セクション4 人類文化継承連帯/世界最終戦 キル・オール・ザ・セイクリッドディア(6) 対機関兵士用挺身尖兵特技団<ハイドラ>
前回更新から間が空いてしまい申し訳ないです。
煌々と暗夜を暴く輝ける乳色の王冠。王冠。王冠……。祝福無き王冠の群れが音もなく回り歯車の如き連なりが目には見えない地の汚濁を挽き潰し透明な霧に変えて都市へと吹き散らしている。扉と扉の間に発生した無秩序な連結を潜り抜けていた時には感じ取れなかった空から振る燐光の焼け爛れるような凍える冷たさにエリゴスは重々しく息を吐く。新月が夜を渡る光のない荒野の道の方が余程人を愛している。<鹿殺し>なる機構の発動した都市にはそう思わせるほどの非人間的な隔絶が満ちている。
蒸気機関を一時停止させたまま偉大なる理想都市の少女騎士エリゴスは建築物の影に隠れ空模様を窺う。超高倍率の破壊的抗戦機動の天敵は急激な気象変動だ。極音速で活動する戦略級戦闘用スチーム・ヘッドにとっては雨粒一滴の抵抗すら計算を狂わせる障害となる。事前に予測出来ているならば対応は可能だ。脚が空を切ったとしても姿勢復帰までコンマ1秒もかかるまい。しかしコンマ1秒あれば無様にバランスを崩した姿勢のまま首を狩られて終わる。
そのようなくだらない<事故死>を回避するために多くの戦闘用スチーム・ヘッドが攻撃開始前に空模様を確認する習慣を叩き込まれる。
しかし今は純粋に強烈な不安感がエリゴスに空を仰がせていた。
人知の及ばぬ超越存在じみて君臨する無形の王冠の行進。
屍の都市が戴きし偽りの栄光。
焼灼された<吊るされた男>の流す血が川となり足下にまで至る。
匂い立つ血河。具足の爪先が温く冒されていく感覚に少女騎士は身を竦ませる。
言いようもなく空が不吉だ。
地に流れる不死の生き血が不快だ。
こんなおぞましい天の王冠が回転して運ぶ先に美しい朝などあるはずもない。
こんな血の川に運ばれてくる朝など見たくない。
この先に進みたくない……。
「……何を弱気になってるのよ、私は強いのよ……!」
言い聞かせる。
パン屋の扉の向こうで控えるスティンランドの眼差しを想像する。
心臓が熱を帯びる。まだ恋人とは言えないかもしれない。だが騎士はいずれスティンランドとさらに深く繋がると確信していた。
単純なものだと自分自身を嗤う。少しばかりの精神的な繋がり。戯れ程度の体熱の交換。だというのに運命を信じてしまう。少女はまだ幼かった。だから熱情を信じられる。大切な人を想うだけで錆びついていない心は自然と輝きを取り戻す。纏わり付くおぞましい未来から自由になれる。
メサイアドールは壁に甲冑の五指を突き刺し建築物の壁を登攀する。
屋根に至る手前で人工脳髄の拡張視覚アプリケーションを起動。屋根の縁から出ずヘルムだけで覗き見る。
スリットの狭間に嵌められた選択的光透過性を持つ不朽結晶製ガラスの奥で黒曜石の眼球が目標の影を捉える。
目標は肉眼で捕捉不能な距離に散在している。
肉体の眼球に映ったのは実際のところ乳白色の光を浴びる幾つかの影だけだ。
しかし人工脳髄は生体脳髄を強力に補正する。
視覚野から送られた情報は瞬時に解析・加工・補完され遠く離れた敵影をただちに鮮明化した。
まさしく怪物たちの軍隊であった。盲目の獣が牙を剥き出しにしたような独特のフェイスを持つアド・スケルトンたちは地に墜ちた<吊るされた男>の残骸を眺めながらしきりに話し合っているようだった。
三機一組で八グループ。
合計して二十四機。
弱敵ならば何の問題も無い。
スティンランドの判断通り帝国製機関兵士の集団ならば油断ならない大軍勢だ。
エリゴスの到来に気付いた素振りはない。
不自然な集団だった。戦略級の変異体である<吊るされた男>が撃墜された事実に全く混乱していない。誰しもが焼け焦げて不活性化した巨大極まる残骸を眺めているだけだ。アルファⅡウンドワートと思しき閃光が駆け抜けていった先を仰いでどこか感心したように腕組みをしている機体もいた。
身振りを交えて無声通信を行っている様子だが何か思いも寄らぬ愉快なことが起こったので談笑をしているだけ。戦略の中核を成す機体の損失をどうでも良いと考えている。
少女騎士の脳裏には彼らの緊張感の欠けた仕草から少なくともそう理解される。
