セクション4 人類文化継承連帯/世界最終戦 キル・オール・ザ・セイクリッドディア(6)-2 鏡像の殺人者
ほぼ同じ文面の長いサブタイトルが二個並んでると威圧感があったので変更しました。
スティンランドは停滞した大気へと熱い息を漏らす。冷却された吐息は少女という器から解放された途端に自分が本来何であったのかを思い出したとでも言うようにその息としての在り方を失い緩慢な速度で無意味で儚い霧霞へと変じていく。
相対するは無貌の騎士。
おぞましき衛生帝国の尖兵。
そう言い聞かせて動揺を押し殺し体幹を固めて猛打に備える。
期せずしてファイアウォッチを名乗るアド・スケルトンも同じ構えをした。
このタイミングで攻撃を仕掛けてくるなど有り得ないと分かっているのに。スティンランドは知らず引き攣った笑みを浮かべる。
――鏡を見ているようだ。
不死病の再生反応の速度は破壊的抗戦機動による関節摩耗や筋骨の破断を十分に上回っている。神経伝達効率も未だ良好。悪性変異率は誤差の範囲。血液濃縮の進行も無視出来る。
不死病筐体に問題はない。
ではどうしてこれほどまでに敵が恐ろしいのか。
スティンランドは既に答えを得た問いについて繰り返す。
認めたくない現実から逃れるための存在しない論理を探していた。
問題が起きているのは演算された人格記録だ。
金色の髪をした少女拳闘士は半ば錯乱の状態にあった。窓硝子に映り込む自分の姿が全く違う怪物に変わり果てていることに気付いた子供同然だった。
高速戦闘の余波で舞い上がった残骸が崩落した屋根から這入り込む粘つく乳白色の光を伴って降り注ぐ。まるで暴風雪に飲まれた廃屋だ。しかし屋根の向こうには王冠を戴く尖塔が高く聳える。荒野にあらず雪山にあらず降る積もるのは砂塵でも雪でもない。この異様なる相対に釣り合う不快な違和感だけだ。
敵の黒い影を睨み付ける。
途端に身の毛がよだつ程の忌避感が背筋を通り下腹を抜けて足先までを揺るがせる。人工脳髄がエラーを吐いて視界の片隅を埋めていく。それらは主に認知機能に関する警告文であり脳髄技師でも無ければ手の施しようが無い。
繰り返し思う。まるで鏡を見ているかのようだ。だからこそ相手も同じ混乱を得て硬直していると分かる。まさしく我がことのように分かる。
好機か凶兆か。踏み込めば少なくとも一撃が成立する距離である。
スティンランドは加速した時間の中で己の呼気に戸惑う。
肺を炉心とする己の功夫を躊躇う。
先制するべきだと分かっているのに足が竦む。
それどころかスティンランドはあとずさってしまう。
ファイアウォッチもまたあとずさった。
まるで鏡を……。
かたや不死であること以外に何の変哲の無い少女拳闘士。
華奢な体にトレンチ・コートの軽装。脅威度を低下させ敵の油断を誘うためだが装いは兵士よりは街娼に近い。覗く肌は乳白色の偽りの月光に淑やかに艶めき分厚い布に隠された強化外骨格と暗殺道具が起動の時を待つ。
かたや全身を生きた鎧へと置換した異形の騎士。
牙を剥き出しにした目も鼻も耳も無い奇妙な兜に有機的なぬめりを持つ全身甲冑。その有様は兵士よりは怪物に近い。偽りの月光を照り返す漆黒は暗夜に似て非人間的に輝く。人間の形をした絶滅戦争の尖兵。
何もかもが違う。
体格。性別。身体構造。
全てが違う。
同じである筈が無い。
鏡を……。
スティンランドはふと気付いて人工脳髄のエラーを改めて確認する。
生体脳の側頭頭頂接合部に異常な神経発火。
自身のボディ・イメージに関連する領域だった。
『わたしと、こいつを、わたしの生体脳が混同してる? そんなわけねーでしょ、だって、こんなにも違う……』
そうではない。見た目が違うだけ。たったこれだけしか違わない。不意に湧き上がる不快感。加速した感覚野でじわりと冷たい気配が肌を濡らしていく。
ーーまるで鏡を見ているようだ。
禍つ鏡の中の中の中の中の中の中に自分ではない自分のあってはならない幻影を見ている。
違う。違う。違う。わたしは違う。こいつとは違う。少女は必死に演算する。そうしないと背骨から力が失われてしまう気がした。
鏡像の怪物に纏わる怪奇談は枚挙に暇がない。鏡の中で自分と違う動きをする自分そっくりな異物。逆転世界の異邦から手招きをする見知らぬ誰か。自己像幻視も多くは病のもたらす『症状』に過ぎないが生み出される恐怖はコントロール不能な鏡像という異常な現象に根ざしている。人間は例外なく鏡像を恐れるのだ。鏡の中に居る自分は例外なく自分とは違う。自分と同じ顔同じ背格好をして自分と全く同じ動きをするだけの絶望的な他者だ。そして人類は自分に似ていると感じる自分と全く違うものに対して生理的な嫌悪を覚える。
ファイアウォッチ。この敵は何もかも違う。姿形しか違わない? それだけ違えばもう十分であろう。鏡像などでは断じてない。
そう確信している。
だというのに。
まるで鏡を見ているようで……。
スティンランドは先ほど殴り合った時の感触から己の推論を検証する。
スチーム・ヘッドの自己同一性とは限りなく微妙で曖昧なものだ。
