セクション4 The Griffon Has Landed. FRF/『不死狩り隊』 その5
長くなりそうだったので分割して先に公開します。
本来避けるべき日程なのですが、日曜日投稿予定分の先行公開なので、セーフです(謎の理論)
停止の命令が下ったのは、合流地点に至るその直前だった。
何の前触れもなく、全隊十班――合計三十名の兵士が、周辺の建造物や路地で足止めを食らった。
自在腕の左に懸架した大盾を庇のように掲げた異形の騎士たちは、拡充装備の長い脚――天然筋肉と機械骨格の組み木細工を折り曲げて降着姿勢を取り、己自身と一体化した鎧に半ば腰掛けるような形で次の命令を待った。
休息を取るにも、防御陣地を組むにも、決して適切な場所ではなかった。
拡充装備の、その轢断された馬の下半身じみた具足と背負い式の自在腕に懸架した兵装は大がかりで、身を隠すこともままならない。
殊に攻勢においては強力だったが、自身の存在を隠匿すべき場面では、槍衾めいた砲身群と城壁の如き大盾は扱いが難しい。
ただ、幸いなことに、集結間近ということもあって、少なくとも近隣にいる何班かは目視が可能だ。
最悪の事態――敵性不死者による奇襲――が訪れても、即座に連携を取ることが可能だろう。
不死者、アルファⅢグリフォンからの指令がそれに先んずれば尚良かったが、定命の兵士たちに天上の存在の思惑は推し量れない。
手持ち無沙汰に兵士たちが眺めているのは、一際高く聳える建造物と、それを取り巻く異様な光景だった。
建造物は、通常の都市では市庁舎や物流拠点として利用されており、それ自体は何ら珍しいものではない。
目を引くのは、屋上部から小型の風船が無数に浮かべられていることだ。
いずれも長い幕を吊るしており、微風に波打つ色とりどりの大布には、何か意味の分からない装飾過多な記号が編み込まれている。
装飾の施されていない無機質な外壁と不釣り合いな色彩の豊かさ。
白骨で玉座を拵えた狂える大君主の葬礼のために捧げられた弔いの旗の群れじみた不吉。
周辺は広場になっている。
栄えた都市では典礼の思想啓発集会や友好都市との交易品あるいは未開拓都市から持ち帰られた発掘品あるいは陥落した都市からの略奪品のバザールとして用いられる。
廃滅した都市では、捕虜となった生命資源の選別や、集団処刑のためにも使われる。
いずれも都市の中心部に存在する施設で、正負どちらの面でも賑わう場所であり、FRFの支配する都市で生まれ育った人間ならば、人口動態調整センターと並んで馴染み深い場所と言える。
クヌーズオーエの名を持つ都市は大部分の構造が共通で、大災禍や度を超した増改築の痕跡が無いならば、市庁舎やバザールは、漫然と方向を定めて歩くだけで到達可能な場所だ。
生半可な不死の怪物どもが道を阻んだところで、最新の装備で身を固めた精鋭ならば、その通い慣れた道で命を落とす方が困難だろう。
加えて、あからさまなほど目立つ風船が浮かべられているのだから、合流地点から逸れてしまうことも有り得なかった。
テーバイ、コトカ、ラバトワの三人もまた、広場を前にして降着姿勢を取っていた。
そのうち、テーバイとコトカは兜のバイザーを上げて己らの顔を見せ合い、軽口を叩きながら、しきりに互いに視線を絡ませている。
ラバトワを間に挟んで軽薄に戯れに耽るのは、他ならぬラバトワの緊張が、危険なほど高まりつつあったからだ。
彼女は一際神経質で疑り深かったが、常識外の問題が頻発する領域外での活動経験が少なく、結果として目の当たりにしている光景について、冷静でいるのに努力を必要としていた。
「ああ、ああ。あの気球と幕は何なんだろう、気味が悪いや」
ラバトワは建造物の無数の窓と気球の垂れ幕を神経質に交互に見ていた。
意識してか否か、最早考えることすら苦痛なのか、広場には視線を向けようとしない。
「何て書いてあるんだろう、何なんだ、あれは。コトカ。コトカなら読める?」
