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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション2 スヴィトスラーフ聖歌隊 大主教『清廉なる導き手』リリウム
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2-8 その5 アポカリプスモード:レベル0

 雪面に飛沫を上げながら突っ込んだ二人の少女が、堰き止められた時間をゆっくりと渡っていく雪と土の入り交じる暗色の波を背にしながら、互いを支えにして起き上がる。

 泥から芽吹いたばかりの花のように実を反らし、二人して兎の大鎧、ウンドワートを見据える。

 虚ろな魂を宿した少女達の四つの瞳には、まだ戦意が息づいていた。


『二〇〇〇ミリ秒経過。バッテリーの枯渇に注意してください』


 ユイシスの戦力評価は劣位で決着していた。


『撤退するならば、ここが限界点です』


『そんなものはとっくに過ぎた。このまま攻撃を続行する』


 どこか躊躇したような気配を漂わせていたウンドワートが、両の腕を広げ、哄笑した。


『まだ諦めぬのじゃな。正しい判断じゃ、ワシからは逃げられぬゆえ。しかし、弁えておるのう、戦闘能力で敵わんのなら、最後に賭けるのは己の命以外にはあるまい。必死の抵抗を見せてみよ。どうれ、手向けにワシも全霊の一撃で……』


 ウンドワートは凶器を満載した両腕部をだらりと垂らし、そして拳法家のような構えを取った。

 危険を察知して、ライトブラウンの髪の少女が大量に吐血しながら斧槍を杖にして体を持ち上げた。

 そして、まだ膝部の再生が終了していない金髪の少女を庇い、前に出る。


『この期に及んで自己犠牲か? 格好を付けるのが大事だとは思わんのじゃがな』


 嬲られているのは明々白々だった。だからこそ一瞬で決着をつけるような電子攻撃の危険性は低いと踏んで、ミラーズの損傷が回復するまでの時間稼ぎを選んだ。


『仲間をカバーするのは当然の感性だろう。それとも、君は味方を盾にしてでも勝てば良いタイプか』


 白兎の大鎧は、忌々しげに舌打ちをした


『……ワシの買いかぶりじゃったか。単純な非力さをデコイと誤認しておった。いかにも不完全な装甲ゆえ、そういう戦術を好む機体だという先入観があった、か。……オヌシらが正しい。これは、おそらくワシが求める闘争では、最初からなかった』


 純白の重装甲の兎の重外燃機関から吐く血煙に、その姿が隠れかけた直後、逆関節の具足が撓んだ。

 ウンドワートの獣の如きその純白の機体が掻き消えた。

 オーバードライブで加速した視覚でも捕らえきれない速度での、瞬時の移動。


 一拍遅れて移動方向に武器を向けたリーンズィに、『不意打ちはせん。オヌシらが如き雑兵が、ワシの全力に値すると思うな』と失望し果てた様子で言い放つ。


『重外燃機関の血煙が邪魔になってきたから、ちぃと移動しただけのことよ』


『……残像しか見えなかった』


『見えはするか。では、ヴァローナの視覚能力は健在か』

 

 大兎は僅かばかり感心したように頷く。


『あやつの胆力までは残っておらんにしても、駒としては有用じゃな。どうじゃ、リーンズィとやら。後ろの能なしヘルメットを捨ててワシの軍門に降るなら、串刺しにしての晒し首は許してやらんでも無い』


『能なしヘルメット』少女は憮然として復唱した。『前にも似たような酷いことを言われた気がするが、やはり言われると若干腹立たしいな』


『ねぇリーンズィ、これ気のせいじゃないと思うんだけど、あたしたちの攻撃、本当に全然通じて無くない?』和睦の気配でも誤検知したのか、脚を治し終えたミラーズが立ち上がりながら問うてくる。『こういうの専門外だから分からないんだけど、なんかこう、何度繰り返しても斬れてないわよね、あの兎さん』


