セクション4 人類文化継承連帯/世界最終戦 キル・オール・ザ・セイクリッドディア(7)ー4 敵対的文明圏殲滅用都市区画転用型多段階加速式電磁砲<アガメムノン・スーパーガン>
来た道を辿り隔壁の外に駐機した十六輪装甲車まで戻ると「ここまで戦闘音が聞こえていたぞ。よく無事で戻ったな」とヘーレンホフが出迎えた。
金色の髪を重たそうに掻き上げてスティンランドは身振りだけで合図をした。
ヘーレンホフは彼女の後に続いた影を見た。そして頷いた。エリゴスは無言だった。輸送車のライトに照らし出された蒸気甲冑は血まみれだった。無辜の市民たちを殴り潰し踏みにじって殺し尽した証が総身に纏わり付き拭い得ぬ汚辱の痕跡が彼女の蒸気甲冑を夕日よりも赤く鮮烈に飾っている。十六輪装甲車のライフソース・ダイジェスターに市民の死体を詰め込むスティンランドとヘーレンホフの傍に沈黙のうちに佇む姿は審判の女神じみている。しかしその目に覆いは無くその手には剣がない。彼女もまた罪人であった。憤怒と悲嘆による激情の沈黙は人間存在から言葉を奪い去る病じみて伝染した。
出発の準備が終わるとエリゴスは装甲車の天板の銃座に飛びついてそのまま座り込んだ。空に輝く乳白色の王冠が、細かく肩を震えさせているその影を浮かび上がらせている。幼いスチーム・ヘッドは泣くことが出来る。定命の人間と同じく時として涙を零す以外のことが一切出来なくなる。
エリゴスとヘーレンホフは顔を見合わせた。こうなるに違いないということは分かっていたはずだった。そのとき何を言えば良いのかは分からなかった。
前線基地の検問に辿り着いてもエリゴスの鎧は虐殺を実行した痕跡がこびり付いたままだった。歩くたびに具足からぐちゃぐちゃと粘つく音が響き装甲の隙間から全身に浴びた定命者の血が漏れ出た。肉片がエングレーブに入り込んで装甲を一層煌めかせ黒く鬱血した腸管が飾り紐のように肩から下がっている。清廉なる美しさはそこにない。行われた殺戮のおぞましさそのものが彼女だった。
検問のスチーム・ヘッドはポンプ車と繋がったホースを引きながら帰還した三人に敬礼した。
「お疲れ様でした。生命汚染の可能性を排除するため、付着した生命資源は除去する必要があります」
「……不死病にも感染していない市民の死体よ。それが汚いって言うの?」
エリゴスは兜の下から唸るようにして言葉を吐いた。
消化器の残骸をぶら下げながら苛立った様子で具足を鳴らす彼女は海の果てにある忌まわしい土地からやってきた死と殺戮に関する行商人に似ていた。
検問の兵士は怯まず語調も全く変えなかった。
「規則ですので。何より血まみれでは貴方自身が不愉快でしょう」
「洗い流すつもりなんて無いわ。どんな罪も、犯してしまえば私のもの。私の指先に、私の脳髄に、この人格記録に刻まれて、永遠に残り続ける。無かったことになんか出来ない。洗い流すだけで消え去る罪なんて、ありはしないんだから」
検問の兵士たちは「それではそのように記録しておきます」とだけ告げた。
「記録? 記録って、何よ」自嘲と怒りの入り交じる声は火勢を増していく。「こんな作戦をどこの何に記録するって言うの。この人でなしの立てた愚かしい作戦を!」
「ですから、記録するという意味です」
「はぁ!?」
いきり立つエリゴスに少女暗殺者がそっと耳打ちした。
「落ち着くですよ、エリゴス。例外的な作戦の詳細なんて、記録する先がねーんです。占領された都市の市民を救出しないで殺害するなんて……まさしく、その例外的作戦なんですよ。記録するって言うのは、気を遣ってくれてるんです、そんな言い方は、あんまりです」
硬直するメサイアドールに向かって「規則ですから」と兵士は頷いた。「形式的にでも手続きが必要なんです。分かってください」
「……そう」とエリゴスは泣きそうな声で応えた。あるいは兜の下で泣いていた。そして兵士たちを見た。「ごめんなさい、つまり……皆分かってるのよね、自分たちが何を……やってるのか、やらされてるのか。これをやったのが、私が初めてってわけでも、ないのよね」
「ええ。必要なことを必要なだけやる。それだけです。我々はいつもそうしてきた」
スヴィトスラーフ衛生帝国の大規模攻勢が開始したその瞬間にスカーレット小隊は戦果を最大化するためならば如何なる犠牲も受け入れる集団に成り果てた。百三十億の狂える不死が雄叫びを上げる津波と化して押し寄せてくる世界最終戦では粛清部隊としての役割などどこにもなく<鹿殺し>と仮称される兵器の使用が避けられないと判断されてからは合理性を教義とする戦争の神に仕える殺戮の司祭に身を堕とした。
前線部隊が永久に終わらない防衛戦に繰り出される一方で四機のアルファⅠ改<SCAR>に率いられた彼らは存在が不都合な市民を公益のために殺戮し続けていた。排除した敵よりも殺した市民の方が桁違いに多かった。第17エピゲネイアにおける虐殺にしたところで<鹿殺し>という究極の鉄槌を振り上げるために必要な手続き似すぎない。
エリゴスにとっては衝撃的な一幕だった。
スカーレットコントロールに属する機体とっては見飽きた惨劇に過ぎない。
「……何てことない仕事で疲れ果てている私が滑稽に見えるんでしょうね」
「いいえ。分かりますよ。死なないとは言え、疲れはするものですから。二度、三度と続けばどうか知りませんが、しかし最初の一回は、誰にとっても常に悲劇です」
自軍側の市民を虐殺する任務には相応の嫌悪が伴う。吐き気を催す大任を果たした機体を面と向かって非難出来るほどコルトの端末を構成する面々は割り切れていない。まだ自分は継承連帯の希望の星であり市民を守るはずの兵士なのだと信じてあるいは信じたふりをしてやりきれない惨事をやりきれない惨事と受け入れてやり通す。その自認が崩壊すれば波及的にコルトは発狂し小隊全体が孤児のようにこの標のない荒野に投げ出される。
そうなればハルハラ・スカーレットドラグーンが率いていた部隊と全く同じ選択をして、自分たちを焼却し、塵と消えるだろう。
だから誰しもが同じ気持ちだ。誰しもがエリゴスの怒りについて十分に理解していた。罪のない市民を殺したその手を清めるのがどれほど浅ましく感じられることか。
そしてエリゴスが意地を張ったところで然程意味は無いのだと言うことも。
「そもそも、市民の血肉など、洗い流さずとも、簡単に消えてしまいますから……」
不死病はあらゆる不浄を癒やす。エリゴスがどう思い何を祈誓おうとも蒸気甲冑を構築する不朽結晶は魂も名前も無いくだらない肉片たちを刻一刻と浄化して分解していく。洗浄せず放置していても数時間も経てば市民の残骸は丸きり消え去るだろう。装甲は朝露に濡れた花片の如き清廉なる可憐へと回帰するだろう。最後には何も残らない。望もうが望むまいが全て棄却されてしまう。罪であれ罰であり人間の尺度で生み出された概念は定命者の主観で切り取られた宇宙でしか息をしていられない。栄光。汚濁。徳行。蛮行。歓喜。憎悪。全てが永劫の不滅の宇宙で熱を失う。冷え固まって窒息して死に絶える。時の神の望んだ果てしのない虚無の中で凍てつくことなく流れ続けるのは忘却の川の支流であり人間は忘却することによってのみ本来不可知の時間の存在を思い出す。
「コルトはどこ?」とエリゴスは尋ねた。「この件について問い質す権利ぐらいはあると思うんだけど」
検問の兵士は「SCAR運用システムはとっくに位置に着いています。権利の有無はどうか分かりませんが、しかし今は少なくとも、時間がありません」と応えた。エリゴスは「そう」とだけ言った。忘却の川であり一切を巻き込んで流れていき下流にしがらみを立てたところでかつてあったものが流れ着くことはない。流れ着かないものの名前が、人間に取り返しのつかない現実を教える。
