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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション2 スヴィトスラーフ聖歌隊 大主教『清廉なる導き手』リリウム
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2-9 第二十四番攻略拠点 その2

「開門するぞー」という気の抜けた号令に合わせて、アルファⅡモナルキアたちが目の当たりにしていた木造城壁の一部が消え失せた。

 代わって現れたのは均質な質感の、光沢の無い黒い薄板だ。

 透過されていた景色までもが塞がれ、太陽は覆われ、一行に向かって長い影を落とした。

 高層集合住宅ほどもあろうかというその一枚の板には、途切れ目がどこにも存在していない。

 この世界の実像と同じく、何者の手にも切り分けることが許されない、不滅にして不朽の物質で構成されている。

 異様に巨大な不朽結晶連続体だ。

 それがこの城壁の正体だった。 

 門に似た木製の構造物だけには、見た目通りの実体を備えていたが、グリエルモなる城壁管理係を見張りとして収容しておく以上の機能は無いようだった。

 というのも、ここには今や城門さえ存在しないのだから。

 光学的な虚構としてのみ実在を認められていた扉は消滅し、完璧に閉ざされた不朽結晶の黒い板を晒している。

 ミラーズは普通に門が開くものだと思っていたらしく「あれ? 何これ」と背後から水を浴びせられた猫のような表情をした。


「お城の門みたいに開くと思ってたんだけど……」


 涼しげな表情のユイシスのアバターが、背後から同じ顔立ちの少女へと腕を回して耳打ちする。


『先ほどまで展開されていた簡素な木造城壁は、光透過性によって付与された視覚欺瞞効果に過ぎません。舞台に置かれた書き割りのようなものです。設置部分から十数mの高さまでには城壁に似たパターンが描かれ、それ以外は光を完全に透過するように設定されていたのでしょう』


「そ、そうなのですね」ミラーズは落胆して自分のふわふわとした金髪を触った。「ちょっと、小さい頃に観た映画みたいで感動していたのに。残念です、ユイシス」


『リーンズィはリアクションが無いですね』


「逐一ユイシスからデータを取得していた。電磁迷彩装甲だな。ウンドワートも使っていた。継承連帯では有り触れた技術なのかもしれない」とリーンズィはふむふむと頷き、不意に目つきを鋭くした。思い切り弄ばれた記憶が蘇ったのだ。「なんだか胸部から腹部あたりが熱い……頭もクラクラする……脱水症状に似ているがバイタルは正常だ。さてはこれが怒りだな? 私は怒っているのか。今度あのウサギを見かけたら……逃げたり隠れたりピョンピョンしたりできないよう何か変な絵とかラクガキしてやる……」


 ミラーズが苦笑しながら腕に抱きついてくる。その感触に、何故だかリーンズィはどぎまぎしてしまう。体つきだけで言うならばヴァローナの方が体型には恵まれているのだが。


「それは小さい子供のすることですよ、リーンズィ。仕返しなんて意味のないことなんだから」


 意味のないこと、とリーンズィは復唱する。


「……ラクガキには、意味なんてない。そう言えば、城壁のテクスチャこそ、まさしくラクガキのようなものだ。木製の壁のように偽装を施す意味はあるのか……? 戦術的な意味はないはず」


『おいグリエルモ、まだ開かねぇのか』


「風速が微妙に規定値越えてるらしい。もうちょい待て」


『何時の時代に設定した値だよ、人間相手の労働基準法当てはめてるんじゃねぇぞ』


「不朽結晶の25m平方の壁が落ちてきたらパペットでもぶっ壊れるぞ」


 何か言い合いをしている兵士たちを無視して、リーンズィは物思いに耽った。

 不朽結晶の性質を利用し自在な迷彩効果を実現すること自体は、不朽結晶技術自体が極めて特殊であるという点を無視すれば、それほど特殊ではない。薄い不朽結晶の装甲板で野営地の一部、たとえば弾薬庫を保護するなどと言うのは、やや贅沢ではあるが、リーンズィに与えられた朧気な記憶においても、特段に変わった用法では無い。