とりわけエリゴスを当惑させたのは観測可能な限りにおいて武装しているアド・スケルトンが一体もいないということだ。
「どいつもこいつも、骨刀も螺旋槍も持ってない。対スチーム・ヘッド用の電磁加速式骨針銃を内蔵してそうな体格の機体もいない。ケルビムウェポンは……論外ね。あんな貧相な装備で電磁場を制御出来るなら、それは御伽噺に出てくる魔法の類だわ」
スヴィトスラーフ衛生帝国の正規スチーム・ヘッドは肉体が即ち蒸気甲冑である。加工に加工を重ねられた特別製の人体の慣れ果て。人間に似ているのは実際のところシルエットだけだ。機械的補助無しで簡易ながらオーバードライブの起動を保証されておりただ軽く蹴り上げるだけで人体を真っ二つに引き裂くことが出来る。しかし音速での衝突が常になっているスチーム・ヘッド同士の戦闘では徒手での出力など然程大きな有利を生まない。対スチーム・ヘッドに備えリーチや結晶純度で勝る外付け武器を備えるのが通常だ。継承連帯でも衛生帝国でもこの点に関して根幹となる思想は同一である。
一体や二体が非武装だとするならば理屈はつく。整備兵や補給要員が同行しているだけのことだ。
しかしアド・スケルトンの集団が揃って武器らしきものを持っていないのは異様の一言だ。
理想都市の座学では触れられていなかった未知のパターンである。
否が応でも胸騒ぎを覚える。当のエリゴスにしたところで蒸気甲冑の両膝に備えた超高純度不朽結晶製刺突槍を除けば外付けの武器は装備していない。メサイアドールほどの高級機ならではの仕様だ。
蒸気甲冑の極めて高い結晶純度。最大で五十倍の加速力。二つの要素が組み合わさる極限の領域では鎧われた己の手脚こそが最も堅牢で最も速く最も凶暴な武器となる。弾丸よりも速く走り砲弾よりも強烈な打撃を繰り出す存在が己より鈍重な武器に頼る理由は絶無。研ぎ澄まされた暴力の化身。つまるところエリゴスの武装がシンプルなのは無駄を排した結果であり彼女の美しさは無用な装飾ではなくその在り方の純粋さに由来した。
裏を返せば武器を握らない出で立ちは基本性能が他者と隔絶していることの誇示に他ならない。
では徒手のアド・スケルトンたちはどうか。
とてもメサイアドール並の高級機には見えない。
あまりの無防備さと武装の貧弱さに勝利を確信出来ない。
違和感が募るばかりだ。
「……こいつら何なの? マーカーの設置と<吊るされた男>の護衛が任務なんじゃないのかしら。まるで遊びに来た団体客みたいじゃない……何だかやりにくいわね。敵なら敵らしく、なんかこう、悪そうにしていてほしいわ、市民を拷問してるとか……」
ぶつぶつと呟いていたのは数秒のこと。
エリゴスは相手を殺すと決めた。
どうであろうと彼らの存在は邪魔だ。
灰は灰に。クズ肉はクズ肉に。
他の運命など有り得ない。あってはならない。
スヴィトスラーフ衛生帝国を鏖殺せしめることこそ継承連帯の戦闘用スチーム・ヘッドの使命だ。
蒸気機関出力最大。
破壊的抗戦機動生命管制限定解除。
認知機能補正レベル最大。
無制限攻撃開始。
爆発的加速。認知宇宙の速度が溶けた鉛の如く渦を巻いて停滞する。
戦乙女の世界から音が弾け飛ぶ。
一線級の戦闘用スチーム・ヘッドにとって秒速340mなどという数値は無価値だ。
二倍あるいは三倍でも意味が無い。超一流の領域は更なる先にある。
戦闘用スチーム・ヘッドの進歩とは畢竟先手を取れる機能の追求に他ならない。
不死病のもたらす恩寵と人工脳髄の処理速度を集約する破壊的抗戦機動の追求は『加速』という形でとうの昔に狂気の臨界点に達している。
エリゴスの優美な鎧の脚の曲線が屋根の鋼板を踏みしめてぶち抜いて砕き割って破裂させるが進路状にある全ての構造物は自分が破壊されたことにも気付かず巻き上げられた土埃と踏み砕かれた瓦礫の奔流も建物を軋ませる破裂した空気の渦もエリゴスが駆け抜けた後に訪う。
最初の一匹と見定めた目標はまだ動かない。対抗オーバードライブを搭載していたとしても極音速で飛来する少女騎士と同等レベルまで即座に加速するのは不可能だ。それほどにエリゴスの戦闘機動は高速で鋭い。理想都市の申し子たるエリゴスほどの機体ならば超音速を維持したまま機銃陣地の弾幕を真正面から擦り抜けていくことすらも容易かった。
