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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション4 殺戮の地平線  世界生命終局管制機 アルファⅣ<ペイルライダー>
181/197

セクション4 人類文化継承連帯/世界最終戦 キル・オール・ザ・セイクリッドディア(7)ー2 任務完了/任務再開

「声だけじゃない?! いつの間に……気配を殺す技!?」


 エリゴスが手を離した。偽りの月光を照り返す装甲の残影が薄闇を切り裂き鋭角の軌跡を描く。

 彼女の行動は凡愚のスティンランドの目には映らなかった。知覚出来なくとも経験則から何をしたのかは後追いで解釈出来る。脚を突き出した姿勢から衛生帝国の騎士を蹴り飛ばしたのだ。

 即時オーバードライブ。少なくとも三〇倍加速での一撃。あまりにも速いが片脚を上げるための予備動作までは視認可能だった。

 スティンランドであっても対処不能なレベルの攻撃では無い。初撃は受け流せる。

 おそらくは牽制だ。

 今ひとつ鋭さに欠ける。

 しかしファイアウォッチは無抵抗に具足の直撃を受けていた。

 胸部装甲をひしゃげさせて長椅子に突っ込んで倒れた。

 防御されることを前提としていたのだろう。追撃の算段が崩れたらしいエリゴスが姿勢を崩し足踏みをする。

 ファイアウォッチは何事も無かったかのように立ち上がり「良い功夫だ」と頷いた。


 スティンランドは意図的に遅延さていた外皮と筋組織の急速再生を実行して立ち上がった。

 怪我が治らないのを口実に互いについての知識を深め合う魂胆だったがエリゴスと戯れている余裕は無い。


 先ほど砕いたはずの鏡像の敵と向かい合う。

 健在の一言に尽きた。頭部や掌あるいは両脚の損傷は修復されている。

 自切した左腕に至ってはこの短時間で根元から新造したようだった。


 アド・スケルトンのスチーム・ヘッドとしての特徴は非オーバードライブ時の耐久性にある。

 牽制だったにせよエリゴスの攻撃は破滅的な威力を備えていた。

 人間は通常の三〇倍の速度で蹴られれば千切れて死ぬ。

 しかし漆黒のアド・スケルトンの生体甲冑は少なくとも切断は免れ胸部の陥没を見る間に復元していく。スヴィトスラーフ衛生帝国の上級機体は全てがこうだった。基本性能こそ劣っているが殊に再生能力に関しては他勢力のスチーム・ヘッドを凌駕している。スティンランドが脚を拾って接続するよりもファイアウォッチが欠損部位をゼロから作り直す方が早いのだ。


「再起動した……ってところですか」

 

 トレンチコートの乱れを整えながら推測を述べる。


「損傷を修復し終えたら、バックアップみたいなのが起動する仕組み? なんですかね。元エージェントのお家芸ってところです? ちょっとナめてましたね。やれやれ、二回戦ですか」


 エリゴスは兜をマウントから取り外し素早く装着した。手甲を捨て置いた。両脚があればメサイアドールにとって不足は無い。


「下がって、スティンランド。私が粉々にする!」


「ダメです。これはわたしの因縁なんです」


「……勘弁してくれ、二回も三回もねぇよ」


 ファイアウォッチはいかにも重そうに両手を上げた。


「ただでさえ時間が無いんだ。殴り合いにかまけるなんて、冗談じゃねぇ。スティンランド、お前さん、確か腰にスマートバレットを隠してるだろ。マガジンに偽装しているやつ。さっきは何でか使わなかったみたいだが……」


 スカーレットコントロールの野戦基地で製造した武器だ。


「わたしのお尻のところ、いつ見たんですか。えっち。最悪。セクハラですよそれ」


「……戦闘用スチーム・ヘッドなのに、もうあんなヘナチョコ追尾弾も振り切れねぇ。もう戦える状態じゃねぇのさ。俺が、この俺が何なのかも、はっきりと教えてやる。お前さんがた、エコーヘッドシステムって知ってるか?」