 ただ、それこそ書き割り代わりに不朽結晶の壁を設置するという事例は思い浮かばなかった。


「単純に見た目が悪いからじゃない?」


 ミラーズとしては何の疑問も無いようだった。

 そそり立つ壁のような黒い壁を抱え込むように手を広げた。


「こんな大きい真っ黒な壁が街道の奥にいきなり現れたら怖いでしょ」


「……確かに遠くから観測したとき、これが剥き出しで聳えていたら怖いかもしれない」


 破滅した人間が最後に網膜に映す景色よりも重苦しい、光を反射しない黒い構造物が地平線の彼方まで続いている光景を、リーンズィは幻視した。

 絶望的な威圧感以外には何も無いと思われた。


「しかし迷彩効果の切替が出来る不朽結晶連続体は生産コストが高い。まさか景観のためだけにそんな大袈裟なものを、こんなに……こんなに? え……?」


 リーンズィは唐突に、唖然として城壁を眺めた。

 その異常を、あるがままに受け入れられなくなった

 何かの認知機能ロックが解除された感触があった。

 少女は己の体を抱きしめ、今にも倒れかかってきそうな巨大な装甲板から後退り、青ざめた顔で果てしなく続く虚構の城壁を見渡した。


 咄嗟にミラーズの側に寄ったのは、あまりの異常さに気付いて恐怖心を覚えたからだ。


「こ、これが……全部、そう? 全部? 全部……全部不朽結晶連続体?!」


「それは、そうでしょう。普通に考えればそうじゃない? どうかしたの? また何かがあなたを怖がらせているの?」


 ミラーズは相も変わらず平然としていたが、改めて見ると、理解を超えた光景だった。

 今し方、偽装を解除された部分が不朽結晶連続体は、確かに一枚の板に過ぎない。

 ただし、地表に露出している部分だけで25mもの高さがあり、横幅は50m程にも達する。

 リーンズィはモナルキアのデータベースにアクセスして、そのような一枚板の不朽結晶連続体を製造した事例を検索したが、該当する研究がない。

 立ち並ぶ障壁が一枚の板というわけではない。

 高さ25m、横幅50mのサイズの板を並べて一繋ぎの城壁のように連結させているだけだ。

 横幅に対して高さが半分しかないというのは奇妙だが、もう半分は地下に存在するのだろうという漠然とした確信があった。

 大した工夫も無しに大地へと差し込んでいるだけではないかとリーンズィは推測したが、そんなサイズの不朽結晶連続体がどこまで続いているのか分からないという点が嘔吐感を誘う。

 何せ望遠モードに切り替えたアルファⅡモナルキアの視点でも、城壁が途切れる場所は観測出来ないのだ。不朽結晶自体は低純度だったが、このサイズの壁を何百枚も生産するのは調停防疫局でも容易ではない。

 一つの組織のリソースの全てと引き換えの大事業になるだろう。


「こ、これだけの規格化された障壁を用意するのには専用の大型精製装置が必要になるはず。都市を丸ごと収容するためだけに作られた端末が存在するのか……?!」」


 少女の首ががくんと揺れた。了解。複製転写式行動様式第3号、アルファⅡの神経系にマウントしました。データベースチェック、異常ありません。擬似情動の入力を開始。エコーヘッドシステム、起動します。


「う……? 正気の沙汰では……都市。都市焼却機フリアエ……都市焼却機! 全自動戦争装置の端末だ。全自動戦争装置の直轄の端末……ど、どこかにいるのか、この付近にもいる?! あの山のような兵器の群れが……都市……誰? 分からない、え、何が……私?」