呼びかけられたコトカがテーバイを押し退け、頸椎に打ち込まれた拡充装備との接続用神経管を伸ばしながらラバトワに体を寄せた。
自分の容貌が相手に好印象を与えると理解しての行動だ。
しかし、可憐なその顔かたちに微塵も反応せず、ラバトワは縋るような切実な視線を向けた。
「どうなんだい、コトカ。ねぇ、コトカ。コトカ、コトカ、コトカ。どうか教えておくれよ」
「えっ……えっと……近い……トワトワ、近い……」
「近付いてきたのは、君だ。それに、トワトワ? トワトワとは、何だい。あの旗の意味か? ねぇコトカ、コトカ……」
「冗談……冗談だ……よ? 冗談……」
凝視され、名前を連呼され、むしろコトカが恥じらいを見せた。
「あれは、とても……古い時代の文字……だと思う」
上気した顔を隠すようにして、風に揺らめく旗を私物の双眼鏡で眺める。
「あんな感じの字……見た覚え……ある」
「意味とか、分かるのかい」
「うーん……『オオキイ……アリガトウ……フェスティバル』……かな」
「フェスティバル? え、何? 何の、何てフェスティバルだって?」
「そりゃ、ラバトワ、決まってるだろ」
テーバイは束ねられた槍の如き総合攻撃器官の砲身を広場へと向けて、嫌そうな声を漏らした。
「血祭りだ、血祭り。俺らとあっち、どっちがそうなるのかは分からんが」
広場は、アンデッドで埋め尽くされている。
異様なる葬列の、永久に停滞して焼き付いた影。
かつてこの世界に有り触れていた多様性の具現。
数百あるいは数千の異なるかたちの影がひしめき合って無秩序に立ち並んでいる。
「こうも大勢のクズ肉が並んでいると、さすがに俺たちでもキツいぜ」
少女は心からの侮蔑を込めて『クズ肉』の言葉を発していた。
テーバイたちFRF市民は、プロトメサイアを規準にして彼女に創造された、最新の人類を自認する存在だ。
都市には、僅かな例外を除いて、彼女たちと大幅に異なる属性を持つ『人類』は存在しない。
旧人類のそれぞれの差異は検出可能だ。骨格の違い、目の色の違い、肌の色の違いは、FRF市民たちの間にある個人差よりも遙かに明瞭であるのだから、旧人類にも種類があって、それぞれに何か法則性があるという事実は、漠然とは分かる。
しかし自分たちFRF市民という生命の原本がどれほどの差異と矛盾を超克して――あるいは解決不可能で、致命的ですらある膨大な問題を、敢えて抱え込んだまま――己らの生存を維持していたのか、そんなことは夢想だにしない。
FRF市民は目立った差異を無視したり、妥協点を模索したり、共通点を見出すための努力をしない。
彼女たちの都市は常に戦争と虐殺という概念に依ってのみ存続を保証されてきた。
「人類の生存圏をクヌーズオーエにまで縮めた無能ども、クズ肉ども、くだらない、時代遅れの雑種どもの、この成れの果てどもが……せめて普通の人間らしく死んでくれりゃ良かったのに、生きて俺たちの道を邪魔しやがる」
極端なまでの同質性を背景に、僅かな差異を見つけて殺し合いをする。その宿痾を煮詰めた、人類史の終端に生きる彼女たちには、そもそも自分たちと古い人類が同種であるという認識が存在しない。
故に、アンデッドがかつて尽きる命を持って自分たちと同じように生活をしていたとは、殆ど理解が出来ない。そこには共感も憐憫もない。実際、FRF市民が古い人類を前にして、これは自分たちと同種だと理解するのは不可能に近かった。似ているのはおおまかな形だけだ。
FRF市民は皆整った造形をしており、ある意味では工業的で、不揃いな造形の旧世界の人類とはかけ離れていた。そしてその極めて薄い『差異』だけを寄る辺にして対立し、あるいは結束し、辛うじて関係を保って生きていく。
この歪な共同体においては美醜の評価すら同じ規格で作られた人間に対してのみ機能する始末で、旧時代の遺物はただ単に異常な存在としか解釈出来ず、結果としておおよそのアンデッドに向けられる感情は、際限の無い嫌悪のみとなる。
