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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション2 スヴィトスラーフ聖歌隊 大主教『清廉なる導き手』リリウム
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2-8 その4 アルファⅡウンドワート

 泥のように纏わり付く加速した時間の中で、少女たちの翡翠の瞳が、何度目かの交錯を果たした。


 暗号化した高速通信で戦闘機動を同期させつつ、絡み合わせた視線から、言葉にし得ない感情の動きを解釈する。

 黄金の和毛の少女の瞳に映るのはリーンズィが表情に浮かべた疑義であり、ライトブラウンの髪の少女の瞳に映るのはミラーズの顔に浮かぶ艱苦の色である。

 何がそれほど心配なのだろう、とリーンズィは戦闘に集中すべき演算リソースの一部を割いて、漠然と想像した。

 己の瞳孔の形が不揃いなことには全く気づいていない。視覚も体感覚も人工脳髄が補正してしまっているせいだ。

 だからこんな想像をしてしまう。


 ……ミラーズは、自分がこのスチーム・ヘッドに打ち倒されてしまうのではないかと、心配してくれているのだろうか?


 だが、客観的にはそれらの思考はまさしく夢想であり、リーンズィの願望によって偽造された内心に過ぎない。リーンズィの混乱した人工脳髄は統御を失っていた。

 ただ我知らず愛慕を捧げる和毛の少女の横顔に、自分がほしいだけの言葉を探している。

 己が流している血の熱さに、リーンズィ自身が無自覚だった。


『警告。擬似人格演算に異常を検出。生体脳の修復は完了していますが、演算出力が安定していません。リーンズィ、当機の発言を理解しますか。回答の入力を』


 リーンズィにはまず、何故自分がこうして脚を崩壊・再生させて駆けているのかが理解出来ない。

 目の前にあるウサギに似たシルエットの塊の周りどうしてこうやってぐるぐると回っているのだろう?


 ユイシス、と支援AIに質問しようとして、自分の声が出ないことに驚く。超音速での活動が標準となるオーバードライブ環境では発声は不能だという事実さえ忘れてしまっていた。


『人格演算の混濁が継続していると認定。生命管制の優越に従い、補正式の適応を開始します。内耳にも損傷を確認しました、緊急補修を実行』


 出し抜けに、耳の内側で渦を巻いていた眩暈を招く轟音が、明瞭な風の音色となって知覚された。

 リーンズィは十数倍に加速した灰色の世界で不意に目覚めて瞼を瞬かせた。


 頭部に打撃を受けていた。極度の衝撃を受けた頸椎や衝撃で破壊された蝸牛の組織が改めて重点的に修復され、外部に委託されていた身体運動制御がリーンズィの生体脳へと完全に復帰。対角線上を走るミラーズへの曖昧な欲望は霧散して、目的意識は眼前の敵性スチームヘッドへと定まる。

