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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション4 殺戮の地平線  世界生命終局管制機 アルファⅣ<ペイルライダー>
179/197

セクション4 人類文化継承連帯/世界最終戦 キル・オール・ザ・セイクリッドディア(6)ー3 最初の不死殺し

 スティンランドとファイアウォッチ。

 真正面からぶつりあうのは、同じ殺人者を起源とする、似ても似つかない二機のスチーム・ヘッドだ。

 破壊的抗戦機動(オーバードライブ)の倍率を抑えていても、二人の拳技の応酬に対して、音が追い付くのはあまりにも遅い。爆音も衝撃波も何光年か先の星の輝きのように遅れて届いて礼拝堂を打ち震わせる。荒れ果てたこの暗がりで研ぎ澄まされた拳打が大気を擦過し、二人の掠めた散り屑が摩擦熱で燃えて仄かに輝く。果てには灰燼漂う大気それ自体が破裂する。

 もはや屋根とは言えない廃屋の上部構造物に、偽りの月光夜。

 吐息のかかる距離で殺意を浴びせ合う二人を<発電塔>の乳白色の光は照らす。

 一撃が交錯するたびに装甲が赤熱して光を放ち、少女拳闘士と異形の騎士の落とす影を一際濃く刻み込む。

 鋼鉄すら容易く粉砕する膂力。

 命を奪う以外には何も出来ない、二流の殺人者の技巧。

 それらの総和は、触れた者すべてを死に至らしめる殺戮の小宇宙だ。

 只人がこの乱打に立ち入ろうとすることは、機銃陣地に飛び込むことにも等しい。


 不死と不死の戦いであることを勘案しても、常識外の光景である。

 戦闘用スチーム・ヘッドが戦力的に五分の状況で格闘戦を敢行するのは極めて稀な事態だ。

 そもそも不死病患者には打撃が通じにくい。人工脳髄未挿入かつ死亡回数(デッド・カウント)を重ねていない一般的な不死病患者でも、全身の全ての骨が砕けて内臓が破損したぐらいならば、半刻ほどで修復を終えてしまう。

 破損した瞬間から肉という肉が解けて絡み合い、傷を塞ぎ、骨は不死の血肉によって補填され、縫い合わされる。

 部品が破裂したり離断しない損傷は、ダメージにもならないと言って良い。


 戦闘においては、一手でも相手から奪えるなら、打撃も有意義ではある。

 しかしスチーム・ヘッドはこうした超常の再生能力を持つ肉体をさらに強化した上で装甲化しているのだ。

 通常物質では掠り傷一つ与えられない永遠に不滅であることを約束された不朽結晶製装備。

 あるいは、強度は然程でも無いが、内部の筐体を超える速度で自己再生する変異体素材の生体甲冑。

 加えて戦闘用スチーム・ヘッドは破壊的抗戦機動(オーバードライブ)その他の手段で、超音速での活動を実現する。

 不死身の肉体と無敵の装甲。神話的ですらある戦闘速度。

 この究極にして不毛なる兵士たちの勝敗は、装備状態と状況判断に大きく左右される。


 こうした特性が重なれば、徒手格闘の選択が論外であることは自明だ。

 唯一それが肯定されるのは彼我に圧倒的な性能差がある場合に限られる。

 事実として、徒手での正面切っての戦闘は、教練科目の中でも特に扱いが軽い。絶対防御(アンブレイカブル)を誇る不死同士の格闘など、よほどの性能差が無ければ文字通りの百日手になる。

 人間性が摩滅し、曖昧なイデオロギーや揮発性の高い目的意識に従って活動している、戦意の低い機体ならば、そのような不合理を敢えて選びはしない。いつ終わるか分からない泥沼の戦いは避けて進むのが正しい。拳闘以外に道が無いならば、口裏を合せて接敵した自体を無かったことにする。敵味方が明確な状況で、どうしても殴り合う他ないという状況では、両者合意の元その場での戦闘を回避するのだ。


 こうした無意味極まる衝突が有り得るとすれば、それは既知の相手との、破局の場面においてであろう。

 憎悪や憤怒が揮発するまでの僅かな時間のみ、スチーム・ヘッドは相手の顔面に拳を打ち込むことを考える。その人間的な愚劣さが発露する瞬間とは、思うまま生きることを許されず、天命による死さえ剥奪されたスチーム・ヘッドの、あまりにも少ない『自由』の一つであるかもしれない。



 凡百のスチーム・ヘッドにとって、格闘戦は惰性によって続く無意味な血肉のぶつけ合いだ。

 しかしエージェント・クーロンにおいては全く違う。

 スティンランドは極限状況でエージェント・クーロンとして戦いを続ける。掌底。踏み込んで裏拳。脚を踏みに行きながら肘打ち……。全てが分かる。全てが読める。避けられる攻撃は避ける。受けるべき攻撃は受ける。

 同じ八極の拳の遣い手だ。直撃すれば勁を通され被撃部位は弾け飛びそこからは完全無力化まで一方的に嬲られ続ける。

 しかし流し込まれた勁の捌き方など知り尽くしている。インパクトの瞬間に重心を移動させれば勁は計算通りには通らない。練り上げた勁自体が防護壁として機能する。腕を捕まえる。逃げられる。膝打ちは運動量が乗る前に爪先で蹴って止める……。

 全てが分かる。全てが読める。


『練気もままならねぇガリガリの半人前が、よくもまぁ後継機ヅラしてられるなぁ! しかも鉄も纏ってねぇ、クズ鉄未満のクズじゃねぇか!』


 罵声を聞き流しながら、スティンランドは逢瀬を楽しむ恋人同士のように体を密着させて寸勁を撃ち込む。

 そのまま装甲内部の生体の破壊を狙ったが、カウンターの崩拳に気を取られ不発。

 互いの心拍が聞こえるほどの至近距離。

 音の届かない速度。

 極限まで動作を効率化した殺しの技を打ち合う。

 全てが分かる。全てが読める……。


『やっかましいです! そっちこそ、そんな無駄に膨れあがったクズ肉を着込んで師父を名乗るなんて、ちょっと自意識過剰がすぎるんじゃあ、ねーですかぁ!?』


 狂奔の衝動と、歪んだ鏡像への憎悪が熱となり、体を疼かせ、脳髄を茹だらせる。


 実際のところ、スティンランドの人格記録はすこぶる冷静だった。相手が次に何を言ってくるのかすらおおよそ予想が付くほどだった。

 激昂するまでもない。ファイアウォッチの指摘は全く正しい。少女の肉体は、マルボロと全く体格が違う。エージェント・クーロンの技を一分の狂いもなく操るには、この不死病筐体は肉が少なすぎる。そもそも、性別が違えば筋肉のつき方から内臓の配置、根本の骨格に至るまで全てが違う。師の技の威力を完全再現するのは困難だ。

