セクション4 鷲獅子は舞い降りた/越冬隊練兵③
招集を掛けたスチーム・ヘッドはすぐに応答を返した。
曰く、『すぐに到着する』と。
その一報を受けてリーンズィとレアがホテル最上階のホールで待っていると程なくしてエレベーター巻上機の駆動音が響き始めた。
籠の現在地を示すインジケーターは液晶パネルのあちこちが不点灯になっており何か模様が変化しているのは読み取れるがはっきりとした数字としては認識出来ず具体的にどのあたりまで近付いてきているのかは判然としなかったがいずれにせよおおよそ全ての人間が最後には地に伏せて息絶えるのと同様に最上階でチーンとベルを鳴らした。
扉が開くのと同時に、リーンズィは軽く手を上げて挨拶した。
「迅速な対応に感謝する。感謝するの。急な呼びかけに応じてくれてありがとう」
全身を蒸気甲冑で装甲した兵士が、エレベーターから歩み出て、ゆるりと敬礼した。
「現着しました。浄化チーム進行阻止班の代表を務めております、エーリカです」
声音で女性だと分かった。ユイシスが事前に用意してくれていた登録情報と眼前のスチーム・ヘッドを比較したが、よくよく観察すると見た目からしてかなりの差異がある。
それ以前に名前が違う。
「あれっ、どちら様なのだな……どちら様ですか?」
まさか全くの別人が来るとは予想していなかったので思考がフリーズしてしまった。
へいユイユイ、と咄嗟に呼びかける前に、拡張視界にエーリカなる女性兵士の作戦参加履歴が表示された。ユイシス専用グッドボタンを連打して彼女の働きを称賛する。
登録名『エーリカ』。ケットシーこと<首斬り兎>の討伐にも選抜されていた戦闘用スチーム・ヘッドだ。優秀な機体ではあるようだが今回招集を掛けた相手は『クロムドッグ』で、彼は間違いなく男性を素体としたスチーム・ヘッドだった。全く違う。名前の文字数すら同じではない。
困惑するリーンズィを余所に、レアが「エーリカ、どうしたのよ」と眠たげな声を出した。
「あなたのことは呼んでないわよ。まぁこっちが上、そっちが下って立場に変わりはないけど、格式張って装面してる必要も無いわよ。わたしもウンドワートアーマー着てないし。どうせ同じTモデル系列なんだから、気楽にして」
「それでは御言葉に甘えて」とエーリカがヘルメットを外した。
頭の後ろで束ねられた長い金髪がはらりと滑り落ちた。
露わになったのは、レアやコルト、都市焼却機フリアエといった絶世の美貌を持つ複製人間たちと同じ顔――そう思われたのは一瞬で、エーリカも美しく整ってはいるにせよ、明らかに別の個性が存在しているのが見て取れた。
非現実的と言うほどの顔立ちでは無く、理知的でありながら柔和な印象がある。
確かな社交性というものを感じさせる人間的な微笑を浮かべていた。
「私はTモデルと非Tモデルとの交雑で生まれた個体なので、厳密には違うのですけどね」
「どうだか。純正のTモデル不死病筐体だって、大体どこかの遺伝子は弄くってるわけだし、オリジナルの『誰か』と多少違うのは、誰だってそうでしょ。えーと、申請はぁ……」レアが虚空に視線を這わせる。「一応同行の申請は出してくれていたのね。見てなかった。リーンズィ、受け入れて良いわよね?」
「レアせんぱいが良いのなら。というか、アルファⅡモナルキア<総体>が暗黙裏に許可を出しているのだと思う」
「あ、それもそうよね。でなければこのホテルに侵入出来ないもの」
<総体>は、アルファⅡモナルキアの言わば大本体であり、蒸気甲冑の演算装置等に中核が存在すると思しき、エージェントからは知覚不能な上位の意志決定機構だ。
現在はコルトの遺したSCAR運用システムとも連結を果たし、クヌーズオーエ解放軍の戦術ネットワークをも掌握・運営している巨大な構造体である。
それが問題ないと認めているのならば、リーンズィにも異論はない。
