2-8 その6 完全架構代替世界触媒式先進的破壊事象干渉
勝負は一瞬で終わった。
「約束通り、蒸気機関は先に弾かせた。譲歩できるのはここまでだ。これ以上、付き合ってやるつもりはない」
ウンドワートの十爪が、かつてヴァローナと呼ばれていた少女の胴体を真っ直ぐに貫いていた。
不朽結晶連続体で編まれたインバネスコートは、易々と禍々しい切っ先を体内へと侵入させている。
その純白の大型蒸気甲冑にとっては、繊維状の不朽結晶による防壁などは薄布も同然だった。
音速を突破する瞬間の空気抵抗の方が余程重く、無視しがたく、行動を阻害してくるほどだ。
ライトブラウンの髪の少女は、致命傷を受けたというのに、まだ状況に気付いていない。
潔癖そうな右の顔面にも、損壊したままの左の顔面にも、変化はない。
数え切れない青い蔦の群れを前方に伸ばしたまま、一つの反応も見せない。
尋常外の機動で荒れ狂っていた悪性変異の蔦の群れ。全て今は微動だにしない。
当然の光景だった。
ウンドワートの全機能を解放しての一動作は、心筋の一度の痙攣、眼球の振動する一瞬、網膜に映じた像が生体脳へ伝わるまでの時間よりも速い。
もっとも、生身の人間に付き纏う物理的制約は、スチーム・ヘッドにとってはさほど意味のあるものではない。通常の神経伝達速度ではそもそもオーバードライブに対応できないため、この自己破壊的な戦闘機動に突入した際には真っ先に適応の促進が適応され、当人にすら自覚されないまま知覚能力は数倍から十数倍に跳ね上がる。
生体脳が処理しきれない情報については人工脳髄が補完するため、未感染の人間を遥かに凌駕した高速戦闘が可能になる。だが、それらは所詮は生体脳の存在に制約された三流のオーバードライブなのだ。
ウンドワートの真なる戦闘機動は、戦闘用スチーム・ヘッドであっても補足困難だった。
傍目には移動したという事実さえ認識することが出来ない。
不朽結晶連続体で構築された完全装甲型蒸気甲冑の中でも、限られた機体にしか使用が適わない最大レベルでのオーバードライブ。
それをさらに発展させた、真なるオーバードライブだった。
このウンドワートの動作にアルファⅡモナルキアが追従出来ないのは、動作を一度だけリーンズィたちの目前で披露することで、確認している。
リーンズィの操るヴァローナの眼球には『見たいものが見える』ため、無意識のレベルで知覚されてしまうが、それにしてもリアルタイムでは、意味ある情報として処理できない。『目で追った』という認識も、人工脳髄や生体脳が事後的な情報として擬似人格に与えているものであって、実際には『何も見えていない』のと同じだ。
ウンドワートは最大戦速を維持したまま、リーンズィなる簡易スチーム・ヘッド、アルファⅡモナルキアの戦闘用端末と思しき機体の無力化を開始した。
胸の突入部から無造作に左右へと開かれた爪が、突撃聖詠服ごと少女の柔肉を引き裂いて両断する。
筋組織、骨格、神経系、幾つかの臓器。
スチーム・ヘッドとしての活動に必要な全てを、最小限の動作で確実に破壊して、体外へとばら撒いた。
続けて振るう機械の腕で、視覚野に滲むほどに毒々しく咲き誇る青い薔薇の異形、未知のカースドリザレクターへと変貌した少女の右腕を、未変異の肩口から切断して放って捨てた。
さらに全身に巻き付こうとしていた蔦を肉体と聖詠服ごと切り離し、無力化する。
髪をかき上げるようにして首筋に爪を這わせ、一筆を加えるように浅く頸椎を切断した。
その間も、少女の肉体はぴくりとも動かなかった。
苦痛の呻きも、驚愕への呼気もない。
装甲代わりの衣服が襤褸切れのように刻まれたことを、まだ認識していない。
肉体を酷く破壊され、もはやどのような手段を用いても、指一本動かせない。
そのことさえ理解していない。
もっとも、ウンドワート自身の生体脳もまた、自分が何をしたのか理解出来ないはずだった。
いずれの動作も生体脳を介しては処理不可能な速度で実行されているからだ。
生身の身体感覚は、行動の計画を立案して、実行の意思決定を行った時点で途切れている。
観測できるのは結果のみ。
血の通った思考も独白も存在しない世界で、暴力の行使は終了する。
「君はこれから二度目の死を迎える。不本意だろうが、その機能の邪悪さには相応しい末路だ」
ウンドワートは言い訳がましく独白した。
細切れにされたライトブラウンの髪の少女をしばし眺め、人工脳髄と思しき首輪に爪を突き入れた。
容赦なく喉笛ごと断ち切って壊す。
ウンドワートも、口ほどに破壊を好む性質では無い。
だが、リーンズィのような思考を極端に汚染された人格記録媒体に、馴染み深いヴァローナを好き勝手にされたくはなかった。
「……さて、他の機体はどう始末するか」
全てが精巧な写実画のように完璧に静止した、色鮮やかな冬景色に佇み、ウンドワートは思考する。
