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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション4 殺戮の地平線  世界生命終局管制機 アルファⅣ<ペイルライダー>
175/197

セクション4 人類文化継承連帯/世界最終戦 キル・オール・ザ・セイクリッドディア(5) ウンドワートの落とし子たち

「<鹿殺し>の都市で気をつけないといけないのは、時空間の繋がりがおかしくなってるってところです」 


 乳白色の王冠が垂れ込める夜の帳を巻き込みどこか知らぬ天上の王国へと輪転している。暗夜と白光に彩られた空の向こう側にある星々の名前を誰も思い出せない。そこには何も無い。究極的な破壊だけが世界に許されている。つまりは世界で最後の戦いにはうってつけの夜。

 照らされているのは息絶える都市。供物の都市。報復のための都市。聳え立つ隔壁は劫掠の過ぎた地獄と虚無の荒野を別つための城壁。落日の王城。あるいは戴冠の式典に参じた巨躯の騎士たちの盾の群れにも似ている。冠を授ける何某かの手があるとするならば腐り果てて蛆が湧き汚泥にまみれている。騎士たちは喝采を上げて屍の国に降りてくる王を讃える。殺戮の王を讃える。屍の肺で讃える……。


 スティンランドは進入路の解錠作業に取りかかっていた。

 今回使うことに決めたのはTFSSチーム移送の際にも通過した隔壁の正規ゲートではなく隔壁外部に無数に設けられたメンテナンス・ハッチの一つだ。

 スチーム・ヘッドは耐久性を無視して筋骨を酷使可能でしかも運動補助用外骨格を纏っている。そうした存在の行う解錠とは即ち極めて原始的な破壊に他ならない。細い指が割れ裂けて露出した砕けるのを意に介した様子も無くスティンランドは膂力に任せて閉鎖用の錠前を引き千切って外す。投げ捨てられた錠前が落ちて跳ねて転がってそうして止まった頃にはスティンランドの指は恒常性の働きによって完璧な形に復元されていた。

 両手でハッチ開放用のハンドルを掴む。

 強引に回す。

 砲弾の直撃にも耐え得る分厚いハッチを力任せに開いていく。

 開放しても都市のどこかに通じているわけではない。外壁照明のための配電設備の一部が現れるだけだ。

 しかし<鹿殺し>が起動している状況下では些かばかり事情は異なる。


「時空間に干渉する? 聞き慣れない特性ね」

 メサイアドールたちのことを思い浮かべているのか全身甲冑姿のエリゴスが首を傾げた。

「プロトメサイア様のオーバードライブと似たようなものかしら」


 二つの異なる時空間連続体について距離を無視して接続・連結させる。それがプロトメサイアに搭載された<アーク・コア>のオーバードライブの在り方の一つだ。

 ただし彼女の不死病すなわち形なき願望器を制する者としての性質は不完全としか言いようがなく、その権能は正常に動作しない。例えば全く異なる土地は対象に出来ない。接続される土地は都市と都市、あるいは荒野と荒野のように基本的な構成要素を同じくしていなければならない。また、全く同じであってもいけない。似ているが違うという限定的な条件下においてのみプロトメサイアはそれらを隣り合わせに存在させることが出来る。彼女が拡張するのはあくまでも既存の関連性に過ぎなかった。


「結果的には似ているんじゃねーですかね? <鹿殺し>影響下の都市では、法則とか、正直よく分からねーというのが実状ですが。それで、何でそんなことが起きるのかって言うと……えっと、遠くからでも、塔みたいなのがいっぱい突き出てるのが見えてましたよね。ここからでも見えますが」

 捻れて隔壁の外に飛び出している王冠を戴く塔を指差す。

「あれ『発電塔』っていうんですけど、別に発電してるわけじゃねーんですよね」


 エリゴスのヘルムが天を向く。発電塔が励起させている異常現象はまさに頭上にある。鯨の歌声じみた異音を放ちながら緩慢な速度で回転する乳白色の王冠に連なり。あるいは腑分けされて空に並べられた満月の形象で作った互い違いの歯車の群れ。


「確かに発電機とは思えないけど……っていうか、なんか、こんな得体の知れない輪っかみたいな光がビカビカ出てる時点で違うわよね」


 彼女はおぞましさを感じる一方でこの世ならざる異界の風景に心を奪われてもいるようだった。無理からぬことだ。何も知らなければ美しいだけの異常現象に見えるだろう。だがおそらくは火山噴火の摩擦熱で生じる火山雷とさほど変わらなかった。遠くから見蕩れるのは普通でも正気では近寄れない領域だ。

 スティンランドはと言えば奇異なる光を浴びて佇むメサイアドールの蒸気甲冑(スチーム・ギア)が絵画の一枚にでもなりそうなほどに気高いことに気付いて胸を騒がせていた。

 普段は蒸気甲冑の美醜を全く気にしない。武器は武器。兵器は兵器。鎧は鎧だ。しかしエリゴスの騎士としての外観の完成度には注目せざるを得ない。

 メサイアドールの殻に住まうまだ汚辱を知らない戦乙女に心臓を掴まれているせいで彼女の存在が余計に眩しく見える。

 熱っぽい視線に気付いたのかエリゴスが気取ったポーズでスティンランドを挑発した。


「どうしたの? 私にみとれているの? 私は強くてカッコいいから仕方ないわね。鎧だって、ふふん、市民が一瞬で元気になるぐらい良い感じらしいものね?」


 エリゴスの声は朗らかだった。どうやら出立の前に聞かされたヘーレンホフからの評価にも満足しているようだった。

 心が満たされると途端に機嫌を直すたちらしい。

 さもなければ金色の髪をした拳闘士が思いのほか弱い精神性の持ち主と知って自分が明るく振る舞わなければならないと考えたのかもしれない。


「はい、見とれてしまうのも、仕方がねーことなんです。いやぁ、罪作りですねーエリゴスは。これまで見てきたどんなヒトよりも美人でカッコいいですよ。世界最強。メサイアドール美少女コンテスト第一位受賞。ブリュッセル国際品評機関で金賞受賞。製造予算5000万統一ドルの女」

「にゃー……」と照れて口ごもったのも一瞬のことだ。「ありがとう! 恥ずかしくなるとふざけはじめるあなたのこと、やっぱり好きよ!」

「ううー……」やり返されると途端に弱くなるのがスティンランドだった。「よくも面と向かって好きとかどうとか言えますね……」

「ふふん。初見の印象で気圧されてしまっていたけど、愛情アピールでは私の方が巧者かしら! 戦闘用スチーム・ヘッドになる前は結構モテてたんだからね! そして知っているわ、何事も真っ直ぐにストレートに叩き込むのが強いってことをね! だって私は……」

