セクション4 The Griffon Has Landed. FRF/『不死狩り隊』 その3
予期していたほどの不吉の訪れはなかった。
あるいは、兵士たちの命を害する形では、来なかった。
進めば進むほどテーバイたちの沈黙は重苦しくなった。
夜が来なかった。日が傾いてもうじき沈むかという時間帯に至って曇り空から降り注ぐ鈍い光に変化が無くなり兵士たちの視界の光量は流れゆく雲の濃淡に合わせて緩やかに変化するようになった。
時折覗く雲間には確かに太陽があった。人知の及ばない巨大な怪物によって贋作とすり替えられたのでなければそれはただ一点に縫い止められて回転していた。
己を尾を食らう蛇のように同じ地点を這い回る様は否が応でも浄化チームのシンボルであるウロボロスを連想させた。
神経管で操縦可能な拡充装備のおかげで疲労はさほど無かったが終わらない昼を張り詰めたまま駆け抜けていくのはさしもの精鋭であっても相応に苦痛だった。
「白夜……と言えば」
相変わらず眠たげな口調でコトカが言った。
「手癖の悪いクズは……『夜が明けるまで』という契約を……白夜が始まる前に……持ちかけたりする、よね」
「そんな悪質な相手をコトカはどうするんだ?」
「……そういう契約は……断れないとき……負けてるときとか、しか……来ない。だから……従う」
「で、白夜が明けるまで、従って……殺すわけだ?」
「そう」どこか愉快そうな声だった。「素直なふりをして……体力を温存しておくのが……ポイント」
そうして二人してクスクスと笑った。
兵士たちは、まさしく少女であった。装甲の下にはどれだけ鍛えようとさほど外観の変わらない肢体が詰まっている。
雄性体や雌性体といった半ば形骸化している分類が彼ら自身の間でどのように共有化されようとも古い時代の人類にはその微妙な差異は理解出来ずどのようにしても少女の集団であるとしか認識が出来ないだろう。
「しかし、今回の契約はもっと酷いな。だって、いつからいつまでの間にこれをやれ、って明確な指示すら受けてねぇもの」
「でも、みんなと一緒だと……少しは楽……かも」
「そうだともさ、俺たちは無敵の特務部隊だ。どんな契約でも怖くないね。部隊がなんて名前してるのか知らねぇが」
「だね……」
風切りに負けないコトカとテーバイは少女そのものの透き通った声で兵士たちは遣り取りを続けた。
一方でラバトワの疲労は著しかった。
「……どうにも嫌な感じだ。僕、白夜って嫌いなんだよ」
殆ど呻き声のようだった。
打ちひしがれ誰が相槌を打たずともぶつぶつと呟き続けている。
「浄化作戦が終わりかけてる街の夜明け時みたいだ。夜中の間に、虐殺主義的破壊行動者どもを狩るために、立てこもってそうな建物に火を付けて回るだろ。夜明け前には火が落ち着いてきてて、そしたらちょうどこういう明るさになるんだ。それで、うっすらとした光に照らされて、あちこちに火に耐えかねて飛び降りた市民が落ちててさ……その残骸が残り火に照らされてギラギラ輝くんだ」
二人はラバトワにどのように声をかけてやるべきなのか分からなかった。
浄化チームにいるべきではない兵士がしばしば陥る危険な状態だった。つまり任務への意志の強さと生来の慈悲深さと行動の残虐さが背反して自分自身を痛めつけてしまっている。こういった人員は早々に死亡するか殉職させられるものだった。
それでも生き残っており現に特務部隊への勧誘が来るのだから情緒面での課題はクリアしているこだろう。
テーバイたちは互いに言葉なく考えそれぞれ放置しておくのが最善だろうと結論してそのように耳打ちし合った。ラバトワ自身も特段助けを求めなかった。
頭をかきむしるような夜を幾つも乗り越えてラバトワはここまで来た。
彼女は血の河の主であったが今まさに溺れていた。
白夜自体はしばしば発生する自然事象である。