エリゴスは都市焼却に備える他の兵士たちから離れて指揮所の屋根に座り込んでいた。
兜を脱いで足の間に抱え血肉がこびり付く己の甲冑がサーチライトに赤黒い光を照り返すのをじっと見ている。手が震えている。どれほど浄化が進んでも笑顔で彼女を出迎えた市民の脊椎を引き千切り心臓を胸郭ごと押し潰し紙くずのように撒き散らした感触が消えてくれない。
「こんなのって無いわよ」分解された屍肉が甲冑から蒸発していく湯気を眺めながらエリゴスは呟いた。「何がメサイアドールよ、何が市民のためよ。私はいったい何をしているのよ……」
「これが俺たちの戦争だ」
屋上に這い上ってきたスチーム・ヘッドの男が少女騎士の隣に腰掛けた。
煙草を口に咥えてジッポで火を付けようとする。
八つ当たり気味に繰り出されたエリゴスの超音速の手刀が煙草の先端を切り飛ばした。摩擦熱で着火した。マルボロ――スティンランドではない本物のマルボロはぞんざいに礼を言って旨くも無さそうに暗闇に燻る紫煙を呑んだ。
「スティンランドとは上手くやれそうか?」
「そんな話はしたくない」
「スティンランドのやつはお前さんを気に入ったようだがな」
「……っていうか、あなたが命じて、私を好きになるよう仕向けたんじゃないの」
「人聞きが悪いな。俺はあいつの好みのタイプはかなり正確にトレースしてるつもりだ。昔々は、おいたに釘を刺すのも俺の仕事だったからな、だいたい分かってるんだよ。評価関数をイジるようなセコい真似はしてねぇ。あいつがお前さんに向けてるのは本物の愛情だ。……丸きり本物の人格だとまでは言わねぇけどな。どうなんだ? あいつをどう思う」
「彼女は……好きよ。強くて、意地っ張りで、脆くって、賢くて、信念がある。愛を囁けばちゃんと返してくれる、久しぶりの温かい体温。……今度こそ最初の初恋なのかも……手放したくないくらい」
「じゃあもうそれだけで良いじゃねぇか。あとのことは悪い夢だったことにしちまえよ」
遠くエピゲネイアの都市に輝く、噛み合い輪転する王冠を眺めながら、マルボロは顎を引いた。
「あそこで起こったことについて、あんまり気にすることはねぇさ」
「悪い夢であってほしいわよ。ねぇ、どうしてこんなことになってるの? マルボロも、スティンランドも、よくこんなろくでもない任務を、疑いもせず……」
「そうだな、疑いもせず、ろくでもないことを、ろくでなしらしく、どうしようもなく実行してる。滅入るだろ? より多くの敵を殺し、より多くの命を救うために、敵も味方も殺して殺して、殺しまくる。屍を炉にくべるわけだ、最後の一撃を放つために」
「嫌にならないの?」
「俺はもうすっかり嫌になっちまったよ。スティンランドも最初からダメだ。だから、お前さんには帰れって言ったんだよ。ここに残ったって良いことは何にも無い」
「だけど」
メサイアドールの少女は息を詰まらせた。
一拍をおいて、噛み付くような勢いで怒鳴りつけた。マルボロは真正面からそれを受け止めた。
「マルボロはヒーローなんでしょ?! かつては大義のために悪いやつを殺しまくって、世界が滅んだ後も、型落ちになっても、プロトメサイア様を身命を賭して助けたって聞いたわ! プロトメサイア様は言ってた、あの人は誰もが死ぬべきだと断じるであろう悪魔にだって手を差し伸べる本物のヒーローだって! それが、こんな、こんな酷いことを見過ごしているの! それで良いの?! コルトの命令に従うままで良いの!?」
「どうした、母親であるコルトに誉められたくてここに来たんだろう? お前さんの血縁上の母親のやることに、文句があるのか?」
「血縁なんてこの際関係ないでしょ!? ええ、でも、尊敬出来るヒトなんだと思ってた! コルトは……私に冷たくたって……それでも、誇りに思える人だと思ってた! あなただって……尊敬、してたのに! なのに、なのに、なのにこんなの、あんまりよ! 何で全部こんなふうになっちゃうの!?」
「俺だってお前さんが思うのとはまるで違う機体だ。とうとう義人にはなれずに、手塩に掛けて育ててきた娘っ子を、一人どころか二人もぶっ壊しちまった。コルトも、スティンランドも、こうなったのは俺の責任だ。無辜の市民を手に掛けるなんて、反吐が出るさ。そりゃな。しかしだ……」
マルボロは深く息を吸う。煙草は見る間に灰になっていく。崩れていく。
マルボロは風に流されて行く灰を掴もうとした。
サーチライトに細かい破片が散っていく。
「……元に戻せねぇにしたって、コルトにも、スティンランドにも、これ以上、もっとぶっ壊れてほしいとは思えねぇ。俺は、あいつらのことが大事だ。どうにかして助けてやりたい。間違っているかどうかは問題じゃねえ、俺はあいつらを甘やかすためなら何でもするつもりだ。ぜんぶ許して、俺が代行する。これが俺の意志だ。最後の意地だ……」
「私は許せない。コルトは、市民たちの死体が増えるのを、帳簿の上での遣り取りだと勘違いしてるんじゃ無いの!? 彼らは確かに生きて、あの都市で息をして、私たちを信じてくれていたのに……! この件はいずれクヌーズオーエのウォッチャーズが裁くことになるでしょうね。私だって、私だって文句の一つも言ってやらないと気が済まない! 都市焼却が終わったら、あの何にも分かってないコルト・スカーレットドラグーンを、一発ひっぱたいてあげるんだから……!」
「しかしお前さんだって、虐殺に加担しただろう。それにはどう折り合いを付ける」
市民たちの骸が上げる蒸気を纏いながら少女騎士は声を震わせる。
「……お母様……コルトだけに罪を負わせるなんて、それも……私には出来ない。私は、コルトを助けたくて、前線の皆を助けたくて、ここに来たんだもの……」
「そうかい」
マルボロは煙草の吸い殻を握り潰した。掌をゆっくりと開く。
原型が分からないほどに砕けた灰が渦巻く不穏の大気へ流れ落ちる。
「あいつの娘らしいよ。優しくて強くて義理深い。でもな、そんな調子だと損をするぜ。抱えきれるもんじゃねぇ。いつか壊れちまうよ。俺たちと同じように」
銃声が聞こえた。
SCAR運用システムのみを先行させて本陣にて待機しているコルトが都市焼却の座標を指定するために擬似的なトリガーとして設定している拳銃を撃ったのだ。
マーカーとして定義された弾丸は多くの祈りが天に届くことが無いのと同様に途中で地に落ちたが付与されていた不死病の因子は閃光となり地平線を彼方まで貫いた。都市に到達した瞬間にマーカーに指定された空間に対しSCAR運用システムが起動した。光は見る間に膨脹して空間を貫く幾つもの柱となって融け合い光の奔流となって射線上に存在した第17エピゲネイアを音もなく飲み込んだ。
不気味なほどの静けさ。それから大地が轟いた。SCAR。重外燃機関直結型特殊破断作戦用世界代替因子輻射機――スペシャルクラックオペレーションズ・オルタネートラディエーション・リリーサーはマークされた領域に存在する不死病因子を熱エネルギーへと強制相転移させる戦略級のジェノサイダル・オルガンだ。生きとし生けるものを殺し尽す以外には何の役にも立たない蒸気機関。
底なしの空腹に雄叫びを上げる悪鬼の巨体のように爆炎が膨れあがり天を衝く。熱感を伴う暴風が前線基地にまで押し寄せた。酸素を奪われた都市が苦しみ喘いで最後の呼吸を求め短い時間だけ暴風の吹く向きが逆転したがそれも束の間のことで死線期を超えた都市はついに断末魔を上げて赫赫たる虐殺の閃光に飲み込まれた。生きとし生けるもの全てが蒸発され分解され意味も名前も備えない熱量へと変換されて無制限に放散し膨れが上がった火炎が嘔吐するように火の玉を弾き出し都市周辺の荒野を溶かしてガラス化していく。