「強いんだもの?」

「そう! 強いんだもの!」


 とても恋愛巧者のセリフとは言えなかったが事実としてエリゴスのカウンターは鋭く重い。

 単にスティンランドの経験が浅いせいだとしても何事も一手先んじた方の勝ちなのだ。

 人格記録の崩壊によって人間的な人生の記憶を喪失しているスティンランドには暴力と勢いしかない。

 関係を深めれば深めるほど勝負はエリゴスの有利に傾いていくのだ。「惚れた弱み」という言葉がスティンランドの人工脳髄をよぎる。全く意識したことがない言葉だったが今では完全に理解が出来てしまう。

 

「このままキスでもしたい気分だけど、それは後にしましょ?」エリゴスは甘い秘め事を分け合うときの声音をスティンランドの耳朶に注いだ。「それで、都市の地下に原子炉がある……とか言ってたわよね。そんなの、時空間とは関係がないじゃない。なんでプロトメサイア様の力と似たような現象が起きるのよ」

「表向きには地下に核分裂炉か何かがあって、塔はその冷却設備に過ぎねーってことになってます。でも、どう考えたって原子力発電じゃねーのです」


 スティンランドにしたところで原子力の専門家ではない。しかし違うというのは考えなくても分かる。

 何故ならばSTFFチームが起動準備に入って実際に動き出すまでが早すぎるのだ。

 大型蒸気機関(スチーム・オルガン)として限界まで小型化された原子炉を搭載しているパペットは人類文化継承連帯ではありれている。人格演算のために常に電力を消費し多少の高熱ならば容易に適応する。その上で放射線に対してもリスクが存在しない不死の存在だからこそ濫用が許される形だ。

 そうした戦力の投入が当たり前となっても原子炉の仕様には賛否が分かれた。長期単独行動のメリットを捨ててまでガスディーゼル式の機関(オルガン)を選ぶ機体もいた。

 原子力方式は不慮の事故で炉が停止してしまった場合が致命的なのだ。再起動させるのにおそろしく手間がかかる。下手をするとそのパペットは自力では二度と再起動出来ない。

 パペット一機のための炉心ですらそうだ。

 都市の機構と一体化しているレベルの非常用大型炉などというものを想定するのは馬鹿げている。実在したとしても、立ち上げが数時間で終わるはずが無い。使い捨ての専門家チームを使っても出来ないものは出来ないはずだった。

 しかし<鹿殺し>の炉心は毎回わずかな時間で起動を果たすのだ。

 こうした事情からスカーレットコントロールは突拍子も無い憶測が確度の高い情報として出回っていた。


「エリゴスは『時空間を捻じ曲げることで莫大なエネルギーを取り出す技術がある』って聞いたらどう思います?」

「うーん、夢のような技術ね。到底実現出来ないだろうという意味で、だけど」鎧の内側で少女が息を呑む。「……まさか<鹿殺し>というのはそういう装置なの?」

「確証はねーんですよ? トップシークレットなんで。だけど……そうでもなければ、こんなことが起きる理由に説明がつかねーんですよね」


 メンテナンス・ハッチを開いてスティンランドが内部を覗いた。

 後腰のポーチからケミカルライトを一本抜き取り折り曲げて内部へ放り込む。

 混合溶液の放つ弱々しい燐光が室内を照らす。

 スティンランドが手招きして指差す。

 エリゴスはヘルムの面頬を上げて目を凝らした。

 そして「え、何これ」と怪訝そうな声を漏らした。


 淡い光に浮かび上がるのは()()()()()だ。

 断水に備えていたのかバスタブいっぱいに水が溜められており周囲にはそれを汲み上げたと思しきペットボトル容器が無造作に並べられている。住民はそれらを活用する機会を得ないままその場を去ったようだった。洗面所の収納棚は開け放たれたまま放置されており床に散乱する空のピルケースが生活用品が引っかき回された痕跡を生々しく晒している。差し迫った危機に直面した市民の姿が目に浮かぶようだった。

 窮状に立たされた都市の一幕としては何の変哲も無い。

 同時に異様である。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「これ、作業員向けの休憩所……とかでは、ない、のよね?」

「ハッチを開けたらいきなりバスルーム、なんて設計にはしねーです」

「やっぱりそうなのね。参考になるわ」

「んん? メサイアドールって常識がねーんですか?」

「プロトメサイア様や人口動態調整センターの管理してない建物なんて、見たことないんだもの。こういう造りの建物もあるのかなって思うじゃない」

「中を見ればはっきりとおかしいって分かりますよ……なんかちょっと段差が出来ちゃってますね。入りにくいなぁ、よいしょっ……」

 

 金色の髪の拳闘士がハッチの奥に踏み込んだ。ハッチ自体はやや手狭でコートがまくれあがる。内側には胸部や急所を防護するためのインナーと運動補助用外骨格しか装着していない。エリゴスの視線が露わになったコートの内側を追っているのを見咎めて不良娘はニマニマと笑った。

 それから彼女を手招きした。エリゴスは少しのあいだ神経質そうに室内を観察していたが思い切った様子でスティンランドの手を取った。

 未知の環境。

 言い知れぬ異質さを孕んだ空間への侵入。

 手甲の下で柔らかな手が汗ばんでいる。緊張している。匂い立つ不死の香気でそれが分かる。スティンランドはエリゴスの匂いを覚えそうになっている自分に気付く。スチーム・ヘッドが匂いを覚えれば人格記録の反応と身体反応が結びついてしまう。いついかなるときでもエリゴスの香気を吸うと興奮してしまうようになると言うことであり「惚れた弱み……」とまた思う。

 エリゴスがそのままハッチを閉めようとしたので我に返る。

「閉めるのはいけねーです」とスティンランドは告げた。


「こうなってしまった都市では、扉と扉の間にある空間の連続性が保証されねーのです。閉めるのは閉められます。でも次に扉を開けたとき、そこにあるのは正常な配電用のシャフトかもしれない。だけどパン屋さんかもしれないし、どこかの路地から表通りに出るためのドアかもしれない。いまいちピンとこねーです? 通ってきたハッチを振り返って見てみると良いです」


 言われたとおりにして、エリゴスが「えっ何これ」と戸惑いの声を上げた。

 背後にあるのは通り抜けてきたハッチだと思い込んでいたのだろうが実際は違う。

 窓枠。バスタイル。換気扇。

 それらがひとまとめに()()()()()()()()()()()()()()()()()内側へと開け放たれている。


「……ど、どうなってるの? あとこれ閉めちゃったらどうなるのかしら? こう、物理的な話として」

「連続性がリセットされて、もう入ってきたハッチには続かねー感じになります。あと、出入り口の形状もリセットされるので、次に開けられるのはそこの窓だけになりますね。もちろん今みたいには開かなくて、今度は別の出口が窓型に切り抜かれて、強引に接続されます。帰り道を確保するなら、開けたら開けっぱなし。これが一番です」