『……オヌシ、今更か? 太刀筋が見事だから歴戦の機体だと思ったのじゃが。あとワシは兎では無いとさっきも言ったが』


『警告。通信も完全に傍受されています』


『自信があるのかないのかはっきりせんか、オヌシら……。どの機体が全体を管制してるのか知らんが、オヌシらとて、ワシのジャミングを完璧に解析しとるじゃろうに。まぁ、アルファモデルスチーム・ヘッド同士ならば、この程度はあろうというものじゃな。電子戦闘能力は評価せんでもない、そこのヘルメットのトロい機体が、この女の声の主か? 完全破壊はその点を以て、免除してやろう』


 リーンズィはウンドワートを無視して仲間たちとの意思疎通を進めた。


『いや、敵の動きを封殺することには成功している。現に今の今まで敵は動くことさえ出来なかった』


 自分でも信じていない返事をするのに合せて、純白のスチーム・ヘッドは面倒そうな素振りで片手の爪を上下に振った。


『しとらん、何にも成功しとらんぞ。何回攻撃に失敗したら気が済むんじゃ。子供か、オヌシ』


『何だか分からないが、最近それはよく言われる』


『……拍子抜けとはまさにこのことよ、殆ど回避機動もせんまま攻撃を全部捌けてしまう程度とはワシも思わなんだ。リーンズィとか言ったか、オヌシはヴァローナよりも動きが悪いのう。まぁヴァローナもワシの敵ではなかったがの……』


 言葉に込められた敵意に反応したリーンズィが、腰部のスターターロープに手を伸ばしたのと同時。

 純白の獣が右腕の電磁砲の砲口を向けた。


『リミッターを解除してもたかが知れておるぞ。このまま適度に嬲られて敗北するが良い。安心せよ、先ほども言ったが人工脳髄や人格記録媒体(アイ・メディア)を破壊するまではせん。アルファⅡを名乗る無礼は、外装を引き剥がし、ひとそろい臓物をぶちまけることで禊ぎとしてやるゆえ』


『あなたとあたしたちは初対面でしょ』ミラーズが、ゆるく咎めるような口ぶりで何度目かの問いをぶつける。『どうしてこのような行いをするの? 諍いの理由が私には飲み込めません』


『その問いも、くどいわ。このワシ、アルファⅡウンドワートはクヌーズオーエ解放軍にて最強よ。オヌシらがごとき低性能機が、ワシの名を穢すことがないよう、芽は摘んでおかねばなるまい。辱めて、晒しあげて、ワシとは異なる、取るに足らん機体だと知らしめねばならん。それが道理じゃ。抵抗は諦めよ、慈悲はかけてやる。再生が出来ん程にはバラまかん。我が刃に身を預けるが良い』


『大丈夫だミラーズ。確かに敵は強大だが、打ち倒せないわけでは……』


『アハーハッハハハ!』機械仕掛けの兎の怪物が耐えかねたように哄笑を上げた。『この期に及んでまだほざくか。自惚れるでないわ、手加減するにも限度というものがある。ワシの寛容さとて無限では無い。それとも本当に股から口まで串刺しにされた状態で街に放り込まれたいか』


『我々がそんな脅しに屈するほど弱いとでも?』


『弱いとも。弱い、弱い、弱い! 弱すぎるわ! 非力なのに加えて速度も足りん。ワシに勝る部分がどこにあるというのだ』


 純白のスチーム・ヘッドが苛立ちも露わに吐き捨てる。


『話にならんのじゃよ、まだ分からんのかの?』二連二対のレンズが敵意に満ちて輝く。『勝負にすらなっておらん。オヌシらという存在を、もはや無かったということになるまで粉砕してやるつもりでここまで来たが、この有様では興も削がれるというものじゃ。だからこそ解体して蹂躙し、永世の隷属の誓約で、平たく落着にしてやろうというのに。この慈悲の心が分からんのか?』


 畳みかけてくる老人の言葉には、肌をひりつかせるような真実の殺気が込められている。

 鈍化した時間ごとバラバラに引き裂かれそうな重圧に、リーンズィは引き下がらない。

 ミラーズがそばにいるからだ。彼女をこの悪漢の手には渡せないから。

 何故そう思えるのかまでは、まだリーンズィには分からない。

 泥濘から身を引き剥がし、かすかに声を荒げる。


『……慈悲も何もあるものか。だいたい、一方的に敵対視してきたのは、君のほうだろう、アルファⅡウンドワート。最初は我々をぶちまけてやると宣言していた。それが未だに出来ていないのなら、君の力が及んでいないということだ』