一直線に飛び込んで無防備な敵影へ食らいつかんとする超音速の殺戮者の目には一分の慈悲も無い。
スチーム・ヘッドの戦闘は先手必勝。閃光じみたウンドワートのような出鱈目な戦闘速度でなくても構わない。セオリーとしてゼロコンマ1秒でも早くオーバードライブに突入した側が有利だ。
人格記録媒体を先手で抉り抜いた機体が常に勝つ。
王冠の見下ろす摩天楼を跳ねあるいは地を這うような姿勢で疾走して猛襲する姿は優美の二文字からかけ離れて異様であり野獣じみて粗野である。それ故に圧倒的だった。最も近距離にいた衛生帝国製機関兵士にすら音速突破のソニックブームに気付くだけの猶予も許されない。
彼が最後に感じたのは飛びかかってきたエリゴスの手刀によって目も鼻もない装甲化された頭部を叩き割られる感覚だが生体脳髄は自分の身に降りかかった致命的破壊を認識出来ない。というのもエリゴスは既に脳髄から人格記録媒体を引き抜いて握り潰しており感じるべき主体がアド・スケルトンから消滅しているからだ。
メサイアドールは敵の血飛沫が呪わしいライスシャワーとなって己の身に降り注ぐ前に乳白色の呪われた王冠の回転する空の下に身を躍らせ舞うような身軽さで屋根を蹴る。全く減速せず膝の不朽結晶槍を持ち上げて次の目標の腹へと刃先を突き入れそのまま開脚しながら側転し犠牲者を上下に引き裂き飛び上がって着地するよりも速く膝蹴りの要領で頭部を貫いている。
弱敵。如何にも弱敵。殺戮の高揚が演算された偽りの魂を甘く貫く。
『行ける……!』
連続最高加速時間を超過するまでに二十四機のうち二十機までは破壊する算段がついた。
内心で息巻く。オーバードライブに伴う身体破壊の苦痛のノイズに抗いながら確信する。
五十倍加速は彼女の最高速度だ。維持出来るのは数秒に過ぎず再使用にはクールダウンを待つ必要がある。鬼札である最大倍率でのオーバードライブをどのタイミングで切るかに戦闘用スチーム・ヘッドとしてのセンスが現れる。
私は強い。エリゴスは言い聞かせる。最良のタイミングで切り札を使った。他のスチーム・ヘッドよりも判断が速い! 速くて強い、だって私は強いから! 必死に自分を鼓舞する。仮想空間での模擬戦でも机上演習でも二十四機ものスチーム・ヘッドと戦ったことはない。言い聞かせなければとても自分を信じられない。
事実として奇襲は完全に成功していた。一方的に五十倍加速の領域に達した機体をオーバードライブ前の機体が迎撃するのは不可能。
性能差は歴然。ならば単純明快な戦闘理論こそが最良。
初手にて圧倒的な速度とパワーで押し切ってしまえばそれで足る。
しかし三機目のアド・スケルトンの破壊に取りかかったとき異変に気付いた。
勝利の確信が急速に遠のくのを感じた。
三機目はいつのまにやらゆっくりと手を持ち上げていた。
あたかも円弧を描くような奇妙な構えを取っていた。
防御とも攻撃の予備動作ともつかない。
最大の問題は相対的に静止しているべき敵が確かに動いたという事実だ。
『対抗オーバードライブ!? 五十倍の領域に入ってきたって言うの……!?』
否である。少女騎士の人工脳髄に保持された冷静な思考領域が分析を開始する。
おそらく眼前のアド・スケルトンは状況をまだ理解出来ていない。生体脳に流し込まれた人格記録は機械的な補助無しでは生身の人間と動揺のスケールでしか世界を認識しない。だが人格を演算する人工脳髄は別だ。人工脳髄は機械たちの時間を生きている。それだけでは願い一つ叶えられない魂無き道具にすぎないが情報処理速度だけを抜き出せば性能は人体を超越している。
アド・スケルトンたちは人間の認知機能では対応不能な速度で接近された場合に備えて全自動で防御動作を実行するよう人工脳髄にインプットしていたのだとエリゴスは判断する。
あさしく予想外の防御だ。強化型の字を与えられるに相応しい抵抗力。
それでもこのまま食い破れる自信はあった。
脳内麻薬に支配されたエリゴスの脳髄は獰猛に三体目を屠ろうとした。
突如として違和感を覚える。
それは怖気にも似た混乱。
ミニマルに構えられた両の腕。
腰を落とし身を撓ませるような泰然自若とした防御姿勢。
見覚えがある。
エリゴスは同じ構えを間近で見ている。
否が応でも脳裏を過る。
