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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション2 スヴィトスラーフ聖歌隊 大主教『清廉なる導き手』リリウム
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2-7 その3 第七大陸のヘカトンケイル

 合成音声の音声は劣悪で、単語の発音は明瞭でなく、欠落した情報をユイシスが類推・補完しなければ文として成り立たない。しかし、奇妙なことに、ただ音の連なりを意識するだけで、文意を汲み取ることが可能だった。その独特の抑揚の付け方、時折挿入される不必要に思える音には、覚えがある。


「これは、もしかして『原初の聖句』……?」


 眉を潜めたリーンズィの呟きに、一語一語に耳を傾けていたミラーズが、平然とした面持ちで首肯する。


「そうね、けれど意味伝達に特化した基礎的なものよ。要所要所を押さえているだけだから、感情までは届けられない。頑張れば意外と出来る人が多い業です」


「そういうものなのか? 思想汚染や肉体操作は?」


「その辺りから本物の奇跡なのよ。そんな御業が誰でも出来るなら、(キジール)聖歌隊指揮者(レーゲント)だなんて祭り上げられていませんでしたよ」


 少女は肩に行進聖詠服をかけたまま、得意げに慎ましやかな胸を反らした。そして自分の着衣が乱れているのを発見し、ややあっておずおずと手で裸身を隠した。

 リーンズィが肩に掛けただけのインバネスコートの裾を差し出してくるのに「ありがとう、リーンズィは優しいですね」と礼を言う。


 そしてリーンズィの体が殆ど裸になっているのを見て「あなたは恥じらいがあるのかないのかどっちなのですか?!」と小さく悲鳴を上げた。


「君のためなら恥ずかしくはない」


「みだりに露出をしないようにと……言われたことがあるはずないですね。無理を言いました! 前を隠しましょう、前を!」


「私は見られても構わないので問題ない。ミラーズを見られる方が嫌だ、と思う」


「嬉しいことを言ってくれますね、でもあなた、あたしよりも肉体の発育も良いってこと忘れてない? 幼女? 心が幼女ですか?」


『肯定。幼女みたいななものですよ』ユイシスが口を挟む。『本体のアルファⅡ自体が起動後数日なので、複製分岐知性であるリーンズィも、感覚の機微はそれほど理解していないと予想されます』


「そうですか、幼女みたいなものでしたね、シィーにも聞いていました、忘れていました! とにかく前! 前を隠して!」と焦った調子で、身振りでしきりに伝えてくる。


 リーンズィはよく分かっていない仕草で、とりあえずそれに従った。


「私の使っている肉体なのだから、君が焦ることは無いのでは?」


「子の貞節を守るのもあたしの務めよ。リーンズィ、いくら不滅の恩寵を受けているとしても、あくまでも身だしなみには、配慮をですね。……人間らしい生活の経験がないせいで、分からないのかなぁ。あのね、何のために永久に朽ちることのない聖衣を与えられているのか、よく考えることです。みだりに己を晒さないこと。あなたの、ヴァローナの肉体は、黙して隠されるべきものなのです」


「そういう……ものか?」


「そういうものです! はい、前を隠す、前を隠す……とにかく、今は原初の聖句の話です! えへん、あれは肉体や思考をめちゃくちゃにするような特異なものじゃないから、何も心配はいらないわ。例えば私が天から授かった恩寵は……」


「待ってほしい、原初の聖句……? ええと……」リーンズィは呆としながら首を傾げた。「何の……どうして……そんな話になったのだったか……服はちゃんと着たけど……」


「リーンズィ? また具合が悪いの? 認知機能のロック……というやつのせいかしら」


『否定します。これはリーンズィの身体機能の異常によるものです。むしろ何故ミラーズは無事なのですか? 当機の予測診断では、リーンズィと同等の損害を受けているはずですが』


「言ったことがなかったかしら。あたしはあたし自身を治癒することが可能なの。何故なら聖父様が見出して下さったあたしの力は……」


『応答を請ウ。言語は、通じているか?』


 返事が無いことに疑問を持ったのだろう、不明な知性体から、同じ問いがもう一度飛んで来た。

 ミラーズが代わりに返答しようとしたのを制し、リーンズィは思考を紡ぐ。

 ふと不安を生じたが、アルファⅡとユイシスから通信続行の指令が下されているのを確認する。

 アルファⅡモナルキアの主導権はまだ自分にある。

 声を整えて、無線に言葉を乗せた。


「通じている。通じている……」舌が回り始めれば、滞っていた思考が、演算領域からするりと流れ出した。「君たちは誰だ? ここで何をしている? 生存に適する環境とはとても思えないが」


『適してはイナイ。事実、この受信局は半ば放棄されてイル。保守ノシヨウガナイシ、そのせいで、我々の作業進捗はトテモ遅れている。資源採掘も思うように進んでいない。……それでも我々は衛星軌道開発公社だ、生存圏の際限ナイ拡大という社是の元、邁進シテイルと……敢えて応えよう。たとえ、ソレガ先に続かない道ダトシテモ、進み続けるシカナイのだ』


 意味の分からない単語の羅列だったが、所属に関してだけは聞き覚えがあった。


「衛星軌道開発公社……? ユイシス、翻訳のミスでは?」


『否定します。彼らは確度の高い意味羅列で、所属を表明しています」


 リーンズィは沈思して首を傾げたが、ミラーズに背中をぐりぐりとされて居住まいを正した。

 初めてお会いする方です、挨拶は大事ですよ。

 などと耳打ちされ、咳払いを一つ。


「あいさつは大事。申し遅れた。我々は調停防疫局のエージェント。ここまで荒廃した世界では、もはや目的を語っても意味はないだろう……。だから、とにかく都市焼却機フリアエからの紹介でやってきた、と言う説明で理解して欲しい」


『理解する。ふりあえは我らと提携していル』


「そちらは、今どこにいる? 私たちとも協力関係にあるという認識で良いのだろうか。可能なら実際に顔を合わせて交渉したい」


 彼方に見える枯れ木のような悪性変異体たちが、わさわさと体を震わせた。


『我らはココにいる。ふりあえのいる、ナツカシい時代から来たのなら、残念ながら、道ヲ間違えテイル。二四〇周期前の余剰エネルギィ受信放散のとき、既存の接続面は、力場の変動で移動してしまった。すぐに軌道修正データを送る』


「失礼、君たちはどこにいる? よく見えない」


『ココにいる。ショクンラは我らを視認している。我らもショクンラを見ている』


 怪物たちが、再度、枝葉のような手足を振るって合図をしてきた。

 怪物ではないらしかった。

 リーンズィの表情の薄い顔に、しばし唖然とした色が浮かんだ。

 目を瞑って状況を受け入れた。

 そして彼らに対して半裸の姿でいるのは恥ずかしいなと一抹の羞恥心を覚えて、それから自分にもそのような感覚はあるらしいと知った。

 ミラーズと視線を交し合い、彼らに背を向けて、忙しなく着衣を整え始めた。


『ああ、そノヨウナ被覆の文化がまだ生き残っているのだナ。あまり気にシナクテ良い。我々にはソンナ文化は残存シテイナイ。非礼や挑発とは認識シナイ。ショクンラは美しいが、標本的な意味での評価となる。特別のキョウミはない』


「あ、あたし、わたしたちが気にするんですよ……!」ミラーズが焦った様子で呟いた。「さすがにあんな姿を最初から最後までずっと見られていたのかもと考えたら恥ずかしいわね。あえては聞きませんけど。プライベートなことなのに……もっと先に言ってくれれば……あっ、そっか、あの人……人? たち、アルファⅡと似た価値観なのね、たぶん……」