そんなものが広場を埋め尽くしているのだから、正気ではいられまい。
「悪夢だ、本物の悪夢だ! いったいこんなのどうすれば良いんだ!? 拡充装備は確かに強力だ、だけど、こんなのは規模が丸きり違うじゃないか! 重金属散弾も、スマート・バレットも、この不浄のものども、古い時代に死ぬことを許されなかった愚かな罪人どもを、町ごと根こそぎにして消し去れるような、そんな大した道具じゃあないんだよ! 火と硫黄の雨でもなければ無理だよ! ああ、二人とも、恐ろしい、恐ろしいんだ、僕たちは……何をやらされるんだ! 不浄どもに穢されて、同じになれとでも言うのかい!」
ラバトワは、テーバイとコトカにすり寄り、神経接続用の管から血の混じった体液を滴らせながら叫んだ。
彼女の反応はまさしく一般的なものであった。
どのようにすれば、新世界の地獄と旧世界の地獄とが交わることがあるだろう? 少しでも知識があれば、旧人類への怨みが湧いてくるものだ。
そしてアンデッドの群れとは、手脚を携えてこの世界に滲みだしてきた、人類文化の神錆びた罪業に等しい。
FRF市民は美しく、祝福され、果てしなく薄汚れていて、常に死の影に苛まれている。
アンデッドは不揃いで、穢らわしく、この世で最も清潔で、死の影から果てしなく遠い。
おぞましき世界の市民たちは呪い続ける、何故このような存在が地に満ちることが許されていたのだろう? どうして彼らの負債を、永劫背負わされて、この冬の都市に閉じ込められているのだろう……?
そんな怨嗟と呪詛の対象が、まさに具現化して、山のように並び立っている様は、悪夢以外の何物でもない。
「近い、近い近い、ラバトワ、顔が近い! 近いよ!」
「近いから何だって言うんだ!?」
「顔が近いと顔が近いんだよ! ここでキスでもするってのか!」
「やるかい!? リラクゼーションの一環としては推奨されてるけど?!」
「落ち着け! ラバトワ、落ち着けって!」
テーバイは咳払いした。
そして普段作っているよりも幾分高い、そして穏やかな声で語りかけた。
「ラバトワ、大丈夫だから、落ち着こう。ね? 落ち着こうよ。大丈夫だから」
「お姉さんみたいな……喋り方!」コトカが瞠目した。「いや、イジるのは……あと。ラバトワ……冷静に。あんなの……怖くない……から」
テーバイやコトカにとっては、どれほどおぞましく、憎らしかろうとも、変異体に至らない通常のアンデッド、器官停滞者と分類される低レベルな怪物なぞは、全くどうでも良い。丸きり見飽きた相手だ。彼らについていちいち雑言を述べることは、所詮は仲間とコミュニケーションを取るための手段に過ぎない。
アンデッドたちは、狂乱していないならば、この世で最も無害な存在の一つだ。
少なくとも、敵対する都市の市民のように、同胞を殺害して生命機械に組み替えるような非道な真似はしてこない。
テーバイ、コトカ、ラバトワの三人が待機している幹線道路は、都市中央の広場に直通している。
クルマの一台すら見当たらないこの都市では、アンデッドたちの進行を妨げるものは何も無い。
テーバイたちにとっては交戦距離だ。
敵が人類ならばとうの昔に銃撃戦が始まっているだろう。
だというのに、アンデッドたちは虚空を眺めているばかりだ。
何体かは物音に反応して、テーバイや他の兵士の方向を向いている。
だがそれはまさしく、見て、音の方を向いて、立っているだけなのだ。
積極的に干渉しないのであれば彼らは世界が終わるまで同じ場所に立ち尽くしていることだろう。
つまるところ、アンデッドとはそういうものだ。身分が低く、装備も貧弱な都市周辺者が、生業として未開拓都市に潜って、鎮静状態のアンデッドに遭遇しても、取り扱いは至って簡単だ。
近付かず、手を出さない。
それだけで襲われる可能性は全く無くなる。