浄化チームでは終わらない昼はすなわち永遠に終わらない都市の繁栄を意味すると解釈して歓迎するのが主流だった。ラバトワのように拒絶反応を示すものは少ない。
だがテーバイとコトカも今回ばかりは白夜を歓迎出来なかった。
全てが曖昧な闇の中に封じられている今回の作戦においては薄明かりの満ちるばかりの曇り空など陰鬱に感じられるだけだ。
「この都市は……居心地が悪い、ね?」
「そうだな。何てのかな……嫌な普通さだ」
「テーバイも……そう思うの」
「拡充装備なしでノロノロ歩くんなら、俺も参ってたかも」
「好みの雌性体が……前を歩いてるのに?」
「誘ってるのか? 歩きじゃなくて良かった。生身なら疲れで理性が飛んじまう」
「やり方が強引……。フェネキア隊長も……強引で……」
「コトカが特別なのさ。いや隊長はアレだが……俺にとってはな」
「ああもううるっさい! 僕がしんどいときに、後ろでイチャイチャするんじゃない!」
特技としか言いようのない後ろ向き前進をしながらがなり立て始めたラバトワに「良いところで邪魔しやがって! 元気になったみたいで良かったぜ」とテーバイはここぞとばかりに声を張り上げた。
「おかげさまでね! まったく、お前たちはこんな不自然な都市でよく平気でいられるな!」
「平気じゃない……よ。ここは……嘘っぽくて嫌」
「そうそう、嘘っぽいんだよねここ」
「ラバトワも気付いてたか」
「領域外の都市に詳しくなくても分かる、ここは整いすぎてる!」
三人はこの都市の表面上の正常性に辟易としていたのだ。
クヌーズオーエという原理上無限に連なる都市群において、差異とは究極的には貼り付けられた皮相な文明の有様、そしてどの程度破壊されているかという二点にしか無い。
ところがこの都市には視認出来る限りにおいて変異も人為的な改造もない。
一切の災厄を免れた無垢の都市はFRF市民の目には些か不自然に映る。それらは皮膚を剥がされて吊るされた未加工の肉の群れとさほど変わらない。ここが工場の類なら納得は出来たが、ただの都市がその有様というのは受け入れがたいのだ。
標準的なクヌーズオーエの地形を参照しながら拡充装備の火力と機動性を活かして幹線道路を延々と走るだけで良い。そのおかげで進行自体はスムーズだ。現在まで遅れは生じていない。
しかしそれもまた三人を不安にさせる材料になっていた。
「ここまで何の問題もない。不安にならないかな? 見落としがあるんじゃないかってさ。ちょうど、そんな感じの気分なんだ。なんでこんなに順調に進めるんだろう?」
「上手く進みすぎてるとき……」同じ心境だったのかコトカはすぐに頷いた。「……私たち、だいたい落とし穴の手前にいる……」
「見晴らしが良すぎるのも嫌だな。進路上に何も無いってのは経験がねぇよ」
「クルマ……一台も無い、ね。今は遮蔽物なんて……いらないから、走りやすいし……良いけど」
二人の指摘にラバトワは何か言い訳でもするような具合で咄嗟に言い返した。
ありもしない罪に弁解を加えるような仕草だった。
「ちゃんとした手続きで遺棄された都市なら、クルマなんてものは、路上に無いって聞いたぞ。それなら、乗り捨てが起こらないから、こんなに路上が綺麗なのにも説明が……」
自分に言い聞かせるようなラバトワの声に、テーバイは淡々と応じた。
「アンデッドが道路を歩いてるのに、それ以外は無い。これについては合理的な説明が出来ねぇ。原型の都市に何かがあって、ヤバいことになる前に都市そのものが放棄された、そういうことなら、クルマだけじゃなくアンデッドもいねぇのが道理だ。いても、どこかに整然と並べられて、拘禁されてるもんだろ」
「そんなのは、管理のための施設が崩壊している、と考えれば合理的だぞ」
コトカは即座には会話に加わらず、振り返って最後列のテーバイを伺った。
互いに兜で視線は隠されていたが、テーバイはコトカの考えを理解して何を言うべきか心得たようだった。
そうしてコトカが言った。