全権代理人といえども所詮は端末の身分だ。人間が『動く』と決めるよりも前に肉体には既に活動電位が現れている。意志決定に先行してより上位の存在が既に情報処理を行っている、というのはさほど珍しい事象ではないとも言える。
「こんにちは、エーリカ」リーンズィは改めて挨拶した。「クロムドッグは、どうかしたのか? どうかしたの? ここにはいないようなのだな」
「ああ、彼は何というか拘りの強い人間なので……そういうわけで送り出す側として責任があるかと思いまして参上した次第です。彼は私の右手にも等しいのですが精密すぎるきらいがあり……」
「ふむ……?」
リーンズィが首を傾げていると、『こちらクロムドッグ。現着した』と男の声で無線通信が入った。
『今屋上にいるのだが、屋上のドアが閉まっていて入れない。指示を請う』
リーンズィは上方を何となく見ながら応じた。
「もしもし、来てくれてありがとうなのだな、ありがとう、クロムドッグ。でも、どうして屋上に?」
『制圧作戦は屋上から進めるのがセオリーだ』
兵士はどこかズレた回答を臆面も無く返した。
『プロとしての力量が求められる任務だと聞いている。エントリーに際しても相応の覚悟と技量のある人材としてのアピールが必要だろうと判断した。プロとしてな』
「ぷ、プロなのだな……?」
短気なレアがその瞬間に怒りを撒き散らさなかったのは、さしもの軍神もクロムドッグの意図が理解出来ず、純粋に反応に困ったためだろう。
腕組みをして、頭が痛そうに溜息を吐くばかりだ。
「待ちなさい、待ちなさいな。いったい誰が制圧作戦を想定しろだなんて命令したのかしら?」
「すみません。彼はこれがプロらしい振る舞いだと思ってるんです」
エーリカが、特に悪びれた様子も無く、人当たりの良い微笑のまま頭を下げる。
笑みに嘘くささというものが全く感じられないため、本気で何とも思っていないのだろう。
「タワーズ……FRFの兵士たちはあれでも『人間』ですから、自分には『対人』戦闘能力が十分に備わっていると証明したいのでしょう。アルファⅡモナルキアのエージェント・ヴォイドには情けないところを見られたようで、気にしているのです。つまりは、汚名返上、ですね」
などと如何にも愛想の良い笑みを向けられてもリーンズィは困ってしまう。
最終全権代理人となったリーンズィには、エージェント・ヴォイドの記憶を読み出すことは確かに出来る。しかし実体験として引き継いでいるわけではないし、記憶の精査も特にしていない。当然『情けないところ』にも全く心当たりが無い。
見も知らぬ汚名を返上されてもどうしようもなかった。
「ともあれ、私のクロムドッグの対人戦闘能力は実際大したものです。非感染者の警察特殊部隊に参加して、CQBやCQCを実戦で修得しています」
「シーキュービー……聞いたことがある。網の上でお肉や野菜などを焼いて、皆でワイワイするお祭りなのだな」
「それはBBQじゃない?」とレア。「CQBはクロース・クォーター・バトルの略よ。狭い室内にショボい装備とイマイチな火器で乗り込んで、至近距離で地味に効率よくドンパチするための技術。死んでも死なないやつが大半のご時世に役に立つかは怪しいけど、本当に生身の人間相手にしか使えない戦闘技能を修めてるスチーム・ヘッドは珍しいわね」
「珍しいのだな、珍しいの?」
「だってまだ人類が健在だった頃にしたって、結局、クズ肉のしょうもないテロリストとかが相手よ? そんな相手に小手先の技を使うの、馬鹿馬鹿しいったらないでしょう? 蒸気甲冑を着た本格的なスチーム・ヘッドなら、特に工夫無く乗り込んで、雑に敵を殴って回ってお終いよ。人質を取られても確実に相手の頭と銃を撃って無力化出来るわ。もちろん、敵が不朽結晶弾を山ほど持ってきてるなら話は違うかも知れないけれど」
