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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション4 殺戮の地平線  世界生命終局管制機 アルファⅣ<ペイルライダー>
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セクション4 人類文化継承連帯/世界最終戦 キル・オール・ザ・セイクリッドディア(2) 近代化改修用準アルファⅠパッケージ<アンダー9:シガレット・チョコレート>

何故伸びたのかというと、今回分の後半がその答えですね(?)

 死んでいなかった三人の市民の移送は滞りなく進んだ。

 キュプロクスのサブプロセッサ席と大型蒸気機関(オルガン)の銃座に子供たちを一人ずつ座らせた。市長補佐は手負いのマルボロが背負って運んだ。

 スチーム・ヘッドもパペットも、走破性能は極めて高い。ただ一度死ぬだけで終わる未感染の人類ですら時として雲を頂くような険しい山を駆け上るものだが、不死の肉体で人格を演算する彼らにとって、踏破出来ないのは物理的に足場の無い海や谷だけだ。

 建造物が崩落している程度ならば障害にもならない。古い時代の嘶く馬と共にいた騎士をも上回る速度で疾走するその姿は、伝令係として運用されていたという原初のスチーム・ヘッドから何も変わっていない。

 それでも生身の市民を抱えて、衛生帝国による汚染が進んだ市街を縦断するのは無謀だったが、索敵と戦闘はエリゴスが引き受けた。このEMPの荒れ狂う環境下でも即時オーバードライブが可能なエリゴスの参加は大きな意味を持った。

 再生中であれ潜伏中であれ器官兵士(スケルトン)は一行の誰かが気付く前のエリゴスに粉砕されるか磔にされて排除された。おかげでキュプロクスたちは自分たちの位置の露見を全く気にせずに済んだ。離脱に際して静粛性を気にせずに済むことの優位性は底知れない。

 エリゴスは市外へ出るまで黙々と任務を継続した。何者も彼女の敵にはならずメサイアドールの名に相応しい美しい姿は血に塗れても美しいままだった。彼女は彼女の自称よりも明らかに幾らか強力なスチーム・ヘッドで、マルボロも嘆息するばかりだった。こんな美しいものに殺戮を強要しているのは誰だ? マルボロは問いかける。時代か? 神か? 戦争装置か。

 お前だ。マルボロはガスマスクの下で浅く息をする。お前のせいでこの絶滅の時代が来たのだ。お前たちが戦争という結末を三百年の歳月を掛けてこの時代へ運んだ。

 記憶の中、人を殺戮の災禍に放り込むことしか出来ぬ女が、月の光に埃の舞う古寂びた聖堂で嗤っている。女は言う。「小羊が二つ目の封印を開いたとき二番目の生き物が『出ておいで』と言った。そうしたらね、生きながらにして永遠に燃え続けている馬が現れたんだ。その馬に乗っている騎士は永遠に焼かれる苦痛の対価として平和を受取っていたんだ。つまりそこいらの人間に殺し合いをさせる権利をね。どんな気持ちなんだろう、皆のために身を炎に捧げたことの報酬が人を殺すことしか出来ない剣というのは。ねぇ君、どんな気分だい?」


 トラブルがあったとすれば率先してサブプロセッサ席に座った青年がキュプロクスが走行する振動に負けて嘔吐してしまったことだ。

 牙城を穢されたことにセルシアナが怒り狂わなかったのは自分よりも幼いエリゴスが見ている手前市民に怒りをぶつけるというのが恥ずかしく思えたからだろう。

 青年はこの時点で酷く衰弱していた。都市が攻撃されて以来あまり飲食をしてなかったようだ。その状態で戦地を移動するのもストレスなら、搭乗者の生命を度外視するパペットに乗り込むのもストレスであり、「脱水で死なれたら後味悪いからね!」とセルシアナの汗に由来する冷却用蒸留水を飲まされたのも彼を追い詰めた。

 と言うのもTモデルは継承連帯の市民の間でも至上の資源と見做され特に少女である頃には尊ばれる。不死病筐体となって交配などの日常レベルで関与しなくなっても市民からは半ば信仰に近い形で愛されていた。

 それが頭上のシートで大きく肌を晒しており彼女に由来する甘い香りが充満しているのだから、胃の中で匂い立つ水はいっそ毒にもなろう。

 結局彼はサブプロッセッサ席から降りた。代わりにサスペンションが良く座席のベルトもしっかりしている機外の銃座に座らされていた彼の妹がそちらに乗ることになったが、Tモデルの血を引いてるためかセルシアナに強く反応することは無く、生来強固な身体を持つこともあり無邪気に喜んでいた。

 あまりにも幼く、おそらく何が起きて市民たちがどんな末路を迎えたのかも正確には理解していない。彼女は一行の中で最も幸福だった。




 市街の隔離防壁を抜けて暫く経ったころ地面が揺れた。

 都市そのものが絶叫するかのような大音声が荒れ地を突き抜けて世界の果てまでも駆け抜けていった。

 市長補佐を背負ったままマルボロが振り向くと都市の遠景は様変わりしていた。

 連想するのは無数の槍で貫かれた巨人の死骸だ。

 あちらこちからから隔離防壁を上回る全高を持つ塔状の機構が突き出ており先端からは蒸気の奔流が血飛沫のように噴き出ている。

 やがて塗り固められた暗夜の空が爆撃に晒された冬の氷面の如く砕けて撓み始め乳白色の波動がその歪曲面を滑り伝って空を熱く濡らすようになった。終わりに向かうこの冷たい時代に相応しくない熱波が突風となってマルボロたちを襲った。


「……あれは……あの設備は何ですか? あんなもの、我々の都市にはないはずです」


 兵士の背で市長補佐が落ち着かない声を発した。


「あんまりじっくり見るもんじゃねぇよ。塩の柱になっちまうぜ」

「見た者を塩の柱にする、そういう兵器なのですか?」

「……冗談だよ。あれは時間制限付きの……熱核融合炉の排熱だ。見るなって言ってるのは、単純に眩しくて目に悪いからだ」

「何故都市にそんなものが……? 使えば、市民に害があるのではありませんか」

「かもな。だが都市にいる市民は死んでるだろ?」

「市民は死んで……そうですね」市長補佐は言い淀んだ。「尋ねるべきではないことを尋ねました」

「そうかい。何の話だが知らんが、あんまりよそで吹聴するべきじゃねぇだろうな」


 熱波は幾度にも渡って押し寄せてきたがあるとき風の向きが逆になり再び振り返ることになった。

 乳白色の波動はいつしか幾重にも連なる同心円の光の輪となって都市の上空で安定していた。

 乱杭歯のように聳える不揃いな塔の群れの全てに光の輪が現れて脈動している。

 市長補佐は何も訊いてこなかったがマルボロの説明を信じてはいないだろう。

 そもそもマルボロ自身それが単純な排熱による光だとは信じていなかった。限界まで破壊された不死病患者が再生するとき特殊な操作を加えると細々とした粒子が恒常性を維持するための得体のしれない力で浮き上がって核となるべき部分を探して相互に引き合いぶつかりあいながら高速で渦動を開始することがある。最終的には平均化されあたかも星系の如く一定の水平状を回転する渦になるのだがその過程で不死病患者の微細な残骸は帯電して白い光を放ち忘れられた神の遣いの輪じみて眩い光を放ちおぞましい速度での再生と崩壊の連鎖によって莫大なエネルギーを発する。

 理論上、これを炉としてスチーム・ヘッドに搭載することが可能で、名前を重外燃機関と言った。

 起動実験に何度か立ち会ったことがある。<鹿殺し>起動の光はいかにもその時に見たものに似ていた。


 多くの兵士は塔の発光と奇怪な円環の形成についてただそういうものとして受け入れていたがマルボロには不死病を利用した技術だと認識しており決して良いものだとは思っていなかった。ただ彼が知る限り本当に良いと思えるものは記憶の中にしか無い。その記憶すら擦り切れつつあり何もかも塩の平原と見分けが付かない。




