彼の人格記録媒体に保存されている。

 痛みの記憶も徐々に薄れつつあったのだが、それは大主教リリウムのせいですっかりヘンラインの人格に刻み込まれてしまったのだ。

 スヴィトスラーフ聖歌隊と合流して、改めて大主教リリウムから百人隊長に任じられたときのことだ。

 長い銀髪を天使の翼のように翻しながら、その絶世の美貌を持つ少女は、満面の笑みでこのように語りかけてきた。


「痛みは、生きている証拠です。不死なのに、あなたはまさに、いのちを生きているのです。あなたは不滅の恩寵に浴していながら、その恩恵を謹んで裁き主に返却なされた。痛みの中で生きる只人の苦悩に寄り添うことを選ばれたのです! 実にハレルヤハ! 清廉なる導き手として、これほど信頼すべき勇士は数えるほどしかいないでしょう! 百人の勇士を束ねるお人に、あなたは相応しい!」


 何ともくすぐったい文句だ、と最初は思った。

 呪いだったのだと気付くべきだった。

 美少女というのが単なる偶像だった時代が懐かしかった。クヌーズオーエ解放軍は、人類文化継承連帯と比較してかなり女性が多い。軍隊であったが故に男所帯的な要素が強く、荒くれ者が揃っていた継承連帯の構成員が、憑き物が落ちたように穏やかになったのは、間違いなくスヴィトスラーフ聖歌隊と暮らしを共にするようになった結果だ。

 ただし、継承連帯の面々は、美しい女たちに対する幻想までも失うことになった。

 殊に美少女となると、継承連帯の間ではつまりレーゲントという認識で固定化されている。実際に美少女は九割が聖歌隊のレーゲントで、彼女たちはカルト組織のメンバーらしい振る舞いで、一人一人が数万人という人間を誘惑・洗脳して不死病に罹患させ、それで社会を統治しようとしていたらしい。

 実際に彼女たちの歴史ではそのように世界は動いていたというのだから恐ろしい限りである。

 残りの一割は継承連帯出身で、何らかの適性があってスチーム・ヘッドに改造された哀れな人間か、都市焼却機フリアエの制作物か、さもなければ美少女の肉体を使うのが好きなだけの変態だ。

 後者の層はろくでもない。コルト少尉に見過ごされているからには、まぁ善良なのだろうが。

 

 兎にも角にも、レーゲントにしても継承連帯にしても、美少女と名前のつく存在は棘があるばかりか、毒も裏も策謀も備えていて、トドメとばかりに実力もある。

 蝶よ花よという言葉だけが似合う幻想じみた美少女は、どこにもいないのだ。

 特にレーゲントは要警戒だ。ファデルを筆頭に、強力無比なスチーム・ヘッドさえも性別を問わず絆されつつあるが、ヘンラインは長い年月を経て、未だに完全に信用はしていない。女性関係では本当に苦い思いをしたという経験が、微かにヘンラインを繋ぎとめている。現在でもハニートラップめいたことを仕掛けられると幻の胃痛が起こるので、相当な事態があったのだろう。

 思えば、ファム・ファタール集団と呼ぶに相応しい連中とよく同盟を組む気になったものである。


『昔のことは思い出せないが、死後、美少女にここまで翻弄されるなんて思ってなかっただろうな……』


 益体もない、呟きのような思考が浮かんでは消えていく。

 まったく、厄日だ。どうしてこんなことになってしまうのだろう? 

 どうして、得体の知れない新人と死に神のようなスチーム・ヘッドの引率をさせられているのだろう?

 百人隊長を任されてはいるが、ヘンラインに別段優れた部分があるわけでは無い。一騎当千のスチーム・パペットと言っても、純粋蒸気駆動方式からデジタル制御方式への過渡期に製造されたせいで、全体的に半端な仕上がりになっている。指揮管制装置だけはやけに気合いを入れて設計されていたおかげで、百人隊長のポストが辛うじて割り振られたと言うだけだ、というのがヘンラインの認識だ。

 つまり、百人隊長としてはもっとも価値が低い。

 苦労させるには最適な人材というわけだ。

 それにしたって、何だか矢鱈と自分に損な役が回ってきてはいないだろうか。

 

 ……冷静に考えれば、ファデルから依頼が来た時点で奇妙な部分があった。

 作戦内容が楽すぎたのだ。

 自分のホームである第二十四攻略拠点から、大主教ヴォイニッチが占領する第九十九番攻略拠点までの間にある、既知のクヌーズオーエ鏡像体。

 そのうち、最近になって<時の欠片に触れた者>が更新を行った区画の、脅威度再判定のための調査。

 一つの区画が丸ごと書き換えられたと言うことだが、どうせ似たような地形しか再配置されないので、特段の危険性がないのは調べなくても確実だ。

 いっそ休暇かと思うほど楽な任務である。

 ヘンラインとしては、『首斬り兎』に対する警戒網強化のために、ホームである第二十四攻略拠点から未踏破領域、即ち大主教リリウムが指揮を務める最前線までの間にある巨大な空白を探索することになると考えていた。

