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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション4 殺戮の地平線  世界生命終局管制機 アルファⅣ<ペイルライダー>
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セクション4 グリフォンは落っこちた その4 クヌーズオーエ解放軍/リーンズィ

 アルファⅢグリフォンの放つ危なっかしさは高い高い街灯の上で居眠りをしている無謀な猫とは比較にならない。現実ではまず見ないにせよ、たくさんの風船を括り付けられて何も出来ないまま少しずつ空に浮かび上がっていく可哀相な猫と同程度であろう。

 そもそもリーンズィたちは彼女の醜態を散々に見せつけられている。まずこの高層ホテル屋上への移動だ。アルファⅢグリフォンはエレベーターを使わず──まずエレベーターの籠に空中浮遊した状態で入るのが不可能だったため──自力で飛んで到達したのだが、何度か「ああああああー!!」と悲痛な叫びを上げながら例の高速移動を開始し、全く別な場所のビルに突っ込んで倒壊させるなどのトラブルを複数回繰り返し、リーンズィたちよりも大幅に遅れてやってきたのだった。

 この高層ホテルそのものに突撃しなかっただけ奇跡であった。


 現在は浮遊した状態で落ち着き払った声音で報告しているにせよ、人工脳髄が装着されていると思しき頭部からは常に湯気が昇っている。

 姿勢制御に尋常ならざる計算リソースを使っている様子だったが、はっきりと言ってしまえば冬の街のお空に浮かぶふわふわ愉快なゆたんぽ気球と呼んでも差し支えない。ある意味では『スチーム・ヘッド』という言葉を体現しているとも言えた。

 そして発熱が著しくなるほどの負荷をかけているというのに、空中で『直立に近い状態』を維持することも出来ていない。


「母様、あのっ、話を遮ってしまうのですが……さっきからちょっとずつなんか……ズレていっていますっ!」 


 言いにくいことを言ってくれたリクドーにリーンズィは心から感謝した。味覚が残っている彼女には、後でいっぱいお菓子をあげなければならない。


「そうですか!? 皆さんがズレているのではなく!?」


『わぁ……地に足付かない体になると頭もふわふわになっちゃうんだぁ……』

 サードが蛇腹剣の先端にある水晶体をどこか遠いところに向けた。

『思考って身体様式に引っ張られちゃうんだねぇ……』


「……姉様はその抜き身の刃そのものな体になって欲望を隠さなくなったもんね、今度レーゲントのヒトに色目使って絡みついたら『処す』から忘れないで」


『うう……はいぃ……』


「娘たちよ……市長だったのに……情けない限りで……」


「いや、あんたたち見てると母親としても素で割と抜けてたんじゃないかって気がするけど」

 レアが真顔で言った。

「でもここまで姿勢を保てないのはヤバすぎると思うわよ」


「うう、どうにかして完全架構代替世界から取り出すエネルギーの量を調整しないと。前任のバアル様はいったいどう制御していたのか……」


 アルファⅢに分類されている以上、人工脳髄による補正演算は強力なはずだ。そう簡単にフリーク・アウトすることはないだろう。スチーム・ヘッドとしての根源的な問題は考慮する必要が無さそうだ。

 そうであったとしても、強烈な欠陥を抱えているのは明白で、この不安定さだと僅かなトラブルでも致命傷に成り得る。

 事実、強い風が吹いただけでグリフォンは猛烈に慌てた。


「あっ……あーっ! リーンズィ様、しっかりワイヤーを握っていてください、現在の私の慣熟度ではこの風には逆らえません! どこまでも流されて行きます!」


「さ、さすがに大袈裟なのでは?」リーンズィは訝しんだ。「逆加速すれば戻ってくることは出来るはず……」


「後ほど説明しますが私が代替世界で参照する物体は()()()()()()()()()()()しているんです! 逆加速もそう簡単には……手前の都合で申し訳ないのですが、本当に大変で、ああああああああああああああああああああああああああああああああああーっ! もう全然分からない! どっちが上!? どっちが下!? ひええええええ!」