『力不足か、言い得て妙じゃな、確かに想像力が及んでおらんかった。自分と同じアルファⅡを冠する機体が、こんなに脆弱だとは……』


 せせら笑う年老いた声には、どこか聞き覚えがある。

 しかし、一体どこで聞いたのか、リーンズィには分からない。


『それにつけても、やはりワシと同じヘルメットを装着した後ろの腰抜けが気に食わん。そいつが真のアルファⅡモナルキアかの? オヌシらの親玉は未完成なのか、子機を操作するだけの木偶の坊なのか知らんが、全く情けない。どういう事情があるにせよ、ワシには遠く及ばぬ。それだけは確かじゃな。ああ、失望した……失望しておるよ、ワシは』ウンドワートはいっそ不安げな声を出した。『後ろの背負っている蒸気機関(オルガン)も、ケルビム・ウェポンではないのじゃろうな。てっきりワシと同じ戦闘用スチーム・ヘッドかと思ったのじゃが……とんだ出来損ないじゃ。恥晒しじゃ。他は許すにしても、やはり貴様だけは潰さんとならんか』


 兎の耳のような形状のセンサーユニットをがっくりと垂らしながら、面倒そうに長大な両腕を前に出した。

 一本一本が調停防疫局製不朽結晶刀剣に匹敵する爪を外側に反らし、掌を向けながら、押さえつけるようなジェスチャーをする。

 リーンズィとミラーズは、その隙を攻撃の機会と捉えた。

 果敢にも刃を鳴り散らしてぶつかっていくが、全て爪で防御されてしまう。

 刃の軌跡が装甲の関節をなぞることさえ許されない。


『ほうれ、本気を十割中の三分も出せばこの通りじゃ。抵抗はやめよ』


『あ、そうなんだ。ここまで差があるのね?』ほとんど他人事のような感覚で戦っていたらしいミラーズが不意にぼやいた。『へー、いざ目の当たりにするとちょっとショックかも』


『ミラーズ、おそらくは理想の型で斬り込んでも受けても傷一つ入るまい。あえて爪で弾いているのは、力量差を自覚させるための示威行為だ……』


 どこか緊張感の欠いた遣り取りに、ウンドワートは何事も無かったかのように言葉を続ける。


『まぁ、戦闘型でない割には頑張ってはおる。しかしワシから見れば丸きり無価値で、敵対者としてはどうでも良いレベルじゃ。ほうら、だから、諦めよ。さっさと跪くのじゃ、苦痛は与えぬ。そしてアルファⅡモナルキアではなく、このアルファⅡウンドワートに服従を誓え。失うにはそれなりに惜しい娘らじゃ』


 リーンズィもミラーズも、アルファⅡモナルキアに擬似人格演算の本体を持つ機体だ。首輪型人工脳髄にも、短時間の独立した行動を保障する程度のデータは収められているにせよ、どのような形であれ軍門に下ることなど不可能なのだが、そうした仕様を並び立てて反論するような余裕がない。

 それにしても、リーンズィとしては承服しがたい事態だったが、アルファⅡウンドワートの戦闘能力は明らかにアルファⅡモナルキアを圧倒している。

 エルピス・コアで培養した悪性変異体の萌芽は極力使用しないつもりでいた。

 そもそも弾体を撃ち込む間隙さえ作ることが出来ない。


『二九九五ミリ秒が経過しました。バッテリー、枯渇します。ミラーズ、機能凍結の準備を』


『リーンズィ、ごめんね、先に休む。あたしとしては、大人しく降参した方が良いと思うわ。あのウサギさんの、完全に潰しはしないという言葉を、私は信じます。ねぇ、あたしの可愛いリーンズィ。あなただって大変な怪我をした後。まだまだ病み上がりなんだから……』


