セクション4 人類文化継承連帯/世界最終戦 その4 キル・オール・ザ・セイクリッドディア(1) メサイアドール<エリゴス>
セクション4の一部として扱うことにしました。
最終戦の話はキル・オール・ザ・セイクリッドディアで終わりですが、色々いじくっているうちに長くなりすぎたのでまた分割です。
「はぁ? メサイアドールぅ?」
メサイアドール<エリゴス>。
そのスチーム・ヘッドの名乗りに、セルシアナは露骨に敵意を滲ませた。
今にも殴りかかりそうなほどの殺気が少女の背筋を毛羽立たせる。
実際、接続プラグが全て挿入されていたならば掴みかかっていたのではないかと思われた。
彼女は拡声管を掴んで、可憐な容貌からは想像も付かない唸り声を吐き出した。
『ふざけんな! 安全地帯に引き籠もってるだけのお飾りのくせに、てめぇ、何でこんなところに来た!』
ふふん、と優雅に佇んでいたメサイアドールはにわかに体を強張らせてたじろいだ。
「えっ!? はあっ!? なっ、何よその言い方は! あなた、私に助けられたくせに……」
『やかましいっ! 今質問してるのはどっちだっ!』
「ひっ……」メサイアドールは身を竦ませた。
それから取り繕うようにして「何よ!」と言い返した。
だが気圧されている事実は覆せない。
寸暇も与えずセルシアナの罵声はますます加熱した。
『何よ、じゃねぇんだよ! こっちが聞いてるのにお前がなんで口をきいてる! 何だお前は、聞かれたことにも答えられないのか?! この腰抜けのハリボテの淫売が!』
「はっ、ハリボテの淫売ですって!? そ、そんなこと言われる筋合い、ないわ! ないんだから! なっ、なんで、なんでそんな酷いこと……」
覇気を失い萎縮していくエリゴス。
際限な語気を強めていくセルシアナ。
マルボロはため息をついて問いかけた。
「セルシアナ、この口か?」
「えっ、口? 今それどころじゃ……もがっ?!」
乱暴に口へと指を突き込まれてセルシアナは目を丸くした。
「ひゃ、ひゃに?!」
「それとも、これか? 可愛い口に、恩人に向かって汚い言葉を吐かせてるのは、この舌か? ええ?」
「もがー。でもひゃ、ここまで押し込まれてるのはこいつらが何もせじゅふんぞりかえってたせいじゃ……もがが、ひゃめてぇ。ぷは。もー、何!? こんなのいつものことでしょ!」
「俺たちゃ、追い詰められてぴーぴー泣いてたんだぞ。それを助けてくれた相手に無礼なことを言うもんじゃねぇわな」
「でもいつものことじゃん! これが戦闘用スチームヘッドの流儀だよ」
「違うな。俺たちの流儀だ。そして普段とは状況も違うんじゃねぇか?」
セルシアナは熟慮という言葉から程遠い人格をしていた。
暴力を振るうことに何の躊躇も無い。格下と見做されている相手には頭を下げないし、反抗的な相手なら徹底的に嬲って支配しようとする。
そのように仕上げたのはマルボロとコルトだ。暴力の行使と戦意高揚を担当するサブユニットとしてはそれが正しい仕様である。
しかし今回ばかりはマルボロも礼儀というものを分からせる側に回った。
「あの姿を見ろ。何で助けた側があんなビクビクしてるんだ? これはおかしいだろ? 戦闘用の流儀からは外れている」
確かに戦闘用スチーム・ヘッド同士なら息をするように罵声を発するものだ。正直、相手が猛然と言い返すならセルシアナに好き放題言わせておいても良かった。
歴戦のスチーム・ヘッドはしばしば軽口と挑発の応酬によって円滑な情報交換を成立させる。キュプロクスの眼前の機体が通常の戦闘用スチーム・ヘッドならば機関銃の如く罵倒が飛来している状況でありセルシアナとマルボロが二人がかりで言い返していただろう。
そうして言い合う間にお互いの抱えている情報を確認し合うのが常だった。
これは前線ではありがちなコミュニケーションであり、戦闘の興奮を口論で発散させることが出来る上に状況確認も進み、それが終わればわだかまりもなく上下関係が定まり連携しやすくなる。お互いが弁えているなら非常に有効なのだ。
しかしエリゴスの側がいちいち戸惑い怖がって所在なさげにしているせいでそれが成立していない。
彼女に味方はいなかった。
彼女すら彼女の味方では無い。
絶体絶命の危機を救ってやったという自負が無い。
エリゴスは明らかに責任を感じていた。メサイアドールとしての責任を。
「……メサイアドールに俺たち野良犬の流儀を押し付けるのは酷じゃねぇかな」
メサイアドールは人類文化継承連帯初のアルファⅢであるプロトメサイアが主導する『メサイアプロジェクト』の一環で製造された超高性能スチーム・ヘッドだ。
最終拠点たるクヌーズオーエの運営と防衛を担う機体群だが『戦力』ではない。より多機能な存在として設計されており人類の統治についての役割が期待されている。それ故に大仰な名称を与えられているのだ。
超高性能機に分類されはするが、戦場においては隔絶して高い性能を有するとは言えない。少なくとも歴戦の戦闘用スチーム・ヘッドと衝突して勝てる程ではなかった。
機体に施された装飾が豪奢である点だけは他機種と比較したとき明確に勝る。
「おい、お前さんも言われっぱなしで良いのか?」