 否、そうなるべきだったのだ。敢えて楽な任務を回された時点で、運命が仕掛けた、この姑息な罠に気付くべきだった。

 気付なかったから、厄介なスチーム・ヘッド二人を連れて仕事をする羽目になった。

 まったく、まったく、胃が痛い。


 だがヘンラインには、今回の調査任務を通常通り遂行する確たる意思があった。

 それこそがスチーム・ヘッドの本懐だからだ。

 命も、魂も、過去も、肉体も既にヘンラインにはない。

 遺されたのは使命を全うするという感情のみだ。

 パペットの左腕に縛り付けた、秒針の無い柱時計が定刻を示した。

 仕事の時間だ。


『総員、前進せよ』


 談笑していたスチーム・ヘッドたちが一斉に口を閉ざし、規律正しく歩み始めた。

 隊伍を組んだ兵士たちが瓦礫の散乱した街路を前進する。

 無機的な冬の日差しを、永遠に不滅であることを約束された無数の装甲が無感情に見つめ返し、万事を等閑視する空へと、蒸気機関から吐き出される白煙が、救世軍の到来を告げる狼煙のように昇っていく。スチーム・ヘッドの兵士たちだった。冬の街をライフルスリングに使い込まれたバトルライフル、あるいはショットガンを吊るしていたが、全員が手に長柄の槌を携えたその姿は、前時代的な甲冑騎士じみて異様である。今は失われた古い時代、粉飾された懐かしい風景、偽造された栄光の記憶、血潮を黄金の隔たりで覆い隠した時代からやってきた、絶対にして不滅の騎士たち。

 永久に戦い続けるという使命以外の一切を持たぬものども。

 スチーム・ヘッドの先導隊は、一分の隙もなく警戒しながら、不朽結晶連続体の具足と準不朽素材のブーツの足音でアスファルトを鳴らす。正確な四拍子で完全に調和した軍靴の群れが、音楽的な重低音のリズムを生成し、その拍動に合わせて、後方で隊列を組む少女たちが、蒸気機関に接続した拡声器から、過去現在未来のあらゆる時代において成立し得ない言語で、清らかな祈りの歌を捧げる。

 異なる言語、異なるまなざし、異なる声で、ただ一つを歌い続ける。

 神の御国の永遠の繁栄、人心の平穏を世界に対して希求する。

 脳髄に不朽の造花を挿入した少女達の歌声が、崩落した家々、崩れ落ちた高層建築へ染み入って消えていく。

 魂ある者が瞼を閉じれば、その重奏の美声に神の威光を見出すかもしれない。名を知らずとも、光ある場所を知らずとも、魂の安らぎを信じることが出来るかもしれない。

 だがヘンラインは歌声には関心を示さない。

 適宜無線で連絡を取り合いながら、周辺状況の把握に努める。


 この時代、この土地、この街に、魂を持つ者など一人として存在していない。

 街に魂は無く、命は無く、言葉は無い。聖歌の少女たち、レーゲントを警護する完全装甲のスチーム・ヘッドや、塔の如く聳えるおぞましいスチーム・パペットは、少女達の歌など聞いてはいない。

 美しい歌声だと評価することはあるだろう。だが意味を理解しない。真に震える心を持たない。彼らには魂が無い。脳髄に挿入された機械が人格記録媒体を再生しても、それは致命的なほど原生的な意識とは異なる。

 いつわりの魂、いつわりの心、いつわりの私……。ヘンラインを初めとして、大抵のスチーム・ヘッドにはその自覚がある。

 何故ならば、不死病患者の肉体は死を持たないからだ。

 定命の生命から生じた意識は永遠にその違和感から逃れられない。

 終着の無い永遠という荒野を彼らは彷徨う。


 警戒の傍ら、今回、研修という名目で随伴しているリーンズィを確認する。

 少女は緊張した面持ちで両手でハルバードを携え、いつでも動けるように準備をしていた。存外に健気である。移動すらSCAR運用システムに任せて、拳銃のクリーニングにかまけているコルト少尉には見習って貰いたい。

 とは言え、リーンズィは些か緊張しすぎであるように思われた。腕の柱時計を確認すると、もう一二〇分も臨戦態勢をとり続けている。今後も二四〇分以上続く任務だ。

 ハルバードには真っ赤な色をした旗が括り付けられていて、かなり視界を邪魔している。

 常にそれでは精神が持たない。

 ヘンラインはパペットのテールランプを瞬かせて注意を引き、視線を向けてきたリーンズィへ、情報将校だった頃の丁寧な言葉遣いで話しかけた。


『ご無礼を承知で進言致します。気負いすぎかと思われます』


「気負いすぎ?」少女はきょとんとした。「しかし、どこから悪性変異体が現れるか……」


『参加してみてお分かりになったかと思いますが、基本的にはこうした行進が何時間も続きます。このようにしてクヌーズオーエ鏡像体の調査を行うのが、我々解放軍の日常です。一日3ブロックほどを休み無く歩き続け、踏破し、危難の把握と物資の確保に励みます。非常時の備えも万全に計画されておりますので、今回はそのように警戒をして頂かなくても問題ありません』


「そういうものか? ……そういうもの?」


『少なくとも、戦闘でお手を煩わせることはありません。今は気を楽になさって下さい。ただ、今後どのポジションで任務にアサインするかは、一人軍団であるリーンズィ様がお決めになることです。警戒よりは、むしろ見に徹するのが得策かと具申します』