媒体に記録される人格は生前の自分の複製品。あるいはアプリケーションや支援ユニットを追加された改造品。そして演算する肉体には死が無い。死の無い肉体と生者の人格が不和を起こすのは必定。そもそも赤の他人の肉体と人格記録が組み合わせられることも有り触れている。そんな状況で血反吐を撒き散らし終わりの見えない無意味な闘争に明け暮れる。自己を構成する諸要素は一瞬一秒ごとに摩滅していく。死を失った世界に生など無く生無き命に魂の居場所などない。ただそこに存在するだけで尊厳と存在の証明が損なわれ自己同一性を保証する要素は実態としては事実上この世に存在しなくなる。
同一性を求める先が形の無いものへと変わっていくのは自然だろう。料理人だったならもはや自分では食べられない料理を作る。芸術家が素体なら歓喜がエラーとして消去される状況でも血を吐いて絵筆を走らせる。家族を持っていた人間なら自分が怪物と成り果てても生前の関係性の思い出を追い続ける。
そして殺人者なら己の殺人技術に在りし日の自分自身を求める。
『そうですよね、わたしたちには、それしかねーんですから……』
スティンランドはついに認める。
まさしく鏡像の敵。
スティンランドの師にして本体であるマルボロ=エージェント・クーロンは元々は異なる可能性世界からの漂流者だ。
それではこの時空間連続体のエージェント・クーロンはどこに行ったのか? 継承連帯のリストにその名前は無くかつてそうであったように調停防疫局の名簿にも記載されていない。この世界ではくだらない傭兵らしく野垂れ死の最期を迎えたのか?
その回答が仇敵たる衛生帝国のスチーム・ヘッドとして目の前に立っている。
彼こそがそうなのだと判断する根拠は幾つかある。実際のところエージェント・クーロンという存在にとって経歴や肉体は然程の意味が無い。虚構の拳法を主体とする超越的な殺人技術を持つ機体が即ちクーロンであると言っても間違いではない。
そして、矛盾するようではあるが、クーロンと同等の技術を修得した機体は存在しない。
エージェント・クーロンは多くの点で二流だった。真髄を究めたわけでも真髄から遠く離れているわけでもない。一流なら目指せる。三流なら倣える。しかし二流の半端物を完璧に再現することは出来ない。それ故に妥協や方針転換が無い限りエージェント・クーロンの座の継承は常に前任者の人格記録・戦闘経験とセットとなる。
『……完全なオリジナルじゃねーとしても、かなりハイレベルな後継機……ただの同門や弟子とは異なる領域にいますね』
大原則として、一つの時空間連続体の隣接した領域において、全く同じ人格記録を同時に起動させることは出来ない。これは各勢力が一機の優秀なスチーム・ヘッドを何百にも増やせない理由の一つだ。事実として、同じ空間に同一存在を隣接させる実験は全て失敗に終わっている。
複製自体は可能だ。ヘカトンケイルシリーズという成功例も――アイデンティティ・クライシスによって常に不安定だが――完成している。
だがどんな個体のコピーでも、同じ場所で同時に起動させることは出来ない。クローン培養した同じ素体にオリジナルと複製の人格記録をそれぞれ載せて同時に起動するだけ。そんな単純極まりない実験すら偶発的なトラブルで例外なく失敗する。
限りなく同一の要素で構成された意識体――『同位体』と仮称される存在について、時空間連続体は真贋の区別を行わないのではないかという仮説がある。
この説が正しければ、同じ個人は同じ空間に存在出来ないのだ。
乱立する推測のうちで最も破滅的なのが、同一人物が複数存在する矛盾は、可能性世界を共鳴させて真空崩壊にも近しい観測不能な大破局を発生させるという論考だ。この共鳴崩壊仮説は『未来地点で可能性が崩壊した場合その影響は過去にまで波及し時空間連続体の綻びを解消してしまう』という修正力仮説とセットで運用されており、どれほど単純な実験でも不自然に失敗する事実から、荒唐無稽ながら確度の高い仮説として支持されている。
どうであれ、この仮説が正しいならば、エージェント・クーロンと同じ技術を持つ存在は、一つの可能性世界に一人しか存在し得ない。
並行して存在する状況になっても、未来地点から過去へと伝わる修正力とでも言うべき改変がそれらの遭遇を阻止する。
だというのにスティンランドとファイアウォッチは確信していた。
自己同一性を規定する要素が似すぎていると。
お互いが間違いなく本物であると。
忌まわしい嘘偽りの人殺しの功夫の遣い手であると。
この世界に最初から存在したオリジナル・クーロン。
異なる可能性世界から訪れたエージェント・クーロン。
同じ筈の二人が、この地点に同時に存在してしまっている。
『これは……どうしたもの……ですかね……』
共鳴して全てが崩壊するような予兆は見受けられないが、例えば真空崩壊は観測が出来ない。予兆の有無など論じること自体が無意味だ。
しかし直観は臨界に達する瀬戸際にあると告げている。
お互いが敵の中に自分を見出しているとはっきり理解出来る。
無論のこと、殺し殺される以外の関係性は有り得ない。
それでも戦闘への忌避感を抑えきれない。