直視するだけで視神経が焼き切れそうな大規模な破壊、虐殺の実行をエリゴスたちは見据えていた。
スカーレットコントロールの全ての機体が都市の命が全て消え去るその瞬間を見届けた。
悲劇は見飽きた。血の海が肺を満たす苦痛にすら慣れきった。
それでも己らの所業を記憶に刻む。
やがて閃光が掻き消えた。大破壊を経ても都市構造体は平然とそこにあった。
<発電塔>は惑星の運行と同程度の確かさで煌々と輝く乳白色の王冠の如き機構を回転させている。世界から失われたのは血と肉で構築された人間の命だけだった。不死病患者や変異体はいつかは再生するかも知れないがこの瞬間に都市に生命体は存在しない。
「……きっと、私たちの知らない市民が、生き残りが、いたのよね」
マルボロは頷く。
「いたんだろうな。百人か、二百人か。もっとかもな」
「シェルターの人たち、殺す意味、あったの? どうせああやって焼いてしまうのに」
「コルトは法の執行者だぞ? 無辜の市民を焼き殺すなんて出来ねぇ。だから事前に存在を察知出来たのなら『いなかった』ことにしないといけねぇわけだ。それか、不法な手段でリソースを奪おうとしている不法居住者だって判定を下すか。いずれにせよ現地を見にいく必要があるんだ」
「欺瞞よ。コルトはそんな小細工で彼らをいなかったことに出来たと本心で思ってるの?」
マルボロが応える前に悲鳴が聞こえた。
階下の司令部からだ。機材の倒れる音や半狂乱の女の叫びが聞こえてくる。
マルボロが顎で示して戦闘服のズボンの皺を直す。立ち上がり屋根の淵から何気なく飛び降りた。
エリゴスが続くと黒髪の女がまさに傷痕のような光が灯るヘルメットを床材に叩き付けたところだった。ヘルメットは大きくバウンドして刎ねられた首のように転がっていった。司令部に詰めていた人員は後退りしてヘルメットの進路から逃れた。ヘルメットは最後にはエリゴスの血濡れの具足の先端にぶつかって止まった。
女は黒い髪を振り乱し拳銃を振り回してそこらにあるものをめちゃくちゃに薙ぎ倒していた。あれほど慌ただしく仕事に没頭していた兵士たちは丸めた図面を抱えあるいは計算式を書き付けた紙束を抱え不安げにその女性を眺めていた。何かをするべきなのだろう。しかし意に沿わぬ大量虐殺を成した存在に対していったい誰が正しい行いを成せるだろう?
息を切らせながら黒死病患者じみて歩き回っていた女性はーーSCAR運用システムの制御装置として製造されたコルト・スカーレットドラグーンはある段階で脚を止めてぺたりと座り込んでしまった。仮面のような微笑も静謐な余裕もそこにはありはしない。
「コルト……!? 何よこれ?!」
促されるわけでもなくエリゴスがヘルメットを拾い上げ胸に抱えて黒髪の狂える麗人に近付いた。
目は血走り口元には嘔吐の痕跡がある。そして寺院の壁に填め込まれた黒い宝玉めいた不動であるべき両の瞳は土砂降りの雨から逃れてきた旅人のように濡れている。
「一体何をしているの? これは何の騒ぎ?」
「エリゴス……」コルトは少女に縋り付こうとした。しかし彼女の全身にこびり付いた肉片を見て悲鳴を上げて尻餅をつきみっともなく上ずった声を上げて後ずさった。「わたしは、私はまた、何と言うことをしてしまったんだろう。あの都市にはまだまだ生存者がいるって分かっていたはずなのに! う、うううううう! 君が、君が殺してきたんだね? 私のために! 私が君に酷い真似をさせてしまったんだ! どうして、何で、何を考えて、こんなことに君を関わらせてしまったんだろう……!? エリゴス。私の可愛い娘。とても大切に感じていたのに……私はどうして?!」
男が静かに語りかける。「落ち着け。手続き上は問題ない。お前さんは正しいことをやった。焼却で死んだのは、死んで仕方ない連中だった」
「マルボロ! わたしに向かって嘘を吐くな、信じてもいないことを口にしないでよおっ!」
コルトは握りしめていた拳銃を乱暴に投げつけた。
マルボロに命中することすらないコースだったが男は黙ってそれをキャッチした。
「死んで仕方ない連中なんてこの世にいるわけないじゃないか! わたっ、わたしはまた、焼いて、焼いてしまった! 私は焼いてしまった……あんな死に方をして良い人間なんているわけがないのに……私は……分かっていてそれをやったんだよ! ひとを殺したんだ! 殺した! また殺した! ど、どれだけ殺せば私は終われるの!? いったい私はどれだけの数を殺してしまえるの?!」
「お前さんがやったんじゃねぇ、戦争装置がやらせたんだ」
「嘘を吐くな! 嘘を! 吐くな! つかないでよっ! マルボロ、嘘は聞きたくないよ!」
コルトは腰に下げていたもう一丁の回転弾倉式拳銃を抜いてマルボロに向けた。
「最終的な決定権は私にあった! 分かっていて、死んだって仕方ないって自分で理屈を付けて、それでトリガーを引いたんだ! 自分の意志と責任でSCAR運用システムを起動させたんだ! ひ、人殺しだ! 私は人殺しだ! 大量殺戮者だ! どれだけ繰り返せば自分の罪の深長さを知るんだ……! 私は……私はどうすれば、この罪を、市民を、あんなふうに……あんな人でなしの、赤い光の中で! 生きたまま融かして殺した罪を、どうやったら償えるんだよう!」
今にも泣き出しそうな顔なのに一粒の涙を流すことも出来ない。
完成されたスチーム・ヘッドである彼女に、そのような余白は存在しない。
「お、落ち着いてください、コルト」
エリゴスは困惑しつつも宥め賺すような口ぶりでゆっくりと言葉を紡いだ。
「今回の……今回の任務は、特定の個人が負えるような……罪では……その……ありません。少なくとも、コルトお母様一人の罪では、ありません。高度に戦術的で、複雑な判断でした。審判は公的機関に任せておくべき領域です……」
「エリゴスは……」コルトは呆然として問いかけた。「エリゴスは裁いてくれないのかい?」
「えっ?」
「メサイアドールだ。私のエゴで虐殺に加担させられたんだ。君には権利があるよ……」
「さ、裁判官でも何でもないです、私には……裁くなんて……」口ごもりながら首を振る。「あ、ありません、私には、そんなことをする権利は……」
「そう、ひとを殺したり裁いたりする権利なんて、本当は誰にも無いんだ。なのに私はそれをやったんだ。分かっていて、やったんだ……」
「違います、コルトお母様、違います、これは、これは……」
重大な戦争犯罪であるという認識。
目の前の女性にこれ以上余計な負荷を与えてはならないという直観。
それらがコンフリクトを起こしてエリゴスの認知能力に極度の負荷を与えていた。
先ほどまでコルトを糾弾せんと息巻いていたのが嘘のようだった。
そして銃声が響いた。
コルトが拳銃を頭に当てて引き鉄を引いた、と理解出来たのは彼女が倒れ伏せた後のことだった。
エリゴスは、自分の母体だった女性の血と脳の破片が飛び散るのを見た。
何秒もかかってそれを理解した。
「……な、んで……? コルトお母様?」
沈黙したまま動静を見守っている周囲を睨み付ける。
「あなたたち、何してるの!? 何を突っ立って見ているのよ!?」
駆け寄ろうとしてマルボロに肩を掴まれた。
「心配いらねぇよ」
「じさっ……自殺したのよ!?」
「人格記録媒体は無事だ」
「自殺したのよ!?」
「あれで正常動作なんだ。SCAR運用システムにおけるあいつの役割は最終段階での意志決定と同胞殺しだの大量虐殺だの、そういうことの責任を負うことだ。ああやって自分を裁くところまで含めて正常なんだ。あいつはまともだ」
「まともなわけないでしょ!? まともなら、あんな風に取り乱して自分を撃つなんてしないわ!」