 言われてようやく、ライトブラウンの髪の少女はハルバードの穂先を下ろした。

 いかにも未熟な機体ではあるが、未熟なりに任務には忠実らしい。

 その点は優秀だと、ヘンラインは評価を上方修正した。


 ただし、リーンズィを単騎で活用出来る場面はあまりなさそうだ、というのが偽らざる評価だ。

 アルファⅡモナルキア、リーンズィ、ミラーズの三機一組で運用するのが適当なのだろうが、この頼りない少女だけでは、先導隊の一員を務めるぐらいしか思いつかない。

 先導隊も重要な存在ではあるが、一人軍団の美称を冠する機体には些か役不足だ。


 行進はその後も七八分間、異常なく続いた。平常通りだ。灰がかった廃墟の街に、虚ろな聖歌と軍靴の音色が響き続ける。火の失せた信号機。タイヤのパンクした車の残骸。このクヌーズオーエは局所的な地震か地滑りに襲われたらしく、あちこちで建物が傾いでいる。倒壊していないという事実が奇蹟と思えるほどの絶望的な空虚、もはやどこにも向かうことの無い世界の片隅で、戦士に守られたレーゲントたちは片時も休むこと無く歌い続ける。

 美声を楽しむ観衆はいない。凱旋を祝う者はいない。そこに勝利は無い。底の抜けた靴を引き摺り、裸足で街を歩く、死から見捨てられた哀れな者どもにしても、真にその歌声を聞くことはない。

 鳥の鳴くところを聞いた猟師のように、あるいは野良犬が走るのを眺める市民のように、注意を惹かれる。スチーム・ヘッドたちの行進を眺め、少女たちの声に耳を澄ませ、濁り無い瞳をしたまま、立ち尽くす。

 そこには恐怖も歓喜も無い。

 伏す者もあれば祈る者もいるが、それは形だけのことだ。

 レーゲントたちの紡ぐ原初の聖句、人間が言語を獲得する以前に用いられていた痕跡器官に訴えかける、その特殊な音声によって、外部から行動を入力されているにすぎない。

『かたち』以外は、何も残されていない。


 高層建築物の間にある空間を塗り潰すようにして丹念に縫い進む一団は、あるいは凱旋の式典のようでもある。

 象られたものは、やはりパレードなのだろう。

 聖歌の担い手たちが通り過ぎた後には、下級レーゲントやスチーム・ヘッドで構成された感染者保護担当の部隊が訪れ、原初の聖句によって行動を固定化された不死病患者たちを路上の片隅に寄せて鎮まらせたり、建物の扉を蹴破って、内部が無人であることを確認し、そこに押し込めたりした。

 リーンズィは非常に不死病患者の扱いに敏感なようで、口出ししないまでも、収容・保護の様子を熱心に確認していた。

 こういった部分に興味を示す新参者は珍しい。

 ヘンラインにも、調停防疫局なる組織のありかたが少しだけ分かった。

 うろうろしている間に、全く何の仕事もしていない機体の存在に気付いたらしい。戻ってきたリーンズィは「彼らは戦闘用スチーム・ヘッドか?」と聞いてきた。


『はい。全て戦闘用スチーム・ヘッドです』


 厳めしい不朽結晶連続体の甲冑で全身を固めて、刀剣や弓矢の類、重火器を携えて、敵の姿を絶えず探している。ある種儀礼的な空気が支配する行進の中で、一歩引いて俯瞰すれば、彼らだけが浮いていた。

 即ち、探索し、保護し、踏破するという原則に従っていない。

 戦闘用スチーム・ヘッドたちは血に飢え、見えない敵を追い、殺すという意識によって活動していた。

 進路上に存在する交差点、高層建築物に突然赤い光が現れた。

 物理法則を強引にねじ伏せ、壁を疾走する影がある。


「おや、ペーダソスの徒弟だね」コルト少尉が指差して、リーンズィに語りかけた。「分かるかい? 君が毎朝会っているマスター・ペーダソスの部下だよ」


「あれがマスターの……」リーンズィがほうと息を吐き、それから怪訝そうに首を傾げた。「私とマスターが親しいと誰から聞いた。彼と親しい?」


「誰からも聞いてないよ? ペーダソスとも友達じゃないね。私は友達がいないのが自慢でね」ヘルメットの単眼レンズを操作しながらコルト少尉が指差した。「へぇ、偵察軍メンバーってペーダソスと殆ど同じ装備なんだね。外燃機関だけ違うんだ。ボディも似たやつを使ってるんだ。これは知らなかったな。たまには調査に参加するものだね」


 帰ってくれ、とヘンラインは思った。


 圧縮空気の噴射によって壁に身体を押し付けて走る、偵察用のスチーム・ヘッド。登録名称はバリオス。一人軍団としての身分を退いて、ファデル傘下の偵察軍を与る特殊偵察機、『凍てつく瞳』ペーダソスの徒弟である。

 偵察軍はこうして未調査地域に先行して、情報収集に当たるのを任務としている。

 バリオスは繊細な身体操縦を急停止。高層建築物の壁の段差に掴まって、具足のアンカーを突き刺した。蒸気機関をアイドリングさせながら、自由になった片手で腰のランタンライトの蓋を開閉して、地上に展開している部隊にモールスで合図を送る。

