セクション4 グリフォンは落っこちた その2 クヌーズオーエ解放軍/リーンズィ
クヌーズオーエ解放軍支配領域への『アルファⅢグリフォンの着弾』は文字通り衝撃的だった。
ロングキャットグッドナイト主催の体操の催しを『着地の失敗』の凄まじい爆発で妨害し、落着したクレーターの中央に埋まっていたところをようやく引っ張り出されたアルファⅢグリフォンが最初に要求されたのは、武装解除だ。
自分は特使であり交戦の意思は無いのだと主張する彼女に、何機かの機体が「ガチガチに甲冑で固めてやってきて、それで特使なんて名乗ってやがる。筋が通らないだろが」と凄んだのだ。
「ご指摘ごもっともです、スチーム・ヘッド様」
アスファルトを抉るクレーターの中央に仰向けに寝転んだ状態で、禍々しい色彩の歪な蒸気甲冑が言う。
「しかし、これには事情があります」
グリフォンは横たわったまま躊躇もなく蒸気甲冑の前面装甲を開放した。
途端、羊水に似た無色透明の液体が湯気を上げながらざばりと零れ落ちる。
不死の香りとともにそこに納められている不死病筐体が露わにした。
不死の兵士たちは瞠目した。
大方の予想に違わずTモデル不死病筐体の少女の裸体が露わになった。
痩せ気味で、首から下に体毛の無い肢体。芸術的であると同時に透き通る素肌。首筋、胸元、大腿部の三箇所には先天的に付与されていたのであろう二次元コードが刻印され、首から上にはこのモデルに特有の極めて繊細な美貌が据えられている。
厳密に言えば完全な裸体ではなく、装甲内部に張り巡らされた有機的な複合素材が肉体の要所に絡みつき、決して脱ぎ去ることの出来ない衣服のように這入り込んでいる。特に左腕のほぼ全ての部位が粘つく繊維に包まれており、五指に至ってはギプスのような肉塊によって固められて物体を把持するための機能を失っていた。何らかの変異体を利用した装備だった。肉体への浸食が見受けられるという点でエンブリオ・ギアと酷似していた。
兵士たちが動揺したのはその特異な装備の容態ではなく、少女の肉体が持つ身体的特徴にあった。
アルファⅢグリフォンを名乗る彼女からは、色素が明らかに病的に欠落していた。濡れて冬の陽光で銀に輝く髪と、眼窩に収まる紅玉の鮮血色。
見紛うはずもない。
その場に居合わせたレアこと、アリス・レッドアイ・ウンドワートの不死病筐体と全く同じだ。
グリフォンの肉体の方がいくらか年齢を重ねている様子だったが、しかし第一印象があまりにも似ている。レアと関係があるのは明白だった。
多くの機体が、グリフォンを名乗る不審スチーム・ヘッドに気取られない程度に、レアへと意識を向けた。
レアはボマージャケットの胸の前で腕組みをして、不愉快そうにグリフォンを睨み付けていた。
その視線に気付いたのか、グリフォンの耽美な不死病筐体は僅かに狼狽えた。生真面目そうな所作は些かレアとは異なる。
それから気を取り直して、己の剥き出しの体のその脚の付け根に右手の指を這わせて「このように、私の使う肉体と甲冑は、物理的に繋がっているのです」と告げた。
兵士たちの纏う気配が、今度は一気に重苦しいものになった。
多くの機体が、そのおぞましい身体改造の仕様を少なからず知っていた。
アルファⅢグリフォン。
その不死病筐体には、生身の脚が物理的に存在しなかった。
大腿部の辺りで切除されて、断面が直に蒸気甲冑の内部機構へと直接接続されている。
高度な生命管制で再生と悪性変異は抑制されているようだが、脂肪層や筋骨を晒した傷口に無数の機械装置が無造作に挿入されている様は如何にも痛々しい。
前面装甲を解放可能な仕様であっても、これでは自力で甲冑を脱ぐことが出来ない。第三者による外科的な処置が必要となる。
「……不死病患者の肉体を大幅に加工して、再生を抑制した上で蒸気甲冑に『組み込む』ことは禁止されている」リーンズィは酷く冷たい声で告げた。「君にこの施術を強要したのは一体誰だ? 我々調停防疫局は断じてこの非人道的行為を許容しない」
スチーム・ヘッドたちの反応が遅れたのは、通常あり得ない改造であるがために認識出来なかったためだ。