「ええ……? っていうか次の扉を開けたらいきなり下水道とかも有り得るの? 汚水まみれになるのはたょっと……」

「クズ肉の血飛沫と汚さはそんなに変わらなくねーです? まぁでも、経験上、そうなる可能性は低いです。X軸Y軸の変動はあってもZ軸への移動はあんまりねーのですよ。同一平面上かつ、属性がある程度まで似通った領域への接続が、毎回ランダムに行われるっぽい……とヘカトンケイルが言ってました」

「やっぱりプロトメサイア様のオーバードライブに似ているわね。空間構造連続体の離断と強制連結……。この都市ではドアとドアの間にある空間が本来的な関連性を喪失してる、ってことね。ちょっとだけ分かってきたわ」

「まぁ、例外もねーわけじゃねーのですが。開けた扉のサイズと、繋がる先の扉は、割と同じようなサイズになるんですよね。こんな感じで強引な改変も起こりますけど」


 窓と周辺設備が区別なく扉として再定義されてしまったバスルームの一角を見て溜息を吐く。


「……正規入場ゲートを選ばなかったのは、あのやたらデカい隔壁を開けてしまうと、東西南北の四箇所ある隔壁の似たようなゲートに必ず接続されちゃうからです。大通りにいきなり出てしまうわけですね。そこで万が一帝国のクズ肉の集団と出会っちゃうと、初手から乱戦になって面倒くさいです」

「……ねぇ、この窓って向こう側から開けられるの?」


 不意に、エリゴスがハッチ型に切り抜かれたバスルームの一角、窓のあたりを凝視しながら問いかけた。


「突き破ったりしたら、そのまま出入り出来たりする?」

「窓は例外なんですよね。誰かが向こう側を見ているなら、観測者効果で連続性が維持されます」スティンランドも同じ場所を睨んだ。「……ここってどこかのアパートの一階なんですかね。大通りに面してるバスルームの窓って有り得ます?」

「あなたが知らないなら私も知らないわよ。カーテンも無いし。覗き放題よね、こんなの」


 窓の向こうに燃え落ちる街を背にした異形。

 目も鼻もない、塞がれた奇怪な骸骨が室内を覗き込んでいた。

 乳白色の光の波をキチン質の装甲がぬるぬると反射している。

 スヴィトスラーフ衛生帝国の戦闘用器官兵士(スケルトン)だった。

 怪物は剥き出しの上顎と下顎を開いた。

 増援を呼ぶためのサイレン機能を使用するとみるや否や隷属化デバイス主導の即時オーバードライブを起動させたスティンランドの腕がガラスをぶち破ってその首を掴んでいた。

 ガラスの破片でずたずたになった手指で喉を締め上げながら窓下の壁に脚を掛け巴に投げる要領でスケルトンを室内へと引きずり込む。

 絶妙な連携でエリゴスが窓を開けた。窓の繋がる先が大通りからどこかの室内に切り替わった。そして窓を窓枠ごと引き剥がして一枚の扉に仕立て上げた。

 窓の外にはもう大通りはない。空間の関係性はこれで消滅した。


「敢えて狭い場所に出ると、こういうことがやりやすくなるのね。勉強になる……」と得心しているエリゴスの背後では投げ飛ばされた器官兵士が最初の反応のぎこちなさとは不釣り合いな機敏さで対面の壁を跳ね猛禽の如く飛びかかって獲物たる金色の髪の拳闘士に肉薄していた。

 精々十倍程度のオーバードライブだ。

 無論のことエリゴスとて呆としているわけではない。

 対抗オーバードライブで既に臨戦態勢である。

 即座に迎撃しなかったのはスティンランドが『オーバードライブのレベルを落として、わたしをよく見ておいてくださいね』と無声通信でレクチャーを始めたためだ。

 床に転がるケミカルライトの淡い光に照らされたスティンランドの動きは華麗だった。

 受ける。打つ。弾く。弾く。弾く。拳と脚でありとあらゆる攻撃を撃ち返す様は演舞じみておりトレンチコートから伸びる手脚の滑らかさも相俟って魅惑的ですらある。

 スティンランドは基本的に軽装だ。トレンチコートの内側には格子状の不朽結晶構造体が仕込まれていたが振るっているのは生身の手脚である。

 戦闘用器官兵士の骨刃を備えた硬質な鎧を前にしては如何にも頼りなく見えるが、尋常離れした精度の打撃で以て的確に相手の攻撃を潰していた。

 優勢なのは完全にスティンランドだった。敢えて自分から攻撃を仕掛けない状態を維持し舞うような動きで受けに徹している。

 まだ敵を破壊していないだけで既に勝利していると言っても過言では無かった。

 

『すごい、何でそんなに上手く迎撃出来るの!? スティンランドったら、曲芸師さんなのかしら!』

『慣れですよ、慣れ。こいつらは、まぁ衛生帝国のスチーム・ヘッドですが……見ての通りザコです。クソザコ、いやザコザコのザコと言っても過言じゃねーです。思考能力の大半を剥奪されてるせいでめちゃくちゃ攻撃がワンパターンなんですよ。みんな同じ動きをするんです』

『そうなのね! つまりそこを覚えてしまえばそんなに綺麗に、ダンスするように戦えるのね。勉強になるわ! だけど綺麗に見えるのはスティンランドが綺麗だからかもしれないわね……』

『そんなこと言って太股ばかり見てるんじゃねーです?』

『綺麗なものに見蕩れるのは当たり前のことなんだから! それにしても余裕たっぷりなのね、私ならさすがにしびれを切らしてしまうわ……』

『わたしだって生かさず殺さずで引き付けておくのは苦手ですよ? 今はエリゴスを思って面倒を引き受けてるだけです。さて、実戦経験ねーと思うのでエリゴスに教えておくと、ただの器官兵士はクソクソのザコザコ、一発フェイントをかけるだけで死にます。だけど戦闘用であるこいつらは賢いので……』


 スティンランドがくるりと身を翻す。

 勢いをつけて殴ると見せかけて後ろ回し蹴りを仕掛ける。

 器官兵士は的確に回し蹴りをガードした。


『こんな感じで一発は見切ります』


 スティンランドが自分の軸足を浮かせて二発目の蹴りを打ち込んだ。

 スケルトンはそれには全く対応出来なかった。

 スティンランドは複雑な身体動作で床に手を伸ばして己の体を床に引き寄せる。そして腕の力で体を跳ね上げた。バランスを崩し壁際に追いやられた器官兵士の頭部へとスティンランドの不朽結晶製ブーツの爪先がとどめの一撃として叩き込まれた。