 だが、大半のスチーム・ヘッドには意味が理解できなかった。

 モールスの打ち方が間違っていたからだ。


 ヘンラインは溜息を吐いた。インバネスコートの少女と、大型自走機械に腰掛けたヘルメットの兵士が顔を見合わせているのを確認し、不機嫌そうに無線を鳴らした。


『バリオス、恥をかかせないでくれ。音声で報告しろ』


『申し訳ないっス。ずっと走ってるもので、生体脳が酸欠なんスよ』至って元気そうな声で偵察兵が応えた。『タリホー、タリホー。スォームインカミン。カースド・リザレクター4。野良スチーム・ヘッド無し』


『了解。何が来る?』


『今のところ<歩き狼>だけっス』


『ご苦労、バリオス。休んでいろ。先導隊、鎮圧戦闘準備。迎撃隊(インターセプター)は炉に火を入れろ』


 槌を携えた先頭の部隊が行進を停止する。

 戦闘用スチーム・ヘッドたちが、己の蒸気機関を甲高く唸らせた。


 一行の進路上、曲がり角の先から叫び声が響いた。

 狂乱した不死病患者の小規模な群れだ。血の気の引くような悲鳴を口から漏らし、血まみれの両足でアスファルトを擦りながら押し寄せてくる。互いを食い合い、殴り合い、切り裂き合っていたのだろう、全身に蒸気を上げる傷跡があり、例外なく血の雨を浴びたような酸鼻な姿をしている。

 何と哀れな姿だろう。ヘンラインの摩滅した心が悲哀を覚える。人類文化継承連帯の情報将校として彼らを救うための活動に従事していた記憶が、ヘンラインの脳裏に一時蘇り、すぐに消えた。もっと動揺している機体を発見したからだ。


 リーンズィである。いてもたってもいられないという調子で腰の蒸気機関のスターターロープを引こうとしていたが、コルト少尉に窘められて口惜しそうに動作を中断した。

 オーバードライブに突入するつもりだったのだろうが、こんな段階で貴重な電力を消費していてはやっていられない。


 地獄の蓋が開いたような光景に、しかし先導部隊は全く動揺しなかった。

 淡々とした動作で、暴徒化感染者を片っ端から槌で殴って打ち倒し、脚を薙ぎ払い、手が足りないようであれば銃で撃って動きを止めた。

 そうして相手が転倒しているうちに頭に槌を頭に押し当てて、先端に設けられた電極を脳髄に突き刺す。手元を捻ると、内部に搭載された医療用義脳が起動する仕掛けだ。安定化のためのパルスを流し込まれた不死病患者たちは、不滅の苦痛に冒された脳の活動を強制的に安定化させられ、一秒足らずで安楽の状態へと回帰していく。


「百人隊長、あの機械は何なのだ?」とリーンズィが少女の体をぎこちなく動かし、槌を振るう素振りを真似して尋ねてくる。

 何だか可愛らしいので、ヘンラインは少し笑ってしまった。


『ヘカントンケイル謹製の鎮圧用義脳槌、ロボトミーハンマーです。暴走した感染者を容易に安定化させられるので人気があります』


「素晴らしい。私の本体のスタンガンよりもずっとスマートだ」


 蝗の大群の如きスウォームを、先導隊は黙々といなしていく。

 暴徒化した不死病患者の凶器は爪と歯だが、基本的にスチーム・ヘッドの装甲を突き破ることは出来ない。ただし、先導部隊の何名かは敢えて生身の腕に噛み付かせることで、感染者の動きを逆に拘束していた。

 未感染の人間ならば、不死病患者からの咬傷は致命的だが、不死病患者同士、特にスチーム・ヘッドに、その虞は無用である。

 とうの昔に手遅れで、既に命を失っているのだから。

 臆すること無く感染者を捌きつつ、少しずつ後方の部隊に合流するために後ずさっていく。

 コルト少尉は、感染者たちがやってきた方向そのものをじっと見つめている。

 カースド・リザレクターが放つ熱量か、特異な足音を感知しているのだろう。

 同様の情報はヘンラインも既に取得している。


『カースド・リザレクター、近いぞ。先導部隊は無理をするな。どんどん後退して、インターセプターに任せろ』


 先導部隊の形成する前線で止められなかった少数の感染者も、彼らクヌーズオーエ解放軍の市街地調査部隊にとって、計算外の存在ではない。

 処理の限界を超えない程度に敢えて後方に通しているのだ。

 ごく少数の感染者であれば、レーゲントが鎮静の聖句を重ねて唱えればあっという間に沈静化できる。

 怒り狂い、あるいは怯えに錯乱して、少女たち目がけて疾駆していた感染者は、その肌に食らいつくことなく歩みを止め、通常の不死病患者と同様に平静に回帰した。

 レーゲントたちは、いっそ微笑んでいるほどで、心理的に圧倒された部分は一つもなく、噛まれようが食いつかれようが、臓物を抉られようが、まさしく望むところであり、つまるところ感染者と呼ばれる程度の存在は、クヌーズオーエ解放軍にとって何ら脅威ではない。