 レアが慌てた。「落ちつきなさい、落ち着きなさい、そういうときは計器を信じるのよ!」


「け、計器が搭載されていないんです! 一つも! あっもうダメ、だめぇ……ひゃああああああああああああああ!」


 グリフォンは、自分を吹き流そうとする風にとにかく一生懸命に抗っていた。

 脚や腕を振ったり伸ばしたりと、未熟な道化師のぎこちないパントマイムのようにジタバタした。

 傍から眺めているだけでも大変そうな状態だ。

 風に吹き晒されて絶叫しているグリフォンは、リーンズィ視点では単純に可哀相な存在だった。

 リクドーとサードも一緒になって「か、母様ー! 母様ー!?」『このままだと変わった形の風車になっちゃうよぉー!』と悲鳴を上げているので二重に可哀相だった。


「大変なのだな……」大変なのだな、とリーンズィはグリフォンと繋がるケーブルを引っ張りながら思った。

 大昔には、棒に羽虫を糸で結わえて、羽虫が不自由な世界で無様に飛び回るのを眺める悪趣味な遊びがあったという話だが、悪童たちはこの無様さを嘲笑っていたのだろう。

 とは言うものの、人間大の物体が同じことをしているとすさまじい光景だ。


「そうです大変なんですこの間なんて空中で制動をしくじって漂流して敵襲と勘違いした全く無関係な都市の上空で対空砲火を浴びせられて着地しようとしたら市庁舎に突っ込んでしまって人的被害が……」


 無意識に発せられているのであろう早口での嘆きには、演技とは到底思えない危機感と恐怖感が漂っている。

 一般的に、スチーム・ヘッドの人格から真っ先に蒸発するのは、人間的な恐怖の感情だと言われている。スチーム・ヘッドの感じる恐怖などというものは、死から解放された完璧な肉体の脳が演算・再現しているに過ぎない病毒の一種に他ならない。

 だからこそスチーム・ヘッドは、己自身の直観では無く、自身を演算する不死病筐体が発する原初の緊張や恐怖をセンサの一部として取り扱うようになる。

 だが、アルファⅢグリフォンは自分がどこかに飛んでいってしまうことを明確に恐れていた。

 制御不能な加速と浮遊に囚われることは、そう簡単に順応可能な事象ではないらしい。


 もはや言うまでもあるまい。

 アルファⅢグリフォンは、あらゆる意味で、酷くアンバランスな機体だった。


「グリフォン様は、すごいのはすごいのですが……あまりにも憐れです。リーンズィ、どうにかしてあげられないのかしら?」


「すごいので、分からない」リーンズィも背筋に冷たいものを感じている。「類例が無いので補助モジュールとかを適応してあげられない」


 アルファⅢグリフォンが保有している機能は疑いようも無く驚異的だ。推進装置の燃焼も、圧縮した気体の噴射も必要とせず、それが当然であるとでも言うかのように、人類を地球上に縛る全ての力から彼女は自由に見えた。

 本来ならアルファⅢグリフォンのことは『超高純度不朽結晶の鎧を纏い自在に空を舞う脅威度最大レベルの機体』と認識するべきなのだ。


『肯定……するべきではあるのですが』

 珍しく不憫そうな表情を浮かべたユイシスが、リーンズィの思考に同調する。

『これを恐れるならば、虻や蜂への警戒を推奨すべきと判断』


「なのだな……なのだった」


「きゃああああああああああー! ああああーっ! 助けてーっ!」

 

 いよいよ空中で縦軸横軸関係無しの超高速無秩序大回転を始めたこの滑稽極まる姿。

 破壊的抗戦機動(オーバードライブ)に突入して二十倍加速でワイヤーが絡まないようにシュババババとリーンズィが手を動かさなければ今頃自分自身に高度な緊迫プレイを化した変な甲冑騎士に成り果てている。

 敵対的な組織の最大戦力と見做すのは難しい。むしろもうはっきりと、何となくとかでは無く、かなりの程度で、可哀相なだけの人であった。

 そう判断しているのはリーンズィだけでない。

 レアは愚物を見る目つきでげんなりしとしており、その場に居合わせた全ての機体がおおよそ同じ心境であるとユイシスの解析で察することが出来た。


 異次元レベルで高性能な機体だとして。

 現状で、こんなものが一体何の役に立つというのか?


> へいユイユイ、もしかするとアルファⅢグリフォンさんは、ものすごい欠陥機なのでは?