「だからね……ラバトワ、現状の説明が……上手く行きすぎてるとき……」
「『私たち、だいたい落とし穴の手前にいる』だな」
コトカの眠たげな声を真似たテーバイに、無声三殺の二つ名をほしいままにする剣士は沈黙した。
それから吐き捨てた。
「テーバイ『ちゃん』……記憶力良いね」
「ちゃんはやめろ」
「口調を真似されるの……嫌い、だよ。テーバイちゃん。お嬢様なんだよね……テーバイちゃんは賢いね」
「……分かった、やめる」
「よしよし……えらいね……」
「うるさいやい」
「仲が良いことで。生きて帰ったら仲良く交配でもしてろよ」
「縁起悪いぜ、戦場で生きて帰れたときの話をわざわざするやつは死じまうもんだ」
「そりゃ良かった。僕は生きていたくないんだ」
「テーバイと交配……ぜったい嫌……生きて帰りたくない」
「ええ? さすがに酷すぎねぇか?」
「くそっ。本当に仲が良いな!」
「何言ってんだ、俺たちは三人とも仲良しだろ。三人で後継者作りをやろうぜ、ラバトワ?」
「それこそな、『ぜったい嫌……』だ」
「あのね……ラバトワ、口調を真似されるの……」
「『嫌い……だよ』」テーバイは肩をすくめた。「だよな、コトカ?」
「これからずっと……死ぬまで、死んでからも……テーバイちゃんって……呼ぶよ?」
「おっかねぇ。でも、死ぬまで、死んでからもだって? 死ぬまで一緒なら最高かもな」
「もういい、もういい」
ラバトワは降参したように少し笑った。
「末永くお幸せにな。式をやるなら呼んでくれよ」
緊張が少しは和らいだようだった。
テーバイとコトカは無言でまた互いを見て頷いた。
息を合わせた即興の小芝居だ。
チームで一人だけが緊張感を高めている状況は可能な限り回避するべきだった。対人浄化作戦なら多少の不協和は許容範囲だが領域外の都市では一つのミスがチームの全滅に繋がりかねない。適宜緊張を緩和するためのコミュニケーションを行うべきだ。
それはアンデッドとの絶望的な戦闘を繰り返してきたベテランが共通で持つ意識だった。
道化も演じるし卑猥な遣り取りもする。それがどこであっても。例え高速で走行している最中であっても。意味の分からない作戦に従事している最中でも。決して精神的な連帯を途切れさせてはならない。
領域外という地獄に不慣れで、その上に生来神経質そうなラバトワのために一芝居打つ程度はテーバイとコトカには容易かった。
彼女たちは相手を変え場所を変え何度も同じことをしていた。
ただし共有している時間が極めて短いのにも関わらず息を合わせられるのはテーバイの工夫によるものだった。
仲間意識や好意の存在を強固にする。無神経を装ってそうした細工を済ませておくのは特技の一つだ。
コトカはそれを受けてテーバイが自分に下心を持っている前提で言葉を選んでいた。もっとも領域外で生まれる結びつきは言葉よりも重く帰還すれば一過性の演技ではなく実際に交配の申請をするケースもある。
私的な交配はFRF市民にとって人生それ自体と同じだけの重さを持つ。冗談で俎上に上げる話題ではない。だが通常ではあり得ないような話題こそ、極限下で実施される領域外任務においては狂気に飲まれないための防御策として機能する。目先に私欲のための生殖という餌を吊しておけば、不純で卑猥でも活力の維持には役立つものだ。
極端な例だが浄化チームの創始者とまで言われる最古参のテロメア延長済長命者、フェネキアなどは、新兵が疲弊しているとき作戦終了を待つまでもなく心理的なケアと私的な欲望の発散のために権利を濫用し戦地の只中で関係を迫ることすらあった。
戦地で専用の機械甲冑を脱ぎ去って悦楽を貪るなど正気の沙汰ではない。
しかし領域外ではあらゆる行為が正気ではなかった。無駄話ならば脚を止めて行うべきだ。それ以前に極限環境で命を繋ぐためには無意味に言葉を交わすことすら『正気』とはかけ離れている。究極的には領域外に向かうことそのものが『正気ではない』。