 またあるとき地鳴りがしてマルボロたちは同じ大陸にあるどこかの施設から空に光の橋がかかるのを見た。地から天へと昇りまた地の果てへと落ちる奇異なる閃光。流れ星に似ていた。連れてきた兄妹たちが何か願うかと思ったが何の反応も見せない。この時代において流れ星よりも大陸間弾道兵器が再突入するときの光景の方が広く知られているが戦中世代にはおそらく無害な流星と絶滅を呼ぶ再突入体の光が見分けられない。この絶滅の時代には星に願う風習すら無い。マルボロは暗夜を貫くその不吉な光が地平線の彼方へと掻き消えるのを見届けた。みんな幸せになりますようにと願うべきかと迷ったが自分の本心がその祈りに無いことを知ってしまっていた。人を殺すしか能の無い不死身の傭兵に「みんな」は重すぎた。両手に抱えられるだけの僅かな命を愛おしむ。それがマルボロとしての意識を維持する彼の限界点だった。




<鹿殺し>が起動した時点で衛生帝国のEMPは幾らか打ち消されておりスカーレットコントロールとの通信が可能になっていた。帰還の連絡もスムーズに終わった。基地の外縁部に伏せって生きた迎撃装置として重機関銃を構えているラジオ・ヘッドたちはマルボロたちを正常に味方として認識した。

 生体CPU代わりに少年少女の不死病筐体を吊るしたラジオ・パペットもおり彼らは搭載したCIWSから毎秒70発の弾丸を吐き出して飛来する一切合切を機械的に撃ち落とす。大型の多連装銃身が魂も無いのに勇ましく空を睨んでいて憐れだった。

 こうした数百名の不死の木偶は無論人類文化継承連帯の市民の成れの果てだが一箇所で大量に運用していると衛生帝国の器官兵士と何が違うのか分からず実際イデオロギー的な側面を除いた時の差異は殆どなかった。


 市街から20km先に設けられた前線基地は簡素なもので軍隊の駐留地というよりは臨時の物資集積場と言った方がいくらか適切だった。上空から撮影してもさほど重要な拠点には見えないだろう。


 臨時司令部では狂騒に至る寸前のざわめきが押し殺されて息を潜めている。

 油脂を吸って泥濘んだ土の上にポール式の持ち運び照明が建ち並んでいるおかげで夜明けが遠くとも十分な視界があった。無機質な光が貨物コンテナの山と警戒中のスチーム・パペットの巨大な輪郭を浮き上がらせ高濃度油脂焼夷雲(ゲヘナレインクラウド)からの業火雨除けの防火テントの下では荷物や図面を抱えた不死の兵士たちが忙しく行き来している。

 光はただ彼らの異様なる有様すなわち甲冑とタクティカルベストを同時に纏う最新鋭の騎士としての奇妙な出で立ちをぐちゃぐちゃの地面に不格好な影として投げかける。


 パペット用の通行スペースにキュプロクスとマルボロが通りかかると「帰ってきたのか」「お疲れ」と気安い様子で挨拶があったがメサイアドールに対しては多くの兵士がヘルメット越しにも分かるような冷たい排斥の眼差しを注いだ。

 メサイアドールに襲いかかろうとする機体がいないのは今は彼女が両脚の無い市長補佐を運んでいるためだ。マルボロが念のために最も無力そうな彼女を盾としてメサイアドールに預けた。市長補佐は疲れが溜まったのか眠ってしまっており幸いなことに敵意に晒されるメサイアドールを目にすることは無かった。

 傷病者と思しき市民を死闘に巻き込むほどスカーレットコントロール所属のスチーム・ヘッドは戦闘狂ではない。

 精々遠間から侮蔑的な言葉を呟くのみだがエリゴスはそれでも相当に堪えたようだった。


 エリゴスが俯こうとするたびにマルボロは彼女の肩を軽く叩いた。


「市民のために戦うんだろ? お前さんは無敵だ。しかし味方に怯えてちゃ仕方ねぇ。胸を張ってりゃ良いんだ、それだけの力があるんだから」

「あ、当たり前よ。怖くなんてないわ。私は強いもの」

「そうだ、お前さんは強い。ここでも殴り合いになりゃ最強かもな。あとはお前さんの気持ち次第だ」

「……殴らなくたって認めさせるのは難しくないはずよ」

『良いねエリゴス、その意気だよ』キュプロクスがおかしそうに言った。『まぁお嬢様育ちのメサイアドールには無理だろうけどね』

「何よう! ううう……!」

『<突撃隊>には私が取りなしてあげるから力を抜きなよ。パーソナルドライブにアクセスさせてもらったけど、いいね、中々君のことが好きになってきた。親睦会のための場所を用意してあげるよ』


 マルボロは言わんとしていることを理解して嫌そうな声を出した。


「セルシアナ……お前さんもうちょっと節操を持たねぇと終戦後に刺されるぞ」

『いいよ別に。死なないし、それだって愛情表現じゃん』

「死んだり死なせたりは人間の愛情表現じゃねぇな」

『味方は幾ら愛しても足りないじゃないか。やりすぎぐらいでバランスが取れるってものだよ』


 戦中世代の考えてることは分からねぇよなとマルボロが言うとエリゴスはよく分からないけど私もそう思うわと頷いた。

 素直で愛らしい。マルボロは頷く。きっと優しく慈しみ深い性格なのだろう。

 彼女は致命的なほど戦闘用スチーム・ヘッドには向いていなかった。



 基地最後方には駐機場があって、クヌーズオーエと各前線を往復している三十二輪式無軌道蒸気機関車が丁度到着したところだった。

 スチーム・ヘッドやパペットたちが不機嫌そうに喚き散らしながら荷物を降ろしており操縦してきた機関士は無軌道蒸気機関車の監視塔に登って連装型電磁加速砲と銃そのよりも巨大な狙撃設備を搭載した銃座についていた。ハンターシリーズの初期型で彼女のキルゾーンは間違いなく半径10kmを超えていた。彼女が諦めて発狂したり職務を放棄しているので無い限り奇襲や対処のしようのない猛攻を気にする必要はなさそうだったがどれほどのスチーム・ヘッドが発狂や諦観を打ち負かしているのかは怪しい。


 駐機場のかたわらには辛うじて避難に成功したらしい先ほどの都市の市民たちが集められていた。

 送られてきた山ほどの武器弾薬に代わってクヌーズオーエ行きの貨車に乗れる。

 そんな曖昧な時間が来るのを待っていた。

 本当にクヌーズオーエに行けるのかは誰も知らない。スチーム・ヘッドたちでさえも。

 少なくとも生存者はクヌーズオーエに送るべしとの共通認識がありスカーレットコントロールでは輸送用の機関車の帰りの便に乗せるのが慣習だったが具体的な方針が定められているわけでもないため実際にクヌーズオーエへ行けるのかは不明だ。

 どうであれ防衛ラインは既に突破されており衛生帝国の怪物が徘徊するようになった土地を徒歩で移動させるのも現実的では無いためこれを使うしかなかった。

 最終便に間に合ったこれらの市民の数は少なくとも誰も彼も見窄らしい格好をしており疲れ果てていた。

 仮に防衛ラインが健在でも自力での退避は不可能なように見えた。



 キュプロクスが荷物の積み下ろしの手伝いをするというので一家はマルボロとエリゴスが預かった。そうして話の通じそうなスチーム・ヘッドを探しているうちに嗜好品コンテナの前で腕組みをしていた輜重担当官がマルボロを見つけてそちらか声を掛けてきた。


「ようマルボロ。そっちの荷物はどうなった?」

「無事に全員納品完了だ」

「四人ともか? とんでもない仕事ぶりだな」

「とんでもねぇだろ? しかも帰り道に生き残りがいたんで連れてきたってわけだ」

「うむ。素晴らしいな」


 輜重担当官の佇まいは厳然としており士官じみている。

 親子が頭を下げるのを見て輜重担当官は鷹揚に頷いた。


「それで何となく機嫌が良いのか」

「まぁな。それでお前さんは何を難しい顔してるんだ?」

「嗜好品が全然入ってこないんだよ。パウンドケーキの保存缶がいくつかあるだけだ。ああそうだ、あんたの煙草も無い」

「そりゃ困るな。拳銃でも咥えるしかねぇや」

 実際には彼の煙草は嗜好品ではなく燃料や弾薬と一緒に運ばれてくる。

 いつもの冗談だった。

「しかしパウンドケーキなんて俺たちには一欠片もいらねぇだろう。俺たちぐらい死にまくってると、食ったらすぐ吐くし、気晴らしにもならねぇ。プラスチック爆弾千切って噛む方がマシだ」