「元々は私の護衛として育成したスチーム・ヘッドですから、一通りの対人技能を修めさせています。それだけなので、経歴などを加味して厳密に言えば、正直本物のプロとは言えないのですが」
「では何なのだ、何なの?」
「そうですね。プロっぽさのエキスパート、と言っても過大な評価ではないと確信しています」
「プロっぽさのエキスパート……!?」
リーンズィは思わず復唱してしまった。
それが過大評価でも困るし、過大ではない評価でも困る。
何らかのちゃんとしたエキスパートであってほしかった。
『HQ、それで、屋上のドアを蹴破っても構わないか? 指示を請う』
「人の家のドアを蹴破るんじゃないわよ!」レアは唸り声を上げた。「……いいえ、いいえ、わたしたちの固定資産ってわけでもないのだったわね。どうなの? ロープを使って屋上から最上階の窓まで降りてくるとかも出来るの? プロなんでしょ?」
クロムドッグは平然と返した。
『可能だがロープは用意していない。ここまでは手で登攀してきたので、降りるだけならジャンプして壁を伝うだけで済むのだが。しかし、ロープでの突入がクリア条件ということであればロープを取りに帰る』
エーリカは柔和な微笑を崩さず言った。「クロムドッグ、さすがに手間ですから、取りに帰るのはいけませんよ。その場その場のアドリブで補うのもプロっぽくないですか? ねぇ、リーンズィさん?」
「ぷ、プロっぽいかもしれない……のだな?」
「いや、別に、私たち、そういう謎のプロ感は一切求めてないんだけど」
レアは真顔で言った。
結局エーリカが手近な窓を開放し、そこから侵入してもらうことになった。
リーンズィは普通に屋上の鍵を開けようとしたのだが、相手からのたっての要望だったので、よく分からないまま折れた形だ。
クロムドッグはその窓からスルリと一瞬で滑り込んできた。
プロっぽさのエキスパートに違わぬ見事な所作だ。
腰を落とし、ちゃき、ちゃきと状態の良くない銃火器の装具を鳴らしながらクリアリングと思しき動きを取って、「クリア」と言った。
かなり、それらしかった。
「……ぽいのだな」
「ぽいわね……」
「ぽいでしょう?」
それっぽい。
それっぽい、以外には特に感想の出ない動きだった。
エーリカもクロムドッグも満足げだったが、リーンズィもレアも本当に大丈夫なのか、ユイシスの人選は正しかったのかと、若干疑問に思い始めた。それをいったい誰が止められようか。
「どうも、クロムドッグです。選抜して下さり光栄です、一人軍団リーンズィ、アリス・レッドアイ・ウンドワート」
折り目正しい敬礼に、レアは面倒そうに敬礼を返し、リーンズィはぎこちなくレアの動きを真似た。
「堅苦しい言葉遣いはしなくて良いわよ、呼び出したのはこっちの都合だし。それで、例のクズ肉どもについて噂ぐらいは聞いてるわよね」
「は。都市の外への脱出を目指すグループが現れたとか」
「ちょっと違うのだな、違うの。都市外への脱出を目指すグループの、その形成を目的とする指導者が現れた、が正しい」
リーンズィはアルファⅢグリフォンのデータを共有した。
「彼女がその代表者。FRFでは本来最上位に位置するスチーム・ヘッド……メサイアドールの一機。クヌーズオーエ解放軍との戦闘は望んでいない。私たちは彼女の活動を支援するつもりでいる」
「は、しかし、それと、私のような一介の戦闘用スチーム・ヘッドに、何か関係が?」
クロムドッグは淡々と尋ねた。
「必要となれば協力は惜しみませんが、敵地での工作支援にせよ、戦地での護衛にせよ、もっと適した人材がいるはずです。私の専門は偵察と援護です。ゲーム風に言えば支援職なのです」
「ふむ、支援職?」
「ほら、TRPGで言うなら、スカウトとかレンジャーとか」
クロムドッグは形式張った口調を一切崩さないまま言った。
「宝箱の鍵開けも出来ます」
「ほらと言われても……」
リーンズィが横目でレアを見ると「TRPGって何? CQBの親戚?」とレアも眉根を寄せていた。