 返事はない。衛生帝国の騎士は嫌そうに肩を竦める。


「かいつまんで言えば、今の俺は、元の俺のブートレグにすぎねぇのさ。エコーヘッドってのは、緊急時に生体脳に残留していたデータを吸い上げて保護するシステムの総称だ。俺たちにはその試作型が積まれてる。欠損だらけの暫定的なバックアップを生体甲冑に格納するだけの未完成品の劣化コピーだがな。……つまりこうして喋ってるのも、人格記録が機能停止前に生体脳へ書き込んだ情報の、バーストした、その断片に過ぎねぇ。自覚は出来ねぇが……そのはずだ」


 言葉に嘘はないように思えた。

 立っているのもやっとという様子だ。

 先ほどまで超音速で拳を振るっていたとは思えない不安定さだった。


「だから、もう大したことは……プロトコル……記録保護のための避難行動を……無駄だ……。何が何だか……正直、分からなくなってきてる……ああ、くそ、やらないといけねぇことが……まぁ……バックアップなんてのは、所詮はメインの人格記録媒体ありきだからな……そんなもんだ……やらなければいけないことが……それをやれ、やるんだ……」


 ぶつぶつと呟く言葉にもとりとめが無い。

 二人に言い聞かせるのではなく自分自身と相談しているかのような口ぶりだった。


「……ふん。つまり死体から作られた、死ぬに死ねない死に損ないって言うわけね。無様で可哀相、まるでゾン……」


 ゾンビと言いかけたのだろう。エリゴスは口ごもった。兜の下でスティンランドに視線を向けて咳払いした。

 実際エコーヘッド・システムを利用して復元されたのはスティンランドとて同じことである。

 多少は技術面で優越していると言ってもデータを継ぎ接ぎにして復活した存在であることにかわりはない。


「……失礼なことを言ったわね、ごめんなさい」エリゴスは声を鎮めた。「……あなた、スティンランドに倒されたんでしょ。それが、何をしに、また立ち上がったの」


「決まってるだろ、それは……そうだ、やらなくちゃいけねぇことがある」


 ファイアウォッチは視線を二人から外した。


「やらないといけねぇんだが……何があったんだったか。スティンランド。そうだ、やりあって……俺がやられたのか? いや、待て、そっちは誰だ? Tモデル不死病筐体みたいだが、いつからそこにいた?」


「いつからって、さっきからずっといたわよ。……っていうか、わたしとスティンランドのこと、覗き見してたんじゃないの」


「知らねぇな。スティンランド、こいつ誰だ?」


「この子はエリゴスです。さっき言いましたよ」


「さっき? さっきっていつだ? まさか俺は短期記憶も保持出来ないのか……? 忘れてたまるか……思い出せ……思い出せ……俺は何をやらないといけないんだ?」


 ファイアウォッチは黙り込んだ。

 目も鼻もない装甲された頭を巡らせて礼拝堂を探した。

 偽りの月光の夜に唯一縋るべきものを探した。

 そして白痴の妖精が全身を強張らせて長椅子に腰掛けて一行を眺めているのを見た。


「……ロスヴァイセ! 俺はロスヴァイセを連れて帰らないといけないんだ。ロスヴァイセをあの教会で眠らせるんだ。よし、思い出したぞ。あとはそれをやるだけだ。大丈夫だ、思い出せる。まだ忘れてない。まだこの俺は、揮発してない……」


「何かしようというなら止めねーですよ」


 スティンランドの言葉にエリゴスはびくりと反応する。敵をみすみす見逃すのかという反感の表明だろう。しかし壊れかけたスチーム・ヘッドなど前線には幾らでもいる。現状のファイアウォッチはそうした混濁した意識の中で溺れている不死の兵士の一つのバリエーションにすぎず実力で排除する意味がどこにもない。