「そうなんだが、しかし、避難民どもを飢えた状態で送り出すわけにもいかんだろ」


 輜重担当官のヘルメットが市民の方を向いた。

 暗い顔で列を成している焼け出された市民を痛々しげに見つめている。


「俺たちの分もあいつらに分けてやるわけにゃいかんかなと思ってな……」

「まぁみんなそう思うだろうな。でも何故悩む? コルトなら許可を出す」

「タスクがつかえてるんだ。都市焼却まで何時間も無いから意見する余地がない」

「なら代理人(エージェント)である俺に言ったんだからその話はもう終わりだな」

「助かる。……それで、そっちの小綺麗なクソは?」


 彼はじろりとエリゴスを見た。

 怯んだエリゴスの肩をマルボロは叩いた。


「こいつは援軍だ。ほらエリゴス、もう教えたことを忘れたのか?」

「えっ? あっ……だっ……れがクソよ、こ、この産業廃棄物!」エリゴスはやや遅れて言い返した。「私はメサイアドール、エリゴス。不甲斐ないあんたたちを助けるためにクヌーズオーエから来てやったの。来ました! 宜しくお願いします!」

「なんだこいつ」輜重担当官は少し笑った。「……大丈夫なのか?」

「どうだろうな。人手がいるってんで、自分で志願して手伝いに来てくれたらしい」

「へぇ……」

「それで!? 私が救い出したこの子たちは、どこに連れて行けば良いの」

「メサイアドールがねぇ、こんなところに……」

 輜重担当官は首を傾げた。それから「こんなところにか」と熟れていない果実でも噛むような不愉快そうな口調で言い直した。

「まぁいい。その家族は、あっちの列の一番後ろに並ばせろ」



 三人家族の身柄は他の避難民に任せることになった。

 市長補佐は為政者として名が知られていたらしく草臥れていた避難民たちはにわかに活気づいて彼女たちの生存を祝った。少なくとも誰も彼女の娘や息子を拒んだりはしなかった。奇跡的な生還。奇跡的な生存。誰しもが奇跡を祝福する。そうすれば自分にも都合の良い奇跡が来るとでも言うかのように。


 エリゴスはやや離れたところからそれを眺めていた。

 ヘルムのスリットの奥で青い目がきらきらと輝いている。

 自分自身が救った命が笑顔を零す。それが眩しくてたまらないらしい。

 怯えてばかりの彼女だがこの瞬間だけは他のスチーム・ヘッドたちから睨まれていることなど怖くとも何ともないという目つきだった。


 メサイアドールとはこういうものかとマルボロは嘆息した。

 まさしくプロトメサイアが夢見た『理想の自分』だ。

 だからこれほどに不完全なのだ。

 純粋に誰かを助けることに喜びを見出す戦闘用スチーム・ヘッド。

 人を殺すしか取り柄がない存在に慈悲深い心を与えても人格記録へのダメージが増大するだけだ。通常なら製造する理由が無い。

 プロトメサイアはそれでも作る。

 人を死なせることしか取り柄の無い聖女は朽ち果てた聖堂で嗤っていた。「人を殺すしか出来ないものが人の幸せを願って善なる事業を成し遂げる。真性の悪が本物の善を作り出すんだ。それって何だか希望に満ちていると思わないかい?」あるはずもない未来。至ることの無い理想。彼女は夢想した。縋るものが無いから叶うはずもない願いをひたすらに紡いだ。



「初仕事はどんな気分だ?」

 マルボロが煙草を咥えながら聞いた。

「本懐を遂げたって気分ね。市民を救うことこそ私の使命だもの。立て直しが終わるまではこの調子で頑張るわ。……ずっと思ってたけどその変な匂いのする草は何?」

「こりゃ煙草だよ」

「何それ。ケムリの、クサ?」

「あー。古い時代の毒物だ。これで肺を刺激すると俺は調子が良くなるんだ」マルボロは肩をすくめた。「まぁ前線でやってくつもりなら、当面は俺たちが面倒を見てやるが……何となれば一筆書いてクヌーズオーエに帰れるようにしてやるからな。お前さんは、何というか、どうも、良いやつのような気がする。無理するなよ。良いやつはすぐぶっ壊れちまうからな」

「ありがとう、でも余計なお世話よ。それでね。『不死殺し』マルボロ、改めて挨拶して良いかしら」


 不死殺しと呼ぶのはやめろと言う前にエリゴスは自分のヘルムの留め具を外し始めた。


「おいおい、脱面しなくていい」

「本式なら挨拶するときは素顔を見せるものでしょ?」

「略式で良いんだよ。だいたい俺たちは、兵士と兵士だ、顔を見せるのは上官に対してのみで良い」

「あら、それこそ必要じゃない? あなた、さっき一存で物資の取り扱い決めてたわよね。あんまり情報は与えられてないけど、マルボロってスカーレットコントロールでも上位の機体なんじゃないの?」

 

 ぐうの音も出ない。見るべきものを見ている娘だった。

 攻撃的な視線に晒されて怯えていたにも関わらず周囲の動向は観察していたようだった。

 こうしてマルボロと話している間にも好奇と憎悪が彼女に注がれているが戦闘用スチーム・ヘッドの(さが)として有利な位置取りや反撃の手段の模索を内心で計算しているらしい。

 やはり索敵能力は高いとマルボロは率直に評価した。目と耳が良く判断力も優れる。

 お嬢様育ちとしか言いようが無い感性を鍛えることが可能ならさぞや素晴らしい戦力になるだろう。


「それで、どうなの、偉い機体なんじゃないの?」

「……まぁな。この俺、カオルーンは、コルトの端末……つまりスカーレットコントロールと半ば一体化してる機体群の一機だ。俺の決定というか判断は、ある程度までは、ここの最上位意思決定者であるコルトの判断に等しい。コルトの選ばないことは俺にも選べない」

「じゃあほぼ私の上官じゃない。正式な挨拶が必要よね。……メサイアドールが規範を無視出来ると思う?」

「そうだが、戦地じゃ省略するもんだよ。お前さんもっと柔軟に対応しないとやってけねぇぞ」

 

 ヘルムの下から現れたのは薄暗がりでも輝いて見えるTモデル不死病筐体らしい美貌だ。

 丁寧に切り揃えられた髪がどこか幼気な表情をコケティッシュに飾っている。

 人工脳髄はヘルムに組み込まれているようだが非侵襲式で不死病筐体に目立った損傷は無かった。自己偏差を参照するツインメディア方式のスチーム・ヘッドらしい補助用の首輪型人工脳髄の黒が白い首に食い込んでいて艶めかしい。

 気質に由来するのであろう甘さがいかにも顔立ちに現れているのが彼女の個性だろう。

 素顔を晒すのが恥ずかしいのかエリゴスはあからさまに照れていた。


「どうかしら」


 何かを期待するような声。

 意味するところはマルボロには分かりかねた。

 しかし間を開けずに応じた。


「美人さんだな。一緒に同じ仕事をするならの話だが、俺はTモデルが好きだよ。銃や馬より信頼出来る」

「ありがとう。……マルボロの話はプロトメサイア様からずっと聞いていたわ。実を言うとここに来たのは、あなたと会ってみたかったというのもあるの」

「プロトメサイアから? どう言う話だ?」

「誇るべき、伝説的な英雄だって! ギ、ナントカっていう拳法の達人で、素手で数百体のスチーム・ヘッドを破壊してきたって聞いたわ。それで付いた渾名が『不死殺し』なんでしょ?」

 マルボロは一瞬でうんざりしてしまった。

「勘弁してくれ、悪質なデマだ。そんな立派な経緯でついた渾名じゃねぇよ」

「噂は本当なの? 素手で……」

「知っておいて貰いたいのは、俺はその渾名を何にも名誉に思ってねぇってことだよ」

「そ、そうなのね。気をつけるわ」


 神妙な面持ちで頷かれたせいでマルボロは意識して声音を優しくした。目下を萎縮させても良いことは何も無い。これから前線で敵も味方も殺しまくる機体には止まり木が必要だ。スカーレットコントロールは巨大な殺戮機構であると同時に安息の地なのだ。安息の他での過度な圧迫は不幸しか呼ばない。