「まともだからそういう動作をするんだよ……。さっきのが本来のコルトの人格だ。優しく、高潔で、正義を愛する。俺の自慢の……俺の、何なんだろうな」やるせなく吐き捨てる。「SCAR運用システムを起動する時以外は機能を制限されてる。正気に戻るのは大量殺戮に関する決裁書類にサインをする時だけ、だ。それがお前さんの尊敬する母親の現状さ」
「正常な仕様だとは思えない……!」
「正常なんだよ。虐殺なんてなんとも思ってねぇような頭のおかしいやつに戦略級の大量殺戮兵器を任せられるか? そんなやつに殺されて納得が出来るか?」
「それは……」
「あいつはまともじゃなきゃいけねぇ。まともであることを強制される。何回繰り返しても、全部が最初の一回目の虐殺だ。瑞々しい感性で……虐殺をやるしかねぇって状況で叩き起こされて……実行を決意して、その通りに、必要なことをやる。カウボーイに憧れていた頃と同じまともな感性で事の善し悪しを判断して、責任を負う。それがあいつの、コルト・スカーレットドラグーンの役割なんだ」
「マルボロの言ってること、全然分からないわ!」
怒鳴り合いなど聞こえていないかのような素振りでコルトはむくりと起き上がった。
敏感に反応したエリゴスが、今度こそマルボロを振り切って彼女の元に参じた。
「コルトお母様!」
「ああ、エリゴスじゃないか。ヘルメットを拾ってくれたんだね? ありがとう」
非人間的な美貌を備えたその女は張り付いたような薄い笑みを浮かべて彼女の手から単眼レンズが填め込まれたヘルメットを取った。
「やれやれ、また負荷で気絶してしまった。SCAR運用システムは正常に起動したようだね」
「それどころじゃなくて……それどころじゃないんです! 何が起きたのか覚えてないんですか!?」
「ああ……何で拳銃を握っているんだろう? 危ないよね」
コルトは無関心そうに拳銃をホルスターに戻した。
それを見届けた兵士たちは元の慌ただしい業務へと戻っていった。
「な、何よこれ。どうして、誰もコルトの心配をしないのよ……!」
「おかしなことを言うものだね、任務の達成よりも心配なことは、この世にありはしないじゃないか。君も自分が仕果たしたことの成果を見てくると良い。そろそろ<鹿殺し>が起動する頃だからね」
目を泳がせているエリゴスを残してコルトは去ってしまった。
少女騎士は情報処理が追い付かないらしく定命者の血と臓物で一層床を汚しながら傍らで急速に蒸発していくコルトの血と脳髄を見て放心していた。マルボロに手を取られた。男の目をじっと見た。「ここの屋根の上に戻ろう。<鹿殺し>がよく見えるはずだ」と言われて見も知らぬ街角で父親をやっと見つけた迷子のように頷いた。
<鹿殺し>の起動は果たして成された。
遙か遠方の都市で歯車の如き乳白色の冠の群れが不意に停止した。
それらは撃鉄の如く迅速に作動して<発電塔>と共に一瞬で都市を囲う隔壁の下へと吸い込まれて見えなくなった。
エリゴスは光源を失った都市の方を向いて目を凝らした。視覚野の機能をエンハンスして一面の暗夜となった地平線に都市の影を探した。
何の前触れもなく強く輝くものが現れて目を眩ませた。まるで大地が生み出した明けの明星のようだった。それは地表から宇宙へと逆回しにされた流星じみており視認したその瞬間には白銀の光の尾は都市から空へと伸びて複雑に折れ曲がる軌跡を描きながら水平線へと進んでいきどこか分からない場所へと伸びて消えていた。
焼灼された空気が深紅の霧霞の道標となって星が飛び去った痕跡を示していたがそれも数秒のことだった。燃え上がる霧霞の輪は全天の雲を打ち払い地表を押し潰すほどに規模を拡大させてゆっくりと降りていき都市へと押し寄せていった。衝撃波と高熱の鉄槌。しかし都市自体は破壊しなかった。それというのも極大の熱量を帯びた衝撃波が地表を薙ぎ払う前に前後して都市の地盤が砕け散って「くしゃり」と間抜けな音が聞こえてしまいそうなほど呆気なくあっさりと崩落したからだった。
第17エピゲネイアは姿を消してしまった。
周囲の大地ごとどこか見えない地下世界へと崩れ落ちてしまった。
都市構造体を瓦解させながらぽっかりと空いた大穴へと飲み込まれた。都市があった土地はガラクタの埋まった巨大な墓穴となった。
破壊の光景よりも音速は圧倒的に遅い。
全てが終わったあと、都市の断末魔と言うにはあまりにも混沌とした地鳴りが基地を揺らした。
ネレイスはもう驚きも嘆きも示さなかった。護送を手伝ったTFSSチームの少女たちはきっとあの都市と一緒に奈落の底に落ちて押し潰されて死んでしまったのだろうと麻痺した人工脳髄で演算していた。
彼女の隣に腰掛けて都市の自壊を見届けたマルボロはぽつりぽつりと言葉を漏らした。
「……今のを確実に動かすために、妨害活動を行いかねない地表の生体を除去する必要があった。そのための前段として都市焼却を行わなけりゃいけねぇのさ」
「……これが、<鹿殺し>?」
「そうだ。正式名称は、敵対文明圏殲滅用都市区画転用型多段階加速式電子加速砲……<ディア・ハンター>。アガメムノン・スーパーガン。流星みたいに光りながら空に飛んでくのが見えただろう? あれが砲弾だ。実物はかなりデカい」
「ディア・ハンター……」思考停止しながらエリゴスは蒙昧とした返事をする。「鹿を撃つには……大きすぎる武器に、見えるわね……」
「詳しくは知らねぇが、『降りしきる雨すら避けることが可能な、丘ほどの大きさがある、鹿のような姿の変異体』を仕留めるための兵器なんだそうだ。エピゲネイア系の都市は、例外なく<鹿殺し>を地下に埋めた軍事設備で、地表にある居住区は住めるには住めるが、非常時には使いものにならねぇ。あるべき場所にシェルターがねぇし、待っててもロクな救援は来ねぇわけだ。酷いもんだよな」
「……何その……鹿? 鹿の変異体? 聞いたことないけど……」
「俺も聞いたことねぇ。設計者の頭の中にだけいるって話だ。まぁどんな変異体でもあんな砲の的にするには小さすぎると思うが」
「まさか、妄想の中にしか存在しないってこと?」
「かもな。だが、少なくともその鹿のバケモノを殺すための兵器は、こうして現実に完成してる。表向きは採用が見送られたことになってるが、全自動戦争装置が細かい改良を重ねて実装した。だから通称が<ディア・ハンター>なわけだ。早い話が都市区画の構造を流用して建造される、多薬室式の電磁加速砲みたいなもんなんだ。蒸発したりする可能性がない超高純度不朽結晶製砲弾を、既存科学の限界まで加速して撃ち出す。マッハ60だか何だかまで行くらしいが、まぁ現実的じゃねぇ。一発撃ったら反動と熱エネルギーで打ち上げ設備が地盤から崩落しちまうんだから、普通の兵器としての正式採用の見送りは妥当って感じだ」
「……今の発射で、何を狙ったの?」
「よその大陸の都市か、軍事拠点か、全然関係無い場所か。地下で<鹿殺し>起動のためのTFSSチームすら、暗号化された座標を伝えられてるだけで、具体的な目標は知らねぇだろう」
「よその大陸、って……無理でしょ。弾体。マッハ60まで加速させるなら、大気圏外に……いいえ、太陽系の外側まで飛んでいくだけじゃない……何を言ってるのよ」
エリゴスの指摘は正鵠を射ている。
現行で最強と言える携行兵器は対スチーム・ヘッド用電磁加速砲だ。照準が正確である限りオーバードライブ状態のスチーム・ヘッドも問題なく撃ち抜ける。
ただし難点も多い。チャージに時間が掛かる上に、大量の電力が必要で、連射は困難。勝負は大抵一発限りだ。超音速で移動する戦闘用スチーム・ヘッドを狩るためには中々使えない。