 最後まで防御動作を見せることなく衛生帝国の尖兵は崩れ落ちた。

 人格記録媒体が破壊されたのだ。


 オーバードライブを解除したスティンランドは爆音が反響し割れ砕けたバスタブから水が溢れだしたバスルームで軽く息をついた。


「……というわけで、こいつらは二発目以降のフェイントにはまるで反応しねーのです。スチーム・ヘッド同士の戦闘は読みあいですけど、こいつらは適当にいなして、二回フェイントかけてさらっと潰すのが効率的でオススメです。まぁ基本は十倍加速してくるだけのゴミですねー」

「ゴミなら、オーバードライブで一気に潰しちゃう方が楽じゃないの。対スチームヘッド戦は手数以上に先に仕掛けた方が勝ちって聞いたわよ」

「場合に寄りけり、ですよ。一対一とか、一方的に奇襲を掛けられるとかならともかく、オーバードライブを使いすぎると、必ずバテて、あとで痛い目を見ます。ザコにはザコなりのやり方。これが結局一番なんです。あっ、もしかして難しいこと言われてるなと思ってるんじゃねーです?」


 図星を突かれたのか、エリゴスが「うーん……」と言い淀んだ。


「簡単ですよ、倍率を合わせて、こう、こう、こう、ですよ」スティンランドはおどけた様子でちょいちょいちょいとリズムよく殴打の仕草をする。「ザコですけどあんまりにも数が多いので、一々最大倍率でオーバードライブ使ってられないんですよね。ほんと、バテたら『いざ』というときが怖いし……」

「だけど、『いざ』って、どんなときかしら」

「上位機種の強化型装甲化器官兵士(アド・スケルトン)が出てきたときです。まぁまぁそこそこのやつらですよ。高倍率オーバードライブはアド・スケルトンを叩きのめす用にとっておく、ですよ。分かりましたか?」

「だいたい分かったわ! 強いやつは全部任せて。メサイアドールのすごさを見せてあげるから!」エリゴスが燐光の下で自信ありげに頷く。「それで、扉と扉の空間的な連続性が喪失してる……のよね。それじゃあどうやっても救難信号の発信源には近づけないんじゃない? いつかは辿り着くかもしれないけど、どれだけ試せば良いのか分からないし」

「いいえ、具体的な場所がイメージ出来てるなら割とすぐに辿り着けるんですよ。意志と思惟によって、量子の偏り? とか、なんかそういうのが、だんだん良い感じになるらしいので……」

「願い続ければ夢は必ず叶う、的なあれかしら。オカルトだわ」

「衛生帝国のクズ肉が滅びますようにってどれだけ願っても叶わねーので、そういう不確かなオカルトなやつとは違うんじゃねーです? さぁ、とにかく先に進みましょう。都市を焼却して不確定要素を消し去らないと<鹿殺し>本体は使えねーのです。……基地にいるコルトも早くして

ほしいでしょう」

 

 窓と周辺設備を巻き込んだハッチ型の出入り口を背にしてバスルームの本来の扉を開ける。

 次はどこかの家の無人の寝室だった。避難用のトランクに入りきらなかった衣服がベッドの上に積まれている。窓はカーテンで鎖されていたが僅かに開けると先刻の都市襲撃機が齎した大破壊によって炎に塗れたままの大通りが見えた。


「あの尖塔が見えるです?」とスティンランドが囁く。「救難信号はあの尖塔の建物、礼拝堂から出てます。市外の中心部にあって本来は結構遠いんですが、確率が良い感じに定まることで、こうして近付いていくわけです」

「……ちょっと待って、スケルトンが多くないかしら。姿は見えないけど……あなたにも足音が聞こえているでしょう?」


 声を潜めてエリゴス。

 スティンランドは黙って頷いた。マルボロやエリゴスほどではないがスティンランドも聴覚に優れた。

 あちこちを規則正しく歩き回る音源が幾つもあるのだ。こんな機械的な足音を響かせるのは継承連帯のラジオ・ヘッドと衛生帝国のスケルトンしか有り得ずこの都市に友軍は存在しない。

 よしんば残存勢力が在ったとしても『多数』では有り得ない。


「領域殲滅機が掃討したんだもの、これだけの数を撃ち漏らすなんて有り得ない。ヘーレンホフが言っていた通り衛生帝国から増援があったんだわ。……救難信号がもし本物だったとして、これだけのスケルトンに包囲されて、市民は大丈夫なのかしら?」

「こうなってしまっては、具体的な場所をイメージ出来ないならどこに辿り着くかは運任せの世界です。逃げるのも追い込むのも、普通は出来ねー状況ですから、かえって安全かもですね。救難信号を受信出来てるのはわたしたちだけでしょうし」