水を向けられてびくりとしながらメサイアドールは呻いた。
「よっ、良くないわよ。でも……こ、こんな言い合い、したことなくて……」
「どんだけお上品なんだよ……」
『マルボロも見なよこいつの格好! どう考えたってまともじゃない!』
「うっうるさいわね! メサイアドールとしては控えめな方よ!」
『それが控えめなら他の連中は王様みたいにとんでもない装備なんだろうな、いいや、とびきり高級な娼婦の間違いかも知れないね!』
「うっ、うううううっ!」
『どうせお前たちの任務なんてどれもこれも淫猥で後ろ暗い……もががー!』
「待て待てやめろ」
マルボロはまた指を突っ込んだ。
「そんなこと、ないもん」
集音器から聞こえてきたメサイアドールを名乗る娘の声は今にも消え入りそうだった。
「私たちは……メサイアドールで……人類最後の守りで……救世主だもん……ひ、酷いじゃない……そんなふうに怒鳴るなんて……私は……そんなに言われるようなこと、してない……」
エリゴスはいかにも憐れだった。きっと純粋な称賛と感謝を期待していた。
彼女はまさしくマルボロたちの救世主だ。本来責められるいわれはない。
だがセルシアナの突発的な怒りも尤もではある。
エリゴスの蒸気甲冑は各部に精密な彫刻が施されており内部の不死病筐体が身長に恵まれていることも相俟って腕組みして、おそらくただ立っているだけで戯曲の騎士のように美しい。
マルボロですらくらりとするような華やかさである。
メサイアドールは彼と同じく戦場ではなく博物館に居るべきだった。
彼は歴史的な遺物として。
彼女たちは芸術作品として。
メサイアドールは名目上はどうであれ湯水のように資源を食らってきた。そして戦闘用の分類であっても基本的に前線では活動しなかった。
エリゴスのように敵主力を一秒未満で殲滅出来るだけの戦力でも、拠点から動かない。
メサイアドールの運用方針については全自動戦争装置の決定であり個々に責任を求めるのは無意味だ。
だが安全な後方で温存されているのは事実であり、戦地で終わりのない撤退戦に従事し精神を擦り切れさせている兵士たちからしてみれば、メサイアドールの存在は憎らしいことこの上ない。
泥にまみれ肉の怪物たちと戦い続ける兵士の視点では、装飾として不朽結集繊維で編まれたシルク状の布地まで纏っているその美麗な出で立ちは怒りを煽るのに十分だ。
それ故にメサイアドールは憎悪される。メサイアドールの不在はいつでも戦争装置や継承連帯幹部への不満の標的として利用される。
クヌーズオーエにおいてどうであれ前線でのメサイアドールたちは卑猥なジョークのはけ口であり歪んだ偶像だった。
エリゴスと名乗るそのメサイアドールはおそらく自分たちが前線でどう思われているか承知しているのだろう。ある程度の不和は覚悟してやってきたように思われた。
しかし口調ほど強固な精神性は持ち合わせていない様子だった。
それどころかセルシアナが決して上品では無い言葉を発する度に僅かに震えていた。
マルボロには彼女が叱られ慣れていない子供のように見えた。
果たしてメサイアドールが口汚い罵倒を受けることなどあるのだろうか? 人類の救世主たるべしと教え込まれる彼女たちが。
「……セルシアナ、もうちょっと相手を見極めるべきじゃねぇかな」
『庇うことないよっ。こんなやつは結局、生身の高級官僚どもの玩具、奴隷、召使いだ! 自分たちの兄弟姉妹を戦場に送らずに安穏と生きてる、そんな卑怯者どもにへりくだって、それで自分を救世主だと思い込んでいる上辺だけ綺麗な……』
「うーむ、やっぱり舌が悪いのか?」
『むにゃー!』
どれだけ諫めても罵倒は収まる気配を見せなかった。
メサイアドールは友軍でありながら宿敵たるスヴィトスラーフ衛生帝国の次に憎まれている。
彼女たちの製造には都市単位でのコストが投入され超高性能機として喧伝されてもいる。
しかし戦場にはいないのだ。
誰しもが考える。彼女たちが戦線に投入されればどれだけの都市と市民が救われたか。どれほどの友軍が無事でいたか。その費用でどれだけの武装が用意出来たか。
全ては全自動戦争装置の計算の上だ。しかし神の計画など手駒の兵士には知るよしも無い。気にする義理もない。そしてセルシアナはそんな兵士たちの総意を代弁する立場にあった。
彼女は実働部隊の長としてあるいはコルトのサブユニットとしてメサイアドールを糾弾をしなければならないのである。
「……私は、私たちは、そんなのじゃ……」エリゴスは何か言い返そうとした。「メサイアドールは……もっと別の、もっと別の希望に満ちた……」
マルボロを振り払ってセルシアナが黒髪に汗を散らして怒鳴る。
『何が違うんだ! 今までどこで何をしてきた! 前線兵士のための重要なコストを貪り食って、遊びほうけていたくせに!』
「ち、違う、私たちは……」
ぐす、と涙を飲み込むような音がしたので今度はさすがにセルシアナが狼狽えた。
スチーム・ヘッドは余程の条件が重ならなければ泣くことがない。