「そうだな。邪魔が入らない今しかねぇんだ。お前さんがたはどうする。前からのなじみってわけじゃなさそうだが、助けてくれるか?」


「あー……もうわたしたちのこと分からねーですか」スティンランドは僅かな寂寥を滲ませた。


「助けてくれるかって……」エリゴスはいよいよは困惑した。「だいたい全部だけど、あなたいったい何を言ってるの?」」


 衛生帝国の騎士は会話にならない会話を続けた。


「お前さんがた、局のスチーム・ヘッドだよな? 形式がそうだ。それは分かるが、名前が思い出せねぇ。ええと、スティンランドと……そっちは……」


「だから、私は、エリゴスだけど。あなたのハイドラを倒した、エリゴスよ。継承連帯のエリゴス」


「エリゴス。知らない名前だが……上等なスチーム・ヘッドだな。そう言えば、さっきハイドラを全滅させたとか言ってたか。あいつらはあれでも27:1で連帯の連中とトレードできて……おかしいぞ、ハイドラを何で攻撃した? 仲間だろうが? ハイドラもお前さんも……同士討ちになったのか?」


「仲間って……」


「言わなくて良い。これだけ混戦が続いてるんだ。手違いがあったんだろう。お前さんも混乱してるんだな……長いこと戦争してると、そうなるよな」


 鷹揚に頷いていたファイアウォッチの脚が力を失う。

 騎士は危ういところでふらつきながら姿勢を立て直した。


「忠告しておいてやるが、お前さん、言ってることがおかしいぞ。無理をするなよ、スチーム・ヘッドだって疲れることはある。えー、名前は……あー……お前さんは……オーレリアの姪御の……」


 どうやらエリゴスという名前を覚えられないようだった。その存在も由来も外観も仮初の蘇生を果たした彼を構成する要素に新たに書き込まれることはない。アド・スケルトンの中で人格は崩れ続けて主観的意識において未来は過去と現在から類推されるだけの概念に堕落した。人格記録が残された僅かな記憶を元にその時々で出鱈目な解釈を行っている。

 もはや譫言としか言いようがない言葉の奔流にエリゴスは後ずさった。


「ね、ねぇスティンランド、このスチーム・ヘッドに何が起きてるの?」


 少女拳闘士は口中に苦みを覚えなながら頷く。


「人格記録媒体を砕かれても、即座に人格が生体脳から蒸発するわけじゃねーのです。普通はそれでも、数十秒しか維持されねーのですが……『バックアップ』とやらが自立稼動をさせているみたいですね。記憶の断片を繋ぎ合わせただけのボットみたいなものです」


「そうだ」ファイアウォッチはスティンランドを指さした。「この時間内にどこかに身を隠すわけだな、ドミトリィ」


「違いますスティンランドです」


「そうだったな。ドミトリィの三代目の、その娘の」


「わ、わたしってそうなんですか? 親とか、実はマルボロも知らなくて……」


「あ? 俺が知るわけねぇだろ……」


「エリゴス、この人最悪じゃねーですか? 許されねー態度ですよマジで」


「なんだかお酒飲んだみたいになってるわね……」エリゴスは攻撃の構えを解いた。「あなたもだいぶん、お酒を飲んだひとみたいになってるけど」


「酒……酒を飲んだのか俺は。なるほど、だからどうにも脚がふらつくわけだ」


 応答はある。

 言葉の交換はある。

 だが会話は一切成立していない。

 ファイアウォッチの言葉は全て相手の発した言葉をトリガーにして記憶の断片から機械的に知識をピックアップしているに過ぎなかった。彼が辛うじて彼自身の精神を維持していたと言えるのは最初に二人に声を掛けたあの短い時間だけだろう。


「どうする? ……やっぱりもう一回、潰す?」


「いいえ。後は成り行きに任せましょう」


 スティンランドは首を振った。

 ファイアウォッチは継承連帯の兵士たちすらまともに認識していない。敵味方の関係すら壊れ果てた。これ以上物理的に壊して何か意味があるとは思えない。

 何よりスティンランド自身がそれをやりたくなかった。

 やりたいと願わないならどうやってもその未来は訪れない。


「後は壊れて、朽ちて、狂っていくだけ……そっとしておきましょう」


 漆黒のアド・スケルトンはふらふらとした足取りで己らが蹂躙した礼拝堂を歩いた。

 継承連帯の兵士など眼中になかった。彼は明らかにこの世界最終戦の夜を認識していなかった。どこか違う場所違う土地違う歴史の中を歩いていた。頭部の光学素子は全て長椅子に座るロスヴァイセへと向けられている。目も鼻も無い牙だけを剥き出しにした頭部を持つ異形の騎士は月光の冷たさを頼りにして荒野を這い進む盲目の巡礼者のように唯一純潔無垢なる白髪の少女を目指した。

 スティンランドにもエリゴスも議論しなかった。

 何か手出しをする余地はないように見えた。破壊しようと思えば破壊出来るだろう。だが何のために? 何の権利でもってこの全てを忘れ去っていく異邦の騎士を誅戮せんとするのか?