 だがそれは、衛生帝国のエージェント・クーロンたるファイアウォッチにしたところで、同じことなのだ。彼の不死病筐体は、オリジナルの技を再現するには些か大きすぎる上に、身体構造が通常の人間からかけ離れている。勁を練るのに不都合があるはずだ。

 鏡像の敵は、それぞれが呆れるほどに不完全だった。鏡の前に立つ者も、鏡の向こう側に立つ者も、本物ではない。

 彼と彼女は、お互いがエージェント・クーロンの贋造物、偽りの写し身だった。



「やっぱり、そこまで力量差がねーですね」とスティンランドは苦々しく思う。

 状況はシビアだ。傍目には凄絶極まる殴打の嵐であろう。人ならざる領域に足を踏み入れた功夫は不死の肉体にも間違いなく損壊をもたらす。低倍率オーバードライブでの何気ないストレートですら、威力は旧時代の戦車の主砲にも劣らず、恐るべきことに八極の奥義は不朽結晶の装甲奥、生身にまで直接勁を通す。

 問題は、二人が基盤としている技術が、ほぼ同じであるという点だ。

 原型が同一人物である。

 技も思考もおおよそは同じである。

 正着手には正着手を返される。フェイントも当然のように読めるし読まれるし通じない。いくら打ち合っても一つの手応えも無い。

 そう感じているのはファイアウォッチも同じだろう。

 どうしたところで、ある種の組み手や伝統的な演舞の領域から逸脱出来ない状況だった。


「――それでもわたしが強い。わたしが勝ちますよ」


 スティンランドは強く念じる。

 技量に大差は無い。

 打撃戦が成立することから、機体スペックにも大差は無いと分かっている。

 だが二つの世界の間にある差異を、彼女は見つけている。


「見た目は立派でも、わたしの()()()な外骨格の出力を押し返せねーってことは……」


 体格差は一目瞭然だというのに、曲がりなりにも殴り合いが成立している。

 奇妙だった。当初、スティンランドはファイアウォッチの筋出力を警戒していた。トレンチコートの下にアシスト用外骨格を着込んで、功夫で底上げするにせよ、純粋にパワーを重視したスチーム・ヘッドにはそう簡単には対抗出来ない。

 仮に相手の得手が極限まで力任せのものなら、彼女はろくに技も打てず、全身を引き千切られていたはずである。

 だが現実には、意外なことではあるが、ファイアウォッチは出力に重点を置いていないらしい。

 大柄になっているのは、装甲厚を重視して耐久性を高めているためだろう。


 スティンランドにはこれが何を目的としたカスタマイズなのか、もう見当がついていた。

 想像する――この分厚い装甲を頼りにして、敢えて敵に身を晒す。

 攻撃を受け止めながらどうにかして相手に組み付つく。

 そこから八極の術理に沿って勁を打つ。

 叩き込んで叩き込んで叩き込んで、とにかく連続で叩き込むのだ。

 有効かもしれないが、おそろしく強引で乱暴な戦術。相手を捕まえなければならない時点で困難だ。

 しかし、片腕だけでもロック出来ればそこはもはや功夫の支配領域。あとは、全身で生み出した勁力を一点に集中させて徹し、装甲を撓ませる。その状態から繰り返し寸勁を放ち、敵の不死病筐体へと、確実に破壊の力を徹すわけだ。

 この一連の攻撃動作を、捕まえた相手が沈黙するまでひたすら繰り返すのである。


 捨て身に近いが、ファイアウォッチはおそらくその戦術の確実な実行に特化したアド・スケルトンだった。


 通常の場合、戦闘用スチーム・ヘッドとの戦闘において、ファイアウォッチには、おそらくそれ以外の勝ち筋が存在していないと推測できる。装甲が厚いだけで攻撃器官も移動補助器官も搭載していないためだが、そう断定するのには他にも理由がある。


 スティンランドには、まるきり同等の装備を運用した経験があるのだ。

 正確には、スティンランドの先代たるマルボロが、プロトメサイアの原型機を連れて不死の荒野を放浪していた時代の蒸気甲冑が、まさにそうした仕様だった。

 自滅覚悟で攻撃を受けながら、地道に勁を徹し、心臓か脳髄を破壊したところで、人工脳髄か人格記録媒体をどうにかして機能停止させる。最悪『不死殺し』を成す。不死すらも殺せる、という自分の特性に飽き飽きしていたマルボロにとっては屈辱的だった。一か八かの賭を延々と繰り返すというのも曲がりなりにも拳法家として良い気持ちはしなかった――と、スティンランドは師の記憶を思い出す。

 しかし当時のマルボロの敵と言えば、自分よりも先進的で攻撃能力も高いスチーム・ヘッド、あるいはその成れの果ての悪性変異体だ。

 それらを確実に相手取るには、一戦ごとに全てを投げ打つ覚悟をするしかなかった。


 こちらの時間枝のエージェント・クーロンは、ファイアウォッチとして別の道を歩いたようだが、スヴィトスラーフ衛生帝国の低レベルな技術では、どうしてもそのような戦術に頼らざるを得なかったのだろう。