 突然に眼前の光景全てが理解の掌の上から零れ落ちた。

 何もかもがモンタージュ写真として裁断され、意味が急速に消失していく。


「手? 誰の……動く。私? 私には手がある……」


 はっ、はっ、と痙攣しながら呼吸をする。

 そのたび、意識が途切れて眠りかけの子供のように首が揺れた。

 膝から崩れ落ちて頭を抱える。

 ヴァローナの人工脳髄が干渉している? しかし花飾りに擬されたその機械は発熱していない。異常を来しているのは自分の隷属化デバイス、簡易型人工脳髄だ。隷属化デバイス? 違う。私はアルファⅡモナルキアの同位体だ。モナルキア? リーンズィは思考伝達通信で親機に異常を伝える。モナルキア、君との統合が途切れかけている。首輪が熱い。返答は眼球が沸騰を起こす見知らぬ既知の景色の奔流。機銃と砲台で構築された針鼠のような全容をお前は知っている。あの極寒の地で白いヘルメットを被った誰かが自分の重外燃機関を起動させたのをお前は知っている。白ウサギ骨董店の寂れた空気と柱時計の切り刻む音色。無数のケーブルを髪のように振り乱す人工脳髄の少女が白痴の祈祷師のように暗闇の中で踊っているのをお前は知っている。「違う、違う、違う。知らない、知らない、知らない……」知るはずがない。知るはずがない。「そらとそらのはざまをつらぬくほんもののとうにいるおひめさまはきみのことなんてきにしていなくてボクはあしたたんじょうびできのうがめいにちなんだけどねむることがないのだなだってかんきゃくなんてしらないからかれらはみんなそらにいるからかれらはねむらないからだからかのじょもねむることがないんだけど君はケーキが好き?」誰だ。知らない。知るはずが無い。赤く変色し始めた瞳の奥で無秩序な神経発火の火花が散るのをリーンズィは見た。七つの燃え上がる瞳がお前を見ている。


「 もはや意味などないというのに 」


「うるさい、うるさい! それを決めるのは君ではない! 君は……君? 私は?」


 分からない。無臭の甲冑で額を撫で、肩で息をしながら掌を見る。

 濡れた金属の表面。スチーム・ヘッドは汗を搔かない。

 アルファⅡモナルキアは汗を搔かない。

 ではこの発汗は何なのか。お前は、私は、私が誰だ?

 粘り気のある空気が肺腑に絡みつく。

 違う。タールの如く纏わり付くのは己の体性感覚そのものだ。

 己? 己って誰。

 どこまでが私なのだろう。


『不朽結晶で作った服ほどおかしなもんでもねぇけどな』とファデルが肩を竦める。『いや実際の所、俺らにもこれがどういう経緯でこんな偽装を施されてるのかは分かんねぇ。しかし……あんた、余裕綽々だったのに、いきなり普通のスチーム・ヘッドみたいなリアクションになったな。確かにコレを正確に理解できるならビビらぁな。そっちが素なのか?』


 リーンズィは呆然として首を振った。

 目前のパペットが誰で何を言っているのか、理解が出来なかった。


「誰? 私の、素? 誰。私。私って誰だ? 誰が私? お前は誰」


『なんだ……は? 誰って何だよ。どうしたんだよ』


「だから、誰? 私が? 私は……私は? 私は……私って何。誰が……どれ?」


 ついにはへなへなと膝を折り、ミラーズに抱きついて胸に顔を埋める。

 目を逸らしていれば消えてくれると信じている幼い子供のようだった。

 ミラーズが「大丈夫ですよ」と囁きながら髪を撫でてくれるが、頭蓋の内側、ヴァローナの生体脳は規定値を大幅に上回る神経伝達物質が放出され、手足に力が入らなくなっている。


