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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション4 殺戮の地平線  世界生命終局管制機 アルファⅣ<ペイルライダー>
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セクション4 人類文化継承連帯/世界最終戦 キル・オール・ザ・セイクリッドディア(4) ウォームボディ、メルティハート

 そうして司令部から離れた。スカーレットコントロールの野戦陣地からも<鹿殺し>の発電塔が撒き散らす異質な雷光と凪いだ海のように空を埋める光の輪の群れはよく見えた。

 今からあの下に行かなければならないのだと考えるとスティンランドは些か憂鬱な気持ちになった。

 エリゴスはまだコルトと話したいようだったが意思疎通の機会は途絶えていた。コルトは普段はじっと目を閉じている。スティンランドは最終戦が始まってから一度「見ていねーふりをしていれば許されるとでも思ってるんです?」と尋ねたことがある。コルトは「目を閉じていれば、私が泣きそうになっているなんて、きっと誰も思わないだろうからね」と答えた。見開かれた瞳は落雷を受けて焼けた木の(うろ)のように暗くそこから涙が零れ落ちることなど有り得ない。ただ乾いていく。やがて朽ちて砕けるだろう。後にはもう暗闇の輪郭すら残らない。

 誰しもがコルトが後どれだけ保つのかについて憂慮していたが誰も口には出さない。黙っていれば残酷な現実が訪れかもしれはいとありもしない希望に縋る。実際のところ見ていないふりをしていれば許されれると信じているのはコルトではなく兵士たちだった。過越の儀式をしようにも屠るべき羊がいない。このことについて意見を求めたならばエリゴスはきっとこう言うだろう。「羊って何?」 


 スティンランドは戦術ネットワークに救難信号確認任務を公示した。

 自分とエリゴスだけをアサインして募集を打ち切った。

 僅かな時間に複数の参加申請が行われた。

 いずれも十分な力を持つ兵士だった。

 戦術ネットワークのUIに慣れていないせいで吊るされたオモチャを触る猫のように手で虚空を手繰っているエリゴスの隣で金色の髪をした拳闘士はぽつりと呟く。


「あんな地獄に飛び込もうと思うやつが五人も六人も。行動意欲が旺盛なのは良いことですけど、ちょっと気が知れねーです。責任なんてわたしたち(クーロン)だけに押し付けて構わねーのに」


 <鹿殺し>が起動した都市は端的に言えば異界だ。互い違いに回転する乳白色の輪が幾重にも渦巻く空からは光輝く形の無い雨が降り注ぎ地上では炎上する蒼い影が四つ辻を彷徨い歩き家々を覗きあるいは再建させる。気の触れた時計の秒針のように不可解な行動を繰り返す不死病患者たち。見えるはずも無いのにそこにあると分かってしまう剥き出しの眼球のような色をして煌々と輝く嗤う月。どれも人格記録に焼き付いて離れない光景だ。

 そんな中で存在しないことが前提の生き残りを探す作業を続ければ遠からず正常な精神状態を保てなくなる。


「生存者を探すのが、そんなに難しい任務なの?」


 エリゴスが不思議そうに首を傾げるので「難しいのは、どう足掻いても良い結果にはならねーというところです」とスティンランドは嘆息して応じる。


「裏しか出ないと分かってるのに、表に賭けて延々とコイン投げをする。それで、表がもし出たら、裏にしてしまうんです。……やってると本当に嫌になってくる作業です」

「ふーん……?」少女騎士は端正な顔に怪訝な色を浮かべた。意味するところは正確に理解出来ていないようだった。「勝ちようのないゲームをずっとやるような感じなのかしら」

「耐えられるのは、わたしが知る限るプロトメサイアとかですね。あの子からしてみれば世界全部がクソみたいなゲームだと思うので。まぁ、だいたいの人間は正気のまま狂気の沙汰を繰り返せるようには出来ていねーのですよ」


 一方でマルボロ/スティンランド=クーロンは、かつて所属した時間枝がまさにそのような形で破綻したがために、はからずも変容した宇宙への耐性を獲得してしまっていた。プロトメサイアと一緒に旅をしてきた世界は全てが狂っていた。異化された都市。異化された人類。異化された時空間。破滅した全てのWHO事務局。プロトメサイアは発狂した世界に関心を示さなかった。マルボロは単に諦めた。修めた八極の技術がある意味で最も役に立ったのがこのタイミングだ。押し潰されそうなほどの絶望感を殺すことで彼は生き延びた。

 正気のまま諦めることが出来たのは奇跡だ。師の記憶と経験を流用可能なスティンランドにしたところでクーロンと同じ境遇で同じように旅を終えられるかと言えば自信が無い。

 向かう先はそれほどの極限環境なのだ。自殺行為も同然の探索行であるからエリゴスを同行させる今回の采配は異例だった。


「メサイアドールぐらい恒常性を維持する力が強いなら、世界の変容には余裕で耐えられるでしょうけど、<鹿殺し>が動いてるところは本当に危ない場所なんですよ。これも、口で言っても分からねーとは思いますが。本当に行かないのが一番良いんです」

「私は平気よ。だって強いもの!」

「強いだけなら誰だって強いですよ」

「……強さが全てじゃない。それは分かっているつもりよ。だけど、私にわざわざお呼びかかかったんだもの。ここで使命を果たさない手は無いわ! コルトお母様を助けられるし、理想都市に対しても私の有用性を証明出来る。スティンランドだって、メサイアドールが仲間にいれば安心よね。私だって、強くなってよかったって納得したいし!」