「しかしまぁ、伝説的な英雄とはな。言ってくれるぜ。骨董品を随分上品に言い換えたもんだ」

「私もあなたのことそんなにすごくは感じないわ。だけどプロトメサイア様の評価だし、私には分からない強さがあるんでしょう?」

「どうだかな」マルボロは口を噤んだ。「あいつの言うことは話半分に聞いとけ。夢見がちなところ三割、皮肉まじりなところ三割、被害妄想四割って感じの女だから。ああ、半分でもまだ多いか」

「……本当にあなたにはいつか会ってみたいと思っていたのよ? ええと、私の言いたいことは伝わってるかしら。もちろん出会えたのがこんな時でなければ良かったんだけど……」

「そうかい。俺はこんな時に会えて嬉しいよ」

「そうね」

 エリゴスは口を引き結んで頷いた。それから寂しげに笑った。

「私も嬉しいわ」


 何か事情があるのだろうがマルボロは追及しない。

 事情など誰にでもある。詮索するために土を掘ってもスコップの先端が叩くのは大抵は地雷だった。地雷を踏んでも死にはしないが刺激しないに限る。破裂した地雷は元に戻せない。


「……まぁ、お察しの通りスカーレットコントロールはかなりキツい状況だ。メサイアドールは戦力的に本当にありがたい。それで、お前さんはアルファⅠか? それともアルファⅢか?」

「アルファⅠよ。メサイアドールって言っても、オーバードライブの倍率と持続時間が多少長いだけだから、力不足かなとは思う。尽力するわ」

「倍率と持続時間は?」

「普段は二十倍加速まで、最大でも三時間ぐらいが限界。無理すれば五十倍まで速くなれる」

「十分すぎるだろ……。間違いなく一線級だ」


 自己評価が低いのが理解出来ない数値だ。

 求められる基準が指数関数的に上昇し続ける戦闘用スチーム・ヘッドは現在では三十倍加速まで可能であることが望ましいとされるが、しかしそれも常時では無い。十五分も持続出来れば足る。

 二十倍加速を三時間継続可能ならそれは戦術級ではなく戦略級という括りだ。

 それでもエリゴスは自信に欠いた物言いを続けた。


「……アルファⅢなんかは、速くなるだけじゃないもの、もっといろいろな機能があるわ。アルファⅠでがっかりした?」

「長い長い乱戦で光るのは、圧倒的にアルファⅠだ。タフだからな。拳銃と同じで信頼出来るのが一番良い。アルファⅢがいらねぇとは言わねぇが、お前さんが来てくれたのは天の采配だ。良く来てくれたよ」

「そうなのね! そう言ってもらえると嬉しいわ、ありがとう!」


 よくお礼を言う娘だった。

 マルボロは何となく居た堪れなくなった。

 愛し子にするように頭を撫でた。

 手を撥ねのけられるかと思ったがエリゴスは心地良さそうにしていた。

 そうして彼女は頬を綻ばせたあとごくりと唾を飲んだ。


「……コルト様から私のこと何か聞いてない?」

「コルトから? いや。しかし……。ああ、そう言えば、お前さん、よくよく見ると純正のTモデルじゃ無さそうだな……」


 Tモデル不死病筐体は広義ではTモデルが産んだその娘まで含む。特性が現れているならば孫世代でもTモデルだ。

 マルボロは嫌な予感がした。


「お前さん、まさか……」

「そう、私は、コルト様の直系の子孫なの!」

「あー。そうか……」首を左右に振る。「あーあ……」


 予想出来る限り最悪の答えだった。

 マルボロはコルトとその娘たちを愛していた。彼がコルトの端末だからではない。ただ愛していた。それは兵士たちに向ける愛とは全く違う。

 エリゴスは他の兵士と同じようにはもう扱えない。

 こんなところにいてはいけないと怒鳴りつけたい気にすらなる。

 キュプロクスの生体CPUとしてセルシアナが送られてきたときでさえ上層部と喧々囂々の言い争いをしたものだ。

 正直なところエリゴスの意向など無視して任務終了の手続きを始めたい気分になった。


「貴い血を頂いて、全自動戦争装置による改修を受け、こうして名誉あるメサイアドールの任を与えらたの! すごいでしょう!?」

「お前さんがそう思うならそうなんだろうな……」

「私はコルト様の直系としては、第三サイクルでの三番目の子供なのよ! どう、ピンと来るものがあるんじゃないかしら!」

「第三サイクルか。まだまだ俺があいつのことを世話してた時期だな。じゃあ胎児のとき会ったことあるのかね」

「あると思うわ!」

「……あの時期のコルトの娘。やりにくいな」


 コルトを育成していた時期の記憶は至宝だ。コルトがアルファⅠ改型SCARとして完成したとき失われた輝かしい時代。

 その忘れ形見が認めがたい形で彼の手元に転がり込んでいた。


「……一人前の兵隊に鍛えてやるつもりだったんだが俺は既にお前さんのことが死ぬほど可愛く思えてきたよ」

「可愛い? 本当?! 嬉しいわ!」

「くそっ。そうやっていちいち可愛いことを言うのをやめろ」

「でもね、だからって遠慮しないで。コルト様と……伝説のあなたの下で働けるんだもの。私には戦闘用スチーム・ヘッドとしての戦闘経験だって必要なの。だって私は都市の守護者として君臨するんだから! あなたならきっと私を正しく導いてくれるわよね。ご指導、ご鞭撻のほど、お願い致します!」

「いや、戦闘用のアルファⅠに対して正直特に教えることってねぇんだよ。よーいドンで殴り合っても俺は勝てねぇし。とにかく破壊されないようにだけ頑張ってくれ。俺は世話してたガキのそのまたガキにまで『戦ってから壊れろ』と言えるほどタフじゃねぇ。残骸を持って帰るのも嫌だ。何があっても自分の足で歩け」

「ええ! どこまでも歩くわ!」


 ふんす、と少女は意気込んだ。マルボロはまた頭を撫でた。まるで犬のようであったが冗談でも口にはしない。犬を知らない可能性の方が高い。


「お前さん……何だか元気いっぱいだな。顔はともかくとして、コルトと性格はあんまり似てないんだな」

「コルト様の血は半分だけだもの。あとの半分は、父親の性格なのかしら? 大丈夫、一番良いTモデル不死病筐体じゃないけど、私は強いわ! 市民を脅かすやつらは全部倒してあげる!」


 幼少期のコルトも自信家で自分の力を疑わないところがあった。

 しかしエリゴスはあまりにも違う。少なくともコルトはここまで曖昧なビジョンで見るに堪えない正義感を燃やし無闇矢鱈に気炎を吐くタイプでは無かった。

 コルトにこの子を産ませたのがいったいどんな遺伝子の持ち主なのか考えるとマルボロの不死の肉体に眩暈と頭痛の感覚が蘇った。コルトの交配計画に許諾を出したのは他ならぬ彼であり反発する権利は無いのだが考え無しのろくでなしとしか思えない個体とコルトが交わった過去を考えるのは苦痛だった。


「とにかく、とにかくやりにくい、やりにくいぞこれは……俺に出来ることは一個もないんじゃねぇかなって気がしてきた。あー、そうだ、少し待っててくれるか? 俺の不死病筐体もメンテナンスが必要だし、もうちょい適任のやつがいるから、そいつと代わってくる」