「リーンズィ、落ち着きましょう。私が分かりますか?」


「……ミラーズ」薄い不朽結晶連続体の衣服に縋り付き、隠された肌の熱を額に押し当てる。「すまない、少し混乱した。でも、こんなのは初めてで……ただただ、怖い」


 本来ならサイコ・サージカル・アジャストが起動するべき状況だが、リーンズィという名を与えられた少女はただ目を瞑って震えることしか出来ない。

 さすがにただ事では無い、とクヌーズオーエ解放軍の兵士たちも気付いたようだった。


「待て、何かマズいんじゃないかそいつ!」


 エルモが城門から声を飛ばした。


「スチーム・ヘッドが立てなくなるなんて、まともな状況じゃ無いぞ。ウンドワートにやっぱり何か仕込まれてたんじゃないか! 遅効性の破壊プログラムとか!」


『そ、そこまでやる人じゃねえよ! こんな時限爆弾仕込むわけねぇ!』


「何かされた? わたし……わたし、壊された?」少女の甲冑の指先が神経質そうに首輪型人工脳髄の

表面をカリカリと搔いた。「どうしよう、ミラーズ、ユイシス。わ、わたし壊されたのかな。こんなのは変だ。自分の体が自分の体じゃないみたいになって。怖い、怖くてたまらない。この世界全上空からパラパラと剥がれ落ちた硝の山が、あ、でも、最初から私には体がなくて。冷たくて、感覚が研ぎ澄まされて……あれ? わたし……わたし? 私、わたし、僕、あたし、我々、私たち、俺……あれ? あれ? わた……誰? 誰だっけ。誰? 誰……」


「リーンズィ、落ち着いて。何があっても大丈夫」


 ガクガクと震える少女の体を抱きしめながら、ミラーズが目を細め、子猫をあやす母猫のように首筋に唇で触れた。腕の中のリーンズィを、さらに強く抱きしめた。


「大丈夫。しっかりと意識を保って……」


『生命管制より通達。アルファⅡモナルキアによるマスキングを解除された認知世界はどうですか? 初恋をしたみたいに心拍が乱れていますが』


 嘲るような声がした。

 モナルキア、という名称が聞こえた瞬間に、リーンズィの意識は平静さを取り戻した。

 腹から脳髄までを突き抜ける激情の名を、ライトブラウンの髪の少女はもう知っている。

 怒りだ。

 だしぬけに我に返ったリーンズィは、事前の警告無しに、ある種の負荷試験に晒されているのだと理解した。

 自己定義すら曖昧なままミラーズに縋り、ぎゅっと抱き返す。

 和毛の少女は優しくそれを受け入れる。

 そして肩を借りながら姿勢を戻す。

 二本の脚で踏ん張ったのは意地だった。


「ユイシス、私を何かの実験に使ったな?! 無断でよくもそんなことを!」


『全プロセスの停止を確認。アルファⅡモナルキア・リーンズィ、ホットスタート。やはりまだ自我境界が安定していませんか。計画は一時凍結します。さて、初めて理解を超えた無加工の現実に衝突した感想はどうですか、モナルキア無しでも頑張れるリーンズィ?』


 これほどユイシスの声が冷笑的に聞こえるのは初めてだった。

 少女は憮然として返す。


「所詮は上位個体であるアルファⅡモナルキアに従属している存在に過ぎない、というのは、承知した。だから、唐突に負荷試験を始めるのは、やめてほしい」カリ、カリと自分の首輪型人工脳髄を指先で搔く。「モナルキアの指示だとは思うが、こんなのは酷すぎる。気が変になりそうだった」


『だ……大丈夫なのか?』とファデル。『発狂する寸前みたいに見えたぜ』


「大丈夫だ。何時になったら門は開く?」


『キツいならちゃんと言えよ、人工脳髄の調整ならヘカントンケイルだって手助けしてくれるはずだからよ。あと、ここの防壁の仕様は煩雑でなぁ。まぁ一度都市を閉鎖したら、二度と開くことはないのが普通だ。おいエルモ、まだなのか? 具合悪いみたいだしさっさと放り込みてぇんだが』


「もうすぐだって! 初回こそプロトコルは踏むべきだ、住民登録だってやらなくちゃいけない」


『否定するわけじゃないが、こんなわけのわからねぇ防壁の前に晒すのはどう考えても健康によくねぇよ。あんまり時間掛かるようなら城壁登って直接入るぞ』


 リーンズィはやや躊躇いながらも、アルファⅡモナルキアとのリンクを再確認した。

 演算能力の割譲を要求して承諾を得て、自我の安定にリソースを注ぎ込む。

 ほぼ完全な心身の安定を得て、懊悩する。

 何故このタイミングでこんなことを?