 リーンズィはとてもするどい洞察力を発揮し、統合支援AIユイシスに問いかけた。


> 警告。見て分かることが、人に尋ねないと分からないのですか? 疑義提示。ものすごい欠陥機はどちらでしょうか。


 いつもの嘲笑の交じった声が返ってきた。

 やはりアルファⅢグリフォンは完璧な状態にないのだな、と納得しつつ、リーンズィは戦術ネットワークに接続している機体の計算リソースを無断で使ってユイシスに子供じみた悪口を毎秒千件のペースで送信。毎秒一万件の罵倒を送ってくるおそるべきユイシスと果敢に戦った。リーンズィはもはや言われっぱなしの幼子ではない。

 酷いことを言われたら酷いことを言い返せる立派な女児なのだった。三秒で負けた。


 そうしながらリーンズィは風に持って行かれそうになるグリフォンをシュババババと見事に引き留め続けた。

 外観から想像される重さや勢いは殆ど感じない。

 それどころかグリフォンがどれだけ暴れても、リーンズィには殆ど負担がなかった。ワイヤーが絡まないよう注意するだけでも負担ではあったが。

 彼女は得体の知れない超越的な技術で重力や慣性を無視しているようだった。


 グリフォンが精緻でダイナミックなメカニズムを持つ三次元的天体運行計算機(アンティキアラ)と化した今、声をかけるのも憚られるので、リーンズィは沈思した。

 

 このデタラメな浮遊能力と加速力。

 アルファⅢという特性を踏まえてもスチーム・ヘッドとは次元が違う。


 類似の技術が思い当たらないでもない。

 例えば反重力発生機構だ。

 希少だが、多くの時間枝において一応実現していたらしい技術。解放軍でも全く見ないわけではない。ハンターシリーズの一部の機体が狙撃で使う、槍の如き大型弾頭には空間斥力転移装置(フーンドライブ)が搭載されており、装填された簡易人工脳髄が破壊的抗戦機動(オーバードライブ)を起動している場合に限り、自由自在に飛び回ることが出来る。

 ただし、その機能はオーバードライブにかかる擬似的な主観時間延伸を利用しているに過ぎず、使い物になるのは装填された簡易人工脳髄が焼き切れるか、あるいはバッテリーが尽きるまでの、数秒に満たない時間だけだ。

 聞くところによると全自動戦争装置の使役する移動要塞も同様の機関を有しており、ほぼ無制限の飛行が可能となっているらしいのだが、それは機体の圧倒的な規模があってこそ実現出来る仕様だ。


 アルファⅢグリフォンは棺めいた重外燃機関こそ背負っているものの、そうした装置まで含めて勘案しても、長時間の飛行を実現するためのハードとしては異常に小規模だ。

 また、姿勢制御のためにバッテリーを派手に使っているのは明白だったが、浮遊状態の維持それ自体に大量の電力を必要としているようにも見えない。

 気を抜くとどこかに飛ばされてしまうという無様を晒し続けているのは、裏を返せばその無駄と言ってさえ良い浮遊能力が、真実機能の行使に時間的制約が無いことの証明になっている。



 額面だけ捉えるならば、まさしく圧倒的な性能を持つ最新鋭機だ。

 あるいはアルファⅡウンドワートにも比肩するポテンシャルがあるのかもしれない。

 そんな超高性能機でありながら未だもって風にいたぶられて「ひゃあああああ! 助けてぇー!」と奇声を上げ続けているグリフォンは、可視宇宙の端っこにあるちょっとした遊星の動きまで表現出来そうな極めて複雑な回転に突入している。

 もしも今、誰かが蹴っ飛ばせばそのまま空の彼方まで吹き飛んでいくだろう。事実としてオーバードライブを起動して思い切り蹴り飛ばせば、そのまま大気圏を飛び出して永久に返ってこないとユイシスは試算していた。


「こ、こうなったら多層式推力偏向用(マルチレイヤスラスタ)カウンターウェイトを、ちゅかっ、しゅかっぐげっ!」


 舌を噛み切ったらしく言葉が不自然に途切れた。

 もっとも、こうした自体は日常茶飯事だったらしく、瞬時に再生したようだった。


「よし! もうやります! 使いたくにゃぎっ、なっ、ないんでしゅぎっ、皆しゃっ、少し離れてくだぎい……か、かなり暴れます! あと浮きます!」

 アルファⅢグリフォンはめちゃくちゃに回転しながらさらに数メートル上昇した。

「なんとかなれー!」


 自暴自棄な叫びとともに、グリフォンは何らかの装置を起動。

 がぎん、と、分厚い装甲が弾丸を弾き飛ばしたような、そんな甲高い音が響いた。

 その瞬間、ただ回転するだけだった憐れなスチーム・ヘッドは、狭い箱の中を跳ね回るパチンコ玉じみた極端に不規則な軌道で飛び回り始めた。

 がぎん。がぎん。がぎんがぎんがぎんがぎん! 廃棄車両を圧縮粉砕するための全自動式の油圧プレス機がその破壊的出力であってドラムでも打ち鳴らしているかのような、騒々しさの究極系とでも言うべき駆動音が周囲に轟く。