 手甲の両手に握りしめ、下段に構えた斧槍が、粘性の大気を切り裂いていく感覚。


『リーンズィ、回答の入力を』


『問題ない。気絶していたのか』


『損傷は重度ですが、軽微です』


『矛盾していないか?』


 その時になって、リーンズィはようやく自身の鼻孔からも出血していることに気付いた。

 そしてようやく、敵性スチーム・ヘッドから受けたダメージが予想より遥かに大きかったことを理解した。

 その瞬間まで、彼女の思考には攻撃を受けたのだというログすら明瞭さえまともに残されていなかった。


 やや離れた地点で狙撃態勢を取っているモナルキアの視界を取得して、血煙の排気と自身の腰部から伸びる黒煙の尾の狭間から、己の様相を垣間見た。

 走行する姿勢に微動は無い。行動に支障が出るほどの外傷も無い。

 だがボタボタと鼻血を垂らしている様を晒しているのは、やはり甚だ不本意だった。


 そして黒いバイザーの視界に大鴉の少女の顔が明瞭に捕らえられた瞬間、リーンズィは自分の身に何が起ったのかを完全に把握した。

 あまりの不愉快さに、ライトブラウンの髪の下で視線を研ぎ澄ませて、鋭く唇を引き絞る。

 口は閉ざされているが、顔の左側には頬肉が存在しておらず、ぎりりと噛み合わせた上下の象牙色の美しい歯列が、無残にも外部に露出していた。

 感覚器に損傷はないにせよ、確かに凄絶な損傷ではある。

 ミラーズはただ心配をしていたのではなく、損傷の度合いを観察していたのだろう。

 いやいや、一周回ってやっぱり私を心配してくれていたのだ、とリーンズィはサイコ・サージカル・アジャストが作動して沈静化した脳髄で考える。

 意識が混濁していた時と思考が然程変わっていないことに気付いて、セルフチェックをかけた。

 大丈夫。特に致命的な異常はない。


 外部から己の有様を観察すると、やはり顔の左半分を吹き飛ばされたことよりも、鼻血が出ていることに全く気付いていなかった己の間抜けさが癇に障る。

 アルファⅡウンドワートに一撃を食らったらしい。

 石突きでの打撃攻撃を仕掛けた際に、インパクトに合せて繰り出された肘鉄の直撃を左の顔面に受けた。

 ユイシスから転送された情報ではそうなっている。

 主要な血管の修復は終了しており、痛覚も遮断しているため文字通り痛痒さえ無い。

 オーバードライブ中はガス交換には鼻孔を使用しないため、毛細血管が大量に破損して出血したところで一つの支障も無い。

 だが、それ故に、自分がよりにもよってミラーズの前でこんな醜態を晒しているとは察知できていなかった。


 手甲でぐいと鼻筋を拭いながら、痛ましそうな顔のミラーズに『大丈夫だ』と短いメッセージを送り、アルファⅡウンドワート撹乱のための高速機動を続行する。

 視線は標的に固定し、円を描くようにして走り続ける。

 回復した意識で戦略を練り直す。

 常にリーンズィとミラーズのどちらか一機はこの恐るべき白ウサギ、ウンドワートの死角に位置するようポジションを維持していたが、それらの小細工は全く効果がないように思えた。

 ミラーズは、その機体のシルエットを狼や狐よりはむしろ兎に似ていると評した。超音速対艦ミサイルの直撃でも破壊不能な素材で装甲され、両手に旧時代の戦車の前面装甲をも貫徹する五本の爪を与えられた、二対二連のレンズを持つ体長3mほどの兎である。

 言われてみれば兎っぽい、と暢気に思えたのは、攻撃を仕掛けて0.01秒ほどの短時間だ。

 人類文化継承連帯製アルファⅡ、ウンドワート。

 おそらくはアルファⅡモナルキアとは違う時間枝からやってきたのであろう、見知らぬ姉妹。

 未知の同型機。


 現在のリーンズィは侮るでも訝るでもなく、その機体の放つ凄まじい重圧に身を強張らせている。

 兎などでは断じてなかった。

 隙と呼べる物が、そのスチーム・ヘッドには存在していない。

 難攻不落の要塞が、二本の脚で立っているように感じられる。

 一瞬だけ注意をポーキュパインへと向ける。巨体を縮こまらせ、災禍から身を守らんとしているあの巨人の方が、いくらか破壊しやすいだろう。


『いったい何をすればダメージが入る?』


 ユイシスとともに思い悩む。

 リーンズィが切断や刺突ではなく殴打によるダメージを狙ったのは、それが現状でまだ試していない最後の攻撃手段だったからだ。刃は全く通じなかった。

 半ば自棄になって打ち込んだ打撃は、リーンズィの肩や肘の関節を傷め、顔面にカウンターをもらっただけで終わった。

 あまりにも邪魔だったのでヴァローナの鴉面はつけていないのだが、やはり頭部を保護しないまま肉薄するのは些か無謀だったかもしれない、と誰かが咎めてくる。それに対して、いや、断じて無謀な突撃はない、検討可能な攻撃手段を総当たりした結果だ、と少女は内心で不平を零す。