 ミラーズは胸元をかきむしりながら、喘ぐように息を吐いた。

 それきり動かなくなった。

 加速された知覚の中で、彫像のように少女は停止した。

 その瞬間、金色の和毛を持つ少女は、天使像のような美しさに囚われて凍結した。

 崩壊した臓器から漏出した血が、手先足先を伝っていく。それだけが生命の証明だ。


『お仲間はもうお眠りのようじゃぞ? ふむ、外部器官(オルガン)無しでどうやってオーバードライブしとるのか疑問じゃったが、その首輪にそこまでの蓄電機能があるのか。そういう形状のただの人工脳髄じゃと思っておったが。どういう容量があれば三〇〇〇ミリ秒もオーバードライブ出来るんじゃ? 先進的なんだか、単に無茶苦茶なんだか、分からん仕様じゃな……オーバードライブ時の演算を全部余所に投げてるとも思えぬから、このサイズで人格記録媒体(アイ・メディア)まで内蔵しとるのか。ふむ、興味が湧いてきた、バラして確かめてみるのも良いか』


『私は負けるわけにはいかない』


 リーンズィは斧槍を構え直す。


『彼女を君の好きにはさせない』


『腰部のオルガンが止まるまで、か? 苦しみが長引くだけじゃぞ。アハーハッハハハ……こうもいちいち単純に真に受けられては、ワシも挑発がやりにくい。うん、やりにくいタイプの人だな、リーンズィは……』兎の如き怪物が肩を竦める。『おほん。しかし何がそこまでオヌシを動かす? ワシもこれで、<暗き塔を仰ぐ者>のイカレどものように、そこの金髪のレーゲント崩れを気が狂うまで虐めるつもりでもないのじゃがな。それでもやる気なら、どうでも良いわ、付き合ってやろう。まだ切り札があるというなら披露するがよかろ。引き続き、蒸気機関(スチーム・オルガン)を先に弾くことを許してやろう。後ろの、そのうすのろヘルメットの始末は、最後にしてやるゆえ、精々ワシを楽しませて見せよ』


『……君にとって、我々は何なんだ。執拗に攻撃して、何が得られる』


 ウンドワートは凶暴に武装された両腕を広げた。

 二連二対のレンズが輝くフルフェイスヘルメットに表情などありはしない。

 だが、汗を滲ませるライトブラウンの髪の少女は、そこに確かな獰猛な笑みを見た。


『何度も言っておろう、我が最強を決定づけるための礎、取るに足らぬ足場固めに積まれる石ころの一個。それがオヌシらの存在意義よ。アルファⅡの名の騙りは不愉快じゃ。攻略拠点は新しいアルファⅡの話で持ちきりよ。しかし、事前にそれを下せばどうなるか? 最強たるワシの地位はさらに確たるものになるじゃろう。ワシに踏みにじられるのが、オヌシ……あの生意気なヴァローナの肉体を操って生まれたオヌシがここまで来た意味じゃよ。それ以上でも以下でも無い』


『……本当は、私たちをどうする気だ? アルファⅡモナルキアを』


『オヌシらはそこそこに気に入った。我が眷属にしてやろう。……オヌシらの頭領を破壊し尽くした後で飼い慣らしてやる』


『……やるぞ、ユイシス。やはり猶予はない。例の仮設プランを使う』


 リーンズィは己の墓標のように斧槍を泥濘の雪面に突き立てた。

 そして右腕の手甲を外して放り、滑らかな少女の白い肌を露出させた。

 冷却のための汗の滴る右腕をじっと見つめる。

 躊躇は、非論理的に棄却した。精神活動を操作して外科的に意を決する。

 演算された偽りの魂、その偽りようのない感情に荒れ狂う精神活動が、統合支援AIユイシスを介してアルファⅡモナルキアという機械へと伝達される。

 選択的光透過機能を備えたバイザーの下で、凪いだ海の如く青い発光を保っていた二連二対のレンズが、狂気の月光を想起させる燃え上がるような赤へと変じた。


『非推奨です』ユイシスの声が非難の色彩を孕んだ。『サブエージェントの喪失を、アルファⅡモナルキアは望んでいません。特に貴官は、アルファⅡからの期待を強く受けているのです。現在のモナルキアが破棄されても、連鎖崩壊演算とエルピス・コア、そして貴官が健在ならば、選択肢は残ります』