「さっきの戦闘のダメージ、まだ治ってないの?」不安そうにまなじりを下げる。「わっ、私の合流が遅れたせいで……」

「そういうわけじゃねぇよ。気分の問題だな……。すぐ戻る、精々喧嘩を売られないようにしろよ」




 マルボロが「どんなやつの子供なんだろうな……」と譫言のように呟きながら去っていくのをエリゴスは所在なさげに見送った。


 万が一に備えて避難民たちから離れた。

 そして自分に向けられた無数の視線の位置を探った。

 彼女は友軍の基地の只中であるにも関わらず臨戦態勢を維持していた。

 模擬戦などとは比較にならない緊張感が張り詰めている。戦闘用スチーム・ヘッドであるエリゴスは他のメサイアドールから侮られるか恐れられるかして生きてきた。

 悪意を向けられるのは慣れているつもりでいたがレベルが違った。戦地で研ぎ澄まされた殺意は鋭さの次元が異なる。

 ただ恐ろしい。見られているだけでバラバラになってしまうのではないかというほどに少女期の肉体が怯えている。

 メサイアドールの存在は前線ではよく思われていないのは聞かされていたがここまで憎悪されているとは予想していなかったのだ。


「ナメられたら負け。ナメられたら負け。私の方が強い、私の方が強い……。そう、私はメサイアドールなんだもの、大丈夫、大丈夫……」

 

 そう自分に言い聞かせているうちに一機の戦闘用スチーム・ヘッドが鉈のような凶器を持って歩いてくるのに気付いた。

 気配を隠す素振りも見せない。

 一歩ごとに泥が飛び散る。その禍々しい足運びにエリゴスはぎょっとした。


「おい!」


 突然の怒声にエリゴスは体を強張らせた。

 戦闘能力で劣るつもりはなかったがどうしようもなく怖かった。


「だっ、誰!?」

「メサイアドール風情がよぉ、なんでこんなとこに来てんだぁ……?」


 浄化も修繕も進んでいない血と汚泥のこびりついた甲冑に身を包んだその兵士は口元の破損配管から蒸気の柱を吹き漏らしており怒気を孕んだ声に合わせてそれが激しく揺れた。

 異様な外観に恐怖心が強まるがエリゴスはマルボロからの教えを反芻して声を上げた。

 ナメられたら負けなのだ。


「そっ、それは……あんたたちが不甲斐ないから……」

「やかましい!」


 兵士は足を止めて歪んだ鉈を泥濘んだ地面に叩き付けた。破裂音が響いた。


「オレらにこんな汚れ仕事ばっかさせておいて、てめえは今更首突っ込んで、実績作りか!」

「違うわ! 実績なんてどうでもいいもの!」

「じゃあ理想都市で戦闘用スチーム・ヘッドに何の仕事があるんだ、言って見ろ! てめぇはどうせやることもなくてブラブラしてただけだろうが! 他の連中に後ろ指さされて嗤われながら!」

「……ッ」

 エリゴスは歯噛みした。

 事実を指摘されて臆面も無く言い返せるだけの度量が無い。

「てめえらメサイアドールのせいで見ろよ俺の有様をよ! 補修部品すらまともに回ってこねぇ! 騎士気取りの淫売どもがどのツラ下げて何しに来たんだよぉ!」

「わたっ、わたしは、わたしはあっ! 全自動戦争装置とプロトメサイア様の指示で……!」

「やかましいっつってんだろお!?」


 兵士は怒鳴りながら鉈で地面の脂混じりの泥を弾きエリゴスの甲冑を汚した。


「誰もてめえが発言する権利なんて認めてないんだよぉ! くそっ、くそくそくそっ、てめえ、てめえらメサイアドール! 何が理想都市だ……オレの弟はてめえらが予算食い潰したせいで医療施設から追い出されて死んだんだぞ! オレの弟の命でそんな小洒落た甲冑作りやがって! くそがあっ!」


 鉈で地面をザクザクと刻みながら近寄ってくる半壊したスチーム・ヘッドは幽鬼じみていた。

 怨念と狂気。

 錯乱と憤怒。

 逃れ得ぬ悪夢から這い出してきたかのような怪物。


「てめえ、何とか言ったらどうだあ!?」

「わっ、私たちはそんな存在じゃ……」

「誰が口きいて良いっつったあ!」


 また土が被せられる。

 あまりの理不尽さにエリゴスは頭が真っ白になってしまった。

 電磁加速砲も防ぐ高純度不朽結晶の蒸気甲冑を着込んでいるというのに脚が震え始める。

 会話が成立しない。会話する気が無い。

 相手は暴力を振るうことしか考えていないのだと直感させられた。

 生半可な強気や示威は逆効果になるだろう。

 相手は見るからに機体の状態が悪く先ほど都市で叩きつぶしたゲルミルよりも遥かに脆弱だ。戦えば負けるはずがない。

 しかしエリゴスに味方を破壊した経験などない。

 そもそも仲間のスチーム・ヘッドを敵に回すことなど考えたこともなかった。何故味方に対してそんなことをしないといけないのか。残酷なことを彼女は考えられない。

 剥き出しの敵意に晒されたメサイアドールはソドムの街に降りた天使より無力だった。


「な、なによう、どうしろっていうのよ……」

「そうだなあ、ああ? まずはそのふざけた鎧を脱いで俺の前に跪け。オレらの気が収まらねぇ! バラバラに刻んだあと胴体だけ杭に刺して野営地のど真ん中に飾って……」

「そ、そうすれば、話を聞いてくれるのね……?」

「おれの憂さが晴れたらなぁ!」

「うっ、うううう……分かったわよう……」


 エリゴスが自分の蒸気甲冑の留め具の一つに指を掛けたとき。


「これ、何事っすか?」


 呑気な声が突如として二人の間に現れた。

 エリゴスも半狂乱を演じていたスチーム・ヘッドも息を飲んだ。

 気配を全く感じとれなかったからだ。

 準不朽素材のトレンチコートを肩に掛け内側に薄手の戦闘服をインナーとして着込んだ少女型の不死病筐体で、切れ長の目をしていたが、具体的な人種は判然としない。Tモデルにどこか通じる人工的な美の化身。

 首輪型人工脳髄を取り付けられた首筋にはバーコード型の紋様があった。


 シガレット・チョコレートを咥えたその少女はエリゴスを庇うようにして背中側に回し暴漢じみたスチーム・ヘッドと向かい合った。

 金色の短い髪が薄暗闇を貫くライトを柔らかく受け止め透かし煌めいていた。

 特徴的なのは背嚢型の蒸気器官にサイズの合わないヘルメットとガスマスクを乗せておりそこから伸びるケーブルが首輪型人工脳髄に繋がっているということだ。

 エリゴスはそのガスマスクに見覚えがあった。


「それってマルボロの……」

「わたしはマルボロ、じゃねーですが、どうも」少女は安心させるように歯を見せて笑った。「で、何事っすか? ねえ」

 幽鬼は唸り声を上げた。

「……カオルーン、なんでメサイアドールの味方をしてんだよ!」

「質問に質問を返すんじゃねーですよ。それとも聞こえねー、ってことです? 何事ですか。つってんですよ、ヘーレンホフ。彼女が何かやらかしましたかね。まだ前線には慣れてねーんで多目に見てくれませんか。わたしもあなたがこの子に正当性の無い喧嘩をふっかけた点は、多目に見てやりますから」

「くそっ、マルボロも、てめえも、メサイアドールの肩を持つわけだ! 我が子がそんなに可愛いかよ!」

「そりゃあね。コルトの娘が可愛くないわけねーですよ。コルトの代理人(エージェント)としては当然じゃねーです? いや、喧嘩するなとまでは言いません。だけどスカーレットコントロールは元は粛清部隊っす、腹が立つにしても正しいやり方があるんじゃねーと思いますけど……ねっ!」


 シガレット・チョコレートを噛み砕くのと同時にトレンチコートを翻した。

 エリゴスにはその足運びを視認出来ない。

 一瞬で軍用ブーツで鉈を峰から踏みつけて地面にめり込ませる。

 オーバードライブによらない単純で苛烈な体術だ。


「てめえっ!」

「お前さん、ねぇ、話を聞いて下さい」少女は薄い笑みで語りかける。「この子たちを作らなかったとしても、戦争装置の端末に積む武器がちょっと増えただけじゃねーですか。こっちに物資は回ってきませんでしたよ。不満をぶつけるのは間違いじゃねーです?」

「うるせぇぞカオルーン、このガキに身の程を教えてやろうってんだよ!」

「そうっすか」


 トレンチコートの少女は体格で劣るにもかかわらず全く躊躇せず殆ど掴みかかるような位置まで移動した。いつそんなところまで移動したのか分からない。またシガレット・チョコレートをかじった。

