セクション4 鷲獅子は舞い降りた/越冬隊練兵①
「時間の流れる速度に、百倍近い差がある……」
リーンズィから告げられた事実に、アルファⅢグリフォンのバイザーに埋め込まれた無数のセンサーが一斉に消灯した。また点灯した。
しばしの沈黙。ようやく着陸姿勢を取ったグリフォンは、浮遊していたときよりもずっと小さく、頼りなく見える。
「時差――時間流速差、とでも言うべきだろうか。二倍や三倍なら支障あるまい。かつて人類が宇宙開発を進めていたとき、月と地球では通信に一秒のタイムラグがあったというが、人類の月探査はそれしきのことでは挫かれなかったのだな。それに、外宇宙に向かってずっとずっと一人きりで飛び続けていたボイジャーという探査機は、命令の受信に24時間、返信に24時間かかったと言われていて……」
けれども、それは惑星探査機が命無き機械で、具体的な成果を出すことも、地球への無事の帰還も、一切を度外視されていたからこそ問題にならなかったことで。
『今、ここ』にいる存在同士のやりとりで、五十倍もタイムラグがあったらどうなるだろう?
五十倍どころか、百倍なら……?
リーンズィは眼前のFRF市民を気の毒に思った。百倍の時間流速差は致命的にすぎる。
これで計画は総崩れになってしまうかも知れない。
どうすれば慰めてあげられるだろう? などとリーンズィが不安になっていたのは束の間のことだった。
グリフォンは、無数の光学素子で表現される単眼でもって、その年代の少女としては上背のあるリーンズィを見上げた。
そして、予想外にも、安心したように、ゆっくりと頷いたのだ。
「……許容範囲内、です。こちらでの計画が進行している間、クヌーズオーエ解放軍側で情勢が大きく変わることがほぼ無いと考えれば、むしろ良い影響の方が大きい」
小柄な大量破壊兵器が、おそらく彼女の視点では三年前から以前と何一つ変わっていないであろう都市へと視線を巡らせる。そこに強がりや虚妄の類は見受けられない。
アルファⅢグリフォンは、心の底からこの事態を解消可能な問題と認識しているようだった。
「ぽ、ポジティブなのだな、すごくポジティブなの。百日と一日が等価なら、君たちが半世紀をかけて計画を進めたとしても、私たちの方ではざっくりざっくり……半年経ったかどうかの計算なのに。現に、今回、君たちの受け入れの準備など、ぜんぜん出来ていない……」
「お気になさらず。我々FRFの側……正確にはこの私、アルファⅢグリフォンにしても、技術開発どころか人員選定に関する要件定義も完全には終わっていません。そもそも、我々の側はリーンズィ様たちに協力を仰ぎ、合わせるべき立場なのですから、元より過大なご配慮でした」
それから、やや躊躇って、つとめて平静な口調で言った。
「……そう、それに、前回、私が長期の放浪に繰り出して、クヌーズオーエ解放軍に包囲され、娘殺しの愚を働いたとき……ほんの数日の放浪だったはずなのに、都市では数百年が経過し、何もかもが変わり果てていました」
切り返しで提示された真実に、リーンズィの方が絶句してしまう。
「数百年が経過……!? そちらの都市で!? 何故そんなことに……二年も三年も放浪していたわけではない、と聞いていたのに」
虚空が歪む。投影されたアバター。灰錆びた都市に波打つ金色の髪は白骨の海岸を舞う鳳の黄昏に輝く翼のよう。
微笑を湛えて告げる言葉は、天使の吐息にも似る。
『類例提示。<時の欠片に触れた者>による干渉。時空間の再配置が実行されたと当機は推測します』
統合支援AIユイシスだ。
アルファⅢグリフォンをやや見下ろす位置に現れたその姿は、まさしく清らかなる天上のしもべ。一方で、浮かべた薄笑いからは自在に空を飛べる機体の上を取りたい、という尊大で浅はかな自意識が透けて見える。