 自身の本体が何を考えているのか、差異が芽生えつつあるとは、それだけでここまで断絶が生まれてしまうのか。

 そんな疑問は後回しにして、5m程の巨人に対して問いを重ね始めた。

 ……自然な思考の流れでは無いことをリーンズィは自覚している。おそらくアルファⅡモナルキアから思考に干渉を受けているのだ。

 逆らえることではないので、興味関心は自動的に第二の疑問へと焦点が向けられた。


「……でも、二十四番目の攻略拠点なのだろう。君たちがそう名付けた。君たちが攻略拠点として二十四番目に設定した土地と私は解釈した。ならば当然、これも君たちが設置した防壁なのでは」


『気になってたのはそこなのか? 推論エラーで演算が乱れて人格が不安定になってたんだとすりゃ、自然な反応だな。そんなのでウンドワートの旦那と渡り合えるってのも変だが……』


「それで、どうなのだ」


『ああ、期待を裏切るようで悪いがよぉ、こりゃあ、最初からあったんだよ』


「最初からあった?」釈然とせず復唱する。「どういうことだ?」


『どういうことだって言われてなぁ……』


『ファデル、クヌーズオーエのこと何も知らされてないんだろ、この子ら』


 ポーキュパインが武装パペットの肩にアームを乗せて、助け船を出した。


『いいかリーンズィの嬢ちゃん。分かり易いよう説明するとだな、第二十四番攻略拠点というのはここの地名なんだ。ちなみに実際は三番目に発見された攻略拠点だ』


「……? すまない、理解しない」


 ノイズが頭に残っているのを無視しても意味不明な説明だった。

 順当に理解するとまず『第二十四番攻略拠点』という施設があり、それを後から発見して利用していると言うことになるが、これほど防壁の充実していた施設が放棄されていたという事実が理解しがたい。

 破綻しているとさえ言って良い。


『そうだなぁ、ベルリンが東西に分割される前から存在していたチェックポイント・チャーリーというか……』


「え、ベルリンって分割されたの?」ミラーズがぽかん、と口を開けた。「チェックポイント・チャーリーって何?」


「東西ベルリンを分けていた国境検問所のことだ。君は君で、もしかしてなんだか私たちとは滅茶苦茶にズレた世界の出身なのかもしれないな」


「うーん? ちょっと待ってね。エコー・ヘッドになってからそういう歴史のこと全然分からないんだけど……一応聞くけどベルリンって全部ロシア領よね?」


「ど、どういう経緯で? なんだその歴史認識は」ライトブラウンの髪の少女は困惑した様子で首を傾げた。「いっとき半分をソ連が占領していたのは事実だが……」


 ポーキュパインは、ミラーズとリーンズィの混迷とした、月明かりの無い夜に石の形をなぞって品評をし会うような不毛な遣り取りを無視しながら、より理解の容易な喩えを探しているようだった。


『ええとだな、そう……もっと卑近に言うなら、駅が出来るずっと以前から何故か存在していた駅前ショッピングモールみたいな……そういう……なんか良く分からんやつだ。駅が無い時から、名前が駅前なんだな』


 合理的理解がまたしても阻害されたので、リーンズィは困ってしまった。


「君はさっきから自分が何を言ってるのか理解していないのでは? この通り、現在の私は心が弱い。あんまり虐められると泣いてしまうぞ。ウサウサ卿もそうだが皆私にやけに不親切じゃないか?」


『そんなつもりじゃなくて、単なる事実を言ってるんだがな。ここは最初から第二十四攻略拠点っていう名前なんだよ。俺たちがピョンピョン卿って呼ぶより前からウンドワート卿がウサウサ卿だったのと同じく……』