 エリゴスの動体視力でも術理が分からず視線で追えない。

 そして外野の視線も今やエリゴスには無い。

 エリゴスはその事実に気付いた。

 兵士たちの視線はカオルーンと呼ばれるこの少女のスチーム・ヘッドに集中している。


「そんな身の程知らずのガキをスチームヘッドにして、こんなどうしようもない戦争をやらせてるのはどこの誰です? 環境が悪い? 神の御意志っすか? それとも機械の? どれも違うんじゃねーですか。それはあなたたち、わたしたち、こうした自体を回避出来なかったクソどもの責任ですよ!」


 朗々と響き渡る声はヘーレンホフなるスチーム・ヘッドのみならずその場に居合わせた全ての機体への一喝に等しかった。


 さらに少女拳闘士は言い放つのと同時に拳を一発ヘーレンホフに打ち込んでいた。

 ヘーレンホフはヘルメットの下から血を吐いた。


「てめえ……仲間に、八極の技を……それでもコルトの代理人か!?」

「死にはしねーです。でもマルボロだって同じことをして同じことを言うでしょう、『多少は苦しい思いをして頭を冷やせ』って」


 ヘーレンホフには発言の自由が無かった。

 恫喝されていた時のエリゴスと同じだ。

 スチーム・ヘッド同士の遣り取りでは相手を気圧したものが常に正しい。

 彼女は完璧にそのセオリーを抑えていた。


「人類史に溢れ返る、人殺しだけが得意で、何も生み出さねーわたしたちみたいな馬鹿が、何かをし損なったせいで、こんなガキが、鎧を着込んで、戦場に立つハメになってる。……それが分からねーですか?」

「……あんたこそ分かってねぇんだ。カオルーン、あんたにはマルボロから受け継いだ記憶しかない。カビの生えた兵隊の記憶だ! その年齢の人間をガキ扱いするのはあんたみたいな骨董品の知識で生きてる人間だけだ!」


 拳闘士の少女は口に咥えたシガレット・チョコレートを噛み砕いた。

 割り断たれた残りが地面に落ちる前にキャッチしてまた口に咥える。


「貴重なチョコレートを落とすところだったじゃねーですか。……わたしたちだって、骨董品なりに学習はしてるんですよ。今の時代だと、心ない人からは、Tモデルは人間まがいみたいに言われますけど、実際はこいつらの産み落とす子は死ぬほど重宝されてるし、成人後は一年を四期に分割して、一期に一人のペースで胎児を提供させるのが普通で……」

「成人後に10サイクルで、三十人前後の生産! 別にTモデルだけがそうじゃねぇ、子をなせるなら、みんなそうだ。それが市民の義務だ、そんな当たり前のことを盾にしたって………」


 金色の髪を乱雑に掻き上げながらまたシガレット・チョコレートを噛み砕く。


「でも、ですよ。この子、たぶん訓練繰上げて、子供の供出も途中で止めて、15サイクルあたりでスチーム・ヘッドになってるんです。エリゴス、メサイアドールになってどれくらいって言ってましたっけ」

「2サイクル……」エリゴスはまなじりに涙を溜めて俯いた。「資源の供出の話はやめて。頑張ったけど、あまり貢献出来てないの……」

「不死になってまだ2サイクル! 子供も残す余裕が無かった!」ガスマスクを背負う少女は大仰に手を広げる。「なんでこんな子が不死にされて、前線にまで来てるんですかね。……おい答えろヘーレンホフ! なんでこんなことになってるんだ!?」


 気怠げな顔つきと声のトーンに見合わない獣じみた咆哮。

 ヘーレンホフは思わず後ずさった。


「……そ、そんなやつ、いくらでも……」

「何で口ごもったんです? それに、いくらでもいるから、何ですか。いくらでもいるから雑に扱って良いんですか。わたしは嫌ですね。誰だって嫌です。()()()()()()()()()()()()


 異邦の拳闘士はスチーム・ヘッドが後ずさった分だけ距離を詰めた。

 下から甲冑兵士を見上げる。

 そしてすかさず相手の頭を掴み頭突きを食らわせた。


「やめてくれ、損傷するのはあんただぞ!」

「知ってますよああっもう痛ったい! だけどわたしはマルボロと違って我慢してられる性分じゃねーんですよ。わたしの価値観でも、お前さんたちの価値観でも、こういう手合いは、メサイアドールであれ何であれ、まだケツの青いガキってもんでしょ! そんなこいつが、何故ここに立ってるか、味方のいないしみったれた基地でどんな気持ちでいるのか、想像してみりゃいいです。しかも、召集されて、じゃねーんですよ? 志願してここにいる……。辛い目にあうと分かっていて! クヌーズオーエは難攻不落、どうせこっちは捨て石なんですから、あっちでことが収まるまで楽して待ってりゃ良いものを、自分で望んでこんなクソみたいな地獄に来たんです。では何のために? 市民たちのためです。わたしたちのためです。確かにガキっすよ。見てられねーです。うんと背伸びして怖いのを我慢して戦場に来てるガキです。こんな立派なやつはわたしは見たことねーです……。だから、わたしでも、マルボロでも、お前さんに言うことは同じです、『せめて尊重してやれ』。これが情けねー大人の、せめてもの態度ってもんでしょう」


 ヘーレンホフは答えない。

 地面に埋まった鉈を抜きふらふらとしながらエリゴスを見た。

 それから「オレは、オレは認めねえからな」と言って立ち去ろうとした。

 トレンチコートの少女は声を張り上げる。


「あーもう! 蒸気甲冑を修理しねーまま無理してるから、負荷で人工脳髄がおかしくなるんです! さっさとヘカトンケイルのところで直してくるですよ! 普段のあなたは突撃隊でも気が優しいじゃねーですか! だいたい弟さんだって都市侵攻を受けた時に殿に志願して死んだんでしょ!」

「うるせー畜生!」

 

 それから戻ってこなかった。

 エリゴスは目を見開いてそのシガレット・チョコレートを咥えた少女を見つめた。

 終始ヘーレンホフなるスチーム・ヘッドを圧倒していた。

 武装面で特筆すべきところは無い。マルボロのものらしきガスマスクを背嚢に載せている程度だ。

 しかし見事に体術と気勢だけで彼を圧倒し追い払ってしまった。

「あ、ありがとう」とわけもわからないまま礼を言うと格闘家の少女は溜息を吐いた。


「簡単にお礼を言ってしまうのは、良いことでもあり悪いことでもあるっす」金色の髪の功夫遣いは溜息をもう一つ。「これで改めて分かったんじゃねーですか? スチーム・ヘッドはナメられた方が負け。ここって、何百年も前の倫理観の世界なんですねー」

「え、ええ、よく分かったわ。でも、あなたは……? マルボロが言ってた『適任の人』?」

「そうですけど、ああ、自己紹介は要らないっすよ。キミが全く知らないどこかの誰か、じゃねーですよ」

「し、知らない人だと思うわ」

「いいえ。わたしはね、クーロン大尉です」少女は背嚢のガスマスクを指差してにやりと笑んだ。「まぁカオルーンの方が現地語に近いから、オリジナルのわたしは、襲名したらそう改名するつもりでいたみたいですが……」

「どういうこと?」

「わたしはマルボロと記憶を共有してます。わたしにも、マルボロたちが任務をこなしてきた、あの市街での記憶は全部ありますよ」

「待って、あなた、まさか……マルボロなの?!」

 エリゴスは瞠目した。

「不死病筐体を乗り換えられるスチーム・ヘッドがいるというのは聞いていたけど……! 体格も性別も全部違うじゃない!」

「いいえ、マルボロではねーですよ。記憶だけ使わせてもらってる別人です。わたしはカオルーン近代化改修用準アルファⅠパッケージ、<アンダー9:シガレット・チョコレート>に搭載の支援ユニット……AIみたいなもんです」