「君たちは、人間なのか?」


 隙間を埋めるように、リーンズィが問いかけを投げかけた。

 斧槍を地面に突き刺し、下腹部を隠すための留め金を戻そうとして、そこで思うように体を動かせないことに気付いた。

 それを気取られないよう、さらに問いを重ねる。


「不死病のステージ2、即ち悪性変異体のように見えるのだが」


『似ている。だが、違う。ショクンラ、スチーム・ヘッドに近しい。ワレワレは衛星軌道開発公社のスチーム・ヘッドと認識してくれて問題ナイ』


 居心地が悪そうに留め金をかけながら、ミラーズがぼそぼそと耳打ちしてくる。


「えいせいきどうホニャララ……というのは、あの人たちですよね。あの、宇宙とかが好きな変な人たち。世界中で爆弾が爆発した後も平気で遊ぶのを続けて、スチーム・ヘッドになって、月を生身で歩いて帰ってきたと聞きました」


「そう、衛星軌道開発公社『セブンス・コンチネント』。彼らは君たちの歴史でも彼らは発生していたのだな。どんな時代でも人は……夢を……すまないミラーズ、服を着るのを手伝ってくれないか。体が……おかしいんだ」


「どこか疼くの? 我慢できない?」


「ち、違う。ただ上手く操作できないだけだ」


 水分に転換した臓器の欠落と、それを過剰に再生しようとする恒常性の間で、首輪型人工脳髄に過剰な負荷が掛かっている。「まったく、手間の掛かる子ですね」とミラーズが手早く処置をしてくれるのがありがたく、そしてその動作の滑らかさが不可思議だった。

 ユイシスも指摘していたが、熱波による損傷は同程度か、それ以上なはずなのである。

 だというのに、たましいのない小さな体は、いかにも健康そうで、……そう、熱波だ。リーンズィは天を仰ぎ、汗を拭った。汗。肉体は不死病患者なのに汗をかいている、という事実に困惑するが、サイコ・サージカル・アジャストを起動して封殺する。

 死に果てた空。

 灼熱の色を湛えた大河。

 雲の向こうでは、今もあの発狂した太陽が輝いているのだろう。


「ここは彼らの歴史なのか? ついぞ上手くいかなかった彼らが、何か作り上げたのだろうか……」


 不死病患者の歴史において燦然と輝くのが、衛星軌道開発公社という『政治的なイデオロギーが全くなく、誰からもさほど重要視されていなかった』技術者集団だ。

 最も純粋で、平和的かつ、人類の趨勢に無関心な組織だったと言っても良い。

 彼らは不滅の肉体を純粋な『人類の拡張性』として扱った。

 この滅びの風景は、あるいは彼らが造り出したものなのだろうか。

 リーンズィは、そうした疑念は一旦忘れることにした。


「はい、終わりましたよリーンズィ。……顔色がすごく悪いわ。お化粧もしてあげましょうか?」


「……あまりからかわないでほしい、私でもからかわれていると分かるぞ」


「ふぅん、分かっているのですね?」


 リーンズィを屈ませて、ミラーズは金髪を掻き上げた。

 そして不意に背伸びをして、ライトブラウンの髪をした少女と唇を重ねる。


「ん。善い顔色になりました。ふふ、今のは分かったかしら?」と囁き、衛星軌道開発公社の方へと向くように促した。

 赤らめた頬を袖でこすって隠しながら、リーンズィは呼びかけを再開した。


「……公社の使者たち、待たせてすまない」


『そのツガイとの会話はもう終わったか?』


「ツガイではない、忘れてほしい」


『そうですよ、ミラーズは当機のパートナーなので』


「ユイシスも割り込んでこないように」


『ツガイという言い方は良くなかっタ。適切な単語が出てこず謝罪スル」


『謝罪は不要です。文化圏同士で齟齬が起きるのは仕方の無いことですから』


 公社の機体と当然のように会話を始めたミラーズに、じゃあ最初から君が通信に対応していればよかったのでは……と言わなかったのは、自分の腹膜が焼けたように痛んでいるのを発見したせいだ。視覚野にユイシスからのメッセージが表示される。


『警告。悪性変異進行率、減衰が停止しています。活動は非推奨です。貴官を訓練する意図で対応を任せましたが、当機との交代を提案します』


「わたし、私がやる……」リーンズィは少し意固地になって、ちらりと目線をミラーズに向けた。「ええと、その……私たちの関係は、私たちの関係で、ええと、見世物では無くて……そう、我々は……我々は『クヌーズオーエ』という場所を探している。心当たりがあれば教えてくれないだろうか」


『先ほど伝えた座標の先にある。手続き上の問題を整理しておく。諸君らは法律上は不法侵入者なのダガ、同盟者ふりあえの縁者ゆえ、コレを咎めることはナイ」


「法律って、また古式ゆかしい単語が出てきたわね、主の教えもまだ生きてるのかしらね」


『古式ゆかしいAIなのでコンプライアンスには敏感です。こうした認可は大変助かります』


『しかし、隣接境界世界のふりあえも、意地が良くない。くぬーずおーえは、確かに我らにも因縁深き地。ソレガタメニ、我々はこの(不明な単語を検出しました。『不採算生産設備』と推測されます)を捨てられない。しかし、ふりあえの領地には、そもそも別にゲートが存在する。くぬーずおーえへと侵入するのに、ココを経由スル必要はない』


「つまり直通ルートがあるのか。嫌がらせをされていたのか……? いや、私たちと君たちの顔合わせをさせたかったのかな」


『だろウと思う。ふりあえも思考形態が特殊だが、不要な行為は、少ない。ちょっとは、アルガ』


 枯れ木の如きスチーム・ヘッドたちの所作が、溜息をついているようにリーンズィの目に映る。


『シカシ、たいみんぐ次第では、ショクンラは炭化していた。危ないことをする。ああ、空の黒雲が見えるだろう。あれも、我々衛星軌道開発公社の、かつての同志ダ。<灰色の巡礼者>。もう意識はないが……しばらくはワレラの誘導に従い、ここに留まル。ゲエーーーートは、不安定ゆえに、我らでも容易には特定出来ない。ショクンラでは、探索もままならないだロウ。ショクンラが、壊れる前に援助できたことに感謝する。また、()()せずに済んだことを、感謝する』


 言葉に不穏な気配を感じ、リーンズィは敵意が滲まないよう注意を払いながら問うた。


「私たちが悪性変異体になっていたら、君たちはどうしていた?」


『ン? ン? 悪性変異体。類似語彙を検索中。光無き世界に来たる者(アフター・ワーズ)ノコトカ。ケモノだな。問題ない。駆除は、ナレテイル。そうナラナカッタコトに感謝する』


「お礼を言うのは、きっと私たちの方なのでしょう」ミラーズはベレー帽を頭に乗せて、ユイシスに無線の使い方を教わりながら、ふわりと微笑んで礼を述べた。「ありがとうございます、糸杉(キパリース)の皆様。あなたがたの魂に安らぎのあらんことを」


『祝福に感謝スル。我々はタマシイを知らないが。しかし、諸君らは別段の救いが必要なかッタ。運ばれているからだ。おそらく使者も来ていることだロウ。いや、もう、その存在がある。既に現われている……見たまえ、渦動破壊者が訪れた』