 皮肉なことに、違う道を歩んだというのに、履いた靴は同じものになってしまったらしい。


「どの道を進んだって、二流には二流のやり方しかねーわけですね……」


 ひとかけらの感傷が胸をよぎる。

 マルボロ/スティンランドと同じく、ファイアウォッチも敵装甲の固有振動数を割り出して敵の生体へとエネルギーを流す浸透勁と呼ばれる虚構じみた魔技を修得している。

 だが戦闘用スチーム・ヘッドとの実戦ではまず攻撃に組み込めない。少なくともスティンランドは、あのような自分でも信じられない奇怪な技を常用出来ない。極めて高度な精神集中が要求される繊細な奥義を超音速で突撃してくる相手に当てるのは、浸透勁という怪しげな技の存在、それ自体よりも馬鹿げている。

 相手に組み付けたとしても、敵は基本的に格上だ。

 いちいち内気を練って大層な必殺技を放つほどの余裕は無い。

 そうなると頼れるのはどんな状態からも放てる安定した功夫の積み重ね。

 勁を徹すなどというものは、武装も能力も不足している機体だからこそ編み出さざるを得なかった、負け犬の功夫だ。


 そもそもの話、この不死の時代、この廃滅の時代、この先端の時代――

 拳法自体、時代錯誤も甚だしい。

 不死の兵隊が、刃物や鉄砲を振り回す時代こそが時代に逆行しているという感はあるにせよ、握るのは決して折れず曲がらない不朽結晶の武器で、銃からは高性能知性弾丸(スマートバレット)が飛び出して敵を追尾して爆発する。

 この水準の環境で、わざわざ捨て身の打撃を狙いに行くのは、人格記録媒体が不可逆的に変質(フリーク・アウト)した異常機体の所行である。

 ()()()()()()()()()()()()()()()。型落ちの旧型でありながら素手で相手を破壊する能力『だけ』がある機体――そのような奇天烈な存在を想定して警戒するのは、神経症的ですらあり、仮に想定することがあっても、多くの機体は実在するとは夢にも思わない。

 この古めかしい戦闘スタイルの機体は、古い時代から蘇ってきた死を叫ぶ亡霊じみている。

 出会ったものは油断しているうちにエージェント・クーロンに殴られ、わけもわからないまま破壊されるのだ。


 ただし、それはこの戦法の実践者たるファイアウォッチ自身にすら言える。

 どんな噂を聞いていようとも、自分の発勁を打ち消す術まで身につけた、自分と同程度にどうしようもない機体と出くわすなどとは、考えていなかったに違いない。


『……ああ畜生!』

 ファイアウォッチが吠えた。

『まさかここまで()()だとはな! 思った通り面倒くせぇ! だが俺の連続戦闘可能時間は百時間超えだ、お前さんの貧相なバッテリーと外骨格でいつまで着いてこれるか、見せて貰おうか!』


 ファイアウォッチは、敵性スチーム・ヘッドの確実な破壊と連続戦闘だけを想定している。

 軽装の少女とは、いかにも持久力が異なる。

 忌憚なく桁違いだ。持久戦になれば敗北は必至である。

『だけど』とスティンランドは反駁する。


『もう気付いてるんじゃねーですか?』スティンランドはあだっぽく嗤った。『わたしは……わたしはそちらと同じ……じゃあ、ねーです。あの子ならきっとこう言う、それでもわたしのほうが強いって!』


 攻防の最中。

 スティンランドは左腕で中段からの突きを打ち込みつつトレンチコート袖のギミックを起動させた。

 バッテリー電力を消費――このオーバードライブ倍率なら、電力の融通にも多少の無理は利く。

 内部フレームのレールに沿って、電磁加速された自動拳銃が射出された。

 加速した時間の中でも遅滞なく敵の眼前に伸ばされた掌に滑り込んでくる。

 キャッチする。拳で打突すると見せかけて飛び出した銃の銃把を握り込む。

 ファイアウォッチは困惑の声を発した。


『銃!? 思い出させやがって、そうか、そのコート、冷戦時代に使ってたやつか!? 骨董品の対人暗殺装備じゃねぇか! 功夫はどうした、なんでそんな無粋なもんを素っ裸で着てるんだ!?』


『裸じゃねーですし! それに、こういう、あるはずがねーと思ってるものに、人間は対処できねーのです。これがわたしの暗殺拳! 魂の功夫! えっと、何だろう、リニア発勁・アタルモハッケカンフーガン!!』


『その変なネーミングセンスは母親譲りか!? いや過去の俺もその技やってたけど断じて功夫じゃねぇからな!』


『カッコよければそれが功夫っす!!』


 お互い軽いのは口だけだ。重々しい殺気と覚悟が互いの眼差しの先に渦巻いている。

 銃口を頭部に向けられた瞬間。

 ファイアウォッチは鋭敏に回避姿勢を取った。撃っても当たりはしまいが、回避せざるを得ない。

 ――拳銃の最大の利点は、このような形で、相手の行動を制限出来ると言うことだ。

 たいていは効かない。不意打ちでも殺せるのは三下に限られる。場数を踏んだ真のスチーム・ヘッドならば、意識外から拳銃を向けても、弾を見てから何の問題もなく回避してくる。あるいは防御してみせる。

 裏を返せば手練れでも至近距離なら()()()()()()()()()()()()()()()。銃は選択と準備を強いるのだ。実際に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 両手の袖に仕込んだ自動拳銃の弾丸の弾倉は空っぽだ。

 礼拝堂の番をしていた<ハイドラ>の三機を破壊するときに撃ち尽してしまった。

 拳銃を向けはしたが、トリガーを引いても、発射は出来ないのだ。

 展開したのは単なるブラフである。


 だが、そんなことは相手には分からない。被弾を予期した側は、想像上の弾丸に意識を奪われて、本来不要な対応を余儀なくされる。

 拳銃がいくらつまらなくて惰弱な武器でも、不朽結晶弾頭を無視するのは、あまりにもリスクが高い。

 

 スティンランドの纏うトレンチコートは、このように対人暗殺用の複合プラットフォームである。

 本来ほぼ全裸の状態で装備するものではないが、彼女はこれがオシャレだと思ってそのように着ていた。準不朽素材の布地と不朽結晶製のフレームは、破片除けや空間装甲として機能するのみならず、様々な殺人の手段を提供してくれる。

 無論、暗殺において利点があるのみで、スチーム・ヘッドとの戦闘では火力不足が否めない。ファイアウォッチと同じく、エージェント・クーロンとしての功夫がメインウェポンとなる。