純粋な正気では狂気に打ち克てない現実がある。
それ故に浄化チームの古強者はほんの一時正気を手放し凶暴な生存欲求を剥き出しにすることで抑え難き狂気を宥めるのである。
テーバイにせよコトカにせよ言葉ほど内心では気を緩めていない。
現状についても冷静に理解していた。
「……なんていうか、回収部隊が一仕事終えた直後ぐらいの綺麗さなんだよな」
「それそれ、そうなんだよ。変すぎる、気になって仕方ない。ここは何なんだ!?」
「知らない……。でも、気にはしておいた方が……良い……ね」
「気になりすぎて、頭がどうにかなりそうだ」
ラバトワの抱えている懸念は正しかった。
管理外の都市には前時代の遺物であるクルマという機械が打ち捨てられていることが多い。
研修で未開拓都市を僅かに巡った程度なら殊更その印象は強まるだろう。都市には常に不足している金属の塊があまりにも無造作にあちこちに放置されている。
その光景は純粋に忘れがたいからだ。
クルマは貴重な素材を多数含んだ無機資源であるため占領された都市においては当然回収される。
一方で浄化作戦の進行中は回収の余裕など無く遮蔽物として利用可能という観点からも大抵は作戦完了まで放置されている。
それが作戦開始から何時間経っても見当たらないというのは異常と言うほか無い。
強引にでも合理的な解釈を当てはめて安心したくなるのは自然な欲求であろう。
だがコトカの警句の通り都合の良すぎる説明を強引に適用することは危険な可能性の影を自分自身の手で隠してしまうことに等しい。
「無理に見ない振りをしたら……落とし穴が見えなくなる、よ……」
「目障りでもな。そういうのは、見えるままにしといた方が良いんだ。強引に理屈を付けて目を逸らすと、命取りとなるぜ」
「くそっ。難しいな、領域外っていうのは。ぬるい同族殺しばっかりやってたせいで僕は……」
ラバトワは声のトーンを落とした。
「ああ、ダメだ、また参ってきた。いざというとき、足手まといになったら、すまない……」
「『血河のアバトワール』が足手まといになるなら、それは組んでる相手が悪いな」
テーバイはおどけた。
「ラバトワなんてボカして名乗っても技は衰えねぇもんだよ。せいぜい助けてくれ」
「……僕の本名をよく知ってたな」
「有名人だ。ここはまぁ、有名人だらけだが。俺だって大仰な渾名があるぐらいだ」
「知ってるぞ、『冑剥ぎテーバイ』。オーバードライブ突入中の不死者を捕まえて、兜ごと首を捩じ切って、機能停止までさせたっていう……」
「まぁな。訓練での話だが、すごいだろ」テーバイは得意げだった。
「でも……この部隊の人……だいたいみんな不死者との模擬戦で……キルスコア持ってるから……自慢にもならない……よ?」
「まぁな……」テーバイは消沈した。「とにかくだ。ここは燻ってるクズの集まりかもしれねぇが、名の知れたクズばっかりだ。お前もその一人だろ?」
「でも……領域外での本格的な任務は経験が浅いんだ」
「最初は誰でも、領域外の有様には慣れないもんだ。はっきり言って領域外での任務に納得出来ることなんて殆どねぇ。イライラするよな。分かるぜ。でも取り敢えずは、我慢しなくて良い、それで良いんだ」
「あらゆる問題が、そう……これといった解決はない。そういうもの……だよ。でも……状況が状況だし……ラバトワみたいな人は……ありがたい、よ? 私たちが無視する異変を……普通の異変として捉えてくれる……から」
二人の言葉を聞いた後、ラバトワは彼女たちの迂遠な気遣いをようやく理解した。
やや照れた様子で感慨深げに呟いた。
「お前たちと同じチームだったのは運が良いのかもと思い始めたよ」
「俺は面倒くさい班長を引き受けてくれるお前と可愛い子ちゃんと一緒だった時点でそう思ってたぜ」
「私は……テーバイを正当防衛で殺すにはどうしたらいいか……考えてる。殺したら……スカッとするタイプの人……だから」