もっとも、グリフォンは気にしていないようだった。ユイシスの虚栄心に気付いていないか、この手の思い上がった不死者は見知ったものという態度だった。
「は、ユイシス様。肯定します。プロトメサイア閣下も、おそらくそうだろうと仰っていました」
『あの出来損ないも現状を正確に分析しているようですね』
自身の浅はかさが内心恥ずかしくなったのかユイシスは若干高度を下げた。
『疑義提示。互いのタイムラインに食い違いが生じる可能性がある。これは重大な問題だと当機は判断します。貴官の冷静さが不思議です』
「もちろん軽視できない問題だとは考えています。しかし、数百年が経過したFRFにおいて、私の支持基盤は、都市のあらゆる場所から消滅していました。私の市民たちも全て殺害されました」
「…………」リーンズィは眉根を顰めた。「調停防疫局はWHOの外部組織として、全人類のそのような大虐殺は到底容認出来ない。指導者プロトメサイアに対して遺憾を表明する準備がある」
「いいえ、こればかりは自業自得です。私が判断を間違えた……。とにかく当時の私は百万を超える生命資源を、体感の上では、たった数日で全て喪ったのです。予期せず、子も、都市も、市民も残らず喪ってしまったあの頃と比べれば、これは逆境では決してありません」
「そ、それはそう……そうなのだな? そうなのだろうか。そうかもしれない……?」
グリフィンの言葉を信じるのであれば、実際、不意打ちに近い形で夥しい数の市民の命が一挙に失われたはずである。百倍の時間流速差も重大な問題だが、比較対象の取り返しのつかなさ、凄惨さは、段違いに巨大すぎて、霞んで思えてしまうのも無理からぬ話であろう。
もちろん、人体を加工して利用する文化があるFRFにおいては、まだ死ねずにいる命もありそうなものだが、生前を持たず、いまだに未熟なリーンズィの価値観でも、それは別に幸いなことではない。
「そう複雑な顔をしないでください。時間の流れる速度の差異は、未来に渡っては何とも言えないにせよ、今のところ損害を出していません。あくまでも私の目線になりますが、どれだけ時間を掛けても交渉相手の側に大して変化が無いというのは、強がりではなく、本当に好ましいのです。我々の都市は僅か数年で完全に崩壊することもあります。不死者の軍勢なら、大きな政変なども起きないでしょう?」
リーンズィはライトブラウンの髪を揺らして首肯する。
意思決定の主体を担っていたコルトの機能停止など、重大事案は多く発生している。グリフォンが思っているほどに安定しているわけではないが、クヌーズオーエ解放軍がその名に反して『クヌーズオーエを解放しないこと』を志向していることに変わりは無い。
それは決して戦力の不足を理由とするものではない。仮にクヌーズオーエ解放軍とFRFの間で本格的な武力衝突が始まったとしても、それは『戦争』と呼べるものにはならないだろう。
解放軍ほど多種多様で実戦経験の豊富な兵力を擁する組織は、いかなる歴史、いかなる世界にも存在していないだろう。全盛期の人類文化継承連帯――全自動戦争装置の率いる大軍隊に匹敵するかは当時を知らないリーンズィには判断出来ないが、解放軍と比較するなら過去最強と目される軍事組織でもなければ釣り合いが取れないのは確実だ。
FRFなどは、実際のところ敵ではなかった。FRFのメサイアドールと、廃材のような兵器を纏うオーグメンテッド・ヒューマン――FRF市民、そして生命機械と称されるヒト由来の兵器ども。
彼女らが何千万という数で隊伍を組み、どのような作戦を立ててクヌーズオーエ解放軍と交戦しても、最終的に勝利するのは解放軍側だ。
FRF側の最高戦力たるプロトメサイア等のメサイアドールすら畢竟『撃破に時間のかかる目標』でしかなく、勢力均衡が成立しないほどの戦力差があると言って良い。