 ふんすふんすと薄闇の中で頬を紅潮させるエリゴスを曖昧な顔をして見守る。好意は嬉しかった。任務に同行させても構わないと感じ始めている。

 普段ならこうした任務――潜在的な危険を排除出来ない状況で機械的な不具合の産物であるという結論を予め決定して進められる欺瞞的な作戦――はクーロンが一人で遂行していた。

 無論のことクーロンと負担を分け合う心意気は誰しもが持ち任務を公示すれば必ず同行志願者が現れる。誰しもが義務と罪悪感の間で葛藤しているのだ。実際に「来たれ」と命じれば彼らはすぐにでも我が身を捧げようとするだろう。

 だが戦術ネットワークを管制するコルトの端末であるクーロンには彼らの人格記録演算に根付いた恐怖も在り在りと分かる。責める気は微塵も起こらない。どのような人格ならば「誰も生きていないことの確認」などという暗澹たる任務を遂行出来るだろうか? 一度ならば耐えられるかもしれない。二度三度と続ければどうか。毎日となれば狂わずにいられるだろうか? 


 仲間への情に流されたハルハラ・スカーレットドラグーンは狂気の果てに死を選んだ。

 同様な戦力喪失はスカーレットコントロールにはもう許されない。

 スティンランドは「じゃあ二人きりでやってしまいましょう」と囁いた。

 他のスチーム・ヘッドからの参加志願を全て取り下げさせた。元より誰かを参加させるつもりなど無かった。

 求められているのは事実ではなく手続きである。一人で任務を完了させて何も無かったとだけ報告する。他者の介在は無用だ。クーロンが責任を負えばそれで足りるのだから。『他の機体には参加するタイミングが無かった』という暗黙の免罪を与えて回るのだ。額に水を三度注いで何の意味があるというのか? マルボロは司祭ではない。スティンランドも修道女ではない。血染めの手を見せてひらひらと振り「何も無かった」と告げる。

 それがコルトの端末たるクーロンが仲間のためにしてやれることの全てだ。



 エリゴスを連れて自動武器庫に向かう。

 兎にも角にも<鹿殺し>起動中の都市にはどんな危険や殺害対象が存在するか知れたものではない。武器が必要だった。

 野営地に駐機された十六輪大型装甲車群を練り歩く。

 目当ての装甲車は戦闘用スチーム・ヘッドを休眠させておくためのハンガーを牽引しており吸排気装置の故障に関連して不朽結晶素材を織り込んだ分厚い扉が開け放たれていた。

 薄暗い車内には頸椎剥離処置を受けた不死病筐体が固定具で拘束されており上部には人格記録媒体を半ば抜き取られ医療用義脳を差し込まれた生首が吊るされていて頭部と胴体の神経系はケーブルで繋がれているが処置が終わるまで彼らは偽りの眠りを眠る。眠り続ける。偽りの夢を夢見る。


「ここで武器を調達するですよ。エリゴスは何かいりますか?」

「オーバードライブを起動させて殴るのが一番速いわ。あと私の蒸気甲冑のニー・スパイクは超高純度不朽結晶で出来ているのよ? 他に武器なんて必要ない」

「うーん。気持ち悪い虫とか、糞尿に塗れた死体とか、そういうのを手で触るの平気なタイプです?」

「それはちょっと嫌かも知れないけど……」

「長い棒とか銃とかって、便利ですよ。オーバードライブ前提だと邪魔にしか思えねーというのは分かりますが。そこのハンガーで寝てる人たちも、だいたい銃は使わねーですもんね」

「ここに誰か居るの?」


 指差されるがままにエリゴスは何とはなしにハンガーを覗いた。

 生首の幾つかが音に反応してエリゴスを見た。それだけだったが見慣れない分にはスプラッタ・ホラー映画の一幕じみている。エリゴスは如何にも年頃の少女のような悲鳴を上げて後ずさった。スティンランドがくすくす笑うと「も、もう!」と恥ずかしそうに声を荒げた


「<キュプロクスの突撃隊>のみんなっすよ。バトル枕投げでエリゴスをいじめたのはほんの一部です。Tモデル関係以外は、こまめにメンテナンスしないとすぐ発狂しちゃいますからね」

「……えっと、つまりこれ全部、あの鉈を持った荒くれさんの仲間なのね」

「起きている間は怒り狂うしか出来ねーやつらですが、死んでいる間は静かなものです。起きているときも取り敢えず文句言わなくなるまでボコれば大人しくなるのでオススメです」

「仲間をボコボコにするなんてぜったいに無理だと思うんだけどスティンランドはしたことあるの?」

「定期的にスチーム・ヘッドは暴走します。そこがボコボコチャンスなんですねー。みんな自己連続性が破綻しかけると、性愛やら暴力やらをめちゃくちゃに混同するようになって、特にクーロンが『わたし』の時はぶっ壊そうとしてくるんですよね。華奢で美人だとつらいですよ。それはそれとして、破壊しないよう加減してボコるのもトレーニングのうちなので。そういうときは遠慮無くボコボコのボコです」