 全身を高純度の不朽結晶で覆っていることから物理攻撃は殆ど通じないという予想は、脆弱なはずの関節部に斬り込んだヴァローナの斧槍が、逆に刃毀れを起こしてしまうという最悪の結果で肯定されてしまっている。リーンズィは、自分がヴァローナの技量を引き出すことに失敗したのでは無いかと怪しんだが、シィーの写像に等しく、武器性能でも勝るミラーズの攻撃も全く通じなかったため、単にウンドワートとの間に絶望的な性能差があると認めた方が妥当だった。


『でも、こんなのはズルい。完璧な角度で斬り込んだのだから少しぐらい血が出たりするのが道理というものだ』


 統合支援AIに支離滅裂な愚痴をこぼしつつ、より高度な戦術への移行をミラーズへと伝達する。


『ミラーズ、私たちの攻撃ではダメージを与えられない。アルファⅡ本体が弾体の生成を完了した。ミラーズは発射のタイミングに合わせて……』


『警告』脳裏に怜悧な女の声が響く。嘲るような響きは、今はない。『簡易型人工脳髄同士での戦術的な通信は、推奨されません。敵性スチーム・ヘッドの電子戦能力は、局地的には当機に匹敵し得るものと推定されます』


『人工脳髄のクラッキングが有り得ると言うことか』


『否定。当機を上回るものでは無いと断定します。しかし、敗北への道筋は可能な限り塞いでおくべきです』


 ユイシスの判断はあくまでも冷静な物だった。


『オーバードライブ起動から1700ミリ秒経過しています。我々の戦力評価は、敵性スチーム・ヘッドに対し、依然として明確に劣位です』


 リーンズィの肉体、アンビバレントな美を湛える少女の面相で、露出した歯が悔しげに歯軋りをする。

 アルファⅡウンドワートを行動停止に追い込むことは、リーンズィにとっては困難ではあれども、非現実的ではない目標だった。少なくとも最初はそう考えていた。

 今は違う。我々から何を差し出せば、この怪物を止められるのか。

 そんな捨て鉢な想像すら、辿り着くべき答えを見つけられず消失してしまう。

 初歩の事実として、完璧に同期した二機のスチーム・ヘッドの最初の一撃を、後手に回って無傷で捌くのは、極めて難しい。これはシィーほどの実力者でも同じだ。

 リーンズィとユイシスが同期して攻撃すれば、とても捌けるものでは無い。

 だがウンドワートは、最初の剣戟を欠伸混じりにいなしてみせた。

 以降、1700ミリ秒もの間攻撃を仕掛け続けているが、あまりにも長い。

 極限にまで引き延ばされた時間の中で、超音速の攻撃をただ凌ぎ続けるなど、全ての機能制限を解除したアルファⅡモナルキア本体でなければ不可能だろう。

 だが、目前に鎮座する純白の全身甲冑型スチーム・ヘッド、アルファⅡウンドワートは違う。

 ごく当たり前のように、不可能である筈の絶対防御を実現させている。


 何もかもが信じがたい。

 ズルい、という言葉すら虚しいほどに。

 リーンズィが意思決定を行う現在のアルファⅡモナルキア群体は、未だにアルファⅡウンドワートにただの一太刀も与えられていない。

 それだけが現実だった。

 死角から斧槍を構えて突撃しても、その一撃は予期されていたかのような動きで回避され、おまけと言わんばかりの、丁重に手加減された一撃が腹部や頭部に叩き込まれる。

 どうすればその目を掻い潜れるのかも分からない。

 リーンズィやミラーズの刃が何度か命中したのは、戦術が有効だったのではなく、ただ性能を測られたのだ、というのが現在のリーンズィの認識だった。


 性能差が極端なものであると仮定しても、ここまで手玉に取られる理由は不明だ。

 ウンドワートの頭部に取り付けられたセンサーユニットからは絶えず探知波が放射されているらしい、ということは特定出来ている。

 おそらくは後頭部にもカメラの類が内蔵されている。

 アルファⅡモナルキア自身にそのような機能が搭載されているからこそ推測できることだが、逆に言えばそれ以上のことは判然としない。


 スチーム・ヘッドの数だけで言えば圧倒的に勝っている。

 全身甲冑型とは言え、オーバードライブが使用可能な機体が二人組で近接戦闘を仕掛けるのであれば、1700ミリ秒もあれば決定打に繋がるあらゆる考え得る筋道を試すことが可能だ。