どうしようもなく似ているのだ。
装甲輸送車の車内で愛しい少女がはにかんで見せてくれた。「これは大昔にあった格闘技の一種なんですが……エイチポイント、あー? 何だっけ……ハッキョクケンとかいうやつらしいです」
『まさか……エージェント・クーロンと同じ……? ……こいつらの得手は、まさか彼女たちと同じ、純粋な格闘戦!? あんな馬鹿げた、嘘みたいな戦闘スタイルの機体を確立させてる機体が、スヴィトスラーフ衛生帝国にもいるの!?』
スチーム・ヘッドは白兵戦を重視する。だが徒手での格闘だけを主眼に置いた構築を好む者はいない。
最も選択されるのは剣や鈍器の類だ。銃は選ばれない。音速を超えて活動する兵士からしてみれば銃弾など避けて当然。当たらない。当てられない。オーバードライブでも避けようのない速度で弾丸を放つ電磁加速砲等実用に耐え得る武器はあるが機動力や持久力とのトレードになる。
そもそも蒸気甲冑の不朽結晶素材は同等以上の不朽結晶を使わないと破壊が出来ず不朽結晶はそう簡単に使い捨てられるような代物ではない。リーチを補う必要性と合わせて不朽結晶で構築した時代遅れの剣刀や鈍器を振り回すのが一般的になってはいる。そんな環境で徒手空拳を選ぶのは現実的ではない。
だがそれだけが精緻な格闘技能が発達しない理由ではない。スチーム・ヘッドはその時代錯誤な甲冑と武器故に騎士と形容される場合もあるが『術』に類する技能は数百年前の実在の騎士に比肩するものでは決してない。
死なない体と核兵器の直撃にも耐え得る装甲で極音速の戦いを繰り広げる彼らに武の理は無用。一撃必殺・先手必勝の理念が全てと言えば聞こえはいいが実態は異なる。
まばたき一つより速くオーバードライブを起動した側が勝利する。そんな単純極まりない原則が支配する世界で求められる思考は極音速での身体動作とゴー/ノーゴーの状況判断のみ。得手不得手以前に小手先の技を研究・実践する余裕が無いのだ。より根本的な問題として拳が通じる相手なら加速して殴ればそれで終わりという切実な現実がある。
様々な要因が重なって格闘技は無価値となっている。
それがためにエリゴスの目の前に現れたのは紛れもない異物だった。
あるはずのない技術。
普及するはずのない無意味な戦闘技能を備えて異貌の怪物は佇んでいる。
恐ろしかった。
知識の中にいるどの衛生帝国変異体よりも眼前のアド・スケルトンの方が気味が悪いと思えた。
『それでも、まだ、私が速いっ!』
エリゴスの拳が真っ直ぐに突き込まれる。
相手の腕ごと頭部を粉砕する。
何が格闘技か。何が拳法か。どんな術理も知覚不能な速度での破滅的な一撃は受け止められない
しかし防御を打ち抜くために確実に想定以上のエネルギーを奪われている。
雨の一滴で機動が乱れる五十倍加速の領域。絶妙に急所への攻撃を阻害する位置に置かれた手脚は路上に飛び出してきた大岩にも等しい。次の建物へ飛び移る。踊るように身を翻す。四機。五機。六機。屠る。千切る。潰して砕く。七機。八機。九機。一手で終わるはずの破壊に三手を奪われる。次の建物へ飛び移る。踊るように身を翻す。少女騎士は状況判断を繰り返す。十機。ごく僅かな装甲の傾斜が必殺の一撃の邪魔をする。僅かながら防御姿勢の変化が始まっている。十一機。対抗オーバードライブの加速倍率が上昇している。あるいはエリゴスのオーバードライブの加速倍率が低下しつつある。十二機……。少女騎士はガードの腕から拳を叩き込もうとする。知覚出来る限りでは既に敵機は全てオート・カウンターの姿勢に入っている。だが防御だけだ。
本格的なオーバードライブはまだだ。そのはずだ。
五十倍加速を維持するのは限界だ。ほぼ全機を撃破して趨勢を一息に決してしまうという目論見は崩れたがアド・スケルトンの三機編隊。全二十四機。その半数を削げたならば十分な戦果だ。
そして弱敵と言えどもエリゴスは数で劣る。万が一は排除しない。この状況で粘る必要は無い。急速離脱して身を隠しクールダウンを待って再加速。その後再びの最大加速で残敵を掃討する。
あとは先行して不明な救難信号の確認のため礼拝堂に向かったスティンランドと合流して当座の戦闘は落ち着く。
――そう考えている最中。
エリゴスの拳がアド・スケルトンの腕をひしゃげさせた瞬間。