「それもそうね」ゆっくりとカーテンを閉める。「早く助けてあげないと」

 スティンランドは応えない。



 扉を開ける。また扉を開ける。裏路地だ。逃げ遅れた市民たちが電信柱で首吊り自殺をしている。大人。大人。子供。男。女。老人……。尖兵として改造される辱めを恐れて市民たちはここで死んだ。大通りから器官兵士の影が差す。次の扉を開ける。扉を開ける。扉を開ける。次の扉を開ける。生体弾道弾に直撃を受けて天上の崩れた図書館では世界を前進させてきた偉大なる役立たずどもの知の遺産が焼け焦げて黒い散り屑となって舞っている。外界へ通じる窓という窓扉という扉が木板で塞がれていたが生存者の姿はなく引き千切られた衣服と『人類文化堅守』の横断幕が生体資源略取の痕跡たる内蔵だまりの上で血を吸って奇妙に縮れている。地下書庫へ続く扉を開ける。扉を開ける。扉を開ける。市庁舎の玄関ホールでは都市防衛隊のスチーム・ヘッドの蒸気甲冑の残骸が四散している。幾人かの不死病患者が立ち竦んでいるがそれが防衛隊の成れの果てなのか迷い込んだ部外者なのかは分からない。もはや剣を握ることも出来ない魂無き不死ども。人格記録を破壊された器官兵士も彼らと肩を並べ乳白色の波紋が伝う空を仰いでいる。接合する先を補足出来ず筋繊維を伸ばしている蠢いている臓器や手脚の群れ。敵も味方もない。戦い続けた先にある普遍的静寂。扉を開ける。救難信号を目指す。扉を開ける。扉を開ける。地下シェルターの青々とした蛍光灯の下に市民の死体が転がっている。暴行や身体破壊の痕跡から衛生帝国の襲撃ではなく市民同士で諍いがあった様子だった。生存欲求と恐慌と迷妄はいつでも硬く手を結んでいる。シェルター隔壁の制御盤に辿り着いたところで息絶えている市民がおり暗証番号を打ち込むためのタッチ・パネルが血に濡れている。スティンランドが何とはなしに確定ボタンを押すと隔壁が開いた。シェルターの隔壁が続く先はどこかの集合住宅の廊下で劫掠と破滅が内臓と手脚の山として残るばかりだった。奇跡的に破壊を免れた中庭にしゃがみ込んでいる影があった。エリゴスとスティンランドは瞬時に警戒態勢を取った。吹き抜けからの乳白色の柔らかな光に照らされたエプロンドレスを纏った十代半ばほどの金髪の少女で何か猫のようなものと戯れていた。左腕が蒸気甲冑に包まれているがこのような形式のスチーム・ヘッドをスティンランドは知らない。炎上する蒼い影が廊下を歩いてくるのが見える。<時の欠片に触れた者>と呼ばれている悪性変異体だった。警戒すべき対象ではあるが具体的に干渉に成功した事例は存在せず現れるだけで胸騒ぎを呼ぶ。一層気味が悪いのは炎上する影が明らかに逆回しに歩いているということだ。少女はそれを見てすっくと立ち上がるとその怪物と同じく突如として後ろ向きに歩いていった。中庭に続く扉は砕かれていたが逆行する少女が通り過ぎると破片が空中に浮かんでいった。そしてかつてあった扉の形へと完全に復元されて少女を中庭から遠ざけた。窓辺から差し込む乳白色の光にも負けぬほど禍々しく燃え上がる人型の蒼い炎は壁面を透過して得体の知れぬ少女を追っていった。スティンランドたちには見向きもしなかった。

「……何あれ?」と問われたがスティンランドにも答えられない。<鹿殺し>起動準備が進んでいる時空間では全く予想も付かない異常事態が起こり得る。夢とも現つともしれない無限連鎖の迷宮である。

 ぐるりと回って少女が修復した扉を開ける。扉を開ける。また扉を開ける。辿り着いたのは健気な花の咲く中庭ではない。

 錆だらけの鉄格子と拷問器具がずらりと並んでいる惨死の回廊だった。廊下に面した牢の億には凄絶な死を遂げた有耶無耶が分娩台じみた椅子に縛り付けられて放置されている。切れかけた蛍光灯がやけに眩しい。そうではないとスティンランドは判断する。

 見たくないものは、見えにくくなるものだ。

 拷問室らしき部屋部屋には室銘板が並んでいた。いずれの文字も異様な形に変質しており少女達による解読を拒んだ。エリゴスは生きたまま極大の苦痛を伴う方法で解体されたと思しき人間のたちを前に言葉を失っていた。


「なんてことなの、いったい何でこんなことになってるの! 衛生帝国のクズ肉だって、こんな無目的な殺戮はしないでしょう?! あいつら効率的だもの、こんな、苦しめるだけの、残酷な解体はしないわ!」

「何だか分からねーものに真面目に取り合ってると、帰れなくなりますよ。実際気になってフラフラ歩いていってそれきり行方不明って機体も出たそうですし」廊下にまで広がる血だまりが不朽結晶のブーツに踏まれて跳ねる。「……じつのところ、時空間がねじくれているせいでここがいったい何時の何処なんだかもわかりゃしねーのです。真面目に取り合うとどんどん気が変になっていって……こんなだから誰もここに来るべきじゃねーんですよ」

「でも、変でしょ!? 縦にズレたって横にズレたって、こんなわけのわからない場所には出ないでしょ?!」

「時空間は縦と横と高さだけじゃねーですよ。……時間軸がズレたらもうお手上げなんです」



 幸いなことに廊下の突き当たりのドアを開くと礼拝堂近辺に位置するパン屋の厨房に出た。

 器官兵士の劫掠を受けたせいで正面玄関の扉が吹き飛んでおり内蔵のたまりが市民の残渣物として床を汚している。

 しかしそのおかげで扉に次の賭け金を乗せる必要が無くなっていた。

 ここから救難信号の出ている礼拝堂までは殆ど一直線だ。

 スチーム・ヘッドの脚で駆け抜ければ数分で辿り着ける。


 しかし逸って吶喊する愚は冒さない。

 高度な生命管制で強化された視覚を持つエリゴスに偵察を任せた。

 各所の屋根に立つ影が複数確認された。

 三人一組の器官兵士が3グループ。腕組みをしていたり腰を下ろしたり異常に満ちた空を眺めたりしている。非人間的な怪物たちが人間らしい所作を見せるのは凶兆に他ならない。

 人間的知性の証左。彼らは間違いなく自由意志と特別の強化改造(チェーンナップ)された肉体を持つアド・スケルトンだろう。

 さらに地上には随伴員と思しき戦闘用の通常スケルトンが徘徊している。

 もはや疑う余地も無い。スヴィトスラーフ衛生帝国はこの都市を重点目標として認識している。精鋭ゲルミル部隊を喪失したというのに執念深く新たな精鋭を送り込んできたのだ。

 殊更目を引くのは道路上に接地された捻れに捻れた巨大な管だ。

 異常肥大した羽化を失敗した蛍にも見えたが四肢が明らかに人間の形をしていた。

 その頭とも尻とも知れぬ部分が明滅を繰り返している。


「……炭素基五元指定錨(クォンタムアンカー)ですね」スティンランドは苦々しい顔をした。「強襲用変異体、次元穿孔機<吊るされた男(ハングドマン)>を呼ぶためのサインです。本家の<十三人の吊るされた男たち>の劣化コピーですが、本当にここを陥落させるつもりなんだ。いったい何百のスケルトンを投下するつもりなのやら……」

「ひゃ、百? 追加で何百って数で来るっていうの? 厄介ね。私は強いけどさすがに桁違いの数は相手にしたことないわ」

「最悪、戦術的撤退もやむなしじゃねーです? ……アド・スケルトンたちも、何だか手持ち無沙汰って感じですね。時間待ちなのかな? 不意打ちで何とか……でも、うーん、ハングドマンはやっぱりどうしようもねーですよね。わたしたちの火力じゃあのデカブツはどうにも……」

「扉を潜り続けたら、やり過ごせるんじゃないかしら」

「出来るとは思いますけど、でも何百のスケルトンが人海戦術で同じことを始めたら敵わねーですよ。それにあの礼拝堂……どうも扉が開いてるように見えるんですよね。直で空間を繋げるのは無理そうですし。突っ切るしかねーのですが。とっても難しい状況ですよ……」