『……ま、マルボロ! マルボロも何とか言ってやってよ! 私たちが非オーバードライブ環境下でTFSSチーム護送みたいな危険な任身をやらされてるのは、いったい誰のせいなのか! マルボロにも分かるはずだよね! 全部こいつらが温かなベッドでぬくぬくとしていたからだよ!』
セルシアナも面罵の限界点を見失っているように思われた。
見るからに冷や汗を浮かべている。
自分が過分な罵倒を行っていることに自覚があるらしい。
相手が反論してこない状況に対し自分でダメージを受けているようにも見受けられる。
全てが悪意ではなかったはずだった。死なないろくでなしどもの間では罵詈雑言はただのコミュニケーションツールだ。戦闘用スチーム・ヘッドはオーバードライブ使用後に必ず手負いの獣のような凶暴さを発するものでセルシアナもそれを期待していたようだがエリゴスは明らかにそうしたタイプでは無くこちらの文法は全く通用しないように思われた。
たまたま強大な力を持っている善良な一市民として扱った方が良いのかもしれないとマルボロは判断した。
「悪いな、エリゴス。セルシアナは気が立ってるみたいだ。ちょっと冷静じゃない。俺はメサイアドールは頼りになると思ってるぜ」
「マルボロ?! 急にどうしたの?! マルボロだって、こいつらに硬い物突っ込んでヒィヒィ言わしてやるって、いっつも、もがー!」
「……あなたも、文句があるなら、最初に言っておいて頂戴。今なら、今ならまだ耐えられるから」
「いやもう耐えられてないじゃねぇか」
マルボロはさすがに不憫に思い始めていた。
「気にするな。頼りになるって言ってるんだ、素直に頼られてくれ、エリゴス。セルシアナも冷静になれ。メサイアドールがクソなのは前線に出てこないからだろ。前線に出てきたメサイアドールはクソか?」
「れもぉ……」
「でも? いいや、取るべき態度はそうじゃねぇな。エリゴス、本当にすまねぇ。なかなか簡単には出来ねぇだろうが……今まで聞いたことは、全部忘れてくれ」
「……」
鎧の女騎士は無言だ。
しかし、反発ではなく、戸惑いの沈黙だった。
「普段の癖で、とんでもない言い方になっちまったが、別にこれが俺たちの本意そのままじゃねぇ、そこをどうか理解してほしい。俺たちは朝の挨拶が通じなかったぐらいの調子でいるが……非は俺たちにある。お前さんの流儀に合わせなかったことをどうか許してくれ」
「そ、そうなのね……?」
エリゴスは頷いた。
おそらくマルボロからも罵倒されると覚悟していたのだろうが、それは杞憂だ。
マルボロはそもそもメサイアドールに反感は持っていなかった。
卑猥なジョークの対象にすることはあったがあくまでも話の種としてでしかない。
確かに彼女たちの盟主にして原型機であるプロトメサイアはいかにも頼りなく危険で信用ならず性格も最悪で顔と体と能力が優れており破滅的な限界点でギリギリ自分を制御出来ること以外は何も良いところがないほどだった。
相手がプロトメサイアならいくらか言うことはある。
だがメサイアドールは別だ。
どの機体もプロトメサイアのある方面での『完成品』に近い。
そしてマルボロが視察した限りメサイアドールは総じて稼働年数が短く成熟度も低いが性能は折り紙付きで、何よりプロトメサイアと異なり大抵は人格がまともだった。
頼りなくて、危険で信用ならず、人格と能力が壊滅的であるという点を除けば、プロトメサイアは強力で優秀なスチーム・ヘッドだ。
そしてメサイアドールは、戦争装置のイデオロギー下にあるにせよ、危険でなく、人格と能力がまともなプロトメサイアに等しい。
味方としては心強い限りだ。
何よりマルボロはそんなどうしようもないプロトメサイアと深く関わり、守って、支えてきた。
彼女を大切に思っていた。
メサイアドールは彼女の子供たちにも等しい。
それに愛着を感じないほど、彼はまだ狂えていなかった。
「礼を言うぜ、ありがとう、エリゴス。お前さんが来てくれて本当に助かった。……ってことで、無礼を承知で何なんだが、まぁそこまで話を戻しても良いかな? 遭遇直後ぐらいまで」
「……ええ。そう、そうよ、私は頼りになるわよ!」
エリゴスは震えを誤魔化すように大声を出し鎧の胸に手を当てて応じた。
どうやら水に流してくれるようだ。
素直で可愛らしいという印象をマルボロは得た。
「私はメサイアドールの中でも特に戦闘向きなんだから! 存分に頼りなさい!」
『ううーっ、何を偉そうに言ってるんだ、お前たちさえいなければ私の装備だってもっと充実したものに……もがー!』
「……アナ。もういいだろ?」プライベートでしか使わない愛称を囁いて諫める「どうもエリゴスは、俺たちの流儀に慣れてないみたいだ。俺たちは敬意を表して相手に合わせるべきだ。そうだな? こいつが来てくれなきゃお前さんは今ごろすごいことになってたぞ?」
これがチャンスとばかりに甲冑騎士は両手を振り回した。
「そ、そうよ、セルシアナ! 何だか知らないけど助かったのは私のおかげなんだから! 私はすごく強いわ!」
「いいぞエリゴス! その調子でもっと偉そうにしろ! ナメられて良いことねぇからな! 戦闘用スチーム・ヘッドは挨拶代わりに相手を殴り倒して蹴って転がすもんだ!」