敵の五指がエリゴスの腕を掴んだ。
『なっ……!?』
無声で驚愕しながらも空いている片方の手でアド・スケルトンの頭を叩き割る。
だがアド・スケルトンは手を離さない。
キチン質の甲冑が硬く腕を掴んで掴んでいる。
少女騎士は自分が致命的な誤解をしていたことに気付いた。
衛生帝国の異形の兵士の目的は防御ではない。
おそらく彼らの人工脳髄にプリセットされた動作は『接触を感知した時、手で掴んで捉える』だ。己が身を犠牲になろうとも敵の機動力を一瞬でも長く削ぐ。それが目的なのだ。
相手が数に任せて相手を押し切ることに特化した異常思想集団であるならば当然想定しておくべきだった。
敵の手首を切断して捕縛から逃れるが驚愕による思考の停止と足止めの効果で限られた最大加速時間は確実に削られていた。
状況は悪化し続けている。これまでは完全に敵の反応速度を超えた速度での攻撃に成功していた。現在も敵はエリゴスを正確に視認出来ていないはずだ。しかし殴られた瞬間にそのダメージに反応して掴みかかることが可能な程度には加速が進んでいる……。
拡張された視覚に人工脳髄からのシステムメッセージが表示される。
> 最大加速、限界時間に到達。
> 減速開始。
『ああもう、うまくいかないものね!』
蹴飛ばされたかのような衝撃が蒸気甲冑に奔る。停滞していた空気の流れが視認出来るレベルまで認知機能の加速が解除されていく。
置き去りにしてきた時間が少女騎士に追い付いたのだ。
加速倍率が急激に低下した世界でアド・スケルトンたちが同速での運動を開始していた。
二十倍の加速倍率ならば全く問題なく対応可能らしい。
エリゴスは歯噛みする。最後の余力で離脱する予定だったが十二機目にその猶予を奪われた形だ。
恐ろしいことに半数を一瞬で破壊されたというのにアド・スケルトンの軍勢は依然として冷静なままだ。
共通帯域に彼らの無声会話の電波が混じり始めた。
『やっと加速が届いた。いや相手が遅くなったのか』
『何人やられた?』
『分からんが半分ぐらいじゃないか』
『速すぎないか? こいつがさっきの<銀の弾丸>の中身か?』
『いやー、さすがにこいつは、あれよりはレベルが低いだろ。現に今は目で追える。リミッター切ってられるのは3~4秒ぐらいが限界っぽくね?』
『こっちでも目標を捕捉。……何だあいつ、やけに綺麗な甲冑だな。ロスヴァイセの姉御の礼服を鎧にしたような感じだぞ』
『っていうか、何か知らない形式の機体じゃないか? こいつ所属どこだ? エンブレム見えるか?』
『全身がエンブレムっぽい……いや彫刻してあんのか。へぇー。コスト高そうだなぁ。とんでもない上物だ。狩れれば今回の独断専行と命令無視を相殺出来るぞ』
『バカみたいな話をするんじゃねえよ。こいつ狩らないと師父のところまで行っちまうだろ』
『つっても師父のが強い。見たとこカンフーが雑だぜ、技量勝負なら師父が上だ。あの人なら鹵獲して<教育>するのも楽勝だろうな』
『たぶん女だよな? 鎧剥いてみてー。ナマの人間ぜんぜん見てないし。現場突いたら解体後のモツしか落ちてねーんだからつまんねーことこのうえねー。Tモデル結構好きなんだよオレ』
『お前たち黙れよ、師父に怒られるぞ。卑猥な妄想もやめろ。とにかく師父の手を患わせるな、残ったメンツだけでやるぞ』
『何なの!? こいつら緊張感が全然なくない!?』
聞こえてくる会話があまりにもだらしがないためエリゴスは困惑した。
それでいて全機が一分の乱れもなく同調して殺到してくるのだから違和感が凄まじい。
どうであれ逃走を許してくれる相手でもないと少女騎士は判断する。壊滅的な被害を受けても余裕の姿勢を崩さないのは紛れもなく強者の証だ。
しかし問題ない。一対十二の状況となるが彼我の戦力差は依然として甚大。ただ一機であるはずのエリゴスの性能が隔絶して高い。全身を高純度不朽結晶で覆ったメサイアドールには重砲の直射すら通じない。
徒手での格闘しか攻撃手段がない機体などそもそも敵では無いのだ。
『おいおいおい、どうした、逃げないのか継承連帯!』とアド・スケルトンの一機が呼びかけてきた。『逃げても良いんだぞ、何しようがお前の行き先は教育センターか不朽結晶生産設備だがな!』