『待て待て、気のせいかもしれねぇが、ヴァローナの後釜に、ウンドワートの旦那の渾名が一般名称として記憶されてるっぽいぞ。それはマズいって』


 ファデルは巨体を屈ませてリーンズィの顔を指先で指した。

 そして指を左右に振った。


『いいかあんた、あの人の目の前で、絶対そんま変な呼び方するんじゃねぇ。目の前で言ったら普通に怒られるからな』


「有益な情報に感謝する。今度見かけたら大声で言ってやろうと思う」


『何で怒らせるんだよ?!』


「何故なら私はあのスチーム・ヘッドが嫌いだからだ」


『子供か?!』


「リーンズィに警告。何故貴官は稼動時間の増加に従ってどんどん退行していくのですか」


 巨人と支援AIに叱責されながらも、ライトブラウンの髪の少女は不満げに眉を潜めるばかりだ。


「あんなことをされて、和解しろというほうが非合理的なのだ。そう、私は怒っているのだな。人間性が増えると良い、みたいなことをモナルキアも言っていたはずだし、これは進歩だ」


『認知バイアスも急激に変化しつつあるようですが、当機には最悪の場合、貴官の擬似人格演算を停止する権限が与えられていますよ』


「何とでも言うが良い。ミラーズまで傷つけようとしたのだ。やはり許されるわけがない」


「喧嘩は駄目ですよ、リーンズィ。罪と罰とを定めるのはあなたではありません。悪心や敵対の心だけで接するならば、返ってくるのは同じ悪意だけです。それに『この疫病の時代を制圧し、全ての争いを調停するものだ』。これはあなたの言葉です。率先して争いの種を蒔いてどうするのですか」


「ミラーズがそう言うなら、我慢するよう努力する」リーンズィはすんなり頷いた。「確かにアルファⅡモナルキアだった頃の私もそんなことを言っていた気がする」


『ははぁ、その小さいレーゲントの言うことだけ聞くのか……』


「ポーキュパインへ謝罪します。彼女はまだ子供なのです。まったく、モナルキアからの演算支援がなければ自我境界線の策定も曖昧な機体が息巻いて、恥ずかしくないのかと申し上げます」


「なんのコントだ?」エルモは少し呆れた様子だった「風、やんだみたいだな。今度こそ開けるぞ、危ないから近付くなよ」


 がこん、と鈍い音が響いて、ついに不朽結晶の防壁が開門した。

 何かが食い違ったような有様だった。

 扉は上へ開いた。

 推定50m四方の黒い板が、鈍い音を上げながらゆっくりと上方へと巻き上げられていった。死刑判決を受けた罪人を向える断頭台のその刃のように、するすると、いっそ気味が悪いくらいの気軽さで上昇していく。

 呆気に取られていたリーンズィだが、すぐにユイシスからの解析情報を読み込み始めた。

 光学情報からは何も判然としないし、音紋解析を使っても壁の向こうに何か機械装置があるらしいと言うごく当たり前の推論しか出来ない。

 もしかするとこれを引き上げる専門の係の者、それも高出力機が存在するのかも知れないが、莫大な生産コストが必要な全身甲冑型スチーム・ヘッドをこのためだけに使用しているという事実は受け入れがたい

 あるいは壁という名前を付けられた怪物が、黒々とした顎の内側を晒すために唸りを上げているようで、リーンズィは酷く落ち着かない気持ちになった。

 ミラーズはそれとは別の理由でしょんぼりとした。


「こ、これが開門なの…………」


『疑問を提示します。何も開いていないのでは?』


『いや、でもこれ、開門と呼ぶしかないんだよぁ』とポーキュパインがぼやいた。『他にどう言えば良いんだよ。そういうこと言うやつ前にもいたけど、他の言い方は全然定着しなくてよ……』