 男は少女の前に辿り着くと躊躇いがちに一度転んだ。あらかじめ受け身の姿勢を取ったまま転ぶという奇怪な行動だった。立ち止まる手段を忘れたのでそうするしかなかったのかもしれない。

 ぎぐしゃくと立ち上がり少女を見下ろした。


「ロスヴァイセ。帰るぞ。ロスヴァイセ。ほら……」

 

 そう言いながら彼女のか細い手を掴んで持ち上げようとする。

 不死病患者は無感情な眼差しをファイアウォッチへ向けた。人間としての思考を免除された有機物で構築された透明なレンズの両目。いくら手を引かれても彼女が自発的に立ち上がることは有り得ない。

 彼女に人格は無い。彼女に命はない。彼女に魂は無い。

 完成された不死の世界で意識は病的なノイズとして処理され全てがフラットになる。

 ファイアウォッチの呼びかけは木のうろに道を尋ねるのと変わらない。


「ロスヴァイセ。ローザ。帰ろう。帰ろう……ローザ? どうしたんだ?」


 ファイアウォッチは彼女の手を引きこそすれど他に方策を知らなかった。

 抱き上げたり肩を抱えたりする方法は忘れてしまったらしかった。

 異邦の騎士は途方に暮れて偽りの月光を仰いだ。

 虫食いだらけの屋根越しに乳白色の冠が輪転し大型海洋生物の断末魔じみた駆動音が響くのをじっと聞いていた。

 そうしてロスヴァイセの隣に腰掛けた。

 その時になってようやく彼女が滑らかな肌や肋の浮いた薄い胸板を惜しげも無く晒していることに気がついた。


「どうしたんだローザ。何で素っ裸なんだか? 酒を飲んだのか。また宴会で羽目を外したのか、いや外させたのか。あんまり感心しねぇよ、その自分に付ける値打ちの低さは。取引相手なんて適当に聖句で煙に巻いちまえば良いんだ。なにより、この寒さだぞ、風邪を引いちまうよ……」


 そしてコートを脱ぐような素振りをした。不可思議そうに己の生体甲冑の胸を搔く。

 そのうち装甲を剥がし始めた。指の関節が折れた。彼は自分が何をしようとしていたのか忘れた。ぐらりと首が揺れる。すぐに立て直す。

 体性感覚野が人格記録の残滓から消えかかっているらしい。

 もう自力で立ち上がることは出来ないだろう。


「酒を……飲み過ぎたんだな。祝い事があったんだな。そうに違いねぇや……誕生日かな……ローザ、冬の生まれだったな。お前さんの誕生日か。だから、こんなにも月が綺麗で……」

 

 偽りの月光に手を伸ばす。

 無貌の騎士の指先が空をかく。

 ぱたりと落ちる。

 騎士はロスヴァイセを抱き寄せた。


「だから、あお前さんも浮かれて、こんなところで寝ちまったわけだな……。楽しかったんだろうな。だけど、もう良いだろう。もう帰ろう。きっとスヴィトスラーフの旦那も心配してる。肌着も無しじゃ寒いだろうが、大丈夫だ、教会にはストーブも毛布もある。ベッドは今日は俺が特別に整えてやるから……」


 異邦の騎士は大儀そうに首を回してここに在るはずの無いものを探した。


「月の光が届くから、ここは屋外だよな……長椅子が置いてあるってことは……たぶんバス停だな。しかし時刻表はどこだ……? ここらのバス停は使ったことがねぇからなぁ……ああ、お前さんがた」