侵襲的な身体改造は、不死病患者を用いたスチーム・ヘッドやスチーム・パペット作成が成立する以前から存在した技術だ。
人間の肉体を駆動機械に置換する技術自体は、古い時代においては医療分野で広く浸透していたが、主体を機械の側に移し、人体を機械制御の部品として扱う施術は、禁忌中の禁忌とされていた。
軍事用機械甲冑の開発の初期段階においては、当然のように倫理を無視して推進されていたが、その段階ですら生体への負荷の過度な大きさが指摘されていた。
人体改造の内包する致命的不可逆性を無視することは出来ず、何より一般的な認識と異なり機械部品が生身の人体とは比較にならないほど短命な点が問題だった。
弾雨降りしきる戦場で、血肉と土の入り交じる泥濘を駆け抜け、数時間のうちに敵陣地を壊滅せしめる無敵の完全機械化兵士は、戦場から離れて軍や支援機関のサポートが打ち切られれば三月と経たずまともに動けなくなる。メンテナンス無しで半年も経てば脳髄も遺された僅かな臓器も腐敗する。そもそもブドウ糖液を補充出来なければ脳髄が一日も保たない。錆びたガラクタに成り果てて腐れた汁を吹いて息絶えるのだ。
スチーム・ヘッドに対して同様の施術を行うのは、尚酷い。
不死病のもたらす恒常性は、己自身の肉体を侵食する異物を強烈に拒絶する。機械への不可逆的な置換がもたらすのは悪性変異という最悪の結末だ。撒き散らすのはたった一人分の腐れた汁ではなく、広範に渡る死と災厄、瓦礫の山である。
これは仮説や予測ではなく、多くの不死の兵士が目の当たりにしてきた失敗の歴史だ。不死病患者を機械と接続する試みは多く行われてきたが、結局は人工脳髄と人格記録媒体を介在する形でしか安定しなかった。
人格記録媒体を使い捨てにするスチーム・パペットすら、身体改造式のスチーム・ヘッドと比べれば、付帯的被害を発生させないクリーンな技術体系に属しているのだ。
敵意ではない険悪な気配を読み取ったグリフォンは、緊張した様子で愛想笑いを浮かべた。
「ご心配ありがとうございます。……これは先代がエンブリオ・ギアを使って体内で培養した不朽結晶製の義足であると聞いています。通常の身体改造よりも遥かに安定性の高い人道的なものであると確信しています」
言葉の通りならば、拒絶反応の出ない改造ではあった。
不朽結晶は生成者の肉体の形質を受け継ぐ。培養と加工が極めて困難な上にさほどメリットが無いのだが、本人に由来する不朽結晶製の機械は、不死病患者に埋め込んでも拒絶反応を起こさない。
「しかし、こんなふうになっていては、まともに歩けないのでは……実際、起き上がることも出来ていないのだな」
「こ、これは私の未熟さゆえです。本来なら歩くことすら不要な機体なのです」
「改造は改造だぜ、クズ肉どもは今時こんな時代遅れの技術に縋ってやがるのか……」
兵士たちが義憤の唸りを漏らしながら、今度こそはっきりとレアに意識を向けた。
アルファⅢグリフォンとアリス・レッドアイ・ウンドワートに関連性があることは明白。このような色素欠乏症気味のTモデル不死病筐体は意図しなければ決して生まれてこない。年齢差こそあるが、グリフォンは姉妹機や量産検討機の成れの果てと判断して間違いないだろう。
激昂したレアを止める術をクヌーズオーエ解放軍の不死の兵士たちは持ち合わせていなかった。止める理由もない。兵士たちはクヌーズオーエ解放軍最高戦力たるウンドワートの裁定を待った。
「ごほ……けほ……」
愛らしい口元から羊水を吐きながら年を重ねたレアとでも言うべき美しい少女が眉根を寄せる。
「……そちらの不死者様がどうかされたのですか? 皆さま、注目しておられるようですが……」
「気にしてるのよ、気にしてるのよ、こいつらがね。見た目だけ、わたしとあなたがそっくりだから」
「……そっくり、ですか?」グリフォンは不思議そうだった。「確かに同じTモデル不死病筐体かとは思いますが、体も顔貌はそこまで似ていません」
兵士たちが反論した。「似てないことないだろ?!」「そっくりじゃん、髪とか目とか!」「違うのは背丈と乳のデカさぐらいだ!」最後の機体はレアに跳び蹴りをされた。