 このコートがあれば、込み入った打ち合いから必殺の展開に繋げるルートを奇抜に組み立てていけるが、それだけだった。他の点では全く頼りない、それは事実だった。

 薄汚い暗殺術の隠し道具が続く間はスティンランドが有利だ。一瞬の油断を誘うための布石があれば良い。種を撒いてやれば、その花は相手の血潮で咲くだろう。

 だが、こうも言える。

 奇策で一気に畳みかける他に、師父のトレンチコートに肌を預けた少女が勝利する道は、一つも無い。


 最初に突き出した左腕の拳銃は、ファイアウォッチの回し蹴りに払われた。

 予想通りの反応。

 スティンランドは即座に右手での攻撃にスイッチ。

 同時に袖のギミックを起動。


『本命は右手の方か!』


 電磁加速してレールを移動してきた拳銃を()()()()


『はあ!?』


 弾切れの自動拳銃は、加速された勢いのままに投擲物としてファイアウォッチの頭部へ放たれた。

 ダメージにはならないが、予想外の事態に衛生帝国の騎士は咄嗟に後ずさって回避を行う。

 見切られて逆に猛然とラッシュをかけられたなら不利になったのはスティンランドだ。

 しかしエージェント・クーロンは目が良い。そして二流だ。

 切迫した状況で無意識に情報の取捨選択が出来る程の戦闘センスは無い。

 マルボロも、殺しの腕は良くても戦闘におけるセンス自体は大したことが無かった。

 違う歴史を歩んできたファイアウォッチも悲しいことだがおそらくそうなのだろうと予想していたのだ。


 予想外のタイミングで武器を手放すというのは、精鋭が相手ならば思いのほか有効な戦術だ。特に一流に至れない二流止まりの手合いにはよく刺さる。二流はいちいち考えなければ行動の裏の裏を読めない。だからこんな簡単な策にも嵌まってくれる。

 これがスティンランドであれば、さほど動揺しない。彼女は己の功夫にさほどの自負が無い。マルボロの記憶の中に居る少女は、摩訶不思議な技の数々に懐疑的な立場だった。真似をして出来ないわけではなかった。それでも奇怪な拳法を使うより普通の銃を撃つ方がよほど得意で、通じるのであれば一般的なマーシャルアーツを駆使していたはずだ。

 エージェント・クーロンを無数の殺人技巧の継承者として捉えるのであれば、技の大半が借り物だとしても、スティンランドはまさしくその精神性に相応しい人間だった。敵を殺せるなら、拳以外の道具を使うことに何の躊躇も無い。


 一方で、ファイアウォッチは異なるようだった。

 有り体に言えば、彼は視野狭窄を起こしている。

 彼の時間枝で何があったのかは知らない。だが己の手脚以外に武器を用意していないことから、はっきり分かる。

 彼は功夫(クンフー)に執着している。

 まるで自分の記憶から、どんな武器でも使う卑劣な暗殺者だった頃の記憶を削り落としたかのようだ。

 ファイアウォッチはスティンランドとは違うタイプの後継機(クーロン)だった。

 ただ拳のみを極めんとする――マルボロがなりたかった理想の姿ではあるのかもしれない。

 しかし、かつて自分が使っていた騙し技への対応力が劣化するのは、必然であろう。


『姑息な! ここでやるべきは純粋な功夫の比べ合いだろうがっ、この……ッ』


 雑言は、仲間の年を取った荒くれから聞き飽きている。

 スティンランドは威勢良く卑猥なスラングを発しようとしたファイアウォッチへと足払いを掛ける。

 鎧の脚で迎撃されて、スティンランドの脚の骨が割れた。

 脚部の損傷は手痛いが想定内。そのまま両脚で挟み込んでファイアウォッチの片脚を奪う。このまま踏みつけられれば勁を逃がせず胴体を丸ごと喪うだろう。

 だが、そうはさせない算段だ。


 スティンランドの主目的は捲れ上がったトレンチコートの裾の内側に設けたホルダーから金属質の筒を抜き取ることだ。

 その武器を垣間見たのか、ファイアウォッチの気配から狼狽が伝わってきた。

 形状だけは小ぶりの警棒に似ているがそれも銃だった。

 不朽結晶製の筒に簡易なコッキング機構を備え付けただけのあまりにもチープな殺しの道具。

 全く同じものを正式採用していた正規軍は存在しない。同類は数多くあり大抵は犯罪組織が民家のガレージで製造され、それらは鉄パイプや輪ゴムを部品としていた。

 ただ弾丸を放つためだけの筒だった。この武器には一片の誇りも存在しない。果たして人を殺すことに誇りなど必要だろうか?


携行式簡易銃(ジップ・ガン)!? 戦場にそんなチャチなもんを……!?』


『わたしは好きですよこれ。クラッカーみたいだし。だって、いつでも誰かの誕生日です』スティンランドは嗤った。『ハッピーバースデー!』


 パイプの銃口を、拘束した鎧の膝に押し付けてレバーを弾く。

 炸裂した火薬が硝煙とともに銃口から送り出すのは、息災を願う祝いの紙吹雪ではなく、穴だらけになって死んでほしいという純粋な害意だけが込められた不朽結晶製の散弾だ。

 貫通力に乏しく、スチーム・ヘッドの厳重に防護された頭部に押し付けて発射しても、弾かれるだけである。

 しかし比較的脆弱な関節部を狙えばその部位の機能を奪う程度の効果はある。

 追い打ちで不朽結晶製のパイプで膝をひしいで、数秒は歩けないように仕上げた。


『ぐっ……クソが! お前の師父は、お前に何を仕込んだ!? どんな酷い鍛え方をしたんだ! 俺が忘れた薄汚い技ばかり使いやがって!』


 片脚は潰したが、もう片脚は無事だ。ファイアウォッチが転倒するにはまだ時間的に間がある。

 スティンランドは結果的に遅れただけになった踏みつけを転がり退いて回避。

 指を床に突き刺して加速をつけ、自分自身を投げるようにして後転し、さらに距離を取る。


 膝を壊しても、功夫の使用に特化しているファイアウォッチは、呼吸で心気を整えれば戦闘を継続できる。こういった常軌を逸した不死病筐体賦活はマルボロに出来てスティンランドに出来ないことの一つだ。