「なるほど、やっぱり俺たち方向性は違うが相思相愛だな」
「かもね……」
「一生やってろ。……僕が言うのもなんだが、二人とも死なないでくれよな」
ラバトワはくだらない遣り取りに笑って逆走するのをやめた。
暫くは三人とも静かだった。
口を閉ざして走行しているあいだ、機械甲冑の駆動音だけが耳に聞こえる全てだった。
三人の跨がる拡充装備の具足、機械と人肉のグロテスクな結合体、屠られて尚生き続ける忠実な軍馬の如きものは、不安定な構造にも関わらず故障も起こさず走り続け規則的にアスファルトを蹄で叩き鳴らした。
忘れられた時代に組み上げられた人間を殺すための精巧なる機械細工。
栄えある人類文化の痩せさばらえた見窄らしい末裔。
最初に図面を引いた技術者たちは二千年後の未来でも利用されているとは考えていなかっただろう。死んだ技術。死んだ理想。死んだ未来には相応しい。死んだ都市。死んだ明日へとひた走る。自分たちは落とし穴に踏み入りつつあると勘付いていても両脚を動かす。前に進む。
この廃滅の時代この終局の都市において彼女たちは、まだ生きていた。
暫くの間まったく何も起きなかった。
どこかには人間もどきのアンデッドが大勢彷徨っているのかもしれないがどの部隊からも至急の連絡はなく指揮の不死者も沈黙していた。
時折都市のどこかで断末魔じみたけたたましいモーター音と爆音が短く轟き、彼女たち全員に与えられた槍襖の如き銃火器、総合攻撃器官が使用され、そして問題なく掃討が終わった事実を教えた。
環境自体は厳しい。半月もここでは生存していられない。一週間でも難しい。
だが従来のアンデッドを相手にする限りにおいては一日ほどの生存は容易く思われた。
三人の兵士はあちらこちらに銃口を向けて互いが互いの盾あるいは矛あるいは欠けた部分を補う目となるように隊形を維持して駆けていく。
目的地である都市の最深部はもう少しだけ。瓦礫一つ見当たらない平坦で欠けたところのない舗装された道路を、砲弾によって耕され草花の代わりに地雷を植えられた大地を扱うかの如く注視する。
そのとき突如として遠方から鳴り響いた甲高い音に先頭のラバトワが停止の指示を出した。
風に吹かれた何某かくだらないものが撓んで弾けただけの音に違いなかった。
重要なのは三人ともが反射的に警戒態勢に入ってしまったことだ。
何も無い空間へと銃を向ける彼らはさながら闇夜にありもしない怪物の姿を見出す怯えきった子供同然であった。
「おい、聞いたか? 今の音は?」
ラバトワが閨で暴漢に脅されている娘のような引きつった声で言った。
「きっと機械の音だ。蒸気甲冑だ! 蒸気喰らいのスケルトンがすぐ傍に来ているんだ!」
「いや蒸気甲冑の音じゃねぇって。でも、状態が良い都市なのにあんな音が出るのは変だよな……」
さしものテーバイも自分の判断に自信が持てなかった。
警戒心が神経管を通して拡充装備の巨腕に伝わり槍衾じみた破壊兵器の銃把を強く握り締めた。
唯一コトカは呼吸を荒げることもない。
逆に深く深呼吸をして腰に吊した恩寵の軍刀の柄に手を掛けながら周囲を見渡した。
「機械のポンコツは……信用出来ない……。自分の目で見る。撃たれたら死んじゃう……テーバイとラバトワは援護をして……」
それから機械甲冑の兜のバイザーを上げた。
先天的に脱色された白銀の前髪が覗き、工芸品の如き繊細さを持つ無表情な顔貌が死んだ世界へと晒された。
市長に連なる市民は当然ながらプロトメサイアの因子を強く持ち良血という概念の結実としての造形美を半ば約束されている。特にコトカの顔面は殊に芸術の域に達してた。清廉と寡黙と淫靡。見る者の欲望に応じて印象を変える人の形をしたプリズム。一つの理想型として愛玩される造花人形と比較しても遜色が無い。
どこか幼さの残る輪郭は見る者に庇護欲と支配欲を覚えさせ、実際にコトカは人生の幾つかの場面をそのような身分で過ごしていた。