鏡像が如き何者かを前にして握り締めた拳をどう打ち出すべきなのか思いつかない。
無言の緊張。
打ち合い続けたとき何が起こるのか想像もつかない……。
――停滞した時間の中で一つの呼吸が動き出す。
礼拝堂の片隅。
真っ白な髪をした不死病患者が長椅子からゆっくりと立ち上がっていた。
それから斜塔じみて傾き始めた。
『……何です?』
スティンランドはその動体に意識を割いた。
視線はファイアウォッチから外さない。周辺視野で目標を捕捉。人工脳髄で補正して不死病患者にフォーカス。動き始めた少女の有様を解析する。『エージェント・クーロンならば』と考える。第三者を使った姑息な殺しの技を幾らでも持っているはずだ。
しかし結果的には敵対の行動ではなかった。
白髪の少女は、負傷していた。
二人のエージェント・クーロンの技の応酬で撥ね飛ばされた木片が、彼女の細い首筋に突き刺さっていたのだ。
彼女の突然の行動は、苦痛から逃れるための無意識的な肉体の挙動である。
警戒する必要はあるまい。
一方で漆黒のアド・スケルトンは露骨に動揺を示した。
殺気が揺らぐ。
拳を叩き込み脳髄を破裂させるのに十分な一瞬。
だがスティンランドは体を動かせない。
そうしたくなった。
ここで殴りかかるのは間違っている。そう信じてしまった。
ファイアウォッチはスティンランドを一瞥する素振りを見せた。
そして思い切った様子でスティンランドから注意を外した。
アド・スケルトンの頭部に眼球は無いが、頭部の前面全てを白髪の少女へと向けた。
おそらく彼女の損傷の程度を確認しているのだろう。
闘志の乱れとでも換言すべき微細な痙攣を全身に奔らせた。
彼は強張った動きでスティンランドに再び向き合った。
スティンランドは何も言わず――躊躇いがちに頷いた。
漆黒のアド・スケルトンも躊躇いがちに頷いた。
そして、衛生帝国の異形の騎士は、拳闘の構えを解いた。
臨戦態勢を維持しているスティンランドが見ている前で、無防備に不死病患者へと歩み寄る。
そうしてそっと首筋に埋まった木片を抜き去った。放置していてもその程度なら自然と押し出されていたはずだがファイアウォッチはそうすることを選んだ。
愛し子をベッドに横たえるかの如くに裸体の肩を押さえ脚を曲げさせ慎重に再び長椅子に座らせた。
今この瞬間に拳銃で撃てば殺せる。
異邦の騎士の功夫の冴えは身に染みて分かっている。破壊的抗戦機動に突入しているなら弾丸を回避したり防御したりするのは容易いだろう。スティンランドに出来て同質の功夫遣いの不死をベースにしている相手に出来ないわけが無い。
だがファイアウォッチは明らかに傍らのこの少女の不死病患者へのダメージを恐れている。
咄嗟に『不死殺し』について考える。
相手もスティンランドが『不死殺し』をどの程度修得しているか当然考慮していることだろう。それでも無防備を晒すと決意した。
エージェント・クーロンは能なしの人殺しだ。
殺すことだけは得意だった。スティンランドも師たるマルボロ程ではないせよ彼の人格記録から劣化した技を引き出せる。
これら八極拳の威を狩る虚構の拳法と、スティンランド自身の相性は、実際の所あまりよくない。彼女は触れた相手を破裂させるような奇々怪々な拳法に頼らずとも通常のマーシャル・アーツで相応の破壊力を出せる。本質的には後継者たり得ない才能の持ち主だ。
二流未満ではない。
一流なのだ。
格闘技能に関してはマルボロよりも明らかに才能がある。
そのせいで二流にはなれない。
エージェント・クーロンは自分の完全な複製など求めていなかった。むしろスティンランドの原型のような存在にこそ新しいクーロンとなって欲しかったはずだ。
それでも名も無い彼女は師たるマルボロに憧れたのだろう。彼に認められようとした。彼に愛されようとした。そして分不相応なアルファⅡウンドワートの力を欲して――自滅したのだ。
完全な後継機ではないスティンランドは、本来なら『不死殺し』など使えないが、記憶の継ぎ接ぎと成り果ててからは、使用可能になっていた。
それが成せるのは彼女が支援ユニットとメイン人格記録を逆転させた特異な構造を持っていて、マルボロの人工脳髄が補助システムになっているおかげだ。
言ってしまえば借り物の奥義である。
彼の直系弟子であった過去の自分の記憶はないにせよ、伝授されたわけでも開眼したわけでもない『不死殺し』の使用には、些かならず躊躇と羞恥が伴う。
ただスティンランドには、このアド・スケルトンが、由縁の知らない白髪の少女を守れるなら、敢えて死ぬことを選ぶと理解出来ていた――どれだけ不格好でもこのタイミングで仕掛ければ殺せる。
愚昧なアド・スケルトンは、予想通りに白髪の不死病患者を庇って、死んでくれるだろう。
『……だけど、それは、やりたくないなぁ』と少女は考える。
ファイアウォッチと白髪の少女の戯れは如何にも暖かだ。人間らしさに満ちている。これが最期でも構わないという切実さ。
これを横合いからめちゃくちゃにして踏み躙る?
しかもマルボロが忌み嫌った、彼だけの技を借りて?