振り返り、バッテリー切れで行動を停止した金色の和毛の少女に狙いを定め、下顎を巻き込む形で最大出力の右腕電磁投射砲を撃ち込んで、首輪型人工脳髄を破壊する。
そして胴体と美麗な目鼻立ちの上顎の間に生まれた不自然な空白という形の呆気ない死を見る。
人工脳髄を破壊してしまうことに良心の呵責はあった。
実を言えば、ミラーズなる機体には特段の脅威は感じていない。戦闘に際しても、最初は不快感をぶつけてきたが、こちらに完全破壊の意志がないことを見抜いたいのか、以降は闘志に欠けていた。
しかし仮にリーンズィと同程度の思考汚染を受けているのだとすれば、こうまでしなければ仕方が無かった。顔立ちが軍団の主たるリリウムに通じているのが気に掛かるが、どんな事情があるにせよ、解放軍の仲間たちには、理由を話せば納得は得られるだろう。
不死の恒常性を暴走させて理性なき怪物へと堕ち、知覚した全ての脅威に無差別攻撃を仕掛けるカースド・リザレクターは、人類文化継承連帯にとっても脅威だ。スヴィトスラーフ聖歌隊も黙契の獣と呼んで、これを強く敵視している。
不死病患者が絶対に至るべきではない、悲劇的な結末。
アルファⅡモナルキアはその惨事に繋がる未来を、易々と選んで見せたのだ。
破壊されても仕方が無い。
隠されていた戦力としては、なるほど、想定していたよりも高いものだったとウンドワートは納得する。駒として使いこなすことが出来れば非常に優秀な働きを示しただろう。
だが、受け入れられない。
クヌーズオーエ解放軍に取り込んではならない異分子だ。
あるいは心臓などの臓器にさらなる変異の種を隠しているかも知れないと予測し、金髪の少女という認識が過去形になるまで、徹底して弾丸を撃ち込んで破壊する。
再生時には不純物は取り除かれ、美しい肉体と漂白された生体脳が戻ってくるだろう。
「何も見えない。何も感じない。そのまま終わりを迎えられるのは幸運だ。君たちは、幸運だ。このウンドワートの慈悲に感謝しながら、滅びるが良い」
大兎の鎧は静止した世界をぐるりと見渡す。
質感に乏しい箱庭のような街道。
立ち並ぶ木々の色調には味気がなく、実存する世界に根付いた実体としては些か現実味に欠け、事実としてそれらは、この場所には実在していない。
戦闘に巻き込まれまいとして防御姿勢を取っている同胞、ポーキュパインにしてもそれは同じだ。
装甲にはのっぺりとしたテクスチャが貼り付けられ、よくよく観察すれば細部の造形は省略されている。白い兎を追いかけるアリスはこのような違和感のある光景を見ていたに違いない、とウンドワートはたびたび思う。
目覚めたままに見る、現実感という虚構で構築された白昼夢のような……。
それは時空間という概念の劣化複製体。
アルファⅡウンドワートの仮想しているもう一つの世界。
これは確実に到来する現実だ。
同時に、未だ、現実ではない。
蒸気甲冑の全身に分散配置された三十名分の人格保存媒体装填済人工脳髄が並列演算で弾き出した、虚ろな未来予想図に過ぎない。
全ての動作は、この虚構世界での活動の後、現実において遅れて実行される。
次世代型先進的超高機動制御。
オルタネイティブワールド・カタストロフ・オペレーション。
様々な大仰な仮称が与えられているが、どれも正式名称ではない。
名付けが終わる前に、世界が終わってしまったからだ。
完全架構代替世界触媒式先進的破壊事象干渉というのが最もそれらしいものだった、という記憶が朧気にある。
ただ、大袈裟すぎた。ウンドワート自身はもっとシンプルにデイドリーム・ハントだとか、ナップ・チートなどと呼んでいる。
自身は二度と眠ることの出来ない擬似人格に過ぎないにせよ、使用したときの非現実感が、生前に昼寝をしたときに見た、ある種の明晰夢に近い。
結局このクヌーズオーエなる魔境を擁する時間枝に迷い込んでも、同じ機能を搭載した機体とは出会えていないので、自分の感覚が正しいのかどうかは、あまり気にしていない。
先進技術検証機試作二号、アルファⅡウンドワート。
そのスチーム・パペットだけが、外側ばかりを真似た虚構の狩り場を、己の意志によって自由に動き回ることを許される。
ウンドワートは、究極的には、この機能の実用性の検証を行うためにだけ作成されたスチーム・ヘッドだった。
「あなたは……貴様は確か、一手先んじた、と言っていたな」
若干の感傷を込めて、己の手で細切れにしたライトブラウンの髪の少女に呼びかける。
出血が一切無いのは演算を簡略化するためと、ウンドワート自身にスチーム・ヘッド破壊に対する引け目があるからだ。
現実にはまだ破壊されていないし、現実で蒸気甲冑が動き出したときにはウンドワートはそのような発声を行わない。
独りよがりだと嘲りながら、言葉を紡ぐ。