 発生元は綻びかけた蕾のような形状になっている甲冑(ギア)大腿部のようだ。

 何らかの機構が内側で忙しなく動き回り、装甲を打ち鳴らしているらしい。

 ブレーキなどでは決してない。グリフォンのゴムボールの如き暴れ方は更に激しくなった。見えない手脚で四方八方から殴り回され蹴り回されているかのようであった。

 悲鳴はもう聞こえない。おそらく吐血と吐瀉物で気道が塞がってしまったのだろう。


「こ、これって大丈夫なのでしょうか」引き攣った顔でミラーズ。「中身がぐしゃぐしゃになるのではありませんか?」


「大丈夫、大丈夫。この子が不慣れでも、肉体の方がこれを使い慣れていれば、恒常性がこの破損の仕方を覚えているはずよ。悪性変異はしないわ」


「母様、過労死寸前だからって矯正謹慎食らってた頃の市長時代の百倍ぐらいすごいことになってるね……」『心配だねぇ……』と娘たちは母の現状に心を痛めている始末である。


 無軌道ピンボール状態は十数秒に及んで続き、破裂し混淆された肉片が排出孔からどんどん吐き出されていった。停止のための制御を行っていると言うよりは、見えない怪物に玩具のように振り回されて体の内側から何百本という爪で陵辱され、挽き潰されているとでも表現した方がまだ適切だろう。

 それでも無事に徐々に減速し、間もなくアルファⅢグリフォンは空中で元の直立姿勢に回帰することに成功した。

 おおー、とリーンズィたちは珍しい大道芸でも見たように拍手をした。

 気にしていないということを示すための気遣いでもあった。


「ご……ごぼ……けは……やっと息が……空気って美味しいですよね……これを使うたびに思います……」


「大変なのだな……」


「お見苦しいところを……」


 レアがウンドワートの遠隔操縦のスタンバイ状態を加除して言った。


「お疲れ様、お疲れ様。……まぁ、もう、いいかげん聞いても良いわよね? あなたの機能は一体何なのかしら。ずっと浮かんでいるのもそうだけど、あんなに高速で動けるなんて、ちょっと意味が分からないのよね。軍事機密と言うことなら無理強いはしないけど」


 グリフォンは躊躇しなかった。


「私の運営する完全架構代替世界は『衛星軌道と、そこに設置された七千個の錐体』であると聞いております。宇宙──この空よりも上にある場所、という概念は、理解が及ばないのですが──そこを飛び続けるこれらの錐体群は、秒速20kmで、地球(アースボール)? という巨大な球体の、遙か上空を飛行しているそうです」

 ふらつきながらも高度を落とし、自由な右腕を上げてくるくると空を指して手を回す。

「それらの持つ『速度』を取り出して扱うのが、このアルファⅢグリフォンの機能です。現状、私の力量では扱えてはいませんが……」


「要するに、速度エネルギーを自分自身に纏わせることが出来るのね。納得は行くけれど……だけどそこまで扱いが難しい機能なの? シンプルで使いやすそうに聞こえるわよ」


「私もこの蒸気甲冑を拝領する前はそう思っていたのですが、ほぼ無限のエネルギープールの蛇口をちょっと開いただけで、すぐに秒速20km分のスピードに達するぐらいの出力が出る、と言えば伝わるでしょうか。ソフトウェアとしての計器類は搭載していませんし、エンブリオ・ギアから加工した身体接触式の入力装置から目、耳、粘膜まで含めた触覚、味覚や嗅覚まで使って情報を読み取ってコントロールするしか無い仕様で……」


 さしものレアもこれには同情と呆れが勝ったようだ。


「嘘でしょ……信じられないわ、信じられないわ。まさか勘と経験でしか動かせないってこと!?」


「はい……。操作をしくじると()()()()()()()()()()()()()という話です。前任のバアル様は月まで飛んで<暗い塔>の天辺を覗いて帰ってきたそうですが、私ではおそらく行ったきりになるでしょう……酸素もない世界など想像も付きませんし、バアル様がそんな環境で何故平気だったのかも全然わかりません」