さらに大きな問題がある。それは実用に足る出力で発射した場合に弾頭が第二宇宙速度を超えてしまうということだ。下手をすれば不朽結晶製の弾頭が大気圏外に脱出してしまうため希少素材で構築されているにもかかわらず回収はほぼ不可能であり、それ以上に重力の影響を無視してしまうことが問題視されていた。要塞砲にも匹敵する高コストの兵器であるにも関わらず水平線の向こう側に居る目標に対して曲射を行うなどの用法が事実上出来ないのだ。当然ながら出力を下げれば可能ではある。そうなると戦闘用スチーム・ヘッドを射止める弾速は失われてしまうジレンマを負っている。
「通常の電磁加速砲ですら、直射する以外の運用が出来ない欠陥兵器なのよ? アガメムノン・スーパーガンだっけ? どれだけの破壊力があるにしたって、水平線を超えない距離……精々5km先にある標的にしか狙えないんじゃ、意味ないじゃない」
「普通ならな。アガメムノン・スーパーガンが最初に砲弾として撃ち出すのは幾らかスケールの小さい電磁加速砲なんだよ。この砲弾はゼロコンマ数秒で大気圏外に出ちまうが、そこであらかじめ施された設定に従って子弾頭を射出する。で、その子弾頭自体も電磁加速砲の構造を持つ……マトリョーシカみたいなもんだな。電磁加速での射出を繰り返して強引に弾道を捻じ曲げながら発射後もさらに加速を続けて、大気圏外からの精密狙撃を実現させる。地球の裏側でも狙える超大規模電磁加速砲だってことだ。最終的に目標地点に到達するのは指先ほどの小さな弾頭らしい。恐ろしい話だ、デカい穴が空くのは分かるが、着弾地点で具体的に何が起こるのか想像も付かねぇ。着弾しても不朽結晶弾は砕け散ってエネルギーが減衰したりしねぇからな。隕石が落ちてくるよりタチが悪いはずだ」
エリゴスはあまりのことにしばし言葉を失った。
「……そ、んな、とんでもない兵器があるんなら、最初から撃っておけば良いじゃない。最初の最初に先制攻撃で使っておけば、とっくに戦争は終わってたんじゃないの?!」
「冷静に考えろよ、お嬢ちゃん。戦争装置だってあんな馬鹿みたいな砲を気軽に撃てるようなアタマはしてねぇ。何せほら、発射したら、都市区画が丸々一個無くなっちまうんだ」
二人が眺める暗闇に赤く光る穴蔵がある。
熱を帯びた都市の残骸。数万の市民の生活基盤が消滅した痕跡。彼らの紡いできた歴史の酷たらしい終端。人類文化を再演して継承する試みの一端が完膚なきまでに破綻したことの証左。
「一発撃つだけで味方に壊滅的な被害をもたらす。かと言ってこれ単独で建造するのも割に合わねぇし使うとなったらよほどの状況だ。普通の手続きじゃおおよそ使えねぇから、それでカテゴリが『報復兵器』なんだよ。相応の犠牲者が出て初めて使用が可能になる」
「……それで分かったわ。エピゲネイアは、その手続き上の犠牲者数を積み上げるための都市なのね。<鹿殺し>の起動に足るだけの死体を生み出すために建造された都市……」
「有事の際は囮扱い、最終的には反動でぺしゃんこにされて消える。ろくでもねぇわな。しかしまぁ、何事も無ければスコアの高くない市民でも快適に棲める。そう悪い場所じゃなかったと思うがね」
「どれだけの数を、この作戦で起動させるの」
「全部で何基あるのか、俺たちは知らされてねぇ」
「何基、動かしたの」
「俺たちについては、これで十五基目だ。俺たちに割り振られた分は、いちおう最後だ。しかし……このあいだ担当したエピゲネイアの番号は、たしか『60』だったな」
「人類文化継承連帯の領域に仕込まれてる<鹿殺し>……アガメムノン・スーパーガンを全部撃ったら、あはっ、月だって砕けそう」エリゴスはやけっぱちの笑声を零した。「十五基だけでも大きな国が地図から消えてしまうんじゃないかしら。あはは……」
「そのはずだ」
「あは、あははは。敵の国より先に、撃った瞬間に、私たちの都市が丸ごと一つ消えちゃうんだけど。あははは……ああ、おかしい。あはは……私たち何してたの? 撃ったらどうせあんなふうになっちゃうのに。市民がどこで何をしていようと、都市自体が壊れてなくなっちゃうのに、何でわざわざ市民を自分の手で殺してたの? コルトだって、自殺する覚悟で都市焼却をやって……あは、は」
震える指先で都市の埋まる墓穴を指す。
「どうせ皆死んじゃうのに、率先して虐殺をやらされてたんでしょう? おかしくって仕方ないわ。本末転倒も良いところ。徒労よ。ぜんぶ、徒労じゃない! 何の意味も無いじゃない、こんなになっちゃうなら! あはは……あは、あはは……何してんだろ……ねぇマルボロ、私たち何をしてたの? あはははははははは……何、してたのかなぁ……」
発作的に笑い続けるエリゴスを前にしてマルボロは押し黙った。新しい煙草を口に咥えてジッポライターで火を付けた。手の中で馬に跨がる少女のレリーフが刻まれたライターをしげしげと眺めた。点火した。消した。点火した。消した。また点火した。揺らめく炎を映す眼球は昏く淀んでいる。
「最初の一基を動かした時は……俺もとんでもねぇことに加担しちまったな、と思ったさ。でもこれで戦争が終わるんだろうと考えたら、市民を殺しちまうのも仕方ねぇと、そう割り切れた。<ディア・ハンター>は、カタログスペックを見る限りじゃ、一発でもスヴィトスラーフが拠点を構えるサンクトペテルブルクを……街どころか地殻まで抉り抜かれた『何にもないデカい穴』に変えちまうはずだった。だが、起動の任務を達成したそばから、次々に同じ兵器を起動しろって命令と、あれを動かして死ぬためだけに量産されたTFSSチームのお嬢ちゃんたちが送られてきた。生存者を見かけたら、助け出せそうな数なら助けて、無理なら全部殺した」
マルボロは己の両手をじっと見た。
「確かに、何してるんだかな。悪党を殺すのが嫌になって一回引退したのに、今度は敵だけじゃなくて何の罪も無い連中まで殴り殺して回ってるんだ」
「……いつか、分かるの?」エリゴスは息を殺すようにして尋ねた。「誰か教えてくれるの? せめて何でこんな作戦が立てられたのかぐらいは知りたい……」
「それについては心配いらねぇ。お前さんにももう明かされるさ。作戦の第一段階はこれで完了だ。コルトがじきに情報を開示する」
「マルボロは、内容をきっと知らされてるのよね」
「俺だってコルトの端末の一人だからな」
「私が納得が出来るような理由かしら」
マルボロは少し考えてから呟いた。
「まぁ、隠し事が明かされて笑顔になるのは、誕生日をお祝いされてるガキぐらいだよ」
夜明けが来る頃にはエリゴスの甲冑からは虐殺の名残は消えてしまっていた。時々マルボロと平行起動しているスティンランドや他のスチーム・ヘッドがやってきて彼女に嗜好品を渡したり労いの言葉をかけたりしたが、エリゴスは虐殺を働いたことについてとうとう折り合いを付けることが出来ず最後まで応答を濁した。彼女が疑心と自己嫌悪の徴候を見せるたびにマルボロが声を掛けた。あまりに酷いときは『バトル枕投げ』の会場に運ばれてくたくたになって戻ってきた。
そうしているうちにスカーレットコントロール全体に無声通信が一斉に流れた。
黎明の空に星々が溶けて朝と夜の境界線が曖昧になる紺碧の静寂にコルトの穏やかな声は涼やかに響いた。
『こちらはアルファⅠ改型SCAR、コルト・スカーレットドラグーン。世界最終戦の第一段階、<キル・オール・ザ・セイクリッド・ディア>作戦を完遂出来たことについて、まずは御礼を言うよ。困難な任務をよく遣り遂げてくれたね』
「キル・オール……<全ての聖なる鹿を殺せ>さくせん……?」
首を傾げる少女騎士に「アガメムノン・スーパーガンにかけた作戦名だ」とマルボロが囁いたがエリゴスは首を傾ける角度をさらにばかりだ。
その呟きを聞きつけたのかコルトが捕捉を始めた。