 枯れ木のごとき怪物たちは、夜明けが起きたのとは真逆の方角を指差した。

 リーンズィたちが振り向くと、気付かぬ間に地平線の彼方に小さな炎が現われていた。

 かつてキジールの記録で垣間見た災厄の化身。

 <時の欠片に触れた者>だ。

 それは人間型の炎のように思われた。こちらに背を向けて、緩慢な速度で遠ざかりつつある。かなり遠い位置に存在しているようだが、距離感を侵食して、まるですぐそばにいるかのように誤認させてくる。平面の荒野を進むと言うよりは、何か目に見えない階段でも登るかのような素振りだ。しかし、奇妙なことに明らかに平面上を移動していた。

 背中からは不定形の引き裂かれた翼のようなものが伸びていたが、それこそが炎の全容だった。こちらの認知を狂わせてくる以上には何も起こらない。

 無意識のうちにシィーから取得したレコードを参照したせいで、生理的な恐怖感に身が強張るが、リーンズィの知性は脅威を検出しない。シィーが見た破滅、全てを飲み込んで再配置した、あの極彩色の渦が現われる兆候もない。


『警戒は不必要。あれは、下位個体。全出力を投入されれば世界変容はこの程度で済まナイ』


「よく現われるのか? 他にも沢山いる?」


『肯定。この受信局は、恒常性維持の力場が不安定だカラ、干渉がしやすいのダト思う。恒星炉心からのエネルギー送信も盗める。我々としては迷惑ダガ、手出しが出来ない。いいや、かつてなら、出来たのかもしれないが……現在の我々では、誤った未来にいる我々では……』


 嘆く声に、リーンズィは憂いて目を細める。

 陽炎の向こうで、かつて不滅の肉体で宇宙を目指したものどもの亡骸、枯れ木の怪物たちは嘆かわしげに揺らめいていた。

 体組織に日光からエネルギーを取り出して電気に変える機関があるのかもしれない。

 こうして無線通信を行えるのはいかなる機構か。電磁場を形成し、そこから電波を飛ばしているのか。

 いつわりのものかもしれないが、知性も確かにある。

 自律稼動可能な動力源と、抽出された人工の魂。彼らはやはりスチーム・ヘッドの遠い末裔なのだろう。


「違う、それを考えるときではない……」


 駄目だ、そうではない、とリーンズィは思考を補正する。今はそのようなことを考えている場合ではない。

 <時の欠片に触れた者>がすぐそばにいるのに、この思考はあり得ない。

 首輪型人工脳髄に触れて、破損が無いことを確認した。

 破損はない。だが、異様に発熱している。擬似人格演算に負荷がかかりすぎている。


「都市焼却機フリアエとはひさ、ひさし……した、親しいのか?」


 舌がもつれる。再生と適応は進行しているはずだが、どうにも意識が明瞭では無かった。いよいよ不安に思い始めたらしいミラーズがインバネスコートの裾を引き、手指を絡めてきた。


「リーンズィ、私が代わりに情報交換をしましょうか。もう準備は出来ていますよ」


 発声は明瞭で、肌も艶美な色合いを宿している。リーンズィとは異なり、ほぼ完全と言って良いレベルで持ち直している。

 時折唱えている原初の聖句と関係があるのかもしれないと考え、リーンズィは思考が途切れてしまう前にアルファⅡ本体との共有記憶領域にメモを貼り付けて、意固地にも申し出を断った。

 不合理な行動だという自覚はある。申し出を断ったのは、リーンズィという名の少女の胸に燻る焦燥によるところが大きい。ただその焦燥に突き動かされるがままに、ユイシスからの助力にも抵抗したのみだ。

 リーンズィは装甲された掌を開き、額から落ちる汗を視線で追いながら、自身の思考を解体する。何故これほどにエラーが出てしまっているのか。


 単純だ。自分が役立たずで、無価値で、ミラーズに失望されることを恐れている。


 あの灼熱の朝焼けに、自分は何も出来なかった。

 きっとアルファⅡとユイシス、そしてミラーズの三人だけで問題を対処できたに違いない。

 だが自分は何も出来なかった。いてもいなくても、大差は無かった。

 この、ヴァローナという美しい少女の肉体に閉じ込められた自分は、無力なのだ。

 真なる不滅の甲冑も、己自身ですら全容の知れない高性能な人工脳髄も、強力な重外燃機関も、高度な生命管制を司るAIも備わっていない。ヴァローナが本来持っていたのであろう様々な技巧にも正確なアクセスが出来ない。

 だからミラーズを焦熱の苦しみから救うことも出来なかった。

 この先もきっとミラーズを助けられない。だが、そうではない、助けになれる、自分は必要なのだと信じたかった。この無力な少女の体でも、アルファⅡモナルキアの一人、リーンズィは、世界を調停出来ると証明したかった。

 そして何よりも、ミラーズだ。覆い被さったときの、貪りつきたくなるような微笑が脳裏を過ぎる。彼女を支えられる存在になりという思いが、悪性の腫瘍のように首輪型人工脳髄のどこかに根付いていると自覚する。


『調停防疫局。聞こえているか。我らは貴君の不調を補足している。魂の駆動体に無理をさせルべきでない』と未知のスチーム・ヘッドまでもが諫めてくる。『道を行くことは可能だロウ。だが、移動は他の機体に任せるベキダ。くぬーずおーえの主任医療技術者が変わりなければ、治療は、とても危険ダ。脱走者を何度も収容シて送り返した実績があり、皆恐れていた』


「……あとのことは後で考える。それで、フリアエとの関係は良好なのか」


『後悔しては、遅いノダゾ。……ふりあえに関しては、正統な手続きによる同盟を結んでいる。クヌーズオーエは危険で、破滅の井戸に繋がる。滅ぼすために手を組んでいる。アフター・ワーズ、ケモノは、我々が確実に駆除をスル。ふりあえは適宜技術提供をする。そういう取り決めだ。だが、クヌーズオーエにまつわる状況はコウチャクして久しい。あの都市を消滅サセルために、シシャは我々をハサミの代わりに使おうトシテイル。あの都市は重くなりすぎたから、枝をキル。切らせようとしている。比喩が、通じテイルカ。古い言語の理解が、完全デない』


「つまり、世界ごと無かったことにしようとしている? あの、<時の欠片に触れた者>が」警戒を続けているアルファⅡ本体の視覚を借りて、燃える天使の後ろ姿を眺めた。「あの変異体たちが……」


『肯定スル』


「意図自体は理解できる、と考える」ほつれそうになる思考を結びながら返信する。「都市焼却機フリアエは、クヌーズオーエは他の時間から隔離されつつある、整序されつつあると語っていた……」彼女の予想が正しいとしても、とライトブラウンの少女は首元、首輪の周りの汗を拭い、風を取り込みつつ、言葉を連ねた。「だが切断する箇所はきっとここなんだな? 地続きになっている、あの墓地の世界もそうか。クヌーズオーエと連結する世界ごと世界から切り落す……まるで理解が及ばないが。そんなことが可能なのか」


『時空間を操る権能は、我々にも理解がオヨバナイ。自由に行使デキテイルようにも見えない。そもそもそんなミライには先がなく、限定された可能性世界がタダ……』異形のスチーム・ヘッドたちが押し黙った。『見よ、見よ。渦動破壊者が、手招きをしている。ショクンラは、招集される。我らは、ショクンラを今後関知しない。援護できない。祝福も、祈祷も送らない。ただ、真なる速度の到達(ゴッドスピード)を信じる』


「分からない。お別れなのか?」


『遭うこともあるかも知れない。その時はまた礼を交そう。だが仮に我らで無く、我らの統帥に出会ったなら……我らが枢機卿、アルファⅢヘルメス・トリスメギストスに出遭ったなら……』


「アルファⅢだと?」予想していなかった単語にリーンズィは過敏に反応した。「あり得ない、か、完成なんて、していないはずの機体なのに……アルファシリーズの命脈は途絶えた! わたし、この私が最後のはず!」