 下手をすれば全身の骨が砕けても吸法によって不死病の因子を律し平然と立っていられる。


 決定打にはほど遠い。

 しかしスティンランドが欲しかったのはこの一瞬の間だ。

 腰のホルスターから回転弾倉式拳銃(コルトSAA)を抜いて構える。単純な動作だが正攻法で打ち合っていては簡単に邪魔されてしまっていたことだろう。

 残弾は三発。回転弾倉には特段のカバーをしていない。正面から弾数が確認出来るためファイアウォッチにも残弾は露見している。

 どれも不朽結晶を使った弾丸だが、射出装置が旧式拳銃をベースにしている以上、特別な効果は期待出来ない。

 だが、ここで使うべきは、もはやこの銃しかない。

 この銃でファイアウォッチを殺せないならば、相手のタフネスに押し潰されて、スティンランドは破壊されるだろう。


『銃、銃、銃で、また銃か』ファイアウォッチは侮蔑の音で吐き捨てる。『ええ、拳士の誇りはどこに行った?』


『人殺しのテクに誇りなんてあるわけねーですよ。自分が人を殺さなくても良い世界。けっきょくわたしたちの理想なんて、そんなものだったはずです。……それなのに叶わない夢をおっかけて、死ねないでいる。恥ずかしい人生です』


『それもそうか』男は嗤った。『そうだったな』


『あと拳銃だって名前に(ハンド)が入ってるし功夫です』


『それは違うと思うな』


 両者は再び間合いを詰め始めた。

 漆黒の鎧のアド・スケルトンの歩みは、降り注ぐ乳白色の光を浴びて依然として堂々としたものだ。

 膝を破壊してもリカバーは簡単らしい。

 スティンランドは前を肌蹴たトレンチコートを翼のように翻しながら飛び込んで――至近距離からの()()()()()()()という成功可能性の高い狙撃を目論んだ。

 遠間から致死の一撃を与えられる、という銃のアドバンテージは、この戦いに存在しない。

 真のスチーム・ヘッドは弾丸を見切り回避し己の腕で受けて弾道を逸らす。

 こうした条件下で銃が最も効果を発揮するのは、至近距離だ。回避されがちではあるが当たりさえすれば撃ち出された不朽結晶弾はアド・スケルトンの頭蓋程度なら易々と貫通する。

 銃は、武器としてワンアクション遅れると見做される。一面の事実ではある。しかし、触れて勁を通す手順を丸々省略出来ると考えれば、銃は十分に速い武器だ。奇襲や本来有り得るはずが無いスチーム・ヘッド同士の格闘戦に限定すれば虚飾なく必殺の武器となる。


 まずは牽制に一発。出し惜しみはしない。スチーム・ヘッド同士の戦闘は先手を取った方が常に有利だ。片脚を破壊された状態での急制動を嫌ったのかアド・スケルトンは左手の掌で受け止めて弾丸の突入を許し、弾丸を肘の辺りで上腕から逃がした。

 装甲の不朽結晶化が進んでいても高純度結晶の弾丸には敵わない。これで数秒は片腕が死ぬ。

 だが怯んだ素振りも見せず赤黒い血を吐息のように細く散らしながらファイアウォッチは前進してくる。

 衝突まであと僅か。

 金髪の暗殺者は、拳銃を握ったまま、再び打撃の応酬に挑まんとした。


 先ほどまでは互角だったが、拳銃が均衡を崩してくれるはずだった。タイミングを見計らってファイアウォッチの頭を撃ち抜き人格記録媒体(アイ・メディア)を破壊すればその時点で勝負は決まる。

 状況は優勢とは言えないにせよ、片足と片腕を潰せたのは大きい。いくらファイアウォッチが執念を燃やして身体操縦のレベルを上げて取り繕っても、精細を欠いた功夫に墜ちるのは必然。

 組み付いて頭を撃つなど造作も無い。


『……そうだな。俺が間違ってたのかもしれねぇ』


 ――予想外のことが起こった。

 攻防を前にして、ファイアウォッチは己の弾丸を受けて機能不全になった左腕の肩を掴んだ。

 それを、そのまま根元から引き千切ったのだ。


『うわっ!?』立ち止まって仰け反ったのはスティンランドだ。『何してるんです!?』


 結合する先を求める再生組織が節足動物の足のように宙に揺れているが、高度な生命管制がそれを許さない。

 何本かの神経が伸びて繋がったのみだ。

 異邦の騎士は己の腕をあたかも武具のように振り回した。

 否。それはまさしく武具なのだ。

 手首。

 上腕。

 前腕。

 三節を備えた生きた()()()()である。


『武器を用立てただけじゃねぇか。功夫は時として武器も使うものだ、お前さんだってそういうつもりなんだろ。お前さんと違って、俺のはちゃんと自分の手だし、間違いなく拳法だがな。こういうのをやるのは久々だが、さぁ来い、お嬢ちゃん。ここからが本番だ』


 己の片腕を武器として携えた異邦の騎士に少女は目を輝かせた。


『上等ですっ!』

 