「ああくそ。やっぱり好みだ」
油断なく警戒しながらコトカを盗み見たテーバイが嘘とは思われない称賛を漏らした。
「どれだけ擦り寄っても……キミの愛玩動物には……ならない……よ」
「ペットなんて勿体ねぇ。そのおっかない眼光まで含めて言ってるんだ」
コトカは鬱陶しそうに溜息を吐いた。
「……私がちっさいのには……それなりの理由がある……からね」
造花人形の如き愛玩される以外に使い途が無い存在とコトカが異なるのは、その眼差しだ。見開かれた双眸は愛玩物として生きるには不釣り合いなほど鋭い。
人を殺す前と後で瞬きの一つもしないのではないかという程に爛々と輝いている。
市長の実の娘であり余程のことでなければ犯罪行為を働いても罪に問われないコトカに奉仕刑を初めとした非致死性の厳罰が言い渡されたのは実のところ一度や二度のことではなかった。
最初に服役したのは自分の都市を管轄する不死者が生殖能力の性能試験の実施を宣言した夜のことだ。コトカは呼び出された閨において生身を晒した不死者の顔面を一夜の対価として贈られた百科事典を使って躊躇なく殴打した。再生するより速く。人間らしい原型が無くなるまで。伸びきっていないか細い四肢で。鎧どころか服すら纏わないまま。
「フェネキアの家の人は……私みたいなのは……嫌がるはず。本気なら……諦めて」
平均的な雌性体と比較してコトカは発育の仕方が歪だった。華奢な一方で純粋雌性体として体つきは十分に成熟していた。生命資源としては需要があるにせよ兵士となるには本来不適格だ。
それはコトカの見た目にそぐわぬ苛烈な暴力性に対する無数の罰と徹底した教育によるものだった。最後の性徴を理想的な形で終えることが許されなかったのだ。
だというのにコトカは実力のみで浄化チームへの入隊を果たしていた。
結局どのようなペナルティを与えても彼女を屈服させて牙を折ることは出来なかった。
「いいや、そんな人間で良かった。競争倍率が落ちそうだ」
知ってか知らずかテーバイは機嫌が良さそうに応じた。
コトカはいよいよ舌打ちをした。
「……いちおう言っておくけど……私は……凄い額の罰金を抱えてて……カロリーもちゃんと摂れなくて……私的な交配も禁止されてて……」
「俺が溜め込んできた無駄なトークンに、やっと使い途が出来たってことだな」
冗談とも言い切れぬ熱っぽい言葉にコトカは侮蔑、呆れ、あるいはそれ以外の溜息を漏らした。
それから「索敵はさっさと済ませてくれ、危険だ!」と怒鳴るラバトワに従い私物として持ち込んだ古びた双眼鏡をタクティカルベルトから外して再度周囲を観察した。
そしてすぐ報告した。
「あの建物が……さっきの音の元だと思う……」
コトカが指差したのは幹線道路の突き当たりに高く聳える柱だった。
テーバイとラバトワもその方向を見て、機械甲冑のレンズの拡大倍率を上げた。
あまりにも街並みに溶け込んでいたため遠方から一見しただけではそのようなオブジェとしか認識されない。
機械甲冑のカメラに頼っていては違和感が生じないだろう。
だが指摘されて観察すれば異様さに気付く。
柱ではなく、建造物だった。そうであるべき何かだった。幾本もの柱が屋根と上層にある何階かの居住フロアだけを支えている。残りは何もない。
柱に囲まれただけの伽藍堂であった。頭から下の肉を生きたまま削ぎ落とされた刑死者のようだった。縦横に張り巡らされた鉄筋が永遠に夏の季節が来ないこの都市の仄暗い光に晒されており籠から零れ落ちた果実を受け止め損なった子供の手のようにピクリともせず寒々とした空の下で凍り付いていた。
外付けの階段や昇降機はどういうわけか完全な状態で遺されておりどこにも続かない無数の扉が柱に沿って整然と並んで宙に浮かんでいた。
崩壊している途中なのか未完成の部位が崩れつつある途中なのかは分からない。