 しかし、どのように攻撃しても、殆ど片手間のような動作で完璧に防御されてしまう。

 リーンズィは視線を己が本体、アルファⅡモナルキアへと向けた。

 ミラーズと二人で注意を引き付けている間に狙撃支援態勢に入らせており、二機のサブエージェントの演算を支援しているせいでやや時間がかかったが、骨芯弾(K9BS)の継続生成が安定し始めたところだ。

 ここからは一次元上の攻撃が可能なる。

 しかし、とリーンズィの左頬で、白い歯が血に濡れて隙間から息を吐く。

 それで、効果は如何ほど出るだろうか。


『ねぇ、退くの、仕掛けるの。悩んでいられる時間はないわよ』とミラーズからの通信。『もうだいたいこの人の考えてることは分かった。あんまり強く言っても仕方が無い人よ、これ。どうするの? あたしはあなたが納得できる方に賛成するけどね』


『警告。ミラーズ、傍受を避けるために通信は極力当機を介して……』


『ねぇ、分かっているんでしょ。あんまり意味がないのではありませんか、ユイシス? あちらもアルファⅡなら、とっくに解析も傍受も終えていると思います。私たちのアルファⅡと同等かそれ以上の勇士だと言うのならば』


 実際問題として、ウンドワートからの積極的な攻撃は、実は一切無いのだ。

 遊ばれていると言って良い状況で、表層的な通信の秘匿性を重視しても効果は薄い。


『どうするの、リーンズィ。顔の怪我も酷いし、降参しても良いんじゃない?』


『問題ない。痛みはない』


『見ているあたしがつらいのよ』


 ヘルメットの兵士のバイザーに映る黒い鏡像の世界。

 互いの尾を追うようにして駆ける少女たちの機動は輪舞にも似る。

 撹乱を狙って加減速を乱数化していたが、これもとっくに見切られていると考えるのが妥当だ。

 しかも、アルファⅡやユイシスに管制可能な範囲では、新たな策はどこからも浮かんでこない。

 元来、複数機を従えて正面から戦闘が出来るようには作られていない。

 アルファⅡモナルキアでは、この程度の戦術が限界だ。

 滑空する二羽の鴉の如く、円弧を描いて駆ける二人の中央で、獣人じみた形状の純白のスチーム・ヘッドは微動だにしない。


 攻撃を受けていることなど全く気に掛けていないようにさえ見える。

 あるいは、全力で走り抜ければ逃げ切れるかも知れない。そんな迷妄が脳裏を過ぎる。


『……ダメだ。仕掛けよう』リーンズィは白く長い息を吐いた。『まともな相手では、たぶんない。逃げても降伏しても無駄だと思う。何としてでもあちらを戦闘不能に追い込むしかない』


 何より、宣言されたとおりのことをミラーズにさせるわけにはいかない。それで死んでしまうわけでもあるまいが、彼女が苦しむ姿は、もう絶対に見たくない。


『ほう、まだ考える頭が残っておるようじゃな。小突いたせいで脳髄がグズグズになってしまったかと思うたわ』


 十分の一秒間に、実に一〇〇〇回もの周波数変動を行うアルファⅡモナルキアの通信網に、せせら笑う老人の声が割り込んでくる。


『よかろう、思うがままにするが良いぞ、どうせ勝つのはワシで、負けるのはオヌシらじゃ。臓物をぶちまけて、犬畜生の如くに這いつくばって、憐れっぽく慈悲を請うことになるのじゃから』