「しかし、一手では足りないのだ。貴様のような……哀れな、おぞましい怪物どもを排除するためにこそ、私は製造されたのだからな。このレベルでの加速と予測演算も、貴様らのような異物に対してだけは、リミッターを解除できる……この仮想空間での行動を現実で実行すれば、鎧の中が血反吐だらけになってしまうが……これからアルファⅡという尊重すべき鏡像を破壊してしまう私への罰としよう」
実際のところ、ウンドワートの武装自体に、特殊な部分はあまりない。
未熟なリーンズィたちにも察せられていたが、むしろシンプルに纏められている方だ。
搭載したケルビム・ウェポンはしばし特別視されるが、ウンドワートが属していた時間枝では有り触れたものだった。
この蒸気甲冑兵士の真髄は、『超高度演算装置の前線での復権』という時代錯誤なコンセプトにこそある。
ウンドワートの核たる生体となった人物が製造された頃には、世界の大部分から資源が枯渇していた。
土壌は汚染され、食物は合成に頼るほか無く、安全な水という概念は御伽話の中にしか存在しなくなっていた。
一握りの清浄な大地を巡って大小の軍隊が対立し、戦火を交えるごとに地球上の人口が減少し、そして幾らかの不死や呪われた再生者が増えて、地表をさらに汚染する。
全自動戦争装置が平和協定の悉くを破棄し、人類文化継承連帯を立ち上げて枯死寸前の人類の保存に乗り出す……そんな常ならば機械知性の暴走として忌避されるべき事態の発生が逆に歓迎されてしまうほどに、誰も彼もが追い詰められていた。
世界に疫病と破壊をもたらして破滅に追いやったのが不死の兵隊たちならば、世界の命脈を繋ぐための戦争を辛うじて成立させていたのも不死の兵隊だった。
電子戦は無段階で過激化し、戦端を開く前に、被覆されていない生体が沸騰するほどの電磁波を照射し合うのが常となっていた。
生身の難民を配置してデコイとし、アナログでの操縦に頼る一世紀前の航空機で制空権を争い、破壊を免れた魂無き不滅の兵士が数世紀前の武装で突撃して血河の前線を構築する。血で血を洗うという言葉を実践するおぞましい闘争は、いっそ中世の暗黒時代のほうが清浄であったと忌まれるほどに泥にまみれていた。
電磁波の影響を基本的に受け付けない不朽結晶連続体製の高性能人工脳髄の登場と、蒸気圧を利用した大型不朽結晶製甲冑の一般化。
それに続く人格記録媒体の実用化、電磁波対策の完成によるデジタル制御の復活によって、戦場は中世の合戦からようやく進歩を迎えた。
だが、依然として電磁波の嵐は吹き荒れていた。
そこに不死病蔓延前に利用されていたような、高度演算装置搭載型の兵器が割り込む余地は、まだ無かった。
過去の栄光、喪われた先進技術の復活を夢見て、様々な蒸気甲冑が現れたが、人格記録媒体と脆弱な生体脳を利用する都合上、どれも見た目の奇抜さに比例するような性能は発揮しなかった。
不死病患者も所詮は人の形に縛られた存在。
精神を写し取り、擬似演算する人工脳髄も、ヒトの形から逸脱したものは、コントロールできない。
戦場は、人類とその文化の原形、その延長線上に、暴力の在り方を限定された。
そこに変異を起こした不死病患者、人ならざる暴力を宿した魂無きカースドリザレクターが兵器化されて投入されるのは、当然の帰結だろう。
兵器化されたカースドリザレクターは暴虐の嵐を起こし、戦線の情景を一変させた。
アップスケールされた前時代的現代戦が、黙示録文学にのみ現れる地獄へと塗り替えられるまで、あっという間だった。
事態の急変に直面した全自動戦争装置がそれらの兵器に突きつけた回答は、否だ。
人類文化の継承を標榜する彼女としては、当然の態度だ。
偉大なる戦争装置は、それらの生物兵器群を否定した。
不死病蔓延の一翼を担ったのが戦争装置であるにせよ、生体CPUへの扱いが非人道的であるにせよ、カースドリザレクターの際限ない増殖による、人類の事実上の滅亡だけは、決して善しとしなかったのだ。
人間しか使えない戦場で、人間を超えた戦闘能力を。
そんな矛盾した要求の果てに行き着いた先が、尊重されるべき人格記録媒体をある種の演算装置と見做して運用する、擬似的な超高度演算の実戦投入である。
三十名分の人工脳髄を無人格個性化して統合し、そこに観測範囲にある空間や物体の情報を高性能センサーで可能な限り取り込んで流し込み、それぞれの情報処理速度を極限まで引き上げた上で並列化。高精度のシミュレーション空間を作成する。
演算が終了すれば泡のように消えるさだめの架構世界を、代替された現実世界として扱い、その限定空間に核となる擬似人格を走らせて、取るべき行動、自分にとって都合が良くなるような干渉を検討・実行。
最後には、現実世界で待機している蒸気甲冑へと、バイタルパートに装填された生体の耐久力を無視して、フィードバックさせる。