中枢を制圧するだけなら、軍神の名をほしいままにするアルファⅡウンドワート、世界を一度滅ぼした実績のある神の花嫁たる大主教リリウム、狂えるテレビスタアのケットシー、いずれか一機を送り込むだけで時間で達成可能という試算すら成されていた。
それでも、クヌーズオーエ解放軍は、決して攻略を進めない。FRF中枢の破壊を目指さない。
攻略と解放を達成したところで、FRF市民、変わり果てた人類を、どうしてやることも出来ないためだ。
自分たちの末裔だとは到底思えないほど不自然に見目麗しく、そして人類文化の継承者とは思えないほど薄汚れた、揃いもそろって似たような顔をしている少女たちが、冒涜的な手法で以て際限なく増え続け、骨肉相食む凄惨な戦争を繰り返し、自分たち自身を資源として無残に消費し、変わり果てた人類文化の劣化複製品を興しては、無意味に死んで消えていく。
さながら硫黄の雨がまだ降っていないだけの終末都市。
滅ぼすのは容易い。
しかしそんな彼女たちを生きたままどこかに導くことは、解放軍の誰にも出来ない。
外部から観察可能な範囲において、統治を専門とするはずのFRFのスチーム・ヘッドは、揃いも揃って三流の嚮導者だ。
だが殊に彼らもしくは彼女らを種の管理者という側面から考えるのならば、まだ致命的な失敗を犯していない集団と評価せざるを得ない。
どれほど忌まわしかろうが、どれほど堕落していようが、この地球上で曲がりなりにも『人類』という種の存続に成功しているのは、おそらくFRFだけだからだ。
一方の解放軍がFRFに成り代わって、何が出来るというのか。終末戦争を勝ち抜いただけの不死の兵士や、世界を終末に陥れただけのカルト集団如きでは、偽救世主の真似事が関の山だ。
全勢力を傾けたところで、出来ることと言えば、史上類を見ない速度で何の意味もない虐殺する程度だろう。
そして現実には、虐殺すら完遂は不能なのだ。
おぞましい奇怪なる群体と化した己らの末裔を殲滅するべきと主張する過激派グループ、キュプロクスの突撃隊のような集団も、依然として解放軍内部には存在する。とは言え、戦術ネットワークを精査する限り、彼らの計画の展望は果てしなく不鮮明だ。
万単位の死体を積む程度の憎悪はあれども、気が遠くなるような時間を掛けて数千万の人間を殺して回るには、動機が全く足りない。何事も遣り遂げるには情熱が必要なものだ。
FRF市民を地上から根絶するずっと前に『飽き』が彼らを襲う。
組織内でのパワーバランスの変化こそあるにせよ、FRFに対する根本的なスタンスは一貫していた。
何も出来ないから、何もしないし、何もしてやれない。
良きにつけ悪しきにつけ、アルファⅢグリフォンの見立ては正しいと言えた。
それでも他の誰しもと同じく、リーンズィには、百倍にも達する時間流速差を軽視することは出来なかった。
「……グリフォン。君がどのような心持ちで挑むのであれ、足並みを合わせるのが難しい、という事実には変わりがない。私としては協力してあげたい。出来る限り大規模で、出来る限り丁寧な支援をしてあげたい。しかし、大勢で都市の外に向かうというのなら、とうぜん、沢山の物資が必要だ。仮に君たちの出立が十年後だとしても、それは私たちにとってはほんの一ヶ月の時間に過ぎない。生きた人間を何万人も支えられるような水準には、ぜったいに到達出来ない。特に問題なのは食料調達の目処なのだな……」
「い、いえいえ!」訥々と語るリーンズィに、グリフォンは慌てに慌てた。「一般市民の都市外入植は計画における最終段階で、何万人というのは当分先の話ですし、十紀年などという短いスパンでは計画していません! その五倍は必要と考えています!」
「むむむ。それでも、半年に満たない時間で生活インフラを整えるなど……」