 ひそひそと進退を議論していると乳白色の冠を強引に押し開くようにして血膿の滴る腕が空から伸ばされてきた。

 空を覆う肉塊。シルエットは人間に居ているが常軌を逸して巨大な変異体だった。全身を汚損した包帯状の神経繊維で覆った巨体はおおよそ如何なる存在ともスケールが異なる。<吊るされた男(ハングドマン)>の名に違わず宙吊りの状態で降下してくる混沌と汚辱の化身はその身に数百の器官兵士を吊るしている。

 オリジナルと目される<吊るされた十三人の男たち>よりも性能は格段に劣化しており直視しただけで周囲の不死病患者の変異を促進させる忌まわしい性質は喪われている。

 だが時空間を無視してビーコンの座標へと直接降下してくるその特性は脅威だ。

 やはりなす術はない。そう結論づけた二人の脳髄に広域無声通信が届いた。


『こちら、ウンドワート・オペレーターです。スカーレット・コントロールからの支援要請を受諾。現在、アルファⅡウンドワートが迎撃のために急行中。高脅威度目標補足完了」

「何の通信? ……ウンドワートって誰かしら?」

「アルファⅡウンドワートです……」スティンランドは表情を曇らせた。「継承連帯最強のスチーム・ヘッドですよ。見たこと無いのも、無理ねーです」


 無機質を装った幼い声のアナウンスが尚続く。

 

『攻撃目標を捕捉。ハングドマン、脅威度最大レベル。ウンドワート、対象を優先排除目標と認定。滞在時刻をゼロコンマゼロ2秒延長。到達まで3、2、1……ゲハハハハハ! 待たせたのう雑兵ども!』突如として割って入ってきたのは下品な老人の笑い声だ。『塵は塵に、灰は灰に、クズ肉はクズ肉に! 大物はこのウンドワートが頂いたぁ!!』


 そしてゼロ・アワーが訪れた。

 ハングドマンの垂らした神経管を伝って降下しようとしていた器官兵士たちは、己たちの最期を理解しなかった。

 それだけではない。遠間から事の成り行きを見守っていたスティンランドたちも、今まさに起こったはずの虐殺じみた攻撃を理解出来ない。

 赤い涙のような光で軌跡を描き銀色の閃光が瞬きにも満たない一刹那だけ空間を貫いていった。

 具体的な事象として観測出来たのは鏡に乱反射する光の如きものだけだ。それは血と肉と永遠に不滅なる金属で鋳造された陸を駆ける雷光であった。

 閃光の乱舞。猛る狂う炎の嵐めいた暴虐の化身の舞踏は観測者がヒトの範疇にある限り視認出来ない。見上げるほどの巨体を誇っていたハングドマンは一瞬という言葉すら相応しくない時間で轢断焼灼され尽くし何の意味も持たない焦げた肉の破片に変わり果てて墜落していた。

 一拍遅れて到達した常軌を逸した規模の衝撃波がその骸をも蹂躙して灰と塵へと粉砕する。


『目標の撃破を確認。ウンドワート、次の作戦目標に移動中。次の接近は二時間後の予定……』


 ウンドワートの戦闘は1秒にも満たなかった。

 だというのに凄まじい戦果だった。

 常軌を逸した火力と速度。如何なる瞳を持とうともそこで何が起こったのかは捉えられない。事実、少女たちが理解出来たのはウンドワートがもたらした結果だけである。

 これこそが軍神と称される破壊の奔流。

 人類文化継承連で唯一『アルファⅡ』の認定を受けた戦闘用スチーム・ヘッド。

 アルファⅡウンドワートと呼ばれる機体の戦闘能力である。


 既存のオーバードライブとはかけ離れた機構を搭載されたウンドワートは超高純度不朽結晶で全身を固めた形ある銀の弾丸である。敵の装甲を無視しながら切断出来る刃の五指。それだけでも脅威だというのに規格外の速度で移動しながらケルビムウェポンを連射する。通常は速度と火力の二者択一を迫られる場面で平然と二者を併用するのだ。大量破壊や大量殺戮を可能とする蒸気機関の機能をジェノサイダル・オルガンと呼ぶがウンドワートの場合は単なる全速力での戦闘機動がそれに分類されていた。

 軍神の戦闘はこれまでに存在したどんなスチーム・ヘッドからも隔絶していた。人間に知覚可能な状態になるのはプラズマ場の刃が複雑な螺旋を描いて敵を切り刻んで焼き尽くした後だ。異なるタイミング異なる呼吸異なる間合いで放たれたのであろうプラズマの閃光が全く同時に出現して敵と見做された一切合切を焼灼してこの世界から消滅させる。ウンドワートの超越的な戦闘をエデンの東を守護する回転する炎の剣が独りでに抜き放たれて敵を屠っているのだと称した信心深い機体がかつていたがあながち迷信とも言い切れない。視認不可能。分析不可能。世界がその存在に気付くよりも速く駆け抜ける。認知宇宙の限界を超越した奇跡の領域で敵という敵を屠って消滅させる。特別な祈りを込められた殺戮の言葉で世界が書き換えられたとでも考えた方が余程承服が容易い。

 溶断破壊の痕跡だけが撒き散らされるコンマ数秒の殺戮。

 人間。スチーム・ヘッド。不死。悪性変異。兵士。全自動戦争装置。

 ウンドワートの異次元の戦闘能力を讃えるにはこれまでに使われてきたどんな言葉も相応しくない。

 故に『軍神』。

 一騎当千の言葉すら色褪せさせた絶対的な勝利の具現者である。


 ハングドマンを撃破したことへの礼をする時間さえ無かった。ウンドワートは仕事をこなすとすぐにその場から消え去ってしまった。結局誰の目にも明瞭な姿は一瞬も映らなかった。


「嘘でしょ、えっ、なにあれ、何なのすごい! 何倍で加速してたのかしら! 私もオーバードライブ使ってたのに何も見えなかったわ!」

「……一万倍近く加速してる説があるとか、ねーとか、です」

「そんなの本当に可能なのかしら!?」と興奮と困惑が綯い交ぜになったエリゴスの声。


 高揚するのも尤もだ。恐るべき<吊るされた男>は瞬く間もなく機能不全を起こした焦げた肉塊へと零落し虚空から巨体を吊り下げていた五元降下ワイヤーは切断されて空の彼方にある観測不可能な領域へと巻き上げられた。

 通常なら全自動戦争装置が数分掛けて撃退する次元穿孔機を一瞬で完全撃破するのがウンドワートだ。

 常識外という言葉はおそらくアルファⅡウンドワートのために神の編んだ言葉だった。

 だからエリゴスの反応が正しい。危機的状況に駆けつけて時空間の歪みすら突き抜けて目標を駆逐し次の戦場へ向けて離脱していく圧倒的な姿に感嘆しないでいるのは不可能だろう。