『補充人員のためにも、改めて、本作戦において用いられた<ディア・ハンター>ことアガメムノン・スーパーガンについて知らせておくよ。この電磁加速砲は都市区画の発電設備を丸々転用して作られた戦略兵器で、弾頭には理論上は地球を貫通するほどの威力がある。名前はギリシャ神話に詠われるミケーネ王、アガメムノンに由来するんだ。名将として知られているけど、女神アルテミスの聖なる鹿を射殺してしまい、その代償に自分自身の娘を生贄として捧げるように求められた……っていう神話が有名だね。アルテミスと言えば、死と疫病をすら従えて、狩猟の矢を人間にすら向ける恐ろしい女神だ。それなのに自分の大切な鹿が射殺されたのを、人間一人の命と引き換えに許してくれたって言うんだから、すごく不思議だと思わないかい。そもそもどうしてアガメムノンは女神アルテミスの大切にしていた鹿を射殺すなんてことが出来たんだろう? ……どうであれアガメムノンは聖なる鹿を殺してみせた。愛する娘を失い、さらには妻や子供たちからの不信も買うことになったけれど、自分は死ぬこともなく神に愛された鹿を殺す、その大業をやりおおせたんだ。言ってしまえば彼こそが人類史上で最強の<ディア・ハンター>だよ。人神の加護すら無視する破壊力と、人類文化を犠牲とするコストを持つあの多段階加速式電磁砲には、うってつのけの名前だね』
「ギリシャ神話……人類史の座学で聞いたことあるわね」
エリゴスはよく分かっていない顔で頷いた。
「でも、アガメムノン・スーパーガンについては、犠牲が出るのと射殺するのとで順番がちぐはぐな気がするけど……」
『この女神の化身をすら殺戮せしめる報復兵器の計画的な運用によって、スヴィトスラーフ衛生帝国の擁する全ての戦略拠点、および戦略級の悪性変異体を全滅させる。それが当初の目的だった。結果は、みんなもう知っているね。既存の戦略拠点を、全て地殻までぶち抜いて、あちこち煮え立つクレーターに変えても――百三十億の不死の兵隊は進行を停止しなかった。予想されていたことではあったみたいでね、ただちに作戦は修正され、アガメムノン・スーパーガンの追加起動が決定された。どうしてこの期に及んで更にスーパーガンを使うのか、疑問に思っていた機体も多いだろうね。機密保持のために理由を黙っていたことをどうか許してほしい』
「敵の拠点は全部無くなってるの? じゃあさっきの<鹿殺し>は何を目標に……」
『簡潔に言うね。追加起動したアガメムノン・スーパーガンが目標としていたのは、この地球という惑星そのものだ』
「……えっ?」
エリゴスと同様の動揺が全軍に発生したのだろう。
しばらく間を空けてからコルトは情報開示を続けた。
『スヴィトスラーフ衛生帝国が、忌まわしい帝王や浄化評議会の採決を必要とせずに、個別の意志、ないし有機的に結合された指向性で以て、機械的に人類文化継承連帯の領域を侵そうとしているのなら、もうお手上げだよ。もはや帝国にどれだけ単純なダメージを与えても効果は無い。それはそうだよね、絶対に死なないクズ肉どもが、意味も理由も考えないまま、とにかく突撃してくるなんて状況、どれだけ機関銃を並べたって、限界がある。全自動戦装置の端末たちは絶対に陥落しないだろうけど、市民を永久に守るなんて無理だ。だから全自動戦争装置は、より多角的な攻撃作戦を立案した』
戦術ネットワークを介してエリゴスの視界に自転する地球を模した立体図が投影された。
継承連帯の領域内に無数に設けられたエピゲネイアから発射されたアガメムノン・スーパーガンの弾道が表示されそれが次々に惑星を掠めあるいは貫き通していくアニメーションが表示された。巨大隕石の落下にも等しい破壊力を持つスーパーガンの弾頭が通過するたびに地球は僅かずつ形を変えていく。
惑星が消えて無くなってしまう程の破滅では無かったが仮想の地球儀はやがて傾き始め回転を狂わせさらには巻き上げられた粉塵が形成するアステロイド・ベルトじみた散り屑を纏うようになった。
『この攻撃の狙いは、急激な気象変動を起こすことだよ。アガメムノン・スーパーガンで削り取られたせいで、この星の地軸は完全にめちゃくちゃだ。何も知らない人から見れば、変わってしまったのは北極星や星座の位置かもしれない。だけど現実はこれだ。地球に不朽結晶のノミを打ち込んで彫刻した結果なんだ。一年と経たずに平均気温が下降して、おそらく、かつてない異常気象や天災が地表を襲うようになる。ああ、君たちの言いたいことは分かるよ。そんなことをしたって、衛生帝国のクズ肉はそれに適応した悪性変異体に変わるだけで、あまり意味が無いんじゃないか? そうかもしれないね。だけど地球環境を大きく変えてしまえば、そっちに適応してしまった個体は少なくとも衛生帝国のデザインからは外れる。人格記録媒体が装填されて無ければ、命令なんて忘れてしまうだろう。拠点だって物理的に消滅してるんだから再改造すら望むべくもない。そうなれば、大多数の敵兵の侵攻は停止するだろうと考えられている……』
少女騎士は「何それ、嘘でしょ?」と戦慄いて息を詰まらせた
「敵の変異を意図的に促進させて、無力化する……そのためだけに、地球を壊したの?! マルボロ、これって正気の作戦?! 私たちいったい何をやってるの?!」
青ざめて縋り付いてくるエリゴスの手をマルボロは握り返した。
そっと屋根に上がってきた金色の髪をしたスティンランドもエリゴスにそっと寄り添った。
そして二人が手を握っているのを見てやんわりと邪魔をした。
「……極寒地獄に何百年か置いておけば、自己凍結を起こして完璧に無害化されるかもな。酷い博打だが負けが込んでる今ならやる価値もある。というか、他に選択肢がねぇのさ」
「だけど……!」
『いいかい、みんな。私の手脚、私の代行存在、私の具足たち。継承連帯の偉大なる盾たちよ。現時点から<世界最終戦>は第二段階に移行するよ。人類文化継承連帯の残存市民は、今後はプロトメサイア率いるメサイアドールたちが拓いているクヌーズオーエにて籠城を続け、適宜改良と強化を施されて、可能な限りヒトとして生存し続けることになる。プロトメサイアのアーク・コアが都市を無限に複製してくれるとはいえ、そこはまさしく人類最後の生存領域、これより後が物理的に存在しない絶望的な防衛ラインだ。全人類はそこで来たるべき災厄の時代に備えるわけだね。相手は不滅にして不変であるだけの白痴の怪物。対して継承連帯の市民は、非常に高い可塑性があるヒトという生命資源。……ここからが本当の正念場、長い長い正念場だ。継承連帯の称揚する定命の人類と、衛生帝国の提唱した新たな人類である不死のクズ肉ども。遠い未来で、果たしてどちらがヒトとして立っているか。つまりは、そういう戦いなんだ。比喩ではなく、歴史的な戦争になると思う。我々が生存して紡いだ歴史が、そのまま勝敗を決めるんだ。未だかつてない規模の持久戦だよ、どんなに短く見積もっても、百年以上の歳月が必要になる……。これが、<世界最終戦>の第二段階。ここからが本当の戦いだと言っても良い』
コルトは一度、深く息を吸った。
『……プロトメサイアとメサイアドールたちは強力だけど、決して無敵じゃない。全戦力を結集させての、果てしのない総力戦になるだろう』
「それでコルト、俺たちはどう動く?」
マルボロが皆を代表したのか口を挟んだ。
「このまま一路、クヌーズオーエを目指して撤退して良い……ってわけじゃねぇんだろ。何をすることになる?」
無声通信の向こう側で一瞬の沈黙があった。
普段の余裕に満ちた態度を考えればその一瞬の沈黙はあまりにも痛切な躊躇の表明だった。