「そ、そもそも何から何まで解放軍側の助力頼りというわけではなくてですね……! 食料生産を支配するアスタルト様を初めとして、複数の有力なメサイアドールから支援の確約を取り付けていますので、そこは何とか出来るはずなんです、解放軍の皆様にお願いしたいのはそういった面ではなく……!」
いつぞやの超高速空中回転を始めそうなほどわたわたとし始めたグリフォンを、ユイシスが冷たい声で諌める。
『警告。試算どころか、基礎的な計画の摺り合わせすら終わっていないという点を考慮すれば、事態はより深刻と判断されます』
「ええ、今回は現段階での進捗の報告と、今後リーンズィ様たちにお願いしたいことを詳細にお伝えするためにやってきたのです。百倍の流速差がある前提を踏まえれば、依然として連携は可能だと確信しています。確信して、いるのですが……」
そこでグリフォンはがっくりとうなだれた。
「じ、実質的にアポイントメント無しで訪問した上、時間流速差など問題ではないと見得を切った手前、本当に申し上げにくいのですが……!」
「ふむ……?」
「本日は最低限の情報共有が終わったら即帰還させて頂きたく……というか、正直もう帰らせて頂きたく……!」
「帰る!? まだ十分とか二十分とか、それぐらいしか経っていないのに!?」
「時間流速差の存在は、もちろん予想していました! 私としては半日程度の滞在を予定していて、余裕を持って……一日ぐらいは音信不通になるかもしれないと、事前に<ウォッチャーズ>に……あっ、ウォッチャーズはご存知ですか!?」
「えっ!?」いきなりの問いかけにリーンズィは若干狼狽した。ネットワークに頼らず記憶領域を走査する。「ええと、FRFを統治するスチーム・ヘッドの集団だったか……? つまり君の上官とか同僚とかなのだな、なのかな……?」
「概ね合っています! と、とにかく彼女たちには連絡が途絶える旨了解を貰っているのですが……百倍の速度で時間が流れて、一時間の滞在で四日間が過ぎるとなると……ほんの二十分でもあちらでは一日以上経過している計算になりますね!?」
「な、なるのだな!」
「つまり、これ以上は無断で長期間消息を絶ったという扱いになり、色々と問題が……! こうなると分かっていたならば手の打ちようはあると思うんですけど、でも、今回は分かっていなかったので……!」
「な、なるほど……いっぱい問題になりそうなのだな、なりそうなの」
「はい! すごく問題になるんです! というかもうなっていそう……! と、特に私はまだ地盤が固まっていない、新興の不死者なので……」
『疑義提示』とユイシス。『前回訪問した際に、FRF中枢とこちら側との時間流速差には気がつかなかったのですか?』
グリフォンは光学素子を曖昧に揺らし、恥ずかしそうに甲冑の面を俯かせた。
「あの時は……結局『速度の取り出し』が上手く行かず、めちゃくちゃに吹っ飛ばされてしまい……帰り着くまでに相当時間が掛かったので、期間が遅くなったのもまぁ自分の未熟さのためなのかな、と……あまり深く考えていませんでした……」
『今回などは降着が非常にスムーズでした。自由な飛行が可能になった経緯など興味が惹かれるところではあるのですが』
「それは次の機会に! 本当に、本当に申し訳ないのですが……! とにかくいったん帰らせて頂きたく……! 協力して頂けるという前提が崩れていないならば初動でこそ相互理解を進めないと……その、数日後、手続きをやって、稟議とか回して、それからまた来るので……!」
リーンズィとユイシスは顔を見合わせた。ユイシスがちょっと上昇した。マウントを取られている! リーンズィも少し背伸びをして対抗し、遊んでいる場合ではないと気付いて背伸びをやめた。