所詮はその程度の脅威だ。
誤算だったのは、あくまでも高級な市民の住まう都市と、これから滅ぼされるべき都市においてのみ活動してきたラバトワのような、ごく一般的な感性で生きる兵士からしてみれば、数え切れない量のアンデッドのすぐそばにいるという現実は、二人が予想しているよりも遙かに恐ろしいらしい、ということだった。
FRF市民が受け入れられるのは、FRF市民と同程度かそれ以上に整った容貌を持つ造花人形、即ちスヴィトスラーフ聖歌隊の不死者などの、古い人類でも極めて稀有な存在だけという始末である。それすらも終わりのない冬への憎悪のはけ口としての側面が強い。
旧人類は、一般的なFRF市民にとっては未だ死にきれないという罰を帯びた穢れであって、慣れないうちはただの一体でも恐怖の対象になる。
それが何百という数で纏まって現れれば、動転もするだろう。
「ぼ、僕が何だか、君たちに変な迫り方をしてるのは分かってる。だけど、頭がどうにかなりそうなんだ、テーバイ、コトカ!」ラバトワは憔悴した様子で呻いた。「死なないやつらが、あんなにうじゃうじゃいるのが、領域外では普通のことなのかい?」
「まあね、うん、普通と言えば普通ね」
自分の怒気が悪い形で伝わったことを察しながら、テーバイは躊躇いがちに頷く。
「でも、なんだ、そうビビらなくて良いんじゃないかしら、ラバトワ」
咳払いを一つ。
「……アンデッドのクズ肉どもなんて、最初から怒り狂っているのでも無い限り、同じ重さの土の塊より大したことないぜ」
「でもそれは、手を出さなければの話だろう!? 僕たちは手を出すんだから!」
「そうだけど……だから、手を出すまではそんなにカリカリしてても、仕方ないってことが言いたいんだよ」
「僕は想像してしまうんだよ、テーバイ、さっき君が言ったとおりだ、あんなやつらに突っ込んでいったら、いくら僕たちでも、絶対誰か死んでしまうだろう……!?」
テーバイは居心地が悪そうに「だから、そうなんだけどさ」と言葉を濁した。
さしものコトカも軽々しくはフォローに入れない。麻痺しきった感性ではなく、一般的な危機意識から眼前の統率の無い不死の群れを評価するなら、ラバトワの懸念するところは全て正しい。
領域外の都市を開拓するにあたっては、当然ながら、アンデッドの排除は必須となる。
いつ市民を襲うかもしれない怪物どもは最終的には武力で駆除する他なく、彼らに対抗あるいは駆除する必要があるからこそ、偉大なるプロトメサイアが、軍刀という形をした奇跡、不死殺しの秘宝を授けるのだ。
もっとも、大量のアンデッドとの接触が避けられない場合、その処理は優先事項のリストの後ろ側へと回されるのが常だ。擦り切れた危機感では取るに足らない相手でも、正常な戦術眼で厳密に評価するのであれば無視出来ない脅威である。
領域外浄化の手練れであろうとも、膨大なアンデッドを処理するのは最終段階においてだった。
「ラバトワが怖がるのも……当然」コトカは言った。「本来なら……迂回して進むべき……ところ」
「そうだろうそうだよね、そうに違いないんだ。僕みたいな門外漢でも分かるよ。なのに敢えて対面させられて……ここに留まるよう命令されてるんだ! この膨大な量のアンデッドと一戦を交えさせるつもりなんだろう、不死者様は?」
「だな。そうとしか解釈出来ないのは、うん、そうだが」
一体一体の相手は、手間だが、そう難しくはない。
行動不能にしてから、不死殺しの軍刀で殺して回る。その繰り返しだ。
だが何百体ものアンデッドを平行して処理するとなると、難度は桁違いに変わってくる。一つの手違いで、一体のアンデッドの狂乱を許すだけで、何千、何万という群れの全てに影響が波及する可能性があった。