 声を掛けられてエリゴスは身を竦めた。

 喪われていく魂への言葉を彼女は知らなかった。

 こんな兵士はいくらでも見てきた。

 そう言い聞かせながらスティンランドは「何ですか?」と抑えた声で応えた。


「ここいらの人か……?」


「あなたたちよりは、そうですね」


「そうか。知ってれば教えてほしいんだが、ここにはどれぐらいの頻度でバスが来るんだ? 時刻表が無くて分からねぇんだ。見ての通り、連れが素っ裸になっちまってて……ああ、犯罪性はないから、警察は呼ばないでくれよ……あいつらしつこいから……なぁ、ローザ」肩を揺する。かつて肉塊の巨人を操っていた少女は目を薄く開いたままされるがままに揺れた。「この調子だ。酒が回ってるんで、とにかく、さっさと連れて帰りたいんだが、しかし次のバスまで何時間もかかるってんなら、担いで帰ろうかなと思うんだよ……」


「……どちらまで行かれるんですか?」


 ファイアウォッチは沈黙した。

 そして頷いた。


「つまり……帰るんだ。家まで。ロスヴァイセを連れて、こいつの故郷に帰るんだ。ユーラシア大陸のあの静かな森へ。俺たちの家へ。何か怖いことが起きる前に。こいつは何もかも信じすぎるからな。信じて信じて裏切られて裏切られて、それでもまだ信じる。だから俺は信じるのはこいつに任せているんだよ……。その代わりに全部の怖いことから、俺が守ってやる。そういう取り決めだ。相棒だよ。ずっとそうしてきた。思い出せないくらい……ずっとだ。だから帰る。連れて帰る……」


 騎士の人格記録はどの程度も残っていないのだろう。

 彼にはもう過去も未来も無い。

 ただ壊れていく今だけがある。

 時制は意味を為さない。

 ロスヴァイセと呼ばれたその少女への慕情だけが彼を繋ぎ止めている。


「……バスならもうすぐ来ますよ」


 スティンランドは多くの壊れたスチーム・ヘッドに対してそうするように嘘をついた。

 相手の見ている偽りの世界を想像し望まれた言葉を与えた。


「そうか」ファイアウォッチは安堵したようにロスヴァイセに寄りかかった。そしてまた己の装甲を探り始めた。「煙草……煙草をどこにやったかな……。全く、何なんだこのコートは? ポケットはどこだ……。ああ、お前さん」


 ファイアウォッチは親しげにスティンランドに問うた。


「火を持ってねぇかな?」


 少女拳闘士は無言でトレンチコートの内側の格納容器を探った。

 打撃の応酬や浸透勁の直撃を受けはしたが不朽結晶の容器は内容物を強固に保護していた。馬の刻印がされたジッポライターにも傷一つ無かった。

 着火する。火が自分の華奢な指先を熱するのを感じながらファイアウォッチへと歩み寄った。


「おお。良いライターだ」


「プレゼントなんです」


 少女はそっと彼の震える手にライターを握らせた。


「ありがとうな」と異邦の騎士は言った。「しかし、参ったな、煙草がねぇや。どこで落としたんだか……」


「シガレット・チョコレートならありますけど」


「いや。そんな貴重なものは、もらえねぇし、甘いのは好きじゃねぇんだ。ああ、煙草を吸おうだなんて考えたのが、そもそも間違いなんだな。なぁローザ、見ろよ。こんな見事な月は知らねぇだろ……」


 <発電塔>の発する禍々しい乳白色の光の円環を眺めながらファイアウォッチは消え入りそうな声で呟く。


「この空に煙なんて浮かべたら、台無しになっちまう。ローザ。ちょっとぐらいは起きて見てみろよ。とっても綺麗だ。ローザ。ローザ? ダメだな……すっかり寝ちまってるよ、俺も……釣られて……眠ってしまいそうだ……」