グリフォンはなおも釈然としないようだった。
「髪と目が、そちらの不死者様と同系色なのは認めますが……たかが、それだけではありませんか。ああ……旧人類はプロトメサイア総統閣下の血統ではないと聞いております、だから区別が出来ないのでしょう。そこにいるリクドーも、Tモデル不死病筐体に連なる顔立ちでしょう?」
儚さと傲慢さが同居した、奇妙な印象を与える美貌をリクドーへ向ける。
名を突然呼ばれて戸惑うリクドーに微笑みかけ、己の顔を、四肢のうちで唯一人間らしい状態を残している右手で撫ぜる。
「我々FRF市民は、その全てがプロトメサイア総統閣下、Tモデル不死病筐体の血統に属しています。私たちにとって、この顔の系統こそが『見慣れた人間』なのです。あなたがたでは見分けが付かない僅かな差異でも、私たちの目には、はっきりと分かります。そちらの不死者様と、似ているか否かで言えば似ている方だとは思いますが……私の視点では『そっくり』ではありません。あくまでも別人というレベルです」
「でも髪と目の色が……」とまごつく兵士の一人は「髪と目の色が同じなら全員同じに見えるのですか? その理屈だと同一人物ばかりではありませんか」とばっさりと切り捨てられてしまった。
「ええ、ええ。わたしとあなたに、そんなに関係が無さそうなのは分かったわ。わたしと違って何もかも上品そうだし」とレアは溜息を一つ。「こほん。公衆の面前で何もかも晒して素っ裸になってるその無様さに対してなんか言うのは気が引けるけど……せめて外せる武器は外したらどう?」
「私、アルファⅢグリフォンは、外付けの武装を持っていません。この通り、装備することも想定されていない……」
白髪の少女は五指を封じられた左腕を掲げて「わたしにはもう、使い慣れたカタナすら握れないのです」とどこか諦観の滲む呟きを漏らす。
「事情は理解した。あの、そろそろ前を閉じては?」リーンズィはそわそわしながら進言した。「ほぼ全裸だし、たいへんなところまで見えてしまっているし……君主観では全然違うとしても、私には恋人であるレアせんぱいの裸をみんなに見られているようで落ち着かないのだな、落ち着かないの……」
「心外ね、心外ね。わたしは別に気にしないけど。全然違うのは、リーンズィこそ知ってることでしょ?」とレアがリーンズィに笑みを向ける。「だけど、リーンズィの言うとおり、もう良いんじゃないの? だいたいね、好きに武装させておけばいいのよ、FRFのクズ肉を怖がる必要なんてわたしたちには無いんだから」
兵士たちから特に反論は無かった。
リーンズィと、クヌーズオーエ解放軍最大戦力である、偉大なるサー・ウンドワートの判断を疑うものなどいない。
グリフォンは「ご厚情に感謝します」と前面装甲を閉鎖した。彼女の顔は不朽結晶製フルフェイスのバイザーに覆い隠されていたが、表情や視線の向きはありありと分かった。バイザーに埋め込まれた光透過性を持つ素子群の一部が、仄かに発光して単眼を象り、ぎょろりぎょろりとゆっくりと動いている。
省電力化のためか、人格記録への影響を軽減するためなのかは不明だが、数千のセンサーの一部のみが、内部の不死病筐体の眼球運動を読み取ってアクティブ化するようだった。
眼球を思わせるその光が、突如ひときわ大きくなった。
「え!? あれは……!? なにかふわふわの毛が生えた赤子のようなものが街灯の上に!」
リーンズィたちは何事かと視線の方を向いた。
何と言うことはない。
暇を持てあましたロングキャットグッドナイトのしもべたる猫がクレーターそばの街灯によじ登って遊んでいるだけだ。
FRF出身である彼女には見覚えがないのだろう。
「あの生き物は猫なのだな。猫と言うの。お日様の如き体温を持つふわふわの生き物で……」
「何を悠長な! 今にも落ちてしまいそうですよ! まさかあんな幼い生命資源がクヌーズオーエ解放軍の勢力圏にも存在したとは! 何故放置しているのですか!? た、ただちに救助しなければ……」
猫は……街灯のてっぺんから、ひょいと飛び降りてしまった!