「ボコボコのボコなのね。分かったわ……!」


 医療用義脳が作動している間は騒音に対して苦情が来ることもない。スティンランドはトレーラーの一角に設けられた自動武器庫の操作盤に入力して最低限の武器をオーダーした。ごうごうんとコイン・ランドリーのドラムが回転するような重たい音が鳴り始める。

 発注した武器が射出されるまでの時間が液晶に表示される。消えた。スティンランドが液晶を叩くとゆっくりと表示が回復した。この機械もメンテナンス無しで酷使している。スカーレットコントロールがクヌーズオーエへに撤退するまでは保たないだろう。

 自動武器庫という名称ではあるが実態としては立体印刷機に近かった。電磁加速銃やスマートウェポンのような複雑かつ精密な機械兵器やスタンダードな規格の銃弾はクヌーズオーエから完成品が供給されるが限定的な用途しか持たない道具は素材の状態で輸送され必要に応じてこの自動武器庫で加工・製造することになっていた。例えばマルボロ/クーロンが使う骨董品であるコルト・シングルアクション・アーミーの弾丸などは現行の規格に合致していないため補給はこの機械に頼っている。


 発注した武器弾薬が射出されてくるのを待ちながらスティンランドはエリゴスの様子をうかがった。

 素顔を晒したときはあれだけ照れていたのに今はじろじろと見られても気付いた素振りさえ見せない。

 ヘルムを胸に抱えた少女騎士。

 会話が途切れた今だからこそ分かる。

 見るからに消沈していた。

 偽りの魂と成り果てて不死となって覚醒すれば世界は色褪せて澱む。生前どんな祈りを捧げても死後には目的が変質する。無限の闘争に挑む運命が死を許さない病によって確定される。

 如何なる矛も徹さない不朽結晶と永劫燃え続ける蒸気機関(スチーム・オルガン)。銃声と同時に駆けだしても弾丸に追いつくことを可能とする破壊的抗戦機動(オーバードライブ)。再誕するのはただ身体能力が高く美しいだけの少女ではない。一騎当千の殺戮の化身だ。

 それでも本質は変わらない。

 エリゴスは孤独の中で震えていた。

 誰かのために力を振るいたいという気高さにも市民を守りたいという献身的な姿勢にも嘘偽りはあるまい。だがその根底にあるのは極めて原始的でパーソナルな渇望なのだろう。それをスティンランドはどうしてか理解してしまう。自分を見てほしい。自分を認めてほしい。幼気(いたいけ)で切実な叫びが聞こえてくるようだった。

 彼女は自分を求めてくれる誰かを探してここに来た。理想都市においては戦う以外に能の無い機体に居場所などない。少なくとも理想都市が苦難に襲われるカタストロフの瞬間までは沈黙している他ない。

 しかし前線であるならば求めてもらえる。産みの親であるコルトならば自分を評価してくれる。

 きっとそう期待したのだ。

 だが忌み嫌われるメサイアドールが無条件で歓迎されるわけもない。感情を凍結されているコルトが肉親への情を示すはずもない。

 スティンランドが構っている間は気が紛れるようだがエリゴスは裏切られたような気持ちになっているのだろう。


 妄想にも近い希望に縋るのはいかにもプロトメサイアの素質を受け継いだ機体らしい振る舞いだ。プロトメサイアはいつでも夢を見ている。彼女の娘たちもまた叶わない夢を追うために終わらない生を進む運命にある。

 あまりにも滑稽でどうしようもなく憐れだった。

 憂いに満ちたエリゴスの横顔は強さを誇示して虚勢を張っているときとは異なる繊細な儚さがあった。戦闘用スチーム・ヘッドでいたいならばあまり他者に弱気を見せるべきでは無いと忠告すべきだというのにスティンランドの口からは言葉が出てこない。

 スティンランドはエリゴスの美貌に見蕩れている自分に気付いた。

 甘さを伴う胸騒ぎが心臓を締め上げた。


 壊れ果てる前の自分がどういった人格だったのかこの金色の髪をしたこの拳闘士は覚えていない。だが惚れっぽく浮かれやすい性格だったのではないかという自覚がある。マルボロの記憶に居る自分と同じ顔をした知らない少女は不純交友の常習犯だった。しかしこんな弱気な眼差しに対して独占欲を掻き立てられしまうような性的嗜好を持っていたのだろうか。優位性を楽しむタイプではあったがそんな自覚はまるで無かった。


「違う。ああ、きっと、わたしと似ているんだ」と少女拳闘士はトレンチコートの上からとくとくと脈打つ心臓を抑える。


 きっと壊れ果てた自分の残骸はエリゴスを自分と重ねているのだ。

 助けてほしいから助けたい。

 慰めてほしいから慰めたい。

 その切ない嘆きの声に共鳴してしまうから肉体が彼女を求める。

 スティンランドは他愛無い話題を考えた。「エリゴス」と呼びかけてから頬を触る。少女騎士は目をまたたかせて「どうしたのかしら」と薄く微笑んだ。

 困憊を微笑で隠そうとする癖はコルトの娘らしい。スティンランドの心臓がまた締め付けられる。これはマルボロではなくスティンランドに成り果てた少女の肉体に刻まれた反応だとスティンランドはいよいよ認めることになった。

 自分はコルトに恋していたのだろうか? スティンランドは戯れを装いエリゴスに口づけをする。マルボロの記憶の中に居る自分はそんな風には見えない。心や体で関係を結んでいたという記録もなくコルトを前にしてもこれといった反応は出てこない。ならばどうしてエリゴスにコルトの面影を見出してこうも甘やかに心臓を高鳴らせてしまうのだろう? スティンランドには何も分からない。