つまり、これは仮想現実で擬似人格は意志決定を行い、現実世界での動作実行はスチーム・パペット、機械の肉体に任せるというシステムだ。不可知のシミュレーション空間での非現実的な演算結果に基づく行動を、生体脳や神経系を介在させては物理的に実現不可能な速度と出力で、現実世界において不朽結晶連続体製完全装甲型蒸気甲冑に実行させるのだ。
種を明かせばアナクロで、超高度演算装置に準ずる装置を使うにしては、粗雑な戦果しか上げられない機能ではある。
だがスチーム・ヘッドやスチーム・パペットの戦闘というのは、基本的に泥臭く、時代錯誤的なのだ。
いずれにせよ、限定された空間での未来予測と事象への干渉だ。
偽りの世界の支配者となるに等しいデイドリーム・ハントは、ウンドワートを絶対的な狩猟の主として昇華させる。
今回の戦闘では生体CPUの保護と可能な限り敵を傷つけないことを前提として緩やかな予測演算を多用していたため、ミラーズとリーンズィの戦闘機動には余裕で対応が出来た。装填した生体への負荷はそれなりにあるが、とにかく圧倒的に勝ちたかったウンドワートは大人げなく濫用した。
徹頭徹尾、心の底から、破壊してしまうつもりは、本当に無かったのだ。
だが、この局面では、もうそんな容赦はない。
生体CPUの保全を無視しての戦闘機動を前提とした、限界レベルでの未来予測演算。
動作の全てを蒸気甲冑側に委託するこのモードはウンドワートの切り札の一つであり、バイタルパートに装填した生体の大部分がほぼ確実に圧壊し、重点的にメンテナンスしなければ発狂してしまうリスクから、平時は決して使用しない。
代わりに、敵対スチーム・ヘッドに再生不可能なレベルでの破損を確実に与えることが可能だ。
今回の標的は、それに相応しい相手だった、とウンドワートは物憂げに考える。
まさかここまで切迫した、危険な機能を持つ相手だとは予想していなかった。……ヘカントンケイルはこのおぞましい正体を見抜くことが出来なかったのだろうか?
文句を募らせて躊躇っている場合ではないな、と停止した世界で嘆息する。
代替世界架構の演算も、バッテリーや発電力に優しい機能ではない。
まだまだ余裕はあるにせよ、感傷に費やすのは無駄というものだ。
最後に残った標的へと、冷たい眼差しを向ける。
自分とよく似たヘルメットを装着した男性兵士。アルファⅡモナルキア本体だ。
やはりこの仮想代替現実では動きが止まっている。タイプライターのような形状のガントレットを操作している最中だったらしく、大型のペーパー・リリース・レバー、もしくは剥き出しにされた機関銃のチャージングハンドルのような部品を引っ張っている姿勢のまま、蹲っている。
「情けない機体と罵ったが、撤回しよう。確かにその能力はアルファⅡの名に相応しい。カースド・リザレクターの制御に成功した世界の私なのだろうな。アルファⅡ、モナルキア、か。生体CPUが全然違うように見えるけど……スチーム・ヘッドにとっては些末ごとだな。やっと私の同類に出会えたと思ったが、これでお終いだ。少しの寂しさはあるのだけど……」
一息で跳躍し、ソニックブームを置き去りにしながら飛びかかる。
左腕を伸ばす。
延長された腕の下部。
そこに取り付けている高純度不朽結晶連続体製破砕銛射出装置にチャージしていた電流を解き放った。
装置から銛が滑り出す。
この一撃は確実に敵の人工脳髄を粉砕し、再起動する余地がないレベルで破壊するだろう。
兵士のヘルメット。
その黒い鏡像の世界に、銛の先端が触れた。
二連二対の不朽結晶のレンズが、紫電を反射して、夜明けを過ぎた空のような金色の光を発している。不朽結晶の銛は狙い過たずそのバイザーを貫いて、内部に収められていた人工脳髄を、人工脳髄に眠りはない、いつわりの魂は眠らない、眠らない肉体は夢を見ない、肉体はいつも世界を直視している。
白兎の大鎧、ウンドワートは、若干の後ろめたさを感じていた。
罪悪感だ。まさかここまでの破壊行為に至るとは思っていなかった。
実際の所、かなり気楽な気持ちで遊びに来たのだ。<首斬り兎>のせいでイライラしていたのは事実だ。しかし、自分と同じアルファⅡに会える。
そう考えただけで、実は嬉しかった。
だが、期待していたような未来にはならなかった。
彼らは恐ろしい遺物だったのだから。
加速させた蒸気甲冑の膂力に任せ、ライトブラウンの髪の少女の胸を、五本の爪で刺し貫いた。
無念そうに言葉を零す。
「約束通り、蒸気機関は先に弾かせた。君に譲歩できるのはここまで。悪いが、これ以上、まともな戦闘に付き合ってやるつもりは……」
ウンドワートは違和感を覚えた。
周囲を見渡す。
先ほど自分は前方へ跳躍したはず。
何故ここまで自分は後退しているのだろう?