 ファイアウォッチはライターの火を消してスティンランドに差し出した。


「ありがとうな。返すよ。煙草なんて吸ったらこの夜が台無しだ。大人しくバスを待つよ。お嬢ちゃんも、こんな夜更けに出歩くもんじゃねぇよ。気をつけて帰りな……」


 こんな別れは珍しいものでは無い。

 だというのにスティンランドは涙を零しそうになっていた。

 口ぶりが穏やかになるともう否定出来ない。

 彼は何もかもがマルボロと同じであった。

 何もかもがエージェント・クーロンであった。

 目の前で尽き果てようとしているのは自分自身だった。

 同時に記憶の中のスティンランドが慕っていた彼女の師父そのものだった。


「……ねぇ、マルボロ、わたしが煙草を探してきましょうか?」


 返事は無かった。小さな吐息だけがあった。

 ファイアウォッチはただ気怠げにロスヴァイセの肩を抱き直した。

 それから二度と言葉を発しなかった。


「スティンランド……」エリゴスが怖々と距離を縮めてくる。「そのアド・スケルトンは……?」


「機能停止、したっす」スティンランドは無理に笑みを浮かべて首を振った。「人格はもう何も。今なら、私でも<不死殺し>をやれるんじゃねーでしょうか」

 

 少女騎士もうっすらとただならぬ因縁に気がついているようだった。


「もしかしてこの機体、あなたの同門とか……家族なのかしら? 声がマルボロにそっくりだし……」


「はい」スティンランドは涙を堪えて頷いた。「きっと、そうでした。そうだったんです。流派も同じです。わたしやマルボロと同じで、条件次第で<不死殺し>をやれます……だから、ここで殺さないと、きっと禍根が残ります……生きてていいやつらじゃ、ねーんです……本当は、殺さないといけねーのです……」

 

 だというのにスティンランドはただの一歩も踏み出せない。拳の一つも握れない。

 金色の髪をした少女は動かなかなったアド・スケルトンを前にして息を詰まらせていた。

 何かとても大切なものを壊してしまった気がした。

 エリゴスは嘆息する。

 兜を脱いだ。

 鎧の胸で優しく少女拳闘士を抱いた。

 少しだけ背伸びをしてびくりと震えるその頭をそっと撫でた。


「こんなに綺麗な月光の夜よ? 偽りでも、おぞましくても、とても綺麗な夜……。誰かを殺してしまうなんて、いちばん相応しくない夜だと思うわ。嫌ならやらなくて良い。それに、避難民の誘導が終わったら、都市焼却が始まるんでしょう?」


「……はい」


「なら、この衛生帝国の機体だって全部燃え尽きてしまうでしょう? 無理に手を下さなくたって、構わないじゃない。この子と師父さんには、このまま眠らせてあげましょう。求め合う二人が肩を並べて最期を迎える。悪いことじゃねーです。そうでしょう?」


「はい……」


 エリゴスはスティンランドに軽く口づけして穏やかに笑んだ。


「ね。そうさせてあげましょう」


「そうですね、エリゴス。それが一番良いんです。わたしにとって、いちばんのさいわいなんです」スティンランドはまなじりから涙を一筋零した。不死病患者となってからは限られた回数しか流せない涙を彼らのために捧げた。「これで良い、これで良いんです。彼の道は、こうやって終わるのが正しい……」


「さぁ、避難民たちを探しましょう!」エリゴスは努めて明るい声で告げた。「この礼拝堂のどこかにシェルターへの入り口があるのよね。急いで探さなきゃ。きっと皆怖い思いをして待っているわ!」


「……泣きべそかいてる市民を放っておくなんて、エリゴスには出来ねーでしょうね」スティンランドはどこか暗い笑みを浮かべた。「……仮に、ですよ。仮に、市民なんていないんだとしたら、どうしますか?」


「そんなはずないでしょ?」エリゴスは目を瞬かせた。「救難信号が出ているから、私たちがその確認に来た。そういう任務じゃないの」


「厳密にはそうじゃねーんですが……だけど、ここまで接近してようやくその信号の中身がはっきりしました。その救難信号には非正規のシリアルが振られているんです。機械の誤作動だって考えるのが自然じゃねーですか? ハイドラにファイアウォッチ。彼らの処理に時間を使いすぎましたし、そう結論づけて帰還した方が……」


「ここまで来て?」エリゴスは逡巡したようだった。正誤ではなくスティンランドについて考えていた。「……それもそうかもしれないわね。シェルターへの入り口を探すのも大変そうだし。こんな激戦地に市民が取り残されてるって言うのも不自然だもの。衛生帝国は市民を狙うのに、ファイアウォッチたちは市民を探してるようには見えなかった……。状況的にと誤作動の可能性が高いわ」