『自棄になって、勝ち目の無い選択肢に飛びついているように見えるか? サイコ・サージカル・アジャストは起動していない。私は冷静な思考でこの決断をしている』


『非推奨。非推奨。非推奨。アポカリプスモードに準ずる措置を試行するのは時期尚早であり、各種の検証も未完です。安定性に関して、一切の保障がありません』


『やつを、アルファⅡウンドワートを上回るには、我々もアルファⅡとしての機能を使うしか無い。違うか、ユイシス。意思決定の主体として、キルナイン・モードの使用を要請する』


『……要請を受諾。エルピス・コア、オンライン。生命終局管制装置、限定解除』


『弾頭選択、不滅の青薔薇(ブルーローズ)……』


『使用が許可されるのは、生命管制で制御可能な範囲のみです。強制停止の可能性の考慮を』


『その時は君だけが頼りだ』


『こんな時だけの信頼は非推奨です。ミラーズも不誠実さを非難するでしょう』


『そういうものか? 今後の参考にする』


『今後があることを望みます。……準備はよろしいですか?』


『とっくに出来ている』


 後方で狙撃姿勢を取っていたアルファⅡの重外燃機関の発電機構が、一際強く震動を始めた。

 ウンドワートもそれに気付き、『これは……』と戸惑ったような言葉を発した。

 だが先制攻撃の素振りはない。

 先に蒸気機関(オルガン)を弾かせるという宣言をあくまでも遵守するつもりのようだ。

 モナルキアの操る肉体、その指先の生体合成区画へ弾丸が装填される。

 左腕のガントレットの継ぎ目から黒い血が零れ、やがて静止した時間を埋め尽くさんばかりに煙が止めどなく吹き出した。

『危険:第四種溶原性隔離指定物質/鎮圧拘束用有機再編骨針弾』の文字がリーンズィに視界に投影される。

 ウンドワートには、その表示は見えないはずだった。

 しかし、敵方の重外燃機関の回転数が上がる気配をリーンズィは感じた。

 仮にも同じアルファⅡの名を冠する機体である。

 悪性変異発生の予徴を解析できないとは、リーンズィも思ってはいない。


 逆に確信した。

 ウンドワートは、アルファⅡの名を冠する己の鏡像が、アルファⅡモナルキアが何のためにこの世に生み出されたのか、今、この瞬間に、勘付いた。


『……正気では、ないな』ウンドワートが嫌悪感の乗った唸り声を吐く。『見誤っていた。貴様は正真正銘、嘘偽りなく、戦闘用ではないのだ。弱いのも当然、その戦闘能力は付属物。そこに貴様の本質はなく……そして、自分たちが何をしているのか……分かっていない』


 老人のような言葉遣いから変じた口調は冷淡で、突き放すようでもあり、宥め賺すようでもあり、嘲笑うと言うよりは審問官のような厳粛さを漂わせている。

 リーンズィは半分だけしか残されていない顔で微笑んだ。

 抉れた頬の下側で、髑髏の如き上下の歯が軋んだ。

 怨嗟を飲み込む亡者のように。


 白い兎の大鎧は、押し殺した声で問う。


『ついに本性を見せたというわけだ。何が目的だ、調停防疫局のアルファⅡ。私の歴史には存在しないスチーム・ヘッドよ!』


『私はありとあらゆる手段を講じて、不要な血を流すものどもをこの世界から消し去る。ミラーズを、私の愛する者を奪わんとするもの全てに沈黙を与える』いずれかの人格記録媒体から言葉が流れ込んでくる。『……見も知らぬ汝らが神よ、命途絶えし、名だたる者よ、私の冒涜を私の罪として記したまえ……願わくば、この不浄の魂が、血の盟約で明日を繋がんことを……』


『……物狂いどもめ。これ以上の情けはかけない。かける必要がない。最後の足掻きを見せろ、呪われた機能を曝け出せ。貴様らのような存在こそが真の敵だ。よもやヘカントンケイルともあろうものがこのような怪物を見逃すとは……貴様の命脈はここで尽きる。破片すら残さず、貴様らの全存在を抹消してやる』