今し方、この世界で解体作業に取りかかった、ライトブラウンの髪の少女、リーンズィを凝視する。
さっき、人工脳髄まで破壊したはず|。
それなのに、どうしてまだ五体満足なのだろう。
振り向けば、完全破壊したはずのミラーズも背後で静止したままだ。
天使のような美貌に損傷がない。
気のせいではない。
架構世界の時間がリセットされている。
「……私は『振り出し』に戻されたわけだ。何か異常事態に行き当たったのか」
デイドリーム・ハントには欠点がある。
三十名分の人工脳髄を利用した未来予測にエラーが生じた場合、この機能を起動して仮想代替現実を作成した時点まで、状況設定がリセットされるのだ。
そしてどの部分でエラーが発生したのかは、主人格たるウンドワートには情報としては伝わらない。
全能力が戦闘機動とこの仮想代替現実、そして選択したい未来世界への予測演算に費やされるせいで、機能の使用中はエラー部分の詳細な検証自体が不可能な仕様になっている。
明白な欠陥だが、この機能自体が人工脳髄の仕様の陥穽を突いて実装されているのだ。
強制的に演算が解除されないだけマシというものだった。
「どこで選択を間違えた……? アルファⅡモナルキア本体を破壊しようとしたところまでは、順調だったはず。あの機体の力量を、さっきとは逆に、過小評価しすぎたのか」
前衛を務めていた二機のスチーム・ヘッドを囮と断定していたときの予測演算を想起する。
あの時、シミュレーション上では、本当にアルファⅡモナルキアが攻撃を仕掛けてきたのだが、現実ではそうならなかったので、とても困惑した。
ともあれ、発動前の予断や誤認識が影響して、予測内容を狂わせてしまうのは、デイドリーム・ハントの動作では稀にあることだ。
例えば、先ほどの演算、実行後に『二人は囮で、本命はヘルメットの機体。視覚から狙撃をしてくる!』と見当違いの未来予想を口走った演算では、モナルキアが狙撃機で不意打ちを狙っているという誤認識してしまったがために、間違った世界が作られてしまった。
今回も同様の予断が、不正確な世界を作ってしまったのだろう。
敵の戦闘能力を正統に上昇評価させる必要があった。
先ほどと同様に爪を閃かせてリーンズィを解体し、変異部分を遠くへ放り投げ、右腕の電磁投射砲でミラーズを肉片になるまで射撃する。
ここまでは初回の演算と同じだ。
ただし、その間、ヘルメットの二連二対のレンズから赤い光を放っている、自分とよく似たスチーム・ヘッドに注意を向け続ける。
リセットは起こらない。
ウンドワートは演算された世界で静かに息を吐いた。
「やはりあの機体が原因か。私の補助人工脳髄のどれかが、何かしらの異常に気付いたのだろうが……しかし、何が異常なのだろう。どんな可能性がある。性能を誤認させるようなブラフを貼った上で、新たな策を講じていた、と仮定として……悪性変異を利用して身体改造を行っており、実は最上位の蒸気甲冑兵士と同レベル、つまりわたしと同程度に動ける、とか?」
その設定を適応すると、ウンドワートの超高速機動には全く反応できないと目されていた機体が、ねばつく泥の中で抵抗するような、緩慢な動作で動き始めた。
あり得なくも無い、という程度の可能性だが、現にエラーが発生した後だ。
そのように想定した方が無難だ。
ウンドワートの人工脳髄は、生体脳を介さない不朽結晶だけで完結した思考回路で、推論を重ねる。
「……そして、リーンズィに施したようなカースドリザレクター因子誘発を、モナルキアは自身に対しても実行しており、予測できない何らかの変異を起こして、最後の足掻きをする……なので、近付くと反撃される。筋書きとしてはあり得なくも無いか。そうなると、確実性を求めて接近した選択自体が誤りだったと分かる。では、この場所から不朽結晶弾頭を電磁投射砲で浴びせて、安全に撃破する」
虎の子の高威力弾頭をセットして、電磁投射砲を連射。
ヘルメットは容易く砕け散る。
黒い鏡像の世界の奥に隠されていた人工脳髄が露出して、人工脳髄は眠らない。肉体が目覚めているからだ。目覚めているから肉体は夢など見ない。
スチーム・ヘッドはいつも目覚めている。
白兎の大鎧、ウンドワートは、若干の後ろめたさを感じていた。罪悪感だ。まさかここまでの破壊行為に至るとは……。
「本当は……少しだけ、遊びに来たつもりで……」
そして我に返った。
ライトブラウンの髪の少女は斧槍を構えて凍り付いている。
何も変化していない。
「また……リセットされた?」
生身の肉体の感覚を持ち込んでいれば、おそらく総毛立つ感覚に襲われていただろう。
何が起きているのか、全く理解が出来なかった。
緩慢にしか動けないアルファⅡモナルキアを、安全な位置から、射撃で撃破する。
妥当性の高い選択だったはずなのに。
「何……何がいけなかった? いったい何が?」
焦燥感を感じながらもリーンズィとミラーズを破壊して、砲口を黒い鏡像の世界をバイザーに映した兵士に向けた。
敵戦力の評価を、さらに上方修正。
だが適切な修正の目処がつかない。
自分と同じ速度で動けるという評価自体が、そもそも論理的には受け入れられない。
アルファⅡモナルキアの蒸気甲冑は全身を覆ってすらいないのだ。生身で自分と同じ速度で動こうとすれば、通常ならば圧壊して死亡する。
常識外れの生命管制があれば可能だろう。
しかし、どのような技術水準があれば、それが可能になる?