「数日後と言っても、たぶんこちらでは一時間とか二時間とか、それぐらいしか経過しないので、待つのは全くやぶさかではないのだな、やぶさかではないの。急ぎの仕事があるなら、どうかそちらを先にやってきて。大事な話をする場なのだから、落ち着ける環境が必要なの」
「感謝致します! それでは失礼!」
アルファⅢグリフォンはカクカクとしたいかにも危なっかしい軌跡で上昇を始めた。
高高空に達すると、ソニックブームの輪を残して飛び去った。
リクドーたちにも招集を受けたが都市の外部の探索に出ていて終日不在だった。
レア=アルファⅡウンドワートが、インナーにフライトジャケットを引っかけただけのいつもの姿で招集をかけた直後に現れ、「おかしいわ、おかしいわ。FRFのクズ肉が来たって聞いたのに、私の可愛いリゼ後輩しかいないなんて」などと皮肉交じりに呟くばかりだ。
そうしているうちに、上空に影が現れた。
アルファⅢグリフォンだ。
けっきょく、リーンズィの体感では一時間ばかりの待機だった。
百倍の速度で時間が進むFRFで過ごしてきたグリフォンにとっては激動の数日で、しかも相当な激務の後だったのだろう。降着姿勢が猫背気味で、明らかに意気消沈していた。
さらなる皮肉と野卑なジョークを飛ばす気満々でいたらしいレアも、さすがに躊躇したようだった。
「お、お待たせしました……けっきょく四日もかかってしまいました」
「お、お疲れ様なのだな。お疲れ様なの。こちらでは一時間ぐらいなので安心してほしい」
「ありがとうございます……。あっ、そちらの赤目のお美しい御方は、確か軍事顧問の、アリス・レッドアイ様でしたね。わざわざご同席の機会を頂き……」
「そうね、そうね。多忙なわたしが同席してあげること、感謝してくれても良いわよ」
「ただ……今回もすぐに帰らなければならず……」
「ええっ!?」とレアとリーンズィ。
「甘く見ていました……。一時間で百時間が経過するとなると、よっぽど準備をして向かわない限り、解放軍の領域にいる間は、事務や他のメサイアドールとの交流が完全に壊滅状態になるので、事前の手回しをしっかりやらないと、今後の計画に響きます……。おまけに、そちらでも同じかとは思いますが、不死者、スチーム・ヘッドの仕事には昼夜の区別がありませんから、恐ろしいほどの速度で仕事が溜まっていくのです……」
「あなたも一人軍団……じゃなくて、一端の権力者ではあるんでしょう?」とレア。「適当に人を借りるか、仲間に仕事を投げれば良かったじゃない」
「FRF統括運営局から臨時で何人か借りて、一時的に仕事を代行して貰っていて……これも危ないのであんまりやるべきではないことで……はい……。派閥争いもありますし、紙ベースの書類の改竄なんかも、されることがありますから」
「え、紙の書類の改竄って何よ。まさか紙とペンで報告書とか作ってるわけじゃないでしょ。スチーム・ヘッドの書類仕事なんて人工脳髄で表計算ソフトとか起動して適当にそれっぽいの作って適当に鍵掛けてネットワークに投げて終わりじゃない」
グリフォンは疲れ切った様子で沈黙し、うう、と唸った。
「全員が不死者ならそれで済むのかもしれませんけれど、ウォッチャーズ以下の組織の中核を担うのは、あくまでも選抜された生身の市民たちです……! 全員分に最重要機密へのアクセス権があるわけでもないので、不死者向けに電子でデータを作成したあと、ネットワーク用の書式でまたデータを作って、生身の市民たち向けに手書きで表とか資料とか、少なくともその素案ぐらいは作らなければなりません。手での書類仕事がもうとにかく時間がかかるのです! 事務のための副官を選任したりするのは計画が本格稼働してからで良いだろうと甘く見ていたのですが、もっと早くにやらないと立ち行きませんね……」