「はあっ? そ、そんなこと出来るわけ無いじゃない!」エリゴスは一瞬でたじろぎはじめた。「悪い冗談はやめてくれる!? 頭おかしいでしょ、メサイアドールだからって見くびりすぎよ!」
「うーん。アナ、見ただろ、あの常識的な態度を。お嬢様だぜきっと。『馬鹿野郎』も『ブチ殺す』も『串刺しにして道路に飾ってやる』も挨拶にならねぇんだよ」
「……ふんだ。まったく、しょうがない。今回ばかりはマルボロに免じて感謝してあげるよ!」
忌々しげに吐き捨ててからセルシアナはマルボロに顔を寄せて「もっと早く殴ってでも止めてくれれば良かったのに」と恨みがましそうに囁いてきた。
「……突撃隊の手前、私はメサイアドールに優しく出来ないんだから。この子が慣れてないのはすぐ分かったよ。でもこれが突撃隊の『代表端末』というのが私なんだよ。私じゃ『私』は止められない」
「バカ言うなよ。お前さんと、見ず知らずのスチーム・ヘッドなら、お前さんの方が可愛い。殴れるわけねぇだろ。それにな、こういった相手との折衝を俺とかコルトとかに丸投げしてるんじゃSCARの端末として成長できねぇぞ」
「うー。なんかただの嫌なやつみたいになっちゃったじゃないか」
「実際その通りだ。後で挽回すりゃ良い。どうも俺らの隊は貧乏くじを引いてばかりのような気がしてたが、ようやく運が回ってきたな」
「役に立つんだかどうか」
「役立たせるのが俺たち<突撃隊>の仕事だ」
「うっ、うら、恨み節はもう終わり!?」
キュプロクスの足下でメサイアドールは必死で虚勢を張っていた。
「これぐらいなんてことないわ。メサイアドールは強いのよ! いくらでも言いなさい!」
「あっちはあっちで変なスイッチ入ってるしなぁ……。セルシアナ、俺を外に出してくれ。直接話がしたい」
キュプロクスの前面装甲が開放された。
ガスマスクの兵士はそこからふらふらと這い出た。
右腕は全損したまま再生しておらず臓器の再生も幾つか後回しにしている。
パペットから降り立つのも一苦労だった。
結果的に殆ど墜落に近い形になってしまった。
マルボロはメサイアドールが見ている前で頭から落ちた。
鈍い音が響いて首の骨が砕けた。
頸椎が再生するまで十数秒ほど気まずい沈黙が流れた。
ぎこちなく起き上がったマルボロを前にしてエリゴスは大いに慌てていた。
そこに先ほどまでの威勢の良さは全く無い。
虚飾がメッキよりも薄い娘であった。
「だ、大丈夫なの? 私の緊急修復キット使う? 後送が必要ならいくらでも支援を……」
「いや、スチーム・ヘッドだぞ……」マルボロは呆れてしまった。「死んだって死なねぇ万夫不当の死に損ないどもだ。これぐらいでビビらないでくれよ、お前さんだって同じ目にあっても平気だろ、腕とか取れたことないのかよ」
「ないわよ! 当たり前じゃない、私は強いんだから。怪我するってことは負けるっていうことでしょ? 私は負けたことも怪我をしたこともないもん!」
論外であった。戦闘用スチーム・ヘッドが全身甲冑を採用しているのは防御を固めることだけが理由では無い。高倍率の破壊的抗戦機動を使うと骨格が砕け肉という肉が破裂する。そうした状況では外骨格があったほうが有利なのだ。
必然的に戦闘用スチーム・ヘッドはオーバードライブを使用する度に全身が破損する甚大なダメージを受けているはずなのだが、エリゴスにはそうした観念もないようだった。よほど生命管制が優秀か、知識が無いかのどちらかだ。
どうであれマルボロの損傷はスチーム・ヘッドとしてはさして深刻では無い。肉体を酷使しているため悪性変異の抑制はかなり際どいところだったが手脚が千切れようが心臓が潰れようが人格記録媒体が無事ならば掠り傷であり「派手にやられたな」の一言で流されるべきところだ。
この程度のことで狼狽えるあたりがメサイアドールが温室育ちと揶揄される由縁だと得心する。理
屈では分かっていたつもりだが、いざ会話してみると全く違う世界の住民だと実感出来た。
「そっちは俺たちを知ってるようだが、改めて挨拶しておく。俺はスカーレットコントロール所属の『カオルーン』だ。親しいやつは俺を改修前の『クーロン』、もしくは俺のペットネーム『マルボロ』で呼ぶ」
「わっ、私はクヌーズオーエの……」
自己紹介を繰り返そうとうするエリゴスを片手で制する。
「それは聞いた。エリゴス。お前さんも頼むから本当に落ち着いてくれ。本来はお前さんが俺たちに落ち着けって怒鳴りつける立場だ。お前さんがいなけりゃマジで俺たちあのゲルミルにボコボコにされてたわけだからな、お前さんが下手に出る理由はねぇ」
『これだからメサイアドールは要領が悪いよねー!』
「ごめんなさ……」
「だから違ぇよ、謝るんじゃなくて『図体デカいだけの役立たずがギャーギャーわめくな』とでも言や良いんだよ。あともっと自分のこれまでの功績と何をしにきたのかアピールしまくれ、戦闘用スチーム・ヘッドは威圧的に振る舞うのも仕事の内だ」
『そうだぞー! スチーム・ヘッドはナメられたら戦う前にもう負けなんだからね。そんなんじゃ誰にも勝てないよ!』
「あ、あなたたちみたいな酷いこと、初対面の相手に言えるわけないじゃない!」エリゴスは涙声で言い返してきた。「淫売だとか、ハリボテだとか、金食い虫とか! 理想都市クヌーズオーエではぜったい使わない言葉なんだから! そんな汚い言葉は、表通りから滅ぼされたんだから!」