「えーあい?」

「そうです。嘘の嘘の人工知性。みんなには、昔、オリジナルが名乗るつもりでいたカオルーンか、『スティンランド』って呼ばれてます。えへへ。これ。このお菓子の名前です」と少女はシガレット・チョコレートを指差す。「煙草吸えないんで、これで代用してるんですよね。子供っぽいですけど、マルボロの癖は後継者として尊重したかったし。わたしの不死病の香りもココアっぽいし。だから、代名詞には良いかなって。かつてのわたしはそう言っていたらしいです」


 それからエリゴスに近寄る。

 互いのまつげの長さが分かる距離で見つめ合う。

 ガスマスクに陰気と倦怠を押し込めていたマルボロからは考えも付かない微笑。

 挑発的で魅惑的な仕草。

 シガレット・チョコレートを口から離しエリゴスと何気なく唇を重ねにいく。

 エリゴスは目を見開いて受け入れた。

 スティンランドは淡く口付けした。

 次の口付けでは口の中に残っていたほろ苦い嗜好品を彼女に流し込んでいた。


「んっ……」

「……マルボロはこんなことしねーでしょ? コルトの娘には、絶対に。でもわたしはやっちゃいます」

「え、ええ」エリゴスは上気した顔で拳闘士の壮麗なる少女を見返した。「えっと、つまり、あなたはマルボロの後継者……ということかしら」

「だいたいそうですね。ちゃんと完成してれば全く、本当にそうでした。わたしは、……叶うわけのない夢に飛びついて何もかも失い、かろうじて支援ユニットとして生き長らえている『ニセモノの次世代型クーロン』。マルボロを継ぐはずだった愚かな娘の、継ぎ接ぎのゾンビっす。あっははは……情けないったらありゃしねーですよね。わたしはマルボロの人工脳髄に支援してもらわないと、こうして喋ることすらできねーんです……」


 マルボロの拡張パーツに格納された完全な擬似人格。

 それがスティンランドの正体だ。

 彼女はトレンチコートのポケットに両手を突っ込んで己自身を嗤った。

 エリゴスはどぎまぎとした様子でマルボロの後継を見つめていた。

 何度も自分の薄い唇を触る。


「こ、こういう、あの、突然キスしたりするのが、前線の流儀なの?」

「えっ? そんなわけねーでしょう? わたしの匂いを付けただけっすよ」

「匂い……?」

「チョコレートなんて愛好してるのは、わたし、スティンランドだけっすからね。ちょっとでもチョコレートの匂いがすれば、わたしのお手つきだって分かるし、つまりコルトが実質的に存在を認めたことに等しい。マーキングみたいなもんっすよね」

「それじゃあ私、スティむ……スティ……スティンランドのものになっちゃったんだ……」

「あはは、大袈裟っすね。だけどこんなのは挨拶程度じゃねーです? あっ、スティンランドが呼びにくいなら、適当に略してくれて大丈夫ですよ」

「ううん、名前は正しく言うの! スティ……スティンランド! メサイアドールとして言っておくけど、深い関係を結ぶには人口動態調整センターの許可が必要なんだからねっ!」

「あはは。今後はもうあんなことはしねーですよ」

 スティンランドは言いながらもまたエリゴスの唇を奪った。

「にゃっ、にゃー! 恥ずかしいからやめて!」

「よしよし。良い子じゃねーですか」

「もう! ……さっきのスチーム・ヘッドも、あなたの名前を出せば、あんなに怒らないでいてくれたのかしら」

「それはどうっすかねぇ」拳闘士はトレンチコートの腕を組んで眉を顰めた。「コルトの派閥は任務の達成を至上命題とする集団、手続きを踏んでスカーレットコントロールに来た機体を排斥するような馬鹿な真似はしません。しかし、さっきのはキュプロクスの代理人(エージェント)、人格的にはセルシアナの派閥っす。彼らの至上命題は敵の廃滅なんで、わたしの名前を出しても躊躇わせる程度が関の山じゃねーですかね。敵を攻撃するなというのは火薬に爆発するなというのと同じぐらい無茶っす」

「えっセルシアナも偉い人なの!?」

「偉い人っていうか、みんなを代表する人っていうか。他にはやらせられねー仕事をする係っていうか……そう言う立場っす。ああ、キュプロクスのおまけなんで、本体が無事ならセルシアナはいくらでも復元出来るっすよ」

「……そうなのね。とにかく、これからも頑張って地道に向き合っていかなきゃいけないのね」

「突撃隊もすごくいいやつらなんですけどね。だけど、敵を皆殺しにすれば目標が達成出来ると思ってる単細胞揃いで……率先して捨て駒になるような勇士です。話し合いなんて無理じゃねーですかね。それで、ここで音を上げちゃいますか?」

「ううん。メサイアドールなんだもの、頑張らないと!」

「良いじゃねーですか。マルボロが大事にしたくなる気持ちがよく分かります。そんなエリゴスにサプライズです、エリゴス。セルシアナがとっておきの場所を用意していますからね」


 カンフーマスターの麗人はトレンチコートに顎を埋めて蠱惑的に囁いた。

 エリゴスは落ち着かない様子で彼女の顔と喉元の白さとそこに食い込んだ真っ黒な首輪型人工脳髄を見つめた。仕返しとばかりに口づけを試みたがやり返されて終わった。



 道中では早速スティンランドの施したチョコレートの烙印の効果が出ていた。少なくともマルボロと同じ派閥のスチーム・ヘッドはエリゴスを睨んだりはしなかった。

 エリゴスが連れて行かれた先には一際大きな防火テントの施設があった。入り口はファスナーで封鎖されており中はうかがい知れないが大人数での利用に対応しているように見えた。

 テントの脇には机が置かれており寝具のようなものが山積みになっている。

 車椅子から生える数十のアームで枕をチクチクと縫っている小柄な少女のスチーム・ヘッドの姿もあった。


「ここが目的地なの? 何があるのかしら」

「よく来たね良く来たね僕は何時でも新しいチャレンジャーを求めているんだよ何故なら視聴率に繋がるからね撮影して放送するんだそこそこ人気のコンテンツだよこの終わりかけの戦線ではね」

 車椅子のスチーム・ヘッドは枕を縫いながらフラットな笑みで応答した。

「ここはねバトル枕投げ(ピロー)の会場だよ! ああボクのことは知っているねヘカトンケイルだよ」

「この基地のヘカトンケイルなのね。よろしく頼むわ」エリゴスが手を差し出して適当なアームと握手した。「それで、ばとるぴろーって? 枕で戦うの?」


 スティンランドが「そう、枕でバトルっすよ」とくすくす笑ってエリゴスの肩に腕を回した。

 エリゴスは頬を朱色に染めてぴくりと震えた。


「エリゴスには馴染みのない感覚かも知れねーですが、スチーム・ヘッドの喧嘩というものは際限なく過激になって、最終的に相手の脊髄を引き抜いて、生体脳を踏み潰すとか、そういう所まで行ってしまうんです」

「そうなのね……? 何だか怖いわ」


 ヘカトンケイルが平坦な声音でスティンランドの言葉を継いだ。


「その暴力性を抑制しつつコミュニケーションツールとして改良・発展させたのが僕が考案したのがバトル枕投げ(ピロー)。過度の憎悪と暴力の連鎖を防止するための取り組みなんだよふかふかのマットを敷き詰めた場所で行う無差別で特殊な格闘競技でね形式としてはレスリングが近いかな?」

「あっ、レスリング! 教練の実習でやったことあるかも!」

「ルールは三つだけとシンプルで一つは使って良い武器は枕だけもう一つは枕を奪われた者は敗北となる最後の一つは流血を伴う暴力行為以外なら何をしても良いと言うことだね。参加者は共謀しても良いし裏切りを働いても一切咎められないけど枕を投げること以上の暴力は許されないんだ。蒸気甲冑の持ち込みも出来ないから全裸かインナーがマナーだね」

「随分変則的なルールの試合なのね。そんなの効果あるの?」

「大ありだよ戦地のスチーム・ヘッドというのはみんな血気盛んだからどうにかして上下関係をはっきりさせてなおかつストレスを取り除いていけないと立ち行かないんだけど非暴力的な競争(レクリエーション)精神維持管理(カウンセリング)はなかなか両立できない。バトル枕投げ(ピロー)はこれを一定の条件下で両立出来る取り組みなんだね」