スティンランドは内心で嘆息する。それは駄目だ。散々に手を汚して、脚はとっくに血の沼の底を踏んでいる。しかし、エリゴスを想う。
エリゴスの前で、無辜の不死病患者を盾にして、不名誉な殺しを成したなどと、胸を張って言える自信が無い。
やるべきだとは思う。
だが、やろうとは思えなかった。
遠くに響くのはいつかどこかで受けた教えだ。冠を戴く乙女は曖昧な笑みで語った――「思ってもいないことは出来ない。願ってもいない奇跡は起こせない。僕たちの授かった力なんていうのは、所詮そういうものだよ、マルボロ」。
少女への処置を終えてからもファイアウォッチは振り返らなかった。
スティンランドと同じく内心を整理しているのだろう。相手もこちらがエージェント・クーロンであることに気付いている。
あるいは礼拝堂の外から響く罅割れた鐘の音に似た衝突音に聞き入っているようにも見えた。
ハイドラなる武装集団とメサイアドール・エリゴスの戦闘は未だ終了していない。
エリゴスは思いのほか苦戦しているようだ。
加速帯域が異なるため通信もままならない。そこに不安を感じないわけでは無いがスティンランドは眼前の怪物に集中した。
『なぁ、お前さん、取引がしたいんだが』
アド・スケルトンは、スティンランドに背を向けたまま秘匿回線を繋げてきた。
調停防疫局でかつて遣われていたコードだった。
『お前さんの目的は、俺たちを殺すことじゃねぇんだろ?』
毒気も殺気も無い声だ。
落ち着いて処理すればあまりにも聞き慣れた声。
スティンランドにとっては、愛おしくさえある。
絆されるなと唱えながら応答する。
『……それに答える義理はねーです』
『ところが、俺には借りがある』怪物は肩を竦めた。『今、見逃して貰った借りがな。お前さん、今俺を殺せたのに殺さなかったろ。その借りを返す。まぁ俺は何にも隠し立てしねぇってだけのことだが。……俺の目的はな、まさしく、こいつなんだよ』
アド・スケルトンは白痴の美しい不死の、その青ざめた頬に触れる。
『こいつは随伴歩兵も無しに何時間か前にこの都市に弾道降下して、そのまま全滅した、阿呆なゲルミル部隊の長だ。ガキみたいに見えるだろ? しかし不死になってかなり経つし、スヴィトスラーフ衛生帝国のために、兵隊を何十も作ってる。立派な指揮官で、教導者としてもベテランだ。まぁ、ベテランだからな、死にまくってる。壊されて復元されて壊されて復元されて……それでもうすっかり馬鹿になっちまってるが、衛生帝国がこうなる前からの、俺の……なんていうか、連れ合いだ』
ファイアウォッチは少女の手を触りながら『とは言っても、最後に会話した時は、もう俺のこともあんまり分からねぇみたいだったがな』と諦めたように呟いた。
『今回は何だかわけのわからねぇ任務に駆り出されて、俺は止めたんだが、まともに聞いてくれなかった。出撃を強行して……未帰還だったから、俺が自分の脚で探しに来たわけだ。ようやっと、瓦礫の山からどうにか筐体だけは探し出して、こうやって形だけ直した。見ての通り人格記録は蒸発してるが。……お前さん「残骸だけでも見つかって良かったな」と思ってるだろ』
『はぁ。残骸だけでも見つかって良かったですね。残骸も残ってないのが一番良かったですけど』
『ふむん。まぁ、口が良くねぇのはお互い様だわな。……俺たちがどういう因果で繋がってるのか正直測りかねてるが、しかしお前さん、この都市で、やたら気取ったゲルミルを見たことがあるんじゃねぇか? 真っ白な装甲のゲルミルだ。あれのプシュケ・コア、継承連帯の言葉で言うと……生体CPUだったか。それをやってたのが、こいつだ』
スティンランドの人工脳髄が僅かに熱を帯びる。
マルボロの交戦データは自身の交戦データだ。
直近の記憶は摩滅も少ないため明瞭に思い出せる。
非オーバードライブ環境とは言え、キュプクロスとマルボロを追い詰め、圧倒的な技量で優勢を維持し続けた純白のゲルミル。
あの操演を担っていたのが、白痴と化した彼女ということだろう。
魂の抜け落ちた肢体を観察する。美少女と呼ぶことに一切躊躇の要らない、いっそ虚構じみた美貌。白銀という概念から織り出されたかのような繊美を極めた造形をしており白痴と化した今も非人間的で儚い気配を滲ませている。ソドムの街に降りて愚かな市民たちに穢し尽くされたあとの天使のような退廃的な美しさ。骨肉の槍と触腕の盾を携えて勝ち誇っていたあの異形の巨人とは似ても似つかないが――言われてみれば沈黙して尚漂う張り詰めた気品にあのゲルミルと同じ質感があった。
『どうだ、中々綺麗だろ。Tモデルにも負けねぇ美人さんだ』
『そうですね、美人さんですね』
『リアクション薄いな。お前さん、もしかして、こいつの顔を前から知ってたりするのか?』
『知らねー人ですよ。綺麗だからちょっと静かにやらしい目で見てただけです』
ファイアウォッチはしばし沈黙した。
疑われているようだがスティンランドは嘘偽りを一切述べなかった。