評価をデイドリーム・ハントを担う演算端末に任せると、予想よりも遙かに深刻な光景が展開された。
跪いて狙撃姿勢を取っていたはずの機体が、今や死神のような気配を湛えて、直立している。
姿勢変更などあり得ない。
だが、個としての人格を持たない人工脳髄たちが『この機体にはそれが可能だ』と判断したのだ。
二連二対の赤いレンズを輝かせたそのアルファ型スチーム・ヘッドの背負う重外燃機関から、鮮血色の蒸気が排出されつつあった。
そして左腕を覆う重厚なガントレットに、殺人的な紫電が迸っているのを認識する。
「け、ケルビム・ウェポンか……?! やはりあの大型蒸気機関はそういう機械だったのか。だが、発動はまだだ! チャージは終わっていない、これならやはり、私が撃つ方が速い! 弾種変更はせず、最速の動作で、全弾を生体部分に撃ち込んで……」
リーンズィもミラーズも後回しだ。
不朽結晶連続体の弾丸がアルファⅡモナルキアの胴体を、腰部を、脚部を穴だらけにする。
心臓は破壊、頸椎も損傷、脚部も貫いて引き千切った。どのような蒸気甲冑と人工脳髄を装備していようとも、ここから挽回してくることは、どのような可能性を検討しても不可能だ。だが、スチーム・ヘッドは眠らない。不滅を約束された肉体が目覚めているからだ。目覚めているのだから肉体は夢など見ない。スチーム・ヘッドはいつも目覚めて、お前を見ている。
白兎の大鎧、ウンドワートは、若干の自信喪失を感じていた。
「罪悪感だ。まさかここまでの破壊行為に至るとは……」
青い蔦の腕を伸ばすリーンズィが無傷で立っている。
「また、またリセットされたっ……!?」
大兎の蒸気甲冑兵士は押し殺した悲鳴を上げながらケルビム・ウェポンを起動する。
背部の重外燃機関が急速発電を開始し、鮮血色の煙を、より濃厚に吐き出し始めた。
延長された不朽結晶の両手を突き出し、範囲焼却用のプラズマ場を展開するべく、磁場制御装置を起動させた。
「しょ、小規模破壊で済ませようという算段自体が間違いだったと?! 通常火器で先制してモナルキアを破壊しようとしても、逆に反撃される未来が待ち受けていたとでも!? ならばさらなる先手を取る! 小細工は抜きで、この超高機動状態突入から、即座に一帯を相転移させて、焼却してやる! リーンズィも、ミラーズも、アルファⅡモナルキアも、巻き添えにして申し訳ないがアレックスも! ここは一切合切を消し炭にして……!」
叫んでいるうちに、猛烈な違和感を覚えた。
代替現実の世界を見渡した。
アルファⅡモナルキアの姿がない。
どこにもいない。
「こ、こんなふざけたことがあるか、ここはわたしの仮想構築した世界、なのに初期位置にすらいないなんて……!」
「この……プラズマ場を作るための兵器が……ケルビム・ウェポンと言うのか?」
背後で男の声がした。
ウンドワートは咄嗟に、背後へと腕部の刀剣が如き爪を繰り出して、叫んでいるうちに、猛烈な違和感を覚えた。
何が起きたのか分からなかった。
仮想代替現実の世界を見渡した。
アルファⅡモナルキアの姿が、どこにもない。
いや、いや、そうではない。それどころではない。
自分はケルビム・ウェポンを起動していない。
「また、リセット、された……」
ウンドワートは慄然たる感情と共に、確信した。
「こ、これはわたしの作った仮想代替現実じゃ、ない……?」
「いいや、君の作った仮想現実だ。私が掌握したと言うだけのことだ」
背後から男の声がする。
ウンドワートの耳元で、紫電が弾ける甲高い音がする。
「土足で入り込んだのは許してほしい。おっと、今のは冗談だ。あまり気にしなくて良い」
あまりの事態に、振り向くことさえ出来ない。
敵は自分の死角でケルビムウェポンを既に起動している。
デイドリーム・ハントが、全く通用していない。
有り得るはずが無い状況。
仮想空間にある体が強張ってしまっている……。
「智天使ケルビムは炎の剣を携えてエデンの東を守っているのだったか。だからこのプラズマ焼却機をケルビム・ウェポンと呼んでいるのか。なるほど、ようやく合点がいった」
「ど、どうして……」兎の大鎧は、震える声で問うた。「どうやってデイドリーム・ハントに干渉を……」
「デイドリーム・ハント。それはこの未来予測演算の名前か? 敗因を挙げるなら、君が我々アルファⅡモナルキアの電子戦能力を見誤っていたことだ。そこは同程度だろうと評していてくれただろうに。アルファⅡ同士、共通する機能があるとは思わなかったのか?」
「貴様にも同じ機能があると? だがそれなら、精々が私と同程度の機動力を発揮するという程度で終わるはず。こんな干渉をできるわけがない」
ここはウンドワートの人工脳髄が演算したシミュレーション空間なのだ。
他の人工脳髄が侵入できる世界では無い。
「いったい、どうやって」
「簡単なことだ。君はこの生体脳の使用を前提としない未来予測演算に全能力を捧げている。そして、生体脳に守られていない人工脳髄自体のハッキングは、さほど難しくない」
「人工脳髄の、ハッキング……?」