「ええ。だから、わたしたちも帰りましょう、エリゴス。敵の幹部らしき機体と精鋭チームを全滅させた。駄賃代わりには十分な成果です」


 そう一息に言い切ってスティンランドは踵を返し礼拝堂の出入り口に向かおうとした。

 後を追う少女騎士の前でしかし彼女は唐突に立ち止まった。


「スティンランド?」


 スティンランドが振り返った。

 そして常ならぬ光を湛えた目でファイアウォッチとロスヴァイセを見た。

 つかつかと軍靴を鳴らし苛立った様子で二人に近付いて背後に回った。


「どうしたの? お別れのキスでもするのかしら」


「まさか」とエージェント・クーロンは言った。「お別れには違いねぇが」


「え?」


「<不死殺し>、つかまつる」


 腕が振るわれた。

 鈍く鋭い破裂音が響いた。

 寄り添い久遠の静止を迎えた二人の頭部が骨格ごと弾け飛んだ。

 偽りの月光夜に破裂の雨が降る。

 乳白色の光に照らされたスティンランドの体が血と肉片に塗れた。


「何をしてるの?!」


 顔の返り血は烙印のように彼女の繊美な細面を濡らした。トレンチコートの袖で乱暴に顔を拭いその機体は吐き捨てた。


「やるべきことをやった。世界平和を願うならこいつらを生かしておく理由がねぇ」

 

 少女の姿をした拳闘士は淡々と言葉を続ける。


「どちらも調停防疫局タカ派のエージェントの成れの果てだ。ロスヴァイセの方はリストに載ってるのを見たことがある。聖歌隊計画の生き残りだ……。たとえ残骸であっても、衛生帝国に回収されれば厄介なことになる。スティンランドのやつはすぐに情にほだされる、敵地で敵相手に日和るのは悪い癖だ。まぁ不肖の弟子をこうやって甘やかしてる俺も人のことは言えねぇんだが」


 首から上が無くなった二つの死骸が前につんのめってそのまま座席から転げ落ちる。

 破裂して飛び散った頭が再生する兆候はない。

<不死殺し>は不死病の構成因子へと干渉してその結合を強制的に解除する特殊技能だ。

 殺した瞬間に相手の不死病を治してしまう奇跡である。

 ファイアウォッチもロスヴァイセももう不死病患者ではない。

 病は癒えた。

 だから死んだ。

 不死でないならば甦らない。

 首無しの肉の塊が二つ痙攣するばかりだ。

 やがて腐って無くなるだろう。不死の恩寵を失って。


 あるべき末路では無かった。

 一つの沈黙の幸福が蹂躙されて打ち捨てられた。

 エリゴスは激昂して詰め寄った。


「<不死殺し>をやったの!? 何で殺したの!? 何で、こんな……。人格記録媒体も無い、ただの不死病患者だった! 幸せそうだったじゃない! ただ二人で眠っていただけ、そうでしょう!? なのに何でこんな……。ねぇスティンランド、いったいどうしちゃったの!?」


「違う。俺はマルボロだ。スティンランドを休眠させて意志決定の優先権を切り替えた。体の規格が違うから元通りには動けねぇが、殺すだけならそれでも俺の方が得意だ」


 少女の姿をしたエージェント・クーロンは乾いた笑みを溢した。


「あいつは、こいつらを殺すんだという覚悟を、どうしても持てねぇみたいだった。無理矢理にでもこれをやらせるべきだったんだろうが、俺が交代した。俺はどうにも……ガキには甘くなるらしい。あいつを運用していた最大の目的は、こうして果たしてくれたわけだから、これ以上キツい思いをさせるのも仕方ねぇ」


「今更出てきて何なのよ……それなら最初からあなたがやっていれば……!」


「何度も試したさ。顕在化してない時でも俺の選択傾向は活きてるからな。ファイアウォッチがくたばってようやく切替に成功したってだけだ。どうやら俺とあのクズ肉は信じられないほど精神性が似てるらしい。時空間連続体が同時起動を認めなかった」金色の髪をした少女は頭をくしゃくしゃとかいて溜息を零した。「だが……もう十分だ。ここからの泥は俺が被る……。エリゴス、説法台の床下に隙間がある。偽装された出入り口だ。そこを引き剥がしてシェルターに降りるぞ」