辛うじて柱にぶら下がっていたらしい部材がテーバイたちの見ている前でまた崩れていった。
「う、うゃ……」テーバイは怯んだ。「えへんえへん。ヤバいな。何がどうなったらあんなふうになるんだよ」
「て、敵はいないか? いないんだな、解放軍のやつらは!」
「いない……たぶん」
コトカが首を振った。
さりげなくテーバイに視線を向けて、自分を見ていないの見て、わずかに唇をとがらせ、それから黙ってバイザーを下げた。
「潜伏するには不安定だし……勝手に崩れただけ……だと思う」
「それなら良いんだ。そうか、いや、領域外では建物が自然にあんな風に壊れるんだな」
「普通じゃねぇよ。明らかに不自然だ。ここは俺たちが思ってるよりも変な都市なのかもしれねぇ……」
いっそ敵がいた方が三人にとっては良かった。
テーバイとラバトワが気味悪がっている間、コトカは何か思うところがあるのか、建物を見つめて黙りこくっていた。
「コトカ?」
テーバイが声を掛けた。
「静かだな。さっきのはさすがに気持ち悪かったか。俺ってアプローチが雑でさ……」
「え……自意識過剰。関係ない……」
放心していても舌鋒は鋭かった。
「何だか……ここって収容所に似てるとふと思って……正確には……収容所で仕上げられたボロボロの死体」
「だとしたら、あの建物はデカい死体だな。さっきしてた話の続きか?」
「テーバイは……過去にこんなのを見たことが無い……?」
感じ入るような息遣いに気を取られたのは短い時間で、テーバイはすぐに我に帰り頷いた。
「そう言えば、以前攻め落とした都市で、あんなのを見たような気もするな。建造物をわざわざ解体してまで処刑台に造り替えていた都市だ……何て言ったかな」
「ファルス・メキシカ……」
「そうだ。もしかしてコトカもあそこの殲滅戦にいたのか?」
「いた」
「ありゃ、どんなだったか……街道沿いにズラッと磔刑台が並んでたっけな、そこに拷問した、裸に剥いた市民を……首から下を、皮やら肉やらまで剥いだ憐れな連中を、磔にしてたんだった……。酷い都市だった。あいつら何のつもりであんなことやってたんだろうな? まったく、思い出したくもないぜ」
あからさまに消沈したテーバイにコトカは淡々と言葉を投げかけた。
「せっかく忘れていたのを……思い出させたのなら……ごめんね」
「構わねぇよ。忘れたって消え去るわけじゃないんだ」
「そう。消え去るわけじゃ……ない」
しかし聞かないふりをしていたラバトワがまた不愉快そうに言った。
「やめろやめろ、これ以上僕に気の滅入る単語を聞かせないでくれよ。僕はとにかくそういうのは聞きたくない」
「都市の話じゃないし、いいじゃねぇか」
「虐殺の話はもっと嫌なんだよ!」
「知りたくなかったことを知らせてしまって……ごめんね」
「そう簡単に『ごめんね』なんて言うってことは、本音では何にも悪いと思ってないんだろ」
コトカは平然として言った。「もちろん私は……全然悪いと思ってない……よ?」
「おいおい、良心が欠如してるんじゃねぇか?」
「それも何回か言われたことある……」
「でも、ラバトワは何でそうも嫌がる? もともと都市浄化が専門だろ」
テーバイはわざとらしく呆れ声を作る。
「虐殺だの何だの、見飽きた光景、聞き飽きた話、やり飽きたことだろ」
「見飽きた。聞き飽きた。やり飽きた! そうとも、それで、僕はここにいるんだよ。殲滅戦に加わって死ぬなら言い訳もつく。お前たちも似たようなもんだろ」
二人は沈黙した。
「違うよ……?」
「俺も違うなぁ」
「気が合わないことで! まったく、今回の陣頭指揮の不死者様がたいした御方なのは事実なんだろうが、マッチングが適当すぎやしないか。こんな編成で本当になんとかなんのか!? 内地の浄化作戦よりずっと大変なんだろう、領域外の浄化は!」
「何とかなるか、ならないか……じゃないよ……」コトカは静かに行った。「やるしかないんだよ。そこが、領域外の醍醐味……」