 奇妙な高揚が芽生えていた。

 格闘のために作られた、決して壊れない拳銃。

 腕をもいで仕立てた生きている三節棍。

 異様極まる武器による攻防は、最初の激突よりもさらに致命的な破壊の颶風を編み出している。

 数度の交錯で分かった。

 スティンランドが圧倒的に不利となっていた。

 持久力の問題ではなく、生体三節棍の軌道が全く読めないのだ。

 焦ったり興奮したりすると判断力が大幅に鈍る、そんな二流の暗殺者なのはスティンランドとて変わらない。

 拙速にも見え空いた罠にはまり、銃口をファイアウォッチの頭部に押し付けトリガーした瞬間に、銃身を生体棍の肘関節で挟んで、銃身を跳ね上げられた。

 弾丸は明後日の方向に発射された。

 残弾は一発。撃鉄を上げる。

 一方のファイアウォッチはさらに打ち下ろして三節棍の拳で額を狙ってきた。


『うわっキモい速い、でもイケる見える止められる……うぐっ!?』


 腕で受けたつもりが頭部に衝撃。

 視界から一瞬、色が消え去った。

 生きた三節棍は神経繊維の束でファイアウォッチと繋がっている。

 それ自体が未だ機能しており、ファイアウォッチの意志で動くようだ。

 筋肉を跳ねさせて打撃を成したのだと一拍遅れて理解する。

 幸いにもこの打撃で通された勁は僅かだったが、次も軽微なダメージで済む保証はどこにもない。

 鎧腕の三節棍は、骨格が砕けているせいか精密動作は難しいようだが、武器としては破格である。片腕であることが何の不利にもなっていない。


 スティンランドどころかマルボロにもこんな奇怪な武器の記憶はない。

 ――ああ。ここにいた。わたしの知らない師を継いだわたしの知らない自分がここにいた。

 危機的状況にも関わらず、スティンランドは目を爛々と輝かせ、さらに猛襲した。

 功夫を回す。

 蒸気機関の出力を上げる。

 乱打に紛れて頭部を銃撃する機会を瞬間を狙う。

 だが、ことごとくが千切れられた腕の三節によって打ち払われる。

 

 機を逸した感触がある。

 こうなればいっそ()()()()()()()()()。戦術の主体を格闘にスイッチ。相手に射撃を警戒させつつ寸勁の連打で主要器官を破壊して機能停止に追い込むプランに切り替える。

 それも通じなかった場合に備えてコートの内側のポーチの留め具を緩めた。


 身体動作の精密性を高める。

 殴りかかる仕草で、真正面からの銃撃を狙う。

 見え見えの照準だ。間違いなく避けられるだろうが、その回避動作が命取りになる。

 相手が身を躱したならば、その瞬間を功夫の攻撃の起点にするとスティンランドは決めていた。

 果たして弾丸は――ファイアウォッチの目も鼻も無い骸骨じみた兜に、見事に命中した。

 追撃にかかろうとしていたスティンランドの金色の髪が、微かに怖気の汗に濡れる。 

 命中はした。

 命中はしたが、ファイアウォッチの行動を止められていない。

 巨大な生きた甲冑が手を伸ばしてくる。

 何が起こっているのか理解出来ない。

 

『最後の一発で回避を強制して、そこから不意打ちでもキめるつもりだったか? そう驚くなよ、人格記録だけ避けて貫通させただけだ。そういうふうに経路を造った』

 

 唖然としてしまう。

 スティンランドならば考えつくことさえ出来ない攻勢の防御である。


『……嬉しいっすね、ヒトとしての自分を捨てればこんなことまで出来る……でも、でも、わたしのほうがまだ強い!』


 もはや前にしか道は無いのだ。

 全身全霊を。

 次の一撃に――


 途端。

 視界が白く染まる。


 通じるはずも無い。

 リーチが違いすぎる。

 カウンターで繰り出された生体三節棍が少女の頭を強く打ち据えていた。

 音の追いつかない世界で頭蓋の割れる音が聞こえた。

 少女の体が動きを止める。頭が粉砕されたわけではない。だが生体脳が破損した。

 生体脳の損傷は戦闘用スチーム・ヘッドにとって致命傷足りえない。

 ほんの短い時間だが体を満足に動かせなくなるだけだ。

 だが『ほんの短い時間』は雌雄を決するには長すぎる。


 ……ファイアウォッチが生体三節棍を千切って投げ捨てるのが見える。

 攻撃が来る。体を動かせない。

 体に触れられる。コントロールを失ったスティンランドの肉体が、人工脳髄へと、無防備な腹に触れる鎧の指の冷たさを伝えてくる。

 この技は――


『あ――これ、ま、ず――』


(しま)いだ』


 金色の髪の少女拳闘士の下腹から、背中に向かって、突風の如くに衝撃が突き抜けた。

 スティンランドは、自分から熱量の塊とでも言うべきものが急速に失われたのを知覚する。

 それらは、コートの内側へとぶちまけられてしまった。

 嘔吐感が込み上げるが、胃液は吐き出されることなく、全てゆっくりと足元へと流れていく。

 太腿を伝って血と混ざり合い、ブーツを濡らしている。


 緊急修復を終えた生体脳で眼球を操作し、ファイアウォッチに触れられている腹を見る。

 何の傷もついていない。

 だが左右の脇腹から股下までの感覚が麻痺している。

 違う。()()()()()()

 錯覚でないことを、トレンチコートから足元へと止めどなく落ちて山を成す肉片が物語っている。


 生体脳が復帰しても両足が動かせない。

 腹の底に氷を詰め込まれたような怖気。


 ――歩けないのは当然だった。

 知覚出来る限りにおいて彼女にはもはや中臀筋も広背筋も存在しなかった。

 前方から見れば現在の彼女は全くの無傷だが、股関節の筋肉を周辺部位ごと喪失している。

 この状態では立っていられるだけで奇跡だった。

 全ては恐怖のためではなく物理的な問題だった。

 下腹部に感覚がないのは当然のことで――そこには何もない。


 両脚が股関節から脱落しないのは恥骨筋を始めとする幾つかの筋肉の一部が健在で尚且つアシスト用の外骨格に支えられているからで本来ならばスティンランドの肉体はその場で倒れ伏せていただろう。

 もはや呼吸すらままならない。彼女の腹部はもう無い。前面の肉体組織はそのままに腹腔から股関節までの間にある構造を完全に破壊されている。

 それらの部位に精密に勁を通されてしまった。

 彼女を身体機能を構成していた下半身の部品は、余さず破裂させられて、背中の方向へと四散した。

 まさしく致命的な一撃だった。


『う、あ……』


『俺の勝ちだな。そう睨むなよ。綺麗な顔が台無しだぞ、ええ?』


 ファイアウォッチは外見は滑らかなままの腹肉、内部を粉砕された皮膚からそっと鎧の指を離した。

 そうして放り捨てた自分の腕の残骸を見た。

 新造した方が速いと考えたのか回収せず、大義そうな動作で破壊を免れた長椅子に腰を預けた。


『折角だから浸透勁を使わせて貰った。我ながら職人芸だな。見えやしないだろうが、お前さんの胴体の腹から下は、前側の肉と背骨しか残ってねぇ。立ってる限りは美人でいられるぞ。後は尻の肉も幾らか残せたかな? 気になってたんだがお前さんはまだ生身の人間のつもりで下着を着けてるのか? それならタイトなやつを履いてて良かったな、ズレずに骨盤で止まってる。人類文化の尊厳は残ってるぞ』