 犬畜生、という単語に少女は過敏に反応した。

 ミラーズではない。嫌悪感を露わにしたのは、リーンズィのほうだった。


『誰を犬みたいに這いつくばらせるって……?』と唸るように吐き捨てる。


 その感情の乱れを感知して、アルファⅡモナルキアが先手を取った。

 左腕のガントレット。

 その五指に固定された多目的投射器から、加速用の蒸気流が噴出した。

 射出される弾頭は高純度の不朽結晶で被覆されている。

 戦闘機動に突入したスチーム・ヘッドならば目で追える速度だが、命中すれば相当の装甲でも確実に貫通する破壊力が付与されている。

 アルファⅡモナルキアの深層レベルで構築された戦術に従い、ミラーズが小さな肉体を躍動させて飛び出し、亜音速弾の軌跡を塞いだ。

 己の身体の破損を前提とした破壊的抗戦機動(オーバードライブ)に身を任せ、シィーの剣技を受け継いだ少女は茫洋とした勇猛さで先陣を切る。


『弾道の欺瞞か。まだそのような低度の低い策に縋るか。理解に苦しむのう……何の意味がある? 出し惜しみをして届く相手ではないとまだ分からんか?』


 しわがれた声が何事かを問いかけてくるが、実態としては電子攻撃に近い。

 ミラーズとリーンズィ、そしてアルファⅡモナルキアのリンクを切断するための精密ジャミングに載せられた音声データ。

 それがウンドワートの声の正体だった。

 ユイシスによる電子対抗措置は突破しないが、意味情報の解析を強要するその攪乱は、モナルキアのネットワーク総体に予想外の負荷をかけている。

 そのようにして処理能力自体を削ぐことが狙いなのだろうが、迂闊に問い返せば、開かれた回線に対してさらなる電子攻撃があると見て良い。

 老いた兎は嘲るように語りかける。


『その細身で何が出来る? その細腕と、見窄らしい刀で何が斬れるという。そもそも何じゃ、その着崩した行進服は。ワシを誘惑でもしておるつもりか?』


 惑わせるための問いかけに、だから少女は応えない。

 躊躇なく跳躍し、加速し、斬撃のタイミングを見計らう。

 踏みしだかれて黒泥と化した路面をブーツで蹴った。

 舞い上がる雪花を風景の背後へ追い越して、燕尾服のような開かれた行進聖詠服の裾を翻す。

 アルファⅡウンドワートの防御能力は確かに要塞じみている。

 だが観察可能な範囲においては、武装は腕部に集約されており、攻撃手段は専ら打撃や斬撃に限られている。銛や電磁投射砲に警戒する必要があるものの、腕部のパーツと一体化しているせいで射角が制限されている。

 予備動作さえ見逃さなければ回避は容易だ。

 迎撃用の機銃や光学兵器があれば、全身甲冑型と比較して装甲部位の少ないリーンズィたちには不利に働く。レーゲントが纏っている不朽結晶連続体は繊維状に編まれているため、衝撃を殺すことは出来ないのだ。通常弾頭であっても直撃すれば生身の部分が損傷し、動けなくなるだろう。

 だがウンドワートにその手の凡庸な兵器は積まれていないと確信していた。敵は明らかに完全装甲されたスチーム・ヘッドと戦うことを念頭において建造されている。未装甲の雑兵を相手にする兵器など搭載していないだろう。