 リーンズィはコルト少尉に引き上げられて、SCARの上に昇って、一部始終を観察していた。

 感嘆に、美貌を赤く染めている。


「ハレルヤハ! ヘンライン百人隊長、君の部隊の統率は見事だ! さすがと言うべきか。ファデルが君のことをとても誉めていたのが理解できる!」


 ヘンラインも、素直な賞賛をされて嫌な気持ちはしない。


『生きていた頃から、この道のプロですから』と胸を張って言わせてくれる部下たちが、ヘンラインには誇らしい。

 だが、ここまでは前座に過ぎない。

 脅威と言える存在は、それら感染者の群れを追って現れた二足歩行の狼のような姿をした怪物たちだ。

 悪性変異体。不死病患者のステージ2。黙契の獣、カースド・リザレクター。

 無数の組織、無数のスチーム・ヘッドから忌まれるその異形のうち、<月の光に吠える者>はもっともありふれた症例だ。

 不朽結晶化した爪と牙を備えたそれらは、俊敏な動きで先導部隊を翻弄し、弾丸を回避し、硬化した皮膚で受け止め、逆に先導部隊のスチーム・ヘッドたちを強烈な打撃で吹き飛ばして遠ざけた。

 防衛ラインを突破した獣たちは、耳障りな騒音の主、原初の聖句を高らかに歌うレーゲント集団へと疾走してくる。

 駆け抜ける速度は射られた矢にも匹敵するだろう。


 それにしたところで、オーバードライブ状態に突入した戦闘用スチーム・ヘッドの敵ではない。 

 百人隊長が、落ち着かない様子のインバネスコートの少女に「我々はあれをシンプルに『歩き狼』と呼んでいます」と説明している間に、超高速機動に移行した戦闘用スチーム・ヘッドたちが<月の光に吠える者>の巨体を空中に打ち上げて手足を切り落とし、あるいは頭部を打ち砕いて転がし、あるいは引き抜いた標識を投げて手頃な建造物に串刺しにし、あるいは不朽結晶製の矢で正確に脳幹を射抜いた。

 一瞬だった。

 凡百の機体では色の付いた風が吹いたとしか見えないほどの速度だ。

 仕事を終えた戦闘用スチーム・ヘッドが蒸気機関を停止させ、互いの健闘を粗野な言葉でたたえ合った。続けて蒸気機関から煙吐く巨人、スチーム・パペットたちがカースドリザレクターを囲んだ。再起する余裕を与えない。

 素早くこれらの獣たちを拘束し、廃材で檻を作って、安定化処置に入る。


「見事なものだ、見事なものです! 本当に素晴らしい!」リーンズィは興奮で己自身の人格という者を定めかねているようだったが、それでも賞賛の言葉を紡いでくれた。「私の認識では、悪性変異体をこうも簡単に無力化できる組織は、地上に存在しなかった」


『自慢の部下たちです。スチーム・ヘッドを百機も揃えれば、カースドリザレクターなんてものはどうってことないんですよ』


「そのようだ。特に、<月の光に吠える者>……歩き狼だったか。あれを浮かせて対処するプランは私がいた組織でも立案されていたが、実行は難しかった」


『蹴ってるだけです。簡単ですよ』


「簡単だろうか?」リーンズィは小首を傾げた。「オーバードライブ状態で迂闊に打撃すれば、相手に過度なダメージを与えて、肉体を木っ端微塵に破裂させてしまう。加減がとても難しい。それを平然と実行できる機体がいるのは、練度が高い証拠だと思うが」


 ヘンラインはパペットの内側で意外そうに嘆息し、リーンズィに対する評価をさらに上方修正した。

 リーンズィはカースド・リザレクター、悪性変異体について造詣が深いらしい。前線では仕事が無いという印象だったが、分析官としてのポジションもあるかもしれない。

 歩き狼は、平均して2m以上の体躯を持ち、おおよそ常人離れした膂力と速度を持っている。

 だが、実際の質量は通常の人間と大差ないのだ。そして強靭そうな見かけに反して、衝撃に非常に弱い。

 現実に打ち合わなければ、実感としては掴みにくい部分だ。

 多くのカースド・リザレクターに共通する特徴として、彼らは見かけほど重くない。己の恒常性を保護するために人間離れした身体構造を得ているものの、大抵は生存に不要な臓器を転換し、組み替え、機能を別の部位に集中した結果、見かけ上の体積が大きくなっているだけのことだ。

 だから首尾良く空中に打ち上げるなり、行動能力を削ぐなりすれば、一時的にせよ簡単に無力化出来る。


「オーバードライブ搭載機をこれだけの数同時に運用するというのも珍しい。適合者はそれなりに希少だったはず」


『解放軍でも希少ですが、一個の調査部隊に五機程度は配備するのが通常です』


 それぞれオーバードライブ性能には差がある、という点までは説明しない。軍団長ファデルや聖歌隊のリリウムシスターズ、ウンドワート卿にまで承認を受けた一人軍団と言えども、昨日今日やってきた新参者に手の内を全て明かしてしまう愚は侵さない。

 基本的にスチーム・ヘッド同士の戦闘は不朽結晶装備とオーバードライブ可能機の数で決まる。

 転移する以前から戦い続け、クヌーズオーエにおいても各地の抵抗勢力、あるいは離反した友軍と、不死と不死による骨肉の争いを繰り広げてきた継承連帯では常識だ。

 オーバードライブ能力はシビアな時間制限と避け得ない反動を抱えた切り札の中の切り札であり、人格記録媒体の特性次第では使用自体が不可能というケースも多いが、使用者には文字通り次元が違うレベルの戦闘能力をもたらす。