『……悪趣味な潰し方……ですね……』


 まだ拳銃を落としてはいない。

 スティンランドは発狂しそうな生体脳を必死にコントロールしている。


『俺なりの敬意なんだがな。処刑であれ決闘であれ、散々やりあった相手の残骸が、例えば頭一個と脚が二本だけってのは、どうにも胸糞悪い。俺にだって美学ぐらいはある。お前さんもエージェント・クーロンだろ。殴って殺すしか能が無いったって、それならせめて殺すにあたって加減をするのが礼儀だと思わねぇか?』


『い……や……消化器官も、生殖器も、別に無くたって平気ですが……この状態は、普通に不愉快っす……お腹のなかぐちゃぐちゃにされて……撒き散らされて……それを見られるのがどんな気分か……知らねーんでしょ……』


『それは……食らったことはねぇからよ、分からねぇが』ファイアウォッチは気まずそうだった。『不愉快は不愉快だろうな。とりあえず上半身と下半身が繋がってりゃ、アシスト用の外骨格で立ってはいられる。負けるにしたって最後まで立ってりゃ格好はつく。重要だと思うがな。言ってたよな、カッコいいのが功夫なんだろ?』


 迅速に殺すことを尊ぶスティンランドの哲学とは反する。

 だが言いたいことは理解出来る。

 負かした相手が見るも無惨な姿になるのは忍びない。

 頭を潰して済むなら頭だけで済ませたい。

 殆ど自分自身との戦いにも等しい無益な戦いの結果であれば、尚更仕上げには拘りたくもなろう。


『さて、これからお前さんの人工脳髄をぶっ壊して、人格記録を抜き取って、あれこれと弄らせてもらう。悪く思うなよ。不死殺しはどの勢力に渡っても厄介だ。二度と再生しないようにしねぇといけねぇ。……何か言い残すことがあるなら、それぐらいは聞いてやるが』


『遺言なんて、あると、思います? わたしたち、同じだけど、初対面ですよ? 知らない人とは、本当話すのだって……いけねーんですよ』


『そうだろうな。俺もそう思う。だが、もしも勝ったのがお前さんだったとしとも……最後の(プシュケ)ぐらいは聞き届けてやりたいと思ってくれたんじゃねぇか』


『ふ、ふふ。そうかも、しれねーですね』

 そうだ、と信じていた。

 スティンランドは主導権を握れていなかった。

 こうなると確信していた。

『じゃあ。……うしろの……』


 スティンランドはまだ目を閉じていない。

 拳銃も捨てていない。

 ――まだ戦意を失っていない。


『後ろ? さっき捨てたジップ・ガンか? そこに落ちてるぞ。まさかあれも誰かからの贈り物か? 拾ってやろうか』


『そ……そろそろ、実時間で、さんびょう』


『あ? 何だ?』


『信管。三秒で、セットしてあります』

 

 ファイアウォッチは、少女の背後に転がる()()をようやく視認したらしい。

 先ほど使い捨てたジップガンと形状は同じだ。

 注意深く観察しなければ()()()()()()()()デザインされている。

 だが傍らに転がっているピンが正体を雄弁に示している。

 

 スティンランドは銃弾を真正面から頭で受けられた時点で、純粋な技工比べでの敗北を悟った。

 最善の手順が潰えたと理解した。

 そして、こうなる可能性にかけて、次善の策をコートのポーチから落としていたのだ。


『爆弾、いや閃光手榴弾か!』


 起爆。

 視界が強烈な光で白に染まる。

 アド・スケルトンと言えども急激な光量の変化には対応していない。

 反射的に防御姿勢を取るはずだ。

 動きが麻痺した刹那にスティンランドは最後の作業に取りかかった。

 まず破壊された下腹部の再生をコントロールする。消化器その他は後回し。彼女自身自覚しているように、娯楽以外には必要が無い臓器だ。脚も最低限動かせれば良い。呼吸機能の修繕にリソースの大部分を回す。


『無力化するなら両腕も砕くべきでした』と嘲笑う。自身も閃光に飲まれている。何も見えない。だが何度も何度も繰り返し練習した手順を肉体は覚えている。

 少女は震える手で回転弾倉式拳銃を解体していく。

 愛用の拳銃の整備など目を瞑っていても出来る。

 

 危うい賭けだった。

『自分なら』と少女は推測していた。『人殺しの技でしか自分を規定出来ない愚かなエージェント・クーロンなら――』

 またとない好敵手。

 違う可能性世界の自分自身との死闘。


 自分なら相手の遺言を何も訊かないまま無様に死なせるなんて絶対に有り得ない。


 リーチが違うのは分かっていた。

 避けられないし受けられない。

 次の一撃は痛打となる。

 勝負は決まるだろう。

 しかし()()()()()()()()

 まだ殺されない。そう予想していたのだ。


 お互いの抱く未練にこそ勝機があった。

 お互いがお互いを分かち難く感じているという妄想を信じた。


 そうして少女拳闘士(クーロン)は愛用の拳銃から本質と呼べる部品をついに抜き取った。

 金属質の細長い棒。

 エジェクターロッド。本来は排莢のために操作されるだけの変哲の無い部品だ。

 だが彼女の銃に取り付けられているそれは、あるべき実態と異なる。

 先端が鋭く尖り本来の用途では決して使えない。

【超高純度不朽結晶:破壊不可】の警告が復帰し始めた視界に浮かぶ。


 それは、地球上に存在する如何なる物質よりも強固で鋭い、一本の杭である。

 エジェクターロッドに偽装した対不朽結晶用の奥の手。

 超高純度不朽結晶の凝縮体――古い時代、『不死殺し』の名とともに恐れられた一本の杭だ。

 回転弾倉式拳銃など、畢竟、この凶器の格納容器に過ぎない。


 