ウンドワートは唖然とした。
そんなことが出来るのは、全自動戦争装置に類する機体にしか心当たりがない。
受け入れがたい事実だが、しかし実際に自分はデイドリーム・ハントにおける優位性を喪失している。
偽りの魂を侵食されているのだ。
「擬似演算人格は、生体脳という天然の防壁に囲まれている。通常ならこちらから手出しは出来ない。しかし、生体脳の使用率を下げて、演算を人工脳髄単体で完結させたのが不味かった。私の統合支援AIは負けず嫌いだから、どうやら劣位のまま押し切られるのは腹に据えかねたらしい。人工脳髄がフリーになったと見るや、全力で干渉を開始した」
どこからか、怜悧な女の声がした。
『人類文化継承連帯、アルファⅡウンドワートへ通達します。リーンズィが行動停止に追い込まれ、アルファⅡモナルキアが損傷した程度ならば、この予測演算の機能確認に留め、ここまでの干渉はしない予定でした。しかし、貴官がミラーズとリーンズィを完全に破壊する選択を取った時点で、対抗措置の実施を決定しました。もはやそこは貴官の狩り場ではありません。我々の世界です』
「……三十もの人工脳髄で演算したシュミレーション世界を、そう簡単に乗っ取れるわけが……」
「当機の搭載しているプシュケ・メディアは、百基を超過している。その全てに簡易人工脳髄としての機能がある……」アルファⅡモナルキアは淡々と告げた。「我々の通常物理攻撃が、君の装甲に通じないのと同じだ。これは単純な性能差の問題だ。リーンズィとミラーズの支援を一時的に打ち切れば、余裕はさらに増す。さほど困難な仕事ではない」
信じがたい事実だが、信じようと信じまいと、ウンドワートは完全に制圧されている。
「わ、わたしを、どうする。これからどうなる」
「まだ何もしていないし、どうにもならない。現実で動いていないのは当機も同じだ。抵抗するならば、この予測演算を確定させて、最上位オーバードライブに突入し、背後からケルビム・ウェポンを撃ち込んで君の生体部分を破壊する。いや、このままシミュレーション世界に留まり、君のリアクターを引きずり出して、君のメイン人格記録媒体が不可逆の精神崩壊を起こすまで、何千時間か拷問しても良い。どうであれ、君は何もできないまま機能停止することになる。もちろん、抵抗しないなら交渉には応じる」
「わたしが……わたしが、負けた……?」
敗者がどうなるか、ウンドワートは身に染みて理解している。
その尊厳がどれほど無様に踏みにじられ、穢されるのかも。
アルファⅡモナルキアは事務的に通告を続けた。
「捉え方による。私の指示に従えば、少なくともプシュケ・メディアや君の生体の破壊は実行しない。君の格納スペースだと使用できる感染者は限られていると思うが……どうする? 存在しない万が一の可能性を信じてまだ抵抗をするか? 感染者を新しく用意するのも手間だと思うが」
「……条件付きで要求を受け入れる。しかし何をさせる気だ? カースドリザレクターの増産には手は貸さないぞ。それは同胞たちへの裏切りだ。そんなことをするぐらいなら、発狂した方がまだ良い」
「私にそんな意図はない。リーンズィの部分変異は不本意なのだ。率直に言えば私が欲しかったのはリーンズィの経験値であって勝利ではない」
意外にも、男はどうやら悩んでいるようだった。
「リーンズィが強く希望したので許可を出したが、そう軽々と使って良い機能ではない。脳波も想定より乱れている。多少ならず暴走しているのだろう。早く止めた方がいいが、彼女はここのところ負けが込んでいて不安定なのだ。成功体験とか頑張った感がないまま人格を成長させるのは不味い」
「成功体験とか頑張った感……」場違いな言葉に、ウンドワートは当惑した。「事情は知らないけど何か人格育成をしているの?」
「そうだ。かといって、このまま無謀な戦闘を繰り返すような人格に、意思決定の主体を与え続けるのも良くない。だから、今回の戦闘では、『格上相手にそこそこやれるにせよ、今の自分ではまだまだ無理だ』という自覚を与えたい」
「わたしは今、君たちに負けているのだけど……」
「アルファⅡモナルキアが勝利することに意味はない。だがリーンズィには成長をしてもらわないとならない。敗北しても全く問題ない。むしろ望ましい。そこで君に依頼したいのは、もう少し小競り合いをして、彼女の右腕を切断し、悪性変異体となった部分を切って捨てて欲しいということだ。リーンズィもそこで観念するんだろう。晴れて勝負は終わり、表向きの勝敗は君の勝ちで良い」
一方的に捲し立てられた条件に何かトラップや論理的な陥穽があるのではないかとウンドワートは疑ったが、どれだけ検証しても大した内容ではない。
「その後は?」
「戦闘は終了する。バックドアも必要な分以外は撤去する。君の人工脳髄を不必要に侵犯することは無いと誓約する」
「バックドアは残すのか……何のため?」