エーリカが人当たりの良い笑みのまま補足する。
「テーブルトークRPGのことですよ。ルールブックを使って自分の演じるキャラクターを作成し、それを元に他のプレイヤーと対話をしながら進めていく、とっても楽しい非電源ゲームです」
「いやその『ルールブック』がまず分からないんだけど。分からない単語の説明で分からない単語を増やさないでよ」
「なに、TRPGのことを知らないのか」
クロムドッグは唐突に、朴訥で、馴れ馴れしく、それでいて自我というものが希薄な口調になった。
「それならば君たちもエーリカの主催する互助会に入らないか? 非電源ゲームが揃ってるし私的に紙のルルブを貸しても構わない。我々は常にプレイヤーを欲している。毎日がたのしいぞ」
「たのしい……。レアせんぱい、入る……?」
「全体的に分からないことしか無いんだけど、今そういう話はしてない、それだけは確かね」
「そうですよ、クロムドッグ。遊びに誘うのは今度にしてください。今は仕事の話をしています」
「これは失礼しました、お嬢様」
「実家でもないのでエーリカ隊長と呼ぶように」
「はっ、了解であります、エーリカ隊長」
リーンズィは咳払いをした。
「では本題に戻るのだな。今回FRF側が求めているのは、『自分たちの訓練成果を審査してくれるような機体』なの。つまり、自分たちの戦闘能力が都市の外でも生存可能なレベルに達しているのか確認してくれるような人を紹介して欲しい、ということ。それで、何というか、能力に異論があるわけではないのだが」
ライトブラウンの髪の少女は何とも言えない表情でクロムドッグに視線を向ける。
「ユイシス……私の支援AIの推薦があったから君を招集したのだが、自信の程は? そういった『手加減』は出来そう?」
「その件に関して、まさしく申し上げたいのです」
クロムドッグに代わってエーリカが応えた。
「うちのクロムドッグは、戦闘用スチーム・ヘッドとして取り立てて強くはありませんが、手加減が上手です。手加減というか、縛りプレイですね。チェスの初心者を楽しませるために駒をいくつか落とした状態で良い感じで戦ったりする、そういうことに長けています」
「ふむふむ。頭脳系のゲームに強くて指導力もあるのだな」
「いいえ、彼は手加減が上手いのであって別にゲームで強いわけではなく、指導力もそこまで高くありません。格下に優しいだけです。有体に言えば、手を抜いて接待プレイをするのが上手いんです。どんなゲーム初心者とでも互角に戦えるだけの技量があります」
「えーと、つまり、ゲームで手加減をするのだけが上手いわけね?」レアが勘所を拾って纏めた。
「そうですね。そして彼はこの現実世界とゲームの区別があまりついていないので、現実世界でも手加減が非常に上手です。今はおそらくFPSゲームに登場する軍人になりきっています」
何とも言えない沈黙がリーンズィとレアの間に降りた。
沈黙は、ホテルのホールを微妙な冷たさで通り抜けていった。
「な、何故そんなことに……? 特殊技能だとは思うのだな、でも、歪すぎるような……」
「私を接待するため身についた技ですね。私、ゲームばっかりしてたんですが、すごく弱かったので」
「生身の時からの付き合いだが、エーリカはあらゆる問題について、負けが混むと露骨に不機嫌になるんだ。気が付けば私も手加減やご機嫌取りばかりが上達してしまった」
「私のためなら何でもしてくれる自慢の右手です。そのように調教しましたから」
調教という単語にリーンズィはドギマギしたがレアは聞かないふりをしたようだった。
「……あれ、でも、エーリカって隊長じゃなかった? アタマ使うの上手いんじゃないの」