「ワンミスで宇宙行きはさすがに怖いわね」


「大変すぎるのだな……」


「お労しいです、母様……」

 

 通夜じみた空気で途切れかけた会話を、空気を読まないのが得意な支援AIが繋いだ。


『疑義提示。先代の<バアル>なる機体は、現実にその装備を使いこなしていたのですか?』


「どうも、信じがたいことに、そのようなのです。秒速20kmで縦横無尽に空を飛ぶ不朽結晶弾に等しいのですから、それはきっと強力だったのでしょう。とてもシンプルな強さです」


「本当なら強いわよね。世界で二番目ぐらいに」


「最強のスチーム・ヘッドたるアルファⅡウンドワートとも互角に戦えたであろう、と言われています」


「は?」レアは真顔になった。


「もっとも、勝負が成立するだけで、シミュレーションの模擬戦でも勝率は0.1%を切っていたようです。実績から逆算されたデータしか残っていないというのに、ウンドワートは戦力としてレベルが違いすぎます。彼を擁しているのに攻め込んでこないクヌーズオーエ解放軍には、FRFを滅ぼす気が本当に無いのだと思い知らされました……」


「でしょうね!」レアは機嫌を良くした。


「いずれにせよこのバアル・アーマーは私には全く制御が出来ず……何かあると、すぐあんな有様に……」


 いたたまれない空気がさらに濃くなり、見えない霧のようになって辺りを支配した。

 ――こんなの、使いこなせるはずが無い。

 誰もがそれを理解した。

 人間はそもそも超音速で走れるようにはなっていないが、秒速20kmという超越的なスピードを扱うというのは完璧に人知の外側にある世界だ。そうした技能を後天的に身につけることが可能かもすら疑わしい。可能だとしても、十年、あるいは百年単位での集中的な修練が必要だろう。

 しかも計器類は無いというのだから、これを使いこなせるのは、本来人間としては全く使い途の無い異形の才能を備えた、奇跡に奇跡を重ねて生まれてくる個人だけだ。

 アルファⅢグリフォンは、その奇跡の体現者が遺した強大すぎるスチーム・ギアに振り回されていた。


「はぁ。い、今のですっかり、疲れてしまいました……。不死者になれば疲れなくなるとプロトメサイア総統閣下は仰っていましたがあの人意外と適当なことばかり言う人なんですよね……。で、では、ひとまず作戦計画のお知らせも終わったので、ご挨拶はここまでということで、帰還させて頂きたく」


「えっ!?」リーンズィは瞠目した。「わ、私たちは、何かちゃんとこう……聞いただろうか?」


「なんでしたか、えっとーたい? プロジェクトを始める? というようなことは仰っていましたね」


「あ、わたしもその部分だけ微妙に聞き取れたわ」


「その部分だけというか、母様はそれぐらいしか言ってないですね……」『ねー』


「その件については、先ほど申し上げた通りです。『越冬隊』プロジェクト。FRFではプロトメサイア総統閣下の全面的な認可を背景に、人類文化継続のための新たな大規模事業が進行しています。戦力増強を前提としたプランであり、クヌーズオーエ解放軍と敵対は意図しておらず、むしろ援助を必要とするものです。とにかくそういうことが始まるので宜しくお願い致しますと、このご挨拶だけを伝えに来たのでした」


「それだけ、なのか? それだけなの?」


「それだけです」


「随分と回り道をしたのだな……」


「我ながらそう思います。……アルファⅡモナルキア・リーンズィ様は、我々を支援をしてくださると、そういう認識で良いのですよね。まだ詳細が全く定まっていない計画ではありますが、まずは貴方様の意志を確認させて頂きたかった。改めて、どうか、ご回答を」


「それが人道的な計画であれば、調停防疫局は相応の支援を行う」

 リーンズィは臆さず頷いた。

「人種も、宗教も、政治信条も、経済的・社会的条件も、最高水準の健康の享受を妨げるものではない。ヒトの尊厳と健康を堅持しようとする限り、私は君の味方であることを約束する」