『お前、身内にそんな、やらしい目を……いや、お前さんの身内じゃないか……とにかく……やらしい目で見るなよ……俺の……じゃなくて敵の身内をよ……。何か……何だ……、俺が嫌だから……』
『はぁ。すみません。でも、わたしってばまだ若いので、三大欲求が生きてるんですよ。美人さんに反応するなと言われても……』
『まだ若いのか? 言われてみれば所作がナマの人間っぽいもんな、そっちは。っていうかお前さんは女で……こういう女がタイプなのか? 全体的に俺とは結構違うな。……だからこそ、こうして遭遇したのか』
アド・スケルトンはようやく無貌の頭を不死病患者から外した。
『どうも、継承連帯にも俺みたいな技を使うやつがいるらしいってのは、噂で聞いてた。いざ顔を合わせてみると変な感じだ。拳を交えた感覚はともかくとして、話してみると、どこまでが「そう」なのか分かりゃしねぇ。……こいつの人格記録を潰したのもお前さんなんじゃねえかと思ったんだが、どうだ』
差し向けられた言葉に敵意は無い。
ただ諦観だけが滲んでいる。
少女には敵からそうした哀切を含んだ感情を向けられた経験が無い。
『わたしじゃねーです』
スティンランドはわずかにたじろいだ。言い訳をするように答えた。
『えっと、そのゲルミルと戦ってるときは、いま外で、そちらのおザコさん……ハイドラでしたっけ? それとやりあってるうちの秘蔵っ子が駆けつけて、潰してくれたんですよ。わたしは、もう負ける一歩手前でした』
『だろうな』衛生帝国の騎士は愉快そうだ。『何せ相性が悪い。ゲルミルはヒトっぽくないしデカいからな。殴っても壊せねぇ。俺だって模擬戦で勝てたことがねぇ。ああ、こいつは……ロスヴァイセは、ずっと俺の自慢の相棒だった』
スティンランドは次の言葉を待った。
反応を窺われていると分かる。
しかし、知らない名前だ。
『ロスヴァイセっても、分からねぇか。この銀髪娘の、局の時代からのコードネームだよ、神の愛だの救済だの、スヴィトスラーフの旦那がでっちあげた嘘くさい教義を実践して……。清楚そうな顔して、めちゃくちゃな暮らしをやってたもんだよ。住んでた教会でも、旦那の指示に従って、礼服羽織っただけの、殆ど素っ裸みたいな格好で歩いて、何のかんのして……スヴィトスラーフが正気のうちは、それでも幸せだったんだろうよ』
『えっ、それって幸せですか? 話聞く限り正気の人間がやったりやらせたりする格好じゃねーのでは?』
『こいつは祭具みたいなもんだったからな。祭具に成り切った人間だ。昔からあんまり正気じゃなかったのさ。……本格的に悲惨な目に遭わされたのは、旦那があの女に見限られて、おかしくなってからだ。聖歌隊方式だとかいう狂った練成訓練にブチ込まれて……それが終わったら、言詞操作の才があるからって、ゲルミルに放り込まれちまった。使い捨てのクズ肉とは扱いのレベルが違うにしたって、やるせねぇよ。戦いに向いている性格とは思えなかったからな。俺が必死で補佐して戦い方を教えたわけだ』
コルトや自分と境遇を重ねてしまいそうになるが、その思考は遮断する。あくまでも敵であり出方を伺うための会話だ。スティンランドは自分を殺すことに躍起になっていた。
『……向いてないにしては、だいぶ強かったですよ』
『向いてなくても聖句で直接操作するタイプのゲルミルは強力だからな。それでも連帯の戦闘用の連中には敵わねぇ。……外の戦闘音から察するに、ロスヴァイセをやったのは戦闘用スチーム・ヘッドだったんだろ? 俺もロスヴァイセも、やつらと遭遇するのは初めてじゃねぇ。ロスヴァイセの部隊が引き付けて俺とハイドラが始末する。ただ、ロスヴァイセの方はデカくて白くて強くて目立つから、連中と遭遇するたびにぶっ壊されてクズ肉にされて人格記録媒体を重点的に破壊される。そのせいで、人格がどんどん壊れて……記憶も消えていって……攫ってでも助けたやりゃよかったのに……継承連帯に亡命すれば……俺がそうしなかったせいで……』
回線越しに会話を続けながらアド・スケルトンは少女の髪を愛しげに触り続けている。
そこに愛情を見出すなと言う方が難しい手つきだ。
スティンランドは我がことのようなむず痒さを覚えた。
『……戦場で、えーと、敵の目の前で、死なない死体とイチャつくなんて、ずいぶん余裕じゃねーです?』
『逆だよ余裕がねぇんだよ。お前さんなら分かるだろ。最後かもしれねぇんだから』
『分からねーですよ。それ、恋人か何かなんです?』
『同僚。友人。無二の相棒。言い尽くせねぇよ。恋人かどうかは分からねぇ。胎の貸し借りはしたが、そんなのは俺だけじゃねぇし。衛生帝国の方針はこうだ、産めよ殖やせよ地に満ちよ、愛多きことは美しきこと……。恋だの愛だの知るかってんだ。つっても継承連帯も似たようなもんだろ。どうせ局が立ててたプランを下敷きにして繁殖の計画を進めてるんだ』
スティンランドは無言によって肯定する。
全自動戦争装置関連の中心的技術は、例外なく調停防疫局に依拠している。
衛生帝国では、元最上位エージェントのスヴィトスラーフが、永世皇帝として君臨している。
些細な違いはある。だが大筋は同じだ。