『そうだ。完成していない。だから、彼女を止めて欲しい。世界は、もうあの機体を望まない』


 そのとき、虹色の渦が視界を包んだ。

 虹色は七色ではなく、赤、青、黄、緑、■の五色であり、定義を狂わされた虹色の闇に触れた大地は氷に、炎に、土に、空に、海に、硫黄に、影に、夜に、肉に覆われて歪み、いずこかの一点で変異をやめて霧散していき、それとは脈絡のない別の時間、別の土地、別の形で唐突に固定される。

 ユイシスが無数にエラーを吐き出して機能を一時停止した。

 スタンドアロン状態に移行したリーンズィは険しい表情で斧槍を下段に構え、状況を観察した。ミラーズを守れる自分自身を空想した。後ろ腰につけた小型蒸気機関(エンジン・オルガン)はいつでも起動できる。ミラーズを燃える異形から背に隠し、スターターロープを指に絡める。

 いざとなればオーバードライブで一太刀を加えられる。内臓組織で悪性変異が進行しているのは否定しようがない。これ以上の損耗は、本来推奨されない。数秒間でも激烈な負荷を与えれば、おそらくそれらの悪性変異は致命的なまでに身体の再編成を開始する。


「大丈夫、ミラーズ。君は私が守ってみせる」


 たとえ刃を直撃させても、効果があるとは、少女自身信じていない。そして、励まそうとした相手は、逆に斧槍に手を触れて、静かな声音で咎めてきた。


「御遣いを疑ってはなりません。何故ならば、あれなるは奇蹟、恩寵の証なのですから」


 認知機能が現状を正確に捉えた。

 風景が撓み、伸張し、縮小する。

 時空間の操作は『土地の省略』という形で実行されたようだった。

 すぐ目前に、炎上して火を燻らせる人型の影が歩いている。

 信じがたいことに、アルファⅡを先頭にして隊形を組んでいたまま、そこまで引き寄せられたらしい。

 振り返る、という動作も無いままその怪物は振り返る。

 燃え上がる七つの眼球が一行を射すくめた。

 敵意はない。

 他者を害するもの特有の、血腥い直観はない。

 なのに総毛が立って震える。逃走か闘争か、軽量化のために不要な重量を排出しようとした肉体が、破損の著しい臓器の分解を自動的に開始した。


「 どうしてそのような疑いを心に持つのか 」


 声がした。

 理解の及ばない時空からの声が。

 リーンズィはスターターロープを決断的に引いた。

 機関(オルガン)が唸りを上げて黒煙を吐く。

 感覚が加速し、泥のように鈍化した時間の中で、腹部の猛烈な違和感に抗い、喘ぎながら、リーンズィは<時の欠片に触れた者>が同速でオーバードライブに突入している事実に気づいた。

 七つの燃える眼球が瞬きをして、自分を見据えている。

 他の誰でもなく、自分を。

 辛うじて唇に言葉を紡ぐ。


「私たちをどうする気だ。君は……何者だ?」


 溶解した内臓の破片を口から血を吐きつつ、眼前の異形に少女の肉体が問いかける。

 <時の欠片に触れた者>はアルファⅡモナルキアへと言った。


「 どうしてそのような疑いを、心に持つのか。■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■。■■■■、■■■■■■■、■■■■■■■? だが■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■に記されていた通り、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■は既に終了している。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■? ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■? 答えは■■■■■■■■■■■■■■■■■■■だろう。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■もう、意味など無いというのに 」


 そして世界から光が失われた。




 目覚めたとき、リーンズィは焼け落ちた天井を見上げていた。

 冬の空が少女の翡翠色の双眸を覗いている。

 鬱血したような暗い雲が、今にも流れ込んできそうだった。

 起き上がろうとして、手が錆びたパイプに縛り付けられているのを見つけた。


「え……あ……?」


 熱で頭をくらくらとさせながら、何度も手を動かして逃れようとする。

 全身が動かない。

 最初は手足の感覚が喪失しているだけかと誤認したが、錯覚では無く明確に物理的な拘束を受けていた。

 そして自分の肉体が、パイプの露出した粗末な寝台に縛り付けられているのを発見した。

 周囲を見渡すと、何か関節を備えた鉄の棒のような機材が無数に生えている。

 視界に浮かんだ『解析:不朽結晶連続体』の文字と、視界に自分の剥き出しの乳房を認めて、息を呑んだ。

 無理に力を入れようとすると、頭のどこかから熱い血が噴き出して飛び散った。

 熱い、と感じたとき、ようやく初めて自分が装備の一切を剥ぎ取られていることを飲み込んだ。

 血は湯気を上げて花の蜜の香りを拡散させ、すぐ部屋のそこかしこに散っていった。

 奇怪な機械が群生していることを除けば、荒廃した寝台に似つかわしい荒廃した部屋だった。

 壁紙が剥がれて、腐食した木の建材が部屋の内側に倒れている。

 傾いた床のいたるところに木桶が放置されているのが奇妙だった。

 㐲コンエクル風に吹かれて水が波打つのがわずかに見える。


 ミラーズやアルファⅡとのリンクを確立させることが出来ない。視界中にエラー表示が出ているが、擬似人格演算が混濁しているせいで、意味の理解が進まない。

 雪の森林の想起させる冷たい空気が体を撫でて、体からじわじわと熱を奪っていく。

 どうしてこんなことになっている?

 <時の欠片に触れた者>に相対してオーバードライブを起動したところでレコードが途切れていた。


 苦鳴を漏らしながら顔をどうにか持ち上げる。

 足元に大きな鏡が置かれているのを見つけた。複数の固定具で立てられた鏡面に映されているのは、一糸まとわぬ姿で縛り付けられた少女の肉体。

 首輪だけが残されていて、赤いランプを点灯させているが、それにも鎖のように拘束具が巻き付けられていた。

 これから拷問にかけられる囚人のように見える。

 混濁した意識で情報を求め。ヴァローナの人工脳髄にアクセスすると、状況からの連想で、屈辱的な感情を想起させる記憶の断片が浮かんできて、しかし像を結ぶ前に霧散してしまい、危機の気配だけが残留した。

 鏡を見ているうち、頭に見知らぬ小さな筒状の機械が突き立てられているのを見て、危機感は爆発的に増大した。

 見知らぬ人工脳髄を新たに埋め込まれているのだ。

 拘束から脱出しようとするが、そもそも殆ど力が入らないことに気づく。

 そうしているうちに再び吐血してしまった。

 所々が不自然にへこんだ白い腹に、黒ずんだ血が新たにかかった。

 最後のオーバードライブが致命的に内臓を痛めて、回復していない。


 首輪型人工脳髄に処理できる限界値にまで神経が昂ぶっている。

 熱い息を白く吐きながら、視界の明滅する目を懸命に凝らす。

 ベッドの四方八方に林立する棒状の機材は、どうやら幾つかの関節を持つアームらしい。それらの先端に様々な工具が取り付けられているのをはっきりと視認して、体が緊張して強張る。

 そうして拘束具の正体を知った。

 手足を押さえ付けているのは、それらのアーム群のなのだ。

 無声で首輪型人工脳髄にコマンドを入力して、強制的に力を込めようとすると、アームから蒸気が吹き出して、その固定を一層強固なものに変えた。

 辛うじて頭を動かして、また鏡を見た。

 解体される寸前の被験体のような惨めな姿。

 リーンズィは泣き出しそうになった。

 不安に由来する感情ではない。

 ここにミラーズがいないことに思い当たったからだ。


 私は未知の敵に捕縛されたのだ、とノイズだらけの脳髄でリーンズィは嘆いた、自分だけが囚われて、ミラーズが同じ状況になっていないはずが無い。同じような辱めを受けて、それでも毅然として耐えてはいるのだろう。