「そうかい。まぁお前さんが言うならそうなんだろうな」
マルボロは脱力してしまった。
「それで、嫌味じゃなくわざわざ何で来た? ……メサイアドールが出張るなきゃいけねぇほど圧されてるのか?」
エリゴスは息を整えた。
そらから甲冑の肩をすくめた。
「知らないわ。クヌーズオーエには非常呼集で短期間の作戦参加要請があっただけよ」
「はぁん。つまり一時的な作戦参加だな」
メサイアドールを投入すること自体不吉だがそれ以上の詮索はやめた。
「まぁ、命令とは言えご苦労なこった」
「……命令じゃなくて志願してここに来たのよ。戦闘用なら誰でも良いって要請だったから、それなら私がって。一番乗りだったのよ。行きたいんですって直訴したらプロトメサイア様も快諾してくれたわ!」
『ふーん。クヌーズオーエなんて最終防衛ラインのさらに奥じゃん。後ろの方でぬくぬくしてたら良かったのに』
「あなたたちに低く見積もられてるのは知ってる。だけど決してお飾りじゃないし、そうありたくもないの、セルシアナ」
ヘルムの下から溜息が漏れる。
「私だって最前線で市民や仲間たちが戦ってるのに何もしないなんて耐えられない。だいたい、私はいずれ複製された都市の市長になるスチーム・ヘッドよ? そこにはきっと、あなたたちのような兵士も、私の配下として参陣しているはずよね。手をこまねいて部下がやってくるその時を待つだけなんて、環境が許しても私のプライドが許さないわ。……べっ、別にあなたたちのためなんかじゃないんだから!」
『なんだこいつ! ちょっと言い過ぎちゃったかなって反省し始めてるときに変な反発するのやめてくれない!? あと何かじわじわ偉そうになってきたし! どっちかにしろ!』
「どうどう。混ぜ返すな……」
マルボロは両手を挙げて両者を諫めようとしたが手は一本しか無かった。
セルシアナもエリゴスもやりにくそうな気配を発した。
「しかし驚きっぱなしだ。メサイアドールなんてまだまだガキ揃いだろうに。お前さん、よくそこまで発奮できたな。単騎でここまで来ようって気には中々ならねぇと思うぞ。実戦経験はどれぐらいあるんだ?」
エリゴスは寸時押し黙った。
秘め事を明かすようなか細く恥じらう声音で答えた。
「その……えっと……これが初陣よ」
『えー、本物のガキじゃん! 何かお姉さんぶってたくせに!』
キュプロクスはおののくようなジェスチャーをした。
『っていうか、最初の最初にガキですって自己申告しといてくれないと困るよ、知ってたら私だってあそこまで言わないよ!』
「……だけど前線じゃそんなの関係ないんでしょう? 実際、成人後に4サイクル経たずにスチーム・ヘッドになったし、それから2サイクル経っても、実戦経験無しだもの、信用出来ないわよね……」
ゲルミルを一瞬で粉砕した恐るべき戦闘能力の持ち主は、酷く不安定だった。
マルボロは何か声を掛けてやるべきかと悩んだ。
だが無用だった。
彼女はそれでも腕組みをしながら声を張り上げてくれた。
炎上する街の光と影に揺蕩う鎧甲冑はどこか輝かしいものに見えた。
「だ、だけど見栄を張るのは得意だし、見栄に見合う働きはするつもりよ。少なくとも今回の任務では役に立ってみせるわ!」
「成人後に4サイクル、それからさらに2サイクル、ってことは……まだ生まれてから18年ってところか」
「見くびらないでよね! ……ところで『年』って何?」
『マルボロがたまに使うふるーい時代の紀年法の単位だよ。サイクルの古語。前線の機体はだいたいみんなこのカビくさい単位使うから覚えておきなよ』
「うるせぇぞ。メサイアドールっても、そりゃそうか、年齢はまだそんなもんか……」
マルボロは黙り込み怨嗟を飲み込む。
割り切ることには慣れたつもりだった。
しかしこうして極端な若年者がスチーム・ヘッドとして前線に出てくるとふつふつと怒りが湧いてくる。
それはかつてマルボロが守りたかった者たちだった。
繋ぎたかった未来だ。それが不死にされて遣い潰されている。
努めて声を明るくした。
せめてこの少女を元気づけてやるために。
「そんな身空でよく来てくれた!」
左腕でメサイアドールの肩を軽く叩く。
「人類文化継承連帯の同胞として敬意を表する。俺たちだけじゃない。お前さんの遺伝的原型機も子孫、兄弟姉妹、そして将来のお前さんの市民も、お前さんの気高い行動を誇りに思うだろう」
すかさずセルシアナもキュプロクスの巨体で手を差し伸べるジェスチャーをした。
『助かったよ、ありがとうね。君はメサイアドールでもなかなかすごいやつだよ』
「……ど、どういたしまして」
装甲の下でメサイアドールは糸が切れたような声音で嘆息した。
「しょ、正直なところ、怖くて、ど、どうにかなりそうだったわ。みんな前線に出たら敵も味方も何してくるかわからないぞって脅すし……ここで潰されちゃうかなって……」
「敵も味方も何してくるか分からねぇってのは本当だから、お前さんマジでもっと堂々としな。性能差があるんだからビビるなよ」