突き詰めれば、どちらも同じ組織の末裔である。
極論、人類の終わらせ方について、意見の相違があるにすぎない。
『それにしても、その言い方だと、そっちのわた……おまえ、ファイアウォッチには、子供がいるみたいに聞こえますけど』
『俺だってお前さんと同じだ。俺の技を手放すために何でも試した。その過程で自分のクローンや直系のガキを筐体に使ってみるのは当然だろ。まぁどの赤ん坊も手ずから育てたわけじゃねぇし、だいたい俺より才能豊かだったから、俺を継ぐやつも出なかったし、子供って言うのも違う気がするが。それで、お前さんは? 何て言うか、何なんだ? ……まさかお前さんこそ、実の娘が素体なのか?』
『ただの後継機っす。こっちにも、わたしたちの子供って言い切れる存在はいねーです』
『継承連帯における後継機ってどういう概念だ?』
『あー、技と経験を引き継がせるために育てられた、それ専用の人間、みたいな感じの……』
『じゃああれだ、やっぱり実子から作ったスチーム・ヘッドか』
『いいえ。……こちらのクーロンに、家族は、いませんでした。わたしは、養子ですらなかったみたいです』
スティンランドはファイアウォッチを直視していられなくなり俯いた。
ファイアウォッチは卒然とした。
白髪の少女から身を離し今度は金色の髪をした少女に向き直った。
そうして気まずそうに言った。
『……嫌になるな。俺はどっちみちまともに家族を作れねぇのかよ。すまねぇことをしたようだ』
『訳知り顔で絡んでこねーでください、馴れ馴れしい!』苛立って吐き捨てる。『さぁ、取引とやらを、さっさと説明してもらえねーですか。殺さないでいてやってるのは、聞くだけ聞いてあげようというわたしの優しさに過ぎねーのですよ』
『そう難しいことじゃねぇ。お互い何も見なかったことにしないか、ってことだ。お互いやりたいことをやって、解散。無駄な争いは一切しない。どうだ?』
『はぁ? それを飲んで、わたしに何のメリットが?』
『俺と戦わなくて良いってのはメリットだと思うがな』
『自意識過剰でしょ。クズ肉よりわたしの方が強いですし』
軽口で返してはいるが魅力的な条件ではある。
ファイアウォッチと本気で潰し合いをしてどうなるのかスティンランドには予測不能だ。装備こそが違うが力量に天地の差があるとも思えない。短期決戦に失敗すれば文字通り泥沼の戦いになるだろうし、同位体同士の戦いが何を引き起こすのか予測がつかない。
『だいたい、敵のエース二人を見逃すだなんてありえると思いますか? ロスヴァイセでしたっけ、どうせ基地に人格記録のバックアップがあるんじゃねーです? みすみす逃がして復元させたら、大失態ですよ』
『バックアップはある。しかし、これは信用の問題だが……俺はロスヴァイセを連れてこの狂っちまった衛生帝国から逃げるつもりだ』
漆黒のアド・スケルトンは強い口調で言い切った。
『ロスヴァイセの自己連続性ははっきり言って限界に来てる。今回なんかは人格記録が欠片も残ってないし、残ってるバックアップもコピーのコピーのコピーってところだ。次の復元では、至高の複雑性が、アド・ダミーに積んでるBOTと大差無いレベルに落ちる。普通ならそこで晴れて役目から解放されるが……聖句が使える分だけ末路は悲惨だ。次はおそらくアド・マザーか、工場の生産設備に組み込まれる。……俺はそんなことになるならこいつを自由にしてやりたい。純粋にして不朽の、安寧に満ちた虚無を奪われるのなら、せめて楽にしてやりたいんだ』
『そちらがそういう考えでも、衛生帝国が許すという保証はないでしょう』
『許さねぇだろうな。だからまずは俺のオリジナルの不死病筐体を奪取して、捨て去った<不死殺し>をもう一度使えるようにする。あれさえあれば俺は幾らでも殺せる。そうして仲間を殺して殺して殺して……ロスヴァイセを故郷に、あの美しかった日々を過ごした、あいつの教会にどうにかして連れて行く』
オリジナルの不死病筐体。
エージェント・クーロン本人の生体脳髄と肉体がどこかにセットであるのだと理解したとき、スティンランドの精神の方向性は一意に定まった。
この偽りの月光夜。乳白色の輝ける帷の下。
あるいはその言葉さえ聞かなければ違う答えもあったのかもしれないが、スティンランドのやるべきことは、決まってしまった。
我知らず通信用の音声を低くして問いを重ねる。
『……それから?』
『それから、なんてねぇさ。ロスヴァイセをもう二度と戦って苦しい思いをしねぇようにしてやるんだ。不死病患者はそのままの無垢でいるのが一番幸せだが……くだらねぇ使命と苦痛から永久に解放されないと言うのなら、それはただの地獄だ。あいつは罪人なんかじゃねぇ、地獄に行くよりは死んで消え去る方が良いに決まってる。俺の相棒はユーラシアの大地で永久に眠るんだ。……そして俺も後を追う。それで終わりだ。俺がやるのは、それだけだ』
『へぇ。超スーパーウルトラ偉大なスヴィトスラーフ超偉大な皇帝閣下様の超偉大な理想を裏切ってやることが、くだらねー心中ですか。ホラ話にしてはロマンチックです』