アンデッドが襲うのは、何も生きた人間だけではない。自分に負荷を与えている元凶を解決するために彼らは狂える獣となる。突き詰めて言えば、彼らは岩や道路にすら食らいつき、降り注ぐ雨に吠え猛り、照らす月光にすら爪を立てようとする。皮肉なことに、人類とアンデッドをはっきりと区別して考えるFRF市民とは異なり、久遠の不死に微睡むおぞましき怪物どもは、この世界を敵味方で簡単に分割して捉えたりはしないのだ。自分と同じアンデッドにも害を為すの当然の帰結であり、自身の苦痛を取り除くために流血を増やし、狂える不死の数を徒に増やす。
その連鎖がもたらすところは破滅的な災禍だ。
残されるのは常に浄化チームの隊員の屍の山である。
白夜の薄明かりに浮かび上がる数え切れない虚ろな眼窩、永劫神の国に召されぬ呪わしき不死を見渡しながら、三人は改めて慄然たる思いに襲われた。
「な、何とかなると判断するのかい? こんなでも、ベテランなら」
「いやあ……俺たち、マジで、ここからどうするのかね。号令がかかったら全員で突撃するとかか?」
「みんなで……囲んで、ばーって散弾で……撃つんじゃない?」
「い、いっぺんに全部潰せるほどの弾幕を張れるかい? もしも殺し損ねたら……」
「もしもじゃなくて、数が多すぎだし、絶対そうなるだろうな」
十や二十は挽肉に出来る。
だが百や二百は全く次元が違う。
全てを同時に撃破出来ないのでなければ、地獄の釜の蓋が開くだろう。
「じゃあ斬って……斬って……前に進み続けるしかない……ね」
「さすがにそりゃドラマの見過ぎだ」
「出来るよ? だって私……オシシ様直系の……剣士、だよ……?」
「オシシ様の!」テーバイは目を見開いた。「さすが『無声三殺』、師匠も超一流なわけね!」
「いやオシシって誰だい」二人の世間話に少し緊張をほぐれたらしいラバトワは首を傾げた。「僕の世代は……剣術と言えばリュウオー様だった」
「そう……リュウオーの『オシシ』……だよ?」
「お、オシシ?」
「改名したんだって……『オシシ』に」
「えっ弱そう」
「弱そうだよな」
「弱そう……だよね」
龍王オシシは、メサイアドールに並ぶ上位不死者だ。
厳密にはFRFの関係者ではないとされているが、カタナ一本であらゆる敵を葬り去る、近接戦闘では最強の剣客だ。
間違っても陰口を叩いて笑って良い対象ではないのだが、オシシという間抜けな響きについて意見の一致した三人は、口元が綻ぶのを抑えきれなかった。
「ふっ、ふふふっ。オシシって……オシシ、あの御方が? ふっ、くく」顔を背けながらラバトワ。「な、なんでそんな変な名前になったんだい?」
「なんか、誰かに負けて……改名させられたって……言ってた。強い、けど……ね? それで……オシシ様曰く……退路は前方にこそ……あり。アンデッドも……首を刎ねればカカシと同じ……殺して殺して、前に脱出路を作る……の」
「カカシ……ふっ、ふふ……オシシ……ふふふ、いやリュウオー様の言うこと、普通はちょっと実践出来ないからなぁ。相手が非武装の市民でもそれは難しいよ」
笑いのツボを押されたままになってしまったラバトワに身を寄せながらテーバイが同意する。
「だよな。やってやれないことはねぇんだろうけど、やりたくねぇよな、あの数のアンデッドに接近戦はなぁ。不死殺しの軍刀を使うにしても、手脚斬っても怯みもしねぇわけだし、やっぱ銃なんだわ。で、領域外での掃討任務の経験で言うなら、この数を掃討するのはかなりの大仕事だ、始まる前に一回、終わったらもう一回拠点に帰って休むレベルでな。ところが俺たちは、この上さらに、まだスケ……違うか……スティ、いやスティレット様ではなく……何だっけラバトワ?」
「スチーム・ヘッドだよ。不死者スティレット様と間違えるのはいくら何でも。あの御方なら気にしないとは思うけど」
「悪い。そう、スチーム・ヘッドだ。それと交戦するっていう可能性もあるんだから、どうすればいいのやら」
「でも、スティレット様……スティレット様か。ふむむ」
「どうかしたのか?」