「私は同族殺しなんてしないもん! まったく、あなたたち、まるで蛮族の価値観ね!」
「なんだ、分かってるじゃねぇか。俺たちゃ正真正銘敵の皮を剥いで木に吊るす蛮族の集まりさ。さぁメサイアドール、お前さんの任務は? 俺たちを助けに来たって言っても、メインはゲルミル狩りの手伝いじゃねぇだろ。もっと他に何かあるはずだ」
「そう。そうだったわね。えっと……TFSSチーム? というのにメッセージを届けるのが主任務。護衛を務めてるあなたたちを助けたのは、確かに付随的なミッションよ」
「なるほどな。TFSSチーム絡みなら、戦争装置もメサイアドールだって使うか」
「詳しく聞かされてないんだけど何のチームなの?」
「ここでは言えねぇ。だがスペシャルなミッションだ」マルボロはガスマスクの下でニヤリと笑いながら言った。「誰にも言えないくらいにな」
「スペシャルなミッション!」とエリゴスは気分を良くしたようだった。
「しかしよく俺たちの居場所が大雑把にでも分かったもんだ」
「移動をサポートしてくれてた領域殲滅機、アポロトスから、座標指定があったのよ。指定された場所にいなかったから随分探したわ」
領域殲滅機――というのが何なのか、マルボロには分からない。
しさし、おそらく先ほど飛来した、あの都市襲撃機に似た謎の端末がそうなのだろう。
あのレーザーはこちらの座標を測定するためのものだったらしいとようやく納得に至った。レーザー光の照射分布を解析すればTFSSチーム向けのメッセージも含まれていたのかも知れないがそんな余裕は当然無かった。
「お前さんは俺がここ数ヶ月で見た中でもかなり運が良い方だ」
「そうなの? 私今でも、何だかすごく怖い人たちに絡まれて、どうしようって思ってるけど」
「怖がらせたのは悪いとは思うが俺たちはガラ良い方だぞ? しかし本当に運が良い。スカーレットコントロールに回されて初ミッションが『決戦兵器の起動支援』と『人命救助』のセットってのは中々ねぇからな」
エリゴスはピンときていない様子だったがすぐにその意味を理解した。
廃墟の街でTFSSチームの少女たちと合流し熱い抱擁と歓声を受けた頃には彼女は頭の随まで歓喜で茹だってしまっていた。
「わー、メサイアドール様だ!」「ありがとうございます、これで私たち使命を果たせます!」「がんばるぞー!」「エリゴス様大好きです! このご恩は一生忘れません!」
「わ、わぁ! ありがとう市民たち! メサイアドールが助けに来ましたよ!」
自分よりも明らかに幼い人格の個体が上気しながら縋り付いてくるものだからエリゴスはあっと言う間に舞い上がってしまった。
あまつさえ一人一人を深窓の令嬢でも攫うかのように抱き上げてくるくると回って彼女たちを楽しませさらに自分への愛を強くさせた。
キュプロクスは唖然とした。
上辺の強硬さや刺々しい言葉使いとは裏腹だった。
彼女は自分より弱い存在に対して驚くほど優しく甘い態度を見せた。
他者の喜びや思慕の重さを真正面から受け止められる性質のようだ。
<鹿殺し>の制御中枢へ続くチャンバーへと辿り着いた頃にはエリゴスはわずか数十分の付き合いにもかかわらずもう名残惜しそうにしていた。
TFSSチームも慕情を滲ませていた。
あまりにも寂しそうにしているので、セルシアナもマルボロも、これから死にに行くTFSSチームよりも彼女たちを見送るエリゴスの方が憐れに思える方だった。
「じゃあね、皆さん。あなたたちの手伝いが出来て嬉しかったですよ……」
「私たちもエリゴス様に出会えて幸せでした。さようなら、みなさん。チャンバーは内側からロックして二度と開かないようになっています。つまりこれ以上の護衛は必要ありません。閉鎖が確認されたら、速やかにここから退避してくださいね」
「待って。そうだ、コードを伝えておかないと。私が伝えるように言われていた言葉は、『X2099BnUI12』っていう数字の羅列。これで分かりますか?」
「お嬢さん方、その数字何なんだ?」
「すみません、私たちも操作手順のどの部分が何を意味しているのか分かっていないんです。組み込んでみれば反映はされると思いますが」
「ふうん。そうなのね、それで、セルシアナ、マルボロ。結局<鹿殺し>って何なわけ?」
『本当にそんなことも知らないでここに来たの!? もしかしてすごいバカ!?』
「ええそうよ! でもすごく強いんだから! 一大事だからって何の詳細も聞かずに飛び出しちゃったしブリーフィングも淡々としてたから知らないの!」
「……いずれ嫌でも分かるさ」
「ふふふふふふ。継承連帯の栄光を世に知らしめる一撃ですよ」
決して生きては帰れない使い捨てのTFSSチームの隊長格は満面の笑みで応えた。
「どうか私たちの献身を役立ててください!」
「ええ、もちろんです! メサイアドールは、あなたたちのためにも、必ずスヴィトスラーフ衛生帝国を打倒します!」
現実を知らない少女騎士は万感の想いで応じる。
マルボロは彼女をじっと見つめていた。エリゴスは戦闘用スチーム・ヘッドとしては些か感情的に過ぎて脆そうで危うい。心配になる。