『旦那はもうダメだ。非戦闘要員まで動員しての無制限進軍なんざ承伏出来るかよ。不死病患者は文字通り生きてるだけで満ち足りて幸福なんだ……管に繋げて仮想現実を演算させればそこに楽園は在る。だから夢も見ずに殺し合いをやり続けるのは、戦士団だけって計画だったのに、何でこんなことに……』
アド・スケルトンは呻き声を吐いた。
『教えてやるよ、スヴィトスラーフはとっくに発狂してる。初志は蒸発した。自分を見捨てたTモデルのオリジンを確保して、良いように飼い慣らす。そんな妄想に囚われてて、それ以外には何にもねぇ。もちろんオリジンは全自動戦争装置の端末の中枢にいるし、あのデカブツには俺たちじゃ技術的に手出し出来ねぇ。永久に敵わねぇだろうな。なのに、旦那にはもうそれすら分からん。そもそもオリジンを確保したって、それを認識出来るのかどうか……』
『は? ま、待って下さい』
心を決めたというのにスティンランドは唖然としてしまった。
『スヴィトスラーフが発狂って……そちらが継承連帯を壊滅させても、この攻撃は止まらねーってことです? 戦争装置を破壊して、中身を引き摺り出しても、衛生帝国は目標達成を認識しないと?』
『真面目に戦争してるつもりだったなら、残念だったな。組織的には動いてるが、こっちの指揮系統はもう滅茶苦茶だ』アド・スケルトンは乾いた笑いを笑った。『何もかも終わっちまった。これこそが真実だと信じた忠誠も、これならばと支えに出来ると思った約束も、いつかは治るだろうと期待した妄執も、全部、全部壊れて、無くなっちまった……。同じ夢を見ていた同胞も皆おかしくなっていくばかりだ。成り行きで旦那について行っただけの、単なる傭兵、つまらねぇ人殺しでしかなかった俺だけが、シラフのままで、狂った時代に置いてけぼりだ』
ファイアウォッチは黙り込んだ。
無声通信だというのに嘔吐感に苦しむ息遣いが確かに聞こえた。
『……俺はもう、すっかり嫌になっちまったんだ』
異邦の騎士の嘆きは如何にも真に迫っていた。
幾度となく打ちひしがれて苦痛に喘いでいたのはスティンランドの師と言えども変わらない。
マルボロが代理演算を行っているにせよ独立性を保証されているスティンランドは決定的に他者だ。他者であるからこそマルボロがどれだけ心を痛め、妥協と変節を繰り返していたのか、より克明に読み取れる。
それは、彼女自身が健在だったころ、己の肉体に刻み込んだ哀憐の感傷でもある。
昔のわたしはきっと絶望し果てたマルボロを助けたかったのだろう、と少女拳闘士は寸時感傷に耽った。
『……ロスヴァイセを探しに来たのだって、帝国からの他の命令を全部無視してやってることだ。ハイドラの連中はそんな不甲斐ない俺を心配して勝手に着いてきただけなんだよ。お前さんには大々的な作戦行動に見えるかも知れねぇが……現実には逆だ。俺は帝国に従ってない』
衛生帝国に対する造反は、まさに実行中なのだ。その点についてスティンランドは疑わない。<ハイドラ>なる部隊の注意が散漫だったのも<吊るされた男>の降下に関心が無さそうだったのも敵味方の動向を半ば無視していたからだと考えれば納得も行く。
『改めて言う。取引がしたい。どうか信じてくれねぇか。信じて、このまま見逃してくれ。俺は俺の相棒を、ロスヴァイセを、故郷で眠らせてやりたいだけなんだ。それだけだ。他には何もするつもりはねぇ。こちらからの攻撃は一切しない。ハイドラの若い衆だって一声かければ即座に攻撃を停止する。情報提供だってしてやる。他に目的があるなら、手助けしてやっても構わねぇ。お互い、無闇に損耗する必要もねぇはずだ』
聞き届けてスティンランドは頷いた。
そして問うた。
『……オリジナルの肉体があれば、<不死殺し>が使える、ってことですよね。で、今は規格が合わないので使えねー……みたいな』
『そうだ。アド・スケルトンってのは結局は均質化が第一義の装備で、個人の資質を引き出すのとは真逆の生態甲冑だからな』
『それを聞いて見逃してくれるなんて思うのは甘すぎですよ。敵側の<不死殺し>を始末出来る絶好の機会。逃がすわけねーですよ』
エージェント・クーロンの戦闘用スチーム・ヘッドとしての性能は決して高くない。
オーバードライブには非対応。支援ユニットを増設しても衛生帝国の二流の戦闘用スチーム・ヘッドと渡り合うのが精々。もしも継承連帯製が相手なら、群れて連携しなければまず勝てない。
それでも一定の評価を得ているのは、戦歴が長く、模倣の難しい独自の暗殺技術を身につけているからだ。プロトメサイアのような超上位レベルと知己であることも関係している。
しかし公には秘されている機能が一つだけある。
それこそが彼の立場を決定づけていた。
マルボロは不死病患者を殺すことが出来る。
不死病患者を殺すのは誰にでも出来る。殺してもその後で蘇ってしまうだけだ。
マルボロが殺した不死病患者には『その後』が無い。