 だが、それは自分の力が足りないせいなのだ。

 自分さえ頑張っていれば、そんなことにはならなかった。

 自分はまた、何も出来なかったのだ。

 リーンズィの感情が、とうとう決壊した。

 外見相応の少女のように、上ずった声を漏らした。


「あれっ、どうしたの、泣いてるの? 完全に起ちゃったみたいだねぇ、神経締めが甘かったかなぁ? 寝ている内に始めたかったんだけどねー」


 状況に場違いな、朗らかな声が、突如として鏡の向こうから聞こえた。


「だ、誰だ。私に何を……」


「ほとんど何もしてないよー、これからするの。大丈夫、僕は名医だからね! 今まで患者を死なせたことは一度もないよ。だってみんな、死なないから!」姿の見えない少女はさも愉快そうに笑った。「免許も何にも無くて、しかもボランティアなんだ。分かるよ、ちょっと怖いよね。でも、本当に、こういうのは得意なんだ、安心して良いよ。なんと言っても、あのフリアエよりも、こうした修理仕事は得意なのさ!」


「フリアエの仲間なのか? いや、敵だろう! 君は継承連帯の敵対勢力に違いない、ミラーズ! ミラーズをどこにやった?! ミラーズを……」


「落ち着いて落ち着いて。ミラーズってあのふわふわした金髪の可愛い子だよね。あ、でも今は君の治療が大事だから。あーもうダメだよ動いちゃあ、変なところを切っちゃうよ? どうせすぐ塞がるけど、切られて嫌なところぐらいあるでしょ。ないかな?」


 アームの一本が蒸気圧で動き出し、リーンズィの頭をクッションに押さえつけた。

 そして不明な人工脳髄に何やら操作が加えられ、少女の肉体は人形のように脱力し、今度こそ身じろぎ一つ出来なくなった。


「みらー……ず……」リーンズィは自由になる最後の息で、喘ぐようにして名を呼ぶ。「どこ……に……」


「うーん、事前にサンプルでもらった性格傾向と、演算されてる人格が、大分ズレちゃってるなぁ。これワタだけ直して治るのかな? ま、でもそこまで頼まれてないもんね。ちゃちゃっと済ませよっか! 始めるよー始めるよー。ちょっと辛いかもだけど、覚悟しても無駄なので楽にしてね?」


 無数のアームが、一斉に蒸気を噴いて稼動を開始した。

 小刻みなエンジン音が破滅の狂想曲のように部屋中を打ち震わせる。

 どこかで蒸気機関(スチーム・オルガン)が運転されているらしく、狭い室内に黒煙が立ち上った。

 リーンズィは息苦しさに耐えかねて、翡翠色の目を弱々しく見開いた。

 まさにその目前で、得体の知れぬ機械の切っ先が、穢れたところの一つも無い滑らかな腹を、カーテンでも切り裂くかのような軽さでスウと通り抜けていった。

 熱感が意識の片隅に現われる。

 刃の影のように、腹に血の筋が浮かんでいく


「う、あ……あ!」と絶望の声を漏らすのも無視して事態は進行する。


 意識が明滅する。


「血圧の上がり方がすごいね。手と足とか飛ぶのは平気なのに、手術となるとみんなこれだよね! 視界とか感覚とかにマスクをかけるよー」


 曖昧になった感覚。

 視界も嗅覚も聴覚も遮断される。

 行き場を喪い、何とも言えぬ呼気を吐き出したのは一瞬のこと。

 擬似人格演算は精密性が低下し、無機質な切っ先が走る感覚に、何の感慨も発生しない。糸の切れた操り人形のように世界を受容する。

 作業は淡々と進められた。感覚自体は遮断されているが、視覚その他が完璧に喪失したわけではない。

 仄かに現れるイメージが脳髄に曖昧な像を結ぶ。無数のアームが黒く変色した肉片を荒っぽく引き千切って掻き出し、血を吸い上げる。そして何か得体の知れない肉片を部屋の隅にある木桶から引き出してきて、水も切らないままリーンズィの体内に取り付ける。

 まさしく修理仕事だ。工業製品にでもされたような気分が、寸時リーンズィの脳裏に浮かぶ。こんな得体の知れない機械に体を良いようにされている。「……あなたの、ヴァローナの肉体は、黙して隠されるべきものなのです!」、ミラーズの声のレコードが無意識のうちに再生される。ミラーズが触れてくれた時の、全身の緊張を溶かすような暖かさとは真逆の、強引に尊厳を簒奪される感覚。


「どうしたのー? 大丈夫? 怖いかな、怖いよね。こんなことされるのがもうショックだよね、怖がらせるつもりじゃなくてさ。そっか、もっと気丈だと勘違いしてたよ! 今、手術用の布で隠してあげるからね。視覚をマスクするよりも物理的に完璧に見えないほうが安心だね。怖くないよ怖くないよー」


 部屋の片隅から埃まみれのリネンのカーテンが取り上げられて、リーンズィの体を優しく包み込んだ。

 布の下で無数の金属の腕が蠢く。

 蒸気を布の隙間から吹き出して、誰の視界にも入っていないというのに、適切に作動しているようだ。

 せっせと働いて、体内の空洞へ生体部品を詰め込んでいく。

 そのぎこちない一挙動ごとにアームの関節部から蒸気が噴き出し、体内を掻き乱し、接合して、周囲の臓器を無造作に掴んで退けて、位置を整える。


「あ、しまったしまった。順番が違うね、これもっと奥かな……」


 ぶちん、と手術(オペ)にあるまじき音が響く。

 何か大切なものが奪われていく喪失感。

 ぞろりと一揃いの何かを摘出されて悲鳴をあげそうになるが、肺に血が溜まってはそれもままならない。

 そもそも、自分の肉体が()()()()()()()()()()()()()と理解した時には、リーンズィの潔癖な少年のような端整な顔立ちは、敗北感に押し潰されそうになっていた。

 特に捜査せずとも不死病患者の肉体は勝手に再生を開始するものなのだ。上半身と下半身に別れても、不死病患者は容易くそれらを治癒してしまう。例えば初遭遇時のキジールのように、腸管や血管、神経束がそれぞれ独立して再生を始めるのだ。

 だというのに、現在、リーンズィの肉体は損傷に適切に反応していないのだ。

 サイコ・サージカル・アジャストの許容値を超えたストレスに、ライトブラウンの髪の少女はとうとう嗚咽し始めた。

 自分の体が自分で無くなっていくような錯覚もあった。

 ミラーズとあの焦熱の荒野を生き抜いた思い出まで取り替えられていくようで、恐ろしくてたまらない。


「あ、こらこら、騒いじゃダメだよー。後で恥ずかしい思いをするのはキミなんだからね? でも初めてこんなことされたら泣いちゃうよねぇ、分かるよ。感覚鈍麻は効いてるよね、でも痛くなくても、こういうのされると辛いよねぇ。僕も治療の一環で、生きていく上でいらない内臓全部摘出された日は泣いちゃったからねぇ」と鏡の向こうにいる誰かは暢気に話を続けた。「まぁその時の僕はそれをお医者にやってもらわないと死んじゃう体だったし、普通に痛かったんだけどね? 君たちは痛くないし、怖くない、怖くない。それに君たち体は特定条件下なら丸ごと変えられるでしょ。それを思えば怖くない、怖くない。でも初めてだもんね。打ちのめされたその気持ちは僕にもわかると思うよー」