「緊急連絡や君の加害行動を監視するためのものだ。襲撃された我々の側への譲歩だと考えて欲しい。君をさらにハッキングして破壊活動に参加させるようなことは決して無いと誓約する。使用は君が許可した場合と、我々が悪意によって君に攻撃された場合に限られると重ねて誓約する。調停防疫局の全権によってこれを契約とする」
ウンドワートは混乱しつつも思考を纏めた。
要するに、このスチーム・ヘッドの要求はこうだ。
①アルファⅡモナルキアという総体では、アルファⅡウンドワートに無意識のレベルで降伏する。
②ウンドワートは攻撃を続行する。ただしモナルキアの端末を破壊するまではしないこと。
③バックドアは残すが、これは今後の襲撃しなければ使用しない。
最後の要素はモナルキアを信用する他ないが、この場で裸に剥かれて精神崩壊するまで拷問されても文句を言えないほどウンドワートは追い詰められている。敗者に対して照射は絶対的な権限を持つものだ。
疑っても利益はない。
だからこそ条件があまりにも軽いのが気に掛かった。
「……どうせなら、勝ってしまえば君たちの地位は確固たるものになるのに」
『不要です』と女の声がする。『心が折れない程度に善戦し、しかし確実に敗北する。それこそがエージェント・リーンズィに与えるべき体験です。出来レースで勝利しても無意味です。正しい敗北が強い子を育てます』
「手加減するにしても、あの端末たちはかなり酷い目に遭うと思うが……少なくとも右腕を切断しろと君たちは要求しているし……」
『敗北する以上、多少の損傷は当然かと』
「私も生前からこの装備を与えられるまで、キツい教育をされたからあれだけど、そっちもなんか結構、かなり、そうとう、酷い育成方針してない……?」
ウンドワートはついつい素に帰って呆れ声を出してしまった。
モナルキアはそうだろうか? と首を傾げる。
「何よりもともかく、同型機とは仲良くしたいところだ。そうだな、君も私のサブエージェントたちと仲良くしてやってくれ。リーンズィも、外部の愛着対象が出来ればさらに成長する」
「あの綺麗な茶髪の娘に随分と気をかけているらしい。まさかヴァローナの信奉者か?」
「いや、無関係だ。ヴァローナなる機体とは面識がない。だが彼女の肉体に生じた新たな私には可能性を感じている。この私には無いものを彼女は持っている。……私の目標は殆どが潰えてしまった。こんな出鱈目な世界で旧WHO事務局を探すなんて不可能だ……ポイントオメガは未だに何なのか分からない。アルファⅡモナルキアは行き止まりに直面しているのだ。だから、今はリーンズィ、あのエラーの混じる、酷く脆弱な感覚だけが頼りなのだ。それが謝った愛着感情に根ざしたものでも良い。純粋に誰かのために力を使う、というあの精神だけが、行き先のない私たちを導く。私では無理だ。私は、君からは酷く歪に見えるだろう。災厄の化身に見えるかもしれない。だが、きっとリーンズィなら、彼女なら……」
「世界をカースドリザレクターで覆い尽くすのが目的ではないのか。君はそれが出来る機体だ」
「機能から目的を逆算しても無意味だ。カースドリザレクター……悪性変異体は、存在するべきではない。永遠に終わらない苦痛など到底容認できない。私とて、彼らの魂なき諍いを止めたいと願っている」
「その言葉を信じるなら君も……やはり私と同じ、アルファⅡなのだな。突っかかってすまなかった」
眼前の得体の知れぬ機体が虚偽を並べている可能性は、もはやあえて考慮しない。
デイドリーム・ハントをハックされている現状を鑑みれば、敵意を向けてきたウンドワートをいつでも排除可能な状態に追い込んでおきながら、相手に嘘をつく合理的理由がない。
それに、とウンドワートは空想する。
こうして話してみると、それほど話が通じない相手とも思えなかった。
「……私は、強いだけなんだ、それ以外には何もないから、必死になってしまった」
「望みを失って硬直しつつある私よりは、ずっと好ましい。あるいは君に課せられた使命を鑑みれば当然の行動である。調停防疫局は、君の襲撃の一切を非難しないと誓約する。君も我々の存在を排斥しないと誓約して欲しい」
「……誓約する」
「喜ばしく思う。名前の交換がまだだったか、どうだったか。 いずれにせよ、君には改めて名を名乗ろう」
アルファⅡモナルキアはするりと白兎の大鎧の脇をすり抜けて、黒い鏡像のバイザーに、最新にして未知の姉妹機の姿を映した。
「私は調停防疫局、アルファⅡモナルキア。……今は、その空白の人格だ。リーンズィの名は彼女に渡してしまった。そうだな、ヴォイドとでも呼んでほしい。二度と会うことはないかもしれないが」
「わたしは人類文化継承連帯、アルファⅡウンドワート。……鎧からは降りない。厚かましいけれど、正直、この状況でも、この中身を晒してしまうのが怖い」
「構わない。どうかよろしく、ウンドワート。未知なる姉妹よ。私はようやく一つ、争いを止められた」
ヴォイドのその声には、どこか明るい色彩がある。
「君との争いを調停できたこの日を、私たちは機能が停止するまで忘れないだろう。まぁ意志決定の主体であるリーンズィは、この状況を一切記憶しないのだが……」