「待ちなさい、待ちなさい、プリンターとか無いわけ!? なんで手書きしてるの!? あとこう、コンピュータ的なものは、そんな、全然無い感じなの!? 曲がりに成りにも人類文化の末裔の、その頂点に位置する組織なんでしょ!? スパコンとか残ってるんじゃないの!?」
「よく分かりませんが、人体由来のパーツで作られていない機械ですよね? 保守が不可能なのでほとんど残っていないのではないかと……」
「あ、あー、そっか、物資が全然ないんだものね」
「お恥ずかしい話ですが、うちはまだプリント用生命機械や、個人向け演算専用生命のような高コスト機材を優先して配備してもらえるほど評価されていませんし、それにプリント用生命機械は巻取機などに使う筋組織が繊細で低寿命だったり、効果に対して生命資源の消費が激しくって、個人的には使用自体に抵抗があるんです。ヒト型生命資源をダース単位で解体するほどの価値があるとは思えなくて……」
「あんたたちってプリンターまで人間で作ってるの!?」
「……というと、人体を使わずにプリンターを作れるのですか?」
「逆にそっちの『プリンター』がどんな姿してるのか想像がつかないんだけど……」
「一辺が2メートル程度の立方体の生命機械ですよ。ちなみにプリンターにまつわる議論は個人向け演算専用生命にも通じるんですね……。果たして製作してもコストに見合うのか、ということです。優秀な知性を持つ市民から生体脳を摘出して連結すれば、高機能な演算装置として利用可能にはなりますが、しかし脳髄だけにしてしまうと『任せられる仕事』が激減する。これは良くないことです。だって、手足の欠けた木っ端の生命資源を素材にして『クルマ』にするのとはレベルが違うんですよ。優秀な人材を脳髄だけにするよりは、彼らを加工せず教育して、コンピュータが欲しくなるような専門分野であっても生身のまま使った方がトータルでは生産的ではないかという議論もあって……あっ、私グリフォン自身はプロトメサイア派閥ではありますが、個人としては生命資源を尊重するアスタルト様の信奉者でありますので、費用対効果の悪い生命機械はあまり使いたくはない、というスタンスがあるのです。不合理に聞こえるかもしれませんが……」
懊悩を含んだグリフォンの独白に、リーンズィもレアも微妙な表情で押し黙ってしまった。
「……リゼ後輩は理解出来た?」
「……理解したことにしたのだった」
「わたしもそうするわ」レアは溜息を吐いた。「話を進めて……」
「というか、じ、時間は大丈夫なのだな!? 大丈夫なの!?」
グリフォンはびくりとした。「……大丈夫ではないです! 思わず話し込んでしまいましたが、でも始めないと始まらないじゃないですか、計画って! その、ひとまず計画の初期段階に対して共有を始めても!? そしてこれが終わったらまたすぐ帰らせて貰いますが……!」
「もちろん進めてもらって構わないのだった」
「まず最初にこちらで用意する予定なのは、少数精鋭の第二次遠征の先遣部隊、仮称『越冬隊』です! これに関しては既に選抜は始まっています。幾つかの人口動態調整センターに働きかけて、総統権限で設備使用の優先権も確保済みです」
ユイシスがアバターを表し、思案げなテクスチャを浮かべた。
『大量生産品に成功したとは言えないまでも、その雛形に相応しい人員は揃いつつある、と』
「肯定します、ユイシス様。とは言え、候補となっている生命資源は精々が五十名程度で、それにしたところで初期ロットが仕上がるのに二十紀年はかかるでしょうが……」
「きっと長い長い展望なのだろうけれど、我々の主観では精々二ヶ月ぐらいの期間なのだな……。解放軍内部での世論操作も進んではいない。我々が助けになれる範囲は、やっぱりほんの僅かなのだな、僅かなの」