『しばらくは……大して変わらないことを続けるよ。使用しなかったアガメムノン・スーパーガンを、エピゲネイアの都市を、敵に鹵獲・転用されないよう破壊して回る。……私たちが人類最後の楽園の門を潜れるのは、使い道のなくなった大量虐殺兵器を全部機能停止させてからの話になるだろうね』
「逃げ遅れた市民を見つけたらどうする?」
『逃げ遅れた市民なんてもういないよ』コルトは即答した。『逃げるべき市民は、逃げ去った後なんだ。だから、救出は、今後、一切しない。準備が整い次第、スカーレットコントロールは、次のエピゲネイアに向かって進軍の指揮を行う。プロトメサイアたちと合流出来るのは、ずっと先だ。それじゃあ各位、準備に取りかかって。まだまだ私たちはここで戦わないといけない。……コルト・スカーレットドラグーンからの通達は以上だよ。太陽が高く昇るまでに出発するよ、衛生帝国の連中の目が開かないうちにね』
無声通信が途切れてからもエリゴスは青ざめたまま俯いていた。
「……狂ってる……星を壊して、摂理に反してまで、敵をどうにかして、それに加えて、市民も、もっと殺せって言うの……?」
「狂っていても、やるしかねぇんだ。他に手段がねぇ。忠告しておくが……お前さんだって、クヌーズオーエではいずれ増殖した都市を治める立場になるんだ、こんな理不尽はこれから数え切れないほど降りかかるぜ。覚悟を決めておけ。……良い勉強になったし、十分な戦果だ。第一段階を支援する任務はこれで終わりだ。お前さんはクヌーズオーエに引き返すんだ」
「私は、私は帰らない」
切り立った崖のようなエリゴスの言葉。
全身に浴びた市民の血は揮発した。手先の震えも治まっている。
それでも人格記録媒体にはあの血みどろの一瞬が市民が液状化して室内を血の霞で染めた悪夢が閉じ込められているはずだ。
しかし少女騎士は怯懦と倦怠を捻じ伏せて言い放つ。
「お母様が、コルトが……マルボロが、それにスティンランドが、前線のみんなが、まだこんな地獄に取り残されてる。私は、強いのよ。だからこの暴力で、みんなに貢献する義務がある。おめおめと安全地帯に引っ込んでいるなんて、私には、出来ない……。それに、虐殺にだって加わった。最後まで見届けないといけない気がするの」
「わたしは、エリゴスにだって、クヌーズオーエでやるべきことがあると思うですよ」としなだれかかるのはスティンランドだ。「さっきのエピゲネイアでは、悲惨なことになっちゃいましたけど……メサイアドールですし。そのスキルが輝くのは、やっぱり不安でいっぱいの市民たちの前に立って、毅然とした態度で安心を確約する瞬間じゃねーです? 狭い都市で不自由な思いをしている市民たちのために献身する。間違ってるとは思わねーです」
「でも、ここのみんなを放っておけないわよ……」
マルボロは溜息を吐いた。
火のついた煙草を咥えて顔を背けた。「お前さんには見込みがある」とエリゴスに語りかけた。「だからちょっと昔話を聞いてくれねぇか?」
「マルボロの昔話!」少女騎士はパッと顔を輝かせてすぐに視線を落とした。「どうせ楽しい話じゃないんでしょうね」
男は苦笑してゆっくりと煙を吸って過去を吐き出した。
「昔……かなり昔だが、俺は見込みのある新入りの世話をしてた。とんでもない性能の持ち主でな。なんと奇跡を起こせた」
「ふうん。奇跡ね」
「そいつは木の棒で、鉄を斬った。病人の前で病よ去れと念じながら包丁を振れば、本当に病を治せた」
「そうなのね。嘘みたいに聞こえるけど」
「嘘くさいし退屈だとは思うが聞いてくれ。俺もあんまり奇跡奇跡とうるさく言うもんだから実際のところ怪しく思ってたが、中々骨のあるやつでな、何はなくとも腕っ節が良かった。組織も、こいつの才能に着目して、大掛かりなテストを計画したわけだ。お偉方が扱いを持て余してる才能の持ち主がいて……顔と声と体が良いだけのろくでもない女なんだが、そいつの身柄を適当な悪党に売っ払って、それを奪還させる……そういうマッチポンプをやろうとした。素人には到底出来ない仕事だが、上手くいったら、それは本当に何かの素質があるってことだからな。どうなったと思う?」
「口ぶりからすると、失敗したんでしょうね」
「失敗はしなかった。そいつはな、作戦開始前に偶然出くわした路上で暴れまわってる薬物中毒者を止めようとして、その最中に車に轢かれて、死んじまったんだよ」
「え?」
エリゴスは唖然とした。
耳を傾けていたスティンランドも同じリアクションをした。
「義侠心に駆られたんだろうが、通行人を守りながらというのは無謀だったな。中毒者を押さえつけてる最中に心臓発作を起こした爺さんの乗った車が突っ込んできてえらく派手に吹っ飛ばされたそうでな……。足も腹も胸も全部ぐちゃぐちゃで、頭はねじ切れかけてて、胴体には片腕だけが繋がってて、それでイカレ野郎を自分が死ぬまでホールドしてたんだと。奇跡はともかくとして、気骨のあるやつだったから、俺は心底落ち込んだ」
「えっと、その、試験は……」
「流れた。死んじまったもんは試験出来ねぇからな。例の厄介者の女については、殺処分の命令が出た。そいつも顔と声と体は良いが、才能に関しては、殺しちまった方が世の中のためなんじゃねぇかってやつだったからな……。それで、俺は、なんだか、嫌になっちまった。悪党を殺すのも、人間をトロフィー代わりに使うのも、知らないところで見所のあるやつがくたばっちまう現実も。そんな計画を有り難がる俺たち自身も……。お偉方に逆らって、新入りの代わりに、その運の無い女を救い出してやった。めでたく組織への叛逆で有罪判決、凍結処分だ。まぁ前々から疲れてたし、自主的な引退みたいな扱いになったが……。義人になるってのはキツい。しかも良いことなんて一個もねぇんだ」
「義理で動くなんて愚の骨頂だ、って言いたいのね」
「そういうことだな。お前さんには見所がある。だから、あいつみたいに一時の感情で動いて、遣る瀬ない最後は迎えて欲しくねぇ。……それに……時々……最近になってだが、考えることがあるんだよ。もしも、もしもだ……俺に子供がいたとしたら? 俺の知らない俺のガキが、どこかにいたとしたら?」
「あなたの子供が……」エリゴスはじっとマルボロの横顔を見た。「あなたに子供がいたとしたら?」
「コルトもそうだが、俺の弟子のスティンランドや」
言いながら少女拳闘士の肩を抱こうとして「やですよ」とやんわりと避けられてしまった。
「……コルトの血を引くエリゴス、お前さんだって、出来るだけ甘やかしてやりたいと思う。それでこう思うわけだ。もしもこの戦場に俺の血を引いたガキがいて、そいつもクソ生意気で自信満々な兵士としてここに立っていて、わがままを言っているとする。それで、何かそいつに特別なことをしてやれるかってな」
「……何かあるの?」
マルボロは首を振った。
「何もねぇよ。してやれることなんて何にもだ。情けねぇことにな。だが、これは言ってやれるつもりだ。『こんなところにいるべきじゃない』。コルトだって、スティンランドだってそうだ。こんなところにいるべきじゃない。俺とコルトは完全に作戦に組み込まれちまってるが、そうでないなら、どうにかして助けてやりたい」
「もしもその子供が、それでも戦いたいって言ったら、応援してあげるの?」
「本当に俺のガキがそう言うんならちょっとは考えるよ」
「でも、マルボロみたいな駄目人間に子供が居たら可哀相すぎじゃねーです? このひと功夫やってる間だけはしっかりしてるけどぶっちゃけ残念スペックで……わっ、何するんですか、怒っちゃいまし」
「怒っちゃいました?」という言葉は最後まで発せられなかった。
マルボロはスティンランドの首輪型人工脳髄を素早く取り外すとバックアップデータを記録させた別の同型人工脳髄を彼女の首に押し当てた。