 何にせよ、それほどの戦力でさえ、クヌーズオーエ解放軍では、配備に困るほど少ないということはない。ヘンラインたちを悩ませるほどの相手は、正体不明の『首斬り兎』や忌まわしき『暗き塔を仰ぐ者』のような特殊な存在以外には無い。

 敵対はしていないが『ヴォイニッチの不滅隊』も厄介だ。


 カースド・リザレクターに跳ね飛ばされた先導隊の面々も、すぐに再生を終えて戦列に復帰していた。変異進行率は許容範囲内だ。ダメージが尾を引いている機体は見受けられない。

 歩き狼どももあっという間に檻の中に閉じ込められてしまった。


「素晴らしい。本当に素晴らしい! ハレルヤハ!」少女は無邪気に歓声を上げた。「無力化した悪性変異体の保護もプロトコル通りだし、何より迅速だ。これはとても凄いことだ!」惜しみなく賞賛して、頻りに頷いた。「もしかすると、君たちクヌーズオーエ解放軍は、世界最高の医療組織なのでは?」


『歴史上現れた中ではもっとも優れた軍隊でしょう』


 ヘンラインは誇らしげだった。人類文化継承連帯でも、本物のスチーム・ヘッドだけで構成される部隊は、精々が三十機程度の規模だった。これはスチーム・ヘッドの絶対数が少なかったためで、なおかつそれで充分だったからだ。

 たった三十機でも、不滅にして不朽の兵士を戦力としていない国ならば、それだけで攻め落とせる。パペットならば一機でも小国を相手に出来る。

 ところがクヌーズオーエ解放軍では、そういった精鋭たちを百機も集めて部隊を形成しているのだ。

 しかもこの百機前後の部隊がさらに百も二百も存在している。

 そのことに奢らない自制心を、ヘンラインは持っていた。

 リーンズィは当然、これほどの戦力で、何故まだ目的を果たせていないのかと疑問を持つはずだからだ。


 今日の調査はここまでだと全軍に指示を出し、屋内探索の前に小休止を命じた。

 暴徒化した感染者や歩き狼程度のカースド・リザレクターなら、あと三度は余裕をもっていなせるが、余裕があるうちに手を引くのがヘンラインの流儀である。

 追い詰められていないのなら、消耗を覚悟で戦う必要もない。

 命令を出したあと、幾ばくかの躊躇いを飲み込んで、ヘンラインはリーンズィに向き合った。

 追い詰められていないのだから、この程度の真実を伏せておく理由も無い。


『ただ、これだけの戦力を備えてもクヌーズオーエ全体の3%程も掌握出来ていないのが実状です。この都市は無限に増殖と変異を繰り返し、さらには<時の欠片に触れた者>によって絶えず改変されています。あまりにも広大で入り組んでいるため、クヌーズオーエは回廊迷宮とも呼ばれているのです。六〇〇〇〇〇〇〇分以上の時間を費やしても、どれだけの戦力を注ぎ込んでも、あの塔に近づけていないのです』


 地の果てに聳える、非現実的な黒いテクスチャを纏う塔を指差し、ヘンラインは実状を正直に話した。

 世界を二つに分かつ程に高い漆黒の塔。

 あまりにも巨大すぎするため、実在すら疑われている、クヌーズオーエ解放軍の最終目的地だ。


「さほど離れていないように思うが……」


『現実的な尺度を当てはめれば、ここから精々一〇〇km程の距離です。街を一つか二つ越えれば、そこにあるべきだと言えます。ただ、無数の接続面を持つこの時代、この場所、この都市で、そうした距離感がどれほど役立たずかは、お分かりかと思います。一つのクヌーズオーエを超えても、次のクヌーズオーエが現れるだけ。いつまでたっても塔に近付けません。実際の所、あとどれだけ探索を進めればあの塔に到着できるのか、見通しが立っていないんです』


「あの塔に辿り着くと何かあるの?」


「どうだろうね、あれが『ダークタワー』なんじゃないかって言う人もいるよ」とコルト少尉。「存在する全ての宇宙を繋ぎ止めているアンカーかもしれないって。キングって知らない? アメリカが生んだ偉大な小説家。拳銃使いも出てくる作品があってね……」


『それも仮説です。アメリカかぶれほどそういう見方をしがちですが、生憎と自分はそこまで観念的なものだとは考えていません。しかし、あれはどう考えても自然に発生するような代物じゃありませんし、高度な科学技術抜きでは建造は不可能だ。根元には、どうして世界がこんな有様になったのか、そのヒントぐらいはあるでしょうが』


 しかし、観測される像から割り出された黒い塔の高度は、三万キロメートルにも達するのではないかと言われている。その数値も随分と前に算出されたものなので、現在も同等の高度なのかは不明である。