「スティレット様に似てない? あの、グリフォン様の喋り方って言うか、態度」
「スティレット様ってどっちかって言ったら治安維持関係の不死者だろ? 領域外うろついてるとあんまり接点ねぇから、何とも」
「そうかぁ」ラバトワは何か思い至った様子だった。「……そういうことなのかな?」
「とにかく弾の節約のためにも……カタナ、あるのみ……だね」
コトカは「ふんす」と意気込んでみせるが、拡充装備の自在腕は恩寵の軍刀を握れるような構造になってはいない。
つまりそんな大仰な装備には頼らず、己が身一つで全てを斬り捨ててみせるという宣言だ。幼げな横顔とは裏腹の、いざとなればいつでも最大の守りを捨て去ってやるとでも言わんばかりの態度は、彼女の武勇を知るテーバイとラバトワにも、さしもの理解しがたく凄まじいものに映った。
「さっきから気になってるんだけど、コトカ、一人で斬り込んで斬り続けるって、本当にやれる自信はあるのかい?」
「やるしかないなら……、やるしかない……よ? 私、ひとりでも。たとえ、限界でも」
割って入ったのはテーバイだ。
「ダメ。ダメ、そういう考え方は。最終手段は、最後まで使うべきじゃないからこそ、最終手段なんだよ」妹に聞かせるようにして言った。「まぁ、なんだ、とにかく一々真面目にやってたら弾も命も足りやしねぇ。自動強襲用器官飛行船で航空支援してくれるんならどうにでもなるが……定石から外れすぎてる。不死者グリフォン様は何をお考えなのかね」
そのような遣り取りをしているうちに、あるとき、空に異変があった。
仄かに光を孕む雲が、注がれた香油のようにゆっくりと地表へと流れ落ちてきた。
月明かりに照らされた獣の息めいておぼろげに輝きながら拡散する薄い霧が兵士たちの装甲をなぞり夜露で濡らし内側へ這入り込んで、鎧われた少女らの体表をなぞり、肉に浸みて、骨を軋ませた。
ほんの数秒の出来事だ。
霧霞は瞬く間に薄らいでいき、砕かれた細かな氷、夜の終わりを思わせる昏い青みを帯びた光が、沈黙の都市の大気を刹那のあいだ漂い、消えた。冬の都市で血の同胞殺しに親しんできた少女たちは、形の無い輝きに無意識に手を伸ばし、握り取ろうとした。しかし、あらゆる全てがそうであるように、何もかも彼女たちの手を、体を、その胸骨に納められた小ぶりな心臓を、擦り抜けていった。
「今の、変な感じ」
眉根を顰め、バイザーを降ろしながらコトカが呟く。
薄い胸の格納された甲冑を、しきりに気にしている。
「冷たい手……? 色んなところを……触られた……ような?」
「ただの自然現象だろ」と白い息のテーバイ。「気流とかの関係で……寒気が空から降りてくるんだ」
「でもタイミングがさ。なんだか、狙い澄ましたような具合だ。偶然だと思うかい?」
「何でもかんでも必然を疑ってたら気が狂うぜ」
「じゃあ偶然だと確信しているんだね」
「それはそれで足下を掬われて真っ逆さまだ。気に留めておく程度で良いんだよ」
真に致命的な事態であれば処置無しだ、とまでは言わなかった。
事実として、過度に警戒する必要はないように思われた。
大規模な気象現象だったにも関わらずアンデッドたちの挙動にも変化はない。露に濡れてわずかに湿気た程度だ。
兵士たちに視線を向けていた個体も、奇妙な現象に晒されたせいか、注意を余所に逸らされている。
攻勢をかけるのであれば、むしろ能く整ったほどだ。
「もしかすると、上空にいる不死者様の機能かね」などとぼやいていると、不意に全軍に無線通信が入った。
『廃棄市庁舎に不明な動体を確認した。いずれかの人員が、偵察に向かうべきだろう』
凜とした声が降りてくる。
兵士たちは居住まいを直し、言葉を粛々と受け止める。
『各班は、最も戦闘力に長けた兵士を選抜し、アンデッドの群れに突撃させて、進路を開き、情報を持ち帰らせよ……』
緊張が奔った。
如何にも不死者らしい、生命資源の損失を無視した、強引な命令だ。