「危ない! いいえ、私の速度なら追いつける──!」
アルファⅢグリフォンが叫んだ瞬間、陥没した道路に横たわっていたその姿が、瞬時に虚空へと掻き消えた。
猫を助けるために飛び立ったのだ、と一部の精鋭のみが理解した。
グリフォンの加速は超音速戦闘に慣れ切った兵士たちにも目では追えない。
リーンズィやレアにすら感知が遅れるほどの超高速での移動。
兵士たちは驚愕しつつ猫の方を見た。
果たして猫はごく当たり前に落下して着地していた。
「ぬにゃぷるすか……」と謎の鳴き声を発しており極めて平和だった。
特に助けられたりはしていなかった。
同時に猫がいた場所とは明後日の方向のビルの高層階から爆音が轟き、瓦礫と共に「あー!!」と情けない悲鳴を上げながらアルファⅢグリフォンが落ちてきた。
受け身も取れないまま地面に叩き付けられ数度バウンドして動きを止めた。
ものすごい勢いで飛んで、全然違う場所にぶつかって勝手に墜落した。
誰にも視認は出来なかったが、状況から考えてそのようなことが起きたとしか言いようが無かった。
「ええ……」
リーンズィもレアもリクドーも、グリフォンの示した異常な加速速度と、猫のいた場所とはかけらも重なっていない着弾点に言葉を失った。
一体何だというのだと呆れ果てるしかない。
そもそもあの速度では方向が正しくても猫は木っ端微塵ではないのか。
今度は瓦礫の山から風船でも飛ばすようにゆっくりと浮き上がったアルファⅢグリフォンを視界に捉えた兵士たちが「う、うお……」「浮いてる、すご」「さっきすっ飛んでいったの何だったんだよ」と歯切れの悪い感嘆を口にしたが、当の本人はやや落ち込んだ調子で無声通信を飛ばしてきた。
『重ね重ね醜態を晒して面目ありません……本当にかつては最高戦力だったそうなのです……偉かったのです……私の先代の話なので私のこのザマでは到底信じていただけないかもしれませんが……』
「現状、信じるとか信じないとかではないので気にしなくて良いのだな」リーンズィはものすごく気を遣った。「ポテンシャルの高いスチーム・ヘッドであることは何となく分かった。それで、ここに一体何を? 私たちにとって、そちらの方が性能よりも重要だ」
『やはりあなたはお優しい……改めて名乗らせてください。私はアルファⅢグリフォン。装填されている人格記録媒体は、かつてリーンズィ様に命を救われた生命資源の一人です。遙か以前の名前ですが……<ネレイス>。当時はそう名乗っていました』
リクドーが驚きに尻尾をピンと立てた。
「ネレイス!?」
『それってサードたちの母様の名前だよぉ!?』
『ええ、あなたたちの母ですよ。もう、顔も肉も、何もかも別人ですが』自嘲混じりの笑いには郷愁の響きがある。『アルファⅡモナルキア・リーンズィ、我が恩人よ。あなたにご相談があるのです。FRF市民を現在とは異なる手法で救済する計画が、現在進行しています。終わらない共食いを強いる現行の手法とは全く異なります、きっとクヌーズオーエ解放軍の皆様にもご理解を頂ける計画です。まず、どうか、リーンズィ様だけでも、私の話を聞いては頂けないでしょうか。あと、あの、どうもそういう空気では無いような気はしますが、プロトメサイア総統閣下が支援要請の受諾を取り付けたと仰っていたのですが……?』
兵士たちは押し黙った。
敵視の態度はすっかり失せていた。
あまりにも無様で無力そうなこのどうでも良い機体を、無闇に邪剣に扱っても益がないように思えたのだろう。
リーンズィは一も二もなく「では、ひとけの無い場所に移動しよう」と頷いた。
何もかもがちぐはぐな印象を与えるアルファⅢグリフォンがなんだか憐れに思えていた。
このまま兵士たちの好奇と不可解さの入り混じる目に晒しておくのも忍びない。
プロトメサイアの嘆きの声に手を差し伸べてしまったというのも不本意ながら事実だ。
そして何より、リーンズィはグリフォンの義心を評価した。
どうしようもなく失敗してはいたが、グリフォンはふわふわで脆く愛らしい猫を助けようと、あの瞬間、何の保身もなく飛び上がったのだ。
結果的に的外れな場所に突っ込んで建造物を吹き飛ばしてしまったが、弱きものの命を救わんとするその心意気は本物だったはずだ。
猫を愛するように、人を愛しなさい。リーンズィの心のヒーロー、ロングキャットグッドナイト(今現在は闘争の気配を感じていないのか猫を自分の周りに集めて順番に持ち上げたり下ろしたりして遊んでいる)の言葉である。
猫を守ろうとした彼女のことを、信じても良いと思えた。
遅くなりました。
少しずつ再開していきます。