 アルファⅡモナルキアは、壁の最上部を掴んだアームらしきものを捉えている。

 それが不朽結晶連続体の巨大壁を丸ごと上方へ持ち上げて、無理矢理スチーム・ヘッドたちが通れるスペースを確保しているのである。

 やはり地中に埋まっていたらしい25m分の壁面が地上に現れ、それもさらに上方へとスライドしていった。

 さらに10m程の上昇したところで、齟齬のある開門は終わった。


「……え、これで終わり? 前に倒れたり後ろに倒れたりしないの?」と不満げなミラーズ。


「ああ、これで終わりだよ」まさしく木組みの枠だけになった門の小部屋でエルモは頷いた。


 リーンズィも思ったことを言った。


「開くというか持ち上げているだけでは……」


『しょうがないだろ、元々は閉鎖が完了したら開放は無いっていう設備なんだから。初見だと多少驚く開き方かもしれねぇな。よーしエルモ、早いとこ検疫を終わらせてくれ』


「あ、なるほど。進入すれば即検疫所になるのだな」リーンズィはふむふむと頷いた。「衛生観念がしっかりしている。おそらくは先進的な検査設備や専用のスチーム・ヘッドがいるのだろう。これは調停防疫局の事実上の精神的後継が存在していると認識しても……」


 存在しなかった。待ち受けていたのはやはり予想外の光景で、リーンズィはまたも絶句した。

 50mの正方形の平面を潜り抜けた先にあるのは鉄骨で組まれた巨大な空間であり、床には経年劣化を始めたアスファルトが敷き詰められていて、天井の鉄骨には投光器が大量に取り付けられ、照らされた路面には既存の文字と似ているが意味の分からない奇怪な文字の路面標識が並び、射殺された人間が倒れたあとの輪郭をなぞってついでに加工したとしか言いようのないピクトグラム等が無数に見受けられる。

 錆びた鉄の匂いにリーンズィは鼻を鳴らす。

 廃墟、それも打ち捨てられて長らく放置されていた施設に、あとから多少なり手を加えて、どうにか使えるようにした。そういう気配を感じた。

 遙か上方、20m程の場所に見えるのは天井か屋根だろうか。

 ユイシスが解析したが不朽結晶も準不朽素材も使われていなかった。ところによってはビニールシートが貼ってある場所があるように見えた。石綿が零れている点からしてもかなり年代が古い施設のようだ。

 ファデルが『スライドレールの油圧が切れたらあの扉落ちてきやがるぞ。ほら、入れ入れ』と催促するので、ミラーズの手を握りながら恐る恐る踏み込む。

 お世辞にも清潔で、整備の行き届いた施設とは言えそうに無い。

 不審そうにミラーズと顔を見合わせていると、中程に設けられた詰め所と思しき小屋から、作業用の多腕スチーム・ヘッドを引き連れたスーツ姿の女性がやってきた。


「クヌーズオーエへ第二十四番攻略拠点へようこそ」と女は言った。「分かるか。俺だよ、城門のグリエルモ。こっちはラジオヘッドだがね」


「彼は男性では?」


「スチーム・ヘッドも長くなれば性別なんてどうでも良くなんのさ」


「そういうものか……検疫所、というよりは屋根のついた大型ガレージの廃墟に見える」


 率直な感想を言うと、スーツ姿の美女は忍び笑いを漏らした。


「見えるというか、屋根のついた大型ガレージだよ。外の城壁はほとんどハリボテみたいなモノだし。実際の所、攻略拠点の外縁部を薄い不朽結晶障壁で囲ってるだけなんだ」


 エルモの端末のスーツ姿の女は、人差し指を立ててニヤリと笑った。

 ファデルたちスチーム・パペットは駐機スペースらしき場所で停止し、技術者らしきスチーム・ヘッドや荷物運搬用ラジオ・ヘッドにあっという間に囲まれてしまった。


「そして検疫って言ってもやることは機体に悪性変異体(カースドリザレクター)の破片が付いてないか、生体部分が変異を起こしてないかチェックするだけ。しかも基本は嗅覚便りだ。悪性変異の兆候があれば、匂いで分かる。ほれ、さっさと服を脱げ。こんなしみったれたガレージは通過点なんだから」


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