 接近しても勝ち目は薄いが、接近自体は難しいものでは無い。

 そして接近しなければ勝機は無い。


 回避の蓋然性が高い軌道を選択しながら、金色の髪を翼の如く棚引かせ、ミラーズは白兎の大鎧の長大な両腕、二対五連の刃が立ち並ぶ、恐るべき領域へと飛び込んだ。

 生身の不死病患者が収められているバイタルパートや、アルファⅡモナルキアと似通った形状の頭部は、敢えて狙わない。

 攻撃目標は常人の倍以上の長さに拡張されたウンドワートの腕部だ。

 ミラーズは両手に携えた不朽結晶の刃を鋭く滑らせる。

 直撃させても刃が徹らないことは知れている。だが装甲とて無限に耐えられるわけではあるまい。借

 り物の戦闘術理に従うミラーズ自身は、自分が何故そのような行動を取っているのかあまり理解していなかったが、肘部関節へのダメージ蓄積という現実的な択を取っていた。

 しかし、それすらも適わない。

 巨体に見合わぬ繊細な動きで振るわれた一本の腕、五本の爪が、シィー、かつてローニンと仇名された戦士の技巧で繰り出されたそれらの刃を、難なく受け、弾く。

 もっとも、そこまではミラーズも織り込み済だ。

『腕の一本だけでも相手になってよね』と嘯きながら跳躍し、牽制のために右の白い膝を繰り出した。


 ウンドワートは全く躊躇なく腕部の側面装甲をぶち当てて、生身の一撃を鉄槌の衝撃で粉砕した。

 ミラーズの右足が半壊して、赤い血肉を空中へと散らした。

 これでいい。

 加圧された血液が一気にウンドワートの頭部付近まで噴き出し、バイザーに付着した。

 ウンドワートの視界が、幾らかこれで遮られた。狙い通りだった。

 その瞬間、煙幕がわりの黒い排気からまろび出て、想定されるウンドワートの視界外から、リーンズィの斧槍が突き出された。


 純白の機械の獣の反応は緩慢だった。

 遅れたわけではない。

 最初から知っていたと言わんばかりの動作で死角からの一撃を爪で阻み、切っ先を絡め取って、武器を握り締めるリーンズィごと捻り飛ばした。


『ここまで無様だと不安になるのう。何なんじゃ、オヌシらは。不意打ちのつもりか知らんが、ワシに通じるわけがあるまい?』


 追撃を仕掛けようとした獣の腕は、しかし、リーンズィがまともに防御姿勢を取れていないのを視認するや否や、所在なさげにふらふらと揺れた。

 真っ当な戦闘であれば、その恐るべき五本爪が顔面に叩き込まれていたところだ。

 頭部を欠損した状態ではさしもの不死病患者も満足に活動できない。

 リーンズィ程度の生命管制では、復帰には長い時間を要する。

 だが、ウンドワートは確実に意図的に、それをしなかった。

 やはり弄ばれているのだ、とリーンズィは『苦々しい』の感情を理解する。サイコ・サージカル・アジャストがそうした情動を即座に切除。戦闘への没入を己に強制し、思考の細糸を辿って次の手を探し続ける。

 そうしているうちに、アルファⅡモナルキアの放った不朽結晶製骨芯弾が到達した。

 ミラーズとリーンズィの撹乱攻撃によって飛翔位置を欺瞞されていた弾丸は、しかしあっさりとその射線と着弾時間を看破された。

 ウンドワートは蠅でも追い払うように弾体を横合いから手で払い、直撃軌道から反らしてしまった。

 大ウサギの鎧は、二連二対の赤いレンズを骨針弾が向かう先に向けた。

 その先の空間に何も無いことを確認する。

 そして、たっぷりと時間を取って、自分は攻撃可能な状態にあるが敢えてしないのだという猶予を演出して、それから武器ごと捻って放り投げたリーンズィが、未だに完全にバランスを失ったままなのを確認した。

 リーンズィは歯がゆさよりもまず、違和感を覚えた。

 正面視界はミラーズの飛び散らせた血液が封じているはずだった。

 だが、現実として、そうはなっていない。

 付着していたはずのミラーズの血液は、常ならぬ速度で煙へと変わっている。

 装甲を濡らすことさえしていなかった。

 否、装甲が極度に加熱されているせいで、液体としての相を保てていないのだ。

 リーンズィは逆さまの視界に呻き声を上げる。


『電磁装甲ーーその機体サイズで?!』悲鳴じみた独白に、『気付くのが遅すぎる』ウンドワートは声だけで溜息をついた。


『あの手この手で目くらましをしたつもりじゃろうが、どれもこれも最初から通じておらんのじゃよ。その程度の性能で、本当にアルファⅡを名乗っておるのか? 笑わせるでないわ。笑い殺すつもりなら、しかしユーモアが足りておらんな』


 それから空中で膝を粉砕されたまま静止しているミラーズの下着をしげしげと眺めた。


『やはりおかしい……戦闘用であれば、生命管制の破綻から来る下血や失禁で汚損を恐れて、こういったものは着けないはず……まぁ鹵獲レーゲントを転用したと仮定すれば、それらしい感性だが……』