「生前は主に机の上が戦場の研究者でしたからね。そんなのが、どんな分野においてもですよ、バトルをやって強いわけないじゃないですか。今だって、責任と雑務全般を引き受ける立場として『隊長』を務めているのであって、私自身が戦闘や知略に長けているわけではありません。もっと正直に言ってしまうと、良い感じのタイミングで『今です!』とか命令するのがやりたくて隊長をやっています」
「そんな雑なの? エーリカの部隊って割と成績良い印象あるわよ!?」
「首斬り兎討伐戦にも参加していたのだな……」
「もちろん隊としては上位の自負がありますが、それは普段からの信頼関係と、ゲームを通した親交があってのもの。連携を普段から密に取っていれば自然と状況は最善の形で進行しますので、結果的に強壮な部隊になっているのです。隊長である私が、『今です!』って気持ちよく言えそうなタイミングを見計らうぐらいしか仕事が無い、それぐらい個々人が優秀である……とも言えますね」
クロムドッグもその優秀な個々人に含まれるのだろうが、現実と仮想の区別がついていないのは怖すぎるのではないか。
リーンズィが悩んでいると、シラフになっているらしいクロムドッグが小さく挙手をした。
「念のために言っておくが、この世界をゲームブックや仮想空間だと思っているわけではない。現実かそうでないかは分かっていて、その全てをゲームとして捉えているだけだ。そして私はあらゆるゲームで常に本気だ。何もかもが一回性のゲーム体験だと考えて尊重しているし、リセットボタンを押すことを前提に雑なプレイをしたりはしない」
「お二人とも、そのあたりについては本当に安心してください。彼はあらゆる物事をゲーム的に処理する困った認知特性がありますけれど、プレイはとても丁寧なものです。ギャングになって街を暴れ回るVRゲームをやらせても彼は初期装備のボロい車から決して乗り換えませんでした。市民から車を盗むという行為が頭に無かったのです。私が指摘するまでゲーム中で信号を守る必要は無いということも理解していなかった程です」
「ふむむ……。現実とゲームの区別が付かないが、ゲームは全て現実の基準でロールプレイしている、ということなのだろうか」
「はい。FRF市民を相手にするということであれば、そこには高度な規範意識が要求されることでしょう。彼はそうした制約は『殺害は大幅減点』などのゲームルールとして理解します。そしてこれを最大限遵守し、完璧に実行するものと確信しています」
「付け加えさせてほしい。私は浄化チーム進行阻止班の一員として、『死なない程度に損壊する』などの難しいレギュレーションにも対応してきた。FRF兵士と戦うことだけに関して言えば『プロ』で『エキスパート』を名乗れる水準にあると思う」
クーロンのようには行かないが、と兵士は前置きをした。
「この分野に関して、現在、私以上の適任者はいないだろう」
「うん……まぁ、良いんじゃない? FRFの精鋭が来るって言っても、基本超格下の雑魚でしょ。生かさず殺さずで相手をしてやれるって機体なら、適任だと思うわ」
レアが太鼓判を押すのなら問題あるまい。
リーンズィはクロムドッグに一旦本件を一任することに決めた。
気に掛かるのは秒速20kmなどという馬鹿げた速度での突撃を行うアルファⅢグリフォンを捌けるほどの戦闘能力があるのか否かだ。
「でも、レアせんぱい? 彼の戦闘能力は、実際どの程度なのだ、どの程度なの?」
「ウンドワート卿は、クロムドッグをどう思われます?」とエーリカ。
「そうね、そうね。わたしの見立てでは、解放軍の戦闘用スチーム・ヘッドとしては並ってところかしら。銃を撃たれてから動き出して、弾をかわして、飛んでいく弾丸を追いかけて走るぐらいは当然出来るとして、他に一芸ってある?」
「こういうスキルがある」
クロムドッグの全身の装甲が突如として煌めきを放った。
全身の装甲が鏡のように変化して周囲の風景を無差別にその平面に取り込んでいる。ホテルのホールの歪んだ鏡像が、人間の形をして立っている。
さながら『鏡の鎧を持つ男』だ。