『貴様らクズ肉に見せる背中は無いわ』エリゴスが吐き捨てた。『自分がどんな色の土を見つめて消えていくのか。それだけ想像していなさい』
十二機のアド・スケルトンに取り囲まれても王冠の光を全身に受けながらメサイアドール・エリゴスは悠然とその美麗な装甲を晒して佇んでいた。
敵が最大加速についてこれないのは分かっている。クールダウン終了まで防御に徹するだけで勝てる。この都市はただでさえ時空間が不安定に歪んでいるのだ。
敢えて逃げ隠れするより真正面から攻撃を捌きつつ反撃し敵の頭数を減らし続けた方が安全で合理的だ。
全方位からの集中攻撃を予期しながらエリゴスが脚を上げ膝の不朽結晶槍での刺突を準備しているとアド・スケルトンに動きがあった。
目配せするような仕草で顔を見合わせたあと三機だけが前に出てきた。
『一番槍、頂くぜ。緊張するなぁ。名誉ではあるが怖い怖い』
『師父の名に恥じんようにやるぞ。死んでもまだ同門は残ってるんだ、命を捨てて攻めていこう』
『継承連帯のスチーム・ヘッドは我々の三倍強いぞ……。教え通り、数的優位を怠るな』
『……?』エリゴスが首を傾げる。『いいから十二機まとめてかかってきなさいよ、クズ肉ども』
『もちろん総力戦さ』一機が応じた。『嬲り殺しにしてやる。精々楽しみな』
不意打ちを警戒するまでもなくその三機が動き出した。
残りの九機は遠巻きに観戦しているだけだ。
対応の奇怪さに眉を潜めながらも応戦する。正面から徒手で挑みかかってきた相手に膝の槍を打ち込もうとしたが円弧を描く手の動きでいとも容易く流された。強い。スケルトンでは有り得ない機敏な戦闘機動だ。同条件なら理想都市のアルファⅢでは太刀打ち出来ないかも知れない。だがエリゴスは違う。戦闘用スチーム・ヘッドである。すかさずもう片脚の槍で頭部の刺突を試みる。対手が姿勢を下げたため不発した。細部に至るまでスティンランドに似ているのがエリゴスを苛立たせる。
宙に浮いたスチーム・ヘッドは的でしかないがここまでの攻撃失敗はエリゴスの想定内だ。アド・スケルトンはエリゴスの脚を抱え込む動きと拳打を同時に繰り出したがエリゴスはその腕を逆に捉えて支えとする。倒立しながら首を掴み両脚を開くと同時に腰をしなやかに回して遠心力で首関節をねじ切り両手で挟み込んで装甲ごと生体脳を圧壊させた。
殺すだけなら強化された腕力で足る。ねじ切る動作は両脚の槍を振り回して左右から打撃機会を窺っていた無貌の兵士を牽制する意味合いが強い。アド・スケルトンは敗死した同胞を無視して生半可な不朽結晶なら薄紙のように切り裂く槍の軌跡に臆すること無く突撃を敢行。エリゴスは手元で押し潰した装甲と肉塊と脳髄の混合物を片方の兵士に浴びせて視界を塞ぎ首の無くなった残骸から跳ね飛んでもう一方のアド・スケルトンに跳び蹴りを見舞う。通じはしまい。彼らの拳法は魔技だ。弾丸すら摘まみ取って空中で方向転換させてしまうのではないかという精密性を警戒しないわけがない。蹴りの速度をいなされるのを見越して重心を移動。着地する具足を刈らんと回避と蹴りを同時実行する勇士をステップを踏むようにして避け細かく腰を入れて眩惑しながら膝の刺突槍による一撃を狙う。リーチ差は技を凌駕する。スティンランドが銃を携行する理由を朧気に理解した。決定打にはならないにせよ手を向けて指を動かすだけで牽制が出来るというのは実に便利そうだった。帰還したら何かプレゼントをして貰おう。そんなことを考えているうちにアド・スケルトンは突撃を始めた。
だが覚悟など無意味だ。同速でも思考速度も身体動作精度もエリゴスが上だ。間合いを詰めてきた無貌の兵士に抱きつくようにしてカウンターで膝を叩き込み二度三度と繰り返し突き入れることで運動機能の剥奪を試みるが背後からの打撃を受けて離脱。
見れば破壊した二機をカバーするようにして新たに二機が至近の間合いに入り込んでいる。後ろ回し蹴りで心臓と脊髄を破損した手負いを始末しアド・スケルトンとの交戦を続行する。拳のリーチも刺突槍も徐々に読まれつつあった。間合いを見誤らせる。フェイントにフェイントを重ねる。受けたと見せかけて引きずり込む。策を巡らせて破壊しても常に三機がエリゴスに獰猛に食らいついてくる。