 ぶつぶつと何事か呟いていたが、やがてミラーズの薄い胸に逆関節の具足の足裏を押し当て、軽く蹴飛ばした。


『きゃん?!』と悲鳴を上げながら吹き飛んでいくミラーズに対して、ウンドワートは爪を振りかぶる。


『どうれ、このままその腹を捌いて、中身を掻き出してやろうか!』


 だが実際には追撃しない。


『などと誘えば、たやすくかかりおる。おぬしらの浅知恵は見飽きたわ、本命は常に死角に回り込もうとする。そうじゃろう、リーンズィとやら?』


 ウンドワートは具足でステップを踏んでくるりと振り返り、四枚の赫赫たるレンズの視線で長身の少女を射貫いた。

 視界外で密かに姿勢復帰を完了させ、斧槍を構え直していたリーンズィが、インバネスコートの翼を広げて突撃しようとした、まさにその矢先のことだった。


『やはり私の動きも予測済か!』


 エージェント・シィー直伝。重心移動に微細な変化を与え、実際の身体運動速度を誤認させるという古典的な視覚欺瞞だ。

 リーンズィは吹き飛ばされたふりをして、自分が有利な姿勢と場所を確保できるように立ち回っていたのだ。だがそれも見抜かれてしまっていた。

 何であれ、ここで攻撃を停止するという択は無い。

 リーンズィは思い切り勢いを付けて斧槍の刃を叩き込もうとした。

 ウンドワートはしかし、その巨体で舞踏でも踏むかのように機敏に反応した。

 斧槍の切っ先の速度と身体運動を合わせ、この一撃を最小限の動きで回避。逆にリーンズィの背後に回り込んで、爪で胸部を貫こうとするかのような素振りを見せて、『何とも情けない』と嘲笑った。

 代わりに狙逆関節の具足を持ち上げて、そろり、と背中を押した。

 ミラーズと同じ方向へと、ライトブラウンの髪の少女を飛ばす。


『まったく、まったく! 読めておるぞ、どうせこの娘も囮じゃろうて!』


 ウンドワートは、アルファⅡモナルキアが意識外からの攻撃をさらに重ねてくると予期したのだろう。

 両腕部を交差させ、生体CPU代わりの不死病患者(リアクター)を装填しているバイタルパートを防御。その右腕下部に設けられた砲身は、既に反撃のために電光を纏い始めている。

 雪面に叩き付けられた二人の少女、その後方で射撃姿勢を取っているアルファⅡモナルキアへと、勝ち誇ったように高笑いして、ジャミング用の電磁波と共に捲し立てた。


『完璧に読めておるぞ、アルファⅡモナルキア! もはやオヌシ、などと呼ばずとも良いか。無力なレーゲントを盾にするこの下郎がぁ、貴様の姑息な戦法はとうに見越しておるんじゃよ! そこの哀れな二機のスチーム・ヘッドはあくまでも攪乱要員じゃな! あえてワシに先手を取らせ続け、油断した一瞬をかすめ取る。そういう算段じゃろう。浅はか、浅はかであるぞ! おそらく貴様の本領は狙撃戦! ここいらでその鉄砲から、電磁加速した本命の不朽結晶装甲弾頭を打ち出すつもりじゃろうて。通じぬ通じぬ! 逆に撃ち返して貴様の骨董品の頭部を破壊してやるわ! フワハハハハ! 雑兵の浅知恵でこのアルファⅡウンドワートの裏をかけるとでも……』


 だが、棺のような重外燃機関から血の煙を吐き出しているそのヘルメットの兵士は、タイプライターめいた過剰装飾の施されたガントレットから次弾を生成して、呑気なほどゆっくりと取り出している最中だった。

 リーンズィも泥だらけの雪の街道を転がりながら、本体たるアルファⅡモナルキアを視認する。

 自分にも認知不可能なレベルで、密かに本体が行動を進めている可能性は確かにあったからだ。

 しかし、誰がどう見ても、次の攻撃の準備が終わっているようには見えない。


『ワハハ……ハハ……。あれぇ……思ってたのと違う……』


 ウンドワートは防御姿勢を解除し、いささか呆然とした様子で黙り込んだ。


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