無論、いざ命令が下れば従う以外の道は無いが、決死作戦にも等しい内容に恐怖しない兵士はいない。
「私の出番……」とコトカが獰猛な声を漏らしたその時。
『……こう命じられたとき、お前たちはどう判断し、どう動く?』
アルファⅢグリフォンは、問いかけを繋げた。
一行は虚を突かれた。
命令した後、使い捨ての手駒に過ぎない兵士に意見を聞いてくるような不死者は、これまで存在しなかったからだ。
『C班、血河のアバトワールよ』
「はっ」唐突な呼びかけにも、ラバトワは即座に応えた。「何なりとお申し付けください」
『構えなくて良い。ただ、答えなさい。お前は、私の命令に不満を抱いているな』
「……は」
ラバトワは寸時の逡巡の後、薄雲に満ちた天に浮かぶ不死者を仰いで、頷いた。
「不満を、抱いております」
「ラバトワ!?」
狼狽するテーバイをハンドサインで制止しながら、ラバトワは進言を続けた。
『発言を特別に許す。私の命令に対して、考えを開陳しなさい」
「恐れながら、無闇に人員を前進させても、損耗を増やすだけかと存じます。決して、決してご判断が間違いだとは思いません。しかし、些か拙速です。偵察が必要ならば、より綿密な計画を立てた上で、可能な限り最少の人数を、それも最も強力な精鋭を、可能な限り手厚いバックアップで送り出すべきです」
感情を抑制しながらもはっきりと言い切ったラバトワに、テーバイもコトカも色を失った。
「や、やば……やば、いよ?」
「ラバトワ、殺されるんじゃないか?!」
「良いんだテーバイ。グリフォン様は、言葉を求めておられるのだから」
肯定するように空から言葉が降る。
『血河のアバトワール。お前は不死者に抗命することが恐ろしくはないのか?』
「恐ろしく存じます」ラバトワの声には、震えなど一つもない。「ですが、抗命を敢えてお望みになるならば、沈黙することこそが無礼であると愚考しました」
『よろしい。やはり聡明だな』グリフォンは頷いたようだった。『ではA班、昏眼のサリア。お前はどう思う? 答えなさい……』
アルファⅢグリフォンは各班の長に順番に考えを述べさせていった。
『血河のアバトワール』は浄化チームでも数少ない戦術級の大量破壊生命資源として知られているうちの一人だ。付帯的被害を考慮しなければ単騎で都市を陥落させられる兵士の発言力が極めて大きいことは、言うまでもないだろう。
彼女が臆することなく現状に対し正確な回答をしたことに触発されたのか、他班の長もまた、同様に現実に即した回答を繰り返した。どれもラバトワの意見と大きな差はなく、常識の範疇に収まっていたが、どれも不死者に阿るような、虚しく空疎な理論ではなかった。
他の班に矛先が向かっている間に、テーバイとコトカとラバトワは、それぞれ耳打ちし合った。
「よくもあんなふうに堂々と言い切れたもんだよ」冷や冷やした、とジェスチャーする。「いや、良かったよ、お前も俺たちも、殺されずに済んでさ」
「かっこ……良かったよ?」
「へへぇ、でも、怖かったなぁ……」ラバトワはようやく緊張を肺腑から吐き出し、ふにゃりとした小背を零した。「いや、お手柄だったよ、テーバイはさ。僕一人では、おそらく気付かなかっただろうから」
「何で俺?」急に誉められたテーバイがにわかに照れた。「俺、ボーッと見てただけだぜ?」
「言い間違えて、スティレット様の名前を出してくれただろう。『慈悲深き者』のエリゴス様さ。あの御方は浄化チームが相手でも一人一人に親身に接してくださる。あの御方とグリフォン様が似ているのならば、理不尽な問いかけを、暴力を振るう口実に使うことはないだろうと考えてね。だから、望まれた通りのことをした。こっちの意見も汲んでくれると、信頼して、進言したんだ」
一通りの意見を聞き届けたあとも、不死者は平静を保っていた。
むしろ、その態度は、平坦にすぎた。
反駁があるのを前提と捉えている節があった。