いずれも基本を同じくする未知の戦闘技法。それぞれが微妙に異なる。対してエリゴスは一人だけ。そう多くの戦術を知るわけではない。
戦いが長引けば長引くほど情報面でのアドバンテージが喪われていく。
待機状態の全員で敵を観察して解析する。戦闘には常に三機だけが挑む。撃破されるたび敵の手の内を学習した代替兵員が最大三機まで掩護に入る。それがこの奇妙な格闘家集団の戦闘教義なのだとエリゴスは苦々しくも理解し始めていた。呆れるほどに有効だ。基本性能ではエリゴスが圧倒的に勝る。だが真正面から戦うとなると考えていたより遙かに面倒だ。
戦えば戦うほど手の内を暴かれる。
六機目を破壊した段階でエリゴスは完全に己の限界と癖を読まれてしまっていた。どの攻撃も空を切る。受けられる。逸らされる。次の三機を壊すまでの道程が全く見えない。
加えてアド・スケルトンに有効な攻撃手段が無いと分かっていても受け止める気になれなくなっていた。何も無いわけがない。そう思わせるだけの異常性が彼らには備わっている。防御姿勢だと思っていたオートカウンターは実際には相手を拘束して時間を稼ぐための構えだった。本当に? エリゴスは彼らとスティンランドの使う異邦の拳法を知らない。掴んで拘束する。それだけの構えなのか。そう信じて良いのか。
攻撃を受け流す。不吉な予感に操られるがままに三方から襲いかかる手脚を避け続ける。
ついに一撃がエリゴスを捉えた。
何と言うことはない拳。
その瞬間エリゴスは己の臓器が幾つか破裂したのを感知した。
『ぎっ……!?』
痛みは加速に追い付かない。それでも崩壊の感触に恐怖だけは生まれ出ずる。
『な。何!?』
慌てて間合いを取ろうとするがショック反応で体の動きが強張って思うようにいかない。
脚がもつれると直観してその通りになる。
何が起こったのかまるで分からない。
恐怖と混乱が一時的にエリゴスを飲み込んでいた。
『触られただけで、お腹の中を、壊された!?』
不朽結晶製の甲冑を透過してエネルギーを叩き込む。空想じみた技だ。現実に実行可能とは到底考えられないがそのような理屈でもなければ被弾に説明が付かない。
バランスを崩す自分自身を知覚する。オーバードライブ環境下では致命的な隙だ。追撃が来る。目を見開いて防御態勢を取ろうとしたが虚しく体は倒れていく。
あの接触即死の一撃を全てのアド・スケルトンが使えるのか。あれで全身を殴られたらどうなる。
生体脳髄にエネルギーが流し込まれれば人格の演算が不可能となる……。
負ける? エリゴスは焦燥を感じた。自分はこのまま嬲り殺しにされるのか?
だが予想としたような追撃は無かった。
アド・スケルトンたちは倒れ伏せた少女騎士を見下ろして無声通信を始めた。
『我らが道はエイトポイント・ゲートブレイク。収斂した練気を拳より発し如何なる鎧をも貫く。師父より賜りし絶技、ご堪能頂けたかな』
理解しがたい絵空事に聞こえるがそれならば武器も持たずに徒党を組んでいることにも頷ける。
くだらない冗談でないことは己の身で体験した。触れて力を込めるだけで装甲を無視してダメージを与えられるならば武器など邪魔だ。
空想話じみているが格闘用に装備を絞るのは合理的である。
『……随分と余裕じゃない』
ガクガクと痙攣する脚を蒸気甲冑の運動補助機能で操り無理矢理姿勢を復帰させる。
『自己紹介でもしてくれるっていうのかしら。お仲間を散々殺されておいて優しいわね』
『貴公は礼を尽すに相応しい強者と判断したのだ』
アド・スケルトンたちはそれぞれ頷いた。
『我々は対機関兵士用挺身尖兵特技団<ハイドラ>。西洋に伝わる多頭龍ハイドラ、そして極東に伝わるナインヘッド・ナインテール・ダイジャと同じ、無数の首を持つカンフー・ドラゴンの群れなり。幾つ首を断たれようと即座に新しい首が生えるのだ。神話の存在と違うのは、我々は首を失うほどに強くなると言うことだ』
『……そうみたいね』意味の分からない単語は意識的に無視した。『私を殺す絶好のタイミングだったはず。何故止めたの?』
『その武勇、堪能させてしまった。破壊してクズ鉄に変えるにはあまりにも惜しい……。一言投げかけずにはいられなくてな。貴公もスヴィトスラーフ衛生帝国に来ないか?』
『呆れたわ。自分の同胞を散々殺されたのに、世界規模カルトへの勧誘が大事?』