スティンランドはそのおぞましい能力の起源を知らない。マルボロの人格記録を読んでも核心は曖昧だ。どの時点で不死病に感染したのかも不明だった。かつて生きていたある男は、己の非才を嘆いて戦争の狂奔に身を投じて傭兵になり、作りだした死体を札束とダイヤモンドに変えてきた。人は殺せば死ぬ。殴れば死ぬ。撃てば死ぬ。刺せば死ぬ。とにかく殺せば人は死ぬのだ。
だから彼は自分が殺した人間は必ず死ぬという現象に全く気付かなかった。
人を殺し確実に命を奪ったと確信すればその通りになる。それこそが彼がいつのまにか感染していた不死病によって獲得した、特殊能力だった。
殺人に慣れ親しむ者の営為において、彼のたった一つの本物の才能は、真昼の月の如きもので、決して目立つことがない。その能力は、単に殺しの腕前が良いという以外には解釈が出来ず、やがてマルボロと名乗ることになるその兵士にも、異能の自覚がまるでなかった。
あるいは戦場で偶然出会った調停防疫局製スチーム・ヘッドを一般兵士と誤認して殺害することが無ければ、宇宙が終わっても、誰からもその異常性は確認されなかっただろう。
殺したという確信が必要だが所定の条件を踏めばスチーム・ヘッドさえも殺せる。それが故の<不死殺し>。マルボロが加速という形のオーバードライブに対応していないのはそのリソースを本質である『人を殺すこと』に奪われているためだ。
不死病は願いを叶える。力を授ける。表層意識で何を望んでいるかは関係ない。少なくとも彼は拳法や理想に殉じ仲間たちのもとに帰るための力を欲したはずだ。
だが不死病は人間じみた仮面の奥底にある人殺しの本性に強く反応した。あろうことか生物であるならば当然に獲得すべき『不死』よりも先に、永遠にして不滅なる者すら殺す、悪夢めいた力を彼に与えていた。
そうして授けられた殺人技巧は、不死病が救済としても扱われる世界では、決して祝福されるべき機能ではない。調停防疫局に所属して世界平和を夢想するようになってからは、彼は自己矛盾から己の才能を持てあました。人殺しの才能で救える命などない。救世主かもしれないと目をかけていたシィーも、マルボロの手の届かないところで、あらゆる陰謀と無関係に呆気なく死んだ。非力だったプロトメサイアを連れて異界と化した大陸を放浪したが、その際には意に反して力を濫用せざるを得なかった。飢えや争いから解放されたはずの幸福な不死病患者たちを殺して殺して殺し続けた。
不死すらも殺すという彼の特性は、不死病を利用して事業を成すあらゆる集団において掛け値なしに危険で、それと同時に有益だ。能力の発動が彼の認識に左右されるがために殺害・非殺害を選択可能という点まで含めて凶暴極まる。
ヒトの形をした全ての不死に対する鬼札。それがエージェント・クーロンだ。
とは言え、不死病を利用して貧困や疫病の蔓延と行った悪徳を消し去ろうとした衛生帝国では存在そのものが致命的な矛盾となっていたに違いない。
不死の楽園に殺し屋の居場所などあろうものか。魂の安寧などあろうものか。
スティンランドは彼の葛藤の日々に僅かに思いを馳せる。
そして内心の迷いを切って捨てた。
『おまえがどんな理路を並べても、もしも私が信じても、その逃避行が成功する可能性までは肯定されません。変節したおまえが<不死殺し>を引っさげてわたしの仲間を、市民を殺しに来る未来は、ぜんぜんあり得るままなわけです。だから……その命脈、ここで断たせて頂きます』
『そうかい』ファイアウォッチは頷いた。『そう言うと思ってたよ、娘っ子。残念だ。まぁ俺も継承連帯の<不死殺し>は消しておきたいからな。狂っても仲間は仲間。殺されて欲しくはない。……だから俺たちで殺し合いをやるべきなのかもな』
『交渉決裂ですね』スティンランドはおどけて手を上げた。『あーあ、ざんねんざんねん、かなしいなー』
『お前さん、やっぱり俺とは全然違うな。いや……というか、俺からどんな教育を受けたんだ? 何だそのシィーの嫁さんみたいな喋り方は……』
知らない人物だ。クーロンの知るシィーに妻などいなかった。手探りをするようなその呟きをスティンランドは無視した。これ以上心を傾けては簡単に彼に負けてしまう気がした。
『まぁ関係ねぇか。どうせならオーバードライブは今の倍率のままでいこう。速度比べは風情が無くてつまらねぇからな』
『良いでしょう。どちらの師父が優れているのか、はっきりさせましょう。ああ、そうそう、心配しなくても不意打ちでロスヴァイセに不死殺しを叩き込んだりはしませんよ』
『そうかい。何だよ、良い教育を受けてるじゃねぇか。……じゃあ、やろうか、俺の知らないお嬢さん』
漆黒のアド・スケルトンは再び構えた。
金髪の少女拳闘士も同じく拳を構える。
――人が死ぬのが当たり前だった時代においてすら、望み通りに死ねる者は稀だった。
不死の世でそれを成すことはいっそ奇跡に近い。
<不死殺し>とはこの世界で最も穢れた奇跡の一つである。
そして奇跡を体得した者は誰もそれから逃れられない。
二人は殺し合う。
望んだ死を、己の手で掴むために。
また二週間ぐらい経ってしまいました……。
月日の過ぎ去り方が分からない。
(6)は3で終わります、出来るだけ早く更新します。