自分が最初に下した命令が正しいなどと思ってはいないようだった。
グリフォンはややって、『遠い昔、私はかつて過ちを犯した』と呟いた。
『私には六人の少女騎士がいた。例外はいたが、私がデザインし、私が育てた娘たちだ。私が正しく判断を下していれば、彼女らの意志や葛藤など、如何様でも構わないと考えていた。正であれ邪であれ、その全ての責任を、我が剣たちの決意に関する全ての責任を、最後に私が負えば、それで良いのだと。しかし、信頼すべき剣がその刃に映す光を改めずして、果たして、その剣の主たるを、名乗れるだろうか? 答えは……否だ。個々人で視座は異なる、異なる視座だからこそ見えてくる真相もあり……違う視点を示すこともまた、少女騎士たちの尊敬すべき能力だったのだ。驕慢な態度でそれを見過ごせば、多くを喪うことになる。それを失念していた。ああ、新たな騎士たちよ、私の少女騎士たちよ。未だに私が信じられぬであろう。無理からぬことだ。しかし、宣言しておく。私はこの部隊では我が独善で個々を押し潰すことはしない。今後とも、私の問いかけに沈黙も怯懦も不要だ。その冷静な戦術眼の維持を期待する』
不死者は天空より両手を広げ、兵士一人一人に視線を投げかけた。蒸気甲冑のヘルメットで目は完全に隠れてしまっていたが、少なくともテーバイたちは彼女がはっきりと自分たちを見たと確信した。
『私たちは運命共同体だ。多くを秘匿したままこの死地に誘ったことに、少なからず猜疑はあるだろうが……信じて欲しい。私は、お前たちを、生贄にも、捨て駒にも、するつもりはないのだと。私は、常に我が剣たちとともにあるのだと』
テーバイたちは、戸惑いと感服とが綯い交ぜになった顔で頭を下げた。
不死者からこれ程の恩情に満ちた言葉をかけられるのは、多くのものにとって初めての経験だった。奇妙な昂りと、むず痒さを感じていた。
そして次に来た言葉で我が耳を疑った。
『それにしても、可能な限り最少の人数の精鋭を可能な限り手厚いバックアップで送り出すべきである、か。アバトワールの進言はまったく、基本に忠実で、どうしようもなく正しい。追従した意見を述べた諸君も、まったく冷静であると言わざるを得ない。……その声に、応えるべきだろう。そう、この私が』
薄明かりの冬の白夜に、突如として鮮烈な炎が広がった。
上空のアルファⅢグリフォンの重外燃機関の緊急冷却/発電プロセスによる血煙の奔流だ。
蒸発した血液が排煙にのって空へとぶちまけられている。
白夜の夜を焼き堕とすような燃え盛る大輪の花が天空に咲き誇った。
「オーバードライブ……!?」テーバイたちは狼狽えた。「何をなさるつもりなんだ?!」
『もはや部隊再編の猶予も、バックアップを用意する時間もない。ならば、この場において送り出すのに適切な、最強の兵士は、即ち、このアルファⅢグリフォンだろうな』
「え?」「は?」「そんなまさか……」「不死者が? 何もないうちから、自分で?!」「そのようなつもりで申し上げたわけでは!」
絶句する兵士たちを見下ろしながら不死者は高らかに歌った。
『血眼して、しかと見るが良い。お前たちにも、この総統閣下に秘匿されてきた甲冑の力を……お前たちの将として君臨する、このアルファⅢグリフォンの真の力を、見極める義務がある。お前たちを冬の先へと連れて行く、この私を見るが良い。この力を、見るが良い!』
『――アルファⅡモナルキアよりFRF市民に通達。アルファⅢグリフォンのアポカリプスモード起動を確認しました。衝撃に備えてください』
無線機から漏れた、嘲弄を含んだ、それでいて至上の響きを持つ、耳慣れない女の声が、突如として兵士たちの耳朶を打った。
場違いな部外者の囁き。
正体の知れぬ敵からの、電子的な攻撃であったはずだ。
だが、誰もそれを気に留めることは出来なかった。
直後に吹き荒んだ暴風と轟音に、その心の全てを奪われてしまったからだ。