これが血まみれで暴れ回ると思えばそれなりに恐ろしげな風体にはなりそうだが、他にこれといったアドバンテージは伝わってこない。
「これはウンドワートアーマーの完全迷彩を開発する過程で試作された装甲を流用したものだ」
「電磁波を乱反射させるので隠密行動には向くのですが……」
「ピカピカなのだな……」
対面していると自分自身の顔がはっきり写り込むほどだ。
障害物が乱立する地帯に隠れていれば案外と風景に溶け込むのかも知れなかったが、前向きな理屈で考えなければ悪目立ちするだけで終わるとしか思えない。
「全然透明になってないわね、むしろ超目立つわ」
「これが、意外と市民には威圧感を与えるらしい。FRF市民は大抵私を見ると恐れおののく」
クロムドッグは迷彩を解除し、元の何の変哲もない状態へ戻った。
威圧効果というのは、それはそれで評価すべき機能だが、アルファⅢグリフォンの超高速突撃に耐え得るものでは決してない。
リーンズィは言葉を選んだ。
「……本当のことを言う。心配なのだ、心配なの。試験に協力してくれるのは嬉しいけれど、私は君に壊れて欲しいわけではない。さっき送信したアルファⅢグリフォンのデータを参考にして考えてほしい。彼女が突進してきた時、回避することは可能? 秒速20km。オーバードライブでも回避は困難……」
「むしろ実際はどの程度の水準なのかが気になる」
「あ、やっぱりそう思う?」レアがにやりと笑った。「アタマは回る方みたいね。合格よ、合格」
選考が終わったと察したのだろう、エーリカは深々と頭を下げた。
「私のクロムドッグなら完璧に任務を果たすはずです。幼少期からそのように調教を続けてきた機体ですから。必ずやご期待に添う結果を出すことでしょう。私の右手、どうぞ存分にご堪能ください」
「……さっきから気になってたんだけど」と少し頬を染めながら白髪赤目の少女は問う。「ちょ、調教って何なの? さっきお嬢様とか呼ばれてたし。実家の使用人を手篭めにして洗脳してスチーム・ヘッドにしたとか?」
「いいえ、彼はただの幼馴染みですよ?」
「お嬢様は、そう呼べと言われたから呼んでいるだけだ。従者のプレイをしているだけで意味は無い」
「そ、そう……」リーンズィは「そう……」と思った。
「彼は昔から自我が、何というか希薄で、私の命令は何でも聞いてくれました。それで長年をかけて理想的なスチーム・ヘッド、そして私の右手同然の存在になれるよう教育を重ね、あらゆるオーダーに完璧に応える金属の忠犬という理論上最高のスチーム・ヘッドとして完成し……そこまでの過程を論文に纏めて発表したところ……!」
クロムドッグが後を継いだ。「それまでの過程全てが倫理委員会の認可していない非人道的な人体実験であると判断されて有罪判決を言い渡された」
それはそうなって当然では? リーンズィは訝しんだ。
「今でも理不尽に思うんです、自我のはっきりしていない忠実な幼馴染みを愛をもって完全同意の上で調教して、完璧なスチーム・ヘッドとして、主人のあらゆる命令に服従する優秀な兵士として仕上げただけなのに、どうして私を研究職から追い出してスチーム・ヘッド化して前線送りにするような裁定が降りたのでしょう……!? これって私の愛ですよ!? 赤の他人を自分の右手にする、これ以上の愛情表現が果たしてありますか?」
「私も彼女からの処遇を全く疑問に思っていなかったのであの裁定は不思議だった。何が悪かったのだろう。私は自由意志に基づき、そういうゲームのルールに則って、エーリカの下僕として完璧であるよう自分自身を律していただけなのに……」
せめて恋人同士であってほしい、そんなことを思わせる距離感で異様な嘆きを零し合う二人の主従。
レアとリーンズィは無言で通信を交わし、同じ結論に達していることを確かめた。
……こんなのに任せて、本当に、大丈夫なのだろうか。