 ヘンライン自身の印象としては、毎日少しずつ成長しているように見えるのだが、だとすれば現在は四万キロメートルか、五万キロメートルか。

 そんなものが実在し得るのか、正直なところヘンラインにも疑問だ。

 それでもあの塔を目指して進むしか無いのだ。


 かつて銀髪の少女は歌った。

「前進しましょう。地の果てまで、時間の終わりまで、地獄の淵にまで、わたしたちの歌を捧げましょう! これこそがわたしたちのハルマゲドンなのです。この黙示録の街を越えた先にこそ、真の御国はあるのです! 皆様、それを信じて下さい。この果てしのない戦いを試練だと信じて、立ち向かいましょう! あの塔は天を突く柱です。その御許に楽園はあります!」


 なるほど、塔を一つの目標とするのは正しい。

 スチーム・ヘッドは目的を失えば機能を停止してしまう。それを回避するには、達成できるのかどうか曖昧な目標を掲げるのが一番だ。

 人工記録媒体に格納した遠い過去を思い出しながら、こんなレコードを今唐突に再生した理由を自問する。リーンズィの顔を見ていて、すぐに合点がいった。

 見慣れた顔だ。

 大主教リリウムを寵愛を受けていた騎士、ヴァローナがここにいる。

 だから、つい自分の考えを口にしてしまった。リリウムとヴァローナには嘘を見抜く精神性が備わっていた。だから、ヴァローナと同じ瞳をしたリーンズィにも自分の正直な思想を伝えるべきだと、精神が誤作動を起こしてしまった。


『ですが……これは、我々の妄念の生んだ理想郷なのではないか、と時折考えます』


「どこが?」


『この終わらないクヌーズオーエがです』


「これが、理想郷?」かつて騎士だった少女は子供のように首を傾げた。


『はい。クヌーズオーエでは、戦うことしか出来ない我々も、いくらでも欲求を満たせます。無限に戦い、無限に物資を調達できる。どういうわけか都合良く用意されている拠点では、人類の文化の真似事が出来ます。戦い、生活を楽しみ、また戦う。そうして戦い続ければ、いつか約束の地に、自分が望んだ景色にたどり着ける。そうした妄念によって形成された……途方も無く巨大なカースド・リザレクターの腹の中なのではないかと』


「危険思想だ」しぃー、とコルト少尉がヘルメットの前で人差し指を立てた。「忘れてしまったけど。私が真面目に聞いていたら、大変なことだったよ」


『……大主教ヴォイニッチの思想と重複しているのは認めますが、賛同はしていません。だからこそ、ここでまだ戦っているんです……内乱の時も、そしてその後も、あなたとファデルの側に付いた。大主教ヴォイニッチと突撃隊長キュクロプスを切り捨てることに同意した……』


「待って、待って欲しい」リーンズィは整った眉を困惑で歪めた。「大主教ヴォイニッチ? リリウム以外に、スヴィトスラーフ聖歌隊の大主教がいるのか?」


「知らなかったのかい? 解放軍から離脱して、自分の信徒たちに命じて、第九十九番攻略拠点を閉鎖しているレーゲントが一人いるんだよ」


 そのときだった。

 ヘンラインのセンサーの端で銀色の影が蠢いた。

 視線を向けたときには、高層建築物の壁に張り付いていたバリオスが撃墜されていた。

 暖機していた大型蒸気機関を毟り取られ、装甲のない両腕を切り落され、腹から内臓を掻き出され、血で帯を引いて墜落して行く。

 代わって、彼女が今まで取り付いていた位置に、目では捉えきれない速度で震動する銀色の影が張り付いて、奪った蒸気機関から熱を貪っていた。

 サーマルセンサーには、猛烈に発熱する人型の何かが映っている。


『ぎ、っあ……クイック……シルバー……ッ!』


 断末魔の悲鳴を上げながら墜落するバリオスを、建造物付近にいたパペットが受け止めて抱え込んだ。

 銀色の影は不規則な軌道を描きながら壁面を駆け下り、コンマ数秒でその背中に飛び移った。

 不朽結晶連続体同士が高速でぶつかり合う轟音が大気を揺らした。

 銀色の影が打撃しているのだ。しかもダメージが入っているのが火花で分かる。

 敵は不朽結晶で装甲している。

 ヘンラインはこの日初めて、真実の戦慄を覚えた。

 クイックシルバー。

 スチーム・ヘッドがオーバードライブ状態で悪性変異を起こした際に発生する、たちの悪いカースド・リザレクターだ。

 出力は不安定ながら常時オーバードライブを起動させており、その限界を逸脱した移動速度から、接近を感知することも、迎撃することも困難を極める。


 全軍にバリオスの無線通信は届いていたはずだが、戦闘用スチーム・ヘッドたちは反応が出来ていない。オーバードライブを起動させるには、まず蒸気機関を限界まで稼動させて、大量に発電しなければならない。