蒸気機関(オルガン)は、先に弾かせてくれる約束だろう?』


『約束は違えない。全部受け切って、貴様らの存在が我らの歴史に不要であったことを証明する』純白のスチームヘッドは、全兵装に雷光を纏わせ、肉食獣の前傾に構えた。『それこそが当機体、人類文化継承連帯のアルファⅡウンドワートに課せられた真の使命ゆえに』


 リーンズィは腐れた花のように微笑んだ。


『ならば、ならばどうか、私に壊されないでほしい。私は君とは違う。君に壊れて欲しいとは思っていない。私たちはたぶん……思ったよりも、似た者同士だ』


 少女は腰部のエンジンのスターターロープをさらにもう一段階強く引いた。

 オーバードライブのリミッターを解除した。

 究極的な身体限界、不可逆の境界線を越える寸前まで加速された知覚野が、さらなる崩壊の深淵へと沈み込む。

 視界の一切が終焉の黄昏、砲金色の薄闇に糊塗される。


 肉体を崩壊させながら全速力で駆け出した先には、オーバードライブに取り残されて防御姿勢を維持するポーキュパイン。その巨体を昇ってデサント用の取っ手を掴み、もう片方の手で斧槍をしかと握りしめ、全身の筋組織が破断しては再生する不快感に耐えながら俺の体を弓に見立て、筋出力をインバネスコートの下の両足に集約させていく。


『こちらの同胞を盾にするか。つくづく見下げたスチーム・ヘッドだ……アレックスとは古い付き合いでな、貴様を完全破壊する理由がまた増えたぞ』


 オーバードライブのレベルを上げても、ウンドワートの知覚から逃れることは、出来ていない。

 ジャミング代わりに投射される静かな怒りの言葉を、リーンズィは甘んじて受け入れる。


『結果的にそういう形になったことは謝罪する。足場に使えるのが彼しかいなかった。彼まで巻き込む意図は私には無い』


『……浅はかなことよな。いや、憐れと言うべきか。だが、無意味な踊りもそれで終わり。赦してやる、特に赦してやる。最後の慈悲をくれてやる。何せ対価は貴様という三下の存在の全てなのだから』


『私もこの奇貨を使うのは初めてだ。代金として足りれば良いが』


 リーンズィが、巨人の肩から己が身体を蹴り出した。

 それと同時に不可視の速度で叩き込まれた不朽結晶の斧槍は、やはり難なく爪に阻まれる。

 斧槍を絡め取られたが、大鴉の如き少女の肉体は、既に唯一の武器を手放している。

 最初の一撃を捨てているのはウンドワートも同じだ。


 大兎の鎧はもう片方の腕部を、五本の爪で太陽を掴まんとばかりに高く掲げ、今まさに振り下ろそうとしている。

 だが、あえてその手で切り裂きはしない。


『最後まで戦闘能力は凡程度だったな、アルファⅡモナルキア。見え透いているぞ、このリーンズィとかいう機体に組み付かせて、こちらを拘束する気だろう。そしてカースド・リザレクター誘発因子入りの弾丸を撃ち込む。違うか? 全くおぞましい兵器だ。吐き気がする。しかし、このウンドワートにそんな欠伸が出るような遊び玉は当たらな……』