キュプロクスたちはと言えば、彼女ほど感傷的にはなれなかった。何を言うべきなのか分からずTFSSチームへと思い思いに別れの言葉を口にするだけに留めた。幾度と重ねた同じような別れにはもう感慨も無い。
人間として何を思えば良いのかすらもう分からない。
「えっと、それと、あの、さしでがましいですけど、生存していたあの市民の救助もお願いします、クーロン大尉」
「親子三人だな」マルボロは破損部再生を促進するために煙草を吸いながら頷いた。「任せとけ。俺とセルシアナだけじゃ怪しい状況だったが、エリゴスのやつが来てくれたおかげで人手が足りるようになった。全員間違いなく安全地帯まで連れてける」
「ありがとうございます!」
死ぬためだけに生み出された娘たちは花のように笑って言った。
「……それでは武運長久を!」
チャンバーの中に潜り込んでTFSSチーム隊長格が手を振る。無慈悲にモーター音が轟きハッチが閉鎖された。彼女たちはシャフトを運ばれて地下深くの制御中枢にまで輸送される。誰にも止められずどこに辿り着くのかは戦争装置しか知り得ない。
後には瓦礫の山に偽装された廃屋と死に損ないの兵士たちだけが残された。
「前線のスチーム・ヘッドとして活動していくには、こんな別れもたくさんあるのね……」と泣きそうな声を出すエリゴスはチャンバーの近辺に積まれている人間の臓物や剥ぎ取られた衣服あるいは大量の出血痕には気付いていない。
都市そのものが巨大な生命科学系の収奪が行われた虐殺の跡地になっている。
しかしチャンバー近辺の状態は特に凄絶だった。
<鹿殺し>とその制御中枢を組み込むためにこの都市からは設計の段階で相当数のシェルターが削除されていた。
しかし市民に配布されている避難経路図は汎用品と何ら変わりない。
チャンバーの入り口にしても本来ならシェルターがあるべき場所を潰している。
市民たちは存在しないシェルターを前にして行き場を失った。
そして多くがここで人間としての終わりを迎えたのだ。
彼らはつまるところTFSSチームと<鹿殺し>のために手脚を切り落とされ肉を削がれ臓物を掻き出されてどこかに連行されたのだがマルボロもセルシアナもその事実を敢えて明かそうとは考えなかった。口に出さなければ真実を消し去れると願う人々をマルボロはかつて嫌悪していた。今は違う。不都合な真実は沈黙のうちに消え去ってほしかった。純粋に彼は全ての悪の絶滅を願いそれには自分自身をすら含み息を止めていれば消えて無くなることが出来るというのならば彼は喜んでそうした。
エリゴスと一緒にキュプロクスの銃座に乗って移動し市長補佐とその子供たちの場所に戻るとバトルライフルを抱えた青年が屋上で待っていた。
「隠れてろって言ったじゃねぇか」とマルボロが苦み走って言うと「戦闘音が急に聞こえなくなったからあんたたちが帝国のクズ肉を倒してくれたと分かったんだよ」と彼は言った。
「それは間違いですよ、市民。帝国のゲルミルを倒したのは、この私。メサイアドールのエリゴスです!」と豪奢な蒸気甲冑に身を包んだエリゴスが自分自身の胸元を指した。
今回も口調は優しい。
スチーム・ヘッドは市民階級が相手だと対応が荒くなるものだが、いかにも都市統治用の機体らしく、市民に語りかけるエリゴスは、むしろマルボロたちに対してよりも丁寧だった。
「メサイアドール!? く、クヌーズオーエの決戦兵器が……」青年は狼狽した。「なんで……まさか俺たちを助けるために、あんたがメサイアドールを呼んでくれたのか? 居住権を獲得出来なかった俺たちなんかを助けるために?!」
「そうだったか?」
マルボロはガスマスクの中でニヤニヤと笑いながら問うた。
「え? えーと、い、いいえ、そういうわけはありませんが……」
エリゴスの主任務は既に達成されている。TFSSチームの護送支援が最大の目的であって市民の救助など命令されていない。
彼女がここにいることと取り残された市民がいることには何の因果も無い。
エリゴスは、青年が跪かんばかりの態度を示したのに些か躊躇を示した。
しかしマルボロに背中を叩かれて反射的に胸を張った。「お前さんが助けたも同然だ、威張ってやれ」と耳打ちされて浅く頷いた。
「わたっ、私はメサイアドールですから、とうぜん市民を助けます!」
「理想都市のスチーム・ヘッドは俺たちの願いすら聞いて下さるのか……!?」
「おいガキ、思い上がっちゃいけねぇな。誰もこいつに助けを求めてなんていねぇ。このメサイアドールはな……市民たちが苦しんでいるのを放置しておけないって、自分で志願したんだ」
ひゃわ、とパニックを起こしかけたエリゴスの背中をまた叩く。
「誰が呼んだわけでもねぇ。自分の意志でここに来たんだ。俺ぁこんな立派なやつは見たことねぇ。お前たちのことも当然助けてやると。さすがメサイアドールだよな」
「プロパガンダの動画の中にしかいないんだと思ってた……」
「ところがいるのさ、救世主様はな」
「や、ややややめてよマルボロ、何で急にいっぱい誉めるわけ……」
エリゴスは甲冑の中で恥じらっていたが青年が命を拾ったのは間違いなくエリゴスのおかげだ。
どれほど卑下してもどれだけ罵声を浴びせても現実は覆らない。
この瞬間の彼女は間違いなく救世主で光輝に満ちた偉大なる女騎士だった。