 リーンズィは、返事をしなかった。

 親からはぐれた子供のように、掠れた声でユイシスとミラーズの名前を呼ぶリーンズィとは関係なく、施術は着実に、無機的に進行した。

 全体としては大がかりだったが、客観的にはヌイグルミから詰め物を取り替えていく作業に近い。

 変色して傷んだ部品を摘出しては、新鮮な部品を詰め込んでいく。


「ミラーズちゃんはねぇ、泣かなかったよ」


「みらー……ず……」


「あまり知らない顔だけど、スヴィトスラーフ聖歌隊の幹部なのかな? まだ小さな見た目だったけど、精神的には君より大人さ。すごかったよ、絶対に痛いとか苦しいとか言わないの。だから、君も頑張らないとね」


「……ミラーズも、私と同じ目に……」


「いや、君と比べれば大分軽かったけどね。ついさっきだよ。今はもういないよ。うーん、君の方は、実際に触って診察した感じだと、思ったより色々ダメになっちゃってるね。本番はここからか-。余分にパーツ取りしておいて良かった。……悪性変異体進行率、変化無し! 安全ヨシ! あはは、何も良くないけどね? 良くないよね、辛いよね。でも安心して良いよ、僕が全部元通りにしてあげるから! オールドスクール(純粋蒸気駆動方式)だからって侮るなかれ、磁気嵐の中でも作業が出来るし、これでも精密作業は得意なんだ。腕のそれぞれが、10240段階を越える調節が可能なのさ。古いだけじゃ無くて、僕は何時でも最新式なわけ」


 がつん、がつんと音を立てるアームの一つに取り付けられた不朽結晶製のレンズが、シーツの下に潜り込むのがめいた。

 正直かなり不安な挙動であった。


「はぁー。いいね、この腹膜の下……やっぱりこうでないとね。刺激に反応して蠢くはらわた! ダメじゃない内臓は全部綺麗! うんうん。元気な不死病患者の証だよ、手遅れにならなくて本当に良かった。今日は良い日だなぁ、新入り相手に仕事が出来て僕も嬉しいよ。うんうん、綺麗で可愛い内臓。君の顔にぴったりだ。あ、適当に細胞とか採取して良い? ヴァローナは特殊な事例だからねー。出来れば培養して実験に使いたいんだけど。聞こえてるかなー?」


 無言で首を振る。

 これは本来私の体では無いので同意できない、というところまでは、息が続かない。


「そう? そうだよねぇ、嫌だよね。分かるよ! 知らない間に自分を量産されるのとか嫌だもんね。まぁリリウムも許さないか。あの子、娘とかいっぱいいるのにそういうの厳しいし。あ、苦しそうだから脳内麻薬増量しておくね。こういうメモリ調整するの久々だなぁ。君みたいなタイプのスチーム・ヘッドって基本的にここまで容態悪くならないからね、色々させてもらう機会、最近はなくてさ。あー楽しい、人間が一番だよ本当に。人間が一番好き。可愛い女の子はもっと好き。大丈夫だよー、絶対元気になって帰ろうねー。はい、じゃあちょっと感覚を曖昧にしていくよー」


 蒸気が渦巻き傷口から血が噴き出すその教会の片隅で、無闇矢鱈に明るい少女の声が生体脳髄を揺さぶる。アームの一つがガチン、ガチンと機構を噛み合わせながら伸びてきて、ライトブラウンの髪の頭に突き刺さった未知の人工脳髄を操作した。

 途端に、酷く歪な安心感と脱力感が全身を突き抜けた。

 リーンズィの不安定な感情は、むしろ悪い方向へと一気に悪化した。

 ミラーズ、ミラーズと声にならない声で叫ぶ。ミラーズに守られてあの荒野を生き抜いた。ミラーズがいあたから生き抜くことが出来た。それだから、この謎のアーム群に、ミラーズとの思い出を間接的に穢されている気がした。

 しかしリーンズィは嫌悪感に対して抗うことさえ出来ない。


「あ、あー、これ血液もかぁ。心臓も交換するかなぁ。ごめんね、リーンズィちゃんだっけ、ヴァローナの後釜の子。これからもうちょっと、さらに苦しいかも知れないけど、死にはしないから、安心してね! 死ぬほどびっくりするだけさ。死ねたら良いのにねー、死ねないからね、僕たちって。難しいよね人生。僕もまさかこんなことをする側になるなんて思わなかったよ、出た学校も工学系だし……」


 斧のような器具を取り付けたアームが何の警告も無く振り下ろされて胸骨を砕いた。再生の抑制された傷口を、新たな鉤爪がまた強引に開く。心臓が摘出された瞬間にリーンズィは盛大に吐血した。口腔に吸引器を備えたアームが差し込まれ、逆流してくる血液を窒息する前に吸い上げて蒸気ごと体外へ放出する。

 あまりの事態にリーンズィは思考を停止しそうになっていたが、辛うじて意識を失わなかった。

 隣の寝台にミラーズを見つけたからだ。

 ミラーズが、裸身を蒸気に煙る空気に曝け出して、浅く息をしながら、それでもぎゅっと、リーンズィの手指を握ってくれていた。

 同じ施術を受けた後のようだ。苦しそうだが、翡翠色の瞳に宿る意思に変化はない。

 無条件の愛を前提とした、愛する者の瞳をしている。

 その茫漠たるイメージに心を支えられて、わけも分からないまま、リーンズィは耐えることを選んだ。

 アームが部屋の隅に伸びる。

 木桶から新しい心臓らしきものが掴み上げられ、リーンズィの胸部の空洞に即座に押し込まれた。

 呆然とするリーンズィを余所に、スチーム・ヘッドの肉体はそれを受容する。

 電気刺激で活性化した周辺組織が恒常性によって情報書換を行い、心臓を己のものとして取り込んで、同化していく。


「部品交換は初めてかな? よく見ておいた方が良いよー。スチーム・ヘッドの子たち、特に戦闘用の子って、体を大事にしなさ過ぎなんだよね。大抵は治っちゃうから仕方ないんだけど。君が無茶をするたびに全身あちこちでこういうぐちゃぐちゃのボロボロな損傷が起こるわけ。いざ視覚化されるとキツいでしょ。でも君が見えてないところでいつもこれぐらい肉体は苦しい思いをしているわけですよ」


 口腔からアームが出て行くと同時に、リーンズィの新しい心臓は再び動き出し、呼吸も再開した。

 あまりにも呆気なく、リーンズィのものでない心臓はリーンズィのものになった。


「はい、はーい。よく我慢したね。治療は終わったよ。悪性変異体進行率、コンマ05、ヨシ! これで安心だね。えーっと施術痕の再生時間は……五秒ぐらいで良いかな。あんまりずっと色々剥き出しだと恥ずかしいよね? 分かるよ、僕も嫌だったよあれは……」


 アームがシーツを剥ぎ取り、リーンズィのそこかしこに針を突き刺して、電流を流した。

 抑制されていたらしい再生能力がリリースされ、きっかり五秒後には、傷と呼べる全てのものは何もかもがまるで最初から無かったかのように消え失せていた。

 頭に突き立てられていた人工脳髄も「医療用義脳も抜くからね、動かないでねー」という軽い言葉と共に摘出された。

 その傷も即座に修復される。


「ふー。おつかれさま。やー大手術だったね! スチーム・ヘッドとして治療を受けるのは初めて? これ評判悪くてねぇ、やるのは楽しいけど、僕もこれをやらなきゃいけない状況は困るんだよねぇ。悪性変異が進行してカースドリザレクターになる一歩手前のところまでいったら、内臓を片っ端から取り替えるしか無いのさ。相当無茶したんでしょ。これからは加減をしなくちゃゃダメだよー、人工脳髄をダウンさせて完全に意識ない状態でやるのが一番なんだけど、そんなことしたら生命管制もダメになっちゃうから、意識ある状態でアレコレしないといけなくなるの。恥ずかしいし苦しいしで、良いことないよね。義脳の脳内麻薬で変な癖がつくのも良くないからねー」