 何も思い出せはしない。

 近代化改修用準アルファⅠパッケージ<アンダー9:シガレット・チョコレート>の名は端的に彼女の実状を指し示していた。割れ砕けたチョコレートを溶かして煙草(シガレット)の型に流し込んだだけの存在。砕かれる前のチョコレートとシガレット・チョコレートは全く違うものだ。

 苦みを伴う甘さだけが彼女を辛うじて彼女たらしめている。


 しばし互いを確かめ合ったあとエリゴスの耳に優しく囁いた。


「……この自動武器庫、アイスクリーム屋さんのキッチンカーに似ていません?」

「アイスクリーム屋さん……?」エリゴスは目を潤ませながら真剣に考えたようだった。「つまり、この武器を生み出す機械は、一般市民が自由にアイスクリームを食べられる状況というのと同じぐらい夢のようだ、と言いたいのかしら」

「そうじゃねーですよ。ええと、そういうお店、見たことねーです?」

「というか、アイスクリームというのは、勲章をもらうとき休暇とセットで出てくるものだと思ってた。普通にお店で売っていた時代があったのね」

「……プロトメサイアは、勲章と一緒にそんなつまらねーものを出すんですか」

「貴重な卵とミルクを使ったご馳走よ。つまらなくなんてないわ」抱き合うような距離を楽しみながらもエリゴスは不思議そうだった。「スティンランドはそういうお店を見たことがあるの?」

「えー……?」金色の髪をいじる。少女の頬を恥じらいが色づかせる。「……えっと、実はマルボロの記憶で知ってるだけで、わたしも見たことがねーです、たぶん」

「そうなのね。良かった、スティンランドも見たことが無いのね。ふふん、負けた気分になってしまっていたわ。ねぇ、そんな夢みたいな時代に、一緒に行きたいわね、スティンランド。……衛生帝国に勝って、人類文化をもう一度そんな素敵な時代まで巻き戻すの。そのときは、うん、どうしてかしら。出会ってそんなに時間も経ってないのに、あなたが傍に居てほしいって思うの」

「えー? それって、もしかしてデートのお誘いですかー?」


 負けたいと言うなら負かしてやる。意地悪い計画を立てながらスティンランドがにやりとしながら目を細めると「ええ、もちろんデートのお誘いよ?」とエリゴスは平気な顔をして頷いた。

 虚を突かれる。どうやらエリゴスは好意の発露に些かの躊躇も見せないらしい。

 おそらく孤立する以前は他者を自然と愛する優しい性格をしているのだ。

 愛してほしいから愛するのではない。

 愛したいから愛してほしいのだ。

 からかったつもりが思わぬカウンターを受けた。エリゴスの困ったような微笑がさらに激しくスティンランドは心臓を疼かせる。スティンランドは目を伏せた。息が熱い。

 自分を律する技は身につけている。だがスティンランドは肉体に刻まれた情動のパターンに逆らえない。自分の記憶を無くしているがために自分の肉体の手綱の扱い方が分からないのだ。


「余裕たっぷりのくせに、デートに誘っただけで、ずいぶん可愛い反応をするのね」エリゴスは嬉しそうに笑った。「デートはしたことないのかしら?」

「……わたしが稼動した始めた頃には、継承連帯は切羽詰まった状態になってて、そんな余裕はねー感じでしたから。バトル枕投げは散々やりましたけどね」

「ああいうのはよくないと思うわ! 人口動態調整センターだって、ちゃんとした後継機を作るときは、自己紹介から初めて、丁寧に丁寧にゆっくり手順を進めるのよ。私はその、あまり経験無いけど……、義務じゃない、自由意志に基づく恋愛は、ちゃんと互いをゆっくりと理解して進めるべきでしょ。……えっと、言っていることは通じているかしら。つまり、あなたのことが、好きなの」

「言ってて恥ずかしくないんです?!」

「だってあなたも私のこと好きでしょう? 両思いなら恥ずかしくないわ」

「……まぁ、わたしもどうやらエリゴスが結構好きみたいで、困ってるところですよ」

「ありがとう」少女騎士は微笑んだ。「ちゃんとした手順を踏んで、ちゃんとした恋人同士になりたいの」

「そんなことしなくたって、わたしの肉体はエリゴスを気に入ってますよ……」

「……さっきから様子がおかしいけれど、それって、ただの肉体的な反応でしょう?」エリゴスが背伸びをしながら淡く口づけをしてくる。スティンランドはピクリと震えた。「ふふ。さっきは私がボーッとしてる間に色々してくれたじゃない。たくさん仕返しをしてあげるんだから。……でも、そうやって焦がれたような目をするのだって、人格記録じゃなくて肉体に由来する反応が殆どだって分かるの。人格の動きは、目の輝きに映るものだから。心から好きでいてくれているというのも、もちろん分かるけど」

「心が……目の輝きに……?」


 スティンランドは呆気に取られて自分の目元を触った。マルボロもスティンランドもそんな視点から他の機体を観察したことがなかった。大抵の機体は疲れ果てて淀んだ目をしているだけだ。稼働年数が短く精神状態の安定したスチーム・ヘッドらしい瑞々しい観点だった。