金色の髪をしたトレンチコートの麗人は「あ、え……?」と気の抜けた声を漏らして脱力して倒れ伏せた。
「ま……まる、ぼろ……なんで……からだ……うごかせない、です、よ……なんで……」
「お前さんの仕事は終わったよ。ここには、もういらない」
スティンランドは立ち上がることすらおぼつかない。
勝ち気な彼女らしからぬ哀願するような声で訴えかける。
「い。いらないなんて……言わないで、ください……わたし、は。わたしは、師匠の、師匠の一番の弟子で……認めて……ほしくて……なんだっけ……あ、ダメ、だめ……きおく、が……わたし、わたしを、保てないです、なんで? ししょう、なんで……」
「……俺がお前さんを前線で使い続けてたのは、この世界に居る俺の同位体を始末するための切り札になると踏んでたからだ。お前さんだって……大切に思ってる。こんなところにいるべきじゃないし、いさせたくねぇ。さっきの戦いで、お前さんは俺の最大の悲願を立派に果たしてくれた。こんな地獄からは出て行くべきだ」
「や……だ……まるぼろ……おいか……ない……で……」
「スティンランド……!?」
少女騎士は愛しい少女のトレンチコートに包まれた細い体を抱き上げた。その首には人格記録媒体が存在しない。
彼女は身体履歴と基本的な思考パターンしかもたない無力な存在に成り果てていた。
「マルボロ! 彼女に何をしたの!?」
「俺の支援ユニット<アンダー9>を返してもらっただけだ」
冷酷に告げて奪った首輪を己自身に取り付ける。
「オーバードライブはスティンランドに備わってた才能だ。俺も戦力的には衰えるが、構うもんかよ。人格記録のバックアップはそっちの予備にちゃんと流し込んである。それが今の本来のスティンランドだ。虫食いだらけのツギハギの人格から編み出した記憶を持った、俺の弟子の残骸……俺の代理演算からも完全に解放された、本当のスティンランドだ。心配するな、人工脳髄があんまり馴染んでないだけだ。クヌーズオーエあたりで処置をすれば何とでもなる」
「クヌーズオーエなんてずっと遠くよ! こんな場所で投げ出してどうする気なのよ!?」
「そこで頼みがあるんだ」とマルボロは立ち上がった。「メサイアドール・エリゴス。この前線の地獄から、スティンランドをクヌーズオーエまで護送してくれ。そして……そいつを、幸せにしてやってくれ」
「なに、なに言ってるのよ」
エリゴスもまた人格エミュレートの混乱から喘ぐように息をするばかりのスティンランドの肩を抱いて立ち上げる。
「べつに、別に異論があるわけじゃないけど、いきなりこんなことをして、どういうつもりなの。しかも私に護送をしろって、どういうことよ!」
「お前さんたちは『ここにいるべきじゃない』。それだけだ。スティンランドからは俺由来の格闘技能は失われ、不死殺しも使えなくなる。だがスティンランドとして蘇って以降に蓄積してきた思い出は健在だし……プロトメサイアの力なら、人間に戻すことだって出来るだろう。あとのことはエリゴス、お前さんに任せたい。友人でも、恋人でも、伴侶でも、奴隷でも良い。俺の弟子を、お前に託す。好きにして、好きにさせてやってくれ。二人で子供を作ったって良いんだ。これはコルトにも話を通してあることだ。どうか、頼まれくれねぇか」
「……クヌーズオーエがスティンランドを受け入れてくる可能性は、どれくらいあるの? あなたの頼みを聞くのは、やぶさかじゃ、ないわ。だけど、あそこは誰だって入れる土地じゃないのよ」
マルボロは煙草の吸い殻を握り潰して肩を竦めた。
「俺はプロトメサイアにとってのヒーローなんだろ? 何のバックボーンも持たないやつが、そんなヒーローの弟子として送られてくるなんて、あると思うか? スティンランドは元々はお前さんと同じだ、本来ならメサイアドールになるはずの人材だった。俺のところに来たのは、俺の技を継いで、その上でメサイアドールになるためだ。手違いなのか何なのか、俺の知らないところで、どうしてか間違った未来に行っちまったが……」
「メサイアドールになるはず、だったのね」少女騎士は抱いた少女の体温をより敏感に感じた。「……何という名前になるはずだったの?」
「アルファⅠ<フェネキア>だ。今は欠番になってんのかな。ともかく元メサイアドール候補なら、プロトメサイアも冷遇はしねぇ。俺の弟子でもあるわけだしな」
「……私と、この子。あなたを慕う機体を、あなたから二人も遠ざける。そんなの、酷いとは思わないの。私たちに申し訳なくはないの? 何もせず、ただ逃げろって言うだなんて!」
「思わねぇな。単に逃げろって言ってるわけじゃねぇ。ことによると、クヌーズオーエ防衛の運営の方がずっと大変かもしれねぇし。だが、お前さんはこんなクソみたいな戦場で擦り切れて良い人材とは思えん。スティンランドも……俺の負ってるような業に囚われるべきじゃねぇ。なに、心配ねぇさ。スカーレットコントロールは、必ず任務を果たしてクヌーズオーエに凱旋する。素朴な願望だが、そのとき……立派に人類最後の都市を守り通した、愛しい顔見知りたちに、よくやったねと、笑って出迎えて欲しいのさ」
エリゴスは泣き笑いのような表情を浮かべて頷いた
「……分かったわ、マルボロ。あなたの願いを……私は、かなえたいと思う。ええ。コルトだけじゃなくて。あなたの願いだって、私はかなえてあげたい。あなたを、よくやったって、褒めてもらいたい……。だから、いつか必ず、コルトたちと一緒に、私たちの都市に帰ってきてね。未来では、きっとそこがあなたたちの家になるから……。ねぇ、どんな都市になっていてほしいかしら?」
「そうだな。俺たちが、日がな一日ぶらぶら資材漁りをして、あちこち冒険して、適当に充実出来る都市が良い」
「折角の暗殺術が無駄になるわよ?」
「人を殴り殺すだけの芸なんて無駄になった方が良いだろ。功夫の極みに至った俺は、変な健康体操を踊る爺さんだと思われて、市民からは笑い者にされるかもしれねぇな……しかし、その世界では俺も満足してニコニコ笑ってるわけだな」
「欲のない夢ね?」エリゴスはにやりと笑った。
「だろ、良い夢だろ?」マルボロもにやりと笑った。
二人の笑い方はとてもよく似ていた。
朝焼けが空を明るくする。
地球環境を破壊するための<鹿殺し>の効果は、未だに明示的には及んではいない。
ただ眩いばかりの清廉なる新しい朝が少女達を訪った。
エリゴスは朦朧とするスティンランドの体をぎゅっと抱きしめながら固く誓う。
「あなたの望みを、私は叶えるわ。今だけは、クヌーズオーエに帰ってあげる。そこで、スティンランドと一緒に待っているから。私の受け持つクヌーズオーエを天国みたいな素晴らしい場所に変えて、あなたたちを待っている。ずっとずっと、みんなが来るのを、待っているから――!」
<人類文化継承連帯/世界最終戦>編はこれで終わりです。脇道に逸れて半年以上経ちました。タイトルに百合って入ってるのに喫煙カンフーおじさんメインの話を長々やりすぎました。申し訳ないです。
今後は本筋に戻り、アルファⅡモナルキア・リーンズィとプロトメサイア率いるFRFの本格的な接近の話になっていきます。
しかしながら、近頃はご覧の有り様です。時間と体力を中々確保出来ないので更新頻度が落ち、しかも一つ一つの話を良い感じのサイズで終わらせることも難しくなってきました(これは昔からそうですけど)。
完結までのフワッとした内容はメモにしているのですが、「方位は正しい だが 距離までは知れない」みたいな感じで、このままだと永久にちゃんとした形での完結にたどり着けない気がしています。
この問題を解消するため、しばらく更新を休止して、計画の見直しなどを行います。
次回更新は、今のところ未定となります。