「そのお答えを聞けて、安心いたしました。では、私は理想都市アイデス、FRFの本拠地へと帰還します。計画の完遂には半世紀ほど必要となるでしょう。まだ、始まっただけで、根回しも終わっていませんから……」


「そうだ、母様、母様。どうか教えてください、アンデッドと成り果てた僕たちに」

 意を決した表情で、リクドーが変わり果てた母に歩み寄った。

「都市は、どうなりましたか。僕たちのフェイク・ヨーロピアは……」


 アルファⅢグリフォンは押し黙った。

 何かを振り切るようにして告げた。 


「我が娘よ。お前の故郷は、もうこの地上にはありません」


「そんな……」


「しかし、総統閣下は機会を与えてくださると約束してくださいました。……フェイク・ヨーロピアは私が再興させてみせる。待望し、そして見届けて欲しい。我が愛しき少女騎士たちよ」


 決然たる言葉と共に僅かに高度を下げ、顔も名前も肉体も喪った古い時代の市長はリクドーとサードを、壊さないよう、そっと、優しい指先で撫でた。


「では皆様、おさらばです。まずは三紀年。三紀年経った後、改めてこの地に進捗の共有に参上します」


「ふむ……」


 彼女がここに帰還するまでに何をしてあげられるだろう?

 リーンズィはユイシスと遣り取りをしながら試算する。

 クヌーズオーエでは外界と比較して明らかに時間が加速しているというのは常識ではあるが、クヌーズオーエの外縁、即ちプロトメサイアの管理が届かない無限に広大で無意味な都市と、理想都市アイデスのような中核拠点でも、時間の速度は全く異なる。

 ユイシスが電子ソロバン(実体がない)でパチパチと計算した結果、あちらでの三年は、こちらの六ヶ月程度かも知れない、との予測が出た。

 そこまで時間の流れに差があればトラブルも起きるに違いないが、しかしも六ヶ月あれば、コルトの遺産たる戦術ネットワークを活用し、解放軍の思想傾向をFRF市民支援の方向に調整するのはそう難しくないだろう。


「……小規模になるとは思うけれど、支援の準備が出来ると思う。何千人も保護するのは無理だろうが、たとえば少人数の一次派遣部隊の受け入れぐらいなら次回までに何とかするのだな」


『そこまで試算して下さったのですね! まぁ、実を言えば、そこまで順調に計画が進行するとはまず思えないのですが……しかしご厚意に感謝します、さすがプロトメサイア様の真なる姉妹であられる!』


「違います姉妹じゃないです全然知らない人なのだった」


 リーンズィは心底嫌そうな顔をした。同系列機だとしても、コルトを破壊した相手と姉妹でいられるほど、リーンズィはプロトメサイアを許せていない。


 別れはあっという間だった。

 リーンズィへの感謝を単眼の明滅で表現したアルファⅢグリフォンは、見る間に高度を上げながら大きく声を張り上げた。


「どうか、どうか宜しくお願い申し上げます、アルファⅡモナルキア・リーンズィ様! 私たちの未来を! 私たちの、新しい道を!」


 そうしてアルファⅢグリフォンは一礼し──その瞬間に姿を消してしまった。

 後には空の彼方へと突き抜けていく飛行機雲と、水蒸気爆発の轟音だけが残された。

 秒速20kmまで即座に加速可能というのは事実のようだ。

 つくづくカタログスペックだけは圧倒的な機体らしい。


 闖入者の影を見送りながらレアが嘆息する。


「まったく、まったく、ずいぶん気の長い計画ね。足がかり何年で実施するつもりなのかしら? こういうのって遅れに遅れるのが普通じゃない。最終的には百年ぐらいかかりそうだけど。FRFってぶっちゃけどうなの、リクドー?」


「えっと、百年余計にかかるっていうのも結構甘い見通しかなって思います。下手したらもっと時間が必要です」


「あら、手厳しいのね」


「うちって、都市の内部で共食いをしているような人たちの集まりですから……と言っても私たちの時間と、クヌーズオーエ中心部の時間は食い違っているのですよね。それほど遠い未来のことではないのではありませんか? 十二倍ぐらい速いというお話でしたが、体感だとそんなものじゃないような記憶が」


『ねぇリクドーちゃん。浄化チーム時代の遠征だとどんな感じだったのぉ?』と尻尾が問いかける。


「ちょっと遠い都市の浄化計画で、二年で終わった作戦だったのに、ホームに帰ってきたら六年経ってたとかは普通だったよ。だからもっと遠い場所で解放軍の側には、もっともっと猶予無いんじゃないかなっ」