青年はいよいよ感極まった様子だった。
「あっ、ありがとうございます、ありがとうございます、メサイアドール! ああ、我らが希望! 人類存続の最終拠点の女神たち……! 疑ってきたことを赦して下さい、感謝します、今すぐ母と妹を連れてきます!」
マルボロは駆け出そうとする背中に言った。
「ああ、でもお前さん、銃は置いていけ。間違いがあるといけねぇからな」
青年は立ち止まり苦々しそうに振り向いた。
「……三人は連れて行けないんだろ。あんた、そんな感じの態度だった。俺がここに残るよ。どうせ市民スコア低いし、クヌーズオーエには入れてもらえない」
「かもな。否定はしねぇ。だがそれは現場でやる判断じゃねぇよ。お前さんがやるべきなのは、お前さんの親御と妹を呼んできたあと、一人で隠れて自分の頭を吹っ飛ばすことじゃなくて、乗り物酔いに一番強いのは誰かを話し合うことだ。俺はとりあえず三人とも連れて行く」
「そうよ。何だか知らないけど、メサイアドールが市民を見捨てるなんてありえません!」
「メサイアドール様はどうやら市民を助けたくて仕方がねぇみたいだ。お前さんは恩人に向かって『自分を助けるな』とか意味の分からねぇことを言うタイプか?」
青年は目を見開いた。
そして今度こそ泣きながらメサイアドールに礼をして屋内へと通じる階段に向かっていった。
「可哀相に。あんなに泣いて。でも、こんなところに取り残されたら誰だって不安に思うわよね……」
エリゴスが釣られて泣きそうな声を出したので、マルボロは驚いた。
彼にはこれが凄惨な風景だという感覚が全く無かった。煙の上がる街も内蔵と血の川も幾つ越えてきたか分からない。暗闇から見上げる月は何時でも抉り出された人間の眼球のようで果てしなく虚ろだった。大規模汚染用の生命兵器が投入されていないため衛生帝国に襲撃された都市ととしては綺麗な部類ですらある。
散々に見飽きた平凡な虐殺。有り触れた劫掠の風景。
しかし理想都市に引き籠もっていた彼女からすれば鮮烈な地獄なのだろう。
「……それにしても、まさか逃げ遅れている市民がいるとは思っていなかったわ」
マルボロは話すべき事実を瞬時に制限した。ここに来てマルボロは戦争装置が人選を誤っているのではないかと疑い始めていた。何を教えてれば良いのか分からない。どの程度までの真実に耐えられるのか。
スカーレットコントロールでは常に人格記録の破損による欠員が出ている。
メサイアドールはどこまでのストレスに耐えられる?
慎重に言葉を選んで一面だけの真実を口にする。
「……今のは死んじまった市長の代わりに最後まで陣頭指揮をしてた市長補佐の、その息子だ。市長補佐は両脚を機械化しててな、自由に歩けない。その上小さな妹までいる。ここにいる一家はそういう事情でたまたまここに居残ってる」
「私たちメサイアドールが……もっと前線に出ていれば、こんなことにはならなかったのかしら」
「避けられない運命だった」
マルボロは本心からそう言った。衛生帝国と衝突している全ての兵士が理解している。
今回の大規模攻勢は誰が何をしていようがどうにもならない次元だ。
「……っていうか、お前さん、まさか継承連帯の現状すら知らないのか?」
「ええ、知らないわ。メサイアドールが出撃させられる状況なんだから、かなり押し込まれてるのは分かるけど。でもどんな悲惨な状況になっていても私は怯まない、いいえ、メサイアドールは率先して旗を掲げるべきなのよ!」
「へぇー。そっか……ガキってのは怖いな……久々に思ったよ」
「何よ! 私は強いんだから!」
「そういう次元じゃねぇんだよもう……」
「わぁ、本当にメサイアドールだ! きれー! こんなに離れてても良い匂いがするー! ママ、お兄ちゃん、本当にメサイアドールが来てくれたよ!」
非常階段から歓声が聞こえた。
駆け寄ってくる幼い少女を見てエリゴスは「ああ、出撃の志願をして良かった。私はこれをするために生まれてきたんだ」と感極まった様子で呟いた。
マルボロは「お前さんは本当に運が良いよ」と頷いた。「俺も運が良い」
後方への移送はキュプロクスのサブプロセッサ席に一人乗せてもう一人はマルボロが抱えるという形で実施する予定で残る一人は死ぬしかなかった。
いざとなればマルボロは市長補佐の判断を尊重して一人をこの場で撲殺するつもりでいたが、エリゴスのおかげで彼らは暗黙裏に市民の殺害を免除された。
継承連帯の未来に関わる軍事機密の前に生命という資源の価値はあまりにも軽い。
マルボロは無力な市民を殺すことにもう飽き飽きしていた。
許されるならば何もかも忘れて当て所なく彷徨う死なずの死者どもの、その列に紛れたかった。人を殴って殺すだけの能なしは天国も地獄も望まない。名も無い不死病患者の一人として忘れ去られたい。心の底から想願っている。
だがまだその時ではない。
愛し子たちが息をしている。この地で不死と成り果てて生きている。彼女たちを見捨ててはいけない。
この最終戦、究極の破壊の時代に、置いてはいけない。
だからまだその時ではないのだ。
そんな儚い抵抗の意思だけがマルボロを辛うじて繋ぎ止めている。