「問題ありません。正直に言いますと、クヌーズオーエ解放軍の皆様に最初に依頼したいのは、越冬隊の長である私と、私の新たな少女騎士となる市民たちの性能試験なのです」
「性能試験……?」
「かつて、アルファⅢバアル様は護衛戦力としての機能を己という最強の個人に集約してしまった結果、第一次遠征を失敗させてしまったと聞いております。前回は管理の容易性だけを追求しすぎて全体の底上げを疎かにしたのがいけなかった、というのが私の見解です。今回は不死者だけでなくFRF市民側にも十分な戦闘力を与え、集団での自衛力を高める方針で計画を進めています。とりあえず、私は十紀年の間に叩き台となる一応の戦力を用意しますので、以前戦った、例えば『クーロン』様のような方を浄化チーム進行阻止班としてぶつけてほしいのです。解放軍の一兵士に全く歯が立たないようでは、第二次遠征の成功など不可能でしょうから」
エージェント・クーロンは既に機能停止しているが、アルファⅢグリフォンはその知識を持たないらしい。何か事情があるのだろう。リーンズィとレアは目配せして、この情報は当面秘することに決めた。
「クーロンは出せない。彼と同等の試験官を用意するぐらいなら、できるとは思うが……もう少し条件などを設定してもらわないと何とも言えないのだな」
「……そ、そうですよね。申し訳ございません、時間が来ました。そろそろ帰らないとフェネキアあたりからの妨害工作に対応できないので……そ、それでは、こちらで一時間程度経過した頃、雑事を済ませてまた伺いますので……」
「いいえ、いいえ」と呆れた様子でレアが赤い目を細める。「四日ごとに一回こっちに来て、立ち話して帰ってっていう不毛な反復横跳びを、まさか延々やるつもりなの? いっそ次来るのは24時間後とかで良いわよ。リゼ後輩もそう思うでしょ?」
「そうなのだな……そうなの」
「し、しかし、協力をお願いしている立場で、皆様をそんなにお待たせするわけには!」
「いや、一時間ごとに一回、細切れに計画を話されても情報共有は進まないと思う……夜中に来られても困るし……」
レアが仏頂面で頷いた。「解放軍では省エネのために夜は活動しないのが基本よ。もし次に来たときこっちが夜だったら、あなたはその時は無駄足を踏むことになるか、侵入者として夜警たちに破壊されるわね。どんな重装甲でも結果は同じよ」
「それに、今夜はレアせんぱいとデートの約束もあるし……」
レアの透き通るような肌が一瞬で真っ赤になった。「それは言わなくて良いから。わたしがプライベートを優先して客人を蔑ろにする無礼者みたいになるでしょ!」
「そういうわけなので、次に訪問は24時間ぐらい後にしてほしいのだな、してほしいの。君が言っていた通り、解放軍は変わらない。一時間後も、一日後も。それどころかさすがに一時間では対応とかも全然出来ないので、とりあえず一日は時間をもらいたい。そちらの時計では2400時間、実に百日の猶予が生まれるのだから、グリフォンさんはその間に時間流速差への対策を打つべき」
「ほ、本当によろしいのですか?」
「問題ないのだな。我々よりも、ひとまず自分を第一に気をつけて帰って、状況を整えてほしい。……君はどうにもあちら側でかなり危険な立ち位置のようだから」
「過分な配慮に、心からの感謝を……。上手くやってみせます。ええ、それが、我が娘たちへのせめてもの手向けでもありますから……。それでは失礼を。2400時間後に、また!」
「のだなー、なの」
空に浮かんで一瞬で飛び去っていくアルファⅢグリフォンを見送り、リーンズィは思わず呟いていた。
「なんか……どんどん心配になっていくのだな……。娘のリクドーよりも危なっかしい気がする……」
「わたしも、リゼ後輩よりも心配になるスチーム・ヘッドって、初めて見たかもしれないわ」
などと、レアも曖昧な顔で頷くのだった。