『仲間を破壊したことを心配する必要はない。我々は後続の味方のために魂を手放すことまでもが存在意義だ。覚悟であり必然よ。それで、どうなのだ。我らが師父は寛大な御方だ。頭を垂れるなら貴公にも衛生大帝スヴィトスラーフの栄誉が与えられるだろう』
『頷くと思うかしら?』
排出孔から血と内臓の破片を押し出しながらエリゴスが不愉快そうに吐き捨てる。
『どうやら自分たちの行動の不合理性が分かってないみたいね。設置したマーカーはもう駄目。<吊るされた男>は地に墜ちた。失態に次ぐ失態よ、もうあとが無いんじゃないの? 捕虜を取るよりは強力なスチーム・ヘッドを撃破して点数を稼いだ方が……』
『知らん。どれも我々には責任がない』
『え?』
『マーカーは最初からあった。<吊るされた男>が使われるとも聞かされていなかった。いずれも関係が無いのだ。我々はただ師父に報いるために戦場に赴いた。こんなことになって驚いているぐらいだ。……貴公のような戦闘用スチーム・ヘッドがこんなところにいることのほうが不可解だがな。手合わせして理解したが並の機体ではあるまい。貴公の任務も我々の撃滅などではないと見るが』
あまりにも意味不明な状況だ。戦略級の兵器と関わりが無いというのならば彼らはいったい何故こんな都市を歩き回っていたのか。
『……素直に答えると思うのなら今すぐ脳味噌ほじくり出してくたばったほうがいいわね』
『ふむ。そこで、これは妥協の提案なのだが、ここで互いに手を引きはしないか? 継承連帯の戦闘用スチーム・ヘッドと戦えるのは喜びだが、別段現在の最優先事項ではない。師父の本懐は別にある……。そして貴公にしたところで我々の撃破が目的ではない。互いが互いの主目的を果たして帰還する。それで構わないのではないか?』
『……師父、というのが来ているのね?』
『そうだ』
『礼拝堂に?』
『そうだ』
『じゃあ死んだわね。私の恋人のカンフー・マスターがそこに殺しに向かっているわ。クズ肉の猿まねなんかじゃない、本物のマスターがね。私なんかは本当のところ、ただの陽動なのよ』
獰猛な笑声を演出しながら宣告する。
『和睦も妥協も有り得ない。貴様らクズ肉はここで路傍の染みにする』
『交渉決裂か』アド・スケルトンは落胆したようだった。『まぁ、そうなるだろうとは思っていた』
しばしの沈黙のあとエリゴスは思い切ってそれを口にした。
『……理想都市アイデス、クヌーズオーエ所属。メサイアドール<エリゴス>。それが私の名前よ。名乗らせっぱなしじゃ気分が悪いから、言ってあげたわ』
『厚情痛みいる。では、やろうか。殺し合えるのならそれはそれで楽しみだ』
『最後の一匹まで挽き潰してあげる』
『ああ、しかし、残念だ。師父を破壊する? 馬鹿なことを。我らが師父は至高にして絶対なる拳の神だ。どのようなスチーム・ヘッドであれ、あの方には届かない……。貴公の恋人の命運も尽きたな』
これほどまでの強者の群れが言うのだ。おそらく『師父』とやらは彼らの数段上の実力者であろう。自分よりもスペックで劣るスティンランドへの不安感が一気に胸に込み上げる。果たして彼女は師父を倒しきれるのだろうか。
涙ごと感情を飲み干して少女騎士は膝の刺突槍を持ち上げる。
『……私たちは、強いのよ。くたばるのはその師父とやらのほうね』そして獰猛に笑ってみせた。『来なさい、クズ肉ども。私があるべき姿に変えてブチまけてやる!』
心にある願い。信じた未来は一つだけだ。
そこではスティンランドが師父とやらを殺し尽して勝者として立っている……。
なればこそ全力で<ハイドラ>の排除に当たらなければならない。スティンランドもまた強者だ。一対一の戦いで負ける姿は想像出来ないがハイドラの猛追が加われば勝負は分からない。
死力を尽してここで持ち堪えれその危機をば取り除くことが出来るのだ。死力を尽したアイラブユー。スティンランドはどんな顔をして勝利というプレゼントを受取ってくれるだろう。
どれほど美しくはにかんで笑ってくれるだろう。
少女騎士は祈りと願いと恋心を胸に納め荒馬の如き咆哮を上げて駆けだした。
目の前の敵を酷たらしく鏖殺せしめる。
恋人に勝利という名の花束を届ける。
その純粋なる使命を果たすために。