 青ざめて陰鬱な顔をするスティンランドこそ異質だった。



 エリゴスに感知出来る限りでは、アド・スケルトンたちは天性の第六感かあるいは経験則によって身を隠してウンドワートの暴虐の閃光をやり過ごしていた。あるいはハングドマンの次元穿孔に巻き込まれたくなかったのかもしれない。

 トータルで見れば状況は依然厳しいものだが、撤退すら視野に入る絶望が根こそぎに破壊され尽くした。この驚愕すべき現実は、難敵の群れに相対するエリゴスの心を確実に軽くした。

 雲霞の如き敵に対してたった2機では勝ちの目は無い。しかし数えるほどしかない敵なら、まだやりようがある。強行突破すら盤上に乗る状況だった。


「……ハングドマンのみならず降下準備をしていたスケルトンまで残らず始末するなんてどんな処理装置積んでるんですかねぇ。量子コンピュータを何機も積んでるって本当なのかなぁ……どうすればあんな蒸気甲冑に適合出来るんだろう……どんなふうに生まれて来れば、あんなふうになれるんだろう……なんでわたしは、そうじゃねーんですかね……」

「量子コンピュータって、EMPが濫用されるようになって以来、前線からは姿を消した機械よね? そんなの積んでる機体がいるのね……。乗ってる人もお爺さんみたいだし昔からのベテランなのかもしれないわね!」

「いやあれ間違いなく合成音声ですよ、老人のスチーム・ヘッドなんていねーですし……最初の方のちょっと覚束ない感じの可愛い声が地声じゃねーですかね」

「そういうものなのメサイアドールでも知らないことばっかりだわ。まったく、本当に勉強になるわ。来て良かった!」

「……エリゴスは、あれを見て悔しくねーんですか? あの出鱈目で馬鹿馬鹿しい戦闘能力……」

「え?」メサイアドールはヘルムの内側で不思議そうに吐息を零す。「うーん。そうね。悔しい、かもしれないわ。だけどあんなにすごいんだもの、感嘆の方がずっとずっと強いというのが本心ね」

「そうですか」金色の髪をした拳闘士はどこか物憂げに黙り込んだ。美貌に自嘲と後悔の色を浮かべて唇にぽつりと紡いだ。「……かつてのわたしは、ウンドワートⅡを目指しました。次世代量産機のプロトタイプ、その候補に選ばれてたんです」

「あなたってば、さっきのすごい機体の後継機だったの!?」


 スティンランドは淀んだ目をしたまま興奮して詰め寄ってくるエリゴスのヘルムを持ち上げて外して唇を奪った。エリゴスは何か不穏な気配を察したのか「にゃー……」と弱気な甘え声を漏らして態度を改めた。


「……只者じゃないのは知っていたけれど、あなたもなかなかの機体だったのね」

「正確には、量産型のプロトタイプの選抜試験に志願した、らしいんです。ウンドワートは一機しかいねーみたいなんですけど、それでもあれだけ強いんですから、戦争装置だって増やしたくなるのも当然ですよね。……わたし、生身でオーバードライブが使えて、しかも見ての通り美人だったんですよねー。選抜に参加する資格を得られるのも、当然ですよね……」


 冗談めかしたスティンランドの言葉に「ええ、とっても綺麗だし、すごく強いわ。時間が許すならすぐにでも褥に向かいたい。……あなたの全部を知りたいぐらい」とエリゴスが真剣な瞳をしたのでスティンランドは強張っていた表情を照れて柔らかくした。


「ま、まぁ、それだけすごい『わたし』でしたから、次世代機の生体CPUの候補にもなるってものです。……試験を受けて駄目そうなら、もうクーロンⅡこと、カオルーンとして、マルボロの後を継ぐつもりだったんでしょうね。……わたしのことですからそんなダメダメの甘っちょろい考えだったんでしょう」

「だけど、ウンドワートにはならなかったの?」

「……なれませんでした。選抜試験には参加したらしいんですけど……そこで何があったのか、わたしは覚えていねーのです」


 スティンランドは視線を落とした。パン屋の廃墟の空気は淀んでおり芳ばしい小麦の香りと内蔵の腐臭が混ざり合って充満している。血だまりとパンを見よ。私の肉はパンである。私の血はワインである。契約のための血である。多くの亡者を救うために流される。際限なく流される。市内を流れる血の川を見よ。贖罪のための血はいずれ世界を沈めるだろう。

 砕かれて喪われた少女の魂ひとつ救えないまま。


「わたしは、そこで……何か試験を受けて、コワされちゃいました。衛生帝国のクズ肉じゃなくて、同じ継承連帯の兵士たちによって。マルボロの記憶だと、『選抜は心身を踏み躙って人間としての尊厳を徹底的に剥ぎ取る聖歌隊方式で行われた』とかで。破壊された心身に最後に残ったものにこそ本質的な力が宿るとか……どういう理屈ですかって話で……まぁそれ以上は認知機能をロックされて読めねーのですけど、とにかく帰ってきたわたしは、人格も、この体も、めちゃくちゃに壊されてたらしくて……コルトとマルボロがどうにか破片を繋ぎ合わせて、スチーム・ヘッドとして直した。そうして生まれたのが、今のわたしです。近代化改修用準アルファⅠパッケージ<アンダー9:シガレット・チョコレート>なんです」

「……自分が何だったのか分からないって……どんな感じなの。酷いことされた過去も思い出せないって、そんな残酷なことあるの!?」

「分からないので、別に何にも、ですよ。わたしを壊した連中も敵の侵攻作戦に対して特攻を仕掛けて市民を守って最後まで粘った戦って全滅したらしくて。立派ですよね。だから、何だか、恨む先すらねー感じで」スティンランドは曖昧に笑んだ。「分からない。何にも分からないなら、そんな過去は無いのと同じです。……マルボロはわたしをわたしとして扱ってますけど、わたしからしてみたら、これ、マルボロのスペアボディとどう違うんでしょうね」

「あなたは、あなたよ。少なくともこうして喋ってる印象だと、人格はマルボロとは違うもの」

「人格は、そうかもしれねーですが。……マルボロは送り返されてきたわたしを見て、ほとんど何日か錯乱しっぱなしになっちゃって。何度も自分の首を切り落として。どうせ治るって分かってるのに心臓を掴み出して。……勝手に志願して、勝手に壊れて帰ってきたわたしが悪いのに、バカみたいですよね。……聖歌隊方式が存置されてる可能性を考慮しなかった俺が悪いんだってずっと嘆いていました。ウンドワートを量産するならそりゃ同じような目に遭わすよな、って。プロトメサイアの言う通り実力行使で破棄を求めるべきだったって。だけど、マルボロは悪くないんです。全自動戦争装置の裁定に逆らえるわけねーんですから。……不正確な見通しで、分不相応な力を求めた、過去の愚かなわたしにこそ、責があるんですよ」