「そんな場所にあるならファイアウォッチたちがとっくに探しているわ! ここに市民はいない!」


「気付いてるんだろう。あいつらの目的は大事なお仲間を回収することだ。生命資源の略奪じゃねぇ。俺たちとの戦闘すら、あいつらの目的外だ」少女は酷薄な笑みに皮相の色を混ぜる。「市民のことは、気付いていて、敢えて見逃してたんだよ。……俺たちと違ってな」


「……ずいぶん敵のことに詳しいじゃない……」


「言っただろ、あいつは俺の同位体だ」少女クーロンは淡々と言い捨てた。「プロトメサイアから聞かされてるんじねぇのか。俺は違う時間枝から渡ってきた存在だ。この世界には、この世界の俺がいた。そこでくたばってるアド・スケルトンのゴミが、そうだった。それだけのことだ」


「それだけのことって……」


「もちろん重大な意義がある。敵の<不死殺し>をブチ殺せたんだ。最高の気分だ……」月光から逃れるようにして少女は目を伏せている。「……昔の俺は母体と胎児の心音すら聞き分けられた。その俺の発展系であるそこのクズ肉が、風切りの音が微妙に違うことに気づかねぇなんて、あると思うか? さぁさっさと動け、新兵。任務再開だ」


「いいえ、任務は終わったわ。救難信号のシリアルは正規のものじゃない、これで調査は終了。ついでにファイアウォッチは殺した。ロスヴァイセも殺した。ハイドラたちだって、人格記録媒体を磨り潰したあと! 大戦果じゃない。もう満足でしょう? 他にどんな任務が残っているって言うの?!」


「いよいよ察しているわけか。そうか。スティンランドが何を嫌がるか考えれば、お嬢様のお前さんにもさすがに分かるか。しかしコルトの娘なだけはある。優しくて生真面目で、強くて、身内に甘くて、わがままだ」


 少女の姿をしたクーロンはシガレット・チョコレートを取り出して口に咥えた。

 その先端をジッポライターで炙る。

 甘いカカオの香りを肺一杯に吸い込みながら少女は疲れ切った様子で首を振った。


「スティンランドのやつは、やりたくないことは出来ねぇ。お前さんもそうだというわけだ。スティンランドがやりたくないと思ったことは、お前さんもやりたくない……」


「……」エリゴスはクーロンを睨みつけた。「スティンランドに何をさせるつもりなの」


「させるつもりはねぇさ。体を借りて、俺がやるんだから。……冷静に考えてみろよ。思い出せよ、お嬢さん。敵勢力の排除は、最初から任務のうちに入ってねぇだろ……。こんなのは、俺としちゃ大事な仕事だったが、戦争装置からしてみれば、偶発的な敵との遭遇を軽く……軽く、処理したに過ぎねぇ。ここからが本番だ。一つの因縁を消し去った。これで俺たちは、ようやく本来の、目の前の小さなタスクを処理出来る。本来の任務を、再開出来るんだ。さぁ、よく見て、よく聞いて、よく覚えろ。ここからが、お前さんが見て見ぬふりは出来ないと言って首を突っ込んだ、俺たちの戦場だ。市民のためと信じて求めた栄光ある戦場だ」

 

 溶け始めたチョコレートが血反吐のように漏れ出して荒れ果てた礼拝堂の割れた床板に落ちていく。

 偽りの月光の輝きでは覆いきれぬ禍々しい赤黒いその斑点を踏みつけにして金色の髪の少女は吐き捨てる。


「邪魔者はもういねぇ。『生存者がいないことの確認』。この任務を再開するぞ……コルトが待ってるからな」

 



ファイアウォッチが目指していた教会は、最終戦勃発後に攻撃を受け、彼の知らないうちに地表から森ごと消え去っています。

実のところ万事うまく行っても絶対に帰れません。

ロスヴァイセの遺骸を埋葬するとかも不可能な状態です。

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