 エリゴスはふむむむと真剣な眼差しで頷いた。


「分かってきた気がするわ。きっと地力を試す総合的な実践形式トレーニングなのね。大変な状況でも鍛錬を怠らないなんて継承連帯兵士の鑑だわ!」少女騎士は尊敬の念を覚えたようだった。「それで、どうなったら勝ちになるのかしら?」


 ヘカトンケイルは曖昧な笑みのまま寸時黙った。

 エリゴスの後ろでニマニマ笑っているスティンランドを見た。

 そして彼女自身ニマニマと笑いながら説明を続けた。


「制限時間の20分を終えて一番元気だった機体が勝ちだよでも明確な勝ち負けは付きにくいね。コミュニケーションを図りながら切磋琢磨を繰り返すのがメインだけどそれ以上に他の参加者に実力やアピールポイントを誇示して自分の素を曝け出し互いに深く知り合う機会でもある。頑張り次第ではエリゴスもみんなに受け入れられると思うよ。どうする? やる? 参加するなら蒸気甲冑の持ち込みは禁止だよインナーが防具の限界点。枕は持ってないだろうからそこのテントの中にいる受付係の偽物のボク15号に言って何か適当な枕を借りると良いよ」

「ピローも選んで良いんだ。強い枕とかあるの?」

「攻撃に振ってる人とかは丸めて紐で縛った毛布を持ち込んだりもするけどでもエリゴスなら制限時間いっぱいを安全に過ごすためにもふかふかの枕がオススメだね」

「へぇ、色々な戦術があるのね。奥深いと見たわ……」

「やる気みたいだね参加するんだね?」

「もちろん参加するわ!」ふんす、と意気込む。「クヌーズオーエのメサイアドールがどんな状況下でも一流というとこを見せつけて、みんなに認めてもらうの!」

「その意気だよ! 見せつけてね! 撮ってるから! スティンランドはどうする?」

「参加したいところ、ですけどねー」

 金色の髪をした功夫少女は溜息を零す。

「参加しないの?」

 

 スティンランドは残念そうな顔をするエリゴスの首筋を軽く指で触ってから諦めの表情を作った。


「さすがにマルボロのことを思うとやめといた方がいいかなーって感じなんですよね。あの人って面倒見良いけど、人間を殴って殺す以外に何も出来ねーですし、あんまり進歩的な出来事は、何て言うか、受容できねーと思うんで」

「君とマルボロは人格記録のセクターが違うからそのあたりの記憶の共有は拒否出来ると思うけどね。君はともかくとして彼は君を全くの別人格として認識してるから気にしなくて良いんじゃないかな」

「やー、でもカルト拳法からカルト宗教に行ってそこからカルト組織に行った人の価値観ってどうなんでしょうね。割と保守的じゃねーです? マルボロって」

「だけどコルトたちはSCARの間で交配していたんじゃないのかい。マルボロだってそういう計画は承諾していただろうに」

「二人とも何の話をしているの?」


 エリゴスはまったく初心であった。

 スティンランドとヘカトンケイルは二人してエリゴスをよしよしと撫でた。


「……その辺の記憶呼び出しても、正直ネガティブな気持ちが結構ついてくるんですよね……。まぁ本当にスカーレットコントロールに居着いてくれるなら別の機会もあるんじゃねーです? 今回はやめときます」

「そうかいうんでもセルシアナも今回はエリゴスをメインに考えてるだろうから正しい判断かも知れないね」

「まぁ、セルシアナも参加しているのね!」

 スティンランドが嘆息する。「というかバトル枕投げ(ピロー)はセルシアナの遊び場ですね。元々はあの子がまともな殴り合いすると勝てねーってことで駄々こねて始めたヤツなんで」

「ふふふ、つまり敵は数あれど、キュプロクスとの戦いが本番ってことよね。あの子を下せば、理不尽な理由でたてついてくる機体もきっといなくなるわね!」

「さあさあどうするのかなあと三分で試合開始だよ向かうなら鎧は脱いでいってね強制じゃないけど」

 少女騎士はその通りにした。

「それじゃあスティンランド、私の蒸気甲冑の見張りをお願いして良いかしら!」



 インナーだけの姿でテントに飛び込んでいったエリゴスを見送ってスティンランドたちはのほほんとしていた。

 もう結末は分かっていた。


「ヘカティ。エリゴスって、バトル枕投げの趣旨分かってると思います?」

「どうだろうねボクも確信はないんだけどあれは分かってないんじゃないかな?」

「ですよねー」とスティンランドは曖昧に笑った。「まぁ人口動態調整センター経験者なら大丈夫でしょうけど若干怖ぇーですね。咄嗟に誰か殴ったりしないかな……マットレスが血で汚れると評判が下がる」

「その不安は分かるよクヌーズオーエではこういうリラクゼーションスポーツは発展してない可能性があるね。ちょっとだけ覗いてみようか」


 ヘカトンケイルのアームが防音テントの扉を開くと「にゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!?」というエリゴスの曰く言い難い悲鳴が聞こえてきた。

 スティンランドとヘカトンケイルはバトル枕投げ(ピロー)の経過を眺めた。

 実のところテント内にいるのはセルシアナと<突撃隊>のうち彼女が特に重用している機体たちでTモデル系列が大半を占めた。

 エリゴスの失敗は一つだけだ。

 ルール無用ということは一対多の状況が当然に成立してしまう。

 そのことに気付いていなかった。

 テントの中にいたのは新入りを可愛がるためにセルシアナが集めた<突撃隊>だけなのだ。

 即ちエリゴスは『敵だけがいるキルゾーン』へと一人で飛び込んだ格好だった。


「にゃーーーーーーー?! えっ何? その毛布を縛る紐ってそうやって使うの?! 待って毛布も使い方がおかしいわ! にゃっ、にゃー……待って! えっ何これ! えっ!? ストリングプレイスパイダー……それって何か違うやつじゃないかしら! 玩具でやる技でしょ? えっそう。私が玩具? えっえっえっ……私を梁に吊るして何をする気なの!? にゃっ……にゃあああああああああああああああああああ!?」


 スティンランドとヘカトンケイルは生暖かい笑みを交わして黙って扉を閉めた。

 通りがかった突撃隊たちは「あの、うちの大将がいつもすんません……」と申し訳なさそうな声音で告げて気まずそうに通り過ぎていく。

 戦闘能力が高ければ<突撃隊>では何をしてもよく最強の機体は即座に正義だ。

 セルシアナ=キュプロクスの対暴走端末用粛清装備『特例具足・神話解体機(ギガンティックベイン)』を撃破出来る機体はスカーレットコントロールには存在しない。EMP環境下では使えないにせよ<突撃隊>は暴力の化身である彼女に従うしかなかった。

 そんな彼女がエリゴスを直接その毒牙にかけて晒し者にする意味は極めて大きい。


 満面の笑みのセルシアナがボロボロのエリゴスをテントから連れ出した頃にはエリゴスの戦術ネットワークのステータスは『セルシアナの所有物』に変わっていた。

「ほらね、やっぱり私の方が強い!」と上機嫌なセルシアナにエリゴスは「にゃー……」と掠れた声で返事をした。

 解放されたエリゴスはスティンランドのトレンチコートの胸に向かって「お、思ってたのと違ったんだけど……空挺降下の訓練より酷い……」と言い残してふにゃふにゃと倒れかかってきた。


「じゃあ後は任せるわ、スティっちん。その子のことはだいたい分かったから」と半裸で腕組みをしながらセルシアナ。「良い子だけど、突撃隊には向いてないわね。『殺しに行く』姿勢に欠陥がある。正直バトル枕投げでも初手でブチキレてオーバードライブ起動させるぐらいじゃないとうちにいても不幸になるだけよ。極端すぎて戦術ネットワークで私の情報たっぷり付与して融和策を流したらすぐ通ったわ、もうその辺のやつにいきなり殴りかかられるキレられることもないでしょ」

「じゃあ正式に私たちの管下に置くってことでいいですね。改めて宜しく、エリゴス」 


 甘い香りのする囁き。

 目を回しながらエリゴスは「にゃー……」と鳴くばかりだった。


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