 エリゴスは哀切に満ちた眼差しでスティンランドを見つめた。それから遠方のアド・スケルトンたちを一瞥した。

 耳があるべき位置に手を当てて無声通信で頻りに連絡を取り合っているようだった。ウンドワートの襲撃に混乱を起こしているのか具体的な動きは無い。

 まだ猶予はある。言葉を重ねるための時間が残されていると考えた。

 聡いメサイアドールは、気丈に振る舞っていてもスティンランドがウンドワートの一瞬の輝きにあてられて衰弱していると看破している。

 不安定な状態での突撃にはリスクしかないと考えたのか、さらに言葉を投げかけてくる。


「どうして、そんな力を求めたの? 誰にも相談しないままなんておかしいわ」

「……パン職人は分かります?」

「パンなら食べたことあるわ。クロワッサンにバターを載せて食べるの好きだった……」明るそうな話題に声を弾ませた直後にヘルムの下で眉根を寄せる。「それがあなたと関係あるの」

「じゃあ物凄いパン作りの才能の持ち主がいてその人がパンの美味しさで世界を救いたいと考えたとするじゃねーですか。どう思います?」

「素晴らしいことだと思うわ」

「それで、そんな人が敵を殲滅するという使命に目覚めて、戦場に行くことになったりしたら……」

「ひどい損失だわ。才能はちゃんと適切な場所で活かさないと」

「同感です。優劣はあれども、まぁ誰にでも才能があるわけですからね。咲くべきところで咲くべきなんですね。じゃあ物凄い人殺しの才能の持ち主がいたとするじゃねーですか」

「ええ」

「それでその人が人殺しの才能を活かして世界を平和にしようと考えたら?」

「……考え自体は良いと思うわ」メサイアドールは眉根を寄せてヘルムの顎先に手を当てた。「ええ。平和を望むのは素晴らしいこと。だけど、なんていうか……矛盾している感じがするわね」

「そう。平和と殺人は、両立させちゃいけねー概念です。人殺しの果てにあるのは平和じゃなくて、誰もいない荒野だけ。殺人鬼がより良い未来を願うのは美しい、それは良いことです、でも殺人によって得られるより良い未来は、今よりもきっと血で汚れている……」

「……もしかして今、マルボロの話をしているの?」

「はい。きっと、これはわたしが大好きだった師匠の話です」少女は儚げに微笑む。「エージェント・クーロンは人殺しの天才でした。それ以外には何の取り柄もねー、不器用で時代遅れの男。それが、あの人の記憶を閲覧した、わたしの現在の、そしてたぶん、昔からの評価です。誰かを殺すしか出来ない人間が世界をよりよくしたいと願って悩んでいる。滑稽じゃねーです?」

「悪様に言うのね。だけど、嫌っていた、とは思えない声の温かさね」

「……マルボロの記憶の中のわたしは、マルボロによく懐いているように思います。マルボロはわたしを『人を殺すだけが取り柄じゃない次世代型のクーロン』だと評価してますし……わたしもそうなりたいと常々言っていたみたいで……でも……わたしは人を殺す技でマルボロに負けているのが、許せねーみたいでした」

「敵を殺すのが好きだったの?」

「まさか。好きじゃねーですよ? 仕方ねーので殺す、お仕事だから殺す。それだけっす。エリゴスみたいな可愛い女の子と夜遊びするほうがずっと好きだし、向いてます。今も昔も、同じはずです。だけど、マルボロの記憶の中のわたしは、もっと無軌道でシンプルでした。だから単純に師匠を超えたいと願ったんでしょう。いいえ、師匠に、立派な後継者だと認めてほしいと駄々をこねて……壊されるような道に行ってしまった。そのせいでこんなことになった……もう自分の元々の名前も分からねーのです……」


 スティンランドは力無く己の両手を見つめた。


「マルボロに認めてほしかった、なんて可愛らしい理由じゃないのよね。事情があったんでしょう」

「……あの人は、人殺しに惓んでいます。わたしはあの人よりも強く、殺しの技を磨いて、もうあの人が人を殺さなくても良いようにしたかったんでしょう。もちろん今でも思ってます。あの人は働きすぎたんです……。今もわたしの代理演算をさせてますし。……わたしがもっと強くなれば、マルボロは楽になれる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。簡単な道じゃねーですけど、だけどわたしは、きっとそれを願って……ありもしない希望にすがって……失敗して全部を喪ってしまった。そうして、身の程を超えた力を求めた結果が、いまの私です。自分のことを何も思い出せない白痴です。……ままならねーものですよ」

「悪いことばかりじゃないのかもしれねーですよ?」スティンランドの声音を真似てエリゴスがおどける。「……こうならなかったら、きっとわたしたち出会わなかったし」

「そうですね。エリゴスに出会えたことを考えれば良かったって……そう言えるようになる日が、来てほしいと、そう感じていますよ」


 陰のある笑みを浮かべたままスティンランドはパン屋の向こう側に広がる大通りを眺めた。

 監視機構と化したアド・スケルトンたち。

 不自然に開け放たれた礼拝堂。

 戦術ネットワークから改めて救難信号の位置を取得する。

 礼拝堂の地下だ。おそらく無作為連結する扉たちでは辿り着けない領域。

 そして禁忌の箱(パンドラ)を開け放つのだ。

 全てが枯れるまで。希望までもが枯死するまで。


「アド・スケルトンは、お願いします。わたしにはあの数は荷が重い……。あなたが引きつけてくれてる間に、礼拝堂の中を見てきます」

「だけどあの礼拝堂、何だかやつらの本陣にみたいに見えない? なんていうか、他のスケルトンの配置的に」

「かもしれねーですね。でもタイマンならわたしだって強いですよ?」

「無茶はいけないわよ。あなたは強くて、だけど、弱いんだから」

「無茶はいつものことです。……人格記録が壊れるくらい無茶をした後なんですから。無茶ってやつは、エリゴスと同じぐらいわたしを知り尽くしてる、熱い熱いお友達ですよ。……さぁ、そろそろやってやろうじゃねーですか。新しい朝のために……」


 少女拳闘士は立ち上がる。

 エリゴスと視線を絡ませて、そして、一直線に駆け出した。

 その先にあるのが汚泥と臓物が敷き詰められた地獄だと分かっていても進むしかない。

 道が他に無い。

 彼女には振り返るための過去すらなかった。



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[一言] ピョンピョン卿レアせんぱい……!
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