 リーンズィの行動は、ウンドワートの予測とは正反対だった。

 組みつくそぶりすら見せなかった。

 反動で脚部が粉砕するレベルで大地を蹴り、自身の殺人的な加速度を強引に減衰させ、土塊の飛沫をウンドワートの純白の装甲へと思い切り浴びせつける。

 そして硬直して腕を止めたウンドワートへと血を吐き、蠱惑的な笑みを投げかけて、後方へと高く跳躍した。

 やろうと思えば、ウンドワートはその瞬間にリーンズィの胴体を爪で突き刺し、四肢を切り落とし、頭部を粉砕することが出来たはずだ。

 しかしそうはしないとリーンズィは信じた。

 この純白のスチーム・ヘッドは先にオルガンを弾かせると誓ったし、そうでなくても、アルファⅡモナルキアの正体を、実際は掴みかねている。

 リーンズィという端末が囮として、あるいは自律稼働するトラップとして、どの程度の機能を隠しているのか、測りかねている。

 あるいは、あるいは。


『……それは、ヴァローナの戦闘機動か……懐かしいな』


 飛び立つその漆黒の姿に、白い兎はある種の儚い幻を見たようだった。


『……なんにせよ無駄だ。射線も速度も完全に把握している。どんな小細工をしようとも……』


 アルファⅡウンドワートがの二連二対のレンズが、否定するべき呪われた現し身、アルファⅡモナルキアへと向けられる。

 そして、言葉を失った。 

 蒸気加速式多目的投射器。

 その銃口は、アルファⅡウンドワートを狙っていない。

 照準の先には、空へ舞い上がり、墜落していく少女が一人ーー。


『やっと、私が一手先んじた。君に命中させられるなどとは、最初から思っていないんだ』


 血を滴らせる、不朽結晶と肉で編まれた忌まわしき異物。

 悪性変異を誘発する凶弾、鎮圧拘束用有機再編骨針弾。

 射出の衝撃が凍てついた大気を揺らす。

 その弾頭は狙い過たず、インバネスコートを広げた少女のか細い右腕を貫いた。


『……この弾丸を受け止めるのは、この私のほうなのだから』


 少女の白い肌から花の芽が吹き出して、青い薔薇が発芽する。

 全ての演算能力を投入して変異を抑制しようとする生命管制を、偽りの熱情を宿した少女は意志と思惟で強引に黙らせた。

 上腕部までを捨てる覚悟で歯を食いしばる。

 右腕の筋繊維が解かれて再構築され、神経束が独自の意思を以て新調を開始し、血流を遮断した血管が蛇蝎のごとき狂騒に猛り、細胞の一片一片までもが異形の蔦へと変じていく狂気的光景に生体脳が悲鳴を上げる。精神外科的(サイコ・サージカル・)心身適応(アジャスト)が吹き荒れて、擬似人格演算を無数に割り断って粉砕された透明な多面結晶の如くに混沌を混沌のまま受容する。


『ば、かな……あ、ありえ、ない』


 ウンドワートの巨体が、総毛立ったように後ずさる。


『何を……何を考えて……』


 現われたのは、花束を掻き抱いたかのような異形。

 千の剣先を備えた青い薔薇を従えた、名も無き黒い鴉の騎士。

 右腕を爆発的に変異させたのも束の間、急激な質量の増加と変異は容赦なくリーンズィの肉体を大地へと落下させた。


『ここまでだ、ここまでだアルファⅡモナルキア! オルガンは確かに弾かせたぞ! 猶予は与えん!』


 その瞬間をウンドワートは逃がさない。

 瞬時に姿を消して肉薄する、その既知の外にある機動力を、変異の高揚と嫌悪に身を震わせるリーンズィは知覚しない。

 だが肉体は既に対応している。

 殺戮衝動に支配されたヴァローナの人工脳髄を解放する。

 赤く変色した瞳が見えないはずの残像を追い、ただ増殖するための餌を求める青の波濤となった青い薔薇の群れが、数百の矛と化して、不可知領域から攻撃をしかけてきた機械仕掛けの大兎に殺到する。

 その十の爪による斬撃を、圧倒的な物量で精密に迎撃する。

 不利を察したか、ウンドワートは再び不可視化して跳躍し、青い薔薇の軍勢の射程外へ逃れた。


 覆う詐欺は呟く。『……問題ない、驚いたけど、凌げないほどじゃない。大丈夫。やれる。ウンドワートは無敵のまま』その言葉は、自分に言い聞かせるようだった。『しかし、しかしこれではあまりにも……』


 純白のスチーム・ヘッドにもはや慢心や容赦は存在しない。その永久に朽ちぬことを約束された装甲に宿るのは殺意であり、四枚の不朽結晶製レンズを憤怒の炎を滾らせながら、おぞましき外敵を屠らんとする戦士の勇猛さで決然と吠え猛る。


『怪物では無いか。カースド・リザレクターなどよりも、よほど見るに堪えない』


『怪物同士で仲良くはしてくれないか』


『同類などでは断じてない! そうか、本当にとっくに狂っていたか。我が鏡像同位体、知らぬ世界の果てから来た姉妹よ、アルファⅡモナルキアよ! 哀れみすらも貴様には惜しい! 調停防衛局とやらは何をしていた!? そんな機体に貴様を仕立てて、世界をどうするつもりだった!?』