 よいしょー、という気の抜けた掛け声が聴こえて、五指を備えた巨大なアームが鏡を脇に退けた。

 一人の幼い少女が、そこに座っていた。

 左右対称に近い目鼻立、真意の読み取れないアルカイックスマイル。

 黒いショートヘアを傾けながら、感情を一切感じさせない明朗な声で語りかけてくる。


「搬送前に顔は合わせてたんだけど、覚えてないかな? 覚えてないよねぇ、義脳を刺すまでめちゃくちゃ暴れてたもん。仕方ないよ」


 座っていた、というのも厳密ではなかった。

 彼女は自分の脚では立っていない。おそらくその機能が無い

 不朽結晶連続体で構成された大型の車椅子は、まさしく彼女の脚なのだろう。それにちょこんと行儀よく腰掛けており、「目ははっきり見えるかなー?」と丈の合っていない白衣の袖をひらひらとさせて振った。

 驚くべきことに、まさしく白衣であるという点以外何の意味も持っていないらしいその服は、不朽結晶連続体で構成されていた。

 手指は袖で隠れていたが、金属質の糸のような線が袖先から伸びており、それと連結されているらしい無数のアームが少女と連動して手を振った。


「その首輪型の人工脳髄のランプも正常状態。もう何の心配もないよー」


 拘束は次々に解放されていき、リーンズィがライトブラウンの髪を触って放心している間に、アームがどこからか大鴉を思わせるインバネスコートと手甲を運んできた。

 ミラーズが以前に語っていた加熱式のクリーニングを受けたらしく、汚れ一つ付着していない。


「今回は危ないところだったね。あのこと違って『癒やしの聖句』も使えないのに無茶をしすぎだよー。ここに今日僕がいて本当に良かったね。良かった良かった! 次は無いようにね!」


 だぼだぼの白衣の下には、聖歌隊のレーゲントが着るような複雑な意匠のゴシック調のドレスを着ているようだったが、不朽結晶製ではなかった。短い裾とソックスの間に見える生身の肌が目を引く。


「あ、この服良いでしょ。服屋さん出身の継承連帯製蒸気甲冑(スチームパペット)がいてね、色々取引して準不朽素材で作ってもらったの。まぁ服屋さん、発狂しちゃったから、もしもこれ壊れちゃったら直せないんだけどね!」


 そう言いながら艶やかな黒髪を掻き上げると、後頭部と車椅子を繋ぐ大量のケーブルが露出した。

 どうやらその大型車椅子自体が、人工脳髄であるらしい。少女の肉体自体はこの無数のアームを備えた蒸気甲冑の単なるインターフェイスか、単なる器材であるようだった。


「ん? どうしたの? 僕に一目惚れしちゃったかな?」と無機的なフレンドリーさで身を乗り出してくる、見目麗しい細面の少女。

 その顔かたちと声は、どこか都市焼却機フリアエに似ていた。

 ただし、年齢は遙かに幼い。

 ミラーズと同程度かさらに下だった。

 少なくとも二次性徴を終えているようには見えない。


「君は……君は、誰だ? ……私に何をしてくれた? 感謝はするが……」


 肉体の動きは快調だった。

 肩にインバネスコートをかけ、立ち上がり、何度か軽く跳ねて床を軋ませる。

 裸身を鏡に映して確かめるが、異常箇所はどこにも無い。

 首輪型人工脳髄も正常で、加熱もしていない。

 エラーメッセージのログを辿ると、自分が極めて危険な状態に置かれていたことが知れた。

 悪性変異進行率90%。

 アルファⅡモナルキア本体なら問題レベルだが、端末であるリーンズィでは事情が異なる。

 全身が連鎖的に変異するまで幾許もなかったはずだ。


「何をしてくれたって、手術だよ、手術。公私はしっかり分けるから、エッチなこととかしてないよ。スチームヘッドの肉体部分なんて、擬似人格を演算するための部品みたいなものだから、生体部品を取り替えただけっていう言い方もできるね!」


「……見解に相違がある。意識がある状態での施術は、人道に反する。たとえ不死でも、機械の脳髄でも、守られるべき尊厳はある……」


「そんな大したことはないよ。不死病患者なんてゾンビみたいな者なんだから。生体部品の交換修理ってことで割り切った方が良いよー? ほらほら、服を着ようね。ここも患者を裸で歩かせるほど風紀は乱れてないよ」


 リーンズィがインバネスコートを着て、小型蒸気機関を腰に取り付けるのを見届ると、少女は白衣の袖をくるりと回した。


「じゃあ畳むねー。そのまま動かないでね、アームに挟まるからね」


 無数のアームが排気を始めた。

 噛み合い絡み合い、複雑に折り畳まれ、車椅子の背面に存在する支柱へと集合していく。

 やがて、無数の腕を備えた上半身だけの巨人のような形状になった。

 その怪物は車椅子の少女の背もたれの上方に固定され、多腕の守護天使を象った石像のように鎮座した。


「あと、他にも君に何か聞かれてたね。なんだっけ? 応える応える応えるよー」


 五指を備えた大型アームが蒸気を吹く。

 その巨腕で車椅子のオフロード仕様の車輪をギィギィと回しながら、フリアエに似た少女は微笑みながら接近してくる。

 か弱い少女と相対しているはずなのだが、背負った巨大な蒸気甲冑のせいで異様な圧迫感を醸し出している。きっと、ゆらゆらと揺れる白衣の袖の中で、人差し指の一本でも動かそうものなら、無数のアームが敵対者に殺到していくのだろう。


「そうだそうだ、僕が誰かだっけ? フリアエの仲間っていう認識は正しいよ。僕は都市焼却機フリアエ直属のワンオフモデルのスチーム・ヘッド、多機能型技術支援用蒸気ヘカトンケイル。ご覧の通り作業用でね、知らないとちょっと怖いかもね、ごめんね。素性と言えば飛び級で大学を出たりしてます。スチーム・ヘッドになったのは13歳の頃だけど、活動時間だけで言えばかなり古株かな。あ、もちろん見た目通りの年齢じゃ無いからね。仲間内ではヘカティ13で通ってるし、そう呼んで。僕、13機目のヘカトンケイルだからねー、ワンオフなのに変だよね?」


「その……まずは礼を言う、ヘカティ13。私は、悪性変異体になりかかけていたのか?」


「危なかったよー? ギリギリで担ぎ込まれたんだ。丁度良く君のお連れさんに生体部品を提供できる人材がいたから助かったけど。<時の欠片に触れた者>とやりあったんだって? それで人間の形留めてるなんて奇蹟だよ。頭の中身は変になっちゃったかもだけどね。あとで話を聞かせてね」


「あ、ああ……そうだ、ミラーズ」隣の寝台に目をやって、そこに寝台など無いということに気付いた。「ミラーズは?」


『謝罪します。先ほどの映像は貴官の神経を安定化させるための欺瞞映像です』事務的なアナウンスが脳裏に響く。『ミラーズは現在、当施設の外部で、奉仕活動中です』


「ユイシス、今まで何故支援をしてくれなかった!」


『修正を求めます。しなかったのではなく、不可能だったのです。貴官の人工脳髄の変容が、他の機体にも及ぶ可能性がありました。隔離モードにせざるを得なかったことは、大変遺憾ですが。……貴官の暴走は当機の責任でもあります、管理不行き届きで減俸ですね』