「昔の人はたくさん遊んで、自由に交配相手を探していたのよね。……スチーム・ヘッドこそ、デートをたくさんして愛を育むのが大切だって、私は思うの。肉体的な快楽はすぐに薄れてしまうって、みんな言ってたし。肉体の喜びが無くなっても、人格記録が無事なうちは、同じ時間を過ごしていけば愛を深めていけるはずよね」

「……聞いた話なのが悲しいところですね」

「もう! 茶化さないでよね! ……だけど、そうなると、スティンランドの初デートの相手は、もう私で決まりなのね。あなたの初めての相手が私かぁ。ちょっぴり照れてしまうわ。アイスクリーム屋さん、ぜったい二人で行きましょうね」

「ま、まぁ、そのときは、お腹いっぱいになるまでアイスクリームを奢ってあげる、ですよ。わたしの方がたぶん年上だし。年上を敬うですよ」

「ふんだ、メサイアドールのお給料は桁が違うんだから。ナメないでよね。ご馳走されるのはあなたのほうなんだから」

「……二人とも。ちょっと良いか?」


 じゃれあっていると背後から声があった。

 エリゴスには識別が出来なかったようだがスティンランドにはすぐに分かった。

 歪んだ鉈のような形をした不朽結晶製兵器が彼のトレードマークだ。

 キュプロクスからの評価も高い義烈の兵士。

 その名前をヘーレンホフと言った。


「ああ、ヘーレンホフじゃねーですか。ちゃんと修理をしてきたみてーですね。あとは他人がいちゃついてるとき邪魔をしないぐらいの配慮が出来れば完璧ですね」

「結構待っていたんだぞ。スチーム・ヘッドの恋愛は虚しく儚いが尊重すべきものだ。お前たちこそ戦闘用スチーム・ヘッドなら俺に気付くべきだった」

「えっ!? さっきの凶悪な人!? っていうか結構前からいたって……気配を殺してずっと見てたってこと!?」エリゴスは身構えた。「こ、今度も同じと思わないでよね! 私はすごく強いわよ! ボコボコなんだから!」

「案ずるな。人格記録など所詮はコップに注がれた水のようなものだろう。在り方はコップの形によって規定される。見ての通り、現在の俺の蒸気甲冑に破損は無い。人格記録の再生も自然と安定する」


 ヘーレンホフの声は訥々としたものだった。

 言葉には怒気の欠片も含まれていない。

 紳士然として会釈する姿には静謐なる趣すらある。


「すまなかった。さっきは随分乱暴な接し方をしてしまった」

「えっ? それはどうも……」少女騎士は戸惑って頭を下げ返した。「本当にさっきと同じ人? 何だろう……気配だけじゃないわ。敵意が全然無い」

 

 エリゴスが戸惑うのも道理ではある。

 ヘーレンホフの外観は然程変化していない。蒸気甲冑の状態こそ修復されているが自動浄化が停滞しているせいで装甲には不死の血と泥が混じって固化した匂い立つ汚濁がこびり付いたままだ。人類文化の護持に身を捧げているとは到底見えない、流浪の傭兵じみた汚らしい姿だった。

 しかし背筋を伸ばし物憂げに言葉を紡ぐ姿は落ち着きに満ちている。

 理路の立たない怒声を喚き散らす姿など想像も付かないだろう。

 今は変わり果ててしまったがマルボロの記憶にあるスカーレットコントロールの面々は基本的に穏やかだった。コルトを補佐して粛清を担当する人員が狂奔するようになったのは汚れ仕事を散々に押し付けられた結果に他ならない。


「えっとですね、エリゴス。この人、ヘーレンホフは、ダメージを受けたとき敢えて『コンディションを戻さねーこと』を選ぶんですよ。性根がまだまだまともなほうなので、万全の状態だと、突撃隊としては大人しくなっちゃうんです。全身を苦痛で染め上げてキレまくってる時の方が調子良い、と言う人もいるんですねー」

「そうなのね。興味深いわ。……私、あなたを誤解していたかも知れないわ、ヘーレンホフ。改めて始めまして。メサイアドール、エリゴスよ」

「これだけの接触で他者を理解するなど不可能だ。お前とスティンランドは愛欲の影を通して互いを知ったのだろうが、俺は違う。永遠に精神が交わることも無いだろう。誤解したままで良い」ヘーレンホフは落ち着き払って言った。「本題なんだが、公示を見たぞ。救難信号の発信が間違いであると、確かめに行くようだな。……それで、メサイアドール。何故メサイアドールがあんな場所に行こうとする?」

「何よ、私が行くのが不満なの? 前言撤回よ、さっきと言ってることあんまり変わらないじゃない!」

「どうやら自覚が足りないようだな」鉈の騎士は鉛を喉の奥から吐き出すように言葉を紡いだ。「メサイアドールが居るべき場所は、どう考えたって、ここじゃあるまい。クヌーズオーエに帰るべきだ」

「また同じことを……!」

「同じことのように聞こえるか。しかし違う。メサイアドールには市民を守る義務がある」

「ヘーレンホフ、今更そんなことを言わねーでほしいです……」スティンランドが苦言を呈そうとしたが「分かっている。もう全てが決まっているのだろう。だが、だからこそ言っておかねば道理が立たない」と呪文でも唱えるかのような低い声が帰って来るばかりだ。