「違いない。言われたことをやるだけやるんだ。命がけでな。そんなもんだぜ、ラバトワ」
「最悪だろ、何が楽しいんだか」
「そりゃ、クソザコの市民どもを殺さなくて良いってのが良いんだ。そうだろ?」
「……その通りだ」ラバトワはこっくりと頷いた。「今の方が楽だ。何が楽しくて、僕は、あれを続けてたんだろうな」
「やりたくねぇことをやらなくて良いんだ。殺されるにしたって、気楽なもんだ」
脚を止めて語らっている三人の耳。
そこに無線機のノイズが飛び込んできた。
『……C班、前進を停止した理由を述べなさい』
不意に無線機から響いた声に、班長を任されているラバトワの顔からさっと色が引いた。
二人も口を噤んだ。
今回の作戦を指揮している不死者からの通信だった。
三人は示し合うでもなくぎこちない動きで己らの頭上に浮かぶそれを見上げた。
淡い光の降り注ぐ空。
仄かに輝く薄い雲と大地との狭間に人間一つ分の大きさの影がある。
それ以上の形容が、彼女たちには出来ない。
『C班班長、アバトワール。応答せよ。そこで諸君の作戦行動が遅滞することは予め分かっていた。しかしその理由が分からない。何故脚を止めている? 迅速に報告せよ』
その不死者は、空に立っていた。
永遠に朽ちぬことを約束された鎧を纏うその怪物は、空中で静止していた。
作戦開始と同時に離陸して一度も着陸していなかった。
三人にとって空中を飛行する物体は見慣れたものだ。浄化チーム関係者ほど器官飛行艇を多用する生命資源も存在しない。
今回の作戦でも領域外に出るまでは器官飛行艇を利用している。
それ故に、器官飛行艇を夢のような機械と捉えて過ごす大多数の市民と異なり、それらが資源を恐ろしく消費する不安定で危険極まりない乗り物だということを嫌というほど思い知っている。
動力部が急速に壊死するほど高速で回転翼を回し、貴重な燃料を絶え間なく燃やさなければ推進力を得られなず、そのくせ浮力を得るための生体ガスは可燃性で、仮にいずれかの器官が出火すれば船体全体が爆発炎上する。
この冬の都市において空を飛ぶというのは、不恰好で致命的だ。
だがその不死者には何も無い。
飛行能力を説明する装備が、何も無いのだ。
機械甲冑のレンズ倍率を操作していくら観察しても回転翼や推進器からの噴射炎といった重力の軛から逃れられる理由が見当たらない。
ただ白と緑と金で塗り分けられた装甲がまばゆく輝くのみだ。
通常の不死者と比較すれば特異な部分は幾つかある。
大腿部から爪先までが一回り大きく一般的な不死者の纏う蒸気甲冑とはシルエットが異なる。
また外付け発電装置にして不死者の心臓とでも言うべき蒸気器官が排されており、代わりに自分自身のための棺と言った不吉な印象を与える大型の外燃器官を背負っている。
プロトメサイアたちが装備しているものとおそらく同系統だ。それにしたところで排気煙を放出しているだけで人間サイズの物体を空に飛ばす機能を持っていないのは明白だ。
どの要素を抽出しても彼女が滞空していることの説明にはならない。浮遊出来る道理がなかった。まして単独での飛行など。
しかし現実に不死者は万有引力の法則を無視していた。
それが自然の理だとでも宣言するかの如く己が身一つで白夜の曇天と冬の都市のその狭間から兵士たちを睥睨していた。
作戦名も部隊名も不明ではあったが、唯一この不死者の名前だけは公示されていた。
ラバトワは拡充装備の具足を折り畳んだ。その場に肉と鉄で織られた半人半馬の体で跪いて遥か空に佇む支配者にこうべを垂れた。
「どうか御容赦を……作戦進行の遅滞を意図した行動では決してございまけん。どうか御慈悲を……我らが救世主、プロトメサイア様の御使――グリフォン様」
偉大なる高き王。
アルファⅢグリフォン。
鷲獅子を騙るこの不可思議な空の王者が何者なのか。
地を這い回るばかりの兵士たちには、未だ底が知れない。