「ふむむ。かなりズレがある想定で、もっと早く……こちらで三ヶ月経つ間に、そちらで三年が経ってしまうような速度で進んでいるとしよう。そういう計算だと、せめて二ヶ月前後で彼らへのスタンスを定めなければならないのだな。その後のいろいろな準備に一ヶ月は欲しい」


『報告。予測演算完了。戦術ネットワークを操作すれば、二ヶ月程度あれば彼らを支援するための情報操作が可能です。時間的余裕は十分と推測』


「それは良かった。よし、まずは解放軍でも情報共有と根回しなのだな! 私たちも頑張ろう!」


 こうして第一回目のアルファⅢグリフォンとの会談は解散となった。



 そしてある日、砲弾が着弾したかのような大音声が、再び、その壊れ続ける都市を揺るがした。

 多くの機体がもしや、と予感したため──異様な予感であったが──初回ほどの混乱は起きなかった。


 出現地点は以前とほぼ同じだ。

 彼女は前回作り上げたクレータにまた着弾していたのだ。

 だが、今回は全身がアスファルトに埋まってしまうほど無様な着地ではない。

 ランディングギアを展開し、アスファルトにその両脚を突き立てていた。

 狙い澄ました一撃である。

 前回と全く同じ位置に、それでいて前回よりも圧倒的に見事に着地を成功させたのだ。


 困惑の漂う空気の中、スチーム・ヘッドたちはぞろぞろとグリフォンの周囲に集まった。


 ふわり、と浮かび上がったアルファⅢグリフォンの所作は前回来訪時とは比べものにならないほど優雅だ。

 彼女は集まってきたスチーム・ヘッドたちから目敏くアルファⅡモナルキア・リーンズィを見つけ、空中を滑るようにして移動すると一気に高度を落とし、全体的にぎこちなさはあるものの、際立った違和感のない所作で彼女に一礼した。

 驚くべきは、ランディング・ギアの足先がアスファルトに触れていないということだ。

 小柄であるにも関わらずリーンズィを見下ろしている形だが、これは地表から十数cmだけ浮かんでいるためだ。

 扱いの難しいと思われたこの蒸気甲冑(スチーム・ギア)を使いこなしつつあるようだった。


「FRF『越冬隊』プロジェクト総指揮官、アルファⅢグリフォン。只今参上しました。お久しぶりです、リーンズィ様。三紀年、1095日分の進捗報告に参上しました。ご納得いただけるような、良いお知らせが出来るかと思います」

 

 リーンズィは言葉を失って固まっていた。

 黒金のメサイアドールはそんなリーンズィの反応にも気付かず、バイザーの光学素子を丸くして、自分を取り囲む兵士たちに視線を向けた。


「おや? 分析開始……照合終了。やはり、顔ぶれが以前から変わらない様子。もしや、私を待っていて下さっていたのですか? こんな不安定な都市にわざわざ拠点を? そうだったとしたら、どう御礼を申し上げれば良いか……」


「ふむむむ……」リーンズィは曖昧な顔で頷いた。「たったの十日とは……」


「は。十日とは、今日の日付でしょうか。カレンダーデータの同期は生憎と未完了でして……」


 穏当な言葉を探したが見当たらない。

 意を決して、アルファⅡモナルキア・リーンズィは事実を簡潔に告げた。


「三年分の進捗とは言うが、君が前回ここに訪れたのは──十日前のことだ」


 己が耳を疑ったのか、グリフォンの動きが強張った。


「今、なんと仰いましたか?」


「我々の主観では、君が飛び立ってから、まだたった240時間しか経過していないの。いないのだな、アルファⅢグリフォン……」


 想定外だった。

 何の準備も進んでいない。進められるわけがない。

 240時間程度で体制のいったい何を変えられるというのか?

 リーンズィは、すっかり困り果ててしまった。


「我々の領域と、FRFの中枢部とでは、どうやら()()()()以上も時間の流れに差があるようだ……」



※現実の人工衛星は秒速8kmぐらいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新早くてとても助かります。 寿命が三年伸びて喉の荒れが治りました。 回転し続けるグリフォンをループ動画にしたら一日中見ていられそうです。 ふわふわぽやぽやでほんわかしながらも、それだけで…
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