「メサイアドールは我々継承連帯の兵士よりもさらに直接的な意味で義務を負っている。戦闘用なのに、甲冑に華やかな装飾が施されているのか今一度考えてみろ。それは、都市設備や市民の社会保障費を削ってまで作る必要があったものか?」

「……無い。必要なんて無いわよ。そう言いたいんでしょ!?」

「必要性は、ある」ヘーレンホフは躊躇なく告げた。「戦闘用のメサイアドールは市民を守る至高にして最後の盾だ。優美さは余剰などではない。市民を鼓舞するために必要な装置なのだ。怪物どもの押し寄せる都市に、穢れ一つ無い美しい鎧のスチーム・ヘッドが降り立つ。想像してみると良い。ただそれだけで、災禍の最中に居る市民たちは、希望が潰えていないと思い出す。まだ負けていないと確信出来る。……お前がただ敵の前に立つだけでそれだけの効果が期待出来る。コストには十分に見合う」


 思いも寄らぬ言葉にエリゴスは硬直した。「そ、そうなのかもしれないわね」と頷いて落ち着かない様子でスティンランドを見た。

 それからヘーレンホフに向き直った。


「私を毛嫌いしているわけじゃないのは分かったわ。だけど、ならどうして私に『クヌーズオーエに帰れ』なんて言うの?」

「ここはお前の居場所ではないからだ。戦闘用ならば、クヌーズオーエでは今はまだ居場所が無いだろう……しかし俺の蒸気甲冑を見ろ」


 ヘーレンホフは汚泥の固まる自身の装甲を指した。

 全身隈無く汚濁に染まり果てて元の装甲の色が分からないほどだった。


「クヌーズオーエの外は……限界が近い。敵は百三十億だからな。どうしようもない。『必要とされる瞬間』は必ずクヌーズオーエを訪うだろう。誰も彼もが汚濁に塗れながら前線を転げている。居場所を戦地に求めるのは、半分は正しい。半分は間違いだ。お前の夢見た狂乱の嵐は、間もなくクヌーズオーエの全ての都市を襲う。メサイアドールは、そのときこそ明瞭な精神と、過不足のない蒸気甲冑を纏って、毅然として立っていなければならないんだ。前線ではなく、燃え落ちる理想都市で武器を掲げるんだ。お前一機を製造するために、山のような資源が消費されている。こんな腐れた地獄で、それを無駄遣いをするな。理想都市へ帰れ。成すべき事を成せ。こんなところに居場所を探してはいけない。重ね重ね、さっきはすまなかった。あんな言い方で伝わるはずも無かったが、俺はきっとそう言いたかった」

「……で、でも」 


 真摯な訴えかけに感応したのかエリゴスの声が揺らいだ。


「居場所のため、だけ、じゃない。私だって市民を助けたいの! 市民を脅かす敵を一匹でも消し去りたいの! コルトを助けたい、スティンランドを、あなたを助けたい! ねぇ、記録を見たんでしょう? 私の戦いぶりを知っているなら、分かるでしょう? この力があればどんな敵だって破壊出る! 名誉欲のためって言われても、それでも……力になりたいの!」

「……ならばこそだ。敵を殺したいのなら、()()。そもそも、スティンランド、エリゴスは任務の趣旨を理解しているのか?」


 スティンランドは表情を消して押し黙った。


「……わたしは、今回の派遣自体がこの子に『試練』を与えるための、戦争装置の計画なんじゃねーかと踏んでいます。『長期的計画』を叩き込まねーと、これからの時代は温室育ちには厳しすぎる。そういう判断なのかもです。だいたいメサイアドールなんて基本わたしたちが動かせる資産じゃねーですし。状況がおかしいんですよね。表向きに開示されている情報は全部目を通してますけど、何でメサイアドールを参加させる必要があるのかは、わたしが聞きたいぐらいですよ」

「……」ヘルムのスリットの奥にある瞳がかすかに曇った。「メサイアドールを俺と代わらせることは出来ないのか? 今回の掃除には俺が行く。スカーレットコントロールが二名必要と判断したからこそのアサインだろうが」

「わ、私だってちゃんと役に立つんだってば! ナメないでよね!」エリゴスが怯みながらも怒鳴った。「お願いよ、私がちゃんと使命を果たせると証明させて! 私の強さで、あなたたちを助けさせて!」

「それで、助けてやるから、俺たちに、お前の慰めになってくれと言うんだな。我々はお前を慰める道具では無い。お前こそ我々をナメるな、メサイアドール」


 淡々とした言葉だったがエリゴスの胸を抉るには十分だった。

 ヘルムをぎゅっと抱きしめた少女騎士をスティンランドが支える。


「……でもこれって、いずれ『市長』になるなら必要な経験じゃねーですか? っていうか、ヘーレンホフ、諦めるべきかもしれません。言うことは、もっともだし、わたしもいちおう再検討しました。『もう全部決まっている』事柄についてね」

「……そうか」

「アサインの解除は操作ができねー感じです。わたしの意志でも、コルトの意志でも無い。やっぱりこれ戦争装置の差し金ですよ。交替も撤回も許されねーやつです。エリゴス、気に病む必要はねーです。戦争装置の手配なんですから、思うがままにやれば正解なんです」