『争いを無くすために』


『その方策が誤りだと、不死病の蔓延した世界を見れば分かったはずだろう! 貴様たちの世界もきっと不死病で滅んだ! そうだろう、不死病で世界を何とか出来ると信じた! 間違った結末を幸福と誤認した!』


『そうなのかもしれない』


『得心した! 貴様は狂人どもの見た夢の欠片、その化身だ!  狂った夢は終わらなければならない!』


 空間を揺るがす怒号の放射を浴びながらも、リーンズィの熱に浮かされた意識は、どこかでウンドワートのことを排除していた。

 己の変異の灼熱感に身悶えしながら、異形の右腕を広げた少女は、どこか艶然とした笑みで応じる。


『ああ、狂っている。きっとそうだ、私は狂っているのだろうな。だって、彼女のことしか、ミラーズのことしか、考えられないんだ。このアルファⅡは、私、リーンズィというエージェントは、きっと狂ってしまっている。彼女に付けて貰ったこの名前が、愛しくて堪らない……』


 肉体の一部を意図的に悪性変異体へと変貌させる、最悪の例外処理。

 そこに正常な思考が介在する余地は無い。

 だが、戦闘に支障は無い。

 思考や演算がウンドワートに追いつけなくても、外敵に自動的に反応する悪性変異体、<青い薔薇>に書き換えた腕ならば、リーンズィの魂など無視した速度での察知と迎撃が可能だ。

 想定以上のスペックだ。きっとやり合える。しかし、気を抜けばあっという間に生命管制が崩壊して、全身が青い薔薇の蔦になって崩れ落ちるだろう。

 蜘蛛の糸が如き儚い感情が、ただリーンズィという名の少女に収められた魂を駆動させる。

 薄氷の上に立つ肉体を駆動させる感情は、取るに足らない些細なもの。

 出現と消失を繰り返すウンドワートの猛攻を人体を養分として増殖し続ける青い薔薇の軍勢で迎え撃ちながら、遙か後方で氷像のように佇む金色の髪の少女へと、熱の籠もった視線を向ける。


 ……どうすればミラーズを守れるような自分になれるだろう?

 ……どうすれば、君に愛してもらえる、たった一人の誰かになれるだろう?


 そんな、稚拙で、傲慢で、何より切実で。

 どうあっても交わらない世界に、それでも叫んで、爪を立てるような。

 業火のように少女の肉体を焦がすその感情は、狂気だ。

 愛ではあるのだろう。

 少女は自覚しない。

 恋をしているのだろう。

 少女は自覚しない。


 愛も恋もアルファⅡモナルキアの中には本来存在していない。

 だからこれは、リーンズィという端末に生じた、泡沫の夢にも似た思慕の情熱。

 その疼痛は、胸を焦がす愛の熱はあまりにも脆い。

 呆気なく砕け散り、砕かれたステンドグラスのように鋭利なその一片一片が、理解の及ばない感情の刃先となって偽りの魂を引き裂いていく。

 リーンズィは唱える。だが知るが良い。砕かれた心の欠片は、時として不滅の刃よりも鋭く、凄惨な血と暴虐をもたらす。


 リーンズィの四肢を青い薔薇の蔦が這う。

 少女の裂けた頰からは、笑みの形に歪んだ歯が覗く。

 これなるはアルファⅡモナルキアの真なる姿の一つ、限定型アポカリプスモード。

 タロットの二〇番、審判に準えてダブルクロス(最初の角笛)と仮称されたその力には、明瞭な枠組みが無い。

 静謐にして不滅。

 この晩節の混沌にあって、真に恐るべきは偽りの魂。

 偽りの魂に充填された感情には終わりがない。

 死を許されぬ魂に狂気の際限はなく、拡大し続ける狂気は、やがて全てを崩落させる。


『さぁ、本当の戦いを始めよう』


 少女は首を傾げて嗤った。


『アルファシリーズ同士の戦いを、始めよう』


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