「ミラーズはどこに……」


「ああ、ミラーズってあの金髪の可愛い子だよね? みんなに支払いをしてるところじゃないかな」


「支払い……」


「あ、言ってなかったね。ここは人類文化継承連帯の勢力圏内だよ。商取引の概念がまだ生きてるわけ。だから、無償では君たちを助けてあげられない。そこで取引さ。レーゲントが支払えるものっていったら、それは、あれだよね。分かるでしょ」


 組み伏せられたミラーズの姿がありありと想像された。あるいはそれはシィーやヴァローナがどこかの時間で見た真実の光景なのかもしれないが、リーンズィは吐き気を覚えた。


「ミラーズはどこにいる? 助けに行かないと!」


『精神外科的心身適応に異常。リーンズィ、呼吸を整えてください』


「普通に教会の外にいると思うよ。うるさいし、特別な催事でもなければ野外でやってほしいものだからね。ところで助けるって何から助けるの?」


 リーンズィは鬼気迫る表情で部屋を飛び出す。

 そこは廃教会だった。

 並べられた木椅子には不死病患者たちが魂の抜けた顔で並んでいる。

 さらに足を速め、大扉を開け放った。

 暗澹たる空の下、風に翼の如き金髪を預けながら、少女は聖なる歌を高らかに歌っていた。

 魂は無いのだろう。

 祈りなど無いのだろう。

 だがその声は、小高い丘の上に教会、その斜面に立ち並ぶ巨躯の継承連帯製蒸気甲冑(スチームパペット)の胸を、確かに震わせているようだった。

 怪物じみた威容を誇る戦闘兵器たちが頭を垂れて、一様に少女の歌に聴き惚れている様は、新しい救世主の来訪を言祝ぐ戦士たちの集まりにも見えた。


『思考能力に影響が出ているようですね。奉仕活動とは、慰問のために歌を捧げることです。貴官の連想能力は異常を来しています』


 いてもたってもいられず、「ミラーズ!」と声を上げながら、リーンズィは自分よりも頭一つ分以上も小さな少女を抱き留めようとした。

 恍惚として歌っていた少女ははっとして、声のする方を振り返り、抱擁を受け入れた。


「リーンズィ! 良かった、回復したのですね!」


 金色の髪の少女は喜悦の声を上げ、口づけを返した。

 蒸気甲冑の兵士たちはどよめいた。「歌が止まったぞ」「あれ誰だ? ……もしかして行方不明だったレイヴンじゃね?」「そうそう、いや別人なんだと。キジール庇って重傷なんだとよ」「キジールって誰だ?」「レーゲント同士が仲良いとほっとするな」「さっきの悲鳴あの子のかぁ。ヘカティのメンテナンスきついもんなぁ」と口々に所見を述べ合った。


「リーンズィ、良かった。傷は癒えたのですね?」


「大丈夫か、こいつらに酷いことをされたりは……」


 人工物の巨人の一機が不機嫌そうに唸った。


「いや、こんな野戦病院でそんなことするわけないだろう、落ち込むぜその発言。俺らのイメージ良くないのは知ってるけどよ」


 蒸気騎士の一人が困った様子で口を挟んだ。


「いやいや、この子を責める場面じゃないぞ。どうせヘカティ13がまた余計なこと言ったんだ。そこのレーゲント、考えてもみてくれよ、俺たち、この甲冑の中に閉じ込められてるんだぜ? 無理だろ。ナニも出せねぇし。まぁクールタイムは鎧脱ぐが。昨日今日来た新参を嬲るほど飢えてないよ。」


「う、すまない、無礼を働いた、すまない……ミラーズが心配で、心配で、たまらなかったんだ」


 リーンズィが涙をこぼしながら頭を下げると、戦士たちは頷いて、状態の悪い巨大な手甲で、気にするなとジェスチャーを送ってきた。


「好きな人のことは心配だよな」と誰かがぽつりと零した。「オレも生きてた頃はそうだった」


「ミラーズ。私は、私はどこか、おかしいんだ、何だか変な方向に思考が固まってしまって……奉仕活動をさせられていると聞いて……」


「そういうことですか。全く、あなたは本当に乙女なのですね。それもむっつりさんな感じの。ああ……言いそびれていましたが、私は『治癒』の力を持つ原初の聖句を操れるのです。歌うだけで人々を癒やせる奇跡の力です。その力を歌に乗せて皆様に提供し、それを疲弊した皆様に届けることで対価としていたのですよ」


「でも、君の体は? 君も手術を受けたと……」


「悪いところはどこにもありませんよ? 内臓はいくつか摘出されましたが、聖句とヘカティ13様の力でもう治しましたし……」慈母のように微笑みながら、ミラーズはリーンズィの服の上から腹を撫でた。「私の一部は、あなたの中で息づいてますよ」


 移植された臓器は、全てミラーズのものだったのだ。

 リーンズィは後悔と愛慕に胸を締め付けられ、息を詰まらせ、いっそう強く小さな少女を抱きしめた。


「良かった。本当にすまなかった。また、君を守れなかった。<時の欠片に触れた者>から守ろうとして、また失敗した。私は、私は……」


「大丈夫ですよ、リーンズィ。大丈夫、最も新しい我が娘。あなたは元々戦う人では無いのですから。本当に、心から、私を愛してくれているのですね」戦士たちが眺める前で、恥じらいもなく、金髪の少女とライトブラウンの髪の騎士は、抱擁に法要を重ねた。「それを嬉しく思います。あたしを守ろうとしたその気持ちは、きっと神様もお認めになる真なる行い。そして何より、私が嬉しかったので、大丈夫です」


「あい、している。愛しているんだ、ミラーズ。私はきっと君を愛している」


「あたしもよ、リーンズィ。愛していますよ……」


 蒸気機関の兵士たちは、囃し立てる言葉も無くそれを眺めていた。その時間の神聖さを、戦士たちは承知していた。

 切れ目の覗いた空から僅かばかり光が降りて、風に流された帯のように地表を照らしていく。神の息吹が、廃協会の軒先で愛を囁きあう二人の聖詠服をはためかせた。

 神話の時代から名を借りた半人半機械の兵士たちは、思い思いに、草木の生い茂る道に腰掛けたまま、二人の少女が互いの愛のために呼吸する姿を、失われた時代の明暗調の絵画でも見るかのように、ただ沈黙して眺めていた。

 芸術は死に絶えた。

 では、彼女らはいつまで保つか。

 そうして気を取り直して、再び歌い始めた少女の前で、何人かの戦士は目を閉じた。

 祈った。

 ただ、その麗しさと平温が永久でありますようにと。

 どうか、この狂気の鏡像連鎖都市『クヌーズオーエ』の狂気に呑まれないようにと、信じてはいない神に祈っていた。

 これ以上、幸せを踏みにじらないでくれと、神を罵っていた。


 スヴィトスラーフ聖歌隊と人類文化継承連帯の合同部隊、『クヌーズオーエ解放軍』による目標設定と攻略の開始から、既に数百年年が経過していた。

 不滅のはずの兵士は闘争の中で壊れ、死に、永遠に歌い続けるはずの少女たちも幾らかは動かなくなった。

 壊滅はしていない。

 だが、倦怠と疲弊は着実に積み重なる。


 狂えるこの疫病の都市の果てを、未だ誰も知らないままだ。



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