「そ、そうなのね……? 泣いてしまうところだったわ……」

「まったく、多少叱りつけられただけで泣きそうになる。スチーム・ヘッドだというのに……まだ泣くことが出来る。俺たちにはもう血しか流せないって言うのにな。こんな子供に、俺たちのやるべきだった仕事をやらせるのか。本当に嫌な時代になったものだ。いや、マルボロが常々言っている通り、俺たちがそうさせてしまったのか……」


 戦争の神である全自動戦争装置の決定は戦地の兵士では覆せない。

 ヘーレンホフは嘆息した。

 それから無言で思考を巡らした様子だった。


「都市までは俺が送ろう。ネットワーク経由で、空いている装甲車を抑えた。武器の調達が済んだら四番車まで来てくれ。助けてやろう、メサイアドール。……だからどうか我々を助けてくれ」

「え……?」

「ね? スティンランド、狂ってるときはアレですけど、コルトの端末の中でもかなり優しいのがこの人なんですよ」

「メサイアドールを使って自分を慰めるだけだ。あまり持ち上げるな」

「あ、ありがとう……」

「簡単に礼を言うな。メサイアドールはただ君臨していろ。いちおう認識を正しておくが、メサイアドールは必要であるにせよ個人的な感情として決して好きではない」

「でもヘーレンホフ、何でわざわざ送迎してくれるんです?」

「衛生帝国のゲルミルの動きがキナ臭い。あれだけの精鋭を一気に投入したあとに何の追加も無いとは考えられない」


 スティンランドには今ひとつピンと来なかった。「だけど、戦略の逐次投入なんてバカのやることじゃねーですか。精鋭が出てた後だからこそ、安全なんじゃねーです?」

「マルボロなら違う判断をしているだろう、スティンランド。精進が足りないな。スヴィトスラーフ衛生帝国は……バカの集まりだ。逐次投入がどうとかまともに考えていないはずだ。というか、百三十億の集団と比べれば、常識が無いと言うべきなのは我々の方だ」

「……人類文化の正統後継者は私たちよ! 常識が無いのはあっち! 敗北主義は良くないわ!」気を取り直したエリゴスが市民を鼓舞するメサイアドールらしく断言する。「私たちの方が常に常識的で常に正しいの。だけど、だからこそ、相手の非常識性を疑ってかかり、私たちの正しい認識に逆らう動きを警戒すべきだ、というのは同意ね」

「そういうことだ。お前たち二人の性能を疑うわけではないが、オーバードライブは移動よりも不測の事態に備えて温存するべきだ。それに、何より……」

 男は俯いて鉈で地面を軽く叩いた。

「……兄弟姉妹を病院にクルマで送るのが俺の日課だったんだ。お前たちと話していてそれを思い出した。完全な自動運転じゃない、ただ持ってるだけでバカみたいな税金を持ってかれる、あの古めかしいクルマだ。……生きていた頃の真似事をしたくなったんだよ。久しぶりにな」


 しばらくして自動武器庫から最後の装備品が射出された。

 合計四本。

 拳銃のマガジンに偽装された十五連装スマートブレッド・パッケージだ。

 スティンランドはトレンチコートを捲り上げてインナーしか身につけていない白い腰に巻き付けたホルスターにそれらを差し込んだ。


「何に使うの? スチーム・ヘッドには弾丸なんて当たらないじゃない」と怪訝な顔するエリゴスに「誕生日パーティーで使うクラッカーが近いかもしれねーですね」とスティンランドは暗く笑った。

 


 <鹿殺し>の光が、夜を溶けた鉛のように色づかせている。地の果てにまで垂れ込めていずれ溶け落ち灼熱の闇が人類の歴史の全てを押し流す。鯨の鳴き声に似た駆動音が遠く静かに響いている。人知の絶え果てたラグナロックの前にある薄明。

 十六輪装甲車は人類文化継承連帯では標準的な軍用車両だ。ライフリソース・ダイジェスター、<人間を蒸す機械>と通称される機構であらゆる有機資源から燃料を作り出せる。その渾名の通り戦場では最もありふれた有機資源である死体や無力化した変異体を使うことが多い。機械としては忌まわしいもので後方では嫌われているが物資と名のつくもの全てが不足している戦地ではとにかく使い勝手が良かった。スチーム・パペットの背負う大型蒸気機関とほぼ同一であるため整備性も高い。

 極限環境下での運用を前提としているため構造は純粋蒸気駆動方式に近く操縦系統は旧式の有人自動車に似る。

 スヴィトスラーフ衛生帝国の侵攻作戦が始まってからは生体EMPに制圧されている環境でも全く問題なく走行可能な点が特に評価されていた。


 疾走する異形の装甲車の上部にあるガンターレットでスティンランドとエリゴスは寄り添いあっていた。

 監視任務もそこそこに手を重ね合い殆どの時間を互いについて知り合うために費やした。

 スティンランドは不可解な感情に支配されていた。なくしてしまった自分の腕をようやく拾うことに成功した兵士のような気分だった。言葉を交わし唇を重ねるたび自分から無くなってしまったものが戻ってくるのを感じた。背負ったマルボロの人工脳髄を使って自分の精神状態に見合う言葉を探そうとしたが「一目惚れ」といった身も蓋もない単語が浮かんでくるばかりで役に立たなかった。若くて良いなとからかってくるマルボロの姿が脳裏に浮かぶようだ。恥じらいと疼くような熱が増すばかりだ。