 視界が回復するのは奇しくも同時。

 スティンランドは破壊された下半身の再構築を限定的に完了。

 戦闘用の機動を背嚢型の蒸気機関に搭載したマルボロの人工脳髄で演算し、身体に対し実行。

 損傷は甚大だが、今や戦闘の主導権はスティンランドにある。戦闘続行を感知して長椅子から立ち上がり突進してきた異形の騎士は、猛々しさとは裏腹に、その時点で後手に回っている。

 少女は姿勢を低くしてウェアラブル外骨格のアシストを最大出力に設定。

 さらに仮構築した下半身の筋組織を限界まで引き絞り、己が身を矢の如く射出した。

 股関節が破断。両脚を喪ったが、最後の突撃の後に脚は要らない。


 ファイアウォッチの腰に飛びつくようにして拘束にかかる。

 迎撃の膝蹴りのタイミングに合わせて、手始めに拳銃から抜き取った結晶杭でファイアウォッチの無事なもう片方の膝を破壊した。


『何だその武器は!? その杭は……何でエージェント・クーロンが聖遺物を!?』


 本来なら調停防疫局の宝物庫、あるいは最重要機密区画にあるべき品物だ。

 それがエージェントが事実上全滅した世界でクーロンに託された経緯を話す余裕はない。

 バランスを崩した異形の騎士に、渾身の勁を込めて不安定な姿勢から正拳を浴びせる。

 両脚を破壊されたファイアウォッチは、身を強張らせながら仰向けに倒れた。脚が無いのはスティンランドも同じだが、腕で体を跳ねさせ、着地を狩るようにして覆い被さる。

 そして上半身だけを操って馬乗りに似た姿勢を作り杭を振りかぶった。

 狙うのは脳髄。

 人工脳髄と人格記録媒体の座である。


『……まず、い! やめろ! やめ――』


 ファイアウォッチは無声通信で絶叫した。

 生体甲冑の掌が額を庇う。

 だが容赦なく突き込まれた結晶杭の切っ先は手甲を易々と貫く。

 止まったのは、根元まで貫通して、少女の手指がファイアウォッチの手の中に収まったからに過ぎない。

 超高純度不朽結晶製は、最強の矛だ。

 防ぐことは誰にも出来ない。


 だがまだ足りない。

 頭部を貫くにはまだ。

 ファイアウォッチは全力で彼女を撥ねのけようとしたが、どうにもならない。

 元が人ならざる身。その上に手脚がまともに機能していない状態では、勁を練るのも困難だろう。

 杭が降りてくるのを手で押し返すのがやっとのはずだ。

 むしろ、僅かでも体を捩れば、抵抗するための力が失われて、杭を止められなくなる。


『何が功夫だってんだ!? これが功夫か!? これがお前の武の極みだってのか!?』


 断じて違う。

 マルボロの功夫は、こんなに虚しく不恰好ではない。

 これは彼が捨て去ろうとしてついに受け入れた殺人者としての技の一つに過ぎない。

 ――師父の汚名に我が名を連ねる。

 スティンランドは覚悟を決めていた。

 杭から片手を離す。

 ファイアウォッチは咄嗟にそれを押し返そうとした。

 無意味だった。既に内気は練り上がっている。スティンランドは苦も無くその力に抗う。

 下半身は粗雑に直して使い捨てた。

 しかし呼吸を維持するための筋肉は強固に再構築して、まだ生きている。


 そして今や彼女の精神は、杭を握る小さな手に勁を巡らせることだけに集中していた。


 少女は拳を固める。

 杭を握る己の手へと打ち下ろす。

 ごく短時間のうち行われる急激な力の変動に、全ての生物の筋肉は対応出来ない。

 打ち下ろされるたびに、僅かではあるが杭が進む。

 防御している鎧の手甲ごと、確実に、ファイアウォッチの頭部へと押し込まれていく。

 ファイアウォッチが耳に馴染む声で絶叫した。


『やめろ……やめろ! こんなやり方でお前は満足なのか!?』


 一打。

 また一打。

 拳が打ち下ろされるたびに、杭の先端は無慈悲にアド・スケルトンの頭部の内側へと迫っていく。


『く……そ……思い出した……あの時代の技だ……古くさい、黴の生えた、最初の不死殺しどもの……ああ、最悪の気分だ……やられる側はこんな気分か! やめっ、やめてくれ……くそっ、捨て去って良かったぜ、こんな技……! こんなやり方で殺されるなんざ……まともな死に方じゃ……やめろ、こんな、こんなところで……』


 スティンランドは無言で拳を振り下ろす。

 棺桶に釘を打ち込むかの如く淡々と杭を叩き続ける。

 

『……いや、俺は、これで良いのかもしれねぇ』


  処刑台に寝かされた、己をこれから殺す刃を見ていることしか出来ない男が、呆然と呟く。


『……ロスヴァイセとは二百年も一緒だった。愛してた。愛してくれてた。たぶんな。これからも一緒だと信じてた。こいつに何かあれば、その時は俺も死んじまうんだろうなと思っていた。まさしくそうなったわけだ。ああ、くそ……あいつを助けられなかった報いだ』


 杭の先端がついに頭部に達した。

 人格記録媒体まであと一打。

 ファイアウォッチはもはや抵抗を示さない。

 眩しいものから目を背けるように、貫かれた掌をゆるく開き、顔を背けて脱力している。


『……これで、お終い、です』

 杭を掴む己の腕を改めて固定しながら少女は問う。

『何か、言い残したい……ことは……?』


『初対面の相手に遺言なんてあるかよ。……だが良いさ、お先に行かせてもらおう。あっちには……どこだか知らねぇが……そこにはきっと、ロスヴァイセもいることだろうしな。……俺もすっかり疲れちまったところだ。俺の道の終わりは、これで良い。やれ。俺を、ここで殺してくれ』


『……じゃあ、おやすみなさい、ファイアウォッチ』


『おやすみ、おやすみと来たか。はは。懐かしい挨拶だ。……おやすみ、スティンランド。達者でな』



 そして、最後の一打が振り降ろされた。


 

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