 ほんの数秒あれば済む動作だが、オーバードライブ戦で先手を取られるのは致命的だ。

 クイックシルバーが熱量不足で息切れを起こした隙にオーバードライブに突入する以外に対抗手段は無かった。

 総員防御姿勢、の号令を飛ばす前に、空気が弾ける音が轟いた。

 黒い翼がはためくのを見た。

 音の主はコルト少尉だ最初は認識した。

 バリオスを受け止めたパペットに、銀色の影が飛び移ったその瞬間。

 即座に拳銃を抜いて発砲していたらしい。


 凄まじい速度での早撃ちだが、クイックシルバー相手には何の意味もない。

 むしろこちらに引き寄せてしまうと言う点では逆効果だ。

 現に、銀色の影は既にそこにいない。

 ヘンラインはセンサーに知覚を走らせた。

 クイックシルバーは別な位置の道路に張り付いていた。

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 旗がはためいているのをヘンラインは見た。


 赤い世界地図を背景にした、剣に巻き付く二匹の蛇。


 リーンズィのハルバードだと気付くまで、多少の時間が必要だった。

 一箇所に意識を集中しているために気付かなかったが、高熱源体は二つある。


 オーバードライブを解除したリーンズィが、いつのまにか、そこにいた。

 死に果てた都市の片隅で、石突きでクイックシルバーの未装甲の胴体を貫き、アスファルトに縫い止めている。

 蒸発した血と汗が陽炎となって周囲の風景を歪ませていた。

 別の時代、別の世界から彷徨い出でた、神話にのみ現れるような英雄の図画じみていた。


『はぁ……はぁ……。うう、出力の読めない相手との駆け比べは苦手かもしれない。これは、はぁ、課題だな。こちらアルファⅡモナルキア、エージェント・リーンズィ。悪性変異体症例31号<時計の針を探す者>を鎮圧した……はぁ』


 ライトブラウンの髪をした少女は汗を拭い、息を途切れさせながら、手足を切断されてなおも藻掻くクイックシルバーの腹にブーツの爪先をめり込ませ、踏みつける。

 インバネスコートから露出した白い脚に血が伝い、奇妙なほど艶めかしかった。

 怪我らしきものは無い。全て返り血か、廃液だ。


『ふー……私の筋肉出力では、拘束の継続が、難しい。大至急応援を願う』


『な、何……が……起きた……?』


 ヘンラインには、状況が飲み込めない。

 戦闘用スチーム・ヘッドたちも呆気に取られて、何時の間にかクイックシルバーの制圧を終わらせていたリーンズィを眺めていた。


『どうして、誰も来てくれないんだ……? どうして……』リーンズィは喘ぐように息をしながら、哀れっぽい声で尋ねてきた。『手出ししてはいけない決まりでも、あった? 皆が呆としているので、一足先に対処をしたのだが……<時計の針を探す者>は発見即制圧がセオリーなのに、皆のんびりしているなと思って……』


『い、いや、問題ない! リーンズィ様、お見事です! インターセプター、さっさと拘束に迎え! レーゲントたちはバリオスの救護と、クイックシルバーの沈静化を!』


 指示を下すが、ヘンラインにも自分が目にしているものに納得がいかない。

 導き出される答えは一つだけなのだが、どうしても直観的に受け止めがたかった。


『我々の誰よりも早くオーバードライブ状態に突入して、クイックシルバーを仕留めたのか? クイックシルバーは五倍以下の速度には絶対に落ちないんだぞ……それを、まともな大出力蒸気機関も積んでいない機体が……有り得るのか、そんなスチーム・ヘッドが……』


「彼女は首輪型人工脳髄のバッテリーだけで、タイムラグ無しでオーバードライブを起動できるんだよ。ファデルからは十倍ぐらいは速度を出せるだろうって聞いてたけど、今のはもっと速かったね」


 コルト少尉はこともなげに告げた。

 弾倉から二発分の薬莢を取り出し、代わりの弾丸を装填した。

 ヘンラインは一発しか撃っていないと認識していたため、0.1秒にも満たない時間で当然のように二発撃っていたことを示すコルト少尉も異様であった。


「迎撃しやすいよう、クイックシルバーを誘導するために撃ったのも、もしかすると余計だったかな」


『少尉には、リーンズィが何をしていたのか見えたのですか?』


「まさか。私の生体CPUはポンコツだし、人工脳髄も普通のオーバードライブに対応していない。SCAR運用システムが収集したデータを確認しないと何が起こったのかは分からないよ」


『しかしクイックシルバーに発砲されているではありませんか』


「それぐらいは反射的にね? 皆もこれぐらいは出来た方が良いよ。あ、ログを見てるけど、リーンズィ、オーバードライブに突入して0.005秒ぐらい、何で皆止まっているのかなって戸惑ってる。可愛いね」


 その数字に、ヘンラインはまたも言葉を失った。


『……何倍の速度で活動しているんだ。異常すぎる……ウンドワート卿程では無いにせよ……』


 戦闘用スチーム・ヘッドたちに「よくやった!」「見かけによらないもんだな!」と肩を叩かれて、それに生真面目に頷いて返事をしているライトブラウンの髪の美しい少女に、ヘンラインは警戒と困惑の視線を注いだ。


「あれで、子機なんだ。笑ってしまうよね。まぁ、あの子単体での底は知れたよ。でも……」


 コルト少尉はヘルメットを外し、黒いショートカットの髪をかき上げて、薄らとした微笑を浮かべた美貌をヘンラインに晒した。

 その空洞のような瞳に映る感情をヘンラインは知らない。

 懊悩か、虚無か、恐怖か、殺意か。

 魅入られて硬直する不朽結晶連続体の巨体に寄り添い、女はぞっとするような淡泊さで囁いた。


「あんなとんでもない機体を子機にしているアルファⅡモナルキア本体は、じゃあ、何をするために、何と戦うために作られた機体なんだろうね……?」


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