「うー……」

「どうしたの、スティンランド?」

「さっきまでわたしのほうが上に立ってたのに、いつのまにか不利になっているですよ……好きって、こういうことだったんですね。ずっと忘れていたんじゃねーかなっていう心地です」

「不思議ね。私も同じなの。パートナーとして誰かを大事に思うこと、久々に思い出せたわ。お互い、あんまり人生のどこかでは、出会わないようなタイプだからかも」手甲部分を取り外してスティンランドと手を繋ぎながらエリゴスは意地の悪い笑みを浮かべた。「それにしても余裕がありそうな相手の心を射止めるのって楽しいわね。それとも、経験豊富そうに見えるのは上辺だけなのかしら?」

「経験……経験って、何なんでしょうね」


 装甲車が停車した。乳白色の冠を頂く都市を背にして不死病患者の群れが歩いてくるのが見えた。

 スティンランドは油断なく放水銃に取り付き群れの動向を見守った。スティンランドはポンプを起動させた。あとはトリガーを引けば燃料槽から汲み上げたヒト油と化学物質の混合液が放水口から吹き出て着火される。突き詰めれば単なる火炎放射器で決定的な兵器ではないのだがライフリソース・ダイジェスターに死体か鹵獲した敵の不死病患者がいれば気軽に使えるのが利点だった。

 攻撃の必要は無かった。死なない病に冒された彼らはまさしくただ歩いているだけだった。人類文化継承連帯にもスヴィトスラーフ衛生帝国にも利用されなかった純粋なる彷徨える者ども。先頭にいる数体の不死病患者が脚を止めれば全ての患者がその場で停止するだろう。

 限りなく無害で無意味だった。どこにも辿り着くことは無い。

 ボロボロの靴で透明な煙の中を歩くその集団を見送ってから装甲車は走り出した。

 武装状態に戻っていたエリゴスはヘルムと手甲を外して嘆息した。それからスティンランドが彷徨う不死病患者どもを凝視しているのを見て眉根を下げた。


「あの患者たちの中に、知り合いがいたの?」

「知り合い?」スティンランドは目を瞬かせた。「いねーですよ。どうしてそんなこと訊くんです?」

「悲しそうな目をしているわ」そっと寄り添って接吻してくる。そして指先でスティンランドの目元を拭った。「自分が泣きそうになっているのが分からないの?」

「メサイアドールとはよく他者を観察しているものですね」

「そうかしら。好きな人の顔は誰だってじっと観察すると思うけれど?」

「かなわねーですねー」とスティンランドは少しだけ笑った。「……『ゾンビ』を思い出していました」

「ゾンビ? それって、不死病患者への差別語よね。まさか味方からゾンビなんて呼ばれてるのかしら。それはメサイアドールとしては見逃せない問題よ!」

「じゃねーです。落ち着いてください」息巻くエリゴスへと苦笑する。「前は……まぁ、衛生帝国のラジオヘッドに対しては使われてたみたいです。でも今は誰も使わねーのです。正確にはわたしが、名前をなくして、このスティンランドとなって復帰してから、みんな、使わなくなったんです」

「……」エリゴスは項垂れた金髪の少女を抱き寄せた。悲痛そうな眼差しで間近で言葉を聞いていた。「それが、どうしてそんなに悲しいの?」

「経験豊富そうに見えるのは本当に上辺だけなんです。わたしには、何の経験も無い。わたしはかつてのわたしを真似ているだけの出来損ない。きっと、ゾンビなんです。生前の記憶もない、死んで生き返っただけの、本物の動く屍。そんなふうに見えるから、みんな気を遣って、……何かをゾンビとは言わねーようになったんじゃないかなって。……わたしって、いったい何なんでしょうね。スチーム・ヘッドなんて、そりゃ、所詮は人間ごっこが出来るだけのゾンビですよ。だけどその中でもわたしは、もっと……映画に出てくるような本物のゾンビに近い」

 映画を観たという経験すらマルボロ由来ですけど。少女は目を伏せて自嘲した。

「ああやって、どこにも行けないままうろうろしてるやつらを見ると、わたしもあの群れの中にいるべきなのかなって思うんですよ」

「……わたしは生きているあなたに出会えて良かったって思うわ」


 エリゴスは唇で以てスティンランドに己の体温を伝えた。

 瞳を覗き込んでくる。

 少女は涙ぐみながら微笑んだ。


「あなたにも、生きて私に出会えて良かったって、そう思わせてあげる。どんな形でも生きていて良かったって納得させてあげる。だから、そんなことを言わないで」

「……どうしてエリゴスが泣いてるんですか。わたしはちょっと感傷に耽っていただけじゃねーですか」

「あなたが泣けないでいるみたいだから、私が泣いてあげているのよ」


 甘い不死の香りに包まれながら少女は考える。自分は泣きたいのだろうか。それすらも分からない。壊れ果てる以前の自分ならエリゴスの胸に縋って泣いていたのだろうか。答えは出ない。だが冷えて固まったはずの心が溶かされていくのを感じていた。エリゴスを抱き返した。その熱を求めた。

 都市の隔壁が近い。

 ……任務を終えたときエリゴスはまだ自分を愛してくれるだろうか。

 スティンランドはそんなことを朧気に考え始めている。

 まさか自分が任務遂行よりも誰かの心を思うようになるなどとは思いもしなかった。

 溶け落ちた心から最初に転げ出てきたその感情の名前をマルボロの記憶に問う。

『不安』だ。



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